
西条市小松町新屋敷の小松公民館でこのほど、国立歴史民俗博物館(千葉県)の松木武彦教授=同市出身=が……
愛媛新聞 2019年8月27日(火)
https://www.ehime-np.co.jp/article/news201908270084
ただ生きたい人(日本共産党)
@tadaikitaihito
我が県出身の考古学者・松木武彦氏が、彼の地元である西条市の小松ってとこで講演会してたんですがね。
お題は「邪馬台国時代の小松」。まあ時間の3分の2はそもそもの邪馬台国の何が議論されているかと、現在の考古学者がどう考えているかの説明だったんですけど。
この人は歴博の人なんで、
https://twitter.com/tadaikitaihito/status/1163056762519351301
まあ畿内説。「箸墓古墳は卑弥呼の墓」の元になるデータ出したのが歴博、国立歴史民族博物館ですからね。
ですから、考古学者の畿内説の前線にいる人。それがどう考えているかを聞けた訳です。
https://twitter.com/tadaikitaihito/status/1163057403429998593
・末盧国以降の方位は南方向に90度ずれている。南は東、東南は東北、東は北。
・帯方郡はソウル。狗邪韓国は釜山。対馬国は対馬で、邪馬台国時代の名前が今に残っている。一支国は壱岐島。中心は原の辻遺跡で、当時の様子が再現されている。
・末盧国は佐賀県唐津市。邪馬台国時代の王墓は久里双水古墳
https://twitter.com/tadaikitaihito/status/1163058575331094528
で、副葬品から見るにこの末盧国王も女王。
・伊都国は福岡県糸島の怡土。中心は三雲・井原遺跡群で、範囲としてはこの周辺にこじんまりとしている。
・奴国は福岡平野。卑弥呼の時代の中心は博多の比恵・那珂遺跡群。ここらが当時の九州で一番栄えていた。奴国は伊都国に比べ範囲が広く、
https://twitter.com/tadaikitaihito/status/1163059891918868481
多くの遺跡がある。邪馬台国時代の王墓は那珂八幡古墳。
・不弥国は宇美・飯塚・宗像の3説に分かれるが、方角のズレからすれば宗像ではないか。邪馬台国より古いが、田熊石畑遺跡がこの地にあった。
・投馬(とうま)国は岡山平野。
・邪馬台国は奈良県纏向遺跡、箸墓は卑弥呼の墓。
https://twitter.com/tadaikitaihito/status/1163061175669555200
終了後、先生が地元の人と談笑していて一人になった所へ一瞬だけ聞いたのだが、発掘されている限りではやはり、当時の九州で一番栄えていたのは比恵・那珂遺跡群のある博多辺りだそうだ。古田武彦が邪馬「壹」国をここに求めたのは、それ自体は決してそう突飛な話ではない。
https://twitter.com/tadaikitaihito/status/1163066310625910784
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