昭和60年。アマチュア・オーケストラなどの指揮をしながら指揮者を目指していた佐渡は、イスラエル・フィルと初来日したバーンスタインの演奏を初めて聴く。その印象を「今までの音楽と全く違った。衝撃を受けました」と振り返る。
転機が訪れたのは1987(62)年。米ボストン郊外で開催されるタングルウッド音楽祭で、バーンスタインに師事できた。
バーンスタインを前に指揮を終えた後、「握手をしよう」と言われ手を差し出した。だが、握る気配がない。バーンスタインは、スローモーションのように手を近づけてきた。
握った瞬間、電気ショックを受けたように感じた。バーンスタインは、「静かな動きにはエネルギーが込められている。能と同じで、それは日本人の持っている特別な才能だ」と語った。
その言葉は、ヨーロッパ生まれのクラシックに、日本人としてどこか劣等感を抱いていた佐渡の心を強く打った。
「日本人であれ。日本人としての才能を生かせ、と気づかせてくれた。大きな一歩でした」
2年後、仏のブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した佐渡は、バーンスタインの助手となった。
「彼の自由な指揮スタイルは理論に裏付けられていた。大切なのは手の動かし方ではない。いかに音楽を理解しているかなのです」
あるとき、バーンスタインに「一番印象に残るコンサートは?」と尋ねると、「ヤング・ピープルズ・コンサートだ」と答えた。バーンスタインが音楽監督を務めたニューヨーク・フィルの子供を対象にしたコンサートだった。
「最初はジョークかと思いました。でも、彼は難しい言葉を用いずに音楽を説明できた。彼の大きな業績の一つに間違いなく『教育』がある」と語る。
佐渡自身も師の思いを受け継ぎ、テレビ番組「題名のない音楽会」(テレビ朝日系)の司会や芸術監督を務める兵庫県立芸術文化センターで子供向けのコンサートなどの活動でクラシック音楽普及に努めている。
生誕100年の今年は、バーンスタインの作曲作品に指揮者として向き合ってきた。
「バーンスタインは才能の塊で、まねしようと思ってもできない。彼の遺志を受け継いでいることについて、自分の力を超えた運命的な力を感じます」
https://www.sankei.com/smp/entertainments/news/180803/ent1808030001-s1.html