離島からなる長崎県五島市出身の谷川氏は2003年の衆院選で初当選し、現在7期目。地域の発展に力を注ぎ、当選回数は、元文部科学相の萩生田光一・前党政調会長(60)の6回を上回る。
しかし、大臣経験はなく、第2次安倍内閣の12年に文科副大臣に任命されて以降、政府の役職に就けていなかった。同期らが次々に閣僚ポストに就く中、所属していた安倍派内では「入閣待機組」のまま。「一匹おおかみ」的な存在だった谷川氏が力を入れたのが、派閥パーティー券の販売だった。
主従関係を利用
それに当たってフル活用したのが、地元・長崎を中心とした建設業界だ。谷川氏は1971年、長崎市に本社を置く谷川建設を設立し、九州有数の住宅メーカーに育て上げた。87年の長崎県議選で初当選したのを機に家族に経営を引き継いだ後も、「会長」として影響力を保持してきた。
同社内ではパーティー券の販売を手がける社員を配置。九州全域に広がる下請け業者に売って回らせた。売り上げは多い時で1000万円を超え、派閥から課された販売ノルマの3倍を超えたこともあった。
建設業界には、元請けを頂点とするピラミッド型の主従関係が残る。同社関係者は「下請け業者は仕事をもらう立場。そこを利用した」と明かす。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20240122-OYT1T50026/