まず私はこれまでの人生から人生が苦であると言うことは悟りました。
しかし悟りにいたる煩悩をどうすればいいのかが分かりませんでした
私はメンヘルで公務員を辞し、職がどうにもならない40男です
職探しで苦しい日々が続きました。
あると記事文の時間を持ち寝転がって瞑想しました
そして職探しなんかどうでもいい
生きる煩悩が職探しをしたがってるのだから煩悩を滅し
職探しをやめれば、気が楽になる。
職探しなんかやめようと思ったのです
すると私は涅槃ではありませんが静かな気持ちになりました。
人生が苦であると言うことから煩悩を消し去る第一歩
煩悩がなんであるかに私は気付いたのです。
それからこのまま死んでしまおうかと考えましたが自殺には苦痛が途も尚ます
自殺したがる気持ちも煩悩であり
悟りとは煩悩から離れ自在新を生きる気持ちであると考えたのです。
また神について考えました
楽園を与えてくれる神がいれば信じますがそうでない神は苦痛が続く人生を永遠
の命とする邪教であると考えました。
ここから私の悟りを開いていこうと思います。
ここで議論が深まればよいので
心配です
出もレスがつけばいいなとかでなくレスがつくのは煩悩が求めてるからどうでもいいや
と思うことが大事だと思います
このどうでもいいやと思うことが私の煩悩からの第一歩でした。
また神について考えてみました神も信じてもよいと考えます
ただ条件があります
楽園を与えてくれる神
そこで楽園だけの人生を与えてくれる神だけが信じるに値する神だと思います
ヨブ記みたいなのはちょっと信じられません
私にとってキーワードはどうでも宵でした
就職どうでもよい
それで人生が失敗してもどうでもよい
そう瞑想したとき
こころがすっと煩悩から消えたのです
もちろん危険な一面もあります
在家である以上、職務は果たさねばなりません
それによるストレスは存在するでしょう
ですからできる限り自分の時間を持って瞑想し
就職どうでもいいと考えることが悟りの一歩です。