>>37 誰が何をもって"歪んだ妄想に基づく謝った知識"と決める?
自由主義的な視点では、それは市民各自の判断に委ね、国家が統制すべき問題ではない。
我々大多数の日本人からすれば、進化論を拒絶するような信徒は妄想にとりつかれた狂信者に見える。
しかしその宗教の信徒からすれば、自分達以外の信仰や考えは全て妄想だ。
というより全ての信仰や思想は己以外の信仰や考えを妄想だ。我々はただ偶々多数派に生まれたというにすぎない。
そして生まれた瞬間から人間には格差があり、それは避けようがない現実。
私や貴方がネットに書き込めない様な重度の障害がないのも、福音主義者やムスリムでもないのも、また日本語話者なのも、自分で選択して生まれた結果ではない、単なる偶然だ。
こうした社会の"格差"を是正しようなどというのは傲慢であり、国家による信仰思想の統制に他ならず、自由主義の根本を犠牲にする考えだ。
ムスリムや福音主義者の親の下で生まれたなら、親と同じ信仰を持ち、信徒でない者を哀れんでいるかもしれない。
もし彼らが多数派の社会で、"格差"是正と称して我が子に宗教教育を強制してきたら我々はどう思うか?
その子供の人生が破滅に追いやられるかどうかなど、それこそ余計なお節介で、自由主義に基づくなら国家が決めることではない。
大事なのはある少数派の信仰・信条を持っているからといって破滅させないこと、尊重することだ。
それを"妄想"として片付けそれに反する教育を強制することが、最も自由主義に反するのだから。
勿論尊重するにも限度がある。たとえば自分と異なる信仰信条の人達の権利を実力で侵害するテロリストだ。
その場合は全市民が実力を以て対抗し容赦なく潰すべきだ。自由主義の体制では国家の役割は必要最小限であるべきで、自由こそ最大限尊重し、あらゆる多様性は許容されるべきだ。
あとどこぞの憲法や経典に明文化されてるかなど関係ない。
自由主義を最大限認め、社会の多様性も許容するなら、進化論対創造論などという議論自体が無意味だということ。
あと私は宗教屋ではない。大多数の日本人と同じでこれといった信仰はない。無神論者でもないが。
自由主義者というだけだ。