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関ヶ原前後の日本軍の戦闘力は、世界で比べるとどれくらいの強さよ?
輸送抜きにして考えてみよう。
先にインカ帝国見つければインカ帝国くらいのとこは制圧出来るよね?
強さなんて、特にこの時代はどこで戦うかどう戦うか何を目的に戦うかで違う。
単純比較は全く意味が無い。
この時代、欧州列強は陸軍より海軍を重視していた。
陸なら日本はかなり強かったと言えるが、海戦じゃ朝鮮如きに
遅れをとる始末・・・
>>4 > この時代、欧州列強は陸軍より海軍を重視していた。
そんなわけねーだろ。つーかこの時代に欧州列強って、アホかw
日露戦争 前編
ダウンロード&関連動画>> 日露戦争 後編
ダウンロード&関連動画>> 大東亜戦争 大東亜共栄圏 【不屈の武士道精神】
ダウンロード&関連動画>>;feature=related
日本はユーラシア大陸を相手にしてたからな、
遠洋を渡る船の必要性が無かった、当然出遅れる。
日本は弱かったと思う、明の方面軍にボロ負けしてるし
そのくせ中国側の正史である「明史」では
『明は手のうちようがなかった。秀吉が死んだおかげで撤退してくれた』とはっきり書かれているんですがこれは
日本がダメだったのは後方の文治官僚が前線の武将を非難して処罰を扇動したせいで
内紛状態に陥ったのが原因だからな
むしろその状態でも秀吉が死ぬまで持ったというのはすごいことだろう
待てよ。当時の明は(少なくとも量は)世界最強と言っても過言じゃないだろ。
20万の大軍勢をボコれる欧州の騎士()がどこにおんねん。
その明を苦しめてその破綻の一因としたり朝鮮()をフルボッコにしたりしたんだからからその結果に満足しようぜ。
>>14 戦争は数じゃないって事は鳥羽伏見の戦いなど推挙を厭わない
戦争は数で決まる
数を覆せるのは装備性能・会戦時の士気・地勢・指揮官の能力など覆せるだけの状況が整った時だけ。
戦争が物量や兵力で決定されるのは軍事学の基本で、孫子も言ってる
だけではないというだけで数の占める割合が圧倒的に多いのは間違いない
これは軍事学の基本中の基本で、
ナポレオンの戦術も数的優位な状況を作り出すため、大軍を集中して敵戦力の弱点を個々に各個撃破するという
数の理論を生かした戦術だった。
戦力の質(装備、練度や統制など)が同等なら、数が多い方が勝つ
逆に言うと数で劣る方はそれを覆すだけのプラスアルファを用意する必要がある
数は絶対ではないが、重要なファクター
ナポレオンの戦術の基本原則を構成しているランチェスターの法則によると
各軍の実践での戦力比は兵力の2乗×武器性能比で表される。つまり武器性能が2倍程度劣っている程度なら、
兵力が2倍いれば覆せるという事だ。実際には指揮官の戦術能力や軍の統制度、偶発的条件や地勢なども加わってなかなか
原則通りにいかない事もあるが。
>>21 その公式とその見解を合わせると、
兵力100で武器の性能が1の軍隊と、
兵力50で武器の性能が2の軍隊を比較する同等になるってことだと思うんだけど、
10000と5000で後者が負けるぞ
>>22 何がいいたいのかわからん。後者が負けるから
>>21の主張どおりなんだが
あげ足とるようで悪いんだけどランチェスターさんはナポレオンさんが生まれた100年後の人ですよ
ナポさんが言ったとされるのは「戦力=兵数*速度^2」の方
いくら数多くても士気が低いと負けるのは必定
対馬に攻め込んだ朝鮮の大軍が少数の守備兵にボロ負けしてるの見ればこれは明らか
数なんて作戦や士気次第でいくらでも覆せる
そんなゲームみたいに簡単にいくわけないし
士気が下がりやすいのも寡兵の方
実際戦いを見ると寡兵の方が寝返り・抗戦せず降伏、逃亡など非常におきやすく勝っても領土広がらないから士気も上がらず
長期戦になったら糧道断たれたりして簡単に枯渇する
兵力差が覆ってるのは地形による補正が大きい・寄せての指揮官が馬鹿か間抜けで油断してる・寡兵側の戦術があざやか、装備性能に差がある、偶発的条件に見舞われるなど
特定の条件を満たした時だけ。普通にガチンコで正面から同じ条件の兵がぶつかりあえば100%大軍側が勝つのが戦闘
つうか普通に考えりゃわかるだろ。20人と10人に同じ条件で殴り合いさせて10人の方がかつなんてありえないんだし
20人側は10人分の攻撃を20人で分散して受ける事ができるが10人側は20人分の攻撃を集中して受ける事になるし
実践での戦力比は400対100の比になって現れるほど圧倒的に数の影響度は大きい
戦争は数で決まる
数を覆せるのは装備性能・会戦時の士気・地勢・指揮官の能力など覆せるだけの状況が整った時だけ。
戦争が物量や兵力で決定されるのは軍事学の基本で、孫子も言ってる
つうか大軍が大してアドバンテージにならんのなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけ
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
ID:f6aJtU/i
ID:IbDqaSOR
だがは論理破綻してるからすぐバレれるなw
>>30 その明の正史である「明史」には、『明はどうにも出来ず負けていた。秀吉が死んだおかげで撤退してくれた』と書かれているんですが
それは
>>31 明史は明を滅ぼした清が編纂したものです
つまり明治政府が江戸幕府の歴史を編纂するようなもの
>>32 お前は勘違いをしている、明を滅ぼしたのは順、清は順を滅ぼして中華統一した
へぇ
文禄の役の時に秀吉が死んだとは知らなかったな。秀吉の死と遠征軍撤退の時系列を確認したほうがいいぜ。
>>34 文禄の役での日本兵の死者数は5万ほどで、戦場で死んだのはほんのわずか
死者のほとんどが飢えと疫病で死んだ
ルイスフロイスでも書かれてる
戦闘単位では明は日本にボロクソに切り殺されてた
お前の方こそ無知曝け出してる暇あったら勉強しろ
_,,-'' ̄ ̄`-、
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/ ― ― ヽ どぉだいロブ!
lヽ - 、 ! , _ |
|r――-、_⊥ ,――'-、 |,-, 俺たち似てるだろ?
|::::::::::::::::/ |ヽ:::::::::::::::|-|'イ!|
ト、__,,/: |: `、__,,/ ,|ソ/ ―┐ _ _ _ _ ┃┃
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. ', /;';';';';',:, ) ,'\ \ミニヽ、
. ', (iニ=テ7 ,' }、 \ミ二ニ
;, ヾ二フ ,' /::\ \ミニ
/ ヾ、 , , , , , , , , , ,i' /ニ三\ \ミ
ィ ( `(´.)';';';';';ジ /二三二\
/ \\ /_二ヽ__(⌒)/二三二三二\
\ \\( __i_ `)二:三二三二三二ヽ
二\ \ ! : `}ニ三二三二三二三}
三二\ │  ̄  ̄ フ二三二三二三二ニ/
二:三二\/ト、 _` ̄ノ´二:三二三二三二/
疫病はともかく飢えは兵糧の欠乏によるもので
兵糧の欠乏は敵に補給路を攻撃されてることが原因で
なのに負けていないって主張するのはちょっと意味がわかりませんなあ
ぶっちゃけ硝石の自給ができない時点で問題外だよね
弾丸に使う鉛すら国内で完全に自給できない状態だったし
>>39 ヨーロッパのほとんどの国はもともと硝石が産出する土地ではなかったのに
13~14世紀に硝石醸造法を編み出したことで一気に火薬兵器の利用が広がりました
また、インドには天然の硝石が産出する場所があり、ヨーロッパが自給できるようになるまで輸出も行われていました
たしか同じような場所が東南アジアにもあったと記憶しています
当時火薬革命の進む中で硝石を自給できないのはむしろ珍しい出来事だったのではないでしょうか
インドやウクライナから大量の硝石輸入してたヨーロッパがなんだって?
産業革命以前の社会では硝石は自給が大原則ですが?
産業革命後、大量徴兵制度が確立してから硝石は自給できなくなりました。
自給で賄えるほど硝石を自国生産できなかったからです。
硝石が再度、自給できるようになるのはWW1の独以降です。
入手方法はともかく硝石も鉛も必要なだけ有った訳で問題ないんじゃない
本当に必要なだけあったのか?
硝石や鉛が十分になかったせいで滅亡した大名とか居そうだが
火薬の欠乏で戦争の出来なかった大名ってたとえば誰になるのかな?
>>45 毛利家ですら元就時代に既に硝石は自国生産で賄っているからな。
(古文書が遺っている)
とても思いつかない。
>>44 そこで具体的な例が挙がらない時点でお察しという感じだな
『検証・長篠合戦』だと武田方の敗因の一つに慢性的な弾薬の欠乏が挙げられてたけどな
>>48 それが史料に裏打ちされた説ならいいんだがね
>>42 産業革命以前から輸入してる分はなんなの?
江戸時代は火薬が余って花火が発達したんだろ
その頃はすでに年間何tってレベルで硝石を量産してたんだから
>>42の主張は間違いだな
むしろ一向宗ネットワークが硝石の流通を牛耳っていたので
信長の方が窮乏してて、
浅井と対陣している秀吉がなんとか調達してくれって懇請してる書状もある。
信長も細川に調達を懇願しているし。
>>49 天正三年の軍役定書で火薬と弾丸300発分を用意するようにとあるけど
これはそれまでには見られなかった記述で武田氏が長篠合戦後に
弾丸・火薬の不足に危機感を抱いたことを表してるとしてる
>>54 宇田川武久氏は長篠の戦い以後は以前より弾丸・火薬というより鉄炮自体をより重視するようになったと指摘しているね
>>55 それはそれでちょっと変だな
鉄砲の量を増やしたところで火薬がなければただの棍棒だし
>>56 ちょっと言い方がおかしかったか
弾丸・火薬もそうだが鉄炮も一層の増備を求めたという感じ
長篠の戦い以後は鉄砲も弾薬も増やした。いわゆる火力を増強したってだけで、
弾丸・火薬の不足に危機感を抱いたとは読み取れない。曲解だな。
いや、長篠以前には鉄砲を求めることはあっても
火薬・弾丸の数量まで家臣に細かく指示することはなかったんだから
少なくとも一丁あたりの火薬・弾丸の不足に気づき、改善しようとしていたはず
欠乏してるならなら大金のかかる鉄砲は増やさないだろ。
かつかつならただの棍棒増やしてもしょうがないしね
>>60 だから同時に火薬の量も増やそうとしたんだろ
無理して二兎を追うのは良くあること
武田は長篠の後、鉄砲の弾薬を200発分準備しておくようにと軍役の内容を改定している。
長篠合戦の敗因を、戦闘中に弾薬が枯渇したことにあると武田が分析していたのではないか、と類推される内容と考えられている。
>>61 だからそれまでとは違うのは明確に弾丸・火薬の数量を規定したことにあるんだよ
単に鉄砲を増やしてその分火薬・弾丸も増やすってだけじゃなく最低限これだけは無いとダメってことにしたわけ
じゃあ別視点で、
一挺300発の玉薬は小田原の陣前の北条氏の規定や江戸時代の軍役よりも格段に多い
欠乏してるならこんな無茶な要求はしないはず。相手の火力を上回らんが為の増強が主眼と推測する
つかヨーロッパの弾薬定数の数倍か。
実は日本は玉薬天国だったのね。
だってこれ野戦で携帯する弾薬の量じゃなくて銃一丁につき最低これだけを普段から用意しておきなさいよって意味だし
>>66 火薬は戦国時代以前から交易品として輸出してたから
製造や運用自体はかなり古くから有った
戦国期に火縄銃が伝わると需要が増えて
どの大名でも武器としての火薬を製造、備蓄するのが普通になったんだろう
というか炸裂弾のたぐいは戦国以前から合戦に使われていた。
応仁の乱では火薬を詰めた壺に火縄を付けて投石機で打ち出す兵器のことが記録されている。
長篠以後の天正四年の軍役状だけど弾薬の増強だけじゃなくて
「鉄砲上手歩兵の放手あるべし」ということをまず最初に書かれているんだよな
後は天正三年十二月の書状も
「向後長柄を略し、器量之足軽を撰び、鉄砲持参、併て忠節たるべし」
「弓・鉄砲鍛錬なき之族、一切持参せしむべからず之事」
とやはり鍛錬のいきとどいた放ち手とセットにして要求している
ただし弾薬の要求はない
少なくともここからは長篠の敗因が火薬の欠乏ってのは見出しにくい
それよりもまず鉄砲自体とそれを扱う熟練の放ち手を必要としていたのは伝わってくる
火薬がなければ鉄砲の訓練もできないので火薬の欠乏は練度不足にもつながるがな
>>71 つまりそれだけ訓練を要求できるということは
とても慢性的な火薬の欠乏で弱っている様子ではないということですね
ヨーロッパだとまったく訓練しないでぶっつけ本番が当たり前の時期もあったからねぇ
銃兵比率が高くて訓練だけでバカみたいに消費しちゃうからだけど
>>72 慢性的な火薬の欠乏で弱っているから訓練を要求したり火薬・弾薬の数量を規定したりしたんだろ
なんでそんな必死になるのかわからんわ
じゃあ「不十分」とか「不足」とかならいいのか
なんかアホみたいな言葉遊びだな
正直、武田家レベルの大名が火薬の調達に難儀してたとは思えない
大河ドラマの黒田官兵衛で出てた城井氏(宇都宮氏)と言う豊前の山奥の豪族ですら
火縄銃で防戦して黒田軍を撃退してる(史実だよ。しかも長政や後藤又兵衛みたいな戦巧者含む)
無名に近い地方豪族が火縄銃を使いこなせてるんだから武田家なんて言わずもがな
>>77 知らんかったのでググってみたら会戦じゃなく山中でのゲリラ戦なのね
数十人程度で不規則な攻撃を仕掛けるなら火薬の消費も少ないし
武田方の国人衆が似たような戦法で徳川家康を撃退してるから別に珍しい話でもない
>>77 火薬ではなく鉛の確保が難しかったと言われる。武田領内には鉛鉱山がないし、織田ですら
鉛を南蛮貿易に頼っていたフシがある。
>>78 そうじゃなくて、そもそも小規模の山城や砦自体に銃眼を備えてるって所がポイント
地方豪族の建造物に多数の銃眼が備わってるんだよ
この時期の防戦は地方豪族ですら銃前提の設計してるんだから
少量の火薬をピンポイントで使うって意識は無いって思われるんだよ
この手の研究の為に貴重な遺構は残して欲しいけど大河ドラマのお陰で若干整備されてるのが
痛し痒しって所
>>80 その城が小規模なモノなら少量の火薬を使うだけで済む
銃前提の防備=少量の火薬を使うという意識がない
↑
こうなる意味が解らん
>>81 防戦って事は補給が望め無いから貯蔵や運用に有利な武器の方が良い
なら時代的には弓矢の方が準備も保管も楽でしょ
にもかかわらず「銃眼」を備えてるって事はどう言う事でしょう?
ちなみに城井氏の城や砦の銃眼は低い位置(腰より下)に作られてて
弓矢を構えて射るのは難しい事が実験で判明してる
>>82 別に銃を使うこと否定してないんだけど
なんで『銃前提の防備』が『少量の火薬をピンポイントで使うという意識が無かった』ことになるのって聞いてる
少ない武器を頼りに守りを固めるの?
いつも用意できるかどうか判らない武器を使用する機能を城の防壁に組み込む?
普通なら潤沢に用意できる武器をメインに防御すると思うけどね
>>84 その城が小規模なら用意する火薬も少量ですむって言ってるじゃん
いや相手は黒田軍ですよ?周辺の豪族同士の小競り合いじゃないんだから
そもそもこの辺りは大友、毛利等の軍勢とも相対してた激戦地域
周囲を敵に囲まれてても尚、銃を運用出来てたって事です
とても少ない火薬、火力を頼みに戦えるほどの余裕は無いです
いやアンタ自分で『小規模の山城や砦に』って書いてるやん
第一敵が来ることがわかってるなら火薬や鉄砲をできるかぎりかき集めるだろうし
せめて防御側の人数くらいは出してもらわないと困るわ
つーか城井氏っていわゆる戦国大名じゃないのか
なんで弱小豪族ってことになってるんだ?
>>87 当時の(地元の)記録から推定して城井氏の戦力は多くても八百人前後って言われてる
実際は五百人位と思う
ただ従属してた周辺の豪族を含めると千人位かと
これを黒田軍が軍事力で落とせないんだからそれなりの戦力だろう
>>90 んでそのうち何人が火縄銃使ってた?
つか攻城戦なんだから単に中に籠る人数だけでは勝敗は決まらないだろうに
あと城井氏ってほとんど戦国大名なんじゃないの?
>>91 銃眼が現存数で32だから3倍の銃はストックされてたと言うのが有力
なので100~200丁は保有してたと言われてる
ただ周辺の野中氏、長野氏もそれぞれ30~50丁の火縄銃を保有してたのは
記録にあるので大体300丁位は戦力として使えてたのは確か
1丁につきどれほどの火薬を用意してるかは不明だけど
ギリギリの量で運用してたとは考えにくい
因みに何で3倍かって言うと銃眼脇に3丁分の銃を立てかける構造があったから
1丁しか使わないならそんな構造無いからね
ただ、まだ公表されてないから興味ある方は実際に行って見よう!
凄い山奥に並ぶ石垣と銃眼は一見の価値あり
>>92 別に誰も城井氏がギリギリの火薬で火縄銃運用してたとは言ってないし
300丁ほどの火縄銃の火薬が用意できない規模だとも思えない
そもそも東国の武田氏と九州の城井氏の比較に無理がある
>>74 慢性的な欠乏で弱ってるなら訓練で消費するより
戦以外では極力節約する方向に行くわな
火薬の量に関しては困っていないから日頃から火薬を消費して
訓練しろと通達できるわけで
>>95 慢性的な欠乏で弱っていたから戦以外で消費しようとせず
その結果訓練不足だったんだろ
それを解消しようとして硝石確保+訓練推奨したと
>>96 え?鉄砲の要求とセットにした熟練の放ち手の要求は信玄存命時の
永禄十二年の文書からあるけど
もしかして武田関係の史料はここに上げられた分しか見てないの?
>>94 そうかな?そもそも城井氏は関東出身で戦国期も関東の宇都宮氏とも
書簡のやり取りはしていたよ
だからこそ関東の軍備にも有る程度通じていた
城井氏がここまでやれて武田が出来ないって方が無理があるかと
天正四年の軍役状には弓に関しても
一、弓上手之射手、うつぼ・矢根・つる不足なく支度すべし
とあるわけだが、長篠の戦場で弓矢に関する道具が不足したのかな?
用具が慢性的に不足していたせいで射手が訓練不足だったのかな?
>>97 永禄10年の書状でも鉄砲の訓練を推奨してるけど?
つかむしろ永禄12年の書状だと鉄砲と火薬が不足していることが読み取れるんだけど?
「知行の鉄砲が不足しているのでなお用意するように、火薬の調達ができるものはそれを報告するように」とあるじゃん
>>98 「城井氏が関東の軍備に通じていた」=「武田氏が火薬を十分量用意できた」ってこと?
ごめん意味不明
>>99 矢数を具体的に指定して「これだけ用意するように」とあったら矢が不足してたのかな?と思うよ
>>101 城井氏が出来て武田氏に出来ないって理由は?
>>100 それ普通に読めば足りてないのは鉄砲の数だよな
その上で火薬も要求してるわけで
鉄砲の数に対して火薬が足りてないなら欠乏だけど
鉄砲の数を増やしその上でそれに使用する火薬を要求してるわけだから
>>101 >矢数を具体的に指定して「これだけ用意するように」とあったら矢が不足してたのかな?と思うよ
つまりその理屈では弾薬の具体的な量を指定して「これだけ用意するように」とは書かなかった
永禄12年の段階では火薬は不足していなかったことになるね
>>102 立地と用意しなければならない量
>>103 単に対応した量だけ増やそうとしてるんじゃなく
調達できる人間を探そうとしてるんだが
普通に考えれば調達できる人間に火薬の用意をさせようとしていると考えるだろ
>>104 そもそもが長篠合戦で武田側が弾薬の不足を戦訓として得たんじゃないかってところからこの話は始まってるんだけど
そういや豊臣と対立した明と宣教師が硝石止めて日本をひやがらせてやるぜって
策謀したけど何ともなかったな
結局一部の人が史料をそう解釈しようとなんとか頑張ってるだけで
火薬不足で苦しんだ勢力ってのは具体的には見当たらないんだね
むしろそう解釈したくない人が頑張っているように見える
というか鉄砲・弾薬の不足だったらだれも否定しないんじゃないか
長篠合戦以後の文書にそれ以前の文書では見られなかった弾薬数を指定しての備蓄命令が出てるのに
弾薬不足で苦しまなかったと解釈する方に無理があるわ
単に相手を言い負かしたくて必死になってるようにしか見えない
武田の軍法は長篠合戦以降は全般的に細かくなってるからなんとも
全般的な不足というなら超大国VS大国の戦力差を埋めようとした努力の一環としての意味しかないし
信玄時代に知行分だけ要求ってのに具体性がなく量にもばらつきがあったんで
勝頼時代はその量を明文化したと見ることができそう
武田が苦心してほうぼうに硝石を求めていたという証拠がないんだもんな
>>111 他の武器に対しても要求が細かくなってるしね
勝頼期軍法とえば野糞の規定も出てくるけど
長篠合戦以前は陣中はきれいにしろとしか書いてなかったが今度は野糞の場所まで指定してきたから
長篠の戦いは野糞で負けたと解釈するすべきって考えなのかな
>>113 長篠の後それまで従軍に適さないような連中まで強引に動員して兵力保持してるから、そういう戦場慣れしてない
連中のための規定だろ。常識的に考えて。
じゃあ弾薬も適正備蓄を知らない奴が増えたから、
そういう戦場慣れしてない連中のための規定だろ。ってことね。
元亀4年 武田家朱印状 『新編会津国風土記』
一 鉄砲之薬、侍大将陣配当之儀は勿論候、雖然如近年者、自然之時節
欠乏候者、則凶事之基候之条、知行役相当ニ玉薬支度之事
天正3年 武田家朱印状写 『続錦雑誌』
一 貴賤共分量之外、鉄砲之玉薬支度、可為忠節之事
武田は火薬が豊富にあったんだなあ(棒)
戦争になれば物資は幾ら有っても足りない。
ヨーロッパ諸国だろうが戦争になればガンガン輸入し始める
基礎から教えなければならんの?さすがにめんどくさいわ。
>>117
もう一回読み直そうぜこれ
一 鉄砲之薬、侍大将陣配当之儀は勿論候、雖然如近年者、自然之時節
欠乏候者、則凶事之基候之条、知行役相当ニ玉薬支度之事 ああごめん誤字ってたわ
誤字ってたから文章の意味が解らなかったんだな?
正しくはこう
一 鉄砲之薬、従大将陣配当之儀は勿論候、雖然如近年者、自然之時節
欠乏候者、則凶事之基候之条、知行役相当ニ玉薬支度之事
原文読まずにここの情報だけで反論してくる奴ってなんなんだろう。馬鹿なんだろうけど。
>>120
嫌だからもう一回これ↓読み直せってのw
一 鉄砲之薬、侍大将陣配当之儀は勿論候、雖然如近年者、自然之時節
欠乏候者、則凶事之基候之条、知行役相当ニ玉薬支度之事
漢字で書いてあるんだから読めなくてもある程度は理解できるだろ 大将から支給分は無論のこと、近年の情勢から、玉薬がなくなると、凶事になるから、知行分は準備しとくこと
んで?
×「玉薬が無くなると」
○「玉薬が無いので」
なんで豊富にあるはずの玉薬がなくなるんですかねえ……?
ひょっとして……玉薬が不足していた可能性が……?
いやでも基礎(笑)を十分承知なはずのID:IVI+1hnHさんがそんな簡単な論理も理解できないバカなはずが……
誤字というから書籍で確認してきたが
「玉薬が無いので」でどうやって読んでるの?そもそも誰が無いつってるの?
>>116 新編会津国風土記って江戸時代の書籍じゃね?
元亀4年になんで会津に武田が?
>>125 欠乏←これが どういういみか しってる?
わからないなら おとうさんか おかあさんに きいてね
>>126 新編会津国風土記は古文書や旧家の文書を載せてるからその関係じゃね?
>>130 は?
もうめんどくさいから『書籍で確認』してこいよ
どこの書籍か知らないけどさ
>>131 いやいやそこに掛かる言葉を提示しないと「欠乏」だけじゃわからないだろ
欠乏してる、欠乏しなかった、欠乏しそう、欠乏かもねとか続いたらどうするねん
>>132 「欠乏候者」←これがわからないのか……
『基礎から教えなければならんの?さすがにめんどくさいわ。 』
>>133 よんでみwいいから読めるなら詠んでみw
>>134 いやもう本当にめんどくさいからいい加減にしてくれ
【候】
補助動詞特殊型
活用{さう/さう/さう/さう/さうへ/さうへ}
〔動詞の連用形、またはそれに助詞「て」「で」などが付いた形に付いて〕…ます。…です。…であります。▽丁寧の意を表す。
【者】
接続詞
…というわけで。…という次第なので。
ハイこれでこの話題終了
以下徳川家康の脱糞について語る流れに↓
>>136 マジで意味が解らないんだけど書かれてもいない文字を幻視しちゃってるの
怖いんだけどこの人
あ、徳川家康のウンコは下痢便だったそうです
「候者」これだけなんて意味か言ってもらえるだけでいいんですけど
「候者」=「候ハバ」=「そうらはば」
ならば、でありましたら、もし~でしたら
「欠乏候者」=欠乏したら
宇田川氏が『鉄砲の伝来』40ページで
「不足したら凶事のもとであるから、知行役相当の火薬を用意せよ」
と訳してる箇所か。
何をもめてるんだ。
平山優『検証長篠合戦』111Pの読み下し文で
候「者」を省いて書いてあるのを鵜呑みしてしまった模様
>>143 明と属国に勝ち目はなかったが秀吉の死で戦争は終わったと
「明史」に書かれるような戦いのこと?
>>144 朝鮮出兵の際に日本軍が補給途絶に苦しんでいたのは明らかでは。
明史の作者は軍事が全く分かってないから、そんなことを書いているのだよ。
脱走兵も相当いたらしいな
本当にやる気なかったんだな
>>145 何しろ朝鮮国自身が李氏朝鮮の王室の搾取で疲弊しきっていましたから。
毎年、何万人も餓死者を出していました。
それなのに秀吉は日本と同様の感覚で兵糧等は現地調達しろと厳命。
そりゃ、兵士もやる気をなくします。
仮に武田側が長篠の戦いで弾丸・火薬を欠乏していたとしても、
それは吉田城や長篠城攻めで既に相当数を消耗したからでは、
長篠前から弾薬確保難しくなりそうなんで各自自前で調達してねって文書あるし
弾薬が不足しがちだったのは確かだろう
武田領内で硝石が産出してたって話も聞いたことがないし
火縄銃を増やしていく過程で弾薬の方が足りなくなったという感じじゃないかと
武田が硝石欠乏に苦しんでいたと頑張ってた人逃亡しちゃったの?
>>弾薬確保難しくなりそうなんで
かってに願望で文章を追加するあたり
さすが織田チョンクオリティwww
武田家でこれからも渡すけど、武士のたしなみとして
自分らも用意を怠るなって書いてるだけだし。
むしろ信長の方が細川に鉄砲衆と火薬を集めてきてくれって流篠前に哀願してるし
浅井と対陣してた秀吉も商人の今井にくれぐれも頼みますって火薬調達を哀願してるじゃんwwww
紀伊・大和南部・伊勢南部・河内南部・和泉南部を支配圏としていた紀州一揆軍に大坂本願寺が後援を受けていて
大坂制海権を握られ、織田は火薬調達が困難になっていた証拠とされてるんだがwww
実は武田騎馬隊がいたことになってるらしいけど
歩兵の対騎馬戦術ってどれくらい進歩してたん?
>>156 陣構えが乱れないと騎馬突撃が出来ない程度には
>>157 正直騎馬突撃の規模もよくわからん
北条家の岩付衆以外に数百以上の騎馬隊がいた例ってあるの?
>>158 甲斐国に関しては、江戸初期の記録では甲斐で飼育されていた馬の頭数は長篠の軍勢全員を騎馬にしてもお釣りが来るほどなので、
そのうち数%が軍馬と成ったと考えても、充分数百規模の騎馬部隊が編成できるポテンシャルがある。
>>159 ポテンシャルはあってもそれが実際になされたかはまた別の話じゃない?
実際の編成が岩付衆以外でどうなってたかを知りたいんだけど
包括的な編成表が岩付のしか残ってない
唯一の例に騎馬隊があるなら他でもあったんじゃね程度(ただし臨時編成として)
まあ北条で騎馬部隊が編成されていたのなら、馬の産地である甲斐でそれが編成されない理由は見当たらないからなあ。
雑兵物語などの、当国では騎馬で突撃する戦法が恒常的に行われていたという記述、また東国ではすでに兵種別に部隊が編成されていた
事実も含めて考えれば、甲斐武田家で騎馬部隊の編成が行われていたと考えても特に不自然ではない。
ちょっと前に出た藤本正行の平山批判本でもそうだったけど
騎馬隊に関する議論は、気を付けないとすぐにかみ合わなくなるよね
騎馬隊否定論者は、近代的な騎馬隊など戦国時代に運用できるわけがない、といい
肯定論者は、状況に応じて騎馬のみをより集めた部隊による軍事行動はあった、といい
否定されているものと肯定されているものが別物なんだもの
藤本はわざと分かり難く書いてて釣られた相手を煽るという炎上商法やから
>>162 甲陽軍鑑では「騎馬隊なんてなかった」つってるぞ
岩付衆の場合だと馬上の装備もバラバラなんだよな確か
少なくとも突撃一辺倒なわけじゃなくちょっと前の時代の西洋騎士のように馬上でも下馬しても戦う感じだったんだろうか
>>168 一つのことに特殊化した兵科なら武器が自弁でもそのことに特化した武器を
みんなが持つようになるから結果として全員がほぼ同じ装備になる
ところで槍兵の戦列って何列くらいの厚みだったの?
>>169 武士は基本的に何でも屋だから
一列横隊か二列
>>173 それいくらなんでも薄すぎないか
騎兵突撃に対抗できそうもないぞ
ちなみに当時のスペインの野戦方陣の場合だと16~22列くらいだったみたいだ
勿論ケースバイケースだから状況によっては多少変化するだろうけど
>>174 侍部隊が攻めてきたら侍部隊が迎撃に出るのが日本の戦い方
もともと騎兵突撃をガチっで受け止めようっていう陣形じゃ無い
>>176 それなら足軽とか使わずに侍だけで戦ってれば良かったんじゃね
それに実際は
>>157にもあるように敵の陣形が乱れたら騎兵が突撃、って感じだったんだろ?
なら当然崩れない陣形には騎兵突撃は無効だったはず
でも陣形が一列や二列なら騎兵突撃は十分有効なはず
実際はもっと厚かったんじゃないの
相手の足軽や少数の騎馬に陣形崩されても良いなら侍だけで戦えばいいんじゃね
また縦深のある方陣引いたという記述があればどうぞ
ないなら多少デフォルメされてたとしても屏風絵絵巻にある様な横隊と考えるべきやね
>>178 足軽や騎馬には侍が対抗しちゃいけないってルールでもあるのか?
つかそれこそ侍に対して足軽や騎馬が対応すればいいだけの話だろ
騎兵突撃が普通に行われてたのに対して対騎兵戦術が全く発達してないのはおかしいって話
縦深が一列や二列しかないのに騎兵の突撃を止められるっていうのはいくらなんでもおかしいだろ
絵巻では単に省略して画かれてると考えた方が筋が通るんじゃないか
何言ってるかわからん
じゃあ徳川元和軍役規定で最低限備を組める1万石クラスだと総勢約250名で鑓50本うち3割持槍として長柄は35人
長柄35人で備を守る陣形を組んでみよう。横隊にしかならんよね
>>180 足軽は集合すると軍役主体から引き離されて兵種別に再編成されるんだが。
だから単独で最低限の備えを組める大名クラスの1万石を例に出した
軍事学スレ次スレ建てたほうが良かったかなもしかして
>>180 対応する騎馬が14騎しかいないんだから小競り合いレベルにしかならんだろ
その程度ならそれで十分じゃねえの
ただ岩付衆みたいな数百騎規模の騎馬相手にしたらそんなわけにはいかないわけで
>>184 岩付衆のアレ、続く例が全く無いから致命的な欠陥があるのでしょう
>>184 軍勢が大きくなっても割合は変わらないわけですべてを小競り合いで済ますのは乱暴でしょう
岩附衆のは騎馬を引き抜かれた部隊は騎馬無しになってしまう諸刃の剣で
今回限りの臨時編成だからおいそれとはできない物で例外と言えるもの
>>185-186 ということは数百騎規模の騎馬隊はかなり珍しい例だったということ?
じゃあ通常戦場ではどれくらいの規模だったんだろう
>>187 そもそも「通常戦場」なんてものは存在しない。
戦場は地形、情勢で全部異なる
通常戦場っていう戦場じゃなくて「通常、戦場では」な
紛らわしくてスマン
>>189 まあ場所も状況もそれぞれの合戦で全部違うのだから、騎馬部隊を編成するのがいいと考えればそれが編成されるし、必要ないと考えられれば
編成されないだけの話かと。
兵種別の部隊を常に一定数常備している近代軍隊と一緒に考えない方がいい。
>>187 北条の他の武将に出された軍役状だと平均騎馬率は10%ちょっと。
武田上杉徳川も近い比率なので騎馬率十数%が東国の通常編成といえる
岩附衆は騎馬率が戦闘員の半数近くでこれらから大幅に超過してて異常
しかも今回限りと断り書きがある臨時に編成されたものと推測できるもので
長篠で織田が近畿各将から鉄砲隊を引き抜いて臨時の鉄砲隊を組んだのと同じ事と思われる
引き抜かれた武将は戦力が低下するリスクがあるのでしょっちゅうやるわけには行かないだろう
今のところ史料も1例しかないし
>>189 東国系の通常の編成は
騎馬10%強、長柄・持ち槍60%、鉄砲弓15%強、残りは旗や手明歩者などで
数百人規模の備といわれる大隊クラスの部隊を編成する感じ
あと比率の傾向としては後年になるにつれ鉄砲大目、西国は騎馬少な目
実際の戦場自体はこの規模の大隊同士の勝ち抜き戦とも言われる
こうしてみると「なぜ数百騎以上の騎馬隊が編成されなかったのか」って問いは
「なぜ日本では歩兵と騎兵の分離が行われなかったのか」って問いと同義なのかもな
そもそも大規模な騎馬隊を展開できる地形が少ない。関東の一部くらいだ。
数千騎とかならともかく数百騎程度なら大規模でもなんでもないと思うが
例えば数百台の車が一斉に走り回れるような土地が日本にどれだけあるか。そういう想像力を働かせるべき
つか西洋でも「総数」はともかく、局地戦で数百も騎馬隊配備するなんてのはめったにないぞ
例えば騎兵の正面占有面積が2mだとすると200騎×2の合計400騎の騎兵隊がいたとして
それぞれが4列の横隊を組めば50m×2=100mが正面の面積になるわけだけど
日本の土地はその程度の騎馬隊も走り回れないくらい狭い土地ばかりだったわけ?
あとヨーロッパじゃ普通に騎馬隊1000騎以上配備されてるよ
Battle of MookerheydeとかBattle of Gemblouxで
>>197 典型的な卓上の空論だな。馬が収容できる、というのと戦場で運用できる、ってのは全くの別物だろ。
あと一部の特異例を上げて全体がそうだというのも典型的な詭弁だなあ。
>>198 旋回半径や歩兵の存在とか考えても敵味方合わせて2キロ四方の戦場に収まると思うが
この時期のヨーロッパで数百騎以下の騎兵の運用なんて聞いたことがない
俺の挙げた例を特異例と呼ぶならそっちがヨーロッパで行われた数百騎以下の騎兵の運用を挙げてくれ
>>165 甲陽軍鑑とフロイスの誤読はいいかげんどうにかならんかね
甲陽軍鑑もフロイスも読んでない。それどころかネタ元の藤本本も読んでないちゅう
まぁクソ藤本がミスリードさせてるのがそもそもの原因だけど
>>202 >>203 おまえ甲陽軍間読んだことないだろ。
品第十四は「強すぎたる大将の事」だぞ。
>>205 後半に長篠に触れている。
強すぎたる大将=勝頼だかんね
>>205 お前いま顔真っ赤っかだろw
仮に俺の主張が崩されることがあったとしても、お前が一番恥ずかしいことに変わりはないんだからな!
多分
『天正三年五月廿一日に合戦有りて、三時ばかりたたかふて柵の木際へをしつめ、右は馬場美濃、二番真田源太左衛門・同兵部介、
三に土屋右衛門尉、四番に穴山、五番に一条殿以上五手、左は山縣を始て五手、中は内藤、是も五手いずれも馬をば大将と、
役者と一そなへの中に七八人のり、残りは皆馬後にひかせ下りたつて槍をとつてそなへにかかる。』
の描写だろうけど、これはわざわざ馬から降りたってことを描写している以上、通常は騎馬し戦っていた事を裏付ける
内容だと現在は考えられているぞ。この『天正三年五月廿一日の合戦』の特殊例。
そもそも騎馬して戦ってる描写は甲陽軍鑑には他になんぼでもあるのに、それをわざと無視しているのがたちが悪すぎる。
なんでこんな時間帯にこんなに一気に書き込みがされるんだこのスレは
品第十四では「長篠には騎馬十騎も並べれる場所が無いので下馬して戦った」と、
ちゃんと説明がある上で、下馬して戦った、長篠で騎馬突撃したってのは偽言と言ってるわけで
そこを省くのは詐欺以外の何物でもない
甲陽軍鑑もフロイスも詐欺藤本本すら読んでない
>>202は何かあるかね?
三方原あしがかりなけれども、ここにさえ馬を入れず候。
>>210 「場所がないから下馬して戦った」なんて書いてない
三方原のくだりではその後、
「そもそも三方原では槍合わせがあったのはお互い知ってるだろう。騎乗での槍の戦いなど聞いたこともない」
と皮肉っぽく続く
明確に騎馬隊突撃を否定してる。どころか単騎で槍持って戦うってことすら無かったと
「刀の騎馬隊があったんじゃないか?」って疑問が出そうだけど、
こんだけ口うるさい甲陽軍鑑の作者がそれをスルーするかなぁ
>>211 長篠合戦場、馬々を十騎とならべてのる所にてなし
あるよw
>>213 その文章から、「長篠に馬を並べる場所が無かった”から”降りて戦いました」を導くことはできないのよな
まぁ甲陽軍鑑を読んでないなら意味が分からないよねって話だよねぇ
あー煽り始めちゃったもういいや
見てる人分かるだろ。俺は冷静に話進めようとしてた。俺が煽ったのは一人だけ
>>217 よくわかんないなぁ
>馬の数を問題にしている以上、「馬をいるる」は馬と一緒に突撃することが前提になってる
なんでそうなるんだ
>残りは皆馬後にひかせ下りたつて槍をとつてそなへにかかる
で降りてる描写もあるのに
>馬が十騎しか並べられないような狭い場所だから、「馬入り」しないといってるってことは
>馬入りする場合は、もっと多くの馬で行うってことを前提にしていることになる。
前提は、「広いところも狭いところも馬入りなんてしない」だろ、その後の三方原がそう補強するように。
>
>>839の理解を前提にざっくり意訳すると
の以下の文章も前提が曲解的過ぎるから
「そう読み取れないこともない
(ただし原文に『武田家が騎馬突撃する際は、場所や状況を選んで慎重に行うもの』という記述はないけど)」としか言えない
>>218 何かかみ合ってないような気もするけど
前段部分にかんして、原文の中で話題になっている「馬をいるる」っていうのは
どういう意味だと解釈しているの?
簡単に、シンプルに、疑問を書くよ
「長篠でもやってなかった」って書いてある
「三方原ですらやってなかった」って書いてある
じゃあどこでやってたんだよ、って話よ
考え方は2つある
「甲陽軍鑑は創作」として完全に切り捨てるか、
もしかしたら、作者が見落とすほどの、十数騎を一塊にした臨時の小規模な編成はあったかもしれない
でもそれでは恒常的に騎馬軍団があったとはいえない
>>220 信長公記を元にしてるんだから、「騎馬突撃」「乗崩」のことでは?
>>221 甲陽軍鑑の他の箇所に騎馬突撃の記述たくさん出てるだろ。
読んでないからかみ合いようがない
>>222 「馬をいるる」を「騎馬突撃」を意味する単語だと解釈しているなら
>>218の前段で
>>なんでそうなるんだ
って言ってる意味が分からんのだけど
あと
>>信長公記を元にしてるんだから
って、甲陽軍鑑の記述は信長公記の影響を受けているってこと?
どなたの論文にそういったことが書いてあったか教えてほしい
あおりではなく真剣に
>>224 >馬の数を問題にしている以上
してない。10頭も馬を並べられないっていう地理の話だから
>「馬をいるる」は馬と一緒に突撃することが前提になってる
甲陽軍鑑は「馬を入れてない」って立場なんだからそんな前提そもそも組み上がってない
>甲陽軍鑑の記述は信長公記の影響を受けているってこと?
そういう全体の話じゃなくて(参考にはしてると思うけどw)
「惣別、信長家には弓取りの虚事多し」
で、このあと信長公記の桶狭間の数字、合戦の誇張を書き、
その流れで、「武田武者馬を入るるという儀、それも虚言なり」って続いてるんだから、
当然ここは信長公記(信長記?)の長篠のくだりを前提にしてる
一応聞くけど、甲陽軍鑑の第一四品読んだよね?
長篠の戦いに騎馬隊が無かったって甲陽軍鑑は書いてあるが最大の理由は、
「場所が狭かったから」じゃない
三方原ですらやってないんだから、「そもそも武田軍の会戦のシステムに騎馬隊が無かった」ってことだろう
参考にしてるというなら甫庵信長記の方やね。信長公記じゃない
参考にしてるというか甫庵信長記は嘘だ!とぶちぎれてるのが品第十四の終わりの部分
>>226 甲陽軍鑑には騎馬突撃の記述があるちゅうの。読んでるなら分かるだろ・・・
なぁ何と戦ってるん?
>>225 信長公記って甫庵の方のこと言ってるの?
太田牛一の方は当時一般に刊行されてなかったし、
たとえば甲陽軍鑑では「今川の人数6万にかちたる」といってるのに
今川の兵力を4万5000といってて、太田の方の信長公記の影響を受けていたとは言い難いんじゃないかな
甫庵の方は手元にないから知らんけど、成立年代的に無理があるように思う
酒井憲二の甲陽軍鑑大成研究編、分厚いけど非常に綿密に検討された論文集だから
甲陽軍鑑の成立に関して述べるなら一度読んでみるといいよ
藤本と平山の論争もそうだけど
各々が異なるイメージ、定義の「騎馬突撃」「騎馬隊」を語ってるからなぁ
とりあえず甲陽軍鑑の中で複数の騎馬兵が一度に騎馬突撃している描写を一例あげとく
流れがわかるようちょっと長めに
巻16軍法之巻下
(小幡山城守が一日のうちに4度の合戦で4度の優れた高名をあげたとの紹介に続き)
四度目に、信玄公御旗本衆の惣馬にて入くずし給う時、
件(くだんの)山城守、前三度之合戦で3か所手負い、しかもほんの高名三つ迄仕レ共、
又諸人にすぐれ、一番に馬を以、多勢の中へ乗入れ、てきの足軽大将と、馬上よりくミ落、
此方勝合戦の故、又高名いたし、其身七ヶ所手をい、馬にも鑓きず六ヶ所有。
騎乗したままの戦い方として、大きく分けてこの三種類が甲陽軍鑑には記載されてる
例が多すぎるから一部だけ
・敵の馬上の騎馬武者と「くミておち」(巻9ただし上と同じ逸話と横田彦十郎の逸話、巻10小幡又兵衛の逸話)、
「馬上より、組うちにしたる」(巻10)
・敵の足軽等歩兵を「のりたを」し(巻7)、「のりころば」(巻15)す
・馬上にてハ「きつておとし」(巻9)、五騎の内一騎、「切りおとし」(巻14武田勝頼の逸話)
ちなみに組み打ち、切り落としはどちらも主語の人物が騎乗している描写につづく例のみをあげたよ
他は自分も「おち」てるわけだから馬に当然乗ってる
組み打ちと切り落としってことは槍は使ってなかったの?
甲陽軍鑑の中に馬上で鑓をふるって武勲を挙げた記載は、正直例がぱっと思いつかない。
ちゃんと探せばあるのかもしれんけど
馬から降りて鑓で戦って高名を挙げる話は、それこそ山ほどあるけど
統計とったわけじゃないけど、昔全体読んだときの印象としては
騎乗で騎馬兵と戦う時は、基本組み打ちしてて、
双方4から5騎くらいの少数の騎馬同士が斥候とか殿とかで遭遇戦になった時は斬りあってる感じだった
徒歩(かち)の兵と騎乗して戦う場合は、ほぼ必ず「のりたを」したり、「のりころば」そうとしてる
これはたぶん馬自体の重量、スピード、大きさを武器にしてるんだと思う
ただ組み打ちする前に接敵するために、敵陣へ「乗入(のりいれ)」たり、「入くずし」たりするわけだけど
あるいはこのときに鑓を持ってるのかもしれないし、持ってないかもしれない
騎兵と騎兵が戦うときにリーチの長い槍を使わないっていうのは変な話だな
騎兵の主武器は鎌倉期は弓、南北朝期は大太刀(最大刀身2メートル以上)。
槍はなかったわけではないが他の打ち物の方が使われていた模様。
槍の利点って単にリーチだけじゃなく鐙使って体重かけることで穂先の一点に
馬と騎手のスピードと体重を乗せられることにあるんだよ
ぶっちゃけ刀とは比較にならん破壊力
弓が使われてた理由はリーチだろうけど槍が使われなかった理由はよくわからんなあ
甲陽軍鑑がたびたび強調してるのは、馬上は不安定だから、
徒歩の敵と騎乗したまま真っ向から戦うのは不利だ、って点
たとえば具体的な逸話として、今井伊勢守が、馬からはぐれて一人で退却する敵の侍を
馬で「乗りころばさん」としたら、その徒歩の侍が鑓を構えて突き落とそうとしてきた。
馬から降りた侍は「はたらきじゆふ」(働自由)なのに対し、馬上は「ふじゆふ」(不自由)だけど
馬に乗って逃げるのは「ひきやう」(卑怯)だから、
知り合いのふりして話しかけて時間を稼ぎ、
その間に駆け付けた徒歩の部下たちを使って敵を打ち取った(巻15)
っていう、甲陽軍鑑は激賞してるんだけど、かっこいいんだか悪いんだかよくわからん話が載ってる
>>235 甲陽軍鑑の記述のうち、「鑓」「やり」っていう単語が出てくるヶ所を130か所程度
見返してみたけど、馬上で鑓を使う描写は見当たらなかった
騎馬兵同士が一定の距離から互いにランスチャージしあうような場面もそもそもないように思う
一定の距離で騎馬兵同士が向き合った場合、攻撃側は馬で「乗り入れ」てくるけど
迎え撃つ側は、大体歩兵に守られているか、馬からわざわざ降りてから戦ってたりする
たとえば、板垣信形の命で不用意に物見に出された60騎が、敵200騎に追われて逃げてくるのを
横田美濃守が同心2~30人とともに待ち受けて助けた場面で
横田は、馬で「乗りよせ、敵ちかくにて馬よりをりたち」鑓で敵4騎を「つゐておとし」
再び騎乗して、武者ではなく、馬を突くよう同心に指示して、敵を撃退してる(巻9)
ちなみに
>>239の話で、逃げてきた大物見の騎馬60騎には
「かち(徒歩)者壱人も添」えられていなかったから
指揮官である板垣の甥にあたる荻原与惣左衛門が、
敵は弓矢巧者で地の利もあるから
弓・鉄砲衆を一人も添えず、鑓もちを一人もめしつれないのは危険だ
大物見は止めて一人か二人気の利いたやつを偵察に出すべきだ、と諫言してる。
つまりこの大物見は純粋に騎馬しかいない部隊でおこなわれたことになる
通常の運用ではないんだろうし、甲陽軍鑑の信憑性についてもいろいろあるけれど
天文期の出来事として、こうした兵種をそろえた部隊が選抜運用されていた
っていう記録があるのは、騎馬兵がどのように運用されたか、戦国時代の軍隊がどのようなものであったか
考えるにあたり、結構意味があるんではなかろうか
軍鑑は相手を崩してから騎馬突撃をしろというスタンスだから
太刀サーベル騎兵での乱戦主眼の運用だったのかもな
ヨーロッパの胸甲騎兵はサーベルの他に対騎兵を想定してピストルを持ってたから
槍が使えなかっただけなので別に乱戦主眼にしてたわけではないんだけど
サーベルだけじゃ突撃衝力が足りないってことになって結局槍騎兵復活してるし
つまり槍持たない理由になってない
ヤリ持ってで突っ込んで行って足軽の持ってる3mとかのヤリに
刺されたら恥ずかしいだろ
歩兵より長い槍を持てばいいんじゃね?
>>10 おいおい、文禄慶長の役で、朝鮮に送られた明軍は、
明全土から集められた精鋭だぞ。
日本軍対明軍は主な戦いで10戦あるが、
日本軍9勝
明軍 1勝
その1勝ちでさえ、明朝鮮連合軍61000人が1万人前後の小西行長軍を
和平と偽って騙し討ちにしたものだ。
それでも小西行長軍を殲滅できずに城を明け渡す方針に切り替えて城を奪還したんだよ。
明軍も大損害を出している。
>>32 いや、李氏朝鮮の記録を読めばわかるけど、
慶長の役後に行われたの総括でも、
明史に描かれているような認識だったよ。
小早川隆景に惨敗した李如松って中国では有名な武将ぽいよね
Wikipedia中国語や百度百科だとかなり詳しく紹介されている
李如松が戦った平壌戦の経緯。
平壌城攻防は、小西行長が
アホみたいに律儀にも明との和平交渉を信じ込んでて、
これまた停戦期間が過ぎても、進撃もしなかった
斥候を出すようなこともしていなかった。
そんな中、李如松率いる61000以上の明と朝鮮連合軍に
小西行長軍8000~15000は奇襲攻撃された。
1・和平と偽って騙し討ちで奇襲
2・奇襲かつ4倍近い兵力で挑んだものの大苦戦で、小西軍を殲滅できなかった
3・日本兵一人を討ち取るのに明軍5-6人を失うと記される小西軍の勇戦。
4・結果、明軍は3000の死傷者を出し、4人の武将も負傷している
5・明軍が得た1285の首級の半数は朝鮮人の首(偽の戦果報告のため)
詳細は以下で。
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcf9hyw5e そして日本軍が占領しているソウルまで落とすと豪語したけど、
日本軍に碧蹄館で返り討ちに遭って大敗した後は、
泣きをいれたり、ファビョツたり、
病気(仮病)になって戦えないと明本国に報告したりと情けない。
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffct5jbopc 李如松を英雄と呼ぶにはちよっと情けないポカが多いな。
相手が悪かっただけやね。
ご自慢の騎兵が主力なのに、鉄砲と地形を使って騎兵を封じ込まめるのが得意な相手と戦わなければいけないなんて不運だったね
明軍が関わった数万単位の合戦で、明確に明軍の勝利と
言えるのは第三次平壌攻めくらい(おまけに不意打ち)
第二次平壌の戦い(日本勝利)
第三次平壌の戦い(明軍勝利 勧告により小西が城を明け渡す)
碧蹄館の戦い(日本勝利)
稷山の戦い(日本勝利)
南原城の戦い(日本勝利)
第一次蔚山(日本勝利)
第二次蔚山(日本勝利)
泗川 (日本勝利)
順天(日本勝利)
露梁(日本勝利)
露梁について補足。
明軍、朝鮮軍、日本軍の2倍の兵力&待ち伏せの好条件ながらも
小西軍、島津軍を殲滅できずに取り逃がす。
朝鮮軍主将の李舜臣が戦死 明軍副将の�眷子竜が戦死。
特に慶長役で明軍が負けた戦いは、いずれも明史、朝鮮王朝実録などで
大敗、大損害、人が溶けたと表現されるくらいの潰走っぷり。
第二次晋州城攻防戦では明軍救援に赴かず(または秀吉軍に撃退されたとも)
南原の戦いでも付近にいた陳愚衷旗下の明軍3000千は動かず、
南原が落ちると、これも付近にいた朝鮮軍1000とともに散り散りになって逃げた。
戦意も低く、日本軍を恐れているのがわかる。
明軍が戦果を強調しているのは日本軍の先鋒(黒田軍内の先鋒隊)に対してのみで、
「天安 大軍, 卽刻雲集, 衆寡不敵, 各自退守。 解摠兵 等四將, 去夜發 稷山 前來, 唐兵亦多死者云。
(宣祖実録9月9日)」とあるように、戦場に黒田軍本体、さらには毛利軍が駆けつけるに及び、
明軍は数的劣勢に陥ったため退却し、また多くの死者を出したことも記録されている
>>252 つまり兵数が優位な時は勝って、同数の時は互角で、劣位の時は敗けたという普通の話
スペインヤポルトガルとガチで戦ったら戦国大名が連合したところで惨敗だろ?
ヨーロッパに攻めこむならそりゃまあな。たどり着けるかも分からんレベルや
>>253 苦しい言い訳だなぁ。
順天 明朝鮮軍54556人 小西行長軍13,700人
泗川 明朝鮮軍40000人 島津義弘軍6000-7000人
蔚山 明朝鮮軍30000人 加藤清正軍10000人
すべて日本の勝利。
>>247のURL先に面白い話が載ってんなw
精鋭の明軍1000人が、たった30人の日本兵に
リアル無双されまくって200人以上も死ぬとかw
大航海時代のガレオン級イスパニア南蛮大型船クラスの艦船を揃えて
肥前名護屋から釜山程度の兵站線を維持できなかったというのは
あまりに奇々怪々
さすがにそれは渡海した西国緒将も三成憎しは当たり前か?
実際のところ三成だけが槍玉に挙がるのも可哀相だがw
九州征伐・小田原攻め・四国征伐では辣腕発揮してるけどな
>>258 まった苦しい言い訳だなぁ。
順天、泗川、第二次蔚山も伏兵したり、打ってで白兵戦を挑んだり
して明朝鮮軍を撃退しているんだがww
あと
>>257さんが書いた、1593の安康の戦い1000VS30も入れとくか。
ホントに数だけで勝てんの?w
>>261 そういうのは攻城戦の一部として処理される
後、安康の戦いも攻守は逆だけど攻城戦の一環
>>262 順天、泗川、第二次蔚山、安康、
どうみても日本軍が積極的に白兵戦に打ってでており、
明朝鮮軍は敗退しています、ありがとうございました。
明軍が関わった数万単位の合戦で、明確に明軍の勝利と
言えるのは第三次平壌攻めくらい(おまけに不意打ち)
第二次平壌の戦い(日本勝利)
第三次平壌の戦い(明軍勝利 勧告により小西が城を明け渡す)
碧蹄館の戦い(日本勝利)
稷山の戦い(日本勝利)
南原城の戦い(日本勝利)
第一次蔚山(日本勝利)
第二次蔚山(日本勝利)
泗川 (日本勝利)
順天(日本勝利)
露梁(日本勝利)
露梁について補足。
明軍、朝鮮軍、日本軍の2倍の兵力&待ち伏せの好条件ながらも
小西軍、島津軍を殲滅できずに取り逃がす。
朝鮮軍主将の李舜臣が戦死 明軍副将の�眷子竜が戦死。
特に慶長役で明軍が負けた戦いは、いずれも明史、朝鮮王朝実録などで
大敗、大損害、人が溶けたと表現されるくらいの潰走っぷり。
第二次晋州城攻防戦では明軍救援に赴かず(または秀吉軍に撃退されたとも)
南原の戦いでも付近にいた陳愚衷旗下の明軍3000千は動かず、
南原が落ちると、これも付近にいた朝鮮軍1000とともに散り散りになって逃げた。
戦意も低く、日本軍を恐れているのがわかる。
>>262 ん?安康の戦いは攻城戦でも何でもなく
はじめっから完全に野戦だぞ?
何言ってんだ????
そもそも安康の戦いは自然休戦期に、和議に不満があった加藤清正が起こしたもの
そして精兵と謳われた明軍1000名が30人の清正軍に
斬り込まれて200名以上の戦死者。
>>254 その当時はスペインやポルトガルでも極東にガチ部隊送りこめるような国力はない
産業革命以前はどこも自分のホームちかくじゃなきゃろくに戦えんよ
未開の土人だらけの土地だったから征服できただけ
>>267 というか加藤軍の襲撃の報告を聞いて迎撃のために出動した明軍2000人が
少数の加藤清正軍に大損害を受けている明軍の実力ってなんだ?
>>269 2,000人でなく、1,000人ね
後、この時の加藤軍の具体的な兵数は不明だが、動員数は10,000人
>>270 北兵と南兵2000をだしてるよ。
宣祖実録では加藤軍は数百が蔚山を出撃して
攻めてきたと有る。
まぁ
>>265 >>267もID:+97OjXxiなんだろうけど、
野外戦いの安康の戦いを城攻めとか言っちゃってるから、
なんの説得力もねえな。
>>271 >>267のリンク先にもあるように宣祖実録でも1,000人とあるし、両朝平壌録も銃苗兵1,000人とある
>>273 11月19日の記録には北兵と南兵で2000とある。
2000人で対応したが数百の加藤軍にボロ負けしたということ。
朝鮮出兵だと島津義弘がやたら持ち上げられるけど、日本軍にとってのベストバウトってどれだろうね
雑賀衆が寝返ったもんだから大苦戦w
水軍も戦国時代はイスパニアのガレオン船みたいなのあったらしいんだが不思議やね
>>277 はぁ? 一緒の戦闘なんだが??
安康県が加藤軍に攻撃されたのが11月3日。
そのときの明軍の状況を伝えているのが19日の記録なんだよ。
とりあえず君に理解力がないのはわかったよ。
>>280
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|ノ〆 l| ー- | あんなことだったらいいな
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l / r 」{, ヽ | できたらいいな
l, ヘ_ _,,>ー=、_ /
∧ `Σ,,、-‐─゙ゝ=´ / おまえは
ヘ ===一 ノ
∧ そんなのばっかりなんだよ
\≧≡=ニー ノ >>280 なんか゛あんまり可哀想に思えてきたから教えてあげるよ。
宣祖修正実録はすべて ゛1日付゛で表示されてるから、
月数・記録内容以外の日数には意味はないよ。
>>283 そっちは【宣祖実録】 で280は【宣祖修正実録】。
で、君は宣祖修正実録の方をもって【11月1日の戦闘があり、3日の戦闘とは別だ】
というとんでもなく恥ずかしい間違いを犯しているわけ。
まだやってんのかよw
ID:L3WPWcBcはID:+97OjXxiと同一人物やろなww
以前は完全野外戦の安康をなぜか攻城戦とのたまい、
今回は資料の読み方をわかっていないっていう・・・
今度はどんな恥を晒してくれるのか期待やわ。
>>284 成程、それはミスをしてしまいました。すいません。
では両朝平壌録にも1,000人とあるのはいかがでしょうか。
島津や蹄碧館も凄いけど加藤清正軍も無双してるんだな。
>>286 またわかりやすく説明するよ。
1:加藤軍数百が慶州安康に迫る。
2:報告を受けた劉綎が2000をーに出撃するように指令。
3:明の2将が日本軍を恐れて出撃しようとしない。
4:他の明将が怯える諸将を説き伏せて出撃。
5:そのうち明軍1000人が20余の日本軍と遭遇 日本兵にフルボッコにされる。
君が言っているのは5に当たる部分だけだ。
で俺が言っているのは、慶州付近で2000の兵を擁する勢力でありながら
少数の加藤軍に敗れ、再戦することもできなかった。
こういうことだOK?
というか李朝実録をソースに引っ張り出してくるくらいだから、
内容を把握していると思ってたら読んでなかったのな。
話がかみ合わないのも当然だよ。
実録と修正実録の内容をごちゃ混ぜにしているけど、それは良くないことかと
>>289 んー? 289の内容は【宣祖実録】のみ記述で
【修正実録】は参考にしてないんだけどなぁwwww
290の訂正
289の内容は ×
288の内容は ○
すいません、先に南兵1,000人送ったする記述は何月何日の条ですか?
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>>296 家康も秀吉も抜きの戦国オールスターズ?
元就も信玄も謙信も抜きで?
>>296 逆
「明史」の記述
7年の戦争で莫大な財を消費し、膨大な兵を失った
明と属国朝鮮には日本との戦争に勝算が無かった
ただ秀吉が死んだことで禍が収まった
何しろ明軍は日本側が現地にいくつも築いた倭城をまともに攻略できなかったくらいだしね
国内でも近世城郭は短期決戦では容易に落ちなくなった
関ヶ原合戦でも絶望的な戦力差、援軍の充てがないのに相当の期間保った城が結構ある
10日くらいだとそちらの定義では短期になるのか相当の期間になるのか
完成してなかった蔚山倭城を4、5倍と思われる大軍で攻められたが
日本側が守り切ったのも10日くらいだったかな
慶長・文禄の役の攻城戦って明・朝鮮だけじゃなく日本も短期間で終わらせてるね
幸州山城の戦いとか一日で撤退してる
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>>306 順天城攻撃で明朝鮮軍は兵糧を遺棄して退却してるぞ
兵糧が無かったわけではない
まともに兵糧がなかったら明軍は駐屯すらできないだろ
>>305 幸州山城は日本勢に切り込まれて落城寸前だったけど、
朝鮮の船40程が河川に偶然に現れたので、
日本軍の諸将が会議を開いて慎重策のために、
遠征軍の将たちは
日も暮れてきたしどうせ城も落とせるのだからと
一旦、後退。
翌日に物見を派遣したおり、敵が夜のうちに逃げたのがわかり、
大名たちは用心に過ぎずに一挙に攻めておけば・・・
と悔しがった。
城の朝鮮軍は当然、それ以上城を保持できるハズもなく、
すぐに城を放棄して逃走。
これが幸州城の戦いの顛末。
>>306 遠征軍が統治していたソウルから幸州山までは、
40キロ以下なので兵糧は関係ないね。
>>310 落城寸前だった割には日本側の大将格が負傷しまくりだけど
そりゃ前線に出て陣頭指揮を取ってたら
負傷する武将も出るだろう
>>312 北条氏康の向かい傷は有名だし信長も本願寺戦で陣頭指揮を
とって奮戦して負傷しているよねw
負傷=敗北というのはあまりにも短絡的思考。
>>311 どの程度の負傷なのかだよね
信頼できる同時代史料ではどうなってるの?
馬鹿のID:L3WPWcBc・ID:+97OjXxiが再来してるようだなww
>>314 吉見元頼朝鮮日記によると宇喜多秀家、石田三成、吉川広家、前野長康らが負傷してるそうな
他にも宇喜多忠家も負傷してるらしい
ちょっと数が多いように思えるがこれは当時の基準からしてどうなんだろう?
負傷したとされる武将が、その後障害を負った形跡がないから軽傷なんだろう
>>315 それは言ってやるなww まぁあまりにも酷いのは事実だがw
徳川秀忠、松平忠吉、井伊直正といった武将たちも、
出張って指揮を負傷してるから負傷自体は珍しくないからなー。
前線武将の直正はともかく、すでに内府とよばれた
大大名の家康の子息の秀忠、忠吉も負傷する。
>>316で聞きたかったのは負傷の程度じゃなくて負傷した人数のことなんだすまん
確実なのは城の一角を突破されて幸州城山は陥落寸前だったこと。
日本軍には余力があったこと。
朝鮮軍には余力はなかったこと。
朝鮮王宣祖も幸州山の戦いの顛末を聞いて、
船が来なければ全員死んでいたんだなと感想を漏らした。
要はそういうこった。
>>320 それってどういう史料から確認できるの?
ID:L3WPWcBc・ID:+97OjXxit ID:EdT7Pp1N がきたか?ww
文禄の元年に小早川隆景の全羅道攻略は
義兵の抵抗によって頓挫させられたって、
韓国とか日本の自虐史観の朝鮮出兵専門家は主張してるけど、
あれって7月に明軍が小西行長が統治してる平壌城に襲来してきたから
明軍への備えのためにソウル、開城、平壌方面の守備ために
隆景に転進命令が下されただけなんだよなw
しかも小早川軍は全滅させた朝鮮軍のために墓を建てる余裕っぷり。
戦国時代後期の日本の鉄砲所有数は世界一だったから相当強かったはず
>>325 鉄砲の数に加えて剣術の優秀さ、武将、兵士の練度の高さがあるしな。
結果として明各地から集められた実戦経験方な明軍が日本軍に連戦連敗した。
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>>22まで読んで、
ヘラクレス22さんが何を言いたいのか全然わからない…
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