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【世界の】鍋島直茂・勝茂スッドレ【葉隠】YouTube動画>1本 ニコニコ動画>1本 ->画像>5枚
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455 :人間七七四年:2008/08/26(火) 20:23:57 ID:sl7TL7qg
本読んだら、鍋島直茂は怪力で敵兵300人は倒したらしい
>>1 重複氏ね
とレスしようと思ったら鍋島スレは本当になかったのか
この人やたらゲームだと能力高いけどそんなに凄いことやったの?
・今山の戦いで竜造寺を勝利に導く
・沖田畷後の竜造寺家を滅亡の淵から救う
・簒奪成功
後は何かあったの?
>>6 鍋島直茂は怪力で、今まで300人の敵を倒したらしい。
大軍はかえって油断して逆に破りやすいんじゃないかな。
>>8 まぁそう言われるとそうだったな
大名家を乗っ取るには十分な功績だ
>>9 お前がやってみろwwwwwww
>>11 興味あるんで是非教えてください。
立花とか島津はあちこちで見るけど鍋島はどういう活躍したんですか?
>>12 >>11じゃないけど返答。
朝鮮侵略の時は首の代わりに鼻をそいで秀吉の下へ送り、その量で武功が決まっていた
数多くの大名家が鼻を送ったが最も多かったのは鍋島家だったという…
>>14 うーん。
そういうんじゃなくてもっと何々の戦いで誰の軍勢破ったとか大将殺したとか無いんですか?
>>18 正規の兵じゃないのも入ってるんじゃないのそれ。
民間人とかもさ。
そんなにずばぬけて敵兵殺すか捕らえるかすれば何かしら活躍話があるだろ。
30万の明軍を3000人で撃退したんじゃなかったっけ?
ちゃんとした正規兵相手に活躍した武将
加藤清正、立花宗茂、島津義弘
住民虐殺鬼畜男
鍋島直茂
弟子「先生、処女を貴重だと思う男は多いです」
孔子「その通りだ」
弟子「しかし逆に童貞は女に気持ち悪がられます」
孔子「確かに」
弟子「おかしいじゃないですか、何故このような意識の違いが生まれるのですか」
孔子「それは一度も侵入を許していない砦は頼もしく、一度も侵入に成功しない兵士は頼りないからだ」
弟子「では30年も侵入を許していない砦は相当頼もしいのでしょうか?」
孔子「建てられてから30年も経つと、砦はどうなるかね?」
弟子「多くは朽ち果て、場合によってはうち捨てられます」
孔子「そのような砦を攻める者はいないということだ」
オススメの本とかないですか?
史伝 鍋島直茂 以外で。
>25
如何せん、鍋島はいうに及ばず龍造寺にも言えるが、
一般的に知名度が低いもんで、
北部九州以外でそれらについての本を探すのは殆ど不可能。
然るに小生佐賀まで買いに行った次第。
以下、購入できたものをご紹介奉る。
①「日峯さん 佐賀藩祖鍋島直茂の日日 田中耕作著 佐賀新聞者刊」
②「初期の鍋島佐賀藩ー藩祖直茂、初代勝茂、二代光茂のことどもー 田中耕作著 佐賀新聞社刊」
③「五州二島の太守 龍造寺隆信 川副博著 佐賀新聞社刊」
④「肥陽軍記 原田種眞著 勉誠社刊」
①は読み物的な感じで、直茂・龍造寺信周、同高房、円空尼等の話もあります。
②は佐賀藩のシリーズもの、4冊(初期~幕末)の内に1冊。直茂の野望みたいな書き方してます。
③はやっぱ龍家無しには・・・ということで、南北朝争乱から沖田畷まで、細かく資料を提示しながら書いてます。肥前周辺の情勢、人名が豊富です。
④は肥陽軍記の現代語訳
他に、九州の戦国争乱に関する資料としては、
吉永正春って人の本なんかがあると重宝します。大友寄りの本ですけど・・・。
以上!
㌧キュー! 九州まで往けないんであきらめるわ。
ヨッシーの本は「筑後戦国史」しか持ってないな。
たまたまブクオフに有ったから買えたけど、うちの地域からすると浮いてた。
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家宰として、小早川隆景とか直江兼続とかと同じような評価を秀吉にされていたとか。
器は小さいが、知恵と勇気は一級品だとか。・・・微妙に当てはまるような。
>>29 天下の三陪臣の逸話ですね
秀吉曰わく、
「天下は大気、勇気、知恵、この三つさえ備わっていれば難なくとれる。
陪臣の中でこのうち二つまで身につけている者がいる。
小早川隆景、直江兼続、鍋島直茂の三人である。しかし、
隆景は大気と知恵は有るが勇気に欠ける。
兼続は大気と勇気は有るが知恵が足りない。
そして直茂は勇気と知恵は有るが大気が無い。
このうち一つでも欠けていれば天下はとれぬ。」
>兼続は大気と勇気は有るが知恵が足りない。
凄いなぁ見事に予言してるわ。
確かに、兼続の部分はその通りかもな
良く言えば誇り高いような、悪く言えば鼻持ちならんような
兼続自身のエピソードと妙にリンクする逸話だな
>そして直茂は勇気と知恵はあるが大気が無い
そうか?肥前を乗っ取った張本人なんだが…
まあ仮に野心で肥前を乗っ取ったとしても、結局はそこで終わりじゃん直茂の場合は。
中央進出や地方統一に乗り出すこともなく所詮田舎のローカル止まり。
っていうか…
ここまで一回も話題に出てない勝茂カワイソス。。
むしろ竜造寺の皆さんが面倒事直茂に押し付けて
自分らはそれなりに権力のある親類格として収まった
なんてことを言われたりもするけどね。
毛利に例えると政家が隆元で家信が隆景で家種が元春だな、鍋島は宍戸で十分
直茂の簒奪は詰め将棋のような見事さがあるな。
とはいえ、それゆえ竜造寺が延命したともみるべきかまもな。
精々10年程度だたけど。
その詰め将棋の繊細さが大気がない部分なんだろうな
多少強引でも後に傷が残っても踏み込む度胸がないと天下はとれんと秀吉さんは言ったのだろう
別に誰もが天下を望む訳ではないが
龍造寺=鍋島の関係は特異というか奇妙とういうか・・・
何にしても、切っても切れない関係だから
天下盗りにはどちらの家も欠けて無いことが必要条件かなと思う
というか、状況が悪すぎる。
直茂が実質的に龍造寺家を乗っ取ったのは沖田畷で隆信が戦死した後なんだが、
その後は島津に半従属化してるし、秀吉の九州征伐があったりで家の存続に手一杯だったのだろう。
天下取りに乗り出すタイミングなんか無かったのでは?
大友勢力に近接していたのが運の尽き
反大友を貫き勢力を拡大したのは見事だけど強い猜疑心と慢心が身を滅ぼした
沖田で有馬や家久を討ちとっていたとしても九州統一は無理
その前に肥後で手間取る、赤星あたりに
>>30 天下の三陪臣は小早川隆景、直江兼続、堀直政だろ。
なんで勝手に鍋島を入れてんだよ。
龍造寺家を守った忠臣という評価と
龍造寺家をのっとった不忠者という評価と二つあって困るわ
>>51 ありがとう
でも柳川城は天正九年まで蒲池氏の城だったと思う。
入城したのはその後だよね。
>>48 龍造寺四天王みたいなもんだ。
直茂を入れる説も直政を入れる説もある。
小早川、直江との比較でなくて、陶晴賢との比較だとどう?
who are you? what is this man.....
>>58 奴はそういう遺恨はあんまり引きずらないことで有名だから・・・
鍋島も一緒に戦ってくれたら島津もあんな早く敗れなかったのに。
おまいはイタリアか
息子の勝茂はゲームでも低評価だな。
島原の乱で結構やったのにな・・・。
>>64 「ぼたもち会」には参加してるんだろうか
親父が出ているかな
/ `ヽ
/ ヽ
/ /\ |
| i| ノ \\\ ノ
i| ( i| (●) (●)ソ <じ~ぶん~らーしーい~こーいをそぉお~♪
) ( ソ ~" ) "~ |)
. ( ) ) __ /
__ ) ( (i\ /)__
`ー⊂`) ̄ ̄ノ ノ ノ \__フ ノノ  ̄`)つ
 ̄` ̄ ̄ ̄ヽ ヽノ ̄ ̄´ ̄
| ,,ノ ,ノ
/ ,/
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<_ _,r-、\.
`\ー'"ヽ |'´
> ) |
/`ー/ ,イ
/ / |`ー/
三 ( < | /
`ー'' ノ <_
ー- '
おい!鍋島津ッ!!お前最近調子にノリマンディーちゃうんか?!
この男、かなりエロイ・・・・・
相当なプレイしてっぞ なもし。
鍋島一族は陰険な奴が多い。
昭和の御代に皇太子と美智子妃のご成婚を強硬に反対し、美智子妃を虐めた松平信子も
鍋島一族。
しかし、佐賀藩の実権を握ったのは龍造寺一門だったりする。
>>84 諫早家や武雄家などは鍋島藩の政治の中枢にいるし、藩主家も
藩内の一門や龍造寺ファミリーに気を使わねばならず、直轄領が
少なくなってしまっていたというしな。
,j;;;;;j,. ---一、 ` ―--‐、_ l;;;;;;
{;;;;;;ゝ T辷iフ i f'辷jァ !i;;;;;、
ヾ;;;ハ ノ .::!lリ;;r゙
`Z;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;>
,;ぇハ、 、_,.ー-、_',. ,f゙: Y;;f. そんな風に思っていた時期が
~''戈ヽ `二´ r'´:::. `! 俺にもありました
石高の割には動員兵力がスゴいんだよな鍋島
関ヶ原の時の筑後攻めでも三万以上動員してるし
六十歳までの強制労働だよ。杖突ながら出かけた老人もいただろう
>>88 実際の筑後攻めの動員兵力は、大体2万人ぐらいらしい
それでも1万石当たり550人ぐらい動員した計算になるが。
維新、明治で獅子奮迅の役割を果たす大隈を
輩出した気風を育んだのが一番の功績か
大隈自身は、それらを尊重しつつも、時代的には
葉隠れクソ食らえだったらしいけれど
大隈もだけど、江藤、大木、副島が今の日本の
金融、司法、教育、外交の基本を作っている。
つまり今の日本は佐賀が作っている。
大隈、江藤、大木、副島は鍋島に見切りをつけて脱藩し活躍した。
薩長土肥の肥はおまけで鍋島自体は維新に後向きだった。
鍋島直正の財政改革により佐賀藩は日本1の
軍事力をてにいれ、戊辰戦争では連戦連勝で
日本を統一している。
どちらかというと技術的な方向に特化した藩だった気がする
政治や軍事の美味しいとこは薩長に持ってかれたような
戊辰戦争開始時、薩長の主力武器はミニェー銃なのに
対し佐賀藩は7連発スペンサー銃、アームストロング砲、
臼砲連隊という西洋の1流国並の装備だった。
戊辰戦争で薩長が敗走を繰り返したのに対し佐賀藩は無敗で
函館までいっている。
【世界の】鍋島直茂・勝茂スッドレ【葉隠】
鍋島直茂・勝茂についての結論は化け猫だった。
>>62 鍋島が島津のために頑張ればというか、不利な状態で時間稼ぎしただけで
直茂は大阪で秀吉に会い、島津攻めに協力すると申し出ている
直茂と秀吉は昔からつながっているから
島津に味方することはないな。
この親子、確執とか無かったんかな?
朝鮮での鼻削ぎやら原城の虐殺やら血は争えな
>>103 鼻削ぎは他の大名家もやっているよ。
あと、原城については
「皆殺しという事にして(ry」
という疑惑がある。
筑後攻めは、あわよくば領有化狙ってたよな鍋島さん
役目済ましで送る兵数じゃない
沖田畷で直茂が先鋒だったらねぇ、みすみすあんな惨敗はしなかったか?
>>107 勝ったとしてもクマが当主のままじゃ内乱おきまくって結局自滅してたんじゃないだろうか・・・
>龍造寺=鍋島の関係は特異というか奇妙とういうか・・・
鍵を握ってるのは隆信の母慶誾尼ですな。
この人が凄いのは夫に先立たれ髪をおろして尼になったにも関わらず
龍造寺家の行く末を案じ鍋島家との絆を強めるために自ら家臣の鍋島清房
と再婚したことである。
吉岡妙林尼、立花誾千代と並び称される戦国九州の三女傑の一人である
ことは間違いないでしょう。
>吉岡妙林尼、立花誾千代と並び称される戦国九州の三女傑の一人である
>ことは間違いないでしょう
慶誾尼を妙林尼、誾千代と一緒にするとは鍋島が考えそうなことだなw
イギリスは、薩摩の砲台は全部破壊し尽くしましたが、上陸しての白兵戦は行いませんでした。
中国(アヘン戦争)では、上陸したうえで相当に内陸部深くまで攻め入り、文章にするのもおぞましいほどに、かなり酷い振る舞いをしました。
(インド⇒中国の英国戦略は、陳舜臣さんの「阿片戦争」参照…で良かったと思います。記憶が正しければ…^^;)
しかし、日本では…薩摩「示現流」の武士を相手に白兵戦をするのは余程に恐ろしかったらしく、砲台を破壊するに留めて、あとは外交で解決する道をとりました。
(⇒この話は司馬遼太郎さん「竜馬がゆく」参照)
>>110 立花誾千代は、何か功績があるの?男勝りな性格なだけでは?
374 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/08/30(土) 21:38:01
>「葉隠」の説く武士道を考える
> -「葉隠」武士道の犬死理論の陥穽-
>著作と責任/佐藤弘弥
http://www.st.rim.or.jp/~success/hagakure_ye.html
佐藤弘弥なる視野狭窄な御仁による珍葉隠論。
珍文章のしょっぱなから、ヒステリックなオナニー全開である。
「ヤンキースのマツイ」のたとえだとか、
そこらの中学2年生も感涙にむせびそうな、すばらしい思考のお綴りである。
この特大場外ホームラン級の知性が書いた小児的ファンタジーが
ネットで上位にひっかかり、目に★な方も多いだろうから、
とりあえずこのスレで駆除しておく。
377 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/08/30(土) 22:47:23
>>.374
佐藤弘弥(笑)
空き樽は音が高いっていうか、キジも鳴かずば打たれまいに・・・
閑古鳥が鳴くサヨ系じゃんじゃんで市民記者を
しょぼしょぼやってればええのに(笑)
【検索ワード】
葉隠、佐藤弘弥、馬鹿、思い込みの禿しい爺さん、三島由紀夫
武士道、山本常朝、田代陣基、新渡戸稲造
>>58 宗茂と腐れ縁なのは龍造寺家晴の方だな。
関ヶ原での柳川攻めにも家晴は参加してるし。
直茂と因縁が深かったのは道雪の方かね
両方とも筑紫方面で長い間対陣していた訳だし
自分が若ければ鍋島なんかに負けはせんみたいな事言ってるし
>>116 道雪の場合は秋月種実じゃね?
ただ、遺言の内容から道雪が家晴を恨んで死んだのは分かる。
鍋島家現当主
http://www.mukogawa-u.ac.jp/~seibiken/2-teirei-18.htm
先月半ばの話なんだが、とある店で戦国フィギア物色してたら身長260cm位の人に
「すいません、上にある鍋島直茂取ってもらっていいですか?」って話し掛けられた
ウドの大木という形容がよく似合う俺が、棚に手を伸ばしつつ「MGのF2ですね、甲冑ver.ですか?」と尋ねたら
「オフッwww直茂って言ったら家老しかないじゃないですかwwオフフwww
甲冑なんて忍びねぇwwwwオホフww忍びねぇよウフフwww」
とかテンション急上昇されて怖かったので、「佐賀藩よ」って言って逃げてきた
鍋島から本庄に移ったのに、改名しなかったのはなぜ?
>>120 本貫が鍋島だからでしょ。
毛利が毛利庄から移っても毛利を名乗り続けたのと一緒。
>>121 レスありがとうございます
鍋島氏は鍋島に居住する前は、長岡氏を称してたようですが
鍋島に下向した際には、長岡天神から分祀して館内で祀ってるのに改名しています。
また天神様を態々長岡から分祀してるのは、何か特別な理由があるのでしょうか?
鍋島家は神仏をとてもよく敬ってるように思えるのに、以上の事が不思議です。
>>122 鍋島氏の出自が長岡氏ってのは詐称だよ。
本当は鍋島村の地侍上がりっぽい。
>>123 有難うございます。
では直茂の祖父、鍋島清久の頃なら問題ないですかね
清久は妻として野田大隈守の娘を娶ってますが、三瀬の野田氏は
すでに三瀬氏に改名(1409年)してますので、この野田大隈守とは誰なのかという疑問が生じます。
三瀬に野田氏が居住して100年以上経過し、分家した形跡もなく改名してるのは、野田氏の本筋が現れたからではないのか?
もしこの野田大隈守の祖がそれに当たるなら、鍋島氏口伝による長岡から下向というのも否定出来ないのではないか
と考えてみたのですが如何でしょう
>>106 関ヶ原の戦いが終わった後の出兵だから、領有化なんて無理。
それに、宗茂は柳川城に籠城していた訳で、
兵力はいくらあっても不足はない。
軍・政・人格的にチートキャラくさいんだけど大きな失敗とか人格疑うエピはないの?
嫡子の勝茂を嫌っており、勝茂を江上家に養子に出した事がある。
直茂が溺愛したのは、勝茂の弟・忠茂だった。
おお!良スレ☆
俺も彼の息子に産まれたかったわ。
お爺ちゃんは哀れ過ぎて合掌するしかない・・
>>101 島津が怖くて怖くてたまりませんでした
ワタシは島津にかないませんので騙して存命しましたヘタレ大名です WWW
天下三陪臣の逸話が葉隠ではなぜか直江、小早川、鍋島父になってる
不思議。堀涙目
鍋島氏の出自を3パターン妄想してみたw
①坊門家末裔説
北部九州の各地で荒神信仰があるが、これは瀬戸内海沿岸地方でも多く見られ特に岡山県が最も盛んであったようである。
その岡山県笠岡市にある真鍋島という島には荒神社があるが、大納言の藤原氏が移り住んだという言い伝えがあるようだ。
この藤原氏に該当する者は見当たらないが、この頃断絶している坊門家がこれに当たらないだろうか?
また鍋島家は江戸時代、品川の海雲寺境内に千躰荒神を祀って事から荒神信仰を継承している事が分かる。
以上の事から、真鍋島の藤原氏が佐賀に下向して鍋島と称したと考えられないだろうか?(こじつけかなw)
②熱田社家長岡家説
14世紀半ば、中島郡鈴置郷の熱田社領を妙興寺に寄進した際の文書から藤原清重という大宮司を確認できるが
この寄進された熱田社領は現在の愛知県稲沢市祖父江町付近であり、地名には長岡や鍋島、野田といった所も確認できる。
また同時期の熱田社家には長岡家というのがあったらしいが、この長岡氏が清重末裔と共に下向した可能性はないだろうか?
③米原市長岡の息長氏末裔説
後鳥羽上皇の近臣だった藤原能茂(熱田大宮司篠田家)の子孫が後鳥羽院御影堂領の管理をしており
息長氏末裔と共に下向した説。
可能性として一番高いのは②の説になるが、長岡京に熱田社家の長岡氏が居住していた事を裏付ける物はないが、
西岡被官衆には野田氏がおり熱田の流れを汲む可能性があるが、いまだ未確認。(長岡京市史を物色中w)
※余談だけど、文永の役で少弐景資の配下に見える篠田氏、多々良浜の合戦で南朝方に見える星野氏
少弐氏の庶流と言われてる筑紫氏などが、官位や家紋の一致により熱田大宮司家の可能性が出てくるんだよなぁ
>>138 葉隠自体が、裏付けのない証言集だから。
佐賀藩も葉隠は禁書扱いだし。
まあ、堀直政を天下の三陪臣と一人としている
「名将言行禄」も信憑性は低いけどな。
>>141 もともとどの記録が一番古いからわからないが、明治時代の名将言行録まで
いかずとも、江戸時代の書物にも三陪臣の話は出てる。
18世紀末の米沢藩の記録では直江と小早川しか出てこないが、形はだいたい
同じ。
>>141を読み直したが
>天下の三陪臣と一人としている
じゃなくて
>天下の三陪臣の一人としている
だった。打ち間違えた。
しかも「名将言行録」も間違えてるし・・・。
本当に申し訳ない。
微古館所蔵の鍋島光茂、吉茂伝来の太刀はいずれも鎌倉時代中期、後期の山城国で
粟田口一派によって作られた物のようだけど、肥前の地侍が簡単に手に入れれる代物なのかなぁ
他大名等からの粗品じゃないの
話は変わるが
>>146を見に行ったが拝観料300円とは
1時間以上もかけて行く価値もなかった
刀を粗品として扱う武士なんて、いるのかね
肥前の歴史って研究してる人っていないのか?
偶然ばかりで片付けられないだろw
波多氏や神代とか龍造寺に圧迫された後に秀吉時代に鍋島傘下になった国人が多すぎて肥前国の戦国は難しいね。
有馬晴純なんて大村、松浦、志岐、千々石に養子出したみたいだけど波多親も実子だって説もあるみたいだし。
粟田口一派と書いたが、来一派だったorz
ウィキによると国光作の太刀がもう一口、松原神社から行方不明になってる
勝茂伝の太刀は村正作だし筑前、筑後の刀鍛治が作った物が全くないのも、偶然だろうか
このほか、秀吉や家康に謁見した際に献上した刀もあったのだろうか?
>>151 鍋島は主家筋から国を乗っ取ったし、ついてきた者の中には
土豪の人もいて取り入る為に刀ぐらい献上する人もいたろう。
徳川に系図譲った吉良みたいなもんだよ。
勿論系図なんてのは稀で、大体が茶器・刀・鎧だけど。
むしろ大大名と類される家の当主で明治維新まで続いた名家なら
昔の刀を持ってない家なんてないと思う。
>>85 諫早領は表向きは1万2千石だけど実高は10万石と言われていて、
貧乏大名家というのは建て前で、諫早家は
本当は物凄く裕福だったらしい。
また、諫早家は前領主・西郷氏の政策を継承して善政を敷いていて、
移封当初は西郷氏再興の一揆を起こすなど
諫早家に反抗した領民も、諫早家を名君と慕う様になったそうな。
>貧乏大名家というのは建て前で、
諫早家が大名って初耳だな
まあ規模は大名と言っても差し支えないよな
隣に諫早と似たような規模の大村藩があるし
>>157 諫早家始祖の龍造寺家晴は
秀吉に直接、旧西郷領の領地を安堵されている。
家晴の死後、二代当主の諫早直孝が
徳川幕府に大名の地位の返上を願い出て、認められた。
公家の花山院家から後陽成天皇の曾孫が、鹿島藩の第2代藩主鍋島直朝に嫁いでるけど
この頃の鍋島家ってこんな家格高かったのかな?
それから300年程経た戦後まもなく(?)、花山院家の末裔の方が困窮してか鍋島家を
頼って来られ高校の古文の先生をしておられたが、直朝との間の子供は早世してるようで
血の繋がった親族が居ないにも関わらず鍋島氏を頼ったのは
背に腹は代えられなかったからだろうか?
時代が違えど直朝に嫁ぐ300年程前の鍋島家の氏素性を、当時の花山院家は知っていた
可能性もあるんじゃないか?
うん。
晩婚といっても鍋島家の出自が地侍だったらいくら大名家になろうとも
嫁がないんじゃないのか?
龍造寺(村田)家も、戦後困窮して家財や土地まで処分してるが、こちらは行政
すら援助してないからな
家主は町民の名前は呼び捨てだし、金の無心までしてたからな
隆信の頃から伝わる歴史的価値ある物もあったようだが、町民から嫌われてれば
行政も何も出来なかったのかな(昭和30年代後半かな)
また西銀座デパート(龍造寺の屋敷もこの辺にあったのかな?)で雑貨屋していた
某名家から嫁いだ方は上品で御綺麗な方だったようだが
良い話は聞かなかったらしいよ
最近鍋島関係の本読み始めたけどおもしろいね
大河でやってほしいわ
やっぱ、葉隠れの船酔いゲロまみれエピソードがかわいいよ
>>153自己レス
神代家に伝わる刀も南北朝時代の山城国産の物があるな
神代、鍋島両家に伝わる刀いずれも山城国産と言うのは、これまた偶然なのでしょうかw
>>154 亀レスになりますが
肥前の土豪や地侍がどのようにして山城国産の刀を手に入れ、鍋島氏に献上したのでしょう?
また山城国産の刀を献上して取り立てられた家は、当然藩の着到帳に記載されてると思うが
どのような家が考えられるでしょうか?
肥前から遠く離れた山城国産の刀ばかり何振もあるのは、さすがに不自然じゃないのかな?
あと、産地の山城国って言うのも意味があると思うのだが
そういや初代忠吉の師匠が山城の埋忠明寿だったな。
捕捉すると忠吉は元々は龍造寺家臣で、佐賀藩のお抱えになった人物。
日本刀の半可通としては、忠吉経由で山城刀が入って来たんでね? と推察。
神代家の方は高良神社の伝手か、鍋島家から拝領したか……か?
ついでに書くと……
筑前の刀は、新刀期の筑紫信国系は黒田家中で独占してたので他国にまず流出しないし、
古刀になると有名所の左文字は南朝に付いて玉砕したらしいから、少弐関係者の方で忌避したのかも知れん。(平戸左ってのもいたけど)
筑後の刀鍛冶については、江戸時代には有名所は少ないし、古刀では離散した左文字系の大石左がいるけど左文字の縁で同上。
他に三池典太こと光世も筑後だけど、平安時代のだから真作は余程の運とか縁が無い限り拝むことすら出来んだろう。
ヲタの悪い癖が出てしまったw
>>164 地侍を蔑視している事は分かるが、何を主張したいのか分からん。
鈴木で全国統一したところ何故か伊勢守になってた鍋島直茂
>>173 隆信が死んだ後のボロボロの龍造寺家を存続させたのは凄い。
直茂本人の外交能力が卓越したものがあるし、
隆信の親族で優秀な武将を部下として使いつつシンパに取り込んだり、
直茂には、武将というよりも
有能な経営者というイメージを持ってしまう。
>>177 でもなー。
隆信を死に追いやったのは直茂だと云われているしなー。
わざと会社を倒産させてそのあと再建したから偉いとは云えないしねー。
島津方軍記には沖田畷の戦いで川上左京に隆信の居場所を教えたのは直茂だと書いてあるが
大友宗麟が薩摩を撃退しつつ島津義弘を寝返らせる
↓
島津義弘率いる大友軍が肥前を攻め落とす
↓
竜造寺隆信を処刑して鍋島直茂を佐賀城主に任命
↓
勢いに乗った大友宗麟は立花某に命じて伊予を攻め落とさせる
↓
島津からその隙を突かれて豊後を奪われ大友宗麟は伊予へ逃がれ大友(家)は島津に寝返る
↓
ほどなくして毛利軍により伊予陥落し大友宗麟は処刑され立花某と大友(盛)は毛利に寝返る
↓
鍋島直茂が肥前で後を継いで大名に
↓
鍋島軍が薩摩→豊後→安芸と立て続けに攻め取る
↓
豊後からは大友(家)が伊予を攻め取り毛利輝元を処刑し
↓
鍋島軍は軍事力増大中←今ココ
それにしても鍋島直茂の金集めの上手さは異常
うちの先祖が鍋島の家臣として朝鮮の役で戦死してるんだけど文禄か慶長かが不明
名前は分っているんでどこかに戦死者名簿がないかな
>>179 > 島津方軍記には沖田畷の戦いで川上左京に隆信の居場所を教えたのは
直茂だと書いてあるが
それはウソくさい。
>>164 > 晩婚といっても鍋島家の出自が地侍だったらいくら大名家になろうとも
> 嫁がないんじゃないのか?
いや、大名になら嫁いだでしょ。
>>183 沖田畷の戦い(抜粋)
此レハ偖置此処ニ又川上左京久堅ハ、軍ハ今カ花ト心得テ、我手三百余騎ヲ引テ桑原ノ陣ヲ忍ヒ出テ、
寺山カ死シタル籏ヲ奪ヒ取リ、肥前ノ軍衆ニ様ヲ替へ、陣屋々々ヲコナタコナタニ廻リ玉ヒシカ、
鍋島ニハタト行合、「如何ニ申サン、鍋島殿。某ハ士ノ身ニテ未練ナカラモ今中務殿ノ横入ニ目暮ンテ、
我身隆信公ノ御陣所ヲハタト忘レ候ヒシカ、教エ玉へ、鍋島殿」ト泪ヲ流シテ申シケル。
鍋島モ、勢ヲ見レバ薩摩勢印シヲ見レバ、肥前方、暫シガ間ハアキレ果テテゾ御座シマス。
鍋島殿運ノ尽キニヤ、大敵ノ薩摩勢ヲ味方ト心得テ我君隆信公ハアナタニ見へシ。
小松原ノ本陣ニ三十六騎ヲ御側ニ召サレ、母衣カケ武者ニテ御坐シマス。急キ参レ」ト
教エケレバ川上殿ハ鍋島カ教ニ行キ頓テ小松原ニモナリヌレバ左京モ□□□ノ中ト心得テ装束改メ
「我レヲ誰トカ思フラン。薩摩ニ於テモ、島津義久カ郎等川上左京久堅トハ我事ナリ。
此度、赤星兄弟子供カ恨ミニ太刀ヲ請玉へ」ト大音揚ケテ申シケル。隆信聞シ召サレ、
偖テハ薩摩ニ於テ家アル士カ、又ハ家ナキ士ナラバ、目下廻り首ヲ討テ」ト申シケル。
左京聞シ召サレ「偖ハ中々思ヒモ依ラン仰カナ。士カ士ヲ討ツニ、目下目上ノ差別アルマシト、
去フヨリ早ク三尺六寸ヲ抜キ持テ隆信カ弓手ニ廻リ隆信カ首ヲ水モタマラス打チ落ス。
年ヲ申セバ五十七。御側ノ三十六騎ハ此ノ由ヲ見ルヨリ、主ヲ討レテハ叶フマジト切テ掛レバ、
左京ハ隆信ヲ討チタル勢ニテ爰ヲ戦度ト戦エバ三十六騎モ同シ枕ニ討チ伏スル頓テ隆信カ首ヲ
太刀ノ切リ先キニ貫キテ本丸陣ヲ心静カニ立出テ小松原行ケバ鍋島四洲添島彼ノ両大将ハ此ノ由ヲ
一目見ルヨリ、扨テハ中々、我敵何国マデ落チ行ク。逃スナト云フヨリ早ク切テ掛レバ、
川上ハ心得クリト云フ儘ニ士卒ニ下知シテ群カル敵ヲ迫ツマクリツ爰ヲ戦土卜戦へバ、
又向敵一千余騎ハヤスヤスト打取リ仕スマシタリト云フ儘ニ陣所ヲ差シテ引テ行ク。
頓テ隆信ノ首ヲ中務殿御覚ナサレ心得タリト云フ儘ニ、小高キ所ニ走セ登リ、大音揚ケテ名乗ル様、
「肥前ノ大将龍造寺隆信ヲ川上左京久堅カ討チ取リタリ」ト呼ハレケル。
佐賀藩鍋島家の居城で、大規模な堀を有する佐賀城の東堀が埋め立てによって姿を消してから、
80数年ぶりに復元するらしい。
本年度から3年計画で堀の一部(長さ約230m)を掘り返し、地中に眠る赤石の石積みを発掘。
この石積みを生かして護岸を整備し、往時の風情をよみがえらせる。
佐賀城の堀は、開発にさらされながらも北堀、西堀、南堀が逆コの字形に現存。
江戸期の絵図や文献によると、東堀は70メートルを超えたが、1939(昭和14)年までに埋め立てられたという。
>>185 疎まれて隆信によって柳川へ飛ばされた信生は隆信を恨んでたからな。
そもそも信生主導で蒲池滅亡させて、筑後の国人たちの恨みを隆信1人に押し付けて人心を隆信から離反させたのも信生
死人に口なしだよな
直茂にとって都合の悪いのは隆信の仕業にして記録を残してるのがみえみえする
まぁ隆信は祭り上げられたバカ殿で
実権を握って実務やってたのは宰相の直茂って感じでしょ
結局は権力闘争で直茂がじわじわと権力を奪っていく。
それに気づいた隆信が柳川へ左遷したもんだから島津に隆信を殺させた。
>>190 軍事的才能にかんしてのみ
隆信 > 直茂
という説があるようだが。どうなの?
隆信の討ち死に場所が最右翼の有馬陣の真ん前なんだよな。
島津は最左翼にいて前方の鍋島隊と戦わずに隆信のいる位置までやってきていて不信感がおきない方がおかしい。
島津は戦時諜報に長じているから不思議ではない。
朝鮮出兵でも戦時諜報で明軍の弱点を突いた戦いをしている。
>>193 朝鮮での戦いだって島津マンセー捏造だし
そもそもが出陣前の佐嘉城軍議で直茂は柳川城にいて筑後の押さえと決定してたのに、
軍議を無視して島原にいるのがおかしいだろ。
大友の家紋まで使ってる信生は実に怪しい。
今山でのピンポイント奇襲も大友家臣との内通がなせる技なんでは?
討ち死にした大友総大将からして経歴不明の変なやつだったし。
今山での小勝ちでも龍造寺の不利な状況はまったく変わらなかったし
その後の和睦で実質的に大友に降伏してる。
そのために毛利支援を龍造寺はやれなかった。
直茂って明らかに敵対国に内通してきてるよな。
大友側から情報をもらってたのが今山で
島津側に情報を与えたのが沖田畷だろうな。
秀吉には龍造寺の内情を率先して流して信頼を得て纂奪したんだろうね。
水戸黄門でもこんなエピがあったし
2023/09/19(火) 14:52:43.35ID:/005wblA 新しいレストラン、オープンしたんだって。
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