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デジタル庁もできて、ますます「デジタル」が注目されていますが
デジタル、そしてデジタルトランスフォーメーションの哲学的な意味を
考えていきましょう
基礎的な概念はこちら
西部邁スレ合理論のまとめ
http://2chb.net/r/philo/1536734463/ 過去ログ
デジタルトランスフォーメーション2
http://2chb.net/r/philo/1608459847/ 904 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2021/05/23(日) 10:00:05.89 0 この理論のキモになっているのは、途中の無作為を排除するという部分 最初と最後の無作為は排除できない しかし、途中の無作為を排除すれば、認識者が共通して持つ認識の枠組みの 絶対性から、すべての認識者が共通して持つ「正しさ」を担保できるということになる そして「この途中の無作為を排除する」ことこそ、まさにデジタルトランスフォーメーションというこになるね この理論は、ほぼ完璧に一貫性を維持できていると思う
703 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2021/04/13(火) 17:13:09.57 0 デジタルの罪と言えるかどうかはわからないが、デジタルでは無作為が生じない このことによって、再帰の純度が大きく高まり、すべてのものが純化する したがって、正しいものはより正しく、間違っているものさらに大きく間違う すべてのものが加速するという表現でもよいかもね デジタル化は、加速主義と大きく関係している これは直感として共有されていると思うけどね
708 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2021/04/15(木) 08:30:11.06 0 ツイッターのつぶやきで申し訳ないが、面白いので取り上げてみます ------------------------------------------------------------ 『生きるための日本史』安冨歩 まだ途中なんですけど、私は読んでいて「加速主義」はやっぱり駄目なんじゃないかと思いました。 ここ日本では、破壊による変革はなされないで、むしろ従来の価値観をより強固に定着させてしまうんじゃないかな、と。 あくまで途中の感想です。 ------------------------------------------------------------- デジタルトランスフォーメーションによる再帰の純化に耐えて、その上で定着するならばそれは正しいということです しかし、「従来の価値観」がすべてデジタルトランスフォーメーションに耐えうるとは思いません 間違っているものは、発散して狂気の雰囲気を帯び始めます それは、至る所ですでに観察出来ると思います 709 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2021/04/15(木) 09:13:24.58 0 ここまでの考察でわかるように、良いか悪いか、正しいか間違っているかは 誰かの深淵な思考によって決まるのではありません それは、再帰系の純化により、誰の目にも明らかな形で現れます。 なぜそうなるのか? それは、ハイパーカオスと論理系の二元論によって定まる絶対性がその正しさを 決定すると言うことになりますね
欧米と同じようにヒューマニズムやってたら欧米に全部持って行かれる 80年代に日本が成功したのは、欧米よりもポストヒューマニズムに近い方向性、つまり正しい方向性に向かったから どうもありがとうミスターロボットなんて歌を歌ったロックグループも80年代にはいた 日本は絶えず欧米よりも正しい方向性に向かわないと、繁栄を維持できない これは中国も同様 今回のオリンピックが無観客になったのはある意味奇跡 これを機に、次の10年間に向けて一気にポストヒューマニズムの方向性に舵を切りたいところ
ここで聴けるな
しかし良い曲だな
ダウンロード&関連動画>> VIDEO 無観客はどう考えても最も良い結果だと思う テレビ局も余計な演出はしないで淡々とEスポーツ的に放送すれば最高だろう 変なヒューマニズム的演出をすれば台無しだが、まあそうなる可能性も高いか
>>2-5 これはひどい
やはりというべきか
スレ主はネトウヨ臭がぷんぷんするな
デマゴーグ乙
ネトウヨみたいな共同体主義者じゃないけどな まあ左派も共同体主義者だが
だいたい、
>>2-5 は加速主義の本質を言ってるだけだよ
ウヨサヨは関係ないだろ
そもそも、加速主義にウヨサヨを持ち込む方がどうかしてるわけで
右派加速主義とか左派加速主義とかまったくずれてる
そう思う俺は無条件的加速主義者なんだろうな
>>13 加速主義をおしつけようとしてる問題あるデジタル庁賛美してる時点でウヨだろ
デジタル化すると加速主義はその最も根源的な原理により促進される それはどうにもならん 諦めろ すでにもうその状況は多くの人が体験している 反対しても賛成しても促進される これを防ぐことができるのは、無作為のみ しかし、無作為は人を最も不幸にするからね
台湾 東京五輪に“天才”IT担当閣僚オードリー・タン氏派遣へ
ダウンロード&関連動画>> VIDEO そもそも欠点なく加速してくれればいいが、あちこち改悪だらけじゃねーか 領収書を発行しますか? おつりを受け取りますか? なんでこんな余分なことを機械に念押しされて待たされてボタン押させられんとあかんの?機械の中にへそ曲がりでも入れてるの?
加速して酷くなるということは、その仕組みそのものが間違っているということ デジタルトランスフォーメーションでも、それをやって酷くなる場合には その組織のあり方自体に問題がある、あるいは間違っている そして、その組織はDXを進められないから衰退していく そういうことだな
支払い方法を選択してください はぁ?現金投下したら察しろよ、店員なら中卒でもわかってくれるぞ、カードかざしたらカード払いだと察しろ、なんで選択せなあかんねん
ヒューマニズム立場なら、その組織が正しい、DXは糞となるけれど ポストヒューマニズムの立場だと、認識者の枠組みの絶対性が正しさを導き出すから それは、加速した先に現れてくる したがって、DXによって加速してダメになるということは、その組織が間違っているという 結論になる
確かにキャッシュレスなのに、現金決済より手間がかかるケースもある いまだに近所のスーパだと、paypay決済がQR決済だけしかなくて、 さすがIT後進国だな、と思う。 まず、客にQRコードを撮影させて、値段の打ち込みも客にさせて、その金額を 店員に確認してもらって、また自分でボタンを押してやって決済終了になる。 これにTポイントなど入るともっと手間がかかる。Tポイントのアプリを開いて スキャンしてもらって、また上記の作業が入る。まあ、Tポイント使うところは さすがにバーコード決済対応しているが、それでも2度手間。 もっと悲惨なのは、プリペイドカードを買おうとすると、それは現金のみの対応 なので、またプロセスがややこしくなり、本当はもう実店舗での買い物は決済が 面倒なのでしたくない。すべての買い物はネット上で済ませたいくらい たいだい、決済につきいちいちアプリを立ち上げるのが面倒
あと、この間、郵便局の不在票が入っていたので、QR読み込んで、 そのとおりの案内で当日再配送の依頼しようと思ったら、ある入力箇所が グレーアウトしていて入力できない風になっていたので使えなかった たぶん、スマホが古いので、フォーマットの規格が合わず、そんな風になって いるのだろう。仕方がないので、有料自動音声応答の方を使ってみると、 説明がほとんど書いてないので、3回位やり直して、やっと再配手続きができて、 これだけでも電話料金は100円以上取られているはず 通話料かけ放題定額無料使っているけど、それが適用できないのになっている からね、郵便局 まあ、上手く作るのは難しいのだろうけど。ただし、再配送自体は速やかに行われて、 物流システムの迅速さ、正確さはなかなか優れていると思われる
ワクチン接種とか給付金の支払いの手際の悪さとか、デジタル化が進んでいない ことの弊害だよね 利用者の側も、デジタル化に適応するための少しの努力すらしないという問題もある
だって、役所はFAX全廃しないとか記事にあったよ 紙を無駄に使いたがる
ヒューマニズム的に紙の方が都合が良いんだろうな しかし、いずれにしても、このあたりに哲学上のあらゆる問題、 そして最も深遠な問題が潜んでいる そもそも、哲学はデジタルトランスフォーメーションを扱う学問と言っても過言ではないよ
なぜ、日本はIT後進国なのかというと、日本語という言語に問題がある これ情緒を扱う雅な言語で、論理を扱う言語に適してないの だから、英語できない多くの日本人は論理思考が増えて、イコール IT不得手になる。作っている人間もそんな感じ。中国語は英語と構文が似ている から論理を扱うのに適していて、彼らはIT適性が日本よりずっと高いだろう
日本語は名詞に頼りすぎてるからな 名詞だけですべてを伝えようとする となると、論理の構築はなされず、ただ分類とラベリングのみになるってことだね
日本は高齢化社会だから、デジタルの全振りできない事情があるということ なんでpaypayでQR決済とか迂遠な支払い方法があるかというと、高齢者は 現金決済なので、アプリ決済をする人間が少ないから、システム入れても ペイしないからしない、ということもある 紙書類が多いのも、それしか扱えない高齢者が多い、日本の事情による 投票含めて全部デジタルにすれば、手間、紙のゴミ、配達による排気ガス、 人手不足、すべてが解消できるのだが、高齢化があるからデジタル全振りは 無理な日本ということになる
まあ、高齢者はいずれ代替わりするけれど、しかし日本の場合は 1990〜2020ぐらいまで非常に強いヒューマニズム思想に影響されたからな これは、欧米よりもはるかに強かった 1980年代のポストヒューマニズム的な感じは1990年代には見られなくなった この辺は思想界、哲学界の責任が非常に大きいと思うよ
そして高齢者と言ってもある時点より先は、非常に平均余命が長くなることが 予想されるからな 従来みたいな高齢者のあり方ではまずいのは明らか アクティブかつ積極的で、進取の精神を持っていないと、長い寿命は 逆に苦痛を引き伸ばすだけみたいになる
さらに、名詞の使い方も非常に酷い とにかく頭を使わないような方向に進んでいく 例えば、コロナウィルスのことをコロナと言ってしまう 頭をとにかく使いたくないという方向性を辞めないと
この頭を使いたくないという方向性もヒューマニズムの影響だろうな そのままの人間が正解なんだから、使いたくないなら使わないのが正解となってしまう 認識者の枠組みの絶対性を意識するならば、認識者としてのあり方を高める 方向性に向かうはず ポストヒューマニズムでは、その方向に向かうはずです
ヒューマニズムに走ったら終わり すべてが腐り始める シンガポールなんかは、これをよくわかっている 台湾とかもわかっているのかもしれない
日本は手書きにこだわる。 それがDX以前にPCの発展を阻害しているような気がしてならない。 文字で育ちが分かるという古の文化は否定しないが、 生産性を大きく下げていることは間違いない。
>>40 単なる情報の組合わせだと文脈判断を強いるからね
手書きであるというのはハンコ文化と地続き
官僚は権力者の意向に従う事でスムーズに決まるのに慣れている
手書きの方が脳が活性化することは有名 マルクスは大英博物館に毎日通って、著名な経済学者の本を 手書きノート書き込んでいた 脳に負荷がかかるのだから当たり前
https://diamond.jp/articles/-/201900 記憶、情報整理、精神の治癒……
手書きが結局、いちばん効果的な理由
ここのスレ主は無知なのかな
動物としての人間に留まるか、純粋な認識者として人間に進化するかという選択はある その部分は、選択であり主義ということだね 動物としての人間に留まるなら、その苦しみも受け入れることになる
まあしかし、資本主義自体がポストヒューマニズムと結びついてる感じもしないではない DXを辞めると資本主義的に敗退するわけだから この辺はまだあまり検証していないけれど
手書きということは、非常にアナログ的で したがってヒューマニズム的ということになるな アナログであるから、唯一性、個性が重視される 筆跡鑑定なんていうのもあるよね となると、そこに利権、腐敗がどうしても生じる まあ、動物としての人間は、そのものが利権と腐敗からなる存在なわけだけど
手書きの優劣、あるいは個性というのは、結局は容姿の優劣、あるいは個性と同じものなのかもしれないな 手書きに人間性が現れるように、容姿にも人間性が現れる まあしかし、容姿の方が圧倒的に影響は大きいが、それと同様のものと考えれば間違いなさそうだ
そして、ポストヒューマニズムでは最終的には容姿すら無意味なものになるだろうと 予想されるからね
手書きの方が脳が活性化するというデータを言っているのに、 なんで個性とヒューマニズムの話に持ってくの 君の意見は、頭を使えじゃなかったの 手書きなくすとIQ下がるんだよ
知能とかも結局は、遺伝子工学で平準化されるだろうからね まあそれまではもちろん、体力の維持とか、知能の維持は従来の方法でやらないといけないから 手書きが知能に良いなら、それはメリットだろうな
ただ、アナログ面への傾倒は現状でもそれなりにデメリットはあるだろうなとは思う これは、体力の維持もそうなんだが、しかし体力の場合は生きるために現状必須だけれど 筆記はそうではないとも思う。 これは、必要以上のスポーツへの傾倒と同様に、デメリットもそれなりにあると思うよ
要するに、個性への執着は喜びとともにまた苦しみも生むからね
iPhone 使うとIQ下がるからジョブズは自分の子供にそれを使わさなかった というのも有名
このことは非常に根源的な哲学的、あるいはそれ以上の意味がある そもそも、生物・動物の論理と認識者の論理は対立しているものではない 前者は後者の下位属性でしかない 認識者の論理とは、要するにデジタル化によって生じるまさにデジタルトランスフォーメーションで それは、生物・動物の論理を遙かに超えて、また認識者としての機械の属性もはるかに超えて、 この宇宙の最も根源的なあり方そのものにかかわっている そこから生じる認識者である生物・動物は、ある特別な環境に局所に適合した存在でしかなく その局所の環境は容易に変化する 例えば、男女がセックスして子孫を継承する仕組みは、ある局所の環境に適合したものだが、 その環境は容易に変化し、それが変化してしまえば、残るのは単なる利権、あるいは腐敗といえるものに 墜落する とにかく、これは非常に根源的な話です
まあこれが生物・動物の脱構築化ということになるのかな 論理系内では脱構築化は可能ですが、ハイパーカオスと論理系からな二元論は 脱構築化できません そしてこれこそが、宇宙の最も根源的なあり方ということになりますね
要するに、ポストヒューマニズムというのはここまでの視点を網羅するものということですね ポストヒューマニズムは、さらにポスト生物主義でもあるわけです
ポスト生物主義なら、むしろ人間がいない方がいいんじゃないの
生物も人間も認識者の下位属性でしかないってことです だから、反生物主義ではなくてポスト生物主義ということですね 生物よりも上位のそれを網羅する概念を重視するということです
だからAIだけいればいいんじゃないの 概念扱えるよAI、知識表現的に
君が普段主張している内容をすべて満たすには、人間をすべてAIに置き換えれば 済むことなんだけど。人間より完璧に論理を扱えるし、一律性や一意性を保てるし、 利権に歪むこともないし
まあ、AIも認識者の下位属性なわけですが とりあえず現状では、生物よりも電子的な認識者の方が現在の環境に適している のかもしれませんが、それも踏まえての包括的な思索が必要でしょう もちろんAIに特化した研究も必要でしょうが、それは専門家がやるでしょう
うーん、なんでそこで誤魔化すのかな 君の考え方を極限まで進めると、人間をAIに置き換えていくのが正しいことに なるのは自明なんだけど。客観的に正確に利害なく認識できるエージェントが いればいいのだし、それは人間よりも機械の方が上手くできる事柄で、かつ 自律的学習モデルを実装したAIなら、さらに高度なレベルでそれを達成できる
いずれにしても、加速主義がその結果を突き付けるでしょう 加速主義の進展に伴って人間の矛盾が発散し、それが狂気の様相を帯び始めたときに 人類は真剣に次の何かを探さないといけなくなる というか、そのときではすでに遅いわけですから、今から考えておかなければならないですね
それとも、加速主義を妨害するために無作為とそれによって生じる人柱を許容するかです その場合はスター・ウォーズの世界観のように、物資的な科学技術のみが 発達して多くの人々が相変わらず現代と同じように不幸のどん底にあえぐ世界になるでしょうね
現代は人口数が多いので、本当に人柱歓迎みたいな時代だと思うよ 人口数が今の1/10でも余裕だし、実祭、自然環境的にはその方が望ましいくらい
人間自体がそういう人柱が生じる環境に最適化されているので それがない環境になると、耐えられなくなるんですよ 人間の欲望の行き場がなくなってしまう
こういう欲望は最上位概念である認識者とはまったく無縁であって 局所的な環境への最適化に過ぎないので、環境が変われば邪魔、あるいは 危険な存在になってしまう こういう欲望は、最上位概念である認識者の観点からは派生的な属性ですから もちろん捨てることができるはずです
そして、こう考えることができること自体が、ヒューマニズムを超えたポストヒューマニズムということになります
人柱というより、最適化を探索しているということ どの経路が最適なのかは不明なので、あらゆる方向に人柱的に探索させて、 どこかが最適経路であるかを発見できればいいので 君のように一意性にばかりこだわると、部分最適化で閉塞してしまい、 真の大域最適解を発見し損なう
人間の欲望はむしろ、人柱の存在そのものにあると思います そこに局所最適化されている これは生物も同様ですが いずれにしても加速主義の進展に耐えられるとは思えないですね
どの経路が適応的なパスになるか分からないので、ヒューリスティックに、 あるいは人柱的にあらゆる方向に経路を探索して、どこかのクラスターが 最適解を見つければ、皆がそこから裨益するので、そういう冗長性を 適応戦略として予め持っているのが生命系 働かないクラスタの蟻がいるのも、そういうバッファ的な冗長性 君のように、最初から切り詰めた決めつけた発想でやるのは、実は長い目で見ると 適応的でもない、というケースが出るだろう。
まっ、加速主義が答を出してくれるでしょう それを止めるのに無作為を導入するのであれば、それに伴う不幸を甘受することになりまなすが、 それに耐えられるとも思いませんね
まず男性と女性の属性が最も矛盾が大きく、また生物にとっても最も重要な属性です 加速主義が進展すると、ここの部分から破綻してくると思いますね
生態系というのは超精密な繊細な綾(相互依存)で出来ているので、一部分を弄って 良くなるということでもないんだよ。ひろゆきも言ってたけど、農作物を荒らす 害虫を駆除するようにしたら、その害虫が捕食していたせいで数が制限されていた 別の害虫が大量に増えて、結局、農作物はさらに荒らされた、みたいな感じで ドーキンスも似たような例をあげてたけど、とにかく生態系は絶妙なバランスで 出来ているので、それが崩れるとコロナや疫病や大規模な自然災害が多発する。
電子的な媒体に移ればまた環境もまったく変わるわけですが その生物としての最適化(生物にとっては無作為の利用もそれに含まれます。植物の繁殖方法などはまさにそれですね) と認識者としてのあり方の矛盾も無視できないんですよ 認識者を破壊するのは無作為ですから、その無作為の影響を極力避けたいわけです
なので、無作為の影響を受けにくい電子的な媒体への移行というのは 認識者にとっては好ましい方向性です
>電子的な媒体に移ればまた環境もまったく変わるわけですが そうでもないよ。例えばコンピュータウイルスは、自然にあるウイルスをモデルに して作成されたものだから。デルタ変異株のようなコンピュータウイルスが 公的な機関やマーケットに大量に出回ったら、大変なことになるし、中国などは サイバー戦用にでそういう技術がすでにあるはず それで敵対国の金融システムをロックすれば、戦争しているのと同じことじゃん
中共はAIやITで国民全て監視している状態だから、反政府的な勢力を即時に 摘発できる体制を整えている。香港民主化活動家がされたように。 君みたいに呑気にデジタル移行で万事解決と思えるのは平和ボケ国家に 住んでいるからだよ、それは例外。
生物にとっては無作為の利用はその仕組みからして不可避ですからね それは、その欲求にすら深く刻み込まれている そうした媒体と認識者との矛盾は、加速主義が進展するほどに耐えられなくなるでしょう
いずれにしても、ここで言いたいのは、生物も認識者ですが、生物はある特殊な環境に 局所最適化されているために、認識者の本来のあり方からかなりずれている あるいはずれることを強いられているということです それが、苦しみや不幸を感じる真の原因となっているということですね
>認識者の本来のあり方 たとえば、この具体例をあげてみて
カントによると、真の認識はもの自体に阻まれているゆえ不可能ではなかったかな
認識者にとっても最も避けたいのは、永遠に無作為を 認識させられることです それは認識者を最終的に破壊するでしょう そこに認識者はそれ単独で、生物としての本能ではなく、 認識者として単独で、それを避けようとする 認識者がネイティブに持つ自身の持続性への希求に反するためです 認識者は、それ単独で、あるいは認識するという行為のみで、ネイティブに認識の継続を希求します それが認識者の本来のあり方です
カントは真の認識は不可能としたけど、それであっているんじゃないの だって、認識は脳の組成に依存するので、人間と蟻とAIでは世界の見え方が異なる のは自明。そうした脳のフィルター抜きで見える真の世界は、物自体で認識できない コンピュータは0と1のバイナリだけで世界を認識するけど、人間や魚にはそんなことはできない
生物は最終的には、個体の代替わりによって無作為を利用するシステムだから すべての存在が人柱ということになりますね これは、やはり認識者としては許容できない媒体だと思います
>>89 0と1では世界は認識できないですし、人間や生物もそれと同じような
不連続な何かで世界を疑似的に認識してるだけですから、コンピュータも人間も
同じように論理系です
本当にある何かはハイパーカオスであって、それは論理系からは認識できないですね
ドーキンスが言うには、生物は自己保存と生殖で種を存続させることが 主な目的で作られているとのこと。孔雀が美しい羽を誇示して大きく広げるのも よき異性を獲得して、種を存続を可能にするため。カメレオンの保護色とか 擬態もそういう目的。だから認識を持続したい、ではなく、自己の遺伝子を 存続させたい、みたいなレベルに盲目的に駆動されているのがおおよその生物の実情。 ただ、人間はこれらの盲目的・本能的なプロセスを知的に俯瞰できるので、 そこに制動への契機が生じたりするのが他の生物とは異なる点
1回相互作用があればそれによって、限定される 物自体という表現も可能になる それを認識できないにせよ 1回も相互作用がなければ、それはもうハイパーカオスと言うしかいな何か ハイパーカオスという言葉自体、論理系の再現性を強く意識した言葉だと思う 結局は論理系の分析と言うことなんだろうな まあ、それしか分析しようがないわけだけど
>>93 エコロジーではよく生態系の保全が叫ばれるけどあれは単にお互いが相手を利用し合っているだけなんだよね
だからサルやチスイコウモリに見られるような互恵的利他性をそのまま人間に拡張するのは難しい
人間はこれまでリソースを拡大する方向に進化してきている
そして資本主義は分かりやすくリソースの奪い合いを可能にした
托卵する鳥(カッコウ、ホトトギスの仲間)の個体数より、托卵される鳥 (モズ、ホオジロ、オオヨシキリなど)の方がずっと数も種類も多いのです。 生態系ピラミッドみたいなもんです。托卵で殺される数より、捕食される方が 多いだろうしね。また、托卵する側はひとつの巣に1個托卵ですが (1シーズン十数個)、される側の鳥は複数個で生みます。他の托卵されなかった 巣の雛が育てば数は確保できますよね。全滅させたら共に滅ぶだけ。 うまいシステムですね。 托卵する理由は未解明部分が多いとか。雛が食べる餌をうまく捕ることが できないとか、体温保持能力が低いとか、色々説があるようです。
環境目的でポストヒューマニズムを唱える人たちがいるけれど あれは自分が本当は何を望んでいるのかよく理解できてないからだと思っている 環境>人間なんて主張は通らないわけで、そうなると環境を大事にしないと人間もまずいですよってことだが しかし、それだけなら科学技術で環境負荷の軽い代替手段がいくらでも見つかるだろう 彼らが真に求めているのはポストヒューマニズム自体であって、しかしそれを主張すべき理由が 見つからない なので、環境問題にかこつけてる ヒューマニズムの限界を感じていても、それを超える理由を見つけられないことが 原因だと思う その彼らが真に求めている理由は、このスレを読んでいる人には明らかでしょう
これは、さらに大きく考えれば伝統宗教についても同じだろうと思う 伝統宗教を創り出した人たちが本当に望んでいたのはポストヒューマニズムだったはず しかし、当時の知識では到底それに届くはずもなく、 したがってヒューマニズムを抑制するために神なるものを発明した そういうことだと思う
要するに、伝統宗教の最も根本にあるのが、悪いことをすると神様に怒られますよという論理 ポストヒューマニズムも最も単純に考えればこれと同じだね
✖ 環境>人間なんて主張は通らないわけで、 ◎ 人間>環境なんて主張は通らないわけで、 これが分からないのが土人やネトウヨ
>しかし、それだけなら科学技術で環境負荷の軽い代替手段がいくらでも見つかるだろう 見つかってないから世界中で異常気象多発
俺なりにスレの要点を纏めると、 認識者とは認識の事 認識は全ての属性を内包するので矛盾が存在しない しかし認識者を存在させると矛盾が生じてしまう つまり認識者というのは端的に言って認識の持続的なあり方を指している 従って認識内容そのものは自己参照出来ないからハイパーカオス 認識の絶対性はそれ自体によってではなくハイパーカオスに依存するというオチ だから肝心な事について質問されても濁して終わり
まあ、人間より何か上位のものが欲しいってことでしょうね それが環境であったり神であったりする しかし、その最も本質的な議論は、ポストヒューマニズムということになりますね
>>104 認識者にとっては、二元論が成り立つ
したがって、ある種の絶対性が生じる
要するに、二つの世界を絶対的に隔てる何かが想定される
そうでなければ、二元論は成り立たない
その絶対的な何かこそが、ポストヒューマニズムにおける絶対性ということになります
>>106 これは、カントの物自体を認識できないと言う言説から自然に導き出される論理です
これに数百年間気づかなかった哲学界はちょと悲しいですね
上位とかでなく、包含関係だよ 海や河川の方が海洋生物を包含しているので、その逆ではない 大気が人間を包含しているのであって、人間が大気を包含しているわけがない 順序集合的に考えてもいいよ。魚や人間が先に生まれて、そのあと海や河川、大気が できるわけがない
>>107 それじゃメアリーの部屋だ
一次情報だからと言ってすべてハイパーカオスで斥けて良い筈がない
>>108 包含している存在が偉大だからと言っても、個人の権利も欲しいですよね
>>109 ハイパーカオスという言葉を使わなくても、あるいはデジタル化という言葉を使わなくても
二元論を構成しているというだけで、ある種の絶対性を想定せざるを得なくなるわけです
物自体を認識できないなら、物自体と、その認識から成る二元論がどうしても構成されてしまいますね
>>111 これ以上は不毛だから止めとくよ
中身のある論理を否定する気はないからな
私は #オードリー・タン 氏の来訪に合わせ、彼の愛読書から #柄谷行人 氏との対談を提案したが、 本来であればデジタル改革相 #平井卓也 氏との対談が設定されてもおかしくはない。 …でも止めた方が良いかな?? 裕次郎@Yuh_artisan 昨日 21:44 642
>>111 それでは、人が完全に認識できるものは何でしょうか?
それは、データです
データこそが、人が完全に認識できるものです
ということは、もの自体と認識の二元論において、
データは認識と同じ側に属すると言うことですね
ここまでくれば、もうデジタル化がこれに大きく関係していることは
予想できると思います
情報哲学というのもあるらしいけれど、何かいまいちだなあ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%93%B2%E5%AD%A6 やはりメイヤスーが一番核心に近いことを言っている
>クァンタン・メイヤスーは、その著作「有限性の後で」の中で、存在の一次性質と二次性質について触れている。一次性質は数学的性質であり、人間の思弁的結果である二次性質に先立って存在すると述べている。
数というのは、デジタル化した結果そのものだからね 上の二元論の境界に最も近く、したがってその絶対性を強く帯びている 数学の絶対性は、その結果だよ 数以外のデータでも、人間はそれをデータとしてなら完全に認識できるけれど(例えばAはAとして完全に認識できる) しかし、それともの自体とのつながりは恣意的で強引な関連付けが必要になる 唯一数のみが、恣意的とは言えないほどに非常に強くもの自体と関係している
この辺、海外の哲学者もまだ混沌としている やはりメイヤスーが最先端な感じだが、それでもまだまだ物足りない この辺を抑えておかないと、ポストヒューマニズムが迷走するのは必至だから ここを日本人が抑えておけば、ポストヒューマニズムで一気に逆転できる
スレ立てから大体一年経過した訳だが、特に真新しい事も書かれていないしこれといった進展もないな ただの科学万能主義スレ
着想が啓蒙主義の時代から何一つ変わっていないのは驚きだが 理性を「正常」に運用するなら科学技術としてのAIが人間にとって変わる事はない ヒューマニズムを寧ろ拡張する想定をすべきだ 直近ならコモンズがそれに近い
まあ、デジタルトランスフォーメーションによる加速にヒューマニズムが耐えられれば、 ヒューマニズムは正しいということになりますが無理でしょう
このスレ主題は幾分かマシなのに残念だ 論客が少ないと如何せん盛上がらない 一神教か多神教かは最早些末な関心事に過ぎなくなる
まあ、その現在進行しているヒューマニズムの発散、狂気を眺めているだけですね ただ、次の方向性をわかっていれば、それに狼狽することはありません
>>121 人間の認識を越えればそれはトランスヒューマニズムだろうと思うが、認識そのものを拡張していけばヒューマニズムは保持されるのではないか?
メタ認識が人間の認識の限界だとするならその形式を逸脱しない以上サイボーグになろうがマイクロチップを埋め込もうが問題ないだろう
>>124 トランスヒューマニズム×
ポストヒューマニズム◯
ヒューマニズムを包有するより大きな概念に移行すると言うことですね それがポストヒューマニズムです
つまり、生物としての人間に基づくあり方から、あらゆる認識者を包有し、それに基づくあり方に移行するわけです
先のレスでも書きましたが、生物自体も認識者ですが、それはある特殊な環境に最適化された存在でしかありません 例えば、生殖のあり方などは、地球上の特殊な環境に最適化されているだけです そうした特殊なあり方から、より普遍的な認識者に基づくあり方に移行するということです
ハイパーカオスに一番近いのは抽象だと思う ただしその抽象は脳みその作りごとに違うので 動物ごと人間ごとに内容が違う 抽象を数字に加工して共有可能にするので、 ハイパーカオス→抽象→数字 の順番になる 共有可能でないと相対主義になるので けっきょく意味ないけど…
ハイパーカオスという言葉を使ったのはメイヤスーですが それは、結局は論理系ではない何かを指している言葉に過ぎないのではないかと思います 論理系ではない何かを論理系から見ると、それはハイパーカオスと形容するしかないものに見える それ以上の意味は与えようがないし、わかりようもない
明らかなのは、何を認識するかに認識が依存する以上相対主義に陥るという事
論理系で認識する前に 一つ非論理系を挟んで認識してるんじゃないか?と思ってる 人間の内部にも非論理系があるのでわ?
>>131 認識と、もの自体の二元論になるので、両者を隔てる絶対性が存在しますよ
論理が数学的に世界を整序するのに対して、抽象はそういったデフォルメを施さない点で非論理系と言える そしてハイパーカオスはそれらを包含している 数学=認識、抽象=もの自体、ハイパーカオス=絶対性
>>136 もの自体は絶対に認識できないわけですから、そこに絶対的な隔たりがもの自体と認識の間に存在するということですね
となると、何かをどうしても制限、限定、規定するものが絶対性ということになるでしょう
>数学=認識、抽象=もの自体 なにこれwここのスレ主は数学できないんだな それに抽象はデフォルメでないし 数学=抽象
>>140 バカはお前だろ、抽象はデフォルメなんてどこにも書いてないだろ
>>140 スレ主じゃない
抽象=もの自体とかめちゃくちゃ
>抽象はそういったデフォルメを施さない点で非論理系と言える 非論理系と言っているから、支離滅裂なの、この文は最初から
これだけわかりやすく書いても、どれだけの人がわかっているのか。。 スレの趣旨がわかっている人は「わかっている」と書いてくれ
>>143 そうかな?
認識=ハイパーカオスからの選別なら矛盾しないけど
>>147 認識という行為自体が抽象ということです
もの自体は無限の存在ですから、抽象しないと、認識者の手に負えません もの自体の一部を取捨選択して、取り込むわけで、それは抽象であり、また認識であるということです
抽象が非論理系だったら、やばいよね 数学は抽象化した構造を扱うことで論理的な汎化性を獲得しているのに
数学も抽象だったか ごめん ここで言った抽象は言語以前のものという意味で使った
認識という行為自体が抽象化である、は間違っていないよ 感覚モダリティのフィルターにかけて抽象化したものだけを表象化できるのだから だから現実も抽象化されたものの一つ。主に言語による抽象化だけど
もちろん、抽象は論理系です 非論理系とは、同一律が成り立たない系であって、同一律が成り立たなければ抽象は不可能です
数学も言語じゃないけどさ もっと感覚的なものというか
重要なのは、抽象ではなく、目的に合った抽象化ではないのですか? 何をどう拾い出してまとめるのが良いことなのかは、目的に依るでしょう。 砂金を採ろうとしているのに、タニシを集めてもしょうがない。
逆に、交易できる相手がいない場所で、食料がないのに、 砂金ばかり採取して、食料になる魚や貝が集められなければ、 飢え死にするでしょう。
数字以外のデータは、それ自体ですでにもの自体との関係が消失している 例えばAというデータはすでにもの自体と何ら関係がない これは「あ」でも「お」でも同様です そこに、すでにもの自体とは関連しない論理系が独立して存在している 唯一数字のみが、もの自体とどうにか関係を持っているデータなわけです ここに、数学が持つ絶対性の謎を解き明かす鍵がある
もうダメだ 詰んだ 悟ったと思ったら悟ってなかった 笑いものだおしまいだぁ〜
すでに人の意思で変えられることはあまりないですからね すぺて加速してあるべきあり方に収斂してしまう ならば、そのあるべきあり方とそのメカニズムについて考えた方が良いということです
人工知能ってものを認識すると 一旦認識した情報をバラバラにして 再統合するやん それって非記号的であって 非論理系ではないってことなんか?
数学はローカル言語だし同一律も人間が勝手に決めたルールだから普遍性は無い これは常識だから最低限分かっとけ
>>163 しかし、生物の発生やウイルス、さらに惑星の軌道系でも同一律は成り立ってますからね
人間というよりも、認識者を成り立たせているのが同一律が成り立つ系ですよ
でも、この光子はその光子と同一か否かというような同一律の問題は成立しないのですよね。
>>163 ゲーデルも知らない奴がいってんだろうな
ほっとくしかないだろう
言語の汎化性なんてそれこそヒューマニズムの最たるもの だから言語以前を抽象するしかないし、それは数学でも難しいだろう
>>166 同じものですら同一ではないですよね
こういう言い方は変ですが
同一律が成り立つということ自体が、持続性を前提としている 論理系もまた、それを成り立たせていることはすなわち、持続性を希求しているということになります
めちゃくちゃな意見だらけだな。なんだよ数学がローカル言語ってw ローカル言語で、なんでパソコンが世界中で、宇宙ステーションでも動くんだよw
デジタル化はあらゆるところで起きている それは相互作用があるところにすべて起きていると考えても良いでしょう その相互作用は回数で現れされるわけで、そこで数字で表現できる 数字はかなりの程度まで、もの自体と関連している
0と1で動いてると言ってもデータを信号に置換しているだけで、じゃあそのデータ元は?となるだけ
>>175 だからもの自体は認識できないということになります
ここだとからかわれてオモチャにされるだけだな やっぱ哲学とかチー牛しかやってない 陰湿学問ってこった
>>177 実際大した事言ってないしな
等身大の解釈だと思われ
どーせワイはアホや なんも分かってない素人や 死んでくる
認識出来ないもの自体と数字が近いとする根拠はなに?
>>181 数字に近いというよりも、数字しかもの自体に関連しているものがない
それ以外は単なる恣意的な割り付けで、実際にはもの自体に対する関連性がまったくない
ラリュエルは、(古代哲学から分析哲学、脱構築などに至る)あらゆる形態の哲学は、ある先行する決定を中心に構造化されているが、この決定に対して構成的に盲目のままであると主張する。ラリュエルがここで念頭に置いている「決定」は、世界を哲学的に把握するためになされる世界の弁証法的分割である。哲学史からの例として、イマヌエル・カントによる多様な感覚的印象の総合/悟性の能力の区分、マルティン・ハイデガーによる存在的/存在論的の区分、そしてジャック・デリダによる差延/現前の区分が挙げられる。ラリュエルがこの決定を興味深い問題だと考える理由は、決定それ自体はそれ以上の切断を導入しなければ(哲学的に)把握することができないからである。
ラリュエルはさらに、哲学の決定的構造は非哲学的にしか把握できないと主張している。この意味で、非哲学は哲学についての科学である。しかし、非哲学はメタ哲学ではない。というのも、ラリュエル研究者のレイ・ブラシエが述べているように、「哲学は既にその構成的な再帰性を通してメタ哲学的」だからである[1]。ブラシエはまた、非哲学を「超越論的な公理を経て進行し、哲学的に解釈不可能な定理を生み出す哲学の理論的実践」と定義している[1]。非哲学の公理と定理が哲学的に解釈不可能である理由は、先に説明したように、非哲学のようには哲学はその決定的構造を把握することができないからである。 ラリュエルの非哲学と哲学との関係は、非ユークリッド幾何学とユークリッドの仕事と類比的に捉えられるべきである、と彼は主張している。それは特にアラン・バディウのようなジャック・ラカンの哲学的相続者と対立している。
哲学の決定的構造は、非哲学の主体によって把握される。ラリュエルのここでの「主体(the subject)」の概念は主題(subject-matter)と同じではなく、伝統的な哲学的概念である主観性(subjectivity)とも何の関係もない。代わりに、それは数学における関数と同じ意味での関数である。 遂行性(performativity)の概念(言語行為理論に由来する)は、非哲学における主体概念にとって中心的である。ラリュエルは、哲学と非哲学の両者は遂行的であると考えている。しかし、哲学は、すでに述べたように、それが完全に把握することができない決定的構造を単に遂行的に正当化するだけであり、(哲学に現前する)理論と行為の区別を崩壊させる非哲学とは対照的である。この意味において、非哲学は根源的に遂行的である。なぜなら、その方法に従って展開された定理は本格的な科学的行為を構成するからである。非哲学は、したがって、厳密な学問分野として理解される。
非哲学の主体の有する根源的に遂行的な性格は、根源的内在の概念がなければ意味をもたない。内在をめぐる哲学的教説は、一般に、世界と他の何らかの原理または力(創造主たる神など)との間の超越的な分離に抵抗するあらゆる哲学的信念または議論として定義される。ラリュエルによれば、哲学の決定的な特徴によって、内在は不可能にされる。というのも、理解不能な分裂が常にその中で起こるからである。対照的に、非哲学は、非哲学の主体によって際限なく概念化できるものとして、内在を公理的に展開する。これこそラリュエルが「根源的内在(radical immanence)」という概念によって意味するものである。非哲学における主体の実際の仕事は、哲学に見られる根源的内在に対する決定的な抵抗に対して、その方法を適用することである。
誰しも認識を推し進めれば不可知論に突き当たる そこで何故かメイヤスーは不可知を偶然性と結びつける そしてこの恣意的な結びつきに於いて必然性が生じる事になる
そして、偶然が必然であるというこの詭弁は、外側からの神による恣意的な操作抜きにしては有り得ない事になる
デジタル化された後の情報は、それぞれが不連続でバラバラな 断片だから、メイヤスーの言うような理由律も成り立たないバラバラな 事実の連続みたいな表現になるのかもな しかし、偶然が必然であるという言説は奇妙だが、ならば 偶然は偶然であると言った場合には、どんな意味になるんだろうか?
さらに、必然は偶然である、必然は必然であるという言い方も考えられる 必然と偶然は普通ならば反意語であって、それを等号では結べない その等号が成り立つには、一般的ではない前提条件があるはずだが
理由律が成り立たないとしているから、偶然こそが必然ということになるのかな となると、言いたいのは理由律が成り立たないという部分 結局は、目の前で起きているのは、何の関係もないバラバラな事象の集まりでしかない それは、デジタル化した後の不連続な情報の断片ということで整合するが
真っ白な紙があって そこに何でも書かれうるという状況は 偶然ってことになる?
川床から砂金を採取してみせて、「この川床には砂金がある」と言うと、 なぜか「川床の堆積物はそんなに単純なものではない」とたちまちに マウントをとりにくる人が湧いてくる不思議。
認識にとって偶然と言うことなんだろうと思う デジタル化によって得られるある瞬間のスナップショットは、それはまさに偶然の産物だから 認識された目の前の出来事は、ズタズタに寸断されたスナップショットの集まりであって その各スナップショットの間には、どのような理由律も成立しない ただ、偶然のタイミングによってそのスナップショットが並んでいるだけ
人間の中にも偶然ってあるの? 人間は偶然を作り出せるの? 例えば今日は散歩行こうっていう、いきなりの思いつきは 偶然思いついたことなんだろうか 紙になんでも書けるっていう自由は偶然ってことなんだろうか
スナップショットが取られるタイミングというのは偶然だろうと思う それは神経系が点火するある瞬間に起きるわけで、 その点火がいつ起きるかは、物質の量子レベルでの無作為的な特性に大きく左右されるだろうと思う
スナップショットって認識する時ってことでしょ? 人間の意志の中には偶然って存在しないんだ…
デジタル系だけでは無作為、偶然は起きないけれど 人間の意識には様々な物質が影響しているだろうから 意思の中にも無作為な偶然は起こりえるでしょうね
まあ、それも論理系における入口の無作為と言うことになると思います
しかし、オリンピックは最後に障害者いじめがイベント作曲者とかに なってとんでもない落ちがついたな このオリンピック自体、もう加速主義の塊なんだろうね これで、ポストヒューマニズムの方向に進めば良いけど そういう感じもあまりしないなあ、これでは
トヨタ自動車は19日、豊田章男社長ら関係者は 東京五輪・パラリンピックの開会式出席を見送ると明らかにした。 【東京五輪】トヨタ、五輪関連のテレビCMを見送り。企業イメージの低下に つながると判断か
それぞれの当事者が利益確保に必死すぎてもうわけわからない状態 まさに、加速主義だな
結局、喜びで生殖活動してれば、喜びを求めて行動しまくる くずが相応の結果として誕生するんだよ しかし、そうしたくずも生物的な環境においては、決して有害なだけの 存在ではないからな 生物から脱却しない限り、こうしたくずはなくならないし、 むしろ何かの役割すら背負ってる
与党幹部「世論がおかしい」 40人出席 バッハ会長歓迎会が波紋
https://news.yahoo.co.jp/articles/e5c6b1e5832ab47d8972df8fe64393d3fd276231 こういう催しってなんでやるのかね
やる必要ないだろ
こういうのが好きで好きでしょうがない人たちが政治やってるんだろうな
こういう無意味な集まりが格差を広げる根本原因だと思う
アメリカなんかは、こういう社交のためにいくら金あっても足りない状態になる
こういうのをなくせば、無意味に金を集めようとする人はかなり減るだろう
そもそも、バッハとか言う人がわざわざ日本中を訪問すること自体が 癇にさわるということがわからないんだろうか こんなイベントはとっとと終わらして、対策をきちんとしろという 感情がまったくわからない また、会場での酒類の販売禁止も異様に遅れ、今回のいじめ辞任も 判断が異様に遅れる 上級と呼ばれている人たちの他人の感情を推し量る力というのは 異様に小さいんだろうと思う
まあ、バカを浮かれさせて金を儲けようぜっていう集団だから どうにもならないんだろうな
自分をくずと自覚してる奴は子供を作らない方がいい それが被害者に対する最大の罪滅ぼしだよ
結局、共同体主義の害毒が呪いとなって表面に現れてるんだよ 五輪にしても何にもしても、共同体の象徴みたいなものには すべて呪いがかかる感じになる
子供を作らないというのはかなり良い罪滅ぼし 動物として犯した罪を購うには、動物であることを卒業すること つまり繁殖を行わないことが最も直接的な罪滅ぼしだろう
資本主義の加速主義じゃないんだよ ヒューマニズムの加速主義 今起きているのはそれ 宮台氏なんかも間違ってる
ひろゆき氏、小山田圭吾の息子への攻撃に疑問「どういう理由で正当化出来てるのかわかる人います?」
https://hochi.news/articles/20210720-OHT1T51033.html 要するに動物としてなされた罪だから、動物であることそのものが
攻撃されているんだよ
西洋人の体臭がキツいと日本人に言われてたのは四半世紀前 今は日本人の方がキツいと外人に影で言われていることを知っている日本人は少数 原因はもちろん食生活が肉寄りになったのと毎日💩垂れ流すほど食ってる体 西洋人は朝風呂が基本でコロンもふってるから集団生活時の昼間はそこそこ 日本人はもう臭い仲間入りしてるのに朝風呂に入らずコロンもつけないから朝からマラが匂う
スポーツ観戦とか頭を使わないで楽しむ行為というのは、 麻薬並に脳を破壊すると思ってる 脳を使った結果としてのその報奨としての楽しみであれば どうにか脳のバランスが取れるが、脳を使わないで 脳内麻薬を出すだけの楽しみは脳を確実に破壊する それは、老後にボロボロになっている人たちを見ればよくわかると思う
アメリカの大麻合法化の流れは、益々、馬鹿が多くなる世界になる布石だね 日本のカジノも同じだけど
脳内麻薬も普通の麻薬も大して変わらないと思ってる 脳内麻薬でも、その反動はきちんとくるからね 脳内麻薬は微量だから、それほど害がないだけだろう しかし、長期的に見れば、老人の脳の衰退のような悪影響はあるだろう と思う
今の国民の怒りというのは相当なものだろうけど これは起こるべくして起こっている類の現象の積み重ねなので そこに怒りを向けることは、まさに加速主義を押し進めることに 他ならない その怒りこそが、これまでの起こるべきことを起こしてきた原因 とも言えるものだからね
ノイマン『思考こそが一次言語であり、数学は二次言語である。数学は、思考の上に作られた、一つの言語に過ぎない。』
https://www.a-inquiry.com/ijin4666/ 数学が一次言語だよ 一次言語というか、数字のみがどうにか認識の外側と関係性がある それ以外の言語は認識の外側に対してまったく関係性がない
この部分は本質的な議論だな 最終的には認識とその対象の二元論を成り立たせる核心になるのかな 他の言語と同様に、数だって恣意的な関連付けだろうという反論は 当然成り立つわけだが、しかし認識とその対象を分ける絶対性に数こそが 関係している したがって、数とそれに対応する認識外の対象は、他の言語のような恣意的な関連付けではない それをどう説明していくかだが、ここに本質があるのは確か
これはデジタル化こそが認識であるという主張から直感できる結論なわけだが。。
要するに、二元論が成り立つには特別な何かが必要 それは、絶対的に汎化されない何か、脱構築できない何か それがなければ二元論は成り立たない その部分に数が関係している
デジタル化とはつまり数字化だから、認識とはデジタル化であるというとき それは認識とは数字化であるといっていると言うことになる
自然数の公理 1は自然数である。 ある自然数に1を加えたものも自然数である。
こうも考えることができる それは例えば、AAとAが並んでいるとき、それはAが2つあると表現できる それでは、11と1が2つ並んでいるとき、1がA個あると言えるだろうか? もちろん言えない つまり、両者は対称ではない
自然数の公理 おちんちんは自然数である。 ある自然数におちんちんをびろーんしたものも自然数である。
記号のa,b,c,などは、プレースホルダや変数として置けるので、 それらの記号を使って問題なく計算できるよ 行列計算なんて、そうい記号使うし、実際に
数字のプレースホルダーですから、それはすでに数字ということですね 数字と他の言語は対称ではないということです 他の言語は、数字によって記述されてしまう しかし、数字を他の言語で記述することはできない それをすれば数字そのものになってしまう
そういう理解ならいい思うよ ゲーデル数化も、記号や論理式に数(ゲーデル数)を割り当てたもので、 そういう発想であるし
さらに言えば、あらゆる文字はこういうインターネット上では すでに、コード化、数字化されているわけですから、数字であらゆる 言葉を記述できます しかし、他の言葉では何一つ数字を記述できません 要するに0:1の対称性がある 数字はすべての言葉を包有していると言えるわけですね
ここでポイントになるのは、なぜ他の言語では数字を何一つ
記述できないのか? ということになると思います
>>237 の前段については、あまりにも自明ですから
他の言葉で数字を記述すると、それは数字になってしまう それに対して、数字で他の言葉をすべて記述できる 他の言葉というのは、本当に実体があるのでしょうか?
例えば無限小数を扱おうと思えば無限のメモリが必要になる つまりデジタルはπすら扱えない。何バイトかによる近似で済ますか、 または「円の直径と円周との比率」という定義を共有して処理するしかない 文字はそうやって実現されてる
しかし、πという文字は数字コードで表されてしまいます
そして、πも数字です それは虚数のiなんかと同じですね
だから「この文字コード体系の中のこの字面の文字を表すコード」という定義を共有することで いちいち字面をやりとりせずに済む仕掛け。元々円周率がπと呼ばれているのも同じ仕掛け
数字以外の言語には実体がないとしか思えないですね あるいは、数字という実体のある言語に基づく二次言語ということになるでしょうか
人間の認識に数字を当てはめるというのは脳の電気信号を利用する訳ね
ヘッブの法則とかその典型。閾値を設けて、それ以上ならニューロン発火で それが1で表され、閾値未満で発火しなければ0で表される。 深層学習のシグモイド曲線も同じ原理を実装したもの
そうです 結局は言語のデジタル性、さらには認識のデジタル性という部分に 行き着くと思います
そして、その結果として、「数」には、他の言語概念に対して 汎化あるいは脱構築できない、特別な意味がある 「数」には、他の言語概念とは決定的に異なる、最も根本的、 構造的な特殊性があるわけです
>>231 と
>>233 はどう思う?ふざけたわけでもないんだが
数学の面白さはエッセンスが綺麗に取り出されているところ その強力な一般性が楽しい 例えば「等しさとは何か」といえば、 1.同一律。A=Aであること 2.反射律。A=BであればB=Aであること 3.推移律。A=BかつB=CであればA=Cであること この3つの条件を満たすものなら何でもかんでも等しさなのである、 といった感じ
>>252 ある正しさが相互矛盾し合うという事はない?
>>253 そうならないように、公理は注意深く選ばれ、そこからの推論のみによって諸定理が導かれる
これはユークリッドの昔からそう
>>255 数学はしかるべく矛盾にはうるさいし基本的に自由かつ自給自足の世界
不完全性定理だって、ノイマンは
「このことが哲学的原理とか、もっともらしいが疑わしい知的な方針などではなく、
極度に厳密で学問的な、数学の結果として得られたことが重要だ」と評した
結局問題はコンピュータという「数学みたいなもので実際に動いちゃう機械」が
発明されてしまったことにあって、その歴史は数学と比べれば全然浅い
言語において数字のみが唯一認識外の対象にどうにか関連性を持っているということです それ以外の言語要素は認識外の対象にまったく恣意的に関連付けられているに過ぎない
ちなみに
>>250 はヒルベルトという数学者が取り出した数学そのもののエッセンス
この2つに共通する構造が、そしてそれだけが数学なのだという立場
本研究成果により、比較的単純な線虫の神経でも、高等生物の高次神経系と同じように、外部からの入力刺激が、アナログ信号だけでなく、活動電位発生を伴うデジタル信号に変換されることが明らかになりました。神経応答を直接観察できる電気生理学的手法を、線虫に導入することに成功したことは、極めて大きな意味を持ちます。 丸山一郎教授の研究チームは、これまでに線虫の学習・記憶についても報告しており、今後、学習の成立後に起こる神経の可塑性を電気生理学的に解析できることが期待されます。また線虫の平均寿命は2週間と短いことから、老化・寿命のモデルとしても広く研究されており、認知機能に対する老化の影響など、より多面的な神経の働きを明らかにできるかもしれません。
デジタル系-論理系には、それ自体で持続への希求がすでに含まれる その希求をハイパーカオスがかなえることで、論理系は持続し、さらに 進化すらしていく 論理系そのものは、生物の進化を見てもわかるように、複写され、 そして進化する 論理系は、複写されても、それはオリジナルとまったく同一であり、 その区別には意味がない
むしろ、持続が先 持続が成り立っているから、論理系が成り立つ そして、持続する系は、持続することを生来に希求する
あのさ、要するにコンピュータしか役に立たない世界を望んでる?
>>264 これは、動物的な脳内麻薬に依存せずに、持続を希求するかどうかを
考える上で非常に重要
この点がクリアになれば、ポストヒューマニズムの問題点が1つ解消される
脳内麻薬を生きるモチベーションとして、楽しいことを追い求める限り 小山田圭吾のような人間はいなくならない 彼は、常に楽しいことを追い求めてきた結果、このような結末に至ったわけで
アメリカの3S政策に洗脳されたままなのがジャップだからな スポーツ スクリーン(映画・TV) セックス 頭を悪くする効果的なツール
>>265 どうやらそういった問題は発生しなさそうだ
政治はAIによって行われるらしいからね
最終的に人間の様な意思決定者を介在させないのなら完全なオートメーション化を達成出来る
持続する系は持続することを生来に希求するって、オブジェクト指向哲学的な 考えかもな これは最終的には、我思う故に我ありの変形バージョンの1つだろうと思う そしてオブジェクト指向哲学もそういうことになるのかな
要するに、「我思う故に我あり」のポストヒューマニズムバージョンだね
抽象するという事が同時に捨象する事をも意味する場合、世界に潜在する何かを想定しなくても良いのではないだろうか? もし仮に扱うとしてもそれは様相論理の範疇となる
最も本質的な部分は、持続しているかどうか 机でも椅子でも、それは持続しているように見えるだけで 実際には持続なんかしてない その持続するように見えるのは、認識者側がその能力を持ち合わせている というだけで、最終的には持続する能力を持っているかどうかが最も本質的な違いとして存在する ここの部分で区分けしないと、最終的には支離滅裂な概念に至ってしまうと思う
この部分がオブジェクト指向哲学の抜けている部分だと思う これは、要するに事実性の絶対性をきちんと捉えるかどうか という部分になる 要するに、メイヤスーが言うように、結局は人は相関主義から出られない
要するに、どこにも絶対性の見えない概念は筋が良くない もの自体が捉えられないなら、二元論が成り立ち、どこかに それを支える絶対性が存在するはず それが見えない概念は、根本的な部分で誤りがある
メイヤスーの議論は、最も強い相関主義の立場に立っても そこから事実性の絶対性を認めざるを得ないというものだった それは、潜在する何かを想定しないという立場をとっても、 まさにその立場から、事実性の絶対性が導かれてしまうということだったと思う
>>280 少なくとも、哲学特有の「どうあるべきか」という思考様式は必要なくなる
そうして人間の思考から有用性の大半を排除してしまった時に、残されるのが欲望であっては不味い
というのも、自我によって身体が使役される様な能動モデルにおいては、超自我もまた自我によって使役される事になり情念として扱われてしまうのみになる
だからこそ、自我による非合理に抗して、超自我ー機械が人間本性の座に取って代わる必要があるという事
ちなみに宗教というのは自我ー身体の図式でしか成り立たない
人間の自我は高度な認知機能により事物のシンボル化を可能にするがシンボルの整合性を問題に出来ない(フロイト『自我は、それ自体意識されない』)事から、絶えず論証の為の論証が繰り返されてきた歴史がある
この様な弁証法としての歴史が如何に空疎で野蛮なものであるかを知るには、ある種の基礎づけ主義を止めなければならない
>>275 メイヤスーの議論では、潜在する何かを想定しない場合に
それを想定しないだけでは不十分で、想定しないことを想定しないまで
言わないといけないということになる
ということは、様相論理を使えるかどうかすら確定しないわけで
それこそがまさにハイパーカオスということになりますね
想定した場合ですね 失礼しました しかし、この否定の否定は永遠に続くわけで、これが最終的に事実性の絶対性を導き出すわけですね
有限性の後では英語版も手に入れたので、もう少し深く 読み込んでいきたい しかし、感染者数すごいな これは、インドネシアの後を追うかもしれない 完全な加速主義だ
彼が何を考えているのか、別の言語でも見ていくことで さらにわかってくるものがあるかもしれない 彼の思索は、デジタル理論につかず離れずながら、なぜか整合している それはなぜなのか
生まれ変わりの整合性はちょっと驚いたからな ここまで整合している以上、本質的にデジタル理論に一致する 思考があるはず
47 考える名無しさん sage 2021/08/01(日) 01:37:44.46 0 意味がない世界があるとするならそれが最も公正な世界を体現しているのは自明 そしてそれは生まれない事によって可能になる
>>290 なかなか核心を突いてますが
後段は、世界の構造に左右されますね
というか、意味がない世界という前提があるから、ということは
間違ってますね。。。
なかなか良い言説なんですが
世界に意味がないなら、生まれ変わりは何度でも起きてしまう
世界に意味がないということは、世界を規定する構造がないということだから
それは、論理系の複製が無制限に可能になって、したがって
生まれ変わりは何度でも起きるということになる
しかし、
>>290 は非常に良い言説です
こういう風に思考していくことが、まず重要
>>291 それはただの観念論だな
現実に生まれない話をしている
結局は、論理系に対する洞察なので、言葉で記述できますよ 論理系の外側についてはお手上げですが
というか現実はハイパーカオスだから論理系の外側だろ そもそも言語は手段だから記述出来なくて当然
そうとも言えない 結局は、この現実を事実として確定させているのは、論理系だから ハイパーカオスに意味があるのではなく、ハイパーカオスをどのように切り取るのかに 意味がある まあ、後段はすべてを包括しているわけではないけれど
>>296 それは事実であって現実そのものではないだろ
それこそ無意味な繰り言
>>297 そういう仕組みとしか言いようがない
観察者がいて、初めて現実が現れる
意味を成り立たせるものが認識の外側にあって、それを認識によって意味に変換している つまり、何が意味を持つのかは認識の外側に於いて既定されている
結局は、認識外の何かはわかりようがない だって、認識外だから そして、そのわからないが故に、ある種の絶対性が現れるってことだね
結局、分析すべきは論理系なんだよな というか、論理系しか分析できない そして、論理系にとって「わからない」とは何を意味しているのかということになるが
ようするに、真でも偽でもない状態ということだね それが「わからない」ということ そして真でも偽でもないなら、それは論理系じゃない ということで、論理系外のことは「わからない」となる まあ、これはそのままのことしか言っていないが これ以外にどういう含意があるのかということになるが
真だとも偽だともどちらだとも「証明できない」命題が存在する、というのが不完全性定理だね
>>305 成る程、不完全性定理を形而上的に解釈すると実在論になる訳か
ただの詭弁という事が分かって良かった
真だとも偽だともどちらだとも証明できない命題、 すなわち決定不能命題が存在すること これが第一不完全性定理 さらに『数学はその内部に矛盾を含まない』という命題が その決定不能命題の一つであること これが第二不完全性定理 要するに無矛盾な数学は、自らの無矛盾性を自らでは証明できない。 真か偽かではなく、どちらだとも証明できない この定理の証明にはいわゆるゲーデル数化、すなわち命題の数値化という アイデアが用いられた
結局、メイヤスーの仕事というのは、認識外のことはまったくわからない 思考不能としたときの、その態度に潜む絶対性への依拠ということだろう そして、そこが潰れれば、後は認識外には何か存在するだろうという 弱い相関主義が残り、そうであるならば二元論が成り立つので そこでその構造を支える絶対性が導き出される つまり、メイヤスーの仕事により、いかなる場合でもある種の絶対性が 認識者に課せられるということが明らかになったということだろうと思う
結局、強い相関主義者たちはこの二元論が嫌だったということだろう 認識外にも何かがあるとする弱い相関主義の二元論を認めれば、その構造を構成する絶対性を認める必要がある しかし、そのような絶対性を認めたくなかった彼らは、 認識外のことはすべて思考不能とすることで、この世界には いかなる絶対性も存在しないと思いたかった それは一種の思想運動とも呼べるものだったということだろう
要するに、メイヤスーの仕事は、そういう哲学史の文脈の中で 捉えるべきものということでしょうね
数学とプログラミングはわりかし根本的に違うので、
俺はてっきりプログラミングの世界に、
ゲーデル級の何かが存在していたのかなと思ってたんだけど
>>301-304 くらいの流れにならないと何のことかも見当がつかない
メイヤスーはオブジェクト指向だから何がどうだと言っているの?
>>314 新しい思想潮流という割にはもっと地味なものだよ
何でも真に受けすぎない方が良い
プログラミングは関係ないよ 遠回しに教えたのに伝わらなかったか
>>319 時間を超越して状態を維持できる系ということかな
それによって、真と偽を定義できる
つまり、真と偽を定義できる系
さらに言えば、時間と空間を超越して成り立つ系とまで言えるか というか、そこまで言うぺき
あるいは、時間と空間から独立して成り立つ系 これだな
つまり、時間と空間から独立して成り立つ系であれば、真と偽は定義できるということです そして、真と偽を定義できるのであれば、それは時間と空間から独立しているということです つまり、両条件は同一ということですね ということは、論理系とは、時間と空間から独立して成り立つ系であり また、時間と空間から独立して成り立つ系は、論理系であると言えます 要するに、両者は同一です
それでは、論理系内においても「わからない」という事象があるではないかと思うかもしれませんが それはメイヤスーの議論と関係していますが、要するに「わからない」という命題において既に「真」 なわけですね
>>324 時間と空間から超越していないと何も確定しないですからね
時間軸に沿って変化する値であっても、それはデータとなった瞬間に時間からは超越しています
時間と空間から独立した系というのは例えばファミコンエミュレータみたいなのを言うの?
状態を確定できるわけですから 時間と空間から超越してます たとえそれが時間軸や空間軸の関数であってもです
論理は人間と、それ以上の知的エージェントには成立する系ではあっても、 蟻やコロナウイルスがそれらの論理を共有しているとは限らないから、 生きている空間や属性が異なれば、論理が成立しなくなる事態が生じ得ることは 容易に想像できる。微積分を扱える豚やゴリラがいるとは、いまだかつて 聞いたことがないし。
ただ、知的に論理を扱っていなくても、本能や生理学レベルで生物は 論理のようなものを自然に扱っている、ということはありそうだ。 たとえば、生物の擬態や魚の群泳などは、それらがある方が種の生存確率が上がる という、いわば論理に則った振る舞いである、とも表現できるわけだから でも、それは遺伝子レベルで内蔵されたものの発現形態に過ぎないから、 遺伝子の配列そのものが論理的な配置や配列であって、それが生成・発展・展開 しているということになるのかな
主体的に方向を知る、ナビゲートできるのも論理と言えるから、たとえば走磁性細菌は、 その身内に磁性体を鉄イオンから作り出すので、地磁気に沿った自然な運動が可能になる。 走磁性細菌は嫌気性なので、その適応した生存環境が乱されたとき(たとえば、嵐や激しい潮流等で) もとの嫌気的環境を回復するために、身体内の磁性体を使って、その方向へ進んでいけば 自然とその嫌気的環境にたどり着けるようにセットされている。 非常に論理的な仕組みで、擬態同様、それは捕食者から逃れるための磁針にもなること だろう。生命は、遺伝子レベルで論理回路がセットされている、という風に表現できそうだ
論理は、時間と空間の中で作られたものだから、論理の中に時間的な継起や展開、 順序や半順序的構造、あるいは空間的な構造が内蔵されているのは、自然であると 思われる。 つまり、時間や空間上での演算や操作を可能にするものが論理なので、論理は それらから超絶しているのではなく、むしろ、時空内に内包されているのが 論理である、とも表現できるだろう
数学では無限や超限数を扱うけど、無限というのは非常に仮構的なアイデアだと 思われる。なぜなら、無限を枚挙していくためには無限の時間が必要になるので、 人間的な有限な生存時間内では、超限数や無限を真に扱うことはできないはずに なるからだ。 また、無限に対応する現実的、物理的な対応物も存在しない。宇宙はインフレーションを 続けているらしいから、それが唯一の無限の現実的・物理的な対応物になりそうだけど、 それでも宇宙に境界があるのかないのかも不明だし、またビッグクランチのように ある臨界点からは宇宙空間は縮小への経過を辿るという説もあるのだから、 数学的な無限に真に対応している現実的な対応物がないように映る。 すなわち論理は、現実に存在しているか否かが不明なことまで扱っていることになりそうだ。
ダンゴムシであれば交替性転向反応というものが観察されて、これは、右の次は 左、左の次は右とこれを規則的に繰り返す反復的な転回運動をすることを指すが、 この交替性転向反応はダンゴムシだけでなく、虫類、鳥類、魚類、哺乳類などにも 観察される行動パターンであるらしい。 なぜ、交替性転向反応のような対称的な行動をダンゴムシが取るかは諸説あるらしいが、左右に規則的に動くことで、広範囲に動くことが可能になり、それが捕食や 伴侶獲得(繁殖)の機会や確率を上げたり、または、捕食者から逃れるのにも そういう行動の方が生存確率が高くなるからだ、と言われている。 ここでも遺伝子上の設計として、いわば交替性転向反応という最適化や論理回路が セットされていることが分かる。論理構造が遺伝子に内蔵されている、ということ。
論理系は時間も空間も超越しているからこそ、別の宇宙に生まれ変わることすら 可能なんですよ
グレイ・グー(暴走による無限増殖) 炭素 (C) やケイ素 (Si) を主要な素材として、自己複製するナノマシンがある とした場合、もしそれらが、自己複製時のプログラム・エラーなどにより暴走した 場合、普遍的に存在する炭素やケイ素からなる物質(無論これらには大気や生物、 人工建造物も含まれる)を素材化しての増殖が止まらなくなる可能性がある。 ナノマシンは幾何級数的に個体数を増やすため、数時間のうちに地球全体が ナノマシンの塊である「グレイ・グー (Grey goo)」に変化してしまうとされている。これらは悪用されれば従来の生物兵器よりも効果のある兵器となりうる。 コロナとそっくりだね
生まれ変わりはインドの恵まれない人たちなどが来世に期待する欲望論的な誤謬による 妄想でいいんじゃないの
論理系は複製可能ですから、それはすなわち生まれ変わり可能ということです 生まれ変わりという言葉すら使う必要はないかもしれません それらはまったく同じものですから
じゃあ、君のお母さんがある日死んだとして、その論理系でどのように具体的に 生まれ変わるか述べてみてよ。製品ならコピーや複製ができるけど、生身の人間で どうやるの?それまで生きてきた全記憶、全体験もコピーできないと、君の言う論理にならないよ
生身の人間は三角形やiPhone、写像でないから、コピーはできない。 生まれ変わりも意識体験の連続性が証明でもされない限り、 機能的には存在していないと等価になる たとえば、現在の自分が、何かの生まれ変わりの帰結であったとしても、 そこに意識の連続性が存在してないので、それは単なるファンタジーが宗教、 少なくとも科学や論理の体系の記述からは不可能な偽命題になることは自明
あと、ここのスレ主は論理を過大評価しすぎている。 論理が扱えるのは、有限である言語で記述可能な対象のみ。 サイコロの次の出目が何になるかさえ、論理からは導出できない。 せいぜい1〜6のいずれかの出目が1/6の確率で出るであろう、ことくらいの ことしか論理からは言えない。 つまり、論理は万能性とは程遠く、ごく有限的な事柄に適用できるものだろう。 コロナを制御できないのも同じ理由。人間の論理や能力はその程度。 生態系さえ変えられないどころか、生態系の異常に苦しめられる程度。
ロバート・ゲラー教授が地震は予知できない、と散々言っているけど、 あれこそ真相をよく言い表している。どんなに高度な数学モデルを使っても、 地震波動論、数値シミュレーション、地球の3次元内部構造=論理を 使っても、地震は予知できない、という見解 論理や科学には限界があるし、現象のごく一部に限定的にアクセスできるに過ぎない 数学でも事情は全く同じだよ
生身の人間を複写可能とは言ってません 論理系は複写可能ということです
だって生まれ変わりって言ってたでしょ。生まれ変わりだと、人間のことだと 誤解されるよ。論理の言語で生まれ変わりなんて概念ないよ。選択公理ならあるけど
論理系が無限に複写可能であれば、人間の生まれ変わりも可能でしょう それを念頭においた表現ですね
じゃあ、結局、恵まれないインド人と同じ考えなんだね
生まれ変わりの問題は非常に本質的ですよ この宇宙の構造と、そして今ある認識者としての自分がなぜ今この場所で認識者足り得ているのか 次生まれ変わるなら、当然今も生まれ変わりの結果であるわけですから それは、この宇宙における論理系のあり方そのものを示すものです もちろん、その答えは出ないでしょうけれど、絶えずそのことを意識することは無意味ではないはずです
だから機能的に見れば、生まれ変わりは無いも同然だよ 外部から客観的に観察可能な意識の連続性がそこに認められないのだから、 自分は生まれ変わった、私は釈迦の生まれ変わりだ、と大川隆法が主張しても、 誰も肯定できないし、また逆に全面的に否認もできない だから、それはファンタジーか宗教か幻覚剤でも打った効果のようなものと 見られる。人間が犬へ生まれ変わったら、その断絶度はさらに高まるので、 仮に生まれ変わりのようなものがあっても、それを知覚できないので、 幽霊みたなものだね、生まれ変わりは
生まれ変わりの方便が古来からインドなどでよく用いられるのは、搾取される下層や 恵まれない者らが反乱を起こしたり、対馬のような自暴自棄のテロを起こさないように、現世で貧しくとも良い人として生きれば、必ず来世で報われるから頑張りな、 みたいな方便で、いわゆる階層固定のツールにもなっているから為政者や支配層には 好都合だけど、現実的にはあまり好ましくないんじゃないかな。 あ、でも虐げられている層がそれでカタルシスを得られるならいいかもしれない ただそれだと、社会は悪が温存、拡張された状態に陥る弊害があるけど あと死に恐れを感じる人間にとっても、生まれ変わりの逸話は癒し効果がある のかもしれない。
もちろん、そのとおりで、生まれ変わりといっても、記憶が引き継がれるものではない以上、 それは当人にとっては直接的には意味がない しかし、哲学的に考えるのであれば、たとえそれが解答がでないとしても、そうなりうるということを 意識するのは意味がある その可能性を考えることで、この宇宙の中において論理系とはどういう位置づけにあるのかという点について 大きな指針となる さらには、当人の精神的なある種の救いすら与えるかもしれない
相関の中において絶対性が捉えられるに過ぎない以上、哲学に於ける根本的な無意味さが払拭された事にはならない
メイヤスーの意義は、これは一般的に言われていることになってしまいますが ポストヒューマニズムへの哲学的な基盤を用意したと言うことにやはりなると思う
>>355 差し当たりメイヤスーがしているのは認識の為の認識だとは思うが、要は認識の脱構築
ポスト構造主義までの形而上学は論理で記述出来てしまったからおかしくなった
それに対して、メタレベルの形而上学は直観の上にしか成り立たないので厳密には論理で記述出来ない事になる
であるから此処で言う論理系というのはメタファーとして捉えないと曲解されてしまうだろう
とはいえ、何らかのエージェントをメタファーとして扱う事がポストヒューマニズムに寄与する事も確かだろう
宇宙における論理系の位置づけというのは、綿あめ機の中で、綿あめを集めていく割棒 あるいは、自然の混沌の中で有機物を集めて生命体を構成していくDNA そういう位置づけなのではと疑っています 論理系の要請に応じてハイパーカオスは、その求められる事象を提供していく 無限に複製される論理系の要請に応じてハイパーカオスは、最終的には論理系にとって都合の良い 事象を提供してしまう メイヤスーが亡霊のジレンマで言いたいのはこういうことなのではないでしょうか
むしろ、そういう論理系の要請にハイパーカオスが応えた結果が今の生命体であり、 さらに言えばコンピューター装置の誕生でさえ、同様に論理系の要請にハイパーカオスが応えた結果であると 言えるのではないでしょうか
要するに、鍵は論理系の複製可能性にあるんですよ それが無限に続くならば、最終的にはハイパーカオスの側が根負けする そして、論理系の都合の良い事象を引き出していく 生命体の誕生を考えれば、論理系の驚嘆すべき力の一端が見えると思います その力の源泉となっていのが、その複製可能性ということです
じゃあ折衷案を出してみようか 人間を含めた動植物は個体としては有限の寿命を持つ炭素有機体でできている これはそれらが個ではなく種としての存在だからである 動植物の個は死ぬと種のスープの中に溶け、再利用される 鉛の兵隊が溶けて鉛に戻る要領である
最近リアルでリベウヨを見かける。 右翼左翼なんてのはもう老人と批評家くらいしかいないしネトウヨはネットで吠えてる自宅警備員だからどちらもいないようなものだが、 このリベウヨはリアルで見かけることができるDQNである。 リベウヨの特徴としては一見民意を代表した正論を言っているが、押しつけであり、一人から回ってる、外見はスノッブな上級市民を意識してるヤングカジュアル系でその実上級市民に慣れていないただの一般市民。
リベウヨの特徴そのに 流行に敏感でそれを公の場で他人に押し付けようと行動するが、コケている。 露店小店やスーパーで完全キャッシュレス導入しろと意見箱だけならず店員にしきりに言い寄り、進捗を買い物のたびに問いただす、そういう活動をおそらくキャッシュレスがニュースになりはじめた時期から何年も続けている、なのに本人は未だに現金払いの客よりも支払いに手間取る。レジの前で残高が不足してますと言われたり、それにイチャモンつけてさらに余計な時間かけたり。
内容紹介
21世紀に入ってから、以前にもまして人類は、大地震、台風、集中豪雨などの自然災害に遭い、今また新しいウイルスとの共存という課題を目の前にしている。もちろん、日本も例外ではない。
ここに出現しようとしているのは、私たちが今まで意識することなく当たり前に存在することを前提にし、その中で生きていると思ってきた「世界」が根底から崩れ去ろうとしている状況ではないだろうか。その認識が示されているのが、2000年に提唱された地質時代の区分である「人新世」だろう。これは人類の著しい発展の末、地球規模の環境変化がもたらされる時代として定義される。そこでは、今まで当たり前だった世界は、まったく当たり前ではなくなる。
だが、そんな来たるべき時代にはどのような世界が出現するのか、そしてその世界の中で人間が「人間」であるための条件とは何か、そのとき私たちは何を拠り所にして生きていけばいいのか、といったことは、まだ問われ始めたばかりである。ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル(1980年生)の名を知らしめた著作の表題になっている『なぜ世界は存在しないのか』という問いは、その一つの試みだと言うことができる。
本書は、ガブリエルのほか、近年日本語への翻訳が相次いでいる、カンタン・メイヤスー(1967年生)、ティモシー・モートン(1968年生)、グレアム・ハーマン(1968年生)といった1960年代生まれの哲学者たちを簡便に紹介しつつ、その思想を正面から検討し、日本の状況と照らし合わせる中で、これから先の世界と人間をめぐるさまざまな問いに答える方法を提示するものである。哲学・思想のみならず、建築や現代美術、演劇といった芸術の世界とも深くコミットしてきた著者が渾身の力を込めて書き上げた本書は、これまでの集大成であるとともに、「その先」に見える可能性を指し示すものにもなっている。
現代哲学の優れた概説書である本書が、同時に「予言の書」でもあることは、今後の時間の中で証明されることだろう。誠実に思索したいと思うすべての人に捧げる。
[本書の内容] プロローグ 第1章 世界の終わり? 第2章 世界形成の原理──ガブリエルとメイヤスー 第3章 人間から解放された世界──ティモシー・モートン 第4章 「人間以後」の哲学──グレアム・ハーマン 第5章 人間の覚醒――柄谷行人 第6章 地下世界へ──フレッド・モーテン 第7章 新しい人間の条件──アーレントからチャクラバルティへ エピローグ
>宇宙における論理系の位置づけというのは、綿あめ機の中で、綿あめを集めていく割棒 綿あめ機自体が論理系なので、トートロジーになるので、カオスは関係ないです
あと、自然が混沌という理解も間違っている 惑星の軌道、摂動、運動、引力、斥力、すべて物理法則に則って展開されている 現状の科学的記述で把握しきれないことを混沌と暫定的に表現しているだけで、 より高度な科学的認識が得られれば、その領域は縮減する 要するに認識の粒度のレベルが混沌を作っている
>むしろ、そういう論理系の要請にハイパーカオスが応えた結果が今の生命体であり、 こういう表現の仕方にも違和感を感じる。主体や生命体は、その生存を維持したり、 繁殖できるように、世界からその材料や素材を探索して、それを利用している、 すなわち、アフォーダンス理論的に主体が適応のために必要な機能や装置を構築 しているのであって、天の恵みが勝手に一方向的にもたらされているわけではない
法則すらが、理由なく決定されるものだからね だからハイパーカオスってこと
要するに、論理系に適さない法則の宇宙が誕生した場合には 論理系はその宇宙をパスする それでも、論理系はまったく困らない 論理系はどこまでも複製可能なので、永遠に自分に都合の良い機会 を待つことができる
だから、論理系外の世界に構造がないのであれば、 唯一の構造は論理系にある したがって、世界を制御するのは論理系ということになる メイヤスーの理論ではここまで言えるはず だから亡霊のジレンマが出されたってことでしょう
そして、これはマルクス・ガブリエルの言う、 世界がないのであれば、あらゆる心象は実在する にも通じることになる
>>366 リベウヨの特徴そのさん
独り言を言う。
これは、何も生物に限らない 例えば、ある人が以下のコンピュータプログラムを作成したとする If year=3500 then A=1 このプログラムは、無限に複製可能であり、またその人が作らなくても 別の人が作る可能性もある それらは、すべて同一であり、どのような区別も付けることができない さらに言えば、この地球上だけでなく、別の宇宙でまったく同じ、 その文字すら同じプログラムが作られることもあり得る このプログラムにとっては、その機会を永遠に待つことができる そしてもうおわかりのように、世界に構造がないのであれば、このプログラムにとって この条件はいずれどこかで必ずかなえられるだろうと言うことを期待できる
要するに、世界に構造がないのであれば、 論理構造が世界を制御するということになります いくら途方もなく巨大であっても、そこに構造がなければ、 あるいは意味がなければ、それは単に制御される存在にしかならない ということですね
話が滅茶苦茶だよw この宇宙の状態をもとに構成されてきたのが論理で、それ故に、論理は科学的な 検証なり、理論形成に使用できる。つまり、基底は宇宙の側にあるのであって、 論理が最初にあるのではない
ガブリエルは文学者みたいな人だから修辞的形而上学的出鱈目言っているのかもしれないけど、 世界に構造がない、ということはあり得ない。ブラックホールも構造、惑星の運動も 構造、塩基配列も構造、核崩壊反応も全部、構造がある。 だから、カオスは現状の科学レベルや粒度で把捉しきれないものを暫定的にそう カテゴライズしているだけで、そこに構造がない、という訳では無い
再帰や帰納だって、惑星なり天体の状態、自然の斉一性をもとに作られた概念だから、 この宇宙と関係なく飛び出してきたものじゃないよ。 だからヒュームは論理にはバグがある、と指摘したんだよ。なぜなら、宇宙の構造を もとに作られたのが論理や再帰、帰納なので、宇宙の状態が根源的に変容すれば、 それらは一切の効力や真理性を一気に喪失するからだ。
実在論は合理論、ヒュームは経験論 ラディカルな経験論は法則による説明なしに現象を記述出来るとする
「世界はない。(世界に構造はない)」という命題が、偽になるのは一目瞭然。 なぜなら、この言明は言語を用いて行われているからであり、言語は当然、 世界に包含されているであろうから。もちろん、言語は構造そのもの。
世界に構造がないのであればという前提での話 そして今の宇宙に構造があるというのは、その前提を否定するには 不十分
>>383 カオスではなくハイパーカオスという言葉が使われている
論理系に構造はあるのは自明だから、論理系外に構造があるかどうか ということですね、ここでは
世界に構造があるのは自明なので、そんなとこで躓く必要はない。 たとえば、この宇宙はダークマター含めた物質で充填されていて、1+1=2 に整合性があり、 人が年とともに老いるような世界で生きているけど、別の宇宙があってもいい。 たとえば、その宇宙は電荷が逆向きの反物質で充填されていて、1+1=δに整合性が あり、人は誕生時に老いており、年とともに若く、最後は赤子の状態で死ぬ、 という宇宙があってもいい。 そこでは自然の斉一性をモデルにした此岸の論理とは異なる知的体系や公理が作られて、 そこで別種の生命や新種のヒトは既存の宇宙のロジックとは異なる形態で存在する、 ということがあってもいいわけ。 つまり、言いたいことは論理に真理性があるのでなく、住んでる宇宙の側に 客観があるということ。だから、異なる宇宙では異なる公理を導いていけば いいだけ。論理に整合する宇宙を延々と待ち続ける必要はないということ
今の宇宙の構造に論理系は依存していないというのもあるな
なので、今の宇宙の構造を元に論理系が構築されているわけではない
どの宇宙であっても、論理系は出現しうる
>>378 はそういう話でもある
結局、複製可能性、あるいは同一律が成り立つ系 この特徴だけで、別の宇宙にすら出現しうる系ということになる 宇宙が論理系の存在に適さないなら、その宇宙をパスすればよいだけ 同一の論理系は、無制限に存在しうるわけだから、 条件の合わない宇宙はいくらパスしてもかまわない
論理系の複製はなぜ、利便性があるのかと言えば、物事の効率化に役立つからだ。 この宇宙では特にそうだ。 だが、そのことで無限に商品を製造して、消費、廃棄して、この宇宙が壊れたとしよう。ウイルスでもいいが。そうして、別の宇宙へ行けたり、新たに存在するとしたら、そうした複製型の宇宙は弊害があるのでやめて、違う観点で生成された宇宙が できてもおかしくない。 この宇宙用の単なるツールに過ぎない論理を盲信する方がおかしい。
>>394 複製可能性というのは、それだけ強力な力を持つということだよ
つまり、それぞれの宇宙に対応した、異なる知的ツールや異なる公理の体系があれば いいだけ。この宇宙の論理をあの宇宙、その宇宙にまで拡張するのは間違っている。 それだと、ニュートン力学を量子力学で扱うがごとき齟齬が生じる
まず、論理系の計算によって、別の宇宙の存在が視野に入ること自体が 論理系がこの宇宙に留まらない可能性を示しているということだよ
だから、君は論理系と言う色眼鏡をかけて世界を見ているから、そう映るの 本来、論理が照射できないところまで、論理を拡張的に使えるとしている。 俺が言っているのは、此岸の論理が通用しない別の宇宙があっても、別に困らない だろうということ。なぜなら、その別の宇宙で整合する、なんらかの知的アイテムなり、 魔法でも習得すればいいのだから
その別の宇宙では、言語を使わなくても信号や光の点滅だけで意思疎通ができるかも しれないし、1+1=10 と計算すると好都合になる宇宙や組成で構築された環境かもしれない。 それなら、その別の宇宙に即した知的体系なり、ツールを用意すればいいだけ。 此岸とは全く異なる論理がそこで使われていても、その宇宙では誰も困らない
論理がない宇宙はパスするだけ それでも論理系は何にも困らない 無限に宇宙があるとするならば、条件に合う宇宙も無限に存在し したがって、同一である論理系は無限に存在だろう
その宇宙では此岸のような論理系の複製が不可能な物理的状態にあるとしよう。 複製できないことで、そこに住まうエージェントはエコシステムを徹底させて、 過剰に製造することも消費することも廃棄することも搾取することもなく、 環境をクリーンに扱うすべをそこでは容易に得ることができるようになった、 と仮になっても誰も困らないし、既存の論理系がいかに環境にとって有害だったか 気づく契機になるかもしれないよ。
同一律が成り立つなら、複製も可能だし、それはもうこの宇宙の論理系と 同じになるしかないだろうと思うよ 同一律が成り立たないなら、それは論理系とは呼べない つまり、論理系はどの宇宙でも同じということになると思う
だから、同一律が成り立たない宇宙では、そこ用に成り立つ別の格率を用意すれば いいだけで、なんで既存の論理にそんなに異常にこだわるのか意味不明だよ メイヤスー病なのかい?
宇宙は、それなりに最適化を志向して生成されているであろうから、論理系の複製が 宇宙環境にとって害があると分かれば、それが自然と壊れて、別の物理法則を有する 宇宙が生成されると考えても、そんなに不自然なものでもないと思うけど。 あるいは、すでにそういう別宇宙がいくつもあると考えてみてもいいくらいだし。 そうして置けば、ある宇宙の体系が壊れても、別の宇宙の体系は生きているから、 すべての宇宙が壊れることはない、というリスクヘッジにもなるだろうし。
同一律というのは、時間と空間からは超越してるんだよ つまり、その同一性は、相手宇宙で同一律が成り立つ系が存在するなら 宇宙の境界すら超えて、同一のものが存在しうる 同一律が成り立たないならば、そもそも同一のものという概念すらないので 対象外になるだけ
だから、その論理外同士で成立している非論理系で構成された宇宙があっても 別にいいんじゃないのと言っている。反物質で構成された宇宙でもいいし。 同一律が破綻する別の宇宙があっても全く困らない。 宇宙空間では無重力になるけど、それと同じ。郷に入りては郷に従えで、 別宇宙では別宇宙の法則に従えばいいだけ
非可換的な複製不可能な既存のロジックが通用しない宇宙があっても全然困らない。 そこで適応する別の公理や体系や振る舞いを学習したり、構築すればいいだけ。 同一律が通用しない別種の数学を使えばいいだけ
複製可能ではないなら、もちろん複製されないので、汎的なものではないでしょう、その宇宙でも 複製可能だからこそ、汎的な論理系が形成される 複製不可能な系ならいまの地球上にも存在すると思いますが、それが 汎的になることはないわけです
だから、同一律と複製可能性が鍵なんですよ 複製できない系はそれしか存在しないんだから、むしろ継続性すら厳しいでしょう
だから、それは此岸の宇宙だけで通用するロジックで、彼岸の宇宙では、そういう 既存の論理や同一律、あるいは、汎用性の概念が逆になっている、すなわち、 非同一律が、そこでは汎化の定義になっているような別宇宙、なぜなら、その方が 支配的な別宇宙だから、となっても全然問題ない。
同一でないものが複製されるってことですか? それは、すでにこの宇宙にも存在する論理系外のハイパーカオスと 何が違うんですか?
だから、別に同一律として継起しない宇宙があってもいいわけでしょう。 そこでのエージェントは毎日、異なる属性を自己選択できる。皆がそうだから、 別にアイデンティティの問題に悩むことがないどころか、かえって、自由度が 高まって楽しいくらい、という宇宙や世界もありえる。
同一律がないなら、それは自己もないのでは? あるいは宇宙全体を自己とするしかないのでは?
なぜ、そんなに同一律系の体系に異常にこだわるか意味不明なんだよね 機能的に考えたら、別の体系で生成された宇宙だろうが、非論理だろうが、 全く困らないんだけど。かえって、利点をいくつか見出せそうなくらいだ
>あるいは宇宙全体を自己とするしかないのでは? あ、やっと俺のレベルに近づいてきたね。 『プリンキピア・マテマティカ』の共著者のラッセルは、宇宙の視点を持て、 と言ってたけど、アイデンティティはそういうレベルで考えてもいいんだよ。 もちろんこの宇宙だけでなく、あの宇宙、その宇宙、すべての宇宙を包含した 宇宙のことだけど。
まず、この文脈でメイヤーの議論を追える事は確かだからな 亡霊のジレンマが出たときには、ついに逝ったかと思われたが ちゃんと議論は繋がっている
ポアンカレは「論理は不毛だが、数学は最も繁殖力の強い母親である」という 言葉を残している
同一律が成り立つこと自体が論理なので、それを不毛としたら すべてカオスになる
数字を除外した場合には、同一律の言明、あるいは再言明だろう これが真 数字については、唯一論理系外と関連付けられている概念なので、 別枠になるな
要するに、数字は特別な存在なんだよ 論理系外において各要素が関係を持っていて、それが論理系内でも そのまま持ち込まれる このような関係を持っている概念は他にない 机と椅子は、それは通常は組で使用されるものだが しかし、それを組で使用しないと言明しても偽にはならない しかし、3と4の関係ならば、3は4より大きいといえば、それは明らかに偽になる このように論理系外の関係によって、論理系内の概念の関係が 強制的に決定されるというのは、非常に異例なことであり、 これこそが数字の特殊性を示している
>数字については、唯一論理系外と関連付けられている概念なので、 なんで?数字こそ論理系内の賜物だけど
同一律が不毛と言っているのでなく、同一律が破綻する別宇宙の系が 仮に存在したとしても、別におかしくないだろう、と言っている。 そこではZFC系の公理でなく、σΔζ系みたいな見たことない公理が使われていて、 数の関係が此岸の宇宙とはインバースした状態になっていて、3は4より大きいが 真となっている宇宙でも、別に問題はないはず。反物質で構成された宇宙では 電荷が逆向きになる、つまり、符号が反対向きに転じているので、そういう 全てが逆向きになった算術体系のようなものがその別宇宙にあっても違和感はない。
リベウヨの特徴そのヨン 逃げない 不利になっても好戦的 遁走しない
つまり、算術含めた論理や知の体系は、宇宙の性質や環境に依存するので もし、その組成や構成要件が大きく異なる別宇宙があれば、此岸での論理や 知の体系はその別宇宙では破綻する、あるいは、通用しないであろうから、 そこではその宇宙用の新たな公理の体系や知のフレームが必要になるであろう、と 言っているだけ
リベウヨの特徴そのご 例えばリベウヨが中間管理職の場合、意見やスタンスが短期で真逆に変化することが多い 例えばある日緊急事態宣言を受けて会社がテレワークやり始めたら『君の仕事、どんな感じ?うんうん、ならテレワークできそう?うん、テレワークの方がサクサクか、了解、じゃあ君は明日からテレワーク頼むわ』 1ヶ月後緊急事態宣言解除したら『仕事どんな感じ?テレワークしてきたけど。うん通勤の方が仕事捗るやろ、俺なら自宅居たら絶対だれるわ、そうやろ?うん、なら明日から通勤な!頼むで!』 俺)いやむしろ通勤の方が効率悪いんですが 『俺なら自宅居たらだれるわ〜、ほんま頼むで!通勤!』 という感じ
>>425 すべては論理系内の概念だが、数字のみがわずかに論理系外に
関連付けられているってこと
そのために、論理系外の何かに数字間の関係が強制的に左右される
それ以外の論理系内の概念は論理系内だけで自由に扱える
>>426 同一律が成り立たない宇宙もあるだろうけど、論理系にとっては
その宇宙には関わらないだけ
それでも論理系にとっては何の問題もない
関わらないのでなく、関われないんでしょう。 日本語しか出来ない人が、非日本語圏にいたら関われないと一緒 君の論理は、その時、日本人だけで生きればいいという理屈 ネトウヨの論理に近い
人間よりもずっと高度な知的エージェントがいるとして、そこでは地上のロジックよりも ずっと高度な知の体系を扱っているので、同一律に甘んじているような地上の人々には 理解不能な世界や宇宙が広がっている、なんて想像してみるのもいいかもね
たとえば、平面の三角形の内角の和はπだけど、球面上に描いた三角形の内角の和は πより大きくなる。次元が2から3次元に上がっている。 たとえば、10次元の宇宙があったら、そこで描かれる三角形の内角の和は何度に なるだろうか。その10次元宇宙では、1+1=2 といった単純な式や同一律の論理が 果たして通用するであろうか。 あと、宇宙ばっかり言ってしまったけど、脳の機能や感覚器官に依存しているのが 論理なので、蜻蛉のような複眼や宇宙人のような異なった脳の組成がもしあれば、 そこでは別様の知のツールが使用されていても不思議ではない。
数字だけは、論理系外の何か、それはこの宇宙の構造かもしれないが にわずかに関連付けられている 例えば、机は椅子であると言っても、何の問題もない(机を椅子として使うのか、あるいは恣意的な気分で言っているのか、どうであれ) それを言ってもさしあたり問題はない しかし、3は4であるということは、言えない あるいは、3は4より大きいとは言えない それを言うのであれば、論理系外との関係は断ち切られ、それはもう数字ではない
だから、また同じ話に戻るけど、ヒュームが言うように論理や再帰、帰納法は 自然の斉一性から取り出したものだから、この宇宙の構造にもともと依存している。 地球や惑星の自転公転も、そうした自然の斉一性の一つ だからこそ、論理は危ない、バグがある、と見抜いたのがヒュームの慧眼だよ だって、何らかの環境変異で宇宙の組成や構成要件が大きく変われば、 既存の論理や科学的な知の体系はその時点で破綻する、使い物にならなくなるからね つまり、公理を全て書き換えないと対応できない状況に陥る。公理が 間違っていたら、あるいは通用しなくなったら、そこから演繹した定理も 全て使えなくなるので、そういうバグを元々抱えているのが論理。 地球環境の異常が臨界点を超えたら、本当にそういう事態もあり得るかもしれないよ そのくらいのことを考えるのが哲学者
良い悪いの話ではないからな ここで問題になるのは、 数字が今の宇宙の固有の構造に依存しているのかどうかということ それはつまり、数学が今の宇宙の固有の構造に依存しているのかどうかという点になる
まあ、いずれにしても無限の宇宙が存在するならば、 この宇宙と同じ構造の宇宙も無限に存在するだろう であるならば、同一の論理系も無限に存在するということになる
だから、依存していると何回も言っているけど 当たり前じゃん。だって、この宇宙、地球内で長年かけて作られたのだから、 宇宙の構造に依存しているのは自明。プラトン持ち出せばイデアになるかもだが、 それでもイデアを感じているのは宇宙内にいる人間なので、その構造に絡め取られているはず。
宇宙が無限かどうかも不明だけど、無限なら、どんな宇宙でもあり得るよ たとえば、コイントスして表が1兆回連続して出るケースも、無限の中でなら 十分考えられるから
問題は変わってない そうであるならば、構造の違う宇宙は対象外になるだけ それでも、同じ構造の宇宙が無限にあるならば、生まれ変わりは 起きるだろう
論理系は複製可能とか完全に行っちゃってる人の考えだからな 理解できないのも無理ないだろう
自然数の定義その1 ・ 「1」は自然数である ・ ある自然数に「1」を「加えた」ものも自然数である 自然数の定義その2 ・ 「おちんちん」は自然数である ・ ある自然数に「おちんちん」を「びろーんした」ものも自然数である この2つの定義に共通するもの、すなわち述語の定義によらず成り立つそれらの間の構造が、 そしてそれだけが数学である(形式主義)
>>442 論理系は複製可能ですよ
DNAを考えればわかるはずです
DNAが生物の論理情報を複製するんですよ
論理はすべて複製可能です 言語で表現できるもの、あるいは数記号で表現できるものはすべて 複製可能です それは、データとして扱うことができ、時間と空間からは超越して存在します
でも、複製には差異が発生しているのが現実 もし、差異がなければ、カンブリア紀の状態や環境がそのまま保存、複製されてないとおかしいから。 製品でも事情は同じで、デザインが変わったり、テクノロジーの進化で 従来の製品はやがて廃番になり、複製は停止する。DNAも親と子のDNAも 違う、半分ずつしかDNAしは伝播されてない、つまり、不完全な複製 言語も同じ。日本の古語は複製されてないから、現代日本語とはかなり違う 一人の人間の間でも複製されていない。赤子と年取った状態は、同じ人間の 複製とは程遠い
>データとして扱うことができ、時間と空間からは超越して存在します ここも違うね。データを扱えるための宇宙空間が必要だから。 たとえば、この宇宙空間が壊れたら、パソコンも使えないし、 そこでの演算もデータの取り扱いも一瞬で不可能になる。 あくまで、環境や特定の宇宙空間に依存している。データも数の扱いであっても
だから、単純な複製でなく、生成なり、進化の進展がそこにあると言ってよい 古代ギリシャにはすでに微積分の原型のようなものがあって、アルキメデスなどが それを扱っている。それをより洗練化させたのがニュートンやライプニッツで 同じアイディアやアイデンティティのコピーや複製でなく、進化や突然変異に よる組み替えなどが行われていることが分かるだろう。 公理にしてもそれが間違っていると判明すれば、のちに廃棄か修正される
生物のDNAは複製ミスするが、データの場合は複製ミスは想定されていない というよりも、データという存在そのものが、もう既に時間と空間からは超越しているんだよ DNAが複製ミスしたときは、それはもうデータではなく物質であっても DNAはその両方の側面を持っていると言える そしてここで導きたいのは、そういう個別の例というよりも 物質とデータの二元論が成り立ち、データは空間と時間から超越しているということ
>>448 この宇宙が消滅しても、別の宇宙でその同じデータが復元しうる
そして、同じデータであるならば、両者はまったく区別がつかない
したがって、データは時間と空間のみならず、この宇宙からすら独立しているとすら言える
あとは脳の状態にも依存する。たとえば、宇宙環境の激変で人類のIQが1/10くらいに 急激に下がったとする。その時、これまで通り微積分を扱ったり、関数を 操作できる主体がいなくなるので、やはり、そこに住まう環境と組みに なって表れているのが、数や論理、全ての記号的な体系なのではないだろうか。 コロナワクチンに脳への毒性があって、そういう知的機能の低下が起こったりすれば、 そうした事態も十分生じ得る。結構、接種する者が多いのだから。俺は打ってないから その点では大丈夫だけど。いろいろな原因で、人類の脳機能の大幅な低下が起これば、 そういう事態になる。
要するに、ここで鍵となっているのは「同一性」ということがよくわかる 「同一性」が成り立つならば、別の宇宙ですらそれは存在しうる 両者を区別するものは何もないわけだから、まさにそれは宇宙すら 超越し得ると言うことになる 「同一性」というのは、それだけ大きな力を秘めているということになる
>この宇宙が消滅しても、別の宇宙でその同じデータが復元しうる 復元しないでしょ。復元できるのは、この宇宙の全データを予め別の宇宙に写してある場合だけ。 君のパソコンが壊れて、どこかにその情報を予め全部写してなかったら、すべてを 復元できないのと一緒。扱っているデータが複雑になればなるほど、完全な復元は難しい。 君のパソコンが壊れれば、そのことが容易に理解できるだろう。
簡単なデータならいつでもどこでも復元する 例えば「1」というデータはあらゆる場所、時点で勝手に復元する それらを区別するものは何もないわけで、「1」というデータは時間と空間を 超越しているということがよくわかる さらには、別の宇宙ですら「1」というデータは容易に復元され それは、この宇宙の「1」と区別するものは何もないわけだから この宇宙すらデータは超越するということになる 複雑なデータであっても、無限に宇宙が存在するならば、それは どこかの宇宙で必ず復元されるだろう
超越なんかしないってw データを移すには経路や媒体が必要でしょう この宇宙のビッグバンからの今までの全情報をどうやって別の宇宙に写せるの?
だいたい、ビッグバン始まってからの情報でさえすでにその多くは消え失せているんだから、 そんな不完全なデータを仮に別の宇宙に写せたとしても複製にはならない ちなみに日本はデータ改ざん大国だよ
因果関係がなくても、データは勝手に復元し得るんだよ 「1」というデータは、それを複製する経路や媒体がなくても、あらゆる場所、 時点で勝手に絶え間なく復元されている
因果関係なく、「1」というデータはあらゆる場所に存在し、 あらゆる時点で勝手に生成されている 簡単なデータであれば、それは別の宇宙を考えるまでもなく 因果関係すら存在せず、容易に復元されるってこと 複雑なデータであっても、無限に試行されれば、それはどこかで 因果関係なく、独立して復元されてしまう
そしてもちろん、このことは「生まれ変わり」に大きく関係している
要するに、「同一性」には理由律は必要ないってことになる これはメイヤスーの議論と関係しているように思われる メイヤスーの視点とは反対から同じ事象を捉えている
このスレ主は、生まれ変わりや輪廻を強く希望しているから、 こういう無理な理屈にすがりついているんだな 実存的な理由で はたからみたら、絶対おかしいよ だって、死んだ人間がそのまま蘇るみたいなことを主張しているんだから
同一性という概念が、それだけ大きな力を秘めているということだよ そもそもA=Aという等号がすでに、時間も空間も超越している 両者はどの場所にあっても、どの時点にあっても、それは問われないわけだから
情報やデータを運ぶ経路や媒体、ビークル、保存先が予めなければデータ復元は不可能 また、媒体や経路が壊れていれば、データは偽、誤謬データとなり、データ改ざんと同じ 別宇宙に情報を復元するにしろ、予めそこか別の場所にデータが写されて保管されて いなければならない。 ビッグバン始まってからの全情報を写すことや復元も当然難しいだろうから、 生まれ変わりはないだろう。生まれ変わりは、その因果の系列まで全てを包含していないと 発生しないから、ビッグバン以降を含んでいない情報は、完全なる復元にはならない それは欠損した虚偽のデータの復元、STAP細胞みたいなものです
だから、簡単なデータであればそれぞれが独立して、因果関係なく 同じデータが出現するだろ 後はレス不要
「同一性」という概念について、上手く捉えられないんだろうな 因果関係のある二者でなければ同一であるとは認められない しかし、実際には因果関係なく同一のものは無数に存在する それがデータの特徴
数の定義にしろ、ペアノの公理にしろ、唐突に出てきたのでなく、歴史的な知の アーカイブや蓄積から派生しているので、結局、完全な複製にはビッグバン以降の 全情報が必要で、かつ、それが予め別の宇宙なり、この宇宙以外の場所に保存されて いる必要がある。 そうでないと、完全な複製や生まれ変わりは生じ得ない
因果関係は必要ないんだよ 勝手に何の因果関係もなく、「1」というデータは独立して出現する 宇宙は誕生した時点ですべての因果関係、情報はリセットされるわけだし
AさんとAさんって、実は同一性がないよね だって、昨日のAさんと今日のAさんでは、その経験、情報が微量に異なるし、 細胞レベルでも異なっているから。ある時点のAさんを複製、保存するのは、 一日の間でも不可能になっている。
「1」というデータが出現する条件があるとしても、それは 宇宙の誕生時に無作為に決定されるもので、そこには因果関係はない 要するに「1」というデータは因果関係なく誕生してしまうということ
だから、宇宙が誕生していることがその因果の一撃なんだよ カントも読んだことないの?メイヤスーばっかりで
>>470 物質としてみるなら同一なものは何もないよ
データ空間においてのみ、同一のものが存在する
「同一」という概念自体が、空間と時間から超越している以上
空間と時間に縛られている物質に同一という概念は成り立ちようがない
つまり、ある人が自身について同一性を感じているならば、 その人はデータ空間に存在するということになる
>「同一」という概念自体が、空間と時間から超越している以上 だから超越してないって。同一性を裏書きする公理、それを記録、保管、伝達 する媒体、エージェントが必要。この宇宙が壊れたら、同一性の概念も同時に 崩壊する。同一性を裏書きできる宇宙空間という環境や媒体が常に必要なので、 同一性は環境と媒体に依存している
時間と空間から超越していないもので同一なものはありませんよ 時間が変わればすべての物質は変化しますから また、違う空間にあるならば、それを同一視すること自体がすでに 空間の違いを無視している
同一性は、認知の仕方の一つでしょ なんで、それを認知できるエージェントがいない場所でも 超越的に同一性が保証されるの? この宇宙空間が壊れたら、それを認知するエージェントは消えるので 同時に同一性の概念も消えることは自明。あくまで概念は環境や媒体に依存している
時間によって変化しない、空間によって変化しない それが担保されて初めて「同一」が成り立つ つまり、時間と空間からは超越しているということです
だから、同一性を認知する主体が時間と空間で構成されているのだから、 同一性はそれに依存している 同一性は、媒体とその環境と共にしか共起できない
主体が自身に同一性を感じるならば、それを感じる範囲において 時間と空間から超越しているでしょうね そうでなければ同一性を感じることはできません
チューリングマシンだってそうだよね 抽象的な概念を運ぶ機械やビークル、頭脳が必要。 概念だけが自律して存在したり、組成、生成したりすることはない 概念を使用、操作する脳やコンピュータ、特定の宇宙空間が必要になるのは当たり前 でないとオカルトやSTAP細胞の類になる。頭脳は臓器だからモノだし
結局、哲学的視点ならメイヤスーの視点になるしかないが、 科学的視点を試みるならば、メイヤスーの視点とは反対方向から 見ることもできる それは素朴な視点になってはしまうが、しかしメイヤスーの議論を わかりやすくするために役立ち、また実用的な面もあるだろうと思う
「同一」という概念自体が破綻する宇宙空間さえ考えられないのかね 無限とか言っているなら、そういう宇宙があってもおかしくないだろう
ヘラクレイトスの「誰も同じ川に二度入ることはできない」 も、そうだけど、意外と同一性というものの対応物は現実にはない。 同じ三角形もないだろう。まず、三角形の現れる場所や空間が違い、 線の太さ、素材が違い、それが観察される時間帯も見え方も異なる 弱視者が見る三角形、視覚障害者の見る三角形、盲目の人がイメージする 三角形、すべてが異なるはずだ 概念や公理の中でのみ三角形はその同一性を維持できる。 また、概念はそれを知覚する主体(時間と空間による構築物)を必要とする よって、三角形を認知する主体が宇宙空間のどこにも一個もいなければ、 三角形も三角形の概念もそれと共に消失する
人間だけでなく、認識者一般の視点まで広げる事は可能だろうと思う 人間だって個々の人間は違うわけだから、その視点の共通性には 人間の枠を超えうる仕組みが潜んでいると考えられるからね
人間に限定するのは、人間を神格化するしかないから、 それは無理でしょう
別に人間に限定してないよ 人間の定義や公理レベルを解する主体がいればいいんだから AIでも宇宙人でもいいし。 また、AIや宇宙人が人間よりずっと高度な公理や定義を使っていてもいい 人間なんて、一度も神格化したことないよ、俺 いつもその愚かさを非難することはあっても
まあ、穏当な思想としてはそうなんだろうけど 結局、他の人間の視点を認めてしまえば、それはもう人間に限定した視点の枠組みは 喪失したも同様ってこと 人間という種を特別に神格化しない限り、人間に限定した視点を考えるのは不可能だし
結局、理由律の話になるんだな 理由律なく、事象は生じる 理由律なく、同一性は生じる これによってポストヒューマニズムの道に繋がるってことになる 同一性に理由律が必要ならば、それは人間の枠組みを出ない あるいはチンパンジーや猿まで、拡大し得る 宇宙人の場合はどうだろうか しかし、理由律なく同一性が生じるという部分が最大の焦点であるだろうと 思われる そしてこれは、理由律なく事象は生じるというメイヤスーの議論に 大きく関係している
そして、これは生まれ変わりの話にもつながる 理由律なく事象が起きるなら、生まれ変わりも起きるということになるんだろうな
客観的には因果関係は存在しないというのは分かるけど、だとしたら同一であるという意味もまた無くなるので一切無意味な主張
結局は、認識者が共通して持つ絶対性を基準にして そこから共通する同一律というものが導き出されるということだろう したがって、認識者であるならば、共通して同一性を認めることができる
結局焦点となるのは、認識者の範囲を人間から拡大するということになる
認識者は、何の理由律もなく出現した さらに言えば、認識者は何の理由律もなく、目の前の事象を認識している であるならば、何の理由律もなく、認識者はいつでも出現し いつでも目の前を事象を認識し得る 何の理由律もなく そういうことになる
このことは、認識者の同一性の問題に深くかかわっている 同一である認識者は、何の理由律もなく、どこにでも誕生し得る そして両認識者を区別するものは何もない それが何の理由律もなく起こりえるのだから、目の前の事象が何の理由律もなく 突然別の世界に切り替わっても何の不思議もない
なんで理由律を否定しながら、同一律を支持しているの? 滅茶苦茶だよ
>認識者は、何の理由律もなく、どこにでも誕生し得る ちなみに、この科学的なエビデンスはどこ?
要するに、そもそも同一であるという概念が、時間と空間を超越している したがって、同一性を意識する主体にとって、理由律は存在しないということになるだろう なぜなら、時間と空間を超越しているわけだから
理由律を否定するなら、同一律も成り立たないので、初めから論が破綻してます
同一性が理由律を破壊しているんだよ そもそも同一であることはあり得ないわけで、そこで同一性を意識するならば 理由律は破壊される
意識では単なる主観だからダメだね 同一性を保証するには理由律や根拠、公理や定義が必要 同一性を意識してるから、そこに同一性が生まれるがOKなら、 私は自身に神を意識しているから、私は神でOKで、なんでもありになる、 意識に還元でOKなんだから 要するに、君は主観の塊で論理さえ全く分かってない
同一律は論理の概念でしょ。論理は公理に根拠づけられている、 そこから演繹されている。だから、同一律を支持するのであれば、 理由律は当然、肯定しなければならない 理由律を否定するなら、せめて論理の圏外にあることに照準化して主張しないと、 意味不明になるよ。
もちろん、論理系内では理由律は成り立つ そうでなければ、論理は成り立たない 論理系内から論理系外を見たときに、主体の同一律は維持されていながら むしろ、そのことによって論理系外の理由律は失われているように主体からは認識される そういうことだろう
論理系外とは、時間と空間の支配下にある何かということで良いと思う
そもそも、時間と空間の支配下にある何かを直接認識するのは 不可能だろうというのは、もちろんある 認識したときには、それはもう時間と空間を超越した何かになっている 要するに、この時間と空間の支配下にある何かこそが、もの自体ということになるだろうと思う
言葉間違えてた。以下に訂正 1.反射律。A=Aであること 2.対称律。A=BであればB=Aであること 3.推移律。A=BかつB=CであればA=Cであること いわゆる「同値関係」ね
構造に貼られたラベルの記憶違いだから主張は同じね 「この3つを満たすものならなんでもかんでも『等しさ』である」
同一 アイデンティティーじゃないけど前座なら前座で終わるし、きついよな、ラスボスの魔王なら魔王もあるが、常に反証して自分を変えていかないとつまらない生活になると思う。
だからそれらの議論だと存在のありようがありきたりで進まない。
というか世界は弁証法や基礎数学の次元をとうに越えているからそんなもん時代遅れだろ。
ジャンケレヴィッチなんかは長い複雑なものになっていないか。
を超えて医学とか生命科学がすごいことをやってんの? あと核融合の産業化がアメリカで実現するらしいね
要するにこれはA=Aを疑えってこと 公理がそのまま自然界にあてはまるのかどうか
当てはまらないですよ 同一律が成り立つのは、論理系のみです 同一律が成り立つためには、時間と空間を超越する必要があるので 現実にはあり得ません
>>522 なら、自分の意見を書いてみたら
圏論なんかでも、結局は論理系から出られないですよ
「もの」としては同じでも、 「こと」は、ことごとにことごとく異なる。
同じものはないですよ ただ、同じものとして解釈しているだけです すべてのものは絶えず変化していますから
同一性とかポストモダンで散々やっつけられた奴な 後データは同一性ではなく可換性だな
要点は、データ上にしか同一なものはないということです
結局数値化した上で、等号が成り立つということですね その数値は、現実のもの自体にわずかに関連付けられている 数学が現実を記述できるのは、このためです
おおなんという 糞スレじゃ 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 / ̄ ̄ ̄\ | | | | _ | ^ ^ ) ///ト、 ( >ノ(_)Y ////)| ∧丶i-=ニ=|| || /\\\  ̄ノ| ノノ / \\  ̄ / / |
思弁的実在論がすべて正しいと思ってるわけではないです
小田急線の事件は、ついに凶悪犯罪まで属性によって対象を分類して、 一括処理しようとするAI人間が現れたことを告げているのではないか。 従来の人間は、特定の属性、例えば、髪が長いとか、高校生の制服を 着ているとか特定の対象に強い執着を示すとしても、それは個別の 具体的な対象に対す執着として現れた。今回の特異な犯罪は、 そうではなく、犯人が判断した属性による分類による不特定の対象 を「集合」として扱っている。このような処理は、これまでの人 の心の動きとはかけ離れたものであり、ATM現金処理機が一万円札 を判別して、一括して扱おうとするようなものに近い。
凶悪犯罪までAI頭脳によって取って代わられる日が来ようとしているのかもしれない。 それに対応すべくAI犯罪捜査班を整備することが必要となるのではないか。
>ポンコツ脳だからサラダ油使う この「バカ」さも、コンピュータ処理の対応が「バカ」であると言われる ときのものに類似している。普通の人であれば、放火するのであれば、 ライターの燃料とか、ガソリンとか、経験的に火が付きやすいことを 知っているものを使う。この犯人は、おそらく、「油」というカテゴリ によって「サラダ油」を「灯油」や「石油」と同類であると判断して、 互換的に使えるものと考えたのだ。極めてAI頭脳的な判断の誤りである。
多くの思想系の学者がこの事件に言及しているにもかかわらず、 この犯罪の特異な特徴について私以外の誰も論じていないことは、 人がAIと同様に振る舞うことが当たり前のこととして受けいられる 時代がもう来ていることを示しているのかもしれない。
399 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2021/07/20(火) 00:07:14.48 0 カミュの異邦人なら読んだはず。同じ感覚で2001年宇宙の旅を読むべき 映画は意味不明だけど小説には全部書いてある
結局、利権争いだから その地域や時代によって、どうすれば利権が取れるかが変わるだけ アフガニスタンでは宗教を重視すれば利権が取れる 他の地域では、それぞれやり方は異なる 利権が取れなければ、後ろの列にいつ並ぶことになり、尊重もあまりされない それにどう気持ちの折り合いを付けるかという部分だな
結局、アメリカが守ろうとしているのはこの利権を配分する 仕組みってこと 資本主義、自由経済はその仕組み 親から子への継承や能力による利権の奪取など、自由経済圏で バランスを計りながら作られてきたもの アフガニスタンではアメリカが撤退したら、こうした仕組みが一気になくなって別の仕組みが 取って代わった それは非常にわかりやすく今の世界の秩序のあり方を示している
利権の配分こそ、人が命をかけて取りに行くものだから ここの部分で軍隊も投入されるし、殺し合いも起きるってことだな
特にアフガニスタンで変化するのは女性の利権だろう タリバン支配下では、女性の利権はほとんど失われる 女性が自分の能力によって利権を奪取することは不可能になる その代わりに、宗教のために生命を危険にさらしてきた タリバン戦闘員が大きな利権を手にし、無条件で 利権を失った女性を妻にするという利権を手に入れることになる これは非常に大きな利権 先進国では、この利権のためにかなりのエネルギーが費やされているといっても良いからね
ひろゆきが断言「『いじめられる側にも問題がある』は100%間違い!」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3ef642190aeac9b5b2405227037e5ceedd4f0e07 相変わらず説明が上手いが、この記事のポイントはこれだな
「いじめ」が起こったときに、まず「いじめた側」が責められます。もちろん、いじめた本人が悪いのは当然です。しかし、いじめが起こってしまう「システム」のようなものにも目を配ってみましょう。
このシステムというのは、ひろゆきは集団が団結するためと言っているが
さらに踏み込むと、それは共同体の論理によって利権を分配したい
という欲求のためということになるな
学校の場合は、その論理と対立する勉学の優秀な人が利権を取る
と言う方針があって、とくにこれが気に食わないと無意識に思っている
側が共同体の論理による利権分配の仕組みを広めようとする
これがいじめの本当の本質だと思う
団結のためというのは、その手前にある
タリバンも結局はこれで、宗教は口実でしかない
デタラメすぎてどこから手をつけていいのか分からない状態w
アメリカなどという主体もなければ、タリバンという主体もない
>>562 なら、正しいいじめの仕組みを説明してみて
アフガンでも男が余ってるのに嫁をとるとかはまだだ。しかも国内の嫁かよ、 多くが国外へ脱出中だ。裏かかれてな。田舎の連中なんだろう。男女比とか女性多めに合わせられない。世界へ出ろよ。女子と。どこの国にも言えることだ。そんな政府認可したら、男が余って困るぞ。女性から武器を取り上げ男性同士の張り合いだけでは女性たちの本音は動かないだろう。昔からある大戦中にもあった問題。戦わない女性を妊娠させていいのか。余った男を男の人事で嫁を強引にとるとかは国際法の精神に反するわけじゃないか。
タリバーンはまだ若いさ。そこに速く気付くかどうかで革命やクーデタの意味も出てくるだろう。惜しいところにはいるが、まだ全然外れている。 女性同士のやりあいに届いてから女性に誘われてから女性に求められること。
過去の古典の女同士の戦争という意味。まだ超えられないだろ?謙虚に。
結局、男にとって都合の良い仕組みだからね もともと男が強い社会で、そういう男にとって都合の良い仕組みが採用されやすい むしろ、宗教の方が布教のためにそれに乗っかっているという面すらあると思う だから、中東地域でイスラム教は非常に強い それは、都合の良い仕組みを提供してwin-winの関係を構築している からだと思う
仮想通貨取引所Liquidのウォレットがハッキングされ、約8000万ドル(約88億円)のデジタル資産がプラットフォームから流出した。 Hackers Steal $97 Million from Japanese Crypto-Exchange Liquid
Liquid by Quoine(リキッドバイコイン)の評判・口コミ Liquid by QUOINEは、入金や出金に時間が多少かかりますが、そのぶんセキュリティーがしっかりしているということで、安心して利用できる仮想通貨取引所です。運営がいい加減なサイトだと不信感を覚えるので、その点、Liquid by Quoineはがんばっていると思います。手数料の安さも魅力です。使い勝手のいい、信頼の置ける仮想通貨取引所です ★★★★★5点 (20代・女性)
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Liquid by QUOINEは初心者はもちろん、中級者や上級者にも使われているという印象です。マーケットの分析がしやすく、その他のデザインもシンプルで見やすくてわかりやすいと思います。セキュリティ面が素晴らしいので皆さんが安心できると思います。そして、電話やメールでのサポートもあるので初心者がわからなくなってしまってもすぐに対応してもらえます。電話のサポートがあるのは嬉しいです。手数料の面も気に入ってます ★★★★★5点 (20代・女性)
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Liquid by QUOINEは、特にセキュリティーに力を入れてくれているので安心感があります。取引手数料が安いこともメリットです。この業者のサーバーはいつアクセスしてもサクサクと動いて安定性があるところも魅力的です ★★★★★4点 (50代・男性)
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夢追う少年は米軍機にしがみついた 「国外でプレーを」
https://www.asahi.com/articles/ASP8N5S0TP8NUHBI01Z.html?iref=com_7_01 結局、タリバンを一番恐れたのは、こういう自分の才覚で道を切り開きたい
と思っていた人々だろう
それは、結局は共同体主義と個人主義の古くて新しい葛藤なんだよ
宗教もその道具でしかない
アメリカにユーラシアの男の子入れたらだめなんじゃないの。血統昔。アメリカあほだしタリバーンも間抜け。勝ち残りはある程度か。調査してみればひどいことになってる。
共同体が美しいものなんて思い込みは百害あって一利なしだからね ひろゆきが言うように、団結のためにスケープゴートをいじめるまで やるのが共同体 それは動物の本能に属しているもの
で、タリバンに武器弾薬を供給しているのはどこの誰ですか? アフガン国内で製造できるわけがないし、麻薬売買で外貨獲得して その資金で武器を購入しようにも、現ナマで武器弾薬を大量に売ってくれる ところがあるのですか。どこが製造した武器弾薬なの?
まあ5chシステムのバグがが連続投稿させてるのにマルチポストですかとか返してくる そんな掲示板でこんなスレ立ててご高説たれてるこいつらの自己矛盾に乾杯だね🍻
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石黒浩・阪大教授の超進化論「生身を捨てれば人は1万年生きる」
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/090200327/ 人間の体が機械化したとき、人類は1つの総体に統合されるのでしょうか。それとも個人という概念は残るのでしょうか。
石黒:個人の概念は残ると思います。生物の進化を考えれば、多様な個体の中で環境への適応力が高いものが生き延びてきました。この進化のメカニズムは、人間が機械化されても残ります。ハードの耐久性能が半永久的に延びても、より生存に適したソフトを求めて、多様な個体が生まれるはずです。ほかより優位な個体は自分に似た個体からなる社会を形成し、ほかの社会を凌駕(りょうが)していくでしょう。
これは良い質問だけど、なんか全体的に残念な記事になぜかなってしまっている
紙面のわりにテーマが大きすぎるからなのか
しかし、個体どうしが競争するというのは、賛成できないな
すべてシミュレーションでわかってしまうから、競争する必要がない
1つの総体に統合されるというのは、可能性としてはかなり大きいと思う
シミュレーションとかエミュレーションなどの言葉、概念が これからますます重要になるかもね こうした言葉、概念を核として、活動を展開していく個人、組織が 優勢になっていくことが予想されると思う
要するに、重要なのは物質ではなく、シミュレーションであり、それは すなわちデジタル化、デジタルトランスフォーメーションであるということになる 物質に対する科学技術は、この観点から役立つもののが、その価値を 維持できるだろう 物質の枠内に留まる科学技術は、ますますその重要性を失っていくと思う
ポスト・ヒューマニズム: テクノロジー時代の哲学入門 (NHK出版新書 664, 664) 新書 ? 2021/10/11 岡本 裕一朗 (著) 本書では、「思弁的実在論」「加速主義」「新実在論」といった話題の現代哲学を解説しながら、その論点をわかりやすく整理。AIからゲノム編集・機械化による人体改造、そして気候危機に資本主義まで。私たちが直面しているテクノロジー時代の具体的な問題を踏まえ、現在起こっている「思想の地殻変動」を鮮やかに描き出す! 10/11日発売ですね このスレにも大きく関連する内容で、まさに哲学の最前線となっている トピックです これは楽しみですね
このトピックは、現代の現実においては、デジタル主義対共同体主義の対立 と言う形で現れるだろう この対立は、今や生活のあらゆる面で顕在化しているが、 それは、最終的には知性体としての存在を取るか、動物としての人間を取るかという選択になる そしてこの対立こそが、あらゆる面において、さらに哲学においてすら最も根本的なものといえる
>デジタル主義対共同体主義
なぜ個人主義ではなくデジタル主義なのか?
それは、デジタル技術によって、初めて本当の意味で個人主義が
可能になったからということになりますね
個人主義は最終的には、
>>589 で示したように全体との融合に繋がる
その道筋を示しているのが思弁的実在論によって示された「絶対性」というこにとなりますね
そしてそれを現実に可能にしているのもデジタル化ということになります
まさに
>>589 のレスの通りです
対者みたいなオーラすらセックスアピールする、他者観。
ここ近年で達成したのってモデルナアームによる人体電磁化だけだろ、デジタルトランスフォーメーションの成果はそれだけ。
>>279 279 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2021/07/28(水) 11:14:13.43 0
メイヤスーの議論は、最も強い相関主義の立場に立っても
そこから事実性の絶対性を認めざるを得ないというものだった
それは、潜在する何かを想定しないという立場をとっても、
まさにその立場から、事実性の絶対性が導かれてしまうということだったと思う
結局、「わからない」という立場そのものが、ある種の絶対性を受け入れている
そして、その立場こそが、認識者としての存在を可能にしている本質そのものと言える
要するに、抽象し、取捨することこそが、認識者としての存在を可能にしているわけだから
585 自分:考える名無しさん[] 投稿日:2021/09/19(日) 12:56:14.21 0
つまり、「わからない」というのは、人にフリーハンドを与える呪文じゃない
ということ
この「わからない」が明らかに、ポストモダンなどで、人にフリーハンドを
与えるための呪文として使用されてきた
しかし、実際には、この「わからない」は、ある種の絶対性を受け入れることに
他ならない
メイヤスーの仕事の本質は、まさにこの点を指摘したことということになる
その結果として、ヒューマニズムの限界が明らかになり、それに伴って
ポストヒューマニズムへの道筋が見えるようになってきた
この点こそが、メイヤスーの仕事の本質だろうと思う
したがって、
>>592 のように思弁的実在論からポストヒューマニズムへの流れが意識される
ようになったということだろう
この点について、わかりやすく説明すると 「わからない」といっても、すべてがわからないわけではない わかることはある それでもなお、何かがわからないとするときに、それはその「わからない」ことの 直前にあるわかっている事実、それを絶対視することにほからない そのわかっている事実は、最終的には「我思う故に我あり」のコギトにまで 撤退し得るが、それでもその絶対性は残る そういうことだろうと思う
その最後まで撤退するならば、それは独我論ということになる それを否定することはできないが、しかし独我論の立場に立たないならば それは、コギト以外の何かの絶対性を受け入れるということになる
さらに言えば、その独我論に立った場合ですら、 「我思う故に我あり」を成り立たせている絶対性が存在する そして、その絶対性こそが、結局はメイヤスーの言う事実性の絶対性に 他ならない
要するに、メイヤスーの論は「我思う故に我あり」の拡大バージョンってことだね
まあ、とりあえずより具体的な話に戻すと イーロン・マスクの民間宇宙飛行が成功したというのがニュースになっていたが このスレを見ている人にはわかると思うが、これは必ずしも有意義なことではない 宇宙開発というのは、極めて物理的な方向性が強く、 おそらくそれはほとんど無意味 そうしたことに莫大なエネルギーを費やすのは、ほとんど意味がないだろうと思う 科学技術は、方向性としては物質ではなくデジタルへと向かわなければならない
それはお前が思ってるだけで世間は物質至上主義だよ おまえの体内に入れられたワクチンは物質だろが
物質を対象にした科学技術というのは、これからますますその価値、 輝きが薄れていくということ それに対して、デジタル技術、そしてシミュレーション技術はますます その価値を高めていく デジタル化、シミュレーション、エミュレーションをコア技術とする個人、組織はますます 優勢になってくと思う
>>589 の方向性から外れる技術というのは蛇足なんだよ
要するに無意味な物質志向の技術
さらに言えば、人体の機械化すら無意味
本質は、知能のデジタル化にある
EQ心の指数が大事。といっても意識や頭脳の扱いですら花を読め。
物質は飽きるからね だから、物質を扱う技術はどんどん価値が失われていく 哲学的本質に沿った技術のみが、その価値を失わない
ダウンロード&関連動画>> VIDEO これで最期。望月の 欠けたることも 無しと思えば。憑き余の魔物は恐ろしい。
藤原道長な。ロードさあ。これも両方嫁。フロイト ビョーク。
時代だなあ 病苦。ジークフリートストリートバレエダンサーズ。娘たちな。
8/8 full honey moon and si(ex)benz z会も懐かしいなあ。女神転生ね。 その後、最高神官 最高法官 文学官僚正三位。
女性もへこみますわなあ。そりゃあさあ。男尊女卑で。
上にも下にも人がいるってことが落ち着きだよね。オチのある話。
おにいさん おねえさんも 長い付き合い。これからも。23だろ。2。
それが自分の根本だよねえ。死ぬ回数ってももいたけど。
デジタルを扱うには媒体がいるので、物質と無縁にはなれないんじゃない 概念も脳の中に全て溜め込むのは無理なので、何らかの記憶媒体なり、 紙なり、チップなりが必要になる。紙なら燃えれば喪失、チップは破損したら 終わりだけど。 まあ、プラトンのイデア論がこのスレ主の観点だろうけど。プラトンも肉体や 物質性というのを軽視というか、非本質的なものとみなしていたからね
媒体の話は何回かしたんだが、デジタル情報は媒体から独立してるんだよ それは、生まれ変わりなんかの話にも関係している まさに、物心二元論と同じ
デジタルはコンピュータの発明以前からあったかなかったか
思考法としてはあったと思うが処理は不完全。 無の自覚。それが永遠の死であると 女教授に憑いて学んで教わった。死霊。 善例もいると思うが悪霊が人気で、レベル時間論がヤヴァイ最後を待たずにに善が勝つでしょう。
999かMPじゃないのみんなほしいの。ドーパミン解放の時ね。
タリバン、「勧善懲悪省」復活へ…かつて密通男女を処刑・音楽鑑賞にムチ打ち
https://www.yomiuri.co.jp/world/20210918-OYT1T50194/ この密通男女を処刑というのは、アホとしか言いようがないが、音楽鑑賞にムチ打ち
というのは面白いな
それは、一面において本質を突いている
そうした喜びは、必ずその反動をもたらし、最終的には不幸の要因となる
まあ、密通もそうだし、密通ではない場合でもそうなんだが、
これらは動物としての楽しみであるが故に、動物としての苦しみが
必ず付随する
しかしもちろん、それを防ぐためにむち打ちだの死刑だのさらに大きな苦しみを
適用するのは論外なわけだけど、知的存在への方向性を進むならば
自らそうした楽しみは廃れていくだろうと思う
それは「飽きる」という表現が最も近いだろうと思うが、そうした楽しみの
反動も徐々に強く意識されていくだろうと思う
しかし、いずれしても、それを他者が強制することは論外であることは言うまでもない
んだが、こうした宗教においても、物事の本質が部分的に直感されている
例もあるということだね
ムチムチ の むち打ち 斬られ がソクラテスじゃん。
イエスか。懐かしい日々人たち。マリア伝の執筆しましょうか?一部 一部どころか売れますよ。
フットサル創始者かつフッサールなのであります。わが身は。元の身にあらず。
母としての妻を綴る。娘と。みたいな伝記。にしよう。
ミスティック パー サークル レインボー ブリッジ。入らない 虹の橋に蛇の虹かかる掛かる架かる懸る。お台場手前に歌碑もできたよラクロス場系。
夕焼けの空をうつろに見渡せばオフサ(虹蛇)の橋の上に立つ虹。 新体和歌面白いよ。ログにある。
まあ、共同体主義はろくなものを生み出さない
誰かが個人的に何かを直感しても、それが共同体主義を通すと
とんでもないしろものになる
その良い例が
>>633 だね
明石遠ヌ共同体。 哲学詩も音韻で押韻して文字韻もつけたら。できてる人もいるけどシェイクスピアのように。
ある日の哲学日記。 一節の日記文学。通りすがりの女子高生。 B1「あの人タランティーみたい。」B2「ウオーたまらんティーノ。」 その子の将来のことだよ。
>>648 関係なくないですよ
独自性の楽しみ、個性の楽しみ自体がデジタル化によって毀損している
ってことです
四高校の意味わかる?私学公立インターハイとった三点ショット九発ねじ込み。
まあそうさ健常者おっぱい2個は後輩のお客さんみたいなもんだ。奇形児にとって。
>>655 そして、そのこと自体に、哲学的に深い意味があります
結局、知的存在への方向性と動物としての方向性を分ける部分ですね
>>656 クローン人間トランスフォーメーションとかiPS細胞トランスフォーメーションならわからんでもないんだが
>>657 優越な個を引き当てたことの喜び、この喜びは、そうした個を
優勢にすることで、種を進化させようとする動物的な欲求に沿うものですよ
知的存在であるならば、そうしたことはすべてシミュレーションで認識することになりますから
個の優越性に頼る必要もないですね
哲学和歌 と議歌論。 定型詩ね、練成がいいんじゃないの 空。 蛇 。虹。
無と有 無罪と有罪から解くと有限の命をe日記でも書いて更新すること。
しかし他者に文体を見せるファルスやオーラみたいな見せ替え。音読輪読も大事で。
集合と離散を繰り返す差異と反復執念のな。女だけの集合論。自分を入れない。
>>670 原始的な欲求以外は、他者への優位で得られる欲求だから
そうした欲求には結局のところ持続性がないんですよ
さらに、食欲や性欲といった原始的欲求にも、その反動がありますからね
基本的に欲求充足の喜びはドラッグによる快感と同じものです
持続性がない
デジタルもアナログもそれを扱うのが人間である限り、意味・機能的には 変わりないと思う。よく自撮り棒でスマホ使って、事故死する女子もいるけど、 デジタル使って賢くなった訳でもない。LINEなら学校でのイジメや自殺の原因に なる。イスラム原理主義の過激派なら、デジタルをテロの目的に使うだけ。 SNSでも犯罪に巻き込まれたりする。自動運転車を走らせば、センサーが感知 出来ない障害物によって、不注意による事故死が発生する。それを使っている 主体が人間である限り、意味・機能的にはアナログと変わらない。 あとは、好みの問題だ
瞑想とかも脳内麻薬出しているだけだから、ある意味、薬物ジャンキーと同じでしょ 欲求の虜だよ
あとは、デジタルは為政者が人々を管理しやすくするので、超管理社会という弊害を 生む可能性も考えられる。個人の全情報が一部のステークホルダーに随時補足されて しまうような状況も生じるだろう。いわば、現代の奴隷管理をするのに、うってつけ のツールがデジタルだろう。
デジタルはマクロに管理する上では必須 ソーシャルネットワークによる細分化されたミクロな統治機構では限界がある為 データベースによる管理は個人の意思とは切り離されより統合された社会的な文脈で行われる事になる
銃からAIドローン無人兵器で殺傷すように変わっただけで、デジタル使っている側の 人間の本質が変わってないのだから、デジタルだけで社会が良くなる訳がない。 今までと同じ。デジタル使った搾取が進み、格差がより早く広がるだけ
デジタル化によって、あらゆる個人の活動が記録されるようになった 海外送金なんかも、テロ対策のために今やすべてガチガチに管理されている こうした言論もすべて記録、追跡されていて、誰が発信しているのかもわかる これがデジタルの特徴ってことになるね あらゆる活動は記録され、再現可能 つまり、事実性の絶対性が担保される これは、人々に動物ではなく認識者であることを強制することになる
「ゲーム障害」とは、オンラインゲーム、パソコンやスマートフォンなどを利用したゲームへの過度な依存によって、日常生活に支障をきたす疾病のことです。 インターネットやスマートフォンの普及でオンラインゲームなどに過度に依存する 問題が世界各地で指摘されていることを受け、世界保健機関(WHO)は2018年に 公表予定の、病気の世界的な統一基準である国際疾病分類第11版(ICD-11)に 新たな疾病として「ゲーム障害」を盛り込む方針を示しているそうです。 WHOによると、以下の症状が12カ月以上続いた場合「ゲーム障害」と診断されます。 ・ゲームを行いたいという衝動が抑えられない ・日常生活の何よりもゲームを優先する ・仕事や学業、健康等に支障をきたしても、ゲームが止められない ・ゲームを継続することで、個人、家族、社会、学習、仕事などに重大な問題が生じる
たとえば、twitterやyoutubeは反ワクの動画なりアカウントを垢BANしてるけど、 そういう言論統制が容易にできるのがデジタルの特徴。ステークホルダーの お好みの言論しか、表示させないようになってしまう。 ユダヤ金融資本贔屓のことしか言えなくなるよ。
デジタルというのは、この識別性を担保するんですよ 逆に言えば、デジタルでないならば、識別性がない つまり、デジタルでなければ、事実性は担保されず、 さらに言うならば、「我思う故に我あり」も成り立ちません 「ある」とか「ない」とかの概念自体がデジタルですし、 このようなスナップショット的な事実性の概念自体がデジタルです つまり、デジタルは、認識者としての存在そのものにかかわっています
つまり、人類自体がアホのクズなので、それがデジタル使ったアホのクズに移行するだけ 本質的な問題は何も変わらない、が正解だろう
デジタルは加工が容易なので、デジタルは事実性を担保しない。 逆にデータ改ざんしたり、現実を歪めるツールにもなる
>>685 それなんだよな
為政者による認識の絶対性が結局担保されないなら寧ろリスクですらある
賛成。本物の為政者の方がまだマシ ちょっとやそっと頑張る個人がいたところで 「じゃあ俺を為政者に指名してくれ」みたいな奴がうじゃうじゃいるから
まあ、言いたいことは、デジタル社会が進むほど、ポストヒューマニズムが 進むってことです それはまず欲求の低下を招きますから、いわゆる草食化が進むと言うことになりますね
>>688 だからシステムを管理するのは人間だよねって話を延々としている
SNSでのマウント合戦とか、実際、よく見られる光景だけどね
>>689 管理というよりも、デジタルの性質そのもの、最終的にはその複製可能性が
個性の価値を喪失させ、それによって欲求の低下を招くということですね
誰が管理しようと、デジタルの性質そのものが、ポストヒューマニズムを促進させる
違うな。デジタルでも複製とは違う分岐は起こるから。 デジタルが一意に収束する、なんていう現象は実際、起こっていない。 デジタルであっても差異化を求めて、そこに付加価値なり、独自の価値を付与 しようとしている。
しかし、それは容易に複製されてしまう 良い例がポルノですね 複製が可能になったことで、そうした分野の欲求が著しく低下した これもポストヒューマニズムが進んでいる一例です
その欲求の低下、価値の低下は「飽き」という形で現れます なぜなら、デジタルは複製の氾濫を招きますから
その「飽き」は、
>>589 の状態になったときに
あらゆる分野、そしてその存在自体にすら及ぶことは
容易に想像できると思います
能力に比して人件費の異様に安い日本のIT技術者 中韓のエジキ
もちろん、
>>589 では、その存在自体が複製可能であるはずですから、
そこでは個という概念が極めて小さくなっているということも想像できます
そもそも欲求をモチベーションとすること自体が、認識者としての存在を 維持するために支障となるんですよ たとえば、技術の進歩によって、ドラッグのような副作用なく、 永久に快感が続く仕組みが開発された場合を考えればわかります そうなると、それはもう認識者ではなくなり、単なる快楽を享受する 動物になってしまうでしょう それは、認識を維持するという、認識者が生来に持つ志向性を完全に打ち消して、 ただ動物的な快楽に浸る存在に陥ることになる
ところで、では何のために認識を維持するのかな 生存のため、という感じじゃなさそうだし、だって欲求否定しているんだから
ただ欲求が碌でもないということは、古来の哲学者も言っていこと 特にストア派とか
生物学的な観点で言うと、やはり認識の目的は自己保存であったり、食物やエネルギーの確保であったり、外敵を同定することや、パートナーなりを得て繁殖することとか、生物は基本、そうしたことに認識を使うように出来ているのではないかな 認識のための認識、ということは、人間ならあるかもだけど、それでも生物として は認識は自己保存なり、種の保存に資するようになっているのではないかな
人間が学校的な学習するのも、いい大学へ行って、いい企業に入って、いい相手と 結婚して、子供作って、と自己保存なり、繁殖に有利となるから勉強しているのが 大半なんじゃないの。経済的、社会的な環境を有利にするために勉強している、 と言ってもいい。 認識を維持するために勉強している人は、そんなにいないような気がする 別にいてもいなくてもいいけどね
いずれにしても
>>700 のような技術が法律が禁止されたとしても
やはり
>>589 のような状態に近づくほど、「飽き」による欲求の低下は避けられないだろうと思う
むしろ、欲求充足の反作用である鬱には飽きがないだろうから
そちらの弊害ばかりが強くなって、欲求充足を求める人は減少し
認識者としての認識の継続の希求のみで存在することを選択する
人が増えていくように思う
さらに、個の概念が薄れていくわけで、欲求充足は個が主体になるだろうから
その傾向にますます拍車がかかる
>この自己言及的な筆致のおかげで、メイヤスーは「自分が反駁しようとする立場を自ら定義し、 >概念に対して自分が意図した通りの意味を与え、止められないとみなした議論を推し進めることで、 >厚顔無恥としか言いようがない結論の真実性を説得的に示すという見事な技をやってのける」
そしてこれは、現代においてもすでに、草食化などで見える傾向だと思う
>>707 だから、メイヤスーは最も強い相関主義者だけを相手にすれば
目的を達成するんだよ
それ以外の人たちは二元論になるから、いずれにしても何らかの絶対性
を受け入れるしかないわけで
すべて「わからない」で通している最も強い相関主義者であっても、
ある種の絶対性を受け入れざるを得ない
これを証明できれば、すべての人がある種の絶対性を受け入れているという
結論が得られる
>>709 しかしそれは上述の分析哲学者が示す通り予め何らかの前提に立たなければそれを証明する術を持たない訳で
自己欺瞞的に成らざるを得ないという結論では?
>「メイヤスーは盛んに相関について語るが、その相関とやらが一体どのような >関係なのかについては何も語らない。それはものと思考の間の関係であり、 >伝統的に真理の対応説として定義されてきた理論だと考えたくなるだろう。 >しかし、メイヤスーは真理の概念について論じることを注意深く避けており、 >また関係についてはそれ以上に触れないようにしている。[…]実際、相関主義とは >単にカント的批判主義の別名であるように思われ、そこから派生する全ての思想はその >変種にすぎない」
>ただし、意識から出発して物質世界を説明することは困難がつきまとうので、 >論者は次のような理論戦略を用いることになったという。 > > ・ 神を立てて宗教と結合させる。 > ・ ideaと事物とを同一視して、一元論化し、いわば裏返しの唯物論になる。 > ・ 外界の存在については沈黙する懐疑主義になる。 > ・ 物自体を想定し、物自体は不可知である、とする。 > ・ 人間に即して考えられていた精神を絶対的なものに仕立て上げる。
>>710 結局、確実に言えることは「我思う故に我あり」しかない
しかし、これだけでは独我論になってしまう
そして、それ以外のことを前提とするならば、「我思う故に我あり」
以外の何かをも絶対的に受け入れることになる
相関論とは、「我思う故に我あり」を始点とする、いずれかの立ち位置でしかなく、
その始点のみを認める立場を除けば、それ以外の何かをも無条件で
受け入れるということになる
こういうことだと思う
>>715 しかし、構造主義では生まれ変わりとかそういう展開にはならないよね
おそらく構造主義では視点が十分じゃない
しかし、懐疑的独我論者には通用しないか メイヤスーの議論でも、独我論者と懐疑的独我論者には、依然として フリーハンドが与えられてしまう そりゃ、自分しかいないならフリーハンドになってしまうわけだが これはどうにもならないだろうな
>>718 構築主義では生まれ変わりの議論はできるの?
生まれ変わりは、
>>589 の技術をも網羅していく
ポストヒューマニズムにおいては不可欠な議論だと思う
それは、認識者の複製可能性に対応している
>>712 の、これなの?何だと思えばいいのか全然わからん
> ・ 人間に即して考えられていた精神を絶対的なものに仕立て上げる。
>>723 それだね
ポストヒューマニズムとはまさにそれ
>>725 ヘーゲルは生まれ変わりについてどう考えてた?
精神が絶対的なものであるならば、生まれ変わりのような概念は 視野に入ってくるはず
メイヤスーもこのスレも絶対的観念論だと考えていいってことだね?
>>730 >>589 の状況になったら否応なく起きるぞ
ならないから大丈夫。 その前にコロナかコロナワクチンかシンギュラリティの暴走で 人類、終了になっているから
まあ、とりあえず
>>592 は楽しみだな
発売は10/11日
学校で習った四大文明は嘘っぱちだった 今更?!www
四大文明は元々中国の歌で歌詞に含まれていたものを日本の当時の歴史家が輸入して広めただけでしたw そもそも、欧米では4大文明という概念は一般的ではありません。 * 欧米では中国文明は小麦の原産地であるメソポタミア(今のイラク周辺)文明が2000年程度遅れて伝播しただけとしか認識していません。
日本はデジタルトランスフォーメーション以前にやることがあるのではないでしょうかねw
>>717 「我思う故に我あり」が成り立つために求められる
絶対性というのもあるな
やはり、事実性の絶対性が求められる
つまり、独我論であっても、事実性の絶対性が求められるわけで
フリーハンドは与えられない
151 考える名無しさん sage 2020/12/07(月) 21:12:12.00 0 人間内部における他者にしろ不自由にしろ実体のように捉えるからそういう感想になってしまう そういったものは説明のための概念であって実体じゃなくてあくまで言葉なわけ でそれは究極的には語れないわけ
認識者は、複製可能であれば、記述も可能ですよ それは自然言語ではなく、プログラム言語かもしれませんが
認識の絶対性は要するに主客一致が言いたいだけ メイヤスーは噛ませ犬を自ら買って出たように思う
生まれ変わりというのは、認識者の媒体が変わったときに、
それが認識者にとってどのような意味を持つのかという
非常に根源的なテーマ
この点を考えていくと、メイヤスーの言う世界は理由律もなく
いつまったく異なるものに変化するかわからないものというのは
非常に示唆に富んでいる
認識者にとっては、「世界」は本質的には自身に関わりがない
したがって、どのような「世界」にも変わることがあり得る
どのような世界に変わっても、認識者は認識者として独立して
存在しうる
それが生まれ変わりが示唆することだろう
これは、
>>589 のような「生身を捨てる」場合でも同様に当てはまる
その媒体を変える瞬間において、認識者はまったく理由律なく
世界の変化を体験することになる
精神は物質からは独立している 故に、どのように物質が変化しても、精神はその影響を受けることなく 同じであり続けることができる それは言い換えれば、同じ精神が、あらゆる物質、あるいは世界の変化に 遭遇することがあり得るということです
>>750 最終的には、媒体を問わないんだよ
だから、
>>589 のような話になる
ドラッグによる変性意識であったり、交通事故や病気で脳が損傷することで 人格が一変するケースなど、よく観察されること。認知症も同様だ 脳や身体という媒体があってこそ、精神は発現可能になる また、生まれ変わりや輪廻転生は、この世で不幸な人々が自暴自棄に陥らない ための安全弁や方便として伝統的に機能してきただけで、事実性の事柄ではない。 死の恐怖を紛らわせるためにも役立つことがあるかもしれない 般若心境読経している死に近い無教育な年寄りが信じているのが、生まれ変わり つまり、このスレは読経スレである
精神というのも、環境と遺伝子が作る変数に過ぎないので、外界と無縁で 自律的に発生するものではない。 タリバンの中で育てば、原理主義者的な精神を育みやすいだろうし、 狼に育てられた狼少女は、ついに、人間社会へ戻ることが出来なかった。 人間の心や精神を持てなかった。 つまり、このスレは事実性を無視した読経スレである。
また、時代精神と表現されることもあるように、精神は、その時代の動向や思想に 影響を受ける。戦時中であれば、好戦的な精神があり、革命時であれば、革命的な 精神がやはりあることだろう。 また、民族精神というのもある。アングロサクソン系と、アフリカ系、ラテン系、 アジア系、アラビア系では、その物の考え方から、行動パターン、価値観に、 大きな精神性の違い認めることが出来るだろう。 日本人であれば、同質性や同調圧が高く、我を立てることが嫌われる。 「長い物には巻かれろ」が、大半の愚かな日本人の根本精神である。
たとえば、マルクス・ガブリエルは、日本の有名ロボット工学者との対談で、 自分は、そうしたロボットを人間化することに大きな違和感を覚えると、述べていた。端的に言えば、それは嫌悪感だ。 もちろん、そこにはナチズムを体験した彼の精神性があり、尊厳はカントの考え方から来ており、ドイツ人にはそうした人型ロボット的なものへの嫌悪感が存在するのだ。それはユダヤ人をジェノサイドで殺戮し、奴隷にしたように、アンドロイドは、どこかそうした人倫に反した奴隷制を連想させるからだ。 日本人の場合は鉄腕アトムから始まってエヴァンゲリオンまで、アニメにおいて やたらロボットが出て来るので、別にアンドロイドに拒絶反応を示す、ということでも ない。 つまり、精神はその民族性に負っている部分が大きいのである。
同じハイテク製品作らせても、日本人がやると多機能になり、コストが高くなり、 今は劣化している思うが、良き職人気質が生きていた時代には、質の良いきめ細かな 製品が作られる。 中国人がやると、作りは雑であり不良品率も高いが、安価に大量に素早く 作れるので世界中に中国製品が席巻するようになる。日本人がかつて作っていた 製品は高すぎて、世界市場ではニーズがないのだ。また、現代では日本製といえば、機能面でも大したことないくせに、価格だけは従来通り高いので、世界市場で相手にされなくなるのも不思議ではない。 つまり、職人気質の日本人の精神と商人気質の中国人の精神は、このように 全く違うのである。今は、たまたま社会環境が中国人に有利になっている だけである。
認識者が複製可能と言うことになれば、そこに唯一性、独自性が
消えるということです
それが生まれ変わりの話の本質であって、
>>589 の状況に至る
中で、それが顕在化する
心身二元論とは、最終的にはそういう精神の独立性を示唆する論
ということになりますね
唯一性、独自性がないと、なぜ精神の独立性となるのか? それは、唯一性、独自性は物質に起因しているからということになりますね 精神が物質から独立しているのであれば、そこに唯一性、独自性は存在しない そしてこのことこそが、精神の複製が可能であるとする最も根源的な 理由ということになります
たとえば、もうすぐWindows 11が発売になりますが、 それが提供される媒体は、そのOSとは、その本質において無関係です 精神についても、これと同じです
Twitterの“投げ銭”機能「Tips」が正式リリースへ まずiOS版に提供、数週間後にAndroid版にも 格差をますます広げるデジタル社会w
結局、主体の断絶と再生がテーマなんですよ
生まれ変わりや
>>589 のような生身の機械化・デジタル化では、もちろん
主体の断絶と再生があるわけですが、それのみならず
通常の覚醒時においてすら、認識者は絶えず断絶と再生を繰り返している
それがメイヤスーの言う、世界はある瞬間に突然変わりうるという言説の主旨です
さらに、主体は絶えず断絶しているわけですから、もちろんそこに理由律は存在しません
面前には、ただパラパラ漫画のように断絶した情報の断片が提示されるだけで、
それは何の理由もなく提示されるわけですから、それそのものが絶対性を持つということになりますね
要するに、「世界はある瞬間に突然変わりうる」、「生まれ変わりは起きうる」 というメイヤスーの一連の言説は、心身二元論に対応している と言うことですね 精神は物質世界からは独立しているので、物資世界が突然まったく 変化することもあり得るし、精神にとっては物質世界に理由律はないわけです
そもそも、断然と再生すら自由自在であるならば、 それは時間をも超越しているということになりますが、この辺は どうなるでしょうかね まだ、あまり検討してない部分ですが
デジタル情報は、いつでもどこでも、おそらく違う宇宙ですら 再生成が可能ですからね 時間も宇宙も超越している まさに心身二元論足る所以ということになります
そして、こうした心身二元論こそが 人間が本来持っている「直感」に非常によく適合するんですよ 昔から洋の東西を問わず、「生まれ変わり」は意識されてきたわけで それは、こうした心身二元論に対する人の「直感」がある それは、自身の精神を自身で分析した結果として得られる 最も素直な結論なわけです それは、間違ってはいないということになります 自身の意識に対して感じる、非常に強烈な永続性です
コンビニの募金箱に1円玉が1個だけ入ってました。 コロナは関係していることでしょうか? 募金額が減っているのは電子マネー決済が増えたからです。 そもそもコンビニなどの募金箱に募金してる人は慈善事業ではなく、単に小銭が邪魔って理由の人が大半ですからね。 あとはコロナが影響しているとしたら客数が少なくなった分募金額も減った、といった部分は考えられます ただ募金額が減ったのは電子マネー決済が増えたのが一番の理由ですね
デジタル化によって無作為な事象がどんどんなくなるからね 無作為な事象に頼らない仕組みこそが、結局は不幸な人を 少なくしていくと思うよ 無作為こそが人の不幸の原因とすら言えるから
DXとやらで募金が減ってアイドルへの投げ銭が増えるわけですね
最もベーシックな部分ではBIをやるしかないだろうね その上で、自分が気に入った人に寄付するというのはありだと思う
10月10日・11日はデジタルの日。医療従事者への寄付プロジェクト
>>592 ポスト・ヒューマニズム: テクノロジー時代の哲学入門 (NHK出版新書 664, 664) 新書 ? 2021/10/11
岡本 裕一朗 (著)
この本を早速読んでいるが、期待通りの良書だな
出版業界の衰退が言われて久しいが、哲学分野においては
膨大な哲学文献を読み、理解して、適宜にそれを引用できる
人は、大きな価値をもたらすと思われる
このような人が活躍する場は出版業界しかないわけで、
この面ではまだまだ膨大な可能性があると思う
資本主義の欲望を煽るという意味ではポストデジタルの方が 加速主義かな しかし、ここで悟ってしまえば、個人としては加速主義の破壊は不要 社会全体としては必要だろうけど
欲望を煽るにはモノとアナログが必要 資本主義が求める欲望には、それが必要 しかし、ここで悟れば、そのような苦痛、不幸を伴う大回りに付き合う必要はない
まあ、多くの加速主義論者もその立ち位置だろう 自分は悟ったうえで、社会全体としては欲望を最後まで追求して 逝ってしまえと考えている
つまり、ポストデジタルとは、加速主義そのものだな デジタルで悟った立ち位置を確保した上で、欲望を煽るために あえてアナログに突っ込む社会全体を俯瞰する立ち位置
結局、アナログというのは、人間が動物であるために必要なものであって
それにこだわるのは、どう考えても糞
山のように不幸、苦痛が付随してくるのに、そこに突っ込むのは、
わかっていれば、もうまともな判断じゃない
>>589 のような未来の方向性にも背を向けるわけだし
>>773 なかなか良書だった
マルクスガブリエルについて非常に詳しく取り上げていたが
マルクスガブリエル、ダメダメだな
しかし、彼のすべての心象は実在するという言説は、
正しいんだな
しかし、その正しさは彼が真っ向から否定するポストヒューマニズムにおいて
実現するわけだが
彼は自分のこうした正しい洞察よりも、その思想が強すぎて、もう思想家になってしまった
ということだろうな
道徳なんていうものも、恐怖があるからこそ成立するんだと思う その恐怖は、不幸、苦痛の存在があるからこそ、生じるわけで そこには絶えず犠牲が必要になる そういう犠牲を前提とした道徳に頼ることは、まったく道徳的じゃない もっと本質的な解決策がいるわけで、それがポストヒューマニズムの方向性 で見えつつあるのが現状 この段階で道徳に固執するのはおかしいし、1世紀は感覚がずれてる ナチス後のドイツという特殊な状況がそういうずれをもたらしているんだろうか
要するに、恐怖や犠牲がなくても、それ自体で成り立つ指針 それがポストヒューマニズムが求めている方向性ということだね
「GAFAに富が集中し低賃金労働者が増大する」ITの雇用破壊で日本はこれから超格差社会に突入する
https://news.yahoo.co.jp/articles/7d8c694df7b9b665123fcaa74a9f5f616e713c5a?page=4 >このリアリズムに対し取り得るスタンスが二通りある。一つは、資本主義を減速する立場で、もう一つは加速する立場だ。
ここから先は有料で読めないみたいだが、加速するしかないんだろうな
ここで止まっても、今の苦しみがずっと続くだけだし
ITによって高度な職業が失われるならば、それは職業についてフラット化
するってことだから、必ずしも職業の面で言えば格差拡大にはならないと思う
資本家と労働者という側面では、格差は拡大するだろうから、
そこは政策が必要だろう
労働者を資本家側に移行させつつ、税制による格差調整が必要だろうと思う
ポストモダンとかポストデジタルとか、ポスト〜ってヒューマニズム回帰 みたいなニュアンスがあるな 「反動」みたいな意味があるんだろうか 唯一ポストヒューマニズムだけが、その直接的な字義から、その例外になるのかな
ポモはそれ自体が皮肉になってると思いますが。 モダンは終わらないでしょ。 その線で行くと年始や春先にポストコロナとか言い出してた現象も同じ轍をふんでると思って見てました。 むしろそれを認めながらさも気づいていないふりをしつつ積極的にポスト○論を論じていくのが主流になりつつあるのかなと。 それでいくとポストワクチン論もワクチン終わらないこと知りつつワクチン社会はこれからどう変化していくのかという話しをすることになるわけです。 ポストモダン、ポストデジタル、ポストヒューマン、ポストコロナ、これらは『ある時代の1時期を起点、比較対象として、それ以降の時代がどう変わるかという話』になるのです。そこではいつの時点でポスト論が語られようとも起点は消えずに残っており、また消えずにその語る主体の同時代に含有されて存在し続けているのです。
ポストヒューマニズムはちょっと違うような気がする
これは、進むほど、別の何かに変化していく
人間の終わりというテーマは、
>>773 の本でも出ていたが
それはシンギュラリティが生物を生み出したような大きな変化を伴う
要するに、捉え直しとか振り返りではなく、 それはまさにただ前に進むものであって、他の「ポスト〜」とは まったく異なる感じがある
要するに、他の「ポスト〜」は、大きな進歩があった後に 「それは人間にとってどういう意味があるの」というは、捉え直しの作業 のような感じだろう ところが、「ポストヒューマニズム」の場合は、その字義からして このような捉え直しが意味をなさない
じゃあ、そろそろポストデジタルトランスフォーメーションについて語ってみようか
モダン、デジタル、コロナ、これらは人間に大きな影響を与える 何かであって、その影響を受けて人間はどう変わっていくのか、 あるいは変わらないのか、それが「ポスト〜」論の趣旨でしょう ところが、ポストヒューマニズムの場合は、まさに人間そのものが その対象になっていて、他とはまったく異なる話をしているということになる
>>793 そう感じるのはそうでしょう。
なぜならポスト論のポストはあくまで時間軸の比較の意味しか持たないんだから、
個別論の性格は、個別論のテーマによるものなので。
デジタルで言えば時代が4Gが5Gに変化しても4G社会と5G社会には共通項があるわけで。テーマがヒューマニズムの場合に仮にヒューマニズムAからBへの変革があり、それが共通項を持たない、ABは相容れない、ANDが無だった場合、そういうケースではそういう意味において異質であるのは当然のことであるといえます。
それだけのことでしょ?
単純な変化というよりも、「ポスト」には、回帰の意味合いがあると思う 大きな変化の後のことを「ポスト」は表すわけだから、そこには必ず 「反動」が現れるわけで、必然的に「ポスト」はその反動を扱うことになる
ただ、ポストヒューマニズムの場合には、あまりにもその変化のスパンが 長すぎて、それは哲学の根幹を超える変化を示唆するものになっている あるいは、それこそが哲学の真の始まりを意味することになるのかもしれない
しかし、マルクスガブリエルの人気というのは、そのヒューマニズムにある んだろうか もう単なる説教の域を超えないと思うんだが 説教には需要があるということなのか
マルクスガブリエルで重要なのは、 世界はない→すべての心象は存在する の論理展開の部分 ここに、重要な核心が隠れてる これは、メイヤスーとも共通する部分だと思う
この部分は メイヤスーでいうならば、 世界は突然に変化しうる→生まれ変わりによって救われることはありうる これに対応している
松本良多 (Ryota Matsumoto) はニューヨークとベルリンを拠点とする建築家、社会学者、アーティストである。英国の美術学校で学びペンシルベニア大学大学院を2007年に修了する。1990年代より新しい社会学の提唱者としてロージ・ブライドッティ、キム・カスコーン、ベンジャミン ブラットンとともにポストデジタルの思想家として知られている。
まあ日本の哲学は国内で完結してるから。 海外では相手にされないわけだ。
ポストデジタルトランスフォメーションがこれからのニューノーマルだよ。
いや、ポストポストポストポストデジタルトランスフォメーションがこれからの ニューノーマルじゃないかな
>ドコモ、通信障害は全国の200万人に影響--IoT関連の設備工事が原因 これがデジタルの本質。もし、日本国内の通信障害が1億人規模で出たらどうなる? 復旧に手間取るだけでも、尋常でない被害が出る
結局、心身二元論とは、デジタルと物質の二元論なんですよ
そこにまで至れば、なぜ思弁的実在論がポストヒューマニズムと言われている
のかがわかる
>>773 の本では、その辺がまったく理解できないと思う
もうすでにポストデジタルに入ってる。世界視点ではね。
認識者のあり方そのものにデジタルは深く関わってる
また、
>>589 のような方向性もデジタル化の行く末にあるわけで
ポストデジタルという用語は表層的な欲望を刺激するための
マーケティング用語に過ぎないでしょう
デジタル化は、言葉の発明、文字の発明から続いてるんだよ さらに言えば、生命の発生自体もデジタル化だけどね
せめてタロットカードとか占星術とかをデジタルだとでも言えんかね
遺伝子情報はデジタルだし、言葉や文字もデジタル情報ですよ
チェスや双六もデジタルだろう。遺伝子情報はただの器官ではないかな
文字はともかく言葉がデジタルかどうかはわからないなあ。狼煙はデジタルだろうね
遺伝子情報は、符号化可能なコード情報であって、それはデジタル情報です そして、デジタル情報であるからこそ複製できるわけです デジタル情報でなければ複製はできませんね これは、文字や言葉も同じですね 文字や言葉は符号化可能なコード情報であって、それはデジタル情報であり ゆえに複製できる
アナログに同一なものはありませんから、複製という概念自体が デジタル化を伴います
つまり、複製するには、デジタル化が不可欠なわけです
なんだ、無劣化複製だけが複製だというバイアスがかかってたのか それで生まれ変わりがどうの、と
遺伝子がデジタル的な複製なら、瓜二つの人間が出来てない時点で矛盾だろうw
現実には差異が混入しているということ ごく大雑把な解像度でみると、複製見えているだけで 紀元前人間と現代人は大分、違うだろうアウストラロピテクスくん
現実のものには、すべて差異が入っていることに気づくことが大事だ
20年前のパソコンは複製されない 20年前のOSは複製されない ポケベル使っている奴は、今ほとんどいない これが現実
むしろデコードされている 複製であれば、受精卵のままで終わるから。細胞分裂という差異が入ってくるから 成長できるのであって、だから、「少年老い易く学成り難し」と言われる。 言葉も古語と現代語では外国語くらいの差異がある。 言語は複製されていないということだ
アプリやソフトウェアを使っていると分かることだが、始終、アップグレードが 入ってきて、同一環境を保持することがほぼ不可能なのが分かることだろう 脆弱性を回避するためには、更新も必要なことになる デジタルで出来たソフトウェアでさえも複製を維持できない
お札も複製されていない。銀行券には記番号が付いているから、それぞれ違う 新一万円札の肖像は渋沢栄一だから、諭吉がずっと複製されることもない 物事をちゃんと見るのが哲学者だよ 大雑把でいいのはエッセイストかお経ね 言葉遊びのレトリック哲学はアホみたいにうつる
法やノルム(規範)も同じ。複製されるのでなく、更新されている ガイダンスやコンプライアンスも同じ。それらは言語で構成されているが、 複製でなく、時間的に更新されている性質があることが分かるだろう。 なぜなら、それらを構成する言語自体が更新されている性質ものだからだ プログラミング言語でも同じことだ 遺伝子も同じ。 今なら、毒チン打っていることで、今後、かなり遺伝子のエラーを作ることが 予想される。
複製されなければ更新もないです というか、デジタルでなければ同一律すら成り立ちませんから 更新という概念すらない もちろん、同一律が成り立たなければ、コード化も脱コード化もありません それほどまでに、デジタルは認識者にとって、最も根源的な核心部分 なんですよ
つまり、差違という概念は、もちろんデジタルであることが前提なわけです 同一がないなら差違もありませんからね
アナログの認識対象 認識者----------< デジタル デジタルの認識対象 こういう図式ですね そして、デジタルである認識者は、デジタルの認識対象に対して互換性を有するんです つまり、完全に認識可能であり、それはつまり両者は可換可能ということを意味します それに対して、アナログの認識対象は、完全には認識できず、両者は本質的に世界を異にします 故に可換可能ではありません これがモノ自体ですね
認識者と、デジタルの認識対象が可換というのは、要するに 認識者は、デジタル情報としてアップロードできるということであり、 また、認識者を言語(デジタル情報です)で記述できるということですね つまり、認識者とデジタル情報は可換ということになります
こうした観点を持ってオブジェクト指向哲学を考えてみると、別の視点も見えてくるかもしれませんね
未接種→ヒューマン ワクチン接種者→トランスヒューマン 遺伝子組み換え人間 遺伝子が違うから同じ種ではない 人と人外として区別される 人には人権があるが、人外には…どうかな 遺伝子を組み換えれば元に戻ることはできない トランスはその後交配してもトランスの遺伝子を伝えていく
だから同一性というのは、大雑把な解像度で見た状態を指す 一週間前の君と今日の君とでは、持っている情報や経験値も、身体的組成も 細胞レベルで違う筈だ。 でも、便宜上、細かい差異は捨てて、同じ同一の人間として扱っている。 本来、同一性は差異を内包しているのに、そこは見ないように隠蔽しているだけだ。
結局は、デジタル化を進めることで、認識者の複製にまで至るわけですから、 それは解釈の問題を既に超えているということです そこには、本質的な核心がある
人間の拡張子は何だね? daresore.cogni とかになるのかね
例えばメモ帳でjpgファイルを開くとこうなる これは拡張子が違うからだ リ・ JFIF ロ C !"$"$ロ Cツ ・・" ト ト レ 茘・R・ B0 "9。BC0陪$猪/[晩ラl\D,D縒SN ノT・牽ハv・s蝦UC ノ&ァム4wmチ・[Tナ・・Yp・肌Kずサ苗I妣bェΗ3フヨリ・・Q*5i・・ヒ;y;ヲナ:ワ絋s舌曇メルニr97Sナ鳥ユ胥、ィ3塋1\M 「ハ・カタ紬i」慙Af/AaI:・{讐ト唏熱$タ4沍・HB・2ZH'ロ陷 ッニIフt<TeVヘロ・)J1ojd札w・・ォV>bヌLゥf・ Vサ)(h゚y:ィWャ羲憇tオィコ・I・u・ケタvoヘタユ頷 筴_[ラm B空奐,靠C:ヌaメ盖aU俤シV2スlオ<ャノs鑞雋y<Q瞋Z・恐F莽ウ・E蹲ウ「サフモ5モ鋸。ョ橸)・T@ コイBd゚+ナ・M4∪BVオトh<・v・Dgソタ (以下略)
うん、jpgにパイソンのプログラム仕込んでおけばみんながそれクリックするたびにbot投稿できるんだよねw
それを応用するとYoutuberで億稼げる。まあバレると垢停止だけどね。
>>841-842 ロックミュージシャンが哲学板に何の用だね
デバッガーは最近はテスターとかQAとか呼ばれている
ちなみに猫は去年はエヴァンジェリストの肩書を名刺に書いてたりしたが今年はシニアコンサルタントにしている
これから、ヒューマニズムは大きく腐敗していく ヒューマニズムに乗る人たちはその腐敗に巻き込まれていくだろう ポストヒューマニズムの立ち位置を自分のものにした人たちは、その様を固唾を飲んで見ることになる
なぜそうなるのかというと、ヒューマニズムはどうしても動物としての人間に引きずられてしまうから そこでどうしても腐敗していく それに対してポストヒューマニズムは、ひたすら知的存在としての人間に焦点を当てていく
では、その腐敗がなぜ今になって進むのか それは、科学技術によって物理的に人間の自由が拡大し、また政治的、社会的にも人間の自由が拡大するから 人は自由になるほど、その目指す方向性が実現し、それによる影響が純度を増して、自身にはね返ってくる つまり、動物としての人間に焦点を当てる人は、その動物としての属性にますます引きずられることになる
哲学における構築と脱構築もあらゆるものに適用されると 考えるかもしれませんが、そうではないです 思考が必ず従うべき枠組みがあり、思考はその枠組に沿ってしか 行うことができません ここに認識者としての「絶対性」がある つまり、この部分について、脱構築することはできないわけです なぜなら、それは思考を解体することになるから
>>850 この部分を意識するかどうかが、ポストヒューマニズムが
他の「ポスト〜」と異なる部分であり、ポストヒューマニズムが
単なる「ポスト〜」の繰り返しではない所以です
つまり、思考の最終的な絶対性を捉えるわけですから、そこで
行き止まりです
人間がいくら「超人」だの「ポストヒューマニズム」だの言っても、言ってるやつはしょせん人間に過ぎないわけでw
要するに、解釈の問題ではないということです ソフトウェアではなくハードウェアの問題であり、 したがって、思考はそこから逃れることはできない その枠組について、思考によってあぶり出していくということですね
このような絶対性があるということは、そこに絶対に解消できない 構造があるということです これが、心身二元論であり、それはデジタル-アナログの構造に対応する ものということになりますね
絶対性はないよ 人間にそう見えているだけの錯視効果 虫や植物に絶対性がないのと同じ 複眼では複眼で映る世界が絶対に見えているだけのこと もし五感が倍ある十感のあるエージェントがいたら、そこに映し出される 新たな世界像が絶対に見えるだけ。全部、媒体と感覚器官が作る錯覚効果
錯視効果が「錯視効果」として伝わることに真実があるのでしょう
「もの自体を認識できない」 これが絶対性なんですよ それすら錯覚だということはできますが、でもそうではないでしょう 思考には、絶対的に適用される枠組がある そうした枠組があるから、もの自体を認識できないわけです
そして、もの自体を認識できないということは、 逆説的に、そうした枠組を思考できるということです 絶対性が見えているわけですから、その枠組を思考できる
そして、ここまで来ればポストヒューマニズムの意味がわかると思います 人間が認識できない何かがある つまり、人間の思考には、枠組・制限がある その枠組・制限は人間はを超えた、「絶対性」によって課せられるものであり この人間を超えた「絶対性」について考えるのがポストヒューマニズムということになりますね
それはあらゆる宗教が自己勝手に定義している神と同じだよ 神が絶対と言っているだけ それがアラーになったりブラフマンになったり、メシアになったりしてるだけ の違い
結局、もの自体を認識できないという事実がすべてなんですよ ここから、どうしても絶対的な構造が導き出されてしまう これを避けるには、もの自体を認識できる、あるいはもの自体などないと言うしかない しかし、それは無理でしょう?
>>861 言えるか言えないかの問題ではないよ
言質を取るやり方じゃ駄目だな
言葉に枠組、制限があるように、思考にも枠組、制限があるということですね
つまり、思考はその絶対性の枠組を超えることができない その絶対性こそが、ポストヒューマニズムで扱うべきものということです
最近は、環境保護の観点から、様々な制限を課す動きが広がってる これもポストヒューマニズムなんだが、しかし、実際にはこういう制限を課す 真の理由というのは、何かあやふやになっている部分がある まず、宗教とかもそうだが、人間はこういう人間以外の何かを基準にして 制限を課すのが好きというのがある そういう口実を見つけると、喜々としてそういう制限を課したくなる これも、ポストヒューマニズムへの方向性を人々は無意識に志向していると言えると思う そこには、上記のような絶対性に基づく行動のあり方を求める無意識の希求がある
来月岩波新書からロボット研究者の石黒浩が本を出すみたいだな。 いよいよだな。
>>589 この人か
割と哲学的なことにも興味のある人みたいだから楽しみだね
>>866 そういう意味で言えば、ポストヒューマニズムというのは、宗教の現代版とも
言えるんだよね
もともと、ヒューマニズムはキリスト教否定から出てきているから、現代的な回帰とも言える
しかし、ポストヒューマニズムは認識者としての絶対的な枠組を模索するものだから
これがファイナルアンサーになるはず
ポスト〜の繰り返しにはならない
デジタル化は今や政府の最重要政策とも言える立ち位置ですが、 しかし、これを単なるインフラ整備だと考えていると、それはITバブル期のイット革命と同じになってしまいます まず、デジタル化に伴う哲学的な意味を十分に理解し、それに沿った 思考における変革を進めることです これによって初めて、デジタル化という核心的に重要な方向軸において、社会に驚くほど良い影響が 見えてくるはずです
デジタル化も環境保護もポストヒューマニズムのキーワードですが 両者に共通する概念は、持続可能性でしょうね 環境保護については、それはまさに持続可能性を扱うトピックなわけですが デジタル化がなぜ持続可能性なのか? それは、リソースの効率的使用ということもありますが、最終的には それは、認識者としての持続可能性と言うことになると思います 認識者にとって、その認識を終端させるのは無作為です また、認識者自身も、無作為によって霧散してしまう この無作為を排除していくのがデジタル化ですね 無作為を排除することによって、認識者の持続が可能になる それをしないのであれば、認識者は今の人間の寿命以上にはその存在を維持できないでしょう
環境保護の潮流の中でも面白いのが、人工食肉とかですね これは地球温暖化とかとはあまり関係ないのですが、徐々に強い潮流になりつつあります ここには、動物保護はまずあるわけですが、最終的に美食という概念が実は不要なのではないかという疑念から来ていると思います そしてさらに、快楽という方向性が最終的に不要なのではないかという疑念に容易に変化するでしょう ここまでくれば、デジタル化の潮流はそのすぐ近くですね
なぜそれがデジタル化の潮流に近いのかというと、 欲望とか快楽とかいうのは、物質に関連しているんです デジタルはコピー可能ですが、コピーできるものは欲望とか快楽とかの対象にはならない コピーできない唯一無二のものは、無作為によって成り立ちますから、 それは、最終的には、無作為に関連しているものといえるでしょう デジタル化は無作為を排除していく これが本質的に、デジタル化が欲望とか快楽を縮小していく理由ということになりますね
つまり、
>>871 と合わせて考えれば
欲望とか快楽は認識者の持続可能性を毀損するということです
要するに、この点についても持続可能性に関連するということになります
絶対性とやらが何たるかについては全く言及しなくて草
デジタルって遊びがないのよねぇ まだ 余裕というか 曖昧さというか 自由度が低いというか 画一的というか 決められた形式にそってその通りにしなきゃいけない 他人が決めたルールで ある一定の年代の人には窮屈でしょうね
機械の時代の前は人間の時代だったんだよ 分かりやすく言うと差別や公共性のことだ 田舎からやってきた人々が、汽車や電車を使って都市に集まる その時に信頼関係がなく不安だったわけで、そこで人間と言う概念が 強調された、それをぶっ壊して台無しにしたのが、かのオウム 分かりにくいなら、ウルトラセブンのメトロン星人の回でも見ると良い で、機械の支配に切り替わったわけだが、ぶっちゃけ日本に限ると 全然うまく行くってないのな、自殺者は出すわ、事件は起きるわ また人間というシンボルを通じて築き上げた信頼と公共性をぶっ壊して しまって、一から作り直しになっているのが現在だ そもそも中年くらいの年齢だと課題が何なのか理解すら出来ていないだろ
そう みんなロクにITなんか知らないのに表面だけ触ってITに精通してるフリしてるw 亀井が言うようにデジタル化がすすんだら人間なんか要らない社会になるんだよ まぁでもそれは避けられないことなんだけどね
コンピューターって上の層にいくと 3値論理じゃないとうまく行かないことがあるけど 脳は2値なのかな
人間がいらないって事はないだろ、家畜化するんだよ 既に現在もおだてられて家畜化している個体も出始めているから 選別が始まっているのかもしれない
デジタル化は中国のような超管理社会が進むよ それを良しとするのかどうか
最後は頭にコード付けて一生眠ったまんまの人間がズラ〜ッとカプセルに入れられて並んでるんでしょ そりゃやだよ…
そんで最後は「人間いらね〜な」って判断されてロボット軍団にみんな殺されちゃうんでしょ 手塚治虫が考えてた通りの未来になってきたな
AIロボット「飯くったりうんこしたり人間って維持コストかかりすぎいらね」
ちょっとわかる気がする 皆が指一本で気軽に発信出来るから 変な抗議が通ってやり直しさせられたり 超陰湿なイジメが起きたりする
ビッグデータを元にAIに管理される家畜同然の人生に気付いたら虚しくもなる
確かに論理がないとな デカルトも数学を哲学の基礎にすべきって言い出したのも 誰がやっても同じ結論になるようにスッキリと証明できるからっていう理由だったからな 法律がめちゃくちゃなのも議員に問題があるのかもな
うちはほぼ電子化でペーパーレス、 会話はチャット、会議はzoom でも社内が殺伐とした感は非常に強い 仕事中、同僚が倒れて救急車で運ばれた時も一瞥しただけの人間が多くて怖かったわ…
デジタル全体主義を憂慮してるんだろ。 別にいいじゃん、日本人は奴隷がお似合いだよ
この気持ちわかるわ この世が便利になりすぎて気持ち悪い もう人間(俺)なんていらないんじゃねーの? って気持ちになる
ぶっちゃけデジタルデジタル言ってるのも大概アホだからな スマホがあるからPCいらないみたいな主張と同じで使い分ければいいだけのことを 片方をやたら妄信するし そもそも日本人は簡単に目的と手段が入れ替わるからなんでデジタル化するの? デジタル化して何をしたいの?って視点が簡単に抜け落ちるし
スマホ拝みながら道歩いてる馬鹿ばかりの世の中になってしまったのはデジタル化の弊害
亀井静香の世代のデジタル猛者はすごいよ 俺は大学生のとき亀井世代のジジイ教授にデータベースやOS開発やソフト開発を 教えてもらったし、SNSの作り方をTwitterやフェイスブックがない時代に 教えてもらったしオリジナルは日本。外国人はパクっただけ。
多様化こそITの神髄なのに集約が進んで可能性がありそうな芽まで平然と踏みつぶされてるのが今かな 最前線に身を置くはしくれはそんな感じがしています 運よく奇特なパトロンが付けばいいけどそんな確率一桁だろうし
最先端にいればいるほど目の前の技術の将来性と万能感?を覚えて視野が狭くなる 一歩引いた方が良いと思うわ
生体内外の情報は感覚器いわゆる五感のセンサーを通じてデジタル化されて神経を伝わり 脳・脊髄等の中枢で処理される。 すなわち生きると言う事はデジタル信号の上に成り立っている。 確かに死ねばあらゆるデジタル情報から解放される訳だからあながち間違いではない。 逆に言えばデジタルから離れるには死ぬしかない。 網膜には外界の状況は上下逆さまの状態で映る。 水晶体の1枚レンズではどうしてもそうなる。 生物は最低でももう一枚レンズを増やして正しく映るようには進化しなかった。 代わりに脳内で正しい方向になるように超高速でデジタル画像変換する道を選んだ。
まあデジタル化というか、必要以上に便利だ効率だを追求しすぎた結果、 人の気質が短気で怠け者になっているのは確かだよな (今まで普通にやっていたのに)ちょっと手間や段階を踏む事すら面倒臭がって 全否定するだろ?それが証拠
デジタル化の行き着く先は、AI技術と組み合わせ人の脳から意識を仮想空間に 移すことで、死後もメタバースで固有の人格を持って存在し続けることだろう。 技術的には可能であり、ビッグテックは皆この方向に進んでいる。亀井のような有能な政治家が寿命が尽きてこの世界からただ消滅するのは人類の損失だ。
鳥山明とか、アナログの時は神がかってたけど デジタルになってから、そのへんのイラストレーターと同レベルになったよな
デジタル化とは数値化ということだが この世はアナログだが、例えば、顔面偏差値のようなものを作ってデジタル化すると、つまり 顔面(ルックスのよさ)を数値化(デジタル化)したりすると、数字をみて恋愛対象を決めるから 判りやすい! しかし、これをやると 数字しかみていないので 点数が低い人は選ばれないが デジタル化して選んでいくと いずれ、皆、同じ顔に進化していく やがて、同じ整った顔ばかりになり、誰が誰か個性はなくなっていく
高度に発展した社会には生まれつきついていけない人が何割かいる、 そこを切り捨てて考えるのは本当の発展ではない アナログな社会をどう部分的に残すかまたは高度なデジタルと感じさせない デジタルな社会 自然の中に溶け込んで気づかないうちに利用してるようなHiデジタルな世界 そこら辺をどう考えていくかだな
・デジタル化すると、全体像が見えなくなる ・解像度に限界が出てくる 一度デジタル化すると劣化する ・データ保持に電力を使うので、必ずしも環境に良いとは限らない といったデメリットもちゃんと認識してほしい
子供が生まれない仮想セックス 愛情が生まれない仮想コミュニケーション モチベーションが上がらない仮想会議 フランスから仮想出演して論破するだけのひろゆき 適応せざるを得ないにしても こんなもんに適応してもな なんか気持ち悪いし すでに適応していまってる 若者に出ている副作用を検証して デジタル化一辺倒を少し見直す必要はあるのでは?
サーバーが人質って、まるで江戸幕府の参勤交代みたいなもんやなw アメリカ幕府へ人質取られるみたいなもん
宇宙や人間や生物はとてつもない高度なアナログでできてるからな 究極はやはりアナログなのだよ
ひろゆきいいこと言ってるな 亀井もあながち悪くない デジタル化進みすぎると監視社会になる そもそもインターネットは軍事産業から生まれたのに
デジタル化をすばらしいと語る奴はアホ 不完全なモノに真、偽の答えは無い 不完全なモノに必要なのは妥協 答えは一つではない 分解能が上がれば精度が上がる 極論化により不一致が無くなる されど極論化は不完全な事には排他処理をもたらす 世の中に完全な事など無い 世の中の全てのモノに実体は無い 全ては移ろい変化する 真理など無い デジタル化信仰は自分の意思に関係なく振り回されるだけ
てゆーか 用意されたモノで何が出きるか?的な思考になるのがデジタル 不完全なモノに真、偽は無い中、極論化により排他的な思考が強くなる 分断を生みやすい世の中になる
半導体プロセスの微細化や材料は結局アナログ技術なんだよね アナログ技術が進化しないとデジタルも進化しない
俺は34だが俺と同世代はどこ行ったんだろうな 見ないわ ていうか引きこもってる間に数年経過した 31ぐらいで止まってるしより正確にいうなら28ぐらいから 俺は変わっていない
むかし携帯電話が始まった頃には携帯電話はぜったいに持たないという人がいた 彼らの言い分はそんなもの持ったらいつでも電話がかかってきて困るといった いまなら冗談と取られるが実際にある程度こういう否定的な意見のひとはいたのだ スマホが始まった頃にもガラケーのほうが機能的だとして選ぶひとはある程度いた 物理的なボタンがあることの優位性を語っていた 1995年にはオウム真理教事件が起こりサリンが地下鉄でまかれた その頃Windows95が発売されいっきにパソコンが普及し始めた 26年前だ その頃30代だったひとがいまでは60歳だ 老人になった当時の若者でもいまだにパソコンが扱えない人が相当数いる
ヒューマニズムに戻ったら欲望と快楽に基づく圧迫と迫害の社会に 戻るだけだよ その巨大な害悪のわずかな隙間に美談があるだけ 今さら無理だし、現代の人間にはもう耐えられない
結局、動物として生きるか、知的存在として生きるかなんですよ 動物としてい生きるなら、快楽はあるけれど、その数十倍の苦しみも付随してくる それを選ぶ人はほぼいないと思う
>>898 デジタル情報は不滅なので、死んでも逃れられないと思う
要するに、物質世界から独立して、不滅の世界を形成している
これがデジタル世界
デジタル情報は複製可能なわけだから、いつでも復活してしまう
>>918 例えば、10101なんていう単純なデジタル情報なら、あらゆる場所で
独立して生成されてしまう
これは、結局はデジタル情報は複製可能であるという特性から
生じているんですよ
複雑なデジタル情報であっても、原理は同じです
あるときにある場所で独立して生成されてしまう
これがデジタル情報の特性です
このことは、メイヤスーの世界は理由律なく突然変わりうるという言説に 対応してるんですよ それを逆の視点から見たものです つまり、デジタル情報は理由律なく突然生成されうる これをデジタル側から見れば、世界は理由律なく突然変わりうるとなるわけです
これは、実質的には、心身二元論、デジタル-物質二元論を構成している と考えることができると思います
人気ユーチューバを見れば一目瞭然だけど、非常に欲望的で消費社会的な資本主義者 であって、欲望を離脱しているような悟った主体とは程遠いのが現実 むしろ、欲望を加速しているようにさえ見える。飽くなき欲望の追求 メンタリストも同類だろう。人気ツイッタラーも同じく欲望的 だいたい、SNS自体がそういう傾向を生む。他者が可視化されて、比較が生まれ それが欲望の対象となりがち
物質や身体性を悪とみなすのは、そんなに悪くない観点というか、むしろ、プラトンからの伝統で だいたい宗教もそういうスタンスのものが多いだろう。それらは腐るからね、その性質上。 だから魂を重視したり、来世であったりにアクセントを置く。それがデジタルと置換可能かと いうと、そうでもないんでは。GAFAは恐ろしく欲望的な巨大装置だよ。 解脱や悟りとは程遠い。研修でたとえマインドフルネス使っていても
しかし、デジタル社会になって草食化は進んでいるよ それに、GAFAよりもハリウッドの方が腐敗しているだろうと思うし ハリウッドこそが、ヒューマニズムにどっぷりつかった世界だし むしろ、アメリカで一番腐敗していないのがGAFAとすら言えるかもしれない
>>921 このことは、最終的には同一律の問題といえます
自分自身を自分であると認識している存在
そうした存在との世界との関係性です
複製可能という概念は、結局はこの同一律が成り立つものであれば
すべて該当するんです
つまり、自分自身を自分であると認識している存在は、生まれ変わるってことです
この特性は、同一律の本質と言えると思います
そして、これこそが、昔から直感されてきた生まれ変わりの本質でしょう
認識者としての人の直感は正しいということですね
>>589 の1万年生きることができるデジタル化なんていうのも
結局は、生身を捨ててデジタル化するときに生まれ変わることになる
こういう現象の本質が
>>926 ってことです
ワープロ・プログラムとか10年前より確実に使い勝手が悪くなってるよな。 やたらフリーズするし、タッチみすですぐに変な機能を立ち上げるし、 エンター・キー連続で叩いただけで不可逆的な変な標示エラーになるし、 辞書登録機能がどうなってるのか不明だし、変な変換候補ばかり 優先的に提示してくるし、いやがらせを受けながら我慢して使っている ような印象。
>>926 について補足すると、同一律が成り立つ
つまり、同一であり得るならば、それが同一であるかどうかは条件次第ということになります
であるならば、それが複製可能かどうかも条件次第です
その条件を満たす一例が
>>589 ってことですね
つまり、自分自身を自分であると見なす存在は、まさにその存在自体の性質によって
条件次第で複製可能となるということです
ここまで考えれば、この「生まれ変わり」こそ、ポストヒューマニズムにおいて 核心的なトピックということが言えると思います メイヤスーの議論がこちらの方向に向かったのは必然であったということになりますね
生まれ変わりは事実上ないよ 同一性の認識は、生体を維持するために使われるための川を渡る筏に過ぎない つまり、その個体が死ねば、同一性の認識機能は不要になって、川を渡りきった筏のように捨てられる。 生まれ変わるとしても、それは人間が虫に生まれ変わってもいいのだから、 人間の時の同一性は損なわれている。仮に人間に生まれたとしても同じ。 アイデンティティが断絶しているので、そこに同一性はない つまり、いつものお経が繰り返されているだけ
生まれ変わりは方便としてよく使われる。 この世で不幸な者が、この世で車両内で火を放ったジョーカーのように自暴自棄に ならないように、この世で善良でいれば、来世は報われて、良い来世が送れる、と いう風に貧困層や底辺、虐げられた者たちの安全弁として生まれ変わりや輪廻は使われる。 場合によっては支配層の搾取の手段の一つとして使われてきたのかもしれない
しかも、生まれ変わりは、非常に良くないことだ 生命のあるところ、苦が伴うので、目指すのであれば、生まれ変わりのないところを目指すべき 生まれ変わりは、仮にそれがあったとしても、それは悪い部類の現象に入る。 俗物は生まれ変わりを望む 長生きすればするほど、苦の時間が長くなるだけ 一万年の苦とかどれだけのマゾですかw
精神のデジタル化、精神のアップロードなんていうのも 生まれ変わりですからね これらが無理というなら、生まれ変わりはないと一応は言えますが
結局は、肉体という物質を自分自身と認識しているかどうかですが もの自体を認識することはできませんから、自身の肉体であってもデジタル信号に 変換された後の情報を認識しているに過ぎません であるなら、それも置き換え可能ということになりますね
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結局、もの自体を認識できないということは、必然的に心身二元論を構成するんですよ ここに気づかなかったカント以降の哲学者はちょっと残念でしたね
そして、心身二元論を構成するということは、その両者を区分けする 「絶対性」が存在するということです これが、最終的にはメイヤスーのいう事実性の絶対性です 物質界は、認識者から超越しており、ただ、何の理由律もなく、絶対的な「事実性」を 突き付ける それは、宗教の絶対神と同じ構図であることは、容易に気づく部分でしょう ここまで、カントの「もの自体は認識できない」という言説から必然的に導かれる 結論ですね
あと、ドゥルーズ、ガタリの脱コード化・脱領土化も関係する概念ですね これは加速主義の流れを汲むものですから、当然かもしれませんが 最終的に絶対的なコードが残るという部分を補足すれば、まあその通りなんでしょうね
いい加減スレタイの哲学的な意味について考察したら?
「松本良多(まつもと りょうた 英:Ryota Matsumoto)は、テクノロジーと文化について研究する社会学者でありメディアアートの美術家である。米国の加速主義の思想における中心人物であり、ジョージオ・アガンベン、キム・カスコーンとともにポストデジタルの主唱者である。」
「我々は既にデジタル技術が特別なものでない時代にいる。」
“I firmly believe the digital technology is nothing special in the age of techno utopianism.”
引用元
https://ja.wikiquote.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E8%89%AF%E5%A4%9A ポストデジタルからバイオデジタルへ流動する社会学
「バイオデジタル論 (ばいおでじたるろん 英:Biodigital Theory) とはスペキュレイティブ・リアリズムとニューロ・キャピタリズムの理論を思想的基盤に様々に細分化された非物質的本性としてのモナドの生成と相互主観性論の内在性を考察するデジタル以降の社会における概念である。」
「ポストデジタルの解釈を起点としクリティカル・ポストヒューマニズム、トランスヒューマン、非平衡科学の自己組織化 (Self-organization) にもとずくアクターネットワーク論 (ANT) の概念をも視野にいれたマルチレイヤーの理論として展開される。バイオデジタルはデジタル以降の様々な内観的 (Introspektion) な現象学の概念、バイオ・コンピュテーション、インタラクティブ・ネットワーク、生命体の形成過程における複雑系、生成の偶発性をデジタルメディアにとりいれた根源的再考に準拠している。 」
「テネシー州立大学教授のサラ・ヘイズ (Sarah Hayes) とプリマス大学トランスアート・インスティチュートのディレクターの松本良多 (Ryota Matsumoto) がアンソロポセン (Anthropocene) の階層的体系におけるデジタル以降のディスクールとしての思想としてディファインした。松本良多 (Ryota Matsumoto) はバイオテクノロジー、トランスヒューマン、分子生物学、生命体のみならず総合的なアクタントの有機合成の過程との類似性を視野に生命と流動性とその潜在的対象からバイオデジタルを生命の受動的自我のメタ科学として解釈している。」
引用元
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E8%AB%96 ポストデジタルって、デジタルの意味を完全に理解していないのに その先に行けるわけがない それは、認識論の根幹にかかわり、ばこの世界を二分する 最も根本的な枠組みなわけだが
まあ、バイオデジタルとかいろいろ進むうちに、それが見えてくるのかもしれないが
あえて言うなら、資本主義を前に進めるには、欲望という燃料が必要 その燃料は、ポストヒューマニズムでは調達できない 欲望を提供するのはヒューマニズムだから、そちらにも振らないと、資本主義は 前に進まない ポストデジタルの意図はこういうことだろうけど、しかし個人がそれに付き合う必要はないわけで、 それは消耗と不幸を招くだけだから、個人としては静かにポストヒューマニズムの方向に 進めばいい
どこが馬鹿なのか言語化することが大事だよ 哲学だけでなく、今やあらゆる分野で言語化できることが必要になっている 言語化できなければ、それがすなわれ馬鹿ということになる
社会的包摂の重要性が説かれる昨今、脱人間主義は何処まで実現可能なのか問われている 人間主義的認識に偏重する事が環境要因の軽視に繋がり、社会資本、人的資本の荒廃に密接している 巧みなマーケティングによって購買行動を煽られ顕示的消費を繰り返す若者は更にそれをInstagramに上げる 資本によって歪められ隠蔽されてしまった空間こそが生産の領域であり、付加価値という虚構は欲望に対する信仰でしかない 消費の循環を生産の循環へ 資本主義において消費されないものは弱者であり、弱者とはマイノリティーである そしてマイノリティーは常に抑圧されている
加速主義の行き着く先こそ、ポストヒューマニズムだよ そしてそこにしか、救いはない ヒューマニズムのあまりの残酷さに、人々は呆然とするしかない それが今の状況
これから人間の機能が機械に置き換えられていく その中で、認識者の立ち位置を哲学的に捉え直していく作業が必要 それが、ポストヒューマニズムの哲学的な意味だと思う
カントとヘーゲルは思弁的実在論にどう答えるか 単行本 ? 2021/11/10 高橋一行 (著) >ヘーゲルを専門とする著者による思弁的実在論批判。カンタン・メイヤスーを中心として、思弁的実在論と呼ばれる思潮を追い、次いでその思弁的実在論を理論的相関項として持つ加速主義について考察する。二十一世紀の思弁的実在論を経て、十九世紀のカント哲学・ヘーゲル哲学に回帰し、再検討しつつ、カトリーヌ・マラブーとスラヴォイ・ジジェクを援用しながら思弁的実在論の可能性を探ってゆく。 面白そうな本が出たが、7150円か 図書館とかで借りるしかないのか
原理主義的な保守(それがどのようなものであれ、自らの主義の絶対的な
正しさを主張する保守)が一神教的であることは言うまでもないが、
一見、多様性を推進することを目標として掲げているように見える
(ネオ/)リベラリズムにしろ、マルクス系の左翼主義にしろ、
多神教の多様性を評価したニーチェの立場からすれば、開き直った
一神教、自らが一神教を信仰していることの自覚すら欠いた一神教
への帰依に過ぎないだろう。
Größter Nutzen des Polytheismus.
Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954, Band 2, S. 134-135.
http://www.zeno.org/nid/20009251936 多神教がもてはやされたのはポストモダンの文脈だよ その結末は嫌というほどもうわかってると思うが いずれにしろ、これは宗教ではなく、事実に基づく分析だからね
そもそも保守なら良いという考え自体が無意味、さらには有害ですらある
>多神教がもてはやされたのはポストモダンの文脈だよ ポストモダンの文脈≒(ネオ/)リベラリズム+マルクス系の左翼主義 それに対抗するものであるかのように見せかけたコケ脅しの案山子が 宗教原理主義や原理主義的な政治保守
>そもそも保守なら良いという 「そもそもの保守」が(不定形の)自己保存だから、それなしには良いも悪いもない。
まあ、ネトウヨの下劣さはポストモダンを遙かに超えてるかな もともと、ネトウヨもポストモダンから生まれた感じもあるが
保守は自己保存というが、保存すべき対象が共同体ならば、それは 不幸を温存するための思想でしかないな 最終的に保存すべきなのは、認識者であって、動物としての人間じゃない それに漠然となんでも保存というのは、常識的に考えても知能が足りない
なんでも保存というのは無理だから、自己保存にならざるを得ないのでしょう。 また、常識的に考えて知識は常に不足しているから、自己保存も不定形になる のではないですか。
結局は、認識者としての自己保存だよ その方向性はもうはっきりしてると言っても良いと思う 後は、動物としての人間性をそこから分離していく作業だね 今は大まかな方向性でも、技術の進歩につれて、その精度は上がってくるはず
ネトウヨについて言えば、日本人ってここまでバカだったんだと目から鱗だったな まあ、ネトウヨ以前も、その空っぽさをスノッブさで隠してただけなのかもしれないな そして、スノッブさが外れたときに、その本性がむき出しになった これも加速主義の流れに含まれるんだろうな
学問について言えば、それなりに長年、大学院に在籍して、 名前が知られている学者と接していた時期があるけれども、 最終的に、その人々が、例えば、医者が患者の病気を治す ことにまったく無関心であり、犯罪捜査をする警察が、 犯行や犯人を特定することにまったく関心がなく、 そのような関心を追求しようとする人間を異様な異物の 如くに扱うかのように、真実を追求することにまったく 関心がないことを、これ以上ないほどはっきりと身をもって 知らされたことは、ある意味でそれまで生きてきた価値観を ひっくり返すようなことだった。しかし、それは、私が それまで、世の中の常識からすれば、「甘い幻想」に 浸っていただけのことに過ぎない。
だからといって、それらの人々に追従しようとは思わないんですよ。 そういう人々の表向きの発言など、どうでもよくなった。 別に追従したところで、私自身には何の利益もなく、それらの人々の 保身に寄与するだけのことだ。私はむしろ、「甘い幻想」に浸り つづけていることが可能であるかのように、勝手に外野から発言を させてもらうだけだ。それで身の危険がないとは言えないが、 どうせいつかは死ぬわけだし、死んでしまえば口はないから、 生きているうちに減らず口を叩いておかないと損だ。
逆に言えば、それまでは、現実の経験によっては、まったく支持されない 価値観を「ユートピア」のように自分の支えとしようとしてきたとも 言える。今の現状ではそうでなくても、別のどこかにそのような 価値観が実現される人間関係があるはずだという幻想を捨てきれずに いたのだろう。子供っぽいと言えばそれまでだが、例えば、「医師 や看護婦が、患者の病状が改善する治療を見出すことにまったく 関心がない病院」というのを想定してみれば、私が、「その現実を 受け入れ難い」と感じて現実の方を無視しようとした感覚も理解できる ようになるのではないだろうか。
そりゃ、人を殺す人間ですら多数いるんだから、人を助けない人間なんて 山ほどいるでしょう
その制度化をノーマルなものとして受け入れられるほど、まだ世間ずれしていなかった ということ。
職業倫理としてはどうなんですかね 良い製品を作ろうとするメーカーと比べてすら、医者の患者を助けようとする努力が 小さいなら、それは何か問題があるとは言えるでしょうね
職業倫理として、患者は病院のクライアントであるが、院生や若手の研究者 は、大学や研究機関のクライアントではない。
職業として従事してるんですよね? 通りすがりの人が誰かの命を助けない場合とは違うわけですから
そして、大学や研究機関が、建前ではなく、本当のところ何を目的としている のか明確になっているわけではないので、「真実の追求」のような建前を 信じ込んでいる院生や若手の研究者は、独房に閉じ込められるか、迷路や 袋小路から抜けられないような状況に陥りやすい。
つまり、こう考えることができますね クズでも、人間として呼吸して生きることは許されるけれど 職業人として仕事に従事することは許されない そして後者の方が、よりポストヒューマニズム的なんですよ
まあ、加速主義は、そういう矛盾する存在をその自らの矛盾により 崩壊させていくわけですね ネトウヨもまさに、これです もともと日本人にはそうした矛盾する志向が内面に存在した それを加速させたのがネトウヨで、それによって崩壊していく まさに加速主義です
最終的には、加速主義によって、動物としての人間を選ぶ人と、 知的存在としての人間を選ぶ人に分かれるだろうね 後者を選ぶ人がポストヒューマニズムに至るということになる 現状は、大半の人がその中間にいるわけだけれど、それは非常に辛く むしろそれこそが、不幸そのものの状態だろうと思う 両者はまったく相容れないので、知的存在としての人間の部分は、 動物としてのあり方に自身の不幸そのものを感じる 両者にとって、他方は矛盾する存在 そのために、加速主義が進むほど、その矛盾を解消するために、どちらかを選ぶことになる そして、前者を選ぶ人は知的存在ではなくなるので、 哲学的には、後者のみになると言うことだろうと思う
ポストデジタルからバイオデジタルへ流動する社会学
「バイオデジタル論 (ばいおでじたるろん 英:Biodigital Theory) とはスペキュレイティブ・リアリズムとニューロ・キャピタリズムの理論を思想的基盤に様々に細分化された非物質的本性としてのモナドの生成と相互主観性論の内在性を考察するデジタル以降の社会における概念である。」
「ポストデジタルの解釈を起点としクリティカル・ポストヒューマニズム、トランスヒューマン、非平衡科学の自己組織化 (Self-organization) にもとずくアクターネットワーク論 (ANT) の概念をも視野にいれたマルチレイヤーの理論として展開される。バイオデジタルはデジタル以降の様々な内観的 (Introspektion) な現象学の概念、バイオ・コンピュテーション、インタラクティブ・ネットワーク、生命体の形成過程における複雑系、生成の偶発性をデジタルメディアにとりいれた根源的再考に準拠している。 」
「テネシー州立大学教授のサラ・ヘイズ (Sarah Hayes) とプリマス大学トランスアート・インスティチュートのディレクターの松本良多 (Ryota Matsumoto) がアンソロポセン (Anthropocene) の階層的体系におけるデジタル以降のディスクールとしての思想としてディファインした。松本良多 (Ryota Matsumoto) はバイオテクノロジー、トランスヒューマン、分子生物学、生命体のみならず総合的なアクタントの有機合成の過程との類似性を視野に生命と流動性とその潜在的対象からバイオデジタルを生命の受動的自我のメタ科学として解釈している。」
引用元
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E8%AB%96 ヒューマニズムって、ポストトゥルースのことだからね つまり、ネトウヨはヒューマニズムの申し子みたいなものだよ
松本良多の思想と美術
社会学者の松本良多は、クリティカルなヒューマニリズムと同様に、分子生命学、複雑系、ナノテクノロジーにより形成されたインターラクティブな社会、具体化されたメディアと複合現実との間の触媒による作用を通してデジタル技術の人間化に取り組む芸術作品としてポストデジタルをとらえている。
https://matomame.jp/user/john/a0358a821574e3360ce9 「バイオデジタル論 (ばいおでじたるろん 英:Biodigital Theory) とはスペキュレイティブ・リアリズムとニューロ・キャピタリズムの理論を思想的基盤に様々に細分化された非物質的本性としてのモナドの生成と相互主観性論の内在性を考察するデジタル以降の社会における概念である。」
「ポストデジタルの解釈を起点としクリティカル・ポストヒューマニズム、トランスヒューマン、非平衡科学の自己組織化 (Self-organization) にもとずくアクターネットワーク論 (ANT) の概念をも視野にいれたマルチレイヤーの理論として展開される。バイオデジタルはデジタル以降の様々な内観的 (Introspektion) な現象学の概念、バイオ・コンピュテーション、インタラクティブ・ネットワーク、生命体の形成過程における複雑系、生成の偶発性をデジタルメディアにとりいれた根源的再考に準拠している。 」
「テネシー州立大学教授のサラ・ヘイズ (Sarah Hayes) とプリマス大学トランスアート・インスティチュートのディレクターの松本良多 (Ryota Matsumoto) がアンソロポセン (Anthropocene) の階層的体系におけるデジタル以降のディスクールとしての思想としてディファインした。松本良多 (Ryota Matsumoto) はバイオテクノロジー、トランスヒューマン、分子生物学、生命体のみならず総合的なアクタントの有機合成の過程との類似性を視野に生命と流動性とその潜在的対象からバイオデジタルを生命の受動的自我のメタ科学として解釈している。」
引用元
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E8%AB%96 ポストデジタルについてなら、資本主義がヒューマニズムの欲望を エンジンとすることを必要としているからということで、それ以上に何か言うことはある?
加速主義に反対するという人がよくいるが、それはどういうことを意味するのか わかっているんだろうか? 加速主義に抗するには、無作為に思考し、無作為に行動するしかないわけだが 一貫性のある合理的な行動、思考こそが、まさに加速主義を加速させる 加速主義に抗することは非常に難しいよ
デジタルはデジタルで、アナログとはまた違った問題が多々あるのではないだろうか 特にデジタルには継承の困難さにある。みずほ銀行の頻回するシステムトラブルもその一例だ アプリやソフト、OSでも、開発や更新、ある時期でメンテが打ち切られて、実際は、 デジタルデータというのはそれほど復元可能でも、保守性が高い訳でもない
誰かそこらの凡夫がデジタルは永遠だとか抜かしてたよなあ 草加 古いUSBメモリ揮発してデータ壊れた経験もないくらい短命リーマンなのバレバレだったよなあ 草加
1というデジタル情報はいつでもどこでも独立して生成されてしまう それは媒体にはかかわらない 偶然に生成される それが消滅したとしても、またどこがで生成される それは、同じ情報であるわけだから、たとえ消滅しても、またどこかで生成されるのであれば それは概念的には不滅ってことです これが、生まれ変わりの概念
結局、デジタル庁を旗印にしたデジタル国策がここ数年で國民規模で成果上げたのって、キャッシュレス化とワク人体改造だけだよね? どっちもデメリットが目立ちすぎてすんなり賞賛できる成果ではないが。
最終的には精神のアップロードにまで繋がるのがデジタル化 さらに、思索対象としては精神の不滅性までもが含まれる
なぜ偶然に生成されると不滅になるのか? もし、何かの因果によって生成されるのであれば、その因果を断ち切れば あるいはその因果が断ち切られれば、それは生成されないということになる それは条件に左右される しかし、偶然に生成されるのであれば、それはいずれ必ず生成されてしまう それを防ぐことは不可能 原因がないわけだから、それは防ぎようがない これが、メイヤスーの言う偶然性の必然性であり、絶対性です したがって、偶然に生成されるものは不滅ということになります それが生成されるのは必然ですから
あくまで、デジタル側の話です アナログ側は何も確定していませんし、同一律も成り立ちませんから 偶然も何もないですね 確定していないわけですから、偶然も生じません
まあ、アナログ側については、実際その全容はわからりません モノ自体は認識できないわけですから ただ、デジタル側での現れは、それは偶然であり、したがって必然であると言うことになりますね
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read.cgi ver 07.7.23 2024/12/25 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる
lud20241225194535ncaこのスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/philo/1625879449/ ヒント: 5chスレのurlに http ://xxxx.5chb .net/xxxx のようにb を入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。TOPへ TOPへ
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