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http://2chb.net/r/wres/1585829511/ 548 お前名無しだろ (ワッチョイW df24-AeMD) 2020/04/13 09:45:20
ココも貼っとくか(笑)
5 お前名無しだろ (ワッチョイW 4924-2QPZ) 2020/03/20 13:04:03
79 お前名無しだろ (オッペケ Sr85-2QPZ) 2020/03/18 22:26:33
何もしないでブーたれてる懐古ヲタやajpヲタみたいなセコくて嫉妬深い団体パラノイアよりも
これからはこういう人の時代やね(*´▽`*)
努力と行動
https://twitter.com/jumpwith44/status/1237208046243217409 15 お前名無しだろ (ワッチョイW a724-+Zme) 2020/02/13 23:49:40
↓こちらが本丸
何でも都合よく妄想する妄想恋愛勘違い系全日ヲタの性質・本質(笑)
https://yusb.net/man/797.html 480 お前名無しだろ (W a724-KCHy) 2020/02/16 20:51:24
スレ500くらい消化したら
>>4 >>15 の恥ずかしい具体例をツイッターから抜き出して晒すかな
全日ヲタ特有のなりすまし、自演それから派生するストーカー入った勘違いネット妄想恋愛wが、人としていかに恥ずかしいことなのか自覚すべきだな(笑)
532 お前名無しだろ (ワッチョイW a724-KCHy) 2020/02/18 23:14:14
>>480 で予告した全日ヲタのなりしまし、自演→統失or発達障害的思考の飛躍→勘違い妄想恋愛墓穴掘りな「恥ずかしい具体例」は次スレで晒します
関連垢の何気ないツイートに更に誇大or被害妄想を飛躍させて覿面に反応するみたいなのでDM交換しているヲチャー達は笑いが止まりませんw
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
593 お前名無しだろ (オッペケ Sr5f-AeMD) 2020/04/13 21:29:38
>>548 彼は賢明だったな
ジャストを揶揄したりなんやかや言い掛かり付けて弄ってた連中のTwitter見たけど
○○はプロレス観戦何回以上だの、何歳以上は○○だの、下らんっちゅーか幼稚極まりないお題で承認欲求充たそうとしてる輩ばっかりだな
アンチ新日で成功者を妬む全日本ヲタらしい思考だな
ネタにしてもあんな低レベルな思考の奴らとネットで絡んでると、万事そのレベルの視座しか持てなくなるからなw
ジャストもそいつらバッサリ切って、低レベルな思考を排除出来たから今があるw
742 お前名無しだろ (ワッチョイW 1724-x/cx) 2020/04/15 19:33:05
>>593 もう一つ、亀レスだけどジャストの本買って読んだ
視座、視点共に背伸びせず素直で快適に読めた
あれならインディーズネタと言わず俺なんかが持ってるレトロプロレスの資料集とかガッツリ渡してみて
それをあいつなりにどんな具合に料理屋して文章に吐き出すのか、試して見たいもんだ
どこの読んでも何かレトロプロレス関係の記事原稿って偏狭な視座、低劣な視点のゴシップ掘り起こしばっかりだもんな
流先生方を除いては(笑)
786 お前名無しだろ (オッペケ Sr8b-x/cx) 2020/04/17 19:31:29
>>742 ジャストが松井珠理奈(に質問絡みとかし始めたぞ
早いとこ奴にレトロプロレスの資料を大量に送ってやれ
奴が邪心を起こして下らん承認欲求が芽生える前に新たな課題を与えて筆力を磨くようにナビゲートしてやれ(笑)
今ならそんなのSNSで互いにシェアしたり、テキスト画像をデータ化してメールで送信出来るだろう
841 お前名無しだろ (ワッチョイW 1724-x/cx) 2020/04/18 11:33:16
>>786 了解(*´∇`*)
ジャストなら資料渡してもTwitterやら何やらで拾ったネタを小出しに、しょーもない蘊蓄自慢して己れの承認欲求満たすパクリ自慢ストーカーヲタみたいな姑息な真似はしないだろうからな(笑)
本の版元に打診してみる
ブロディがピンフォールされたの馬場と鶴田の2回だけだっけ
こっち先でしょ
【脳天唐竹割り】昭和の全日本プロレス87【河津落とし】
http://2chb.net/r/wres/1587268970/ わざわざ別スレたてる意味がわかんないが、スレ立ててすぐコピペ荒らしにあったからコピペ荒らしが立てたスレと勘違いされたのかな?
>>9のほうが先に立ったので
そちらに移行しましょう。
前スレ
>>990 >The 10 Greatest NWA World Champions of All Time
https://wwfoldschool.com/the-10-greatest-nwa-world-champions-of-all-time/ G・馬場をして「史上最高のレスラー」と言わしめた
バディ・ロジャーズやルー・テーズをして
「あえてひとりだけ最強のレスラーを挙げろ、と言われたら
彼を挙げる」と言わしめたディック・ハットンがランク外かよ!?
こっちのスレじゃないし、最高のチャンピオンだぞ、最強の話じゃないっつーの。
ドアホ!NGにしたからもう見えないけど。
>>13 だ、か、ら!
馬場も「ロジャーズを【最高】」だと
言っているだろ?
馬場の私見だしな、そもそもタイトルついたの1度では論外レベルだからな。
>>15 > そもそもタイトルついたの1度では論外レベルだからな。
ジン・キニスキーもドリー・ファンク・ジュニアも
パット・オコーナーも論外レベルか?
まともな論じゃないなw
>>17 馬場がNWA取ったのは金で買ったものだから論外と医師う意味だろ。
オコーナー、キニスキー、ドリーらはちゃんとNWAから選ばれてチャンピオンになってサーキットした。
アメリカで人気を博した馬場さんには
1シーリーズ休んでNWAチャンピオンとしてサーキットしてほしかったなあ
なんで
>>5のスレは使わないの?何か問題があったの?私が立てたわけじゃないが。
>>8 馬場は81年チャンピオンカーニバル優勝決定戦での空中胴締め落としで
鶴田は88年仙台のインター奪還戦。雪崩式ブレーンバスターからのバックドロップ。
あと3本勝負のUN戦でブロディ、鶴田1本ずつフォール取り合って3本目両リンてのがあったか。
>>18 >オコーナー、キニスキー、ドリーらはちゃんとNWAから選ばれてチャンピオン
NWA総会で選ばれたという意味だね?
その伝で言えば、リッキースティムボート(‘89年獲得)なんかは、
もう、いちプロモーションの王者であって、
テーズの時代のNWA王者とは違うよ。
それ以前のダスティ・ローデスだって1978年に、一週間、
81年一か月、王者だった時も、NWA総会で認められたのかな?
86年7月〜87年8月王者時代も、もうNWA総会は開かれていなかったし。
馬場はコーナー最上段からのボディアタックでも取ってなかったか?
>>24 スティンボートの時はWCWになっていて全米でのテレビでのビジネス形態に変わっていた。
80年前後のローデスはアンドレと並んで全米トップの人気者で集客能力があったが、
基本、NWA王者はヒールのため短期間となった。取った時は大爆発というアクセント。
日本での評価はともかく、
ローデスのアメリカでの人気は
凄かったらしいね。
ただ、「NWA世界王者」としての評価は
どうか?と思うよ。
>>12 への自己レスだが、
ルー・テーズをして
「あえてひとりだけ最強のレスラーを挙げろ、と言われたら
彼を挙げる」と言わしめたディック・ハットンも、
現役時代の動画が全く残っていないんだ。
これだと後世で評価されるのは難しいな。
>>25 PWFに挑戦した時の決勝の3本目だね
「怪物ブロディ遂にフォール負け」って見出しが雑誌に出てたから
たぶんそれが日本で喫した初の3カウントのはず
81年チャンカー最終戦も、馬場のボディアタックでブロディからフォールして優勝だったような?
その後のインター王座決定トーナメント準決勝では、馬場がブロディにフォールされて星を返した。
反則絡みとはいえ自分は2対1で勝ち、鶴田は一対一のまま引き分け
微妙な線で鶴田より上に行こうとする姑息な馬場
なんで数字と漢数字にしたんだろ?しかも数字は全角だったり半角だったり。
まだ動画が残ってるか微妙だが
馬場がブロディから2回フォール勝ちした場面は
ボディアタックというのが恥ずかしいくらい
かなりしょっぱい
そう言えば馬場がブロディにランニングネックブリーカーを決めたシーンは覚えが無いな。
跳躍力が無くなったから長身のブロディには
上手く決められなくなったからか。
(アウアウカー Saeb-TTEa)
↑気持ちが悪い。
こういうウジウジとして
変に細かい奴が猫とか
虐待して殺していそう。
>>33 ランニングネックブリーカーはNWA戦とか挑戦者として
リングに上がるときに使う技だったからな
馬場がブロディに挑戦者として対戦する試合はなかったはずだから
使う機会もなかったのでは
後年は6人タッグとかでも使うようになったけど、そのときもう
ブロディはいなかったし
馬場がチャンピオンとしてランニングネックブリーカーでフォール勝ちした試合は
ロビンソン戦が真っ先に挙げられるが他にあったかな?
>>17 1度だけのチャンピオンなんていくらでもいるからトップ10にのろうがのるまいが
別におかしくはない。載ってなくても全然おかしくないな、古いしな。
ただ、最終的にベストチャンピオンになるには論外だって事だ。
フレアー、テーズ、レイス辺りがベスト候補の常連客だからな。
>>36 モラレス、木村。
3本目って縛りが無いなら、ブリスコ、オコーナー、レイスも。
鶴田のフロントスープレックスほどじゃないけど、
出す試合も限られてたんで、受ける相手も限られたね。
>>33 馬場が首を負傷させられたPWFタッグ王座決定戦でランニングネックブリーカーは
ブロディが体をずらして後頭部へのダメージを和らげている。
国内でかわされる事のまず無いこの技も海外ではブリスコやドリーがかわしている
映像がある。
こちらのスレを先に運用ということでいいのかな
以前も書いたことだけど、1981年の復活インターナショナル王座、ブロディが
負傷欠場していなかったら、松戸で行われるはずだった王座決定戦は
ドリーとどっちが勝ったんだろう
格を重んじる馬場だから、初代はドリー、そこからブロディへ、という流れが
妥当だとは思うんだけど、この81年と翌82年、チャンカー決勝でブロディに
馬場が勝ち、「二年連続同じカードで馬場の2連覇」という不自然なことをしてる
81年、ブロディにフォール勝ちで優勝した馬場は、その4日後にインター王座
争奪トーナメントで、ブロディにわずか5分の秒殺フォール負けを喫していて、
なにやら「インター王座をブロディに与える代わりにチャンカーでは馬場に
花を持たせるバーター取引」…だったはずが、ブロディの負傷で、翌年に
再度やり直しを余儀なくされた、みたいな気がついしてしまうという
(プロレス界ってファンが考えている以上に、星のやり取りにうるさくて、勝敗を
バーターにしなければ済まさないレスラー心理とか、よく聞かされるからなあ)
81/4/23 馬場、ブロディを降しチャンカー優勝
→ 4/30 ブロディ、インター王座決定戦へ(負傷欠場)
82/4/16 馬場、ブロディを降しチャンカー優勝
→ 4/21 ブロディ、インター王座奪取
現実には81年4月の王座決定戦を欠場したブロディが半年後の81年10月蔵前で
ドリーから反則でタイトル奪取、3週間後の11月1日後楽園、やはり反則でドリーに
ベルトを返し、最初の決定戦からほぼ一年後の82年4月21日の大坂大会において
ピンフォール勝ちでドリーからタイトルを奪取してる
>>40 国内で馬場がランニングネックブリーカーをスカされたのって、
ブリスコにNWAを変えしたリターンマッチの時くらいか
あの巨体だし、スカされるとガチでダメージ大きそう
個人的にベストの一発は、2度目のNWAダッシュの時に
レイスに決めた一発かな。腕を回しながら待ち構える仕草と
エキサイトした表情、対角線上のスピーディーな走りと
高さ、レイスの見事な受けっぷり、どれをとっても説得力十分だった
放送が土曜の夜中だったのが惜しまれる。
ブロディ負傷はアングル。初代はドリーの既定路線だよ。
ブロディの負傷がアングルって証拠あるんかね?
帰国してからもしばらく試合に出てないだろ。単発でちょびっと出たくらい。
ブローディがドリー息子にニードロップしたのもアングルですか?
その後何の展開にも繋がらなかったのはなぜだろう
息子があれでプロレスラーになるのは止めようと思ったのか
ディンク君襲撃は、馬場が許可しなかったら絶対にあり得ないアングル。
ブッチャーを引き抜かれ、ブロディの地位を確固たるものにするため
また、蔵前のインター戦を煽るために行われた暴挙
キングコングニーも急所を外してるし、大量の流血も血袋?だと思われる。
この一件で冷静沈着のドリーがインター戦で大暴走しベルトを失うことに…
リング上のハプニング演出は新日本のお家芸だけど、全日本では異例だったね。
>>47 分かってくれて嬉しいっす
話そらして申し訳ないですが他にもゴーディー、ハリーレイス、淵、ポールオンドルフ、
ペイトリオット、マササイト―とかあったよね
デイリースポーツは天竜だったような
で、ブローディーのドリーJr.Jr.急襲の件、事情通の方いらっしゃればお願いします
>>49 > キングコングニーも急所を外してるし
どの試合もブロディがミスしない限り
実際には当ててないから急所外すも何もない。
全日はアングルは誰が考えたとか
こういうふうにやる予定だったとか
そういうのが出てこない
>>38 じゃ最初からフレアー、テーズ、レイス以外に候補がいないじゃん。
やっぱりまともな論じゃないわw
>>53 そりゃそれなりの回数王座に居ないとベストの可能性ないに決まってる。
あくまで個人的な思い入れがあってドリーとかテリーがあるんであってな。
ベストというのは本来1人のことを指すんだからな。
ファイトの表記で一番おかしかったのは「まんじ固め」
「卍」という活字が大阪の印刷所になかったんだろうな
外国人の名前表記については映画雑誌「スクリーン」の謎表記で耐性がついていたかw
スクリーン表記の有名なもの
ハリソン・フォード→ハリスン・フォード
ケビン・コスナー→ケビン・コストナー
マシュー・マコノヒー→マシュー・マコナヘー
チャン・ツィイー→チャン・チーイー
サルマ・ハエック→サルマ・ハーイェク
ハル・ベリー→ハリー・ベリー
ドリュー・バリモア→ドルー・バリモア
レオナルド・ディカプリオ→レナード・ディカプリオ
ユマ・サーマン→ウーマ・サーマン
>ブロディ負傷はアングル
松戸の件は難しい。
アングルならばブロディはリング上にいるべきだし
武道館のレイスのように包帯や松葉杖でアピールをするのが当然
なのにそこにいない。
準決勝で馬場を破っていて、決勝でもドリーを破れば
全日の格としては最上のものになるからインター王座の復活としては文句なしだ。
そこで唐突に欠場だからなあ。
前日か前々日の東スポに負傷を匂わす話でも載っていればアングルくさいんだが。
まじな負傷のようにも思えるが、それでもなんでリング下にさえいないのかわからん。
WWEのスキットであったな
「○○タイムス・チャンピオンなんて威張ってるが、たった□日間の在位期間に○△回も
王座転落したっていうだけのことじゃないか」
と罵るというのが
まあWWEはWWWF時代から最も在位日数が多いのがサンマルチノ、次がバックランドで、
二人とも王座転落→復帰が1回しかないからな
WCWにホーガンやブレットが移籍した頃から後継王者が転落→返り咲きを連発して「○度目」を
やたら水増しするようになった印象があるけど、NWAはレイスがローデスに敗れた79年から
84年の夏までの5年間で14回も王座交代してたんだな
その締めが日本でのケリーからフレアーへの移動だったわけだけど
>>54 その三人だけで決めるベスト王者なんて大した意味はないね。
>>56 あのブロディの欠場は謎だな。
おっしゃるように、負傷ならそれらしいカッコをして
リングに上がって試合できないアピールをすればいいのに。
まあおかげで究極の禁じ手であるファンクスの兄弟対決を見られたけど、
あのカードは違うシチュエーションや会場で見たかった
そもそもあの日ブロディはどこでなにやってたんだろう。
会場の控室にいたのか、さっさと帰国してしまったのか
ところで、ブッチャーの新日移籍がこの直後だったはず
これは証拠のない邪推なんだが、この時すでにブッチャーの移籍に気付いていて
慰留をあきらめた馬場が、新日の次の標的はブロディじゃないかと
疑い、新日関係者と接触させないようにブロディを隠した可能性はないかな
馬場、ドリーを連破して全日最高位に上り詰めたブロディをその直後に
引き抜かれでもしたらブッチャー引き抜き以上のダメージだからな
月刊プロレスにはブロディが松葉杖持って足に包帯巻いた写真が載っていたな。
名古屋のトーナメント準決勝で右足首を捻挫とあるが、
馬場に5分59秒で完勝してるんだよな。
負傷したとなると、試合後に延々と続いた場外乱闘でやっちゃったか?
>>49 ありがとうございます
実際はディンク君もそれなりに楽しんでいたのかな
ブローディーと言えば完全にアングルなんだけどスヌーカとの仲間割れリンチシーン
が田舎の少年には強烈だった 全日中継特有の暗めの照明の下やられるスヌーカの
流血と筋肉の躍動!スタンと組むからお前には用はないみたいな冷酷なブローディー
その後レイススヌーカ組になって親分肌レイスが後ろ盾になったんだと解釈したもんだ
実際は新日でも合流して一緒に離脱後全日ターンでまた合流 仲いいよね
週刊ファイトと言えば「薔薇族」。。w
81年9月ころから85〜6年くらいまでかな、毎週購読してて勿論ストックしてたが
引っ越しの時に処分しちゃったんだよなア。。オクかメルカリで絶対売れただろうし。
>>61 当時のテレビでも映ってたけど、ブロディは馬場を秒殺した後、もう一試合の
準決勝、ドリー対ブッチャー戦に乱入してブッチャーを反則負けにした後に
威勢よくリングから飛び降りた時に、変な形で床に着地して足を引きずりながら
退場していた記憶があるんだけど…
つべを探してみたけど馬場に勝った試合、乱入でテリーをリングアウト負けにして
失格させた試合はあるんだけど、そのドリーとブッチャー戦の動画は、尻切れで
結着部分が見当たらないので確かめられない
ダウンロード&関連動画>>@YouTube ブロディvs馬場戦 (愛知)
ダウンロード&関連動画>>@YouTube;t=529s
馬場vsテリー戦 (後楽園)
ダウンロード&関連動画>>@YouTube しかしこのトーナメント、準々決勝(実質トーナメント一回戦)4試合のうち
3試合が乱入リングアウト、準決勝の1試合が乱入反則裁定と、かなり
やっつけ仕事だったんだな
そしてこの試合でなぜかリングに上がったオルソノスキーの名前を出す
倉持アナw
>>60 私もその写真見た覚えがある気がしていたんだが、ゴング、プロレスとも
ドリーvsテリー戦を報じた81年6月号には見当たらない
もうちょっと調べてみたい
>>53 NWAチャンピオンはその年の総会で1年間誰をチャンピオンとしてロードさせるか決めるんだよ。
それ以外は怪我か病気、ケリーみたいにレンタルしかないのw
1年で終わったチャンピオンは客を呼べないから交代させられたんだよ。
>>65 何トンチンカンなこと言ってんの?
その三人以外にも一年以上王者だったレスラーはいるぞ。
個人的な思い入れだけどNWA、AWAの世界王者は
「届きそうで届かない」あの絶妙な感じを出せるレスラーじゃないとダメだなあ。
88年のC・ヘニング、89年のリッキーにはそれが無かった。
団体のベルトだけどインター王者時代のブロディはそれが出来てた。
AWA王者時代の鶴田のアメリカでの防衛戦は全日ファンからすると今一つな感じだけど
当地の「あの日本人からベルトを取り戻せ!」ってファンたちからすればヒートを買う内容だったんだろうな。
そういう意味じゃハンセンvs天龍のAWA戦は「届きそうで届かない」に熱さ激しさも加わったいい試合だったな。
>>64 ブロディ松葉杖の写真は巻末の熱戦譜のページに載っていたと思います。
>>68 ありがとうございます。
熱線譜は少し前のものをまとめるから(インター決定戦を伝えた
6月号巻末は国際プロレスの2月シリーズ熱線譜のみ)8月号
あたりに載っているかも
今日はさっきまで家族のいる洋間で棚を整理していて疲れて
しまったのでまた後日に失礼します。
ヘニングとリッキー…鶴田天龍の挑戦はNG。
タイガーは貧乏クジ引かされた感じか。
>>69 7月号熱戦譜のページに
「足を負傷して決勝戦不出場になり残念がるブロディ」の写真があった
その下が「引退式で胴上げされる魁勝司」
>>71 ずっと前座のままだったから、その後レフェリーやってた北沢さんとしての印象の方がずっと強いな。
>>71 重ねてありがとうございます。
思えばタイガーマスクがデビューしたのが松戸の決定戦があった日の
1週間前の4月23日だったんですね。
猪木がIWGPに向けてNWFベルトを返上したのと同じ蔵前大会。
もともと全日がインターを大木から買い取って大々的に復権させたのも
猪木がIWGPで優勝したら「インターナショナル・グランドチャンピオン」
を名乗ることになるかもしれないので先手を打った部分も大きかった
わけだから、時期が重なるのも必然だったのでしょうし
普通に大木からタイトル奪取
というストーリーではいけないのか?
圧力かけて返上させる意味がよくわからないしイメージも良くない
いいメンバーを揃えて権威をアピールする割に
決勝が地方の小会場ではインパクトがイマイチのようなi
>>74 インター王者大木の正当性を認めてないから、それまで全日で一度も防衛戦開催しなかったんでしょ?
ディングも松戸欠場もブック通り
ブロディが包帯巻いて負傷の挨拶をリングでしたら終わりだよw
>>75 全日中継ではインター王者は大木と言ってたから正当性は認めてたんだろうな
PWF王座を作ってしまった手前インターまで全日管理にしてしまったらベルト過剰になってしまうから
大木が国際で防衛戦行わなければ大木の王座のまま黙認するつもりだったんじゃね?
ヘニングとリッキーのころにはNWAもAWAもどうでもいい雰囲気だった。
正直郡山のときも獲れない(獲らない)と思ってみてたので、87年の時点でオレの中では終了。
なぜなら最終戦・長州の挑戦が決まっていたから。カード発表で移動が無いのが分かる。
>>75 日プロが活動停止でUN・アジアヘビー・アジアタッグがその時点で一度消滅したのに
インターヘビーとタッグだけベルトが生きていたのが謎なんだけど
大木金太郎がベルト持ち逃げして韓国に帰った時点でインター王座復刻すればよかったのにな
PWFなんてヘンテコな王座作ったりしないで
でもまあ大木が国際でインター防衛戦開催しちゃった後で、いきなり手のひら返して
全日のリングで防衛戦やらせるわけにはいかないよな。
>>74さんはそれがわかってないと思う。
>>80 馬場が日プロ離脱するとき、結局諦めて返上したけど一度はインターもったまま退団しようとしたんだよな。
本人も未練あったから、インター王座って名のタイトル新設する気にはならなかったんだろうな
復活トーナメントのときには、さすがに自分の腰に巻く気はなかったようだが
全日本旗揚げと日プロ崩壊にはタイムラグがあるから
どちらにしてもシングル王座作る必要はあった訳だな
猪木も東プロ時代にヘンなタイトル作ってたし
団体経営にはベルト不可欠なのかもなぁ
>>81 そりゃ理解できんよ
大木が国際に上がって
馬場との関係が切れたからインター王者として認めない
というならまだわかるが
大木はその後、全日に再登場するんだから
わざわざストーリーに絡ませないほうが奇怪だよ
そりゃあタイトルマッチなら売り値が上がるから当然やろ
>>84 大木は全日では78年ごろにすでにトップグループから脱落してたからな。
国際に転出した時も「払下げ」の印象が強かったし。
王座の正当性はもちろん、コンディションも悪かった当時の大木を
トップで使うのは難しかったのでは?
>>84 日プロが潰れて大木が全日に上がって以降、一度もインター王者としては認めてもらえずに
防衛戦もやらせてもらえなかったからこそ、大木は国際に移籍してまで防衛戦をやったのでは?
国際に移籍するよりずっと前から、大木のインター王座はそんな扱いだったんだから。
ブロディ、全日から帰っても確認できる限り3週間くらい試合に出てないだろ。
1試合出てたような記憶あったけど、記憶違いだった。
GCWはその間も興行やってたし。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=786&page=4&s=800
>>79 >UN・アジアヘビー・アジアタッグ
の王者は、旧日本プロレス選手=全日の配下に
なったから、廃止するのも復活するのも馬場の
一存だっただろう。
インタータッグは、アメリカに流出中。
これは日本側として奪還せざるを得ない。
インターシングルは、日本の看板タイトルだから
廃止するわけにはいかんが、大木に防衛戦を
させるわけにもいかん、と。
>>88 売れっ子でも普通に3週間位休むでしょw
毎日試合なんかできるか、ボケ!
>>90 3週間休んでる期間が普通にあるのなら具体的にいつからいつ迄休んだか挙げてみろ。
普通にあるのなら最低2〜3回の実例を挙げろよ。
さっさと報告しろよ。
アメリカの売れっ子は休みなんかろくに無いと思うが…
70年代終わりはどこの地区も不況に陥っていたけれど、それでも
東海岸とミネアポリスは盛況だったというし、羽振りのいい時は
家に帰る時間もなくて離婚必至になるのが売れっ子の宿命だった。
マサ斎藤ですらフロリダで高千穂とコンビを組んでいた頃は一年で
一、二日しか休みがないほど試合をし続けていたし(おかげで目を
傷めても病院に行けず、片目を失明することになってしまった)
東海岸のWWFエリアでは「1日に国境を往復して2試合する」
なんていうハードスケジュールが続く生活をする羽目になって
精神を病みかけたとか。
ブルーノ・サンマルチノも休みなしの生活で家庭が崩壊するからと
王座をリタイアし、復帰の際には(WWWFの複数スター制移行による)
自身の年間契約試合数の削減を絶対条件にしていた。
まあそれらは極端な例にしても、この時期のブロディのサーキット・
コースがよく分からないものの、3週間試合をしていないっていうのは
やっぱり異例だろうな、アクシデントは本当だったと思いたい。
ブロディは全日から新日に変えたあたりはかなりスケジュール空いてるけど特殊な
理由だからな。新日で稼げるからあくせく働く必要もなくなったんだろうし。
テリー・ファンクもNWA王者時代に離婚したし、キニスキーの奥さんは寂しさのあまり
アルコール依存症になって自殺してしまった
スティングとかいい選手だと思ったけど、なんで一回だったのかな?
TNTは二回来たけど、もっと全日で見たい選手だった。
>>44 いい加減にしろ。
こっちは当時、都心から松戸まで見に行って
ブロディ欠場で心底ガッカリしたんだ。
そんなアングルあるかって。
ドリーを優勝させたいなら、ドリーがブロディに
反則勝ちすればいいだろ。
ブッチャーが新日本に離脱直前。
全日本としてはなんとしてもブロディを
売り出したい時に、試合させずに欠場させるわけもない。
とりあえずブロディのDVDの付録の
試合記録集によると
4月27日の愛知県体の馬場戦以降、最初の試合は
5月23日アトランタのジョニー・ハワード戦に
なってるぞ。
本来ならファンクスの兄弟対決をやるのに
何のアングルもなく宣伝もなしにやるわけない。
ブロディ欠場のお詫びのカードだろ。
最初から決まってたなんてありえない。
いちおう王者(前だけど)の大木が
ヒラで決定トーナメントに出るのがバカにしていると思った。
決定トーナメント優勝者と大木で決定戦がいろいろ折衷案だろうが妥当じゃないかな。
ブロディ(ないしドリー)×大木で新王者決定、なら松戸でやるのにちょうどいいカードだし。
>>99 新日本は創立10周年記念興行を何回かに分けて開催したから、全日本も各シリーズに大会場で記念興行を設けてほしかったな。
インター王座決定トーナメントの最終戦を大阪府立でやって、くじ引き後に会場前で「ドリー対テリー決定!」と宣伝したら当日券求める客が殺到したかも?!
>>100 > ブロディ(ないしドリー)×大木で新王者決定、なら松戸でやるのにちょうどいいカードだし。
もうあのころの大木はロートルもいいとこだったろう?
大木のシングルがメインのカードなんか弱すぎるよ。
その辺はアンダーカードでなんとかしてもらうんだよ。
確かに当初は大木もトーナメントに参加予定と発表されてたね
最終的には大木が恥をかかされるデメリットよりはと、全日が「管理」していたことになっていた
アジア・ヘビーのベルトと物々交換する形でインターを譲り渡して、以後韓国マットでは
インターの代わりにアジア・ヘビー級タイトルを興行の看板にして防衛を重ねていた
全日も大木の影を出さずに済ませるのにはメリットがあった
「自分が持っているもっは持ち上げ、他人が持っているものはこき下ろす」のがビジネスの
基本(だから力道山がWWAと提携していた時期、日本のプロレスマスコミはNWAを
「過去の遺物」とこき下ろしまくっていた)
インターを「韓国や国際で防衛戦を続けてきた大木からベルトを受け継ぐ」のではなく、
「馬場が返上して以来有名無実化していたベルトをNWAの勧告により復活させた」という
ストーリーを喧伝して、馬場より後のインターの歴史をほぼ無かったことに出来たから
>>104 物々交換じゃなく、アジアヘビー+金銭だね
まして首の負傷でトーナメントに参加できるような状態じゃなかった
>>96 松戸だからっていうのはあるね。都心なら暴動になるから。
さすがに決勝戦を反則決着でベルト獲得とはまずいので、欠場にさせた。
インターナショナルの大木 UNの高千穂はドサクサでチャンピオンになったようなもので
正史ではなかった扱いだね
>>106 > 松戸だからっていうのはあるね。都心なら暴動になるから。
そんなんで暴動にはならねえよアホw
>>95 スティングが初来日した89年6月で、全日本とWCWの提携が終わったからだよ。
89年前半に全日本に来日したリッキー、ウォリアーズ、スティングなどWCWとの契約レスラーは
これをもって最後の全日本来日となった(馬場死去後、ウォリアーズのドーム参戦は除く)。
スパイビーもその流れにいたんだけど、ハンセンのパートナーとして90年3月に全日本に復帰した。
この89年6月以降に参加する外国人選手は、全日本をメインとする"ゼンニチガイジン"になった。
TNTは87年最強タッグでの馬場へのトラースキックが見事だったね。
確かに良い選手だけど、親分・ブッチャーより目立ってしまうことやブッチャー&シンが既定路線
となったから全日本での立場がなくなった。
また、88年7月のブロディ死去で全日本とプエルトリコ(WWC)の提携も終わったしね。
その後、新日本とWWCの提携で、コロンの愛弟子であるTNTも90年から新日本に参戦することになった。
ブロディの件で馬場とコロンは切れたのかな?
NWA末期迄かなり蜜月だったようだし。
松戸を復活インターの決勝の場としたのは馬場がインター王者時代の
日本プロレスコミッショナー川島正次郎ゆかりの土地だったから。
なら馬場がブリスコを破ってNWA王座を獲得したのが鹿児島だったのは二階堂コミッショナーゆかりの地だからなのか?
>>110 解説アリガトウ!
スパイビー・スティング組、スヌーカ、TNT組なんて絶対盛り上がったよね。TNTはカブキともペイントタッグも良かったと思う。
古い話で恐縮だが、82最強はリッキー・スレーター組を2年ぶりに参加させる発想は無かったのかね?
そしてレイス・スヌーカ組なら史上空前の大会だったと思う。やはりジェイみたいな配給係もいないとダメなのかね。
ブロディが3週間も試合が無いはずがない!って言ってる人がいるけど、
NWAの王者とかじゃないんだからそれって普通じゃない?
日本だって、シリーズとシリーズの間はそれくらい普通にあったよ。
オフの自宅でトレーニングだってあるだろうし、そんなに否定する意味がわからん。
>>111 団体レベルでは切れただろうね。
83年〜87年にかけて、WWCの主要レスラー(幹部)が毎年全日本に来日していたけど、ブロディ死去後はなし。
83年 ビクター・ジョビカ
84年 ヒューゴ・サビノビッチ
85年 ミグエル・ペレスJr
86年 スーパー・メディコ、ジ・インベーダー3号
87年 カルロス・コロン、ジ・インベーダー1号、TNT
この5年間が馬場とコロンの団体としての蜜月時期だと思う。
全日本からも冬木が「リッキー・フユキ」の名で参戦、馳&新倉も馬場経由、輪島と馬場自身も参加していた。
レスラー個人では、ブッチャーのようにプエルトリコでコロンとビジネスを継続したレスラーもいるけどね。
ハンセンは87年7月にホセ・ゴンザレス(ジ・インベーダー1号)と一緒に来日してるんだな。
まさか1年後にあんな事件が起こるとはね。
ハンセンvsコロンもWWCの「歴史的抗争」として、EGプロダクション(キャピタル・スポーツのメディア会社)からビデオ化されている。
ハンセンのWWC参加は87年9月の『アニバーサリオ'87』が最後となった。
>>113 長崎、鹿児島、函館。
馬場×ブリスコは中央から遠く離れた場所が多い。
コロンは石川と両リンだったね。さすがに上で使おうとは思わなかったんだね
>>64 >当時のテレビでも映ってたけど、ブロディは馬場を秒殺した後、もう一試合の
準決勝、ドリー対ブッチャー戦に乱入してブッチャーを反則負けにした後に
威勢よくリングから飛び降りた時に、変な形で床に着地して足を引きずりながら
退場していた記憶があるんだけど…
ドリー対ブッチャーの映像持っていたので確認したところ、あなたの記憶通りで
滑って体勢が崩れたような感じで左足が折曲がった状態で先に着地し、
右足は伸びた状態で着地しています、この時捻挫した可能性は高いですね。
>>122 おお、確認ありがとうございます!
このスレの方々は凄いですね、本当に
>>106 アホか。同年10月蔵前のドリーブロディ戦、
11月後楽園の再戦。
どっちも反則決着だったが、暴動なんか起こったか?w
その頃の全日本なんて反則決着のオンパレードだよ。
大体「松戸だから」って、都心からも遠くないし、
実際俺も見に行ってるんだから、ふざけるなって
話だよ。
後、カーニバルでも「決勝戦、最終戦の反則勝ち」は、76年のブッチャー馬場、82年の馬場ブロディと、いくらでもあるだろ。
最強タッグでファンクスがハンセン、ブロディ組に反則勝ちで優勝した時も
同じく鶴田、天龍組が反則勝ちで優勝した時も暴動なんか起きなかったぞw
>>116 1981年の前後2〜3年でそんなにあいてるの他にないだろ、2週間なら2回あるけど。
いい加減なこと書かないで具体的な例を挙げろよ。
インター王者決定トーナメント
乱入しまくりの変な決着ばかりだったような覚えが
松戸といえば1984最強タッグの開幕だったな
なぜか苦楽園ホールではなかった
入場式は後楽園が似合う、ていうか馴染みの度合いでもあるけど
>>129 松戸はなんか見ていて圧迫感のある会場なんだな。開放感が無い。
だから最強タッグの華やかな雰囲気も若干下がったと思う。
>>129 88年最強タッグ開幕戦も松戸だったけ?
阿修羅原解雇の会見が冒頭流れて落ち込んだわ。
原解雇の時に馬場は「良いレスラーだったんですけどね・・・」と
レスラー原には未練がありそうだった
893から多額の借金じゃ流石にかばいきれなかったんだろう
>>110 89年8〜9月のサマー・アクション・シリーズ2に参戦したダイナミック・デューズもWCW
シリーズの前後のアメリカン・バッシュやハロウィン・ヘイボックに出てた
羽賀研二もそうだが、アンナの親を見越して
貸す方は貸すんだろうか。
沖縄の店も、開店数時間前に
未納だからオープンできないよ。となって
急遽アンナパパが肩代わりしたとかさ。
策士じゃないか。
>>135 取り立てに893が来るようなら、元金の出所も、、、
12月6日に最強タッグが終わって、正月まで試合がないことなんて普通にあるだろw
暇人の相手してやるよ〜
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200422-00000000-tospoweb-fight 既出だったらスマンが
天龍と和田京平が轡田のクーデター未遂事件について語ってたけど
猪木日プロ追放といい昭和プロレスのえげつない話は高確率で小鹿が関わってるよな
>>139 それにしても天龍は本当に渕が嫌いなんだなw
>>113 二階堂は新日側のコミッショナーなので二階堂の地元だからというのは無いだろう。
でも二階堂は田中派の大番頭だから馬場と田中角栄が同じ新潟ということで少しはあったかもしれない。
猪木がバックランドからWWFのベルトを奪取した徳島は角栄の懐刀の後藤田の地元であると同時に
田中派にとっては天敵ともいえる三木武夫の地元。
なぜ鹿児島かというと全日本プロレス中継を放送していた南日本放送社内の
局内主流派のJNN=TBS派に対しての日テレ派の鞘当てすかしっ屁みたいなものだと思われる。
>>140 相変わらずジャンボをチクリとディスるよな。
川田同様一言多い!
>>139 猪木日プロ追放は上田馬之助が密告者じゃなかったっけ、
まぁ小鹿も「猪木ぶっ殺せ」と桜田あたりを焚きつけてたようだけど
昭和プロレスって、タイトル移動の会場はどんなに辺鄙な地方でも、
最低限の設備のある体育館での試合であることが必須だったな。
それこそ当時でありがちな、「〇〇駅前広場」「●●ショッピングセンター駐車場」「△△青果市場特設リング」
等ではタイトル移動はないw
>>141 二階堂氏がコミッショナーに就いたのはずっと後だろというツッコミが来るかと思ったら思わぬマジレス恐縮です。
政治家の派閥には疎いもので勉強になりました。
補足というか訂正というか、全日本プロレス中継を当初放送していたのはKTS鹿児島テレビ(フジテレビ主体で日テレ、テレ朝混合)ですね。某サイトには1985年までMBCが放送と書かれていますが誤りです。
92年からMBC南日本放送へ引っ越し(KTSがF-1中継のために全日中継を度々休止したため)94年に日本テレビ系列のKYT鹿児島読売テレビ開局と共に本拠地へ引っ越しという流浪の番組でした。
釣りにレスしてくださってありがとうございました。
大宮スケートセンターや博多スターレーンみたいな有名な特設会場でのタイトルマッチはあったのかな。
昭和の全日は博多スターレーンは使ってないかな?
>>133 893が試合会場にまで取り立てに来てさすがにアウト
全日本解雇の時点で馬場にも700万借りていた
馬場さんから「それ返さなくていいから辞めてくれ」って言われちゃって
ソースは2001年の紙のプロレスの阿修羅インタビュー
昭和全日の隠れた名会場?
「大阪万博お祭り広場」
観客動員数が一万とか記録が残っているけど、ただの広場にそんなに入るわけないw
多分実数の10倍発表というノンビリ感満載の昭和プロレス風情。
>>146 プロレスに使われたスケート会場というと品プリゴールドホールも有名だが、昭和全日では使ったことあったっけ?
東伏見アイスアリーナはさすがにどこの団体も使ってないはず
>>148 万博のお祭り広場ってデストvsブッチャーのUSヘビー戦やった会場だな
ブッチャーの凶器攻撃でデストの白覆面が真っ赤になったの覚えてる
ちなみにこの会場では、FMWが大仁田VSポーゴで3万人以上動員した記録があったはず
100mX300m以上あってとにかく広いから、座席の設営の仕方次第でかなり入るよ
田上vsリック・ルードが行われた日が最後の万博お祭り広場か
>>146 大宮スケートセンターで開幕したシリーズがあって、ロビンソンが鶴田のUNに挑戦していたと思う。
79年だったかな?エリック兄弟が初来日した、デストロイヤーさよならシリーズかな?
>>149 品川ゴールドホールと品川アイスアリーナは、同じ敷地内の別会場じゃないのかな?
品川アイスアリーナは78年夏にテリーがブッチャーとの一騎打ちでリングアウト負け、
翌年夏にはファンクスvsブッチャー、シークが品川で実現した。
ゴールドホールの方は、大学生だった昭和の終わりに高井麻巳子のライブを見た記憶があるw
>>153 ゴールドホールは品川駅から見ると第1京浜向かいにホテルがあり、その坂上。
1階がゴールドホールで2階がボーリング場で新日がよく使ってたが天井が低い。
>>149 例えば武道館のアリーナで、平面8列+ひな壇10列=18列で2000人。
ドームクラスでその1.5倍で3000人。
フラットな広場ではそれがキャパの限界。
ひな壇なしでとにかく客だけ平面なな広場に詰め込んだら、ほとんどの客は何も見えないよ。
>>149 記憶では東伏見はないはず。
>>153 79年スーパーパワーシリーズでロビンソン対鶴田UN戦。エリック兄弟初来日。調べたら、ありました。
大宮スケートセンターも品川プリンスも一度はそこでプロレスを見たかった。
>結局、事前にバレてサムソンは即刻クビになったんだ。
>まあ、ジャンボは相づちを打った程度だったらしいけど。
なんか光景が想像できるなww
「俺たちのプロレス」の越中インタビューでの前座中堅互助バトルロイヤルの件やら
日プロのお宝をNETに持って行かれるのを阻止した件やら
このクツワダのクーデターを芽のうちに摘んだ件と言い、小鹿って小才が利く人だな。
>品川プリンスも一度はそこでプロレスを見たかった
どっかの団体が、宴会場にリング設営してプロレスディナーショーとかやりゃいいのにね
客はせいぜい100〜200名程度だろうけど、1人当たり3万円くらいとって
豪華料理に舌鼓うちながらプロレス観戦とレスラーのトークを堪能とか
>>144 特リンでタイトル移動は世界タッグ戦ハンセンゴディvs鶴田谷津
函館市千代台公園陸上競技場特設リング
>>153の品川アイスアリーナは誤り、正しい名称は品川スケートセンターだったな。
>>158 松田聖子のディナーショーみたいに50、40の子金持ちを集めてと行きたいけど、
昭和に活躍した全日系ではその年代でカードが組めないのは残念。
小鹿、戸口、百田、渕、大仁田、越中、小川、、、京平
無理だねw
>小鹿って小才が利く人だな
小鹿「あんなに尽くしてやったのに、馬場め無慈悲に俺を切り捨てやがって」
馬場「所詮大熊の移籍の誘いを断ったくせに、食い詰めてうちに流れてきた奴
俺もいつ裏切られるかわからんし、永源が手に入ったからもう用済み」
お互いこんな風に思ってそう
>>162 実際に切ったのは当時の松根社長だからな。
「世代交代を図って大熊、小鹿を切りたい。」と言ってたという佐藤昭雄の証言がある。
>>158 90年代後半頃に新日がやってないか?
馳が「ホテルでのディナーショーなので平成維震軍、レイジングスタッフなど
人相の悪い人は出れない」と自分の顔を棚に上げて言ってたのを読んだ記憶あり。
大宮スケートセンターは86年チャンピオンカーニバルで
AWA、PWFダブルタイトルマッチとUN王座決定戦を同日にやっているな
UN王座決定リーグ戦は全く盛り上がらなかった。
谷津は棄権してカーンもオレイ・アンダーソンも原もリーグ戦は0点だった。
谷津が欠場しなければ盛り上がったとは思うが。谷津の怪我はガチ、アングル?
>>163 結局大熊は最後まで全日残れたけど、小鹿は切られた。
どっちか1人だけってなったら、子飼いで裏切る心配のない
大熊を選ぶのは当然か
でも大熊は早くして亡くなったけど、小鹿は今でも健在だし
人生どう転ぶかわからないね
>>149 大仁田VSポーゴは主催者発表で約7千。
別のとこと勘違いしてないか?
>>152 全日としてはそれが最後。
翌年同時期に行われた新日の興行が同所での
最後のプロレスだと思う。
>>167 大阪お祭り広場は93年9月に
WARが興業を打っていた。
天龍&石川vs蝶野&馳
がメインだった。
前年8月にもW☆INGがマスカラス&カネック
のタッグなんてもあった。
>>145 ついでに言うと猪木の後援会長が田中角栄の政敵の福田赳夫で
コミッショナーには福田派の政治家になってもらうというのが普通だが
福田派とはライバル関係の田中派の二階堂を据えたというのも変わった人選。
プロレス団体じゃなくても普通の一般の会社でも職場に893の皆様が借金の取り立てにお越しになったら
その職場にはちょっと居づらくなるというもの。
>>165 谷津がアマレスの大会に出たのってこのシリーズ辺りじゃなかったっけ?
>>171 谷津が出たアマレスの日本選手権は6月だった、もちろんケガはガチではなくアングルだと思う。
アマレスの大会に出るための準備期間が短すぎたから、ケガが理由で欠場させるしかなかった。
でも優勝したんだから大したもんだな、プロレスのブックみたいなのはない忖度なしの大会だし。
>>170 昭和ならともかく今は居づらいなんて
通じないだろう。
借金取りの電話でもアウトだよ。
辞めてくれと迫られるだろう。
>>165 UN王座決定リーグ戦は企画が雑魚だよ。やる前から分かるでしょ。。
鶴田、長州が入っていなく別格みたいなリーグ戦。谷津だってやりたくないだろう。
ケガした振りして棄権したんだよ。
だったら日本選手権でやりゃ良かったんだよ。どうせなら。
>>174 デビアスに至っては、「何で今さら俺がUN争奪戦なんだよ」の思いだったろうな。
きっちり天龍の踏み台役も仕事としてこなすところは一流のプロだけど。
>>138 具体的に何年の件だ?
1987年はかなり空いてるけどこのころはプエルトリコくらいしか上がるところなかった
んだろ、もう歳だしな。最大で2週間ってところだな、ちゃんと調べてるのか?
アホなのか?
函館市千代台公園陸上競技場特設リングでの世界タッグ戦ハンセンゴディvs鶴田谷津は
倉持のレポートの形で短く試合を放送
この会場で小鹿の引退記念試合と倉持が言ってるが、ブログに載っている試合結果には小鹿の名前は無いw
観衆8200人は凄い入りだな、函館市民体育館の倍以上入ったんじゃない?
http://blog.livedoor.jp/moya_sic/archives/52220073.html ダウンロード&関連動画>>@YouTube >>163 でも、小鹿は馬場が松根さんがクビにしろって・・・って言うのは信じなくて、松根さんの自分にそんな権限ないを信じたんでしょ。
馬場が引退してくれって言ったら素直にわかりましたで辞めたって言ってるけど、それはそれで引退したら後年絶対文句言ってるよなw
>>168 そのマスカラス&カネック組見に行ったなあ
そういうお祭りみたいなカードに合う会場だわ
>>49 へ?ハプニングなんて異例でもなんでもないだろ。
>>74 大木を倒してタイトル取ってもなあ。
インターの価値を下げるだけだろ。
大木が保持してたことをなかったかのように、豪華メンバーでトーナメントやる方が華やか。
俺が大木だったら創立10周年記念蔵前大会でドリーの王座に挑戦させろと言うね!
特設リングというか、旅館の宴会場で興行やった記事を見た事があるな
記憶に間違いがなければ、1988新春シリーズあたりだったかな、いやもう少し後かな?
確か写真が東スポに載ってたはず、「宴会場で試合」みたいな記事で。
大広間にリングを設置して、入退場は広間のフスマを開閉して使ってた
観客も宿泊者が多かったのか、浴衣というか甚兵衛を着た客がアグラをかいて観戦していた
あれは中学生だったとはいえ衝撃を受けたなあ、プロレスはドサ回りというのを初めて理解した時だね。
>>184 宴会場にリング設営なんて床がもたないんじゃないかな?
老朽化した体育館や学校の体育館などは床が弱くてリングの重みに耐えられない会場は、
プロレスをやりたくても出来ないなんて記事を昔見たよ。
>>185 木造の旅館なら床の強度は心許ないが、鉄筋コンクリートならリングの設置は可能でしょう。
藤波の披露宴(京王プラザホテル)では宴会場にリングを設置して、藤波自ら余興に一戦交えたそうだ。
>>185 旅館はイメージより丈夫
特に古い団体旅館の宴会場は
何でかっていうと元ボーリング場設備
だったりとかで
>>186さんの言うように
鉄筋コンクリートだった
博多スターレーンで出来るんだから大丈夫w
ソースは元旅館従業員のワイ
>>177 何がwなのかわからん。
全日は基本的に引退試合はせんからなあ。
この日もセレモニーだけ。
>>184 1987年2月23日
87エキサイトシリーズ
静岡・熱海後楽園ホテル大ホール
のことだな
>>148 万博公園お祭り広場な、
入るわけ無いって何を根拠に言ってるんだ?
大阪に見に行ってみろや。
入れようと思えば一万人どころじゃないぞ。
フロリダではスティーブ・カーン&マイク・グラハム組がファンクスを撃退するし、
ロスではチャボ・ゲレロがNWA・AWA・WWWFの3大タイトル全てに挑戦し全勝する。
MSGでは日本ではパッとしないチーフ・ジェイ・ストロンボーやトニー・アトラス、
ドン・ムラコ、ジム・ドゥガンらが大スターで下にも置かぬ扱いだったりする。
日本の格が世界標準だと思い込むと色々戸惑うことになるよね。
>>191 説得力ないなあ。でも本人は、
俺は全日の次期外人エースのブロディをフォールした男だ
だから全日は俺が凱旋帰国したらエース待遇で扱うべき、
とか思ってそう
高千穂も小鹿も芳の里派だったわけで馬場がそれを忘れるわけがない
小鹿は「俺は生き残れた」と自信があったんだろうが上位互換の永源が手に入ったら
あっさりと切られた
だが小鹿の若手苛めは有名だから同情はできない
三沢も川田も小鹿を全く慕っていなかった
>>191 レフェリーがルー・テーズじゃん。
2度も毒霧吹いたんだから反則取れよw
>>186 藤波の披露宴は藤波vs ヒロ斎藤だった。
その2年後ぐらいにも京王プラザでやってて、藤波vsタイガーマスク初対決で
確か、藤波、栗栖vsタイガーマスク、藤原。
もしかしたらパートナーが逆かも。
>>185 この間越谷に行ったら越谷市立体育館がまだあったのには驚いた。
相当ボロくなってたからもうプロレスは無理だろうな。
越谷は馬場vs天龍の唯一のシングルが行われた場所。
>>191 本当だ!報道さえてないが、すごい。倉持がもっと煽ってもいいのに。
>>144 移動がないっていうよりもあまり辺鄙なところでは
そもそもタイトルマッチ自体あまり組まれてなかったということでは
メインも「あ、こいつが負け役」みたいなのがミエミエの6人タッグとかで
>>148 万博公園お祭り広場は屋外会場としては
所謂「ジャスコ××店駐車場」とか「○△市場特設会場」とは違って
当時の屋外会場としては田コロのように例外的なかんじだったと思う
>>178 >>194 実際は松根さんがリストアップして馬場の同意・了解を得た人間だけってとこじゃないかね?
つまり小鹿に関しては松根さん馬場双方とももはや不要で一致をみた、と
松根さんは社長として出向してきたけど立場的には
馬場:松根:日テレ現場(編成&運動局):日テレ上層部 の四極構造の中で
日テレ現場の意思を尊重すれば馬場やベテランを早期に退げて
鶴田天龍タイガー&永源体制にしたい一方で
日テレ上層部の庇護の下にいる馬場の存在を無碍に出来ない
典型的な中間管理職的難しい立場で
馬場は馬場でこの頃には創立時のいきさつや日テレ上層部との関係がある一方で
創立以来人気・興行的に新日に後れを取ってきた負い目がある
双方ともいろいろなしがらみや個人の思惑と組織としての思惑のズレに
がんじがらめの難しい立場だったのではないかな
>>192 「地元では強いのだが敵地へ行くと持っている力を発揮できない内弁慶のレスラーもいるのは事実で
そういうものを乗り越えていってこそ超一流の証明といえます」と解説の山田隆さんは言うだろう。
>>192 >日本の格が世界標準だと思い込むと色々戸惑うことになるよね
昔テレ東でやってた「世界のプロレス」では,
時折日本では決してあり得ない勝敗のカードがあったりしたよね
馬場は「ああいうのが放送されると困る」とこぼしていたらしい。
>>177 函館の体育館、ブリスコ×馬場のNWA戦で
7000人入ってることになってる。
>>183 アジアヘビーと統一戦だな。
馬場発電所×シン上田
フレアー×鶴田
大木×ドリー
ブロディスヌーカ×レイステリー
プロレスクラシックの再放送を観ていて、そういえば谷津って3ヶ月弱の間にインター、UN、PWFの各シングルに挑戦してたんだな
3つのタイトルに挑戦したことあるというとブッチャー、レイス、ブロディ、ロビンソン、ハンセン(UN単独はなし、ダブルタイトル戦)くらいしか思いつかない
>>191 ヤオ丸出し。当時のオレが見てたら怒り狂っていたわ。アメリカのプロレスは偽物だあ、と。
>>203 ちょっと前の新日スレで、中東ドバイ遠征の時にキラー・カーンが
長州を5分であっさりフォールしていたり、アレンが坂口を6分で
フォールしていたり、韓国では韓国人ヨウ・コンブとして試合に
出ていた星野勘太郎が藤波のジュニア王座を奪う幻のタイトル移動が
あったりといった海外での意外な試合結果が話題になっていたけど、
本当にプロレスは「所変われば格変わる」なんだなあ。
サンマルチノがセミリタイアして以降、全米一のマーケットだった
WWFの東海岸エリアで観客を呼び込んでいた顔役の人気者の系譜は、
ストロンポー→アンドレ→スヌーカという流れで、大関格として
モラレス、プトスキー、トニー・ガレアらがいた、と後で知った時は
かなり驚かされたものだった。70-80年代の日本のプロレスファンの
感覚では理解しにくいメンツで「日本のエース格も、現地に行ったら
こいつらにやられるのが当然なのか」と不思議な感覚になったな。
熱海後楽園は天井がものすごく高く、畳だが広い会場。
1981年12月にブロディがスヌーカを血だるまにして仲間割れしたのも、
ハンセンが全日に来たから古いパートナーを解約するための決別儀式
なんだろう、と思っていたものだけど、実は売れっ子のスヌーカが
WWFのツアーに帯同するために日本には来ることができなくなったため
日本でのタッグを維持できなくなったのが直接の原因だったんだな。
逆に翌年82年秋にスヌーカがプロディと「決着」をつけるために来日
したのは、本格的にWWFに定着することになって当分来日する機会が
見込めないほどの人気者になってしまったため、全日本に残っていた
契約を消化してしまうための措置だったとか。
この来日の間、WWFでスヌーカは「首を負傷して治療していた」ことに
して姿を消し、アメリカに戻った時にはベビーに転向する手はずが
整えられていた。
日本でレイスと組んでの最強タッグ出場をキャンセルした82年11月に
WWFでベビーに転向したスヌーカは、(前にここで話題に出ていたように)
復帰したネイチャーボーイ・バディ・ロジャースとタッグを組んで大々的な
「全米の顏」になる。
ビンスが全米侵攻に勝算を感じたのも、ホーガン獲得以前にこのスヌーカの
大人気で興行がうまく行くようになったのが大きかったのだとか。
(翌83年に年間興行数を472→592と激増、この年にNWAを脱退する。)
だからその後も来日したスヌーカからしてみれば、ハンセンやブロディは
本場では「完全な格下」なんだけど、日本では一歩引いて常に立てていて、
それが「エリアが違えば格が変わる」アメリカマットに生きるレスラーの
常識だったとか、後から知ると色々面白い。
ちなみにチャボ・ゲレロの三大王座挑戦・全勝の内容は
NWA王座 1977年4月8日 ロスアンゼルス
王者ハーリー・レイス
チャボが一本目をボディアタックでフォールの後、時間切れ
AWA王座 1977年4月27日 サンアントニオ
王者ニック・ポックウィンクル 反則勝ち
WWWF王座 1978年2月10日 ロサンゼルス
王者ビリー・グラハム ドクターストップ勝ち
チャボはアメリカス王者として1975年から76年にかけ、
テリー、ドリー、パターソン、ラッドらを相手にタイトル
防衛を果たしている
>>169 新間寿「アントニオ猪木の伏魔殿」に参院選立候補にあたって福田氏に挨拶しに出向いたことが書いてありますね。
当時自民党には消費税とリクルート問題で逆風が吹いていたので自民党公認にはならなかったが、順風なら自民党公認を得られたとのこと。
実際猪木は自民党候補者の応援に何度となく立ち会っていた。
馬場が政治家と一緒に写った機会といえばオールスター戦後、控え室で二階堂コミッショナーとロード・ブレアース会長を交えた集合写真が有名ですね。
ブレアース会長を輪の中に入れたことでプロレス的世界観を保つことができたと感じました。
>>205 テリーも
インター ドリー
UN ブッチャー
PWF 馬場、長州
日プロや海外も含めるとキニスキー、シーク、カマタ
よく出る話だがその手の海外での落差が一番露骨なのはカネックだろう
地元メキシコではアンドレ、ハンセン、シンに負けないのに
日本だと雑魚になる
「メキシコは高地で空気が薄いので地元のカネック有利」とか書かれていたが
>>207 >本当にプロレスは「所変われば格変わる」なんだなあ。
それ考えたらマスカラスってすごいな。
どこのテリトリー行ってもベビーで、しかも絶対に自分の格を落とさない
状態を何十年もキープしてたんだから。
ヨーロッパ遠征した時はボックに負けたって記録みたことあるけど、
どんな試合だったんだろう?
>>212 そうか、テリーはブッチャーのUNに挑戦してたな
カマタのインターとキニスキーのUNは全く覚えてないわ
>>209 細かくて割りが、スヌーカを血だるまにしたのは82年4月では?チャンカンのあと。
>>207 新日で
越中>スティング
中西、健介>フレアー
スティーブ・オースチン>アーン・アンダーソン
蝶野、馳>リック・ルード
全日で
スパイビー>スティング
鶴田>バリー・ウィンダム、フリッツ・フォン・エリック
天龍>スティンボート
UWF系で
高田>マーク・ルーイン、バックランド
安生>アイアン・シーク
アメリカのファンからしたら「何だそれ!?!?!?」となる。
>>205 長州がいなくなった後の谷津は外敵一番手だからね。挑戦者が谷津しかいなくなっちゃった。
何気に快挙が多い。ハンセン・ブロディ・ホーガンとタイトルマッチしたのも谷津だけ!
>>214
マスカラスは「サンフランシスコでは中堅扱いされた」とプロモーターの
ロイ・シャイアーに怒っていたらしいけど、よく分からないのがマサ斎藤が
渡米してすぐにサンフランシスコに登場した1968年6月22日のカウパレス大会。
4月のカウパレス大会でシングル王座から落ちた当地のトップヒール・キンジ
渋谷は興行の看板なので、翌5月にはすぐタッグ王座に就くのだけれど、
シャイアーにあてがわれたタッグパートナーのハル佐々木を気に入らなかった
渋谷はミスター・モトから渡米したばかりの斎藤を推薦されてテストマッチを
組んでもらい、大いに気に入って佐々木から斎藤へパートナーをチェンジする
1968年05月11日 キンジ渋谷&ハル佐々木、世界タッグ王座獲得
ミスター・サイトー、同地区デビュー
1968年06月08日 キンジ渋谷&ハル佐々木、世界タッグ王座陥落
ミスター・サイトー、同地区2連勝
1968年06月22日 キンジ渋谷、斎藤と初タッグで勝利 ←★
1968年07月13日 渋谷&斎藤組、初挑戦で世界タッグ王座獲得
この6月22日の試合は、この後1年以上にわたってタッグ王座を守り続ける
斎藤と渋谷の初タッグをアピールする試合なんだけれど、流智美によると
「ペッパー・マーチン&ハム・リー組に快勝」
とあるのに、清水勉によると
「マスカラス&ハム・リー組と渋谷&斎藤と対戦」
とあり、実際プログラムの写真を見るとマスカラスの名前がある。
タッグ売り出しの試合で渋谷&斎藤組を負けさせるとは思えないので、
マスカラスがいきなり初対決の斎藤組に負けたのだろうか。
それとも土壇場でマスカラスが拒否してペッパー・マーチン(プログラムでは
その前の試合で貼る佐々木と対戦予定になってる)と交代したのだろうか >>214 後年のボック曰くシュートマッチだったそうで、マスカラス曰くボックはプロレスが出来ないだそうな。
ソースはプロレス最強のなんとかという分厚い本。
余談、その本で日本にも何度か来ているクラウスワラスがヘーシンクやルスカクラスの
柔道の超強豪だったとは知らなかった。
鶴田十番勝負のクリステーラーもそうだけど、強くてもプロレス出来なきゃしょうがない。
レスラーの評判が悪いマスカラスだけど、偉大。他にマスカラスのようにどこでもリンピオでメインイベンターって誰だろうね。
>>217 ブロディvsスヌーカ戦は82年11月2日愛知県体育館
>>218 WCWヘビー級王者になったクリス・ベノワが新日にゲスト参戦した時
ドームで天山に負けさせられたのを見た時はさすがに唖然としたなあ
もうアメリカの展開をファンがリアルタイムで追える時代になっていたのに
>>211 スポーツ平和党は自民党清話会別動隊と言われていて
猪木は当選後は過半数割れの自民党会派入りするのは?という情勢が大勢であったが
スポーツ平和党は民社党と統一会派を組むことに。
それについては坂口と民社党の米沢書記長が旭化成で同期だったとか言われていたが
猪木参院選当選祝賀パーティーで登場したのが来賓の森喜朗。
国会運営に苦境の自民党三役ということで政治部の記者も取材にきている中で
森喜朗が挨拶で「猪木君は自民党と民社党をつなぐ架け橋」と口を滑らせて
周囲の関係者を慌てさせていた。
>>220 となりのロスではアメリカスヘビー獲ったりエースだった時期もあるのにね。
抗争相手のブラックゴールドマンに腹を刺された(切られた?)なんて物騒な事件もあったね。
>>218 格と勝敗は違うでしょう。
鶴田とエリックとか高田とバックランドとか。
また対戦当時と後にでも違う。天龍とスティムボートとかね。
鶴田とニックが戦いベルト奪還したところで格はニックの方が上でしょう?そういうことです。
>>225 アメリカの超大物が日本で白星配給係をさせられているのを見たりすると、
日本でマッチメーカーの山本小鉄とかがアメリカの格や人気をちゃんと
把握できていたとはとても思えないし、日本での第一印象だけで、シリーズ
通しての格を決めちゃうやっつけ仕事も多かったんだろうと思うけれど、つい
「アメリカでも隣の州で何が起きてるか、誰が人気かなんて全然気にしない
プロモーターが格を決めて、それに文句を言えずにしょぼい役回りを演じて
ますます格を落としてしまったレスラーもいたんだろうなあ」
とも考えてしまう。
そういう中で不勉強なマッチメーカーのも唸らせる試合をして考えを改めさせ、
トップを張り続けるのはそうとうな腕の持ち主だったんだろうな。
ヒール側のマサ斎藤やカブキなんかは常々言ってたね。
「人気レスラーを叩きのめして商品価値を下げたら客入りが悪くなって自分も
食えなくなる。かと言って相手に花を持たせてばかりいたら自分が飽きられて
別のレスラーと交代させられる。どうやって自分をアピールしつつ人気レスラーを
引き立てて客を湧かせられるかの勝負だ」
「メインを張っても集客力のないレスラーは前座連中からもバカにされる。
こいつがトップにいると稼げないから潰してしまえ、ということにもなる。
レスラー間でのシュートの類は、こういう時に出てくる」
などという恐ろしいことも言ってたけど。
マスカラスがその斎藤と抗争するようになったとはシスコの3年後の71年、
日本で絡むのはさらに翌年の72年になってからですね
>>221 >後年のボック曰くシュートマッチだったそうで、マスカラス曰くボックはプロレスが出来ないだそうな。
全然話が噛み合ってないww
プロレスやるつもりで来たマスカラスがシュートマッチなんか受けるわけねえだろw
大方、ボックがプロレスのセオリー逸脱したカタい攻め繰り返して、
相手の地元だからと我慢していたマスカラスが
付き合いきれなくなって試合放棄しちゃったんだろうな
どこ行ってもベビーのマスカラスの神通力も、ドイツまでは及ばなかったか
プロ野球にもいるだろ。メジャーではものすごい成績だったのに日本に来たらさっぱりだったとか。
逆にアメリカではずっとマイナーで日本に来たらホームラン王になるぐらいの大活躍とか。
どこまで本当か分からないけれど、マスカラスにまつわる話で印象に
残っているのは、彼がアフリカに遠征するというので、現地の悪い水に
当たる心配はないかとマスコミに聞かれたマスカラスが
「私は水が悪いと言われるメキシコで育ち、世界中を回ってきた
人間だ、抜かりはない」
と胸を張っていたんだが、帰国してから
「アフリカの水を舐めていた。これからはうがいもビールでする」
と言っていたという話w
ドラゲーのシーマたちは闘龍門時代にメキシコに行き、ウルティモ校長から
「屋台のタコスだけは絶対に食うな」
と言われていたのがある日あまりにももうまそうな匂いが漂ってくるのに
ついつい買ってしまったら死ぬほど美味くて皆で貪り食ったら、その日の
夕方には猛烈な腹痛と下痢に襲われて4日ほど寝込んだとか
ガッツ石松に言わせると「メキシコでは皿をきれいに洗ってないとかといった
問題じゃない、洗うその水自体にもう日本人はやられるんだ」というんだから
そんな地で育ったマスカラスがやられるアフリカの水ってどういうものなんだw
マスカラスが初来日した時の契約書には、メキシコで映画俳優を兼ねていたから
顔面への打撃が禁止事項として記載されていたらしいよw
対戦相手の中堅レスラーは、セメントでボコボコにして二度と映画に出られない
ツラにしてやる!と毛色ばんだが、日プロ幹部に呼ばれ「こっちも合意して判を
捺した以上、もし契約違反を起こせば莫大なペナルティが生じてしまう!
オマエのギャラじゃ払える額じゃないぞ!それでもセメントを仕掛ける気なのか!
オマエは家族を路頭に迷わせてもいいのか!その覚悟は本当にあるのか!」
そう論され、泣く泣く負け役を務め、新しいアイドルヒーローの誕生に貢献した。
おそらく星野勘太郎のことだと思うけど…? (門茂男メモ)
日本料理でもふぐの肝の美味さは天にも昇る絶品で
ふぐの肝を食えたら死んでもいいというぐらいの美味らしい。
>>230 人の水との関わり方は、単純に衛生技術の面だけでなく、宗教も関係してくるからね。
プロレスから離れるが、1987年にテレ朝のドキュメンタリーで小林薫がインドを旅行した番組があった。
小林が入った食堂で使っている皿はそばにある川で洗っているんだけど、その川の上流では牛が噴をしていたそうな。
「牛が飲む水は人間も飲める水だ」というヒンズー教の思想から、現地の人は平気なんだと。
>>231 >おそらく星野勘太郎のことだと思うけど
星野走る人ぞ知る喧嘩度胸の持ち主だったけど、
マスカラス相手だとガチでも分が悪いだろうな
>>232 フグの肝は2年くらいぬか漬けにすると無毒化されて
食えるようになるらしい。人間の食欲おそるべし。
詳細はググってくれ
お相撲さんがフグの肝をちゃんこ鍋に入れて集団食中毒起こした事件もあったな
>>232 フグの肝は何度か食べた事があるぞ
カワハギの肝よりも上品な味
今は知らんが大分県では普通にフグの肝を客に食べさせていた
その昔、人間国宝の歌舞伎役者が致死量を越えるフグの肝を食べて中毒死した
当時小学生だったがテレビや新聞一面トップと大騒ぎになった事を思い出しました
興味ある方は「フグ肝坂東」でググれば詳細がわかる
ボックと言えば「猪木がボックに負けた」と騒ぎになったがあれは当たり前なんだよな
あれはボックの為の興行なんだからな
猪木が遠征したら「アリと試合したキラー(殺人者)猪木」と宣伝されてて
完全な悪役レスラー扱い
>>236 養殖のフグには毒がないと言われるな。
本当かどうかわからんけど。
それでも食べさせるのは禁止だけど。
馬場ぐらいの超一流のプロレスラーになれば全国各地で当地のプロモーターの親分さんと一緒に美味いもんを食っていたんだろうな
>>210 海外遠征時代の馬場を
遥かに凌ぐ実績だな
>>241 当地のエースとして王座に挑戦だったチャボと
ヒールとして挑戦した馬場を比較してもしょうがない。
日本では馬場が三度NWA王者になってるから
馬場の方が上とも言える。
西海岸ではチャボの少し前にビクター・リベラ、WWA時代はペドロ・モラレス
ロスやニューヨークでは、ヒスパニック系に人気があるんだね。
>>237 歌舞伎好きの知人はいつも「○代目」ではなく「フグで死んだ三津五郎」と言うね。
それくらい印象に残る事件だったんだろうな。
>>233 聖なるガンジス川は心身を清める聖水らしいね。
沐浴してるところに牛糞大便のたぐいが流れて来たらどーすんだと言ったら、
「大事なものを扱うように両手でそっとすくってよけて流す」らしい。
夏に長期海外旅行に行くと現地に同化してしまって日本に帰りたくなくなるという知人が
「世界は一つとか人間は分かり合えるとか言うけど、インドだけは別だった。
日本の常識が何一つ通用しない」
と言っていたなあ。
>>242 そういう比較なら馬場は1968年、
アメリカの4大世界王者の内3人と
5回対戦して2勝1敗2分けだな。
対WWA世界王者、Bブラジル
6月25日愛知
ブラジル(2-1)馬場
6月27日 東京
馬場(2-1)ブラジル
*3本目、リングアウト
対WWWF世界王者、Bサンマルチノ
8月7日、大阪
馬場(2-1)Bサンマルチノ
*3本目、リングアウト
対NWA世界王者、Gキニスキー
12月1日、仙台
馬場(0−0)Gキニスキー
12月6日、東京
馬場(2-1)Gキニスキー
*3本目反則
いずれもインター防衛戦。
>>235 佐渡獄部屋だね
後の関脇・長谷川も当時ちゃんこ番だったけど
腹の具合が悪くて食べなかったので難を逃れた
>>239 フグ毒は生まれつき持ってるものではなく
餌である海藻に含まれる成分が体内で変化蓄積されるものだから
養殖の飼料では出来ないのよ
>>216 ニック戦が余裕あったなら
鶴田の演技力もなかなかだ。
マジでニックに腕取り決められまくってるように
見えた。
でも、そんな試合の組み立てができるのが
鶴田の地力なのかもれん、
ラッシャー木村や大木じゃ無理だから
向こう(地元とか)じゃエースだが日本じゃ員数扱いと言うとホセゴンザレスか。
まあ彼は色んな意味で国内外問わず有名になってしまったが。。
カルロスコロンなんかもこっちじゃブッチャーの子分だったが地元ではブッチャーを迎え撃つヒーロー。
それとCコロンやゴンザレス、ラリーシャープ、ナチのスタイガー兄弟等、こういったB級(こっちでいう)
レスラーって数年間で各団体を渡り歩いてるが、特に引き抜き扱いでないのが彼らの立ち位置をよく表してる。
>>246 訂正、G・馬場は1968年、
3世界王者と対戦して
✖2勝1敗2分け
○3勝1敗1分け。
>>246 いずれもノンタイトルだが
サンマルチノとは8月2日仙台で分け
キニスキーとは12月7日宇都宮で分け
>秋山:確かに最初は鶴田さん、横から入ってましたね。
>今の僕はヒザからガツンと入りますけど。外国人選手との試合でも横からだった。
>当時、テレビで見ていても天龍さんが相手だとヒザを入れているのが分かりました。
ヒザを入れずに横から当たるやつでも十分キツイよな、これw
↓
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
;feature=youtu.be&t=1121 >>231 星野は平成にマスカラスについて聞かれたら
「マスカラスは素晴らしいレスラーです、『自分だけイイカッコする』と陰口を叩く連中がいますが
終わってからブツブツ文句言う奴に限ってショッパイ試合しか出来ないレスラーなんですよ」
何十年も経って心境が変化したんかな
札幌の谷津の狂乱って結局なんだったの?
本人もかたってないよね
谷津乱心ね。
乱心なんて情緒の人を見たのは谷津がはじめてだし、
あれから乱心している人を見たことないねw
>>257 門茂雄メモ自体が嘘だろ。
顔面への打撃禁止なんて普通に常識だし
それで怒るレスラーなんていない。
門茂雄はもっともらしい嘘が多いんだよね。
長州の新日復帰直後の藤波戦(長州が2−1で勝った試合)について
「「あの試合は1983年頃の試合とちがってセメントマッチそのものだった」と語ったのは
木村健悟である」とか
「リッキー・ワルドーはセメントマッチでタッグタイトルを奪って力道山に恩返しをした」とか
門の本って今読むと「なんじゃそれw?」って記述がけっこうある
あんなセメントがあるわけがない
>>258 鶴田とのシングルの前に因縁つくるアングルだろ。
>>263 ただのそれ?ガチでマサや浜口に説教されたと思うぞ。その後大人しくなったし。
谷津、下手なんだよ
暴れ方がw
お客さんの空気が読めない
そらアニマル浜口とかマサとは違うわな
客意識して試合してないもん
だから、オリャとかバカにされる
>>264 その後大人しくなったって、
アングル終了したからだろ。
ブラソ・デ・プラタをカットしてまで永源と栗栖をポスターに表記する
当時のジャパンの政治力の高さがうかがえるポスターだ
>>267 これはひどいなw
全日所属レスラーよりジャパン所属レスラーの方が
ポスターに写真が載ってる人数が多いし
永源、栗栖よりは格上だったはずの大熊、小鹿さえ載ってない。
>>105 韓国で行っていた海苔事業が不振だったのも馬場が大木からインターを奪回するのに
好都合だった。
>>169 佐山をタイガーマスクでデビューさせるに辺り福田元総理のルートを使い緊急帰国なので
外務省を動かしている。秘書がプロレスの大ファンだった・・・
>>184 円形でひな壇の座敷もある小ホールみたいな感じでみちのくプロレスと同じく席代わり
に座布団を敷いていた。年末に巨人軍が忘年会を盛大にやっている映像を良く見る。
>>49 当時の雑誌で「プロレスラー医師になるか?迷っている」と書かれていた。
数年前にハンセンのインタビューでディンク君がハンセンの地元で医師として病院に勤務
していて「ウチの子供達が幼い時は大変、お世話になった。不思議な縁を感じるよ」
とコメントしていた。
>>267 >>268 全日の営業ボロボロだったんで
ジャパンの営業頼みなのはしゃーない
そら扱いは大きくなるよ
永源は特に猪木も認めるスーパー営業マンやし
小鹿が地元北海道で載らないというのは
その程度の影響力しかないという事じゃない?
そら切られるわ
ジャパン新日出戻り時に
永源が残ったのは馬場の配慮絶対有る筈よね
手数料のマージンとか
>>270 だが単独興行では客が入らないと言うジレンマw
>>258-259 清水勉が日本におけるマスカラスのワーストバウトとして挙げていた
1982年7月30日の鶴田とのUN戦も、鶴田は脈絡なく狂乱して大流血、
マスカラスのマスクを破るという試合で、「試合までの過程を含めた
すべてがワースト」と言われてしまっている
どうも日本側の「狂乱」はうまく機能させられないみたいだね
>>260 全日と対照的に新日は前座からメインの猪木まで、「狂乱」が割と
似合うというw 新日と絡んだ国際のレスラーは、井上らをはじめ
「いきなり顔面にパンチを入れられて口の中が切れた」
という話が多いね
まあ日プロ出身者(ヤマハ)らはそういう育ちをしていたからw
>>267 寺西が石川、マイティよりも写真デカいというのは流石に無いな。
基本、写真大きく写っていた選手は負けないブックだったからマッチメークは酷かったね。
鶴田の狂乱といえば大木・ドク組のとき。
ジョー樋口ぶん殴ってな。
>>267 ジャパンプロレスって札幌事務所もあったのか。
バブリーな会社だったよなw
>>273 永源と栗栖にばかり気を取られていたが本当にそうだな。
グラン浜田も寺西より格下扱いかw
素の鶴田は案外キレやすい性格だったのかもな
試合終わって相手に握手しようとして拒絶や無視されたら怒ってるからなw
入場のときに首にレイかけられたら、怒ってひきちぎってただろ?
そういうところの器がちっちゃいんだよ。
>>275 後のWJでタニマチオーナーになる福田氏(だっけ?)の本業が
北海道でパチ屋や不動産業手掛けてたからじゃなかったかな
札幌事務所=福田氏の本業の拠点
一般のテレビ視聴によるプロレスファンの知名度では
ゴールデンで20%以上の視聴率で猪木やタイガーマスクと戦ってきた寺西の方が
石川や井上を圧倒していた。
>>260 門茂男メモは、元ユニオン会員のシンタロー氏が門の許可を取って
「ザ・プロレス365」の未発表を含む取材メモで構成されたもので
裏付けも未確認との事だから、信憑性は⁇だな
やたら猪木を持ち上げ馬場を卑下する、読んだ時は本当かよ?と思うような
内容になっている。
>>281 門茂雄は例の日プロクーデタの際に馬場と猪木がたもとを分かった理由として
「馬場が猪木に3000万円の借金を申し出ていたが、それを知った日プロ幹部が
急遽それを肩代わりしたので、馬場は猪木と行動を共にする必要が亡くなった」
とか書いてたな。
当時の馬場と猪木じゃ馬場のほうがずっと金持ちだったし、サイドビジネス一切
やってなかった馬場が多額の借金する理由もないし、倍賞との1億円挙式挙げた
ばっかりで借金だらけだった猪木が3000万円も金貸せるはずなけりゃ、馬場だって
それを知らないはずはないし、どこをどう考えても信ぴょう性がない
>>282 上田松岡の馬場への暴力はこの人がネタ元?
>>282 まずありえないことだが、仮に馬場が金に困っていたとしても
後輩の猪木に借金を申し出ることなんかしないよな。
プライドが許さないだろう。
猪木なら普通にありそうだがw
https://昭和プロレス.blog.ss-blog.jp/1971-05-20
門茂雄のブッチャーインタビューとか、
どう読んでも作文だわw
もっともらしくワーク話とかを入れ込んでるから、
本当らしく見えるが。
高橋本で「全てのプロレスの試合はワークである」ことがバレた今の視点でみると、完全に嘘で
あることがわかる
https://昭和プロレス.blog.ss-blog.jp/1971-05-20
貼り直し
>>282 そうだよ。もちろん目撃者なし。
上田と松岡の愚痴を大きく盛ったんじゃないの?
>>284 馬場が本当に金に困っていたら、日テレか
元子の実家に金策頼むだろうしな。
門茂雄じゃなく、門茂男
この人 日本プロレスリングコミッションの事務局長までなった人だから
そんな人の書く暴露本は信用しちゃうよな。
おそらく虚実が入り混じっていると思うし、地方のプロモーターが
新興プロレス団体の興行権を買うための窓口的な組織(ジャパンユニオン?)を
創設した時点で、何かしらの利害関係が生じてきてもおかしくない。
例えば、新日本ヒイキのような…
馬場の横にもマシオ駒、クツワダ、大熊他がいたんだから
上田や松岡がそんな事をしたらタダで済むわけがない
そもそも馬場は恨みを忘れない人間だから上田がそんな事をしたら
後(1981年頃〜)にまた上田を雇うわけがない
門の話は全く信憑性がない
>>289 猪木が後輩なんだから当たり前だ。アホなの?w
>>291 猪木「合宿所に入って3日ぐらい経って馬場さんが来たから3日先輩になる。
ただ馬場さんは鳴り物入りで入ったから、入団はもっと前から決まっていたと思う。
だから同期でいいのでは」
>>292 そうだった。すっかり忘れてた。
>>289ごめん。アホなのは俺だったw
全日設立後ならともかく、日プロ時代に馬場が借金する理由がないわな。
そんなまとまった金を必要とすること馬場はしてないだろ。
1973年の今日は新設PWFヘビー級王座初防衛戦の日
馬場vsシークの大阪・東京2連戦も
当初はNWA王者ドリーとのダブル選手権が予定されていたらしいが
ドリーがトラクター?事故の怪我で来日がキャンセルされた
結局ドリーのNWA世界王者姿は、全日本では幻になった
当時のチャンピオンカーニバルは総当たりじゃなくトーナメント戦だから
タイトルマッチも普通にやってたんだな。
>>295 シークって米国では70年代までは超売れっ子だったそうだが、日本での集客力ってどうだったのかな。
馬場vsシークという観る前から展開が読めるカードがメインでどれほど客が入ったんだろうか。
>>297 集客力はよくわからないが、オープンタッグから初期最強タッグの成功はシーク起用がヒットだったな。
ブッチャーとシークって日本では交わりがなかったから、初めて見るような組み合わせが新鮮だった。
ブッチャーのパートナーが並のレスラーだったら、1回だけのリーグ戦で終わっていたかもしれない。
日プロ時代にまだ見ぬ強豪の筆頭で、72年にようやく初来日。坂口を血の海に沈めUNを奪取。
なので充分、73年当時ではシークの集客知名度は浸透してたのでは。
シークは74年に新日に来たことあるんだよな。
結局その1回だけだったが、定着してたら
シンとタッグ組んでたかも。
そしたらブッチャー・シークもシン・上田も実現しなかったから
昭和プロレスの風景もだいぶ変わってたな
>>300 ブッチャー、シーク組が実現しなかったら
ファンクス、ことにテリーのブレイクも無かったかもしれないな。
そうなってたら全日はどうなってたんだろうか?
ホントかよ?コンパスの針ってかなり尖ってるから危険じゃないか
>>302 凶器って客に見せるためのもので
本当は剃刀の刃で切ってるから嘘じゃないかと思うが。
(五寸釘持ちながら剃刀の刃で額を切ってるのを見たことがある。)
コンパスなんか客に見せづらいだろう。
>>300 >>302 日本で初めてシンとシークのタッグを実現させたのは大仁田だよな、素晴らしい功績だと思う。
ダウンロード&関連動画>>@YouTube 痛そうw
シークのことだから危なくないようにやってんだろうけど。
このシリーズの開幕戦で放送席に放火?して騒ぎになったり、
ブッチャー全日マット離脱後、最初のシリーズってことでシークも気合十分だ。
>>299 >坂口を血の海に沈めUNを奪取。
まぁ、どうでも良い事なんだが
シークが坂口を破ってUNを強奪した試合(‘72年9月6日、田コロ)
は、坂口は血の海どころか、流血もしていなかったと思うよ。
シークの方が若干、流血している。
1本目、シーク(3分16秒、ラクダ固め)
2本目、坂口(1分21秒、アトミックドロップから体固め)
3本目、シーク(0分56秒、再びアトミックドロップで担ぎ上げたら、
目をボールペンで刺され、そのままフォールされた)
2本目、終了時で、坂口の額は全く切れていない。
↓のサイトの雑誌のグラビア参照。
その後、3本目、50秒で大流血になったとも思えない。
フィニッシュはあくまでも目を攻撃されたこと。
https://white.ap.teacup.com/corona/1166.html その翌日、大阪のリターンマッチは坂口の大流血だけれど。
オープンタッグと言えば蔵前の最終戦ばかり有名だけど、シリーズを成功に導いたのは
間違いなくこの開幕戦があったから。助けに入ったテリーを二人がかりでリンチ、
これでブッチャーとシーク憎しの思いがお茶の間のテレビ観戦者の前に広がった。
ブッチャーとシークを組ませたからこそ、全日のタッグリーグ戦は成功したと思う。
ダウンロード&関連動画>>@YouTube >>280 軍団NO2なのに写真もなくここで触れられも
しない鶴見の事も思い出してやってほしい。
>>267 キッド、スミス
ジェリー・ローラー(とおまけのジミー・バリアント)
>>309 馬場と鶴田とクツワダの三人が死んだのをいい事に、小鹿と天龍が好き勝手ほざいてるだけじゃないのか
>>311 みんなそんなもんだよ。高●穂は馬場が死んだ途端に悪口を言い始めて、
元子まで死んだら怖いものなしになって悪口言うだけの人になってしまったし。
小鹿が本当に馬場に進言してたら、今まで黙っていられるはずが無い。
方々で、あのクーデター騒動だって・・・ってまくし立ててるよ。
>>293 こういうことになりえるから、言葉遣いはきちんと。
>>282 門は
馬場が全日作ったあと、インターベルトを下さいと話をしにきたが
大木金太郎とシュートやったらあげてもいいと
答えたら馬場はうなだれた。
なんて記事を書く奴だぞ。
谷津は谷津で馬場にすりよってるし
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200425-00010000-flash-ent 「まあ、こればっかりはな。俺は義足になっちゃったけど、
ある意味では “生かされた” と思ってるんですよ。
今日ここに来て、背中を押してもらった気もするし、馬場さんのぶんまで頑張ろうって思ったよな。
馬場さん、見ててくださいね。オリャ!」
>>270 永源は新日時代からかなりの興業を買っている有力プロモーターで全日に移った理由は
全日の方が売り興業の金額が安かったからだった。永源も馬場に信任も得て「全日番頭」
の地位を手に入れたし馬場も引き留めと工作で売り興業の価格で便宜を諮ったんだろうね。
>>274 鶴田が一番、ブロディを追い込んだ天竜市で行われたインター戦。大流血とバックドロップ
炸裂でブロディ大ピンチ。アーウィンがチェーンをブロディに渡たそうとすると解説の
馬場が「ちょっとスイマセン!」wと席を立ちアーウインに脳天チョップで鶴田をアシスト
するもそのチェーンが鶴田に渡り鶴田の反則暴走負けで試合後の「俺が勝ってるじゃねかー」と
叫んでいた。
>>315 インターを全日の金看板として「コミッショナーの許可があれば・・・」と持って日プロ離脱
を諮るも「田コロで大木の挑戦を受けろ!」とコミッショナーから逆に命令が下ると全日旗揚げ
で奔走していてそんな暇は無いし大事な旗揚げ戦を前に大木に仕掛けられてダメージを負う
リスクを考えてインターを返上。猪木のワールドリーグ優勝時を「俺の時代が終わるのは
インターを完全に失った時だよ!」と答えているから無念だったろうね。
>>294 当時は馬場も猪木を日プロの興業を買っていて「俺は米沢や原ががんばってくれて黒字
だったが猪木は赤字だしていたようだ」と言う記述が馬場の自著にあった。
>>311 天龍、小鹿、高千穂の三悪人の話はまたこいつらかとしか思わないけど。本人達はこれがウケてる勘違いしてるから。
>>315 門は食い扶持の日プロを潰されたのと
ユニオン時代に全日の興行を思惑通りに仕切れなかったので
馬場を恨んでいたからな。
その恨みが書くものにも表れる。
>>320 猪木は当時からサイドビジネスで周囲に迷惑かけてみたいね
表向きは悪天候ってことになってたが、実際にはそれが原因で
電車に乗り遅れてインタタッグ戦を欠場し、タイトルを
返上させられたことあったはず
日本プロレス時代の記事でも猪木の異名は借金王と書かれていた
新日旗揚げ後に借金王になったわけじゃないんだよね
阿修羅・原だってラグビー時代から借金まみれだったのと同じだね
ただ、門は上手かったと思う。
馬場が金持ちケンカせずで相手にしなかったのをいいことに書きたい放題
上田松岡が馬場を制裁の件も
腹立つわ〜よっぽど殴ってやろうかと思ったよ、くらいな発言を
松岡のクレイジーぶりを知るものには納得いくぐらいな
やったことにしてしまうくらいのうまい「ずらし方」はなかなかできない。
>>324 >馬場が金持ちケンカせずで相手にしなかったのをいいことに書きたい放題
馬場も内心はらわた煮えくりかえってたんだろうが、出版差し止めの
訴訟とか起こすと、法廷でプロレスがガチじゃないことまで証言しないと
いけなくなる可能性あるからな。それじゃ馬場本人はもちろん、ライバル団体も
テレビ局もプロレスマスコミも困るから、みんなで無視を決め込んだんだろ
訴えられない(=ガチじゃない)こと前提にいい加減なこと好き放題書いてる時点で
門の本もプロレスそのものだよ
>>325 そう考えると猪木の執拗な馬場への対戦要求も、
門のやり口と同じようなものだな。
テレビ問題はどうする、勝敗はどうするなんて公言できないもんな
>>326 団体分裂後はともかく、
日本プロレス時代の対戦要求は何だったのだろうか。
猪木は東京プロレス崩壊時、肩書は社長だったので4000万の負債を払う債務があった。
日プロ復帰時に受け取った契約金2000万、これで負債の半分は返済できた。
その後世田谷に家を買い、億費用の結婚式をした後日プロを除名される。
新日旗揚げも当初は赤字で青息吐息。経営が軌道に乗ったと思ったら、
モハメド・アリ戦をぶち上げ結果莫大な赤字になる。
その返済のため粉骨砕身で格闘技戦を乱発し、やっとその目途がついたところに、
怪しげな科学者にそそのかされて、ハイセル事業に入れ込みまた何十億もの借金地獄に。
猪木の闘いの歴史は、借金取りとの闘いの歴史だなw
シークは来日回数が少なかった割に、外国人とのドリームマッチが多く実現してるな。
ドリー、テリー、ブッチャー、シン、ロビンソン、ニック、マスカラス、リッキー、カマタ、ブロディ、レイス、デビアス・・・。
デスト、スレーターとはやってそうでやってないんだよね。
単なる妄想だが、選手の稼ぎで日プロが潤って安定したBI全盛時に馬場と猪木が対戦することである意味、会社に混乱を
誘おうとしてた。馬場はゆくゆくというかかなり近いうちに引退して、別の人生を歩むこともあったから
事を荒立てるのも良しとはしなかった。猪木は当然まだまだ今後もプロレスを背負って立つ気持ちであふれてたと。
>>329 胡散臭い。
そもそも無担保、無保証で金貸すわけがない。
>>328 日本と韓国は裏で繋がってるだろ。歴史的にみてもそう。
>>322 電車に乗り遅れたんじゃなく
地方巡業中、東京にトンボ返りして
インタータッグの試合がある広島に
飛行機で行こうとしたら、大雪のために
欠航、試合は欠場となった。(1968年1月8日)
この時、猪木は東京でダイアナ夫人が
ホームシックになったのでなだめていたとか、
倍賞美津子に会っていたとか言われている。
>>333
「世界が平和になるのには世界中にプロレスを広めること。世界の政治家がプロレスをやれば戦争は無くなる」と
女子プロレスファンの堺屋太一は言っていた。 >>329 豊登個人の借金が5000万あってそれを東京プロレスの会社名義にすり替えていたために
それが猪木の借金になってしまったという話だね
後に新日旗揚げしてからそんな豊登をリングにあげているのも凄いがw
>>327 あの時、猪木が要求してた内容は
今ではどの団体でもやってる日本人同士の対戦を解禁すること
「負けたらまた練習すればいいじゃないですか」と
暗に最初は馬場に負けても仕方がないみたいな発言までしてる
それだけ昭和46年の時点で日本人対外人だけでは先が見え始めていた
逆に日本人は坂口、大木も生かさなければいけないし
選手会からも中堅にも光を当ててくれという突き上げもあった
という背景もある
>>327 いつも先を行ってる馬場へのコンプレックスがあったのよw
それは力道山の指導方法がそうさせたんだけど、
まず最初の挑戦は東京プロレス時代
日プロ復帰後は、東プロの負い目もあって暫く大人しかったけど
NET参入後に一方のエースに据えられたから、猪木シンパからも煽られ
やっぱりインター王者=日プロの絶対エースになりたかったんだな
それが大阪府立控室での挑戦表明になった
>>332 金借りられたのは有名女優の女房のおかげだろう。
猪木も『アリ戦の頃は女房に食わせてもらってた。男として情けなかった」
とか言ってるし。
>>334 正確には
飛行機は広島まで向かったが
雪の伊丹で降りてしまう
猪木は大阪まで戻って
電車で広島に向かおうとするが
これも雪でダメになった
WWGP=ワールドレスリンググランプリでなく
IWGP=インターナショナルレスリンググランプリとしてのも
猪木のインターナショナル選手権への強いこだわり
>>337,338
しかし仮にガチでの対戦希望でなかったとしても
選手が団体の許可なく勝手に「挑戦アングル」を
ぶちあげたわけで、よくそんなことがやれたものだと思う。
>>344 確かに団体側から見れば猪木のフライングと取るだろうね
日プロから見ればUNはインターと同格という設定で始めていて
これから2大王者としての路線で以降としている矢先に
UN王者の猪木がインターに挑戦となったら
ここまでのお膳立てがおかしなことになってしまう
時期尚早という結論はこの時点としては間違いではない
>>327 路線変更要求だろう。
当時プロレス人気は落ちていた。
≪退場…制裁金30万円 2日間出場停止処分≫清原にとって、プロ入り4年目で初の退場劇。
衝撃的な出来事に、東京最終版1面では「清原 暴行退場」の見出しが躍った。
この暴挙で両軍がベンチを飛び出し、もみ合いに。
清原は「カッとして、気がついたらバットを投げつけていた」と振り返り、猛省した。制裁金30万円に2日間の出場停止処分。
連続試合出場は490試合でストップした。倒されて、跳ね返ったバットも左太腿に当たった平沼は左肩鎖部と左太腿部挫傷で全治2週間と診断された。
4/25(土) 6:30配信 スポニチ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200425-00000081-spnannex-base >>340 猪木と倍賞美津子の離婚の原因は、浮気もあるけど
倍賞の親族までに借金(ハイセルの負債)を無心した事が決定打になったらしい
それの方が情けない…
再婚の妻もショーケンもいまはいないのだから人生の最後に復縁すればいいのに
>>347 TBSでキックボクシングの実況をしていた石川顕アナウンサーはプロ野球中継でも名アナウンサーとして有名。
その石川アナウンサーが解説に大御所の水原茂を招いてのプロ野球中継。
いつもの調子で「打撃についてどうですかか?解説の寺内大吉さん」と言ってしまって
水原さんがその試合、ずっと口を利いてくれなかった。と失敗談で話していた。
この試合を石川アナウンサーが実況していたら
「真空飛び膝蹴り!今年の沢村賞は清原で決まりでしょう」と言っていたに違いないと言われた。
>>348 清原は猪木信者じゃなかった?
「奥歯がグラグラするような強烈なビンタを食らいたい」とか言ってたような
鶴田ファンは古田
一時期ヒッティングマーチに「J」使って、応援団も「フルタ、オー」ってやってたし
鶴田と原辰徳のおかげで
若大将=チャンスに弱い というのが定着した
>>347 当時日テレの朝の情報番組に福澤が出ていて司会者に振られて「この技はジャンピング
ニーパットと言いまして全日本プロレスのエースジャンボ鶴田選手の必殺技ですよ。」
と紹介していた。確か当時の週プロにも馬場さん清原をスカウトしましょうとの投書が
あったとか。
>>350 猪木が倍賞鉄男の葬儀に来なかったと美津子が怒っていたという記事が出ていたからな・・・。
>>292 なんやかんや言って猪木は馬場を立ててるんだな。
>>357 本当に馬場が少し前にでも入団していたら
その後の歴史は全然違ったと思う
>>358 1〜2年、馬場が遅く、猪木が早く
入門したとしても、馬場をエリートとして
育てる方針は変わらず、ふたりの関係も
そうは変わらないと言う気がするね。
日プロは、入門順の先輩後輩の上下関係は
あるがあくまで実力本位。
馬場は、先輩である大木を、
猪木も先輩であるマンモス鈴木を立てたか?
ということ。
>>360 の続きだが、猪木が現実より早く1958、9年に入門、
馬場は現実通り1960年に入門したとする。
それでも、アメリカ遠征は馬場の方が早く(61年)
猪木はせいぜい62年か63年(現実は64年)
その後の、二人は現実通りになっただろう。
しかし、猪木は「馬場は後輩のくせに俺を
飛び越えた」と考え、現実以上に馬場を
目の敵にして、激しいライバル心を燃やした
とも想像できる。
>>360 猪木は「力道山のすぐ後の時代はやっぱり馬場さんじゃないとダメだったでしょうね」
と語ってるから力のある先輩ならそれを押しのけてもという感情は
同期相手のそれよりは低減してたと思う
猪木がそれを覆したいという思いが湧き上がるかどうかは
馬場の精進次第で変わってくるだろうね
>>360‐361
ヤクルトを自由契約になった当時25歳の巨漢投手のプロレス入りのうわさが流れたとき、
当然馬場のところにも取材があったが、「自分は21か22だから間に合った。25じゃ遅すぎる」
と獲得を否定した。このコメントから考えて、プロ野球をやめるのがあと1,2年遅かったら、
馬場はプロレス入りしなかった可能性が高い。
宮城の件て87年か88年頃か。86年から高木、テンタ、田上を立て続けに入団させ、俊二も確保。
「一般枠」で入った小橋もガタイのでかさで練習生の頃から目立ってたし
これに宮城が入ってたら、さぞ壮観だったろうな。
>>360 そんなタラレバに何の意味があるのかわからん。
プロレスは想像する楽しさがあることは十分承知しているが、この想像に関しては、一体何が楽しいのか。
>>364 「プロ野球選手はプロレスに向いてるが、本人にやる気があるかどうかだ。契約金を提示して取りに行くようなことはしない」とも言っていたな。
25じゃ遅すぎるっていうのは、入団しないことをわかってて言っただけだろう。
>>367 >プロ野球選手はプロレスに向いてるが
この確信どこに由来するんだろうね。
基礎体力だけならプロレスでも十分通用すると思うけど、
いかんせん格闘技出身者に比べて技術的ハンディが大きいし
何よりプロ野球選手出身のレスラーって圧倒的に少ないのに
日本だといまだに馬場1人だし(デビュー前に辞めた山之内ってのもいたが)
アメリカでもブラジルとサベージくらいしか思いつかない
まあみんな成功したレスラーではあるけれど
体力的に向いてるが、それまでのキャリアが邪魔するんだろう。
プロレスは裸だからな。
宮城は身長が193cmあったからな、鶴田より心もち高いくらいあった。
馬場自身がプロ野球崩れなんだからプロ野球選手がプロレスに向いてない
と言うわけないと思うわ。
>>369 時代は下って
巨人にいた高野ってのがちょこっとプロレスラーやってた記憶がある
>体力的に向いてるが
そんな理由なら、野球に限らず
サッカーでも、バレーでも水泳でも
ほとんどのスポーツ選手は、
プロレスに向いているだろうよ。
同じレスリングなのにアマレスからのプロレス志望が少ないのは
プロレスというジャンルの低俗さもさることながら、就職先の手堅さもあると思う
いかがわしいショービジネスより選手引退後の身の振り方とか
そういうのからあぶれた連中がプロレス入りするから
「養老院としてのプロレス」なんて作家に皮肉な書き方される訳だが
>>374 >ほとんどのスポーツ選手は、
>プロレスに向いているだろうよ
でも野球選手って、ラグビーやアメフトほどじゃないが、
サッカーやバレーの選手よりは明らかにゴツいよな
「体力的」かどうかはともかく、そういう意味ではプロレス向きかも
それよりも信じられないのが、カーペンティアとか
ASARIや福岡とかの器械体操出身選手。
器械体操って、どう考えても体力的にプロレス向きじゃない
プロレスやめた後、大洋にテスト入団してプロ野球選手になった飯田敏光というのもいたな
>>376 >野球選手って、ラグビーやアメフトほどじゃないが、
>サッカーやバレーの選手よりは明らかにゴツいよな
それ、「体力」ではなく「体格」の話だよね?
日本は、まだ野球がメジャーなスポーツだから
身体がデカい奴が野球に集まるということだよ。
今後、日本でもサッカー、ラグビー、アメフトなどの
競技に人気が集中し、野球がマイナーになったら、
野球選手も小型化するよ。
プロレスがそうなったように。
プロ野球ではないが甲子園球児では金丸がいるだろ。控えだけど。
プロレスラーで大事なのはまずは体格だからな、馬場も人並み外れの身長のおかげで
プロレスラーに転身したんだし。
スポーツによって適正な体格ってのあるからな。バスケットやバレーは長身だけど
プロレスやるには線が細いしな。
アマレスや柔道のトップクラスなんて学生の段階で
警視庁と自衛隊と警備会社にガチガチ囲われているから
仮にプロレス希望でもおいそれと言い出せない。
>>371 その当時は、
スポーツエリートはみんな野球に行ってた時代だからな。
ただ、馬場が野球出身で苦労したと色んなプロレス本に書いてたから、「野球選手はプロレスに向いてる」って発言が意外すぎて驚いた印象がある。
>>378
もうアマレスのオリンピック級や
大相撲の幕内クラスの人材が
プロレスに流れてくることはないだろうしな。
一時期そういう人材は総格に流れていたが、
今はそっちも下火だし、381のいうとおり
アマに囲われて出てこなそう
日本プロレスの頃は馬場がONの年俸を聞いて
「なんだ?そんなもんなの?」と言った時代だった
だからアマの大物選手が入団してくれた
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200424-00000052-sasahi-fight&p=4
俺も愛妻家だけど、日本人レスラーで愛妻家といえば(ジャイアント)馬場さんとジャンボ(鶴田)だな。
馬場さんは奥さんを大事にして奥さんもいろんなことをしてくれるしツーカーの仲。
そしてジャンボは家族第一主義でその家族愛をよく見せつけられたよ。
今年はジャンボが亡くなって20年。取材で「ジャンボ鶴田さんはどんな人でしたか?」と
聞かれる機会が多いけど、家族を大切にしているから、レスラー仲間との付き合いが悪くなる。
結果「ジャンボとはあんまり付き合いがない!」と、悪口みたいになってしまうんだよね。
それを読んだ読者に「天龍は亡くなった人の悪口を言って!」と怒られるわけよ。
でもね、レスラーのジャンボの悪口っていうのは、彼の家族愛への裏返しなんだよ。
こっちは「俺たちはジャンボの家族愛をわかったうえで言ってるんだよ!」っていうことなんだよ。
>>371 高田が少年野球時代にオール神奈川の選抜チームに選ばれて合宿に行くと宮城がいて
すでに巨体の宮城は当時から小兵だった高田を夜の枕投げ大会の遊びの中で面白い
ように投げられていた。
>>375
のち新日に二度も出向するテレ朝・永里氏は早大レスリング部出身、NETの新卒一期生で
国プロ・吉原社長や東京12ch・白石氏のレスリン部の先輩だった。
「プロレスの胡散臭さが好きで無かった・・・」とアマレス時代に思っていたがその後、
プロレスに深く関わるようになる・・・
NETプロレスリングの発想はのちに新日会長になるNET辻井編成部長と議論から生まれた
らしい。
以前にアマレスでタッグマッチってあったよね。あんなの明らかに表現悪いけど
プロレスに擦り寄ってた。
八田一朗会長は就職先としてプロレスを大事にしてたんじゃないのかな。
>>387 八田氏は「プロレスが栄えれば「アマレスも栄える」という考えだったからな。
女子レスリングが注目されるようになったのは
浜口京子の隣りでアニマル浜口がギャーギャー騒いでいたのも大きい
>>388 「プロレス」と「レスリング」の距離が今ほど開いてなかった時代だったからなあ
今のプロレスはそもそもレスリングなのか?という疑問すらわいてくる
>>345 性急だったのかも。
一足飛びに馬場と闘う、インターに挑戦じゃなくて
とりあえずUNの挑戦者として坂口や大木らと闘う、ということにすれば
世論(?)も日本人対決やむなし、頂上決戦せよ、となったかも、ね。
大相撲ニューヨーク公演のときに
「アメリカ人の観客から相撲とプロレスはどこが違うのかと聞かれた」と
NHKの中で解説の親方が言っていた。
>>385 本当の愛妻家は、インタビューなんかでことさら言わないもんだけどな。
ボクシングの井上尚弥がリング上で家族、家族と言うけれど、
誕生日もクリスマスも、何も買ったり祝ったりしてもらってないって
テレビのバラエティーで、ーあの親父は我が家はイベント重視じゃないとか答えて言って
、俺メチャクチャ損してるやないですか!と言ってたからな。
>>392 86年11月に馬場、鶴田、天龍、輪島がノースカロライナ州シャーロットに遠征した時の放送で、
解説の佐藤昭雄が「アメリカ人にとって相撲は神秘なスポーツらしいんですよ。ファンから
『スモウっていうのは一体どういうものなんだ?』と聞かれたけど、プロレスと勘違いしている
ファンもかなり多いですね。」と言っていた。
輪島はアメリカ修行中に一緒にトレーニングしていた若手が相撲に興味津々で、四股の踏み方を
教えてやったらスクワットじゃなくて皆、四股を踏んでいたとか。トレーニングそっちのけで、
皆で相撲を取って、勝った奴にハンバーグを奢るとかしていたらしいw
アメリカでステイさせてもらった家のご主人に
「相撲っていうのは結局コミックショーなんだろ?」
と言われたなあ
英語が下手だったからうまく説明できなかったけど
そのご主人は若い頃にアマレスをやっていた方で、手持ちの
ビデオカメラでパンクラスの試合を再生したら(そんなものを
アメリカまで持っていくな自分w)喜んでくれたけど
アメリカ人にとって日本相撲協会は世界最古のプロレス団体らしい。
自分が生まれる前からずっとそれでやってるのでオカシイと思わないが、
外から指摘されると妙で理屈にあわない、しょうがないよな。
売春は違法なのにソープランド
賭博は禁止なのにパチンコ
とか。
相撲がコミックショーというのはその類いなんだろう。
競馬も合法賭博だし。
日本人の体格でヘビー級で迫力出そう
とするには相撲と言ったら北の湖体型が眼に浮かぶ。
でマワシで尻を出している。
相撲自体を見たことがないから、あんな太った身体で格闘技と
いえる動きが出来るわけがない、というイメージがあるらしい
我々はデブが一瞬のぶちかましで組むかぶつかるかして、ほんの
数秒で転がすか押し出すかすれば結着するものだと知ってるけれど
外国人はどんなルールで、どんな決着で勝ち負けをつけるものか、
という基本的な事すら知らないんだよね
だから、レスリングみたいに何分間もポイントを取り合ってせめぎあうとか
ボクシングみたいに動き続けてダメージを与え続けるみたいなイメージで
見たら、選手がこんな身体でいられるわけがないだろうと思うみたいだね
けっきょく、相撲の初っ切りとか、プロレスのお笑い試合みたいに
「笑える容姿のコメディアンが、打合わせ通り攻撃するふりをしたり
追っかけ合ったりする伝統芸能コント」みたいに思っていたみたいだ
野球を知らないヨーロッパ人はアメリカで野球選手を見て
「あんなに腹が出ていてアスリートなのか?」
と驚くらしいけど、スポーツとしてのルールを知らないとあの身体や
衣装道具立てだけ見たら、「スモウ・レスリング」というやつは絶対に
スポーツになんかなりえないと思われちゃうみたいだ
日本人が期待するほど、相撲の実態は知られているわけじゃないから
それを言ったらレスリングだって最重量級は相撲取りみたいな体型の
トップ選手がいくらもいるんだけど、相撲取りは全員あの体型だからね
猪木と戦ったアクラム・ペールワンを初めて見た時、日本のファンは
「こんなに腹が出ている人間が英雄って、パキスタンのプロレスって
どんな試合をやっているんだろう」と不思議に思っただろうけど、
外国人も相撲取りの体型と衣装を見て「コミックショーとしか思えない」
と思うのも仕方ないのかも
逆に一度あのぶつかり合いを見てしまうと、一気にファンになる外国人が
多いのも事実なわけで
フランスの右翼・サルコジが「とてつもなく太った男の取っ組み合いの
どこに魅力があるのか。知的なスポーツとはとても言えない」と相撲を
酷評した時に、同じフランスのジャン・コクトーが相撲を「バランスの奇跡」
相撲取りを「薔薇色のヘラクレス」と絶賛した言葉が引き合いに出されたなあ
>>367 実際にはそのあたりの数歳の年齢云々は別に大して関係なくて
それよりも根本的にプロ野球の世界に一旦籍を置いて
挫折した選手やドロップアウトした選手を馬場が受け入れるとは思えないな
仮に宮城がレスラーになって結果的にモノになってもならなくても
馬場にとっては昔のトラウマを刺激する存在でしかないだろう
ましてリアルスポーツの世界から心ならずも転向して
そこから苦労して長嶋や王に負けないほどの大成功を収めたのが
馬場の大いなるプライドでもあったわけで
あの時代のまだ真剣勝負のスポーツを標榜していたプロレスの内幕を
一介の「プロ野球の落ちこぼれ」に明かす気にはなれないだろ
そもそも宮城本人がプロレスに行きたいとは思ってなかったろう。
在日二世三世でもないのにわざわざ韓国名を名乗って韓国プロ野球で
野球を続ける道を選んだりしたくらいだし。
>>403 レフリー昏倒が試合展開に何一つ影響を与えないというのが斬新w
>>402 >そこから苦労して長嶋や王に負けないほどの大成功を収めたのが
>馬場の大いなるプライドでもあったわけで
確かにプロ野球からドロップアウトしてあれだけ成功したのって、
馬場以外ではジャンボ尾崎しかいないもんなあ
芸能人だと坂東英二とかもそうかもしれんが、坂東は野球でも
そこそこ実績残したから挫折とはいえんか。
>>402 宮城自体が当時否定した記事は読んだ。
「本人が全くその気がないのに、どうしてそんな話が出るのか。」
という内容だった。
200%ないとか言ってあるのがプロレス界だからわからんが。
>>406 > 芸能人だと
長嶋一茂がいるじゃないか。
八名信夫が東映フライヤーズの野球選手からの挫折だが
俳優でトップをとったわけじゃないしちょっと微妙か
一茂は無一文になって食べるために芸能界入りしたという悲壮感が全く無いからな
お坊ちゃまの道楽にしか見られていなかったもん
>>408 さすがに一茂を馬場や尾崎はもちろん、坂東ともいっしょにしちゃいかんな
曲がりになりにも自分の実力でポジション築いた人間と親の七光りの
差は歴然としているし
>>411 親の七光りだけだったらとっくに消えてるだろ。
芸能界もそこまで甘くない。
一茂は練習の時は松井と並んでポンポンスタンドに放り込むパワーあったと言うし、もし七光り無しでプロ入りしてたらどんな打者に成長してたか、或いはもっと早くクビになってたか、興味はある
ノムさん 確執説の一茂について激白
一茂は1987年、ヤクルトにドラフトで1位指名され、入団。野村氏が90年に
監督に就任すると、出場機会が激減。93年、父・長嶋茂雄氏が監督を務めていた
巨人に移籍した。
野村氏は「長い間、監督やったけど、後にも先にもこういうタイプはいない。
いい思い出がないんだ。あんだけ大きな身体して、怖がり。腰を引き引き
バッティングするから、せっかくいいもの持ってるんだけど、花開かない。
練習ではすごいんだよ。いいもの持ってる。試合では……。ドラフト1位だよ。
なんとかしたいと思うよ」と振り返った。
一茂は「(打撃フォームの)軸の問題では」というが、野村氏には「腰を引き」
ボールを怖がっているように見えたという。指導法に悩み、日米野球の時、
メジャー側の監督に「非常にボールを怖がる選手がいるんだけど、どういう風に
指導したらいいか?」と質問しに行ったという。
しかし米監督は「バイバイ」と一言。「教えようがない」と言われたという。
「選手育成ってのが監督の大きな仕事なんだけど、もう、どうしようもないから。
球団の社長と相談して、『オヤジの元へやるのが一番じゃないですか』」と
野村氏から提案。「無償で巨人へトレード」させたことを明かした。
素人目に見ても、いつも打席の外側に立って腰が引けてるようには見えた
>>414 野村もカツノリのこと考えたら一茂のことどうこういう資格はないわな
それはそれで、親父は一茂について
「本当はプロゴルファーにしたかった」
「中学時代一度野球をやめたブランクが後で響いた」
「高校はレベルの高い桐蔭に行ったほうがよかったかも」
等々言ってたな。
息子が選手として成功するとは思ってなかったようだし、
巨人で引き取ったのは自ら引導渡すためだったんだろう。
百田三世や藤波二世はどうなることやら。
マー君 神の子 不思議な子
カツノリ 俺の子 普通の子
野球選手としては、坂東>>>一茂>>>>尾崎>>>>>馬場
藤波二世は何であんなにちんちくりんなのかな
美男美女の子なのに
一茂はもしかしたら最初から空手やってたら大成功した可能性も
一茂は間違いなく七光りでしょう。
江角マキコに、ドラ息子と
落書きされたり最悪ですがね。
特に年齢いって親とそっくりのナルシストに
どんどんなってますね。
野球好きなんだね。
ゴールデンの時は野球が邪魔で放送が無くなったり、22時30分の時や深夜の時は延長で録画しくじるし邪魔でしかなかった。
土曜日の夕方17時30分が全日中継では一番良かったかな。
後年、野球がテレビからほぼ消えたと思ったらプロレス中継はとっくの昔に終わっていたけどさ。
>>422 土曜17:30〜18:30のころは裏のサンライズロボアニメ&戦隊と被って
小学生だった自分はどっち見ようか大いに悩んだ。
>>425 土曜日夕方の全日中継は昭和55年スタートらしいから、それ以前はライディーン、コンバトラーVとかゴレンジャーを見ていたと思う。
プロレスのほうが子供心に嵌まったよ。鶴田、マスカラス、テリー、リッキー、スレーター、ブッチャー、シーク、ブロディ・・・。
正義対悪、日本人対外人、わかりやすいもんね。
そういや2人がかりで鶴田が1人コーナーに捕まって
助けに入る馬場がレフリーに制止されて
観客のストレス満載な時に、馬場にやっとタッチ成功して
場内大喝采の中16文ってのが多かったな。
>>424 そういうお前は一茂本人だろ?ww
もし、親父が亡くなっても
今通り、一茂がテレビに出ていたら
実力を認めるが、多分、追い出されるよwww
鶴田は全日に入団して駒とかのコーチを受け、中央大学卒業(73年3月)と同時に
ファンクファミリーのいるテキサス州に武者修行に出されているけど、
なんで巡業に帯同させて下積みを経験させなかったのかな?
まあ実戦デビューして僅か2ヶ月でドリーのNWA王座に挑戦できたから
よっぽどのセンスがあったんだろうけど…
でも、もし国内の前座で半年でも先輩のシゴキとかに耐えさせていたら
何年も“善戦マン”と言われるレスラーになっていなかったかも⁇
前座の下積みなく、いきなり海外武者修行に行ったのは
坂口と鶴田だけなのかな?
>>432 谷津とかもそうじゃないか?新日の前座とか出たことなかったはず。
プロレスの技術教えるって
元々運動神経が抜けてるアスリートは
見りゃ出来る事レベルのしかないからな
ロープにしろグラウンドにしろ、大道芸だから
えげつないシゴキに耐えて精神力で
這い上がるとかしてれば坂口も鶴田も谷津も
変わったかも知れないけど
辞められたら困るからね
レスリングや柔道関係の心証悪くするし
坂口は欲が無いまま終わったし
鶴田は抜群のセンスに説得力が足りない
谷津はこうすりゃ良いんでしょみたいな驕り
飼い慣らされたサラリーマンで終わった
一茂は銀座でママをやってた奥さんもなかなかのクセ者。
今、世間を騒がしている馳もプエルトリコでデビューしてるよね。
でも、彼はジャパンで少し巡業に付いて回っていたかな。
馬場にも指導を受けて、その流れでプエルトリコに新倉と遠征してデビューした。
谷津は1980年12月にMSGでデビューという、今では考えられないデビュー戦。
因みに、MSGから直ぐの場所で同じ12月にジョン・レノンが射殺されている。
>>432 全米での下積みは必要だったかも。
ヒートのさせ方、ベビーとヒールの違い。
間の取り方の多彩さ。
とか。
馬場は長期に行けたが、鶴田はあまりにも最初から出来すぎたので
短期で日本のメインイベンターになった。
ファンクのテリトリーだけじゃなくて
もっといわゆる武者修行だったらよかったのかもね、カブキのいうように。
ハングリーな環境に置いて鍛えていればな、とはないものねだりかもしれないが。
ドリーにしてもどうしても「馬場から預かったお客さん」だから。
70〜80年代にかけて 馬場の後継者は鶴田、猪木の後継者は藤波とばかり思っていたが
全日は天龍、新日は長州が飛び抜けていったね。
やっぱりプロレス界を引っ掻き回す(変える)のは、
優等生な長男より縛りの少ない次男坊の方が、プロレス界を良く視えていたのかなw
>>439 >短期で日本のメインイベンターになった
これはしようがないよね。インタータッグ王座のパートナーは鶴田以外考えられなかったし。
旧日プロ勢の誰かをパートナーにしてたら、人気も盛り上がらない上崩壊の原因に
なりかねない。
>>441 鶴田より天龍のほうが、藤波より長州のほうが年上なんだけど次男w
まあそれもプロレス的でいいかな
昔国際や全日に来たロンドンバス兄弟も弟のほうが年上だったしw
>>441 長男がいなけりゃ、歯向かう相手がいないからな。
そういう意味では、天龍と長州は得な立場だわ。
長州は日大講堂でエル・グレコ(オカマじゃない)戦でデビューして
それから海外でない?
デビュー戦でいきなり“サソリ固め”だったね
>>438 阿修羅の金銭感覚のずれまくりエピソード
国際に入団して暫くしてからアメリカ遠征にいく事になったのだが所持金たったの3万円
自宅から成田まで贅沢なタクシー移動で料金なんと2万円
自宅に腕時計を忘れたのに気付き成田で6000円の腕時計を買い、残りは4000円
飛行機の出発が大幅に遅れた為に現地の空港に迎えに来るはずのジェイクロバーツは試合のため迎えに行けず代わりにガールフレンド二人が迎えに来た
この時に腹が減った阿修羅はハンバーガー屋に入り自分が食べるだけでなく二人のガールフレンドに気前よくおごるのだが
ハンバーガー代で残りの4000円を全部使い果たし、あっという間に財布の中はスッカラカンになったのでありました
ソースは2000年の紙のプロレスの阿修羅インタビュー
>自宅から成田まで贅沢なタクシー移動
これがわからんな。
近鉄時代にもう電車は乗りたくない、ってなってたのかな。
>>445 77年に猪木とシンがフェンスマッチをやった時、白スーツ姿でリング下で試合を見てたな
>>442 >鶴田より天龍のほうが、藤波より長州のほうが年上なんだけど次男w
実際の年齢はともかく、デビューしてプロレス活動始めた時期はチョシュ&テンルーより
ドラゴン&ジャンボの方が先だからねぇ、しかも鶴田が馬場と全日のメイン務めてた時に
天龍はショッパイ試合ばっかして日本とアメリカ行ったり来たり
藤波がジュニア王者になってドラゴンブーム起こしてた時に
長州はゴッチ道場逃げ出したり、政治的配慮で北米タッグにムリヤリねじ込まれたりしてた
長男が前線で苦労してるときにモノにならず燻ってる次男という図式は間違ってない
>>450 本当だ!知らなかったよ。サンクス。
ペンシルバニア、メリーランド、コネチカットとMSGの前に色んな場所でやっていたんだね。
ペンシルバニアもメリーランドもコネチカットもプロレスファンだからこそ
すらすら出てくる地名
ペンシルベニアやコネチカットは英文学の知識が多少でもあれば出てくるぞ
>>432 鶴田は対戦相手やタッグパートナーのネームバリューに頼らずに
試合を盛り上げたり興行を締めるというスキルを身に付ける場面がなかったな
先輩格の大物外人たちが衰えた80年代後半頃からそれがはっきり現れてくる
天龍や四天王とは相手が技を受けてくれる文楽に試合が作れたんだがね
ほう、プロレスではなく文楽の試合をしていたのか、、、
>>447 プロレス入りする前もそんな感じでやってきたんだろうか
>>458 駅員の給料でそんな散在してたらあっという間に無一文になる
現役時代は合宿やら遠征やらで忙しかったのと人の金で寝食できる
機会が多かったからなんとかなったけど、ラグビー引退したら
たちまち金に窮して会社にいられなくなったんだろう
>>442 新日の場合は本当は長州が長男なはずだったんだよな。
元子「馬場さんの長男はジャンボ、次男が天龍、三男が三沢、四男が小橋、五男が秋山」
馬場にも、元子にも好かれなかった川田が愛社精神が1番高かったというのが面白いんだよ。
現実でも、血縁者は寄り付かないけどよく遊びに来る近所の子供とかいるじゃん。
最終的にその子に遺産が渡って揉めたりとかさ。
>>462 全然違うじゃねえか
https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/273886/ 直接に英才教育を施された最後のレスラーでもある。
長男は故ジャンボ鶴田さん、次男は故三沢光晴さん、三男・川田利明、四男・小橋建太、
そして最後の五男坊が秋山…元子夫人は独特の表現で、秋山への思い入れを語った。
>>456 その大物外人たちと及第点なプロレスができてたのが鶴田のすごいところなんだよ、あのキャリアで。
>>436 妹はそれを嫌って兄の結婚式をtテレ朝の海外取材を理由に欠席したと言われる
>>437 事件直後に鶴田は泣いていた・・・
射殺現場のダコタアパートとMSGはかなり離れている。タイムズスクウェアから
MSGは徒歩でも行けたけど。MSGのガイドツアーに参加したら地下の小ホールも案内
されてゴングではそこでもプロレスやボクシングに試合が行われたと紹介されていた。
>>439>>456
日テレ・原Pも「促成栽培で無くヒールとした客に反応を見ながら会場をヒートアップ
させるテクニックを数年かけてじっくり身につけるべきだった」と残念そう
だった。新人時代の原はテーズに「直接、自分の手元でじっくり育てたかったがヨシワラ
が許してくれなかった・・・肉が固く付きすぎたきらいはあるがいいレスラーになった」
と高評価されていたが国プロは既に無くリップサービスの必要は無いのにハンセンの
首折りの餌食に天龍となっていた頃のインタビューだったからかなり違和感があった
>>442
殴打までされたかはわかないけど「パートナーに大木さんか上田!」と日プロ残党組に
詰め寄られた馬場が「"全日百年の大計"のために絶対に譲れなかった!」と自著に
書いていた。この判断は間違ってなかったし「馬場・大木vs.ファンクス」では・・・
>>466 次男が天龍で…っていう表記も確かにあったぞ。
そのときの人間関係で、そりゃ違うだろ。
>>468 蔵前のメインとしては地味だけど
馬場大木で勝てず、大木上田でも負けて、とでもなって
こうなりゃ若さに賭けようと鶴田を抜擢して奪取、でも時間的には変わりないんだけどね。
結局、一年以上ファンクスに預けていたんだし。
想像してみたら
馬場大木×ファンクス
デスト×マスカラス
鶴田×モロウスキー(後楽園での一戦は流に鶴田一番の好勝負と評されている)
これで「大木じゃあだめだな、あのセミの前でスープレックスをばんばんやっていた若い衆はいいんじゃね?」
となったかもしれないし。
>>470 他所から来たって、鶴田もアマレスから来たし、馬場もジャイアンツから来たし。
他競技の掃き溜めがプロレスだったからなあ。
相撲が最たるもので。
輪島も相撲で弱くなってから(といっても横綱としてだが)
プロレス入りってふざけんなと思ったもんだし。
まあ個人的には相撲移籍組は納得できないなあ。今でも。
>>472 馬場はオヤジだろうが、一緒にするな!!
>馬場大木で勝てず、大木上田でも負けて、とでもなって
>こうなりゃ若さに賭けようと鶴田を抜擢して奪取、でも時間的には変わりないんだけどね
馬場がまだ日プロのエース張ってて鶴田が日プロ入りしたんだったらそういう演出もありだけど
舞台は全日だからな。
馬場としても日テレとしても日プロの顔を立てたりアングルに絡めたりする必要性全然ないし
新団体としてのフレッシュさをアピールするにもここは鶴田一択でしょ。
あの日の鶴田のジャーマン見て、ほとんどの客は「すごい新人だ」と満足したのでは?
「あんな若造じゃだめだ。大木じゃなきゃ」と思ったなんて奴ほとんどいないでしょ。
全日本プロレス創立10周年興行蔵前大会には
花籠親方(元横綱輪島」からお祝いの花をもらってるからな。
二子山親方(元横綱初代若乃花)
鳴戸親方(元大関貴ノ花)
横綱若乃花(若三杉・後の間垣親方)
イーデス・ハンソンからもお祝いの花が届けられている。
力道山が二所ノ関部屋ということで相撲関係者は全員が二所一門。それも阿佐ヶ谷系列。
花田まさる氏が相撲協会を退職してアメフトに挑戦したりスポーツキャスターをやったりしていたが
これも日テレのバックアップ。
ダウンロード&関連動画>>@YouTube ヘーシンクの登場で大歓声w
知名度は鶴田より全然あるし、期待されていたのがよく分かる。
この日、沖レフェリーの引退セレモニーがあったんだよな〜
デストvsマスカラスの夢の対決もあり、5日後の新日最強タッグより
熱気を感じる
>>473 まあ相撲は日本のプロレスにとっては
最大の人材供給源なんだから、角界との関係は
いいほうが決まってる
アメプロだって、レスリングよりフットボール出身者の
方が多いのでは?
>>476 輪島とはこの時すでに縁があったのか
まさか本人も数年後にプロレス入りするとは思ってなかったろうけど
二代目若乃花も一時期プロレス転向の噂が流れたな
年寄株取得して自然消滅したけど
>>473 門が馬場についてあることないこと書きまくったのは
この日の沖レフェリーの引退式の舞台裏で揉めたのも一因らしいね
まあ「お前が辞めたせいで食い扶持だった日プロが潰れたんだ」
って恨みが一番大きいんだろうけど
>>478 >二代目若乃花も一時期プロレス転向
二代目若乃花は、大関の若三杉時代は
良かったが、横綱に昇進してから、さっぱりダメになった。
本人がプロレスが好きで転向の噂がたったんではなく
相撲でダメだから、プロレス入りしかないだろう?
と言われた。プロレスファンにとっては
大変、迷惑、侮辱的な話だった。
>門が馬場についてあることないこと書きまくった
でも、馬場の「強さ」については、ぼろくそなわけでもないのが
ある意味信憑性あるような、うまいやり方だと思う。
時期によるんだろうが、猪木より弱いとは書いてない。
ただ豊登、大木、マンモス鈴木より弱いと書いているかな。
ピストル外人にはまったく問題にならない、みたいにも。
プロレス365を通読してだが。
>>479 二代目若乃花にプロレス転向の噂が立ったのは、
ふがいない土俵が続き引退の危機が迫ってたのに、
年寄株をまだ取得しておらず、引退後も協会に残れる目途が立ってなかったから
(だから間垣株を取得すると同時に自然消滅した)。若乃花に限らず、
大物力士にプロレス転向の噂が立つときっていつもこんなだよね
>>480 >マンモス鈴木より弱い
馬場の凱旋帰国の一戦で相手を務めた鈴木が馬場を圧倒して面目潰したってやつか
でも当日の試合見てたほかの選手も客も、誰一人としてそんな証言してないんだよな
一緒に海外修行出されて同じテリトリー回ってたのに、一人だけ先に逃げ帰ってきて
「馬場の根性を見習え」とさんざん馬鹿にされてた鈴木が馬場より強いと言われてもねえ
>>471 漫画の見すぎ。
現実問題そんな展開あるわけない。
馬場大木や馬場上田わ誰が見たいねん。
客がガラガラで、赤字出たら誰が責任取るんだよ。
それに新団体ってことをアピールするには鶴田という新戦力を起用しないといかんのだわ。
実際に鶴田で正解だったし。
大木使おうなんて、一体誰が望んで、誰に気を使ってるのか。
あと、モロウスキーが一番の名勝負、って、流の嫌味だってのがなぜわからん。
>>477 ヘーシンクが知名度あるって当たり前だろ。
日本柔道がこいつにケチョンケチョンにされたんだから。
>>480 大木、猪木との道場セメントマッチで、馬場が一番弱かったって書いてるだろが。
>>467 若い頃はだいたいどの選手も経験や引き出しが少ない分
格上の達者な選手相手にがむしゃらにぶつかっていき
とにかく出来ること全てを思い切りやってみせるみたいな試合が
ファンや観客の共感を生む良い試合になるもんだけど
鶴田の場合「若大将」「将来のエース」といったイメージと裏腹に
若い頃からマスカラス戦やロビンソン戦テリー戦など
基本的に自分のスタイルややりたいこと、
自分の見せ場を強引にでも優先するタイプの相手と丁々発止
そういう相手にちゃんと「エエカッコ」させてやる試合の方が評価高いのが
よくも悪くも鶴田というレスラーを表している
若いのにそういう錚々たる面々相手に達者に受けてみせてた時代と
ベテランになって下の人間の攻撃を全て受けきったうえで跳ね返す怪物時代
鶴田ファンが評価する鶴田ってだいたいがこの二つの時期のどちらかに集中する
逆に言うと“全盛期”“脂の乗った時期”の
本来レスラーとして一番おいしくて自分を主張できるはずの頃の鶴田は
意外と勝敗の結果とフィニッシュシーンくらいで個々の試合ぶりは印象に残ってないんだよ
>>480 門は力道山にスカウトで入門した猪木に対して、生活のため泣きついて
入門が許可された馬場
ベンチプレスで生涯60kgしか上げられなかった馬場
いざという時にはセメントで立ち向かう猪木、セメント恐怖症で尻込みする馬場
力道山が馬場に付けたあだ名が「お化け」「割り箸」「モヤシ」
…等々、散々な書きようw
あとインター王座で力道山1代限りの貸与で900万円、復活で1800万円とか
UNベルトは遠藤幸吉とミスターモトがパシフィックコーストヘビー級ベルトの
スペアにネームプレート部分だけを作り替えデッチ上げたインチキタイトルとか
虚実が混じっているから信じてしまうんだよなw
セメントに弱いとかピストルに弱いとかいうのも
無意味な価値観だな。
そんなこと言ってるから、力道山時代には
スターレスラーが生まれなかった。
>>485 印象に残ってないってのは、お前の主観だろ。
総意みたいに言うな。
東京プロレス時代の猪木が馬場を挑発してきて
馬場が「なんで猪木の言いたい放題にさせておくのですか?僕が猪木に負けるわけがない」と言ったら
日プロ幹部から「君は猪木になら勝てるだろうが豊登に勝てるかね?」とたしなめられたって
エピソードもあったな
門の記述と言えば猪木VSアリについて
「あの試合はアトラクションで結果は引き分けと事前に決まっていた。
ボクシング側の遠山が猪木の勝ちに入れてプロレス側の遠藤がアリの勝ちに入れたのはそのためだった。
遠藤は試合後に裏事情を知らなかった新日レスラー達に袋叩きにされた」なんて記述もあったが
新日のレスラー達がそんな裏事情を知らないなんてあるわけがないし
万が一知らされなかったとしても大先輩でワープロ解説者もやっていた遠藤を袋叩きにするってのも信憑性がない
門の本は今読み返すとところどころに妙ちくりんな記述がある
>>日プロ幹部から「君は猪木になら勝てるだろうが豊登に勝てるかね?」とたしなめられた
♪馬場よりよ〜わ〜い豊登〜 って歌があったが
>>7 https://twitter.com/jumpwith44/status/1253263329704808449 日刊スポーツか
ジャスト頑張ってるな
今は阿修羅原に興味津々みたいだけど、いずれ世代を超越した故の彼ならではの独自の視点で原についても何か書くだろうな
パクリ得意な全日本系老害ヲタみたいにネットや古本漁って見っけたパクリコンテンツばっかしじゃいくらイキってTwitterに書き込んでも
終生、書籍化はされないって事だよな(笑)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
>>486 馬場は生活のためというのは本当だが
給料はいくらですか?
と力道山に言うんだからな。
>>492 ポイントは「生活のため」ってとこじゃなく
「泣き付いた」ってとこだろ。
理解力0か。
>>488 今になってだけど、星タイツ、ローリングドリーマー時代の鶴田は凄いと気づいたし、その試合も面白く見れる。
もともと体力があって動けるし、体も肉がついてそこらのパワーファイターより力があるし、
マスカラス並みのフォームの空中殺法を事もなげにやっちゃってる。
もうちょっと後のブロディもあんな感じになるけど、鶴田の後追いだったのかな。
この時期はブッチャー、マードックとのUNめぐっての陥落→奪還戦とか、一連のドクとのシングル戦。
テリー軍団vsブッチャー軍団の総力戦て感じだった第8回CCでそんなテーマ吹っ飛ばした優勝決定戦とか名勝負も多いな。
>>479 二代目若乃花は素質はすごいものがったし
成績も地味ながら安定してる
ある意味では角界のジャンボ鶴田
眼帯をつけたスレーターをフォールして念願の初優勝って、あんまりの結末だよな。
せめてクイックでもテリーを決勝フォールとか、ドラマティックな結末があればイメージも違ったのに。
馬場がスレーターに負けとか、リーグ戦関係ないシークの乱入が目立ったシリーズの印象しかない。
馬場がテーズにや猪木がバレンタインに勝った時みたいな
大物を倒して新時代の扉を開いた的な鮮烈な印象を残す試合が鶴田にはないんだな
与えられたものをただ平凡にもらってるだけというか
ドリーやブリスコに勝ってベルトを取った時もなんか印象が弱い
馬場がもっとブックを考えてやるべき話だと思う
>>496 馬場は結局リング上もリング外も真に後継者を作ろうとしなかったとしか思えない。
いつまで自分がトップにいていつ頃バトンを渡すかとかも日テレに外堀を埋められて
という感じだし、会社の経営は誰に任せるかとかを最後まではっきりしないままで
なくなった後の分裂を引き起こした責任は大きい。
新日が猪木アリ戦が終わったあとに
ネタ的に手詰まりになってた時期が
全日が鶴田を売り出すチャンスだったんだが
結果的にはうまくいかなかった
>>496 あのスレーターをフォールしたジャーマンスープレックスは
語り草になる程だろ。
鶴田はずっとメイン張るけど
馬場が色々警戒して負けブック呑まないから
全ておかしくなっただけじゃん
実質、三沢だけだぞ
馬場からピンフォール奪った日本人
天龍は無理やりだし
馬場は自分の値打ちを
誰よりも理解してたから前座に引っ込んだけど
10年遅いわ
ハンセン取った段階で
自分がでしゃばらずに鶴田に迎撃させて
猪木やIWGPとの対比で
鶴田を格上げすべきだった
自分が復活して
延命するつもりだったんだろうけど
自分は負けて下がって鶴田にやり返させる
それが出来なかった
>>500 フィニッシュは見事かもしれないが、あの日のジャンボは片目のスレーターと試合してるんだよ。
眼帯つけたスレーター相手に念願の初優勝を飾る、なんてブックは絶対に理解できない。
あの頃の鶴田は、万全のスレーターにフォール勝ちできないような扱いではなかったはずじゃないか?
>>500 相手がスレーターではなく
テリーかブッチャーだったら
鶴田は即座にエースになれたと思う
スレーターに勝って優勝ではインパクトが弱いし
結局その後の興行につながっていない
>>482 開幕戦ならともかく、大会当日に
カード変更を迫るなんて嫌がらせとしか
思えないね。
鶴田対スレーターが優勝決定戦になったのも、スレーターが馬場に黒星つけて阻んだからなんだよね。しかも乱入絡みのごっつぁんリングアウト勝ちだった。
「馬場にアクシデント気味に勝って優勝決定戦に進出できた片目負傷してるスレーターに勝って初優勝」、これじゃ鶴田のイメージアップにはつながらないよね。
馬場は衰えてたとはいえ、そう簡単に鶴田に主役の座を渡したくないって意地があったのかな。
テリーが鶴田の負けるのを拒んだというより
馬場が決勝でテリーに勝つ£゚田という図式を嫌がったようにしか思えない
馬場本人が直接負けるのは勿論、テリーやブッチャーといったエース級外人に
政治力使って中々勝たせなかった卑劣なやり方見てると猶更そう思う
セコンドのテリーにブッチャーの足引っぱらせてピン勝ちって
いつから鶴田はヒールになったんだよつて
日プロ残党にパートナーは大木さんか上田にしろて詰め寄られたん
そりゃ日プロ残党切り捨てたいな
>>506 テリー乱入して鶴田ブッチャーにフォール勝ち、レイキャンディ間に合わず。あったね。
会場は異様に盛り上がってたけど、試合やってた鶴田じゃなくて乱入したテリーが主役だったもんな。
馬場は鶴田に「抜かれてない」イメージ作り必死にしてたよな。
鶴田がロビンソンに2フォールで勝つのもロビンソンが全日本参戦してから数年かかってるし。
馬場自身ロビンソンとそう絡まなくなってたころだし。
鶴田がレイスに勝ったのも82年のUN戦が初めてかな。
鶴田がレイスに勝った直後に馬場がレイスに負けてPWF失ったのはびっくりしたが。
>>501 は?馬場は比較的早くトップ退いたろ。
猪木なんかダラダラセミリタイアするまて譲らんかったやろ。
>>508 馬場はタッグで、三本勝負の一本だが、ちょいちょいロビンソンにフォールされてたやろ。
ニック相手だったのが問題なんだろ?馬場がほとんどシングルで絡んでいない相手に勝っても、
世代交代を感じる人なんかいない。そんな相手だと馬場の価値も下がらないと考えたわけだな。
>>507 馬場にしてみりゃ全日旗揚げの時に袂を分かった連中だし
日テレにしてみりゃ自分たちに不義理してNETについて、そっちからも
見放されて出戻ってきた連中だし、
契約上身受けしないといけなかったとはいえ、配慮する必要は全くないわな
せっかくファクンス呼んだのに、馬場大木組とか馬場上田組とか
ワクワク感ゼロだわ。パートナーは鶴田一択!
>>511 余りにも遅すぎる
その時点で鶴田は何年目だよw
60分3本勝負のときはダメージを最小限に抑えるために2本目はすぐにギブアップする頭のいいジャイアント馬場
馬場大木組でインタータッグ王者が務まるなら
まず、1972年春、BI砲から同タッグを奪った
ファンクスに対して、馬場大木組で奪回しているはず。
大木は、まずこの時点で、ずーーと後輩の坂口に
追い越されていた。
本当に鶴田って、UNを獲った時も、チャンカンを制覇した時も、インターを
獲った時も、そしてAWAを獲った時も、まるで同じ写真みたいに同じ構図で
肩車されて「これで鶴田の時代が来る!」とマスコミに持ち上げられて…
結局それっきり、という時間を延々と繰り返したレスラーだったからなあ
黒タイツ+テーズ式バックドロップ伝授+日本人初のAWA奪取&防衛、
というエース養成セットをお膳立てしてもらってどうなったかというと…
1984年5月、鶴田が若いNWA王者ケリーに挑戦したのが、マーテルに負けて
AWAを失ってから一週間ちょっとしか経ってない時の試合だったんだな
05月13日 鶴田、ミネソタでマーテルに敗れてAWA王座陥落
05月22日 鶴田、田コロでケリーのNWA王座に挑戦し、1-1から両リンで奪取失敗
そしてこの翌日、翌々日に
05月24日 フレアー、横須賀でケリーからNWA王座を奪取
05月25日 フレアー、船橋でレイス相手にNWA王座を防衛
これだけでも主役の座からフェードアウトの雰囲気が甦ってくるのに
07月31日 鶴田、蔵前でマーテルのAWA王座に挑戦、両リンで奪取失敗
10月11日 鶴田、大阪でマーテルのAWA王座に挑戦、リングアウト勝ちも奪取失敗
と、小さいマーテル相手にかつての「主役になれない善戦マン」に逆戻り。
しかもこの夏、馬場はハンセンをフォールしてPWFを奪還、三沢タイガーが
デビュー、スミス・キッドが全日に参加、トドメとばかり長州らジャパン勢が
全日に実質移籍と、鶴田のAWA戴冠はそれまでのUNやらと同様の
「忘れられた過去の栄光」になりかかってしまうところだったという。
「鶴龍コンビ」が最強タッグで超獣コンビに勝ってスポットを浴びたのは
覚えていたけれど、鶴田がマーテルに負けて帰国したばかりの5月20日に
馬場が返上したインタータッグを争って鶴龍とシン・上田で王座決定戦
やってたんだな、すっかり忘れてた。
ところが新世代を華々しく飾るはずの鶴龍コンビは、いきなり無効試合で
王者になれず、6月の再戦でも両者反則で王座は空位のまま
結局9月にブロディ・ブラックウェル組に勝ってやっとタッグ王者になれた。
ところが最強タッグがあったとはいえ翌年まで防衛戦は10月に富山で
ヘイズ・ゴディとやった一度だけ。
やっと脚光を浴びたのは、初来日のウォリアーズと対戦した翌年3月で
この頃には長州軍がやってきて、入れ替わりでブロディが新日に転出、
全日マットはゴールデン復活を機に軍団抗争と多彩な王座が入り乱れて、
タッグとしての鶴竜は評価を得たけど、鶴田個人はますます埋没して
いったという感じだった
鶴田のインター防衛戦も、84年10月から85年3月までの相手はゴディが3回、
スレーターとレイスが1回という、かつてのUNと大差ない扱いになってしまって、
歴史の重みもへったくれもない扱いに近い。
そしてこの後はハンセンのAWA、天龍のUN、長州のPWFとの三冠統一路線
まっしぐら。 消化不良試合を続けてファンに「帰れ」コールを浴びたあげく、
ハンセンに奪取されてしまうありさま。
日テレも本気で鶴田を売る気が失せたんじゃないかと思わせるほどの
迷走ぶりだったなあ。
鶴龍vs長州、谷津のインタータッグ2連戦が象徴的だったな
最初に鶴田が前哨戦で長州を負傷させたという設定で
「今度の鶴田は違う」と思わせておきながら
2戦終わってみれば4人の中で最も印象が薄くなるというオチの・・
>>509 猪木はIWGP舌出し失神とかの失態やら
フォール敗けで長州、藤波には華持たせてるで
実質タイトル移動も興行的に駆引きする
馬場の負けブック呑まない感じは異常やで
半分は安定志向の日テレの意向やろうけど
ハンセン来たとき
誰が馬場に相手して欲しかった人間居る?
結果的に以外と動けるやんで一時的に再生して
結局退くきっかけにしただけだし
馬場なんて力から見たら最後の栄光は
ブリスコとのNWAより前やん
興行会社なら先の事考えて
鶴田と天龍伸ばさんかいな
その辺の裁量が馬場と日テレに有るから
変なプライドが邪魔して子分が伸び悩む
猪木とか新日の営業はその辺
負けても更に客の興味を膨らましてって
営業戦略には長けてるよ
外して暴動も起きるけど(笑)
10番勝負開始から77年夏の田コロのマスカラス戦までは
全日も鶴田を大会場メインで推していこうと言う意思は見えるんだけど
ここから5年くらいが全日内部でどういう方向性で行きたいのか迷走してるんだよなあ
いくらファンクス、ブッチャー、マスカラスに人気があっても
毎シリーズ呼べるはずもないし
外人だからストーリーの中心に持ってくるのは無理がある
AWAはニック相手に「反則負けで移動なし」で防衛したときはある意味溜飲下がったよw
奪われたマーテルとはやりすぎだろう。乱発したのが逆に良くなかったと思うわ。「結局奪回できないのか」とガッカリしたよ。
数年経って日米レスリングサミットのタッグマッチでマーテルからフォール取って勝ったけどなにか微妙な気持ちだった。
マーテルには85年9月にアメリカで挑戦してピン負けもしてる。
以前つべに動画があったが今もあるのかな?
>>521 そうかな。
猪木は75年3月から83年6月まで8年間
シングルフォール負けなしの偉業を達成してるんだかどw
この間はリングアウト、反則以外の負けはなし。
83年6月のホーガンへのKO負けで、やっと負け。
これは日本プロレス史上最長の「フォール負けなし記録」とみていい。猪木の負けブック拒否こそ異常。
馬場は勿論この間、ドリー、ジャガーズ、スピリット、大木、デストロイヤー、レイス、スレーター、レイス、ブロディ、レイスと、ハプニング的なものも含めて、10回のシングルフォール負けをしている。
>>525 馬場は相手ほぼ外人やん
あ、大木も外人か(笑)
自身にもうメイン張れる説得力無いのに
外人頼みなのが日プロからの流れ引き摺ってる
当時の全日の中継とか見るの辛いのはソコよ
誰も馬場に期待してない
もう馬場メインで
お客さん沸かせる説得力無いし
既にラビット関根の物真似で
ロートルのヨボヨボ爺さん扱いなの
無視したらイカンよ
実質興行の核が名勝負数え唄とかに移行した
新日とはやはり鮮度で差が有る
異種格闘技路線とかから
体力的な衰えカバーして興行考えてるやん
実際の知名度とか人気じゃなくて
藤波やらタイガーやら長州やら仕掛けないと
延々看板役者のポスターで
大衆演劇のどさ回り続けるだけ
俺が出続けなきゃ団体の存亡がって
力道山からの勘違いの連鎖だよ
結局、三沢まで引き摺って系譜は途絶えた
>>527 このおっちゃん時系列とか無視しとるわw
>>484 >
>>480 > 大木、猪木との道場セメントマッチで、馬場が一番弱かったって書いてるだろが。
長年語り継がれてたが猪木がアッサリ否定したよ
知らない覚えてないって
作り話だよ
ちなみにこの間に猪木がリングアウト負けした
相手も、ほぼ外人であるw
75年 大木 クラップ
78年 アンドレ
80年 ハンセン
81年 ハンセン
82年 アンドレ 木村
76年、77年、79年は反則負け以外負けなし。
猪木はタッグで77年に、?・スーパースターの空中首折りでピンされ、
P・パターソンの足四の字でギブアップしてる。
猪木がオレ一番無敗路線。
これはナンバー2以下が、
ご隠居坂口は置いておき、
藤波、長州、マサ斎藤、前田、とコマが多かったから
高みから見物しながら闘犬やらせて、横並びさせて時々代表
旬を上がってこらせて延髄葬や巌流島、で1トップ維持。
それ以外は未知の強豪外人退治役。
ナンバー2以下のコマが多かったからできた事。
馬場はナンバー2以下は鶴田と外人しかいないから、
鶴田が外人と賑わったら馬場のトップ感がなくなる。
鶴田善戦マン戦略しかない。鶴田は若すぎた。
キムドククラスの実力者がもう2人いれば違ったがね。
>>512 確かに馬場はニックとほとんどからんでないね。
日プロ時代まで知らんが、全日ではシングルないかも。
年齢的には明らかに鶴田より馬場のライバル設定のほうがしっくりくるし、
同じダーティチャンプのレイスとはあれだけ手があったんだから
ニックとも手があったはず。もったいないと言えばもったいない。
>>520 あのインター2連戦は4人の中で一枚落ちだった谷津の
格上げが目的だったんだろうけど、格上げのためには
シングルでも実績が必要だったな
1979年にミネアポリスで馬場とボックウィンクルやってるな。
馬場がリングアウトで負けたように見えるけど、鉄柱攻撃で反則とられるみたいだな。
>>531 マスクド・スーパースターを忘れたんか、、、
>>533 最強タッグ(78年、80年)で2回シングルで対戦している。後昭雄の話が事実なら
ニックからベルトを奪うのは馬場だったかもしれないけど、馬場と昭雄のやりとりとか
読んでみると馬場も老害感が漂っているようで悲しいな。
>>529 そりゃそうだ。
そんな意味の無いことするわけない。
>>512 バレンタインは力道山のライバルだったんかよ?
都合よくコロコロ条件変えるなよ。
>>514 猪木がトップ譲ったの何年目だ?
アホか。
>>521 お前、ウソばたかりやな。
百回言ったら事実になるってのほ朝鮮人のやり方やぞ。
データ披露してコテンパンにしたやろうと思ったが、
>>525が書いてくれてた。ありがとう。
>>527 お前話がとっちらかって、何が言いたいのかわからん。
ポイントを明確にせよ。
何でもいいから馬場を貶めたいというなら帰れ。
鶴田のAWA王者期間は、始めからマーテルの繋ぎとして決まっていたのか、
本当はもう少し長い予定だったのが、評判が悪かったので短縮されたのか、
どっちだったんだろう?
もう少し長く王者でいれば、その後の展開も変わったのかもしれないけど
>>543 当初の予定通りでしょう
あれ以上長期間日本を留守にさせるのはおそらく不可能だったし。
タイトル置いて戻ってきたところを「世界を獲った男」として
プッシュする予定だったんじゃないの?
結果的にそうは問屋が卸さなかったが。
>>484 モロウスキー戦が一番の〜
というのは嫌味な面はなくはなかろうけれども、
それよりもインタタッグ戦よりも、ずっと驚きやインパクトがあったよ、知らねえだろなぁ
っていうマウントだ。
マウントも偉いことはないがだからといって嫌味だと切り捨てていては見えなくなるぞ。
>>500 で、これは嫌味だよね?
あんなスレーターが二歩三歩バックしてきてくれて放ったジャーマンを語りぐさにしては
いかんだろ。
もしも「鶴田の語り草になった必殺ジャーマン」なんて動画サイトに載ったら
スレーターが投げられに寄ってきたよwwwなんて書かれるぞ。
新日の営業「社長がメインじゃないとチケット売れませんよ〜」
全日の営業「社長がメインじゃチケットが売れませんよ〜」
>>546 蔵前のファンクス大ブレイク以降ね。
だが、馬場が来る!ってインパクトは地方じゃ凄かったぞ。
馬場に鶴田にブッチャーな。これで大人爺さん婆さん確保。
テリーとマスカラスがいれば少年、ちびっこが連れてってと親にせがむ。
新日は猪木、シン、アンドレ。
藤波?誰それ?
だったなあ。
タイガー登場以降は別ね。
>>519 その時期の三冠統一路線はハンセンのAWA、鶴田のインター、長州のPWF
天龍のUNはマシン、谷津、シンとの防衛戦で統一とは全く無関係
天龍自身はハンセンのAWAに挑戦(既に剥奪されてが)したけどUNとのWタイトルではなかった
>>526 当時のゴング誌にはハメられた的な書き方だった
鶴田がフォールの時はスロー、マーテルがフォールの時は高速カウント
同日ウォリアーズがガービン&リーガルにイカサマレフェリーでAWAタッグ獲られた試合と合わせて
>>543 シカゴやセントポールの大会場を満員にしてるんだからガニアは何の文句もないはずだよ
マーテルはガニアから突然告げられたと言ってるが
、候補として数名はいたかもね。
ただ鶴田が長期政権を取るのは全日がある限り無理。
>>551 マーテルがベビー、鶴田がヒールだからあっちのファンは喜ぶ。鶴田が阿部四郎を連れていかないかぎり。
マスクもいいし、性格もいいので引き上げられたのかね、研ナオコ似の奥さんも
大事にしてたみたいやし。
でも転落後は長州、佐野にピン負け、アメリカでもチャンピオン級の扱いでは
なくなった。
>>525 ちょっとスレ違いだが、
フォール負けをしない「絶対王者」と言えばルーテーズ、
1948年6月〜56年3月までNWA世界王者だった。
それでも、7年9か月、猪木に及ばないのか!?
王座獲得の’48年6月前から「フォール負け」なし記録が
続いていたなら別だが。
その間、‘55年3月にレオ・ノメリーニに負けて、世にいう
「938戦不敗記録」は破れているが、これは反則負け。
WWWF王者だったブルーノ・サンマルチノも‘63年5月
(対Bロジャーズ)から71年1月のイワン・コロフ戦まで
フォール負けはないだろうな。
リングアウト負けはよくあるが。
>>556 爽やかだし、攻めるチャンピオンで良かったけどね。
フレアーとの統一戦でも株を上げた。
ゴングの年一回の人気投票でも、ハンセン、ホーガン、ブロディらに次ぐ順位だったよなあ。
力道山は57年10月にテーズに地方遠征で負け、63年5月にデストロイヤーの4の字で負けてるのかな?
それなら5年7か月で、猪木の8年シングルフォール負けなしには及ばないw
外人でいうとアンドレを別にすると、ブロディが
81年4月の馬場戦から88年4月鶴田戦までシングルノーフォール負けで、7年か。
つくづく猪木は偉大だw
>>556 90年のレスリングサミットにヘニングとの元王者コンビで参戦したが
同じく元王者鶴田のバックドロップに敢え無くピン負け
4人中3人が元AWA王者という豪華な顔ぶれだったが、
当時AWAはまだ存続していたのに、実況はそのことに一言も触れず。
他団体の興行とはいえ、その時点でもう全部リセットされてたんだな。
リーグ戦最下位のウェイン・ファリス、後にWWFで大出世するとは夢にも思わなかった
ボクシングならともかく、プロレスの連勝記録に何の意味があるの?
幻想が持てた時代ならわかるけどw
>>551 鶴田AWA圏遠征中に如何にもそれらしいインタビューが行われてるね。
ダウンロード&関連動画>>@YouTube ブレアース「PWF会長の私は、確かに東京での世界タイトル戦を目撃しました。
こちらが誰もが認める世界王者・ジャンボ鶴田です。」
ニック「誰もが認める?そんなことは認めんぞ。日本に着いたらルールが変更になってるじゃないか。
カウントアウトでタイトル移動。反則負けでもタイトル移動。テリー・ファンクというレフェリー。
スタンリー・ブラックバーンの故郷のアマリロ在住で、ランザとマリガン(この時2人はニックと抗争中)
の親友じゃないか。彼がレフェリーだったんだぞ。しかも、ヒーガンは自分と一緒に日本に入ることを
許されなかった。誰もが認める?大いに異議ありだよ。」
ヒーナン「ジャンボツルタが実力でニックを倒したようなことを言っているが、自分は日本に行けなかったし、
ルールは変更されていたし、レフェリーは2人、すべてAWAのブラックバーンとPWFによる陰謀だ!
ニックを丸腰で日本を去るように仕組んだんだ。ヒーナンファミリーに対する完全なる陰謀だ!
この男が正当な王者と言うなら、あなたは完全に間違ってるよ、ミスターブレアース。」
ブレアース「そのような発言はすべて非現実的ですよ。この男は間違いなく誰もが認める世界王者ですよ。
日本からわざわざ来た王者にアメリカのファンへコメントをさせてあげてくれますか?ジャンボ、コメントをどうぞ。」
ヒーナン「直ぐにリマッチを中立ゾーンでやらせてくれ。日本じゃなく、自分たちが今度は場所を選ぶ。」
ブレアース「ジャンボは『サヨナラ』と言いたいみたいですよ。サヨナラ。」
>>556 >研ナオコ似の奥さん
確かにw
当時は鶴田も新婚で「お互いに奥さんの写真を見せ合った」と鶴田が亡くなった時マーテルが言ってたね。
>>558 ハンセンは「リック・マーテルとトミー・リッチはあの時代(80年代前半)の二大全米ベビーフェイス」と評価している。
>>562 馬場の負けブック拒否は異常、と言ってた人が
いたから、それどころではない猪木の例を
出しただけだがねw
まあ「人気があって」「俺が俺がという性格」を
合わせ持つレスラーでないと達成できない記録では
ある。
>>553 もしジャパン勢がもう少し早く全日に来てたら鶴田はAWA圏に腰据えて暫く王者やれたかもな
全日勢が手薄だが馬場も積極的に対戦すれば何とかなる
>>567 そうなったら、凱旋帰国した鶴田と長州の一戦で
「日本の長州、世界の鶴田」って倉持アナの実況が
一段とテンション上がりそうw
>>561 >>565 日本で白星配給王だった外人レスラーがその後大スターになり、
日本のマスコミもその点については無かったこと扱いに近い形で
触れない、って結構あるね
アメリカではスターに手がかかってるんだけど、ベルトでも巻かない限り
日本では向こうの格を無視する、っていうのは若手に限らないことで、
すでにあちらでは大スターなのに
「レベルの高い日本では通用しない!」
ってスタンスで無視するっていう
日本の鶴田天龍クラスが向こうでは白星配給王をさせられるようにもので、
プロレスっていうのはそういうものだ、と言われればそれまでだけど…、
っていう話はこのスレでも一週間前くらいに語られてたな
チャンカンの噛ませ犬役というと、第三回大会ではボブ・オートン、
スティーブ・カーン、マイク・ジョージの若手三人とマーク・ルーイン
という豪華な顔ぶれが全てトーナメント一回戦で敗退
初の総当たりになった第四回大会ではラリー・シャープが全敗、
ラリー・レーンがそのシャープに勝っただけで残りは全敗
第五回ではレッド・ウルフことロス・バッキンガムが全敗、その
ウルフに勝った以外全敗がホセ・ゴンザレス
その二人相手以外全敗がビル・ホワイト
第六回大会ではフランク・モレルが全敗、テッド・デビアスも
小鹿大熊羽田あたりに勝たせてもらったくらいで噛ませ犬
第七回大会はビッグ・レッドが全敗、ドン・ミラノ、ビリー・
フランシスが白星配給係
鶴田が優勝した第八回大会はカール・ファジーが全敗、
ミステリアス・アサシンことボビー・ジャガース、意外に
レイ・キャンディが白星配給係
第九回大会は初の全敗無しで、最下位のウェイン・ハリスが
大熊に勝ち、ブリスコと引き分けてる
日本人最下位の大熊はトンガと小鹿に勝ち、小鹿と羽田は
揃って石川に勝っている
この辺りでベタベタな噛ませ犬は無くす流れになったみたいだ
新日のMSGシリーズなんかは、そのMSG現地では大人気だった
ストロンポー、ガレア、トップヒールだったアンアンシーク、ムラコ、
ロスの帝王のチャボあたりを白星配給係にしていたのに比べると
全日は適格というかザコが多すぎたというかw
>>571 昭和チャンカン最後の十回大会のビル・ハワードが阿修羅原に不戦勝以外は全敗
中堅日本人に一つも勝たせてもらえなかったのは不可解だったな
>>491 我ながらこれ、姑息なパクリ蘊蓄ひけらかしマニアヲタ特有の奇妙な承認欲求を浮き彫りにしていて何度読んでも笑いがこみ上げてくる
こういう視点で該当するヲタのTwitterアカウントを見る度に、何年も同じパターンで承認欲求満たそうとするヲタの悲哀が偲ばれてニヤニヤが止まらないなw
ネットや古本、古雑誌とかの二次情報ばっかりネットに書き込んでるブログ書きとかも
最近はTwitterなんかじゃ関係者やらにめっきりRTされなくなったな(笑)
>>570 第六回はルーク・グラハムが大熊に勝っただけの勝点2でブービー
WWA世界ヘビー級、WWA世界タッグ、初代WWWF世界タッグの実績
帰国後はバックランドのベルトに何回も挑戦してるのに
>>560 だいぶカットしてたからな。
触れてるかもしれんよ。
>>562 お前は誰に何を言ってるのだ?
話の流れを理解せよ。
>>570 >第三回大会ではボブ・オートン、スティーブ・カーン、マイク・ジョージの若手三人
これに加えて鶴田でUN決定戦をやってたらいいようなメンバー。
実際は時期が違うけどね。
というかブリスコとやるよりもフレッシュかつ映える。
>>575 ああそうだ。
この回はジョナサンもイアウケアもパッとせず、ブッチャーの
一人舞台の外人勢でかなりもったいないシリーズだったんだね。
ボブ・バックランドと言えば1974年から75年にかけて立て続けに
全日本に来日してる(オートン、カーン、ジョージが来日する直前)
初来日の時は一緒に参加したボブ・ループよりもはるか格下で、
サンディー・スコットと並ぶやられ役担当だった。
この年にはスタン・ハンセンも全日本に来ていて、やられ役専科
だったハンセンが、半年後にはMSGでサンマルチノの挑戦者として
首折り事件を起こし、その2年後にはバックランドが王者になった。
イワン・コロフもレッド・マクナルティとして日プロにいた頃はただの
やられ役だったのがすぐにサンマルチノを苦しめるトップヒールに
なって、ちょうどこの頃に「世界のプロレス」が放送されたため、
日本とアメリカの格の差がファンにも知れ渡ってしまうことに。
まあテリトリー制というのは、隣の地区でどんな試合をやっているか
レスラーがどんな扱いを受けているか知られないことが前提のシステム
だったわけで、そういうことも含めてプロレスの楽しさなんだろうけどね。
>>579 >まあテリトリー制というのは、隣の地区でどんな試合をやっているか
>レスラーがどんな扱いを受けているか知られないことが前提のシステム
動画が普及した今はもう無理だね。地元の英雄が実は他地区では
かませ犬だったとか、検索すれば一発でわかってしまうし
これって総格でも同じ問題があるらしく、動画の普及に伴い、
海外の格闘家が負けブックを飲んでくれなくなったため、マッチメークに
苦労するようになって人気低下の原因になったらしい
カネックが日本での雑魚扱いも飲んでいたのは
「日本の試合の勝敗なんてメキシコじゃ知られてねえよ」って安心感があったからだろうね
カネックとソリタリオがタッグを組む、なんて当時のメキシコでは考えられなかっただろうな。
鶴田のAWA戴冠直前にブロディが
「俺の挑戦を受けて俺を倒してインターを守ることと、老いぼれニックからAWAを獲ること。
どちらにより高い価値があるかは日本のファンがよく知っている」なんて辛辣にコメントしてたけど
確かにそういう面もあるな…
それでもベルトを獲られる(AWAに返す)相手はニックより、スターになる可能性、伸びしろの面でマーテルの方が良かったか。
普通にAWA世界ヘビー級王座奪取の方がインタータイトル防衛よりも
値打ちありそうだな。マサ斎藤がAWAとった頃はもう値打ちないけど。
>>582 昭和の日プロ、馬場がインター王者で
WWWF王者のサンマルチノやNWA王者の
WWA王者mブラジル、キニスキー、ブルーザー、
エリックといったアメリカの大物がリングアウト含みながら
1−2で負けているが、本人も「こんな日本の
結果なんかアメリカには伝わらない」と
多寡を括ってたことだろうね。
そして、日本のファンは「アメリカの世界王者をも
倒している!」「本当に強い!」と錯覚を起こしたんだろうな(^^:
マサの戴冠は店仕舞間近のAWAが
貢献したレスラーに功労賞をプレゼントって感じだもんな。
>>581 WWFで大スターになったケン・シャムロックがその後PRIDEで
負け役をやる時、髪形やもみあげをまるっきりイメチェンした
同一人物と思えないような形に変えたのも、画像拡散の際の
イメージダウンを少しでも防ぎたかったんだろうね
それこそマサ斎藤なんか、海外動画を見てNWAの重要地点だった
フロリダや、WWFの東海海岸なんかでどれだけの地位にいたかとか
今さらながら分かって驚くものね
WWFでマーテル相手にタッグ王座を奪ったりアンドレ相手のタッグで
場内を怒涛の興奮に引き込んだりしているマサ斎藤を見ると、日本の
プロレスマスコミが語って見せていた「全米」って一体何だったんだ、
と思うものなあ
全日本も新日本も「まだまだ日本のファンには海外崇拝がある」
と見て、海外で王座を奪取あるいは奪還、という形を取りたがって
いたものだったけれど、地元からすれば特別試合がむりやり
ねじ込まれたみたいなもので「?」だったんだろうなあ
サム・マソニックなんかもうアメリカでは絶対やっていなかった
タイトルマッチ前の「認定宣言」なんかを日本のテレビ向けに
マット上でやって見せていたけど、現地のファンからすれば
失笑の対象だったとしか思えない
一方で、日本で預かったベルトを海外で返す際には「陰謀で王座を
奪われた」という報道の仕方でケムに巻くのも伝統だよね
「WWAは伏魔殿」とか、「サンマルチノに挑戦した馬場がニューヨーク
市条例で負けにされた」というのもこれになるのか
>>564にあるみたいに、日本で鶴田がAWAを獲ったのも(ヒールの
たわ言に見せかけてはいるけれど)「極東の僻地の陰謀」扱いに
していた部分もあったんだなあ (鶴田も現地ではヒールだし)
>>589 なんだったのかなあって、別に知ってる通りだが?
何が言いたいんだ?
>>564 しかし日本では引退直後の英雄だったテリーも、AWA圏では
「ブラックバーンの同郷人、ランザやマリガンの知人」
と言わないと立ち位置が伝わらないんだなあ
「鶴田や馬場の友人」という扱いでも現地のファンにはベビーか
ヒールかも理解できないんだから仕方ない。
日本で「プエルトリコではカルロス・コロンのパートナー」とか
「NYではサンマルチノの抗争相手」とか「フロリダでは最高の
人気者」という紹介をしても仕方ないのと同じようなもので、
NWA全盛時のテリトリー制っていうのはこういうものなんだな
地上波テレビでプロレスが全米で均等に大人気だった50年代と、
ケーブルTVの普及で再び全米が同じ番組を見られるようになった
80年代のあいだの30年間、
プロレスが全米レベルの人気はなくなって、テリトリーごとの
ローカルTVのコンテンツになり、隣の地域では何をやっているか
誰も知らないっていう「閉じた娯楽」になっていた時期
テリトリーごとにスターを作り、ヒールは半年単位でテリトリーを
行き来して顔ぶれを変え、プロモーターが連絡を取り合って
談合してギャラを調整しながらレスラーを供給し合うっていう
この時代に合わせたシステムの象徴がNWAで、それはやっぱり
時代とともに消えるものだったんだなあ
もうみんなが知ってることを長文書いて自己満足するのは
いいかげん止めてほしいな。
知らないことも多いよ。われわれ初老が同じことを繰り返し繰り返し言うのはご愛嬌だよw
ベルトを獲ったりリーグ戦を制して嬉しかったのは、
鶴田対ブロディ(鶴田インター初戴冠)
鶴田対ニック(AWA戦)
鶴田対レイス(UN奪還戦)
大仁田対チャボ(インターJr.初戴冠)
鶴田対スレーター(Cカーニバル)
圧倒的に鶴田絡みだよ。鶴田が完全フォールでブロディにインターを取り返した試合や、
天龍に負けた三冠戦も良かった。
大人になって後付けで知識つけてどうのこうのといのは抜きで記憶に残っている試合は鶴田が断然多い。
>>526 このAWA戦映像で初めて見た。突然に決まった?当時の日本の中継でも触れてなかったような。
週プロでもモノクロの写真一枚だったような。
しかしマーテルはマスクがいいだけで、技が無いね〜
鶴田もこんな小っちゃいのに挑戦して負けなきゃいけないわけでマーテルとやるの嫌だったろうな。。
長文が嫌なら読まなければ良い。
最初の3〜4行読めば、読む価値があるか
ないか分かる。
むしろ、
>>594みたいな短文は
ぱっと目に入って不愉快だ!
>>598 本当だ!この書き込みは読む価値がないとすぐ分かったw
>>593 だからさあ、何が言いたいんだ?
お前の中では、
「ローカルはダメ」
「時代とともに消え行くものはダメ」
っていうバカみたいな偏見があるわけだろ?
ローカルったって、アメリカは、日本みたいに東京一極集中なんた価値観ほないからな。
ローカルだからこそ、世界チャンピオンが各地をめぐるワールドワイドな活躍ができたわけだから素晴らしいことじゃないか。
時代が変われば、従来のシステムが淘汰されるのは当たり前だろ。大事なのは、その時代に天下を取ったかどうか。
お前の好きな猪木の異種格闘技路線も、今の時代では通用してないよ。
>>597 技なんて数が多ければ良いなんて、浅い価値観だなあ。
少ない技でトップ取れる→スゴいって思うけどなあ。
>>597 鶴田がマーテルとやるのを嫌と思うわけないじゃない。
オープンタッグの前と後でテリーの価値は段違いだ。
時間で変化が当然にあるなら
場所(テリトリー)でレスラーの価値と立ち位置が変わるのも当たり前
>>597 >>602 嫌だったかどうかは知らんが、鶴田はもちろん、
マーテルも実はあまり英語が達者じゃないらしいからね
コミュニケーション取りづらいという意味ではやりにくかったろうな
新人の頃からファンクスやレイス マードックらと互角以上の試合ができた
鶴田が、マーテルやケリー相手に劣ってるなんて誰も思ってない。
そう言う意味では、相手を光らせて惜敗するのは難しいことかもね。
特に鶴田は、攻め込まれた時や怒りの表情とかが下手だったからなw
マルチなイメージがある鶴田だけど、苦手なタイプってあったのかな?
>>605 キング・イヤウケアが苦手だったって記事を読んだ事がある>鶴田
逆に馬場はイヤウケアは試合がやりやすかったとか
輪島は小兵は得意だった。鷲羽山とか。
逆に巨漢の高見山を苦手にしていた。
>>590 猪木のWWFをバックランドからピン勝ちでとって
ピン負けしないですぐ返したのはまずかったな。
だから歴代王者からも消された。
鶴田が試合中に体をピクピクさせるのはアマリロ時代にテリーファンクが
「体をピクピクさせるとダメージが早く回復するからやってみろ」と指導したから。
鶴田も最初は半信半疑だったが「テリーさんがいうならそうなんだろうな」ということで
バックドロップを喰らったときに体をピクピクさせるようになった。
日本での体をピクピクさせている鶴田を見て
テリーもいまさら、あれは冗談だったと言えなくなってしまった。
メキシコのカルテルに脚を切断された後にピクピク身体動いてるのあるからな。
アレはリアルな描写やね。
>>599 ↑こういう書き込みが
最も不愉快だ。
消えろ。死ね。馬鹿
>>608 何故か高見山にはぶがわるかったんだよ。かたや北の湖は高見山をカモにしていた。
完全なスレチなんだが、輪島と北の湖はそういう対戦相手が何人かいた。
たしかに小兵力士には輪島は強かった。
輪島はブッチャーにも苦手だったなw
シンにはあんなボコボコにされなかったのにw
>>690 シン乱入→ボブがロープ利用したアトミックドロップでピン→無効裁定
→試合内容に不満で王座返上って流れだったか
ボブにベルト返さないといけないけどピン負けすんのやだと駄々こねて
わけのわからない裁定になったんだろう
>>615 北の湖が苦手にしていたのが朝汐(長岡)
理由が「あの顔見てるとムカついて冷静さを失うから」(本人談)
プロレスでも、同じような理由でたとえば馬場とか鶴田とかを
苦手にしていた選手とかいるんだろうか
ジャイアント馬場はキラー・トーア・カマタを苦手にしている。
PWF獲られてるからそういうイメージがあるのかな。
PWF獲られた試合は馬場のコンディションが腰痛で最悪だったらしいけど、
それでも試合になったのは相手がカマタだったからってどこかで読んだ覚えが。
そんな酷いコンディションの時でも馬場にとってカマタはやりやすい相手らしい。
>>612 コックスもブレアースも体をピクピクさせていたのは見た。
馬場は基本的にラフファイターが好き、というか手が合うのでランクが低い相手でもそこそこの試合になる。
78年はともかく、81年のPWF戦でカマタにフライングボディプレスを完璧に決められ、
セコンドのマーシャルボーグが余計な手を出して
馬場が反則勝ちで辛勝という、妙な試合があったな。
当日はシンが初参戦し、裏ではハンセンの引き抜きが
確定してた時期。
カマタを盛り上げる理由はなかったんだが
なんで馬場が
ラフファイターが都合良いかって
自分が動かなくても、受けてりゃ試合成立して
楽だし、客をのせやすいからに決まっとるがな
技やスピード、パワーの攻防で
相手と対比される心配無いからな
>>627 ほほぉ、なるへそ。
ハンセンとの初対決が年間最高試合賞を受賞したのはなぜ?
>>628 あれは年の割には頑張ったというお情けの評価だよ
日プロ時代の馬場と比べたら
ハンセン戦はお恥ずかしいレベル
>>628 ハンセン、ラフやん
ゆっくりロックアップからグラウンド
ロープワークで徐々に大技ってタイプちゃう
特に昔は
馬場はお得意の十六文、三十二文
カウンター系の技が最大限に生き
馬場の上手さは相手の勢いを貰って
映える事だと自分は思う
だから遠慮する日本人とは合わない気がする
馬場とドリーのシングルってオープン選手権が最後?やりづらい相手だったのかな?
デストロイヤーマスクの男(正体はクリーニング屋の店員)が夜道を一人歩きする女を頭突きで失神させ、
つばを吐きかけて逃走。
失神している女を真犯人がレイプ。
>>629 年の割に頑張ったという割には
ハンセンの方も猪木戦より動きが良く感じたな
>>633 そりゃ猪木との体格差なら、まともにぶち当たったら
カウンター仕掛ける間もなくふっとんじゃうからな
ケガさせるわけにはいかないから、意識してか
無意識かはともかく、ハンセンもセーブするだろう
>>622 ウルトラマンがゼットンに負けた、ってことがずっと語られ続けているのと似てる。
その後、ゼットンがなんかちっちゃいミサイルみたいなので退治されたのは
カマタがロビンソンにさくっと負けたのに似てる、かな。
>>629 全日蔵前最終試合を締めくくったハンセン対馬場のPWF戦での実況で
「馬場のがんばり涙でます!」とか試合後に「おめでとう!ジャイアント馬場!
これからもより長く現役続けてほしい!」と浪花節だった。
これは倉持アナの持ち味だけど・・・
ハンセン戦は馬場最後の日になるんじゃないかって言われてたからな
それが「奇跡の蘇り」と言われた好試合を見せた
さっさと試合を実現させたのも良かった
「馬場、危うし!立てないか!立った!返した!
馬場返しました!馬場、返しました!頑張る!
涙がでます!馬場の頑張り!馬場の頑張り!
ほ〜んとうに涙がでます!
よ〜くがんばる!必死でがんばる!
馬場、頑張ります!馬場、頑張ります!
スタンハンセンを破る男!それはジャイアント馬場しかいません!
スモールパッケージ!ホールド!どうだ!タイトル!奪還!」
>>636 あ。やっぱりそうだよね…。
>>638 それは冗談、あるいは新日ファンの
ストロングスタイルで外人エースだったハンセンがマジにやったら
ヤオ馬場なんか死んじまうだろ、いやいやハンセンはともかく引き抜いた馬場許せん〜
みたいな心情からの願望でしょ。
まじめにとった人はいない、はず。
あるいは自虐傾向のある全日ファンの、下手すりゃ〜だな。
>>640 いまさら全日新日、馬場猪木論争は勘弁ww
倉持実況もマンガだったけど、田鶴浜爺の解説をもう一度聞きたいなぁw
>>639 その試合鶴田と天龍も奥から見てて、馬場の過去の栄光も何もかも吹き飛ばされて潰されるような試合になるんじゃないと思ってたそうだ。
実際そのような流れで進んで、もう終わりかと思った瞬間のスモールパッケージホールドで思わず驚いた二人が声あげて顔を見合わせたといういい話。
鶴田は馬場さんには勝てないと何度も何度も繰り返して言ってたそうだ。
一時期学生プロレスでも田鶴浜ふう実況が流行っていて
「こりゃあ〜プロレスの城を超えてますなあ〜」
「それはプロレスの域じゃないんですか?」
といった掛け合いをやっていたなw
>>644 田鶴浜は博識だから、そんなバカみたいな間違いはしない。
「こりゃ〜まさに海軍対空軍!ネイビー対…
…
…
ネイビーだなこりゃあ〜」
フミ斎藤とかの本などで、日本プロレス創世記の頃の若く颯爽とした
パイオニア・田鶴浜さんの姿を振り返ると色々味わい深い
田鶴浜さんは明治38年生まれで、初めて見たレスラーが大正元年に芝浦に来ていた
スタニスラウス・ズビスコの実弟、ウラディック・ズビスコだって言うから驚きw
八田一朗等と日本初のアマレス協会を設立し欧米各国PRの旅に派遣され
その時、MSGの大ボス トーツ・モントの紹介で本場のプロレスも存分に観てまわった。
戦後はNTV正力松太郎の依頼でプロレスTV初代解説者となり、
日本初のプロレス専門雑誌として『ファイト社』創設
ライターとしてもパイオニアで、田鶴浜さんにプロレスの魅力を説いた人物が
アド・サンテル(テーズにバックドロップを指導した)と闘った柔道家 庄司彦男なる人物
山田櫻井など及びもしないキャリアの持ち主なんだって
調べたら、あのお爺ちゃんトンデモナイ人だった。
「レスリングだと62対57で、馬場が上田を上回る」とか田鶴浜が言っていたことあったよね?
「生でMSGの試合を見た」って言ってもサンマルチノとかバックランドとかの
話じゃないんだものなあ
1937年、まだバディ・ロジャースもアントニオ・ロッカもデビューしていない頃
(日中戦争勃発の頃だよw)ジム・ロンドスやレイ・スチールが王者の頃
テーズもまだいないし、NWAだってまだアライアンスなんか影も形もない
こないだ単行本にもまとまっていたカミノゲの対談に出ていたけど、高校生の
保永昇男が学校の柔道部で木村政彦の指導を受けていたという話には驚いた
ものだけど、田鶴浜さんはアド・サンテルとやった庄司彦男(靖国神社の異種
格闘技戦が行われたのは1921年・大正10年!)に話を聞いてるんだからなあ
力道山とシャープ兄弟の解説やっていた人がフレアーやスティムボートの
ライブ解説やってたんだから、戦前戦後の人たちは凄いと思うわホント
日プロ時代はどうだったか知らんが、全日では
タザハマさんは馬場を君付けで呼べる唯一の解説者だったな
山田さんも竹内さんも馬場選手だったし。
一番印象に残っているのは「ありゃ反則ですよ」だけど
今まで面白おかしく、ちょっとズレたお爺ちゃん扱いしていたけど、
田鶴浜さんこそ『プロレス殿堂』に相応しいw
田鶴浜はゆでたまごにキン肉マンで
面白く描かれたからなあ。
田鶴浜さんスターウォーズも好きだったな。
実際に映画見ているかわからんけどw
>>648 ファイトはプロレス専門じゃないよ
ボディビル、ボクシング、アマレス、柔道等色々載ってた
プロレスが6割くらいは占めてたけどな
>>650 レイ・スチールとテーズは王者になった時期そんな変わらんぞ
https://www.wrestling-titles.com/us/oh/mwa/oh-mwa-h.html >>655 セントルイスのテーズがマソニックと出逢ったのが1937年の1月で、これを機に名を上げたテーズは
12月にセントルイス版世界王者になり、NWA(アソシエーション)王者になったのが1939年で
約1年後に同王座に就いたスチールとほぼ同時代ですね
ただスチールは1931年6年にはヤンキースタジアムでロンドスとタイトルマッチをやったりで
東海岸で顔になっていた
MSGは田鶴浜さんも観戦した1937年にプロレス興行を停止(再開は戦後の1949年)しているので
田鶴浜さんの戦前東海岸観戦ツアーでは、テーズよりスチールの方が馴染みがあったのじゃ
ないかと想像して書きなぐりました、失礼
>>626 ただ試合後に馬場が一人でカマタとマーシャルボークをのしてたから辛勝って印象は消えてた。
インタータッグを前に鶴田も飛び込んで乱闘、にすらならなかった。
ブッチャーの大きな穴を埋めるために新日からシンを即座に引き抜き、前のシリーズでスヌーカの売り出しに成功し、
このシリーズではマーシャルボーク(こっちは売り出し失敗)。
夏にジプシー・ジョー獲得。そのうえシーク、カマタも健在という盤石な形にして駒を豊富に揃えておきたかったのかな。
田鶴浜は馬場と上田で62対57で馬場有利の他にもハンセンと馬場で〇対8でハンセン有利とかもいうのも有ったな。
〇を忘れたが10か12だと思った。何故か倉持は馬場の勝利は8パーセントしかないと間違った解釈をしていたが。
田鶴浜さんといえば「ネイビーですね。アーミーじゃない」。ミラクルパワーコンビ対マスカラス兄弟のときの解説。
>>626 >>657 このシリーズ、カマタはPWFとインタータッグの挑戦者、スレーターはUNとインタータッグの挑戦者、
ロビンソンだけはインタータッグのみの挑戦者という、過去から考えるとあまりに落差ある扱いだった。
スレーターが帰国してしまい、天龍を抜擢した最終戦のイメージが強くてみんな忘れているが。
オープンタッグのファンクスvsホフマン&ロビンソンの解説聞くと、
田鶴浜さん、ああいう試合が好みなんだなってよく分かる。
後年、フリーバーズvs鶴田&カブキ戦で毒霧がフィニッシュ?になったことに対して
呆れたような感じで解説してたのが凄く印象に残ってる。
場外乱闘になると田鶴浜さん何故かいつも
「こりゃ没収試合になりそうですなあ」
でも実際はリングアウトなんだけど
>>653 アニメでは、中野さんと過激なアナウンサーがレギュラーになったからね。
でも、タザハマさんは実況が消えた七人の悪魔超人編の後半も実は実況していたってキン肉マンの謎本に書いてあった。
>>660 何を言いたかったんだろう。16門チョップの方がわかる
田鶴浜さん亡くなった時は解説降りて既に数年経ってたけど
全日本プロレス中継の中で訃報を伝え在りし日の映像も流してくれた
>>657 ただこの試合は会場で見てたんだが、カマタの
フライングボディプレスの決まり具合が尋常じゃなかったのね。
隣の客のおじさんは決まった瞬間「負けたー!」と絶叫してた。ちょっと事故的な側面もあって、マーシャルボーグが乱入で馬場を助けたようにも見えたよ。
まあそれも含めて馬場の演出なのかもしれんが。
>>667 遠藤幸吉ばりのトンデモ解説の印象が強いけど
ボディビル界において大変に功績のある人物だったらしい。
後年のファイトとは違う雑誌を発行していて「プロレスを応援している」と力道山が
感謝して後援金を出していたと証言していた。
馬場や小鉄みたいなプロレスラーでなく、桜井や山田みたいなサラリーマンでもない貴重な解説者だったな。
>>657 カマタ上げはシンのパートナーにするつもりだったんじゃないかな。まだ上田が参加する、できるかどうかわからなかったからとか。
>>657 カマタとマーシャルボールが挑戦したインタタッグ戦、
へっぽこチームでも「王弱組危うし」とか煽るもんだけど、
入場のシーンから「今日はよほどのことがない限り防衛は確実でしょう」
とか実況してたな。
それまでの試合がよっぽどしょっぱかったんだろうな。
実際当日の試合もマーシャルボーグはとんでもなくしょっぱかったけど。
>>671 82年サマーアクションシリーズ富山大会でシン、カマタ組がインタータッグに挑戦したことあるね。
満員でスッキリフォール勝ち防衛したことでデラックスプロレスで褒めまくっていたのが印象深い。
この前のエキサイトシリーズにもシンは参加していたが上田は呼ばれていなくて2シリーズとも強硬参加した。
インタータッグ挑戦は最初からシン、カマタ組で発表しており変更はなかった。
2シリーズもシンだけ呼んで上田は干すって、馬場は本当に上田が嫌いだったのだろうな。
>>673 >2シリーズもシンだけ呼んで上田は干すって、馬場は本当に上田が嫌いだったのだろうな
日プロ崩壊から全日離脱までの経緯考えたら当たり前だけどね。
本心では二度と全日に上げたくなかったけど、シンに頼まれて仕方なく上げたんだろうな。
実際シンのベストパートナーって上田だったし
伝説のシーク負傷→カマタ登板じゃないけれど、この種の「追放」って、
実はスケジュールや契約の問題であることが多いから、素直にプロレスを
見ていた子供の時みたいには受け取れないよなあ
結局1983年になって、鶴見が海外遠征する都合に引きずられたように
突然馬場と上田の遺恨試合が実現、倉持アナが「永久追放」という単語を
連呼する中、まるで猪木との釘板マッチを突然意識したみたいな腕折り
制裁で馬場が勝つけれど、まるで「これでみそぎは済ませた」、みたいに
上田・シン組は堂々と全日で幅を利かせ、四か月後には追放どころか
馬場・鶴田組を破ってインタータッグ王者になってしまう
(上田は日プロ時代以来、10年ぶりのインタータッグ王座返り咲き)
ちなみに馬場の腕折り制裁マッチの時の田鶴浜さん、「そういえば試合前、
馬場くんが腕か足を折ると言ってましたが、ホントだったんですなこりゃ〜」と
試合が終わった頃になって笑って解説してくれたそうですが、そういうことは
もう少し早くお茶の間にw
天龍とヘイズのUN戦のときの田鶴浜さん。
ヘイズにはこれという決め技が無いとダメ出し。
倉持アナが天龍も決め技が定まっていないのではと言ったら、
「いや、敢えて多彩だと思いたいですな」
と掌返しw
若林アナは、田鶴浜さんの解説を妙に嫌ってた気がしたんだけど
どうなんだろうね?
倉持アナも田鶴浜さんの話が長くなりそうだと、
遮ってまで「リングサイドの松永さーん」だもんね
田鶴浜さんは自分が発した言葉が気に入ると、何度も繰り返す癖があるw
>>677 若林は嫌ってない。
倉持があからさまにイラついてた。
>>672 開幕で極道コンビを喉への蹴りで倒したときは、子供心に恐ろしかったけどなあ。
田鶴浜さんだっけ?「ガンバリズム」とか言ってたの。
>>675 実際アングルで不穏試合で何でもないんだよな?
>>574 関係者もネットプロレス関係に無関心になったのは
ネットの書き込みに一喜一憂してるような輩は
知情意が確実に退化していくのが分かったからな
そいつらの文面読んでみれば一目瞭然
>>682 でも喧嘩別れした後、シンは全日残れたけど
上田はあっさり切られなかったっけ?
最強タッグのシンのパートナーが、マイク・ショーとかいう
マーシャルボーグなみにショボい選手に代わってたし
89年にはブッチャーと組んで、90年には猪木とのコンビも実現。上田とのタッグも復活させたり、息子連れてきたり、平成になってからもシンは意欲的だったな。
>>682
いろいろ言われていますね
表向きのストーリーは
83年2月、上田馬之助とまだ若手だった天龍との抗争が激化
↓
ランバージャックデスマッチでの結着戦が行われる
↓
しかし上田のセコンド・鶴見五郎が凶器のスパナを渡すなどして天龍を大流血に
↓
鶴見に対して「PWF本部から」「半年間の出場停止(国外追放)」が命じられる
↓
天龍ら「セコンドの鶴見を処分しておいて当の上田は放置では示しがつかない」
↓
その頃馬場はシリーズ全戦欠場を発表、北米〜ハワイをサーキット中
↓
上田が「最終戦まで帰ってこなかったらシンと共にシリーズをボイコットする」と脅迫
怒り心頭の馬場はやむなく急遽帰国し、「PWFから上田に対する処分はなかった。
こうなったらオレが上田の片腕でもへし折って制裁し、永久追放するしかない」と断言
…というものでしたが… しかし実際のところ、噂されているのは
・鶴見が当初の契約切れに合わせて海外遠征を予定してしまっていたために
日本を離れ、上田のパートナー役をいったん解消せざるを得なくなっていた
・馬場が全休した「83エキサイト シリーズ」は、「グレートカブキ凱旋シリーズ」で、
当然不人気と思っていたこの馬場抜きシリーズが、しかし大人気で旗揚げ以来
初の黒字シリーズとなってしまい、社長の座を追われていた馬場は日テレに
「馬場がいなくても問題ナシ!」とされる事に慌てて、存在感を示せる大一番を
見せなければいけない、と突貫工事で上田戦を設定した
・上田は当時さまざまな媒体で発言していたが、新日の新間氏や元子夫人に対して
「プロレスラーじゃないくせに出しゃばり過ぎな奴らがいる」
「全日は女にサイフの紐を握られている情けない団体」
といった発言を繰り返していて、元子夫人が上田の「公開処刑」を命令し、馬場が従った
といったもので、実際81年に社長の座を追われた馬場はこの7月にインタータッグを陥落、
8月に奪還するものの9月にはハンセンにフォール負けしてPWFから陥落、年末の最強
タッグでも勝てず、翌年4月には欠場に追い込まれて連続試合出場記録もストップ、と
窓際に追いやられるムード濃厚で、この間に日テレにプッシュされた鶴田は8月に蔵前で
インター王座を獲得、翌年2月にはAWAを獲得、最強タッグは馬場とのコンビを解消して
天龍と組むなど、着々と進む世代交代路線にガッツリ乗っていました
この流れの中で、同世代の上田に一肌脱いでもらってなんとか日テレ路線と別の隙間で
存在感を見せようと馬場が奮闘していたというのはあり得る話のような気がします
なお、上田は猪木との釘板デスマッチでも腕を痛めつけられて敗退という結末を演じて
いましたが、もともと道場でのスパーリングに定評があり、得意の決め技は「腕がらみ」
だった上田からすれば、「自分が負けるなら腕をやられる負けがいい」と望んでいた
結果だったのかもしれないとすら思います
>>687 後半のタイトル戦線の話は上田戦以降のことじゃん
>>684 上田は長州の去就に振り回された感じ。後門馬が言うにはマネージャーの人も筋の良くない
人で手を切るようにアドバイスされていたそうだが、金を騙し取られたとか。
>>687 昭雄が言うには5年以上赤字が続いていたのが黒字になったそうでカブキ参加が要因
になった面は否定しないけど旗揚げ以来初めて黒字になったという話の信憑性は誰か
が吹いているだけかも。
>>687 上田はラッシャー木村にも腕を折られてるから、三団体のエース全員にやられてることになるな。
>>686 ランバージャックデスマッチが3月1日で猪木vs上田が3月3日
中1日でストーリー詰め込みすぎだろ
>>691 テリーがブッチャーにフォークで刺されて血まみれになったのを、純粋なファンは
「ブッチャーの好む攻め方」
だと思っていましたが、本当は
「テリーの好む攻められ方」
だったのが頭に残りますが、レスラーって「やられ方」の傾向に好みが出るのかもしれませんね
ラッシャーが他の外人勢に腕折りを仕掛けたってあまり印象にないですし
(ラッシングパワーが売りの木村が、実は裏4の字などねちっこいグラウンドが好きなのも
観客としてはいろいろ反応に困るところなのですが)
ミスターX本で馬場上田戦を
私生活でトラブルを起こした上田を馬場がガチ制裁した、と紹介していた
今みたいに動画で確認出来る時代じゃなかったから信じた人もいるだろうな
>>668 ハンセンが移籍初参戦した翌年の新春ジャイアントシリーズ、
ハンセン登場までは実質カマタがエース格みたいなもんだから、
馬場の脳裏にそのPWF戦の印象もあったのかな。
>>691 国際でIWA王者になった経験あってそこそこ格も高いから
簡単にピン負けさせられないし、かといってフィニッシュが
あのショボいクロスチョップでは勝ちに説得力ないし
上田ってシングルで使いにくいタイプだから
パートナーがいないとマッチメークに苦労するよね
フェードアウトするのも道理かと
>>690 外人勢がショボいし、馬場のギャラも
ないとしたら普段より経費はかかっていない
かも知れないけど、愛知県体は半分強の入り
だし、他に大会場もなし、東北と中部中心の
サーキットだったので、全日本創立以来
唯一黒字というのはふかしすぎだと思います。
>>697 土曜トップスペシャルの放映料が寄与しての黒字じゃないのかね。
鶴田が仲野の攻めにマジギレした試合はいつどこでしたっけ?
毎年2月から3月に行われるシリーズで、じゃなかったっけ?
>>687 馬場はシリーズ全休と事前に言われていたのに最終戦で上田戦が組まれたのは唐突感が
かなりあった。実況の倉持アナは上田の挑発を受けてと熱心に煽っていた。
上田は一般週刊誌に「女帝に支配される全日本プロレス!」と真実を言ってしまったw
プロレスマスコミ関係者以外は元子夫人は単なる「馬場の奥さん」としか認識していない
時代だった・・・
トーク番組やレコードの宣伝も兼ねて「俺たちひょうきん族」にまで出演し「男は馬之助」と
言う本まで出版して「上田ブーム」が訪れて調子に乗ってしまったのかな?w
ただ話すと朴訥な感じして若松と同じで人柄の良さが伝わってくる・・・
>>698 全日の夕方へに時間帯移行後に全員集合に全日中継より全く歯が立たないこの特番枠
で取った数回の高視聴率がのちにゴールデン復帰につながった。
>>690 旗揚げ以来最高の観客動員となったのは初対決の馬場・大木戦。
新日との興業合戦で初めて勝利したのは日大講堂・師弟コンビvs.韓国コンビ、
人間風車vs.呪術師を並べた試合だけど新日の蔵前は二度目のルスカ戦で敵の新鮮味の
無いカードにも助けられた。
上田がお人好しの良識人ってのはちょっと違う
日本に復帰する時に三団体で唯一受け入れてくれた国際をあっさりと裏切る移籍をしているからな
新日が比較にならない良い条件を出したんだろうけどね
>>694 あれ、今見ると完全に普通のプロレスだよな。
日テレの土曜トップスペシャルは裏番組がTBSが全員集合でフジが欽ドンだったりひょうきん族だったり
ナイターシーズンになると後楽園球場からの巨人戦でレギュラー番組を組んでも雨傘番組扱いで
大手芸能プロダクションも看板芸能人の出演を出し渋り特番枠になった。
>>702 門馬は上田はお人よしだが優柔不断な人だと言っていて、馬場が上田を嫌うのは松岡と
仲良かったのが理由ではと推測していた(馬場は松岡が嫌いだった見たい)
>>703 ガチな試合ではなかったけど、馬場の体重を
かけた腕折りは、かなりエグかった。
きつい攻めやったのは確か。
>>742 ジャストの本、おそらく編集担当と二人三脚で推敲に推敲を重ねて原稿あげたから読みやすいんだろう
難解なレトリックとかはないし、文章の前後関係にも注意して極力、語彙表現がダブらないようにしてる
あれ一人で完全原稿あげたのなら大したもんだが
若いうちに有能な編集担当に巡りあうと推敲力が鍛えられる鑑賞に耐え得る長文も書けるようになるからな
今、ちゃんと論旨構成から何から考慮したうえでフィニッシュの推敲力を鍛えられれば
ゆくゆく吉田みたいに他ジャンルに進出して成功するの可能だからな
>>705 >馬場は松岡が嫌いだった見たい
松岡が好きだったのって誰?
リアルタイマーじゃないからネットで見ただけだが、
悪評ばかりで先輩にも後輩にも好かれてそうにないし、
小鹿やカブキあたりも松岡の消息については一切語ってないよね
>>706 同じ腕を攻める/極めるにしても猪木のアームブレイカーと違う
やり方だったのはなかなか味わい深い。
でも当時はバカだったせいで「腕が折れる」っていうのは
骨がポキリと千切れてしまうことだ思っていたので
どこが折れてるの、痛そうにしてるだけか? と謎だった。
>>706 最初の一撃に関してはかなりエグいよね。
その後は普通のプロレス技。
アキレス腱固めの攻防とかチラチラと
分かる人にだけ普通の試合とは少し
違うのを見せつける感じだね。
>>707 >>7 の742だろw
奴も松井ナンタラに質問絡みとか止めたみたいだし、頑張って欲しいな
奴は5ちゃんやTwitterで糞垢作ってなりすましや自演して団体推しに血道をあげるような奇妙な承認欲求はないみたいだし
そういう奇特な性癖を持って生まれたネットプヲタなんかとは確実に格差はついたな
ネットでヲチしていけば、これからますますその格差が拡大していくのがリアルタイムで確認できるわなw
>>706 >>710 あの試合、レフェリーが試合を止めるまでに馬場は
6,7発アームブリーカーを繰り出しているが、あの試合の動画を見た
柔道経験者(整体の基礎知識あり)の友人によると、そのうち
馬場が横から馬乗りになって上田の腕をねじり上げて極めた一発は
明らかにガチ、あの状態で極めてように見せかけで
実は痛くない状態にもっていくのは人間の体の構造上
まず不可能とのこどだった。
ほんとに見た目だけだったとしたら、それはそれですごい高度な技術だけど。
>>698 おそらく外人ギャラを全日が全部負担した場合の黒字では?
節税のために赤字にするのは常識だよな?
>>701 立ち読みしただけだから間違えてたら申し訳ないが、
その「男は馬之助」発売前後に、カブキと上田が対談
している記事があって、女帝云々・・・
上田はヒールだからいいけどカブキは大丈夫なのかと
心配になった事を思い出した。
>>712 いや、プロレス技で痛くない技なんてないよ。ガチじゃなくてもかけられた方は我慢してる。
勘違いされやすいが、技にはいるまでの動きや流れがガチだと?になるのであり、決して技がイカサマという訳じゃない。
昭和の全日本と言えば、伸び悩む視聴率と不入りの会場が一番印象的。
>>715 カーンが自身のフィニッシュホールドであるダブルニードロップを
「相手に全くダメージを与えない技」だとして自慢してたぞ。
>>709 膝が当たる前に、衝撃を逃してやるんだよなあ
水ダウでライガーが整体の合間にロメロスペシャルかけてたの思い出した
とはいえ140sのカーンが乗っかってくることには違いないのでダメージゼロは言い過ぎ。ダメージ与えないフィニッシュは藤波の逆さ押さえ込み。見ている側に「がっかり」というダメージは与えるけど。
>>720 > とはいえ140sのカーンが乗っかってくることには違いないのでダメージゼロは言い過ぎ。ダメージ与えないフィニッシュは藤波の逆さ押さえ込み。
乗っかっているように見えてるだけということだろ。
それに逆さ抑え込みは元々ダメージを与える技じゃないから当たり前だ。的外れにもほどがあるw
>>717 足裏から着地するからなあ。
レッグドロップの膝裏と同じトリック。
>>717 避けられると正座状態になるから自分が痛そうだった。
>>721 だから今イチ迫力がないんだよね。
ある程度体重を乗せないと、必殺の説得力が出ない。
ブロディのニードロップも
写真映えはするけど
全然痛そうには見えなかったw
>>725 ブロディが大ブレイクしなかった理由はそこにある。
ハンセンのラリアットは見た目で痛いとわかる。
ブロディ式のパイルドライバーはメチャ痛そうだから
こっちを必殺技にした方が良かったかもな
ブロディ式のパイルドライバーはメチャ痛そうだから
こっちを必殺技にした方が良かったかもな
ブロディ式のパイルドライバーはメチャ痛そうだから
こっちを必殺技にした方が良かったかもな
>>731 全体重が乗っかってくるとは言ってないし、ダメージ与えているようで軽減させるのはプロレスでは必要な技術。「全く」は言い過ぎでしょ?って話。マジメかよwwあと、後半の件はネタなので否定されても困るんですよ。マジメかよ(2回目)www
ブロディ式のパイルドライバーはメチャ痛そうだから
こっちを必殺技にした方が良かったかもな
>>724 カーンはうまいけど力強さに欠けるんだよなあ
迫力不足なのは、サイズのわりに身体能力が
イマイチなのも原因なのでは?
ファイト井上譲二「昭和プロレス版悪魔の辞典」
「スティッフ」の項より
攻める時、対戦相手に強い痛みを与えないように攻撃するのが
プロレスラーの技術。それができないレスラーは、海外だと
「スティッフ」、日本だと「硬い」と見下げられ、仲間から
敬遠され、無名のまま終わることが多い。 (略)
痛そうでも全く痛くしない技術を持つレスラーは仲間から
歓迎され、問題なく技を出し受けてもらえるのだが、私が
考えるにその手の技で一番凄いのがキラー・カーンの
ダブルニードロップではなかろうか。
135キロもある大男がコーナーポスト最上段から正座のような
態勢で落ちてくるカーンのフィニッシュホールドは、スリー
カウントを奪うのに説得力抜群の大技である。
技を受けた全レスラーが声をそろえて「全く痛くない」と言う。
これぞプロ。
どうりでカーンはアメリカでも仕事が絶えなかったはずだ。
>>715 >>717 技に入るまでがガチだと不自然でありえない系の技と
インパクトの瞬間に力を抜いたり他の場所に力を掛けることで
瞬間的に「形だけ」厳しく行ってるように見せる技とあるからね
あと「瞬間」を切り取った画像とかだと
人間(動物)の身体って普通想像するより
意外と変な方に曲ってたり伸びてたりすることもあったりする
野球の投手が投げる一瞬を切り取った写真だと
明らかに腕が後ろにしなっているけど
静止状態からゆっくり腕伸ばしてもあんな風にはしならないと同じ
なので馬場vs上田戦で「あの一発はガチ」とかいうのもまぁ勘違い
もしそう見えたなら馬場と上田がそれだけプロレス的な意味で“巧かった”だけだよ
そもそも馬場にとって事前に勝利が約束された「制裁マッチ」で
本気の一発を入れて万一にも本当に喧嘩マッチになるリスクわざわざ犯す意味がないし
上田にとっても「腕折りによる完全制裁負け」を受け入れてる時点で
それ以上の(身体的)ダメージを本当に受ける謂われもない
ありゃ東体のハンセン戦の“馬場復活!”同様で
“キラー馬場”を演じることによる「自分はまだ健在」
「自分だってここって時は“キラー猪木”になれる
(隠してるだけでシリアスなシューターでもある)んだ」っていう
アピールのための演出だよ
だいたい本当に「制裁」する気ならそもそもリングに上げないだけでしょ
古今東西レスラーにとって一番厳しい制裁は「上がるリングが無い」ことなんだからw
>>734 >馬場vs上田戦で「あの一発はガチ」とかいうのもまぁ勘違い
>もしそう見えたなら馬場と上田がそれだけプロレス的な意味で“巧かった”だけだよ
まあそういうプロレス村のロジックはもういいから、
整体の知識がある人間にも「ガチに見えた」というアームブリーカーを
どうやって痛くないように極めたのかを技術的に解説してほしいんだが
>>704 土曜トップスペシャルの裏が欽ドンだったことはない
>>734 少なくとも試合終了後の上田及び全日の
セコンドの様子はアクシデントで負傷が
発生してバタバタ右往左往している感はないね。
上田本人は手をブラブラさせて負傷のアピールをしている。
そのちょっと前にビクター・リベラがドロップ
キックの着地に失敗して腕を負傷した際、
セコンド全員が滑稽なくらい大騒ぎになって
リベラの腕を引っ張る応急処置をしていたのとは大違いだった。
>>735 柔道経験のある整体の人間が言ったことだからって
なんの疑いも無くどうしてそこまで真実と思い込めるのかがが逆に不思議
その昔殆どのレスラーはプロレスは真剣勝負であるって言ってたんだよ
親父のゲンコツはまぎれもなくガチだったが
絶対にケガをするようなゲンコツはしなかった。
プロレスもそれと同じ。
>>737 > 少なくとも試合終了後の上田及び全日の
> セコンドの様子はアクシデントで負傷が
> 発生してバタバタ右往左往している感はないね。
馬場が上田を制裁したということだから
全日のセコンド陣が右往左往してないのは何の問題もない。
むしろ「ざまあみろ。」くらいの態度をとってもいい。
上田に鶴見五郎あたりがセコンドに付いてたら
慌てるふりぐらいはしてただろう。
馬場と山本小鉄の認識差
小佐野 馬場さんは「ケガする奴は二流、ケガさせる奴は三流だ」と言ってたよ。永田裕志に聞いたときは「山本小鉄さんはケガをする奴がダメなんだ」と。
――ケガの捉え方も新日本と全日本の違いはある。
小佐野 馬場さんはアメリカでビジネスとしてのプロレスを学んできたから、ケガをさせたら相手の生活が壊れちゃうことの重大さがわかってる。
>>722 > 足裏から着地するからなあ。
ダブルニードロップだから足裏から着地なんかできないよ。
まあダブルニードロップと言いつつ当ててるのは片膝なんだけどな。
>>741 マサ斎藤も
「プロにとっては自分がケガすることも相手にケガさせることも恥」と言っている
>>730 草生やして煽ってるくせにレス番間違えると言う致命的なミスwww
カーンの技は効いてるように見えたけどな、効果音を出すのが上手な感じ。
モンゴリアンチョップとか、とりわけ新日では迫力あるように見えた。
藤波の技とか説得力がなかったからな。
ダウンロード&関連動画>>@YouTube >>738 ごく普通に考えて、2メートルの人間に
体重乗っけられて腕落としされて痛くないはずもないw
馬場の体格はガチだからなw
どんなに手加減されたって痛いよ。
ちなみに俺も柔道やってたけど、高校では
「体重乗せて投げる」のは危険ということで
反則になってたよ、
>>709 俺も同じだよ。「折れる」ってポッキリ折れることだと思っていた。
だから、サンマルチノの首がハンセンに折られたと聞いて、それでよく死ななかったなと驚いたが、
逆にそれだからプロレスラーは凄いんだなと納得したりもした。
>>726 ブロディがブレイクしてないとか、お前アホやろ。
何回論破されてもゾンビのように沸いてくるな、お前。
ブレイクしてないとは言わないが
ブロディはデストロイヤー、ブッチャー、シン、ファンクス、マスカラス
アンドレ、ハンセン、ホーガンよりは確実に一枚落ちる
>>751 プロレス黄金期にゴールデンタイムで放送されたかどうかの違いだな。
ブロディの場合はタイミングが悪かった。
>>747 > ごく普通に考えて、2メートルの人間に
> 体重乗っけられて腕落としされて痛くないはずもないw
> 馬場の体格はガチだからなw
> どんなに手加減されたって痛いよ。
あなたはちゃんとわかってるじゃん
たとえ小さな子供が払った手だって
油断してる時に眼や鼻先に当たったら痛い
それと同じでどんなに力を抜いてたって
技の形をとって実際に当てたり投げたり締めたりする以上はある程度は痛い
人間に触覚と神経がある以上はゼロってことはないから
でもそれは本当にガチでそれをやった場合の痛みに比べれば
小さな痛みであり(ミスをしない限り)怪我をしたりしない程度のもので
そのように互いに了解のうえで加減してやってるってこと
「痛くない」んじゃなくて「ガチじゃない」って言ってるのよ
そのうえで「ガチ」ならそもそも加減なんてありえないだろ
まして「一発目だけはガチで」なんて尚更あり得ない
もし一発目をガチでやって相手がまだ立ち上がってくるなら
二発目もそれでも立ってくるなら三発目もガチでやんなきゃおかしいでしょって話
>>753 私は馬場上田はガチの試合じやないよって、言ってるんだけどさw
ちょっと関連する話だが。
こないだ藤田が永島勝治の番組に出て
「潮崎のチョップが痛くて痛くて耐えられない」って言ってたぜ。
「総合やってる藤田さんでも痛いんですか?」と金沢が突っ込んだから、「痛いってそら。これに耐えるプロレスラーって凄いと思いました」と言ってw
格闘技の試合は、一撃によって相手の動きを止める痛みだわな。
プロレスの場合は、技を受けなければなかならないのとに対する痛み。
質は違うけど、別に後者が痛くないわけではない。わざと受ける4の字でも痛いわw
>>754 プロレスの場合は、技を受けなければ
ならないことに対する痛み。
訂正
>>715 ブラッシーのへっどろっくも全く痛くないらしい。というか、流血以外で顔や身体に傷出来ないし、殆どは痛くないでしょ。
相手にケガをさせるような技を出したらフォールもギブアップも認めないで
レフリーが注意を与えればいいだけだし
相手の技を受けなければレフリーが注意を与えればいいだけであって
レフリーがきちんと試合をコントロールしていれば試合は成立する。
>>751 ビッグレスラーの人気投票で、毎週ハンセン、ホーガンと肩を並べてたのに?
ゴングの年一回の人気投票で一位だったのに?
>>756 近くで見たら、細かいキズたくさんあるぞ。
>>757 相手を怪我させるような技が出たら
ブック変更しても試合終わらせるのもレフリーの仕事。
鶴田の危険なパワーボム→天龍にピン勝ち。
>>760 > 鶴田の危険なパワーボム→天龍にピン勝ち。
レフリーが決めたとは限らないだろ。
>>758 プロレスを常に見てる層限定の人気と
一般層にも知られている人気とでは
雲泥の差がある
>>761 京平ちゃん俺もうダメだ
と天龍が呟いたから止めたんだよ
>>763 止めなくたって動けなくなったらフォールすればいいだけだからなあ。
レフェリーストップじゃなくてフォール負けなんだから
和田が止めたんじゃなくて三人で終わりにするのを決めたというのが正解だろ。
>>762 金曜ゴールデンの新日と
土曜夕方の全日の差であって
ブロディ本人の責任は小さい。
天龍は故意にやられたと信じてるが
鶴田が「しまった!」と表情したように見えるんだよなあ
ブロディエースのシリーズは集客力が・・・と何回か見たことあるな。
実際どうかはわからないが、79初来日と80年の2回目来日は最強タッグの
次の新春Gシリーズで元々あまり客の入らないシリーズだし
イメージで実態以上にいわれている部分もあるんでは。
>>762 一般層の人気なんか関係ないだろ。
何言ってるんだ?
>>765 ブロディがカップヌードルの宣伝にでも出てりゃあなあ。
>>762 全日はどインディ団体です
臭いオタク以外はチケット買ったりテレビ見たりしなくていいです
って言うならそれでいいよw
>>756 いや、痛いにも程度がある。傷が出来るのはたしかに痛い。
あなたも机に足をぶつけたらほんの少し痛むでしょう?ちょっとだけ我慢したらすぐ痛くなくなるでしょう?他人とハイタッチしても一瞬手が痛いでしょう?
私の言いたいことはそういうことも含まれる。
高山が馬場のヘッドロックはとんでもなく痛かったと語ってるね
骨を使うのが上手いんだって
>>733 このスレでのフレアーの言葉を思い出すな。
尊敬がない硬い攻めをする。
リスペクトがない、硬い攻めをすると言うフレアーの最大限の悪口、しかも武藤から呼ばれた全日でのトークショーで
シュートかましたフレアー、レスの直後にガイジンが言う最大限の悪口だからコピペしない方がいいって忠告されても鶴田スレにコピペする間抜けなオタ
アレには笑った。
>>774 83年の蔵前でフレアーは鶴田に硬い四の字掛けただろw
>>775 硬いw
フレアー自身が一度も硬い攻めしたことないって断言してるのにw
全日でそんなルール違反したら馬場から呼ばれないだろw
怪我させちゃいけない一方でなめられたら終りなのもプロレスなわけよ
ソフトヒットだけで尊敬されてるレスラーなんかいるか
>>776 フレアー対ベイダーの動画探してみろ
ベイダーって固い攻め入れられたら怒るんじゃなくて
もっと固い攻めをしろと怒るんだよ
>>776 鶴田はその後の海外遠征でスネに包帯巻いてただろw
実況でもフレアーの四の字の後遺症と言ってるぞw
>>776 > フレアー自身が一度も硬い攻めしたことないって断言してるのにw
本人が言ってるだけで信用するんだ?w
> 全日でそんなルール違反したら馬場から呼ばれないだろw
NWA王者を干せるかアホw
固い攻めしたくらいで馬場が干すわけないよ
長州蹴撃でプロレス道にもとると非難された前田を
リング上では何やってもいいんだよと擁護したのが馬場
四天王にも手加減感じたら許さん言ってたし
>>779 プロレスの怪我とか本気で信じてる痛い人なんだね。
>>780 NWA筆頭副会長なのに違うなんかないって認めなくてもw
>>781 馬場の16文を避けた選手干した癖にw
未だにプロレスの仕組みも理解できてないんだね。
ホーガンとブロディの一般での知名度と人気ではホーガンの圧勝。
街には「一番」のTシャツを着た人間であふれていた。
それに比べて路上でチェーンを振り回している人間はほとんどいなかった。
>>783 NWA筆頭副会長だからって何でも思い通りにできるかアホw
>>785 俺はジャージを膝下までまくって谷津の真似してたぞ
ホーガンより、そのいち時代前の
ブッチャーやデストロイヤーの方が
社会認知度は高かったと思うが、
街で覆面をしたり、フォークを
振りまわした人は、まず見かけなかった。
>>789 その話し出したらもう大喜利になっちゃうな。
当時街中で、
ヤスリで歯を磨いていた人もいない。
花束を食ってた人もいない。
電話帳を破いていた人もいない。
リンゴを握り潰していた人は、、、
たまにはいたかも。
銭湯で豊登ばりに脇をパッコーンパッコーンと鳴らすオッサンは居た
たけし「東スポは田中角栄が逮捕されても一面が猪木血ダルマ」
>>786 筆頭副会長が頼りだったのにw
結局、団体が金出して呼んだ大物に使えないカバだとボロクソの悪口言われて発狂してるだけだろw
リスペクトがない、硬い攻めするスティッフって言われてるのに喜んでここに書き込む低脳がいた、更に忠告されてるのにしょんべん漏らして鶴田スレにコピペする間抜けまでいたってだけだろ。
>>785 お前いつも都合悪いことは全部スルーするなあ。
反論できるオツムがないんだよなあ。
>>795 都合が悪いことはそうやってレッテル貼るんだな。
コロナで感染症の危険が世界的に問題になってるのに、B型肝炎なのを隠してリングに上がった鶴田、
それを放置した馬場の犯罪者の行為を擁護するキチガイが全日オタだと全世界に発信でもするのか?
斉藤はすげえ試合やりやすかったと絶賛しているな
【ヒロ斎藤40周年ヒストリー】(18)「驚愕のジャンボ鶴田。天龍源一郎の戦い方。そして輪島との対戦」
https://hochi.news/articles/20191010-OHT1T50052.html 「(ジャンボ)鶴田さん、天龍(源一郎)さん、(ハル)薗田さん、ロッキー(羽田)さんとかとやったのを覚えています。みんないい選手でしたよ。
ただ、この人はスゴイなと思ったのは、正直言って鶴田さんです。何をやっても掌の上に乗っけられているような感じでした。
うまく言えないんですけど、こういう言い方をすると変なんですけど、やってて楽なんです。
鶴田さんとやる時は、自分は一生懸命やっているんですけど何か遊んでもらっている感じなんですね。
あんな感じでやったのは、鶴田さんだけでした。あの人はスゴかったですね」
>>797 拳銃密輸したり、
北朝鮮に日本の情報流してる猪木は?
>>785 テンガロンハットかぶってブルロープ振り回しているひともよく見かけたね。
ターバン巻いてサーベル振り回している人もたくさんいたよな
>>673 大熊が亡くなったのを上田には知らせなかったぐらいだからね。
そんな奴は、おらへんやろ!!
向こうから来る奴の首に、次から次に自分の腕ぶつけて行くヤツはいたなあ
>>789 子供のころ北海道だったが、
デストロイヤー型のマスクは冬場は子供に大人気で、
雪遊びの時にかぶってるやついっぱいいたよ
コンビニはローソンでもファミリーマートでもセブンイレブンと呼ばれ
レトルト食品は何でもかんでもボンカレーといわれるように
覆面をして銀行強盗の事件があったら犯人はデストロイヤーと目撃者に言われた。
そのくらいその代名詞として通用していた。
ブッチャーの真似でフォークってのは思い浮かばなかったけどな。やっぱり地獄突きと、唇プルプルが定番だった。
ヘアスタイルと残念な顔面のせいで長州と言われていた女は
必ずいた、よね。
高嶋ちさこ
が旦那から朝の顔をブルーザー・ブロディだ!
と言われたんだってな。
昭和全日といえば赤い画面に緑の文字を思い出す
赤と緑は一番合わない組み合わせらしいが
「何だ!長州みたいな頭しおって、明日まに床屋に行ってこい!」と
上田馬之助を真似て竹刀を持ち歩いている体育教師に言われた。
>>807 志村って、『8時だョ!全員集合』でよくブッチャーの唇プルプルのものまねしてたよね。
最近、再放送された『鶴瓶の家族に乾杯』の中でも弓道に挑戦して、そこで手に装着した
ゆかげ(弓道用の指プロテクター)を見て「地獄突き!」ってまたブッチャーのものまねしてたよ。
好きだったんだろうね。
>>814 ウチの高校では髭面ですぐ殴る生活指導部の先生がジェット・シンと呼ばれていた。
メジャー少年誌でギャグマンガの主人公になったり、
出す本がベストセラーになったり、
全盛期のブッチャーは八面六臂の活躍だったな
>>798 事実をレジェンドに言われて嬉ししょんべんしてここに書き込んだのがそんなにトラウマになったのか?
しかも英語も理解できない。
>>799 全日オタにとってヒロ斎藤ってレジェンドなんだな。
それに頼るしかないの?
週プロやゴングが表紙にするとキオスクやコンビニで団体間で5倍の売上の差があったってのが本当なんだね。
>>810 息子のゲーム機をニードロップで破壊した説浮上。
>>823 息子は悲鳴あげたらしいね。
息子2人がテニスしてると、球拾いしてるちさ子狙って
「狙え!」と合図し合って打ってくるそうだ。
>>810 どう見ても見た目は旦那の方がブロディだがw
キチガイだから空気読めないんだよなw アウアウエー Sa9f-CmvC
エリック王国が馬場さんを裏切るなんて
ここ最近のこのスレの大喜利部分には笑わせてもらいました。自分では面白いのはできませんので、またこんな大喜利があるのを待ってます。
>>829 俺は推測してたよ。
飽和状態の全日本マット。
ケリーの「どちらの団体が多くブッキングできる?」と答えたのが全てだと。
ケリーはを深夜のアーケードがいで見かけたが
、声かけたおっさんへの真っ直ぐな顔の向け方と表情は
とても良いやつに感じた。
>>829 こうして見ると、ほんとにケビンはプロレスラーには思えないな。
>>829 馬場は「新日へエリックの息子たちが参加しても私とフリッツの信頼関係は崩れない」とか
なんか言ってたな。。
あとブロディも当時(もっと前か)はエリック王国も主戦場だったから馬場にしてみれば
新日の外人ルートの掌握に気を揉んだかも。
細身で病気がちな自分は
あの肉体、ルックス、奥さん、スター、羨ましかった。
義足の件はもちろんだが、エリック親父のスパルタ教育を聞いて
肉体と心理は別物なんだと深く考えさせられた。
後のレトロ企画でエリックをゲストで呼んでいたし馬場にはわだかまりは無かったようだ
エリックの「レスラーの交流はOKだが、うちのテリトリーに侵攻しようとしたら潰す」と言うコメントを紹介して
「プロモーターとして正しい姿勢だと思う」と支持していた
ケリーはトラボルタより柳沢慎吾の方が似てるなと思っていたよ
エリック一家は父親のエリックは怖そうな顔だけど
息子たちはみんな優しそうな顔して
あれ絶対に母親がエリックの留守中に不倫して
そのときにできた子供だろって思っていた
>>840 1番センスがあったデビッドはフリッツに何となく似てたもんなあ。
そうかも。
父親が馬場のライバルという事で、キニスキーやサンマルチノの息子らは大成しなかったな。
つうかエリック兄弟が優秀過ぎたのかなw
>>827 そうそう、お前と違って全日の試合見てるからなw
鶴田の試合なんか見ない死んでDVD買わない自称ファンとは違うからな。
>>840 世代の違いじゃないかな。
マリガンのところのバリーとケンドールとかも優男タイプだったしね。
>>842 ケリーは母親のドリスさんによく似ていると思うな。
>>843 ケリーキニスキーは良いレスラーだったと思ったけど、もう一回呼んで欲しかった。
デビッドサンマルチノがステロイド体型になったのが残念だった。親父みたいなナチュラルな筋肉をつけてほしかったな。
メキシコだと、コスチュームや必殺技を継承しないケースも多いし、なんだったらまったく違うキャラクターだったりするから「この選手のお父さん誰だったっけ?」って混乱しがち。
>>847 そうなの?昔は息子が同じマスク、コスチュームだ戦う事が普通だったが?
>>849 「◯◯ジュニア」「イホ・デ・◯◯」じゃないケースは増えていると思います。
昔もレイメンドーサの息子たちのリングネームがビジャーノ(1号〜4号?)とかが有名だったな
昨夜のラジオで
アポロ菅原がゲストで出てたね、この御時世だから電話?で出演だったが
今は熊本にいるらしい、六月に結婚するらしいがなんと!初婚だって…
あんなイイ男が不思議なもんだ。
井上に声をかけられて入団した全日時代は居心地は良く、渕や三沢や川田と仲が良かったらしい。
あとはSWS時代や新日時代の事で「あの問題の試合ですね(笑)」と神戸の鈴木戦を自虐的に触れた後に
北尾の話になって「根本的にレスラー云々よりも相撲をやめるべきではなかった」
北尾の感想は「まるで壁のよう、あの凄さを知ってるから今でも現役横綱の強さはわかる気もする」
なんとなくこんな内容だった、誠実そうな答え方で好印象だったね、まあもう70歳近いから落ち着いてるのもあるのかも…
アポロは邪道、外道とデルフィンの、最初のトレーナーだったんだよな。
>>854 タイトルは忘れたが
ラジオ日本でやってた、たまたま聞いた
アポロをゲストに呼ぶってかなりコアだな
プロレス好きの芸人とかがやってる番組かな
>>854 「真夜中のハーリーレイス」という番組
いつもレスラーがゲストってわけじゃないけどね
>>849 全く同じじゃないけど、今も多いよ。ファイトスタイルが全然違ったりするけど。
プラタの息子は、オカマキャラのマキシモやモヒカンピエロマスクのサイコ・クラウンとかで全然キャラ違うけど。
>>861 Podcastで聴くこと出来るから、聴いてみるといいよ
ラジオ聴いた。
個人的なアポロのイメージが変わった。
誠実な印象で全日本に向いていたと思わせる話ぶりだった。
やはり剛のせいで整理されたのかなぁ…
>>864 全日所属だったのに、最後はフリーのような扱いで切られたもんなあ。
>>825 高嶋ちさ子の旦那は葉加瀬太郎じゃないぞ。(念の為)
>>868 ソニーの御曹司で3つまた4つまたかけてて
ちさこがゲットするため、別れさせた。
というか、普通はそんな男は選ばない。
家柄ゲットだろうね。
音楽家の女を知り合いで知ってるが
見た目は綺麗だがマジきち○○だよ。
一般人は金ヅルに過ぎない。
アポロはなんでまた急に出る気になったんだろね
こんだけ露出がなかったことを考えると
プ関係者からの取材はおそらく断ってたよね
Gスピとかで見た記憶もないもんな
いろいろ話を聞いてみたい一人なんだけどね
>>860 レイス、ドリー、バックランド等も出演経験あり。
ボックの時は探し当てたライターがゲストで来ては通訳まで呼んで国際電話越しに
出演していた。
>>873 死亡説まであったボックを引っ張り出したのはゾクゾクしたな。
プロレスラーも格によって出演OKの番組と出演NGの番組がある。
ニュースステーションや徹子の部屋に出演するのには馬場ぐらいの格が必要で
馬場ぐらいになると軽量番組への出演は難しい。
>>872 初めて人柄?みたいなのにラジオで知ったが
確かに30分だから何がどうわかるんだ?って言われるかもしれんが
「言い訳をするなら黙認するようなタイプ」に感じた
新日フェードアウトの件も切られたのではなく、北尾の件で責任を感じて坂口に伝えて辞めた」らしい
確かにパイオニアから剛と別れ、小林邦とのタッグで売り出し(ポジション確保)始めてたからね
新日としてもまだまだ使う気はあったみたいだし。
鈴木みのるとの件もまあ、当時は「菅原が逃げた」という風評にもほとんど反論はしなかった
結婚もするし、年齢的にも晩年だし、今なら色々と回想しても問題ないと思ったとかねえ…
まあ、番組のコンセプトも清野氏もマニアックなレベルみたいだし、探し当てたら今さら断るのも何だし、って感じなんじゃないかな。
全日を切られる前後、馬場に対しあれこれ不満を言ってたみたいな書き込みを読んだ覚えがあるが
とてもそういうタイプには思えないと感じたけどね…
まあジャパンやハリケーンズの余波をモロにかぶった一員なのは間違いないけど。
>>877 国際崩壊後に全日本に行ったのが果たして正解だったのか…。越中と三沢、冬木と後藤がそれぞれライバル関係にあって、そこに外様で年上の菅原が割って入ることは難しい。もちろん新日本に行っても厳しいけど、身長あるしいい仕事したんじゃないかな。
テーズ杯で越中、三沢と優勝争いしたり、結構扱い良かったよな。国際血盟軍にされてすべてが変わった。
菅原が新日に行っていたらストロングマシーン5号ぐらいにはしてもらっていただろう
>>878 「はぐれ軍団」の一員か…
木村の存在感とネームバリュー
寺西のやられっぷりを含む技巧度
浜口のアクの強さ
この中に入ってどれだけやれるかだね、でも確かに長州も革命前だし
藤波もまだギリでジュニアだし
実質的には猪木1強の時代、日本人選手枠ならまだまだ入る隙間はあったかもしれない
タイガー戸口ですらあの扱いだし、果たしてどうなったか…
>>878 >>881 新日は初めから3人以外は入れない予定だったんじゃないの、そんな話を聞いたことあるけど?
米村、菅原、冬木は、井上が連れてっていいか馬場に相談した。阿修羅だけは全然別ルートで。
悪役って3人組というのが一番バランスがいい。
タイムボカンシリーズの悪人も3人トリオ。
不祥事があったときの謝罪も記者会見で3人並んで頭を下げる。
>.882
ああそうか、原は馬場自らの一本釣りで
井上は新日に行きたくなくて自ら志願したんだっけ?
総合的には井上が一番安定して全日でやれた気がするな
移籍早々の10周年ではヒールとしてじゃなく、4大カードに入れてもらえたし
チャボという外敵に対しては切り札的な役割を担った
ジャパン軍が来てからは影が薄くなったけど、長期的にはポイントでジュニア戦線に顔出してたイメージ
菅原って初婚じゃないよね?。奇しくも”万年独身”が売りの渕と同い年なんだな。
>>885 ラジオで質問されてて、初婚だと答えてたよ
ただし30年来の長年付き合ってる人との結婚らしいが
渕の話も出してて「数週間だけ淵さんの方が誕生日が早い」って言ってた
高校の頃、全日地方会場で誰でもいいからと思って
サインもらったら、菅原だった。
「あんまり字みないほうがいいよ」と言われた。
マイテイ「菅原は若手時代海外に行かせてやるって馬場さんが言ってたんだよ、なのに
『あいつはショッパいな』ってアメリカ行きがパーになっちゃったんだよ。
ショツパイのは判ってるんだよ。だからアメリカに行って経験積ませるんじゃないのって
佐藤昭雄だって俺だって海外行って一人前になったんだから。『ショッパイから(アメリカ行きは)ダメになった』
なんて菅原には言えないよ、可哀想で…」
鶴田「大きい人はいつも気まぐれさ…」
海外遠征させるレベルにも達してないほどしょっぱかったんだろう
元国際でも冬木は海外遠征しているわけでね
>>888 菅原の場合は外様なのに加えて、海外出しても化けそうにない、
使えるうちは国内でジョバーさせといたほうがいいと判断されたのかも
でも海外出してもらっても伊藤や後藤みたいに
いつまで経っても呼び戻してもらえないケースもあるからね
日本でくすぶったままなのと、海外に放り出されるのと
どっちが幸せなのかな
要するに馬場は菅原より冬木が可愛かった、だから海外に行かせる順番も違ったし
血盟軍に追いやるか、正規軍に組み込むかも
馬場の気分次第って井上は言いたかったんじゃないかな
どんなに努力しようが結果出そうが馬場に嫌われたらオシマイ
馬場を裏切った越中は万に一つの可能性に掛けて
シビアな新日に使い潰されるリスクを覚悟でなんとか生き残れたって事じゃないか
冬木、高杉、菅原で誰が一番プロレスが上手いかって言えば
どう見ても冬木だよね
川田もタッグのチームリーダーは冬木さんだったってニュアンスの事を書いて
一目置いていた位だしね
菅原はマジでしょっぱかったからな
プロレスは慈善事業じゃないんだからあんなに
しょっぱかったら契約更新してもらえなくてもしょうがない
>>892 > 要するに馬場は菅原より冬木が可愛かった、だから海外に行かせる順番も違ったし
菅原の方が少し早く言ってるけど。
>>893 国体やインターハイのアマレスで好成績残した菅原や
名門日大アメフト部出身の高杉と比べて、前歴のない
冬木の基礎体力は明らかに劣っていたけどね
プロレスへの適応力が高かったということなのかな
>>895 アメプロでもアマレスの猛者だったボブ・ループが空気読めなさ過ぎてダメで
元ミュージシャンのホーガンがトップに昇りつめたりしているからね
>>896 ホーガンをベビーフェイスでスターに出来ると見抜いたプロモーターが凄い。
胸毛のむさ苦しいキャラだったはず。
>>895 俺みたいにできない人間は、できるようになるまで何百回何千回も練習する。だからできるようになったら失敗しない。天才は数回の練習でできるけど、数をこなしてないからたまに失敗するんだよ。
みたいなこと言ってたのが印象に残ってる。
>>897 猪木やビンスがすごいって話になる
また荒れるぞw
>>899 いや、その前に「手放したガニアの目が節穴」って話から始まる
そしてデリーとの確執、移籍天秤話、ハンセン戦のどれかに話題が移る
>>900 手放したんじゃなくて出て行かれたんだからそれは違うな。
>>902 ガニアの娘と結婚させられそうになったから逃げたんだろ?
ガニアの娘婿になってホーガンがAWA王者になっていたら
WWFの全米侵攻は防げたかな…?
まぁ、無理だなw
バックランドはあの地味なスタイルながら何年だ?5年くらいはWWF王者だったが
あれはゲイ好みのケツだったり高齢おばちゃん好みの童顔が支持されたんだろうかね。。w
バックランドが王者になってもしばらくの間は客を集めてたのはサンマルチノだったり
盛り上がっていたのはモラレスVSムラコの抗争だったりしたからね
>>904 三冠選手試合で天龍が鶴田に仕掛けようとして
ウラカンラナで返されたやつなら、今で言う
ラストライドかと思う
>>896 クリス・テーラーなんてAWAでロビンソンが付きっ切りで指導して、
ロビンソン自身、「彼は新しいタイプの大スターになる」なんて断言してたw
>>908 違うと思う。
正面向かい合った状態から、股に両手を突っ込んで、そのまま持ち上げてパワーボムするやつだろ。
たしか、高野からはフォール取ったが、
全体重を相手の首にかけて固めるタイプではなく、あまりフォールできなかった記憶がある。
>>908 その試合のフィニッシュは好きなんだけどなあ
珍しく鶴田が幅広さを見せた一面だっただけに
ただ当時の全日ファンにはお気に召さないらしく
あまり語られてるところを見たことがない
パワーボム天龍の体重と自分の体重が頸椎にかかるんだから恐ろしい技だ
>>912 なんか嫌な言い方だなあ。
ウラカンラナで返すなんてありきたりな展開だし、その程度で幅広さって鶴田をバカにしすぎ。鶴田はブラックホールみたいな対応力が売りだぞ。
全日ファンにお気に召さない?もう鶴龍対決も以前ほどのワクワク感がなかったし、丸め込みでの決着は、武道館でのパワーボム決着よりインパクトは弱いよなあ。
なんか、勘違いの上から目線がイラッとする。
>>910 変形パワーボム
1989年10月8日、後楽園での
川田との特別試合でも極めていた。
川田は、あすなろ杯優勝者で、その
ご褒美に天龍とのシングルがメインで組まれた。
パワーボムをウラカンラナやフランケンシュタイナーで返すのはよく見るムーブになって久しいが、初めて見たのは鶴田だな。
まあこのころはパワーボムの使い手自体多くはなかったんだけど。
天龍の股間から手入れるタイプのパワーボムはロープの反動利用してカウンターでやってたよね。
ノーマルなタイプのよりウラカンラナのタイミング取りやすいかもしれない。
>>916 ロープの反動?
これの30:00〜見てみ
タイトルむちゃくちゃだけど他に動画が見つからなかった
ダウンロード&関連動画>>@YouTube >>915 変形パワーボムは持ち上げる、引っこ抜くムーブがない分
力感に欠けるからなあ。通常のタイプのに比べて
どうしても説得力が落ちる。
実はこっちのほうが体に負担かからない合理的な
仕掛け方なのかもしれんけど。
>>917 鶴田戦はロープの反動なしだったか。申し訳ない。自分の記憶違い。
新型パワーボム、タッグマッチでロープの反動利用してカウンターでかけてたような気はする(高野が相手だったかな?)。それと混同してたかも。
>>877 んだねえ
俺もとても御大に歯向かうような人という感じはうけなかったかなあ
しかしアポロだけは剛らとは別に新日と契約?してたんだね
でも元気な声が聞けてよかったよお幸せに
といったところでしょうかね
>>891その時のリングネームが「キムコーリア」だったよ。
>>920 ちゅうか、ロープの反動を利用した新型を見たことがないのだが。そもそも、そういう技ではないだろ。
>>892 アポロはウィーンからの帰国後、血盟軍入り。
方や冬木は、帰国第一戦が鶴龍と組んで長州組との6人タッグ。しかもメイン。負けブックでもない。
リングネームも馬場が直々に命名。相当可愛がられていたんだな。
サムソンといえばクーデター犯サムソン轡田
馬場にとって忌まわしい名前を可愛いと思っている弟子につけるかな?
冬木は「馬場さんがサムソン・クツワダを気に入っていたので俺にもサムソンと付けた」と
言っていた覚えがある
プロレスラー サムソン・クツワダはずっとお気に入りだったみたいね
ジャンボ、タイガー、サムソン、なんて全日はセンスが悪い。
ラッシャー、ストロング、マイティ、アニマル、国際の方がいい感じだな。
まぁグレートってのは、なんかもう誰も彼もだめだが。
>>930 東郷、草津、小鹿、サスケ、アントニオ、マーシャルボールetc
確かに
アポロは鈴木みのるをグラウンドで封じ込めるべきだった。
>>932 グレート東郷は
プロレスラーとしては
最高の成功例だろ!?
確かに人間性が悪いのは多いな。
まず!グレートカブキ、
草津、小鹿、サスケ、、
グレート・アントニオもある意味日本のプロレス界に名を残したな。
>>945 ・馬場から多額のぼったくり
・国プロのスタート失敗
・NETにプロレス中継持ちかけ日プロ崩壊の遠因となる
レスラーとしてはともかく、ブッカーとして問題ありすぎだわ
ほんとうはOzなんだけどグレートオズにしたとケロが言ってたんだったか。
>>944 なんかテンタの方が肝が座ってる気がするから厳しそう。
やっぱズボンは黒の方がいいな、淡い色だと汚らしい
グレートアントニオはアリやマイケル・ジャクソンとの写真あるもんな。
それなりに地元では大物だったんだろ。
>>953 すまん
トンガ・キッドがリキシだったねw
あそこらへん、ややこしい〜
>>955 トンガ・キッドも
1986ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦でワイルド・サモアンと組んでたのと
同時期WWFでキング・トンガと組んでたのと2人いるからややこしい
この2人のトンガ・キッドがコンビでSWSに来たが
後にWWFタッグ王者になるのはワイルド・サモアン&ジャパンカップ来てた方のトンガ・キッド
ややこしすぎ
昨夜に1987最強タッグ(開幕戦)の再放送やってたが
園田の姿がセコンドや入場サポートで映っていた
この頃はギリギリ存命だったんかな…?
結果的に最晩年の時期だろうな…33回忌に今年はあたるのかな、合掌…
ビッグ・ブバも2人いたね
片方は後にビッグ・ボス・マンになって片方は後にタイフーンになった
Big BO、懐かしいな
全日に上がったときはどっちの名前だったっけ?
全日では着衣したままリングに上がる選手は
珍しかったからよく覚えてるよ
英語で検索してみたけど、服を着た画像ばかりだった。
タイツ一丁でリング上がったことないのかも
ビッグブーバー、鶴田とのシングルで足関節で負けてたよな。
鶴田が関節で勝つのは珍しかったので印象深い。
というか鶴田はシングルでギブアップ勝ちしたのってこれ以降あったのかな?
ビッグブーバーって日本でつけられた名前で、もともとはビッグババだったんでしょう?
>>960 天龍にインディアンデスロックでギブアップ勝ちしたのは6人タッグか
つかシングルタッグを合わせてもそれくらいじゃね?
>>960 あの技ハンセン戦で何度か試みたけど極められなかった
ブーバー戦でやっと極めたけどその後使わなかったな
>>961 ビックババロジャース
>>960 スリーパーでマスターブラスターに勝ってた記憶がある
>>960 『ジャンボ・デスロックって良くないですか?』
鶴田とスリーパーとえば81年新春ジャイアントシリーズで
バーン・ガニアから直伝でスリーパー伝授されてたな。
むしろ鶴田が誰かにスリーパーかけられて泡吹いているシーンが印象に残っている。
鶴田が若いころ、がニアやルーインにスリーパー極められたとき
両腕ブンブン振り回してるの見て、子ども心に「ありゃないわ」と思ったよ
本当に苦しかったら、かみついたり指ねじ込んだりして相手の腕ふりほどこうとするだろ。
あと鶴田の若いころの定番ムーブと言えばサーフボードストレッチからの力比べ
いつの間にかみかけなくなったが、なんでだろう。
>>966 ハンセンにやった時に倉持は回転地獄固めと実況したが
ブーバーの時は何も言わなかったなw
>>969 手を振り回すほうが効いてるのが観客にはわかりやすいからファンク一家に授かったんじゃないかな。
ただ、プロレスにはロープブレイクがあるから、立ったままあれするほうが逃げる事ができるはずです。素人考えですが。
>>969 そういえば力比べのムーブあったけど、見かけなくなったね。
攻守逆転の攻防は見応えあって好きだったなぁ
>>969 両腕ブンブンからだら〜んとなって、レフェリーが腕を上げ下げして確認
3回目に握り拳や人差し指フリフリはスリーパーの定番w
ホーガンやローデスの“死んだふり”パフォーマンスは好きだった
>>972 サーフボードストレッチからの力比べって、
新日や国際では見かけない、昭和全日、
より正確に言えば70年代全日ならではの光景だったね。
力比べやってる選手同士汗だくになるので、本当に力がこもってるのが
伝わってきて好きだった。
クルリと一回転するのは嘘くさかったけどw
>>973 そんなこと言ったら
エアプレーンスピンって何のダメージもないよな
>>976 分かったような口をきくな
マサ斎藤がライガーに腕相撲で負けて落ち込んでたって話あるだろ
プロレスラーになるような闘争心の強い男が力比べて押されて平静だと思うか
>>975 浜口のエアプレーンスピン豪快で大好き
ぶん回してるだけではなくて上下にバウンドもさせてる
ルー・テーズのエアプレーンスピンって、仕掛けに入るスピードも
回して投げ落とすタイミングもそのままフォールに入るスピードも
ビックリするくらい速くて、茫然としているうちに3カウント奪える
かなり説得力のある技だったんだよなあ
あれをお笑いプロレスの「首を絞められて腕ブンブン」と一緒に
するのはいくらなんでも無理があると思う
新日だけど、ホーガンと流星仮面が手4つの力くらべで流星仮面が優勢だった事あったな。
部分的にはガチのところもあるんじゃないの?
>>977 鶴田の目が回って場外転落は最高のムーブ
次スレはここを使いましょう
【脳天唐竹割り】昭和の全日本プロレス87(実質89)【河津落とし】
http://2chb.net/r/wres/1587268970/ 【脳天唐竹割り】昭和の全日本プロレス87(実質88)【河津落とし】
http://2chb.net/r/wres/1587268970/ 間違えた。実質88スレ目です。
さらにこの次を作る人は89で立ててもらえたらありがたいです
>>981 腕相撲新日本最強は坂口。佐山は2位。(列伝調べ
>>986 腕相撲国際最強は遠藤レフェリー
ひょっとして日本最強か?
>>977 プロレスでガチで力入れたらクビだ。
あんなサーフボードストレッチからの力比べをガチでやったら肩を痛めるわ。
>>988 それ以前に手四つに組んで力比べって指の関節が…
>>988 五十肩のお前と一緒にするな
プロレスラーは極限まで鍛えてるんだよ
ウエイトリフターのパワー
短距離走者のスピード
長距離走者の持久力
体操選手の柔軟性
そしてチェスプレイヤーの頭脳
全て身に付けた超人
鶴田とドクみたいな大型同士だから絵になる攻防なんだよな、小兵レスラーだと力比べはサマにならない。
馬場と小橋の手四つは馬場が押してるように見えた
ハンセンが馬場はパワーファイターだと語ったのは本当のことだと思う
骨の太さが違う
馬場は腕や脚は長いからてこの原理で小さなエネルギーで大きな仕事量を得られる
ハンセンはけっこうレスラーとしての体格を重視するな。
ウィリアムスのこと体重が軽いとか、人の話ではスレーターのことチビみたいに
本に書いてたみたいだし。
>>990 馬鹿じゃねえのw
プロレスやってガチで力を入れるバカなレスラーはいない。
あんな手を広げた状態で力比べやったら肩と大胸を痛める。
>>993 手四つでガチで力比べやってると思ってるのかw
馬場が小橋を押したww
バカwww
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