最も有名なのは江川。
73年阪急、77年クラウンを拒否。
78年阪神、小林とのトレードで巨人へ。
正解・川口和久(ロッテ・広島)
裏目・小池秀郎(ロッテ・近鉄)
裏目:竹本由紀夫(ロッテ・ヤクルト)
正解:森繁和(ロッテ・西武)
じゃねーの
ロッテばっかりでスレ埋められるよこれ
竹本は最初の指名時は本人の意思よりも、会社や全日本の兼ね合いで
慰留されたようだ。
現役選手
正解:福留(近鉄→中日)、内海(オリックス→巨人)、長野(日ハム、ロッテ→巨人)、福井(巨人→広島)
裏目:木村(横浜→ロッテ)
微妙:新垣(オリックス→ダイエー)
>>4
翌年に地元で世界選手権があったから?
後に五輪に合わせて指名凍結選手制度が出来たのも
この時の竹本の一件が影響してるのかもね >>5
福井は正解か?ドラフトの時「もうないじゃん」だぞ、今年の菅野以上に不満げだった >>9
指名順位考えたら正解じゃない?
高校のときのドラフト同期にもう首になっているのもいたし 木田勇(広島→日ハム)
今、栗山監督就任の件でも言われてるけど創価の件が絡んでるらしい
広島指名時は創価がネックで入団に至らなかったとか
裏目:川村一明(阪急・西武)
高山郁夫(日ハム・西武)
いくらプリンスホテルの“囲い込み”があったとはいえ、
西武での伸び悩みを考えると高校出た時点でプロ入りするべきだった。
高山は当時から故障持ちだったのも一因だったらしいので
入っても活躍できたかは微妙だね。
>>21
76年の日ハムは1位の黒田、 2位の藤沢、 3位の末次秀樹、 5位の柿田登が入団拒否。
ロッテの1位森繁和、2位前川、南海の1位武藤、3位唐木も拒否。
この当時はパの1位指名選手の入団拒否はざらだった。
正解:山倉(南海→巨人)
微妙:西山一宇(ロッテ→巨人)
池田親興とか米正秀とか一回拒否した球団に入る人もいたね
中日の古川とか
山倉は、当時の南海は野村が不動の正捕手だったからなあ。
まあ、どっちみち高卒ですぐに出れるポジションじゃないが、入っていたら、
3,4年でクビになったか、上手く野村の後釜になったか?
正解:山田久志(西鉄→阪急)
弓岡敬二郎(クラウン→阪急)
当時の西鉄・クラウンの酷さを考えれば…。
>22
入団が大宮ぐらいだったので、ドラフト外の島田誠にもチャンスが巡ってきたらしい。
>23-25
皆、進学、社会人入り、残留などが決まっていての指名で球団側も
うまくいけばぐらいの感じだったらしい。
米は高校の野球部一期生で自身がない、弓岡は関西だったら行ってたかもという
話は聞いたが。
>>23
西山は期待通りの活躍ではないにしても一時的に中継ぎで戦力になったし
今もスコアラーで巨人に残れてるんだからまあ正解じゃないか? 西山の時は有藤の後輩なので来るだろうと指名したらしい
正解:長崎慶一(阪神→大洋)
阪神拒否して法政に入って飛躍して大洋で首位打者、
最後はあこがれの阪神で日本一に貢献して引退
高卒下位指名で阪神入りしていたら恐らくさっぱりなまま消えていただろう
高卒野手の育成下手には定評があるから
正解:新井宏昌(近鉄→南海)
近鉄を拒否して>>30の長崎と同様に法政に入って活躍し、
南海では79年に打率2位になるなど3割を3回マーク。
その後やや衰えたが、86年に高校時代に入団拒否した近鉄に移籍して復活し、
87年に首位打者、89年には優勝に貢献し、2000本安打を達成した92年で引退。
高校卒業後に近鉄入りしていたら、ここまでの活躍はたぶんできなかったはず。 杉浦こそミスターアマチュア。ヤクルトやダイエーの誘いを蹴ってアマチュアに
拘り続けた。
エモやんも、最初のドラフトで西鉄を拒否した。
その後の球団の消長を見る限り、正解だった。
江本はチームメイトが自分より上位で指名されたのが気に入らなかったから拒否したんじゃないっけ?
市川和正
昭和51年近鉄6位拒否、55年大洋4位入団
一時期正捕手の座をつかんだ時もあったから正解だろう。
>>35
アリナシコンビ全盛の近鉄じゃ、出番ないよね。
下位指名だし、あっさり見切られそう。 応武も近鉄指名拒否
推薦入試不合格なら…というとこまでこぎつけたが
合格だったのでOUT
>>36
先にプロ入りして1年目から働いた、高校で亭主役だった青エンピツ青山久人を追って
中日に入りたい気持もあったのでは。木俣もキャリア後半に差し掛かってたし。
あーでも近鉄が6位で掬えるほどどこからも指名されなかったわけか。
まあでもプロでも一応の成功組だし、セカンドキャリアも含めて勝ち組な人ではあるな。 微妙:武藤一邦(南海→ロッテ)
不人気かつ弱小球団という意味ではどちらに入ってても同じだったと思われ…。
市川は六大志望だったので拒否したが、希望叶わず原パパに拾われる。
有名選手ではないが、蒲谷和茂
大洋1984年ドラフト3位→拒否して東芝入り→交通事故で瀕死の重症
→西武1991年ドラフト9位→1年でクビ
最初に入団しとけばね・・・
正解:新谷博(ヤクルト→西武)
西武には結構多い高齢で入団して成功した投手のひとり
プロ入りが遅れたのは層の厚い日本生命にいたせいだろう
巨人しか行かない人や巨人でユニフォームを脱ぐ人ってのは野球が好きではないと
聞く。確かに好きなら何処へ行っても野球はやるだろうしね。
プロアマが断絶していた時代は、
指導者候補をアマ側が囲い込んでいたからな…
>>43
いまならまだしも30年位前は巨人以外は行く気しない気持ちはわかる。
プロ入りしてプロで10年やれる保証なんてないわけで
たとえ二軍で終わったとしても元巨人のブランド力は格別だからね。
>41
無名校出身なので力を付けてからと東芝入りを決めていたところでの指名。
西武入団はリハビリも兼ねてで実戦で投げられる可能性は低かった。
>>44
門田と同期の外山義明(広島拒否、ヤクルト入団)は? 小池は素直にロッテに入って、カネやんの教えを受けていれば彼の野球人生に
プラスになったんじゃないかな?
同世代に伊良部という格好のライバルはいるし、その後のロッテは川崎の暗い
イメージから完全に脱却したし、もったいないことした。
小宮山 伊良部 小池 河本 ついでに園川
いい投手陣になったかもな
けっこうな左腕王国だな。
小宮山というシャッキリしたまとめ役がいる分、全員もう1ランクいい選手になれたかも
ロッテの話題が再三出てるけどここの球団史上で一番酷い
というか間抜けな指名拒否が85年にドラフト6位で指名した
北海高校の有倉雅史(日体大→日ハム)のケース。
ロッテはこの年、ドラフト2位で日体大・園川一美の交渉権を獲得。
しかし6位で既に日体大進学を表明している有倉をなぜか強行指名してしまい
これに日体大関係者が激怒。園川の入団拒否の姿勢をちらつかせた為
ロッテは慌てて日体大に謝罪。有倉側にも
「指名は間違いです。交渉もしないのでどうか日体大に進学してください」
と平謝りするしかなかった。
まあ有倉は大学出てハム入りたけどプロでも大成しなかったから
この時の指名拒否が正解だったかどうかは微妙だけどね。
へぇ、面白い相関図
うっかりじゃ済まされん編成だけど園川は一応成功だし御の字かw
>>54
それ違うぞ。
ドラフト指名後、2位指名の園川に対して
さっぱり連絡をせず園川側が「本当に
とる気があって指名したのか」とロッテに不信感を
持ってしまったのが原因。
日体大初の「名誉ある巨人指名」だったのに、
不人気ロッテが勝手に強奪指名しておきながら
その態度だったので日体大側が怒った。
有倉の指名など実は後付けの理由で、まったく関係ない。
>>54>>58
似たようなケースだと、1982年ヤクルトが駒大進学予定だった新谷と
駒大の広瀬を指名。駒大太田監督が激怒して2人とも拒否。
その後、2人ともプロで活躍。 原ドラフトの年、巨人を拒否した瀬戸山という捕手。
プリンスホテルに入った。
どんな選手だったのだろう?
まあ、山倉を押しのけてレギュラーになったとは思えないから、正解か?
>58
園川は甲子園も出てない無名投手(川越工・石田)より評価が低かったことも
納得いかなかった。
>63
彼もプリンス入りが決まっていた。この年拒否してプリンス入り(高山、川村)
したなかでは唯一プロ入りしなかった。
でも社会人では正捕手となって10年近く現役だった。
>>62
ヤクルトと駒大が絶縁したせいで、
やる大矢はヤクルトに残れなかったんだろうかね
初優勝した頃は、若松と共に幹部候補生と言われてたんだけども >>62
それもよく言われるのだが、
新谷も広瀬もプロ拒否だったにもかかわらず
指名し拒否されただけ。
駒大を怒らせたとかいうのは、後付です。
球団の言い訳にだまされないように・・・。 鍛治舎前川の早稲田大学スラッガーコンビも拒否組だね
少なくとも鍛治舎はプロ野球等に入らず正解だった口か
瀬戸山満年、應武篤良、高見泰範・・・80年代後半の社会人全日本クラスの捕手はドラフト指名拒否組がやたら多かった。
島谷金二、産経65年D9、東映66年第一次D2、ロッテ67年D3拒否の末、68年D9
で中日入団。
長井繁夫、近鉄65年D4拒否、ヤクルト69年D3で入団。
長井はともかく、島谷の入団拒否のいきさつは会社の強い慰留?拒否した3度
のうち2度が上位指名だったにも関わらず、9位で中日入団したのは何故だろう?
>>70
最初に関しては「プロでプレーする自信がない」と断ったらしいけどね。 正解:古賀正明(阪神→太平洋)
阪神1位指名断って太平洋1位で入団って時点でアレだけど、結果12球団勝利で名を残したからねぇ
>>70
所属してたのが四国電力っちゅう超優良企業だったから、無理にプロ入りしなくても…って思ってたって本に載ってたな >>70
当時の監督水原茂と同じ高校(高松商業)だったため
断われなかった。 >>70
大先輩の水原元監督に口説かれたと聞いたような・・・・
>>72
古賀の場合、太平洋に入団した76年の時にいた鬼頭ヘッドコーチ
(ドローチャーが結局来なかったため、その後監督に昇格)
が高校の先輩(日大三)だったことも大きかっただろうけどな。
>72
野球部自体が休部になるタイミングだったような。(またはその前触れがあった)
正解:三井浩二(ダイエー→西武)
足寄高のときに4位指名ながらダイエーと阪神が重複。抽選でダイエーに決まったけど3位以上じゃなきゃイヤと拒否。
抽選で負けた阪神が指名したのが桧山。
拒否ではないけどダイエーにフラれたのが前田智徳。
スカウトは3位で指名すると言ったのに他の選手を指名。広島4位指名に悔し泣きしたそうな。
ちなみにこの年のダイエー3位指名は橋本武広。まずまず戦力になったし、結果的に今の監督人事に繋がったのだから、ホークスとしても大損ではない
古賀は丸善石油の時阪神にドラフトされたけど
交渉のたびに契約金が変動するので、そのときの
野球部長が球団に不信感を持って拒否させた。
その野球部長とは元オリックスの井嚢だった。
『かつて複数の球団から誘われたドラフト1位が、プロ入り後、多くの
チームに移った。「で、どうだった?」と聞くと「一番やりがいが
あったのは、今一番人気のないチームですよ」との回答だった。』
これ、20年以上前の野球雑誌の記事だが名前は伏せられていた。
恐らく、古賀のことだと思う。
ちなみに「今一番人気のないチーム」はロッテだと思われる。
>>79
古賀の場合、2位指名の高校生投手、工藤一彦(土浦日大高)のほうが契約金が高いのを知って入団を拒否した、とも。
その年のドラフトは高校四天王と評される投手たちがいて、土屋正勝(銚子商)は中日に、永川英植(横浜高)はヤクルトに、
定岡正二(鹿児島実)は巨人にそれぞれ1位指名されるも工藤だけは1位で指名されず阪神が2位指名、
それに難色を示した工藤サイドが早大進学をちらつかせて1位の古賀以上の契約金を取れた。
今度はそのことに古賀が態度を硬化させて入団拒否。 阪神は古賀との交渉に2度しか会わず、後は全て電話で交渉をしてたらしい
阪神は古賀に入団拒否された翌年にも足立義男って大分鉄道管理局の
左腕投手を1位指名して入団拒否られてるよね。足立は最初のうちは
「1位指名は光栄。阪神は好きな球団です」って言ってたのに最後には
「会社にまだ恩返しをしていない。まだ若いしプロ入りは社会人で実績を作ってから」
って言って入団拒否。でもそれっきり足立って名前を聞く機会なんて無くなったなあ。
同じドラ1位拒否社会人残留組でも鋼管福山の田村はベテランになるまで投げてたのに・・・
>>83
しかもその年は二位指名の鍛治舎巧(後に松下電器監督)にも入団を拒否されている。
この二年間に渡るドラフト上位の失敗がなければ、昭和50年代に一度くらい優勝できていたかも。 >>87
阪神の場合は43年田淵、44年上田二郎、45年谷村、46年山本和行、48年佐野とドラフト1位は当たりが続いていたので
入団していれば期待できたかも。まあこういう話題はこのスレとは違うのでまた別のスレで・・・
正解:平松政次(中日→大洋)
中日入ったらカミソリシュートは生まれなかったかも知れないから
>>89
でも平松が仮に中日に入ってたら優勝経験はできたんじゃね? プロ入りしなかった選手だが、
守屋利和(相洋高・82年ロッテの6位指名を拒否)
それにしても、入団拒否してバス会社(神奈川中央交通)に就職っていったいなんなんだ…
>>52
それに前田幸長も加えてやってくだされ
ロッテでは8〜9勝して戦力になってたし デレック・タツノ(ハワイ大-パドレス79年1位、ホワイトソックス80年2位し
名を拒否、ブリュワーズ82年1位指名を受け入団)
2度の拒否は、プリンスホテルに入社した際に支払われた支度金が無税で賞
与に組み込まれてた為に、すぐに退社して入団出来なかったらしい。
といってもそれが何故入団拒否の理由になったのか今一わからない。
岡本光は2度の南海入団拒否の末(53年3位、56年5位)、巨人入団(57年2位)。
無名校にも拘らず上位指名拒否、名門松下で下位指名拒否後の巨人入団。
選手層の厚さに泣かされたのと、2軍で好成績残してるのに1軍に上げてもら
えなかったのは、干されてた感じもややした。
小池はロッテ入団してたら、小宮山並の通算成績を残してたと思う。
広島→西武の山根和夫の実兄で
後に都市対抗20年連続出場を果たす
山根(結婚後は鈴木)政明。
>92
こういう選手は就職決まって本人の意思がないのに指名してしまった場合が多い
(ましてアマチームに決まってなければ関係性にも問題ないので、指名すれば来るだろうという)
>95
プリンスに入った時点で日本球界入りを目論んだのだろうが
何かの事情でそれが難しくなったんだろう
>>95
岡本は決して干されていない。
一年目のオープン戦で肘をやってしまったのがすべて。
やってしまった場面を、テレビ中継で観ていた。 正解:池谷公二郎(近鉄→広島)
投球フォームがカッコエエ
戸井(101)番GET。
オトコはやっぱ、せんずり。
益山性旭は?
昭和47年大洋4位拒否、51年阪神1位入団で11勝27敗
>>25
山田は社会人だの入団拒否だのと遠回りしてよく284勝もできたな……
このクラスはほとんど高卒即プロ入りなのに
正解:長冨浩志(ロッテ→広島)
ピークはやや短かったとはいえ、広島で新人王取れたことを考えれば…
長冨は巨人も狙っていた説もあったからな
桑田とは格が違ってたというのは結局は結果論だろ
ドラフト制度が始まった頃はどの球団も拒否の山だった。
福本が入団した年の阪急なんか10人くらい指名して3人くらいしか入団してない。
昔は獲得する気もないのに他球団の邪魔をするために指名して挨拶に
さえ行かないことも有ったらしい。
例えばドラフト上位級を阪神が囲い込んで下位で指名する約束をする。
阪神の戦力アップを阻止する為に大洋が5位くらいで指名する。
入団する見込みなどまったくないから挨拶にも出向かない。
いわゆる指名放棄だな。
昭和40年代によくあったよ。
拒否とはまた別物です。
鶴岡親分の息子を南海が敢えて指名して、プロ入りを阻止したことも
ある。
親分から見て、プロとしてやっていく力がなかったとか。
入団拒否が騒がれるようになったのはやはり江川事件の影響が大なんだろうな
>>112
その後アマ野球の指導者として活躍し、
近鉄・マリナーズでスカウトとしてプロに関わる事ができたな。 西武を拒否した藤高というのもいるな。
実力的に通用しないのと、性格的にプロ向きでない、ということで
拒否した。
のちに都市対抗の常連としてアマで活躍したから、プロ入りしていたら?
正解:尾崎健夫(ヤクルト?→ゴルファー)
最強の正解かもねw
尾崎兄弟>
じゃあなんで今の石川遼みたいに
幼い頃からゴルフの英才教育しなかったんだと思う。
ジェットはエースで甲子園出てたはず。
兄がゴルフで活躍したのはまだ野球やってた頃、当時はさすがに高校以下で
取り組める環境はなかったでしょ。
三男も千葉日大一高まで野球部だった。
海南高校が甲子園に出たのはジャンボのときだけだから、
ジェットは出てない。
ジェットは甲子園出場こそかなわなかったが、投手としての実力はジャンボより上ということでヤクルトが指名したんだよな
ややスレチになるが、ジャンボは西鉄入団後、池永を見て「こんな凄い投手がいるなら俺は絶対勝てない」と打者転向も泣かず飛ばずでゴルフに行ったわけだが
当の池永は黒い霧事件で永久追放になり、他にも主力級が抜けて苦しい台所事情となって
当時実力不足の東尾が負け続けても連投せざるを得ず結果的に力が付いたと語っているから
ジャンボも投手を諦めてなかったらひょっとすると好成績を残すことになっていたのかも?
ヤクルトを拒否して日本興行銀行へ行った黒須陽一郎。
西村、古田のあとの3位。
3人モノになることは考えづらいから、正解かも。
>>122
東尾も一時は打者転向しようとしてたからね
ジャンボは高校生の時に既に個人競技への転向を考えてたらしいし >>123
やっと出たな、黒酢陽一郎
指名されたらプロ入りを決めてたにもかかわらず拒否したってやつ
3位指名が高校生の外れだったからとも銀行の生涯賃金に目がくらんだからとも言われている
おかげでこの後結構長い期間立教はドラフトで指名されなくなった まあ、生涯賃金云々言う奴ははなからプロには向いていない、とそう
言い切る人もいたしな。
同じ立教の1年上の矢作、その上の一茂、同学年慶応の大森などを
みても拒否は正解じゃないかな?
そこらへんはナンバーで語ってたな。
当時のスカウトの片岡さんはこの一件で立教のOB会を辞めた。
指名してくれと頼んで、拒否だからかなり不信感だったな。
>>126
黒須事件の影響なのかどうか知らないが立教大の選手
特に野手はプロスカウトから敬遠される傾向が強いな。
去年の田中宗一郎も今年の岡崎も六大学で実績は十分だし
プロ志望届けも出してたのにきれいにスルーされてしまってた。 >>128
このこともあってヤクルトは現在も立教とは絶縁状態なんだよな。 横浜と早稲田は当時のスカウト陣が六大学関係者だから、修復できた。
裏金で荒井氏、山中氏は辞めたがね。
早稲田自体も入学拒否した桑田の件を解決しないのかね?
今のPLでも割といい選手いるのに、履生舎とか大阪桐蔭からは早稲田こないし、関西の強豪からすっかり早稲田は来なくなった印象がある。
立教の場合は、その後プロが上位で獲りたいような選手が出てないから
修復の機会もないよな。
上野はミスター枠だし、やっと1位級が出たと思ったTDNは・・・
広池はテスト生、小林、戸村も競合するような存在じゃなかった
江川ってプロか何かに入った時にピッチングを見て「これがあの江川か」と愕然としたエピソード
の詳しいいきさつを知ってる人はいますか
江川のピークは高校ってどっかで聞いたことがある
結局それぞれ入団して活躍したから良かったが、
ロッテに指名された時の愛甲のしかめっ面と近鉄に指名されたときの阿波野の
童顔の泣きそうな顔と周囲の同僚たちの「ええ〜〜〜〜っ!」が忘れられない
あ、そうか(恥)
亜大の左腕ということでごっちゃになってたか
昔の記憶を洗い直すってのもたまには良いかな
来年東浜の時に久々に「ええ〜〜〜〜っ!」が再現されそうな悪寒…
ロッテが小池の交渉権を獲得した時
当時の亜大の内田監督だったか矢野総監督だかが
「ロッテなんか一番生徒を行かせたくない球団」
って今年の貢爺以上に過激な拒絶発言してたが
読売絡みじゃないせいもあってか世間からは
叩かれるでころかむしろ同調意見が多かった。
正解:山口高志(ヤクルト→阪急)
阪急黄金期に投げられたんだし、拒否して正解。
近鉄がスルーしたのはあまりに有名だけど、阪急も拒否られるかもって指名を迷ったらしい。
結局、上田監督の熱意にフロントが負けたらしいけど、阪急もスルーしたら…って思って中日が淡い期待を抱いたらしい
>>143
当時の監督だったカネやんが亜大OBの古川を
「お前なんか四番じゃない!!」って感情論で
二軍に落として干したのに亜大関係者が激怒。
これが亜大のロッテへの拒絶反応につながったらしい。 新谷博
荒木に次ぐ2位指名でヤクルトに入らないで正解
西武には満27才での入団だったが現役10年で54勝は立派
怪物サッシーを潰し、荒木をも壊しかけ、高野ほどの才能を並の好投手で
終わらせてしまった当時のヤクルトに入っていたらどうなっていたことやら
>>147
同じく西武に高齢で入団した三井浩二と状況が似てるな
本来の実力つける前に初期の暗黒ダイエーに入っていたら・・・
もっとも新谷がこの年齢でNPB入りになったのは、前年に所属の日本生命が
木村恵二のダイエードラ1入団を優先させたという事情もある
(シダックスの野間口と武田勝と同じパターン) さて菅野はどう転ぶかねぇ
留年という超異例の形を取っての入団拒否だが
まぁ実際は留年選手って山ほどいるんだけどねw
スレ的には菅野は型にハマる
留年という表現はアレだな、別にわざと単位落とすわけじゃないだろ
ただ、1年間練習だけとか元木みたいに劣化しての入団になりそうだが
一年後・・・原が解任されてたら、菅野はどうなっちゃうの?
>145
古川は現実2年目からは戦力にならなかったけどね
当時実権を握ってたのは矢野総監督。
小池は兄も亜大野球部出身で、自身も高校からOB率いる学校に留学したんで
一任してた。
>148
三井は地元の室蘭に行って、休部が決まって移籍するなどすぐに結果は出なかったけど
結構粘り強かったな。
福留はアトランタ五輪に出たりツインズとも対戦したりアマチュアでいい
経験をしてプロに入ってきた。
ノンプロに行って寧ろ良かったのかも。
>>156
社会人になれば多少ながらも一般常識も身につくからな
NPB各球団が昔以上に大学社会人選手を好むのは何も即戦力だからというわけではない
高卒の悪ガキを預かって育てるのはそれだけ大変なことだよ
福留はまるまんま悪ガキ養成所みたいなPL野球部にいたから尚更だろ >>150
菅野は大卒年齢だから、「成長期を棒にふる度合い」は高卒の元木よりは少ない
気がする。
元木の場合は18歳という最高の成長期をハワイでの草野球で無駄に過ごした。
菅野の場合、東海大学に残ってみんなと同じメニューの練習をこなすから、草野球
よりは数段マシ。
ただし、それでも素材の劣化は免れまい。練習だけで対外試合がなければ緊張感に
かける毎日となる。 >>159
あの年のドラフトは超ハイレベルだろ、少なくとも大学社会人は
そのかわり高卒は、と言うより元木の世代が相当な不作なんだが 元木はもし南海が身売り・移転する事がなかったら
入っていたかもと何かで言ってた様な…
ジュニアホークス等で南海と地縁があったからな。
もし王や根本がいる状態でのダイエーが指名だったら…とも考えてしまった。
子供の頃王と対面して記念写真まで撮ったのが
巨人への憧れの理由だったらしいけど。
王、根本がいたダイエーなら入団したろうね。
特に根本がいたら、あらゆる人脈を駆使してでも入団にまでこぎつけた
ろう。逆に入団させる自信がない、と判断したらドラフトの時点で指名
をしないことも考えられる。
プロ入り前に1年以上の浪人期間があって成功した投手というと上原や小宮山か。
しかし彼らが最も伸びたのは浪人後の大学時代だからな
江尻は大学でも伸びたけど
プロ入り後も何段階かに分けて伸びたな
>と言うより元木の世代が相当な不作なんだが
仁志、大越、吉岡、種田、前田、山田(喜)、鳥越、麦倉、宮地・・・
列挙してみると、確かにそうかも
大卒プラス1〜2年なんやかやで遠回りして1年目にすでに24歳25歳ってピッチャーが
100勝以上するとすごいと思うが同時にもったいないとも思う
もっと早くにプロにはいれていれば……
>>168
安田猛を思い出した
100も勝ってないけど イチローの昭和48年年度は別として、
元木の昭和46年度前後はいわゆる「キレやすい世代」だから、
才能を埋もれさせたまま引退した選手も結構いるんじゃないか
(それは恐らく元木自身にも当てはまるだろうし)
こんなこと書いたら元木と同期の小久保や前田智徳に怒られそうだが
ドラフト指名回数と拒否回数のトップは藤沢になるのかな。
>>169
ヤニキは大学でもそこそこ伸びたんだろうが
本格的に開花したのはプロに入って数年経ってからだったな >>158
大学生だけでなくおっさんの草野球チームに混じってプレーすると来年の指名権利消えるのかな? >>175
それはない。
草野球だけなら趣味の範疇だから、縛れない。
社会人野球のように列記とした組織に属すると縛りを受ける。 昭和40年代のドラフトでは入団拒否がやたらと多いけど
球団によっては下位に指名された選手は上位指名した同一ポジションの
選手に入団拒否られた時の保険扱いであって思惑通りに
上位指名選手が取れた場合はあなたと交渉をする意志はありませんって
球団の方からお断りが来ることも普通にあったらしいな。
後にヤクルトのエースになった松岡弘も球団から入団交渉お断りを通達され
それに発奮してスカウトを見返すつもりで翌年の都市対抗で快投を見せたら
あわてて産経(当時)のスカウトがやってきて都市対抗終了後に入団が決まったとか。
阪神拒否した甲子園の解説でお馴染みの鍛冶舎巧さんなんて正解でしょ
>>180
昔はノンプロより待遇が悪かったり名門私立高校より設備が悪かったりするNPB球団があったりしたんだな、これが 一軍の補欠選手でも年俸200万円とかザラでしたからね。
まだサラリーマンやっていた方がいいかも知れません。
下位の指名だったら、拒否したほうがいいだろうね。
高校生なら進学、大学なら社会人へ進む。
そこで力付けて、また評価してもらえるようになればプロ入り。
評価してもらえなければ、地道なサラリーマン。
下位指名だと、簡単に捨てられやすいんだよな。
オリの0枠蹴った開田も年金、保険、退職金その他諸々考えたら会社に残って正解だろうな。
大企業は福利厚生もしっかりしてるし。
0枠で入って正解なんてヤツはいないだろう。
オリ本社に入社出来た北川やスカウトやってる牧田はともかく。
オリックスは選手の身の振り方を世話してくれるんですよ。
引退後はオリックスに入社出来るんです。
あれだけの悪評判のチームでも行ってもいいかなと前向きに入団する選手が
多いのはその為なんですね。
それよりもFA取得期間を15年ぐらいに伸ばすか、剥奪にした方がいいのにね。
もし菅野が海外FA権持ったら、間違いなく行使してメジャーに行くはず!
で、ここの住人に叩かれまくるとw
>>157
福留は社会人で得た一般常識から銭闘民族になったのだろうかw
昔の入団拒否は会社の都合とか本人がまだプロでやっていく自信がないという理由のものが多かったけど
(実際にその後プロ入りしている選手もかなり多い)
今は完全に行きたい球団じゃないから拒否、というのがほとんどだな
野茂もそうなんだよな。カネにがめつかった。
社会人からプロに入る人は妙にカネに執着心がある印象がある。
高卒選手は余りカネでも揉めている印象が少ない
>>192
そもそも今はプロ志望届なんてものがあるから、
プロでやっていく自信の無い選手は指名できないからな、ハナから志望届出さないだろうし さすがに移動が大変でしたからね。
山陽新幹線の無かった頃の広島や福岡は特に嫌がられました。
清原と元木は巨人が指名しなかったのに見返すという気にならないのかな?
>>195
東京や大阪に生まれて、福岡や名古屋や広島に行こうという気になれない奴
もいるだろうからな。
>>196
それくらいの覇気が有ればもっとすごい選手になっていただろうな。
もっとも清原は素質と人並み外れた上半身の強さだけで相当な数字を残した
わけだが。 >>196
元木はともかく清原は見返そうと思ってたし実際に見返しただろ
87年日シリでの涙をお忘れか?
まあ結局、「フラれたけど初恋の人は忘れられない」ってことで読売に行ったが… >>193
土地を要求したと言う木田勇なんてのもいたな
もし要求通り土地貰えたらその後バブルで地代も急騰しただろうし
先見の明があったのかもね
やっぱりその辺は学生じゃ出てこない発想なのかも >>186
今現役なのは中島くらいか
高見澤は元同僚(相川、福留など)と一緒にバッティングセンターや野球教室をやってるらしいが >>199
鈴木啓示は契約金で即不動産買って後に
そこに豪邸建てたらしいけど >>198
FAで巨人に行き、ナベツネに「清原が戦列を離れたほうが
チーム成績が上がる」と言われ堀内監督に忠誠を誓わされても
しがみついていた
巨人と対戦するセリーグに移籍すると思っていたのに >>200
あの3年間の下位指名選手の中で、なぜか後藤光尊だけが契約金あったんだよな。先見の明はあったんだな。 >>202
実際あれだけ態度の悪さが明るみになっちゃったらどこだって動きづらいよ
噂レベルでも落合中日が4番候補として獲得を検討したという話ぐらいしか知らない オリオンズ山崎は当時破格の契約金五千万円で、
まだ安かった春日部にかなり広い土地を買った。
長嶋も契約金で下北沢に土地購入。
一年目だけ川上宅に下宿し、二年目から下北沢の豪邸で生活。
田園調布に越してからは、中曽根総理に貸したりしていた。
張本、王も二十代半ばで都内にビル購入。
榎本は中野の超貧乏農家の生まれ。
実家が手放した田畠を契約金で買い戻し、
そこにアパートを建て、引退後は大家で生活。
鶴岡いわく東京の子は大阪のチームになかなか来てくれない。
特に彼女持ちだと、彼女が大阪を嫌い来てくれないとさ。
志村は入団してもせいぜい上田や藤代程度だろ?
引退後に、ムードコーラスの歌手になってヤクザみたいなリーダーに殴られたり、
若い奴の靴磨いたりするより、
サラリーマンの方がマシ
財閥系は福利厚生も厚いし安定しているしな
>鈴木啓示は契約金で即不動産買って
地元の西脇の田畑を買わなくてよかったなあ
あのあたりは今でも契約金で町ごと買えそうだ(笑
志村は指名拒否だな
野球選手はどこに行くにも注目されるから それがいやだったといってたね
>>205
榎本って大家で食っていけたから、
引退しないでずっと復帰を目指して
トレーニングにのめり込んでいった
んだな >>214
いや、1回じゃ生ぬるい。
新垣や内海みたいな高校生が普通に大学や社会人に行ってプロ入りしてしまう。
最低でも4回外さないと。 「すき焼きは旨かったけど、ハムは好きになれない」
18のガキになめられた口きかれたって、親分が激怒してたなw
内海・長野・菅野も福留みたいに入団拒否して好きな球団に入ったくせに、海外FA権取得したら何食わぬ顔でメジャー行くんだろうな
>>229
そうだろうね。で、通用しなくてすぐ日本に帰ってくるんだよな。日本の球団も舐められすぎ >>230
まあ一理ないこともなぃがFAは権利として認められてるしメジャー崩れを好き好んで獲得してんのも日本球界が勝手にやってることだからね
岩村みたいなのが増えてきたしだんだんとメジャーからの復帰も難しくなるんじゃないかな
>>229
福留は契約金積みまくって数年後には自由契約にするからって条件つけても拒否したみたいだね
それくらい近鉄は嫌われてたのかな…
イメージとしては野茂、吉井、石井を追い出したチームなんだろうし
内海はオリックスでも仕方ないか…って雰囲気だったが李を人質に取られて硬化してしまったな >>232
李ってどう見ても内海の逆指名取りつけるためだけに指名したとしか思えんよな
巨人サイドは戦力として期待したから指名したと言い張ってはいたが
内海入団後たしか1年でクビにしている 田村忠義(日本鋼管福山)
・74年 太平洋ク1位
・75年 ヤクルト2位
いずれも拒否し、結局プロ入りせず(74年は、相思相愛の広島の指名順直前で、太平洋クが強行指名したもの)。
重厚なサイドスローの好投手で、後のミスター社会人野球・杉浦(日本生命)以上にプロで見てみたかった投手だな。
>>197
大阪っていうか、関西人で阪神を応援するには面白いから良いが
いざ、選手としてあのファンの野次の中でプレーするのは嫌って
選手も少なからずいそうw
まあ、現在活躍してる関西出身の選手をハナから指名しなかった
阪神側にも問題があるけど。 石井章夫(慶大→東京ガス)
86年に大洋の2位指名を拒否し、結局プロ入りせず。
地元・桐蔭学園出身だっただけに、母子家庭という事情がなかったら…
石井は線が細かったし、プロじゃ微妙。
まぁ弟の方がキャラ的にもプロ向きだったし、実際成功したよな。
>>237
今は挨拶時点で拒否したら指名する事はまず無いから、無意味よ。
昔は滅茶苦茶だったが… 3度のドラフト指名を拒否して、4度目となる近鉄3位指名でやっとプロ入りしたのが上林成行。
国府高時代から注目の好投手だったが、浪人後進んだ法政大学を中退。拾ってもらったクラレ岡山への恩返しを重んじるあまり、プロ入りが遅れた。
プロでは、結局一軍登板なし。
中日→阪急で活躍した島谷金二も4度目の指名でやっと入団したクチ。
入団を拒否していたのは「堅い職業(銀行員)で」という両親の反対が最大の理由。
ただ、島谷自身が野球で次のステージでのプレーを望み始めた時期だったことと、中日の西村スカウトが高松商の先輩だったことが相まってのプロ入りだった。
>241
退団後の本人のインタビューで高卒後はスカウトがロクに見ないで指名を
続けていたのではと語っていた。
特に浪人時に指名された時は呆れて、大学〜社会人でも公式戦では殆ど投げさせてもら
えなかった。
>242
因みに銀行(四国銀行)ではなく四国電力だね。
理由は変わらないけど。水原氏など高商OBからの説得で逃げられなかったみたい。
今からは考え辛い「カープ以外なら拒否」でドラ1を拒否
日ハム黒田真二
近鉄金光興二
>>244
日鉱佐賀関・藤沢公也は5回目の指名でやっとプロ入りしたが、実は4回目となる76年にはプロ入りする気満々だった。
ところが、日本ハムは拒否宣言の高校生(崇徳・黒田)を1位で藤沢は2位。これには社会人No.1のプライドが許さなかった。
結局、日本ハムはこの年、ドラフト1〜3位に揃って拒否られる大失態w
金光(法政大)は、元々アマチュア球界に恩返ししたいという思いが強かった。
だから地元・広島以外は一貫して拒否。
その後、都市対抗、大学(監督)で優勝を経験し、拒否して大成功だったな。 >>245
金光がカープなら黒田の年に山崎隆造ドラ1はない話
もっとも黒田がカープまで残っていたなら
山崎隆造は他球団に指名されていた罠
まぁ日ハムも選抜優勝後に集団脱走騒動を起こした
崇徳メンバーを甘く見ていたのか
交渉後のコメントで「鍋が美味しかった!」等と高校生に舐められまくった訳で…
この年の崇徳は応武も近鉄3位を拒否したなぁ
カープ指名の山崎小川のみプロ入り 「鍋が美味しかった!」 ×
「すき焼きは旨かったけど、ハムは好きになれない」 ○
18歳のガキが言う台詞じゃないな。
だからプロでも大成出来ないんだよ。
予備抽選後、広島サイドは12番目阪神の山崎指名はないと踏んで、1位黒田、2位山崎の実現を確信してたみたいだな。
それが二つ前の何も考えてないアホ球団のお陰様で…。
金光に関しては、1位指名できた場面で敢えての田辺繁文だけに、広島的にはその程度の評価だったってこと。
>>248
当時まともなサウスポーのいなかったカープにとって
田辺は絶対に逃せない存在だった
田辺松本と高校左腕三羽烏だった川口の入団(この年ロッテ5位拒否)とドラフト外大野の覚醒まで
先発左腕の獲得は最優先課題だったよ
金光個人の評価は順位とは別_(^^;)ゞ
金光に関しては、弱肩で脚力も並、長打力も不足ということで、敬遠する球団も多かった。
求愛された!?広島も、「まぁ二巡目で残ってれば」ってとこだったな。
この頃のドラフトを見てると高卒時に入団拒否して社会人入りした際に
三年間お世話になりますと宣言した某選手がひどく薄情に見えてしまうな
>>248
アマの指導者志向が強いと判断して金光を回避したのかな?広島球団は。
この頃はプロに入るとアマの指導者には少年・軟式以外には容易になれなかったから、
大学や社会人が指導者候補を有利な入学・入社条件で囲い込んでいたとも聞いた事があるし。
>>247
黒田は未だにハムを恨んでいる様だが。プロ野球OBクラブには参加していないのかな?
指名した当事者が運営に関与していたからな。 >>253
カープの金光に対する空気感は>>251だろ。
正直、肩がなくてセカンド限定の選手だから、ポジション的な拡張性もないし、売り物は「クレバーさ」と「勝負強さ」ぐらいで、プロ選手として大成するイメージはなかったな。
加えて、木下、高橋慶、山崎と計画的に内野手を養成している段階だったから、編成上「是が非でも」の選手ではなかった。 1位指名を拒否して、その後もプロに行かなかった選手って、そんなにはいない?
1位指名を蹴ってアマ球界に骨を埋めた選手で、その後も素晴らしい活躍を見せた代表が、奇しくも広島高校野球界のライバル、広島商と広陵のOB、金光興二と田村忠義だよな。
巨人の1位指名を蹴って話題になった小林秀一も、現役引退後は指導者の道でアマ球界に貢献。
>>248
黒田は第一志望広島、巨人阪神ならOK、他のセリーグ3球団ならば考える。
パリーグは絶対不可と言っていたのにな。
山崎は立大進学をカムフラージュして囲っていた。
80年代の巨人vs西武の激しい盟主争いを象徴したのが、80年のドラフトだったな。
瀬戸山(中京)は、巨人から受けた指名を拒否し、西武系列のプリンスホテル入り。
日ハム、阪急からそれぞれ1位指名された高山(秋田商)、川村(松商学園)も揃って入団拒否してプリンスホテルに入社し、後に2人とも西武入団。
広島以外拒否を表明したのは津田ぐらいで、他は巨人ならOKって感じだったんだろうな。
それにしても黒田はもったいなかった。
旬を過ぎてからヤクルトに入って敗戦処理止まりだったし。
高卒でプロ入りしてたらとつくづく残念な存在。
>>262
黒田は日本鋼管福山時代の入院生活がすべて。
リッカーに移籍した時点で、すでに高校時代の黒田ではなかった。 黒田は肋膜炎かなんかで入院したんじゃなかったか?
細身でスマートな体だったのに、プロ入りのときは
ずんぐりしていてびっくりした。
入社の経緯が経緯だし、鋼管福山では人間関係でも色々難しいことがあったのかと…。
崇徳の四番打者で、一緒に入社した永田も、間もなく辞めてしまった。
>>261
瀬戸山は西武が後に指名してたらプロ入りしたかもしれないね。
あの頃の西武は確固たる正捕手がいなかったから。
(大石と黒田は守りはともかく打てなかったし、伊東はまだ台頭する前だった)
その一方で、高山と川村がプリンスに行ったのは正直遠回りだったと思う。
高山は西武でそこそこ頑張った時期があったからまだよかったけど、
川村はやはり高卒の段階でプロ入りするべきだったね。 瀬戸山については、プリンスホテルでのプレーぶりから、その後のプロ入りはあり得ない。
川村は、阪急の指名を蹴ったことを今でも「一生の悔い」と語ってるな。
昔はドラフト指名前のネゴが、かなり杜撰だったんだろうなぁ。
地元密着型の広島でさえ、地元の高校生に拒否られるパターンが多くてビックリした。
特に71年の荒谷(広島商・4位)や73年の福井(崇徳・2位)あたりは地元で評判の好選手で、当然入団するものと思ってたファンは肩透かし食らった感じ。
ドラフト指名を拒否した球団に入団した主な選手
阪本敏三 1965年 東映 5位 1972年入団
袴田英利 1973年 ロッテ 3位 1977年ドラフト1位
中山孝一 1966年 阪神 6位 1980年入団
笠間雄二 1974年 阪急 3位 1980年入団
井上弘昭 1966年 東映 8位 1981年入団
加藤俊夫 1965年 大洋 2位 1982年入団
倉持明 1970年 ヤクルト 12位 1983年入団
池田親興 1977年 阪神 4位 1983年ドラフト2位
福嶋久晃 1965年 広島 8位 1985年入団
長崎慶一 1968年 阪神 8位 1985年入団
新井宏昌 1970年 近鉄 9位 1986年入団
加藤秀司 1967年 南海 10位 1987年入団
門田博光 1968年 阪急 12位 1989年入団
>>271
現役晩節になって移籍しているパターンが多いな。
門田に至っては、オリックスになってからだし。 昔は本人の進学、就職の意志関係なしに、「取りあえずダメモトで指名だけしとけや」的なのがあまりに多かったな。
下位指名選手なんて、球団側からは入団交渉がないまま交渉権放棄なんてのがまかり通ってた。
そう考えるとプロ志望届そのものは極めて合理的な制度ではあるんだな
65年の第1回ドラフト会議で、サンケイの1位指名を蹴って亜大に進学した河本和昭(広陵)は、大学では一度も登板することなく、中途退部している。
事情はわからないが、ドラ1としては稀有なケースだな。
>>277
中国電力に同名の人がいるけど、同一人物かな? >>279
西鉄が2位の吉岡が放棄で13位の小室が入団というのもわからん。
基準は何だ? 河本和昭は独特のフォームの速球派投手。
第一線での活躍は、広陵が最後になったのかな。
その後は名前を聞かなかった。
広島県高野連の発行した「30年史」には顔写真付きで投稿が載ってたから、元気ではあったんだろうが。
>>266
黒田の先例があった為に
協和発酵に行った津田が3年無事に過ごせるかビクビクしたものだよね
まぁ南陽工業からなら一般社員の先輩も
大量採用されていたとは思ったが
まぁ石橋騒動以前の古き良き時代 鋼管福山は協和発酵あたりと違って、筋金入りの猛者揃いだったからな。
2年前にカープ志望で強行指名拒否の田村忠義は
黒田真二に如何に接したのだろうか
>>284
同じ酷い目にあった者同士だから、田村が最大の理解者であったのは間違いないだろうけどな。
黒田といえば、鋼管福山に入社後すぐの広島市民球場での公式戦で、御披露目登板したのが懐かしい。
その試合、崇徳同期の永田も代打で出場した。 崇徳で黒田の3年先輩、サウスポーの藤原仁も波乱の野球人生。
大洋のドラフト指名を蹴って進学した駒大を中退。
入社した日本楽器で活躍し阪神に入団。
主力投手の座を確保できたと思った矢先、故障でパー…。
73年の巨人が76年の日ハムと全く同じで、1、2、3、5位指名選手に逃げられるという大失態。
巨人の1位を蹴った小林(愛知学院大)は、この年阪急を拒否した江川の余波か、いわれのない批判を受けて悩んだとのこと。
なお、巨人の3位指名・中村(住友金属)は、残念ながら現役中に病死。
>>286
昭和57年の夏、後楽園での完封劇。
生で見たから今でも覚えているよ。
確かあの年6勝挙げたのかな。 中日→阪急で活躍した島谷金二も4度目の指名でやっと入団したクチ
>>279
交渉権放棄なんてことが許されていたのが驚き 開田博勝がどんぐらいやれたか気になる。
指名順位は低かったけど結構好選手だし、
後藤も頑張ってるしなぁ。高見澤もケガさえなけりゃ
>>290
いい加減だよな。「有望かどうかはともかく、とにかく指名しとけ!」という
ノリだね。 72年、地元・広島の7位指名を拒否した竹桝和也(広陵高)。
進学した亜大ではパッとしなかったが、電電東京では都市対抗優勝に貢献し橋戸賞投手に。
プロ拒否は正解だったと言えるな。
橋戸賞投手にも色んなのいるからな
一貫してプロ拒み続けた杉浦やプロである程度の成績残した川越
即戦力として下位指名ながらも期待されたいすゞの酒井なんてのも
東都2部の東京農業大で伸び伸びやってる陽川はどうなるかね
陽川は在学中に1度は東都1部で見てみたい選手だけど、東京農業大は万年2部だからどうかなぁ…
>>292
まぁ、サンケイアトムズだけは、未曾有のバカ球団としか言いようがないw >>296
云えてる。
その時入団した2選手までも、2年で切ってる(2人とも自由契約なのかどうかはわからないが、敢えてこう云わせて貰う)から、尚更だw 福井文彦
崇徳高では大型スラッガーとして下級生時から評判で、73年に地元・広島から2位指名されるも拒否し、中央大へ進学。
大学では同期の秋田(現中大監督)らの陰に隠れ、結局レギュラーの獲得はならなかった。
当時、育成力抜群だった広島に入っていれば面白かった逸材だけに、残念。
一番最近観た諏訪部はとてもじゃないけどプロの水準にはない印象を受けた。
投手としてのタイプ的にいえば、阪神の桟原から球威と制球を大幅に差し引いた感じ
スライダーのキレはちょっと良かったけど直球が走らないと活きないわな
>>299
4年間フル出場の鉄人秋田と同期だったのが運の尽きだぬ >>297
サンケイはその2年後に15人指名して入団したのが6人。
ドラフト外で12人獲得して6人を1年で解雇。。
18人中戦力になったのは松岡弘だけという多産多死ぶり。 かつてアマチュア球界には、慶大→鐘紡、早大→大昭和製紙という強力な太いパイプが存在し、両企業は早・慶の有望選手を囲い込むため、在学中から手付金としての栄養費を渡していたという。
67年は慶大・藤原、早大・三輪田の両エースがそのレールに乗っていたが、果敢(無謀!?)に1位指名の手に出たのが南海と近鉄。
無論、つけ入る隙などあるはずもなく、両球団はあっさり玉砕した。
もし内海がオリ入団してたら…
もう少しオリもCS争いしてたかな?
内海は入団後にも結構伸びてるから
オリックスがそれだけの環境を整えられたかどうか
内海の場合、もしオリックスに入団してても、
2年目(02年)以降に1軍デビューしてたらろくな目にあってなかったかもしれないね。
ただでさえ仰木監督が退任してからは合併するまでチーム状態は悲惨だったから。
ピッチャーがいないから打たれても使われて、防御率5、6点台で規定投球回数到達者中最下位とか。
ダイエーに30点近く取られた試合で被害者の1人になってたかも知れない。
>>311
若いときの東尾みたいだな、負け越し当たり前だし5点台で11勝18敗なんてシーズンもあった
もっとも東尾はそんな状態で使われ続けたから後に成長できたと言ってる
内海に同じことしたら間違いなく潰れそうだが 根本マジックと呼ばれたけどこいつはただのペテン師だろ。
前田幸長の著者に書いてあったけど根本は前田を西武一位で確約してたらしいな。
そのため大学進学と嘘をつかせ前田も行きたくもない同志社のセレクションも受けたそうだ。
しかしフタを開けたら西武一位は渡辺智男。この渡辺もケガとデマを流さし一本釣り。
これには前田の父親も激怒したそうだがこの時の根本の言葉が
「ロッテを拒否してプリンスホテルに入ってくれないか?次こそは指名する」
これには前田の父も「ふざけるな!」と電話を切ったそうだ。
こいつは、こんなことばかり裏でしてたんだろうな。
それを知ってる上でみんな揶揄してんだろ
お塩大先生みたいなもんだ
>>306
内海は巨人が人質でバッテリー組んでた李を指名しなければオリに入団してような気も >>318
李が読売の7位か8位で指名されるより前に、
既に内海の1位指名記者会見が行われていたが、
1位指名だし有難い、みたいな空気にはなってたわな…(建前だけかも知れんが)
巨人が李のことをあくまで選手として評価したので指名したと
主張してたのが微笑ましいな
>>317
ドラフト後三日でイの一番に契約してたがね 大学なんて最初から行く気はないし社会人のプリンスホテルなんて論外となると自ずとプロになるわな。
前田自身も裏で西武と確約していただけでプロならどこでも良かったんじゃないか?
ロッテは12球団で一番入りたくなかったらしいが。
福井は巨人で頑張ろうとすればよかったのにな。
ドラフト7位の東野だって這い上がってるんだし。
>>324
ここんとこ巨人は高卒のエースを育てるのがヘタだからな
ここ30年じゃ槙原斎藤桑田の3人くらいでないの >>325
原巨人に限らず監督に人事権がある程度ありそうな球団は上位指名は殆ど大社の投手だからな
数年後にモノになりそうな高卒獲っても自分の任期に間に合わないし >>326
なるほど
松坂や田中みたいな即戦力の高卒投手なんて例外だしな
それにそんなタマはクジ引きでの競合必至だし 巨人は大エースを育てるのは定評あるけど、それを支えるB級投手を育てるのは苦手だからな。
>>326
後年の森西武なんか特にひどかったな
超隠し球だった長見を除けばみんな大社の即戦力ばかり 高卒は当たり外れでかいからな
素質だったり体格だったりあるいは素行だったり数年後どうなってるかわからないし
森はそこまで保身に必死だった印象はないが、
どっちかっつーとフロントの意向が強かったんじゃない?
結果結果結果を出せと。んで渋々大社即物買い
竹下はともかく杉山や石井貴、潮崎あたりは一応当たりだし、
東尾に代わった後だが、安藤だっけか、あれがあれほど地雷だとは・・・
誰にも読めんよね。西武が指名しかねりゃ他が一位指名しただろうし
>>331
高卒はスカだとほんとにスカだが中には3〜4年目あたりで一線級に覚醒する奴がいるからな
たとえ下位指名組でも ノムが毎度のように著書で言ってるな、プロの二軍は人の育成に向かないって
社会人を経験した選手の方がそういう面でもいいって
内海とか社会人経験して正解だな、個人成績だけでなく巨人投手陣のまとめ役にもなってる
過去の巨人高卒エースでそんな機能したのいなかったからな
>>324
広島だから1軍ローテで投げさせてもらえてるが、
巨人だったらあんなノーコンじゃ1軍はおろか2軍の試合でも投げさせてもらえないだろう。
高卒巨人入りなら2年でクビだったと思う。
指名順位が上の加登脇は2年で育成落ち、その1年後解雇だったし。 >>335
現段階では、広島へ入団(巨人を拒否)して正解だったろうな。
もっとも、この先はどうなるか分からんけどw 「元巨人」ブランドはでかい
と考えられていたのは揺らぎつつありそうな気もするが
それでも拘る連中は少なくないだろうな。
門脇卓真がどんな人生歩むか分からんけど、
芽を出して給料貰えてる福井は、これで良かったんだと思いたい。
ただ広島ってのがなw
>>335
どうでもいいが、憶測以外の何物でもないわなw 江本孟紀は高知商のエース兼四番打者として活躍し、65年の第1回ドラフト会議で西鉄に4位指名された。
ところが、高知商のチームメイトで三番打者の浜村孝が、同じ西鉄の1位指名だったことにいたくプライドを傷つけられ、入団を拒否して法政大に進学。
大学では完全に、同期の山中正竹の陰に隠れた格好だったが、結果的に肩の酷使を回避できたのはラッキーだったな。
>>341
しかし、法政は中退でその後熊谷組を経てドラフト外で東映へ、全く芽が出ずお払い箱…
で止まってたら入団拒否しない方がよかったわけで
彼の人生はなかなか味わい深い 72年度ドラフトにおける南海1位指名の石川勝正(東洋紡岩国)は、後にも前にもこれが唯一の指名機会となり、結局プロ入りせず。
小柄ながらサウスポーの好投手だったが、なんせ当時の南海は1位指名の社会人出身選手が漏れなく大コケの惨状w
おそらく石川の判断(入団拒否)は正しかったのでは!?
昔から「超地元密着型」の広島だが、ドラフト会議の第1回〜第10回で見ると、広島県内の高校生を指名して、入団に至った確率は意外に低く53%(15名中8名)
「地元なら入るだろう」的なスタンスで、事前調整なしの杜撰な指名が多かったってことか…!?
>>345
1位指名にこそ逃げられていないものの、73年2位指名の福井文彦(崇徳)に拒否られたのだけは、かなり意外だった。
事前に進学希望との報道はあったけど、カープサイドは切り崩せると見てたのかな。
非常に素質溢れる選手で、大学よりも即プロ入りしてた方が面白かったと個人的には思う。 >>346
しかしその3年後に崇徳2名入団だもんね
所詮サードは空かないしショート高橋慶彦だから
セカンド山崎隆造で結果オーライ 高校時代の福井文彦は、山崎隆造とは比較にならないぐらい、スケールの大きな選手だったな。
山崎らの黄金世代は、中学3年生の時に主砲・福井やエース・藤原らの活躍を見て崇徳に憧れ入学した。
オリックスの契約金0枠を拒否った開田はやっぱ正解だったのかな
三菱重工長崎の監督になったし
>>350
仮にオリックスに入団しててもたぶん今頃は現役引退ということになってたんじゃね?
実際、拒否後は故障に泣かされてたみたいだし。 最近の入団拒否はみなプロ志望も
いざ交渉の席についたら話が違う評価低すぎで壊れるケースがほとんどだな
長野や菅野みたいにガチガチはのぞき
諏訪野はどこか取ってもよかったと思うな。
それこそ長野つながりで巨人とか。
小池案外回り道してて正解だったりしてw
ってパラレルワールドは神のみぞ知る
>>351
同じ契約金ゼロ枠の高見澤が1年目からそこそこ出てたのに故障したらすぐ首になったことを思うとその可能性大だな 我孫子高校からロッテに指名された投手は?
和田監督の2年先輩かな。名前は忘れてしまった
>>360
武藤信二だな。
法政に進学したけどリーグ戦に出場出来なかったから、プロでは通用しなかっただろう。 高校で騒がれた選手が大学では干され、その後活躍した例はいくらでもあるから分からんよ。
武藤も社会人野球では活躍したしな。
オリックスが契約金渋った頃に拒否者が一人で済んだのは意外だったな
>>363
タダでもいいっていう選手ばかり指名したんだろ。
開田だけ予め話が通ってなかったと。
結果ほとんど戦力にならず予想通り多産多死という結果に終わった。 一瞬高見澤が活躍し
今でも中島が生き残って・・・それだけか
契約金ゼロ指名廃止は負広の功績と言っても良いだろう
兎の育成選手や檻の契約金0ルーキーを見てると
日本にはメジャーのような多段階式の
チーム構造が適合しないことがよく分かるわ
中島俊哉ってゼロ枠か?
後藤光尊は一線級で頑張ってるよな
>>367
ただ育成枠には山口(G)や山田(H)みたいなお宝が球に隠れているからねぇ 巨人の育成はドラフト本指名されてもいいやつが混じってるからな
近年はどう見ても本指名少なくしてる
そもそも支配下選手の人数が枠よりも明らかに少ない球団が育成で選手を指名してること自体、はっきりいってわけわからん。
それだったら本指名してやれよ。
二度のドラフト指名を拒否して、橋戸賞受賞後にドラフト外で阪神入りした大町定夫。
「そこで入るかぁ?!」と思ったもんだが…。
三井浩二って一度拒否経てたんだな。
最近知った。そして高齢で逆指名プロ入りしてそこそこ活躍・・・
堅実派かもな
新日鉄室蘭の左腕エース・浜師勝彦は、73年〜75年の3年連続でドラフト指名されたが、最後までプロ入りを拒否。
特に、ヤクルトは74年(2位)、75年(6位)と2年連続の指名だから、よほど欲しかったのだろう。
ここまでラブコールされれば選手冥利に尽きるところだが、浜師はよほど自信がなかったのか、それともプロに魅力を感じていなかったのか。
75年の時点で22歳だから、年齢的な問題ではないし…。
>>374と>>375読んで思ったが、道民は北海道から出たがらない傾向あるからな
三井はダイエー蹴って一度道内に就職してる 西武ファンさらに4位指名の評価に怒って拒否した三井
8年後ドラフト戦線に急浮上してびびった記憶がある
遠い昔に消えた選手が突如現れた感じ
>>375
浜師は、その後も永く社会人野球の第一線で活躍を続けた。
プロでその投球を観たかった気もするが、彼の判断は適切だったと言えるな。 三井はクビになった後、ソフトバンクのテスト受けたからな。
案の定、落ちたけど
>>377
4位指名の件は、本人よりも関係者(親や母校等利権者)が理由付けしたんだろうな。
プロ入り後の週刊ベースボールでは、当時は自信がなかったと言ってた。 足寄が生んだビッグネーム
三井浩二と松山千春
高卒ドラフト時には日刊スポーツに松山千春がコメント出してた
>>375
「プロ野球ドラフト全史」にその辺の理由が書かれているよ >>381
鈴木宗男も。
この3人は足寄高校の同窓。 高校時代の三井はどれだけ怪物だったんだ
甲子園で活躍したわけでもなし、ただでさえ野球不毛の地北海道だぞ
それがわざわざNPBの複数球団のスカウトが十勝の足寄まで足を運んでいたんだからな
三井を重複した阪神がくじを当ててもやっぱ拒否ったのかな?
阪神としては桧山を獲れたから外して正解だっただろうけど
だろうな。
浜師はプロで観たかったPだ。
北海道出身のサウスポーとしては、星野伸を遥かに凌ぐNo.1の素材だろ。
社会人球界で名監督として知られる川島勝司は、68年に近鉄から2位指名を受け、入団を拒否している。
正直、プレーヤーとしての川島がそれほどの高評価を受けるのは意外なだけに、「もしや近鉄は川島を指導者として先物買い!?」と考えてしまう。
>>390
はなから指導者として先物買いと称して
オーナー大学後輩を指名した巨人 >>390
川島は20代にして日本楽器のプレーイング・マネージャーに就任し、すぐにチームを日本一に導いた敏腕だよな。
しかし、ドラフト指名当時はまだ25歳だけに、そこまでの資質を近鉄が見抜いてたとしたら、凄過ぎるな。
まぁ、実際にその後の人生を見たら、川島の決断は正解と言わざるを得ない。 基本的に大学や社会人などで監督になれた人は拒否して正解だったってことなんだろうな。
應武や金光も下手に近鉄に行かなくて良かったかも
特に應武は近鉄に行っても梨田、有田の2枚看板に敵うはずもなかっただろう。
大学、社会人の監督に限らず、指名を蹴って甲子園で優勝、或いは準優勝監督になった、鶴岡泰、玉国光男らも本望だろう。
>>394-395
監督になれた人間で例外を挙げるとしたら、高校の時に阪急の指名を拒否した鈴木博識(前日大監督)あたりかな。
もし鈴木が阪急に行ってたら、那須野の裏金問題や長野の日ハム指名拒否などといった件は起こらずに済んでたかも。 >>397
本人的にはプロ入り拒否して大正解なんだろう。 いねーな。
私立大で珍しいところだと、東京理科大なんてのがいるな。
3球団くらいスカウトが来て指名されるところまで行ってた友人が、誘いを一切断って国立に行ったよ。
>>399
>>401
そもそも本気で国立大への進学を目指してる奴は、プロ野球なんてハナから断固拒否だろ。
78年の高校No.1打者・阿久沢がそうだった。 >>401
中央球界では無名でも各地にそういうやつは居るんだろうな
でも将来を考慮したり、やりたい事が違ったり 天王寺高校の中野耐がプロ志望届出して、結局オリーブガイナーズに行ったな。
こっちは元々国立に進学志望がプロに傾いたんだろう。
>>401
まあ本気でほしいなら指名するだろ。昔ならプロ志望届けいらないし。
で、本当に3球団が咽から手が出るほど欲しいほどの逸材なら雑誌にも載るしね。
その手の有名な選手が現在のドラフト制度なら、プロ志望届けを出してないなら記事にもなるけど。
阿久沢時代ならプロ志望届けなんてないけどさ。 どうでもいいが、この短い文章の中に「なら」が6箇所すかぁ!?w
>395
鶴岡(山本)は、親父がプロを諦めさせるために指名したということなので
入団させることはしなかったはず。
鈴木の時代は入団させる気もないのに指名してたからね、確か14位だったか。
強豪の大学、社会人に決まっているような選手はどこかが指名だけしている
というぐらい数が多かった。
指名された側が拒否ではなく、指名した球団側が勝手に交渉権放棄なんてバカな話がまかり通ってたんだから恐ろしいw
>>409
その後、山本はプロ野球(NPB近鉄・MLBマリナーズ)のスカウトになっているな。
スカウト・役員などでアマ関係者を入社させたのはTBS経営時代の横浜に多かった。 >>393
ドラフト指名された経験のある社会人野球チームの監督は数多いが、大学野球、特に東京六大学の監督はさすがに希少だ。
既出の金光、應武以外では、元慶大監督の大戸洋儀ぐらいしか知らんな。 玉国(宇部商)は西鉄指名拒否
事前の挨拶もロクな入団交渉もなかったらしい
入団していればミラクル宇部商は無かったから高校野球ファンとしては良かったかも
>412
六大学監督となるとイコールOBだからね、事前の了解なく指名はご法度だった。
印出(東芝監督)は中日が4位でどうかと当日に最後の確認をしたが断る。
今後、拒否経験者で監督の可能性があるのは石井(大洋拒否→東京ガス監督歴任、
六大学野球解説)とか・・・。
尤も、元プロ監督が増えているが他リーグだと
土屋(関学、同・元監督)とかかな。
元早大監督の佐藤清なんかは、プロ希望なら当然指名されてるクチだがな。
監督としての成績は振るわず、ちょっと微妙な感じだが…
>>394
應武って自分がドラフト拒否しただけでなく、
指導者としてもドラフト拒否した選手を受け入れたんだな。 >>417
68年サンケイ7位指名
千葉博行(県立川崎高) 糞サンケイおなじみの、「大して獲りたいなんて思ってないけど、とりあえず指名だけしてやった」パターンw
昭和44年に八重樫、西井、井原、大矢とV1戦士を指名して、やっと他球団並みにドラフト戦略が軌道に乗ったんだな。
それまでは発掘、交渉するだけのスカウトの人手がなかったのでは、と思うぐらい酷かった。
サンケイは、第1回ドラフトの1位指名・河本(広陵)でさえ、ろくに交渉もせず放棄だからな。
全く話にならん球団だったなw
松岡弘も社会人で地道に努力を続けようやくサンケイからドラフト指名。
これで高校時代のライバル平松・森安に一歩追い付いた!と喜び勇んでいたら
サンケイからはなしのつぶてのまま一方的に交渉放棄の通知が。
これにはあの温厚な松岡も怒り心頭。サンケイを見返してやる!の一念で猛練習。
補強選手で出場した翌年の都市対抗では快投を見せると
慌てたサンケイスカウトが飛んできて大会終了後に初の入団交渉って流れだったらしいな。
第1回ドラフト会議でのサンケイ
11人指名→9人放棄
入団した2人も全くモノにならずw
長野
もしハムに入っていたら、外野の控えに過ぎなかった
>>426
そうか?
新庄が抜けた直後だったから、ある程度は出場しただろ? 長野はホンダで伸びたけど大学時代には殻を破ってた感があるから
どこでもそれなりにやれたんじゃないかね?
自己意識の高い性格っぽいし
でも長野が今後成績落として入団拒否したハムかロッテにトレードということになったらマジで笑えるなw
>>429
定岡や元木みたいにトレード拒否して辞めるでしょ 長野はタレント活動に興味なさそうだし自分の能力に自信がありそうだから、
決まったら決まったで割り切りそうな気もするけどね。
>>430
定岡元木は巨人ブランドで食えるという計算+他チームでやっていく自信なし だったんだろうが
長野はタレント活動できそうな感じじゃないからなあ 長野は定岡、元木みたいに中途半端なタレントになる必要ないだろw
このままソコソコやってれば、野球界だけで十分食っていける。
定岡はシーズン15勝とか出来るピッチャーだぞ。
野球界で食っていくための実績は十分だ。
定岡をピッチングコーチに起用する、勇気ある球団はねーのかwww
一回こっきりだろ>15勝
それを入れても二桁2回だけだし
長野はなんで巨人にこだわる?出番ないだろ?
と思ってた人多いだろうな。
確かに。矢野謙次程度だろうと思ったがな。
まぁ谷の衰えや亀井の急降下とか固定起用を得る幸運もあったが。
菅野がどうなるかね
公式戦で投げないで走ってばっかでは現状維持はムリ
本人は週ベ等のインタビューでは大丈夫、何の問題もない、確実に次のドラフトまでにレベルアップする
と言い張っているけどね
右の川中レベルと読んでたはずが谷以上だったでござるの巻
セリーグで最多勝まで獲ったから、失敗とは言えんのではないか?
江川世代の選手は、高校で指名されたが入団拒否し、その後大学でレギュラーになれず、二度とプロから声が掛からなかったパターンが目立った(大洋:草場、ウイリー木原、広島:福井、福島、野村、中日:山北等)。
特に素材型の選手は大学で仕上がり切らず、使われずに終わることも多いだけに、本人にすれば「あの時プロに行ってれば…」の後悔の念もあるだろうな。
>>447
ドラフト指名はされていないが、静岡→早大の白鳥にも同じようなことが言える。 >>447
大学野球の監督は、特に短期間で結果を求められる場合が多いから、どうしてもスケールよりも小器用な使い勝手の良さを重視して起用しがちだよな。
ただ、大学で活躍の場が無かった選手が社会人野球で開花し、高校時代の輝きを取り戻すケースも珍しくない。 下位の指名でいいから、短い期間でもプロの飯を食いたい と言う選手はいないの?
オリックスの契約金0入団が、それに該当するんじゃね?
>>450
それはそれで日本中に山ほどいるさ(プロ側が欲しい人材か否かは別としてw)。
プロ側が特別に欲しがる人材が、「あそこにしか行かない」みたいな事を言うから目立つだけで。 >>446
小池が最多勝を獲ったのは近鉄時代だよ(97年)。
プリンスホテル創設期にプロ入り拒否してプリンス入社→結局、プリンス経由でプロ入り
って選手は全員人生の選択をミスしただけだと思う。
勝ち組の石毛だって2年間の回り道が無ければ
2000本安打達成出来てた可能性が高かったわけだし。
高校時代、ロッテの3位指名を蹴った袴田英利は、法大でも指名を受けたのはロッテ。
意中の球団ではなかったが、「もう観念して、ロッテに骨を埋めよう」と決意し入団。
選手、指導者として、ロッテになくてはならない存在になったな。
袴田って法大で江川とバッテリー組んでた捕手か
選手としては「ワンパターン配球でも抑えられたため頭が発達しなかった」
とか酷評されてたけど、指導者としては成功したのか
袴田は村田兆治の"恋女房"と呼ばれ、村田も引退試合では彼とのバッテリーを条件にしたんだよな。
スカウトとしても編成に貢献したし、袴田は「陰のミスター・ロッテ」と言っても言い過ぎではない存在だな。
村田の引退試合が、袴田にとっても最後だったな。
キャッチャーというポジション柄仕方ないが、怪我で選手生命を縮めたのは惜しまれる。
Jリーグ発足当初、プロ野球のドラフトで指名されたのに「僕はヴェルディに入ってカズと一緒に戦いたい」とか言って入団を拒否する人がそのうち出ないか本気で心配したな。
児玉克雅(新日鉄光)
77年の中日からの指名を蹴った後、79年の都市対抗野球大会で優勝を経験。
プロでもセットアッパーあたりで十分やれたPだが、社会人野球選手としては至高の喜びを味わえただけに、拒否は正解だろうな。
>>461
ずいぶん頭がおかしかったんだねww
そこまでカズとサッカー好きならまず野球はしないだろうし笑 73年の巨人ドラフト2位を蹴って社会人野球に進んだサウスポーの黒坂幸夫(糸魚川商工)。
湯口の二の舞を自ら回避し、命拾いで大正解w
>>106
ピークは短いっていうてもスタイル変更して40過ぎまで投げてたがな…(´・ω・`) >>474
40年?とんでもない、球団創設以来ずっとでしょw この菅野って馬鹿、自分が何言ってるか理解できてんのか?w
こんな屑は一生浪人させろ!w
>>477-478
以前、ヨソのスレで自分が書いたことを転載(↓)。
「何が何でも巨人に入団したい」
そんな思いを抱く男の取った行動が社会問題になり、
関係者が国会に呼ばれたこと。
まあ、1億円のオヤジ(菅野の祖父)だったら、この
程度のことは平気でやりそうだけどなw >>92
遅レスだけど健康面で障害があって交渉を断念したとか
当時の週ベでみた記憶がある。
菅野の場合は、可哀想だが「血」だよな。
あの常識の無さはwww
まあ、常識の欠片も無い誰かさんが、意中の球団に指名されたこと。
関係各位による”恫喝”の賜物だろうけど、何か胸糞悪い。
朝の粘着暗恥野郎、このスレにもいたのかよ。
ご苦労なこったな。
非常識を絵に描いたような伯父と甥のツーショットw
大爆笑だなwww
大谷 日ハム入団拒否→メジャーで受け入れ先無し
3年間日本のプロ野球でプレーできず
どうすんだよ
心配すんなw
菅野は野球以前に、DNAに導かれるまま、女で大失敗するからwww
しかもそれを、金で揉み消そうと画策するわけですねw
>>447
大学でレギュラーになれないようなヤツがプロに入って仕方ないだろ
契約金何億も貰えるならともかく2、3年でポイ捨てだろ
その後の人生どうするんよ
全く潰しが利かない時代だったし >>495
一瞬ベイスターズが何か弱味でも握ってるのかと思った。 >>498
大学ではレギュラー取れなくても、社会人で開花し、プロでも通用のパターンは多数ある。
大学野球は、監督との関係性に左右される面があまりに大きく、その選手の才能の尺度にはなり難いな。
部員間の上下関係の厳しさも高校時代とは雲泥の差で、嫌気が差したり、潰される有望選手も多いしな。 >>500
むしろ高校よりゆるいチームの方が大半と思うが >>501
甘っちょろい今の時代はなw
江川らの在学してた1970年代の大学野球部なんて、とんでもない世界。
江川らの世代も、先輩の余りの理不尽さに、1年生時に全員で逃亡を企てたのは有名なエピソード(金光が何とか抑えた)w 入団の時揉めた江川も元木も騒がれたほどの活躍はしなかった
単に苦行を強いるだけで、育つタイプの苦しさでないのがミソだな
>>505
高校野球なんて所詮は子供のレベルw
大学野球部の下級生はまさに朝から晩まで生き地獄ww 菅野はこれから何十億も借金しても読売がケツ拭いてもらえるんだろうな
原が辞めて、肩でも壊したひにゃ、いきなりポイかもよw
原はラッキーだったよね、希望の巨人ストレートで。
同じ巨人愛でも浪人して苦労して入った人と比べたら恵まれすぎ。
広島あたりだったら面白かったんだがなw
まぁどうせ、「ボクちゃん巨人じゃなきゃ嫌だぁ〜!」で浪人だったんだろうけどさwww
もしも、巨人の監督が1億円男じゃなかったなら、
ここまで巨人にこだわっていただろうか。
勿論、今年ドラフトで指名された某選手のことだけどw
>>515
本人の意思なんて関係ねーよw
奴は原貢の操る糸で踊らされてるだけの人形だろw こっから先は、ダダこねたってどうにもなんねーぞw
ゴネ得野郎www
野茂は高卒時、近鉄を断って社会人へ(新日鉄)
新日鉄時代、ドラフトがかかると言われ、12球団どこでも行く、と。
→近鉄がクジを当てる。近鉄入団。
昭和末期、近鉄の選手が凄い活躍して、TVで
『球団にお願いしたいことなにかない?』と問われ
『寮の風呂のカランからお湯出るようにして欲しい…』
という爆笑のやりとりw
野茂と近鉄の確執
野茂側
代理人使って交渉したい
車停めておいたら、近鉄の偉いさんの車停めるからどけ、がウザイ(そのスペースは野茂用である)
トルネードいじらない、って契約違反だろ監督!
無駄に走り込みやらせるな!無茶な練習させるな!開幕に間に合えばいいだろ!
近鉄側
野茂用の駐車スペースだが、親会社の偉いさんが今日は来てるのでどけ!
代理人は認めん
優勝すんなよ…給料上げるの辛いんじゃ。優勝争いして負けたら儲かって年棒上げずにすむのダブル儲けだぞ!
移籍は許さん
トルネード?知るか!監督に言え!嫌なら引退しろ!
野茂側
移籍無理、引退…まてよ、海外なら近鉄ノータッチで移籍できるんじゃ…野村さんお願い!
団野村『あいよ!』ドジャースとマイナー契約。
近鉄最後の年棒…1億4800万円、ドジャース初年度の年棒…980万円
MLBで活躍できなかったら悲惨だったな。球団と監督に恵まれてれば、
『日本人がメジャーで活躍』がもっともっと遅くなったと思う。
木田は広島を拒否してハムで2年の活躍だった
期間が短いんだから早くプロに入っていればよかったのに
>>529
小池かw?
野茂も小池もプロ断ってアマにいって後にプロ。8球団指名記録というのも共通。近鉄入団もw >>514
希望は巨人、ヤクルト、大洋、日本ハム、西武の5球団だが
広島でもまあいいと言っていた。 巨人が指名しなかったのに巨人に行きたいという
元木と清原にがっかりした。
広島は原のハズレ1位が川口だったんだよなw
他の球団にマークされるのを怖れて3年間も社会人で投げさせなかったくせに
1位で指名する約束したんちゃうんかい
>>536
原1位、次位川口はハナっからの作戦。
仮に原が獲れてれば、必然的に川口は2位指名。
川口を他が指名してくる危険性はゼロだったw >>540
ドラフト当日のスポニチには
川口は堂々の1位候補として名が上がっていた
この3年前の左腕三羽烏の最後の1人だからなぁ 左腕三羽烏では一番地味で下に見られてた川口が出世頭とはな。
まぁ高校時代は親がプロ入りに断固反対だっただけに、ちょっと回り道しちゃったな。
田辺(盈進)広島1位
松本(東洋大姫路)阪急1位
川口(鳥取城北)ロッテ5位
だったかな?
他2名は使い物にならなかったレベル
川口は6位な。
三人とも高校時代はコントロールがアバウトな荒れ球で共通していたが、田辺と松本は結局最後まで最低限のコントロールが身に付かなかった。
この3人の同期では、南海に指名された本格派右腕・梅津(九州産高)の拒否が、何といっても残念。
角度のあるストレートは素晴らしかった。
糸井の不可解なトレードを見ると
入団拒否した長野や菅野が正しく見えるね。
まるでかつて松原を巨人に放出した大洋のようだ…
>>117
内縁の妻の連れ子に嫌がらせされながらも我慢して結婚も7か月で急逝って持ってないよな 江川、元木、小池・・・失敗かな
長野だけが成功か?
菅野はまだ判断できない
>>551
ポテンシャルからは200勝出来たかもしれんからな >>554
うちの親父は昭和40年代、パの球団から指名された。挨拶状が届いたがその後音沙汰なし。こちらから問い合わせたが「方針変更」を理由に交渉すらしてもらえなかった。 昨年限りでHondaを退部した諏訪部貴大は開田博勝(現在は三菱重工長崎監督)以来の“入団拒否→結局プロ入りせず”というパターンになったんだね。
80年代まではこういう選手が結構いたけど、さすがに最近はレアケースなんだな。
>>557
6位指名という低評価と右肘に不安がある諏訪部に拒否された中日だが、翌年のドラフトでは一年後輩の武藤をお詫びとして3位指名。 元木大失敗
18〜19歳の成長期をハワイでの草野球、豪遊でフイに
やくみつるの漫画で元木が航空機でハワイから日本に帰って来て航空機から出
てきた時に「アロハー」と言ったネタに当時は笑えた
アーセナルが負けるのが最高の楽しみの奴らはどうしたかな?w
4位フィニッシュされて悔しいのう悔しいのうw
ははは馬鹿どもがwざまあみやがれってんだw
なんだか腹いてーなと原因を考えたら笑い過ぎたのなw
高校時代ロッテに指名された石毛 川口は正解か
入団してたら川崎劇場の暗黒ロッテで優勝も経験できなかったな
菅野もいよいよ、安物のメッキが剥がれてきたなwww
相手打線が慣れてきたら、相当しんどそうだな、智之ちゃんwww
そんな今日のスポーツ紙
サンスポ 指原
ニッカン 指原
スポニチ 指原
報知 菅野
>>568
スポーツ呆痴は仕方ない。
だって、それだけがメシのタネだからw 中村裕二(住友金属・巨人が小林秀一に拒否された時のドラフト3位)
指名された年からわずか6年後の1979年に胃がんで早世。(享年30)
元々プロには行けない事情があり、しかも当時の伊藤スカウト部長もそれを球団に伝えたのにも関わらず強行指名したことが、結果的にこの人の人生を暗転させてしまった…
一本筋が入っていたのは杉浦
まさにミスターアマチュア
>>568
デイリーは?
中スポや西スポ、道新スポも多分野球だと思う。 >>570
2位指名の糸魚川商工・黒坂幸夫も含め、上位指名選手から総肘鉄の、巨人にとっては屈辱のドラフトw
ちなみにこの73年春、かつての巨人ドラフト1位・湯口が現役中に変死していた。 >>574
デイリーは阪神(広島版だけカープ)が1面。 >>575
ついでに湯口が1位だった1970年のドラフトで巨人に5位指名された森下敏秀(箕島→近大)は入団拒否して大正解w >>575
そんな年にドラフトで巨人に指名されて入団した選手も、
ある意味”命知らず”t(ry >>575
黒坂は選手としては大成しなかったけど、現在は鳥取ヤクルト販売の社長になってるからやはり拒否は正解だったね。 小池はロッテを断って正解だったかもな。
もし入ってたら、金ヤンに酷使されて1年目は大活躍するも、その後ジリ貧の
木田パターンだったかも。
>>584
木田の一年目>>>小池のキャリアハイな件について >>584
当時のロッテは小宮山、荘、園川、前田、伊良部などがいたから酷使というところまではいかなかったんじゃね?
まぁでも、おそらく年間でだと10勝てば12〜13負けるということになってた可能性が高そうけど。 大体は裏金等の事でしょ、周りも含めての
個人的に、この球団は・・・。ってある人の方が少ない
広島の福井優也(高校時代に巨人の指名を拒否)もなんか微妙な感じがしてきたな…
陽川は今の時点で既に成功じゃないかな。
巨人育成と阪神3位では契約金が一桁違う。
巨人の指名蹴って阪神行くのって陽川が初めて?
逆はいたみたいだけど。
>>594
池島和彦。1968年の巨人8位を蹴って、翌年阪神に7位で指名されて入団。 陽川はもし育成で巨人へ行ってたら今頃はもう消えてたかもね。
元近鉄の金村氏の野球漫談聞いてたら、投手の近鉄に指名されたら、そりゃ拒否したくなるのもわかるね。金光さん拒否以外は、渋々とか阿波野さんみたいに泣く泣く入団してた印象が強い
>>565
そうかな?
2人が原動力になってロッテをVに導いていた可能性だってあるよ。
西武だって石毛がいなけりゃ、史実よりも落ちるわけだし。
特にS59年辺りが一番可能性あったと思う。 明訓の石毛って、その石毛がモデルだよね?
単行本の初版から考えると、プロ入り前から漫画に出てたけど、石毛って何者だったんだ?
>>598
まあ、人間性最悪の菅野のことについて、今更語ることもなかろうw そろそろさ
まともに日本の特徴活かせるサッカー考えないか?
日本が世界で戦えるもの
一つはチームとしてのまとまり
二つ目は役割を全うしようとすること
三つ目は自分を犠牲にしても行えるハードワーク
まぁストロングポイントでもあり、ウィークポイントでもあるわけだけど
チームとしてしか戦えないことはマイナス
役割はやるが役割以上はやらない、または発想が浮かばないから出来ない
毎試合ハードワークを伴うので、同じパフォーマンスを維持しにくいスタミナ不足が発生する
要は、いかにウィークポイントにせず、それらをストロングポイントととして戦えるかが鍵でしょ?
主力だから外さない外せないの話より、主力だけどウィークポイントとして出る部分があるなら、
例えばハードワークが維持しにくいスタミナの課題あるならアイツは後半から使おうとかの議論に何故ならないのか不思議w
>>598
その菅野入団拒否事件の黒幕があの世へ逝ったw 三輪田勝利も現役時は入団拒否組だよな
大した成績も残してないけど
現役引退後、文字通り命取りになるわけだが、入団拒否で
>>610
先般、その人の命を奪った(も同然の)新垣が「阪神へトレードか?」とかいう記事が出てたけど、
もし本当に通告されたら、新垣はどうしたんだろうねw 新垣の場合オリ→ダイエー(ソフバン)になるけど
入団拒否→他球団入団→入団拒否球団に移籍なら
新井宏昌(近鉄拒否→南海入団→近鉄移籍)
門田博満(阪急拒否→南海入団→オリ移籍)
がいる
>>612
あと、長崎啓二(阪神拒否→大洋入団→阪神移籍)も。 >>612-613
新井の場合は近鉄が交渉しなかったらしいな。
長崎の場合は、本人は入団する気だったけど、
進学希望の家族が反対して拒否せざるを得なかったとか。 新井も長崎も強かった時代の法政で揉まれたことが結果的にプラスになったような気がする。
高卒即プロ入りだと巧打者でも線が細いタイプのままで終わっていたかも。
長崎の方は家庭の事情ということでいいとしても
新井が指名されたのに入団交渉をしなかったってどういうこと?
>>616
前レスで既出だけど、昭和40年代は、球団側が指名だけして
その後は全く本人や関係者と接触しない等
一方的に交渉権を放棄する事がよくあった。 スカウトが来ないから、すぐに別の球団にドラフト外で入団とか、ドラフト初期は結構アバウトだった。
>>617
松岡弘が言ってたなそれ
サンケイから指名されて喜んでいたら「入団交渉はいたしません」という手紙が一通来てガッカリ
で見返してやろうと翌年の都市対抗でいい成績残したら慌ててスカウトが飛んできたと >>617
それうちの親父がそうだった。
ドラフト指名の自慢話は未だによく言う。
それに公務員に内定していたから、入団する気も無かったって。 >>591
小池は巨人、ヤクルト、西武の中で、とコメントしていた。
いろいろ調べたら、この3球団が良かったんだってさ。
阪神とロッテは嫌っていた。当時弱かったのもあるが。 >>623
金田正一に対しては、亜細亜大学側も嫌悪感を持っていたからな。
川崎球場は劣悪な設備だったし。
翌年入団した吉田篤史も、もし川崎時代なら拒否していたかもと週ベで言ってた。
さすがに2度目の時はわがままを言える立場じゃないのを自覚していたか、
ロッテや阪神が指名しても拒否しない意向だったが。 カネやんが小池に断られた一覧
二人での食事→本人を前に嫌です発言
ロッテ株をやるからこい→そんな紙切れ僕はいりません発言
ロッテが嫌なのか?ワシが嫌なのか?どっちなんだ!→ロッテもアナタも嫌です発言
小池もロッテ蹴って近鉄じゃ、あんまり意味ないな。
川崎と藤井寺じゃ、そんなに変わらんだろう。
怪我で評価を下げていたうえに、バルセロナ日本代表組が解禁、松井・安達・菊地原といった高校生にも好素材がそろってドラ1は難しかった。
じゃあ何で近鉄かって言うと、近鉄は最後まで日本生命(近鉄の筆頭株主)の杉浦にこだわったために出遅れてしまい、主な選手の入団確約が取れなかった。
そこで、ドラフト1位ってプライドが欲しい小池と、低確率ながらもし怪我が治れば松井・伊藤クラス・現状でもドラフト上位クラスの素材
が取れる近鉄との思惑が一致した形で、単独1位指名。
しかしまあ、小池も性悪な男だったな。
それが祟ったのか(?)現役の最後は、球団創設1年目の楽天で戦力外通告w
俺、ドラフト当時は嫌悪してたけど
近鉄が亡くなる頃には小池応援してたなぁw
まぁ擁護はできん部分は多いので、悪く言われても反論せんけど
今回の中日育成1位・佐藤の交渉権放棄ってドラフト初期以来かなり久しぶりじゃないか
小池の件に関しては、
本人だけでなく当時の矢野総監督もロッテを嫌がってたからな。
ロッテに関しては、千葉移転後昭夫がオーナー代行になって金田色が薄れてから、
あまり嫌われなくなった気がするが。
育成とかただのドラフト外なのに、1位とか2位とか言えば聞こえだけは良いよな。
石毛や長冨に小宮山並みの予知能力があれば入団してたな。
>>635
それ以上に、小池と矢野が国民から嫌われることになるw それでも、目論見どおりバルセロナ日本代表に選ばれて、大学時代並みの活躍していたら、
伊藤、松井と並んで目玉になっていただろう。
抽選回避したい巨人が逆指名させていたと思う。
さすがの長嶋カンピューターも左の即戦力(無抽選)と超高校級素材(数球団競合)なら、左の即戦力(無抽選)を選んだと思うし。
あのドラフトで人生全ての歯車が狂ったんだろうね。
90年の日本シリーズで巨人が負けていなければヤクルトが小池の交渉権を得ていたかも。
神宮のスターと川崎のスターでは響きが全く異なるし。
唯一の巨人ドラ1拒否の小林は
「巨人1位指名」のおかげで部員が言うことを聞いてくれると語ってたな
確か小林は不作のドラフトで小林はプロに行く気がなく
巨人もてきとーに指名した結果蹴られたんだっけ
>>640
小池はとりあえず在京セなら間違いなく入団してただろうね…
でも下降線の時期になぜか巨人にFAしそう… >644
将来はアマチュア指導者になりたかったそうで、当時も熊谷組に内定していた。
巨人は川上監督と同郷だし、入団するだろうと気安く考えた。
交渉で、キミは野球で会社へ入るだけだしとか言ってさらに気を悪くさせた。
愛知学院の監督時に教え子の益田という投手を巨人に入団させてる。
小林は後年、今みたいにプロ経験者のアマ復帰が認められたら
入っていたかもとも言っていたな。
>>646
黄金時代真っ只中の西武は問題ないと思う。
近鉄も大石・阿波野がいるから間違わなければ入団していた。
星野中日、近藤ハムも新しいことをやっているイメージもあり文句ありながらも入団した。
広島はまだまだ黄金80年代を引きずっていて貧乏ながらセの名門チームのイメージ。
阪神も暗黒真っ只中とはいえ巨人・阪神のブランド力があったので入団したと思う。
唯一ロッテだけだったんじゃないかな、入団しなかったの。 >>648
鶴岡監督が息子のプロ入りを意地でも認めなかったのも
似たような理由だったんだろうな 小池はなんて言われようがロッテに行くべきだった。
後に移籍するにしても120勝はできた
小池がロッテを拒否した理由があの尊敬する村田の年俸がたったの6000万だったから
>649
西武は複数の希望球団の1つとして本人が公言していたね。
「希望の球団はあそこですよね?」と問いかける実況アナに笑みを浮かべる小池と、爆笑が起きる大教室。
1分後にその大教室が怒号と罵声にまみれた修羅場と化すのであった。
>>654
それと画面上の金田監督のガッツポーズが対比的すぎて。 >>654
えーーーーーーーーーーーー!
って凄い罵声だったよな。
今では考えられないが、ひどい嫌われようだったのもしかたがなかった。
オンボロ川崎オリオンズ >>654
阿波野に続いて小池の時も会見場の「えーーーーー!」だったから
亜細亜大学の伝統芸かと思ってた 仮に阪神に指名されて入団拒否したら、命の保障あるの?
第2の荒川事件以上の惨劇が起きてもおかしくない。
阪神ファンは皆紳士だから襲撃なんかしない。
せいぜい甲子園で360°帰れコール食らう程度だから大した事無い。
>>659
そもそも荒川事件は迷宮入りだから、大洋ファンがやったという証拠は何もない。疑いが強いというだけ。 >>663
ルーキーイヤーが2013年だから、ハンカチも使い物になってないし
重宝されてエース格にはなったかもしれないけど、その年のハムは
最下位になるレベルなので成績的には「まあまあ」って程度しか
挙げられなかったかも ルーキーイヤーは2012年だろ、
ハンカチかTDNの代わりにローテーション入りしていただろう。
そうなると木佐貫がいらないだろうから、糸井の交換相手どうなっただろうね。
大引+岸田辺りになってたんじゃね
>>647
金田が小林に会って理由を聞きたいといってたけど
あんた関係ないでしょ 今年あたり、大々的に出てきそうな気がする。
特に、(自称)球界の盟主と歌っているチームでw
>>670
最近でも(自称)球界の盟主は
福井(済美→早大→広島)
陽川(金光大阪→東農大→阪神)
といった感じで輩出してるからなw たびたび挙がってる開田博勝は翌年日本選手権優勝、のち監督だから蹴って正解した例だな
俊足強肩好打だったが…守備がいまいちだった。特にライナーに弱かった印象がある
>>672
そして今年も、育成ドラフトで指名の選手に振られてしまうw 木田(ハム)は現役が短かったので広島に入団していたほうが
少しは稼げたのに。
NPO誇大広告ハローワーク指導員じゃちょうバイトレベル
ハドソン川汚染水道水
NOPハローワーク爆買い指導員(40代千本ノックの刑)
練馬区公私混同騒動
NOPハローワーク爆買い指導員(冷暖房完備低所得者レビューアマゾンカスタマーさんコメント問題)
警察無視騒音問題(クラブビジネス使用クラス記者)
>>659-660
そういえば今年秀岳館を率いて甲子園に出た鍛治舎巧は、
実は阪神入団を拒否したことがあったんだよな
(松下電器時代の1975年に2位指名を拒否) >>689
パナソニックでは役員になったのだし(超巨大企業の役員>>>>>阪神のブルペン捕手?) 超巨大企業どころか中小企業でも役員になれれば、阪神ブル捕手より良いよ。
早稲田出身だから選手として大成しなくてもスカウトなりコーチなりで
球団に残ってるはず
江川みたいな選手がロッテ以外プロ拒否を公言し、巨人に指名され渡米、空白の1日にロッテど電撃契約したら叩かれるのだろうか?
67年西鉄11位指名の山田久志は
富士鉄(新日鐵)釜石という大企業に入れたのに
在籍1年でプロ入りする事に周囲の反対もあって拒否。
「来年はウチがもっと上位で指名できるよう頑張れ」
とスカウトに言われたぐらいだから「指名してほったらかし」ではなかったし。
投手陣が大御所揃いの阪急だから天狗にならなかったとも言えるが、
西鉄なら1年目からそこそこ使われて歴史を変えたような気もする。
福岡時代は東尾とともに先発の柱として活躍も
西武への身売りと同時にトレード、という感じになっていたのかな?
(田淵との交換要員で真弓らと一緒に阪神へ、とか)
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山倉は「南海で受けみたい投手はいない」と暴言を吐いて野村克也が激怒したらしいな。
内海は谷との抱き合わせか木佐貫の相手で巨人移籍だろうな。
>>706
後身球団のコーチにはなったけど1年で辞めたな。 ダイエー元木かなあ
当時の監督田淵が
「なーに、僕だって巨人志望だったけど結局阪神に入ったんですから
大丈夫ですよ〜」
大丈夫じゃなかった
山倉のホークスコーチは王代表のツテだろうね。
田淵は阪神だったけど、当時のダイエーでは・・・。
王・根本体制なら入っていたかもしれないが、果たして獲得に動いていたか?だな。
王・根本体制なら、佐々岡の逆指名を広島から強奪していたと思う。
近鉄と広島が逆指名争いしていて、最終的にセの広島になったが(結果論だが近鉄は野茂取れたしね)
根本ダイエーが参戦していたら、裏金の桁が上がって近鉄も広島もついていけなくなったんじゃね。
江川がクラウンに素直に入っていたらって考えたが
多分そのあとすぐ西武になったから東尾並の通算成績は残したかもなあ
今のポジションは築けないけど
>>713
江川の交渉権を持ってた頃のクラウンは坂井代表・根本監督という形だったけど、
当時の根本監督はまだ西武になってからのような寝業を使える立場じゃなかったからね。
もし使える立場だったらまさかの電撃入団の可能性もあったかもしれないよ。 >>715
そしたら今頃西武の監督やってたかもしれんね ないない
江川の周辺は政治家が固めていたのに
寝業師といっても所詮野球人の根本に出来たことなんて何もないよ
松井秀喜の入札球団は巨神中ダの4球団だったけど、
実は他に指名しようとした球団がいくつかあったが松井側に拒否されて、
この4球団になったらしいね。
松井ってヤンキースじゃないと絶対嫌!と言っていたけど、何がそこまでヤンキースにこだわるのかと不自然に思った。
松井ってヤンキースじゃないと絶対嫌!と言っていたけど、何がそこまでヤンキースにこだわるのかと不自然に思った。
>>721
その当時の阪神が拒否されないんだから松井の猛虎愛はガチだったんだなw 確か松井側がその4球団指名したんだっけ。
ちなみに松井の時のドラフトの時の阪神は亀山新庄で一瞬だけ強かった頃。
プロ向きの性格じゃないと西武の指名を最後まで突っぱねた藤高は性格的にもプロ向きだろ
職場の同僚に、ロッテにドラフト外で指名されたけど野球部の監督が勝手に断ったんだとか。「○○?ああ、あいつはダメダメ。性格がプロ向きじゃないから」と、本人なんかそっちのけだったらしい。
ダメでもいいからプロに行きたかったって本人は今でもボヤいてて、その一件で監督とは疎遠になったとか。
まあたしかにプロには向いてなさそうな本当に優し過ぎるくらい優しい人だからその監督が正しいのかなとは思うけどw
ダイエーを拒否元木 1位元木2位大森だったが大森が下より嫌とゴネる
元木浪人して翌年指名
小池は巨人かヤクルト?志望だったがロッテ拒否
1位元木2位大森だったら大森は他球団に指名されてかは不明で巨人坂本が指名されてかは微妙
大森がスカウトになれたのは、入団時に引退後も面倒を見るとかそういう約束をしていたんじゃないかと邪推。
2位指名でも同じだっただろう。
近鉄拒否 福留
みんなからセリーグ向きって言われた
松坂のクジを日ハムが引いていたら、どうなってたのか
何年か前にロッテ以外行きません❗と公言して横浜の指名拒否したのがいなかった?
大森は指名されたら2位でも3位でも巨人入りしたろ。
正力−藤田−上田と慶大閥が形成されていたんだから。
>>736
実際に指名した3球団では環境は一番よかったと思う
西武みたいにオーナーにどっぷり甘やかされることもなければ
ベイスみたいに特段練習量が少ないわけでもないから >>33
その時の監督が中西。まあ最初っから相性悪かったんだね(笑) 最近のドラ1は希望球団ぜんぜん言わないので、おもろうないわw
「○○以外に指名されても入団しません」と宣言するも、
その○○に裏切られて指名されず、
結局どこからも指名されなかった選手www
上位指名選手なら契約段階で大金が絡むし、強豪野球部ならその後の学校と球団の繋りも無視できないし、色んな大人の思惑が飛び交って煩わしいだろうな
入団許否なんてしたら世間から絶対叩かれるし
ここじゃなきゃ嫌だで丸く収まりそうなのって菅野くらいじゃないの
そんなに希望球団以外は入団したくないなら、ドラフト当日に入社承諾書(希望
球団以外の場合の受け皿)を目の前に用意して、意中外に指名された瞬間に印を
押してしまう宣言すれば良い、とか思ってたけど、実際にそんなことしたら熱烈な
ファンに半殺しにされそうw
メジャーに目が行くようになって、ドラフトで、
どうしても○○じゃなきゃ嫌、というのが少なくなったのか
その代わり「メジャーじゃなきゃ嫌だ」って今後は増えそう。
>>744
プロ志望届に志望球団を書き込めるようにして、複数ある場合は
自分でクジ引かせればいいんだよな。究極の自己責任で。
スカウトや監督の誰それがクジ運悪いとかそういうのもういいから。 石井一久まで移転元年のロッテ1位指名を断ってたらしい(本人談)
湯治のロッテ
>>747
選手に引かせれば
「もうウチが引いた時には当たりクジが残ってなかった」
ってのもなくなるのにな。 「逆指名」なんていうマスコミ造語がNPB公式用語になってた時代があったんだよなー
まだ「自由わく」
同期で仲が良かった斎藤明夫、佐藤義則、森繁和は、
お互いにロッテの一位指名だけは嫌だから断ろうと話し合っていた。
実際に森はロッテ入団を拒否。
斉藤明夫は突如来た同窓会の通知にも欠席と書き込んで送り返しているというエピソードがWikiにあるくらいだからな
小林秀一は2018年現在唯一巨人ドラフト1位を拒否したけどアマの指導者を目指してたの?
もし今だったら入団してた的な事を言ってた?
この年の上位まで拒否されて3人だけ入団
山本昌樹も2回指名されて拒否
>>755
そう。アマチュア指導者を目指していた。
今アマがプロ経験者に門戸を開いてる今なら巨人に入団したかもしれませんね、と語っている。 >>756
日テレの番組で語っていたね。
実際、日石捕手→近鉄捕手→近鉄チームスタッフ→湘南コーチ→日石ENEOS監督→慶大監督との経歴の大久保秀昭も居るし。
元々アマ野球の指導者として期待されていて、近鉄からドラフト指名があった際は既に27歳と、年齢面からもプロ入り断念するの
では?という観方もあったが、大久保本人が「通用するしないも含め、一度プロも経験してみたい」との意向で近鉄入り。
その経験はENEOSでも技術指導や田沢のメジャー入り、慶大でも技術指導に加え、岩見の一本立ち→楽天入団等と広く活か
されている模様。
つうかその日テレの番組で、あの湯口事件にまで言及したのには2ch実況でも騒ぎになっていたw >>747
くじ引きで会場に待機したのに指名なしだとキツいな 小林については、事前の挨拶なしで巨人だから入団するだろうという様子だったのも
気に障ったみたいだが。(当時の監督は同郷の川上)
大学の監督になってから、教え子の益田を巨人に送り出した。
ていうかあの年のドラフトは湯口事件の直後だから拒否する奴が続出しただけ
小林は選手を経験することなく
「元巨人ドラ1」の威光で指導できた勝ち組
すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
7S6VY
…などと、善良な市民を騙そうと暗躍している
腐れ業者には、くれぐれもご注意ください。
高校時代の石毛宏典 川口一久にロッテが拒否られている
観る目はあったんだろうか ついでに巨人西山一宇も
西山なんて高知高校で有藤監督の後輩なのにそれでも拒否された
昭和末期のロッテがいかに嫌がられてたか。。。
極め付けが小池秀郎だったね
あれでヤツの性悪振りが垣間見えたけどw
最近でも長野に拒否られたし大嶺祐太にも拒否られるところだった
大嶺がんばってほしいけどね・・・
かと思うえば木村優太みたいにロッテ以外拒否宣言して、本当に横浜を蹴ったやつもいるのが驚き
まあこいつは実力もいまいちで人間としてはアレだったが
小池はロッテ以外だったら案外すんなりと入団してたんじゃないかと思えるけどな
小池は巨人、ヤクルト、西武が希望球団
阪神、ダイエー、ロッテが絶対拒否球団
それ以外はいちおう話は聞くというスタンスだった。
希望球団じゃない球団に入団して、かつやくできずにひっそり解雇も何か切ないよな。
有力大のエースだと、OB会から「高校生の外れ一位や下の順位だと野球部の名折れになる」とか圧力がかかるらしい。
本人には意中外の球団でも一位確約を約束されると、周囲が「乗っかれ」と言い出し、大人の事情で「囲い込み」が成立する。
>>777
記憶にあるのは前田浩継
2年目(檻)の選手名鑑で持病の皮膚炎が悪化うんぬん書かれてたが、ストレスだろー
ヤクルトでは細々ながら登板機会あってよかったなと
逆に平岡正樹は巨人以外拒否ってその通りに入ったのに早々戦力外になってたな >>753
森繁は本当にロッテ指名が嫌だったんだろうな、直後の記者会見であくびしてた。
「事前に話とかもないし、まさかロッテとは思ってなかったです」と言っていた。 清水(葛飾区青戸6)の告発
清水の父母「息子と娘にいつでもサリンをかけに来やがれっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 >780
大学の先輩である野村収がロッテ在籍時の経験から、環境や待遇面から辞めたほうがいい
と助言したらしい。あと、カネやんに潰されるからとも。
小池は2000年ごろにドラフト当時のことを聞かれて「いやぁ子供だった」と苦笑いしてたな
>>782
野村はちょうど東京球場閉鎖とジプシー化による待遇悪化を経験していたんだな。 >>782
そんな助言されていたら、そりゃ拒否するわな。
>>750
森繁和が心の底から嫌そうな顔していたが、
佐藤義則は、阪急指名の瞬間苦笑いだった。
斎藤明雄は、大洋指名に嬉しそうだった。
しかし、みんな大学生とは思えないほど強面のオッサン顔だw そして1979年に入団したライオンズで1年目ボロボロだった森繁和。
>>787
森繁の一年目は、バックに足引っ張られまくったから。出る試合ではクソエラーばかりされ、好投しても打線の援護がない。
勝ち数は倍、負け数は半分で収まってもおかしくないくらい、投手としての力があった。
実際、翌年以降は成績向上したしな。 ライオンズの埼玉移転後1年目は本当に酷かった。
田淵と古沢を獲得するために真弓と若菜を放出なんて馬鹿すぎでしょ。
田淵は案の定移籍1年目はボロボロだったし、元々チームの手本になれるような選手でもない。
この年に松沼兄弟や森が入ってきたわけだが、あの体たらくのチームで
よく我慢していたと思うよ。
チームがボロボロでも野手なら自分のスタッツがそこそこなら納得できるが、
投手は負け数が込んでみっともない数字になりがちだし。
それで「こいつは使えない」とか世間でみなされたらそこでおしまいだよ。
田淵獲得の一番の理由はネームバリューで成績云々は二の次
「全国区に打って出るには全国区の選手が必要」と堤義明が発言した上でのトレードだった
野村克也の獲得も同様の理由だった
>>790-791
トレードはイメージ作戦で、
チーム強化は新人発掘というのは当初からの方針だったらしい。 既にプリンスホテルで石毛や中尾を確保していたから、ゆくゆくは彼らで行こうとの方針だったのかも。
それではあまりにも露骨過ぎるからか、中尾は中日に行ったけど。
その中尾は晩年になってから西武に在籍したけど、
プロのスタートが西武だったら、一体どうなっただろう…
中尾はシーズン100試合以上出たのが81,82年だけというスぺ体質だったから、
中日に入った1年目に西武が地元の定時制に通わせて囲っていた伊東が出てきた時点で、
おそらくレギュラーの座を失ってた可能性が高かっただろうね。
スタートが西武じゃなかったことが、中尾にとっては
かえってプラスに働いたのか
中尾は徹底した内角攻めとホーム上での激しいブロックが一番の売り物となっていた捕手(無論、プロでも発揮した強肩強打振りも魅力となっていた)
だが、その代償として相手投手からの死球やホーム上でのクロスプレイでの負傷に依る故障離脱が絶えず、巨人の牧野コーチは復帰した際、山倉
捕手に「中尾の様な真似などしなくて良いから、全試合出場出来る様に準備しておけ。」と指導したと言われる。
山倉はその忠告を「忠実に」守って、巨人の正捕手を守り続けたが、その安全第一なプレイスタイルを内心物足りなく思っていたであろう藤田監督が
再度監督就任した際に(後省略)
一方、激しいプレイスタイルこそ監督好みだったが、故障の多さに対する体のケアが充分でないと判断した(と思われる)星野監督は、自身が連れてきた
投手コーチと中尾が衝突して「あの人が投手コーチで居る限り二度と捕手なんてやらない!」とまで中尾が激怒した(中尾自身がつい最近語った逸話)事
もあり、中尾以上の強肩に加え、「殴っても蹴っても壊れない」体の頑丈さを兼ね備えた中村に目を付け、ノミの脳味噌レベルだった頭脳面も合わせて、
早急に中尾以上の捕手にすべく・・・・・後は皆さん周知の通り((((;゚Д゚))))
新球団なので全国区の選手がほしかったという理由で
根本が西武の時は田淵 ダイエーの時は秋山を獲った
田渕、野村が客寄せなのは、誰が見ても明らかだった。その一方で有望な新人をどんどん取って育成にも成功した。
>>798
中尾が衝突したコーチって、RCCで解説者をやってた池田英俊か。 >>801
星野とは明治の先輩というだけで何の接点も無かった。
当時から謎の人事だったな >>801-802
余談だが、池田が1987年に星野中日のコーチになったために
RCCは解説者が大下剛史軍曹と長谷川良平の2人だけになってカツカツになってしまって、
ラジオの二重制作にテレビ中継が重なると裏送り分にビジターの解説者も呼ばなければならなくなり、
シーズン途中から広島で飲食店を経営していた高橋里志に加わってもらう羽目になった。 どうやら今のままで行けば阪神の陽川は巨人を拒否して大正解ということになるかもしれないな。
拒否する選手は何が何でもプロでとは思ってないだろうな
だから意中の球団以外は全て拒否
とはいえ、巨人は二軍に犯罪者養成所というイメージがついてきちゃってるから、
陽川のように拒否されるケースがまた出てくる可能性もありそうだな。
合理的に考えると、高卒で育成指名なら拒否するわ。
大学や社会人で芽が出なければどうせプロ行っても芽は出ないし。
高卒の育成指名拒否といえば、4年前に中日の指名を拒否して現在もHonda鈴鹿にいる佐藤雄偉知もそうだったけど、
佐藤ももし入団してたら今頃既にポイ捨てされてた可能性もあっただろうから、たとえ今後プロ入りできなかったとしても拒否は正解だったね。
>>802
星野は池田の投球フォームに真似してたぐらい影響を受けていて
監督就任の際自ら投手コーチの要請した 佐藤は東海大相模だからダメでもスタッフで残れたかもね。
まあそこまで配慮されるなら育成指名は逃れなかったのか…とも思うが。
昔は社会人の方が生涯収入考えるとよいとか選択肢があったが
今はプロでダメでも若ければ社会人に拾われる可能性もあるからなあ。
囲い込みで入団させてもプロテクトでは囲われなかった内海と長野
>>5
長野は出されてしまったことで待った時間込みで微妙になったな
内海はまだ高校から2年だからそれほどでもないが >>5で「正解」と言われた選手4人のうち3人が、このオフ
所属チームが変更になったな 去年巨人を戦力外になった篠原を拾わなかったハムは正解?
神部年男はなぜ巨人を拒否した??
翌年、近鉄へ・・
この時代だと突然指名も多くて会社が許してくれなかったとか、かなり実績あったみたいだし。
あとは、巨人では出番がないと考えたか。
球団側も1位以外は来てくれたらラッキーぐらいで、感触悪いと追わなかったり。
中日入りした曽田なんかも社会人で一度巨人を拒否してる。
巨人だとローテ昇格のチャンスが無いと思ったのと、所属先企業の監督の反対にあったからというのが、当時の社会人選手の入団拒否の常套理由ですわ。
翌年、都市対抗野球の優勝に貢献し(MVPにあたる橋戸賞を受賞)、晴れて監督からの許しを経てプロ入りへって経緯かと。
又、当時の社会人選手だと、近鉄の方が巨大企業だから将来も安心という考え方が普通だったようで、大の阪神ファンで近鉄からの指名を不満に思っていた
鈴木啓示も周りからは「会社大きいからエエやないか!阪神なんて比較にならんよ!」と励まされたらしい。
後の加藤初のケースが分かりやすいけど、
本人はプロ入りを熱望も、会社側が「安田(猛)と同時に投手は出せない。」とプロ側に表明し、安田のみドラフト指名で加藤は指名されず
↓
プロに行きたかった加藤はドラフトの数日後、会社に辞表を提出するも不受理となり、喧嘩別れの様な形で退社。
↓
直ちに西鉄や巨人から誘いが来たが、西鉄の方が高評価で動きも早かった事と、弱小の方が登板機会が多いと観て西鉄を選択。
と当時の社会人選手はそんな感じだった。
阪急が新人補強を社会人選手を頼ったのも、そんな点に依る所も大きい。
門田の阪急入団拒否は一応本人が「もう一年会社でプレーすると約束してた」と告白してるけど
順位への不満もそれなりにあったんじゃないかと思ってる
6位以内で少し多目に契約金積んだら入団してたのではないか
当時の下位指名って、プロ拒否でも他球団に抜け駆けされない防御策だったようにも思う。
>>823
もし阪急に入団してたらどうなってたのかな。
本人の本塁打志向と、西本監督の強打者を育てるって志向が
上手くマッチしてたらもの凄い事になってたかもしれんが
噛み合わなければまるでダメって事になったかもしれんし。