初代宮内庁長官 田島道治が昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」
昭和27年5月28日の拝謁では
「東條は政治上の大きな見通しを誤ったといふ点はあったかも知れぬ」としたうえで、
「強過ぎて部下がいふ事をきかなくなった程下剋上的の勢が強く、あの場合若し(もし)
戦争にならぬようにすれば内乱を起した事になったかも知れず、
又東条の辞職の頃ハあのまゝ居れば殺されたかも知れない。
兎に角(とにかく)負け惜しみをいふ様だが、今回の戦争ハあゝ一部の者の意見が
大勢を制して了(しま)つた上は、どうも避けられなかつたのではなかつたかしら」と語った
昭和27年2月26日の拝謁では、昭和天皇が
「実ハ私はもつと早く終戦といふ考を持つてゐたが条約の信義といふ事を私は
非常ニ重んじてた為、単独媾和ハせぬと独乙(ドイツ)と一旦条約を結んだ以上
之を破るはわるいと思つた為おそくなつた」と語った
昭和26年12月17日の拝謁で昭和天皇は
「終戦で戦争を止める位なら宣戦前か或(あるい)はもつと早く止(や)める事が
出来なかつたかといふやうな疑を退位論者でなくとも疑問を持つと思ふし、
又首相をかへる事ハ大権で出来る事故(ことゆえ)、なぜしなかつたかと疑ふ向きもあると思ふ」と述べた
田島長官が「それは勿論(もちろん)あると思ひます」と述べると、昭和天皇は
「いやそうだらうと思ふが事の実際としてハ下剋上でとても出来るものではなかつた」と答えた
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-repentance-01.html ↑何なの、このふざけたイイワケのオンパレードは…
全責任はこいつにあるというのに