懐かしドラマ板でもあまり話題にならないドラマ多かったですよ
笑ってる場合ですよにも無観客放送があった
1981年1月15日には、殺到した観覧希望者(当時番組観覧は先着順で、中には小学生までいたという)が倒れて、2人が負傷する事態になった。この結果、やむなく番組初の無観客放送となった
ちなみに翌日の新聞の見出しは「笑ってる場合じゃない!」
お昼のゴールデンショー
有楽町ビデオホールから中継生放送
「マエタケ・55号」で売るが、じつはこの体制は僅かな期間のみで、
司会者・番組内容はコロコロ変わった。
ビデオホールがカラー放送に対応していないため打ち切りに。
ハイヌーンショー
新橋・ヤクルトホールから中継生放送
円鏡と松島トモ子がメイン
この番組の後、同じヤクルトホールから円鏡の兄弟子・林家三平と海老名みどりの親子が司会のバラエティーになった。
笑ってる場合ですよ!は後続のいいともより過激なコーナー多かった
勝ち抜きブス合戦とか当時ですら炎上ものだった
このスレは終わってる場合じゃないですよ
上げときますね
12時開演
いまは、フジテレビは時報は使われなくなったが、当時は時報が使われていた。
正午の時報が鳴ると、開演ブザーが鳴り観客風の人たちによるタイトルコールとともに
9面マルチビジョンを模したタイトルカードを映し、カード中央の曜日別の放送当日の司会者のイラストをズームアップして
番組はスタートした。
曜日別によって、番組開始いわゆるスタートのやり方は違っていた。
あとは、漫才ブームのころに放送していた笑ってる場合ですよもよく見ていたが
その前にやってた日本全国ひる休みという押坂忍さんと栗原アヤ子さん夫婦が司会の番組も見てた。
日本全国ひる休みも漫才ブームのころの人気漫才師が出てたね。