誰かよ。リアルタイムで、
上林成行
中野英明
尾西和夫
太田清春
観た事ある奴いる?
高校生の時甲子園に出られたは良いが、
投球中に足が痙攣してマウンド上でヒクヒクしてたエピソードしか知らない>市橋
プロ時代は何か実績残したのか
全国的に注目されてる甲子園で足が吊るなんてチョット格好悪いね。
>>3
ヘディングキャッチの元祖だな
当時に珍プレー大賞があったら間違いなく宇野勝みたいにメジャーになっていただろうにw >>9
プロ入り12年目の初ホームランは当時としては記録ではなかったか よくそこまで現役続けられたよね。
普通は6、7年でクビ宣告でしょうに。
守備要員なら11年間ホームラン無しでもプロとしてしがみつく道はあるよ。
市橋選手が実際に守備が上手かったかどうかは知らんけど。
近鉄5年間でピッチャーとして登板1試合。
ハム3年間野手で出番なし。
ロッテでは3年目に1軍に出場して翌年プロ12年目で初ホームランを放って、これからという所で解雇。
捕手は半分ブルペン捕手みたいな感じで、実績無くても現役が長いヤツがいるけどね。
市橋が長きに渡って現役を続け、しかも1番実績を残した年に解雇というのはわからない。
2軍の帝王か何かでクビを切るには惜しいと思わせるモノがあったのだろうか。
上林成行
カケと粘りの新入団
二十一日、近鉄入りした上林は過去三度もドラフトで指名されながら、拒否してきて
四度目の正直。四十二年(愛知・国府高三年)に南海、大学進学で、浪人中の四十三年は
広島に指名されたが「大学へ行きたい」念願から断り、昨年の太平洋は「野球の技術面で
もっと、しっかりした手ごたえをつかんでから」と、ソデにした。
法大に入学してすぐ肩を痛めて野球がいやになり、同時に大学生活にも魅力を感じなくなった。
しかし、粘り強い彼は、社会人野球にもう一度自分をかけてみようと、二年で中退し、
四十六年にクラレ岡山入りして主戦投手に成長したが、チームは十一月末に野球部を解散した。
この日入団した太田とは顔見知りで、互いに「いい投手」とお世辞のいい合い。
市橋秀彦・投手
フォーム・・・・入団時はオーバースローの本格派だったが、2年目の秋あたりに中原コーチの指導で、サイドスローに転向した。
この中原コーチは市橋の腰の回転がサイドスローに向いていると判断し、秋の教育リーグ「阪神、阪急戦」でテストした結果、
スピードも乗っているうえに、制球力不足も解消されつつあった。
球種・・・アウトコースへ入る重い球質のストレートが決め球だった。カーブはプロ入りしてから覚えた。
・プロ入り12年目にしての初ホームラン
1982年・5月29日・ロッテー阪急前期11回戦「川崎球場」観衆5千人・試合時間・3時間11分
急100000003・4
ロ000013000・4
本塁打・・・市橋1号・・・・・この日、9番サードでスタメン出場した市橋は6回ウラ、佐藤義投手からプロ入り初となる
1号スリーランホーマーを放ったがリリーフ陣が不調で勝ちには結びつかなかった
尾西和夫投手
1976年
今治(6日)
中日2−2近鉄
中日の先発星野は、三回、平野の大きな当たりを谷沢がフェンスを気にしてとれず三塁打としたあと、阪本に中前へ合わされ1点を失ったが、直球主体のピッチングで
「いつもより早い仕上がり」という。打線は近鉄の先発柳田にてこずったが、六回、二死一塁でマーチンが右翼ボール際に打ち込んだ。高く上がって意外に伸びた。彼らしい
力の一発だった。近鉄の柳田は、真ん中に投込んでマーチンに打たれたものの、変化球に威力があり「開幕戦はOK」と好調そのもの。七回から登板した新人の尾西(新日鉄堺)
は「もう一つよくない」(西本監督)そうだが、安打されながらも二度け、けん制球で刺すなど落ち着いたピッチング。打線は外角球を無理に引っ張るなど若さの目立つバッティング
の中で、阪本のコースにさからわないベテランらしい巧打が光った。
岡田光雄投手
フォーム・・・・右オーバースローの本格派
球種・・・ストレート、カーブ、決め球はシュート
制球力が課題だった。デビュー当時「1969年」はカミソリ・シュートを武器に将来のエースと期待されたが二年目頃から
右ひじ痛が悪化し不本意なプロ生活だった。
1970年の資料
・昨年、九勝を挙げながらオープン戦以来、調子の出なかった岡田も、ようやく一軍復帰へのメドがついた。
ウエスタンリーグ初登板の南海戦では5回を1安打無失点に抑えたが3四球、続く阪急戦では4回で2安打、
それに5四球の3失点と制球が乱れ、不安定な投球で首脳陣のまゆをひそめさせた。球威はあるのだから制球力さえよくなれば、
岡田は立派に一軍で通用する。その日が首を長くして待たれていたが、4月下旬の西鉄戦で、やっと見通しがついた。
この試合では先発して6回を3安打、無四球に抑えたばかりか、それまで奪えなかった三振5を記録した。
「カーブのすっぽ抜けはちょいちょいやるが、一軍入りのメドはついた」中原コーチ談
「投手陣に一枚加えることができそう」三原監督談・・・首脳陣も待っていた「助っ人」に期待をかけている。
このスレって意外に70年代位の昔の二軍戦とか観てる人おらんのね。
そのぐらい昔のことをしっかり覚えてるなら確実に50代半ば以上だろ
そんな年代の人がどれだけ2chやってるっていうんだよ・・・
在阪球団の二軍戦といえば浜田球場での阪神戦を
親に連れられて見に行った記憶はあるが
中身は全く覚えてないね。
近鉄の二軍戦ってどこでやってたんだ?
やっぱり藤井寺?
>>19
でもこの年限りで引退したんだね。
一軍でホームランが打てて
もう思い残すことはなくなったんだろうか。 もし大鉄が近鉄に合併されていなければ
藤井寺はバファローズの本拠地にはなってなかった。
フォーム改造して二軍では好投していたそうだよ。
なんで一軍に上げてもらえなかったんだろ。
上林とか有田二三男も2軍では良くても、なかなか上げてもらえなかったからな。
1軍と2軍の風通しがあまりよくなかったのかも。
有田二三男は期待外れの代表格だろうな。
甲子園での活躍があっただけに余計に
落差が大きい。
有田の甲子園って、格下相手のノーヒットノーランが目立つ程度。
選抜では完全に、対戦した江川(作新)の引き立て役だったな。
ストレート、変化球とも際立つものがなく、プロでは難しい投手に映った。
甲子園でノーノーを達成してなかったら指名されてなかったかもね。
73年の高校生投手は、江川を除けば甲子園出場組よりも、藤田学(南宇和→南海)、小鷹卓也(飯能→ロッテ)ら不出場組の方がドラフト前の評価は高かったな。
実際、江川世代の甲子園出場組投手の大半は、プロでは通用していない。
スカウト陣に眼力が無かったから
甲子園で名前を残したら構わず取っていこうという
スタンスだったのかな。
1966年に春夏連覇した中京商業の加藤英夫など、その典型。
威力のない変則投法で、スタミナだけはあったかも知れないが
伸びしろのない選手だった。当人としてはアマチュアで野球人生を全うしたかったかも知れない。
江川フィーバーの翌年は一転甲子園組のPが華やかになったね。
選抜で関東三羽烏の土屋・永川・工藤が揃い踏みしたのを筆頭に
夏には定岡という甲子園アイドルも誕生した。
>>38
それでいうと太田のコーちゃんは結構頑張った部類に入るのかな。 昔のスカウティングなんてテキトーで、実物は見ずに新聞報道だけで指名するなんてのは日常茶飯事だった。
近鉄は他にも、鈴木(育英)、橘(津久見)、仲根(日大桜丘)、久保(柳川商)、山口(智弁学園)ら、甲子園組の評判のピッチャーを好んで獲りにいく傾向が顕著だったな。
観客動員やマスコミへの露出も考えてるんだろ。
特に在阪パリーグは。
仲根なんてその最たるモノで、中日に素材で評価された鈴木孝政との差は歴然としてた。
吉田道も選抜準優勝投手という事で喜々として2位で指名したら、既にブッ壊れてた。
>>39
そんな年に、よりによってイの一番で福井だからな。
ただドラフト全体で言うと特に豊作という年ではなかった。
イの一番でおかしくないのは山口、土屋、ジャンボ古賀ぐらいだったかな。
人気面で言うと定岡もアリだったかと。 近鉄の60〜70年代のドラフトで、大成功だったと言い切れるのは71年のみ。
あとの年はビジョンも見えず、行き当たりバッタリ感満載で結果も…。
津久見の橘は一軍で使えるようになるまでに7、8年かかってる。
甲子園にエースとして2回出たという知名度(?)で評価したのかも知れんが
素材としては評価できるレベルじゃなかった。(あの「棒立ち」とも呼べる独特の投球動作)
だから79〜80年のV2期に先発で勝てるようになった時の指導者は
やっと労苦に報われたと感じたことだろうね。
>>43
福井指名は近鉄史上最大の汚点w、
プロ野球史でも屈指のイミフな指名だろうね。
契約金が高騰しそうな山口を諦めて代わりに同じ会社の無名投手を一位指名……
う〜ん、どう考えてもあり得ない。
この一件は球団だけで処理できなくなり図らずも本社が介入したという話を
どこかの書物で読んだことがある。 福井指名について
編成は当初山口高志を指名するつもりだったが、契約金が高額になるのを嫌がった本社(シブチン)の介入により球団社長が山口獲得を渋った
球団社長の顔を潰すわけにもいかず、困った編成部長が同じ会社の福井を推して、土壇場で福井指名になった
でも、最初のキャンプで福井の投げるボールを見て「どう見ても1位の器じゃない。これは失敗した」と西本御大は思った
と、生前に西本御大が言ってた(ソースは西本御大の書籍)
>>46
山口を諦めるのはいいとして、そこで何で同じ松下電器の福井にする必要があるわけ?!w
全く理解不能な思考回路だな、当時の近鉄フロントはwww 福井にしてみれば迷惑な話だな
アマチュアで野球を続け、引退後はリーマンとして定年まで、
という人生設計まで狂わされて。。。
近鉄一位指名の報に接した最初の感想は
「一位指名で光栄です」じゃなくて、
「何してくれてんねん!」じゃね?
福井保夫
投球フォーム・・・右スリークォーター「体格には恵まれていたが体の硬さが大きな欠点だった」
球種・・・外角への速球、スライダーには見るべきものがあった。他にシュート、フォーク
1975年の資料
・ドラフト「イの一番投手」福井がベンチ入りしたその日のロッテ7回戦に登板、
初めてファンの前にお見目えした。松下電器からプロ入りしたとき
「同僚の山口さんには絶対に負けたくない」と豪語した投手だが、開幕以来、
球威不足で二軍暮らし。やっと一軍に登用されはしたが、山口には大きく水を開けられている。
ロッテ戦は救援だったが、強力な打線に打ち込まれていいとこなし。
ロッテベンチから「まるでアマチュア」「へなちょこピッチャー」とヤジられていたが、
スリークォーターから投げ込む外角のストレートには威力があった。
杉浦ピッチングコーチは「ウエスタンではよく投げていたが、
デビューは日頃の力が出せなかったようだ。当分はベンチで打者の
クセや先輩投手のかけひきを研究するように言っている」そうだ。
4イニング5安打2失点の福井はすまなそうな表情で
「打たれたのはコースの甘い球ばかり。これからは制球、
球威ともに磨きをかけてしっかり投げます。まだまだの感じですね」
と頭をかいてばかりだった。
有田二三男
フォーム・・・右オーバースロー
球種・・・伸びのあるストレートが武器、カーブ、シュート
・1973年ドラフト直前・有田は「どうせ入るのだったら、在京以外のセリーグのチームがいい。
満員の後楽園で王さん、長嶋さんを相手に投げてみたい気もする。
パリーグだったら絶対行きたくない。
もしプロに進むようだったら、2ストライク後の投球をじっくり研究していきたい」と語っていた。
仲根政裕
1973年
・ジャンボ仲根がしょげかえっている。オープン戦の後半は登板するたびにKOされ、
自信をなくしているのだ。3月15日のヤクルト戦「日生」で鮮やかなデビューを飾り、
20日の巨人戦「伊勢」でもクリーンアップを軽く料理した大物ルーキー。
威勢のよかったあの頃の面影はどこにもない。花々しいスタートを切っただけに
仲根は気負いすぎた面もあったようだ。「もっと力を出して投げていたらシャットアウト
も可能・・・」と目先の結果にとらわれ、登板が重なるにつれフォームがバラバラに
なってしまった。キャンプでの投げ込み不足がフォームを完全なものにしていなかった
のである。岩本監督は大物ルーキーの使い方について「オープン戦でのピッチングを
みると先発はとても無理。公式戦は短いイニング、それも負け試合ということになるだろう」
という。だが、今年は2シーズン制。投手は質より量を要求される。そうなると弱点を克服
したジャンボにも出番は回ってくるはずだ。まれにみる逸材だけに何かのきっかけがあれば
思ってもみない立ち直りが期待できそうである。
福井といえば西本政権最終年の81年の後期に急に出番が増えて時々好投してた
この年は鈴木・井本の2本柱が揃いも揃って絶不調で投壊。
柳田と若手の久保の2人が先発・中継ぎ・抑えの大車輪だったがさすがにこれではもたないので
福井にお鉢が回ってきたという塩梅。
この他には先に名前が出てた橘も便利屋扱いされてたよ。
とにかく81年シーズンで目茶苦茶な投手起用してたのは近鉄と大洋だった。
もちろん、福井が柳田や久保の代役を勤められたというわけではなくて
ちょこちょことリリーフで投げてた、というだけですよ。
有田(北陽)にノーヒットノーランに封じられた高鍋・平田主将の談話
「6回頃から、これはやられるのではと、皆焦り始めた。有田君の球は速いとは思ったが、普段なら打てない球じゃないのに…。」
その翌日、有田に全員毎回の15安打を浴びせて快勝した今治西・田鍋主将の談話
「有田君がノーヒットノーラン投手のプライドで、力んで投げ込んでくる外角直球に絞って成功した。
彼を打ち込んだ自信は大きいですね。」
ノーヒットノーランや完全試合を達成した次の試合は打たれるというジンクスは
かなりあるね。
有田がそうだし、鉾田一の戸田、前橋の松本もそう。
例外が選手権決勝で達成した松坂だが、彼は例外中の例外だな。
>>44
71年の近鉄は最悪の12番クジだったが、佐々木恭、梨田、橘、羽田、平野と、後の黄金時代の礎を築く素晴らしいドラフトになったな。
7位指名の池谷公二郎を獲れてれば完璧だった。
ただ、このスレ的には、太田以外には神部、西村、石山、佐藤竹の69年あたりが渋めでgoodなのかなw >>57
他球団でもこれだけの選手を一度に補強できる年なんてそうそうない。
近鉄は71年だけで運を使い果たしてしまったともいえるね。 >運を使い果たした・・
86年に阿波野、89年に野茂を引き当てたことを忘れてないか?
>>48
もしプロでやっていく自信がないとか、会社に残りたいという思いがあれば
指名を拒否すればいいだけじゃん。
福井が球団社長に義理立てする筋合いないし・・・・
ってのは門外漢だから言ってられるのかなw
社会人だから金銭面での見通しも立てられてるのでまさか契約金や年俸につられたわけでもあるまい。
やっぱりプロに一位指名されることで野球人として意気に感じるところがあったのかなと思う。 福井は当然、ここぞとばかりやる気満々だわな。
しかし、哀しいかな実力は全く伴ってなかった。
ただ、それだけのこと。
同じ1位でも予備抽選10番目位なら隠し玉とか秘密兵器と言い張れたのにな。
貧乏球団がイの一番を引いて、とんだ赤っ恥だ。
まだ村田辰美を1位に繰り上げた方が良かった。
そもそも他に福井を1位で考えてた球団があったのだろうか。
>>63
1位どころか、どこも指名自体考えてないだろうw
この年は高校生投手四天王なんかも評判だっただけに、近鉄得意の有名高校生狩りに切り替えれば済んだろうに。 >>63
うん、村田辰美なら1位でもおかしくなかった。
福井は西本監督から関口監督に代わって以降出番ゼロ。
その後広島にトレードに出されてる。
見切りをつけるタイミングが何度かあったんだけど
何だかんだいって10年もプロ選手を続けたことになる。
石本(80年滝川)、金村(81年報徳)、加藤(82年宮崎日大)、小野(83年創価)、桧山(85年東筑)・・・
80年代の高卒D1は桧山以外まずまず活躍したんじゃない?
チーム自体が弱小球団から脱皮し、充実期を迎えたのが大きいわな。
若手が競争の中で育つ土壌が出来上がった。
加藤も例の爆弾発言がなかったら今頃記憶の彼方に消えていただろうに。
金村は優勝投手だが小野や桧山は甲子園では勝ってないし
加藤に至っては甲子園にさえ出られてないのに指名したんだね。
>>65
一位指名を受けて勇んでプロの世界に飛び込んだのだからクビを
宣告されない限り自分から進んで辞めようとは思わないだろう。 松下電器にいたら野球は続けられなくてもサラリーマンは続けられたであろうに。
>>69
小野と桧山を一緒に並べたらいかんよ。
モノが違う。 小野和義
江夏に似てるかどうかはともかく、打者の手元で伸びるストレートは確かに高校生離れしてた。
実は甲子園で実物を見てたんだが、一球一球投げるたびにスタンドがどよめいていた。
この年は水野、香田、仲田、桑田など後年プロで活躍する投手が多く登場したが
スカウト連の間では小野の評価が一番だったと聞いている。
>>73
高校時代のピッチングフォームは、上げた右足を一旦一塁方向にピンと伸ばして間を取った後、ホーム方向に踏み出すところなんて、ちょっと江夏に似てるけどな。 小野は実績から見ても近鉄のマイナー選手じゃない(立派なメジャー選手)だと思うが
世間的な知名度では水野や桑田よりもずっと低くなってしまったね。
もし小野が在京セリーグに進んでいればまた違った野球人生になってただろうにね。
元巨人だと石毛もだね。
彼は最後が阪神だったから間の近鉄が意外と忘れられてるかも
三澤なんて結構近鉄のイメージが強かったりするけどね。
巨人はともかくヤクルトと中日では空気だった。
定岡は近鉄への放出を示唆されて先手を打つ意味で引退した。
今は何してんだろ?
>>80
トレード拒否したら普通は引退するしかなくなるからな 佐伯、市橋が顔見せ
広島1−1近鉄 (九回引分け) 日生第一
高校ビッグ3のルーキー佐伯(広陵高)や市橋(九州工)らが顔見せした。試合は広島は四回、山本一の本塁打で1点をとっただけ、一
回、三村を一塁において今津が送りバントに失敗、四回山本一のあと、中前打の衣笠が二盗に失敗するなど歯車のかみ合わない攻撃を重ねた。
近鉄も土井一人がたより。しかし近鉄の新人市橋が速球、シュートに威力をみせ、大きな期待を持たせた。
尾西和夫投手
近鉄対広島 オープン戦
近鉄の島本がいい感じで打っている。第一試合に二本塁打。
四回に外木場のシュートを右中間に。
八回は金城のカーブを右翼へ打ち込んだ。
球を捕らえるポイントと振りの鋭さが目についた。
第二試合は近鉄が尾西(中津工高)。
広島が北別府(都城農高)小林(広島工高)の新人投手を起用した。
尾西はシュートが鋭い。北別府は得意の速球をあまり投げなかったが、
大きなカーブがよく小林は制球の良さが見られた。
期待するのもいいけどしっかり育成してくれよといいたくなる
ろくに教えもしないで投げさせて打たれたらダメ、じゃ何人獲っても戦力にならん。
「プロだから技術は盗むものだ」とコーチが言うのは詭弁。
89年の4番で優勝メンバーじゃないか。近鉄ファン的には全然マイナーじゃないぞ・・・
>>87その前にいたドットソン(だったかな)の方がマイナーだな。 >>89
いやいや大麻やってない方のデービスだろやっぱ、片方が東尾パンチと
大麻と強烈だったから 身辺調査とかやらないのかな
そういえば球審にブチ切れてボールを投げつけた巨人の投手もいたっけ
“不良外国人”対策にはどこも手を焼いていたってことか
>>76
小野は全盛時が80年中盤から90年前半ぐらいまでと、
阿波野・野茂っていう近鉄どころか球界のエースだった投手と被ったのがマイナーイメージになるんだろうね。
逆に山崎真太郎なんか小野より通算成績はるかに悪いのに、
野茂が怪我で抜けた94年とメジャー行った95年の2年間、エース扱いだったから小野より知名度高いと思う。 >>94
仰木さんがこれまた新しいもの好きだから
地味でも着実に数字を残してる小野よりも鳴物入りで入った阿波野・野茂の方を
重用することで余計に印象を薄くしたのだと思う。 >>45
でも、橘のあの棒立ちフォームも味があって良かったよ。
いかにも近鉄らしくて、さ。
在阪チームでも阪急や阪神じゃ合わないよ(南海なら合うかも?)
また見てみたいものだ。 谷宏明といえばパンチパーマを思い出す。
つうかあのころは梨田とか平野とか羽田とか主力選手はみんなパンチだった。
梨田のパンチパーマは似合ってなかった。
一方、二軍選手はパーマかける金がないからスポーツ刈りだったんかな。
主力ではただ一人、草魂だけが丸刈り?にしてたか。
当時からこの人は群れることを潔しとしないタイプだったんだな。
男は外見より中身みたいなことを当時からコメントで言っていたようだし。
鈴木が言ったの?
中身っていうけどあれだけ自己中じゃあ誰も付いて来ん。
監督引き受けて身を以てそれを証明したじゃないか。
元プロ野球選手の福井保夫氏が奈良県安堵町の町議会議員に当選と言う記事を以前新聞地方版でみたんだけど元野球選手で福井保夫と言うとここに出ている福井だよね。
プロに入ったためサラリーマンで定年までは無くなったが、町議辺りだと元プロ野球選手の肩書きは効くのかもしれん。
へぇ。町会議員か。
何があって政治の世界に飛び込もうとしたんだろうね。
球界と政界は意外に距離が近いんだよ。
バッジ付けてる(付けてた)元選手って思いつくだけでも簡単に5人は出てくる。。。
福井がそれに加わっただけ。
>>101
野球の鈴木(草)とサッカーの釜本、
このふたりは“名選手すなわち名監督にはあらず”の典型だよね >>101
ジコチューというか、唯我独尊なんだよな。全てが。
プロ野球といっても一応チームという組織なんだし、指導者としてはどこかで折り合いをつけないといけないこともあるのに
それをしようとしない。選手が反発するのも当然か。有名なのは野茂がバックれた件だが、似たようなことはきっとこの時代に
ちょこちょこあったんだろうなあ。
鈴木の晩年にヤクルトから同姓の投手(康二朗)が入団したが、あまりのワンマンぶりに驚愕したらしい。
ヤクルトにはそんな選手がいなかったから。
で、問題になるのが落合(元中日監督)なんだが、あの人こそ唯我独尊の見本みたいなんだけど
監督としての実績は鈴木と天地ほどの差がついたよね。
何が違ったんだろう・・ 参議院議員になった元近鉄の選手も居るからね。
最もマイナー選手ではないのでこのスレではズレるが…。
>>109
落合が野茂みたいな部下を持ったらどうなってたか分からんよ。
落合時代の中日の選手っておとなしい人ばかりだったし。 恵まれない時代のパとはいえ入団時から球界エリートとして生きてきた鈴木と
プロに入ってから孤高の人として実績を築き上げた落合って、似て非なるものって気がするけどな。
草魂といっても、あくまで近鉄の選手として人気のセ(の同等の投手)に対するものでしょ。
鈴木自身の立場は決して雑草じゃなかったと思う。もちろん共通項はあるにせよ、
お山の大将と一匹狼の違いというか。野茂も騒がれてプロ入りしたとはいえ、
根底には落合に近いはみだし者の要素はあったから。それで単純に気が合うかどうかはわからない
(近親憎悪ってこともあるし)けど、鈴木と野茂のような険悪な関係になったかどうかもわからないね。
落合ってああ見えてけっこう人間臭い面もあるし、フロントやコミッショナーには頑なでも
選手に対しては情も見せて独特な人身掌握術の持ち主だったから。稲尾さんには一途だったしね。
野茂と草もトレーニングの方針で本格的にもめるまでは良好だっただろ。
1年目は草の方に遠慮もあり(最多勝のアシストまでしていた)野茂も気を使われていたから、そこまで仲が悪くなかった。
ただ、あまりの四球の多さから走り込み・投げ込み不足と判断されて、2年目のキャンプにそれを強要したこと、
それに従わなかったことで決定的に仲違いすることになった。
草が我慢して野茂の好きにさせるか、野茂が草の指示に従うかをすれば問題なく行っていたと思う。
そういう意味では、落合でも一緒だと思うけどね。
落合も野茂も草も、自分の考えを引かないであろう点において。
落合が制球力不足で四球連発しても結果的に押さえれば文句無いだろうっていうタイプにも見えないし。
草以上に気を遣う(タイトルのアシストとかね)タイプにも見えない。
落合はタイトルのアシストにはかなり気を使うぞ?何言ってるの
取れそうならむしろ積極的にアシストしてる(特に投手タイトル)
佐藤文あたりはマイナーになるのかな?
短い期間だけどクローザーでセーブを稼いでた時期があったので微妙かな。
後に阪神に移って「同姓同名=漢字も同じの選手が2人在籍」と
話題になりましたけどw
10・19で鈴木のライト前ヒットで走塁死した佐藤?
佐藤といえば住友との交換で阪神から来た佐藤秀もいたね。
89年の日シリでいい仕事してた左の中継ぎ役。
ABCアナウンサーで猛牛ファンでも有名だったアベロク氏によれば
とても寡黙な人だったらしい。そういえば現役時代はグラウンド外でのこれといった
エピソードを聞かなかった。引退後若くして急逝したとのこと。
合掌。
元近鉄で審判になったと言えば佐藤の他に良川や山村も居るね。
山村は息子もNPB審判になった様だが。
山村は西本監督の最後の年にちょこっとだけ出て来て次世代のエースかと思わせたが
伸び悩んだまま終わってしまった…
>>121
そうか。秀さん、亡くなってたのか・・・。
シリーズの第2戦。藤井寺の中継。
阿部さん、絶叫してたもんな。
「オレは阪神時代の佐藤ではないんだー!!みたかー!巨人!!」と。
悲しいです。 80年に林 って内野手いたな。
日本シリーズ第7戦で代打に出てきて見送り三振だった。
審判の判定に不満だったようで、TVに審判に文句を言っているかまたはそんな目を
してた。
>>124
いいなあ。その絶叫、いや実況。
近頃はこんな個性的な語りのアナウンサーもいなくなってしまった。
佐藤と住友のトレードは、ともに新天地でポジションを確保して活躍できたので
成功したといえるでしょうね。 良川は関口監督のときに重用された中継ぎ投手
西武時代にはなかなか一軍に上がれなくて、
近鉄でやっと花開いたと記事に書かれていた
苦労人の印象
佐藤秀明はバックがエラーした時でも顔色一つ変えず淡々と投げてた。
感情をもろに出して野手を凍りつけさせてたクサ魂とはえらい違い。
>>127
浪商ではなく淀商出身というのがまた…w 当時の淀商は力をつけ、大阪では公立のダークホース校だったな。
良川は、77年春の府大会でノーノーを記録し、夏の大会でも注目の好投手。
球速はさほどなかったが、三種類のキレのいいカーブを武器にしていた。
>>128
佐藤はワンポイント、草は先発完投型だから
野手の凡プレーに対するリアクションに違いが出るのは致し方ないかな 法政大 → バファローズ 真木将樹
1年目にライオンズから勝利したりして、一部のマスコミから「川上(ドラゴンズ)のライバル」と
書かれた逸材だった。順調に育っていれば左の投手の中心になれた・・・・・・・・・かも。
良川は選手時代よりも審判になってからの方が名を遺してるね。
特にホークスには因縁があるみたいでw
>>127
>>西武時代にはなかなか一軍に上がれなくて、
>>近鉄でやっと花開いたと記事に書かれていた
>>苦労人の印象
二軍で長い間燻ぶっていたといえば
橘や谷宏明もそんな感じじゃなかったっけ?
すぐ結果を求められる昨今は2年で数字残せなきゃ速効クビだけど
昔は長期育成のスタンスも持っていたんだね。 育成というと聞こえがいいけど
その実は入団させてそのあとは放置プレーじゃないの
留学させるとか二軍で経験積ませるとかそんなことをやった
形跡もなし
>>133
真木はフォーム改造に失敗した典型例だったね。
自ら改造したのか、指導者の指示で改造したのか、よく知らないのだが、
目に見えて球速が落ち、かといって制球力がついたわけでもなかった。実にもったいない。
兼光は打者でプロに入団したが投手のほうが向いていたような気がする。
兼光は、プロで投手は無理。
あのピッチングフォームで肩肘パンクしない方がおかしい……ってか、すでにやっちゃってたからな。
兼光が中学生の時は凄かった。高校生の時はサイドスローに近く
なっていたが肩を痛めていたのですか。
誰かファームのエース、上林の球種とフォーム教えてくれや
>>142
兼光は元々肩痛持ちだったが、74年秋の中国大会あたりから悪化。
翌75年のセンバツでは完全に騙し騙しの状態で、なおかつ風邪をひいてしまい、あの伝説の開幕戦、倉敷工16-15中京を演出!?してしまった。
次の東海大相模戦での好投は、もう意地だけだったな。 近鉄では、兼光らの75年ドラフト組と66年組が、大凶作の双璧w
兼光が中学生の投手で全国1と言われていたので
吉永中の試合を岡山まで見に行った。
倉敷工に居郷、兼光、塚岡。
岡山東商に土居、寒川、原。
この時代の岡山2強には、毎年いいPが育ったな。
近鉄の倉敷工出身者と言えば、兼光以外には秋山重雄とか中藤義雄あたりかな。
何れも野手だな。
65年前後にも星野、松岡、平松、森安と好投手が続出した。
岡山には特殊事情があるのかな。
倉敷工の武、藤井、松島
岡山県大会で15打数11安打だった選手、
岡山東商の四番の住吉?とかゆう選手、
岡山南の小野について教えてください。
ここは近鉄のスレじゃ
同時代も同県も同校も無い
と言ったら懐かしいか?
>>139
改造というほど大きく変わったわけではないが
池上、小山といった高卒組が細かくフォームを弄られてたが
ことごとく失敗した。
小山なんか高校時代は躍動感あふれるフォームで
大きく伸びると思ったんだけどな。 池上ってその後、横浜に行ったけど
その時も権藤さんがいたんだよな。
で、肩の故障を隠して投げてたらしい。権藤さんの顔に泥を塗る訳にはいかなかったそうだ・・・
>>157
「阿部成行」としての方が馴染み深いな。
64年夏の甲子園では優勝校の高知を、その投打で苦しめて注目された。 >>152
小山は球筋が素直で軽いとの評価であった。
これを克服するために、どんなフォームに変えたんだろうね。
全く記憶にないんだなあ。 >>161
満塁HRか、サヨナラHRか、どっちかはやってたはず 近鉄1の強打者土井も別当が監督にならなければ
ここに書かれるところだった。
渡辺麿史
名前の読み方が分からんかった。
「まろし」?
夏の甲子園で2勝もしてるとは知らなかった。
「まれふみ」な。
甲子園初出場での快進撃だったが、優勝した広島商にツーランスクイズ決められて敗退。
>>165
まろしワロタw
しかし読み難い名前の奴って昔からいたんだね。 コテコテの浪花球団の近鉄だけに、当然かつては西日本中心の選手補強だったが、何故か横浜高校の選手だけは何度かドラフト指名してて意外だった。
飯田幸夫
佐野勝稔
佐野クリスト
>>167
時代が全然違うが、日大三高から入った桑認という野手がいた。
この人も一見、何て読むのか戸惑った。 >>169
あと横浜じゃないけど吉田道。
これも普通じゃない名前だな。 吉田道も福井保夫と同様に近鉄ドラフト史に輝く失敗例じゃないかな。
本人に罪はないけど、もっと別の選手に補強費を使っていれば・・・
と思わずにはいられない。
故障持ちだったのに指名された本人の気持ちはどうだったんだろ。
スポーツ新聞の甲子園出場校一覧、日大三高の主な卒業生の欄に
野林大樹(元近鉄)
桑認(元近鉄)
って書いてあるかと期待したが書いてなかった。
新人獲得はバクチみたいなものだと
元職のスカウトが言っていたくらいだからねこのチームは。
そのいい加減さが近鉄なんだ、とも言えるが…
しかし野林っていつ見ても野放しかよ!って思ってしまう。
>>175
その割には、近鉄はドラフトでのミーハー指名が目立ったよなw
まぁそれだけ、編成ポリシーのない球団だったんだろうな。 >>177
不人気球団が、実力や将来性或いはチーム事情よりもミーハー人気を最優先して指名するのは
正しい戦略とまでは言えないが間違った戦略じゃない。
80年代ヤクルトなんかもその辺(ミーハー人気最優先)は徹底していた。 在阪パリーグという、人気面で厳しい状況だったからな。
特に太田幸司の場合は観客動員やマスコミの扱いだけでなく、巨人がオープン戦を組んでくれるという波及効果があったから。
人気、実力共に劣る近鉄とは何処もオープン戦を組みたがらず、似た状況の広島とばかりやってた。
太田の入団で、やっと他球団並に扱ってもらえる様になったという有様だった。
在阪パリーグという、人気面で厳しい状況だったからな。
特に太田幸司の場合は観客動員やマスコミの扱いだけでなく、巨人がオープン戦を組んでくれるという波及効果があったから。
人気、実力共に劣る近鉄とは何処もオープン戦を組みたがらず、似た状況の広島とばかりやってた。
太田の入団で、やっと他球団並に扱ってもらえる様になったという有様だった。
>>172
上林は速球投手で年をとってからの入団ですでに衰えていた
印象があったが、24才で入団なので力不足ということですか?
>>173
山口を指名しなかった時は驚いた。 >>182
上林は、進学希望、所属会社への恩返し等の事情でプロ入りが遅れ、結局4回目のドラフト指名で入団。
結果論で言えば、高校時代の1回目の指名で入ってれば…と悔やまれる素材だったな。 皆さんありがとう
上林のフォーム、球種知ってる人居ます
上林のフォーム球種知ってる方には金一封差し上げます
>>185
おい! 瀬戸和則の時の金一封、未受領だぞ! >>175
本社もそれには気づいていたから、この先活躍するかどうかわからん若造にバカ高い契約金を払うことを嫌がり、
スカウト陣には極力契約金を値切るよう指示していたという噂があったw
考え方としては間違いじゃないと思うが、選手にケチと思われたらソッポ向かれるのは当たり前だ罠ww
先行投資と思えばいいんじゃないかな。
まあ鉄道業にとって球団経営が何ら収益上プラスになってないことは
すでに70年代には明らかになっていたのだが
>>173
別の球団で、「自分はケガしてるからプロではやっていけない」と固辞してるのに
スカウトから「入団してから治せばよい」と甘言を弄され、信じて入団したところ放置プレーに遭い
人生を狂わされた甲子園優勝投手もいる。 中村良って外野手いたな。天理かどっか高校出で甲子園に出場し左投右打ちの長距離砲って期待されてたけど、
伸びなかった。当時右の大砲不足だった広島も狙ってたか指名候補に挙がってたらしい。
巨人の小山を育てたりしてるな。
阪神でも結構オープン戦に出てたが平塚、八木とのファースト争いに敗れてしまった。
松久保、中村良二、中濱、吉川、万年2軍の帝王。
中浜は外野手の層が薄いチームに入れていればもっと違ったプロ野球人生があったかもしれないな
近鉄、巨人ともに外野手の層が厚すぎた
市原圭もマイナーだな。少し活躍したけど。
その前の2球団でもマイナー選手だった。
親父の縁で採用されたみたいだけどな。
>>190
スペイン村よりは良いんじゃないかな。
社名を知らしめる媒体としては球団は今なお効果的。
まあ北海道や九州に知らしめる意味があるとは思えんけどね。
スペイン村じゃ見向きもされんでしょ。
TDLやUSJに勝てますか? 民鉄協の会合で、近鉄阪急南海の三社は「あれ(球団)は大丈夫ですか?」と
球団を持たない会社から挨拶されるのが恒例になっていたそうだ。
河西さんがチーフスカウトに就任したのはいつからだっけ?
最初の年だけ活躍して後の年はサッパリだった
香川正人
>>198
こういう挨拶をしてたのって、おそらく京阪か山陽だろうな。 運賃値上げ申請の時に球団経営のことをネチネチと運輸省の役人に言われてたというのは
本当らしい。
値上げする前に足元を整理する必要があるでしょ、という意味なんだな。
少なくとも90年代までは揺るがしてなかった。
本業が伸びなくなってきてから球団がお荷物視され始めたのでは・・・
>>173
故障を癒して戦線復帰させれば力を発揮できる素材だと
見込んでの指名だったのでは? >>208
大阪ドーム(藤井寺は自前)、年俸高騰、逆指名(含裏金)、
これらが複合的に重なって80年代年10億ぐらいだった赤字が2000年代には40億まで膨れ上がった。 年俸云々はまだしも、大阪ドーム借りたらそうなる事くらい見積もれないのかね。
近鉄って新しく始めた商売殆ど失敗してるだろ。
根本的な商才が欠如してたとしか思えん。
>>213
東京ドームバブルに沸いた日ハムを見ながら計画したからね。 >>212
年40億を借金の返済に回すと考えたら15年の長期融資で500億以上借りられる。
ハルカス阿倍野の一部になったな…バファローズを売ったことで浮いた経費。 広島から半年だけきた捕手の吉本。
トレードの相手だった入来とまたトレードで戻っていった。
ハルカスだってどうなるか分からんよね〜
アベノにあんなの造っても流行らないでしょうに。
ハコモノ作ったら資産になりますから。
そこが球団との大きな違い
でも半分もテナント埋まらないでしょ。
お荷物になるよ。ハルカスのために阿倍野に行きたいと思わないもん。
日本鉱業日立から入団して、西武にトレードされて南海で終焉を迎えた
左腕高木はこのスレに合いますよね。
西武(正確には当時はクラウンライター)への移籍はシーズンイン直前の慌ただしい時期に決まった。
二軍では不動のエースなのに一軍ではよく打たれるという典型的な内弁慶タイプの投手だった。
南海時代には二軍でシーズン12勝したこともあったんだな。
当時の南海といえば投手の台所事情が苦しかったはずだから
二軍でそれだけ勝てたなら一軍に上げてやってもいいのに
それほど投げてないんだね。監督はブレイザーだったかな。
>>221
記録を調べたらファーム最多勝は81年。
この年南海は前期5位・後期最下位だったが
投手陣は、三山内と言われた新一・孝徳・和宏、藤田学、上田、森口、水谷、金城。
金城は病気で出遅れ、森口は不調だったが他はどうにかこうにか一シーズンやりくりできるくらいの
頭数は揃っていた。低迷の原因は貧弱打線にあったと思う。 高木は打撃投手として入団した阪神で左投手不足という事でオープン戦で投げてた。
黄色のチームカラーの阪神で南海時代から着けてた緑のグラブが合わず、変な感じだった。
高木は引退後阪神でバッピやってたのか。
知らなかった・・在阪球団に縁の深い選手だったんだね。
>>219
アベノから出てる近鉄の線路は元々は近鉄本社でなくて大鉄というライバル社の線で、
アベノはそのライバル社の牙城だから、熱の入れようが今一つ・・
実は球団も本拠地の藤井寺が大鉄沿線だから赤字が嵩んだときにもっと早く売却しても
おかしくなかったともいわれてる。2001年の劇的リーグVがわずかに延命効果を発揮したくらいで。 > 大鉄というライバル社の線…
もう合併してから半世紀以上、優に超えてますが。
まだそんな蟠りがあるんですかね。
私はもうないと思いますけど。
>>204
松下電器の山口を獲得する時に争った阪急と近鉄がそのようなコトを言われたんだって。
今このタイミングで値上げすると契約金や年俸がのために値上げしたと思われますよ、
みたいな。 そりゃイチャモンのレベルだな。
役人の考えることってその程度なのかい。
山口にもとっても迷惑千万な話だな。
阪急も西京極にホームを移転してたらもうすこし人気でたんじゃないかって
いわれるけど京都線は京阪から買い取った線だから無理だったのかも。
西宮は大阪と神戸の真ん中にあって両地区からのファンを動員できるけど
西京極じゃ京都市からしか動員できないと思うので現実的じゃないね。
でも別リーグとはいえ、人気球団である阪神との違いを際立たせるためには
京都をフランチャイズにすることは経営的にはアリだったかもね。
>>227
当時の国鉄のハチャメチャな運賃設定と比べると
大手私鉄の値上げなんかカワイイものだよ。
なんで運輸省?はそんなに阻止したかったのかな 近鉄スレで山口の名前が連呼されてるから
智弁から来た哲治の話か思ったら
阪急に行った高志の方なのね。
山口哲治は一応タイトル獲得者だけど
メジャーかマイナーかのボーダーライン上にいる選手と見ていい?
山口は最初だけ華々しくてあとはどんどん落ちていくパターンだったね。
大事な所でストレートがシュート回転して痛打されるシーンが
年を追うごとに増えていき、それに反比例して出番が減っていった。
コーチに指導してもらえなかったのかな
高卒2年目で他球団にほとんど研究されてなかったから、
ポッと出でも抑えられたのではないかと言われていた。
まぐれとは言わないけど、防御率1位のタイトルは実力以上の評価を彼に背負わせることになってしまった。
プレーオフでは大活躍だったが、日シリでは広島に打たれたのが
何よりの証左。
>コーチに指導してもらえなかったのかな
それはない。
ガキの頃藤井寺へウエスタン見に行ってた時、上宮出身の岡田耕司が
よくホームラン打ってた。
岡田選手
中日にトレードされた後もぱっとしなかったね
今中日でスタッフしてる善村一仁(天理→愛工大)も、近鉄から中日に掛けては中々一軍に上がれなかったな。
対照的に中日から来た益田大介(瀧川二高)は、龍・牛の一軍でもそこそこ活躍したけど、球団合併の時に分配で楽天に出されちゃったな。
>>237
山口哲といえば一目みたら忘れられない髪型が懐かしい。
投球動作もどことなくぎこちなさが残る(要するに洗練されてない)感じで
長くは活躍できないだろうなーと思ったものだ。 フォーム変えたら大抵ダメになるらしいから
変えなくて良かったんじゃない?
活躍期間は短かったがタイトル取れただけでも凄いと思うよ。
山口哲治は活躍してテングになり、「近鉄は俺がしょってたってる」と思っていた。
態度も横柄になり、球場の食堂で「うどんはよ持って来い!」って怒鳴ったりしていたらしい。
しかし、今となってはそれを反省し、「若い選手には自分のような失敗はしないように教育している」とのこと。
ソースは佐野正幸氏の本。
テングになってなければ長く活躍できたかも。1つ先輩の久保は途中阪神に移籍したが大阪ドーム時代まで活躍したのだし。
当時の投手陣には草魂という良くも悪くも分かりやすいテングの見本みたいな選手が蜷局を巻いていた。
草魂の処遇は西本監督は投手コーチ一任だったみたいだし当時のコーチ(誰?)は口が出せず。
それを見て山口哲治も「俺もタイトル取ったしこれくらいは・・」と思ったことは想像に難くない。
防御率一位になってチームのリーグ優勝に貢献して、、、
といっても一年草なんだけどね。
それでも天狗になれるものなのか。
阪神みたいにマスコミがチヤホヤする空気があれば
勘違いするのも分からなくもないが、いかんせん近鉄でしょ。
大天狗が上にいるからそれ以上の天狗にはどうやってもなれんしね
山口って高校時代もそんなに大物感なかったよね。
たしかにいいピッチャーだし素質も感じられたけど、
ドラフト候補のランク的にはBって印象だったなぁ。
小松に投げ勝ったけど、個人の実力じゃスケールは小松のほうが数段上。
甲子園での活躍ぶりにしては騒がれ方もおとなしめだった。
高校生にして、すでにまとまっていて実戦向きではあったけど
プロに行ってからのノビシロはあまりなかったんじゃないのかな。
山口哲は新井宏昌との交換で南海に移ったが、
このトレード、何とも不釣り合いに思ったものだ。
いまだに智弁学園というと、山口と赤いユニが連想される
新鮮というか鮮烈だった
高野連は華美なユニを使わないように指導してるというが
(昔はメッシュ地さえダメと言っていた)
智弁のユニなんか真っ先に指導しても良さげに思える。
あれは都道府県で差があるから。
大阪なんか縦縞すら華美でダメ。(今はいいのかな?)
今でも黄緑のユニとか駄目だろうな
あってもおかしくないんじゃないかと思うが
どうでもいい指導ばかりしてるよな、高野連って
もっと素行の指導しっかりしろっての
智弁出身の猛牛戦士といえば代打逆転満塁弾の柳原の名が浮かぶ
この人も一瞬だけ輝いて消えてしまったよなあ
藤井寺にいつもチャリンコ通勤してたという
庶民的な野球選手だった。
01年にリーグ優勝決めたときに代打逆転満塁サヨナラホームラン打った北川もそうだったが
その打席があまりに鮮烈だと以後が活躍してないように見えてしまう。
文字通り一発屋みたいな…
柳原はヤクルトのドラ1だったけど、キャンプの初日に遅刻して当時の広岡監督に睨まれて事実上干された状態で不遇の日々を過ごすことになった。
武上監督に代わっても二軍暮らしが長く、半ば放出の形で近鉄に移籍。
あの試合は、今年一軍で活躍できなかったら引退する覚悟を伝えた妻や父をスタンドに招いての快打、という浪花節的なサイドストーリーがあった。
ええ話やなぁ…
それにしても、たった1回の失敗だけで選手を干したりするもんかね
器が小さくないか広岡さんは
一軍半で同じような実力者なら遅刻しない方(気にいってる方)を使うっていうだけでしょ。
巨人時代の松井なんかどれだけ遅刻しても、使わざるを得なかったんだから。
>>265
ホームラン打ったのが84年で、引退が89年(最後の年は日ハムにトレード)だから
結果的にあの一撃で選手生命が5年延びたわけだ。
もしあの一撃が無ければ84年限りで辞めていたからね。 > あの一撃で選手生命が5年延びたわけだ。
どんな転職したか知らないけど
人生の転機を先送りしただけかも。
>>265
当時は岡本監督か。
何かひらめくものがあって柳原を代打に指名したんだな。
北川を代打に送った2001年の梨田監督みたいに 一説には柳原が岡本監督にこの場面で自分を起用するよう直訴した、という話もある。
そうそう、柳原は広岡さんと揉めたのが当時のスポーツ紙で大きく出てたな
広岡さん怒らせたら干されるな、と思ったら結局トレードだった
柳原の1位指名も広岡の関知しないところで決まったようで、
広岡は本当はほかの選手を獲りたかったと公言してたから
柳原の方も面白くなかっただろうね。
広岡カントクは自分の発言が元で数え切れん位多くの選手と摩擦を起こした
柳原は近鉄に来て良かったんじゃないかい?
まあね。
トレードがなければあの打席は無かったわけだからな。
それに武上や土橋もあまり柳原のスタイルが好みとは思えんから
広岡時代と変わらず二軍で燻ぶったままで終わってたっぽい。
遅刻というとミスみたいに見えるが大学時代から自他ともに認める練習嫌いで
キャンプインの遅刻もサボタージュというのが真相らしい。
そりゃ広岡監督がキレるのも当然じゃないかい?
上司が広岡なのにサボリはダメだろう。空気が読めなかったのかな柳原は。
84年の代打逆転サヨナラ満塁ホームランのインパクトと85年が代打屋として突出しているだけで、
その他の年(84年含めて)を見比べるとヤクルトと近鉄時代の起用にそこまで差異はないよ。
サボリをサボリと見せないようにするのが一流選手の証し。
かつてベストセラーになった江本の著書にもあったとおり、
ガツガツ練習してた大選手なんていない。
練習の虫だったという伝説がある選手は、
そのように見せかけていた、ということだよ。
(王さんは例外だったようだが)。
柳原はスポーツ紙の記者に練習がダルくてやってられんとか言ったんだろ。
本人は軽口のつもりでも、首脳陣にしてみれば聞き捨てられん罠。
むしろ近鉄時代の晩年の方が出番が少なかったようだね。
代打屋で年間一桁の試合しか出てなかった。
代打屋で10試合未満の出場だったら
いくらどんぶり勘定で経営してた当時の近鉄でもリストラ候補だな。
大卒で入団してるから在籍年数の割に歳も食ってるし。
あれほどインパクトのある大仕事をやってのけたから代打稼業もまんざらでもないと思われてたが当人は一打席で結果を出さないといけないのがプレッシャーでやり難かった、
と言っていたからやっぱり普通にスタメンで起用してもらいかったんだろう。
だとしたら守備の腕も磨いておかなきゃならんかったと思う。
年数を重ねて貫録で相手投手を威圧するくらいのキャラでもなかったし、どんな選手として生きていくかのチョイスを誤ったのではないかと、惜しまれる。
近鉄で代打屋の看板で売っていた人と言えば誰かなぁ・・
地味だけど小田義人とか?
柳原は個人的にはあの一撃だけ、の印象です。
代打といえば藤立の印象が強い
1年限定で大久保が頑張ってたけどあの年だけだったな
永尾。
あ、でも阪神に移籍してからの方が活躍してたっけね。
小田は最晩年に近鉄にもいたけどやっぱりハムの選手でしょう。
安部とか荒井も代打でそこそこ出てた記憶があるが、あまり近鉄のイメージがないのかな。
中谷も代打でチャンスメイクしてたが、切り札とまでは行かない感じだった。
>>284
パリーグだったら守備が下手でもDHでレギュラーになることはできた。
柳原の守備が上手かったかどうか覚えてないが当時の近鉄にはポンコツ外国人しか
いなかったのでもったいなかったともいえる。 >>291
三冠狙えるデービスと2000本間近の加藤英が1塁でどちらかをDHにする必要があった。
その後も、栗橋、羽田、オグリビーと守備力は衰えているがバッティングは3割20本ぐらい期待できる打者がDHだったからなあ。 ウエスタンではガンガン打ってたのに一軍ではさっぱりだった
光井を覚えてますか?
武藤の応援歌の最後のハモる所が、なんか好きだった。
元は大島(近鉄→オリ)の応援歌なんだっけ?その前は誰かいた?
>>292
自分でコケて金田監督の蹴りだしたスパイクにゴン!
あれは蹴られたんでなく自分から顔を当てに行った感じだわな >>299
息子が上宮太子のレフトで甲子園に出てるな、巨人亀井の1年後輩で。
箸尾谷、口脇、記と変わった名字が何人かいたのを覚えてる。 阪神でF1セブンの一員となり、その後ロッテに行った平下
ファン感で福袋買ったらユニフォーム入ってたけどその数日後にトレードw
白滝は近鉄に来て少しずつ出番が増えてきてたのに急に辞めちゃったね。
資料を見たら最終年は打席数に比して安打数が極端に少ない。
中日時代には打撃が売り物で二軍で2回もホームラン王とったのに
近鉄での最終年の急な落ち込みが謎だ。
やる気無くしてたんじゃない?
この人も奈良県出身だったんだな。
>>304
プロ7年目で初ホームラン。
まあ市橋みたいに12年目で初ホームランもあるから
白滝のケースは記録的には珍しくもないけど
近鉄が活躍してない選手を長く雇い続ける球団であることだけは
よく分かる逸話だ。 球団社長はタニマチ感覚で選手を囲い込んでいたんじゃないか?
>>304
フォーム改造とかやっちゃったんじゃないの? なんか柳原やら光井やら白滝やら
二軍では元気が良いけど一軍ではサッパリって選手が多いのね
一軍との実力差が大きかったんじゃないの
当時のウエスタンは。
デーゲーム終わったら、伊丹まで急いでいって高知で夜遊びとか名神とばして金沢で遊ぶとか、
その手の余力がない人間しか一軍で活躍できなかったんじゃないの。
金沢までの運転手は基本若手だったって金村も言ってたし。
自分が主力になった時にあまりにも翌日に影響があって若手がかわいそうだから、タクシーにかえたってラジオで言ってた。
>312
実力差はあったかも知れんが、年収の差はそれほどなかった。
一軍バリバリの選手でも3000万円くらいで頭打ちだったからね。
今の支配下選手登録の最低年俸って440万?480万?で一軍最低年俸は1500万だな
80年代頃の二軍選手だと年俸500万の選手もいただろうが最低ラインはもっと低いはず
昔、小学館の入門百科シリーズみたいなので、
プロ野球選手の給料ってのがあって、
王(月給600万)、掛布(月給100万)、大卒新人(月給25万)、大卒サラリーマン(月給15万)ってのがあったような気がする。
小学生の頃でインパクトがあったから今でも覚えている、70年代後半ぐらい。
超俊足のメジャーバリバリというふれこみだったマイク・エドワードってのも
期待はずれだったよね?来日時には脚を痛めてたそうだけど。
スター選手は球団からの年俸以外にも収入源がたくさんあるからね。
新聞に書かれてる金額以上に一軍と二軍の収入格差はあったはず。
今日はこのスレ的には
前川と一緒に間違えたのに、
すっかり忘れられている中濱の記念日かな。
元近鉄で楽天のスカウトだった 吹石、武藤、石山が解雇になった。
石山は韓国二軍監督になるけど、この3人はマイナーかな?
世間一般的にはマイナーになるんだろうな
吹石はバイプレイヤーとしての一軍暦が長かったし、武藤は実働実質4年だが大半がレギュラーとして出てた
石山は最終打席初ホームランとコーチ暦が長かった。3人とも近鉄ファン的にはマイナーにならない
吹石はもう還暦過ぎてるだろうから別のチームから声がかかることは期待できないかもね
娘がガッツリ稼いでるからもう老後は安心かな
吹石は何と言っても10.19の第2試合に放ったホームランだな。
あれで勝てたと思ったんだけどなあ。
一歩一歩踏みしめるようにダイヤモンド一周してホームインした時は涙したよ。
三田学園から捕手で入った金沢信彦
この人も一軍に上がれるまでに凄い年数かかってる。
石山は当て馬ばかりでプレーした姿が記憶にない。
わざわざ偵察要員をベンチに入れるくらいなら、前日先発で上がりの投手を当て馬にすればよかったのに。
当時は上がりという概念がなかったのだろうか。
ベンチ入り登録してあったら使えるだろそりゃ
DHだと打席に最低1回は立たなきゃいけなくなるが
そうそう、DHだったら出なきゃいけなかったんだね。
記憶違いかもしれんけど、助っ人外国人を当て馬に使ったこともなかったっけ?
怪我の他に簡単に二軍に落とせない契約とか、当時は抹消から再登録まで二週間かかるという事情があったのではないだろうか。
>>333
へぇ。そんなこともあったのか。
贅沢な起用法だな。 日生球場のスコアボードの選手名表示でほとんどがゴシックできっちり書かれてるのに
ハンプトンだけは文字数が多過ぎたのか手書きだった時期があって何となくさびしく思ったものだ
日生ってそんな金もないのかってw
藤井寺のナイター設備がもっと早くできていたら・・・
亀ですまぬが
>>303
平下は現在女子プロ野球・大阪ブレイビーハニーズのコーチ
しかし本人が愛着あるのは阪神(就任直後の背番号は阪神時代と同じ45だった)w
>>324
フッキーパパは来年還暦(1953年生まれ)だね >>324
中日の高木監督やクビになったが権藤投手コーチは古希を過ぎてからの就任だった。
しかもこの人らはベンチで選手の面前も構わず作戦や選手起用を巡ってしょっちゅう喧嘩してたらしい。
気持ちだけは若いんだな。野球人には歳なんてカンケーないってこと。
まだまだ一線でやっていってほしいよ。 権藤さんって仰木内閣の時に投手コーチやってたよね。
阿波野や吉井を鍛えて主力投手にブラッシュアップしたが、
88、89年西武とのデッドヒートで後先考えない過酷な投手起用を
厭わなかった仰木と衝突して辞任したといわれている。
自らが酷使されて投手生活が短命に終わった経験から
投手を守る立場で監督に「モノ申す」スタンスでいるのは
投手コーチという職責に対して誠実だと思う。
ただ、ベンチで噛み合うのはダメだけど。
吉井も育て方を間違えてたらこのスレで取り上げられる選手になりかねないところだった。
確か 権藤コーチを途中でクビにできないから、腹心って言われてた石山ブルペンコーチを
解任してスカウトになったって本で読んだ。
スレチになるけど、野手で、ほぼ偵察要員専門で現役を終えた選手が
パリーグのどこかにいたはず(阪急だったかな?)
>>349
南海の渡会純男
165試合連続アテ馬出場 >>328あて馬要員の石山か。1980年の確か日本シリーズで最後併殺打になったな。
現役時代はそのイメージしかない。 渡会は野村が全盛時の頃の控え捕手で、戦力としてはほとんど計算に入ってなかった。
梨田有田の2枚看板がいた時の石山とほぼ同じ立場。
一線級の捕手だった有・梨が揃って戦線離脱することはありえないのに
石山を後生大事に雇い続けたんだね。
ブルペンとベンチの取次や、味方攻撃時のピッチャーのキャッチボール相手とか、いろいろある。
ある意味、代打や守備固めに備えて試合に集中している第二捕手よりも忙しいいんじゃない。
偵察に使われて、試合に出ることのない第三捕手。
エース鈴木から「同じ性が2人いてややこしいので登録名変えろ」と文句がでていた。
どこかから移籍してきた鈴木投手
>>358
「王に756号を打たせてやった鈴木」が良かったのかな?
>>359
まぁヤクルトでローテ投手だし、近鉄でもリリーフで
活躍してるからマイナーじゃないわな。 でも結局登録名は草が「鈴木啓」、ヤクルトから来たのが「鈴木康」に落ち着いたんだよね。
>>360
当時のセとパの露出度が違いすぎるんだよね
世間一般での知名度で言うなら、ヤクルトでローテ投手何年も勤めて2桁勝利3回やり、
王に756号打たれた鈴木康二朗をマイナーというなら当時の近鉄の「主力選手」の半数はマイナーになると思う >>357
卯津羅は正選手だったような。
壁は普通は正選手でない人が担うと思ってたけど、違うの? 平野光泰はこの板的にはそこそこメジャーになるのかな…
俺36だけど、周りで知ってるの誰もおらん
メジャーですよ。
引退後もしばらく解説者としてメディアに出ていましたし。
>>345
首脳陣の組閣なんてどこもええ加減でしょ。
実際一緒に仕事して「あ、やっぱりコイツとは合わねーなあ」と感じることって
よくあるじゃん。 権藤さんは投手育成に定評がある。
同じ時代に打撃コーチにいた中西太もやはり多くの好打者を育てた。
88年〜の仰木内閣はレベル高かったんだよ。
阪神監督の時は江本にアホ呼ばわりされるなど散々だったけどw
中西は教えるのが上手いのでコーチには適任だったが、監督の器ではなかったね
阪神の話は・・・中西を監督にした阪神フロントもアホだよ思うよ(ハムもだけど)
黒い霧事件を防げず、選手管理能力のなさが過去に証明されている人をよく監督として招聘したものだ
中西はブレイザーが政権投げ出しで帰国してしまったためにショートリリーフのつもりで
監督になったんじゃなかったっけ。
自分に監督としての適性がないと自覚してるなら
辞退すればよかったのに。
それは草魂に言ってあげなよ。
名選手必ずしも名監督に非ずの典型。
あの時の中西氏は後任を決められなかった球団の不始末を押し付けられる形で
中継ぎ役として半ば強引に監督就任を受諾させられた。
阪神生え抜きでもなんでもなく、しかもスター選手が本社の幹部のお抱えを楯に服従せず、
さぞかしやり難かっただろうと思われる。
そこへ江本の造反劇が起って、管理能力なしのレッテルを貼られて事実上の解任なんて、
中西氏こそ「フロントがアホやから・・」と言いたかったことだろう。
板東英二の本には、中西は見かけと違って気が小さいと書いてあった。
見かけと違わないじゃん。
スポーツ選手にしてはややデブってるというだけで。
中西コーチが仰木時代に育てた打者といえば石井浩くらいか。
権藤や中西に目をかけてもらえなかった選手たちが
このスレの主役になるわけだね。
>>364
平野は何が売りだったのかな
足が速かったわけでなく、守備が上手かったわけでなく
長打があったわけでなく・・・・・・・・・・・ >>376
極度のアッパースイングで球が全然当たらなかったブライアントをレベルスイングに矯正したのは中西じゃね。
後、本人のインタビューなんかでよく出てくるのは真喜志。
太っさんいわく、3割打てるバッターを3割2分打てるバッターにするのは至難の業だが、
1割台のバッターを2割台打てるようにするのは簡単って例で出てくる。
守備の人で9番打つのだから最低限でいいとフォームちょっといじったら2割そこそこ打てるようになって、
どうにか一軍のスタメンレベルにしたって。
タイトルとったり派手な活躍する選手を育てるだけがバッティングコーチの仕事じゃないって例で、本人が好んで使っている、真喜志のエピ。 そうだった、ブライアントは中西の功績だね。
89年10月の所沢決戦の4打数連続本塁打は今も忘れられない。
中西に巡り合ってなかったらとうの昔に忘れ去られてたポンコツ外国人に
終わっていたことだろう。
中日の二軍で燻ぶっていたブライアントを獲ってくるように進言したのも
中西じゃなかったっけ?
進言まではしてないと思う。
一軍コーチが他軍の二軍選手の情報を聞きつける機会は少ないと思われ。
編成が動いたのでしょう。
wikiではオファーを受けた中日もブライアントの将来性を考えて譲渡には消極的だったとの
記事も出ている。
中日は、あんな極端なアッパースイングの選手をよく引っ張ってきたもんだ。
>>379
切り込み隊長と呼ばれたくらいに物怖じしないガッツマン。
足も速かったし、いい選手だったよ。
でも大石が台頭すると一気に出番が減ってしまったけどね。
余談だが、ヨメさんがキレイだった。サンスポがよく取り上げていた。 >>385
前年、怪我で100試合も出られなかったゲイリーの保険だからね。
取り敢えず身体能力と金の安さだけで決めたんじゃない。
二軍のコーチ陣も一軍に昇格する可能性が極めて低い外国人バッターよりも
若手や不調・怪我で調整中の選手の指導に力を注いだろうし。
中日の二軍コーチも馬鹿じゃないだろうから、
郭源治やゲイリーが怪我とか絶不調で一軍昇格の可能性が出てきたらスイングの矯正はしたんじゃないかな。
成否はわからないが。 >>357
確かに壁役だったけど、「壁」って酷いネーミングだと思わない? >>386
大石がコツコツ堅実に積み上げるタイプで
平野はどっちかっていうと勢いでプレーするタイプ。
成績にムラが合って、印象に残るけども記録には残らない、みたいな選手。 羽田の年度別成績のガッカリ感は異常
通算225本塁打818打点と聞いて勝手に強打者のイメージを持っていたので…
平野は実に昭和テイストだったパーマヘアも印象的だったなw
パーマ+ちょっとクセのあるヤンキーな顔立ちは
在大阪のタレントやバラエティー畑の関西アナみたいな感じね。
とても明星高校卒とは思えなかった。浪商か大鉄、北陽っぽい。
引退後は解説者のかたわら心斎橋でスナックをやってたらしいけど
まさにドンピシャなイメージ。ムード歌謡とか歌わせたいタイプw
連投スマソ
高校時代、大阪学院の江夏は明星の平野の対戦して
ヒットを打たれたと何かに記事で語っていたな。
それがあの'79−'80の日シリで再び対決となる。
平野がレギュラーに定着したのが77年だから
南海時代の江夏とも対戦したことはあるんだろうけど。
平野はエースとして春夏連続で甲子園に出てるけど
いずれも初戦敗退だったとか。
>>340
裁判になっていたくらいだからね、それは叶わぬ願望というもの。
甲子園や西宮球場も周りに住宅が普通に立地している(いた)が、
藤井寺みたいに揉め事になったという話は聞かない。
最初に球場ができて、あとから周りに住宅が建っていった経過は同じなのに
この違いは何だろう・・・ 甲子園も西宮も既に1960年代にすぐ近くを高速道路が走るようになって
騒音や大気汚染といった「公害」に対する免疫が出来ていたのでは。
その点日生は立地が立地だけに公害などと難癖つけられることもなかったかな
PL(夏優勝メンバー)−早大というエリートコースながらドラフト外で入団、1年目にチラッと活躍した加藤正樹
加藤が一番出番の多かった90年といえば前年のリーグVの反動からか開幕から躓いたり
阿波野以下投打の主力が軒並み精彩を欠いて低迷したシーズンだったが
89年V戦士が不調でレベルが下がったために出番がめぐってきたように思えてならない。
ああ、仰木が野茂を重用しすぎて他の投手陣がソッポ向いた年か。
そうか、加藤はPL→早稲田だったか。
2年下の桑田があんなことをしなければその後も末永く
球界のエリートコースとして確立されていただろうに。
ドラフトで指名されなかったということは、
その程度だったんじゃないの。
30数年前助っ人なのに二軍に落とされたリス。まあまあ活躍してたのに、ヤクルトにトレードになった井本。身体だけはすごかったジヤンボ仲根。
リスって選手が昔近鉄にいたことは知っている
あとクレスって選手もいたらしいな
ダジャレが好きかどうかは知らない
小田義人は元々日本ハムでプレーし、当時南海にいた柏原と交換トレでホークスに来ました。だが全く活躍せず其の後近鉄にトレードになったと思います。
ジャンボ仲根は太田のコーチャンと同じで人気先行の指名だったなあ
久保・住友が近鉄時代、全く脚光を浴びなかったのに
阪神に移籍時は「救世主現る!」マスコミ扱いは笑った。
特に久保は今でも親子で有名人
>>322
石山はBBMの本で(最終打席が初ホームランの件)
平安高だったが当時在日で(その後帰化)甲子園出られなかったと
明かしてるし
引退後は韓国で新浦の女房役して
楽天ではアジア担当スカウトだったから
その辺りのコネもあったのかな >>411
リスと言えばアーノルドだな。
西本御大の時に期待されていたのがリスの方だったが、アーノルドの方が活躍したんだよなぁ。 ライアン って外人がマニエルが抜けた後に来たな。
すぐに消えたけど。
テリーリーって選手もいたな。
西武とロッテにいた外人2人合わせた名前だから覚えていたけど期待外れだった。
>>411
大洋から移籍してきた選手ね>クレス
大洋在籍時には36本塁打打ったシーズンがあったりとメガトン打線の中軸として活躍した
選手。
1年だけ在籍した近鉄では.277 17本 47打点とまずまずの成績だったけど、大砲として
期待していた球団にとっては期待外れとなり、1年で解雇。 >>416
石山は、平安高在学中に3度の甲子園出場。
当時、制度上在日の出場が認められなかった大会は国体。 石原修治 久保 カズと同期の高校ドラフト 千葉出身 山崎二世の内野手だが大成せず
陽田浅吉 浅吉親分 神奈川大出のスラッガーだが 二軍の親分で終わる
>>417
リスってたしかオープン戦で6ホーマーしてすげえ期待させたのに
シーズンに入ったら弱点丸裸ににされてさっぱり打てず、
シーズン通してもホームラン6本だったというオチがついたんだよね。
>>420
テリーリーは中途入団じゃなかったっけ? それが及第点に当たるのか
どうかは人によって見方が異なるだろうけど、たしか50試合足らずとはいえ
3割超えて10本くらいはホームラン打ったんじゃないかな?
ちなみに独身だったテリーリーが住んでいた実質単身者向けのマンションを
そのままあてがわれたのがマネー一家で、それが近鉄(日本生活)に
嫌気がさした一因にもなったとか。ゴキブリもそうだが、テリーリーは
掃除や衛生管理に無頓着で、いいかげん汚し放題だったのを
マンション側も放置したままでいたらしい
本国じゃ大きな屋敷に住んでいた現役メジャーファミリーだもの、
そんな扱いでは、そりゃ大ショックだし怒って当然だわなぁww 南海ファンながらなぜか好きだった選手。
永淵・清・佐々木宏一郎・ボレス・柳田・橘
鷹野・石本
消防の頃、羽田を役たたずのおっさんだと思っていたのだが、ファン手帳で通算成績を見てびびった記憶がある。
知らないって恐ろしい。
マネーは入団した球団が悪かったなw
他の球団なら超優良助っ人として名を残したかもしれない。
>>117-120
つべに上がってる10・19で3塁付近で転倒してタッチアウトになってたあの佐藤の顔は
まさに「この世の終わりがきた・・・」って感じだったなw >>325
金村曰く「吹石先輩はホンマはあんなガッツポーズするような人とちゃうんですよ・・・」 >>425
トレード特集のムック本で読んだんだけど、
ボレスが西鉄に出された理由のひとつには
「性格的に暗い」ってのもあったとか。 >>425
チームは南海、選手は近鉄が好きだったのですか >>431
でも吹石がそうやってしまう位の異様な雰囲気があのゲームには有った。 鈴木貴久と鈴木尚典と鈴木健。
何となく並べたくなる。
吉岡雄二川口憲史なつかしい
吉岡は胸中複雑だろうなあ
近鉄OBと名乗りたいのだろうが、一方で巨人OBとも・・・
近鉄ベストナイン
投手 鈴木
捕手 梨田
一塁 ブルーム
二塁 大石
三塁 小玉
遊撃 石渡
左翼 土井
中堅 小川
右翼 永淵
DH ブライアント
>>325
詰まってます!
風は逆!
ギリギリ一杯はどうなんだ〜?!
入った!入った!
ベテラン吹石、踊った!
スタンド揺れた!
ギリギリ一杯! 2号のホームラン!
吹石徳一やった!
喜び弾けるスタンド!
吹石「カネ!やったぞ!」
金村「徳さんおおきに、おおきに…」 マイナー選手じゃないけど、第一試合でこの年限りで引退決めてた梨田が
決勝打放ったのも良かった。
その日たまたま学校が休みでABCテレビで二試合とも完全観戦できた自分は幸せだった…
大森はともかく、吉岡は近鉄時代を少なからず誇りに思っていそうだけど、
商売となったら割り切るくらいの頭はあるでしょ。
割り切れなかったら、そもそも近鉄移籍時にも切り替えられなかっただろうし。
楽天巨人で日本シリーズなら、巨人OBにして楽天OBって名乗るよ。
普段ならまずテレビ中継されないパリーグの試合をブチ抜きで放送してくれたテレ朝に感謝
中藤っていたよね
そこそこ活躍したのに、家業継ぐために3年ぐらいで引退したので驚いた記憶ある
ハリスが大した成績じゃなかったのに3年も在籍してたのが疑問だった
1971年
サントス(近鉄)が来日
近鉄球団二人目の外人選手、ドミニカのラモン・デ・サントス投手(18)
(1b83、75`、左投げ、黒人)が、二十六日午後五時二十七分羽田着のバンアメリカン機で来日、
須古球団部長が出迎えた。同投手はことし四月までドミニカの海軍チームに所属、
三月にパナマで行われた中南米選手権でドミニカ選抜軍のエースとして出場、
大リーグのスカウトもマークしていたという。落差の大きなドロップが武器。
きょう二十七日、新幹線で大阪入りする。背番号30。
高橋里志って晩年近鉄でポンポンと5勝したよね。
広島とハムでタイトルもとった名投手だからアレだけど
近鉄時代の姿を見た人は希少ではないかとw
代打男 佐藤竹秀 (66歳)
日軽金から入団 代打と二軍の四番
当時は
小川が一塁 外野は 佐々木 栗橋 平野 といて
島本 白滝 阿部が控えで 阿部 佐藤 白滝は二軍だった
>>453
後楽園のデーゲームで敗戦処理に登板してる試合を観戦したことがある
起用に不満があったのか、不貞腐れてるように見えた
内野陣は誰も声をかけないし、捕手とのサイン交換もどことなくぎこちない
雑誌の記事などを読んでると、この人は結構気難しい人らしいので
近鉄時代も回りとうまくいってなかったのかもしれない あけおめ です
>>455
南海時代は野村監督とソリが合わない、
広島・日ハム時代は江夏と合わない。
個人事業主の野球選手とはいえ、人間関係には悩まされるものなんだなあと、しみじみ。
もし人間関係に躓かなければ、もっと活躍出来てたかも知れん 近鉄スレで高橋里を語るのはどうかと思いつつもレス
選手間のいざこざは死活問題だからわかる(ライバルが一人でも少ない方がいい)
が、監督に楯突くところまでいくとその選手の発想が分からんなあ。
もちろん監督がたとえば球団から信任されなくなってクビが近い状況になれば
選手側が力を持つのはあるかもしれないが、当時の野村監督はまだまだ力があっただろうに。
>>453
自由契約で近鉄に行ったんだっけ?
それとも金銭トレード?
近鉄の誰かと交換された印象がないんだよなあ 金銭トレードじゃないかな
85年は、中継ぎだけで5勝無敗というのは地味に凄くないか
>>455
野球は一人でやるもの、というのが信条にあったらしい
これもまた、犬猿の仲だった江夏と同じだ。
最初の出会いさえ良いものであれば、実は二人は気が合っていたともいえる。 >>461
オーナー室に飾られていた
1・ボスは常に正しい
2・ボスに疑問を持ったら、1を見ろ。
との言葉に意気投合しながら、犬猿の仲となり地元マスコミの餌食となった
ヤンキースのスタインブレナーオーナーとビリー・マーチン監督(´・ω・`) あまり仲がいいのも気持ち悪いよね
不倶戴天の敵同士の方がイメージ的にも合う。
スケールは全然違うが、巨人・藤田政権下での江川VS西本なんか、絵になるよね。
何年か前にTBSでドキュメント風の映像を見たが、引き込まれて見入ってしまったよ。
>>461
そんなんじゃどこのチームでもうまくいかなかっただろうな 昔、香川という投手が入団1年目に5連勝してそのまま引退した。
こういう例は珍しいな。
同じ日にベンチ入りしたくないとか、ブルペンで隣り合って投げたくないとか、
ほぼガキんちょのワガママだったらしい
それは両投手をトレードで迎えることになった大澤親分が述懐していたな
嫌がる両投手に対して、親分は「二人が同時にマウンドに立つことはないのだからそこは割り切れ」と諭したらしい
>>459
そう。力はあったのに、自分でダメにしていった感じ。
野手も人間だからムカつく投手が投げてる時には必死にダイビングしようとは思わないんだろう。 なんか・・リーマン社会と根っこが同じみたいで幻滅だな
コドモの喧嘩じゃないんだから、常に最高のプレーを見せることだけ考えようとは
思わんのか
プロ野球選手になっている層にモラルを求めるのは無理だと思う
ベストパフォーマンスのためには精神的に平静であることが必須。
気持ちをザワつかせる人間が居ると難しくなるから現場から排除したい、
というのが彼らの主張だ。
草魂のワガママに至っては江夏や高橋里がお子ちゃまに見えるくらいだったのかな
ACのコマーシャルに出てたおかげでストイックな印象があるが、実際は‥?
あれだけ自分の流儀を押し付けたら総スカン食らうわ
選手にも選手のやり方があるんだよね
作家の奥田英朗が地元の英雄だった藤原保行が全く通用しなくて
ショックだったって書いてたな
佐野クリストもスポーツ新聞で一面に巨人が指名か とか出てたから記憶にある 変名ついでに野田雲平登記欣也も懐かシス
動画添附禁止 裁判 キンピラ 詐称 ハウスアメリカ
動画添附禁止 裁判 キンピラ 詐称 ハウスアメリカ
動画添附禁止 裁判 キンピラ 詐称 ハウスアメリカ
>>474
まさにイメージ戦略の勝利だな
江夏がアウトローを歩まざるを得なかったのとは好対照
少なくとも監督に就任して野茂らに反逆されるまでの間は
孤高のオーラを纏い続けることができたのだから。 粒ぞろいだった1999年指名組で一軍出場が唯一なかった選手だな
>>484>>485
むしろPLの主軸打者だったほうの印象が強いな。
PLが横濱にリベンジした(99春)ときの主将。
前年の延長17回の試合には出ていない。 2000年ドラフト5位
本人には悪いけど全く覚えてない
それもそのはず、一軍には一度も上がったことがないらしい
>>492
金谷は6位、5位は牧田
打てる捕手との触れ込みで入って、キャンプの紅白戦ではHR打ってたので俺は期待してた
信州猛牛WEBの管理人さん(金谷と同郷)は1年で首になったことをとても残念がっていたなぁ 1年でクビか…厳しいね。
過去ログでも出てたが、70年代までは投手の橘や谷宏明らが使い物になるまで
5、6年くらいかかってたけどそれでも契約継続してたのになあ
さすがに1年でクビになるのは、
よほど深刻な故障か素行が悪かったかじゃないかな?
奈良将史もルーキーイヤーに一軍で33試合登板。
かなり期待されていただろうに、翌年故障で僅か2試合だけ。
翌々年は一軍に呼ばれることなくあっという間にクビ。
元々、壁として雇われたんだろう。
で、1年間実践経験させて、プロの球にも慣れてもらって、
いざ壁として契約しようとしたら、本人現役続行を希望→退団→トライアウトへって流れだと思う。
的山、古久保、北川、磯部と1軍だけ見ても捕手あまりの状態だったしね。
>>494
ABCラジオ「近鉄バファローズアワー」の解説をしていた武智文雄さんが
「一般的にプロに入ってくるのは才能を見込まれた選手ばかりだが
谷宏明だけは例外で、努力だけでここまでやってこれた」みたいに評していた。
褒め言葉なんだけど、聞きようによっては失礼と思えなくもないw 金谷は単に期待されてなかったんだろうな。
今で言うと育成選手に近いな扱いだったのかな。
米独立からハムに行った村西、台湾からダイエーに行った養父鉄、契約金ゼロでオリに行った深谷も一年で切られた。
>>499
その名前も覚前と同じくらいにパンチが効いてる
投手だったことは覚えてるが、フォームとかプレースタイルとか
全く記憶にない >>498
素質を買って入れるのが本筋だろうが
伸びしろもないのに人気だけで採ってしまったケースは
枚挙に暇がない ドラフト前から知名度全国区のスター選手なんて、
太田幸司以降では、ジャンボ仲根、金村、野茂、福留ぐらいじゃね。
かろうじてあとは、前川ぐらい?
仲根、前川は戦力になっているし、金村は成功、野茂は大成功。
それほど人気優先でもなければ、失敗しているわけでもない、近鉄のドラフト。
ジャンボ仲根は使えるようになるまで時間がかかったけどね。
>>504
名スカウトの一人として知られた河西スカウトの存在も大きかったと聞くな。
カープの名スカウトと知られた木庭さんが河西スカウトについて「あの人とはよく指名がかち合う
んですよ。」と、彼独特の表現で評価していた。 っていうか近鉄って話題のアマ選手をとること多いよな。
南海やロッテは最初から諦めてた感じだし(小池は別)
阪急は指名してもくじでアウトが恒例。
契約金「だけ」はケチらないのが決め手になったのかな。
山口指名回避の事情は知られてるけど
その代りに福井というのが謎ということ?
>>512
何で、山口を指名回避したん?
10年ほど前に読んだ西本御大のインタビューで、
ドラフト当日に急にスカウトから、回避の電話があったのは
聞いたことあるけど。 >>513
山口だと高額の契約金を払うことになる。それに本社(近畿日本鉄道)が難色を示した。だから指名回避した
球団社長?編成本部長?どっちだったか俺自身の記憶があやふやだけど、その人から西本監督に山口指名は本社が嫌がってると連絡があった
その人が代わりに福井を推したので西本監督がその人の顔を立てるためにそれで、となったが、キャンプで福井を初めて見たときドラ1の器じゃないと思ったとさ
「パ・リーグを生きた男 悲運の闘将・西本幸雄」に書いてあったんだっけ?ほかの本だった気もするが自信なし
刊行時期は10年ぐらい前だったと思う >>514
そうなのか。
本社は当時から、ケチだなぁ。。
>「パ・リーグを生きた男 悲運の闘将・西本幸雄」
この本は持ってるから、また読み返してみるわ。
ありがとう。 契約金高騰と本社の運賃値上げを結び付けられて、お役所(当時の運輸省)に
値上げを抑えるように仕向けられそうになったので、山口獲りを諦めたということらしい
(当時のスポーツ新聞記事の記憶だから曖昧。)
でもこの当時鉄道運賃の値上げは社会の大きな関心事だった。
どんないきさつがあったか知らんが、
とにかく山口は阪急入団で良かった。
「近鉄の山口高志」ではサマにならんかったと思う。
>>516
何じゃそれは?
役人は害悪ばかりで何一つ国民の役に立つ事をやってないんだな >>479 真木ってこんなことやってんだ 加藤の10.19のエピソードが面白いな
今日の9回三重の代打に出てきた子が「この場面でなんで俺なんだ・・」みたいな感じだった >>517
そうかな。
近鉄の山口でも良かったと思うよ。役人に何言われようとも強行指名しておけばよかった
というか身代りにされた福井が気の毒だよ。 >>521
福井投手だって意気に感じて入団受諾したのでは? パンチョ伊東氏「近鉄、福井保夫、投手、松下電器」
福井「えっ?俺?」
まさに青天の霹靂だな
「へいてんのせきれき」と言ってしまった某選手がいたが。
当時は通知どころかスカウトがドラフト前までに選手に一言も挨拶することもなく「いきなり」指名することが割と普通にあった
福井より6年前の話になるが、福本豊は自分がドラフトで指名されたのを翌日新聞を見た同僚から教えられて知ったという話もあるぐらい
そうか、ということは>>525みたいなことが本当にあったかも知れないのね。 >>528
福本さんは奥さんも野球音痴で夫が「俺、松下から阪急にかわったから」の一言で、阪急の何処の
駅に勤務しているやらと阪急沿線をくまなく探したなんてエピソードもある位だしな。
「まさかと思うけど、アンタの言う福本って方、あの盗塁王の福本ちゃうか?」と言われて
ようやく気付いたとホンマかいな?と思える実話。 ちなみにそのドラフトの際も
しげしげとスポーツ紙を読んでいる同僚に対して
福本「何かオモロイ記事でも見つけたんでっか?」
同僚「オモロイも何もお前、阪急からドラフト指名されとるがな。」
で気付いたと傑作な逸話が。
西本監督の最後の年は少しだけ出番が増えて勝ち星も挙げたよね>福井投手
畑山俊二
ドラフト1位野茂3位石井の年の2位
住金時代の実績を買われての入団だったがあまり特長の無い選手だった
1年目のオープン戦に出てた時の中継で打席での応援歌が格好良かったので注目していたがそれ以降殆ど試合にでる事は無く聴けなかった
スレから外れてしまうけど、
新人の時の石井浩郎は年を食いすぎてるから厳しいなどと
批評してる解説者がいましたな
どうせ、(パの選手なんて興味ないから知らないし見てもいないけど)
石井浩郎は年を食いすぎてるから厳しい(キリッ
って話じゃね。全球団真面目に足運んで取材して試合見て評論してる野球評論家なんて少数ですし
フォームでいうと橘の棒立ち投法や住友のヒラヒラ投法も味があった
畑山は入団当初から頭髪が薄くて全然初々しくなかった
住友は今でも動画が見られるね
でも橘は知る限り皆無。記憶の中でしかない
畑山は、野茂をはずしたときのハズレ1位候補だったんだぜ。
巨人が元木か大森単独指名するだろうから、野茂はずした時点で12番目の指名になることは決定だったしね。
結果的に(他に選択肢の無い状況で)野茂を当てたからよかったものの、
ドラフト的には佐々岡が広島を逆指名した時点で窮地に追い込まれていた、89年のドラフト戦略。
橘は一軍で投げられるようになるまで7年費やした苦労人
幾度かクビになる危機を乗り越えて攫んだローテ投手の座
コーチが絶対に矯正したくなるようなぎこちないフォームを頑なに守り通した
信念の人でもある
フォームを変えなかったことが信念なのか?
ちょっと違うような。
コーチにフォーム矯正を強制されそう(駄洒落じゃないよ)になってそれを拒否したのなら分かるが
コーチの目にもかからなかった可能性だってないわけじゃない。要するに放任。
投げ方を変えるにしてもサイドかアンダーしか選択肢はない
相手打者をバッタバッタと討ち取れる成算があって改造するんだろうか
橘が投げてるところの動画ないかなあ
なんだか急に見たくなってきたよw
西宮での阪急戦で見たっけなあ
球がそんなに速くないのを野次られていた
橘はステップが狭くてタメも捻りもない立ち投げで、バッティングピッチャーみたいなフォームだった記憶がある。
野手が急造で登板した様な感じ。
ネットではロッテキラーと称されてた時期もあったというが
データを見るとそれほど得意にしてたわけでもないようだ。
80〜82年は一応ローテーションには入ってたが4〜5番手で(エースは草魂、続いて井本、柳田…)
重要な一戦での先発だと萎縮して打たれて監督を落胆させる、という感じかな?
近鉄V2時代の主力投手陣、村田辰美を忘れたらだめだよ。
橘は名前だけ憶えてる。
時期的に被ってるのと苗字が漢字一字ということで
俺的には谷宏明とダブる。
谷は一年だけ二桁勝ったことがあったな
橘は最高でもシーズン8勝どまりだったが
「パーマはおばちゃんがあてるものだ」って言ったらしいw
とにかく独特の感覚でものを見る人だったようだ
パンチパーマはお金かかるからね。
そのヘアスタイルができるようになったら一流選手の証し
>>559ほか
橘の世代の前後の津久見高校には吉良、浜浦、水江といった
甲子園に出場して後年プロに進んだ投手が相次いで現れたが
素材的に一番「?」だった橘が一番数字は残せてるんだな。 それでもたかだか30勝足らずだけどね
津久見出身の投手でプロで活躍できたのは高橋直樹と川崎くらい?
橘だって一軍に上がれるのがあと一年遅かったら
全く無名のままで消えてしまってたかも
前にも誰かが書いていたが近鉄球団は橘を長い目で見守ってたんだろうか
太田とか仲根とか、まあ5〜7年くらいはじっと様子見するとことはあったな
太田や仲根は甲子園のスター選手だ
橘とは注目度が違う
太田はプロ入り1年目から一軍実績がほとんどないのに3年連続オールスター投手1位選出という空前絶後の人気選手だから注目度の格が違いすぎる
当時は投手の投票枠が今みたいに先発・中継ぎ・抑えに分かれてなかったというのにだ
酒豪としても有名で、試合前日でも豪快に飲むその私生活から、「いてまえ大将」のニックネームをつけられたほど。そんな金村氏に試合前の「コンディションの整え方」を質問すると、間髪を入れずに、「そりゃあ、絶対に酒は飲まないほうがええわ」。
自身は豪快に飲んだ翌日に、本塁打をかっ飛ばしたこともあったと聞くのだが。
「そりゃあ、朝まで飲んで、そのまま球場に行ったこともありますよ。シーズン中でも飲みに誘われたら断わらなかった。近鉄時代の仰木監督が豪快な酒を飲んでいたから、
酒を禁止されることもなかったし。でも、ボクの経験から言えば、試合前というより、シーズン中は深酒しないほうがいい。
翌日の試合はなんとか持ったりするし、間違って活躍することもあったけど、1週間後にはドのつくスランプが待っているんよ。1か月近く体調がボロボロということも経験しました」
もっと節制していたら選手寿命は伸びていたし、成績も残せていたと悔恨する
まあ、選手としてはよくなっても、人としては面白くなかっただろうから、今の地位はなかったような気がする。
アナタ何歳?
当時の記事(毎日や朝日の縮刷版)を探しても橘をスター扱いしてるものなんか見つけられんかったよ
パームw
本当に投げてたのかは知らんが、橘に相応しい球種。
岡本監督に代わって急に出番が減ったんだよな
何かあったのだろうか
83年以降ローテーションから外れてるので岡本監督が干したというわけでもない
何を期待して指名したのか、誰か説明できるのだろうか。
>>601
高校野球にそんなに詳しくなかった当時のおいらでも知ってたから、
それなりにメジャーだったんじゃないかな >>591
そのような記事があった記憶が無い
故障がないけど、急に打たれるようになったとか、制球力が落ちたとか、
それは加齢によるものなのかもしれないが、キャンプで結果だせずに開幕一軍入りを逃し
二軍戦でも振るわず上から声がかかることもないままに一年が終わるというパターンだったかも 86年ぐらいにローテーションに入っていた小山もいつの間にか使われなくなった印象。
>>603
wikiから
>東海大相模高校では、1992年(平成4年)の第64回選抜高等学校野球大会にエースピッチャーとして出場。
>1回戦、2回戦と勝利し、準々決勝は松井稼頭央、今岡誠がいたPL学園と対戦し、2−0で勝利。
>準決勝も勝利し、決勝は三澤興一の帝京高校と対戦。
>試合は三澤と吉田の投げ合いの結果3−2で帝京に敗れたが、吉田は選抜準優勝投手となった。
それで、俺でも知ってたんだな。
と言うか、2001年に優勝した時の名中継ぎ・三澤と甲子園で投げ合っていたのは、知らなかった。 吉田道 ←読めない
でも選手は知ってた。
>>606
そんなに後の名選手と対戦してたのは今知ったわ。 そういえばその三澤くんものちに近鉄にやって来たよね。
ピーポ三澤なんてニックネームがついてたw
>>604
橘投手がどうだったかは知らないが、入団10年目くらいで全然使ってもらえなくなると、
気持ちが折れてしまうと言うのも要素として大いにあるらしい。
そのままだとクビになってしまうから何とか気持ちを奮い立たせて頑張ろうとするのだが、
長続きしないとの由。 野球でしかメシが食えないと分かってたら必死で頑張るものだ
気持ちが折れるだのと言ってるうちはまだ必死じゃない証左。
選手をクビになってもバッピとかスコアラーとかスカウトとか、野球に携わり続けることはできるよ。
それが叶うかどうかはひとえに選手時代にいかに人間関係を作っておくかだけどね。
そんなんじゃなくて、社会人として常識ある振る舞いを普段から心がけておけってことだろ
中高時代からずっと優秀選手としてチヤホヤされててその辺疎かになってる人間が
プロ選手には多いってことなのかも
>>622
元田?東田?どちらだったっけ、忘れた
ちなみにだけど、まだドラフト施行前、
近所のおっちゃんが御所工業高で甲子園に出て、
近鉄から入団の話があったけど、断ったそうだ。
断った理由は、知らんが。 松村は御施工ではその東田以来の強打者という触れ込みだった
聞いたことないけど?
もう70年代中盤以降奈良の高校野球界は天理・智弁・郡山の3強に収斂されてたからなあ
これといった好素材が3校以外にいたことが考えにくい
しかも県外強豪私学へ流出することも珍しくなくなってた時代だし
1975年
昨年の最多勝投手、近鉄・上林が公私ともにハッスルを誓っている。新妻のみゆきさんと、晴れて結婚にゴールインしたのが昨年暮れ。
「扶養家族が一人できたんですから、メシの食いあげにならないようにしないと・・・。今シーズンは何としても一軍に上げてもらいますよ」
みゆきさんとはノンプロ・倉レ岡山時代からの古い付き合い。同じ職場にいた間柄だ。一年間のプロ生活で「これなら結婚してもやっていける」
と自信を持った上林が、早速呼び寄せたという。おトソ気分もそこそこに、連日藤井寺へ姿を見せて、自主トレ参加だ。これには練習の虫といわれる
太田幸も目を白黒させ。タジタジだとか。ナインに冷やかされながらもすでに25歳。ファームでは頼りになるいい兄貴。
「お前らも早くヨメさんをもらえ、そうすれば気合が違ってくるぞ」と逆にハッパをかけているほどだ。やっと二年目を迎えるわけだが、
研究熱心にかけては定評がある。高校時代、あるいはノンプロ時代の写真を持ち出してはシャドーピッチング。一番いいときのピッチングフォームを懸命に探り出そうとしている。
これには中西コーチもホトホト感心した様子で「あいつはほんまにマジメなヤツや。早く一人前になってほしいよ。必ず一軍入りを果たすと思うけどネ」と目をかけている。
上林のいいところは考えたピッチングが出来ること。いわゆる球の配合というやつ。もちろんコントロールがいいこともあるが、これはノンプロの経験が大きくモノをいっているのだろう。
そこに熱心さが加わり、ますます磨きがかかってくるというわけだ。課題はやはり球威。どうしてもまとまりすぎたきらいがあるのは、いなめず、威圧感に欠けるところがある。
「とにかく今のピッチングにスピードをつけること。そのためには一にも二にもランニングですネ。これも生活のためですよ」投手陣の再建を図る近鉄は強力体制へ着々と整備中。
仲根、有田二、井本、橘、市橋らに加えてドラフト1位の福井。新婚サンも目の色が変わってくるのは当たり前かもしれない。
>>630
これはスポーツ新聞の記事かな
有田二三男は期待されてたけど、だめだったね 高校時代に甲子園で記録作ってから実力以上に評価されてしまったのかもね
甲子園でノーヒットノーランやったくらいで底上げ効果が出るものですかね?
知ってたらマニア
近鉄三軍
金城晃世 (金城龍彦の父、左腕投手)
釜野照義 (左打者、即引退)
原野一博 (サイドハンドからシンカーを武器にする。引退後競輪選手へ)
近藤義之 (中卒投手、オーバーハンドからのカーブ。南海移籍後引退)
釜野は知らなかったわ…
出身校の川西高校というのも知らんかった
>>634>>635
育成してないもん
一軍の選手はみんな才能だけでやってた人
つまり、このチームにコーチは不要だったってこと 近藤昭人より近藤和彦の方がすごいよね? 長田や重松の話題禁止!
>>639
極端だなw
このスレで何度も出てきてる橘や谷などはコーチの指導で
一軍で使えるようになったんじゃねえの? >>635
底上げというか、近鉄は甲子園出場・上位進出に過大評価を付ける傾向があったみたい
中京商・加藤、三沢・太田、日大桜丘・仲根、そして有田などなど
有田の後は、崇徳の黒田を獲りに行こうとしてたこともあったな。結果的には獲らなくて正解だったけどw 甲子園の人気者を入れれば客が増えると思ってたんじゃないか、安直に。
営業ならそう考える
一軍で出場できるくらいのレベルだったら、の話だよな
太田が巨人や阪神に入団していたら…と思わずにはいられん。
>>644
>結果的には獲らなくて正解だったけどw
それは通算成績という意味?(結局プロでは未勝利で終わる)
それとも黒田投手が広島と相思相愛だったからという意味?
逆指名制度は無かったとしても選手がはっきり意思表示してる中で強行指名するのは
個人的には酷だと思ってたので近鉄が撤退したのは良かったと思った。
ただあの年は海星酒井の可能性もあったんだよな。
最終的には一位指名は久保になったけど >>630
市橋も元々は近鉄だったのか。
地元の西鉄に行きたかったとか言う話なかったっけ? その頃の西鉄はもうかなりヤバかったよ
黒い霧事件もあったし、本業の低迷もあったし、野球どころじゃなかったといわれている
その後数年もせずに売却したでしょ
>>644
中京商加藤の指名は松下電器福井と並ぶ近鉄の黒歴史じゃないか 元々はライオンズだからね。
活躍したのは近鉄に来てからだけど
いやいや、南だよ。
1979ヤクルト→1986近鉄→1989阪神。
マイナーではないが鈴木啓示のようにメジャーでもない
井本といえば79・80年V2の実質的立役者じゃないか
149 名前: 名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [sage] 投稿日: 2015/01/27(火) 19:30:58.67 ID:7eOyc+tk0
日刊スポーツに梨田のコメントが出てて、去年お見舞いに行ったと言ってた。
そこで、森脇を激励したいから連絡先を教えて欲しいと言われたって話をしてたわ。
森脇とは付き合ってなかったんだろうが、梨田とは病気の事も知らせるぐらいの付き合いをしてたのか、
それとも梨田がどこかから井本が癌で…という話を聞いたので面会に行ったのかは分からないけどな。
ダウンロード&関連動画>>
テレビ東京米中ドーム音源
グノッシーあかがみ(オマハ都市希ガスパズドラブロードウェイ郵便局横領会長休日予定表 >>668
あの2年は明らかに井本がエースだったね。
鈴木は77,78年の連続20勝、特に78年の25勝30完投(完投数はパ・リーグ記録)の反動からか
今一つ調子が上がらないって感じの、鈴木からすればやや不本意なシーズンが(最下位に転落した
1981年も含めて)3年ほど続いたな。 >>651
強行指名はどこの球団でもある
最近の日ハムが記憶に新しい。大谷は活躍できてるから良いが、
もしダメだったら誰が責任取るんだ
年度は違うが黒田よりももっとミーハー的感覚で
鹿実の定岡にも食指を伸ばしてたこともあった。 悲運のエース・湯口と高校時代にチームメイトだった高橋幸広
>>675
同じ時期に2人いたよね
「よだ」と「よた」 山梨出身の方の依田は高校時代は速球投手として
有名だった
依田政彦は所謂、帰国子女といったらいいのかアメリカの高校、大学からの入団。
引退してヤクルトと西武で通訳。
栄二はスコアラー時代にサイン伝達疑惑に。
かの阪神のバックスクリーン三連発の時
讀賣でマスクをかぶっていたのが佐野元国だったとは
85年の山倉の成績を見ると捕手として守備についたのは107試合、打撃では規定打席到達してるから
たまたま佐野がマスクかぶってたんじゃね
佐野ってこの年だけ一軍に呼ばれてたね。
三連発の影響があったのか、その後はファームに戻ってしまった。
翌年には先輩の有田が移ってきたしね。
でも須藤に見込まれて、地元の大洋でコーチ→巨人でも長らくコーチ
引退してラジオ日本で巨人関連の番組に出てた。
ビリービーン
1992年の助っ人外国人
ラルフ・ブライアント、ジェシーリードが同時期にいた
マネーボールのビリービーンの名を初めて聞いた時、まさかあの近鉄の助っ人か?と思った人いたと思う
92年の麻薬じゃないほうのデービス
91年に頑張ったリードが思ったほど調子が出ない中、メジャー160発の大砲がやってくる、
って聞いてまだチームは優勝をあきらめてないんだなと期待したが、来た途端に
西武に3連敗してほぼ終戦。
チームもデービスもなんかgdgdなまま終わってしまった(´・ω・`)
仰木時代は毎年のように優勝に絡んでたので応援し甲斐があったね
近鉄×西武戦がパリーグの黄金カードと言われた時代があって、
たとえば文化放送とかラジオ大阪の中継でそのフレーズが使われた時は
妙に嬉しくなったのを覚えてるよ。
>>688
92年のエンジェルズはこのアルビン・デービスのほかにも
ヴォン・ヘイズとヒュービー・ブルックスという、90年までは活躍も
前年急に成績を落としたベテラントリオを獲得も全員劣化したままで終わった
若手も開幕セカンドスタメンのローズは5月のチーム移動中のバス事故で負傷して離脱
開幕で5番を任された元ドラ1スチーブンスも大きく伸び悩み。
ローズは翌93年横浜に、スチーブンスも見切りをつけられマイナー1年のあと94年近鉄に。 >>689
良いように書き過ぎだ
近鉄は西武の引き立て役だったんだよ 日ハムはマシなほう
落合放出以降暗黒時代に突入したロッテと10年連続Bクラスを最終的に20年連続まで伸ばしたダイエーは酷かった
オリックスをだらしなさすぎるというのは言い過ぎかと思う
あの時代、5球団が西武と同じようなチーム作りしたら
つまらなくなってしまう、といわれてたものだ
近鉄は典型的なお祭り野球で、好調でも不調でも見ていて面白かったじゃないか
そういうチームが一つくらいあっていいと思う
>>687-688
調べてみたら、90年代の近鉄の助っ人は
見事なまでに左打者ばっかりだな。
右打ちはクラークくらいしかいない。
ブライアントが当たったから、その縁起で獲り続けたんかな。 >>701
近鉄の日本人主力打者の大半が右打者だったから、バランス重視で左打者を取ってたんだと思うよ
レギュラークラスで左打者って90年代だと晩年の新井と90年代後半以降の大村・武藤と1・2番タイプが多かった
3〜6番打つようなタイプは鈴木貴久、金村、村上、中根、石井浩郎、中村紀洋などことごとく右打者
右打ちのクラーク取ってきたのは石井浩郎が抜けたのと鈴木貴久の衰えで右打者の長打力が不足気味になったのと
96-97年あたりはローズに加えて左打ちのカズ山本が2桁HR打つレベルの打力があったからだと思う ドラフト外でしかも公式戦出場なしだったら
元プロ選手として世間に認識される機会が皆無だったことになるね
甲子園にも出られず特に評判も立たなかった無名校の一野球部員が
どういう経過でリストアップされて、入団交渉まで持って行くのかな
スカウトの思い込み
自分が焦れ込んだ選手は、欠点が目に入らなくなるらしい。
なんか昔、中卒の選手いたよね
70年代の終わりごろ
>>711
クラウンかな、近鉄ではなかったと思う。 代走でよく出てた佐藤純。10.19で三本間でアウトになった
近鉄にしても、
野茂とハズレ1位予定の畑山(高齢の淡口・新井の後を埋める即戦力外野手)が
取れたから、余裕の3位指名だったと思う。
スペ体質の金村のバックアップ要員ぐらいに考えていたんじゃないかな。
高柳出己の娘は、父親譲りの長身&忽那汐里を少しゴツくした感じ。
おまけに吹石徳一の娘と同じ事務所にいる。
どことなく父親の面影があるなあ
野球選手の娘が芸能界に入るのが珍しくなくなったのか…
奈良投手。大成すれば近鉄の広告塔になって欲しかった。
陽田浅吉
名前にインパクトがあったのと
一年だけ結構使われた年があったので
妙に子供心に記憶に残っている
>>729
和歌山の高野山高校出身の山田真実(まさみ)
滋賀・比叡山高校出身の間柴と投げあったことはあるのかな?
あるとしたら89-90(間柴はダイエーで現役最終の2年、山田は一軍に出たての頃) >730
ウエスタンなら、あるかもね。
間柴は90年夏前で引退してファームのコーチになった。
福山雅治の義父の吹石。
あの伝説の10.19でもスタメンで出てまっせ。
>>734
吹石・真喜志の二者連続HRを川崎の三塁席で見た俺が通りますよ
なお、どうやって家まで帰ったのか何一つ記憶がない模様 >>735
>吹石・真喜志の二者連続HR
実はその両者の間に山下がひっそりと凡退してる。 >>728
加藤さんって今は雀荘経営してて、麻雀もかなりの腕前らしい >>736
そうだったかすまない
さすがに記憶もあやふやだ… 現役時代に華々しい活躍をした人ほど、引退後の生活設計に苦労してるね。
今時解説者なんて、メシが食える仕事ではないらしいし。
阿部ってのがいたよな?
巨人から移籍した。確かファームでは4割打った。
>>743
イースタンとウエスタン、両リーグで首位打者だっけ? 昔、近鉄の二軍選手を特集した番組やってたような。
清田だったかな?
野田雲平
うちから車で10分位のところのスポーツ施設で
整骨院をやっていたが、その施設が無くなった
どうしてるんだろうか
NPO誇大広告ハローワーク指導員じゃちょうバイトレベル
NOPハローワーク爆買い指導員(40代千本ノックの刑)
練馬区公私混同騒動
NOPハローワーク爆買い指導員(冷暖房完備低所得者レビューアマゾンカスタマーさんコメント問題)
警察無視騒音問題(クラブビジネス使用クラス記者)
89年リベラの前に、85〜86年に在籍したバンボ・リベラ
元横浜・巨人の金城の父。記録上一軍公式戦は1試合のみ出場していることになっているが、偵察メンバーであったため実際には出場していないという。
>>748その前にいたドットソン。
そしてマニエルの後のライアン 兼光は甲子園で原がいたころの東海大相模に0-1で負けてるよな。
中学校の頃全国制覇してない?
>>746
オールスターのファン投票で途中までパの外野手部門の一位だったことがあったな
もちろん謎の組織票で さあ?地元の後援会ががんばったのかな?
確か昭和56年か57年だったね
1番4大石
2番6水口
3番Dブライアント
4番3石井
5番7スチーブンス
6番9鈴木
7番5中村紀
8番2古久保
9番8匠
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あと80年の日本シリーズで最終回代打で出てきて
見送り三振した林。
最後のストライクの判定に審判になにか言っているような
映像をYOU TUBEで見た。
初期の山本和範 はマイナーだよな。
一回クビになったし。
近鉄をクビになって、大阪のバッティングセンターでバイトしてるときに南海のスタッフ
(wikiには穴吹監督と記載されているがスタッフが穴吹監督に獲得を進言したというのが正しい)に
声を掛けて貰ったとか聞いた。
その後の活躍は、周知のとおり。
>>769
「品田操人」ではなく、品田操士(しなだ・あやひと)さんですね。 品田とか背尾とかノリ世代の大型選手は大体ダメだったなぁ
1年先輩の寺前もだけど
あの辺の世代の甲子園で活躍した選手だと吉田もいたな。
吉田道はオープン戦の中継で1度見たような見なかったような
その程度の印象
女性人気を当て込んでKNTが吉田道見学ツアーを企画しようとしたとか
福井、といっても松下電器から来た謎のドラ1投手ではなく
大商大からドラフト外で入ってきた野手
一軍に全く届かずすぐに(2年ほどで)辞めて忘れられていたが
近年、山陰地方の高校野球チームの指導者として活躍してると報道されて
久しぶりに記憶がよみがえった
ドラ1だったのに新人時代の1試合登板だけで消えた登記
昔は育成契約とかなかったから
たとえお試し期間であっても選手として登録しないとダメだったの?
背番号110とかとんでもないデカい番号付けて練習してる選手を
昼間の藤井寺で何度か見たことがある
>>781
そう。登録というか、支配下登録の70人を超えると球団は契約できない
ちなみに育成契約がなかった頃の背番号3ケタは打撃投手とか裏方さんだよ 昔は確かブルペン捕手とかでも球場内にいるには背番号必須だったんだっけ
>>749
それなた試合出場としてカウントされないのでは? 80年代初頭まではブルペン捕手も選手登録必要だった。
ブルペンが球場内にあるケースもあって、試合中にグランドに入るかららしいが。
林と一緒に逮捕だか送検だかされたのって石本と小池?
96年は藤井寺に2度観戦に行ったけど
いずれの試合でCDの本塁打にお目にかかれたというくだらん思い出
>>779
今となっては顔も思い出せないが
ABCラジオの近鉄応援番組で、パーソナリティの小林大作さんに
未完の大器みたいなノリで紹介されてたわ レギュラーだったのでマイナーとは言えないが
低迷期近鉄の安井と服部
>>789
うわぁ懐かしい
近鉄バファローズアワーだな!
笑福亭仁智さん担当のギャグコーナー「漫画やがな」が面白かった
モーやんこと小川亨選手がイジリネタになってた >>745
今オリックスのブルペン捕手やってる人? 本当は中日に行きたかったんだっけ
まあ地元だから当たり前だな
当時は第一次星野政権だったか
一応近鉄も名古屋を営業圏に入れてたので地元といえば地元なんだけどな
80年代はナゴヤ球場で主催試合したこともあったし、
中日戦は絶対に中継できない中京テレビがその試合を中継したこともあった
熱パ効果で段々とナゴヤ球場も満員になってきてたのは嬉しかったね
資本関係で致し方ないけどナゴヤ球場の中継権の与え方は露骨でよくなかったな
メーテレと中京はずっと冷や飯だった
というかそれはナゴドになっても変わらんな
優先中継権は中日直系の2局に与えてもいいが
せめて年間に2,3試合くらいは非中日系にも開放してやればいいのにと思う
マイナーではないけど90年代にいた安達も名電出身だな
謎のASファン投票
ってか安達ってそれ以外話のネタ無い
1990年?だったな
川崎憲次郎の件に比べれば健全だったろ
>>788
「CD」ではなく、「C・D」ですね。
「・」の表記を、お忘れなく。 >>798
でも星野に好むタイプの投手ではなかった
指名されることはなかった 藤立の通算安打数200いってなかったのか
代打中心だからそんなもんか
星野からHR打ったシーンは脳裏に焼き付いてるけどな
ホームラン60本打てるようになりたいと入団会見で言ったらしいが、
この年はとにかく野茂フィーバーだったから
取り上げてくれるメディアもなくスルーだったって。
俺も覚えてないわ
そういえばこの人も愛知出身で中日入りを希望してった
藤立はたしか日生球場最後の試合でホームランを打ってましたね。中村紀洋と一緒に。
寺前がジュニアオールスターに選出されてたのに
全く起用しなかった当時の三村監督
>>813
東海地方から近鉄入団って多いのか
近鉄なら電車が走ってるからまだ馴染があるかもしれんけど阪急南海ロッテ日ハムだと
馴染ない上に人気薄のパリーグだから入団には抵抗あっただろうな 95年にパウエルっていたらしいけど微塵も覚えてないw
名古屋から近鉄入りと言えば中京商の加藤がいるじゃないか
外人選手のこと調べてたら
ドットソンとか長年記憶から消えてた名前出てきて笑ってしまった
近鉄の中村がガンガン振り回す豪快なバッティングで最近ホームランを量産中と聞いて、
ついに中村良二が覚醒したのか!と思ったら別人だった。
好きだったんだよな、あのなりふりかまわず振り切るバッティング。池山くらいになってほしかった。
アキーノが2ケタ勝ったのに1年で切られたのは不可解だった
終盤戦は打たれることが多くなった上にドームに移るので陣容を変えたい、という理由だったけど
実はアッーだったから、なんて説もあるな>アキーノ
ただ翌年来たミラッキが全く使い物にならなかっただけにもったいなかったな...
初年度5勝0敗だけで消えた香川って謎だわ
なにげに早稲田卒だし
1試合目で本塁憤死というと佐藤純一だけどほかにもいたんだっけ?
昨日の履正社に米崎薫駄とかいう選手いたけど
まさか米崎薫臣の息子?
「薫駄」って凄い名前だね。名前に「駄」って付けるかね、フツー
ドラフト1だった田中宏和投手は近鉄沿線出身ということで大いに期待してたけど全く活躍できず
今思えば、本当にドラフト1位で取るほどの選手だったのか疑問
中村「耳の大きい方」良二
中村「鼻の穴のでっかい方」紀洋
岩隈、高木、宮本
逸材揃いの同期だったな
ドラフト最上位の宮本が残念な結果だったが
宮本は早々に肩故障したのと、復活を期してた時に難病になっちゃったのがな
惜しまれる
>>822
亀レスだけど、デービスがマイナーってことはないだろうw >>856
1992年に40試合で解雇になったアルビン・デービス
近鉄の歴史の中では超マイナーな選手だけど
メジャーの実績は結構ある選手だったんだな
どんなけ説明しても誰もピンと来ないだろし俺も全くピンと来ない 新人王だからね。
でも近鉄ではマイナー、かな。
もう一人のデービスの印象に隠れてなおさら…
追い出されたほうのジェシー・リードは覚えてる近鉄ファン多いだろな
エマニエル坊やみたいな顔つきといい
>>844
田中宏和がドラ1指名されなかったら、“田中宏和の会”は発足しなかったと思われる 監督が鈴木から佐々木に代わった途端に急に使われなくなって消えてしまった内匠
普通じゃちょっと読めない苗字なのもポイント
昔青田昇氏が「監督として選手に対して技術の好き嫌いで振るい分けしたことはあるが人間の好き嫌いでは分けたことがない」と語ってたが
本当か?綺麗事じゃないか
監督が代わって干されるってもろにアレやんか
内匠はPL〜近大〜日本生命という
浪花のアマチュア球界のエリートを歩んできた人です
落合が評論家時代に「週ベ」で当時西武の監督だった伊原と対談して
「前の監督と違って好き嫌いで選手を起用しないのがいいですね」
ってさり気なく東尾をディスってたなあ
近鉄スレには関係ないが野村監督の話題になったので
サッチー逝去についてスレ住人に報告しておく
>>868
巨人退団後書いた本で東尾監督の時コーチやっていたが(00年は除く)
もっと優勝できる戦力って書いていた >>861
関口から岡本に代わったときも投手陣は若返りと称してベテランが次々に干された
井本柳田橘谷村田・・・
みんな西本V2戦士だったがたった数年で冷や飯とは厳しいもんだ
そんな中でもクサ魂だけは既に下り坂にも関わらず治外法権だったらしい >>872
岡本政権下で村田辰美は普通に活躍してるだろ
どこが干されてるんだ? >>295
>ウエスタンではガンガン打ってたのに一軍ではさっぱりだった
>光井を覚えてますか?
大商大出身で
一年目のオフに逮捕されて(婦女暴行?)二年目は謹慎していた選手? >>874
当時の芸能ゴシップ記事でも大きく扱われたくらいだから
もし今だったらとんでもないことになってたかも 府立八尾東(いまの八尾翠翔)からドラフト外で入った小崎武司
ヤオトンの近所に住んでいたのでこんな無名校から
プロ選手が出たのかと感心したのを覚えてる
小崎は中学で桑田、西山とチームメイトだったらしい。
高校は何らかの理由で地元公立選んだのかも。
>>878
同じ年に兵庫の武庫荘高校から捕手の清田文章
高校は武庫荘、地名駅名は武庫之荘とややこしい >>843
米崎薫臣の名前の読みは「くんじ」だが
米崎薫駄の名前の読みは「くんた」だとか
最近は○太ではなく、○汰という名前の子供も増えてるが
それと同じような感じで薫太ではなく薫駄ってつけたのかも
>>859
暴れん坊将軍の応援歌だったからそっちのインパクトも
>>872
井本は問答無用のスキャンダルだが
既に関口時代に下り坂に入ってたのが橘と柳田で
橘は関口時代にはもう急速に成績が低下し盛り返せず
柳田と谷は岡本1年目は好成績もその後成績低下
冷や飯というよりむしろ無理に使い続けなくてもいいんではというような成績になってた
村田のみ年によって先発救援を行き来しながらまずまずの成績を続けていたな >>878
八尾民のBuファンだけど全く印象ないですわ
87年の1シーズンだけいたんですね >>878
八尾東に硬式野球部があったことさえ知らんかった 今でも同期生とチームを作って少年野球指導の活動やっていて
桑田らも参加してるって。
プロの実績の有る無しに関わらず一つの目標に向かって
汗をかいてるのはいいこと
よくもまああんな飄々とした投げ方で120〜130キロ出せてたね
中高生時代からこの投げ方してたんだろか
すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
TG8K7
中高生時代は知らんがプロでは西鉄・近鉄を通じて同じ
食品産業高校軟式野球部のエースで、全国大会に出場した安田克之という左投手が、テスト入団で1年だけ在籍してた。
阿部真宏が西武の一軍打撃コーチになるとは思わなかった。
伊勢大明神が今夜のABCラジオ『伊藤史隆のラジオノオト』に出演してた。
>>900
今朝は、同じABCラジオの『サクサク土曜日 中邨雄二です』に出演。 羽田が監督やってる三田学園はかつては甲子園の常連で?
元プロ選手でも高校の指導者になれる時代が来たんだねえ
感慨深い
元近鉄投手の佐藤文男が10年以上苦労して指導者になれた時代からすると
隔世の感がある
プロを指導する立場とアマチュアを指導する立場は全然違うわね
高校野球関連の特番が花盛りだけど
その中で谷口功一見たな
ノリの世代では他に背尾とか萩原も在籍してたがみんなダメだった
背尾、萩原、沢村、和田・・大阪桐蔭の最初の全国優勝メンバーやな
その中で背尾が近鉄に来た
1996年だけの活躍だったが大阪桐蔭ファンとしては初完封は嬉しかったな
エース和田よりも実力は上と見られてたがなぜか控えだったのも玄人好み
ゲームではMax160キロを出すデラクルースというピッチャー
ナックルボーラーがいたころ2軍にいたみたい
谷口悦司って投手がいたな。
ドラフト指名された時に阪神に行きたかったと号泣して拒否しそうな感じの人。
矢野英司
横浜スカウトの見る目の無さを証明した選手。法政大学=地雷との図式ができた
>>907
でも野球漬けで10代〜30代を過ごしてきた元プロ選手がたとえ研修を受けて資格を取ったとしても
現場で高校生を指導していくのは大変と思う
上位下達の発想が抜け切れてない世代が多いので日大のタックル事件と同じようなことが
全国至る所で起きてもおかしくない >>914
社会人に留まっておけば良かったと思った 残ったとしても数年でクビの危機に晒される
安定を望むなら野球を捨てて営業orデスクワークに専念させられることになる
背番号99ってだけで雑誌に載ってた鳥坂九十九さん。子供の頃、ウチにシールを持ってきてくれる保険屋のおじさんだったなあ。元プロ野球選手だと知ったのは、随分後になってから。本人は元より、周囲の誰も言わないんだもんな。
栗橋さんと羽田さんが、オフに遊びに来てらしたときに、「この人は俺らの先輩やで」って教えてくれた。
栗橋さんが昔解説者やってたとは信じられない
朴訥とした語り口
栗橋レベルでさえだんだんマイナー扱いされてゆくのか…
米崎の息子薫暉が1年ながら明徳義塾の正ショートとして甲子園出場決定
米崎の息子で思い出したけど2年前にこんなレスしてたわ
841 名前:神様仏様名無し様[sage] 投稿日:2017/07/30(日) 13:38:18.14 ID:B/E72nEl
昨日の履正社に米崎薫駄とかいう選手いたけど
まさか米崎薫臣の息子?
息子が何人いるか知らんけど進学先が履正社と明徳義塾か
カネかけてるんだろうなあ
1年で明徳のレギュラーは凄いわ
100人以上いる中やからな
天理が甲子園出られなかったから解説で呼ばれたけど辞めてないぞ
中村 本橋と同い年
天理が優勝した年 相手は名門松山商業
前の年のPLもいいけどこの年の甲子園も熱かった
天理の南と谷口が全くモノにならんとは思いもしなかった
>>939
2人とも地元だし近鉄は熱心にラブコールしてたのにね
後からだと何とでも言えるが成績を見ると採らなくても良かった、なんてね 大久保秀昭が母校・慶応の監督を辞めて
JX−ENEOSの監督に戻るという記事を新聞の片隅で見た
近鉄を辞めてから大半をアマチュア野球のトップブランドで指導してるイメージよね
1975年オフのドラフトはすごいな。珍しく指名選手6人全員が入団したのに
4位の林が少しだけ出場してたくらいで全員が全く活躍できてない。
ここまで外れることって滅多に無いと思う。
近鉄の場合入団拒否も多かったので、入団してくれそうな選手を優先したとか?
近鉄は逆指名で宇高指名したんだよね
西武と争奪戦になってたが
堤オーナーの鶴の一声で西武は松坂指名に切り替えたとかなんとか
宇高は片鱗を見せた年もあったけど
マツタクは切れもコントロールも変化球も微妙で、ただスピードガンで球が速かっただけだけだぞ
トライアウトの時に、「プロに混じって一人だけ球が速い子供が投げてる感じだった」とどこかに書かれてた記憶
>>947
俺が堤オーナーなら藤川球児指名するわ。
後、藤川球児が近鉄行ってたら阪神はまだ暗黒時代が続いてそう あの年松坂にいかないほうがどうかしてる
阪神だって当時は如何なものかと思ったけど
ヤクルトの石堂と一緒
当時は逆指名ありで栄養費等の裏金工作が活発だったから
近鉄みたいに人気ないチームは指名拒否されるのを恐れたんじゃないの
福留でそれくらってるしな
>>952
藤川球児は近鉄には行きたくないと拒否したのかな? 2015年も身代金目的で誘拐され、約3週間拘束された後に救出されていた。同元投手の兄弟のアブラハムさんによれば、誘拐されて以降はボディーガードを雇っていたが、「もう危険はないだろう。いつも地元と(経営する)
サトウキビ工場にいるから」と、2年前にボディーガードとの契約を打ち切っていたという。
同元投手らはパソ・デルトロの高速道路を車で走行中、誘拐目的だったとみられる2台の車に分乗した武装集団の待ち伏せを受け、数十発の銃弾を浴びたという。
太田幸司って高校野球のタイブレーク導入のときもだけど原理原則に拘るタイプね
今回の無観客開催について横並び重視の観点で反対してる
島本講平はあまり打っていた印象はないが、大田幸司と同様、男前だったので、目立った存在ではあった
大田より端正な顔だったと思う
島本は娘も可愛い顔してるもんね
アナウンサーで活躍中
ムッチャHR量産したのに怪我したらあっさりクビになったテリーリー
>>955
息子共々麻薬カルテルに殺されたんだってね…
メキシコはリアル修羅の国 >>968
島本真衣は土曜12時の中居の番組に出てる 巨人の齋藤雅樹の高校の後輩・長岡学
なかなか一軍に上がれないので擂粉木みたいなバットに持ち替えたのにはたまげた
でも結局公式戦に出られず引退
>>972
擂り粉木バットは大石大二郎の影響だろうか 島田直也とかヤクルトの加藤博人とか他所で優勝に貢献してた選手は
近鉄ではサッパリだった
89年日シリの快投が懐かしい
その後3年であっさり引退。
野球に未練が無かったのかスカウトにもスコアラーにもならず飲食業へ
あえてこっちに書かせてもらうけど
一年ちょっと前の新聞を見てたら独立リーグの監督やってる村田辰美を発見
東大阪市役所に挨拶に来てる様子だったんだけど結構老け込んだ容姿で残念だったな
佐藤投手みたいな職人気質はスポーツジャーナリズムの埒外に置かれがちで
ついぞ注目されることなく終わってしまったのが残念
でもご本人はそういう扱いを受けることは望んでいなかっただろうとも思った
>>681
確かショートは石渡が守ってたと思う
前日に河埜が落球したのでこの日は心機一転石渡だったような記憶 >>986
9回続投した福間に対してクロマティ(この日2本目)ソロ、原ソロの連続ホームランで1点差に迫り、代わって登板した中西と対戦した次の中畑も
大きな当たりで、あわや巨人も3者連続ホームランで同点か?(結果はレフトフライで中西初セーブ)と、危なかったという。
もし中畑の当たりが柵越えしていたら、例年通りの阪神のままに終わったろうな。 1999年ダイエー日本一の救世主となったペドラザも、対西武戦で記録した初セーブの時は、3点リードの9回に崩れて2点取られ1点差にまで
迫られ尚も2アウト満塁で、あわやサヨナラ負けだったなんてのと似た展開だ罠。
確かに阪神にとってターニングポイントとなった試合なんだけど、それは華々しい3者連続ホームランよりも、山本和と同格のストッパー中西
誕生という意味合いでだったつう事だね。
lud20221101021012ca
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