次は大物芸人とアイドルグループ元メンバーじゃなかったのかよ
組織犯罪対策課っておっさんずラブの方狙ってるて聞いたけどな
映画の公開終わるまで待ってもらうのに沢尻で取引したのかな
掲載日時 2019年06月14日 22時45分 [芸能] / 掲載号 2019年6月20日号
wjnすごい!
クスリの噂って基本的に当たってるけど確実に所持してるタイミングに踏み込むのが難しくて実際捕まらないケースも多くなるんだろうな
実話は実話だった・・・?
MIBでなんかそんな設定あったな
最近芸能人の逮捕多すぎるが
きっかけは何なんだ
やっぱ実話の通りKAT-TUNか?
吉本の裏営業といい
芋づる式の芸能人+オリンアスリートの麻薬逮捕といい
令和に入ってから警察仕事しすぎだろ
前夜にタクシーに乗るところがバッチリ押さえられてるところを見るとメディアには事前に情報が流れてるんやなあ
302 :本当にあった怖い名無し:2012/06/13(水) 11:00:31.56 ID:HXl7JhQj0
人生は流れを読めるかどうかにかかってるとよく言いますが気体と考えるとわかりやすいですね
こういった流れを読む力、直観力みたいなものを鍛える方法をもう少し掘り下げて教えて下さい!!!
303 :ジャンキー:2012/06/13(水) 23:28:20.32 ID:JX65GMJK0
直観力みたいなものを鍛える方法を考える時、加点主義的あるいは、スキルアップ的に
考えて、武器の増大という感覚で追加すれば良いという観点は一般論としては良いですが、
私のアプローチはその逆です。
つまり私の問いの立て方の前提は、私たちは無限の可能性が在るという前提に立ちます。
だから、私は超越者という視点がとても重要なのです。なぜこの観点が重要か?
それは、方法論をみずから創り出す原理を理解するからなのです。
世に出回っている、「こうすればこうなる」的な方法論は空っぽであり、
上手くかみ合う人にとっては、それで実現できますが、そうではない人にはまったく
意味がありません。しかし、そうなる自分なりの原理を会得すれば、方法論は、
自分に合った方法を自分で考える事が可能になります。
例を上げれば、信号が青になってだれよりもスタートを早く切るにはどうするか?
青に替わるのを神経を研ぎ澄まし、待ち、すぐにスタートすればよいのだ。というのが、
一般論でしょう。しかし青になる原理を知ったならば、交差する信号機が赤に変わった一秒後に
替わるという原理原則を理解すれば、だれよりも早く青に替わると同時にスタートすることができる。
これは例ですが、私たちは日常的に直感だと思っている事でも、実は無意識に原理を会得し、
その原理に則り、次の動作を読んでいる訳です。
そして例の話しに戻すと、原理を知っている人で青と同時にスタートを切る人を、他人は
メチャメチャ直感が優れていると思ったりする。
304 :ジャンキー:2012/06/13(水) 23:48:21.99 ID:JX65GMJK0
世の中ってカラクリがあるでしょう。手品でもタネが有る。
今、不思議だと思っている事でも、未来には、法則となっている事も有る。
これは人の一生の成長過程に置いても当てはまる。神技は努力のたまものだというとらえ方は
進歩という視点でみれば、健全な態度でしょう。
そして努力というものは、カラクリの発見とその運用方法に尽きるわけです。
漠然と「直感」と表現する場合、何を指し示すのか?
例えば、俗に言う「勘」ってものは、熟練によって、観察ポイントの分類が繊細になっているため、
物事の起こりの兆し、変化を見るポイントが極めてシンプルになっている。
最近話題のメンタリスト、DaiGoさんも、あるポイントを見ている。
タネ空かしをしなければ、これとて直感でしょう。
犯人を捜す嗅覚も、犯罪者特有の何かを、捜査官の経験による類似点によってその怪しさや
違和感を見極めてゆくわけです。
このように直感らしきものも、勘、洞察力、違和感、催眠、癖などそのようなものが
混じり合って、一般的に「直感」という概念の括りとして扱ってしまうわけです。
私が主張する直感とは、「直覚」ですから、生活全般に貫かれている法則性を指し示しています。
高城と一緒にいた時から噂が出てたな
警察もとっくに分かってたけど泳がせてたんだろう
こういうとき芸能人を槍玉に挙げることができるから日本で大麻は解禁されないのかと思った
305 :ジャンキー:2012/06/14(木) 00:03:14.72 ID:JX65GMJK0
直感と言うと、どうしても予知的に、迷ったとき、あるいは虫の知らせのように
時間差で、次の決断の指針になるような、事前予知の概念として用いられていますが、
私は直感という言葉を、むしろ直覚、時間差を抜きにして思いと動作を一致させた状態の
無意識動作も含めて、直覚的な動作を繰り返すのがそもそも人間なのである。と定義している。
つまり、生命は、直感(直覚)で生きている。そして後追いで自分の行動結果や言動を
認知し、今(過去)の自分の行動結果を自分自身で自覚する。
このような長いプロセスを経て自我に置き換えて自分を知るという事を繰り返しているのが
私たちの毎日なのです。
つまり直感(直覚)を論理的に理解する前提条件は、直感を認める事はもちろんですが、
生命自体が直感的に生きていて、私たちは常に後れて、自己認知する。という事です。
上記の前提を頭にたたき込んで、俗に言う予知的な直感と自己認知する、その正体は何か?
それは、自分がこれから起こす行動です。
この世界では誰も知り得ないのですが、自分の行っている行動や言動を何時間、
あるいは、何秒遅れで、自己認知しているのか?不明なのです。
行動と脳との関係は0.5秒だと言われていますが、0.5秒だと計った時、
何時間後、あるいは何分後、私たちは自己認知するかは、誰にも分からないのです。
極論を言えば、私たちは既に一生を終えており、思い出を時系列に再生しているのかも
しれないという事なのです。
306 :ジャンキー:2012/06/14(木) 00:11:22.19 ID:rhHw3hvI0
かなりオカルトっぽい話しになって来ましたね。
でも、上で話したように、極論ではありますが、人生劇場の思い出を一定スピードで
再生して五感に接続されたプラグで再生機械にかけられている私たちというモティーフは
マトリックスでもあります。
ただ、この考え方では、直感(予知)は、可能でしょう。再生画面のコマを少し飛ばして
共同再生のコマの先を先に見てしまうという原理であるとすることもできます。
さらに、その原理自体も思い出の一こまかもしれません。
つまり私が言いたいことは、予感や直感はコントロール不可って事です。
でも、私たちは何故、直感じみたことを求めるのか?という問いは健全でしょう。
できるだけショッキングな出来事は避けたいからです。あるいは悔いのない一度きりの
人生を一つの選択によって間違う事は避けたいという事でしょう。
つまり自分の運命を受け入れがたいという事でもあります。
307 :ジャンキー:2012/06/14(木) 00:22:37.55 ID:rhHw3hvI0
直感を求める正体は、自分の運命に対する恐怖でしょう。
この恐怖が何故起こるのか?それは私たちは生まれて死ぬって事は概念としては了解している。
でも、それが何時起こるのか?は解らない。
運命という概念を受け入れるという事は、その終焉である「死」を受け入れるという事です。
「死」が遠く先にある場合は、とても不安でしょうが、「死」が、一分後であれば、
なにもすることはできません。一分後はとても長いかもしれないし、その感覚たるや、
懐かしさや、悔しさや、様々な気持ちがワーとあふれてくるかもしれない。
そして目を閉じて終焉。
目覚めた時は天国です。あるいは、また朝かもしれない。
つまり恐怖と直感はセットで、恐怖あるところに直感あり。
直感あるところに、恐怖つまり、日常の五感による、今とかわらぬ自分の感覚の変化を
拒みたいという事なのです。
もっと言えば、幸福や自由を求めず、今のままを維持できない事が恐怖なのです。
逆に言えば、恐怖の中、あるいは外側に入ってゆけば、そこは変化です。
変化は従来の流れとは別の流れに入るという事ですから、予知が成立せず、
今、幸せ、今自由、つまり自由自在の世界に入るという事ですから、
もはや予知的意味の直感は不要となります。
私たちは感動の最中。直感を求めたでしょうか?
私たちは幼少の頃、夢中になって遊んでいる最中、未来を妄想するヒマすらなかったのではないか?
ひょっとして尻沢がクスリをやってたんじゃなくて、やってたのはフランス人の母親の方だったりして?
「なんで日本に来たら、MDMA やっちゃいけねんだよぉーっ!?‥シルブブ」みたいな