1世界@名無史さん2021/01/31(日) 11:17:07.560
2世界@名無史さん2021/01/31(日) 11:18:32.100
春秋時代における、中原情勢推移の一例
B.C.722年5月 鄭で共叔段が反乱。
B.C.722年 共叔段の子、公孫滑が衛に亡命したため、鄭が衛を攻撃。
B.C.721年 鄭が再び衛を攻撃。
B.C.720年8月 宋の穆公が薨去し、公子馮が鄭に亡命。
B.C.719年夏 衛・宋・陳・蔡の四ヵ国が鄭の東門を包囲。
B.C.719年秋 四ヵ国が再び鄭を攻撃。
B.C.718年4月 鄭が衛に報復攻撃。
B.C.718年4月 衛が南燕軍を率いて鄭を攻撃するが敗北。
B.C.718年9月 �ェ鄭と連合し宋を攻撃。
B.C.718年 宋が報復し鄭の長葛を包囲。
B.C.717年秋 宋が長葛を占領
B.C.716年7月 宋と鄭が宿で講和
B.C.715年春 斉が宋と衛を垂の犬丘で非公式に会談させた。
B.C.715年7月 宋・衛両国が鄭と和平を結ぶ。
↑こんな調子で、延々と何百年もつづく。
フクザツすぎて、頭に入るわけがない。
近代ヨーロッパのほうが、まだマシだ。
3世界@名無史さん2021/01/31(日) 11:38:41.760
春秋時代のまとめ
紀元前1046年、商王朝を滅ぼした周王朝は、王族や功臣に土地を与えて自治や世襲を許可する「封建制」を採用しました(西周)。
紀元前771年に異民族の侵略によって第12代・幽王(ゆうおう)が殺害され、西周はいったん滅びます。
しかし翌年、鄭の武公を中心とする有力諸侯によって新たに擁立された平王(へいおう)が洛邑に遷都し、周王朝を再興しました(東周)。
やがて諸侯は、王朝を補佐する「覇者」と呼ばれる立場を争い、各地で戦争を起こすようになりました。
当初は鄭を初めとする河南省の都市国家による争いでしたが、やがて東西南北の各地に大国が台頭します。
「春秋の五覇」と呼ばれる斉の桓公(かんこう)、晋の文公、楚の荘王、呉王闔閭(こうりょ)、越王勾践(えつおうこうせん)です。
紀元前546年、宋国の仲介で北の大国・晋と南の大国・楚が休戦協定を結ぶことで、一時平和が訪れました。
紀元前453年、大国・晋が韓・魏・趙の3国に分裂して、春秋時代は終わりました。
4世界@名無史さん2021/01/31(日) 11:47:10.080
戦国時代の概要
戦国時代になると、かつてのように「覇者」が中心となって周王朝を支えるといったことはもはやなくなり、
戦乱で勝ち残った「戦国七雄」と呼ばれる「秦、燕、斉、楚、趙、魏、韓」がそれぞれ「王」を称して天下を争うようになりました。
当初は河南省の魏が主導的な立場にいましたが、やがて西の秦、南の楚、東の斉といった超大国が台頭しました。
紀元前247年、始皇帝と呼ばれることになる�ュ(えいせい)が王に即位すると、秦はついに統一に向けて動き出します。
紀元前221年、最後に残っていた斉を滅ぼし、諸侯はすべて秦の元に統一、ここに長く続いた分裂の時代は終焉を迎えました。
5世界@名無史さん2021/01/31(日) 11:48:24.340
>>3-4 はコピペに見えるけど、スレ立て人による「まとめ」ですので(笑) 6世界@名無史さん2021/01/31(日) 14:48:00.100
楚は中原に勢力を拡張し、その文物を積極的に受け入れようとしたが、
周室を推戴しようという考えはまったくもたなかった
7世界@名無史さん2021/01/31(日) 23:06:26.790
8世界@名無史さん2021/02/01(月) 15:25:00.750
まあ、始皇帝が即位した時点でほぼ勝負はついてたわな
コピペした文を加工したものだが、改良の余地がまだまだある
9田単2021/02/03(水) 08:13:53.630
>>1乙です
そういや宮城谷氏がまたこの時代で小説書いてますね
今、この時代をテーマに描く人はこの人しかいませんねえ
北方氏には書いて欲しくないですしw 10世界@名無史さん2021/02/03(水) 09:41:53.880
「キングダム」の漫画が大ヒットしたが、小説にブームは及んでないか
11世界@名無史さん2021/02/03(水) 14:37:18.210
春秋戦国時代、水利灌漑施設も発展したが、諸侯の国の間に築かれた堤防はみな、
自国に水害が及ばないようにするためのものだったから、洪水はしばしば隣国に
流れ込んで大災害をもたらした
そのために、治水事業の統一管理の必要が痛感されていた
やはり中国はいつかは統一される運命にあったのだと思う
12世界@名無史さん2021/02/03(水) 14:51:03.440
漢代ともなれば、食生活に塩は書かせないし、鉄製農具なしでは農耕生活も考えられない
全国的な商業ネットワークが必要だった
匈奴の脅威に対抗するためにも、中原諸国同士で争ってる場合じゃなかった
13世界@名無史さん2021/02/03(水) 14:51:44.800
やはり、それだけ必要になったから統一の機運が高まるわけで
14世界@名無史さん2021/02/03(水) 17:27:22.310
>>12
中国みたいな広大な大陸国家では、塩は嗜好品じゃなくて必需品では?
普段から肉食ってる貴族はともかく、植物食メインの庶民は塩食わないと死ぬぞ 15世界@名無史さん2021/02/03(水) 18:08:49.240
各地域の経済は互いに依存しあう度合いが強まっていた
ところが各国の都市が用いる貨幣は非常に複雑であり、
各国の度量衡もそれぞれ違っていた
また各国は国境に関所を設け、出入国する商人に税をかけて抑制していた
やっぱり統一したほうが効率がいいよな
16世界@名無史さん2021/02/03(水) 18:27:02.630
大商人の李斯が邯鄲で秦の王子の1人をバックアップして秦王につけたことが統一のきっかけとも言えるんだよな
(その王の子が後の始皇帝)
17世界@名無史さん2021/02/03(水) 18:32:59.110
中国の庶民食といえば腊肉(塩漬け豚肉)
これを作るのには大量の塩が必要でありそれゆえ塩は漢武帝の頃から国家の専売とされた
稲作だけ伝わった日本が特殊なだけで中国韓国や東南アジアでは稲作と養豚はほぼツーセットで広まっている
18世界@名無史さん2021/02/03(水) 18:57:19.530
李斯ではなく呂不韋だね
19世界@名無史さん2021/02/03(水) 18:59:28.650
桑原隲蔵の『中国人間に於ける食人肉の風習』を読むと子路はやっぱりただの文の表現ではなく実際に食べられたんだろうね悲しい
20世界@名無史さん2021/02/03(水) 19:17:31.400
>>18
すまん、今気づいて訂正に来たわ
その前にすでに指摘されてた 21世界@名無史さん2021/02/03(水) 22:20:51.330
中国の国土は広大だが、塩の産地は沿海部といくつかの内陸地に限られている
このため歴代の王朝は、塩の生産と販売を統制して、生産費の何十倍もの価格で
人民に売りつけ、それを重要な財政基盤としていた
22世界@名無史さん2021/02/04(木) 06:13:21.680
>>19
孔子は肉くえなくなったほどだからね
有名どころでは彭越が劉邦に塩漬け肉にされ、諸侯にふるまわれた
彭越は人を見る目がないわ
呂雉を頼るとは
子路にしろ、自らの言葉が災いをもたらした 23世界@名無史さん2021/02/04(木) 06:48:31.680
商とか周の時代の人は、どうやって塩分を補給してたんだろうな
まあ、「商の都から来る人が、商人の語源になりました」っていうくらいだから、商王朝も塩の流通ネットワークの中心にいたんだろうけどな
中国が本当の意味でバラバラになりにくい大きな要因の1つだろう
24世界@名無史さん2021/02/04(木) 06:55:18.710
漢代になると、塩に加えて鉄が必需品に加わった
乾燥化が進む硬い黄土高原の大地で農耕を続けていくには、鉄製農具が不可欠だった
25世界@名無史さん2021/02/04(木) 09:07:10.110
山西省南部には太古から有名な塩池があるが、戦国時代に倚頓という男がここで
製塩業を営んで巨万の富を築いた
また趙の都、邯鄲の郭縦という男は、当時のトップ産業である製鉄業を始めたところ、
大当たりに当たってたちまち王者に等しい財産を築いたという
おそらく農具を大量に鋳造したのだろう
26世界@名無史さん2021/02/04(木) 12:13:56.100
>>24
鉄の普及が始まったのは戦国時代初頭か春秋時代末だろ
戦国時代後半ぐらいから必需品になってると思うけど 27世界@名無史さん2021/02/04(木) 12:33:59.930
武器は青銅だったが、農具は鉄製
武器より先に農具で鉄が普及したのが中国文明の特徴
28世界@名無史さん2021/02/04(木) 14:25:48.190
黄土高原の土は、地下に立派な住居を造れるほどカチンコチンに硬い。
毛沢東も習近平も、そんな地下住居で暮らしたことがある
それくらい硬い黄土を耕作する農民も大変だ。
後の時代になるほど華北の乾燥化が進んで農耕に適さない地となり、食糧の供給を南部に依存するようになった
ただし、黄土は雨が降ると脆い
29世界@名無史さん2021/02/04(木) 14:51:03.820
華北の開発は漢代において、ほぼ限界に達したと考えられる
30世界@名無史さん2021/02/04(木) 15:07:39.630
>>27
脆くて武器に使いにくい鉄が主流だったから、武器としても利用できる新しい鉄の普及は遅かったのではなかったか 31世界@名無史さん2021/02/04(木) 18:25:21.790
>>16
> 大商人の李斯が邯鄲で秦の王子の1人をバックアップして秦王につけたことが統一のきっかけとも言えるんだよな
> (その王の子が後の始皇帝)
『奇貨居くべし』の商人は 李斯ではなく呂不韋 32世界@名無史さん2021/02/04(木) 19:47:41.020
鉄製武器の登場は西ヨーロッパではドーリア人侵入以降の古代暗黒時代(紀元前12世紀)頃だから
一方中国は前漢代に入ってからなので1000年遅れ
逆にヨーロッパでは鉄製農具の普及は中世農業革命以降だが中国では紀元前6世紀の春秋時代なので
1500年ほど進んでいる
33世界@名無史さん2021/02/04(木) 20:36:22.740
>>30
中近東や西洋の鉄は鍛造だったが、中国の鉄は鋳物だった
脆いので武器には向かない 34世界@名無史さん2021/02/04(木) 20:42:26.390
そんな武器に向かない鋳物に何の利点があるのかというと、型に流し込んで同じモノをたくさん作るのに適している
だから、漢の農民はみんな国営企業から供給された同じ農具を使ってた。
社会主義国の集団農場みたいだった
35世界@名無史さん2021/02/04(木) 22:27:46.050
漢代の耕地面積は約3780万ヘクタールで、2000年前に、日本の耕地面積の約七倍に
達していたらしい
またその収穫量は約30億石、目方に換算すると約3300万トンとされる
36世界@名無史さん2021/02/05(金) 08:05:56.140
高炉で鋼を量産して武器用は鍛打で脱炭
37世界@名無史さん2021/02/05(金) 10:50:26.790
漢の武帝は、匈奴と戦うための戦費をまかなうため、塩・鉄・酒を国家専売にした
38世界@名無史さん2021/02/05(金) 12:07:02.350
漢の対匈奴作戦は、徹底的な物量作戦であり、人海戦術だった
しかも国内から匈奴討伐の前進基地まで兵糧一石を送るには60石以上の食糧を
必要としたという
また国境線に配置した数十万の兵士の食糧を支給するために、中央の食糧倉庫が
空になったこともあったという
39世界@名無史さん2021/02/15(月) 12:46:06.010
靖郭君田嬰はかなりの屑
40世界@名無史さん2021/02/17(水) 03:28:30.290
晋が趙魏韓と三分さえしてなければ、秦の中華統一なんてできなかったとおもう
にしても、魏と韓の国境線のすごいこと、渦巻き巻いてるし
こんな国境線が、歴史でほかにも存在するとはとても思えない
どうしてああなった
41世界@名無史さん2021/02/17(水) 13:11:41.250
韓が鄭を、魏が衛を滅ぼしたからじゃね
42世界@名無史さん2021/02/17(水) 17:16:38.340
衛は滅ぼしてない
43世界@名無史さん2021/02/17(水) 17:31:42.860
>>40
春秋時代の三晋は所有する奉邑が晋国内にバラバラと点在してる
特に韓は当初は黄河以北の韓原にあった拠を州、平陽、新鄭と移り変わって
徐々に黄河の南岸へと拠点を大きく変えてる
それに晋公室から下賜された邑とは別に時代が下るに淘汰されてった
祁氏や羊舌氏や知氏等の旧領を他の貴族と共に分け取りしてった経緯もある
韓が黄河の南北に跨って瓢箪の様な国土になってったのはそういう事情も
あるんだろう 44世界@名無史さん2021/02/18(木) 14:39:14.980
晋内部に三晋ってのが出来て、それが一般化してしまった時点で避けられない命運だったな
斉→田氏斉みたいに国ごと変わった方がマシだったのかもしれん
45世界@名無史さん2021/02/19(金) 01:27:20.060
そもそも晋が一つの国であった、というのが割と幻想な気もする
戦国時代ですら都市国家連合としての性質を非常に色濃く残してた三晋諸都市が
春秋時代に国として一つにまとまれて居たのかは相当割り引いて考える必要がある
それに晋の覇権の端緒となった晋の文公やその先代献公も
同じ史記の情報同士で矛盾とも思える状況がいくつかあるもんで
司馬遷の時代には既にそういう話として伝わってたのかもしれないが
晋という国は史書に示される歴史的な事件が結構怪しい可能性があるね
46世界@名無史さん2021/02/19(金) 03:33:23.970
桓叔家による乗っ取りから献公の公族討滅で晋侯に権力が集中した
だからこそ文公が即位までにあれだけごたついても覇者になれた
六卿の時代になると新しく所領を得た卿達はその土地からバックアップを受けるために色々と特権を認めることになる
斉の陳氏がやってたみたいに小さい升で取って大きい升で与えるなんてこともやってたかもしれない
そうして都市が潤うとやがては領主を凌ぐ力を持つようになる
周王の持っていた権力が一都市にまで降りてくるってのはすごく面白いことだけど国としてはどんどんバラバラになっていくね
47世界@名無史さん2021/02/19(金) 08:19:51.000
そもそも、文字が諸国に普及して文書行政がおこなわれるようになったのは春秋時代末か戦国時代ごろなんだろ
なら、税額をきっちり決めるとかもできなかったのでは
その時代の統治なんて、冊封体制と大差ないような気がする
48世界@名無史さん2021/02/19(金) 09:32:45.780
>>45
春秋時代の晋は貴族とりわけ卿位にある氏族は時代が下るほどもう半独立の諸侯に
近い存在っぽいね
貴族の所有する邑って各々の宰領で経営してるもんだけど、後期に度々みかける
晋内部の貴族間の闘争なんかもう君主の介入無しで殆ど私闘に近いし
これは晋に限らんといえば限らんのだけど
戦国時代になると三晋地域の諸都市は経済的に発展した独立性の強い都市が多くて
各都市の経済活動や兵器・貨幣の製造なんかも国が一元的に管理しきれていなかった
なんていうのは書籍ではみかけるね 49世界@名無史さん2021/02/19(金) 09:33:12.460
>>46
gdgdしても覇者になれたのは騎兵戦力の優位があると思われる
恵公と文公の母は狄の有力氏族の族長の娘姉妹だったし
献公の愛人になった驪姫とその弟は戎の出身
献公の代での結婚政策は周辺に存在する遊牧系民族の取り込みを示唆してる
文公が狄に亡命中に赤狄の娘を娶ったというのも、この遊牧系との結託だよね
晋の覇権の正体ってのは遊牧民達による中原への浸透の側面が相当ある 50世界@名無史さん2021/02/19(金) 09:54:54.980
晋は献侯の辺りから史実に出てきて宮崎市貞は遊牧系が唐叔の家系図に繋げたんじゃないかって言ってる
51世界@名無史さん2021/02/19(金) 12:14:03.140
>>47 のつづき
冊封でないなら、寄親寄子制みたいなのとか、与力制みたいなのかも
いずれにせよ、春秋時代の時点では諸侯は領内の諸貴族に対して強い支配力を持ったことなど最初から無かったのではないかと
徐々に独立色を強めたのではなくて、最初からあの程度と思う 52世界@名無史さん2021/02/19(金) 15:41:48.900
>>50
その論は他の家も西周時代の情報がかなり欠損気味なこと考えると乱暴な気もする
特に封建から建国初期の晋なんて周王室の影みたいなもんだから西周崩壊で周に残された記録がかなり吹っ飛んだろうし
武公による本家乗っ取りで晋側も色々失ったろうし
怪しくはあるけど証拠がない感じ 53世界@名無史さん2021/02/20(土) 18:02:55.200
>>51
あるいは惣領制みたいな族的結合がメインだったとか 54世界@名無史さん2021/02/21(日) 15:07:02.810
それを前提に考えると商鞅の政策って部族制を盛大に解体するものだったし
秦が戦国時代に強国化するのもよくわかるな
55世界@名無史さん2021/02/22(月) 08:59:15.730
秦が相対的に強国化した理由は、よくわかるような、よくわからないような
一般的に族連合的な支配体制は他邦でも似たような時期に解体、専制的な体制に移行していったとされるので決定的な要因とは言い切れない
56世界@名無史さん2021/02/22(月) 12:17:11.480
少し文明かが遅れてたことで中原の先進思想家による改革が徹底できた、中央集権化の度合いが少し高めだったってとこでは?
あと、主要な係争地から離れた空白地帯の蜀を制圧してから躍進したっぽい
57世界@名無史さん2021/02/23(火) 04:42:05.610
西辺にあり係争地から離れている
確かに地政学的にそもそも優位だったということがまず考えられる
秦は春秋から強国で、また周という関中から出て成功した先例もあるのだから
秦の主な交戦国である魏(特に大梁進出後)が
常に二正面、三正面に備えなければいけない立地であったのと対照的
58世界@名無史さん2021/02/23(火) 07:53:13.050
>>55
晋はより分裂して分権化した状態が固定化しちゃったし
楚は呉起の改革が無かった事にされたと言う点を考えると
史記の史観では秦の集権体制と他国の分権体制の比較になってると思うけど 59世界@名無史さん2021/02/23(火) 20:04:28.710
仰る通り秦と楚の明暗は一に懐王、二に変法くらいの勢いで大体説明されてるけど
他の五雄についてはそれほど明確な解説はないからなー
強い君主の驕りや名臣の進退等の一般論が主で、呉起による集権化の否定に相当する決定的な描写がない
60世界@名無史さん2021/02/23(火) 20:28:15.900
そもそも、中央に周王室があり、その周囲を斉楚秦晋の東南西北4大国が取り巻いているという状況が、いかにも中国人好みの「五行説」にハマりすぎている
本当にこんな体制だったのか、なんか怪しい
61世界@名無史さん2021/02/23(火) 20:30:59.640
あと一歩で、智氏が晋を乗っ取って、田氏斉みたいになるところだったのにな
趙襄子の外交力で局面をひっくり返された
62世界@名無史さん2021/02/23(火) 20:32:02.990
>>60
いやそもそも秦楚は夷狄扱いだったし一次史料に出てくる諸侯を疑うのか? 63世界@名無史さん2021/02/24(水) 01:56:19.860
周代や春秋時代の一次史料なんて存在しないだろ
編纂物は二次史料だし
64世界@名無史さん2021/02/24(水) 02:42:39.450
金石文はこの時代の歴史研究の重要史料
65世界@名無史さん2021/02/24(水) 09:21:04.180
楚とかいう他の戦国六国を足し合わせたレベルの広大な領域を征服、統合した超大国
戦国楚は、「呉起殺さなかったら天下取ってた」「無能」とか言われるけど
呉起改革の過大評価、楚の政治体制の過小評価な気がしてならない
66世界@名無史さん2021/02/24(水) 12:12:04.610
面積は広いけど、国力は知れてるんだよな。人口密度が低い
あと、もとの中心地域だった荊州あたりと、呉越の旧領と、二ヶ所の中心地域を持つようになってからは国論統一できなかったのではないか。末期には荊州を取られて中心がひとつになったから国力結集できただろうけどさ
67世界@名無史さん2021/02/24(水) 13:50:53.300
密度は低いが兵力は秦に次ぐほど大きいだろう楚って
春秋時代から体制が殆ど変化してなかったって意味では随一っぽいけど
68世界@名無史さん2021/02/24(水) 14:17:02.640
この時代の長江下流は、広大な湿地帯で亜熱帯のジャングル
全身に刺青した土人たちの世界
69世界@名無史さん2021/02/24(水) 15:01:25.630
越は滅亡してから3つに分裂して自治してたから楚はほとんど支配してなかったんだろう
戦国に入ってからは奢侈に溺れてドロドロに腐敗した貴族政治で見る影もない
70世界@名無史さん2021/02/24(水) 19:59:39.930
越地は懐王代に入ってから攻め潰して併合の流れっぽいし実際は戦力に入ってないだろうね
東方に戦力を割かねばならんしむしろマイナスっぽい
戦国楚の遠心力が強そうな地勢で集権強行するといずれ爆散して暴君扱いされる未来しか見えない
近世の神聖ローマ皇帝が強権で全国的な支配実現するぐらい無理そう(暴論)
71世界@名無史さん2021/02/24(水) 20:12:05.400
懐王の頃だと荊州あたりはなくなって旧呉が中心じゃなかったか
つまり東遷後では?
72世界@名無史さん2021/02/24(水) 22:07:54.840
この時代は象は普通にいたんだよね
73世界@名無史さん2021/02/24(水) 22:23:49.380
象形文字だしね
74世界@名無史さん2021/02/25(木) 00:39:59.100
>>71
懐王期はまだ越を攻略中なので旧呉が中心はちょっと無理があるかと、東方(淮水流域)ならわかるけど
荊州北部を失陥するのは懐王の最末期で中部南部は次代の頃襄王期まで保持している、つまり東漸前 75世界@名無史さん2021/02/25(木) 06:54:28.400
この時代は、長江下流はまだジャングルで、楚といったら淮水なんだよな
楚の首都も、「西楚の覇王」といってた頃の項羽の都もこのあたりにあった
76世界@名無史さん2021/02/25(木) 08:58:23.240
春秋戦国の楚が開拓していったフロンティアが秦末楚漢の楚という感じですね
北東に基盤を構築した懐王期以前の楚
秦に敗れるも東に移って持ち堪えた頃襄王とその後継者たち
東漸後の楚を率いて強勢を誇った春申君
彼らの努力が巡り巡って秦を倒したと言えなくもないかもしれない
77世界@名無史さん2021/02/25(木) 19:06:30.510
劉邦の評価が低すぎる
叩き上げの歴戦の軍人で勝利をおさめて皇帝にまでなれたのになぜか無能大徳で成り上がったことに
春秋戦国時代にも匹敵する人物はいないでしょうに
78世界@名無史さん2021/02/25(木) 22:01:59.880
低すぎるというか極端って感じかな
まあ実像がわかり難くキャラ化しちゃってる古代人の評価が極端化するのはしゃーないと思うけど
79世界@名無史さん2021/03/13(土) 07:07:12.290
武帝のほうが英雄っぽい扱いになってるな
80世界@名無史さん2021/03/13(土) 12:45:53.230
>>55
>>59
あまり言われないけど国家予算のかなりの割合を賄賂に使ったことだって説も
実際に数十兆円の賄賂で諸国の重臣を買収すればね
日本ではばれて捕まるの怖し、はした金の賄賂は受け取らないことが多いけど
ちょっとしたことをやってくれるなら一億円あげると言われたらやる奴は多いだろう 81世界@名無史さん2021/03/13(土) 12:47:57.480
>>33
>>34
ちゃんとしたものは少ししか作れないし値段も異常に高くなってしまう
本物の豆腐が売れず、安い豆腐が流通しているように
一部の名犬が欲しい人しか高い犬は買ってくれないように 82世界@名無史さん2021/03/13(土) 12:50:02.910
>>60
斉も殷側だった説もあるし
殷の主力が東の人方を攻めるために主力がいない時に
味方のはずの周が騙し討ちで攻撃して本国を落としただけだからね
その力も他の諸侯より圧倒的に上ではないしね 83世界@名無史さん2021/03/13(土) 19:21:54.300
そりゃ生まれながら高貴な身分の武帝と文字も禄に理解できない高祖では比較すること自体、意味がない
なりふり構わず自分が助かろうとするし、他人が赤面するような、みっともない事を言ったりしたり当たり前
匈奴に臣下の礼でおめおめ生き残ろうとするのも納得
こんな些細な事を人物評価に加えるのが、適切かどうかは分からない
84世界@名無史さん2021/03/13(土) 19:22:51.120
↑
すまん スレチ
85世界@名無史さん2021/03/14(日) 14:20:44.860
越の繁栄の基盤は通商だったらしい
越は水上交通に長けていたので、東南部の山間地域に産する物産を、
黄河流域に搬出することで勢力拡大した
その通商ルートを確保するために、長江の下流域にあった呉と争い、
臥薪嘗胆・呉越同舟などの成句を残すほどの宿敵関係にあった
86世界@名無史さん2021/03/19(金) 05:51:20.920
呉は、独身税みたいな税を独身者の親に課してたと言うのはほんと?
87世界@名無史さん2021/03/21(日) 17:09:28.120
88世界@名無史さん2021/03/21(日) 17:20:45.560
>>85
そうなんだろうなあ
当時の浙江省は、マングローブの生い茂る亜熱帯の湿原で農業どころじゃなかったはず
山間部の産品を主力に、水運で繁栄していたというのは納得できる 89世界@名無史さん2021/03/21(日) 18:30:56.570
呉越同舟の呉らしい。
孫子の孫武がいた呉だね。
90s2021/03/21(日) 19:52:27.720
南方民族全体の総称にも「越」族という呼称を使うが、
越国が支配していたから越族という呼称が生まれたのか、
越族が建国したから越国という国名になったのかどっちなんだろう
91世界@名無史さん2021/03/21(日) 19:56:22.090
後者じゃね
古代は南蛮だったんじゃないかな
92世界@名無史さん2021/03/21(日) 20:06:20.660
でも越って単一民族でもないし単一部族でもない、たくさんの部族の集まりだろ
百越とか言われるように。
93世界@名無史さん2021/03/21(日) 20:42:50.050
人種的にはインドシナ系がルーツなのかな
94世界@名無史さん2021/03/21(日) 21:40:19.100
>>90
当時の記録で越としか読んでいないし
越族でも越国でもあるんじゃないというより
国と言えるようなのがインジョウからみたいだし
越も呉もwoみたいな発音でぶっちゃけ同族に近いらしい 95世界@名無史さん2021/03/23(火) 14:55:00.650
漢の宮廷では、「越人が互いに攻撃しあうのは彼らの常であり、またしばしば
寝返りをする」といわれていた
96世界@名無史さん2021/03/23(火) 15:07:56.480
>>88
何を主食にしてたんだろ?
ヤムイモタロイモ甘くないバナナとかだろうか? 97世界@名無史さん2021/03/25(木) 11:16:38.470
>>96
その辺は推測するしかないでしょうなあ
おそらく、「南洋の土人」みたいな人たちだっただろう 98世界@名無史さん2021/03/25(木) 18:46:15.710
越では、夏の暑熱の時節には、嘔吐や下痢、霍乱の病気が続出したとか
林の中にはマムシや猛獣が多い
99世界@名無史さん2021/03/25(木) 21:17:49.000
Do you have poison?
Yes I ハブ
100世界@名無史さん2021/03/26(金) 04:24:30.740
101世界@名無史さん2021/03/26(金) 07:36:50.830
稲作はすでに行われていたはずだが、主流ではなかったんじゃないか?
普通に熱帯のジャングルのイメージで良いのでは
102世界@名無史さん2021/03/26(金) 10:29:43.570
史料の記録が乏しすぎる
103世界@名無史さん2021/03/26(金) 14:46:49.650
黍なんかは主食だった様だな
104世界@名無史さん2021/03/26(金) 18:38:11.110
司馬遷は『史記』で、江南について、
「稲を飯にし、魚を羹にする。……果物屋や瓜類、魚介類は商人をまたずとも
十分自足している」
と書いている
105世界@名無史さん2021/03/28(日) 07:49:03.750
ということはやはり、コメが主食だった?
106世界@名無史さん2021/03/28(日) 11:02:55.010
俺はオコメよりオメコのほうが・・・
107世界@名無史さん2021/03/29(月) 22:36:23.390
>>68
>全身に刺青した土人たちの世界
全身に入れ墨したぐらいで土人なら我が国の推古天皇や聖徳太子も土人だな
隋書倭国伝
男女多黥臂、點面文身
男女の多くは腕から顔、身体にいたるまで入れ墨を施している。 108世界@名無史さん2021/03/30(火) 04:36:06.220
>>107
古代だと中国の南部、日本、東南アジアにかけて皆そうだ 109世界@名無史さん2021/03/30(火) 18:18:10.030
>>105
当たり前じゃん
江南で稲作始まったの10000年前だし 110世界@名無史さん2021/03/30(火) 18:20:11.940
戦国時代に入ると鉄製の武器が普及し、歩兵戦が中心となり、
次いで騎馬戦が導入され、犠牲者の数が格段に増えたな
秦と趙が戦った長平の戦役では、降伏した趙の兵卒40万人が
一挙に穴埋めにされ、総勢45万人が殺された
111世界@名無史さん2021/03/30(火) 18:23:29.940
>>110
都市国家的な国民皆兵を領域国家のスケールでやらかしてる感じの数字だな 112世界@名無史さん2021/03/30(火) 19:04:31.220
113世界@名無史さん2021/03/30(火) 19:25:35.100
武器は後漢辺りまで青銅製のが多いくらいだったはずだよな
むしろ鉄器の普及は武器よりは農具に金属器が使えるようになったことで
耕作や開墾が楽になった事に恩恵があったはず
114世界@名無史さん2021/03/30(火) 19:28:25.340
騎馬の導入で追撃戦とか包囲戦が格段にしやすくなったんだろうね
115世界@名無史さん2021/03/30(火) 19:40:08.270
>>109
でも、初期の稲作は面積あたりの収穫量が桁違いに低かったんだぞ
現代の水田より、何十分の一ほどとされている 116世界@名無史さん2021/03/30(火) 22:05:28.950
>>115
生産量を増やすには1つは土地を掘り起こす農具特に鉄器の普及(おそらく祭具や武器より普及は後年)
もう一つが地味を豊かにする肥料‥豆類の普及と人なり家畜なりの出すものを効率よく集めること
豆は家畜特に馬の飼育に必要不可欠だし調味料としても保存食としても重要な食物
この辺も急速に整備されたのかな? 117世界@名無史さん2021/03/30(火) 22:31:15.010
>>116
各種遺跡の発掘で出土した花粉から森林が消失して平地が広がった事がわかってるから
肥料とか使わないで開拓、植民を繰り返して効率悪く生産量を増やしてったんだと思われ
肥料に関する記述って古代の文献だと全然見た事ないんだよな 118世界@名無史さん2021/03/30(火) 23:56:31.810
初期の水田は湿田、沼地のかたちそのままで田地の形状すら整備できてない
てか、おそらくは整備する必要を感じてなかったと思われる。依存度が低かったから片手間ぐらいだった、とかだろうかね?
栽培に向いた性質、収穫しやすい性質、収穫量の多くなる性質などを選別して品種改良するより前だし、
どれほど収穫が低かったかは測定困難ではないかと
119世界@名無史さん2021/03/31(水) 08:46:51.540
>>113
全然違うよオマエ無知過ぎる
前漢軍は鉄器 120世界@名無史さん2021/03/31(水) 11:12:01.840
>>119
漢代でも遺跡から出て来る武器は鉄器よりは青銅器のが多めの模様
俺も教科書的に漢代は鉄器やろwwwと思ってたから結構びっくりした 121世界@名無史さん2021/03/31(水) 11:18:59.130
面白いのが鋼鉄製すらも既に戦国時代には登場していたってことだな
なのに銅と錫をいい具合で混ぜないと耐久性に問題の出ちゃう青銅もかなり後まで武器になってる
122世界@名無史さん2021/03/31(水) 11:40:04.840
自分はよく国立博物館に行くけど、「漢の文化」っていったら真っ先に連想するのは青銅器だな
123世界@名無史さん2021/03/31(水) 11:41:11.940
鋳鉄は、型に流し込んで同じモノを大量生産するのに向いている
だから、漢代には農具として普及した
124世界@名無史さん2021/03/31(水) 12:11:25.110
青銅器の方が作るのは大変そうに思うが、鉄器は加熱が大変なのかな?
125世界@名無史さん2021/03/31(水) 12:25:11.760
126世界@名無史さん2021/03/31(水) 12:28:40.670
古代人にとって、鉄を溶かすほどの高温にするのは簡単なことではなく、大量には作れない
中国は人口が多いから、型に流し込んで同じモノを大量に作ることが好まれたようだ
それが、青銅や鋳鉄が多用された理由かもしれない
127世界@名無史さん2021/03/31(水) 12:31:47.380
ヒッタイトでは鍛造した鍛鉄が主流
古代中国では鋳物の鋳鉄が主流だった
128世界@名無史さん2021/03/31(水) 13:20:20.340
>>127
墓の副葬品なんかだと鍛造の鋼鉄が出土してるから
量産品は鋳鉄、一品物とかは鍛鉄みたいな使い分けがあったっぽい 129世界@名無史さん2021/03/31(水) 14:05:59.380
>>120
全然違うよオマエ無知過ぎる
前漢遺跡から出る武器の大半は鉄器
2000年前だと鉄器の残存はかなり厳しい条件にも拘らず鉄器
前漢の青銅剣は儀礼用以外に全く使われて無い 130世界@名無史さん2021/03/31(水) 14:09:10.270
>>128
鍛造は前漢末期に普及した
それと無関係に鍛鉄は腐食が進み難く鋳鉄は腐食が早い 131世界@名無史さん2021/04/02(金) 06:41:55.530
古代中国っていうと、巨大な青銅器の甕が真っ先に思い浮かぶ
なんで、あんなにデカいんだろうな?
132世界@名無史さん2021/04/02(金) 09:26:15.810
日本列島では、銅鐸がやたら巨大化したよな
133世界@名無史さん2021/04/02(金) 09:45:07.570
やっぱり、祭祀用なんだろうな
134世界@名無史さん2021/04/03(土) 13:25:47.170
権威の象徴はデカければデカい程有意義だしね
135世界@名無史さん2021/04/04(日) 05:20:39.540
呉や越とか治水できてないだろあの当時は、
稲作有っても 原始的な陸稲とかだろうな
春秋戦国時代に書かれた儒教の書物 《周礼(しゅらい)》では、
この時代の 五穀は 麻・黍(しょ)・稷(しょく)・麦・豆とあるが、
だいたいが 中原の方で 寒冷・冷涼な大陸性気候の作物が書かれてる。
しかしながら、書物ではなく、
遺跡とかの 稲のプラントオパールの分布は
縄文時代 (約1万2,000年前〜2,500年前)には 日本(九州とか)に伝わっていて、
稲作の歴史は 『実は 日本から大陸側に伝わったのではないか?』と言う説もある。
日本の方が 稲のプラントオパールの分布は古い
呉や越の稲作は 河川付近の限定的な作付の可能性が高いと思う 136世界@名無史さん2021/04/04(日) 05:43:13.190
呉や越の地方に近い、
タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住んでいる ミャオ族が、
山岳地帯に住んで トウモロコシや陸稲を栽培している、
ミャオ族は 古くは 河川や湖畔の近くに住んでいたが
ある時期から土地を追われて 山奥の山岳地帯に放浪した民と言われている。
呉や越の亡国の民ではないかと思う。
137世界@名無史さん2021/04/04(日) 08:32:48.840
土器も稲も、日本の遺跡のほうが大陸より古いんだよな
古墳も半島より日本のほうが古くて、圧倒的に規模がデカい
138世界@名無史さん2021/04/04(日) 08:49:11.570
>>135
IQ70くらいしか無さそう病院で診断して貰え 139世界@名無史さん2021/04/04(日) 09:19:01.980
そもそも根本的な問題として、稲は熱帯性の作物なんだよな
寒くて雨が降らない朝鮮から、暑くて雨が多い日本に「稲作が伝わりました」というのは論理的におかしい
しかも、水稲耕作の遺跡は、朝鮮より日本のほうが古い
140世界@名無史さん2021/04/04(日) 09:21:08.760
同じ熱帯性である唐辛子は、東南アジア→日本→朝鮮と伝播している
141世界@名無史さん2021/04/04(日) 10:05:03.180
水田遺跡は韓国のオクキョン遺跡のほうが日本最古の板付遺跡より古いけどな
また農具も半島南部と日本は共通しているが江南とは共通していない
142世界@名無史さん2021/04/04(日) 10:20:26.580
>>135
起源的には陸稲より水稲栽培のほうが古い
原始的な陸稲栽培なんてものは存在しない 143世界@名無史さん2021/04/04(日) 10:37:21.500
古代で、半島→日本、日本→半島と新技術・新製品などが伝わる時間は、せいぜい1年くらい?
144世界@名無史さん2021/04/04(日) 11:35:03.510
>>139
違うよ
温帯〜亜熱帯気候の作物
農具も長江下流域の物と日本の物わ共通 145世界@名無史さん2021/04/04(日) 11:57:35.530
>>139
朝鮮半島の南部なら水稲はできるんだろう 146世界@名無史さん2021/04/04(日) 12:01:01.440
朝鮮半島南部で
北アジアの農耕文化と江南の稲作文化が合体して
それが日本に渡来したみたいな感じ?
147世界@名無史さん2021/04/04(日) 12:20:54.070
かつては朝鮮北部→朝鮮南部→九州北部と考えられていたけど
現在では朝鮮北部より朝鮮南部と九州北部の農耕文化のほうが早く成立したことが明らかとなりこの説は否定されている
現在では蔚山広域市のオクキョンにある日忽然と水稲文化をもつ集団が現れ
九州北部へと次いで半島北西部へと水稲をもたらしたことになる
この集団がどこから来たのか現在でもはっきりとしたことは分かっていない
148世界@名無史さん2021/04/04(日) 12:40:29.380
船使って移動してるなら朝鮮半島の南にいきなり到着してもおかしくはないからな
朝鮮には陸路で伝わったと決めつけるのはよくないよ
149世界@名無史さん2021/04/04(日) 12:49:46.580
海路沿いに中国から来たのなら普通は半島南西のはずだろ?
ところがオクキョン遺跡は半島南東部の蔚山にある
そこから九州北部の板付遺跡や半島南西部のオクキョン遺跡へと波及している
150世界@名無史さん2021/04/04(日) 12:51:58.390
×半島南西部のオクキョン遺跡→半島北西部の松菊里遺跡
151世界@名無史さん2021/04/04(日) 13:11:33.270
半島南部は、倭国の領土だったと言う説もあるし、倭国の5世紀前半の高句麗攻めも広開土王碑に残っているから、我々が思う以上に半島と倭国との往き来は頻繁にあったんじゃないの?
152世界@名無史さん2021/04/04(日) 13:20:50.810
>>151
説というか三国志魏書東夷伝で半島北部の帯方郡
半島中部の三韓(馬韓弁韓辰韓)
その南に倭人の国あって国境を接してる
というモロな記述があって半島南部は倭人の直接的な支配領域だったことが書いてある
所謂任那日本府の存在なんかもあるから唐が半島に進出するまで
半島は倭人の勢力圏だったことが推定される
岡田英弘は帯方郡の設置理由そのものが倭人との交易であり
倭人が漢や魏に直接出向いた時は、その帯方郡が機能していないため
これまで取引していた倭人が直接朝廷に出向いただけだ、という説を提唱していたな 153世界@名無史さん2021/04/04(日) 13:38:45.900
今でも、人口的には日本は1億2333万人(2021年1月)で、韓国5130万人(2021年)、北朝鮮2588万人(2021年)合わせての、1.56倍なので、昔から倭国は大国だと思われていたのだろうな。
154世界@名無史さん2021/04/04(日) 15:11:55.460
そりゃそうだ
魚と米が取れるのが、古代においては豊かな地
倭国は中国江南とならぶ東アジアで最良のエリアだ
155世界@名無史さん2021/04/04(日) 18:45:36.450
倭人が繁殖して縄文人の人口をあっという間に追い抜いた
古墳時代には倭人のほうがずっと優勢だったようだ
156世界@名無史さん2021/04/04(日) 19:03:38.200
>>155
DNAから倭人は縄文人の子孫だってちゃんとわかってるよ
ただ半島や大陸経由で渡来系が2000年間持続的に入り込んだ結果
縄文人と現代人の遺伝子にある程度差異はあるけどね 157世界@名無史さん2021/04/04(日) 19:07:24.810
縄文人の直系子孫は
蝦夷、アイヌ、国栖、
クマソ、隼人あたりだな
日本人は渡来系にすこし縄文系をブレンドしている
158世界@名無史さん2021/04/04(日) 19:13:23.410
>>157
アイヌはオホーツク系の民族に縄文人が征服された存在
蝦夷は謎、九州の諸民族は縄文系に東南アジアからの南方系が混ざってる
グレートジャーニーの吹き溜まりは伊達じゃない 159世界@名無史さん2021/04/04(日) 20:04:42.200
>>154
面積あたりの生育重量という意味では漁業の生産力は畜産より一桁以上低いぞ
海洋国ならともかく内陸河川での漁獲は、山林よりはましだが耕地に及ばない
ただ、移動しやすいことで広範囲から資源を集める余地があるだけ 160世界@名無史さん2021/04/04(日) 21:14:02.200
アイヌは、北海道の先住民族ではないみたいだね。
サハリンアイヌがオホーツク倭人を追い出して、北海道を乗っ取ったらしいけど、先住民族の定義が難解なのかな。
161世界@名無史さん2021/04/04(日) 21:17:10.550
東南アジアからの南方系?
台湾から南に行ってわざわざ日本に来たんか?
162世界@名無史さん2021/04/04(日) 23:32:58.440
ポリネシアのほうからも来てるけど=東南アジアから来てないとはならないでしょ
163世界@名無史さん2021/04/05(月) 10:08:36.570
南島諸語の比較言語研究によると台湾高地種族の言語が一番古い。そこから南下して東はポリネシア、イースター島まで、南はニュージーランドまで、西はアフリカのマダガスカルまではるばる拡散した。それを思えば、沖縄や日本本土なんてほんのご近所にすぎない。
164世界@名無史さん2021/04/07(水) 23:31:37.890
海に出て、海流に乗れば割りとすぐに着く
165世界@名無史さん2021/04/08(木) 01:00:44.480
女禍の伝説とか海洋民族の話に近いのかな?
そちらでは女性が動物と結婚して産まれた男児と結婚して子孫繁栄する事が多いんだっけ
いつ頃から伏儀っていう兄にして夫が現れて場合によっては女禍を三皇から除外(単なる伏儀の妹にして嫁)って扱いになったんだろ?
166世界@名無史さん2021/04/14(水) 17:58:35.560
【春秋時代】
前771年 周の幽王、殺害される
前770年 周の平王、洛邑へ遷都
前651年 斉の桓公、会盟して覇者となる
前639年 宋の襄公、会盟して覇者となる
前632年 晋の文公、会盟して覇者となる
前624年 秦の穆公、晋を破る
前546年 宋の仲介で楚・晋の停戦協定
前506年 呉が楚の都を陥落
前496年 越王勾践が即位、呉を攻撃
前494年 呉が越を破る
前482年 呉王夫差、会盟して覇者となる
前479年 孔子が死去
前473年 呉王夫差が自害、呉滅亡
前465年 越王勾践が死去
前451年 晋が分裂し、韓魏趙が独立
前426年 周王朝が東西に分裂
前403年 韓魏趙が諸侯となる
167世界@名無史さん2021/04/14(水) 18:08:02.630
【戦国時代】
前388年 斉の田和がクーデター
前376年 晋が滅亡
前341年 斉の孫ピンが、馬陵で魏のホウ涓を倒す。
前333年 蘇秦が「合従策」に成功する
前318年 楚燕趙魏韓が函谷関で秦に敗北
前316年 秦が蜀を滅ぼす。
前311年 張儀が「連衡策」に成功する
前284年 燕の楽毅の連合軍が斉に侵攻
前278年 秦の白起が楚の都を陥落させる
前270年 趙の趙奢が閼与で秦魏を撃破
前264年 秦が西周を滅ぼす
前260年 秦の白起が長平で趙に圧勝
前259年 秦王・始皇帝生まれる
前255年 秦が東周を滅ぼす
前247年 魏の信陵君の連合軍が秦を撃破
前241年 楚の春申君の連合軍が秦に敗退
前238年 秦の宰相・呂不韋が失脚
前233年 李斯が韓非を暗殺
前227年 燕による秦王暗殺未遂
前226年 燕の都が陥落
前225年 秦が魏を滅ぼす。
前223年 秦の王翦が楚を滅ぼす
前222年 秦が燕を滅ぼす。
前221年 秦が斉を滅ぼし、天下統一
168世界@名無史さん2021/04/14(水) 18:21:58.340
きちっとしている!
169世界@名無史さん2021/04/14(水) 18:39:19.990
呉と越は海浜に近く、魚介や塩の利益があるうえに、農業にも適しており、
中原の進歩した生産技術が伝わると、たちまち繁栄を迎えたのだとか
170世界@名無史さん2021/04/14(水) 19:15:46.230
171山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2021/04/14(水) 21:28:15.820
『太平広記』を読んでいたら面白い話があったので、ここでいいものか迷ったのですが抄訳を。
唐の時代、見鬼を能くする英禅師という僧侶がいたが、ある時寺主の慧蘭禅師に言った。
「秦の荘襄王と従者二百人余りが飢えて晩餐を求めておりますので、ご用意を願います。」
やがて時間になると荘襄王と貴賤様々な従者が現れたが、食べ方ががっついていた。
荘襄王「八十年ぶりの食事です。生前はまだ仏法がないのでたいした功徳を積めず、囚人の解放
や鰥寡孤独への施与ぐらいしか功徳がなかったので福徳が薄く、罪を贖い切れていないのです。」
これで四十年はもつと言い、荘襄王は周囲の人間を示して言った。
荘襄王「この者が陳軫です。虚偽の罪に苦しんでおります。そしてこの二人が白起と王翦で、殺人
が多過ぎた罪で苦しんでおり、未だ解放されておりません。」
英禅師「なぜもっと生者に食を要求されぬのか。」
荘襄王「私も貴人であり、濫りに祟りをなすような真似は致しかねます。」
去り際に言った。
荘襄王「城門の外に弟子の墓があります。呂不韋の墓とされていますが、誤りです。」
英禅師「あれは赤眉の乱であばかれたそうじゃが。」
荘襄王「賊が荒らしたのは上っ面。深部に財宝があるので差し上げましょう。」
英禅師「いや、わしは出家じゃ。それには及ばぬ。」
172山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2021/04/14(水) 21:31:16.040
荘襄王は礼を言って去ったということですが、後世のイメージを察して楽しめました。
流石に始皇帝では罪が重過ぎると思われたものでしょうか。
『太平広記』には、他に歴史上の人物同士が数世紀を隔てて出会うような話があります。
過去の歴史好きにとっては夢の展開であったことでしょう。
173世界@名無史さん2021/04/15(木) 07:33:34.710
遊牧民が北部中国の辺境地帯にもちこんだ物資は、まず第一に家畜だった
馬の獲得は辺境都市を都市国家に成長させ、都市国家の中から殷、周、秦などの
王朝が出て、他の都市とその周辺の農耕地帯を支配下に入れた
これが北部中国に統一国家が、南部よりも早く出現した理由
南部は辺境がなく、都市が育たず、馬が手に入らないために、
北部の軍事力に対抗するすべがなかった
174世界@名無史さん2021/04/15(木) 21:28:47.930
175世界@名無史さん2021/04/16(金) 12:47:42.660
家畜は農耕社会の方が先なんですが
176世界@名無史さん2021/04/19(月) 16:44:04.550
馬が辺境を国家にするって論理がよくわからんな
別に馬が都市の必要条件ってわけじゃあるまいし
177世界@名無史さん2021/04/20(火) 00:25:22.470
馬肉美味いからなあ
「ちょっと国家でも作ったろか」という気も起こるやろ
178世界@名無史さん2021/04/20(火) 01:56:41.750
>>171
物知り荘襄王カワイイ
なぜ活動期間が陳軫や白起と被る昭襄王ではなく荘襄王なのか?
1.昭襄王と混同or誤字(先秦あるある)
2.困窮してそう(妻子の境遇から連想)
3.呂不韋って言いたかった
4.即位時に親族、重臣を手厚く遇し、罪人を赦したから
5.まともな秦王は荘襄王くらいという認識だった
理由があるとすればこの辺りか… 179世界@名無史さん2021/04/20(火) 21:30:39.030
>>176
移動手段を得てはじめて広い土地を支配できるということでは 180世界@名無史さん2021/04/20(火) 21:35:41.830
移動の早い遅いよりも、情報伝達手段の整備の方が重要では
文字無しでは都市国家単位の朝貢関係より以上の緊密な支配は無理だろ
181世界@名無史さん2021/04/20(火) 21:35:57.480
インカ帝国「馬肉美味いよな!」
182世界@名無史さん2021/04/20(火) 21:36:40.380
情報伝達手段でもあるからな。
当時、携帯電話があれば、当時より広大な領域を把握できそう。
183世界@名無史さん2021/04/21(水) 19:38:57.500
携帯電話があって、タワーとかのインフラが何故か保全されてる状況なら戦争のあり方からかわるよな
184世界@名無史さん2021/04/21(水) 20:24:43.730
>>182
まあ、広域行政ができたとしても遠隔地まで物資を運ぶ手段が整ってなかったら広域国家で徴税とかできないしなあ 185世界@名無史さん2021/04/21(水) 21:02:02.970
羊を肉と毛とチーズ以外に輸送の動力源として繁殖しようぅて動きは無かったのかな?遊牧民って
単純育て増やすだけなら馬より用意だろうけど
186世界@名無史さん2021/04/21(水) 21:30:01.330
>>179
馬なし文字なしでも4000キロの領域を駅伝制による道路網で支配したインカ帝国があるからなあ
馬ありきは結果であって原因とはいいきれない 187世界@名無史さん2021/04/22(木) 01:52:44.160
羊に頼りたくなるほど輸送に余裕がないわけではないからな
移動はあくまで牧草を求めてのものだし数多いと管理も大変だから司馬炎がやってた以上の使い道はないのかねぇ
188世界@名無史さん2021/04/22(木) 19:41:38.170
>>186
徒歩で支配してたんだろうか?
文字は縄か? 189世界@名無史さん2021/04/22(木) 21:06:46.260
羊車って単語があるってことは一応そういう使い方もあったのかな?
190世界@名無史さん2021/04/22(木) 21:28:52.320
インカに舟運はなかったのか?
191世界@名無史さん2021/04/23(金) 09:20:57.200
夏王朝がタイ系だったというのは本当ですか?
そして殷王朝は北狄(森林地帯の狩猟民)出身で、山西高原から南下してきたとか
192世界@名無史さん2021/04/23(金) 21:07:41.130
何一つ合って無いよ
知能障害だね病院行って
193世界@名無史さん2021/04/24(土) 00:05:04.350
194世界@名無史さん2021/04/28(水) 18:43:24.270
呉はむかし周の王族の一人が東南の地に来て建てた国と自称していたが、
断髪に文身という蛮族の風俗からみて、それはただの伝説の可能性が高い
195世界@名無史さん2021/04/29(木) 01:21:55.920
多分伝説だろうけど
文明人が僻地へ入植すると文化を維持出来無く成って原始的な生活に退行するのわ
地理や時代を問わず普遍的に見られる現象らしいよ
196世界@名無史さん2021/04/29(木) 06:27:47.220
>>194
『史記』に記されているように、呉の開祖、太伯・虞仲が自ら
現地の習俗を取り入れたという説明で、それが史実であっても
何ら問題ないでしょう。 197世界@名無史さん2021/04/29(木) 11:42:29.000
この時代の長江下流域ってどの程度南下してきた中原出身の集団がいたんだろうね
オーストロネシア系がマジョリティっぽいが
客家はもう定住していたのかな
198世界@名無史さん2021/04/29(木) 12:54:18.240
呉越はオーストロネシア語じゃ無いよ
199世界@名無史さん2021/04/29(木) 18:19:22.160
越は夏王朝の子孫と自称していた
呉、越の地は海浜に近く、魚介や塩の利益があるうえに、
農業にも適しており、中原の進歩した生産技術が伝わると、
たちまち繁栄を迎えた
200世界@名無史さん2021/04/29(木) 19:05:05.060
史記の記述ですら、けっこうフィクション比率が高いみたいだし、それ以外の典籍はそれ以上のフィクション率だ
基本、話半分で理解しといて、考古学とか他系統の研究をペースにするべき
201世界@名無史さん2021/04/29(木) 20:30:24.090
先祖を中原の王朝と結びつけてるのはただのフィクションだね
司馬遷の時代からさらに千年以上前のことなんて細かくわかるわけないからね
202世界@名無史さん2021/04/29(木) 21:12:54.370
呉越や匈奴の祖先伝承はフィクションかもしれんが
商、夏王朝は史記の記述通り実在したからね
神武欠史八代王朝と倭の五王王朝を適当に接木した天皇王朝が創造した記紀と違って
203世界@名無史さん2021/04/29(木) 21:22:33.760
>>202
コジツケだよ、そんなもん
古代都市の遺跡を、強引に「これは夏王朝なのである」ということにした 204世界@名無史さん2021/04/29(木) 21:52:05.800
無知な妄想症患者に救いわ無いな
205世界@名無史さん2021/04/29(木) 22:04:00.300
夏王朝は存在してないよな、妄想過ぎる
206世界@名無史さん2021/04/29(木) 22:42:28.190
それを「夏」と呼ぶかどうかは文字史料がないから決定打はないけど、二里頭文化が王朝と呼びうるような高度な政治的求心制や勢力圏を持っていたこと、建築や習俗において後の中国との強い連続性があったこと、はもう確実
207世界@名無史さん2021/04/29(木) 23:09:24.630
正直、中国の史家の怪力乱心を語らずって偉いと思うけども
そういうの後の世界の人間が判断するから、全部書き残しとけと思わんでもない
それがあれば、この春秋時代だってもっと沢山の話が残ったはずなのに
208世界@名無史さん2021/04/29(木) 23:10:36.950
倭の五王は中国史書に記録が残ってるけど
前代の神武王朝に関する記述は乏しい上に在っても事実と全然一致してない
209世界@名無史さん2021/04/30(金) 02:27:53.330
>>206
二里頭文化で王権っぽいものが確立されてたであろう事や
政治的にある程度の成熟を見せてたっぽい事は否定する奴ぁ居らんと思うが
それが夏かどうかってのがどうしても思想的、政治的な問題になっちゃうよな
現状は夏王朝とすべき明確な証拠はないから、「かもしれない」以上の事は
妄言、妄想か希望的に言ってるだけになってしまうが 210世界@名無史さん2021/04/30(金) 02:38:16.440
>>209
クノッソスやトロイアだって、はっきりと「そうです、ここがクノッソス(トロイア)です」って看板が出土したわけじゃないんだし、もう「たぶん夏」としてもいいんじゃないの?
クノッソスやトロイアを認めて夏を認めないのも政治性入ってる気がする 211世界@名無史さん2021/04/30(金) 03:22:37.200
>>209
いや成ら無いよ
史書に夏王朝の記録が有り
考古物も発見された
夏王朝の実在わ確定
倭の五王以前の天皇神話とわ違うよ 212世界@名無史さん2021/04/30(金) 04:18:57.140
>>210
あれもシュリーマンがホメロースのトロイア発掘云々で出土したからトロイアっぽいよね
って話にはなってるけど、学術的には詩に出て来たトロイアそのものとは認められとらんぜ? 213世界@名無史さん2021/04/30(金) 17:59:49.920
何を言ってるのか意味不明
214世界@名無史さん2021/04/30(金) 18:20:39.140
>何を言ってるのか意味不明
・夏王朝を実在したと言っている奴は、夏王朝の実在と何の関連もない記紀の記述を引き合いにだすのは
夏王朝が実在したかどうかはどうでもよく、記紀をデスりたいだけなんだろうなということは分かる。
・記紀と単純に一纏めにしているのは、両書を区別できていないからで、その点から論者の教養のなさ頭の悪さが垣間見えることは読み取れる。
215世界@名無史さん2021/04/30(金) 18:24:06.440
>>214
そいつは世界史板名物のバカ
相手にするのはホドホドに 216世界@名無史さん2021/04/30(金) 20:36:09.840
217世界@名無史さん2021/05/01(土) 01:13:38.700
殷より古い遺跡が続々発掘されるにつれ、
「夏が実在したかどうか」というのはどうでもよくなってるのでは?
日本だと同じ王朝がずっと続いてるから
古代の遺跡が大和朝廷と連続性があるかどうかは問題になるが。
218世界@名無史さん2021/05/01(土) 02:22:14.350
>>214
倭の五王以前の天皇神話は考古学的な裏付け無いからね
奈良盆地が征服された形跡って発見されて無いし 219世界@名無史さん2021/05/01(土) 07:55:09.740
神武東征神話、九州出身で奈良盆地に攻めこんだって部分は少なくとも嘘だわな
神武が実在かどうかはいまも不明のままだが。
220世界@名無史さん2021/05/02(日) 01:32:28.350
>>219
うそじゃなく、むしろ史実くさいんだけど
西暦100年ごろに関西の遺跡はまとまって破壊されてる 221世界@名無史さん2021/05/02(日) 10:37:28.040
稲荷山古墳の金文しかない現状では、そうじゃないかな?以上の事は言えん
殷墟で大量の甲骨文が発見されたように、誰かの古墳で大量の文字が発見されない限りは
222世界@名無史さん2021/05/02(日) 12:49:13.750
223世界@名無史さん2021/05/02(日) 15:50:50.950
畿内の遺跡で、二世紀とか三世紀四世紀あたりに旧来文化から九州などの文化に置き換わるような入れ替りの痕跡がない
他の地域要素が流入するようになったのはたしかだが、基調が旧来文化なんで、外来勢力による侵攻を受けたとは考えられないよ
224世界@名無史さん2021/05/03(月) 02:03:23.790
>>222
ソースが見つからないけど
西暦100年ごろにいっせいに関西の遺跡が破壊されたのは事実よ 225世界@名無史さん2021/05/03(月) 03:28:15.440
少なくとも奈良盆地と大阪平野でそんな事起きて無いよ
奈良わずっと安定的で大坂も居住区の変遷は有るけど
河川の堆積や流路変更等の地形要因ってのが有力
226世界@名無史さん2021/05/03(月) 11:31:19.420
>>223
多くの遺跡が衰退消滅してるけど破壊されたわけではない
破壊の痕跡なんてない
そもそも、古代社会には生活環境の変動で集落が破棄されて別の場所に移動することは珍しくなく、移転ラッシュの時代が何度かあるほどだ
そんな移転ラッシュが畿内では一世紀から二世紀にかけておこってただけ 227世界@名無史さん2021/05/03(月) 12:03:36.290
古代の倭はコロコロ首都移転するのが日常茶飯事だ
何が「まとまって破壊されてる」だよ、妄想もいい加減にしろ(笑)
228世界@名無史さん2021/05/03(月) 13:09:10.770
そんなこと言われても
どうすりゃいいのさ
___
/ノ ヽ\
/(●) (●)\
| (_人_) |
\ `⌒′ /
/ \
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_| L[]o___/_/_
\_三)
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___\ コロ…
()__)┘
229世界@名無史さん2021/05/03(月) 14:01:15.960
浅草が衰退して、新宿が繁栄するようなものか
230世界@名無史さん2021/05/03(月) 14:27:47.500
いや、単に建物の寿命の20年とか30年で、立て替えだろ
231世界@名無史さん2021/05/03(月) 14:36:41.150
黄河の下流や、チグリス・ユーフラテス川のような極端な暴れ川だと、都市が洪水に飲まれて消滅することが珍しくない
232世界@名無史さん2021/05/03(月) 15:40:18.100
DNA的にも時間をかけてゆっくり混じり合った説が有力で100年そこらで急激にゲノムが入れ替わった説はDND分布的にありえないんだっけか
233世界@名無史さん2021/05/04(火) 00:11:13.820
>>230
法隆寺や千本釈迦堂みたいな奇跡的に現存している木造建築物って無いの? 234世界@名無史さん2021/05/04(火) 02:01:25.520
どっちも何度も建て替えてるしな
235世界@名無史さん2021/05/04(火) 02:12:29.680
防蟻剤のない時代に掘立柱建物だもん
236世界@名無史さん2021/05/04(火) 09:23:42.500
現代の長安も洛陽も、古都ではない
単なるショボい地方都市
237世界@名無史さん2021/05/04(火) 09:57:48.720
京都の悪口言うなよ
京都タワーがご自慢なんだって?京カスはw
238世界@名無史さん2021/05/04(火) 10:33:45.810
>>236
そりゃ場所が近いだけで同一じゃないしな
漢の頃の洛陽はいまの洛陽の場所に隣接した隣町みたいな場所だろ 239世界@名無史さん2021/05/04(火) 10:57:31.600
西安は昔の長安城と微妙にずれたけど移動ってほどじゃないな。明代の城壁も完全に残ってるし。
240世界@名無史さん2021/05/04(火) 18:12:41.800
明の歴史は日本では滅多に話題にならないけど
万里の長城や紫禁城などそのビジュアルの影響力は中国歴代王朝ナンバーワン、圧倒的やな
他の王朝が束になっても敵わん……いや清の辮髪と旗装はわりとインパクト強いか
241世界@名無史さん2021/05/04(火) 23:03:48.920
春秋戦国時代、水利灌漑施設も発展したが、諸侯の国の間に築かれた堤防はみな、
自国に水害が及ばないようにするものだったから、洪水はしばしば隣国に
流れ込んで大災害をもたらしたとか
そのために、治水事業の統一管理の必要が痛感されていた
242世界@名無史さん2021/05/05(水) 02:05:17.310
この時代のトイレはどうしてたんだろ
243世界@名無史さん2021/05/05(水) 08:44:22.190
>>241
春秋戦国の堤防、洪水、水害といえば
趙の恵文王は河水を決壊させて魏を攻撃してますね(楽毅が活躍してた頃)
なお同年自国も別の河川の氾濫で水没した模様 244世界@名無史さん2021/05/05(水) 09:23:57.750
揚子江や珠江沿いには多くの都市が並んでいるのに、
山東省の省都、済南は河岸には建設されなかった
その理由は黄河があまりに激しく荒れるからだと
245世界@名無史さん2021/05/05(水) 15:14:43.100
以前の開封みたく氾濫で埋まって発見されて無いだけじゃねーの
246世界@名無史さん2021/05/05(水) 18:38:58.160
古代の都市国家の分布をみると、山西高原の東縁をなす太行山脈の東麓に
沿っているし、その東方では、平原のなかに顔を出しているいくつかの
丘陵の上に都市国家が建設され、山東省の泰山山塊にいたっている
「中原」とはいいながら、平原部は黄河の氾濫と水質の悪さのために、
人間の生存にあまり適さない環境だった
247世界@名無史さん2021/05/05(水) 22:53:17.800
土木技術が未発達だと河川沿いの大平原はあまり都市が形成されないよね
248世界@名無史さん2021/05/06(木) 02:47:27.650
古代黄河の場合はマジでやらかすと武帝の時みたく水が溢れた地域が壊滅して流民大発生するからな…
中小(現代的感覚なら悲惨な)被害は毎年のようにあっただろうし
後この辺りの時代は城壁だけじゃなく大きな宮殿とかも版築の山に屋根かぶせるような作りだし
おそらく浸水は軽度でも避けたいよなぁ…
249世界@名無史さん2021/05/06(木) 02:55:28.670
それなりに良い屋敷なんかわ木柱と梁構造だよ
250世界@名無史さん2021/05/06(木) 06:25:49.970
洛陽盆地は、黄河の氾濫の危険に直接おびやかされることもなく、
それを貫流する洛河とその支流伊河は原始的な技術で十分に
灌漑工事が可能な規模だった
さらに洛陽盆地は東アジアの南北を結ぶ陸路と水路の結節点にあたっていた
洛陽から東方、開封にいたる約200qの間だけは、河の流速は緩く、
両岸は低く、水路は安定して、南から北へ、北から南への渡河は容易である
251世界@名無史さん2021/05/07(金) 05:33:52.610
>>249
それなりの良い屋敷はそれでいいだろうけど
戦国諸侯の首都にあるような高大な宮殿建築は柱と梁だけじゃ無理だったらしい
咸陽宮や燕下都、中山王陵などに残る宮殿遺構から推測される内部構造は基本的に中身土台 252世界@名無史さん2021/05/07(金) 06:14:19.730
臨淄は現代では山東省の一小都市に成り下がったけど、春秋戦国時代には、
大国斉の都であり、当時、最大の大都市だった
周の洛陽、趙の邯鄲、魏の大梁、楚の郢なども、政治都市であるとともに
手工業あるいは商業都市にもなって巨大化した
253世界@名無史さん2021/05/07(金) 18:56:38.020
>>251
中身が土台なんじゃ無く土台の上に建築するんだぞw
歴史ドラマでもよく出て来る高い位置に築かれてるアレ 254世界@名無史さん2021/05/07(金) 23:49:08.030
>>253
歴史ドラマのそれとは違うらしいよ
段差をつけた土台を壁にして建物をへばりつくように建てるのが戦国期の宮殿
だから一層目や二層目の中心部は土が詰まってて内部に大きなスペースを確保できない
外からは高層建築に見えても実際に土台上に建ってるのは上層のみで復元図では概ね平屋or二階建て 255世界@名無史さん2021/05/08(土) 01:18:19.390
>>254
いや合ってるよ
咸陽の宮殿は土台の上に築かれてる
ドラマでよく見掛けるヤツと同じ建造法
底層は一層だし抑々土台以外の建築部分は極一部
土台の上に築かれてるのが三階建て 256世界@名無史さん2021/05/08(土) 09:32:24.840
>>255
回答ありがとう、詳しいね
三層くらいの階段状土台を核心とする台?建築らしい燕下都や中山王陵遺跡の宮殿とは違うってことか
咸陽宮の基壇が一層というのはわかる
構造物が三階建てというのは随分具体的だけど、なにか決定的な証拠が見つかっているのかな?
もしよければネットで閲覧可能な発掘調査報告の類や論文など、参考になるものがあれば教えていただけないだろうか 257世界@名無史さん2021/05/08(土) 14:12:57.700
燕下都の建築は主に平屋だけど木造二階建て部分も有る,建築考古学論文集1987年
咸陽も3階建てと思ってたけど見たら外側二階建て,内側二階建てで重なって無いのね,秦咸陽宮一号宮殿遺址立面復原図
258世界@名無史さん2021/05/08(土) 20:05:48.410
やっぱ先秦は平屋か二階建のイメージだよなぁ
楼閣とかと違って普段使用する大型宮殿建築で無理する必要ないし
259世界@名無史さん2021/05/09(日) 00:44:11.280
>>257
さっそく情報ありがとうございます
土台の使い方こそ重ねて高さを強調する?燕趙中山あたりとは多少趣が異なるけど
台上にある建物の主要構造は基本的に大差ない感じですね 260世界@名無史さん2021/05/09(日) 05:36:52.700
ローマでは庶民のほうが高層化したが
中国でもそんなふうかな
261世界@名無史さん2021/05/09(日) 13:07:42.290
ローマの石造高層建築は一旦地震起きると倒壊し捲って被害惨重だったから
地震の多い地域じゃ無理だよ
262世界@名無史さん2021/05/09(日) 19:43:28.300
まあ中原は地震被害の少ない地域だからあまり気にしてなさそうだが
263世界@名無史さん2021/05/10(月) 05:05:09.120
イタリア半島はアフリカプレートとユーラシアプレートがぶつかる地震多発地帯だけどな
264世界@名無史さん2021/05/10(月) 15:54:17.290
だから崩落しまくってるしな
材木に向いた森林も少ない
265世界@名無史さん2021/05/11(火) 00:21:12.930
紀元前2000年ごろ、中国の森林被覆率は64%だった
それが清代のはじめごろには21%に低下していた
266世界@名無史さん2021/05/11(火) 01:19:03.150
日本は森林率65パーセントだが江戸時代は40パーセントほど
と考えるといまの日本もかなり異常
イギリスは森林率10パーセントと低い
現在ドイツフランスイタリアなど森林率は三十パーセントあまり
三割程度の森林率をめざしてるんだろうな
267世界@名無史さん2021/05/11(火) 01:47:17.020
ヨーロッパは中世までは森林におおわれてるとこが多かったが三行革命前ぐらいに森が禿げたんだっけ
268世界@名無史さん2021/05/11(火) 02:03:08.260
また髪の話をしてる
269世界@名無史さん2021/05/11(火) 02:17:36.150
>>266
戦後の復興で増えたのか
おそらく杉だよね。花粉症がひどくなったのか 270世界@名無史さん2021/05/11(火) 06:46:37.550
江戸時代の日本はハゲ山だらけだったとよくいわれるけど、
それでも森林率は40%もあったのか
ヨーロッパ諸国の場合、大航海時代以降、帆船を大量に製造したことも
影響しているのかな
271世界@名無史さん2021/05/11(火) 07:59:16.030
江戸時代前半に大規模開発で禿げ山が増えて洪水とかの災害多発するようになったから、江戸時代半ばごろから開発に規制が入って、環境保全が進んでるからなあ
それで40%なんじゃね?
272世界@名無史さん2021/05/11(火) 08:01:12.410
ヨーロッパで森林がなくなったのは、製鉄で木炭を使いすぎたかららしいよ
森がなくなって木炭が入手しにくくなったことで、木炭よりやすい石炭が普及したと。
273世界@名無史さん2021/05/11(火) 10:20:36.170
明治政府が関東平野の田畑生産力を東京でつぶしたのを悔んで
仙台平野など東北北海道に強力な規制しいて
住宅開発は山地に追いやったらしいが
江戸でやっていればなぁ
274世界@名無史さん2021/05/11(火) 12:08:26.020
当時、同程度な土地でも地域によって単位面積あたりの収穫が二倍三倍も違うほどの格差があったわけで、生産力に劣る東北とかで農地を保護しても実際の効果は低かっただろうけどな
275世界@名無史さん2021/05/11(火) 12:34:57.240
おしいことに先進地帯の近畿は平野平地がほとんどない日本
276世界@名無史さん2021/05/11(火) 13:05:18.700
日本の場合ハゲ山は土砂崩れ起こすばかりで利用価値ほとんどないけど、平坦なイングランドでは牧草地や耕地として利用できるからなあ
少なくとも産業政策としては森林を回復させる必要はそんなに感じなかったんだろう
277世界@名無史さん2021/05/11(火) 13:07:07.500
エスプレッソを音を立てて啜り込むお前らのようなハゲを見る若い女性の目は、完全に汚物を見た時の表情と一致しています。
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278世界@名無史さん2021/05/11(火) 15:02:12.280
>>270
エゲカスは製鉄の為に森林乱伐し捲って禿げた 279世界@名無史さん2021/05/11(火) 15:04:29.730
>>276
17世紀初頭に最も生産量多かった地域の製鉄量が
半世紀で10%まで激減してるけどね 280世界@名無史さん2021/05/11(火) 18:30:40.490
>>272
木炭枯渇で石炭に切り替えた当初は木炭より不純物が多かったせいで銑鉄の品質が落ち、鉄の精錬技術を高める必要が出たんだよな
木炭の時代の銑鉄より石炭の銑鉄の方が、どうしても脆くなってたから。 281世界@名無史さん2021/05/11(火) 18:39:50.960
>江戸時代の日本はハゲ山だらけだったとよくいわれるけど
この種の本って必ずと言っていいほど広重の浮世絵を根拠に挙げているけど、
「東海道五十三次」に描かれている全ての山が禿山ではないし
鞠子のような前面の落葉樹が葉を散らしていて冬の情景なのは明らかなのに、背後の山が
青葉に覆われていないのが証拠だとか、先日産経抄で紹介された著者が断定しているらしいが、マジわけが分からん。
前面の木が繁っているのに背景が土山だから、これは禿山を描いたのだというのなら分かるんだけどね。
森か山なのか区別するための絵画表現ではないと決めつける根拠も分からん。
何より広重は現地に行かず想像で「東海道五十三次」を画いたのに……
六甲や生駒のように花崗岩の採取で荒山なのは自明なのに、わざわざ調査して禿山なのが
明らかになったと手柄顔で調査報告と称する無意味な事実を証拠にしていたり、
『森林の江戸学』には東北の山が乱伐されたと参考文献を挙げているが、
同書にある和泉国の山は大半が樹木に覆われていたという不都合な真実はスルーするという悪書もある。
スレチなのは承知だが、話の流れのついでに、俺が読むべき良書を誰か紹介してくれないか?
282世界@名無史さん2021/05/12(水) 02:45:57.210
村に近い山だと乱伐で禿山に成りそうだから
その都度領主の許可が要る様に命令出してた所もあるけど
何で読んだか忘れた
283世界@名無史さん2021/05/25(火) 18:59:04.400
春秋戦国時代の食糧は稲、粟、黍、麦、豆など数種類あったが、
豆は下層階級の食物だったのだとか
『菅子』巻五「重令」には、「豆や穀物が不足すると、民衆には必ず飢餓の様子が
現れる」という言葉があり、ここからも豆が庶民の食糧であることがわかる
284世界@名無史さん2021/05/25(火) 19:15:05.500
豆はタンパクだが毒性も
285世界@名無史さん2021/05/25(火) 22:23:33.870
古代中国には牛をはじめとする家畜を生贄に捧げる祭儀が存在したが、
ああいうものはいつの時代まで存続していたんだろう?
地中海世界ではキリスト教の普及とともに廃れていったらしいが
286世界@名無史さん2021/05/25(火) 23:17:13.340
少なくとも、後漢とか三国時代までは存続してそう
隋唐時代はどうなんだろ?
宋代は?
287世界@名無史さん2021/05/26(水) 04:49:40.940
古代ゲルマン人の地母神なども聖牛だったらしい
288世界@名無史さん2021/05/26(水) 06:15:40.060
頻度の問題でしょ
日本国は今に至っても天皇家が何かやってるし
289世界@名無史さん2021/05/26(水) 06:25:59.380
ネパールでは、今でも生け贄の動物が何十万頭も殺されて問題になってるけどな
290世界@名無史さん2021/05/26(水) 07:42:14.230
犠牲と言ったってお供えしたあとちゃんと食べるんだろ。ご近所に振る舞ったり。
なら別にいいんじゃね?
291世界@名無史さん2021/05/26(水) 08:03:34.340
農耕民族が米や麦をお供えするのも、牧畜民族が家畜をお供えするのも、やってることは同じだ
292世界@名無史さん2021/05/26(水) 08:29:11.870
宗教儀式という点でわね
血腥さの観点なら全然違う
293世界@名無史さん2021/05/26(水) 09:15:30.730
294世界@名無史さん2021/05/26(水) 10:39:11.030
キリスト教以前のケルト人ではインドとおなじバラモン
僧侶が勢力張っていた
どういうわけか僧侶階級が衰退したあとでローマ人が来たらしい
ブリテン島が中心だった
295世界@名無史さん2021/05/26(水) 12:12:14.960
あえて言うなら、スペインの闘牛だって元々は宗教儀式で家畜を生け贄に捧げてるわけだよなあ
296世界@名無史さん2021/05/26(水) 22:42:36.830
殷代には人間を生贄に捧げることもあったとか
297世界@名無史さん2021/05/26(水) 23:44:25.490
羌という異民族だけどな。一説に羌という漢字は二本足の羊の意味だとか。
298世界@名無史さん2021/05/27(木) 05:34:47.440
そんな説無いけどな
甲骨文すら見た事無いおっさんが全く予備知識無しに妄想
299世界@名無史さん2021/05/27(木) 10:38:56.710
春秋戦国時代には、商工業の発達が農村の閉鎖的な経済をゆさぶり、共同体の上層の
人びとがうまく土地をとりこんで富農となる反面、土地を失って没落して貧農と
なったり、生活の途を失って都市へ流れていった者も少なくなかった
江戸時代の日本で士農工商といわれたのは、このように商業が社会の安定を脅かす
おそれがあったからなのかな?
300世界@名無史さん2021/05/27(木) 12:52:22.820
原始共産制の農村共同体なんてのは、マルクス主義史観の学者たちの空想妄想の中にしか存在しない架空の農村
301世界@名無史さん2021/05/27(木) 16:11:01.930
粗放農業は農産共同体を形成し易いよ稲作より
>>299
社会変動が起きる位経済活動が発達したのわ漢代入ってからじゃね?
一応七国に分かれてたし 302世界@名無史さん2021/05/27(木) 17:25:13.630
>>300
原始共産制って農耕以前の狩猟採集社会が想定されてるんだが・・・
こういうマルクスのマの字も知らん低能が「ぼくのかんがえたまるくすしゅぎ」を妄想しては叩くのって何なの?
お前の妄想はママにでも聞いてもらえよ誰も興味ねーから 303世界@名無史さん2021/05/28(金) 03:25:15.750
>>298
士農工商って言葉自体が最近じゃ使われないのでは 304世界@名無史さん2021/05/28(金) 07:41:57.150
>>299
江戸時代の日本について士農工商と言ったのは、同時代にはほとんどなくて、主に明治以後の人が江戸時代をあしざまに言うための言葉という状態
というか、本来は朱子学の言葉で日本の江戸時代の社会とはぜんぜん違うんだよ 305世界@名無史さん2021/05/28(金) 08:45:15.210
士7%農22%工7%商7%農奴44%奴婢14%奴隷9%
306世界@名無史さん2021/05/28(金) 18:07:21.770
波動砲!エネルギー充填率120%!!
艦長!安全深度限界ですー!!
まだいける!あと20m潜れ!!
みたいな?
307世界@名無史さん2021/05/28(金) 18:29:21.300
春秋戦国時代にはさまざまな形の貨幣があったが、布銭(農具をかたどった銭)は
おもに中原地域で、刀銭はおもに燕や斉で、円銭は秦で用いられていたんだよな
ある意味多様性があって面白いともいえるが
308世界@名無史さん2021/05/28(金) 18:49:00.800
>>307
復古主義者の王モウは、前漢を滅ぼして古銭を復刻した 309世界@名無史さん2021/05/28(金) 20:18:49.930
宝貝が貨幣として用いられていたのはいつ頃ぐらいまでなんだろ?
海岸にいけば入手できる貨幣とかインフレデフレ凄まじい気がするけど
310世界@名無史さん2021/05/28(金) 22:16:47.510
>>309
王莽の政策が破綻したのちは、貝貨が雲南以外で使われることはなかったらしい 311世界@名無史さん2021/05/29(土) 05:04:39.140
>>305
徳川時代中期以降は農奴が奴隷奉公で都市へ奴婢として出荷される数が増加したよ 312世界@名無史さん2021/05/31(月) 14:56:48.610
江南では昔から巫術が盛んだったらしいけど、道教とはどう違うのかな?
313世界@名無史さん2021/05/31(月) 16:09:00.870
鬼道ってヤツじゃね?
どんなのか知らんけど
314世界@名無史さん2021/05/31(月) 19:39:01.150
江南の巫女は楽器を叩いて死人の魂を下ろし、死者に話をさせたらしい
さらに吉凶を占い、ときにはひでりや雨乞いのとき、犠牲として天に
捧げられる場合もあった
周の時代には手に茅を持って舞い、託宣をしたという
315世界@名無史さん2021/05/31(月) 20:42:40.940
公孫衍って前314年に秦に攻められて敗走したあとの動向わかっているのでしょうか?
武王のもとで甘茂にどうこうとか、その後の伊闕の戦いでは魏の使者となり秦と和平したとか何とか書いてあるところがちらほらありますがあれ向寿や公孫奭とかという人と混同しているような…
316世界@名無史さん2021/06/01(火) 06:44:53.440
>>312
道教よりむしろ、儒教のルーツがそれ
孔子が「怪力乱神を語らず」とする以前の儒教はシャーマニズムだった
孔子の母も巫女だったと言われている 317世界@名無史さん2021/06/01(火) 07:09:54.740
違うよ
祖先神を祭る宗族制と政教一体だけど
既にシャマニズムでわ無いよ
318世界@名無史さん2021/06/01(火) 07:42:31.640
戦国時代中期以後、漢民族共通の祖先と考えられるようになった黄帝も、
風雨を支配する巫術者と考えられていた
しかし、中国の古代ではシャーマン=王だったにしても、為政者が儒教を民衆統治の
手段にしてから後、巫術者の行為はおおむね時の権力に対してアンチテーゼとして
働くため、史料に残される例がきわめて少ない
319世界@名無史さん2021/06/01(火) 08:06:54.710
>>315
史記張儀列伝では張儀死後に入秦したことになっているからね
個人的には武王〜昭王の初期は公孫なんとかがよく登場するので混同の可能性は相当あると思う
向寿「そろそろ誰が昭襄王の真の幼馴染か決めようではないか?」
紀年記事における公孫衍または犀首という名での登場は
たぶん魏世家の哀王九年が最後じゃないかな?(岸門に敗走したのが哀王五年、哀王十年に張儀卒)
その後も存命かもしれないけど魏または秦の将軍、宰相としての活動は確認できない気がする 320世界@名無史さん2021/06/01(火) 10:42:26.110
夏后少康の庶子の無余という人が会稽に封じられ、
土地の風習に従って入墨をし、
髪を切って村落をつくった
その子孫が越王勾践
321世界@名無史さん2021/06/01(火) 11:32:56.040
こじつけ伝説だろそんなん
322世界@名無史さん2021/06/01(火) 15:46:00.790
>こじつけ伝説だろ、そんなもん
いや、問題は何故こじつける必要があったか?そして、それを記録するだけの裏付けはあったのかどうか?
が、問題なんだろ
つまり、当時に二里頭文化の集団移民が実際にあって、それを夏の王族に仮託されたのか
そして、それを裏付ける文化的な連続性があったのかどうか
323世界@名無史さん2021/06/01(火) 18:06:20.250
たとえ当時なんらかの根拠があったとしても
今となっては匈奴≒夏の末裔みたく証明できないだろうしなんとも
初期越の有力者墓は中原型だった、という話も聞かないし
324世界@名無史さん2021/06/01(火) 18:55:04.670
>>319
ご丁寧に解答くださってありがとうございます!
古代特有の楽しく同時にもどかしい感じ…おとしどころ探さなくては 325世界@名無史さん2021/06/01(火) 19:57:28.420
呉太伯の父は古公亶父といい、周王朝の祖だが、
長男の太伯よりも末子を位に即けたいと願っていた
それを知った太伯は位を弟に譲るため、髪を切り、
入墨をする蛮族の風習をして会稽に行き、呉の始祖となったという
これもこじつけ伝説?
326世界@名無史さん2021/06/01(火) 20:04:38.490
>>324
いえいえ、張儀列伝と魏世家という基礎中の基礎の範囲でしか答えられず申し訳ない
一応魏将の記述が史記比豊富な竹書紀年に犀首がいないか探したこともあるのですがそれらしき人物はいませんでした
武王期以降になると宣太后一族他に関心が移ってしまい完全に勉強不足です(汗) 327世界@名無史さん2021/06/01(火) 21:40:39.510
>>325
あのまま周に残っていたら殺されたのが李歴ではなく太伯だったんだろうか? 328世界@名無史さん2021/06/02(水) 11:38:01.290
殷周時代の大都市、とりわけ王都は、王朝の滅亡とともに
放棄されるものであり、政治的な性格を強く帯びていた
しかし戦国時代になると、王朝の興亡に左右されない、
巨大な経済都市が出現する
なかでも大規模な城郭都市が生まれたのは、韓・魏・趙の地域
329世界@名無史さん2021/06/02(水) 14:38:04.450
そんだけ都市の力が強くなったってことか
インフラとマンパワーが
330世界@名無史さん2021/06/02(水) 19:35:50.470
戦国期には社会的・地域的な分業が相当な水準まで発展し、天然資源のみならず、
日常的な什器の流通も始まっていた
北海では馬や犬、南海では大鳥の羽・象牙・犀の角・青色の染料・丹砂、
東海では紫貝・葛製の布・魚・塩、西海では皮革やヤクの尾を産出した
中国の民はこれを交易で手に入れることができた
331世界@名無史さん2021/06/03(木) 00:09:04.540
>>330
それだけ色んな交易品があるのに調味料は塩と酢だけなのか 332世界@名無史さん2021/06/03(木) 07:28:01.550
戦国期だと魚醤,肉醤と味噌が普及前だけど有る感じ
333世界@名無史さん2021/06/03(木) 14:22:03.760
春秋戦国時代には、食客3000人を抱えるような人物も現れたけど、
それだけ社会が豊かになったということなのかな
ちなみに孟嘗君はいかもの食いで、他国からの逃亡者や罪人までも集めていた
334世界@名無史さん2021/06/03(木) 15:05:50.210
うがった見方だと、有能な人材は大国に取られてるからイカモノ人材しか集められなかったという説も
そんなイカモノ軍団を使いこなして活用したんだからすごいよな
335世界@名無史さん2021/06/03(木) 15:16:59.550
有能はイカモノでも有能だし
イカモノでも有能は有能でしょ
336世界@名無史さん2021/06/03(木) 17:24:03.670
犯罪者の活用といえば秦
秦末には軍が罪人だらけになっちゃった
337世界@名無史さん2021/06/03(木) 22:30:50.620
ヨーロッパの城郭都市の場合、門限が定められていたが、
中国の都市の場合はどうだったんだろう?
338世界@名無史さん2021/06/03(木) 23:33:44.820
夜明けまでは城門を出入りできなかったからこそ、町を出られなかったからこそ、鶏の鳴き真似をする人材が活躍したんじゃね
339世界@名無史さん2021/06/04(金) 06:02:19.830
鶏鳴もそうだし光武帝も門限過ぎて野宿した逸話がある
宋の開封なんかは不夜城として有名
340世界@名無史さん2021/06/04(金) 07:30:31.960
日本の江戸城も門限が決まっていて、
それを過ぎると将軍といえども
みだりに入れてもらえなかった
341世界@名無史さん2021/06/04(金) 07:48:45.630
つうか、江戸だと町全体がブロック状に区切られて柵で往来制限されててその門扉が夜間には閉じられて往来できなかったはず
その門のことは木戸とか城戸と呼んでたはず
342世界@名無史さん2021/06/04(金) 14:32:23.910
日本では中国の都市のなかで、唐の長安だけがやたら有名で、
宋の開封では夜間の通行を禁じた唐代の坊制はとっくに
なくなっていたことなど、ほとんど知られていないな
343世界@名無史さん2021/06/04(金) 23:47:27.700
文化は伝播するが現地に馴染みがあるわけじゃないからね
これは前近代中国に限らず現代の欧米に対しても言えるな
有名なのは代表的な都市だけ
344世界@名無史さん2021/06/05(土) 10:58:03.980
春秋戦国時代に諸子百家が盛んに活躍していたが、
そのなかには一人の秦国人もいなかった
やはり秦は文化的にも遅れていたのかな
345世界@名無史さん2021/06/05(土) 11:33:20.450
秦で活躍した人は複数いるのに秦出身って聞かんよね
346世界@名無史さん2021/06/05(土) 11:55:44.050
秦は法律が厳しくて高等遊民はできないしゆっくり学問もできなかった
一家に二人以上の男子がいれば必ず分家しなければならないとして
自作農の増加をはかり
五人組で農家を互いを監視させた
漢代になると余裕のある家の子が
ずっと学問して世評が高まり70歳でようやく官に招かれ
とか出てくる。孔明もニートだったし
347世界@名無史さん2021/06/05(土) 12:15:01.810
孔明ニートは誤読だな
あいつら、大土地所有者、大土地経営者らは領地経営が本業
君主に仕えるのは副業みたいなもんだぞ
348世界@名無史さん2021/06/05(土) 12:38:19.680
呉の4姓とか大土地所有者だけど先祖を見ると北から来たみたいだし
東晋の豪族もそういうの多いし
孔明の実家も華北で戦乱に押されて南に流れてきたみたいだし
太守のおじさん殺されてるし荊州に土地縁なさそうよね
349世界@名無史さん2021/06/05(土) 12:53:24.990
その辺の時代の大土地所有者って、異境に移動するときに領民を引き連れて移動することが多かったみたいだね
土地は移動先で手に入れて開拓して入植するのかな?
だから、孔明も異境である荊州で地主業、大土地経営をしてるわけだよ
自分自身も土地を耕したりしてるけど、それも本業じゃない
350世界@名無史さん2021/06/05(土) 13:04:54.200
袁紹も司馬懿も仕官に出てこないと殺されるから仕方なく仕官
本音では高等遊民していたかったようだ
351世界@名無史さん2021/06/05(土) 13:28:28.160
未だ未耕地有る時代だし
上古わ道徳を競い 中世わ智謀を逐い 当世わ総力を争う
352世界@名無史さん2021/06/05(土) 15:47:56.220
353世界@名無史さん2021/06/05(土) 16:00:26.350
354世界@名無史さん2021/06/05(土) 16:45:37.930
袁紹は董卓に脅されて仕官したんだっけ
袁紹が離反した腹いせに叔父が殺されてるな、たしか?
355世界@名無史さん2021/06/05(土) 16:52:32.200
朝廷の政治を壟断していた宦官の趙忠らは、袁紹の行動を不審に思い危険視していた。そのことを聞いた叔父の袁隗は、一族を滅ぼすつもりかと袁紹を叱ったという(『三国志』魏志「袁紹伝」が引く『英雄記』)。そのため、何進の掾(属官)に召されるとようやく官途に就くことにした
356世界@名無史さん2021/06/05(土) 17:40:46.810
>>354
訂正
董卓のときに仕官したわけではない
すまん。指摘のレスの意味も読み取れてなかったし…… 357世界@名無史さん2021/06/05(土) 18:03:36.750
秦の知恵者と言えば厳君かな
358世界@名無史さん2021/06/06(日) 03:34:29.860
史上活躍した人物となると、他の国と同じくまずは宗族ということになる
昭王期くらいまでは公子や公孫が政戦によく登場する
まあ出自が明らかな人間は殆どいないから公孫某でも秦出身確定にならんのが辛いとこだが
他にパッと思い浮かぶ出身地が書いてある有力者は・・・
白起:バリバリの秦地出身
王氏:秦の本拠地、関中東端出身
犀首:秦の周縁、魏との係争地域出身
あと蒙恬みたく先祖は他国者だけど本人は秦育ちな秦人(知らんけど)も割といるかもしれん
359世界@名無史さん2021/06/06(日) 07:54:57.140
どいつもこいつも実務的な人で私塾を建てて後進の育成になんて考えそうになさそうだ
お国柄終わりを全うできないってのも要素の1つかな
360世界@名無史さん2021/06/06(日) 08:52:37.400
私塾で後進の育成とか無いしな
基本はサロン
361世界@名無史さん2021/06/06(日) 13:49:14.030
王朝のその後を考えない利己主義者の集まりで、自分の能力を活かしたい人が来るから乱世には発展するけど後に続かない
始皇帝没後の帝国を見ているようにで面白い
趙高・李斯と陳平・周勃の差よ
362世界@名無史さん2021/06/06(日) 16:13:33.530
始皇帝に人を見る目が無かったというだけの気も
363世界@名無史さん2021/06/06(日) 16:48:16.260
豎5fc; 趙高 公子開方みたいな一見忠義面した輩わ質悪いから
364世界@名無史さん2021/06/06(日) 17:02:48.550
365世界@名無史さん2021/06/06(日) 19:02:33.340
>>359
>>361
秦は諸子百家に分類される人材を雇用しているけど、多くが便利な侵略案内人&権力強化のお供(寵臣)タイプで
史料を見る限り諸子百家的な文化を振興しよう、みたいなタイプの権力者は戦国末の呂不韋を待たなければいけないからなぁ
しかも孤立する甘茂説話の数々や、逐客令というワード、厳格な移動の制限から考えて
東方で流行る諸子百家ムーブを積極的に否定、拒絶する有力者&地元秦人は少なくなさそう 366世界@名無史さん2021/06/06(日) 19:34:38.510
側近と寵臣は違うでしょ
367世界@名無史さん2021/06/07(月) 01:54:19.390
側近は君主と親しい、つまり君寵を得ている人物、すなわち寵臣である場合が少なくないし
君主の信頼を背景に強大な政治権力を握る寵臣は側近出身であることが多いのでは?
368世界@名無史さん2021/06/07(月) 06:02:18.250
寵臣は権力握って無い場合も多いよね
369世界@名無史さん2021/06/07(月) 07:09:09.320
もちろん場合によりけり
寵臣政治する事もあればただの遊び相手でしかないこともある、それは側近も同じだけど
370世界@名無史さん2021/06/07(月) 19:18:47.130
側近は近臣と手足となって働く信頼厚い体制幹部を指す場合がほとんどだけど
寵臣は要するにお気に入りなのでやや範囲が広いかな
上は君主個人の寵愛を頼りに強権を振るい改革を強行する歴史的人物から下は寝室で活躍する人まで
371世界@名無史さん2021/06/08(火) 14:41:37.490
斉の国は山東省にあって海岸線が長いので、製塩や漁業には便利だが、
土地はアルカリ性が強く農業には適さなかった
管仲は製塩業、漁業のほか、養蚕、絹織物業を奨励するとともに、
土壌の改良につとめ、農業を盛んにし、また物資の流通、物価の安定を図った
これによって斉の国の経済は発展し、軍事力は強化された
こうして斉の国は春秋最初の覇者となる道を歩み始める
372世界@名無史さん2021/06/08(火) 16:41:39.940
管仲というか、後世管仲に仮託された思想というか
373世界@名無史さん2021/06/08(火) 17:47:44.210
製鉄忘れてる
374世界@名無史さん2021/06/08(火) 18:34:37.120
>>371
春秋時代の斉は海岸まで支配してなかったのでは? 375世界@名無史さん2021/06/08(火) 19:07:12.250
春秋時代も終わり頃になると広く海岸を支配してたんじゃないかな
むろん管仲が生きていた比較的前期には当てはまらないけども
376世界@名無史さん2021/06/08(火) 22:41:13.670
斉の桓公にとっては、北方の山戎や狄よりも、
南方の楚の国のほうがおそるべき敵だったとか
377世界@名無史さん2021/06/12(土) 22:17:38.060
呉、越の地は海浜に近く、魚介や塩の利益がある上に、農業にも適しており、
中原の進歩した生産技術が伝わると、たちまち繁栄を迎えた
378世界@名無史さん2021/06/13(日) 02:45:09.560
冶金は元から先進地域の1つだし
農業は長江流域に典型の稲作だから
黄河流域の天水農法と違うよ
379世界@名無史さん2021/06/13(日) 02:55:59.900
ずっとあとの三国時代の呉でも旱魃が多く記録されてる
北に比べて人口が少なく
豊作が当たればでかいが、安定しなかったみたい
そんなわけで人狩りとか精出して
380世界@名無史さん2021/06/13(日) 09:09:28.090
稲作の方が畑作より安定してる
三国呉の領域の多くは戦国楚
江南で旱害が起き易いのわ丘陵地
381世界@名無史さん2021/06/13(日) 10:31:51.690
畑で栽培される稲を陸稲(りくとう、おかぼ)という。同じ土壌で陸稲の栽培を続けると連作障害が発生する
382世界@名無史さん2021/06/13(日) 14:03:57.600
陸稲なんて栽培されて無い
はい論破
383世界@名無史さん2021/06/13(日) 14:25:20.240
この時代の南方は原住民による焼き畑農業がおおく、それに華北人が乗っかった
いきなり水田なんてないよ。まず原住民を追い払ってから開発
384世界@名無史さん2021/06/13(日) 14:27:19.070
考古学的には、日本では縄文時代から陸稲が栽培されていた形跡があり、水田稲作より起源が古い
385世界@名無史さん2021/06/13(日) 16:38:20.500
386世界@名無史さん2021/06/13(日) 18:47:19.250
>>384
現存の陸稲わ中世に分岐した物だし遺伝的多様性にも乏しい 387世界@名無史さん2021/06/13(日) 19:39:20.170
春秋戦国時代は中国の思想が急激に発展した時代だけどその要因はなんだったの?
三国時代、五胡十六国時代、五代十国時代も同じ分裂時代だけど新しい思想は生まれなかったのはなぜ?
388世界@名無史さん2021/06/13(日) 20:18:41.920
>>380
戦国の呉は後の徐州あたりだよね、会稽あたりは呉の南がわ隣国の越だよね
すると戦国の呉の領域の大半は三国時代には魏の領土だよね 389世界@名無史さん2021/06/13(日) 20:20:02.160
>>382
陸稲は黄河文明の方のエリアで細々と作られてたぐらいで、長江文明の圏内では育てられてないよね 390世界@名無史さん2021/06/13(日) 20:21:53.290
>>383
そかな
原住民が稲作で入植した華人は小麦とかヒエアワメインなんでは? 391世界@名無史さん2021/06/13(日) 20:26:18.200
>>387
あたらしい思想は色々あったけど、だいたいは古い思想の外皮をかぶせられて新規性が見えにくい
三国時代になる前から、後漢の頃から色々とあたらしい思想は出まくってるよ 392世界@名無史さん2021/06/13(日) 21:15:46.050
393世界@名無史さん2021/06/13(日) 22:13:35.210
前584年、晋では楚の力をそぐ手段として南方の呉に目をつけ、
申公巫臣を呉に派遣し、進歩した車戦法を教えさせた
これは呉王寿夢のときだったが、この時から呉は勃興し、
晋の目論見どおり、楚の一強敵となった
394世界@名無史さん2021/07/09(金) 19:40:50.030
中国の軍隊についてだけど、春秋時代になると、貴族だけでは軍事力不足なので、
平民による常備軍が編成されるようになったな
ただし彼らには武器自弁の義務はなく、代わりに「金」を徴収するようになった
そして戦国時代には貴族の子孫が増加したので、本国で生計を立てられない者たちが
同盟国で寄食するようになった
彼らは戦時には軍を率いるものの、平時にもどれば軍を解いて、主君に返上するのが
ふつうだった
将軍職も、周代に比べればもはや高貴な地位とはいえなくなった
395世界@名無史さん2021/07/10(土) 03:58:20.580
貴族が増加したからというより
知識人層が形成されたから行政改革で
有能でない無能な世襲ゴミがポイーされた
楚や秦や燕の様な田舎わ相変わらずだったけど
396世界@名無史さん2021/07/10(土) 16:45:05.940
397世界@名無史さん2021/07/27(火) 15:30:04.250
呉越の長江流域や巴蜀の人達は日本の弥生人にもあたるそうだね
398世界@名無史さん2021/07/27(火) 17:42:08.950
数万年前にアフリカから出てきた人たちは今の中国人にあたるそうだよ
399世界@名無史さん2021/07/28(水) 09:50:06.830
巴蜀は違うけどな
400世界@名無史さん2021/07/28(水) 13:42:57.370
401世界@名無史さん2021/07/28(水) 18:57:53.850
秦が滅んだあとも、あの辺りには独自文化をもった小国が乱立して、夜郎自大で知られる夜郎国とかがあった
後漢の頃でさえ、多地域と違う文化が残ってたから三国時代前に劉璋が独立性力を作ってたわけだし、三国時代にも儒教の特殊な学派が勃興したりしてるよ
どこかに去ったりはしていない
402世界@名無史さん2021/07/29(木) 08:35:04.140
勿論全員去ってはいない
一部が移住しただけ
後に日本では秦氏になったものもいるかもしれない
考えられるのは紀元前1000〜有史以降にかけて断続的に辰韓に移住していったと考えられる
呉越の滅亡と秦の中国統一あたりがきっかけとして考えられる
縄文人遺伝子YハプログループDも弥生人遺伝子O1b2も羌族系に近い
華夏人遺伝子O2が黄河周辺に居たのでそこ以外を避けて移住してるのだろう
昔はチベット→姜→巴蜀→長江ラインが近い民族で繋がっていたと考えられる
夜郎国もそうだし山越なんかもそうかもしれない
越人は日本の北陸に移り住んで越前などの国名由来になったかも
403世界@名無史さん2021/08/03(火) 18:47:19.910
Y染色体ハプロを調べると結局はほとんどが同じ系統になるんだな
404世界@名無史さん2021/08/03(火) 20:00:42.830
全国展開のグループって組織的な協力や動きがあって魅力的だな・・・
いまの会社じゃチャンスないし俺もスターグループ移ろうかな
405世界@名無史さん2021/08/20(金) 09:48:41.620
>>402
長江文明の末裔だろう呉越は膠着語なので
チベットと言語が違う 406世界@名無史さん2021/08/24(火) 15:40:27.650
コロナ対策でやってることは羊頭狗肉の語源になった晏嬰の逸話と内容一緒だなーとずっと思っていた
同じこと思った人いる?
407世界@名無史さん2021/09/15(水) 13:55:33.550
アベ登極以降ずっと羊頭虫肉
408世界@名無史さん2021/09/15(水) 19:30:04.540
ジンギスカンかと思ったらポシンタンだった
409世界@名無史さん2021/09/26(日) 19:25:57.220
春秋時代になると、犬戎、山戎、林胡、赤狄、白狄などが中国へ侵入してきた
覇者というのは、周王にかわってこれらの異民族の侵入から
中国を防衛することを任務とした
農耕民族だった南の荊蛮は、比較的早くから容易に中国文化に同化されて
中国社会の一員となった。楚の国がこれである。
410世界@名無史さん2021/09/26(日) 19:46:18.580
楚は中原の国際秩序とは距離を置き、早くから周王の権威に対抗して楚王を称した
斉の桓公も、晋の文公も、楚の脅威に対抗するため、諸侯を会盟して覇者となった
411世界@名無史さん2021/09/26(日) 20:43:57.930
>>409
覇者の代表格である晋の文公には、狄の血が入っていた。
少なくとも、クオーター
晋の文公の終生のライバルは、楚の成王だった。
文公を覇者と仰いで会盟した諸侯も、みんな楚の脅威から自国を防衛すべく集まってきた国々 412世界@名無史さん2021/09/26(日) 20:47:44.890
その前の覇者だった斉の桓公も、「楚が急速に力をつけており、周囲の国々を脅かしています」という管仲の言を容れ、諸侯を会盟した
楚の成王も、桓公の威に服して会盟に加わることにした
いま、中国包囲網だったはずのTPPに中国が加盟申請してきて話題になってるが、それと似たエピソード
413世界@名無史さん2021/09/26(日) 20:53:23.100
斉の桓公と、晋の文公。
2人の超大物の間に、ちょっと小粒な宋の襄公もいた。
宋の襄公は会盟を主宰しようとして成王を招いたが、成王は「宋ごときが無礼な」と言って子玉を派遣し、会盟の席で襄公を大いに辱しめさせた
宋は楚に戦いを挑み、両軍は泓水で激突したが、襄公は楚軍が河を渡りきるまで攻撃を仕掛けなかったので、宋軍は大敗した
414世界@名無史さん2021/09/26(日) 20:58:59.410
この頃までは、「春秋の覇者」にとって諸侯の会盟とは、「対楚包囲網」だった
その後の、呉王や越王が覇者となる時代になると様相が変わるけど、呉越は南方の国々であり、最大の脅威はやはり大楚
彼らも、北方の異民族から中原を防衛しようとしていたわけではない
415世界@名無史さん2021/09/26(日) 21:41:16.430
416世界@名無史さん2021/09/27(月) 06:48:28.310
子の曰わく、
管仲、桓公を相けて諸侯に覇(は)たり、
天下を一匡(いっきょう)す。
民、今に到(いた)るまで其の賜(し)を受く。
管仲微(な)かりせば、
吾れ其れ髪(はつ)を被り衽 (じん)を左にせん。
417世界@名無史さん2021/09/27(月) 06:52:53.920
管仲が斉の桓公に諸侯の会盟を進言した直接の理由は、増大する楚の脅威に対抗することだった
でも結局、楚の成王も会盟に参加し、史上空前の大連合ができあがった。
孔子はこれを、「北方の異民族の侵略から中華を守った」として評価している
もっとも、孔子は桓公の会盟から百年後に生まれた人。その頃には、すでに情勢がだいぶ変化していたと考えられる
418世界@名無史さん2021/09/27(月) 07:14:43.800
おそらく、斉の桓公や晋の文公がいた紀元前7世紀においては、楚は「南の野蛮な国」というイメージだった
孔子がいた紀元前5世紀の前半においては、楚はすでに「広い意味で中華の一員」というくらいには考えられてたんじゃなかろうか
それよりも、北方の異民族の脅威がすでに増大していた
419世界@名無史さん2021/09/27(月) 07:41:17.650
>>415
先進国グループのようでもあり、発展途上国グループのようでもある
ケタ違いに巨大で専制的で軍国主義。
先進国グループにとっては共通の脅威だけど、抜け駆けして手を組もうとする国もある
現代の中国と、春秋時代の楚のポジションは似ている 420世界@名無史さん2021/09/27(月) 12:45:18.750
でも、春秋時代には「北方の異民族の脅威に対抗するため、楚とも手を組もう」となったわけだが
現代の世界では、中国を上回る脅威が存在しない
そこが違う
421世界@名無史さん2021/09/27(月) 15:39:25.820
スレの文脈的には斉の桓公が居た頃の楚の話なんでないの
そのころは楚以上の脅威が無かったわけでしょ
422世界@名無史さん2021/09/27(月) 20:36:18.010
>>420
ロシアが復活して世界の脅威になれば
ないな。中国の次ぐらいの脅威なら、なりそうではあるが。 423世界@名無史さん2021/09/28(火) 01:35:56.050
北胡対応で桓公が燕の救援に出たよ
424世界@名無史さん2021/09/28(火) 05:42:26.470
燕も、中華といえるのか微妙な国だけどな
425世界@名無史さん2021/09/28(火) 12:09:52.800
楚も何だかんだで寿春あたりが首都なんよな
思ったより北にある
426世界@名無史さん2021/09/28(火) 12:24:33.190
もともとは荊州北部が根拠地で、そこを秦に攻めとられたから東に遷都して徐州に移ったんだっけ
三国時代の呉と比べて、かなり北よりだよなあ
427世界@名無史さん2021/09/28(火) 12:31:34.100
燕は、当時としては異民族の土地って感じの地域で、すさまじく辺境だけど、今は北京だよなあ
428世界@名無史さん2021/09/28(火) 12:43:50.820
それは漢文化が絶えず拡大したからだ
429世界@名無史さん2021/09/28(火) 13:05:13.250
430世界@名無史さん2021/09/28(火) 14:31:49.360
>>427
坂東も、古代には日本の辺境だったけど、今では首都圏 431世界@名無史さん2021/09/28(火) 14:32:45.870
斉も大国って言われたけど今から見ればかなり小さい
432世界@名無史さん2021/09/28(火) 14:49:46.340
古代の中国では、河北省北部・山西省北部・陝西省北部・寧夏回族自治区・甘粛省には
可耕地と遊牧用草原とが入り組み、どちらにも利用できる土地の広がりが点在した
楚をはじめとする南方諸国と同様、いわばグレーゾーンの地域
433世界@名無史さん2021/09/28(火) 15:06:55.090
中国の京って言葉自体に特別な意味ある?
日本は京は特別な都みたいな意味で首都の代名詞でもあるから、西の京都と東に新しく東京っての作ったけど
北京も中国版の東京みたいな感じなんだろうか
434世界@名無史さん2021/09/28(火) 15:11:22.760
>>433
そだよ
てか、もともと中国語の用法だよ 435世界@名無史さん2021/09/28(火) 15:37:35.240
東京という地名は、中国人にもナジミやすい
今となっては良い地名だった
436世界@名無史さん2021/09/28(火) 15:40:41.980
437世界@名無史さん2021/09/28(火) 16:33:52.360
古代中国は黄河沿いよな
他は辺境なんだろうな
438世界@名無史さん2021/09/28(火) 17:00:28.460
秦漢までは黄河文明だな
三國志の呉あたりから、長江文明が台頭してくる
439世界@名無史さん2021/09/28(火) 17:26:28.950
遼河文明が先だろ
440世界@名無史さん2021/09/28(火) 19:31:22.700
楚国では人々が鬼を信じて祭祀を好み、祠で巫覡たちに歌楽鼓舞させ、
神々を楽しませていたが、中原の人々には、こういう信仰は
淫祀邪教と映っていたんだろうか
441世界@名無史さん2021/09/29(水) 00:00:43.190
女禍の人類創造神話とか長江文明というか南方の神話なんじゃないの?
女禍の伝承は相当古くからあるのに対して黄帝や夫神ということになってる伏儀の伝承は意外と後世になってからそれこそ春秋時代には見当たらないって話では?
442世界@名無史さん2021/09/29(水) 01:25:36.800
迫るー、女媧ー、地獄の軍団ー
(略)ライダー、ライダー、仮面ーライダーー
あれ、ソッカーだっけ?
443世界@名無史さん2021/09/29(水) 06:08:33.530
黄河流域といっても、上流の大きく迂回しているところは内モンゴルの辺境
下流も、いまとは違って黄河の流量が大きかったので、洪水が多すぎて人が住むのに適していなかった
444世界@名無史さん2021/09/29(水) 10:01:39.710
春秋戦国時代の中国では、小国が覇者の大国に朝するには
弊物を持参しなければならなかったとか
近代ヨーロッパの主権国家のように、どの国も
対等というわけではなかったのか?
445世界@名無史さん2021/09/29(水) 12:19:54.820
でも、覇者としての仕事するにも経費は必要だろ
ご苦労さんって意味で手土産ぐらいはもっていかないと失礼なんじゃないか
仮にも国家間の外交なんだから、個人の手土産よりは豪勢な手土産が必要って程度に思ったらおかしいかな?
446世界@名無史さん2021/09/29(水) 15:58:49.510
覇者は「ご苦労さん」といって朝貢使節に下賜してやらなければいけない
朝貢外交の基本だろ
447世界@名無史さん2021/09/29(水) 16:42:56.020
覇者「侵略されて全員虐殺跡形もなく文化根絶やしにされたくなければそっちの金と名産品全部もってこいや。労いの下賜品?何で超強い俺様がお前ら弱小国に物くれてやらにゃいけねえのさ?」
これでは無理なの?
448世界@名無史さん2021/09/29(水) 16:59:23.000
それは無理だな
というのも、朝貢というのは覇者の権威を国内に見せつけるための、一種のセレモニー
数年前にも、習近平が各国首脳を北京に呼び集め、長い赤カーペットを歩かせて「謁見」したとして話題になったが、
本当に重要なのは対外的なことより、それによって「さすがは俺たちの皇帝陛下だ。あんなに偉いんだな!」
と国民や各地の有力者たちに思わせ、国内を統治しやすくすること
それがあの国の伝統。もちろん、中国に限らず外交には大なり小なりそういう面があるけど、中国では特にそれが伝統
449世界@名無史さん2021/09/29(水) 18:14:59.790
>>448
江戸時代の朝鮮通信使と同じだな
日本国内で幕府の権威を高めるため 450世界@名無史さん2021/09/29(水) 18:59:16.550
>>446
朝貢外交は覇者の仕事じゃなく王、周王室の仕事だろ 451世界@名無史さん2021/09/30(木) 05:42:16.390
後世の皇帝も、春秋の覇者の延長上にある
452世界@名無史さん2021/09/30(木) 07:30:03.640
453世界@名無史さん2021/09/30(木) 12:07:03.200
秦の恵文王は魏王や韓王に馬車引かせたってドラマでやってたな
454世界@名無史さん2021/09/30(木) 22:15:55.300
前579年に、晋・楚両国が宋の都の西門外で盟約を結んだ
それは、今後両国は互いに侵略することなく、災患のあったときは
お互いに救助しあい、従わない国を協同して討つというものだった
これは北と南の二つの世界を代表する両国が対等の立場において、
ともに天下の秩序を保つことを約束したもので、これまでにまったく
なかった新しい形式だった
455世界@名無史さん2021/10/01(金) 07:04:34.160
「これからは、アメリカと中国が世界を半分ずつ統治しましょう」
みたいな感じか?
456世界@名無史さん2021/10/01(金) 07:06:32.640
一昔前だったらアメリカとソビエト連邦かな
457世界@名無史さん2021/10/01(金) 07:38:11.190
>>455
実際、今の中国はそういう状態を夢見ていると思う
欧米の歴史家にも「チャイメリカ」なんて造語を作った人間がいるし 458世界@名無史さん2021/10/01(金) 08:51:04.010
しかし、米ソと違い米中冷戦という感じではない
鉄のカーテンは無いから
459世界@名無史さん2021/10/01(金) 09:00:54.790
それは、ソビエト連邦には「衛星国」と呼ばれる多くの同盟諸国があったが、中国には衛星国がなく孤立しているだけ
強いていえば、韓国とカンボジアが衛星国みたいに見える。
でも、それは精神的な従属であって、同じ陣営にあるわけではない
460世界@名無史さん2021/10/01(金) 09:16:23.440
対中債務が国内総生産(GDP)の10%を超える国は42カ国にのぼる。
ラオス、コンゴ共和国、赤道ギニア、ジブチ、モルディブ、
トンガ、スリナム、モザンビーク、ザンビアなど
これらの国々は中国の奴隷
461世界@名無史さん2021/10/01(金) 09:16:41.790
>>459
そこで韓国とか出すあたりが馬鹿っぽいというか
(それよりむしろ北朝鮮の方だろ?)
米中は米ソの自由主義経済圏・社会主義経済圏という構造と異なり
グローバル経済システムというひとつの系に組み込まれている
だから単純に相手を打ち負かせばいいというものではない
経済的な混乱は米国や中国互いのダメージにつながる
それも致命的な 462世界@名無史さん2021/10/01(金) 09:31:50.950
第一次世界大戦の勃発は、誰も望まず、誰も予測できない出来事だった
でも世の中には予期せぬ不幸というものが存在する
だから現在のグローバル経済もいつかは終わるのかもしれない
463世界@名無史さん2021/10/01(金) 12:08:47.390
その点古代中国は君主の気まぐれで変わるから楽!?だな
464世界@名無史さん2021/10/01(金) 15:20:15.900
米国の凋落は明白に成ってるからね
465世界@名無史さん2021/10/01(金) 17:48:58.520
>そこで韓国とか出すあたりが馬鹿っぽい
俺様はニュースなんか見ないぜ(キリッ)、という自慢なのか、
韓国はバランサーなんですぅ〜、という妄想世界の住人なのか。
466世界@名無史さん2021/10/01(金) 22:01:57.960
ニュース?
韓国が衛星国だったらベトナムや北朝鮮、中国の支援受けてるアフリカや中南米諸国もみんな中国の衛星国になるな
そういう主張をしたいわけではないだろ?
467世界@名無史さん2021/10/01(金) 23:50:48.790
韓国とカンボジアより、韓国と日本の方がはるかに似ている
韓国人が中華人民共和国に精神的に従属しとるなら五十歩百歩の日本人も従属してることになりそうわね
468世界@名無史さん2021/10/02(土) 07:37:59.860
469世界@名無史さん2021/10/02(土) 14:25:42.400
前546年、晋、楚、宋、魯、鄭、蔡、陳、許、曹、衛の
大夫が宋の都に会同して、和平条約を結んだ
この和平会議によって、戦乱に明け暮れた中原にも、
一時的ながら平和が訪れた
しかし中原の小国群は、晋、楚両国へ絶えずいろいろな
物資を貢献しなければならないため、人民の負担は
けっして軽くはならなかったのだとか
春秋戦国時代の中国には多様性があったとかいう人がいるけど、
一般の民衆にとっては過酷な時代だったのだろうな
470世界@名無史さん2021/10/02(土) 14:55:46.710
そんな時代だから、「苛政は虎よりも暴なり」などと言われてたわけだよな
471世界@名無史さん2021/10/02(土) 16:49:00.740
小さい国は自分で全部作らなきゃならないからね
交易の重要性が分かる
472世界@名無史さん2021/10/02(土) 18:55:25.960
そんな中始皇帝すら征服できなかった衛という中原のど真ん中にあった弱小国
473世界@名無史さん2021/10/02(土) 19:36:10.540
秦の二世皇帝まで粘ったらしいっすね
474世界@名無史さん2021/10/02(土) 19:46:47.690
>>468
まあ、そうかもしれんけど
概ね中国に従っているカンボジアを日本と同じく普通に西側で政治的にも国民感情的にも中国と距離がある韓国を一緒にカテゴリーに置く貴殿の認識よりは一般的かと
>>469
同盟国に対する負担の増大はまず春秋の名臣を多く輩出してきた卿大夫及び国人層を直撃するので
春秋後期に見られる晋を中心とする覇者体制崩壊や民衆支配の拡大に発展し、後の戦国時代を準備したと言われますね 475世界@名無史さん2021/10/03(日) 10:24:13.420
春秋時代、河南中部の国々は、晋・楚ふたつの大国の間にあって、
両方からいろいろな要求を受けて非常に苦しんでいた
なかでも鄭はとくに狙われ、争奪の的となっていた
鄭では国を守るために、楚に攻められれば楚に服属し、
晋に攻められればすぐに晋に寝返った
前597年、楚の荘王が鄭の都を攻め落とすと、鄭候は肌脱ぎし、
羊をひいて出迎えた。これは当時諸侯が降伏するときのしきたりだった
476世界@名無史さん2021/10/03(日) 10:59:52.550
同盟和議が意図しない方向へうねりだし歴史を動かしてしまったのか
長文役立たずの豆知識だけを永遠書き連ねるよりよっぽどおもしろい
477世界@名無史さん2021/10/03(日) 12:08:18.050
日本の国人みたいなもんだしなあ
でも「王」を名乗っていた分誇りはありそう
478世界@名無史さん2021/10/03(日) 13:51:22.000
その書き方で永遠とか書いちゃうやつはもっと本を読んだほうが良いな
479世界@名無史さん2021/10/03(日) 14:13:47.080
重要事項を役立たずの豆知識とか書いちゃうやつももっと本を読んだほうが良いな
480世界@名無史さん2021/10/03(日) 14:16:25.400
>>477
鄭公や宋公が、日本の国人みたいなもの? 481世界@名無史さん2021/10/03(日) 14:28:54.640
>>476
役立たずのハト頭には、豆鉄砲がお似合いだ 482世界@名無史さん2021/10/03(日) 15:11:05.430
きいてるきいてる
483世界@名無史さん2021/10/03(日) 17:54:33.230
中国の場合、他国や異民族に攻め滅ぼされて統一、というパターンが多いけど、
ヨーロッパの場合は同君連合という形をとる場合が多いな
西欧には「王と王は対等であり、王冠(王国)は王冠(王国)を吸収できない」
という観念が存在したからだが
中国が統一されて、ヨーロッパがいくつもの国に分裂しているのは
この辺にも原因があるのかな
484世界@名無史さん2021/10/03(日) 18:07:40.040
>>483
西欧の人達があんまり認めたくないまだまだ強さを残していた東ローマ帝国に対抗して作り上げたシャルルマーニュおよびその後の神聖ローマ帝国の根っこの脆さがその同君連合の意識を生んだのでは?
形式的にはローマ帝国の復活と言っても現実には「神聖でもなければローマでもなければましてや帝国でもない」存在だったと 485世界@名無史さん2021/10/03(日) 18:53:18.400
>>476
おそらく根底には晋or楚と戦っても特に領土は増えない、戦利品もさほどない
新たに分配できる邑田がほとんどない、という大問題があるから
晋楚和平する以外の道はないという事になるのだろうけど
矛盾が国内や小国に転化されれば国内外問わず秩序が瓦解するというジレンマ 486世界@名無史さん2021/10/03(日) 19:24:27.240
>>483
そうとも言えるだろうけど
そもそも西欧と東アジアでは地勢や周辺環境が大きく違うのだし異なる形態になる方が自然かと
ロマノフ朝以降のロシアなんて東ヨーロッパから中央アジア、沿海州樺太まで支配してる中国以上に広大な統一政権だけど
その制度なり思想なりが大統合成功の原因です、とはあまり言われないし 487世界@名無史さん2021/10/03(日) 19:54:11.890
晋が結果的に臣下に国をとられたように貴族だらけだった楚が臣下に国を分割統治されたりしなかったのかな?
呉と越がそれなのかもしれないが
488世界@名無史さん2021/10/03(日) 20:18:20.870
>>483
中国は三国志とかでも爵位の複数持ちがいない
功績を立てたりすると元の爵位を譲ったり、さらに上位の爵位に変わったりする
州牧の複数兼任さえ劉備以外やっていないらしい
曹操も袁紹も冀州牧以外の州牧は身内に就任させていた
漢中王兼蜀王みたいなありそうなのでさえ恐らくない
もしかしたら歴史上1人もいない??? 489世界@名無史さん2021/10/03(日) 20:19:48.490
>>487
王族ということになっているけど周の姫姓みたいに実は血のつながりがないかもしれん
また殷の官職や制度を受け入れているということから
殷王でなく楚王がのっとったともいえる 490世界@名無史さん2021/10/03(日) 20:20:59.070
>>483
イングランドもスペインも複数の小王国がたくさんあったような
まあ、複数の会社の社長を兼ねるか
全部混ぜて1つの会社にするかの違いなんだろうけど 491世界@名無史さん2021/10/03(日) 20:22:53.880
>>475
韓が首都にしていたし、いい場所なんだろうか
周から分離独立したようなもんだし
一時は小覇とも言われ、ある作品では斉の桓公の父親になっていた 492世界@名無史さん2021/10/03(日) 20:52:37.460
>>491
戦国の七雄最弱で魏や趙と違って一時的な覇権を取った事もない韓がどうしてそんないい場所取れたんだろう? 493世界@名無史さん2021/10/03(日) 21:44:08.040
>>492
そりゃ、中央の国は領土を広げにくいからな
大国というのは、辺境に向かって成長していくもんでしょ 494世界@名無史さん2021/10/03(日) 22:16:23.350
中国の場合、唐の皇帝が天可汗を兼ねた例、清の皇帝が大ハーンを兼ねた例がある
495世界@名無史さん2021/10/03(日) 22:38:21.520
イギリス国王がムガル帝国皇帝を兼ねたのはアジアの事例に入らないわけではないだろうけど、主にヨーロッパの事例なんだよな
インドの皇帝との兼任だから大英「帝国」だったわけだし
496世界@名無史さん2021/10/03(日) 23:06:15.690
ロシア皇帝がフィンランド大公とポーランド国王を兼ねた例もあるよな
497世界@名無史さん2021/10/03(日) 23:31:18.850
>>483
単純に行政技術が未熟だったからってだけ 498世界@名無史さん2021/10/03(日) 23:52:28.820
中国が統一された理由の一つに、商業の発展の結果、産物の交流も盛んになり、
各地域の経済が互いに依存しあう度合いが強まってきたというのがあるが、
中世ヨーロッパの場合、そこまで商業は発達していなかったんだろうな
もっとも現代ではグローバル化の時代を迎えてEUをつくったが
499世界@名無史さん2021/10/04(月) 07:23:28.550
ヴェネツィアが交易担ってたようだしそこそこ交易はしてるようだぞ
500世界@名無史さん2021/10/04(月) 09:26:57.900
北海の貿易も盛んだった
501世界@名無史さん2021/10/04(月) 09:27:28.440
でも、最も重要な交易ルートは、ライン川の水運
502世界@名無史さん2021/10/04(月) 09:34:37.080
西欧が割拠できたのはユーラシアンステップの影響が少なかったと思われる
イスラム圏も中世は割と割拠していたがテュルク系民族が浸透するに伴い専制に変わった
503世界@名無史さん2021/10/04(月) 09:38:19.220
多民族を統制するには権威だけではダメで軍事力の専制しかない
反対に日本は民族的多様性が低く平安以後は割拠になり必要な時だけ天皇の権威を利用した
504世界@名無史さん2021/10/04(月) 10:17:58.730
古代のオリエントは専制帝国だが、あれはスキタイ人の影響なのだろうか
505世界@名無史さん2021/10/04(月) 12:45:01.230
エジプトのファラオの影響だろ
506世界@名無史さん2021/10/04(月) 14:01:32.950
古代メソポタミアは割と都市国家だけどな
外部民族の流入が激しいから専制になったのかも
507世界@名無史さん2021/10/04(月) 23:39:24.730
バビロニアもアッシリアも春秋期と同じく都市国家の連合体よな
ペルシャ帝国も未だ封建的
508世界@名無史さん2021/10/05(火) 03:19:18.050
>>498-500
まあ、商業発展や先進性イコール統一(専制国家)ではないだろうな
先進地域のヴェネツィアやフランドルは別に統一を必要としないだろうし
雑にいえば専制と割拠って要するに一強化するか列強化するかの違いでしかない 509世界@名無史さん2021/10/05(火) 03:30:50.360
統一国家はなかったが、その代わりハンザ同盟があった
510世界@名無史さん2021/10/05(火) 04:21:27.420
ヴェネツィアもフランドルも17世紀に入ると
領域国家の政治的軍事的妨害に太刀打ち出来無く成ったよ
511世界@名無史さん2021/10/05(火) 06:20:27.730
>>510
質より量の時代に入ったんだよな
ヨーロッパ諸国が、一国だけでは
アメリカ合衆国に太刀打ちできなくなったのと同じ 512世界@名無史さん2021/10/05(火) 06:39:23.870
>>510
17世紀っていったら、オランダが大国スペインから独立して世界の海を制覇してた頃だが? 513世界@名無史さん2021/10/05(火) 06:43:09.170
>>512
そのオランダも、やがてイギリスやフランスのような
自国より規模の大きい国家に太刀打ちできなくなった 514世界@名無史さん2021/10/05(火) 06:44:05.220
ヴェネツィアみたいな裕福な資本階級は産業革命には必要で、それには専制より封建制の方が向いている
515世界@名無史さん2021/10/05(火) 07:49:48.380
ヴェネチアとジェノヴァは地中海貿易の覇者として競い合ったが、
今でいうトルコ・レバノン・シリア・イスラエル・エジプトはみんなオスマン帝国の領土
東地中海はバラバラだったわけではない
516世界@名無史さん2021/10/05(火) 07:54:39.480
多様性はつねに人間にとって好ましいものと決まっているわけではない
それは混乱をもたらしうるし、その結果、無政府状態が現れ、
「万人の万人に対する戦いの状況」が訪れるならば、文明は危険にさらされ、
人間は苦しむことになる
現在のアメリカ合衆国はそのような状態に陥りつつあるんじゃないのか?
517世界@名無史さん2021/10/05(火) 08:32:47.570
生物学的には多様性は環境変化への手段
そして個体は個体としては成り立たず群れを作り分業する
別種の群れとは敵対しやすくなるのは道理
人間社会では多民族の時には昔は専制で抑え込むしかなかった
518世界@名無史さん2021/10/05(火) 09:06:20.790
要は不満を抑え込めればいいのであっていくつか方法はある
・軍事力(法律も含む、執行に軍事力必要)
・権威
封建制なら王や皇帝、他なら宗教
道徳も権威に含まれるだろう
・経済
今は経済でやってるところが殆どで格差などできると不満が貯まっていく
519世界@名無史さん2021/10/05(火) 09:22:41.710
>>517
海外では精子提供によって子供を産む女性が増えている
女性にモテるタイプの男性だけがどんどん子孫を増やしていけば、
やがては人間の生物多様性が薄れていくだろう
それは人間社会にとっていいことだとは思えないが、
リベラル派はそれは女性の権利だと主張するんだろうな 520世界@名無史さん2021/10/05(火) 09:48:23.560
>>519
生物の遺伝子として多様性は維持するようにできている
人工的な操作によって多様性を縛る場合疫病などの大淘汰を受けることになるだろう
天然痘→新大陸に大絶滅をもたらした
コロナも人種差がある
中国の皇帝レベルになると凡人では務まらない
始皇帝のようなサイコパスも淘汰圧を免れたような要因はあったのだろう 521世界@名無史さん2021/10/05(火) 10:50:28.800
ナチスドイツの「レーベンスボルン計画」だが、
金髪碧眼の人間だけを大量に人工的に作り出そうとした
すると当初の目的とは反対に、障害児が大勢生まれてきたとか
522世界@名無史さん2021/10/05(火) 13:34:10.050
まあ、今の調子だとインド人とアフリカ人が地球人類の大半を占めることになるからな
金髪碧眼は絶滅危惧種になってくるので、なんらかの対策を打つ必要が出てくるだろう
523世界@名無史さん2021/10/05(火) 14:18:59.900
でも白人女性や東アジア人・東南アジア人の女性が、
インド人やアフリカ人男性と結婚したがるとは思えないが
ラテンアメリカでも、アジアでも、売れているのは白人男性の精子
524世界@名無史さん2021/10/05(火) 14:52:53.930
ここ数十年でフィジカル的に優れた人間、特に外見が美しい人間の可能性・評価がウナギ登りだからな
525世界@名無史さん2021/10/05(火) 15:06:31.090
スラリとした人種はもの凄い淘汰圧を生き残っている
戦争が最も多かったヨーロッパなどは顕著だろう
同時に合理的でもあり、残忍でもある
そりゃそうだ、生き残るためには簡単に裏切る
私はそういう人種が幸福とも思えないがなあ
526世界@名無史さん2021/10/05(火) 17:22:47.490
サラブレッドはスラリとして姿かたちは美しいが、
よく整えられた馬場でないと走れない
脚が弱いのですぐ骨折する
つまり生物として脆弱だということ
527世界@名無史さん2021/10/05(火) 17:22:51.750
>>515
統一主体の名前こそ異なるが確かにオスマン帝国は地中海を半ば以上再統合した帝国やね
しかし逆にいえば強大なイスラム諸帝国でもそこまで
中国でいえば中原に当たる巨大な中央が海で大きく分断され、その北半はそれなりに大きな半島や島や山脈で分かたれている地域とか再統一に不向きすぎる 528世界@名無史さん2021/10/05(火) 17:31:56.970
>>522
金髪碧眼が絶滅危惧種になると思ってたら
ちょっと前までは大人口、資源食い過ぎ(後者は現在進行形だが)で泡吹いてた漢民族が
いつの間にか追い越して行く勢いなんだから分からんものよ 529世界@名無史さん2021/10/05(火) 17:40:32.550
>>527
中国は日本海と東シナ海で隔てられているから、
日本列島を征服することはできなかったな
ある意味日本海と東シナ海は地中海に相当する
役目を果たしていたのかも 530世界@名無史さん2021/10/05(火) 18:27:05.370
>>529
東シナ海や日本海や地中海や北海より小ぶりな渤海や黄海でさえ
容易に越えられない障壁となって隋唐の朝鮮進出を妨げているからね
もし仮にもっと海が入り組んでいたら東亜も中小国の活躍が目立つ地域になっていただろう 531世界@名無史さん2021/10/06(水) 01:04:30.760
仏独伊西陸続きだけど
532世界@名無史さん2021/10/06(水) 04:38:20.290
もしゲルマン人に分割相続の習慣がなかったら、
カール大帝のフランク帝国がそのまま続いていたかも?
533世界@名無史さん2021/10/06(水) 10:00:37.560
統治しきれなくて分割するしかないだろうな
いい加減スレ違いだと思うが
534世界@名無史さん2021/10/06(水) 11:17:56.950
>>516
何を持って多様性というかはあれだけど
多民族が混在しているのが多様性の一因としていうなら
現代アフガンの惨状が多様性の悪い例が出て来る最たるものだよな
多民族国家で中央政府の意向無視して各部族が割拠するのに
中途半端にアフガン人の意識あるから完全分割や傀儡国も拒むしめんどくさい 535世界@名無史さん2021/10/06(水) 12:12:04.980
ユーゴスラビアも多民族国家でチトー死後結局分裂した
前秦の苻堅みたいなカリスマか皇帝専制軍事力がいないとまとまらない
古代中国は黄河流域の華夏人の範囲で統一国家となった
一部長江文明人も入っていたようだが
536世界@名無史さん2021/10/06(水) 12:37:03.530
誰に向かって喋ってんだ
537世界@名無史さん2021/10/06(水) 13:47:55.330
春秋戦国時代も、日本の戦国時代も、「分裂した時代」ではない。
むしろ逆だ
もともと無数のムラやクニ、都市国家に分かれていた世界が、各地で国家に統合され、いくつかの大国へと成長していくプロセス
旧社会主義国の分裂・崩壊を例に出すのは適切ではない
538世界@名無史さん2021/10/06(水) 13:56:08.200
友達に、今の中国と台湾ってどっちが真の中国なの?(台湾だろ?というニュアンス)の浅い質問されたことあるんだけど
一周回って深い質問だなと思った
どっちが本当かどうかはともかく、真の中国みたいな考え方がある時点で「一つの中国」って考え方が広く浸透してるということなんだよな
春秋戦国や三国志、五胡十六、五代十国の分裂の時代と日本にも中国にも思われている
539世界@名無史さん2021/10/06(水) 15:30:45.670
>>537
これはある程度正しいとは思うが
ユーラシアンステップの侵略はすべてをひっくり返す要因だと思う
遊牧民の影響が少ない社会は、古代中国、日本、あと中世ペルシャも当てはまると思う
権威として軍事力の無い周の天子、天皇、カリフの元緩い結束があった
だが中国、ペルシャは遊牧民が文化的権威をひっくり返し、専制となるか統一感がない時代を繰り返すしかなかった
日本と西欧は遊牧民の影響が低く封建制となった 540世界@名無史さん2021/10/06(水) 17:18:41.390
>>531
ローマの本拠地イタリアは三方海に囲まれた細長い半島だしイベリアも似たようなもんだし
実はフランスも北西南の多くが海に面しているので中原とは異なるよ
地理的な条件でいえば中国というより日本や朝鮮に近いところがある 541世界@名無史さん2021/10/06(水) 17:23:07.980
イギリスは島国だし、イタリアとスペインは半島で、しかも半島の付け根は峻険な山脈で区分されている。
これらが大陸欧州から切り離されて別の国になったのは、天の意思みたいなもんだろう
フランスは南仏を除けば大平原の国、ドイツもそうだけど森林と湿原・湖沼のおかげで統一しにくい
542世界@名無史さん2021/10/06(水) 17:37:01.580
この「立体感超強的地形図」を見れば、中国大陸の中のどこが、人が住むのに適した地なのかはすぐ分かる
巨大な扇のような「華北平原」と、その南西にある「四川盆地」、この2つが最も良い土地だ
華北平原を扇とすれば、扇を広げた両端に位置するのが北京と上海。
扇の要に位置するのが洛陽で、扇の要から少し伸びた柄の先っぽにあるのが長安。
もちろん大雑把な話だけど、当たらずとも遠からず。これらの都市が交通の要衝なのは、地形を見れば一目瞭然。
なんで北京や洛陽が外せない都なのかは、考えるまでもなく明らかだ
543世界@名無史さん2021/10/06(水) 18:08:01.760
黄河と長江は共に古代文明が栄えた場所だけど遼河ではこの二つほど強大な文明が生まれなかったのは何でだろう?
北にあって寒かったから?
544世界@名無史さん2021/10/06(水) 18:38:55.220
単に寒いからだろう
寒ければ農業もままならない
545世界@名無史さん2021/10/06(水) 18:46:28.920
人間集団にとって真に大切なのは、多様性ではなくて自由なんじゃないかな
多様性があっても自由がない国というのは、いつか発展が止まる
546世界@名無史さん2021/10/07(木) 06:57:36.360
>>541
しかもその島国と半島の存在感が相当デカいおかげでフランスが常に揺さぶられてしまうからね
なお遠心力が強すぎて後に世界がとっばちりで征服されてしまう模様 547世界@名無史さん2021/10/07(木) 10:29:14.260
>>543
気候変動で寒冷化して大きく乾燥化したからね
文明が滅びたのも当たり前 548世界@名無史さん2021/10/07(木) 10:31:07.530
>>545
日本国が停滞してんのわ自由が無い事よりも
汚職と非効率がアフリカ中南米と何ら差が無い酷さだから 549世界@名無史さん2021/10/07(木) 11:54:12.650
550世界@名無史さん2021/10/07(木) 12:15:33.430
自由とか多様性とかどうでもいいから後付だ
古代から人口動態と気候地理地形が重要要因
551世界@名無史さん2021/10/07(木) 12:53:13.600
そう思う
歴史って、たいていのことは地形と気候風土で決まると思うんだよなあ
552世界@名無史さん2021/10/07(木) 14:34:13.570
春秋戦国時代の中国では、諸侯の国の間に築かれた堤防がみな、
自国に水害がおよばないようにするものだったから、洪水は
しばしば隣国に流れ込んで大災害をもたらした
そのために、治水事業の統一管理の必要が痛感されていた
553世界@名無史さん2021/10/07(木) 15:10:24.580
そういや中国と違ってヨーロッパの大河川で歴史上大洪水が起きたって話は聞かないな
ライン川やドナウ川の治水のために巨大な専制君主制帝国ができることはなかった
大規模灌漑農業が出来るほど土地が豊かでなかったのか
554世界@名無史さん2021/10/07(木) 16:14:09.120
ライン川やドナウ川の流域は、乾燥気候ではないから大規模灌漑施設は必要ない
ヨーロッパの大河川は、農業より水運による物流の面で重要
555世界@名無史さん2021/10/07(木) 17:08:41.830
別に中国も治水の為に大帝国が出来上がったわけじゃないと思うぞ
もちろん大河の存在は各国の主要部を貫通する黄河や漢水をまっすぐ下っていけばいい秦の中国制覇を容易にしたのは明らかだが
>>554
ドナウ川流域で大規模な灌漑の需要があるのはハンガリーだけど
神聖ローマがオスマン帝国を破った大トルコ戦争とオーストリアのドナウ帝国化で
ハンガリー開発が重視されるようになると普通に大規模な農業利用が始まるわね 556世界@名無史さん2021/10/07(木) 19:08:49.070
>>550>>551
東南アジアは複雑な地形なのに、なぜヨーロッパのようになれなかったんだろう? 557世界@名無史さん2021/10/07(木) 19:29:24.730
「ヨーロッパのようになれなかった」とは?
東南アジアも多くの国に分かれているが?
558世界@名無史さん2021/10/07(木) 19:35:24.230
オーストリア・ハンガリー帝国のおかげで、ドナウ川の治水は飛躍的に進んだ
559世界@名無史さん2021/10/07(木) 22:11:55.620
東南アジアには多様性があったが、
ヨーロッパのように発展することはできなかったな
560世界@名無史さん2021/10/07(木) 23:14:46.660
降水量多過ぎて粗放農業しか出来ないし
561世界@名無史さん2021/10/08(金) 03:17:31.520
さすがに島嶼部は分散しすぎで強力な国家は誕生しなかったけど
インドシナ半島にはそれなりの強国が生まれ覇を競ってますね
緯度が高く寒冷な気候は発展を阻害するけど、赤道近くの高温多雨環境も難儀
春秋戦国の楚が人不足に悩んだのも東南アジアほどではないがきつい環境だったからだろう
多少乾燥してるくらいが最も開発が捗る
562世界@名無史さん2021/10/08(金) 04:19:46.580
今では「古い」とされる「四大河文明」史観だけど、あれは古代文明の本質を突いている
四大河文明に共通するのは、「乾燥気候の地域に大河が流れている」ということ
灌漑農業が、文明の発達を促進した
563世界@名無史さん2021/10/08(金) 06:59:12.890
乾燥だと川沿いに人集まって都市化するからね
人の交流が無ければ専業が生まれず技術が発展しない
564世界@名無史さん2021/10/08(金) 09:46:10.270
文字や戦争が無かっただけで他の地域にも人々は住み着いている
交流が多いほど技術は発展する
多様性が無ければ技術は停滞しいずれは他国の植民地となるだろう
565世界@名無史さん2021/10/08(金) 10:11:57.660
多様性をなくして規格統一してこそ技術は発展する
566世界@名無史さん2021/10/08(金) 10:22:23.010
ゲルマン人が侵入してきた西ローマ帝国は、別に技術が発展したわけではない
567世界@名無史さん2021/10/08(金) 12:14:10.110
その場合はゲルマン人側が文明化したと言うべきか
五胡十六国時代の華北王朝もそうだな
交易が妨げられて停滞化した
言えることは自給自足は無駄が多いということだな
568世界@名無史さん2021/10/08(金) 12:47:06.560
交易が妨げられて江戸時代は活性化した
言えることは自給自足は効率が良いということだな
569世界@名無史さん2021/10/08(金) 13:08:04.460
抑々大明帝国は海禁だからw
570世界@名無史さん2021/10/08(金) 13:14:44.380
>>568
農民は「百姓」と言われる通りすべての器具を自作せざるを得なかった
その労苦たるや想像を絶するで
今だと1からトラクター作らんとならんで 571世界@名無史さん2021/10/08(金) 13:31:22.150
現在で自給自足してるとこなら北朝鮮が参考になる
572世界@名無史さん2021/10/08(金) 13:59:52.800
塩とか鉄とか、どこででも不可欠だけど生産地は限られる必需品がある
大陸では、商業ネットワークが必然的に発達する
573世界@名無史さん2021/10/08(金) 15:48:52.750
生産地わ各地に有ったけど生産性が高い所に集約されてったんだよ
先に地域間交易が有って後から生産地の集約
574世界@名無史さん2021/10/08(金) 16:23:20.440
塩の産地は各国にあるが、最も重要なのはココ↓
解池(かいち、Xiechi)は、中国山西省運城市塩湖区にある塩湖である。人が浮くことができるため、「中国の死海」と呼ばれている。河東塩池とも呼ぶ。
古代中国では、この池で塩が生産され、夏王朝はここに都をおいたとされている。三国志の英雄、関羽の生まれ故郷としても知られている。
唐の時代、都の長安へ塩を送っていた塩の道には、遺跡が点在している。長安の他に、洛陽にも解池の塩が供給されていた。南風の吹く夏から秋にしか、塩の結晶が採れなかった。
封建社会では、かつて解池の塩税が国の歳入の8分の1を占め、中国国民の生存と繁殖に大きく貢献した。
575世界@名無史さん2021/10/08(金) 16:53:18.020
晩唐に成ると専業で生産する両淮の生産量が大きく成るけどね
解池の生産は地方政府が労役でやらせたりと色々中世
576世界@名無史さん2021/10/08(金) 17:20:30.380
解池のある山西省運城市は、古代の夏の都
戦国時代の魏の都・安邑もココ
577世界@名無史さん2021/10/08(金) 17:26:40.980
>>562
地域自体が自然の灌漑装置みたくなってて向いてますからね
>>575
まあ労役なり隷属民なりに頑張って生産して貰うのは古代中国以来の王道なんで… 578世界@名無史さん2021/10/08(金) 18:28:16.140
>>568
国内ではむっちゃ交易が盛んだった時代なんだが
北海道とか東北から多くの商品が近畿や江戸に運ばれてたんだぞ
東北の方じゃ、プランテーション並みに商品作物しか作ってないような藩が複数あったと言われてる 579世界@名無史さん2021/10/08(金) 18:55:51.240
春秋戦国時代には、鋳鉄技術の進歩によって鉄器がしだいに普及し、
農業と手工業が発展し、これを原動力として、経済と文化の
空前の繁栄がもたらされた
そしてすでに諸侯の封鎖的な国境を越えて、全中国的なつながりとも
いえるものがある程度生まれていた
一種のミニ・グローバル化
580世界@名無史さん2021/10/08(金) 21:43:16.340
商品作物(米)
581世界@名無史さん2021/10/09(土) 01:18:12.090
>>576
夏の都って中原でしょ
何処か忘れたけど 582世界@名無史さん2021/10/09(土) 01:57:07.770
項羽と劉邦のドラマ見てるけど庶民の家はまだ土と藁と木で出来てたんだな
二里頭遺跡の原始的農耕社会の名残があるそれが三国志の時代になると土臭さが薄れて綺麗な街に
583世界@名無史さん2021/10/09(土) 02:03:04.320
南北朝辺りでも干し煉瓦でしょ
土と凝固材を版築した
584世界@名無史さん2021/10/09(土) 03:17:57.520
庶民の家というか
秦や漢初の頃だと王侯の大宮殿もかなり土っぽい構造なんじゃないかな?もちろん柱と屋根は違うけど
戦国時代の遺跡からの復元図ではそういうものが多いので
585世界@名無史さん2021/10/09(土) 04:35:00.680
>>578
江戸時代に、東北で飢饉の被害がひどかったのはそれが原因なのかな
何か一つに特化した経済は大きな変動に対して弱い 586世界@名無史さん2021/10/09(土) 05:02:41.500
漢の時代なら、庶民は竪穴式住居だな
弥生時代のイメージ
587山野野衾2021/10/09(土) 06:28:14.440
>>584
壁画の有無でだいぶ見た目は変わりそうですね。
南北朝には寺院の壁画で著名なものが出て来ますし、宮殿にもあったと思いますが。
>>585
>東北
芋作だった土地で稲作を行わせた結果、被害が拡大した面はあったようです。 588世界@名無史さん2021/10/09(土) 10:17:14.140
秦漢初と南北朝比べてどうする
数世紀違うのに
589世界@名無史さん2021/10/09(土) 10:58:28.940
日本でも室町辺りまでまでは東北地方で竪穴式住居だったりするし
中国だって地方地方で全く違うだろう
590世界@名無史さん2021/10/09(土) 11:11:51.690
江戸時代の気候や農業技術で、東北地方で安定的な稲作を行うのはどだい無理
なのに石高制にこだわり米での年貢を指導したせいで、東北、特に南部藩は飢饉地獄だった。
いっそ稲作を禁止して、馬産や鉱山経営に活路を見出していればなぁ
歌舞伎座おむかいの岩手県アンテナショップは、魅力的な工芸品がいろいろあるのに。
いちおう中国史に話を戻せば、殷王朝時代はまだ「瓦」がなく、
王宮であっても茅葺だった。たとえて言うなら、田舎の庄屋様のお屋敷みたいなもん。
こんなシチュエーションで「酒池肉林」やってもサマにならん
591世界@名無史さん2021/10/09(土) 11:11:52.100
江戸時代の気候や農業技術で、東北地方で安定的な稲作を行うのはどだい無理
なのに石高制にこだわり米での年貢を指導したせいで、東北、特に南部藩は飢饉地獄だった。
いっそ稲作を禁止して、馬産や鉱山経営に活路を見出していればなぁ
歌舞伎座おむかいの岩手県アンテナショップは、魅力的な工芸品がいろいろあるのに。
いちおう中国史に話を戻せば、殷王朝時代はまだ「瓦」がなく、
王宮であっても茅葺だった。たとえて言うなら、田舎の庄屋様のお屋敷みたいなもん。
こんなシチュエーションで「酒池肉林」やってもサマにならん
592世界@名無史さん2021/10/09(土) 11:11:52.590
江戸時代の気候や農業技術で、東北地方で安定的な稲作を行うのはどだい無理
なのに石高制にこだわり米での年貢を指導したせいで、東北、特に南部藩は飢饉地獄だった。
いっそ稲作を禁止して、馬産や鉱山経営に活路を見出していればなぁ
歌舞伎座おむかいの岩手県アンテナショップは、魅力的な工芸品がいろいろあるのに。
いちおう中国史に話を戻せば、殷王朝時代はまだ「瓦」がなく、
王宮であっても茅葺だった。たとえて言うなら、田舎の庄屋様のお屋敷みたいなもん。
こんなシチュエーションで「酒池肉林」やってもサマにならん
593世界@名無史さん2021/10/09(土) 11:12:22.210
うわ、連続投稿すまん
594世界@名無史さん2021/10/09(土) 11:46:56.760
>>589
そこはちょっと遅めだが、鎌倉時代半ばまでは他の地域も竪穴式住居だし、実際の差は大きくないぞ 595世界@名無史さん2021/10/09(土) 11:49:26.110
>>590
年貢用に米を買って払うってとこも多いので、米で年貢を払ってても必ずしも米作してるとは限らないぞ
輪島の漆器職人たちも、町は行政上はムラ扱いされてて職人の身分は水呑み百姓なんで、米でなく漆器を作ってるのに年貢は米だしな 596世界@名無史さん2021/10/09(土) 11:53:18.950
確かに東北地方北部は近代でも床のない掘立柱建物建築、
地面を搗き固めてその上に藁やゴザを引いて床にしたものだな
信州の秋山郷やアイヌの住居も同様のもの。
でも少なくとも西日本や南日本や早くに竪穴式住居からは脱している。
竪穴式住居は温かくとも湿気には耐えられない。
高床式住居は通風が良くて快適
597世界@名無史さん2021/10/09(土) 12:02:40.010
木の板を安く大量生産するための技術が普及したのが鎌倉時代末なので、それより以前は庶民の財力では竪穴式住居が主流だった
鎌倉時代までの集落遺跡では竪穴式住居跡が多く発掘されるので、西日本でも主流が竪穴式住居のままだったことは間違いない
598世界@名無史さん2021/10/09(土) 12:13:17.060
>>598
確かに製材用の鋸が普及したのは鎌倉、室町期だが、それ以前も高床の建築はあったんじゃないの?
以前、川崎の日本民家園で「割った竹を組んだ上にゴザを引いた床」を見たことある。
20世紀まで石器時代さながらの生活をしていたニューギニアの民族も、高床式の「樹上住居」に住んでる 599世界@名無史さん2021/10/09(土) 12:30:34.430
大鋸普及以前は、繊維がまっすぐにとおってる良木を選んで縦に割って表面を棒カンナで整えるという手順で板を作ったとのこと
木材の多くが板材に不適切な上、手間も多くて、どうしても高級品にならざるを得ない
それを覆して低価格な板材を量産できるようになったのが鎌倉時代末ごろなんだよ
600世界@名無史さん2021/10/09(土) 13:11:57.440
>>596
室町初期まで全国何処でも掘っ建て小屋だよ 601世界@名無史さん2021/10/09(土) 13:29:59.700
掘っ立て小屋を作るために必要な板が安くなったのが鎌倉末なんで、それまでは掘っ立て小屋は高すぎて庶民には重負担だったんだが
602世界@名無史さん2021/10/09(土) 16:21:52.740
弥生から古墳時代の出土文物を見る限り
竪穴式があると思えば相当ご立派な家屋も割とよく見られるし
ラインナップが豊富よね
603世界@名無史さん2021/10/09(土) 16:29:35.960
古代人にとって、壁を構築するのは大変だった。
地面に穴を掘るほうが、よほど早かった
でも、やろうと思えば出来なかったわけではない
604世界@名無史さん2021/10/09(土) 16:51:57.600
機能面でも、冬の寒さを凌ぐという点だと竪穴式は劣ってるとはいえないしね
黄土高原では近現代まで竪穴的な設計の住居が頑張ってる
605世界@名無史さん2021/10/09(土) 17:12:16.960
日本の沖積平野の軟弱地盤とは違って、中国の黄土高原の土は、ツルハシで穴を開けるのも大変なほど硬い
(雨が降ると脆くなる。でも乾燥気候なので滅多に雨が降らない)
だから、「地面に穴を掘って家にした」といっても、黄土高原のは立派な建築。専門家でなければ造るのは無理
若き日の毛沢東も習近平も、そんな家で暮らしたことがあるらしい
606世界@名無史さん2021/10/09(土) 17:22:10.410
だからこそ材料が入手しやすく高度な建築技術もいらない
干し煉瓦を積んだ住居がよく見られるのだろうな(死ぬほど寒そう)
607世界@名無史さん2021/10/18(月) 19:42:13.390
あんな新石器時代を抜け出したばかりのような人たちが、よく広大な領域国家を形成できたものだ
608世界@名無史さん2021/10/18(月) 21:06:55.060
>>542
こうして見ると福建、広東、台湾は平野が
ほとんど無いのによく発展したな 609世界@名無史さん2021/10/18(月) 21:08:56.430
610世界@名無史さん2021/10/18(月) 21:21:50.680
戦国四君子
どういう功績があるかわからない上に単独での列伝すら用意されていない平原君より同じ趙なら安平君趙成の方が相応しいような
儒教的にも父親と兄と主君(恵文王)への孝・悌・忠を守り中華の衣装を廃止しようとした甥っ子(武霊王)を諌めたとか理想化されそうな人物なのに
611世界@名無史さん2021/10/18(月) 21:34:22.290
>>608
珠江三角洲 面積1万1千平方キロ 人口7200万人
関東平野 面積1万7千平方キロ 人口3400万人 612世界@名無史さん2021/10/18(月) 21:39:42.370
広東省の平野は関東平野より狭いのに、人口は関東平野の倍以上
不動産価格が高騰するのは当たり前。
経済規模はすでに関東平野を超えた
613世界@名無史さん2021/10/19(火) 06:23:17.330
>>611
中国の公式データだと珠江三角州経済特区の総人口は6028万人、2020年のGDPは日本円換算して158兆円
日本の関東地方の人口は約4300万、2019年GDPは約220兆円 614世界@名無史さん2021/10/19(火) 07:27:56.870
どこからどこまでを平野と見るかで、推計値は変わる
でも、それを見ると珠江三角洲はまだ関東平野の経済力を超えてないみたいだな
いまは不動産バブルが絶賛崩壊中だから、関東平野を追い抜くことはなさそうだ
615世界@名無史さん2021/10/19(火) 07:35:19.890
もっとも、春秋戦国スレで広東省の話はスレチだが
まだ歴史に登場するのは先の話になる
616世界@名無史さん2021/10/19(火) 07:39:29.450
でも、中国の長江以南の南部は、日本と同様に山がちで人が住むのには適さないということ
そんな中で「もう1つの関東平野」とも言えるような地が広東省にあるということは、
現代中国を理解する上では知っといたほうが良い知識
617世界@名無史さん2021/10/19(火) 07:50:01.380
春秋戦国時代のストーリーの大部分は、華北平原とその周辺で展開された
地形図で一目瞭然の超巨大な扇形の平野、面積は関東平野の20倍以上
618世界@名無史さん2021/10/19(火) 07:55:48.130
大雑把なスケール比較 (四捨五入)
関東平野 2万平方キロ、人口4千万人
華北平原 40万平方キロ、人口4億人
日本 40万平方キロ、人口1億人
フランス 60万平方キロ、人口6千万人
619世界@名無史さん2021/10/19(火) 08:00:59.470
楚も、後世でいうような江南の国ではなく、「華北平原の南の端にある」というイメージ
620世界@名無史さん2021/10/19(火) 09:51:24.660
楚は三国志で言うと苑(宀)から寿春までが領域かな
袁術みたいね
621世界@名無史さん2021/10/19(火) 11:15:32.230
たしかに、寿春といえば連想するのは偽帝・袁術
622世界@名無史さん2021/10/19(火) 11:16:40.730
春秋の呉はいまでいう江蘇省、越はいまでいう浙江省に相当する
623世界@名無史さん2021/10/19(火) 11:22:51.910
呉の首都だった蘇州は、いまでも江蘇省の省都
624世界@名無史さん2021/10/19(火) 11:29:43.260
朝からオナニーしすぎ
625世界@名無史さん2021/10/19(火) 11:52:11.490
>>625
気をつけろ、身体が資本だぞ
余計なことで消耗するな 626世界@名無史さん2021/10/19(火) 11:58:04.820
衛氏朝鮮(えいしちょうせん 紀元前195年? - 紀元前108年)は、その実在について論争のない朝鮮半島の最初の国家であ
る。
中国の燕に出自を持つ中国人亡命者である衛満(『史記』及び『漢書』には名のみ「満」と記す。姓を「衛」と記すのは2世紀頃に書かれた王符の『潜夫論』以降)が今の朝鮮半島北部に建国した。
627世界@名無史さん2021/10/19(火) 11:59:26.310
衛 満(えい まん、生没年不詳)は、紀元前2世紀に朝鮮半島北部に衛氏朝鮮を建国した人物。朝鮮の歴史において同時代の歴史書に明記される最初の君主である。
『史記』朝鮮伝では名のみ「満」と記す。
姓を「衛」と記すのは『三国志』裴松之の注で引かれた『魏略』以降である。衛満は、中国から古朝鮮に亡命して王位を簒奪した人物である。
衛満について『史記』及び『漢書』に詳細に記述されており、それによると、衛満は燕人である。
628世界@名無史さん2021/10/19(火) 12:01:37.300
燕人の衛満が、北朝鮮を乗っ取って朝鮮半島で最初の王になった
それまでの朝鮮は神話・伝説時代。
朝鮮の歴史はここから始まる
629世界@名無史さん2021/10/19(火) 12:13:19.420
戦国の七雄のなかで存在感がイマイチ薄い燕だが、満州方面にも勢力を広げる北の大国だった
朝鮮の歴史も、燕人の衛満から始まった
630世界@名無史さん2021/10/19(火) 12:25:35.290
631世界@名無史さん2021/10/19(火) 12:30:08.030
>>619
楚の中心地域は荊州だもんな
三國志中盤には魏に併合される辺り。
呉だって揚州じゃなく徐州だし
会稽が呉じゃなく越の首都だもんな 632世界@名無史さん2021/10/19(火) 13:27:40.220
三國志の頃になると、呉っていったら会稽あたりの地域を真っ先にイメージするくらいだけどなあ
633世界@名無史さん2021/10/19(火) 13:47:33.460
また朝鮮キチガイが現れた
634世界@名無史さん2021/10/19(火) 16:44:33.620
635世界@名無史さん2021/10/20(水) 12:58:17.280
それだったら面白いけどな
「衛氏朝鮮は中華の正統を受け継いでいる」とかいって、朝鮮人が自慢しそうだが
636世界@名無史さん2021/10/20(水) 23:08:40.890
>>610
それでも一応列伝が立てられている平原君で足りないのであれば
彼より存在感がなく平原君を上回るような赫赫たる功績も特に記されていない人物は更に不適切では?
つか亡くなるまで国を支える重臣の地位を保ち続けた(多分)点を評価するなら他の三君に劣らない 637世界@名無史さん2021/10/25(月) 13:53:46.680
魏は首都が
安邑(山西省夏県)から大梁(河南省開封市)に移っている
調べると安邑は洛陽と長安の真ん中辺、
大梁は三国時代なら陳留近辺、隋以降なら開封
黄河文明的には中心地だったんだろうね
638世界@名無史さん2021/10/25(月) 15:26:04.260
秦に西河獲られたからまあ
639世界@名無史さん2021/10/25(月) 16:43:51.190
商鞅や孫ピンや孟子を登用せず代わりに宰相として魏の恵王の右腕となった諸子百家名家の恵施の政治手腕は果たして
散々からかいながらも彼以外では私の喧嘩の相手は務まらないと亡くなった後友人の荘子は語っているが等の荘子が宋の漆職人だしなあ
640世界@名無史さん2021/10/25(月) 22:56:34.500
魏の大梁遷都って竹書紀年だと秦の鋭鋒避けるよりも早い時期からじゃなかったっけか
641世界@名無史さん2021/10/26(火) 08:02:58.860
大梁遷都はBC364かBC361とされる
秦で言えば前者は献公の最晩年、後者は孝公の初年
この頃の魏は主に趙・韓・秦と戦火を交えており秦の攻勢が影響した可能性はあります
一方いわゆる商鞅変法は少し後ということになっているので直接的関係はないと思われる
642世界@名無史さん2021/10/26(火) 08:31:50.570
そう聞くと秦と言うより他の勢力との戦いの為っぽそうだな
643世界@名無史さん2021/10/26(火) 10:04:47.470
燕→北京
趙→邯鄲、安陽市のあたり、三国志のギョウ(業阝)の近く
斉→臨淄、三国志の青州
韓→韓城市、安邑の黄河沿いに少し北西、洛陽、長安、延安の丁度中間にある
644世界@名無史さん2021/10/26(火) 12:36:29.170
恵施(魏の宰相)の言葉をWikiより引っ張り出してきた
かなりの哲学者のようだ
歴物十事 編集
「至大無外、謂之大一。至小無内、謂之小一」
「無厚不可積也、其大千里」
「天与地卑、山与沢平」
「日方中方睨、物方生方死」
「大同而与小同異、此之謂小同異。万物畢同畢異、此之謂大同異」
「南方無窮而有窮」
「今日適越而昔来」
「連環可解也」
「我知天下之中央、燕之北、越之南也」
「氾愛万物、天地一体也」
645世界@名無史さん2021/10/26(火) 12:47:41.650
訳
無限の大きさをもつものには、その外側となるものがない。これを大一と名づける。無限に小さいものにはその内側となるものがない。これを小一と名づける
厚みのないものは、いくら積み重ねても厚みができない。だが、その厚みのないものは、千里の大きさをもつといえる。
天と地は同じ高さにあり、山と沢とは同じ高さにある。
太陽は中天にあると同時に、東西のいずれかに傾いている。万物は生まれると同時に、死んでいる。
大きな類概念からみればみな同じになるが、小さな種概念からみれば異なっている場合、これを小同異という。万物は、根本ではまったく同じであるとともに、個物としてはそれぞれにまったく異なっているが、その場合これを大同異という。
646世界@名無史さん2021/10/26(火) 12:49:35.860
南方ははてがないと同時に、はてがある。
きょう越の国に向かって出発することは、きのう越の国に到着したということである。
鎖のようにつながった知恵の輪は、解くことができるものである。
私は世界の中央にあたる場所を知っている。
それは北国の燕の北、南国の越の南にある。
万物をひろく愛すれば、天地のあいだにあるすべてのものは一体となる。
647世界@名無史さん2021/10/26(火) 12:58:20.480
禅問答だな
648世界@名無史さん2021/10/26(火) 19:26:51.920
なんとなく荘子と通じるものがあるな恵施の言葉
649世界@名無史さん2021/10/27(水) 07:06:23.040
荘子との交流を好んだらしいな
650世界@名無史さん2021/10/27(水) 07:17:50.940
古代ギリシャのデモクリトスは物質は最小単位がある事を以下の論法で行っている
仮に物質に最小単位が無いと仮定してこれ以上できないところまで分割する
それらを足し合わせると、最小単位が無いために結果はゼロとなってしまい元の姿に戻せなくなってしまう
よって、物質には最小単位が存在する
これによって原子の存在を予想した
一方の中国の思想はこんな感じであったからこれ以上考えるのをやめたようなもの
651世界@名無史さん2021/10/27(水) 07:24:25.270
ところが理論物理学になってくると荘子の言葉が真理を突いてくると思うようになるらしく湯川秀樹は荘子を大変好んだようだ
652世界@名無史さん2021/10/29(金) 09:35:20.700
楚の懐王とか秦に捕まっちまうのな
王が捕まるって前例あったんだろか
653世界@名無史さん2021/10/29(金) 13:20:56.930
前線に出ていく王だと割とポコポコ捕まってるような
654世界@名無史さん2021/10/29(金) 15:08:44.720
始皇帝後の三世子嬰みたいに降伏しても捕まえられる気がするが
655世界@名無史さん2021/10/29(金) 16:19:49.110
捕まらないなら降伏して無えじゃん
656世界@名無史さん2021/10/29(金) 16:27:33.560
秦の商鞅と魏の公子卬が会見して卬が捕らえられたとか宰相、公子級は結構あるんだけどな
捕虜交換のネタにもなるし
657世界@名無史さん2021/10/30(土) 13:00:43.210
古い時代だと晋恵公とか呉王夫差とか周の誰だっけ?とか
偶に捕まってるよね
658世界@名無史さん2021/10/30(土) 15:47:12.260
捕えられたまでは行ってないけど、
五覇の斉の桓公も和議の時に相手の将軍に剣を突きつけられて不利な講和結ばされてるし、
平原君の食客の毛遂も相手の王のそばまでよって脅して同盟結ばせてるし、
みんなしょっちゅう危ない目にあってるわ
659世界@名無史さん2021/10/30(土) 22:41:17.470
会同先で拘束されるケースも春秋時代は多い
660世界@名無史さん2021/10/31(日) 01:10:40.830
宋襄公とかいう恥晒しも捕まってたよね
陳の誰かも楚に拘禁されたし、結構居るな
661世界@名無史さん2021/11/01(月) 09:10:56.820
宋の襄公を恥の一言で片づけるのは頷けないかな
当初は太子を退いて兄に譲ろうとし斉の内乱を鎮めて流浪の重耳を優遇もしてる
理想主義者的な面は否定できんが春秋公羊伝では擁護もされてる
殆ど事績もなく消えてく小国君主のなかではそういるものでもない
宋が大国なら盟主であれた気もする
662世界@名無史さん2021/11/01(月) 11:40:51.490
当時の道徳では華夏人の美徳だったんだろうな
663世界@名無史さん2021/11/01(月) 12:14:32.180
>>661
現実を見ない為政者わ
ホルホル妄想して現実から逃避してるネトウヨと同じ 664世界@名無史さん2021/11/01(月) 13:58:12.870
王莽っていうとんでもない人物を輩出した国だしなあ
665世界@名無史さん2021/11/01(月) 19:16:22.370
666世界@名無史さん2021/11/02(火) 09:41:51.190
淫志わ志じゃ無い
667世界@名無史さん2021/11/02(火) 13:17:13.010
わ
668世界@名無史さん2021/11/02(火) 19:44:31.530
669世界@名無史さん2021/11/03(水) 01:29:00.240
話を戻すと大臣や君主が外交で捕まるケースはそこそこあるわね
外交官、ましてや国家元首を外交の場で拉致るとか現代的価値観では暴挙の中の暴挙だけど春秋戦国の諸国は稀によくやる
670世界@名無史さん2021/11/03(水) 14:02:20.780
君主制だとどの国も遠い親戚だからな
国としての外交儀礼よりも私怨が勝ることもあるわな
671世界@名無史さん2021/11/03(水) 20:35:08.180
春秋時代は君主を弑逆なり追放して挿げ替えた臣が会同先で捕らえられた
なんて例もあった気が
672世界@名無史さん2021/11/04(木) 13:36:35.410
君主を殺して自分が君主に、あるいは暫定君主になったやつすぐ殺されるよな
斉の桓公は父親が暴君だから兄弟で亡命して、父親が暗殺されたと思ったら殺したやつも死んで即位レース始まったし
673世界@名無史さん2021/11/04(木) 13:39:51.280
魏、趙、韓は3氏で共謀したから晋の簒奪が上手く行ったのかな
674世界@名無史さん2021/11/04(木) 16:39:43.650
襄公って桓公の兄でしょ
妹とヤリ捲ってて子供居ないし
675世界@名無史さん2021/11/04(木) 17:54:51.050
>>672
このパターンはよく見るな
外国に亡命して返り咲くやつ
公子級って大体は人質だしな 676世界@名無史さん2021/11/04(木) 20:01:02.840
殺されずに亡命してる時点でそれなりに優秀だしね
677世界@名無史さん2021/11/05(金) 21:44:34.750
太公望から田氏に乗っ取られるまで32人も君主がいる姜斉だけど玄孫(哀公・胡公・献公)の辺りから次々君主が兄弟に簒奪されてはその兄弟も殺されるの繰り返しなんだな
暗君扱い受ける事の多い頃公霊公景公(後、ぶっちゃけ菅仲の付いてない桓公も)あたりは本人が殺されずに死ねただけまだ真っ当な君主なのかも
678世界@名無史さん2021/11/06(土) 10:17:02.530
文公は悪人だよね? 里克の後援は嫌だったけど、他国の穆公の援助は受ける。
世話になった楚や秦と戦っているわ、周の領土を奪ったりしてるわ… 恨みは終生忘れないって
穆公も長寿だね。文公より年上か年下か分からない。なんか皆長命だけど
679世界@名無史さん2021/11/06(土) 11:12:18.940
里克なんて典型的な権力壟断する奸臣じゃん
雑魚の周を横領したから何?って話だし
680世界@名無史さん2021/11/06(土) 23:20:44.440
三家分晋は周王が三家に公位を授けたんだろう。まだ権威があったということじゃん
なぜ対価というか貢物を貰えなかったの?
681世界@名無史さん2021/11/07(日) 04:47:21.980
三晋は簒奪したばかりで
他国と違って権威付け欲しい時期だし
682世界@名無史さん2021/11/10(水) 07:26:27.730
>>677
優れた君主だろうが政治的に成功するとは限らないし、凡君だからといって失敗するわけでもない
天王に殺された西周期の斉公と春秋後期の斉公を殺されたか否かで線引きしても君主個々の資質は見えてこない気がするよ
>>678
悪人といえば悪人かもしれないけど、今日的倫理観で悪人じゃない君臣はなかなかいないと思う 683世界@名無史さん2021/11/10(水) 07:37:04.900
君主の初代なんて皆簒奪者だしなあ
684世界@名無史さん2021/11/10(水) 08:14:19.020
始皇帝は誰からも簒奪してないと思うが
685世界@名無史さん2021/11/10(水) 09:31:01.120
始皇帝は征服だからなあ
儒教的価値観では好まれんだろうよ
まあ言うて禅譲が本当の禅譲だった例もないだろうけど
686世界@名無史さん2021/11/10(水) 09:39:24.900
春秋戦国時代なら儒家はまだ諸子百家の一派の主流だし秦は法家だからセーフ
687世界@名無史さん2021/11/10(水) 10:32:19.100
そうね
始皇帝の評価も後付フィルタは沢山かかってるだろな
688世界@名無史さん2021/11/10(水) 12:22:00.220
>>685
帝尭から帝舜への禅譲(神話中の出来事)だけは真の禅譲
まあ、リアルには存在しないわけだな 689世界@名無史さん2021/11/10(水) 12:51:52.180
今日的価値観で書かれている小説でも善人扱いじゃん
劉備や孔子も評価が変わってきているけど
690世界@名無史さん2021/11/10(水) 13:35:28.390
691世界@名無史さん2021/11/10(水) 14:16:13.860
そういう禅譲が理想の政治って思われてたから、本当に禅譲したのもいくつかはあると思う
名誉欲が強いやつが名君だと思われたくてとかな…
692世界@名無史さん2021/11/10(水) 15:16:37.500
それにしては禅譲してあげた元君主の生存率が低すぎる
後漢の献帝並に禅譲後も神経を使ってようやく生き延びれる
693世界@名無史さん2021/11/10(水) 15:48:59.710
旧主殺すとそいつには復讐されなくなるが後で他のやつが自分を殺してもいいってなるわな
モラルハザードと言えなくもない
694世界@名無史さん2021/11/10(水) 18:43:25.060
南北朝期わ族滅やら謀叛やら多過ぎだしね
凄惨な殺戮が流行
695世界@名無史さん2021/11/10(水) 19:11:33.610
凄惨なのは宇宙大将軍ぐらいじゃない?
696世界@名無史さん2021/11/10(水) 19:26:10.230
697世界@名無史さん2021/11/11(木) 01:09:48.690
>>684
始皇帝は初代どころか封神演義の悪来から続いてる人でしょ
そもそも趙正書じゃ皇帝を自称していないし 698世界@名無史さん2021/11/11(木) 07:16:57.600
699世界@名無史さん2021/11/18(木) 19:45:10.090
沙丘の乱って恵文王と廃太子章の醜い兄弟争いに偶然武霊王が巻き込まれて今さら事実上の支配者に弓を向けてこのまま包囲解けば許されるはずが無いと判ってた恵文王と公子成がそのまま餓死させた説と
宮城谷先生の小説のとっくに寵愛が平原君の母親に移っていた武霊王が後継者にさせたいが為に恵文王(と多分公子章も)を都合よく同士討ちさせようとして公子章が自分の元に逃げてきて以下同文
どっちが真実に近いのか
そもそも3ヶ月も国の真の支配者をその息子が包囲し続けている状態で趙が他の国から攻め込まれたりしなかったのか?
斉のビン王も秦の昭襄王もそんな隙見せたらたちまち侵略してきそうなのに
700世界@名無史さん2021/11/19(金) 16:59:05.480
章が弟の恵文王に臣下の礼をとっている姿を武霊王が不憫に思ったというのは
史料にもあったはずなんで、小説はそこを膨らませたんだろうとは思う
701世界@名無史さん2021/11/19(金) 18:54:58.240
当時16歳の恵文王にどこまで政治的軍事的な実権あったかはわからないが
恵文王本人が目の上のたんこぶでしかない兄と父を親子水入らずの場を利用して殺したか
あるいは年少の王を操り実権を主父武霊王から奪うべく公子成や李克がクーデターを起こして少なくとも当時は何の実権も無かった恵文王(と平原君)は父と兄見殺しにされても何も出来なかったのか
702世界@名無史さん2021/11/20(土) 01:56:24.400
恵文王が同意してたらさっさと殺されてるだろうから
後難を畏れて幽閉わ解け無いけど、殺害も容認出来無いって感じじゃね
他国は攻めないでしょ、長引いた方が深刻だし
703世界@名無史さん2021/11/20(土) 07:52:35.380
704世界@名無史さん2021/11/20(土) 18:23:39.27O
>>699
昭襄王は内外含めて実に多くの英雄たちと関わってるが彼自身を主役とした作品は無いんだな 705世界@名無史さん2021/11/21(日) 03:59:52.680
中国ドラマであったよ,タイトル忘れたけど2年くらい前にCSの再放送でやってた
706世界@名無史さん2021/11/21(日) 09:00:15.990
>>705
秦の昭襄王だな
あれの孝公と恵文王までは見た 707世界@名無史さん2021/11/23(火) 12:37:18.100
大河ドラマで春秋戦国時代やらないかな
オール日本人キャストで
708世界@名無史さん2021/11/24(水) 15:34:48.230
坊やはキングダムの映画でも観てなさい
709世界@名無史さん2021/11/24(水) 16:16:45.790
案外囲んだ当初にサクっと武霊王ぶっ殺してたんだけど包囲で時間稼いだだけだったり
ってミステリー脳が俺に言ってくる
包囲中にコンセンサス形成していざ死を発表しても問題ないようにした
という可能性は結構あると思ってる
710世界@名無史さん2021/11/24(水) 23:20:15.060
秦の異人(荘襄王)は何故趙の人質になっていたのですか?
争いばかりの上、秦が上。長平の戦いもあった。そのときの和睦条件なら、その後の期間が短すぎて合いません
711世界@名無史さん2021/11/25(木) 04:40:38.360
下の方の庶子なんてガラクタだし
712世界@名無史さん2021/11/25(木) 09:30:59.550
相続争いで家臣団が分裂するし追放しかなかったのでは
713世界@名無史さん2021/11/25(木) 11:58:03.490
王のやらかしで一族郎党皆殺し→後日罪を一族の人間が(臣下として)お家再興許されるってパターンはそういう他国に追放されてた庶子の子孫パターンになるのかな?
714世界@名無史さん2021/11/25(木) 12:20:50.250
人質派遣って、ときに大使館のような外交上の役割を果たしてることもあるよな?
715世界@名無史さん2021/11/25(木) 13:52:54.220
>>714
仮に君主になれたら保護した恩恵大きいからね
領土割譲してくれたり援軍出してくれたりするかも
なお晋の恵公 716世界@名無史さん2021/11/25(木) 16:38:57.360
>>709
そこに恵文王の指示があったか
家臣達の暴走に口出し出来なかったか 717世界@名無史さん2021/11/26(金) 03:57:46.070
恵文王単独なら態々殺す必要無いしな
胡服令を憎悪したネトウヨ貴族が殺したんでしょ
718世界@名無史さん2021/11/27(土) 01:46:10.170
生かしてしまうと恵文王の地位が動揺し続けるかもしれないし
勢威を回復した主父に囲んだことを咎められて殺される可能性もある
状況証拠からいえば
恵文王には公子成や李兌に負けず劣らず主父を殺す動機があるような
719世界@名無史さん2021/11/28(日) 19:00:18.570
申不害が昭候に使えていた時期を別とすれば韓って弱小国扱い受けてる戦国時代の宋 衛 魯 越 中山あたりと比べて本当に七雄と強国扱いされる程差があったのかな?
720世界@名無史さん2021/11/28(日) 19:01:42.760
有ったよ後わ自分で調べてね
721世界@名無史さん2021/11/28(日) 19:18:25.930
722世界@名無史さん2021/11/28(日) 19:26:14.700
>>719
韓の立地は最悪だから、弱小なら最後まで残ってない 723世界@名無史さん2021/11/28(日) 20:25:33.260
かつての強国の鄭を滅ぼしたし
724世界@名無史さん2021/11/29(月) 15:31:25.530
春秋戦国〜漢の初めまでは異民族の女が王の妃にっての結構あったけど
あの辺の異民族ってどのくらい遺伝子違ってるんだろう
本州人と沖縄人ほどの違いある?幕藩体制下の他藩の人くらいの感覚?
725世界@名無史さん2021/11/29(月) 15:53:22.580
>>724
三国時代に漢民族激減
五胡十六国の華北政権は異民族だった
ところを見ると春秋戦国時代は華夏人はまだ黄河周辺にしかいないから、晋、斉以外は国土の一部にしか華夏人はいないと思う
呉、越、燕、蜀、楚の南側、秦の西側なんかは化外の地だろうな 726世界@名無史さん2021/11/29(月) 23:24:16.120
戸籍数が減るのと人口減少は必ずしも一致しない
南北朝期の北朝で漢族胡族半々
晋と斉わ元々わ中原から外れてる
727世界@名無史さん2021/11/30(火) 06:51:57.180
一致はしないが中央官庁が機能を無くしたことは確かだ
支配範囲が限定的になってアウトローが増えてる
記録を見ると大量に匈奴などから移民が住み着いた状態になってる
728世界@名無史さん2021/11/30(火) 07:54:50.510
729世界@名無史さん2021/11/30(火) 08:09:54.700
五胡十六国の時代の遊牧民移住は漢王朝の移民政策の結果だろう
730世界@名無史さん2021/11/30(火) 08:18:28.720
>>727
オマエ基本の史書すら読んで無いじゃんww
史書と矛盾する妄想垂れ流してるし 731世界@名無史さん2021/11/30(火) 09:42:27.170
>>730
五胡十六国時代に匈奴が山西で挙兵してる
曹操時代に劉淵の祖父を帰順させて住まわせてるからだ
山西って既に晋の領域内だ
成漢も羌族で漢中から入ってきて成都を落としてるしかなりの数の異民族が入ってきてないとこうはならない
これは中央省庁の制御が働かない地帯が増えたと見るのが妥当だろう
戸籍減少に表れている
逆に春秋戦国時代や始皇帝の時期に異民族が浸透しなかった方が疑問だ
族同士で食い合ってたんかな 732世界@名無史さん2021/11/30(火) 10:00:13.070
後漢以降の貨幣政策を見ると三国すべてが落第点
悪貨を量産しインフレを招いている
魏などは実質徴税は物納で貨幣は銅の価値のみを重視した民間でのみ流通されてたようだ
これは単純に税収が低く以前に比べ国力が低かったと見るべきだろう
733世界@名無史さん2021/11/30(火) 11:47:44.900
>>731
オマエ最初に三国時代って指定してるじゃん 734世界@名無史さん2021/11/30(火) 11:49:57.800
>>732
数十年暴政と戦乱が続いた後なのだから
そりゃ生活は悪く成ってる 735世界@名無史さん2021/11/30(火) 12:08:14.890
別に批判は構わんがもっと実のある情報くれよ
国力下がってたら中央機能の低下は予想出来るだろ
指摘されるまでもない
史書読んでないとの批判があるなら史書情報を示してくれよ
736世界@名無史さん2021/11/30(火) 12:21:05.810
>>726
後漢末から三国時代、西晋初期ぐらいまでの時期には、人口が減ったことによる兵員減を補うために遊牧民の集団移住を何度も受け入れてて、漢代よりも遊牧民人口が大幅に増えてるからだよ
その後、五胡十六国の乱のときにさらに遊牧民が流入したり、遊牧民たちが漢人を奴隷化したり殺しまくったりして減らしたから、半々になったんじゃね
知識人階級(要するに豪族たち)すら奴隷化されてた記録もある 737世界@名無史さん2021/11/30(火) 13:09:42.030
>>735
後漢〜魏の時期だと南匈奴わ部族として纏ったまま長城沿いに居住してて烏丸も同様
異民族が内地に大量流入したのわ八王の乱の後から 738世界@名無史さん2021/11/30(火) 14:00:28.480
戸籍人口の減少と異民族は無関係ではあるまい
異民族を利用し、兵力として取り込み、利用しなければ曹操は外敵に勝てまい
論文を見るに袁紹も烏桓を利用してこそ公孫瓚に勝てたとある
兵力として利用するには居住地を与えねばならず、それは中国内部に他ならない
曹操の政策として記録がある
言わば国内同盟勢力としての外国
これが戸籍減少の一因という推測は矛盾していない
逆に春秋戦国時代は都市国家が故に異民族の援助までは必要無かったと解釈もできるかもしれない
739世界@名無史さん2021/11/30(火) 15:30:21.340
遊牧民族に関してむしろ逆じゃないかな
元々漢民族圏は周ー殷の支配圏を中心とする黄河中ー下流地域周辺だけだったが
春秋ー戦国初期の人口増に合わせて各都市国家が勢力拡大して遊牧民族の地域にまで支配圏を伸ばした
そして領土国家に統合されていくと同時に長城を築いて遊牧民を城壁外に排除したけど
後漢王朝が方針転換して友好部族を勢力圏内に移住させて敵対部族に対する防衛を担わせたことで
遊牧民が再び漢民族支配圏内に移住してきた
人口減という説は戸籍上の人数が根拠だけど、現代と違って戸籍調査も流動人口の把握も困難だった古代中国で
動乱が起きれば中央政府が把握してる人数が一気に減る
740世界@名無史さん2021/11/30(火) 15:49:26.140
>>739
なるほど、春秋戦国時代は華夏人の高度成長期というわけか
それならば矛盾はないな 741世界@名無史さん2021/11/30(火) 16:14:32.060
春秋時代に鉄製農具が登場したり農業の技術が進歩したからな
今の中国と同じ人口ボーナスを武器に周辺地域に勢力拡大していった
742世界@名無史さん2021/11/30(火) 17:01:40.170
官吏や官吏を輩出する家庭や教育機関の知的水準が高く、圧倒的に官僚機構が整備され資料が多数ある後世においてすら
天朝の兵員数はカタログスペックです
思ったほど人いなくて人口オーナスやばいじゃねーか!(つい最近までむしろ人口多すぎ、黒孩子数千万人とか内外で言われてたのに)
みたいな事態が発生するんだし、稀に数字が載ってる程度な古代中世の史書戸籍人口の過信は禁物よね
743世界@名無史さん2021/11/30(火) 17:49:56.270
>>737
死ね
三国時代から普通に内地に移住させてるわ 744世界@名無史さん2021/11/30(火) 19:11:20.920
春秋戦国時代の場合高度成長期の結果として秦が蜀を併合したのも大きいのかもしれない
黄河流域圏でない別の文化圏だった外国を併合したようなもの
規模は小さいがアレクサンダー大王のペルシア支配に比べられるかもしれない
745世界@名無史さん2021/11/30(火) 19:35:53.230
>>738
逆だ
後漢後半から寒冷化が進んで凶作連発の飢饉連発で人口が減っていってたんだよ
そんななかでの戦乱だから、生活苦から流浪して行きだおれる人も多く 746世界@名無史さん2021/12/01(水) 03:15:46.070
>>738
妄想垂れ流して無いで三国志読めよ
はい論破 747世界@名無史さん2021/12/01(水) 03:17:33.450
748世界@名無史さん2021/12/01(水) 03:18:20.800
749世界@名無史さん2021/12/01(水) 03:22:43.370
>>744
秦の超大国化わ社会を根本から変えた革命に由るもの
まあ高度経済成長も半分は米軍に由る革命のお陰だけど
勿論残り半分は毛沢東大乱に因る中国の不在と人口動態 750世界@名無史さん2021/12/01(水) 04:43:14.910
無知が四連打してどうする
殷の支配圏(河南省から黄河下流の地域)が黄河の上流とか地理も歴史も知らないとしか言いようがないし
燕、趙、秦がそれぞれ長城を築いて遊牧民族を排除したり
趙が逆に遊牧民族の文化を取り入れて軍事面を強化したり
周辺民族の侵入に手を焼いてたし
周辺民族が漢民族圏に進出する状況を憂いて提唱されたのがあの尊王攘夷
751世界@名無史さん2021/12/01(水) 06:45:18.440
燕も秦も趙も牧畜民(春秋期わこっちが主)や遊牧民の征服同化が勢力拡張の過程
752世界@名無史さん2021/12/01(水) 07:04:54.160
同化(教化)は中華帝国形成後の概念ね
攘夷という言葉にあるようにこの時期の周辺民族は漢民族にとって支配地域を奪い合うライバル
そもそもこの時期の漢民族は農業技術進歩の恩恵を受けて人口が増加したから欲しいのは居住地域
異民族に対して趙のように戦力として欲しいから労力かけて漢民族に同化させるようなことはまだやってない
皇帝を頂点に華夏始め諸民族が支配される概念は戦国末期の秦が広めたもの
753世界@名無史さん2021/12/01(水) 07:31:00.850
754世界@名無史さん2021/12/01(水) 07:32:07.720
755世界@名無史さん2021/12/01(水) 08:49:30.150
756世界@名無史さん2021/12/01(水) 09:08:39.470
無知が史書読め連呼とかギャグだな
757世界@名無史さん2021/12/01(水) 09:13:32.150
微管仲、吾皆被髪左衽
一歩間違えば被征服民になってた春秋時代の漢民族が他民族を同化する余裕なんてない
758世界@名無史さん2021/12/01(水) 10:19:09.000
異民族も早くに同化した,斉の服属征服させた東夷,普が征服した雑多な牧畜民,秦が服属征服した西戎等と
長城外の東胡その他遊牧民が居た事も理解して無い無知無知くん
といっても戦国期に成ると燕や趙がそれ以前の長城外も支配下に組み込んでるけど
759世界@名無史さん2021/12/01(水) 10:34:09.290
歴史観が古いし漢民族中心被れだし都合の悪い歴史は無視するしダメだなこいつ
胡服騎射導入してやっと異民族に立ち向かえた趙のように
周王朝東遷以降
強いリーダーを失った周王朝支配圏は都市国家による緩い集合体になったから
まとめられる覇者が出現するまで全員被髪左衽になりかねない状態だったのに
征服同化してた!など後世の中華帝国の価値観で語る馬鹿が無知にも程がある
760世界@名無史さん2021/12/01(水) 12:05:59.500
>>747
上流域は含まなくないか
上流域には周を含めた、不完全な上下関係しか受け入れてない隣国があっただろ 761世界@名無史さん2021/12/01(水) 12:13:40.440
秦って周初には存在しなかった国だし、元は遊牧民系の国だったのが中国化して建国されたんじゃないの?
762世界@名無史さん2021/12/01(水) 12:15:26.030
763世界@名無史さん2021/12/01(水) 17:52:26.080
>>758
普ってなんですかw?
こいつが史書を読んでないことは確実 764世界@名無史さん2021/12/01(水) 18:57:57.960
765世界@名無史さん2021/12/01(水) 20:03:37.890
>>764
アンカー先の数字を間違ってない?
どう繋がってるのかさっぱりわからん 766世界@名無史さん2021/12/02(木) 00:05:22.850
無知に理解出来無いのが春秋の筆w
767世界@名無史さん2021/12/02(木) 08:14:55.010
中国は、20世紀になっても
「省が違えば別世界。言葉は通じないし、風習もまるきり異なる」
「隣の省に貨物列車を送ると、列車ごと返ってこない」
と言われる世界だった
ましてや、2500年前なんか
鉄道も電話もテレビもなにもなく、
「秦の始皇帝が車軌を統一したおかげで、隣の国まで馬車で行けるようになった」
「斉(山東省)の人なのに、莱(山東半島)の人とも会話することができた」
と言われる世界だ
「中国化した」と言ったって、単一民族になったわけでもなんでもないんで
768世界@名無史さん2021/12/02(木) 09:34:30.030
清朝末期わ暴政続きその後の滅亡崩壊と内戦
日帝国の侵略と虐殺略奪破壊,一時的統一と毛沢東大乱
近代国家の建設が始まって未だ半世紀経って無いからね
琉球や蝦夷島は完全に言語不通で辺境の南九州と東北も難儀
琉球語アイヌ語の絶滅化と標準語教育を始めて時間経ったから
769世界@名無史さん2021/12/02(木) 11:31:15.340
770世界@名無史さん2021/12/02(木) 12:06:41.480
>>767
そりゃまあ、中国というひとつの世界を作り上げてるのは知識人階級以上の上層部だけで
庶民は地域間交流も少なくて文化的にバラバラではあるな
中国全土で統一されてた度量衡だって上層部だけが使ってて、村の中までは入り込んでない、
庶民が使う度量衡は公定度量衡とは別物だったとされているし 771世界@名無史さん2021/12/02(木) 12:42:27.350
ヨーロッパもそうだな
上層部は交流が盛んで、親戚同士だったりするし、共有している文化がある
でも、それは上層部だけ
772世界@名無史さん2021/12/02(木) 12:48:04.350
大体文字が誕生したのも異文化交流のためのツールだからな
縄文時代の日本人など言葉だけで充分足りたからモジなど必要なかった
773世界@名無史さん2021/12/02(木) 12:58:05.340
>>770
又誤読or曲解してるのか無知無知くんは
統一の度量衡は定めたが,征服地での実務でわ旧六国の単位を引き続いてた 774世界@名無史さん2021/12/02(木) 12:59:43.090
>>772
石器時代の日本列島とか精々隣の集落までが全世界 775世界@名無史さん2021/12/02(木) 13:34:26.520
アフォか
5千年前の青森の三内丸山遺跡から、糸魚川でしか取れない翡翠が出て、広範囲での交易が確認されただろ
776世界@名無史さん2021/12/02(木) 14:40:03.000
>>773
おまえもう話に入らなくていいよ
邪魔だから 777世界@名無史さん2021/12/02(木) 14:52:15.130
>>775
弥生時代の遺跡からローマ領内のガラスとかコインとか出てるからな
ローマと邪馬台国の広範囲な交易が確認されたよな(判らない方の為に説明しておくとこれわ皮肉である) 778世界@名無史さん2021/12/02(木) 15:24:00.970
近隣の村との交易でリレー的に遠くまで材物、宝物系が運ばれる程度は珍しくない
貿易商人が遠くまで往来するようになるのはもっとあと
779世界@名無史さん2021/12/03(金) 12:27:59.100
隣の人がイギリスに旅行に行ってお土産に色々貰って
そのうちの一部を沖縄の親戚に家に行って譲渡した
沖縄の親戚がイギリスと交流があったわけでも、イギリスと交流がある隣の人と接触したわけでもないという
780世界@名無史さん2021/12/03(金) 15:09:29.160
縄文時代の交易はお土産、部族間友好用とは聞いたことはあるな
この時代の積載能力はいかほどかな
781世界@名無史さん2021/12/03(金) 18:33:15.370
縄文人が生活必需品も交易してたんじゃないかとの説もあるんだけど
782世界@名無史さん2021/12/03(金) 20:17:33.170
縄文人が食べてたものは、煮込んだ魚介スープに、鳥や獣の肉もある
要するに、旨いものを食べていた
中国の内陸部は、食べるものがないから農耕を始めるのは早かった
783世界@名無史さん2021/12/03(金) 20:37:48.790
784世界@名無史さん2021/12/03(金) 21:59:49.600
羊はいなかったようだ
785世界@名無史さん2021/12/03(金) 22:01:54.300
そもそも、なんでモンゴル高原で羊の放牧をするかっていったら、草原の草しか食べるものがないからだ
残念ながら、人間の胃腸では消化できない
だから、代わりに羊に食べて消化してもらって、その乳や肉を食べる
786世界@名無史さん2021/12/04(土) 00:34:00.900
殷の甲骨文でイケニエの筆頭が羊、次が奴隷(羗とか)だよな
あんまり牛や馬のイケニエはメインでないイメージ
787世界@名無史さん2021/12/04(土) 01:37:05.650
>>784
勝手に華北の羊を絶滅させんなww
春秋期までの華北は結構牧畜民居た 788世界@名無史さん2021/12/04(土) 11:37:02.150
ひょっとして、>>784 は縄文日本に羊がいなかったと言ってるのか?
春秋時代の中国の話と縄文時代の日本の話が平行で進んだから区別困難なレスが出てる気がする 789世界@名無史さん2021/12/04(土) 13:07:37.950
790世界@名無史さん2021/12/04(土) 13:47:32.190
その一方で、牛をイケニエにする際に最初に耳を切る風習があって、そこから「牛耳る」という言葉が出てきたとされるように、牛をイケニエにする風習自体は存在した模様
791世界@名無史さん2021/12/04(土) 13:58:07.970
祝祭の時とかに牛を生贄に捧げて、その肉をみんなで食べるっての結構あった気がするけど
792世界@名無史さん2021/12/04(土) 17:35:14.240
>>789
「羊車」って言葉一応あるらしいけど
羊を使って荷車動かさせても効率悪いのかな?
あるいは鹿や猪(豚)も 793世界@名無史さん2021/12/04(土) 17:54:04.970
牛は畑を耕してくれるからな
労働力としてもかなり優秀
羊は毛が取れる
豚は食うしかないな
794世界@名無史さん2021/12/04(土) 19:48:50.210
1991年にアルプス氷河で発見された通称アイスマンは、5300年前に生存していたとされています。
彼が身にまとっていたのはヤギと羊のコート、ヤギ革のレギンス、クマの毛皮の帽子。羊革の腰布。靴紐は牛革。矢筒は鹿の革。上から下まで全部革でした。
795世界@名無史さん2021/12/05(日) 00:23:56.910
アイスマンはハプログループNだっけ?
遼河文明や周王室に関係があったそうだな
796世界@名無史さん2021/12/05(日) 00:53:35.470
Nって満洲族とかでしょ
797世界@名無史さん2021/12/05(日) 01:00:19.700
>>796
秋田県人にも7%ほどいるそうだ
大陸から東北地方にやってきたとかなんとか 798世界@名無史さん2021/12/06(月) 09:57:23.530
すまんアイスマンはハプログループGだったわ
早期にヨーロッパに進出してストーンヘンジとか作ったが印欧語族に上書きされてる
Nは中国系のOとの兄弟だったわ
はじめはNの方が栄えてたがOに取って代わられた
799世界@名無史さん2021/12/06(月) 11:24:15.520
Nって西進して北欧まで拡がってるよね
800世界@名無史さん2021/12/06(月) 11:44:49.690
>>795-799
ということは流入してきた異民族で、周辺民族とうまくいかず攻撃されて絶滅した? 801世界@名無史さん2021/12/06(月) 12:10:55.080
>>799
フィン・ウゴル系に痕跡が残ってるらしいな 802世界@名無史さん2021/12/06(月) 12:12:49.980
>>800
非主流派になったのは間違いないね
バスク人はハプログループGを汲むとも言われている
今はRに置き換わってしまったが
それだけ印欧語族が強かったのだろう 803世界@名無史さん2021/12/06(月) 18:51:56.450
有名なのはケルト人とゲルマン人だけど、その前からヨーロッパに流入してる民族はたくさんいるからな
804世界@名無史さん2021/12/07(火) 17:57:44.760
印欧語族の侵入は紀元前2000〜1000まで断続的に続いた
海の民、ドーリア人(後のスパルタ人)などがそれで既存の王国を幾つも滅ぼした
中国だと夏の時代か
805世界@名無史さん2021/12/10(金) 19:56:46.750
王国つったって炎帝とか三苗より小規模未発達な段階だけどな
806世界@名無史さん2022/01/25(火) 09:57:35.360
まあ殷、夏も黄河中流くらいだろうけどな
興味深いのは楚でここだけ長江の一部を含む華夏文化圏が早期に出来てる
三国志の時代で言えば荊州北部か
807世界@名無史さん2022/03/08(火) 13:35:05.120
キングダム前夜ぐらいの時代を描いたマンガの達人伝を読んでたら、白起が死んだ後一年以内に劉邦生まれててびっくりしたわ
あとダメな方の刎頸の友の片割れ張耳もでてきてて、戦国四君とかの時代と楚漢戦争の時代ってホントに近いんだなと
戦国末期も秦帝国〜楚漢戦争も全部知ってるけど、それぞれ別の時代として認識してたから驚いた
808世界@名無史さん2022/03/08(火) 13:48:25.720
始皇帝即位〜中国統一が15年
統一時代が10年
劉邦が武関突破して秦降伏がそれから3年という超スピード
春秋戦国時代が約550年だからこの間早いこと早いこと
809世界@名無史さん2022/03/08(火) 13:53:13.850
すまん即位から統一は約20年
親政から統一が15年だな
810世界@名無史さん2022/03/12(土) 14:32:27.900
>>800
むしろ父系では子孫を残せなかったのが多数
石器時代でも13%しかで謎扱いだけど
保見サピエンスの進出での人類種の絶滅も
そんなのニンゲンの先祖がやったに決まってる 811世界@名無史さん2022/03/12(土) 18:51:43.260
>>807
秦の始皇帝が生まれたのは紀元前259年。劉邦が生まれたのは諸説あるが前256年とされてるから、ほぼ同世代だな。歴史的には次の世代に見えるけど
前210年に始皇帝が死去(織田信長と同じ49歳)して大乱世に突入。旗揚げしたときの劉邦は48歳でまだ泗水の亭長、全国的には無名の存在だった
項羽は、劉邦とは親子くらい年の離れた血気盛んな若者。正真正銘の次世代だった 812世界@名無史さん2022/03/12(土) 18:53:30.130
北条早雲も51歳で歴史に登場するけど、それ以前はどこで何やってたか誰も知らない、どこの馬の骨とも知れない人物
高齢化社会の現代ならともかく、大昔でこれはすごい
813世界@名無史さん2022/03/12(土) 19:15:36.400
もっとも、劉邦が生まれたのは前247年という説もある。これだと、始皇帝より10歳以上も後の生まれ
司馬遼太郎は前256年説(つまり早い方)を取っていた。「項羽と劉邦」の第1巻の劉邦は、「48歳にして一介の亭長。人生においてまだ何事もなし得ていない男」として登場する
814世界@名無史さん2022/03/12(土) 20:50:32.590
>>811
>>813
年齢不明なのがなあ
隠していたわけでもなさそうだから劉邦か同じ日生まれのロワンの年齢の資料出ないかねえ
韓信とか他にも年齢不明なのがいるけど
少なくとも項伯が張良より年上と聞いて儂も師事すると言っているから
劉封が張良より年下で、張良は父が死んで25年後に国が滅亡だから
当時25歳以上ってのは分かるけど 815世界@名無史さん2022/03/12(土) 21:51:47.060
否定することは、実利を生まないばかりか、人間関係まで崩しかねない。
816世界@名無史さん2022/03/14(月) 11:32:59.420
呂氏の他に女がいて庶長子がいたんだろ?
しかし48だと子供もかなりいい歳になってそうだな
817世界@名無史さん2022/03/14(月) 13:39:40.570
結婚してなかったから皇后になれなかったのか?
それとも呂氏と繋がる時に清算したのだろうか
818世界@名無史さん2022/05/29(日) 12:43:15.070
>>812
早雲は生年の誤伝が原因であって、ホントは1世代ほど若いってのが近年の主流では 819世界@名無史さん2022/05/29(日) 12:58:41.870
>>818
ここは中国史に興味を持つ人々の集まるスレだから>>812の古い認識も無理は無い。
現段階での定説を一応書いておく。
・北條早雲なる虚構の呼称は使わない。伊勢盛時(入道後は早雲庵宗瑞)と呼ぶ。
・生年は1432年ではなくて1456年。表舞台に名を顕すのは32歳。享年は88歳に非ず64歳。
・馬の骨どころか室町幕府高級実務官僚(申次衆)。
・駿河クーデターも伊豆侵攻も幕命による公務。
スレチ、まことに失敬。 820世界@名無史さん2022/05/29(日) 18:57:49.270
>>814
張良には弟がいたのでもう少し年齢上でいいかもしれない 821世界@名無史さん2022/05/30(月) 00:36:44.550
822世界@名無史さん2022/12/28(水) 00:43:06.910