過去スレ 【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】 【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】 【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】 【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】 【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】 【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】 【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】 【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】 【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】 【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】 【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11) 【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】 【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】 【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】 【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】 【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】 【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】 【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】 【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】 【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】 【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】 【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】 【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】 【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ) 【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】
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スピリットは正体が割れてるのに翌年もそのまま来たな。
>>5 馬場とのPWF戦では2本目で覆面引っ剥がされて、3本目はそのまま素顔で試合続行させられたのが見てて切なかった。 覆面返してもらって3本目はまた被り直せば良かったのにw 覆面十番勝負は中身もちゃんと一流レスラーを揃えてたのは律儀だ
覆面世界一十番勝負対戦相手 1,ミル・マスカラス 2,ザ・トルネード 3,ジ・アベンジャー 4,ザ・バラクーダ 5,カリプス・ハリケーン 6,ミスター・レスリング 7,ブラック・デビル (無効) 7,ザ・スピリット 8,ブラック・デビル 9,ブルー・シャーク 10,スーパー・デストロイヤー
>>6 スピリットは、確か前哨戦で凶器入り頭突き一発で馬場から、シングルでフォール勝ちしたんだよな またスピリットは、シューズが左右色ちがいだったのを覚えてる >>10 健気にもブレーンバスターは使っていなかった。 ツラいとこだな。 >>9 ブラック・デビルは当初はブル・ラモスだったとか? 養老院プロレスみたいだな >>9 vs ザ・トルネード (ディック・マードック)は面白そうだな。 >>13 老人ホームでスタッフが入居者を虐待している様に見える。 天龍 「昔はブラッシーの試合を見たお年寄りがショック死したりしたが、 今は渕の身体を見てお年寄りが自信を持てて元気になるからね!」
覆面十番は第二戦でいきなりマードックだもんな〜。 ちょっと考えるべきだった。 真っ当なマスクマンといって良いのはスーパー、ハリケーン、レスリングくらいだな。 スピリットやバラクーダはまだ他のシリーズもでたから許せるが、後はあんまりだ。 新日系だがレッドピンパネールとか、全日系ならメヒコグランデとかよかったんじゃなかろうか。
>>19 スピリットとアベンジャーは本国でも活動していたよ。 >>20 そうなんだ、訂正ありがと。 でもどうせなら、アベンジャーはドクターデスでやってほしかったね。 >>21 でも、金網戦で木村に負けててバリューが下がるからじゃない? >>22 なるほどね。いかにもな急造よりはいいと思うんだけどな。 ひょっとするとデスト自身がドクターXだったから「ドクター」は嫌だったのかもしれない。 >>23 そんな事言ったらスーパーデストロイヤーなんてw スーパーデストロイヤーって絶賛売り出し中で州によっては本家デストより知名度が高いんじゃなかったっけ まあプロレスマスコミの言う事なんてあてにならんが
大塚グループ、黄桜酒造、日鉄サッシ、横浜ゴム、井関農機・・・・ これらのスポンサーから出る放映料って野球シーズンで巨人戦中継で、 深夜送りになった場合でもゴールデンタイム同様の額が提供されたのか・・・ 長年の疑問だわw
いっそのこと「スーパー・デストロイヤー・シリーズ」を開催すればよかったんだよ。
ドン・ジャーディン ネイル・グアイ サージェント・スローター アーウィン兄弟 あと適当なジョバーで員数合わせすればメンバーは揃う。
ふく面ワールドリーグ戦を実際に開催したのはみちプロだけど、 あの時代の全日プロでこそ開催してほしかったな。 ファンもいつグレートゼブラが出てくるか期待しちゃっただろう。
>>28 ストロング小林とロジャーカービーも入れとこう。 >>26 日テレは全日本を手厚く扱っていたみたいだもんね。 平成になってからの話だけど30分枠に短縮されてもテレ朝のワープロより放映料高かったらしい。 >>28 あとはアート・ネルソンとハルク・ホーガンか イチローの日本開幕スタメンを見てると、 馬場のNWA1週間レンタルを思い出してしまう。 ああいうのはプロレスのおおらかさなら許されると思うんだけど、 メジャーリーグの公式戦でどうなの?って思うなあ
>>35 プロ野球はビジネスなんだから仕方ないだろ?そんなこと言い始めたら、 なんでシアトルかオークランドで開幕戦をやらないの?って話になるし。 あの世でデストロイヤーと駆逐艦&巡洋艦コンビを再結成か
どんな競技でもプロレス的要素はある サッカーのチャンピオンズリーグの対戦相手の組み合わせも もう見る方もガチで抽選してるなんて思っていない リーガ1位 セリエ1位 プレミア1位 プレミア2位が綺麗に分かれてるし
そういうのはプロレス的要素じゃないと思うよ。あって当たり前の演出ていうかサービス。 「プロレス的」っていうのは馬場のNWAレンタルを例にとるなら (1回目はともかく)絶対に取り返されるんだろうな〜とファンがみんなわかっているのに 馬場がセントルイスに行って防衛戦をやらなきゃ、と言ったり 倉持と山田が今度は長期政権、とふかしたりすることじゃないかな。
>>39 それプロレス的じゃなくてプロレスそのものだろ。 プロレス以外のもので例えないとプロレス的の例にはならないよ。 馬場のNWA初奪取の映像、今まで何回も見てきたけど、その度に 「セコンドがリングに上がってくるの早すぎだろw」 って思う。 いくら事前に知ってたとしても、もうちょっとタイミング考えろとw
そう?ランニングネックブリーカーはハンセンのラリアット並に「決まれば勝ち確定」みたいな技だから、あの動きは当然と思って見てたよ リアルタイムで見てないから初奪取時のランニングネックブリーカーのイメージは知らないけど
事前に知ってたのかな? カブキ(高千穂)のあのリアクション見たらマジで喜んでる風に見えるわw
知ってたかどうかはさておき、2回目のNWA奪取のときの大仁田の喜び様が印象的。
>>42 別に早すぎない。 そんなこと言ってるのはお前だけだぞ。 >>42 暴露本に汚染されてこんな見方しかできないなんて哀れ・・・ 馬場のランニングネックブリーカーはNWA世界王者を倒したことで技の格が上がったことは間違いない この技を出す度に倉持が世界を制したと言ってたし、だから世界戦前はどうだったかなと
>>49 ランニングネックブリーカー初お披露目はドリーとのNWA世界戦で一本先取した。 この技は誕生からNWA世界王者を仕留めたという箔がついていたのだ。 ちなみに二本目はドリーが本邦初公開のスピニングトーホールドで取り返し、二本とも日本初公開の技がフィニッシュとなった。 馬場のここって時のフィニッシュ 昔)32文ロケット砲&アトミックドロップ(後ろから抱える奴)→河津落とし&ランニングネックブリーカー に変化してったイメージ ここに行くまでは脳天唐竹&水平打ちから16文&ヤシの実割りのベルトコンベア殺法(死語) これは時代問わず最後まで変わらなかった でも足がついてる16文はともかく32文が馬場だけドロップキックでフィニッシュになるのは 足がでかいからって理由では子供心にも正直ちょっとなあと思ってたんで ランニングネックブリーカーは良かった 特にレイスはこれ食らって自分の身体が完全に宙に浮かぶのが実に見映えしてた 掛けた馬場より身体浮いてマットと平行近くになってたりするんだもん さすがレイス
しかしランニングネックブリーカードロップって、最初はジャンプングネックブリーカーだったはすだが、飛べなくなったからって律儀に改名したのは誰の発案だったんだろw
>>50 最初から特別な技だったんだ、これは知らなかった >>52 自ら仕掛ける場合以外は走ってないから (ほとんどは相手が突っ込んでくるところをカウンターで仕留めてる) ジャンピングで良いと思うんだけどな。 >>55 馬場の(特にレイス相手の)ランニングネックブリーカー マスカラスのフライングボディアタック 猪木の延髄斬り 皆同じことやってるのになぜか圧倒的に、 特に静止画像や写真だと飛び抜けて様になってるんだよなあ 何がその他と違うんだろう? ランニング・ネックブリーカーはすごく馬場にはまった技だな
ランニングネックブリーカーはレイスがもろに後頭部から落ちて たのであれは絶対ガチだと思ってた。
>>55 レイスは、相手の技を引き立てるのもうまいし やられたときの、あの直立不動からのダウン まさに千両役者だわ >>56 たぶん腕の位置とか腕の姿勢、腕の角度じゃないかなあ。 あと肘の曲がり具合とか。 天龍がハンセンからピン獲った横浜文体PWF&UNダブルタイトル戦 試合内容は良かったが肝心な天龍が首固めする間が空いたから何だかなw ハンセンが首固めしろ!という格好になってしまってるw
あの日は猛虎七番勝負最終戦、VS鶴田だっけ? 天龍より鶴田の方が試合内容が良かった興行もなかなかレアだな
>>45 3度目の時は越中がマジかよ?とでも言いたげに、控え目に手をあげてるのが印象的。 >>63 三度目は本当に誰も知らなかったんだからな。 >>64 知らなかった中でも一番可哀想なのは、3カウントの途中で固まったジョーさんだよなw NWA奪取時に比べると 普段のタイトル戦では全日のセコンド勢は 本当に熱がない 日プロとかは大袈裟すぎる時とかあるのに
>>49 それでも、80年代以降の主要ライバルとなったハンセン、シン、ブロディとのシングルでは出してないんだよね。 ブロディには84年のPWFタッグ決勝では出したけど、ブロディが怖がったようで不格好な決まり方だった、 まあ、ケガしかけないレベルの技だよね。馬場の体重+晩年の運動神経だから。 受け手も相当うまくないとタイミングが合わずにそれこそインチキ全開になる。 ここ一番の大試合でしか出さないというのはうまい設定だとは思う
ランニングネックブリーカーは卍固めやラリアットとかと違って 出すタイミングがむつかしい技かもしれないな 全日初期はなぜか相手(デストロイヤー、モラレス、ブリスコ、ロビンソン)が 急に不自然なくらいにロープに走ってタックルに来るタイミングで カウンターで出すパターンが多かったが
>>66 若手が少なかったから仕方ないとはいえ セコンドに百田とか薗田とかの中堅・ベテランが Tシャツじゃなく上もジャージ着込んで 所在無げにエプロンに顎乗せて試合眺めてるのが TV中継だと意外と目立ってちょっと、ね >>56 おそらく手足と胴体、脚が長く、相手より大きくて 躍動感のあるランニングしてる態勢。 相手は首を引っ掛けて手足が伸びきっている。 しかも両者が跳ねている。 延髄もアタックも相手は止まってる。 >>71 えーっと、この三人のこの三つの技は 他のレスラーがやる同じ技と違うって意味で書いたんだけどw わかりにくかった? マスクド・スーパースターと保永昇男も名手だが、馬場のとはまったく違うな
>>67 ハンセンには何度も出してるぞ、一度もピン出来なかったがw >>73 マスクド・スーパースターのアンドレへの ネックブリーカーは鉄板の盛り上がり 馬場が日プロ時代にジャンピング〜を出していたとしても ブラジルやエリック、キニスキーの受けではうまく行かないだろうからね。 皆、言うようにレイスあってのこと。 それも普段の馬場とは思えないほどのアピール後に決めた名古屋のせいだろう。
ラッシャー木村へのネックブリーカーは失敗も多かったよね。ラッシャーの背が低くてスッぽぬけてた
ブリスコから奪取の時は本当に首折り落としという感じだったな それもカウンターでズバリって
三沢にピンとらせた馬場に対して鶴田は憤懣やるかたない思いを 馬場のブリスコからのNWA奪取の偉業は 単に「日本人初」という理屈や意味合いだけじゃなくて あの見事な説得力ある決まり方も大きいと思うんだ あれが晩年にハンセンやブロディにやったみたいに 馬場の腰が、相手の後頭部より先に着地しちゃうような感じだと興ざめだもんね
みんな、よく覚えてるな ボロ・モンゴルが マスクド・スーパースターだったか、ブラック・テラーか、どっちも違ったか 思い出せないわ
天龍が文体でハンセンを下して二冠王者になった後、後楽園を負傷で欠場したけど あれはハンセンがガチで天龍を叩きのめしたせいなのかね?
>>75 何度も出したっけ? 首固めでPWFを奪回したときにその直前でやったのは知ってたが。 ネックブリーカーそのものではフォールできなかったが その直後の首固めだったので、「ネックブリーカー神話は死んでない」 と勝手に思ってた。 >>86 横レスになるが、何度も出したのかは覚えてないが 1984年の3月のトップスペシャルの生放送の時 馬場vsハンセンが放送枠に収まらなかった試合 翌週の本放送でコマ切れ分を流したが、終盤に決めてたな あまり綺麗に決まってなかったな。 >>86 前哨戦のタッグマッチで出したのは見た ネックブリーカーからギロチンドロップ 新日の放送では古舘が「フライングスイーパー」って呼んでいなかったっけ?
フライングスイーパーじゃなくて、フライングスリーパーだったな。
馬場vsラジャが行われた武道館の仲野信市が天龍に決めたあわや3カウントのネックブリーカーは会場がどよめいたな
>>88 >>89 ありがとう。 綺麗に決まってなかったり、タッグマッチだったりで 一撃必殺の神話をまもったのかな。 >>90 古舘はスーパスターの時は「フライングスリーパー」 浜口の時は「ネックブリーカー」 長州戦で前田が出した時は「フライングスリーパー気味に決まったネックブリーカー」 何がどう違うのかさっぱりわからんw >>97 ほぼ完全に決まってるがカウンターじゃないのと ハンセンのラリアットもカウント2で返してるからお相子か。 でもこの試合はPWF取られた試合じゃないんじゃないか? >>97 いい試合だね、見てて熱くなったわ。てか久しぶりにプロレス見たw >>50 >ランニングネックブリーカー初お披露目はドリーとのNWA世界戦で一本先取した。 馬場の自伝いわく、この時のネックブリーカーは 元々は16文をやろうとしたが、ドリーが返ってくるタイミングが馬場の想定より早くて 足を上げるにも遅く、苦しまぎれで交差するドリーの首に腕を引っ掛けて落としたそうだ。 この証言が本当なら、初披露もこの試合の上、偶発的に誕生したことになるね。 >>97 これタイトルは82年だが、内容は83年9月の千葉だね テリーが引退して寂しさがピークになってる頃に 馬場まで負けちゃって、さらに打ちのめされた思い出があるから…よく覚えてる 小学生にとってはブルーな日曜日を送ったわw 俺は大木戦とかロビンソン戦もだけど すれ違いざま返し技的にスパーンと一発で決めるのがわりと好きだな タイプじゃないっていえばそれまでだけど 馬場ってどうしても大技で切り返すことって少ないじゃん せいぜいコーナーに詰められてタックルに来たとこを16文くらいで ブレーンバスターを空中で切り返したり バックの取り合いからジャーマンやバックドロップとか 相手のエビ固めを逆に切り返して丸めこんでみたいな 一発逆転!的攻防は無い中で 相手のタックルを一発はまず受けてもう一発って来るのを これ以上ないってタイミングでネックブリーカーで切り返すのが好きだな
ボディスラムを首固めで返したり、ラリアットを16文で返したり、凶器攻撃を唐竹割で返したり色々ありそうだが
馬場がロープのリバウンドを利用しないで文字通り「ランニング」でネックブリーカードロップを決めたのは、 79年のレイスからNWA奪取した一戦のみだよね。あれは、決める前に馬場が血まみれの顔で腕をグルグル回して カッコよかったな。
>>86 奪回試合の白眉はむしろその前の十六文でラリアットを阻止した場面 ベストバウト試合での最初の一発に千葉の転落試合の最後のフェイントなどなんだかんだといっても馬場とハンセンの攻防は十六文の印象が強い 馬場が倒れたところで、相手が次の攻撃のため自らロープに飛んで返って くるタイミングで馬場が起き上がって中央でランニングネックブリーカーが見事に決まり 相手の両足が馬場の上より高く上がって落とされる。 あれがたまらん。
高山がみのる相手の3冠戦で「馬場さんから受け継いだ全日イズムをみせる」って言って ランニングネックブリーカー使ったのは良かったけどフィニッシュじゃなかったのがなぁ
桜井著の「激録・馬場と猪木」と当時の東スポの紙面によると空中首折りは、 69年暮れのドリー戦を前にハワイでの極秘トレーニングで同行していた デストロイヤーを実験台にしてマスターしたとある。 ガチ信仰のあった昭和のプロレスファンが、敵対してた馬場とデストが ハワイで合同トレをやってたという記述を読んでどんな思いだったのか気になるw
いま聞けばデストの馬場シンパはその頃からあったのかという感じだが
鶴田のハンセン初フォールした技がランニングネックブリーカーって本当? 実際は鶴田が先にジャンプしたから違う技だろうけど
以前読んだ記事だと、馬場にジャンピングネックブリーカーを教えたのはパット・オコーナーだったそう。いま一つ技に行き詰まってオコーナーに相談したら、前から考えていたこういう技がある。と教えて貰ったらしい。
>>113 初来日のころの話? 平成になってから三冠ヘビーのタイトルマッチで、鶴田がハンセンにランニングネックブリーカー決めてフォール勝ちしたのは記憶あるが。 それ以前に鶴田はスモールパッケージとかスクールボーイでハンセンにフォール勝ちしてるね。 >>113 79ジャイアントシリーズ名古屋大会 ジャンボ鶴田(15分11秒片エビ固め)スタン・ハンセン がシングルでは最初かな >>118 鶴田対ハンセンの三冠戦で鶴田が勝ったことあったけ?カーニバル決勝戦じゃないの? 松本での最後の戴冠もあったな 最初のフォール勝ちはインター奪還の時だったか
鶴田がラリアットをバチーンとくらって ピン取られたタッグ戦が衝撃だった。 星パン時代だと思うが。 ハンセンブロディ相手だったはず。 鮮やか過ぎるラリアットだった。
>>122 昭和58年春の最強タッグリマッチかな? 探せば動画あるよ >>123 あった。サンクス。 黒パンだった。 鶴田がラリアットでクリーンにピン取られたのはなかなかなかったから これは貴重だと思う。 前の年の最強タッグ札幌大会では馬場がピンされたんだっけ?
この頃に超獣コンビが馬場、鶴田からフォールを取りまくったのは 松根社長の意向だったのかもなあ
>>127 超獣コンビは全日本の最大にして最後の切り札だったからね。 ハンセンを軸にしてブロディの格を上げ、鶴田と天龍も鍛え上げられていくという構図。 超獣コンビは途中で解散したが、鶴田と天龍の地力は大幅に上がったよね。 84年の最強タッグ大阪での馬場、石川対ハンセン、ブロディは馬場が7分くらいでピンフォール負けしてたね…
ハンセン、ブロディは無敵という印象だったからなあ。
馬場鶴田組は超獣コンビ相手に前年札幌で笑ってしまうくらいの超完敗。翌年ら抹茶では最初は引き分けたけど、最後の京都でまた完敗。 基本帳尻を合わせる全日本にしたら珍しいくらいの連敗なんだよなぁ。 日本側最強チームなのにその後雪辱のチャンスも無かったし。
81世界最強タッグでファンクスに大恥かかせたからって 馬場鶴田の師弟コンビ、鶴竜コンビは超獣コンビに何度もピン負けしてるのに ファンクスは一度も超獣コンビにフォール負けせずに済ますとは ガイジン天国過ぎるだろ昭和全日 >>132 鶴龍コンビへ移行する理由付けの意味合いを持たせようと思ったんじゃないの。 あの時代のハンセン、ブロディに 鶴田がフォール勝ちする展開があっても良かったと思うけどなあ 鶴田時代が中途半端になったのはこの辺に理由があったかもしれない 5、6年後にはフォール勝ちしてたがあれでは遅すぎる インパクトが全然違う
当時は新日はどんな強豪外人レスラーでも シリーズ最後で猪木の延髄斬りで1強。 全日はハンセン・ブロディの超獣コンビがリング内でも場外でも最強。 の路線だったような気がする。
82年4月のインタータッグ戦の1本目でも鶴田がラリアットでフォールされてたと思ってたら 実際はラリアットからのブロディのエルボードロップでブロディがフォールしてたんだね。
鶴田はウォリアーズ初戦でのラリアット負けも印象深い
>>140 今見ると負けてあげたようにしか見えないんだよなあ。 スレタイのデストロイヤー このデストロイヤー初来日のときのコメント。 日本は真珠湾を攻撃した。 だから私は日本が嫌いだ。 これってリップサービスと思った。 でもデストロイヤー初来日のときはまだ終戦から年数経ってなかったし。 ガチなコメントだったのかも。 先日のデストロイヤー死去で新聞に出てたんだけど。 日本人も外国人特にアメリカ人は大嫌いな時代だ。 敗戦が色濃く残ってた時代。
>>139 なぜ時代遅れの3本勝負にしたんだろね。 猪木も強豪外人の初当たりや地方で負けるけど後で勝ってるからな、ハンセンブロディウオーリアーズは負けっぱなしの印象。だからこそ神話が出来たとも言うが
>>143 一本勝負の場合、ラリアットでフォール勝ちだと王座移動しちゃうからなぁ このシリーズではブロディがインターヘビーを奪回するから、そうなるとインター二冠王になりハンセンを格で完全に上回ってしまう。 大人の事情が交錯していたのだろうね。 >>139 ブロディのフライング・エルボードロップって、その試合で出したのしか記憶にないな。 >>139 タッグマッチの3本勝負は、基本的に一本目取られた選手が二本目を同じ相手から取り返すというパターンが大半だったけど、 ブロディはそういう慣習も無視してピン負けを拒んだんだろうな。 >>142 ビル・ワットも父親を太平洋戦争で亡くして日本人が嫌いだったんだよな。 >>149 大東亜戦争は戦争当時の日本側の呼称で、戦後にGHQの指導で太平洋戦争と呼ばれるようになった。 だからアメリカ人にとっては太平洋戦争で正しい。 東スポ連載の『プロレス太平洋戦争』にも正誤つけたらいいわな。
>>142 先月の馬場20周忌興行を観戦したけど、デストロイヤーはビデオでの登場だったな ドクターストップみたいな事を言ってたが、あれからすぐに亡くなったのは驚いた でもブッチャーだけでなく、日本のファンへも結果的に最後になるメッセージを送れたのがせめてものか…。 そのブッチャーが引退の挨拶で「親を大切にしろ〜お前らも同じように老いるんだから〜」 そんなコメントを言ってたが、ブッチャーって年齢的にお爺ちゃんになってると思うんだけど プライベートの家族構成ってどうなってるの?上記のコメントは何か含みがあるんだろうか… オレが知らないだけかも知れないけど、シンは豪邸やら名士の立場やら家族を公開してるけど ブッチャーの身内は見た記憶がないな、と思ったんで。 >>142 テリーのインタビューで言ってたが、シニアはガチで日本を憎いんでいたらしい でも初来日で日本人の人間性に触れて価値観が180度変わったらしい その日本人の感性の根源に興味を持ち、底辺にある「躾」を知った そこに感激して母国では、門下生やファンク兄弟に「躾」を根本としてる日本人の素晴らしさを説いたらしい あと、シニアが初来日の前か後の事かは忘れたが すでに米国でメインエベンターだった馬場だけは、控室では隅の方に座り、先輩に遠慮してる謙虚な姿に凄く好感を持ってたらしい。 >>155 シニアは浪花節的な人間臭いガンコ爺さんの印象。 一度惚れた人間はとことん面倒をみるという感じがするね。 >>148 逆のパターンでは、ミスター高橋は戦争でアメリカ人に父親を殺されたため、アメリカ人嫌いだった(ハンセンの自伝より)。 ほとんどの外国人レスラーからあまり好かれてなく、Peter"the Prick"(“いやな奴”ピーター)と陰で言われていたと。 でも、ハンセンにはきちんと接してくれたらしい。 >>154 確か、韓国人の後妻がいるはず。 もう閉店したけど、経営していたステーキハウスは息子さんがやっていたんじゃなかったけ? 前妻との子供だと思うけど。 あの「親を大切にしろ。」のコメントは、ブッチャーがもう何十年も前からインタビューで言っている。 ブッチャー自身は老人施設には入っていない。 >>154 ドリーも秋山からアドバイスを求められたら 「いつまでもあると思うな親と髪」 って言っていたね。 >>158 ありがと、そうかブッチャーには家族がいたか 何か少しだけホッとした >>137 ハンセン・シンは馬場のライバルとして引き抜いたから、鶴田が勝っちゃうなんてあの当時はあり得ないよ〜 >>163 新日なら猪木のライバルで参戦したのに 藤波にあっさり丸め込まれたりするけどな ドリー親子とレイス、ホッジやオースチンまでいる… >>166 アサヒビールの瓶のラベルが懐かしい。 食堂車ってのも時代を感じるね。 一番左はブル・ラモスかな。 >>155 シニアは馬場の人間性をいたく気に入って全日本設立を全面的に支援し、NWA総会を待たず臨時会議を召集して馬場を会員に推挙し承認させるという凄腕ぶりを発揮したんだよね。 このことを馬場は生涯感謝して、全日本社長室にシニアの写真を飾ったというのは有名な話。 >>168 ビジネス上のメリットはあったとしても 猪木や力道山ではこうはいかなかっただろうね。 >>164 NWFのころはないのでは?タイトルマッチ前に丸め込んだことある? 今部下に無意識に山田さん口調で仕事の注意をしたことにショックを受けて更衣室に逃げてきたw 「あなたのやり方だと先週に発注して今日また発注することになるから先週の時点で10日後に発注予約しとけば良かったと。。。言うことでょうねー」 凄い恥ずかしいwパワハラにならないように気を使いすぎだわ
ブラックテラーってチャンピオンカーニバル開幕戦で ブッチャーと両リンの?
>>168 ドリーもテリーも、シニア急死の時に全日の提携先を 「フリッツの所か、自分達の所か二つの選択があった」 「でもババは、何も変わらないから安心してくれ、と真っ先に言ってくれた」 ここ最近のインタビューでも感謝を述べてたけど… そんなの当たり前って話だよな、馬場の方がシニアに恩があったんだから。 ファンク兄弟はまだ日本人の感性を理解できる方だと思うが、このくらいで感謝するという事は、 逆に言えば外国人のビジネス感覚はこちらが思う以上に、義理よりも利益優先なんだろうな。 日本人ならシニアが亡くなって、エリックにくら替えするほうが酷いなと簡単に思えるんだけどね。 でも、それなら後に新日本プロレスにエリックの息子達が上がったのもしょうがないネ。 あれは確かに意外だった。馬場さんの人脈も言うほどではないな、と感じたね。
>>181 日本が義理優先?んな馬鹿な。 馬場がたまたま稀だっただけ。 ケリーは新日引き抜かれたときインタビューで 全日は飽和状態。「年間どっちの団体がブッキング回数多くしてくれる?わかるだろ」 てなこと言ってた。
エリック一家はデビッドがシリーズ中に急死した時に馬場やジョー樋口を筆頭に全日本オフィスには随分と世話になったのにな〜 ジョー樋口は冷凍されたデビッドの遺体の入った棺桶の空輸にテキサスまで寄り添ったんだから フリッツ親父も「全日オフィスに随分と迷惑をかけたことに感謝しかない。新日からオファーがあっても受けることは100%無い」ってコメントしてたんだけどな
9時から、BSでブッチャーの特集だな 見逃すところだったわ。再放送なのかな?
黒人差別の酷かった白人レスラーって誰かしら? 一人はディックマードックだろうけど。
>>185 本当は火葬してからでないと飛行機に乗せられないのけど、フリッツの希望で火葬しない状態で送ったらしいね。 「ご遺体は?」と職員から聞かれ「もう空の上です」と事後報告したと京平が言ってたな。 コックスは、頭文字のせいで 人格までも決めつけられている風潮がある
ドリーが一番よれよれだったね。 しかしブッチャー引退セレモニーに、テリーがいないのがつくづく残念だ。
ブッチャー特番 あの時代に馬場 ブッチャー門馬3ショット写真が存在したのが印象的だったね。
>>158 だいーぶ昔のゴングだかで コリアンの嫁がお高いクリームを顔に塗ってる とかあったよな 81年のスーパーパワーシリーズはシーク、デストロイヤー、リッキー、スヌーカ、ケビン、デビッド、バグジマグローと今見ると豪華なメンバーだったね 当時は何か地味な顔触れだなと思ってしまっていたが… あと貴重なジョバーのカールフォンスタイガーもいた…
>>195 リッキーとシークの絡みのタッグマッチでリッキーコールが起こったんだが、 松永アナが「山田さん、これはシークコールですか?」と聞いたのに笑った。 シークコールが起こるわけないだろ、ブッチャーと試合してもヒールなのに。 >>189 >>191 コックスはたしかプライベートではリベラル寄りで人種差別とかもむしろ嫌ってた紳士だったはず “K.K.K”のリングネームもあれはあくまで、 そしていくら当時とは言え相当覚悟したキャラ付けのギミックのひとつ ナチギミックとかも実は意外にユダヤ系や当時のドイツの周辺敵国や占領国出身が多くて ゲルマン系ドイツ人の家系出身で戦争当時に遡ってさえ ガチのナチス支持者や民族原理主義者とか そういう人はその手のギミックを使うのはむしろ殆どいなかったはず それに東欧系でいえばテーズだってハンガリー移民の二世だしね 逆にいうと当の本人がそれを演じることで「これはあくまでギミックですよ」っていう 本人も興行側も一種の免罪符になってたのではないかと まあガチの人はそれでわざわざわかりやすく悪いヒール役演じて散々憎まれた挙句、 黒人やマイノリティ出身のベビーにやられるなんてのはそれはそれで嫌だろうしねw よく言われるが(当時の)プロレスは低所得層向け(当然有色人種や移民系が多い)の エスニックスポーツ(ショー)だからね ブッチャーやマードックの比較的若い頃に人種差別主義者として有名だったといえば やっぱりB・ワットあたりかなあ 30年前の今日馬場が小橋と組んでアジア戦行ったけど これが最後のタイトルマッチ?
>>198 たぶんあのアジアタッグ戦が、最後のタイトル挑戦だったんじゃないのかな? 全日になってからの馬場に、一度でいいからインターに挑戦してほしかった。 鶴田になってからじゃなく、ドリーかブロディの頃にマッチメイクしていれば。 エリック兄弟は華があってカッコよかったので石川、佐藤に負けたのはちょっとショックだった…
>>196 シークコールは対シンの時に起こってる >>199 ブロディの王者時代に馬場が挑戦したことがある >>195 リッキーの2度目の来日にして日本陣営だとか、天龍の凱旋帰国とか 俺は結構期待したシリーズだったなあ 終わってみればリッキーよりスヌーカのインパクトの方が強かったが >>201 ブロディに馬場が挑戦したのは知らなかった、ありがとう。 シークコールあったのか。NOWの後楽園ホールを観に行ったことがあるんだが、 ナガサキとシンの試合でシンコール一色になってしまい、ナガサキ可哀想だった。 >>201 アマリロで行われてTV中継も無かったからエア試合の可能性もw 東スポや雑誌でブロディvs馬場の写真付き詳細記事書いてた? >>202 大木が復帰してこのシリーズだけそこそこいい扱いだったのが新生全日本のイメージを植え付けの足枷になったね。 トンガや越中あたりをもっと有効活用すべきだった。 >>204 それを言い出すと ファンクス、デビットへのインタータッグやUNの戴冠試合も 本当に実現してたのか相当に怪しい このシリーズで馬場対シークのシングルが行われた北海道ポン・モシリセンターってどこにあるの…
>>203 シークコール 動画にもあるけど81最強タッグの蔵前での馬場 鶴田 対 シン 上田の公式戦。 両リンになってからシークが乱入してシンを襲う。 ※この試合前にもシークが乱入というか登場したがシンに返り討ちに。 試合後にシークがシンに向かっていった時は大シークコールになった。 >>204 その試合は当時の別冊ゴングで掲載されてました。 確かテリーとブッチャーの試合があった日と同じだったかな? 82年6月頃? ブロディ vs 馬場はこれかいな 17.06.1982 Wrestling In The USA - Freelance Shows NWA International Heavyweight Title: Bruiser Brody (c) vs. Giant Baba - Double Count Out (12:32) Terry Funk presents Summer Sizzler - Event @ Amarillo Civic Center in Amarillo, Texas, USA https://www.cagematch.net/?id=2 &nr=786&page=4&s=600 >>209 結果的にあの大シークコールが、全日リングでの惜別のコールになってしまった その直後にハンセン登場するもんだから、なおさら象徴的というか外人の世代交代というか… まあ、1番イキいい頃のハンセンが主戦場とされてはシークはもう厳しかっただろうな まさかその12年後に川崎球場でテリーとシングルやるとは、それも全日ではなく… >>214 大洋のテストに落ちただけなのに怪我をして諦めたとことにしたというよくあるデマカセエピソードかと思っていたのだが、証言があると言う事は本当なのかも知れないな あとこの近藤さんは、娘さんが中西と結婚→離婚した近藤さんだな 日本プロレス中継が終わったらショーケンの太陽にほえろだった
>>216 「太陽にほえろ!」はあれはあれで映画関連で火の車だった 昭和の大スター裕次郎の石原プロが背に腹は代えられぬとばかりに 映画から毎週連続もののTVドラマの世界に云わば“降りてきて” 社運を賭けた一か八かの大勝負だったんだよな あの時代勝プロや三船プロなど 映画が完全にTVに逆転されて大スターを玉座に据えた 映画制作プロダクションが次々に苦境に陥りやがてはつぶれていった その中で石原プロは言ってみりゃ日プロが下手打ってくれたおかげで 「TV業界では殆ど実績のない映画スタープロダクション」でありながら 金曜8時という最高の枠と日テレの莫大な製作費という 最高の支援体制を得ることが出来たんだよな と、いうわけで 昭和の大スター裕次郎や渡哲也、舘ひろしがあるのも みんなダラ幹のおかげ、ダラ幹の功績ということにしとこうwww 太陽にほえろは東宝制作 裕次郎は一俳優として出演したんであって、石原プロは関係ないよ
「太陽にほえろ!」のプロデューサーが 「太陽にほえろ!」が成功した事で石原プロでもTVドラマを 手がけるようになり(大都会、西部警察) 成功させた石原さんの柔軟さは素晴らしかったと回想してたな
太陽にほえろ!が人気番組とならず当初の予定通り1クールないし2クールで終了していたら、全日本プロレス中継が金曜8時に開始されていただろうか?
>>221 既にNETが同時間帯でプロレスやってるから無理だろ。 >>222 マンデー・ナイト・ウォーズに先駆けてフライデー・ナイト・ウォーズやってたらどうだったか プロレスを追いやった(と思えた)太陽にほえろに逆恨みして 一切見なかった。マカロニだのジーパンだの同級生が騒いでいたが無視していた。 バカで一途な子供だったな。太陽にほえろのせいじゃないのに。
金八から仙八になった頃 タイガーマスクで盛り上がったから 関係なかろう
俺は全日本が好きで新日本が嫌いだったから太陽にほえろばかり見てたし応援してた ショーケンというより裕次郎ファンだな世代が違うが、長嶋馬場裕次郎が同じくらい好きだった
俺はプロレスとは全日本土曜夜8時だと思ってた。 猪木とは誰だ? という感覚。
新日の選手の両腕でマット叩く教科書どおりの受け身がセコく見えた プロレスラーならデーンと豪快に倒れんかいとw
当時はテレビが1台しかないから子供はチャンネル権のある人の趣味に影響されるよね
我が家はおばあちゃんがプロレス好きだったからプロレスだった。嫁(俺の母)の希望は通らなかった
うちは金曜夜だけは ずっとテレ朝固定だったんで見れたが 土曜はアホの兄と姉がドリフ見て爆笑するつまんない奴だったんで 見るチャンスがなかなか来なかった だから夕方に移行したことはありがたかった
夕方になったら、こちらの地方は深夜に。 眠い日曜夜深夜だったなあ。 でも月曜の学校ではプロレス談義で盛り上がった。
ファンクスやブッチャー全盛のころは ビデオはまだ普及してなかったな
金曜8時は親父と男連合組めれば親父がプロレス嫌いな家庭でない限り 視れたって家庭も多かったんじゃないか?テレビ一台のあの時代だと 母ちゃんや姉妹がいる家庭でもその代わりに9時からは 百恵ちゃんの「赤いシリーズ」で手を打とうとかでチャンネル権が取引されたりで またそのあとの時間は「噂のチャンネル」だけどなw それに対して土曜8時はやっぱり大多数の小学生にとっては 「全員集合!」や「欽ドン」に惹かれたでしょ 裏で巨人戦のナイターやってる時でもさすがに「全員集合!」だと 親父も子供の言うこと聞いてやってそちらにって家庭も多かったんじゃないかな?
うちは土曜8時は刑事コロンボ見てたわw(毎週じゃないけど)
コロンボ、ガキだったら終わりまでもたずに寝ちゃったりしたな あとは古谷一行の金田一
>>237 横溝正史シリーズは22時からだったね、Gメンの後のプログラム。 東京12チャンネル時代の国際プロレスは、月曜8時の時はまずまずだったのに、 土曜8時に移され視聴率が低迷。放映打ち切りから団体崩壊になったからな。
土曜8時の 井関農機や 僕は昭和の金太郎〜 は良かったがなあ。んでCM終了セミファイナル。メイン。 馬場、鶴田組。ヘロヘロ鶴田が馬場にタッチ、でた外人よりデカイ馬場の チョップで外人が悶絶。もうたまらん。
土曜8時の世界のプロレスの視聴率はどうだったのかな
>>242 悪かったから、たった半年で打ち切られた。1年後に月曜8時で復活したが。 全日本プロレス中継は土曜8時にしたのが大失敗だったよな 裏にドリフがあってナイターシーズンには野球もあり、巨人主催試合なら深夜の放送に回される やっぱり日プロ時代からの馴染みのある金曜8時にならなかったのが痛かったわな
太陽にほえろ好きだったからあれだけど再放送をあと数ヶ月続ければ全日本旗揚げだったのにリセットしたから新日本に取られてしまったのは残念
黒澤映画で羅生門綱五郎を初めて見たけど どんな選手だったんだろうか 馬場さんとタッグ組んで欲しかったなあ
>>244 地方のこっちは民放2局で 裏がフジだったから全員集合すら別世界で土曜がよかった。 反論ではなくて単に県毎の違いだけどね。 >>32 ホーガンもスーパーデストローイヤーをやったことあるんだな。 列伝では逆に対戦していた。 >>252 70年代は月曜と金曜は11PMの時間帯にイレブンナイターと称して巨人戦は録画で 放送されていた。 日本プロレス中継〜太陽にほえろの期間は金曜にナイターの生中継やらなかったんだよね 例外は王選手の756号のかかった試合だけ(結局打てなかったんだけど)
>>232 ドリフ全盛期と動きの悪くなった時代の馬場じゃな… ドリフの裏はキツイがドリフ以外は強い番組がないしドリフ好きだった自分も40歳を過ぎると興味なくなるから、今の自分だったら土曜8時はプロレスか時代劇を見たい >>258 必殺仕掛人のキャスト紹介順が興味深い、当時は山村聡が最初だったんだな いまBSで放送してる仕掛人は緒形拳が最初なのに 「太陽にほえろ」も今だったら9時以降の放送だろうな。薬物やら暴力団にまつわる話が多かったし。 山さん主演編なんかはどう考えても10時台が妥当だし。
>>264 構って欲しそうにレスするなよ気持ち悪い >>258 72年12月30日の新聞かな? つべにその日の全員集合の船橋ヘルスセンターでの消防署コントがあがってるんで 土曜8時の視聴率は10%を下回る全日本プロレス中継よりもテレ朝の変身ヒーロー枠の方がずっと高かった。
>>258 東京12チャンネル?の夜8時からの番組で林家パー子が単独で出演してるが、一体何するんだ? 土曜8時時代は視聴率苦戦していたのに、よく6年半もゴールデンで放送出来たなあ。 土曜8時時代の最高視聴率と最低視聴率はどの位なのかなあ?
全日中継が20%を越したなんて話は聞いたことがないなあ
>>258 キイハンターの池田昌子ってメーテルや綾鷹の?まだ女優時代ってことか。 >>258 おんぶおばけとど根性ガエルが同じ時間帯だが、栗葉子はど根性ガエルで京子ちゃんも演じているのにダブルブッキングOKだったのか?! >>268 当時のパー子は日本初の女美人落語家として テレビに良く出てたらしい >>277 すわしんじって、カシンの素顔にそっくりだったよな。 >>273 ある意味で倍賞美津子がワープロと金八ダブルブッキング ワープロは旦那の猪木だから自分自身ではないが 猪木からしたら裏の金八に女房と 金八は半年放送だけど その後、マカロニ刑事と事実婚 まさに、金曜8時のミューズ
土曜夜8時の超ゴールデン時代に 最強タッグ ブッチャーとファンクスのフォーク凶器とテキサスブロンコ でテリーが超アイドル化した。
ドルフが視聴率30% 欽ドン!が20%近くある週があったんだよな そりゃ誰も見てないわ
>>282 これでNHKが野球やってたときはどうしようもなかったな。 ワープロを時間帯移動に追い込んだのは「風雲!たけし城」だが そのレギュラー出演者だったのがストロング小林(金剛) 時間を超えて新日にリベンジしたようにも見える
>>283 昭和49年9月28日(土曜日) NHKプロ野球中継 中日対巨人(中日球場) 首位攻防の天王山。中日が勝つか引き分けでマジック12が点灯・・・ そりゃ当時の国民は、子供はドリフで大人は野球だな。 全盛期のドリフと欽ちゃんが同じ時間帯に激突ってものすごいことだよな。 野球中継でも、この両巨頭に勝てなさそう。
上からタライが落ちてきてゴワ〜ン!でお茶の間大爆笑。 いまのバラエティは斜に構えた笑いや言い回ししないとうけないもんな。 娯楽が少なくてよかった。
全日のパンフ掲載スペースはゴング>週プロ=ファイトの序列は変わらなかった 団体側に都合の悪い事を書かず、 提灯記事の多いゴングの方が馬場の覚えは良かったんだろうな >>288 いくらなんでも、1ページと1/2スペースの広告料金が同じわけはないだろ? 週プロとファイトはいわゆるお付き合い広告だな、内容からしてもやっつけ感ありありだよ。
ファイトは別名「猪木新聞」だからね 一誌だけ猪木馬場と書くほど徹底していた 馬場と井上義啓は最後まで不仲なままだったとか
編集長が出した本にも、猪木のブラジル時代の辛酸を語った後、突然キレたように、 「(これほどの男を)何故飢えもせず野球がやれた馬場なんかと比較する!」 とか書き捨ててたしのお
>>270 小林邦昭さんが今でもタイガーマスクとの抗争で23.4%を叩き出したことは自慢であり、誇りだって言ってるしね ただ放送翌日は街を歩けなかったらしいし、有名なカミソリ事件もあったから不自由はしてたんだろうけど >>293 ミスター高橋もシンに贔屓していると反感買って、猪木ファンから「これで楽に死ねる」と白い粉を送りつけられたとか。 ジョー樋口には補聴器や老眼鏡が送りつけられたのかな? >>293 小林の執拗な覆面剥ぎは面白かった 全日で覆面剥ぎの攻防と言えば誰だろう >>287 そんなことねーわ。 今の芸人にドリフみたいな芸があれば、タライでもうけるよ。 ドリフは細部に渡って計算されてるからな。 >>293 永源もゴールデン時代の新日本にいたから 地方でも誰でも知られる存在でありそのため 集客力が高かったみたい。 そのため鶴田に対しても高圧的な態度で接していたみたい。 >>295 札幌のマスカラスとブッチャーじゃないかな >>297 ジャンボが引退してアメリカへ留学すると言ったとき永源が「全日本の金で留学するの?!」と責めたからジャンボは退職して会社からも籍を抜いちゃったんだよね。 全員集合の生放送での公開コントやプロレスのレギュラーでのゴールデン放送など、今では再現不可能に近いんだから、その両方を当たり前のように毎週多感な子供の時期に楽しめてたのは幸せだったのかもね
>>271 72年ならもうオードリー・ヘプバーンの吹替やってたyo たぶんこの頃は顔出し最後の頃じゃないかな ドリフは中学生くらいになったらくだらねえと思って見なくなったけど、今思うとかなり攻めてたな ちょっとだけよ、なんてストリップだもんな 子供番組なのにw
>>302 ありがとう、もう80歳らしいね。いまだに現役バリバリで仕事してるの凄いと思う。 >>297 ゴールデン時代ってもほとんどTVに出てないのに? プロレスを見るファン側からしたらタニマチと親交があろうがチケット多く捌けようが関係ない 永源なんてチビデブのツバ吐きの前座でダラダラやってるだけの不潔レスラーでしかない それが何十年も全日でメイン張ってきたジャンボ鶴田に偉そうにすんなって思うんだがな
ただ、全日本プロレスにもたらせた金となると、永源が上なんだなーw
ドリフにはジャンボマックスにミスターポーンと プロレス的要素は満載
>>297 正直言って当時の知名度だと永源より極道コンビのほうがよっぽど上だろ。 永源は現役レスラーなのに 医者に運動不足と言われた
意外にも永源は酒を飲めない。 かなり弱かったみたいで。 見た目とは大違い。 大昔の大百科の類いに書いてあった。 また後々にも週プロにもそう書いてあった。
>>309 ミスターボーンじゃなくてリトルフランキーじゃないか? >>308 何を知ったように言ってるんだ? このアホが。 当時のガキの一人として想像するが テレビならドリフより全日をちゃんと見る小学生なんだけど 同日、近所でドリフの八時だよ公演(でいいのかな?)と全日の興行があったら ドリフを選びそうだな。NWA世界戦とかあったら別だけど。
>>318 当時の勢いというかドリフのパワーは想像を絶するものがあったんだよ。 ブームとかではなくて社会現象、社会問題だったんだから。 全員集合には女子レスラーも出てたよね。 よく、全日はドリフに似てるって言われるけど、何故だか?
>>320 俗悪番組の位置づけもあったから 絶対ドリフは見せないという家庭も多かったろう じゃあプロレスの方をとはならないけど >>278 すわしんじって、見習いの身分だったけど、破格の扱いを受けてたよな 大爆笑では何度かオチを担ってたこともあった し、ブルース・リーや馬の嘶きといった持ちギャグもあった プロレスになぞえると、練習生の身でリングに上がり、得意技を持ってメインに登場するようなものかww >>324 いかりやは、すわの実力に嫉妬してメインでは扱わなかった。即ち、いかりや=猪木、すわ=木戸。 志村がドリフに出戻りしなかったらすわしんじが荒井の後釜になっていた。
ミスターポーン リトルフランキー 天草海坊主 アブドーラ・ザ・コブッチャー リトル・タイガー
リトルフランキーも全員集合に出ていたはず。志村にどつかれたら、例のエビぞり顔面歩きを見せて観客の喝采を浴びていた記憶がある。
超獣コンビはなぜ最強タッグ戦でウォリアーズのダブルインパクトをマネしたのか? 全日がウォリアーズを呼ぶ事を知って危機感を持ったのだろうか? >>329 ウォリアーズ、この時ほまだダブルインパクトやってなかったんじゃないか? どちらかというと、アドニス&オートンの影響では? >>324 何だっけ、カンフー映画の掛け声「ハッ、ハッ」に合わせて歯を見せるギャグを見たなー >>325 このスレ的には、 馬場=いかりや 輪島=すわ でしょ。 海外ので流行していた、タッグチームならではのムーブは 国際プロレスのマットで少し取り入れられていたんだけど、 例によって国際ではムーブメントを起こせなかった 新日でもヒールのマサ斎藤のタッグとかメキシコ勢とかが チビチビやっていたけど、やっぱり大々的にお披露目を されたのはアドニス&オートンの連携だよな 目まぐるしいコンビネーションを駆使し、最後はスカイハイ ラリアートでメインの猪木組に勝ち、実況も「こんなタッグは 見たことがない!」とプッシュしまくったのが1983年3月4日 この後オートンが不祥事でタッグ解散、長州が国際軍団を 離脱した浜口とアドニス組の連携を受け継ぐ形でコンビ技を 駆使し始めた 当時全日はカブキが帰国した頃で、4月にはハンセン・ブロディが 「世界最強タッグ・リマッチリーグ戦」で優勝、4か月後にテリー引退 翌年にはジャパン勢が全日に上がっていて、コンビネーション技が 当たり前になってくる流れだったような
>>330 トップロープからは飛んでなかったし、そういう名称はつけてなかったが ウォリアーズのフィニッシュと言えば最初からダブルインパクトだろ。 >>288 当時の週プロは天龍べったりとはいえ全日本の話題が多かったが、ゴングは中立で全日本プッシュのイメージはなかったからこの広告の差は以外だった >>335 天龍に関してはSWS移籍後の週プロの手の平返しは露骨だった… 元子さんには「悪意を持って馬場さんのことを書かれたくない」という気持ちが強かった。 馬場さんにインタビューするときも悪意を持って質問しないでほしいと。 80年代前半、全日本と仲の悪かった『週プロ』は、聞き手がフリーの菊池孝さんじゃないと 馬場さんインタビューができなかった。『週プロ』の記者だとダメ。
ジャパン時代に取材拒否したけどその前から仲悪かったの?
俺は平成全日本からしか知らないけどあの全日本べったりだった週プロが昭和の時代は反全日本だったとはね。
ジャパン時代の取材拒否は長州が原因みたいだけどね。週プロは全日本の記事が少ないと中の人も認めてたが、ゴングも全日本派って感じでもなかったな 竹内さんはマスカラスと猪木が好きって言ってたし菊池さんはフリーとして週プロでも記事書いてたし、門馬は新日本の解説だし 全日本だけ好きな自分には天龍同盟まで専門誌を定期購読する気になれなかったな
>>340 門馬さん、新日の解説してた?国際だろ? >>339 >>340 元々は反全日(新日)とかって雑誌や版元の編集ポリシーとしてあったってわけじゃなく ゴング竹内vsその時々の(月刊〜週刊時代通じて)BBM社プロレス誌の編集長って構図で 言われるように竹内さんはどちらか片方に偏ってってかんじでも無かったけど 確かに馬場のブレーンでもあったわけでプロレス誌側視点でいえば全日側 プロレス誌側は社の大きさや歴史などからも月刊時代からゴングに対して相当ライバル心が強かった印象 で、正直言えば昭和50年代までは表紙やカラーグラビアが 馬場鶴田より猪木藤波タイガーの方が売れ行きが良かったはずなんで 竹内さんの大きな個人誌みたいなもんだったゴングに比べて BBM社という企業の一部門であり流通量も多いプロレス誌の方は ビジネス的にどうしても新日を取り上げることが多くなる=新日に肩入れした記事や企画が多くなる それに対して全日側が反発からやや距離を置いてってかんじで そうなるとプロレス誌側では商売や誌面構成上尚更新日寄りになって 結果的に全日・ゴング連合vs新日・プロレス誌連合みたいな構図になってた印象 >>341 そうだっけ?新日本あんまり見なかったから勘違いしてたわ、数十年間w >>342 やっぱりゴングは昔から中立だったんだな小佐野金沢時代までは でも俺がゴングを定期購読してたのは小佐野金沢時代だけだし紙面的にはちょっと偏った方が面白いのかも 竹内さんは「本籍新日本 現住所全日本」と揶揄されていたとか。
月刊誌時代はゴングが好きだった 海外の話題が多かったのもある 週刊になってからはプロレスの方が先行したのもあるけど 内容も面白かったしよかったが ゴングの方が写真ページが多かったんで購入はしてた 俺が若いのもあったけど記事より写真だった
ゴングは昔から写真の構図、誌面のレイアウト、紙質が良かったから読みごたえがあった。 これはもう竹内センスの成せる業なんだが、同時に全日のポスターとパンフレットのデザイン・レイアウトも手掛けていた。
竹内さんは平成以降は人格者で馬場シンパのイメージだけどその前は全日本の解説者のくせに猪木好きを公言したり、解説も山田さんの方が好きだったからはっきり言って好きじゃなかった 今は新間との深いつながりとかゴング代表の立場とか事情が色々わかるから好きなマスコミ関係者の一人だけど
試合写真は圧倒的にゴングの方が優れていたね。「ベストショット・ゴング」なんていう企画本もすごくよかった。
>>348 同意。 10年後位に本棚から引っ張り出してみた時、ベーマガ系との差はかなりのものがある。 >>345 上でも書いてる人いたけど元々レスラーとしては猪木の方が好きって人だった 馬場のブレーン的存在になっていたことと プロレス誌側との対抗兼棲み分け、 というかもし竹内さんが仮にゴングを露骨に新日寄りの誌面にしてたら 今度はプロレス誌の方が全日シンパになってただけだったと思う それに比べれば東スポ社内での櫻井さんと山田さんの プロレス担当の覇権争いと出世競争はガチ もっともこっちはブロディvsW・ファリスなみの一方的な勝負だったらしいが 山田さんは馬場の人間性を凄く気に入ってたらしいね。日プロの派閥割れの時も真っ先に馬場についたと 猪木はレスラーとしては好きだが人間性は嫌いって人が多かったが、竹内さんはどの程度の好きだったのか
馬場派と言えば菊池孝じゃね 菊池孝は猪木については一貫して「人間性が信用できない」だった
門馬と同じく、菊池孝も国際プロレスの解説者していたよね?
ベイダー、ハンセン、ブロディ、ブッチャー、アンドレ、 ウィリアムス、マードックなどなど 結局外人レスラーも最後は信用で勝る馬場とこを選ぶんだよな
小佐野 私は馬場さんに「この流れからすれば天龍さんとハンセンがタッグを組むしかないですよね? そういう書いていいですか?」と聞いたら「好きに書いていい」と。 『ゴング』でそう書いたら実際にタッグを結成することになったんだよ。 そうしたら、その頃の馬場さんのブレーンだったターザン山本さん (当時『週刊プロレス』編集長)が怒ったみたいなんだよね。 ――自分が馬場さんのブレーンをやってるのに、ライバル誌にスクープされるのが許せなかったんでしょうね 小佐野 馬場さんからキャピタルに呼び出されて「なんでこんな記事を書いたんだ?」と怒られてね。 でも、そのときは元子さんは私の味方になってくれた。 「馬場さんはあのとき好きに書いていいと言ったでしょ。これは馬場さんが悪い」と。 そこは筋を通してくれたんですよ。
菊池さんは国際プロレス派で平成になってから天龍の行く団体を応援って感じだったが、基本的にはまんべんなくって感じで新日本嫌いって感じはしなかった。猪木嫌いは知ってるけど
マードックは戻りたかったけど馬場が門戸開放しなかった…と言われているけど実際は非公式に“オレが輪島のパートナーになってやる”と言った程度じゃなかったのかな? これはマードックがちゃんと手順を踏んでいれば結果は違ったんじゃないかと思う。
晩年の菊池さんは記者席でずっと寝ていて会場が沸くとうるせぇなぁって感じで目を開ける
門馬さんは最初の猪木VSラッシャーの時に国際側としてテレビの解説席にいたよね。
菊池さんが猪木を嫌いになったのは東京プロレスでのゴタゴタが原因らしいね。
菊地さんは大仁田とか蝶野とかテレビの前でだけ威勢がいいレスラーに凄まれても平気 実況席に怒鳴り込んで目立とうとする三下レスラーの姑息な手段に乗る気なんてサラサラないんだろうな
>>369 菊地じゃなくて、菊池だったんじゃないか? >>361 ブッチャーだって、馬場が存命中(96年頃) 東京プロレスとかインディーに移ったぞ! 全日で、興行の半ばくらいの試合順で 良いブッチャーを演じるより インディーで怖い悪役でメインを 張ることを選んだ! >>371 戦い続けたブッチャーが全日で引退式やれてよかったな >>363 引き抜き防止協定があったし、 外人係のジョー樋口が強硬に反対したからな。 大体ちゃんとした手順ってなんだ? 秋山、泉田、大森は浅子、井上にイジメられないように別々のアパートに泊まらせていたらしい 平成の全日レスラーは甘やかされていたんだな
マードックは本当につぶしが利くレスラーだけど、87年の天龍革命以降の全日に戻ったとして、使い方が難しいだろうな。
>>376 それぞれアマレス、大相撲、アメフトの中で理不尽なカーストは経験してきただろうから、よほどのことがないかぎり先輩には従うだろう。 >>376 プロレスには一日でも入門早ければ先輩という掟があるからね それを二年も早くに入門してれば 浅子や井上というより二年先輩という事で考慮したのかも 秋山や大森がトラブルで辞めたらと考えて 二人とも期待されてたから 泉田も最初は元力士の期待の重戦車男とか言われてた それはそうと1991年入門組は全日にはいないね 途中で辞めたのかも 特別扱いされてたのは秋山・大森・多聞。 巡業のホテルで3人がシングルの部屋に 宿泊していたのに対し、井上と浅子が ツインの部屋で相部屋。 まあ井上と浅子なんて昭和なら海外遠征に出されたまま そのまま放置されてたパターンだろ
ゴングは表紙、巻頭試合グラビアレポートは肯定記事見出し。 だが三者三様座談会など、中に入るとキツイ批判。 週プロは表紙、巻頭試合リポートから批判丸出し。 だが中の記事は当たり障りない。
>>367 さらに国際軍団が待遇が悪いと勝手に思って猪木批判 マードックがクールな頭もってたら、新日へ出る時にでも 2〜3年ちょっと行ってくるだけさ、必ず戻るからその時は使ってくれ なんて言っておけば馬場も受け入れたと思うんだけどな。
>>375 マードックは天龍チョップに怒りそう。仮に天龍原時代を乗り越えても川田の蹴りにぶち切れそう >>378 >プロレスには一日でも入門早ければ先輩 と同時に、全日(馬場)には 「年齢が3才以上、上だったら後輩でも 「さん」付けしろ!」というルールもある。 泉田は昭和40年生まれ、浅子は46年、井上は45年。 秋山と大森は44年で、微妙だが。 >>362 特にアリ戦後のメディア批判が大きかったとか >>385 全日本のそれは知らなかった なら泉田や本田は間違いなく優遇されていたね 本田は30で入門だったはず 新日本の安田は年下の先輩からコキ使われたみたいだけど >>385 新日本だけど入門数日早かった舩木から武藤が呼び捨て “ムトー”呼ばわりされて頭きたみたいだ 武藤からしたら中卒15歳の小僧から呼び捨てされたら頭くるよね でも舩木がプロレスに復帰してからは“武藤さん” 野上も蝶野と動機なのに“蝶野さん”と 蝶野も武藤を“武藤さん” 天龍は先輩の鶴田を“ジャンボ” 大仁田は後輩の天龍を“天龍さん”で 武藤と船木は、6歳武藤が年上で、入門は数日船木が先。 当時は船木が「おい、武藤」と呼んでいた。 今は、「船ちゃん」「武藤さん」と言い合う関係。
>>386 ノアの仲田みたいに猪木新間はマスコミ対応も高圧的だったのかね それでもマスコミ関係者に猪木信者が多くてみんな甘いから菊池さんは猪木嫌いに徹したとか >>373 >大体ちゃんとした手順ってなんだ? 横レスですまんが ブロディ・ブッチャーが戻った時みたいな感じじゃね? あの時は長州軍団を新日に戻す、その見返りで引き抜き協定を特別に緩和したらしいじゃん。 あと、フレアーとウイリアムスのトレードも同じ感じなのかな? マードックが手順を踏む、というよりも馬場が見返りを出してまでマードックを欲しがるかという事になるんだけど。 単純にギャラがあわなかったんじゃね? 新日結構払ってたろ
ブロディスヌーカ ハンセンゴデイ ファンクス ブッチャーTNT 鶴田谷津 天龍原 馬場輪島 の最強タッグにマードックが来てたらと思うとワクワクするな、この場合パートナーはマスクドスーパースター?WWFにいたような
>>378 1年くらい前に91年に大阪から出てきて、わずか数日間練習生だった人の書き込みがあったな 小川に「新弟子なに座ってんだ」って怒鳴られたり、わずか数日間でもう既に浅子にやりこめられたみたいで浅子のことをAと書きこんでいたなww >>397 馬場はマードックとブッチャーを一緒には呼ばないよ、人種差別イジメの件があるし。 球界では年齢基準なんだよ 高卒で2016年入団のA 大卒で2018年入団のB がいたとすると AはBに対して「Bさん」と呼ぶ BはAを呼び捨てにする 馬場は元巨人軍だからその感覚を持っているはず
世田谷砧の道場って住宅地だったよね。 選手達練習来るのに自分の車何処に駐車してたんだろ? 新日の野毛道場も昔も今も駐車スペース無さそうだけど。
>>384 マードックは94年に天龍のWARに参戦してるけどな。 正規軍の助っ人ポジションで天龍との対戦はなかったけど >>401 近くに馬場所有の土地がありそこに停めてたらしい。 ジャンボに道場建てさせないで、馬場の土地に建てりゃいいのにみんな密かに思ってたらしい。 >>403 そういえば来てたような 天龍対マードックやれば話題になったのになんでやらなかったんだろ マードックがWARに来てたのは知らんかった 藤原組に参戦して、組長とシングルやったのが自分ではマードックの最後の記憶。
>>408 確かそれが最後じゃないか 藤原が「マードックは練習をしている体じゃないが天才だ」と言っていた 新日を離れてからは FMW→Wing→WAR→藤原組 かな?
見よこのナチュラルボディ 新日本とマードックが切れたのってベイダーが来てからだよね、猪木と組んでデストロイヤーみたいになったし用なしかギャラ下げがあったのか
オレの印象では、ソ連軍が来た頃とマードックのフェードアウトが同じくらい ファイトスタイル的に水と油だし、新日としても使いにくいだろうし マードック的にも「あんなグリーンボーイ軍団は面倒臭い」みたいな感じとかあったかもね でも猪木に「観客を手の平に乗せる格闘芸術」みたいな話を聞かされて、ソ連軍はいたく感激してたらしいからね プロのマードックを立ててうまくやれた気もするよね、ヘーシンクとは根本的にプロレスに対する思いが違ったようだから。 当時はそこまでわからなかったが、橋本の四の字に悶絶してギブアップするザンギエフなんてプロレス大好きだっただろw
今日はブッチャー二度目のチャンカー優勝からちょうど四十年 プロレススーパースター列伝のブッチャー編もこれから またこの土曜五時半中継の一発目
>>407 あの時は石川の離脱でIWAからの貸し出しだったはず。 あの頃の天龍は冬木軍とナガサキ、赤鬼との抗争中でそれどころでなかったはず。 マードックもなんか軍団の一人みたいな扱いだったね。WARでは天龍対ゴディもやってた ブッチャー ブロディ スヌーカ以外は一度新日本に行ったレスラーは受け入れなかったからマードックもその中の一人なのかも
マードックは新日本に移籍したレスラーで一番成功していた印象
誰もが知ってるブッチャー、来日外人では特Aランクのブロディとその相棒スヌーカ、 マードックはそこまでではなかったという事だろうか
スヌーカの復帰は最強タッグの開幕戦で急に発表だったのはサプライズもあっただろうけど、ブロディのついでみたいな感じで後から格安で呼び掛けたんじゃないかね。売り込みを待ってたとか
ブロディは金曜夜八時の登場でかえって知名度を上げた面もありそう まあ要するにリスクに見合うだけのメリットはあるとみなされたか ブロディとしても選択肢が減り我を張りにくくなったのもあるだろうし
マードックは「トップに立つと責任重大だし大関関脇クラスの方が気楽でいい」と 思っていた節があったんだとか 自分がトップでないと気が済まない猪木やブロディとは異なった生き方
>>402 そう一律でもないよ。 俺も大卒で入社した時は、 高卒で年下先輩社員がいたが、 最初は、「さん」付け。 向こうは、俺を「呼び捨て」 それが普通だった。 後に、共に仕事では「さん」付け、 プライベートでは愛称(○○ちゃんとか) で呼んだな。 最初に年下とはいえ、先輩を呼び捨てにしたら ちょっと大変なことになる。 野球でも、今、「ビッグコミックスペリオール」に 「江川と西本」という実話に基づいた漫画が連載されているが 1956年生まれ、高卒75年巨人入団の西本聖が 55年生まれ、大卒、79年に入団してきた江川卓を どう呼ぶか悩むシーンがある。 呼び捨てはできないし、「さん」付けもなんだか、、 と思い、結局「卓ちゃん」になったとか。 86年のあれは「優勝戦は猪木VS前田、かも?」ということでチケット売り逃げしたんだから、 マードックは損な役回りだったな
エモやんの本でプロ野球界は年齢経歴入団時期関係なく年齢で上下って書いてたけど 江夏は年上の後輩の田淵を呼び捨てにしてたんだよな
>>428 年上で先輩の衣笠も呼び捨てだった。 ただ、解説では選手の事は君付けだったけど。 江夏と衣笠は親友だったからな 掛布は江川から 「なあ掛布、プロって凄いよな。とにかくバットに当てるもんな。」と言われて 唖然としたそうだ 江川にとっては自分の球はバットに当てられないが常識だったという
>>427 ジャーマンで決まっていたらまだ印象は違ったかも ブロディ復帰の時、もっと大々的にアピールする方法は取れなかったのかね? どうでもいい6人タッグで事前発表するくらいなら 試合なんかせずに鶴田vs天龍の試合後に乱入だけで良かったのに、と思う。 事前告知なしで武道館乱入だけじゃ、動員的にもったいないとか思ったのかな?
>>430 年上の江本の事も「エモ」 監督の野村でさえ「ムース」 まあ、あだ名だからそこまで神経質になる事でもないけど。 >>433 復帰を大々的に宣伝して盛り上がるとブロディがまたつけあがるだろうから敢えて(ペナルティの意味も込めて)ひっそりと復帰させたのかも。 そういうところが馬場らしくもあり、商売下手だなと歯痒くもあった。 ブロディについてはスーツで現れた新日を越えられないからじゃないかな。 だから復帰はあんな感じで自然体ていうか。
よく言われるけどブロディ復帰戦は中途半端なシングル組んでも集客は関係なかったと思う
政界では当選年期順 橋本龍太郎は23も年上の後藤田君呼ばわり
>>438 大橋 巨泉(1934年生まれ)は、2001年民主党から 出馬して当選したが、一歳年下とは言え、党の重鎮で、 総理経験者でもある羽田 孜(1935年生まれ)を公の場で 「羽田君」と呼び、大顰蹙を浴びたと。 まぁ、あの男のやりそうなことだが、、 >>433 大々的にしろって言っても、 フレアーの来日中止でホントに急遽呼び寄せたからな。 今みたいにネット時代じゃないんだから、 時間がなかったよ。 >>422 スヌーカは、その年も新日に来てたから、 新日が使う気がなかったブロディ、ブッチャーとは事情が違うからな。 引き抜き防止協定を守る意味でもスヌーカを戻す気はなかったんではないだろうか? デビアースの中止で、本当にギリギリに決めたんじゃないだろうか。 >>441 引き抜かれたハンセンが翌年のシリーズに途中参加することが決まり、地元の開催ポスターには新日本のポスターからコピーしたハンセンの顔写真(白黒で手書きによる参加!の文字入り)がセロテープで貼り付けられていたっけ。 最終は貼られてなかったから最強タッグ最終戦まで極秘だったことと、いかにも急遽参加という演出が窺えるね。 >>442 スヌーカはあのボイコットの後も新日本来日してたんだ、そりゃ後回しになるわ >>445 だって面白い試合してないじゃん ビデオで昔のWWFの試合見たらすげー面白くてなんで日本でこれをやれなかったのかと思ったな 田中角栄も13歳も年上の福田赳夫を 「福田君」と呼んでいて、秘書の早坂茂造が 「みっともないからやめたほうが良いですよ」 と注意したら「良いんだ!俺の方が三回も 当選回数が多いんだから」と言ったそう。
馬場は高校を二年で中退して巨人に入団したので、同期で入団した森、国松らは当然一つ年上になるのだが、彼らを呼び捨てにしていたらしい。そういう経験も影響しているんじゃないかな?
>>448 馬場の同級生って広瀬よしのりとか稲尾になるのかな…あとは加山雄三と伊東四朗 >>446 ええっ? リッキーとか鶴田相手の試合はめちゃめちゃ面白かったやん。 ブロディと組んでからは、 完全に脇に回ってたけど。 >>450 このシリーズのスヌーカは筋骨隆々でカッコよかった 南海の黒豹対褐色の野獣だったね… >>449 プロレスラーでジャイアント馬場(1938年1月23日) の同学年といえば、 ヒロ・マツダ(1937年7月22日)と シャチ横内(1937年9月13日) ハーリー・レイスの奥さんにを手を出して銃で撃たれそうになったのはシャチ横内なのに Gスピだとヤス・フジイの仕業にさせられてた
>>428 江夏が田淵のことを呼び捨てにしてたなんて初耳だな。「ブチやん」「ユタカ」と呼び合っていたと聞いたけど。 >>422 >>433 復帰試合は武道館だったけど、確かその3日前の伊勢崎の 会場に乱入していたような、キャピタルのジャージ姿で椅子を持ってるのを 記事で観た気が。 でも、猪木、マサの巌流島の日と重なったのが運がないというか、 狙ったのか、そもそもブロディ復帰が既定路線だったのか。 >>455 武道館までの3日間試合無し? そんな無駄な期間を過ごすのなら試合を組んだほうが武道館の当日券が売れるのに・・・ >>456 伊勢崎で乱入した後、鹿島で1試合こなしてるよ。 87ジャイアントシリーズでのブロディの試合(すべて10月) 5日 茨城・鹿島町立体育館 観衆1850人 〇ブロディ・ムーンドッグス(スポット・スパイク)(10分6秒体固め)鶴田・タイガーマスク・●高木※ダイビング・ニードロップ 6日 東京・日本武道館 観衆11800人(満員) 〇ブロディ・ムーンドッグス(スポット・スパイク)(8分2秒体固め)タイガーマスク・仲野・●高木※ジャンピング・パイルドライバー 8日 宮城・塩釜市体育館 観衆1550人 〇ブロディ・ムーンドッグス(スポット・スパイク)(8分24秒体固め)鶴田・輪島・●大熊※フライング・ボディアタック 9日 岩手県営体育館(盛岡) 観衆2250人 〇ブロディ・ムーンドッグス(スポット・スパイク)(8分36秒体固め)鶴田・輪島・●薗田※ギロチンドロップ 乱入〜数試合参戦だとシンの全日初登場と同じ扱いか。
骨を使った反則技をコミカルに使うムーンドックスがブロディと組まされてガチガチに緊張しながら慣れない厳しい試合をさせられてて可哀想だった
ムーンドッグスは向こうではそれなりに上位ポジションみたいだけど 天龍革命の真っ只中の時期に、あのスタイルはかみ合わないよね ブロディもそんなのとチーム組まされて、扱いがひどいな〜とは思ってた 片割れのどちらかはケンカ最強論になると名前が上がるんだっけ?
>>460 >片割れのどちらかはケンカ最強論になると名前が上がるんだっけ? 喧嘩が強かったのはこの時には来ていないムーンドッグ・キングだよ ロビンソンをボコったそうだ >>454 ブチやんじゃなくてブチだし、衣笠はサチ山本浩二はコウジ >>461 色々あってカナダから出国できない人だよね。 さすがバションが惚れ込んだ喧嘩水夫 ケンカ上等なレスラーってブロディや天龍同盟と合いそうだけど実際は当たりが強いと試合後に控室に殴り込みに行くだけという
>>464 そりゃそうだろ、リング上で相手ノシちゃったら仕事がなくなるわけだし。 広島VS近鉄の日本シリーズは 衣笠、江夏、鈴木啓示、平野、栗橋・・・と言うメンバーなので 893が野球の試合をしているようにしか見えない
>>465 あれは川田がキックの加減を知らなさすきたのが悪い、最終の武道館でもハンセンがぶち切れ寸前だった >>467 赤ヘル軍団が新幹線から降りてくるやつ思い出したわw 徳光和夫のプロレス自慢できる話の背景のポスターに10月6日の武道館のポスターが貼られてるな
>>467 www 昔のパリーグ(正確に言えば巨人以外)はみんなパンチパーマにゴルフウェアで怖かったもんなw プロレスラーの方が堅気っぽかったw >>472 江夏の21球の時って30歳辺りなんだよな。 今のマー君やら坂本と同じ歳ぐらいだけど全く違うなぁ もうすぐブロディの日本ラストマッチから31年か 平成の前に亡くなったけど、元号がひとつ跨いでしまうな…
世界のジャイアント馬場、なんで殿堂入りしないの?全米で大人気はウソデタラメって事?
WWEでの活躍は少なかったからなぁ、サンマルチノに一回挑戦してさっさと日本に帰ったし カーンもマサさんも殿堂入りしてないのに
あと馬場はNWA殿堂入りしてるから考慮したのかもな
日米レスリングサミットの時に全日が損しないブックを飲まされたんで ビンスが根に持ってるんじゃね あの時は坂口が「ビンスにNOと言って通したのは馬場さんだけだ」と言っていた
馬場も鶴田も日本ローカルな三流レスラーって事じゃん。下らない言い訳するなよ。
>>476 本当の話なのか知らんが猪木が先に殿堂入りしたので その後WWEの殿堂入り打診を元子が断ったとかw もし馬場が来年殿堂入りしたらそういう事だったんだよw MSGでメインイベントを務めた日本人レスラー 1964年2月17日:ジャイアント馬場 ブルーノ・サンマルチノのWWWF世界王座に挑戦。13分38秒バックブリーカーでサンマルチノの勝利。 1980年12月29日;キラー・カーン ボブ・バックランドのWWF世界王座に挑戦。12分23秒GSHでバックランドの勝利。
今年の3月28日に行われたWWE殿堂式典で藤波辰爾はWWE殿堂入りを果たしました。 現在WWEでは、すべてのWWE殿堂者とレジェンド契約を結ぶ事を望んでいます。 それは主に商品企画が目的です。 契約内容に、WWEのTVゲームやアクション・フィギュアを発売する権利が含まれているからです。 ↑ こういう風にWWEの金儲けに利用されることを元子夫人が嫌って 断ったというのが本当だろうな。
新日コンプ丸出しの旧全日信者も大概だがな… まぁ系統団体潰れてアノ有様だから、しゃあないかな(笑
タナカは、雑誌や新聞でよく知っていたが 実際のファイトは、見る機会がなかったな 外人のトップレスラーでは カーペンティア、バディ・ロジャース、ベアキャット・ライト このあたりも、映像でも見る機会はほとんどなかった
>>485 わざわざここに言いに来るあんたも大概だがなw タナカもカマタ同様に、なんちゃって日系レスラーなんだっけ?
>>483 >>475 では >ブロディ、新間寿氏、タナカらWWE殿堂入り とのことだが、 WWEは新間寿のフィギュアも発売するのか? >>479 あの時馬場がビンスを小僧扱いしたんだよね。 >>486 国際のDVDBOXに鶴田戦とR木村戦が収録されてるらしい ビンス・フレアー・佐藤 馬場の目線は三人とも根底的には同じなんだろうね 逆にいえば、晩年のB・ロジャースやF・アトキンスと再会した事があるのか知らんが 馬場がどんなに世界で有数のプロモーターになろうが この2人に対しては最敬礼するんだろう、という事になるね。
さすが、高倉健や桑田佳祐は鼻先でスルーし、 中谷一郎(風車の弥七)は満面の笑みで立ち上がって両手で握手を求める馬場
>>492 30年前位に出た本の倉持のコラムの中に数十年ぶりにクリスタルビーチでアトキンスと再会、挨拶もそこそこに馬場をトレーニングさせたというのがあった。 クリスタルビーチはド田舎で馬場が下宿していた時とあまり変わってなく、馬場と仲の良かった宿屋の女将さんの娘とあったなんて事も書いてあったな。 その後アトキンスとは会うことはなかったが、ずいぶん後になってアトキンスの娘から手紙が来てアトキンスの死亡をしった。 大病を患い周りの人に色々説得されて嫌々全身麻酔の大手術を受けたが、麻酔が覚めたとたん「俺は手術はしないと言ってるだろう」とカテーテルを千切って 医療機器をなぎ倒しの大暴れして、その場で死んじゃったそうだ。 >>494 >挨拶もそこそこに馬場をトレーニングさせた >カテーテルを千切って医療機器をなぎ倒しの大暴れして エピソードありがと,、数十年後に再会という事は少なくとも馬場はNWA王者にはなってるだろうね。 それでいきなりトレーニングさせる師匠も、それに付き合う馬場も何か良いなw 死に様も豪快だし、そりゃ娘さんからすれば悲観にくれるだろうが… 馬場って、全日創設のルーツもそうだけど ファンクシニアなども含めて、頑固親父に気に入られる素養でもあるのかね? ハンスシュミットもそうだな、アトキンスにしごかれてる頃の馬場を夫婦で食事に招待してたらしいし。 若い頃の馬場はビジネスライクな米マットの中では、稀有な人柄に見えたのかもな。 >>493 東野英治郎さんには最敬礼したそうだしね。 >>476 オマエラが望むならビジネスしてやってもいいぞと威張り腐ってたビンスが オイ坂口なんだこのガキはと冷たい目つきの馬場にアヒエーッと震え上がったからだよ 地獄の料理人が語るバーバの思い出は良かったな 性格のいい若者だったって
まあ当時のWWF単体で日本で興行うっても 客入り悪いからなあ。
馬場の人脈は若いうちにアメリカでスターになったのに気さくで礼儀正しかったからだろうね でも自分からがんがん行く方じゃないから若いうちに売れないと埋没したり騙されそう
>>493 桑田佳祐が挨拶して帰った後に、馬場が「おい、越中、あれがゴダイゴか?」と言ったんだよな。 馬場も『ゴダイゴ』の名前は知っていたんだなw >>476 「おい、坂口、何なんだコイツは?」 「おい、坂口、もう帰ろう。コイツは日本人を馬鹿にしてる。」 馬場の声と表情が手に取るように浮かぶなw >>501 >>>476 >「おい、坂口、何なんだコイツは?」 >「おい、坂口、もう帰ろう。コイツは日本人を馬鹿にしてる。」 > >馬場の声と表情が手に取るように浮かぶなw アウトレイジの「木村、帰ろう」を思い出してしまったw 日本人馬鹿にされてることに怒るのはBROTHER入ってるし、北野映画的場面だな。 馬場を初めて見た時の驚きは今でも覚えてる。とにかくデカかった。身長よりも顔の大きさがね。ちなみに初めて貰ったサインが馬場だった。30年以上前だけど大切に保管してる。
>>501 高倉健にも同じ対応。 「あいつは水戸黄門に出たことあんのか?」 アトキンスにもピンハネされたそうだが、プロレス教えてもらった恩人なので文句言えなかったとか でも力道山にアメリカで稼いだギャラを外人のギャラに変えられた事は恨んでいたな
松山千春とはどういう経緯で知り合いになったのかな。千春の高校の先輩の鈴木宗男 が認定書を読み上げたり宗男のかつての親分の中川一郎と会話している所をプロレス かゴングで見たけどその辺りのラインかな。
昭和57年の初夏、まだ辛うじてアイドルテイストの残ってた松山千春が 月間明星の記事で札幌で初のプロレス観戦したとの記述がある。 多分昭和57年6月1日の札幌中島での馬場VSハンセンのことだと思うが、 「招待されて初めはどうせ八百長だろと軽く見てたが、だんだん引き込まれた。」 と。試合後は馬場の控室を訪ね一時間以上話し込んだとも。 多分この辺が馬場と千春の蜜月のスタートかと。
>>501 [TUBEの前田です!」 馬場「はぁ?中部地方の前田さん?」 松田優作が馬場と同じマンション住んでたらしいね。 探偵物語にロッキー羽田がキャスティングされたのはその関係…ではないかw 羽田、出演者テロップで「ロッキー畑」と誤植されてたな。
デストロイヤーの住んでた麻布の同じビルに天知茂の事務所があったとか
猪木の元カノの生田悦子と大月みやこは昔、同じアパートに住んでいた。
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トップロープに座って相手を場外に落とすムーヴは鶴田もやってたかな
ファンクスというか、ファンクスに教えを受けたレスラーはなんか独特もムーブ持っていることが多い気がする
ドン・フライ「俺と武藤のタッグはザ・ファンクスだ。髪型からして、ドリーは武藤 リタイアとカムバックを繰り返す俺は、もちろんテリーだ(笑)」
映画でけっこういい役やったのに、その後俳優業が続かなかったのも、ドンフライ=テリーだな
テキサスクローバーホールド(テキサス四つ葉固め)は技の名前、形態含めて大好きな技だ
>>517 >>519 ハンセン、デビアス、バックランドなんかがやっていた「棒立ち状態で倒れる受け身」 も明らかにテリーのムーブだったね。 ハンセンが高山との対談で、テリーのものまねプロレスを見てるシーンがあるんだけど、 例のテリーがロープに絡まるものまねで必死に笑い堪えていたなw >>505 馬場の世代で、自分より年上の大スターである高倉健にそんな態度とったの? 馬場は渥美清は好きな俳優だと言っていたし、さすがに水戸黄門以外のドラマや映画も観てるだろうに。 >>525 馬場は、パーティーで高倉健に挨拶されて知らなかったって話しもあるけど、180cmくらいのレスラーを「高倉健や石原裕次郎くらいの身長じゃトップになれないな」って言ってエピソードもある。 テリーのムーブはミゼットのムーブをインスパイアしたってのを読んだ記憶がある
宝島のムックで 「ファンク牧場は技などを教えるのではなく 独特のムーブを教える場所」との記述があって 大笑いした覚えがある(鶴田の足バタバタなど
裕次郎は馬場が巨人軍で二軍の頃から大スターだが、 健さんが任侠映画で漸くスターになったのは昭和38年、 馬場がアメリカ修業から凱旋帰国した頃だな
>>528 もうちょっとマシなムーヴ教えられなかったのか。 4コママンガでもあったけど、ドリーの手4つで抑え込まれる時に倒立して逆転するムーブは強烈だ
馬場は映画観賞より読書が趣味だったから映画スターには疎かったかもな。
本物と付き合ってるから、ヤクザ映画など見る必要がない
馬場の「高倉健シカト事件」は、越中が付け人だった頃の話だから 1980年前後のことだと思う。 そのちょっと前、70年代後半から高倉は「幸福の黄色いハンカチ」 とか「野生の証明」と言った一般映画に出て、知名度、好感度を 上げたが、その前、任侠映画に出ていた時は、 確かにそのファンには絶大な人気を誇ったが、 女性やヤクザが嫌いな人間も多く、決して国民的俳優ではなかった。 例えて言うなら、プロレスの王者とプロ野球、巨人の4番だよ。 いや、それ以上に高倉はヤクザ映画を嫌う層から嫌われていた。 映画で例えれば「ピンク映画の人気女優」今で言えばAV女優だな。 馬場が、やっと「まともな俳優」になった高倉を知らないのは分かる。 むしろ「任侠映画の俳優」ということで高倉を知っていながら シカトしたのではないかな?
両人ともホモセクシュアルな噂のあった人物 尻すぎるほど知ってて、知らないふりした、かもしれない
>>536 馬場はネグリジェの話だけだろw 実際は大男用のパジャマだったw >>537 でも、婆には女好きのエピソードはないな。 猪木にはあるが。 >>538 脳腫瘍と診断されたとき、 童貞のまま死ぬのかと、 キャバレーのホステスにお願いしたった話は知らんのか? >>517 二人がかりでロープに投げてのダブルエルボーも珍しいと言えるかも。子どものころどうしてパンチじゃないのか不思議だった。 鶴龍はダブルパンチもたまに使ってたような 81〜82年に別冊ゴングで、レスラーが自分の一番好きな映画作品について話す「私の好きなこの一本」という企画があったね。 馬場がゲストで出た時は、「男はつらいよ」を挙げていたけど、具体的にどこがよかったのか話していなかったから、大して観てなさそう。。
別冊ゴングであったねえ。 他に誰がどの映画を選んだかは忘れたけど 別冊ゴングは懐かしい 真ん中のページ横半分のも懐かしい 各団体名鑑やらタイトルの歴史やらシリーズ紹介とか 毎月別冊が15日前後で本誌ゴングが27日前後に発売 月プロ、デラプロやビッグレスラーもそれに合わせて 1日でも早く発売だとフライングになる 同じ業界だから発売日は敢えて同じ日にしたのかも 月刊誌時代は味わいがあった
高倉健、馬場と 山口組の田岡三代目を通じて知り合っては いないのかな?
>>541 男はつらいよくらいは見てるだろ。 何でもかんでも疑うなよ。 >>541 ロビンソンが007シリーズだったな。 イギリス出身なんで無理やりこじつけた印象があったが実際に捏造じゃないのか? テーズとニックを男はつらいよ鑑賞に誘ったのロビンソンだっけ 映画好きだったのかな?
>>533 あんな目立つ体格で映画なんか見に行けないだろう。 そもそも巡業で映画館のない地方にいることも多かったろうし。 その点テレビドラマなら家やホテルに引きこもってても見られる。 成人コードのあるヤクザ映画はテレビじゃ放映されないし、 馬場が高倉健知らなくて水戸黄門に詳しかったのは至極当然なのでは 寅さんもテレビで見たんだろうし。 >>540 相手をロープに飛ばしたあと、なぜか二人が位置を入れ替わって打つのがカッコよかった。 入れ替わる意味がわからんけどw >>547 都内の映画館でのリバイバル上映 『寅次郎 知床慕情』流 智美が連れていった。 >>546 例のゴングの企画でインタビューされた時は、「レスラー仲間は無教養な連中が多い。自分が映画を観るのは知性と教養を身に付ける意味もある」と言っていたロビンソンだが、 好きな映画として挙げていたのは007シリーズだった。まあ、これも冷戦時代の国際関係を理解していないと面白さが半減するからな。 007といえば一昨日、BSで放送されたゴールドフィンガーでボンドが 「ビートルズは耳栓しないで聞いてはならない」という台詞言ってたけど ロビンソンも昔、雑誌でビートルズのこと「あんなもの聞く人間の気が知れない」 と言ってたの思い出した。
>>553 >「レスラー仲間は無教養な連中が多い。自分が映画を観るのは知性と教養を身に付ける意味もある」と言っていたロビンソンだが 凄まじく雑誌の創作臭い ロビンソンは見た目だけは英国紳士だが 実際は紳士とは程遠い人物だったと関わった人たちが言っている >>547 ヤクザ映画は普通にテレビ放送してたぞw 仁義なき戦いもフジのゴールデンで放送した事がある >>547 高倉健絡みだと網走番外地シリーズは何度もテレビ放送してるぞ 要は馬場がそういうのに興味がなかったから見なかっただけだろw >>550 入れ替わり直後にエルボーが当たると威力倍増って感じで見てたわ 三沢のローリングエルボーの原点はファンクスだね >>542 少年雑誌でも、サンデーとマガジンは当初同じ曜日だったね 同業者で暗黙の協定があったのかも 後発のジャンプやチャンピオンが出てきて、ぐちゃぐちゃになったが 発売日カルテル(?)で思ったんだが、 三団体時代ってチケットの値段は違ったんだろうか。 後楽園ホールの開幕戦とかならどこでも同じ金額にしてた、とかあるのかな。 日プロと国際なら二割三割違いそうだけど。
全日新日も同時期に似たようなシリーズやってたね チャンカンとMSGシリーズ 年末のタッグリーグ
>>550 ファンクスが入れ替わるのは ドリーが右利き、テリーが左利き それで両人が利き腕で打つための配置調整かと思っていた まあ、それをわざわざやるならロープに振る段階から調整できるだろ?って事になるから やはり見せる要素が大きかったんだろうね 鶴田天龍も同じく利き腕が違うから同じ事をやってたけど、ファンクスよりスピードが倍ぐらいあって必ず歓声が起こってたね あと、馬場と鶴田が相手をロープに振った後に、肩を組んでダブルで16文?みたいなやつ あれはガキの頃になんかカッコ悪く感じて好きじゃなかった なんか軟弱?というのかな、うまくいえないけど… >>562 ゴングで写真だけ見るとウルトラ兄弟の合体攻撃のようなワクワク感があるんだけどテレビで見たらもっさり感があった 実際にダメージが少ないのが原因だろうけどw >>563 ダブルキック!と言うと仮面ライダーのようで子供心をくすぐるから好きだったよ。 今ならダブルビッグブーツと言うのかな? 始祖は馬場&坂口の東京タワーズじゃなかったけ。 馬場は坂口とのコンビを気に入っていたから、同じく長身の鶴田とダブルキックをできるのが嬉しかったのかも。 >>562 あれは馬場がまだ動けた頃、二人が反動をつけて同じタイミングで蹴るのは中々の迫力だったよ。 途中馬場がただ足をあげるだけになって鶴田もそれにつきあいだした。 >>565 わざわざ馬場と鶴田が肩を組む必要はないのだけど「合体技」ということで威力倍増の印象を与えるのが特撮ヒーローっぽくていい。 >>561 >全日新日も同時期に似たようなシリーズ 春に「個人総当たりリーグ戦」をやったのは 日本プロレスのワールドリーグ(’59年〜72年)の伝統だろう。 全日のチャンカンは、日プロが消滅したと同時(73年の春) 新日は、日プロの伝統を継いで74年〜76年までワールドリーグと 銘打って春に行った。 年末のタッグリーグは、実は国際プロレスが’69年の暮に 「IWA挑戦リーグ」を開催した。 5か国のチームが優勝を争い (実際は総当たりをしていないが)、優勝者が豊登&S小林の IWA世界タッグに挑戦権を得た。 これは単発だったが、翌70年秋から日プロが秋に 「NWAタッグリーグ」を72年まで行ったなぁ。 >>564 >>565 初期の頃なら迫力あったんだ、ちょっと探してみる。特撮オタでもあったんで合体攻撃自体は大好きだったし 子供心に、仲悪いようで同じ時期に同じシリーズ開催って打ち合わせしてるのかな?って思った。
>>568 春のリーグ戦は別名「お花見シリーズ」と言って、開幕戦こそ東京だがすぐ九州へ飛んで、桜前線に合わせて北上し毎日試合前に桜の名所を見物し宴会を楽しんだそうだ。 リーグ戦だと長期に渡るのでこんな工程が組めた。 >>554 >>「ビートルズは耳栓しないで聞いてはならない」 そんな回りくどい言い方したの? 昭和の月曜ロードショーの吹き替え版では「ビートルズは耳に栓をして聴くべし」と言ってる。 翻訳者のセンスの差が表れているな。 マスカラス・ブラザーズあたりがやってたダブルのアトミックドロップは余り好きじゃなかったな。 パワーがないから二人でやるのかな?って感じがして。 もちろんダブルフライングクロスチョップは大好きだけどw
ダブル攻撃といえば ハンセンとブロディ、アメフトスタイルからのダブルタックルは迫力あったねえ 食らった相手が背中よりも後頭部を先に打つんじゃないかという…当たりが強烈でさ。
>>561 年末のタッグリーグは全日のオープンタッグ→最強タッグが大当たりしたんで 新日が真似したんだよ。 テリーが「イミテーションだ!」怒っていた。 >>575 オープンタッグの前にやった、シングルのオープン選手権 あれも真似したかったみたいだが、新日ではそこまでメンツが集められなかった >>575 でも「最強タッグ」という名称は 新日が先に銘を打ったんだよな。 1973年10月の猪木&坂口対テーズ&ゴッチ戦 ファンクスの合体技は 兄弟で初来日した時の ダブルアームスープレックスもあったなぁ。 というか、ドリーは初来日の時(69年暮れ) 一人で馬場をこの技で投げられなかった。 で、70年夏に二人係りのスープレックスを公開。 71年の暮は、テリーが馬場を一人で投げて インタータッグを奪取。
最強タッグの「リーグ戦」だから新日のパクリではないな。
翻訳といえばハンセンが最強タッグ乱入した日のデラプロに載っていたコメントでドリーのことを「あんなに痩せて、まるでスキニーじゃないか!」と言っていた。 スキニー(骨と皮)、日本流に言えば骨皮筋衛門という意味だが、さすがに外国人の言葉としてはアンバランスだし映画のセリフとは違うのだからそのままスキニーと書いたのだろうな。
>>581 でも半年後の大阪でのインター戦 ブロディに獲られた時の試合では体格はほとんど戻ってたよね いくら100キロ級のレスラーとはいえ、よく短期間で10キロ以上も増やせるもんだね >>581 倉持は 「今回のドリーは違います。絞りぬいて、精悍な体になりました」 だったな しかし派手なリングシューズだ >>584 これは色目がわかんないけど、オープン選手権の時も派手なブーツだったな。 >>562 馬場も鶴田も利き足と違う方の足で蹴っていた時が多くなかったっけ。 ハンセン、ブロディのダブルドロップキックはド迫力だった。 テレビで披露したのは83年最強タッグ札幌大会でのザ☆モンゴリアンだけかな?
>>586 馬場の16文は元々左足で蹴るからね。右足が利き足の鶴田とバランスとれるんじゃない? ドスはダブルのクロスチョップの時に、普段と逆側を飛ばなきゃなんないんで大変そう
木村健悟の稲妻に合わせて藤波が右腕のラリアットするのもあったな、あれは間抜けだった。
平成だが馬場ラッシャーの十六文ラリオハも豪快さがなかった 写真だと良くみえるのに
>>586 いや、だから馬場が右足、鶴田が左足でダブルキックしていたということを言いたかったのだが。 秋田の龍原砲の対ハンセンサンドイッチ延髄斬りのあとではもう何を見ても
>>587 ダブルでないが鶴田凱旋のインタータッグでの師弟コンビの連続ドロップキックも見事だった だからこそその後の鶴田のジャーマンも映えた感じで 馬場&鶴田のダブルキックは馬場がジャイアンツ時代投球の時左足をあげる、鶴田はバスケでジャンプするとき右足をあげるのでそういった形が多かったとプロレス必殺技300の豆知識でかかれてたね。
ダブルカウンターキックの最初は馬場・坂口の東京タワーズ? 最後は鶴田・田上だったか
>>596 鶴田田上でもイマイチだった。 二人が肩組んで足あげるのはやっぱり迫力が出ないんかね プロ野球が開幕したのでCS入って「徳光和夫のプロレス自慢できる話」見ているけど面白いな 古舘もゲストで来てくれているし
>>597 サンドイッチ技はタイミングが難しい 初期のサンドイッチラリアットは試行錯誤してたな 待ち受ける天龍は通常と同じだから問題ないが、相手と一緒に走る原のタイミングが難しそうだった 後期には走りながら相手の首に腕を当てて、プレス式にして安定感が増したな でも確実性は薄れるが、初期の方が決まった時の炸裂感があるから好きだった。 ロビンソンが新日のレギュラーになれなかったのが悔やまれる 新日に参戦していたらそれなりに日本プロレス史が変わっていた気がする UWFなんて出来たのかなあ
>>560 1月2日後楽園ホール、昼が全日本、夜が新日の中学生立ち見は、全日本が1000円、新日が1500円だったのを覚えてる ちなみに券は全日本は、昔から安い作りの青いぺらぺらの券で新日は、猪木他数名がカラーのかっこい券だったなあ >>604 新日本も85、6年は猪木のシルエットのみのデザインを使い回していたぞ。 >>605 最近の研究ではアリ戦に全力集中でロビンソンまで気を回す余裕が無かったという感じらしい >>604 全日は選手名がチケットにズラーッと書いてあったな。 新日は写真入りが多かった。 >>607 それとギャラ値切りとの具体的な関連性をご教授願いたい。 テレ朝の栗山は猪木VSロビンソンに感動したが 猪木は「ロビンソンはプロレスが下手なレスラー」と酷評していたそうだ
あの頃の猪木は凄かったね。 3月に小林、10月に大木、翌年12月にロビンソンと どんどんやる度に一人で名勝負連発で。 間にもシンやアンドレと。 まさにピークだったんだろうけど、 今思うとアリ戦で本道を外れてしまって「王道」に戻れなかったんだな。
>>611 約半年の間に ロビンソンとのプロレスリングの究極試合、MSG初登場、シンとの最大級の流血戦、対柔道金メダリスト、対ボクシング世界王者と プロレス活動の内容の振り幅が大きすぎるな それでも王道に戻れなかったというより 本来のプロレスで魅せる相手がいなかったというのが正しいだろう アリ戦終了時点では猪木の目新しい対戦相手はしばらく枯渇状態になるし その後に出てくる相手は猪木より若くなって世代交代してしまった感がある もっと大まかに言えば 対テーズ、ゴッチからアリ戦までの猪木新日のピークといっていいだろうね 同時期の全日も様々な面白い企画で対抗するが 話題的にはどうにも太刀打ち出来なかったし アリ戦以後はネタ切れ状態で新日がトーンダウンした後も 全日も似たような状態になって盛り返すまでには至らなかった そしてその後は外人の人気に頼る時代に移行していくことになる
オレ、年齢的にその猪木の全盛時はリアルタイムで見てないし もちろん対比する全日の時代も見てない ただ、後継者問題にしては若くからメイン級で使ってた鶴田がいる全日に対して 新日にはファン目線ではどういう見方をしてたの? まあ、鶴田に対しては藤波が相当するんだろうけど、でもジュニアだったし 佐山タイガーが出てきて、押し出されるようにヘビーにはなったけど… 要は何を言いたいかといえば、結果的に後継者どころか ジャパンやUWFみたいに団体が出来るほど、選手の育成力にはものすごい結果を出したけど 50年代の初頭から中盤までのカードを見ると、猪木が突出しすぎて後継者不足で頭打ちになんじゃね?って思わせる感じ 鶴田がいる全日に比べて、新日は坂口や小林など猪木の同世代は逆に充実してるけど 「でも将来どうすんの?」って感じに見える。 やはり長州の反乱と、前田がIWGPで帰国したあたりから将来の新日に展望が持てた感じなの?
猪木は新日は自分一代で終わりでいいと思ってたんじゃね
アリ戦後の猪木は格を意識してフォール負けを拒むようになった。 それ以前にはクラップあたりにも気安くフォールを献上して盛り上げて いたのだが。
>>615 猪木全盛期と全く同じレベルの後継者なんて作れない その時点での中心選手は団体の都合で変わるだろうが 必然的に90年代みたいな複数スター性になる 全日も鶴田が一応のエースではあるが 力道山馬場猪木とは格段に落ちるよ 何回かビックマッチの主要カードから外されて 凡庸なタッグマッチを組まれたことがあるくらいだからね >>615 >後継者問題にしては >新日にはファン目線ではどういう見方をしてたの? まず昭和50年前後、猪木は全盛期であり ピークを迎えた馬場とは違い、後継者問題なんかあまり 考えていなかったよ。 でも、まず第一候補は49年入団の吉田光雄だったな 鶴田と同じ、オリンピック代表選手だったし、 しかし、身体も猪木より一回り小さいし、華がなかった。 若手の中では藤波が「第一回カールゴッチ杯」に優勝するなど 期待されていたが、やはり身体が小さい。藤原は地味。 55年に入団の「日本アマレス最強の男、谷津」が入団したが これも、どうかな?と言った感じ。 本当に新日を継げると期待したのは54年くらいに前座で 目立っていた前田明だったよ。 ロビンソンに執着しなかったのはあのような試合はもう二度と出来ないというのもあったかも
>>609 二度目の参加の交渉の際に前よりも条件ダウンされていたため アリ戦実現に神経と資金を集中させていたのでそこまで払えないし払う必要も感じなかったという事らしい >>618 なるほど、でも凡庸なタッグマッチは馬場再浮上の後だよね? それまでは大体が鶴田は順調に行ってたと思うんだけど?(善戦マンという貧乏クジは別として) ハンセンが来てからが鶴田がAWAを獲ろうが、馬場がメインが増えた気がする 三沢タイガー登場の田コロにいたっては鶴田どころか天龍まで並みのカードだし。 >>619 谷津を忘れていたw やはり前田かあ、身長もルックスも雰囲気もやはりそう思うよね… ガキの自分ですらそれは思った。 ある馬場対ハンセン戦 山田「下馬評では8対2でハンセン有利と、言われてます」 倉持「馬場の勝率は2%ですか」 山田「……」 ってやりとりがあったことをふと思い出した
>>624 馬場対上田の試合で、田鶴浜さんが「62対57で馬場が上」って分析したこともあったなw >>623 WWFとのドームでの鶴田の扱いが最も意外だった 最もエースとしての存在をアピールしなければいけないはずの興行なのに 馬場の中での鶴田の評価は案外低いのかなと思った 確かにこの時期の鶴田は対外人ではいい試合をやってた記憶がない 相手がマーテル&カートだったので元AWA王者対決を強調といったところかな パートナーがハクになったのは結果的に良かった印象 新日本のドームでは谷津も入れての新日本系に囲まれた感じだったし
あの時期は離脱を決意済みだろうから 天龍革命的なギスギスしたファイトに、意識の中では無理に縛られなかったろうし それが結果的にアメプロとうまく融合できた名試合になったのかも
第一試合がフットルース&小橋にマレンコ&カンナムだったか
ホーガン、アンドレ以外がしょぼいからね・・ アルティメットと当てるわけにいかないし、鶴龍の相手がいなかった印象。
あのレスリングサミットからもう29年か 早いね 新日のスタンスが勿体なかった WWF勢と絡まず身内だけの試合 確かライガーと佐野のシングルもあったはず
あの時の鶴田がイイ試合出来た相手なんてデビアスくらいしか思い当たらんな そもそもビンスがミリオンダラーマンに負けを飲ませるかどうかも分からん そうなるとマーテル&へニングとタッグでお茶を濁すしかなかったとか
>>636 大巨人コンビは感動したなあ、デモリッションズもかなり良かった。 もちろん大巨人コンビのベストバウトは、殺人魚雷戦だと思うけど。 >>636 佐野は出場していない。 ライガーの相手は野上。 >>636 坂口としては馬場に協力する気持ちはあっても ビンスとはもうビジネスしたくなかったんじゃないかな 「スーパーファイト in 闘強導夢」●幻のフレアーvsムタ戦 このドーム大会の当初の目玉は、グレート ムタvsリック フレアー戦でした。 海外遠征中の武藤敬司の化身であるムタは当時、WCWエリアでトップヒール、 全米で大人気レスラーとなっていました。凱旋帰国にあたり同エリアのチャン ピオンであり代名詞でもあるフレアーも呼んで、まんまパッケージで日本で 再現するイメージだったのだと思います。 リック フレアーはNWA世界王者時代から、全日本プロレスが招聘権を持つ 代表的な選手でしたが、90年代のアメリカマットでのレスリング ウォーの 影響で旧NWA→WCW=新日本プロレスと提携と変化し、猪木から新日本 プロレス社長を継いだ坂口征二新社長は、律儀に馬場さんに話を通して 承諾を得ていました。 馬場さんは馬場さんでしたたかに、フレアーとスティーブ ウィリアムスの トレードを要求。貸し借りなし、で交渉が成立します。 ところが、そのカードが実現困難となります。ムタが負傷したとか、 フレアーが来日できなくなったとか、いろいろ言われていましたが、 実際のところはWCW側のドタキャンだったのだそうです。 ちょうどこの1990年1月のタイミングで、4月13日に同じく東京ドーム で開催される全日本プロレスとWWFの合同興行「日米レスリングサミット」 に新日本プロレスも協力する事が発表され、ビンス マクマホンJr.と ジャイアント馬場、坂口征二の3オーナーが同席による記者会見が開か れていました。 これに全米でWWFとライバル関係にあり、激しいレスリングウォーを 展開中のWCWが態度を硬化させてのドタキャンだったそうで… WWFとWCWの当時の緊張関係を考えれば、これは無理もない気がします。
新日絡みのカードは当初は、 ・佐野×野上 ・蝶野×ロバーツ ・長州×ボスマン
>>643 斎藤、橋本vsスヌーカ、サンタナ 蝶野だけ負けて新日vsWWF2勝1敗が妥当かな >>635 アルティメットの相手はデビアスだったんだよな 当時は 鶴田vsホーガン実現か? という期待感は出なかったんだろうか
>>645 アルティメット・ウォリアーとミリオンダラーマンの試合はお互いが技を出すたびに 「ウォリアー」「デビアス」コールが起こってた 1990年頃はふざけたコールが流行ってたな 相手の背中にボディプレスという決め技の説得力の無さに、 あ〜これはダメだなと思ったな。 アメリカマットではホーガンのギロチンといい、それまでの盛り上がりが大事で、 決め技の説得力は重視しない感じなのかね。
4月16日に大阪府立で馬場アンドレ、カブキvs高野、仲野、渕があったけど、大巨人コンビの入場にファンが物凄い殺到してたけど、満員にはならなかったんだっけ?
>>642 これムタが勝つことになってたのかな 馬場がそこまで認めるか もしも勝ってたら歴史が変わってたな あとから蝶野とかムタが巻いたのとは訳が違ってくる >>647 デビアスが木偶の棒のウォリアーの日本デビュー戦を自分の強さをアピールしつつ、きっちり負け役を務めて、あらためてデビアスの職人芸を堪能できた一戦。
>>651 そこを楽しめるのは俺らの様な通だけであって、 普通はウォリアーのしょっぱさにトホホとなるやろ >>646 当時の週プロかゴングに鶴田VSホーガンの記事はあったね しかし絵にならなそう ただ見たかったとは思うけど あのドームでは鶴田は完全に天龍に食われたね あの日は全日勢で最も光ったのは天龍 ハンセンは負け飲まされてラリアットは出ず 記憶によると出てないと ラリアット出したらフォールになるからだろうが 鶴田とハクをもっと活かせたら 当初はアレンも来日候補に挙げられてた このレスリングサミットの宣伝番組があった その時はホーガンVSアレンを流してた アレンにも来日して欲しかった いきなりだけど、83年の真夏に天龍、阿修羅、マイティ、石川で30分ドローのタッグマッチがあっあんだけど、組み合わせを忘れてしまった。誰か覚えてませんか?当時の新日を意識しまくった試合やったなぁ。
──四海楼と言えば、「ちゃんぽん」「皿うどん」発祥のお店と言われる長崎の名店ですね。じゃあかなり食に関しては……。 大仁田:困ったことなかったね。まったくなかった。 ──ちなみに子どもの頃好きだった食べ物というと? 大仁田:うーん、タンシチューかな? ──それは間違いなく金持ちのご実家ですね(笑)。 大仁田は金持ちボンボンだったんだな。
日本で認められてたデビアスがウォリアーに負けた これでウォリアーは日本で顰蹙者に 負けても価値が下がらなかったデビアス 勝っても価値が上がらなかったウォリアー その厳しき現実が残った
ジャイアントシリーズ最終戦・後楽園でのアジアタッグ戦、原・井上VS石川・佐藤のことでしょう 週プロにそういったニュアンスのことが書かれていた記憶がある 同日、新日は蔵前で正規軍VS維新軍の綱引き5V5マッチとコブラデビュー戦で超満員
その日のメインは馬場・鶴田とハンセン・ギャングのインタータッグ 意外にもこの二つの同日開催はやっと二度目
>>654 8月始めの後楽園大会だな、天龍、石川vs原、井上 馬場、天龍vsシン、上田とかもあったはず 以前YouTubeにもあがってたんだけど今はもうなくなってるね >>660 アジアタッグを賭けての再戦が見たかった ちなみに当日は新日本が蔵前で初代タイガーの最終試合 >>657 >>660 それだ。ありがとう。後で天龍革命の原型の試合なんて言われてた。阿修羅の問題にもっと 早く対応してたら、龍原砲のパートナーは石川になってたかもなぁ。 >>658 レスありがとう。その日の新日蔵前は確か11月3日だよね。TV見たのがお盆で珍しく親戚と かと大人数で見た記憶があるんだ。で、その叔父さんが先日亡くなって、ふと思い出したの ですよ。 天龍同盟は馬場の命令説を一人で唱えてる俺は>>660 がいい試合だったことも根拠になっている >>656 当時のウォリアーには不運な状況がいくつかあった。 @来日直前のレッスルマニアでホーガンからWWF王座を奪取。サミットでのホーガンの世界戦が消滅した。 A谷津の「オリャー!」とたまたま語呂が似ていることで、「ウォリアー!」と掛け声されてしまった。 B世界のプロレスのディンゴ・ウォリアー時代の超塩試合のイメージが強かった。 特にAはかわいそうだったね。試合自体は、良くも悪くもアメリカそのままのアルティメット・ウォリアーの 試合だったのに。 そりゃ当時のWWFレスラーは日本じゃバカにされてたし
>>660 すまん、読み直したら嘘書いとるな 馬場、天龍じゃなく鶴田、テリーvsシン、上田だった ダウンロード&関連動画>> VIDEO この3日前に同じ後楽園でシン、上田から馬場、鶴田がインタータッグを奪還してるのになぜかそれはノーテレビという不思議な扱い >>642 >馬場さんは馬場さんでしたたかに、フレアーとスティーブ ウィリアムスのトレードを要求 この時点でのウイリアムスを欲しがった馬場の先見の明、というか見通しの高さは凄いね いや、オレだけかもしれないけど典型的な不器用で良くも悪くも新日チックな選手と思ってたから まさかゴディとのタッグで新日時代以上に光り、ゴディが体調不良後にもシングルでさらに脚光をあびるとは… ハンセンの時代は子供過ぎてそこまで考えてなかったけど、ウイリアムスの全日での成功は意外性NO。1だなあ。 >>660 それ子供の頃に生観戦したよ テリーさよならシリーズ最終戦だね 同日に蔵前で新日が藤波vs長州をやってた 友達とどちらに行こうか迷ってたんだけど、猪木がホーガンにやられて欠場中だったんだよね それが決め手になって全日の方に行った その天龍石川vs原井上はテレビマッチでは原がラリアットを出した最初の試合かもしれない あと馬場とシングルやったスミルノフのテーマ曲無しの入場がなんか寂しげだったなあ… ちなみに月末のスーパーパワーシリーズ開幕戦の後楽園と 31日のテリー引退の蔵前はもちろん行った。 >>668 ただ解説ではボロクソ言ってたんだよなぁ。 鈍くさい、不器用、バタバタしてる等々。 ウィリアムスにしろオブライトにしろ、相手させられる三沢たちにすれば傍迷惑だったろうな 呼んだ馬場は前座だから戦わなくていいんだからいい気なもんだ
ビガロも全日のリングに一回あがったけど また呼びたいって言いださなかったのであまり気に入らなかったんだろうね
ウィリアムスと戦ってるだろ 馬場猪木二人ともリアルにKOされてる
>>673 ミスター高橋が後楽園の猪木戦で3カウント入れてれば BIからピンフォール勝ちした最後の男になれたウィリアムス ウィリアムスは 新日が猪木体制から坂口・長州になってから 急に冷遇されてたような ベルトにも挑戦しなくなったし
>>675 89年のリーグ戦での橋本との準決勝での対戦が唯一扱い良かったときかも…もちろん決勝には出れなかったが >"アカプルコの青い翼" リスマルク 84新春ジャイアントシリーズに初来日! >若手選手に与えた影響は大きく、三沢のリングを降りる時のムーブや >相手の背中ででんぐり返ししてからのキャメルクラッチ >川田のリストロックからロープを駆け上がってお尻で宙返りするムーブはリスマルクから得たもの。 尻宙返りは新日でオーエンハートがやってたの見たが、そーかリスマルクが元祖だったのか >>676 ボストンクラブのかけ方わからなかったんだよな 全日でもちょこちょこ失笑買うことやってたし >>660 週プロでも大絶賛してたような覚えがある 実際かなりの名勝負だったし >>682 生観戦の記憶だと前半はけっこうダレてたけどね いや、レスラーがじゃなくて観客の側がね、あまり期待値が高くなかったみたい おふざけのヤジや失笑など雰囲気はあまり良くなかった でもそこをリング上の四人がシリアスなファイトで飲み込んで、段々と盛り上ってきてラスト10分あたりは大爆発 あの日は最終戦だったし、良くも悪くもテリーお目当てのお客さんが大半だったと思うから…セミ前のその試合まではあまり沸いてなかったし でもその雰囲気のまま試合が始まり、そこをひっくり返した四人のファイトは見事だった。 テレビ中継だと途中から放送だった覚えがあるけど >>668 馬場は、89年秋から記者たちにウィリアムスのことをさかんに聞いていたんだよな。 ハンセンとのコンビが強制解散になって、6月からパートナーが不在になっていた ゴディの時期パートナーとして目をつけていたと思う。 本来、ゴディのパートナーになるはっずだったスパイビーがWCWに入って来日 できなくなった時期とも一致している。 >>672 猪木が会長になって全日との交流をやめたからだろ。 >>682 新日を意識したというより各選手のそれぞれの個性が存分に発揮された名勝負だったと思う。 特に原の動きはレスラー人生の中でもピークの動き。 後わ石川のサソリも少し前から使ってはいたけど、認知されだしたのはこの試合からだと思う。 >>686 スモーピオンデスロックという名はいただけない >>686 たしか原がダイビング・ギロチンを出していたよね。今にして思えば、あれで腰を痛めたのかという気もする。と >>688 ダイビングギロチンを出したのは石川。 原は天龍に放ったラリアットのインパクトが凄かった。 ギロチンドロップって技は、ものすごく身体に悪そうだよな。 ブル中野やホーガンもあれでだいぶ痛めたんだろ どう考えてもマットに自分の尻を痛打するほうが、かけられる方よりキツイ
83年夏の大阪府立だったと思うが、原・井上VSジプシー・ジョー、ジェリー・モローが組まれて「国際プロレスの夢を見ているようだ」と称賛されたことがあったな。
>>683 テレビ組だけど、天龍と原の絡みはUNが良かったし期待してた。加えて国際時代から良い試合多かった井上と器用な石川だから、俺的にはかなり期待値高かったわ >>691 国際からのファンにはたまらん試合だったと思うが、国際ではIWA世界タッグの原井上が全日だとアジアってのがちょい寂しかった思い出(高杉も同じこと言ってるけど) 大森と高山がアジアからインター行ったけどもアリ、な空気があったらまだよかったんだが。 アジアとインタタッグの差はPWF杯と最強タッグ以上にあったからなあ。
国際と全日本の若手対決 ジャパン軍との日本人対決 天龍同盟と正規軍との対決 SWSの派閥内の同門対決 WARと新日本の対抗戦 評判が良かった日本人対決はだいたい天龍が絡むが実は石川も絡んでる 最強の脇役だが、自分が社長になった東京プロレスではサソリ固めの仕掛け途中に「早く回せよ」とヤジられるくらいカリスマ性がない
新日と交流してた時期なんてヤマハブラザーズやS小林&永源がIWA世界タッグ王者だよ
>>693 大分のUN戦? あれテレビ放送されたっけ 天龍は「地方大会で、何か目玉欲しいね。じゃあUN戦でもしよっか。」みたいな扱いだったことを不満に思っていた。
地方でタイトルマッチの時はベルトやトロフィーじゃまだろうな リングと一緒にトラックに積むのか
>>701 リターンマッチの後楽園もノーテレビだったね… >>702 ベルトは専用ケースに入れて、トロフィーは毛布にくるんでトラック輸送。 せっかく武道館で長州とUN戦組まれたのに、長州にベルトを放り投げられノンタイトル戦にされた天龍は悔しかっただろうな。 でもあれも台本?
「あすなろ杯」優勝者の川田に対しあまりにも陳腐なトロフィー… あぁ、馬場は川田が可愛くないんだな、川田がインタビューで 「三沢さんや小橋ばかり可愛がって…」という恨み言は真実だったと >>707 会社の部署のゴルフコンペ程度のトロフィーだな。 見栄とハッタリが全てのプロレスなんだから、もうちょっと何とかならんのか。 タイトルマッチのトロフィーはもらえないでしょ>>707 のはもらえたんじゃない? 龍原砲が初めてPWFタッグとったときに天龍が場外に投げ捨ててトロフィー壊れたけど、天龍が自腹で弁償してそうな気がする >>686 >特に原の動きはレスラー人生の中でもピークの動き。 あの試合の83年夏の時点で原はもう37歳だったんだな 天龍革命の開始の頃、40歳はとうに越えてたことになるな 元々がレスラー転向が遅いのに加えて、失踪後の三年間がつくづく痛い 新日に上がった頃が40代の後半だからなあ…勿体無いな 阿修羅は見た目が若かったから、観ていて年齢は感じさせなかったけどな。SWSで復帰した時はさすがに体型も含めて年輪を感じさせたが。
>>710 天龍同盟開始時期の原は確かに腹回りが増して動きは鈍くなっていたけど、それが幸いしてハンセンやゴディの攻撃にも踏ん張れそうな重量感は出ていた。 でも動きの良さは全日入団〜58年くらいがピークだよ。天龍との初対決時も動きは原の方が明らかにいい。 本人の動きのピークと選手としてのポジションのピークは必ずしも一致しないのね
>>713 原のレスラー人生の1番の大舞台を選ぶと 82年新春シリーズ木更津でのハンセン戦 87年最強タッグ決勝の武道館メイン 88年のブロディメモリアルの大阪府立・武道館の世界タッグの連戦 同じく88年の札幌での革命一周年での世界タッグ 会場規模も考慮すると、オレはこの5戦が思い浮かぶ。 ジュニア時代の藤波戦や、全日移籍当初の天龍戦もインパクトは強いかも。 >>713 大仁田にいたっては集客できるレスラーとしては膝をぶっ壊した後の FMW時代が遥かに上だからな >>715 どちらにしろ全日にいたらあそこ止まりだったな。 原が一番かっこよかったのはハル園田戦 一番感動したのはWARでの引退試合 ベストバウトは天龍原のタッグで原がメインじゃない試合だな
>>714 87年最強タッグ武道館はメインじゃないよ サンドイッチラリアットを写真で見て凄い迫力だと思って いざ映像で見たらそんなでもなかったという思い出。
五輪コンビが龍原のサンドイッチラリアットに対抗して サンドイッチジャンピングニーをやってたよね。 でもタイミング悪くて前と後ろから交互に当たるから 天龍が「餅つきニーパット」と揶揄してた
マスカラスブラザーズのダブルフライングクロスアタックが一度だけタイミングがズレた事があった 試合後控室でドスカラスが説教されたに違いない
>>718 唯一の武道館メインが世界タッグ奪取のブロディメモリアル 原はマイクアピールが好きだったな。 全日の他の選手は、日テレのアナウンサーからフラれるか、放送席に自ら寄って行ってマイクをもらうけど、 原の場合は本部のマイクを奪い取ってテレビに構わずがなる後のラッシャースタイル。 国際の時もあんなにマイクやってたっけ?
>>719 87年7月の大流血の輪島に決めた一撃は、映像でもだいぶ残酷なインパクトあったと思うが。 >>724 原が超世代まで残っていたら渕に結婚しろってマイクしたかな >>719 >>721 プレス機で挟みつぶすわけじゃないんだから 本当は時間差でゴン-ゴンと当たった方が たぶん脳みそ大きく揺さぶられて実際には効くとは思うんだ ただやっぱり見映えがね プロレス的には見映えは落ちて でもダメージあるって ある意味最悪でもあるしね 当時は画期的で良かったよ。 龍原に関しては日に日に新しい合体攻撃が増えてくのが良かった。延髄切りからバックドロップなんてただくっつけただけなのにインパクト出るんだなとか
>>727 サンドイッチラリアットだって、 タイミングがズレてたこと結構あったろうに。 天龍は好きだったし、 コメントも皮肉が効いてて基本的には好きだったが、 自分たちのこと棚に挙げて、 他人の技の失敗をあげつらうような発言は許せんわ。 >>717 阿修羅の引退試合はバトルロイヤルだったね。 序盤は龍原砲として冬木、ナガサキとぶつかり 天龍と阿修羅二人残ってシングルで天龍が勝つという 結末。一つの試合で龍原砲と龍原対決が見られて それがよかったね。 セレモニーで家族がリングに上がって天龍が 「阿修羅をお返しします」って言ってたけど その当時の子供たちはもう40代半ばくらいに なっているけどどうなっているのかな。 もうそんな歳なのかw ドゥンク君やブロディの子供もアラフォーだしな
ブルーザー・ブロディが昭和に亡くなってたってのが本当に信じられない。 時の流れが早いのか、ブロディがそれほど印象に残る選手だったのか
阿修羅の、確か男子の方は自死なされたとか何とか…。
阿修羅の息子さん達、昔デラックスプロレス誌の「私のお父さん」的な企画で 似顔絵とかお父さんのエピソード書いてた覚えがあるな。
>>733 マジ?父親を恨んでたのかな、端から見れば最高にかっこいい男だと思うけど どんなにかっこよくても借金まみれは周りも迷惑するだろ。 家に借金取りが押し寄せるなんて地獄
>>724 龍原vsタイガー高野の試合前に高野の奮起を促すような挑発マイクもしていたな >>737 その試合、原のフロントネックロックで高野が気を失ってたな。 >>731 ドリーの息子の事? だとしたら、81年に二十歳って紹介されてたから50代後半だよ。 >>729 もちろんそうだよね 龍原砲のサンドイッチラリアットもタイミング合った時の 前後からバチーンの方が見た目はきれいだけど タイミングずれて時間差でゴン-ゴンみたいな方が (特に後頭部が遅れて当たった場合) なんか鶴田や谷津はイヤーンなかんじだったw 「なに下手打ってんねん!クラックラするわあ〜」ってかんじで >龍原vsタイガー高野 その試合は生観戦したよ、後楽園ホールでブロディが亡くなってすぐの頃じゃなかったかな? 高野が試合後にタオルで顔を押さえて号泣してて、タイガーがケアしてたのが印象深い >ドリーの息子 このスレでも何度か書かれてたけど、在米時のハンセンの主治医になってたのが 微笑ましいというか、運命的というか…w
サンドウィッチラリアートの元ネタはキン肉マンだよな
>>739 そろそろ還暦? 確かに自分より年上だったけど、少年のままだな でも1981年てドリーは40才ぐらいでしょ その時点で成人した息子を持ってるのは、学生結婚か子供つきの奥さんをもらったとか?
>>741 三沢はケアしてというか、冷ややかに 見てた感じだった。 肩をポンポンと叩いたけど、先にアッサリリングを降りてた。 「悪いのはお前だよね」とでも言いたげな感じだった。 あれは高野がかわいそうだよ ・試合前にマイクで挑発され ・自分の出番のほとんどを攻められ続け ・仕返しに張り手を連発したらガチでクビを締められ失神 後の悪行があるから高野に問題があったのでは?と考えたくなるが、あれは決起軍として会社がプッシュしてることに対して天龍原が「顔じゃねーよ」とかわいがりしてるんでしょ
>>723 新日本93年6月武道館の5対5イリミネーションマッチは違った? ディンク君の事件は長いこと騙され続けたわ。 当時は子ども心に「ブロディはひどい奴」とは思ったけど、それ以上に「かなうわけないのに挑んでいくなんて馬鹿だなあ」とディンク君に失笑したけど。
>>707 大昔の社内ボウリング大会で渡させるブービー賞みたいなチンケなトロフィーだな 同じ決起軍とはいえ普段から仲良しこよしでいる必要は無いけど 三沢と俊二は特に合わなそうだな。
あすなろ杯決勝戦はどこで開催されたのかな? この写真だと地方のようだが、まさかノーテレビじゃないよね?
>>753 ノーテレビだったらしい。 (夜の虹を架けるより) >>753 馬場vsガニアやハンセンvsブロディではなく こういう試合こそ後楽園でやればいいのにw 全日はこういうところが何かおかしい 新日本は夢勝ちますやらで若手メインとかもやってたから当時からおかしいとは思って見てた
>>754 「ニューカッスルシチズンズアリーナ」とでも呼べばなんか大会場の決勝戦っぽい あすなろ杯は公式戦がテレビ放送されたのに何故決勝戦がノーテレビだったのかな? ルー・テーズ杯決勝戦は札幌中島でテレビ放送されたというのに。 あすなろ杯優勝者への副賞として天龍とのシングルマッチ対戦権利があったが、天龍のグレードの高さを物語るのか安上がりに済ませたのかも微妙だったな。 あすなろ杯とルー・テーズ杯両方に出場したのは川田と冬木だけかな?
全日の天龍、川田、秋山と続く あのイジメ体質ってなんなんだろうな 新日は道場でしごきはあるけど、 試合自体ではそんなのあんまりないしな
>>760 あすなろ杯決勝は3者同点で並んだから 3日間に分けたんだよな そこも間違ってる気がする >>762 新日だろうが全日だろうが合宿所でのいじめがプロレスラーの本質だしな そもそもあすなろ杯はルー・テーズ杯と違って最初から決勝戦はない 当時の最強タッグ同様、リーグ戦最高得点者が優勝。同点の場合は優勝決定戦を行う
あすなろ杯優勝で得た天龍とのシングルマッチもノーテレビだっけ
>>765 シリーズ最終戦で優勝決まるようにすれば三つ巴戦になっていたのか。 前座選手の三つ巴なんかやってられないとフロントは思っていただろうから中盤戦で決まるようにしたのか。 89年のあすなろ杯って、 ルーテーズ杯や、新日のヤングライオン杯とは ちょっと違う気がした。 まず、若手と言っても、小橋を除いて、 川田、冬木、高野、田上は、もう中堅、 海外遠征も経験して、アジアタッグ王座にも就いていた。 それから、三沢タイガーを中心にした「白虎隊」が ふがいない!と馬場から解散命令が出て、 そのメンバー(高野、田上、高木もだっけ?)が 闘うって、罰ゲームみたいなものじゃね?ww
あれは小橋を売り出すためのものだからね、さすがに優勝はまずいと川田にしたが冬木に引き分けて高野にリングアウト勝ちじゃなかった? あれで決起軍と同格になった
そういや小川と菊地がエントリーされなかったのはなぜだったんだろう
>>612 誰だったか忘れたが 「猪木と手が合いそうな善悪一流レスラーは馬場がNWAで押さえしまった」 >>771 仲野も出なかったけど、年齢の割にキャリアいってたからかな? 仲野、小川はジャイアントSの世界ジュニア挑戦者決定リーグ戦に出たな
決起軍は数ヶ月前の武道館の高野対谷津戦が大凡戦だったから全員の評価が下がったまま
決起軍って高野と仲野が仲が良いだけで あとは全員それぞれ仲が悪そうなんだよな。 三沢と仲野は普通だったみたいだけど。
デビュー2年目の小橋が高野にリングアウト勝ち。番狂わせを演出したかったのだろうが、 あれは翌年SWS移籍をさせたのは間違いない。
>>769 あすなろ杯も2回目からは若手のリーグ戦になったな。 秋山も参加してた。 昭和の全日だったら免除されてただろうけど。 >>774 仲野は冬木と同期。 >>769 ただルーテーズ杯も百田兄弟が出てるんだよね…中堅通り越してロートルなのに 全日の前座戦線には 駒と高千穂が早々にいなくなってからは長い間 新日における小鉄北沢〜藤原荒川のような 若手の壁役としてそこにいるベテランがいなかった印象が強いな 極道とか帰国後の佐藤とかは普通にセミ前枠の中堅だし 百田兄弟や林は若手の壁役というより 単に選手としているから仕方なく前座でやらせてたっていうかんじで
小川対百田の試合後は百田が一時間くらい説教するのが日課だったらしい
ジャイアント馬場杯がそろそろできてもよさそうだが。
>>783 王道トーナメントがあるじゃん 覆面レスラートーナメントのデストロイヤー杯あったらいい マークレーガンとかマイティミロは全戦黒星だったな…たまにこう言う扱いの選手来てたよね
>>787 チャンピオンカーニバルだと、ビッグレッドとかカールファジーとか。 >>783 今年2月に行われた、両国の「ジャイアント馬場没20年追善興行」 第一試合は、「ジャイアント馬場メモリアルバトルロイヤル」だったが 優勝者には馬場の名前の入ったトロフィーとかもらえなかったのかな? >>769 最初の新聞発表ではアジアヘビー級王座決定リーグ戦だったはず >>790 アジアヘビーのベルトって、大木がインターヘビー返上した時にバーターで、 馬場が大木にあげたんじゃなかったか?大木もその後は韓国でたくさん防衛戦を やっていたみたいだし。その後はまた日本に戻ったのかな? ミスター・レスリングのスモールパッケージホールドって何故か最後レスリング本人が 倒立していたのは何の意味があったのだろうか。
>>783 分裂後の2002年の新春シリーズでやってる アジアヘビーというけれど、西アジアや南アジアに許可取ったんか?って思うわな
レオンホワイト時代のベイダーがハンセンのAWAに挑戦していたのは知らなかった >>788 ビッグ・レッドは79年のチャンカンの後、秋にも呼ばれてるんだよな。馬場が彼の何を評価してこんなに早く再来日させたのだろう。 >>788 カールファジーは全日帰りに向こうで出世して 翌年国際に来て2番手外国人 IWAタッグに挑戦したみたいだな ビッグレッドはオーバーオール姿のまま試合してたな、当時はストリートファイトスタイルって珍しかった。
ブッチャーとシンが連れてくる子飼いレスラーはマトモなのがいないと言われていたな。
>>795 ホーガンもウォリアーズもベイダーも あの頃はAWAが他地区でブレイクしかけた選手を上手くリクルートして ニックやランザ・マリガンやラシク、リソワスキーあたりのベテランとの抗争で (勝敗はともかく)ボコっちゃうことで本格的にトップレスラーとして売り出すってのが上手かった印象 この辺はさすがガニア、目利きだなと でもその後みんなガニアが嫌になって逃げだすけど >>800 子飼っていうよりも、売れない顔見知りレスラーを仲介して何割か懐に入れてるんだろうな。 ニューブロンドボンバーズといいながら 相棒のレイサムいないし そもそもアーミーヘルメットに葉巻咥えて栗色の髪と口髭暗色系ロングタイツという 軍人スタイルだったのはなぜなのか?
>>802 それプラス両人共誰よりも目立ちたい性格だから、能力がありそうで、日本でブレイクして自分より目立っちゃいそうな選手は基本連れてこない。 それで干されたのがTNT。 >>805 プロレススーパースター列伝のシーク様みたいだな 「忘れるなよッ!貴様は売れねぇ下っ端レスラーだったのを スーパースターという俺様が拾ってやった子分なんだ!親分より目立とうとするな!」 実際はブッチャーはシークより売れ始めて全日悪役外人の地位を奪い取り シンもカナダで燻っていたのをシークの本拠地デトロイトで抗争して世話になっていた ブッチャーがインタータッグを奪取した時のパートナーがレイ・キャンディだったというのも謎だな。 パートナーが誰であれ、一度はブッチャーにベルトを譲るという約束だったのかな。
>>807 そのシリーズはイヤウケアも来日する予定だったので代役かもね。 このシリーズはブラックパワーシリーズと言ってもいいくらいのメンバーだったね。 純粋な白人はブラックウェルと特参のレイスのみだった。
ブラックウェルはUN挑戦したんだよな、ダブルブッキングの国際を袖にして来日のご褒美タイトル戦とか言われた。
>>439 巨泉は張本勲と初対面で「ハリ!」と呼んだら凄まれて 「張本さん!」と呼び直した。 一発目のカマシが外れると、ちっちゃくなるタイプ? ブッチャーとテリーには長生きしてもらいたいもんです >>807 同時期では三年連続で王座奪取のブッチャー >>813 ミステリアス・アサシンって、いかにも昭和の胡散臭い覆面レスラーっぽくていいな♪ 昨夜のプロ野球の誤審で凶器攻撃を見てなくてそれに抗議をした選手を注意するジョー樋口を思い出した ブッチャー&キャンディ ハンセン&バス 意味があったんだかどうだかわからんイッテコイだったね。 テレビもなくて東スポを読んでいる人にしか影響しない不思議なタイトル異動。 もう少し長生きしたらブロディ&スミルノフとかでもあったかな?
>>817 ブッチャー&キャンディが奪取した時はテレビ放送あったよ。鶴田がエプロンでブッチャーの体当たり食らって3mくらい吹っ飛び、リングアウト負け。 キャンディはあのインタータッグ奪取で一躍“次世代ブラックパワーの旗頭”的に祭り上げられたけど半年後のカーニバルでは借りてきた猫みたいになってたな。
キャンディはアメリカではブッチャーと抗争してて 認められて初来日でインタータッグ奪取 その後国際に行ってR木村に挑戦してた カリーム・モハメッドとして新日に登場 当時は正体知らなかったけど面白かったね パトナーのアキームがレロイ・ブラウンてのも知らなかった
さらに新日で謎のマスクマン、スーパーマリオマンに変身 もうちょっとこうネーミングをさあ…
だってスーパーマリオにあやかった名前だし…ザ・Vとかも…
>>822 正体知らなかったって、 どう見てもキャンディやん。 レイ・キャンディは新日に最後の来日した時、週プロに「黒いマサ斎藤」と書かれてた
バブルガムブラザーズを初めて見た時、お巡りさんのコントをやる小柳トムと 同一人物だとはわからなかった。しばらくしてから知った記憶があるな。
>>827 何言うてるねん。 関係ない話すんなアホ。 >>817 ハンセン&バス組はチャンピオンカーニバルなのに、一切王座の移動が無かったら無難過ぎるから、取り敢えず移動させてみたのかな? 一応ハンセンはまだベルト無戴冠だったし。 ロン・バスって日本ではB級扱いになっているが、米国では南部のトップヒールだったし、実はブロディと同格かそれ以上なんじゃないの。
ロンバスの最後の来日は確か86年のGCCだったね…ここまでの3、4年は常にハンセンとセットで来日してた 確かこのシリーズにはオレイアンダーソンも来てたなぁ…
>>826 近年は黒人逆差別が蔓延してるから「黒い〇〇」ていうニックネームが使えなくて腹が立つ スウィート・ブラウン・シュガーの「黒いマスカラス」とか ビクター・リベラの「黒い猪木」とか今言ったら擁護団体が顔真っ赤にして怒鳴り込んでくる ちなみにマサ斎藤は本人が黒いじゃん日焼けで >>822 ザンビアエキスプレスの最大の偉業は長州・浜口に引導を渡した点 >>839 全部パートナー違いで 10回くらい挑戦してるんだけどな ブロディがインタータッグに挑戦したパートナー ハンセン、スヌーカ、ボルコフ、ブラックウェル、スミルノフ、スコット・アーウィン 6人分かったが他は?
>>845 UNとインタータッグに何回か挑戦したけど取ってないな 引退間際にIWAジャパンで日本初王者になった >>841 複数回、獲得してもおかしくないメンツ。 但し馬場戴冠時のインタータッグはリターンマッチで返してもらうのがお約束だから 超獣は流石にベルトを巻かせられなかったのかな? (例外は大木・ドク組、新日から引き抜く時の条件でシングル負けはNGの引換。) >>847 例外の大木ドク2回目は 国際のマットでインタータッグの防衛戦やる約束だったから 大木ドクに渡したままだったんじゃないのかな 馬場は結局はテレ東に出なかった >>831 当時、Cカーニバルと言えばハンセン&バスだったもんな。その後、バスがWWF入りしたからね。 バスが亡くなる1年前にハンセンと再会できて良かった。 天龍がジョージア時代にオレイに嫌な思いをさせられて、そのシリーズの「UNヘビー級王座決定リーグ戦」 の時に「苦手意識がある」とか言われていた。 >>836 ジャパンプロ、国際血盟軍、カルガリーハリケーンズと全日マットが当時飽和状態だったからね。 来日外国人もかなり絞られていた。試合数を調整するために、やたら6人タッグが多かったなw このシリーズの来日外国人はハンセン、デビアス、バス、オレイの4人のみ。まさに「ハンセン軍団」って感じだった。 ハンセンはリラックスしていたよ。まだガニアとトラブルを起こす前で「AWA王座に就いてから周りのレスラーの態度 も変わってきた」と満足げ。現夫人とも結婚したばかりだっしね。 >>841 ブラックウェルは王座決定戦の時のパートナーだよ。 デビアスならブロディにもうまく合わせられたと思うんだけど どうかな? まぁすれ違いだけど
>>850 まあそれも王座奪取にチャレンジしたという意味で 数えてもいいんじゃないか 日曜にテレ朝の蝶野のCS番組、ブッチャーがゲストに出てた それで思い出の試合の一つに、マードックとのシングルを上げてた このスレ的に事情を知ると意外というか、驚いたね。 まあ、本当にブッチャーが選んでるのかスタッフが選んでるのか知らないけど… 蝶野も人種問題に突っ込んでて、ブッチャーに当時の心情を聞くと 「白人云々より、それよりも黒人同士で闘いたくなかった」と微妙にうまく切り返す 「マードックに対しての思い出は?」には「特に無い…」で一言で終わり。 ただ、他にも谷津・猪木・ホーガン・藤波との試合を挙げてたけど マードックの時だけはブッチャーの顔つきが険しいというか 予備知識があるから、そう見えただけかもししれないけど… 門茂男には「モスキート」と言ってた藤波には「グッドレスラー、ルックスも良かった」 あとホーガンには「仕掛けられかけた」?みたいな表現だったかな? あと、とにかく蝶野がうまいというか、ブッチャーにイジられて雰囲気は良かった。 両者共にいい具合の対談には見えたねえ。
ブッチャーは前にようつべにあがってた武藤との対談でシークのことを聞かれて 答え難そうにしてたな。複雑な思いがあるんだろうか。
>>854 やはりプロといえど隠しきれない思いは出てしまうもんだろうかね…? あと、その番組では鶴田の人柄が素晴らしかったと言ってたな ハンセンの事は笑顔で即答で「グッド!それに努力家だ」 ハンセンとは新日初戦でタッグを組んでるし、ハンセンと鶴田の人柄がどこまで良いのかは別としても 少なくともブッチャーにとっては信頼できる人間だったという事はよくわかった。 まあこの2人はおおむね評判どおりというのかな? シークは結構義理堅いんだよね。 晩年殆ど動けなくなってたのに、大仁田がシークを 特別枠でエース外国人扱いしてくれたので、 後日大仁田を自宅に招待して豪遊させたんだよね。
松永光弘のブログによると 引き抜き問題で、FMWとWINGがガチで揉めて WING側が所属選手を引き連れてガチでFMWの 試合会場に乗り込むという噂が出た時に シークはナイフを準備して「何かあったら俺とサブゥーで迎え撃つ」と言って 大仁田の盾になろうとしたらしい。
ガチで揉めて、引き抜かれた張本人だろうがよ松永は…
WING側で強くて怖いレスラーなんて外人勢しかいないし ガイジンがカネにならない舞台裏でケンカなんかするわきゃないだろって
>>845 スレーターは、最強タッグなど 大物の参加が多いシリーズでの来日が多かったので いつも、3番手か4番手ぐらいの扱いだったイメージだな 初来日からトップ級の扱いだったオースチン・アイドルなんかとは大違いだ アイドルは結局、トップイベンターの座をつかめなかったけど オースチンアイドルは晩年しか見たことなかったのでハンセンのパートナー、トミーリッチと良く組んでたイメージしかないなぁ… マイティ井上戦でレフェリーストップ負けし、ハンセンが鬼の形相で飛び出してきた記事は見たことあった
でもアイドルの普通の四の字を「ラスベガス・ロック」と称するセンスは好き パワーズの「エイト・ロックは四の字の倍効く」とかと同じで こういうのは実物見るまでは吉忠並みにロマンあふれるから
>>853 ホーガン戦についてブッチャーは何を言いたかったんだろね? 思ったより流血試合になっちゃって、 焦った坂口が止めに入ったのが気に入らないって事なのかね? マードック戦もマードックの椅子攻撃を巻き戻させて見せてたけど、 その前のブレーンバスターのすっぽ抜けの方が怖かった。 ブッチャーはシンに対してはどう思ってるのか? シンはブッチャーを良く言わなかった でもそれは盛り上げのリップサービスだと思ってたが
>>858 松永が大仁田と会談した時にナイフを持ったシークが隣の部屋に待機していたそうだ >>818 猪木が負けていないロビンソンに負けるわけにはイカないのでカマタがショートリリーフ >>863 ストックブロックでアバラをやっちゃったんだよ。 新日の話だけど、ホーガンがブッチャーに怒ってた記事、英語の見た事あるんだけどな。 打ち合わせにない流血させられたって。 今ググッても出てこないんだな、検索が下手なのかもしれないけど。 以前、肝炎の件でブッチャー敗訴していたな。
>>870 待望の初来日という鳴り物入りだっただけに、第一戦で鶴田から一本取ったり、マスカラスとのシングルで引き分けたりとか、かなりの厚遇だよ。 >>854 >>855 ハンセンとブロディのことは即答で「好きだ」と答えてたよね。 色んなレスラーの質問の中で、フレアーのことだけは「ノーコメント」だったな。なぜだろう。 武藤も不思議がってしつこく「ホワイ?」と聞いていたが、一切「ノーコメント」だった。 ホーガンに関しては番組の中では訳されてなかったけど、 「ベッドで一緒に寝たら、お前だってホーガンと同じようになれるんだよ。それをしたいか、したくないかのだけの違いだ。」 と言っていた。 カマラも以前ブッチャーと全く同じことを言っていた。「WWFでトップになるにはホモセクシャルでないと無理だ」と。 ブッチャーはフレアーのファイティングスピリットに惚れて自ら夕食に誘い、短足が目立たないのと足4の字の滑り止めにスネにサポーターを付けることを進言する程の仲なのにな
>>873 >>874 自分も列伝のそれこと思ったよ。 本当に仲がいいから、何にもコメントしたくないのかなってw >>862 パワーズロックは本当に八の字だったぞ。 ブッチャーってかなり陰湿でコミュ症だったから、 周りから好かれてなかった
>>876 しょせん同じ技だろw で、倍効いたの? 4の字はあお向けの時が完成形 8の字は横向きの時が完成形
>>878 は?ネーミングの話だろ、 わけわからんこと言うなアホ。 >>873 梶原一騎繋がりでブッチャーの登場シーンがやたら多いブッチャー。 スレチになるが、8の字といえば パワーズは、シリーズ変わって他の外人来るたびに メインイベンターからどんどん格下げになっていったな 歳で衰えたわけでもなかったのに 全日だと、よほど老レスラーでなければ、こんな扱いは受けないだろう
>>882 ブラジルもカマタもジプシージョーもどんどんランク下がっていったけどね。 カマタは仲野、ジョーは保永、栗栖あたりにも負けていた気がする。
記録でも見てもらえばわかるけど 一時期のNWF戦は、シン、アンドレ、パワーズが三本柱みたいな感じだった。 シンとアンドレは当然ちゃんとした決着はつかないんだけど パワーズは何回やっても猪木にきっちりピンで負けるからね。 そりゃあそのままでは沈下はやむをえない。
カマタは体調不良で劣化してたからランク下げは仕方ないがジョーは可哀想だった
>>886 国際時代は無双してた寺西にアッサリ負けたり アジアタッグ獲得前の保永 ジュニアタイトル獲得前の渕にも負けたしね。 >>883 けどブラジルは、中堅クラスにはフォール負け無いよね? カマタも最後の来日以外は主力級には負けて無い筈 モンゴリアン・ストンパーへの仕打ちは不可解だったな 昭和最後のチャンカンリーグ戦で中堅日本人に全勝したのに その次のシリーズで急に小鹿ごときに負けさせるってどういう事 ストンピングでフォール勝ちしたのが気に入らなかったのか
ストンパーってチャンカーの後来たっけ?と思ったらその後の追撃戦のグランドチャンピオンシリーズか。確かにひどい成績だな
>>890 ブラジルは最後の来日シリーズ、極道のアジアタッグにコロンと組んで挑戦。 1本目に小鹿に対してココバット炸裂も、結局はコロンが小鹿をフォール。 2本目は小鹿がコロンをフォールして返す。あれはまさか小鹿がブラジルを フォールするわけにいかないだろう、っていう忖度ブックだったんだと思う。 >>885 >記録でも見てもらえばわかるけど >一時期のNWF戦は、シン、アンドレ、パワーズが三本柱 記録を見てみると アンドレがNWFに挑戦したのは2度だけ それも一度はブラジル(S49年12月)、 国内では52年6月愛知だけなんだが。 >>891 リーグ戦では馬場と引き分けてるのにな。 グランドチャンピオンシリーズで負けさせる意味は全く無いのに。 >>891 こういう仕打ちされるのは何かやらかしたんだろw モンゴリアン・ストンパーは昭和46年の新春シリーズに エース格で初来日、G・馬場のインターに挑戦して引き分け。 再来日は、馬場も猪木も抜けた翌47年の暮、準エース格 (前半戦から出場、後半戦にキニスキー、ブラジル特参) なんと吉村道明にシングルでフォール負け。 それもクラッチの外れた逆さ押さえ込みで。
ストンパーは猪木の人参ジュースの話のイメージが強い。
馬場にニンジンジュース接待をしなかったのがブックに表れてたな
>>893 ブラジルのアジアタッグ挑戦はオールスター戦を控えての極道コンビの箔付けの意味もあったか >>891 あのチャンカンでは、ストンパー、スミルノフという国際ではエースだった選手がブロディに秒殺されるとか、扱いがひどかったな。 もっとも、タイム上は短時間だけど、ゴングが鳴る前の乱闘が2,3分あったんだろうが。 まともにやったらストンパーもスミルノフも、ブロディといい勝負するんだろうに。 当時実際に観戦したのを思い出そうとしても 「馬場がデカかった」くらいしかないなw
>>901 チャンカンっていう略称嫌いやわ。 三沢たちが言ってたから定着してるんだろうけど。 最後のンの意味がわからん。 チャンカーならわかるが。 >>897 昭和ブックの謎で、ストンパーほど扱いが 不安定な選手もいなかったな。 初来日では馬場と引き分け、猪木にも反則 勝ちでシングル2フォール負けなしで通し、 2度目の来日ではタッグで小鹿にフォール負け、シングルでは吉村に負けるていたらく。 国際参戦を経た全日参戦では、前半は馬場と 引き分け、終盤は小鹿、佐藤らに負けるという、妙に辻褄があうブック展開 >>882 そうかな。 73年、74年、75年、76年、77年と バワーズ単独エースのシリーズを5回もやってるけどね。あのレスラーが5回エースに使うのは むしろ厚遇すぎでしょ。79年に入ってようやくエース扱いから外したけどね >>906 あぁ、めちゃくちゃ同感だわw そもそも略すとしてもカーニバルって言ってたな >>908 そりゃあNWF置いていってくれたら、サービスするやろ >>907 殴る蹴る踏みつけるの単調な試合運びだからウケないし 当時のプロレス的には技らしい技が無いのは説得力に欠けたからね ブルーザーだって最後は一応わかりやすくコーナーから飛び降りて踏んづけてみせるわけで アイアンクローの無いエリックの試合みたいなのを毎度観る気するかとか そういう相手に複数のエース級が負けたり苦戦したりで間が持つのかって話 むしろ今ならやり続ければ芸になるコケの一念的にウケる可能性もあるけど 流智美によるとバワーズは男色趣味があったのとロッカールームの窃盗癖で仲間内からも嫌われていた
>>909 略するなら、まだしも いまだにyoutubeを 「ようつべ」と粋がって言っている 痛ーーーいアホがいるよな! チャンピオンカーニバル → CHAMPION CARNIVAL → CHAM CARN →チャンカーン → チャンカン
>>912 結果、馬場に2戦不敗で佐藤昭雄に負けるという妙なことになりましたな。 ちなみにオックスベーカー、ケンパテラも、馬場に挑戦後は中堅クラスに負ける格に落とされたね。 この2人は新日本でも似た扱い受けたから、やはり地力の問題があったのかとも >>813 40年近くも前なのにチケット料金があんまり今と変わらない印象。 80年代って有名人のコンサートも3000円くらいだった。大物演歌歌手は別だが
>>920 この丸10年後には天龍が離脱してSWSを移籍したんだな ポスターに写ってる鶴田、海外の天龍の時代から入門すらしてない三沢がマスクを脱いで超世代へ移る たった10年でも何だかんだでずいぶんと濃い10年だったと思う。 >>916 そうなんか。 三冠とひっかけてるんかと思ってた。 >>913 M・スーパースターがパワーズをボロクソに言ってるね 「性格も悪くレスリングも下手糞なボンクラ」だと 新日からパワーズとタッグを組むことを要請されたが断った だが新日は外人弱体時代に貢献してくれたことと NWFタイトルを売ってくれた事でパワーズへの評価は高かった グレーテスト18クラブのメンバーにも入れている位だから >>890 ボボブラジルは何故か1973年にタッグで マティ鈴木にフォール負けしてる。 そのままずるずると格落ちはしなかったけれどね >>907 リーグ戦後の対中堅相手の黒星続きは小学生ながら謎だと思ってた…しかもクイックじゃなくてしっかり体固めで負けてたし… 84年に予定通りに新日に来てたら扱い戻ってたかな >>916 >>923 そんなの、たまたま麻雀用語の「チャンカン」と 言葉が似ているだけだろ?ww 全然両者の共通点はないし、 なら仲田龍の仇名「ガチドラ」の「ドラ」は 麻雀の「ドラ」から来ているのか? 三沢のグリーンのコスチュームは「緑一色」からか? 「三冠」は、麻雀の「三色」からかよ? >>927 チャンピオンカーニバルの略語のチャンカンは全日内部でチャンピオンカーニバルの名前長すぎ!略そうぜ!の流れで 馬場が猪木よぶ時の「カンちゃん」→「カンチャン」→「カンとチャンひっくり返し返しちゃえ」→「チャンカン」となり チャンピオンカーニバル→チャンカンとなったと予想 >>924 ス―パースターはパワーズ主催の興行に出たギャラを踏み倒されそうとしたから恨み骨髄 >>921 1983年のビリージェエルはA席3,600円だった。 武道館だが。 >>919 ベーカーは負けまくったけど、パテラはそんなに負けてないよ。 たけしのオールナイトニッポン聞いてたら、たけし&たけし軍団のライブが3000円でたけしも「3000円あればタケちゃんが見られるよ!」と宣伝してた でもこの頃全日本女子を割引券で2000円でリングサイドで見てたし一概にプロレスだけ高かったわけじゃない
>>932 パテラは年齢の割に全盛期は遅かったからな。80年にインターコンチネンタルとミズーリ州ヘビー級 と両王座に輝いた時にすでに30代後半だった。 >>930 83年じゃもうかなり人気落ちてた頃じゃないの 昔の歌手のツアーはアルバムプロモーション目的。 事務所も別にそれで儲けようとは思っていなかったので チケット代もそこまで高くしなかったけど 今はCDが売れなくなり興行で食わなきゃ 行けない時代になったからどんどん値上げする 傾向だと山下達郎が言ってた。
今はコンサートとか2時間は当たり前だが 昔は60分以下とか普通にあった
さだまさしは映画の失敗で出来た借金をLIVEで稼いで完済した 矢沢永吉もLIVEとタオル売りで稼いで借金を完済した
この頃は後楽園ホールでも3000人くらい入れてたんでしょ?他にも税金とか色々ユルい時代だったから安くても儲かってたのかも
テレビだと後楽園はカーテンから入場すると 狭い感じがしてシラ毛気味になった。
939 税金がど〜たら言ってるやついるがもしかしてバカなんかな〜
おめえの職業なに 公式の場でそんな発言すること自体がおまえの人間性が問われるぞ
>>937 ビートルズの東京公演なんて30分くらいとは聞いたな。 前座の方が長かった… >>944 前座のドリフに至っては1分ちょっと とかって話を確か加藤茶だったと思うがしてた 昔のコンサートは一日2ステージとかが普通だったから
武道館のビートルズも、たしか3日間で5公演だったな。
>>945 実は内田裕也とか他にもいっぱい前座でたのに ドリフが有名なんだよな >>924 MSGタッグのパートナーを断った件だな。代わりのオックス・ベーカーはパワーズが唯一連絡 取っていたレスラー仲間だそうだ。 >>929 77年のワールドリーグ戦に一緒に参加しているけどお互い苦痛だったろう。 >>951 パワーズの興行でベーカーは乱入劇で暴動騒動を起こしてる そんなところも猪木似 パワーズは特に新日好みのストロングスタイルというわけではなかったから、いっそ全日行っても良かったんじゃないか。 デストロイヤーと「4の字固め」本家争いとかのギミックもできるし。まあ、所詮は馬場が彼をどう評価するかだけど。
>>953 マークルーインとの陰湿コンビが実現したら 面白かったな。というか面白くなかったかw ランクが下がったと言えば 日本人ならロッキー羽田 一時期は、天龍と組んで最強タッグ(オープンタッグ)に出場したり メインに出場して自ら決勝フォールを奪ったりしてたが 最終的には前座のお笑い要員にまで格下げされた。
たまにテレビマッチに出ても外人相手に何も良いところなくフォール負け 唯一勝てる相手だった菅原相手にスモールパッケージホールドというセコイクイック勝ち せめて往年の必殺技カナディアンバックブリーカーを出して欲しかったが 内臓疾患と酒浸りでボロボロのロッキーには無理な注文だったか
羽田が、大熊とともにバトルロイヤルのボケ役だったのは 見ていて少し辛かったな 新日はずっと、永源固定だったか
>>957 ブロディ衝撃TVデビューのバトルロイヤル、最後まで残ったのがその2人だった。 羽田は現役晩年は体がゲッソリしてた 病気で前座試合しかつとまらない状態だった
>>925 馬場の世界選手権争覇最終戦の時? 末期とはいえ前年末に日プロで二度目のインター戴冠のブラジルなのに まあその時よりもキニスキーと組んでのインタータッグ挑戦試合の方が見たいが >>960 1973年8月の来日の時ですよ。 オコーナー、ブラジル、レイス、ドリーが 特別参加したシリーズで、なんとなくブラジルの扱いが雑になってたです なるほど 確か他の三人とは全てPWF戦をやってましたか
パワーズがもし全日に来ていたら 鶴田とのUNで0−2のストレート負けとかにさせられそう。 一本目はダブルアーム 二本目はエイトロックに来たところを首固めだな。
鶴田が初優勝したチャンピオンカーニバルは 全日軍、テリー軍、ブッチャー軍の三つ巴抗争がテーマだったけど それなら通常シリーズでやれば良かったのでは? 総当たりリーグ戦の中での三つ巴抗争だと味方同士で 頻繁に対戦するから抗争感が薄れるよな。
>>965 全日軍とテリー軍は抗争にはならないもんね テリーが日本人とよく組むし でも通常シリーズでもやれば良かったとは思う 後々の全日は全日軍、ジャパン軍、外人軍があったから そのテリー軍に無理矢理組み込まれた感のあるカールファージーw
>>919 ミステリアス・アサシンのボビー・ジャガーズにしたって本来はアマリロ組なわけで、員数合わせ的にマスク被せたとしか思えない。 >>963 足四の字の使い手は多いけど、四の字に行こうとして首固めで負けるパターンって圧倒的にブリスコが多かった気がする。 ブリスコはテリーにNWA取られた時もそれだし、日本でのフォール負けも馬場戦以外はほとんどそのパターンじゃなかったかな。 あとデビアスもよくあった。デストロイヤーとかパワーズは見たことがないけど。 永田裕志のインスタにロックンロールEのお二方が登場してる
デストロイヤーは、マスカラスに初めて負けた時?のノンタイトルで、四の字に行こうとしたかどうかは、忘れたが首固めでフォール負けあった パワーズに至っては、首固めをされたのすら見た記憶ないなあ
当時の新日本ファンで「パワーズの実力はブリスコより上」と言ってた奴がいたな。 まあルックス的には凄みはあった。
ブリスコみたいなアマレスでの経歴はないけど身体大きいしマスクも良いな。 ビジネスマンとして先見の明あるし成功者みたいだね。Wikipediaによると。
自分がファンになってからパワーズは一度も来日せずオープニングの映像で猪木にコブラツイストやられながら不気味な顔してた映像しか見れなかったな…
晩年は坂口の北米シングル戴冠の踏み台にさせられたパワーズ 全盛期は坂口に二連続の完勝だったのに >>969 ギブアップ負けはやはり猪木のコブラツイストか >>975 ストロング小林がパワーズのかませにされていたが、1980年にはその小林にも負けるようになってしまったw >>961 この時は三人のNWA元王者が揃い踏みした記念シリーズといった印象 一番の扱いは前王者のレイスという印象だがポイントはむしろようやく再来日のオコーナー どうしてBI全盛期の日プロに呼ばれなかったかも気になるが >>978 >どうしてBI全盛期の日プロに呼ばれなかった BI砲時代が始まった1967年で、すでにオコーナーは40歳。 もうピークを越えている。 元NWA王者と言っても、馬場のインターの挑戦者としては、 キャラが薄い。やはり、馬場の相手は怪物、悪党でなければ。 71年頃の猪木とは良い試合をやったかも知れないが、 集客力がないだろ。 俺はむしろ、73年初頭、馬場が世界ベルト争覇戦に46歳の オコーナーを呼んだ時、もうこんな過去のレスラーを 起用するなんて!と驚いたんだがな。 オコーナーのワールドリーグ戦の動き見ちゃうと猪木じゃとても歯が立たないよ。 猪木とテーズの試合を見るとテーズの方がデカくて力も強いのに速くてまるで相手になってない。 人種の差っていうと身も蓋もないけど、モノが違うって感じ。
>>955 羽田がメインでフォール?嘘つけ。 誰から取ったんだよ。 オコーナーといえば輪島のコーチの印象だけど 馬場のポリスマンとも言う人もいるな。
>>955 お笑い要員? ファミ悪みたいなのはまだなかったよ 980 当時の猪木はジュニアヘビー級で世界を狙わせるか!みたいな内容の記事見たニダ ドリーとフルタイムすら信用されてなくてフルタイムやったあとに評価がいっぺんしただよ ジュニアヘビーの選手と見なされてたんだ
だから狙い目で猪木に狙わせよ〜としてたんが ダニーホッジのNWAジュニア
>>981 意外とあるんだぜ? とりあえず調べてみてから文句を言った方がいい オコーナーはオープン選手権では後半戦に特別参加した。 前半戦で帰った奴がごろごろいたからその埋め合わせなんだろうが、 ロートルの地味なレスラーが埋め合わせにはならんだろ、とは当時思ったな。 リーグ戦をちゃんと消化してないしね。 ブリスコが馬場からNWAを奪回したときに オコーナーとブリスコが抱き合って喜んでいる写真も印象に残ってる。
オコーナーVSマイティ井上をTV放映してたね 日米のマットの魔術師対決
>>984 >ジュニアヘビーの選手と見なされてたんだ そんなことはないよww 1969年当時、公表190cm、115`の立派なヘビー級だ。 というより、その頃、日本のプロレスラーは、ヘビー級と ジュニアの分別は付けていなかった。 みんな原則ヘビー級という感じ。 ヤマハブラザースや、ミツ・ヒライも今ならジュニアだろうが 当時は、ジュニア王座もなかったしな。 69年暮れのシリーズでドリーとホッジという NWAのヘビージュニアヘビー級の両世界王者が 揃って来日した時、ヘビーは無論、G・馬場が挑戦するが 猪木は体重を落としてジュニアに挑戦させようかという 「案」があっただけ。 まぁ、後年、全日の鶴田が本当にそれをやらされたが。 >>983 ミスター林とか前座で笑いを取ってたのはいただろ? 羽田も京平に回転エビをされたりして笑いをとってたんだよ 極道コンビも地方では笑いを取っていた、毎回ではないしカード編成によってだが
>>989 ワールドリーグ優勝で格上げしておいて ジュニア挑戦はないわな 馬場vsブラジルと、猪木vsマルコフ 馬場vsブッチャーと、猪木vsデストロイヤー 当時のファンも組み合わせ見て、どちらが優勝するかわかっていたのかな?
まぁ、馬場が笑われて頃もあったし、 なんて言ったら怒られるかな。
肥後、林がらみはお笑い満載? 金的つぶし的なの多かった?
mmp2
lud20190724104701ca
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