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筑前鐵太郎 ★@無断転載は禁止
2016/05/06(金) 23:20:44.22 ID:CAP_USER
![【歴史】福井で出土遺物は「玉眼」、全国初の例 方山真光寺跡塔址 [無断転載禁止]©2ch.net->画像>8枚](http://amd.c.yimg.jp/amd/20160506-00010002-fukui-000-1-view.jpg)
玉眼の一部と確認された大小2点の水晶。波線は水晶から推定される玉眼の形=4月27日、福井市立郷土歴史博物
福井市立郷土歴史博物館は4月27日、同市片山町の方山真光寺跡塔址(かたやましんこうじあととうあと)から2000〜03年の発掘調査で出土した同館所蔵の水晶製の遺物2点が、仏像の目の部分にはめ込まれた「玉眼(ぎょくがん)」の一部と確認したと発表した。調査報告書の再検証で判明した。木彫仏に玉眼技法を施すのは12世紀後半以降に一般的に見られるが、出土した水晶製遺物で、玉眼の部材として確認されたのは全国初という。専門家は「研究者の努力の結果」と評価している。
玉眼と確認した遺物は、旧清水町教委が行った発掘調査で、焼失した塔跡などから出土した。縦9・5ミリ、横7ミリ、厚さ2ミリと、縦6・5ミリ、横7ミリ、厚さ2ミリの大小2点。04年に発行された報告書では「瞳形の水晶製品」と区分されたが、使途などは分かっていなかった。
福井市立郷土歴史博物館は4月27日、同市片山町の方山真光寺跡塔址(かたやましんこうじあととうあと)から2000〜03年の発掘調査で出土した同館所蔵の水晶製の遺物2点が、仏像の目の部分にはめ込まれた「玉眼(ぎょくがん)」の一部と確認したと発表した。調査報告書の再検証で判明した。木彫仏に玉眼技法を施すのは12世紀後半以降に一般的に見られるが、出土した水晶製遺物で、玉眼の部材として確認されたのは全国初という。専門家は「研究者の努力の結果」と評価している。
玉眼と確認した遺物は、旧清水町教委が行った発掘調査で、焼失した塔跡などから出土した。縦9・5ミリ、横7ミリ、厚さ2ミリと、縦6・5ミリ、横7ミリ、厚さ2ミリの大小2点。04年に発行された報告書では「瞳形の水晶製品」と区分されたが、使途などは分かっていなかった。
当時から調査に携わっていた同市教委文化財保護課の古川登主幹が昨秋、水晶製遺物を再検証。仏教美術が専門の大宮康男静岡大教育学部教授に確認を依頼し、玉眼と判明した。
方山真光寺は、12世紀前半の創建とされ、五重塔があったことが確認されている。1574年の一向一揆で焼き打ちされ、再興されなかった。遺物2点から推定した玉眼の大きさが異なることから、焼失した五重塔内に複数の仏像が安置されていたことがうかがえるという。大きい遺物は透明度が高く、小さい遺物は白濁していて、火災の熱によるものとみられる。
古川主幹は「注意を払われることなく収蔵庫に眠っている遺物もあると思われる。確認は、報告資料の再検討が必要と教えてくれた」としている。
仏教考古学が専門の坂詰秀一立正大名誉教授は「火災跡から出土した遺物を丹念に再度調べ上げたことで、全国には例がない玉眼出土の確認につながった。研究者の努力と執念のたまものといえる」としている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160506-00010002-fukui-l18