https://anonymous-post.mobi/archives/6473
【田渕久美子が説く#3】チョコレート、女性から男性に贈る、でいいの?
今日はバレンタインデー。
その由来には諸説あるけれど、わが国では、女性が想いを寄せる男性にチョコレートを渡し、愛の告白をする、なんてのが、まあ、一般的ですよね。この習わし(?)は私が中学生の頃から始まり、当時は、クラスの女子たちと、男子に不二家のハートチョコレートなどを贈っていましたっけ。また、以前は、ドラマの打ち合わせで男性スタッフや俳優さんに、いわゆる「義理チョコ」を渡したりして人間関係の潤滑油にしたりもしていました。
義理チョコに対する「本命チョコ」を渡す人たちには、今日は特別な一日となるのでしょうか。
欧米などでは、恋人たちがお互いにプレゼントを渡し合ったりなど、日本とは逆で男性から女性へプレゼントをすることが多いそうですね。
では、なぜ、日本では女性から、なのでしょうか? そしてそれに疑問を抱いた人が、男性から女性へお返しをするホワイトデーなるものを考えついたのでしょうか?
実は私、この「女性から」、というのがあまり好きではありません。日本の男女の有り様を表現しているようでなんだかイラっとするのです(笑)。
略
田渕 久美子 ( たぶち・ くみこ)
島根県生まれ。脚本家・作家。多数のテレビドラマの他、映画、舞台、ミュージカル、落語、狂言、オペラなども執筆。連続テレビ小説「さくら」(NHK)では橋田壽賀子賞、「冬の運動会」(TBS系)で放送文化基金賞。NHK大河ドラマの「篤姫」が大ヒット、「江〜姫たちの戦国」では脚本にくわえ原作も手がけた。近著に『おね』上下巻(NHK出版)など。女性の生き方を支援する「女塾」主宰。講演会、脚本セミナーなど活動は多岐にわたる。2020年5月のNHKスペシャルドラマ「路(ルウ)」(日台合作)では脚本と主題歌を作詞を担当。
https://telling.asahi.com/article/14184140
関連
「バレンタイデーにはチョコレート」のルーツ
○ 日本では、バレンタインデーは女性から男性へ愛の贈り物として、チョコレートを贈る習慣がありますが、現在の形のバレンタインデーの始まりは、昭和30年代(1950年代)に入ってからのようです。 以後、多くのことが関係して「バレンタインデーにはチョコレートを女性から男性に」という習慣が定着し、今日のような盛んな行事になったようです。
○ 朝日新聞1996年(平成9年)9月21日付け日曜版{地球「食材の旅」・カカオ}に日本のバレンタインデーのルーツが掲載されていますので、抜粋してみました。
1958年(昭和33年)2月メリーチョコレート会社(東京)は新宿・伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と手書きの看板を出した。3日間で売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけであった。
翌年ハート型チョコを作った。「女性から男性へ」という殺し文句を作ったのもその頃だ。
1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が送られた。神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったからという。
チョコレート会社「モロゾフ」(神戸)は1936年(昭和11年)2月12日に、神戸で発行されていた外国人向け英字新聞にバレンタインデー向けチョコレートの広告を出している。
バレンタイデーは盛んに
○ 昭和30年代後半になるとバレンタインデーを積極的に売り出す動きも出てきました。
例えば、森永製菓では1960年(昭和35年)にバレンタイン企画を新聞広告などのマスコミを通して行ない、チョコレートの販売を促進しました。
○ この時期にはバレンタイデー用のチョコレートをお買い上げいただいた方々を劇場に招待したり、景品には当時大変貴重であった腕時計をプレゼントとするという新聞広告もありました。
○ 各社がハート型チョコレートを発売したのもこの時期です。
○ 多くのチョコレート会社が「バレンタイデーにチョコレート」の販売戦略を進めていくうちに、昭和40年代末から50年代にかけて、女性のこころを捉えて徐々に盛り上がり、今日のように盛んな行事になったと考えられます。
http://www.chocolate-cocoa.com/dictionary/history/valentine/v02.html
(略)
【田渕久美子が説く#3】チョコレート、女性から男性に贈る、でいいの?
今日はバレンタインデー。
その由来には諸説あるけれど、わが国では、女性が想いを寄せる男性にチョコレートを渡し、愛の告白をする、なんてのが、まあ、一般的ですよね。この習わし(?)は私が中学生の頃から始まり、当時は、クラスの女子たちと、男子に不二家のハートチョコレートなどを贈っていましたっけ。また、以前は、ドラマの打ち合わせで男性スタッフや俳優さんに、いわゆる「義理チョコ」を渡したりして人間関係の潤滑油にしたりもしていました。
義理チョコに対する「本命チョコ」を渡す人たちには、今日は特別な一日となるのでしょうか。
欧米などでは、恋人たちがお互いにプレゼントを渡し合ったりなど、日本とは逆で男性から女性へプレゼントをすることが多いそうですね。
では、なぜ、日本では女性から、なのでしょうか? そしてそれに疑問を抱いた人が、男性から女性へお返しをするホワイトデーなるものを考えついたのでしょうか?
実は私、この「女性から」、というのがあまり好きではありません。日本の男女の有り様を表現しているようでなんだかイラっとするのです(笑)。
略
田渕 久美子 ( たぶち・ くみこ)
島根県生まれ。脚本家・作家。多数のテレビドラマの他、映画、舞台、ミュージカル、落語、狂言、オペラなども執筆。連続テレビ小説「さくら」(NHK)では橋田壽賀子賞、「冬の運動会」(TBS系)で放送文化基金賞。NHK大河ドラマの「篤姫」が大ヒット、「江〜姫たちの戦国」では脚本にくわえ原作も手がけた。近著に『おね』上下巻(NHK出版)など。女性の生き方を支援する「女塾」主宰。講演会、脚本セミナーなど活動は多岐にわたる。2020年5月のNHKスペシャルドラマ「路(ルウ)」(日台合作)では脚本と主題歌を作詞を担当。
https://telling.asahi.com/article/14184140
関連
「バレンタイデーにはチョコレート」のルーツ
○ 日本では、バレンタインデーは女性から男性へ愛の贈り物として、チョコレートを贈る習慣がありますが、現在の形のバレンタインデーの始まりは、昭和30年代(1950年代)に入ってからのようです。 以後、多くのことが関係して「バレンタインデーにはチョコレートを女性から男性に」という習慣が定着し、今日のような盛んな行事になったようです。
○ 朝日新聞1996年(平成9年)9月21日付け日曜版{地球「食材の旅」・カカオ}に日本のバレンタインデーのルーツが掲載されていますので、抜粋してみました。
1958年(昭和33年)2月メリーチョコレート会社(東京)は新宿・伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と手書きの看板を出した。3日間で売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけであった。
翌年ハート型チョコを作った。「女性から男性へ」という殺し文句を作ったのもその頃だ。
1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が送られた。神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったからという。
チョコレート会社「モロゾフ」(神戸)は1936年(昭和11年)2月12日に、神戸で発行されていた外国人向け英字新聞にバレンタインデー向けチョコレートの広告を出している。
バレンタイデーは盛んに
○ 昭和30年代後半になるとバレンタインデーを積極的に売り出す動きも出てきました。
例えば、森永製菓では1960年(昭和35年)にバレンタイン企画を新聞広告などのマスコミを通して行ない、チョコレートの販売を促進しました。
○ この時期にはバレンタイデー用のチョコレートをお買い上げいただいた方々を劇場に招待したり、景品には当時大変貴重であった腕時計をプレゼントとするという新聞広告もありました。
○ 各社がハート型チョコレートを発売したのもこの時期です。
○ 多くのチョコレート会社が「バレンタイデーにチョコレート」の販売戦略を進めていくうちに、昭和40年代末から50年代にかけて、女性のこころを捉えて徐々に盛り上がり、今日のように盛んな行事になったと考えられます。
http://www.chocolate-cocoa.com/dictionary/history/valentine/v02.html
(略)