東条英機や伊藤博文は選挙で選出されて
首相の地位についたのか?
民主国家ではないな。
と言うか日本を含めたアジア極東部では
民主主義自体が馴染みのない欧米の制度なんだよな。
日本にしろモンゴルにしろ中国にしろ
武力で覇権を手にした有力者が世襲で
政治を行うのが伝統的な方法。
モンゴル帝国も足利徳川幕府も
秦〜清に至る帝国も世襲で維持されて来た。
そう考えると今の北朝鮮は保守的な体制だと言えるな。
だから選挙が必須なら元首も各大臣も選挙の洗礼うけないんだから
大日本帝国憲法の規定する政体は民主主義じゃねーよ。あとはおまえら
ブサヨが反日ヘイト垂れ流すために好き勝手に妄想垂れ流してろカス
>>4 中国は周の時代に共和制だったことがある
日本も天皇を中心とした政体ではなかった歴史のほうが長い
ところでおまえがどういう定義をこねくり回そうが
武力至上主義っていうのは究極の民主主義ではないのか?
窮極の自主自尊だろ?なんで選挙に選出されたヤツに
従う義務あるんだよ。ばっかじゃねーの? >>5
意味不明。オマエが首相や裁判官を選挙していかいからキミの国は非民主主義国家なのか?
いや、キミの場合は大統領を直接選挙している国のヒトなのかもしれんがw
伊藤首相も東条首相も選挙で民意を受けた議会の協賛なしには予算を通せないぐらい掣肘されていた民主主義国家だった。 議会の協賛ったって衆院の権限は限定的。
非民選の貴族院で衆院の決議を否決出来たし、
政府には特別会計やら前年度予算継続やらで
大きな影響は受けなかった。
っていうか、明治憲法が議会から独立した
行政組織を意図して設計したのが実情なんだが。
伊藤や井上らはプロシアの憲法を参考にはしたが、
ドイツで議会の権限によって行政が停滞するという
問題提起を学者や政治家から示唆され、
超然的政治を行うことができる様に敢えて
議院内閣制を制度として取り入れなかったんだが。
>>8
えー!歴代首相は議会対策でずいぶん悩まされていたけど?
前年度予算の執行なんて、責任問題だし。 法的には議会に対する(天皇を頂点とした)行政府の優越は保証されてたけど
じっさい議会に出てくる人たちは日本社会のエリートばかりなわけで、そういう
ひとたちの公論はむろん無視できるものではなかったろう。
>>9
>えー!歴代首相は議会対策でずいぶん悩まされていたけど?
逆に言えば悩ますくらいしかできないんだがw
どんな独裁者だって国民対策に悩まされていますよ。
それを民主主義だとはいわんでしょ。 >>11
議会からの弾劾で退陣に追い込まれているぐらい悩ましいんだが?
強力な拒否権を持っていたのが帝国議会。 ん?
誰の話?
帝国議会には首相を弾劾する権利はなかったはずだが?
>>13
っ弾劾上奏
松方、伊藤、桂、若槻、田中など、歴代首相が泣かされてきた。
権利じゃないが舐られる程じゃないでしょ。
大抵、政府の面子にかかわるから未決に終わったり衆院解散になるけど。
その結果、帰って来た帝国議会では益々民意をたてに猛り狂うからな。 弾劾「」上奏はあくまでお願いに過ぎないんだが。
で、それ自体に法的拘束力はなかったんだが。
更に、松方の場合で言えば内閣運営自体に問題があったための辞任であり、寺内の様に上奏案を無視して内閣を維持した首相もいたんだが。
衆議院のほうは強権で押し通すことできたとしても貴族院のほうは軍に影響力もつ
退役のお歴々や伯爵子爵や財閥の重鎮・子飼いに学会の歴々までいるんだから
さすがに甘くはなかろう。戦後とちがって戦前の貴族院は大学の博士や教授連まで
ぞろぞろいたから、そういう連中が書く(書かせる)法案ひとつとっても無視できないよ。
民主主義を破壊した「統帥権」、
これを持ち出したのが
憲政の神様と言われた犬養毅と
戦後、自由民主党を結成した
鳩山一郎だったとは。
軍部の台頭を招くきっかけを
他ならぬ政党政治家たちが
作ったという歴史事実は
戦後民主主義においてもタブーだったのか?
上奏の話が出ているが、
これは明治以降の各代で意味が
変わってきているのを考慮しないと
実態からかけ離れた議論になってしまう。
明治天皇なき後、大正天皇は病弱で
その間、上奏は形式だけのものに
なっており、政府や官僚たちは
天皇の意向を意にかけない慣習が
広がりつつあった。
そのような風潮の中で若くして
即位したのが昭和天皇で、
天皇が形骸化しかけていた時代の
しかも若僧の意向を気にかける
政治家、官僚はすくなかったと
言っていいだろう。
統帥権干犯を持ち出して
議会政治と民主主義を破壊したした罪。
自由民主党の黒歴史ですな。
反国家的な態度でも示したら、すぐに新聞が掻き立てて
国士右翼が暗殺に来るような時代だからな。社会が適切な
リーダーシップを失うということの恐ろしさをよく表わしてる。
大衆には明確で実力をもった権力者が必要なんだ
>>21
結論が独裁者、待望論じゃ救われないな。
この時代の日本の場合、北朝鮮の
金正恩氏のような暗殺を指示した
明確な独裁者がいたわけでもないのに
時代が軍国モードに突き進んだ
原因を考察することが重要であろう。
そこに日本型民主主義、日本人の
注意反省すべき性質、弱点があると
思うのだ。 一部の勢力が寡占的に政治を行う事も独裁政治と呼ばれる。昭和初期から終戦迄の日本は軍部独裁体制であり、教科書的表現を用いるなら「軍部独裁」だった。独裁制は単独の独裁者だけの呼称ではない。
けっきょくギリシャ以来一貫して権力は哲人独裁がベストがだって
立証されつづけてるじゃん。近代は、その哲人をいかに民主的に
サポートし、あるいは民衆のなかから最適の人材を選抜してくるかって
方向性と、もうひとつはその独裁者すら手を出してはいけない最低限の
権利保証(自由権)確立の戦いだったわけよ。みんなで決めるのが
正解だなんてまともな学者ならそんなこと誰ひとり言うワケがない。
それはともかく
昭和天皇は英明な方だったが、
満州某重大事件の上奏も内閣は
ごまかしの上奏を行って、昭和天皇
の怒りを買っているし、
三月事件も天皇は別ルートから
そのような計画があったのを
察知して下問したにも関わらず
陸軍大臣はとぼけて報告しなかった。
大正時代からの慣例で政府、官僚は
天皇を抜きにして、自分たちだけで
政治を推し進める風潮になっていたのは
あきらかで、
その月末が未曾有の敗戦であるが、
戦争終結からのちの責任問題まで
あと始末の多くが昭和天皇に帰せ
られ天皇の意向に反して政策を
推し進めた政治家、官僚の多数が
その後の責任をいまなお問われずに、
いまだに「昭和天皇の戦争責任」
という隠れ蓑を使って国民に真実が
知られていないことは
これからの日本の民主主義の発展の
ためにも一考すべき問題であろう。
満州事変にいたっても陸軍は全軍を
あげて内閣と天皇にうそを報告して、
内閣と天皇の不拡大方針を無視して
戦線を拡大し続け、全満州を制圧した。
このような歴史的事実はが判明しているに
も関わらず、昭和天皇だけを
執拗に攻撃し続けるのは
完全に何らかの企みがあるものの
仕業と断定して間違いないだろう。
陸軍は天皇の不拡大方針は天皇の側近
のせいだとして、元老西園寺公、
牧野伯、鈴木侍従長、一木宮内大臣の
暗殺計画が立てられた。
陸軍は誰の言うことも聞かなくなった
ばかりか、力づくで天皇の意向すら
ねじまげはじめた。
もはやむちゃくちゃである。
悪いことに新聞マスコミに煽られた
民衆が軍を支持した。
独裁そのものが悪いんじゃなくて無責任なマスゴミが
無責任な大衆を煽って、恐怖と暴力で行政府を無責任な
判断に追い込んだことやろう。文字通り勝てば官軍なのに
米兵1人で日本人30人以上も殺害させるようなありえない
愚行においやったんだから、マスゴミの責任は日本こそ
問われなければいけない。
いや、20世紀に入ってからは独裁制は問題のある制度として認識されはじめてたよ。
万民の調整役であるはずの政府が、特定の受益者に偏在するというのが独裁制の問題点で、ナチスドイツ、イタリアのファシスト、日本の軍部独裁体制、スペインのファシストなど自国民すら憎悪の対象にするのは正しい政治とは言えない。
共産主義も当初掲げられた理念とは相反する独裁制を内在している事が明らかになって形骸化した。
明治天皇は三度目の内閣総理大臣の辞表を提出した伊藤博文に語った
「卿らは一封の辞表を出し、辞職すればその責任を逃れることができるが
朕は永久に何事もその責任を逃れることができないのであるぞ」
大日本帝国が天皇独裁の国だったとか
4、50年以上も前のなつかしの左翼の幼稚な決めセリフか
中共か半島の工作員みたいなこと書いてるやつらは
下の条文をよく読んでから発言するように。
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第37条凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス
第4章 国務大臣及枢密顧問
第55条国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
昭和史の一つもろくに読まずにこの日本近代史板に戦前批判らしき書き込みしてる人は
まともな人ではないのはあきらかです。
ID:8k8LED8o0
前スレ読めよw
だから、大日本帝国憲法の制限君主制解釈は、公式に否定されてるの
昭和史知ってるのなら、憲法解釈論争があったことぐらい知ってるだろう
天皇独裁と言えないが民主主義とは言えない
議会で民意を吸収できる面はあったので、議会が無い所よりは良いが民主主義でなかった
独裁で滅んだ国は多数あるが、よくある批判の民主主義における衆愚政治よやらで滅んだ国はないしね
>>36
実際には帝国憲法の解釈運用は
時代ごとに変わっていった。
否定されたのは軍部が
政治に台頭して日本から民主主義が
失われていった時期のこと。
あなたは対象としている時代がごく限られて
いるようですね。
ではそれ以外の時代については
どう捉えているのかな? どうもこうもない
公式に、ずっと天皇親政体制だったと明示されてるんだから
大日本帝国憲法が発布されてから、日本国憲法に変わるまでずっとそう
民主国家の定義が主観すぎるから議論しようがないんだよね。
なにがなんでも戦前の法体制は世界最先端で、東京史観は
完全な誤りだと弁じたいやつは、なにがなんでも民主主義と
主張したがる。そんだけの話し。
おれにいわせれば民主主義など愚かな擬制にすぎず、いまも
むかしもこの国が民主主義だったことなど一度もない。
政治的影響力のつよい一部の名士による共和政体だったと
しか言いようがない。戦前は「民主」なわけがないし、俺氏に
いわせれば戦後だって日本国の主は天皇陛下。
>>7 出てきた首相以降の政府は民主的というよりは
天皇のお伺いを立てた上での政権だったから、
民主主義を装った別の何かでしかなかっただろ
「国民に選ばれているのだから民主的である!
俺の意見が存分に反映されてるけどなwww」
って言い訳付き もっと言えば今の中国の体制に近い民主主義を掲げる帝国主義の国だわ
もっと言えば民主主義は
「多数派と少数派双方の意見をしっかり聞き取りますよ
それぞれの主張の良いところ悪いところをしっかりみんなで判断しますよ」
って主義のことを言って、民主国家はそんな民主主義が
できる体制を整えることを目標にした国家を指すんだろ
だから今の民主主義ができる体制を整える努力を放棄してしまったら
果たして民主国家を名乗れるのかどうか、って問題があるわけだ
民主っていう擬制がそもそも理論的にムリがあるんだよ。だれかが
代表になって権限移譲されてんなら、そりゃもう民主主義じゃないんだよ。
完全な無政府主義以外は純粋な意味で民主なんてありえないんだ。
それこそ家族制で夫主権であってすら民主じゃないんだし。
>>43 ちがう。参政権のない外国人にさえ最低限の人権を保護する
政体をいうんだよ。逆にいえば参政権というのは「最低限の人権」を
侵害してはいけない範囲でしか行使できない政体のこと。 その意味でいえば君主主権であろうが独裁制であろうがAIに全てをゆだねる無政府主義であろうが
本質的には関係ないんだよ。
黒人や幼児の参政権が制限されていたら非民主主義国家だと言いたいのか?
民主という概念自体に欠陥があるんだよ。人間主権とか言ってるのと
なにもかわらん。言葉として観念論的には想定できても具体化できない
法概念だというお話し。これが「成人国民主権」なら明確になる。
民主つって住民でありながら外国人に主権をみとめないのなら民主主義
とはいえない、みたいなすり替えはいくらでもできる概念をこね回しても
本質的な議論などできないというお話し。
>>46
違わねえだろ
外国人参政権について俺はうんともすんとも言ってないぞ >>49
何言ってんだ?
全ての行動をなんらかの形で規定しようとしたら
必ず抽象的な言葉で言い表されるに決まってんだろうが
「具体性がないからダメだ」っていうのは言い訳にもならんぞ
なぜならそう考えられるようになった背景があって、
その背景があったからこその今の制度なのだから、
「意味がわからない」っていうのはただ単に
お前の勉強不足を他人のせいにしてるだけってことだぞ そりゃ相対的なのは当然だけど語の立て付けが悪すぎるんだよ。
デモクラシーの本義にもどるなら衆議政治くらいになるけど、これだって
けっきょく範囲においてあいまいすぎるんだし。資産家と有力者のみ
参議できるという実態をほりおこせば共和制となにもかわんないんだよ。
けっきょく〇〇は民主主義か、という問いの建て方自体が良くないんだ。
戦前の日本は自由主義だったか、という問いならはっきりいえる。臣民の
義務に反しない限り自由は保護されてた。
日本政府がいくら「尖閣諸島は日本固有の領土」「竹島は日本固有の領土」「北方領土は日本固有の領土」と主張したところで、国際社会はそれを認めない。
同盟国のアメリカでさえ尖閣諸島を日本固有の領土と認めたことはただの一度もない。
「固有の領土」という言葉は1970年頃に日本政府が使い始めた言葉で、国際法上の用語でもなければ国際社会共通の定義もない。
だから日本政府がいくら「尖閣諸島は日本固有の領土」と主張しても国際社会にはまったく通用しない。
デモクラシーを日本語に訳するときに「民主」ってしてしまったから、なおさら
混乱に拍車がかかったんだろう。民主といえば対義語の君主がすぐ連想され
君主主義でなければ民主主義なんだろうという話しになってしまうわけだが、
じっさいにはデモクラシーってのは大衆政治・群衆政治・民衆政治のことで
あって、だれが主人であるかだの、だれに主権があるだのと言った概念を
想定した術語なわけじゃないんだ。
デモクラシーを民衆政治とする考えは古代ギリシャ時代のそれであって、今日的な近代デモクラシーとは違う。
>>52
民主主義は金がかかる体制だから…まあ多少はね?
資本主義と並列して語られるのはそういうことなんだよね
でも、海外って選挙に立候補するのにお金必要ないんだぞ?
日本は少なくとも100万円を持ってなきゃ出来ないからな
益々金持ちの遊び場になっていく >>54
連想ってのが意味わからん
それは思い込み、誤解って奴だな
語の意味は一対一ではない
2元論的ではない >>55 そうにしても「民主」って語の立て付けの悪さは変わんないよ。
そもそも日本は民主主義などではなく天皇を中心とした神の国だと
信じてるやつにとっちゃ、GHQに圧しつけられたこんな思想には
とても共鳴できないし、そういうヤツを多数派の専制で圧殺すること
じたいがデモクラシーの否定なわけだしな。けっきょく概念の底に
孔があいてんのさ。 >>58
へー、英国流の立憲君主制を「全体主義だ」と
思い込んでいるバカが存在するんだなw 独裁君は
政党政治、政党内閣が存在した歴史的事実は無視して、
非民主的な面ばかり作為的に取り上げてるだけなんだよな。
まあ、時代的にもまだ未熟な政党政治ではあったけどね。
>>54
誰がそんな風に訳したって?
何の資料の裏付けもない思い付きとか思い込みでばかりいないで
ちゃんと裏とってから語ろうぜ。
>>60
許容された政党政治だからなぁ
軍がその気になれば何時でも内閣府一致で政府潰せるし 大日本国憲法で、軍を「行政の一部局で内閣総理大臣の命令に従う」と
改正しなかったのが悪い。明治時代の政府トップは陸軍中将とか海軍少将を
兼任していたから何も問題なかったが、昭和になると政治家と軍人が分離して
軍が政治家の言うことを聞かなくなった。
日本人って、今もそうだけど憲法を時代に即して変える事が出来ない民族なんだよね
国家国民のために憲法が存在するのに、なんで憲法を変えてはいけないのか
理解に苦しむよ。
今も帝国陸軍皇道派の青年将校みたいに
「マッカーサー憲法は不磨の大典だ!変えるのは許せない!」と
とワメいている民度の低いバカが大勢いる。
戦争に陥った原因が「憲法を時代に即して改正しなかった事」だという事も
分からない、72年前の反省がまったくないアホ連中w
それは筆頭で言われることだね。内閣総理大臣なんて今でいうところの
無任所大臣みたいなもので、人事権なく名望だけで指導しろ態勢なんだもの。
津田真道先生はデモクラシーを「平民政治または民主の国」と邦訳されたとおもうんだが。
それに対しておれは平民政治が原義を得ており「民主」は当たってないと主張してるだけだよ。
>>63 許容されたというか「臣民政治」なんだよね。天皇を中心とした
有機的国体に忠誠を誓う限り帝国臣民の自由と権利を保護する体制。
じっさい18世紀から19世紀の国家論はこれが一般的で、国家に反逆
すること自体が重大な犯罪として通常に司法運用されてたわけで。
こういう一見すると些細で看過されるような点に本質的に重要な論点が
あるんだとおもうよ。政党政治も「臣民」による政党なら大いにやりたまえ
しかし非国民による政党は国家の敵なのだから戦争の法理により排除
するという思想が通底していたのが有機的国家論の下での「自由主義」 もし戊辰戦争で明治政府側が旧江戸幕府陣営占領地域の独立と賠償金を要求するだけに留まっていた場合
江戸幕府を中心とした陣営はどのような国になっただろうか?
いやーそれは無いんじゃない?薩長同盟の討幕の裏の目的は廃藩置県だよ。
徳川体制みたいに、各藩各寺社ごとに法令が施行されてて人民の移動が
制限されてるようなシステムはとても薩長の許容できるところじゃなかったろ。
とくに条約改正には文明国としての民法・刑法の法典が要求されてたんだし。
なまじ徳川体制のこしてたらエジプトやトルコみたいにそれ自体が障害に
なりつづけたと思われ。
当時の日本人のインテリ層(武士階級以上)の圧倒的大多数が大名が割拠するという
幕藩体制そのものが対内外政策の根本的なネックになってると直感で感じてたんじゃ
ないのか。そうじゃなきゃあれほど雪崩をうって薩長に転ぶことも考えられないし、あれほど
抵抗をおそれてた廃藩置県があっけないほど短期間で成功したのも解釈できない。
みな本当は気が付いてたんだよ。徳川が将軍であること云々じゃなくて、幕府体制その
ものがネックになってたんだ。
廃藩置県については、借金抱えてる藩が多かったせいもあるだろな
まだ無知蒙昧独裁チンカス野郎が暴れてんのか
こいつほんと懲りねえバカだなあ
死ねよカス
このスレまだやってたのか?
独裁否定派なんか、「独裁の定義は?」って訊けば尻尾を巻いて出て行くのに
↑
こいつスゲー馬鹿
定義定義いってんのお前だけしかいねーし
その定義とやらが同時の日本にあてはまってると思い込んででひたすら痛い
指摘されてまともな反論できずに尻尾まいてにげてんのは独裁キチガイのお前ww
そりゃ形而上概念に当てはまるかどうかの議論なんだから
定義を共有しなきゃ話しが始まらんだろ
独裁否定派は独裁者の定義を示せよ
その上で否定しろよ
誰にでも当てはまらないような極端な独裁者の定義で、無理やり昭和天皇を独裁者じゃなくしてるだけじゃん
独裁者じゃないとわめいてるのは一部の日本人ぐらいで、世界的にはエンペラー・ヒロヒト
ヒトラーやムッソリーニと変わらない独裁者だよ
日本のばあいはその独裁者の意思がことごとく否定されて
執行部の決定の追認だけさせられてたわけだながww
独裁者の定義はよw
天皇独裁派の独裁者の定義→民主的な定期的な信任を受けていないのに、法制度上の国家意志最高決定権を掌握している個人(まさに昭和天皇そのもの。実態論は意味がありません。それはいくらでも黒幕論や陰謀論を捏造できるので、社会科学的に確認、測定、チェックできないからです。)
独裁否定派の独裁者の定義→過去に一度も部下の進言を受け入れたことがなく、政策も法案も全部自分ひとりで考え、国民的人気や支持がないのに巨大な権力を保持していられる個人(こんな人は歴史上一人もいません)
確かに独裁否定派の定義なら昭和天皇は独裁者ではないでしょう
しかし、それならヒトラーもスターリンもフセインもみんな独裁者じゃなくなりますね
天皇は独裁者じゃないと主張するのは勝手ですが、そんな主張は社会科学的には無意味なのです
大日本帝国は天皇に独裁的権限を持たせて、軍部や一部の権力者らがその権限を行使するという
間接独裁制とも言うべき特殊な独裁制だったんだよ。民主国家だったなんてとんでもない。
大正デモクラシーはその間接独裁制との戦いだったが、基本構造を変えることなく現象として
民主化(吉野作造によれば「民本主義」)を目指したため頓挫した。
昭和天皇自身は間接独裁制を温存する側だったため基本構造を変えない民本主義や一木・美濃部の
天皇機関説を支持した。結局のところ、基本構造に問題があった為に自滅すべく自滅した。
現代日本も天皇の署名がなければ法律は一本も通らないから独裁国だしな
ダメだこのスレ
チンカスなみの無知のアホしかいない
>>84
日本国憲法では、「国会が国権の最高機関」と明文化されておりまするが、何か? ところが47年憲法はGHQ占領の終了とともにその法源を失って失効しとるんだな
これが
間接統治が終了した後も、国民の支持を基底として
日本国憲法は継続されたというのが歴史的事実。
そんな虚構いいつのってもしょうがないでしょ。
すでに失効してんだから。いまは慣習法で統治されてんの。
げんに9条なんか完全にあらたな立法で書き換えられたじゃん。
あと前文もか。
>>87
ついに独裁否定派はそんな屁理屈まで言い出したかよw
日本国憲法は失効してるとか、だったら今やってる憲法改正論議はなんなんだよw
もう完全にデンパの域に入ってるなw
そんなことはいいから、独裁否定派の独裁の定義をさっさと出せよw
出せない時点で負けてるだろ
自分はただレッテル貼りしてるだけですと白状してるようなものなんだから 改正という名の創憲だよ。本当の名前は忌避される。
忌み名の風習だ。
>独裁の定義
最高司令官がひとりであること。よって日本は昔も今も独裁国。
ローマみたいに執政官が2人とかではなかったので。
>>90
わかりやすい共産工作員だなおまえ
死ねよキチガイ どうみてもキティなのは独裁否定派のほうでしょw
もう無理だよw
独裁だが無責任。アホはこの事実が認められない。
だから発狂する。
昭和天皇は独裁者なんだよ! これは社会科学的な事実なんだよ!
独裁者だが無責任。よって無罪。べつに強弁するまでもなくその通りだよ。
工作員必死の独裁者だ主張に草
バカと無知、無学がファンタジー語ってアホ丸出し
こういうゴミいつになったら日本から駆逐されんだろうな
コミンテルンのファンタジー活動は
昭和天皇という個人が独裁者なのではなく、
大日本帝国憲法という国家の基本法が天皇独裁を前提にしていた。
そう表現したら異論はさみたくなるな。形式的には天皇専制で記述してあるけれども
実質的には憲法のどこにも明記されていない「維新の元勲」による僭主政を想定して
天皇すら都合よく操作できるように設計してあるというのが通説でしょ。
憲法なんて運用次第
旧社会主義国家の憲法なんかめちゃくちゃ民主的なのに、実際はとんでもない独裁国家
明治憲法も運用次第で民主国家にすることが出来た
美濃部達吉もその考えだっただろ
実際、衆議院は憲法に記載のない内閣不信任の権力を持っていたし
桂や浜口の憲法違反にたいする護憲運動もすごかった
軍部さえ抑えられれば旧憲法のまま民主国家として発展しただろう
軍がすべてを、大日本帝国を、天皇制を潰してしまったのである
運用次第だって? 都合のいい言い訳をするんじゃない
天皇親政解釈が、正規の解釈だと国体明徴声明で認められたんだ
それを知らない、スレ住人でもあるまい
大日本帝国は天皇独裁体制であり、昭和天皇はまちがいなく独裁者なんだよ
大日本国憲法の条文をあげつらって、詭弁を弄するのはやめてもらおう
天皇の周辺の数人が執筆した文字列に従ってるだけなんだから運用次第でいいんだよ。
「憲法」というものの実態そのものがそういうものなんだ。だから「憲法をまもれ」という主張の
ほうこそ実は剣呑なんだよ。そういう権威主義が危険なの。
慣習法の場合は判例の蓄積や実際の商慣習、契約慣習、社会的慣習から「解説される」
不文法で、状況によりいくらでも読み方を替えることができる柔軟性を内在してる。それを
明文化するということは、それ自体がそもそも剣呑な行為なんだ。帝国憲法の場合は
ロエスレルというドイツ人が草案を執筆してるという意味では、そもそも日本人の手による
憲法でもなんでもなく天皇の名による「押し付け憲法」であった点もほんらい重要な論点
なんだ。
だからそれを屁理屈というんだ
だいたい君らは、天皇を弁護するというイデオロギー、バイアスが最初からあるじゃないか
君らがもし、外国の研究者なら、なんの躊躇もなく昭和天皇は独裁者だと断ずるはずだ
第三者の客観的な見方をすれば、まちがいなく独裁者なんだ
独裁者じゃないよ。なにも命令してないんだから。
司法にも行政にも議会にも介入しない君主が独裁者だと
よぶなら、独裁者という語の定義のほうを変えるべきだね
>>104
憲法は運用次第だよ
大日本帝国憲法よりもよっぽど開明的なワイマール憲法であっても
ヒトラーという独裁者を生み出してんじゃん >>107
ホントお前ずっとこのスレに住んでるけど
それでもその程度の理解と解釈しかできないんだからもう死んだほうがいいぞ 偉そうにいうけど、独裁者の社会科学的な定義が出せない独裁否定論者
少数者に権力が集中し,大衆の政治的自由が抑圧されている統治状態。専制とは異なり,被支配者である大衆の
政治参加と積極的支持に基づく点が特色である。大衆操作とマス・コミュニケーションを前提とするきわめて現代的な
統治形態である。起源は,古代ローマ共和政のもとで重大な危機に際して,一定期間絶体的な権限を付与されて
設置されたディクタトル (独裁官) に由来する。独裁は重大な社会危機に出現し,事態の進展を促進し,あるいは
その進展を阻止または抑圧する。一般にはきわめて個人的な政治体制をいうが,軍や単独政党を基礎として
制度的独裁ともなりうる。 C.シュミットは独裁を委任独裁と主権独裁とに区分しており,またマルクス主義においては
プロレタリアート独裁の観念がある。 (出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
>独裁は重大な社会危機に出現し,事態の進展を促進し,あるいはその進展を阻止または抑圧する。
>軍や単独政党を基礎として制度的独裁ともなりうる。
これを徴するかぎり「天皇」は独裁者ではないな。制度としては憲法に明記されてない「かの方」による
独裁態勢というのが正しいわけで、歴史学の通説どおり。
>>112
アホか
反証可能性を持った社会科学的な定義をもってこい
そんな辞書や辞書の定義なんて、漠然としてなんの反証可能性もない
解釈によって、誰でも非独裁者にできるわ
恣意的に解釈変動できないような、明確な基準やラインをもってこいよ >>112
あと、それは普通に昭和天皇も当てはまるだろ
独裁否定になってないわ
独裁否定派は何でもイメージ論でしか語れない お前が無能だということは分かった。べつにおまえはスレに必要ないから
もう書き込むなよ。
>>112
>軍や単独政党を基礎として
>制度的独裁ともなりうる。
正に大日本帝国の制度を指しているではないか。
なのに何故
>「天皇」は独裁者ではないな。制度としては憲法に明記されてない「かの方」による
>独裁態勢
となるのだろう。
大日本帝国は「天皇」を独裁者として(大日本帝国憲法に明記)、
制度的に軍部による独裁体制を許した。
国体明徴宣言は天皇の親政を宣言しそれを許さないとして、
当時の国家指導者らが大正デモクラシー時代の民本主義(民主ではない)の理念を破壊し、
国家の運営の中心を軍に集約した。 ボアソナードというドイツ人の手による「帝国憲法」を伊藤博文らの手により
議会の審査もなく、天皇の名により一方的に「おしつけられたもの」
それが大日本帝国憲法だよ。そもそもあんなもの本当の意味で日本の国体を
明徴したものでもなんでもない。外国人が執筆したんだぞ?
ロエスレルだな(´・ω・`)歴史のテストなら0点だ
>>113
反証は前から運用によって実証されとるとゆうとるのにアホなの?死ぬの?
死んでいよお前マジで 1931年には柳条湖事件、満州事変を関東軍が引き起こした。
以後、昭和天皇は満州事変の戦域拡大、第一次上海事変、熱河作戦など「中国大陸での陸軍の行動に神経質なまでに
反応し、軍事行動の抑制を求める意見を側近や軍首脳に伝達していた」。
しかし、軍は朝鮮軍独断越境事件に続き張鼓峰事件でも、天皇の許可を得ずに独断で
戦闘行為を行っており、この当時の陸軍の行動はまさに統帥権干犯そのものであるといえよう。
また熱河作戦の作戦中止を求める昭和天皇の要求は奈良侍従武官長により事実上却下された。
統帥権は機能しておらず、その権限は軍が自分たちに都合よく利用していただけなのである。
昭和天皇の陸軍への不信感はますます高められていた。
歴史修正主義者がなんと言おうと、昭和天皇は独裁者なんだよ!
明治維新で天下をとった山口県の朝鮮部落民が民主国家を作るわけがない
朝鮮人の伊藤は孝明天皇を暗サツして、近所の子を明治天皇にし、独裁国家にしたかったはず
英国は50ヶ国ほどの政府を転覆させ通貨発行権を握った
現地人に銃を向けて支配する型の植民地支配から進化したのだ
お札を刷って最初に使う者が丸儲けなのだ
というわけで、英国は薩長に銃器を渡して政府を転覆させたが、
独裁国家にしてもらっては銀行支配ができないので困る
そこで見かけ上は民主国家だが、議会も司法も偽装の国家になった
>>121
学がないならこんなとこに首つっこんでくんなクソカスコミンテルンのまわしもんがよぉwwww 通貨発行益ってぜんぜん大したことないよ。日銀ですら好調なときでも年間5000億円くらい。
高度経済成長してるさいの中国で2兆円とかそんなレベル。
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
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3UTK6
長いので分割します。
スレタイに答えるならば、民主国家であった時期もあったしそうでない時期もあったと言うのが正確であろう。
ただし、誰かしらによる独裁国家であったというのはあまり正しくないだろう。
なぜなら大日本帝国憲法自体が独裁者の出現を抑制するしくみになっているからだ。
名目上は天皇を主権者としているが、その天皇の権限は国家の各機関に分散されていて、その各機関はそれぞれが独立して権限を行使するというのが帝国憲法の内容だ。
しかし当然、各機関が勝手な行動を取っていては国家の安定した運営はできない。
権限を持つ諸機関をまとめて統制するべく、憲法黎明期に生まれたのが藩閥という方法であったし、大正期には衆議院の支持を背景とする政党内閣であったし、そして昭和期は軍部主導の戦時体制であったのだ。
当然、大正期の日本は民主的な国家であったと言えるだろう。
特に原敬内閣の時期は衆議院の支持を背景とした政党内閣が国政の主導権を握っていて、本格的な立憲政治が実現していた。
原以降も政党は当面の間、政治の中心であり続けた。
逆に、明治期の藩閥や昭和期の戦時体制は民主的でないと言える。
どちらも民意を背景としているわけではない勢力が政治を主権していたからだ。
だが、改めて述べておきたいのは、近代日本において独裁国家であった時期はないということだ。キーワードは「主導」である。
大日本帝国憲法が権限を持つ諸機関を並列させているということは前述した。
従ってこれらの機関を主導する何かしらの存在や勢力が必要になった訳であるが、注意しておきたいのはあくまでも「主導」なのである。
つまり、常に主導する側とされる側には協議や妥協の余地が生まれるので、近代日本において独裁というにふさわしい体制は、大日本帝国末期のほんの僅かな期間しか発生しなかったのだ。
そこの数年間を取り出して独裁だと言うのならば反論の余地は確かにあまりないが、明治憲法治世下約半世紀のそこだけを取り上げて議論をする意味はあるのだろうか。甚だ疑問だ。
やっとこのスレに当時の価値観をちゃんと理解して話のできる人が来てくれた
134名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/01(日) 09:54:52.43
>>131
>>132
もっともらしくいってるけどさ、「主導」って結局あなたの感想だよね?
その主導を社会科学的に定義できるのかな?
できないよね?
やっぱり社会科学的には、大日本帝国は天皇独裁体制なんだよね 概念をあとからつくって本来のものをその概念に入れるために史実を矯めるような
ことは素人にありがち。明治は最初期から議政体だよ。太政官だって3職31名で開始
されたんだし、そこでの合議に明治天皇の意向が反映されたものなど数えるほどしかない
そもそも国家が発令しなきゃならない法令がどれほど膨大な数があるとおもってるのか
んなもの逐一天皇が独裁でやってるわけがないだろう。
国家や法というのは基本的に受動的で修復的なもんなんだよ。先に現場でトラブルがおきる。
大半は民がおこすトラブルで、のこりが行政上の解釈のトラブルだ。それに対して「下から」
対処法の伺(うかがい)が上げられて、それに対してイエスノーをきめたり、統一法典の作成を
下に命令したりするのが政権中枢の役割になる。台湾征討であれ江華島事件であれ、あくまで
事態は下から起きてきて、それに判断をもとめる伺いがあげられて指令を下す、これが国家と
いうものだ。独裁や専制というものの理解がそもそもなってない。
責任内閣制を導入したことを考えると
民主国家と言ってさしつかえない
138名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/02(月) 17:44:40.56
>>135
また、天皇独裁否定論者が性懲りもなく現れたねw
過去スレをまったく読んでないようだけどねw
それでは、あなたにお聞きいたします
あなたはたったこの一文で、尻尾を巻いて逃げ帰るでしょう
以前のたくさんいた天皇独裁否定論者がそうだったように
「独裁否定派の『独裁』を社会科学的に反証可能性が生じるレベルで定義してください」
反証可能性のない定義は社会科学的に無効です。 独裁肯定派の『独裁』を社会科学的に反証可能性が生じるレベルで定義してください
いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
5JT
江戸時代には村役人や町役人を入れ札、つまり選挙で選ぶ地域も多かった。投じられた入れ札が残っている例もあり、
たとえば寛文年間に行われた甲府のある町の長人(としより)(名主(なぬし))選びは無記名投票だった▲「三右衛門より
外に長人ハ無御座(ござなく)候(そうろう)、何事も三右衛門殿御(ご)尤(もっとも)ニ候」は三右衛門という人を
熱心に推す入れ札だが、むろん名前だけの札と効力は同じだ。札の用紙もまちまちで、複数の候補を記した札や輪番制を
提案したものもあった▲暮らしにかかわる身近な役人選びで、投票者がそれぞれ自由に意見を記しているのがおもしろい。
「地方自治は民主主義の学校」は戦後広まった言葉だが、江戸時代のご先祖は誰に習うこともなく「自治」の作法を身に
つけたようだ
https://mainichi.jp/articles/20190321/ddm/001/070/165000c 今北産業。 このスレの最初からざざっと目を通したが、>>102と>>131->>132で
まあ、概ねその通りだと思う。前スレを読んでいないのでスレの流れがよくわからんのだが、
102や131の結論が出てクマで1100レスも費やしているのが不思議である。
暇なときに前スレも読んでみるが、そもそもスレ主の言う「大日本帝国」時代が
どの時期を指しているのかさっぱりわからん。明治初期の藩閥政治期、帝国議会開設後から昭和初期、
軍部が政治に容喙した2・26以降と、大日本帝国はその都度マイナーチェンジを行っている。
時代区分を指定せず、「社会科学的に教えろください」と言うのがマヌケ度数が高過ぎる。
それと、「独裁」がどうたら言ってる人は多分一人でがんばってるようだが、見ていて辛いものがある。
他人に独裁の定義を質問して、その答えに突っ込む形で「独裁体制である」と反証したいんだろうが、
まずは自分から独裁の定義を述べてみてはどうか?(前スレでやってるのかもしれんが)
明治〜昭和の3人の天皇が独裁者である事例を具体的に出して欲しい。
スレ主がお断りをしているが、独裁君はイデオロギー論で天皇制を批判しているだけで、
スレの主旨に合っていないレスが多く見られる。
今日 初めてスレを読んだ感想はこんなとこかな。 訂正。
出てクマで→ 出てくるまで
マヌケ度数高杉w 恥ずかしいのでちょっと逝ってきますw
146名無しさん@お腹いっぱい。2019/06/21(金) 22:51:43.91
社会科学的には、大日本帝国は天皇独裁国家なんだよね
天皇独裁を否定しているほうが、イデオロギー的だろう
中立公正に見て、天皇は立派な独裁者だ
>>146
政治学的には当時の世界水準の上をいく民主国家
天皇が独裁できるシステムがないのにどうやって独裁するんだ?
嘘をつくのが工作員なんじゃないんだよね
こういう本当のことを言わないのが工作員というものなんだわ >>147
だから、否定論者は独裁の定義を述べろよ
こっちは否定派の屁理屈にはうんざりしてるんだよ
非科学的なのはどう見ても独裁否定派の方
独裁派の定義はすでに前スレでこれでもかと書かれてるんだよ >>148
結局キミなのか独裁定義君w
独裁などしてないのにやたら定義定義とこだわり続けてバカなの?
こっちがうんざりしてんのになに言ってんだかw >>149
だから、定義を示して、独裁してないと主張しろよ 携帯電話がなければ
何も起きなかった現代世界の中で
携帯をリードして来てしまった日本ならびにその関係者には
責任は結果論で言うと重いのよって思うね
民主国家は衆愚政治に陥り、崩壊するのである
帝国を維持する為には大衆の意思をとらなければならない、そう言う意味での
>>150
もううんざりだわ
キミにはね
机上の空論はまさにキミのこと
死ぬまで定義にこだわり続けて運用という反証実績をそうやって見て見ぬふりし続けてファンタジーの中で永遠に絶叫してたらいさw
あ〜あ
うんざり 戦前は議員内閣制の君主国
戦中は軍部の意向が強く、政党政治が崩れて最後は政党は解散した
ただし戦中の翼賛議会の時代にも選挙はあった
不敬罪が現存する絶対王政のタイレベルの民主主義はある
国家総動員法可決の際には乱闘事件が起き、
大政翼賛会成立の年には反軍演説で延々と
軍部を批判する議員がいた
その議員は終戦直後に国務大臣になっているので、日本は北朝鮮よりは戦中でもましかもな
いや、大日本帝国憲法の第一条に、天皇は統治権を総攬すと書かれているんですが…
文字の読めない外国の方かな?
>>155
書かれてるからなんなんだというのだ?
総攬しての大政委任の国家体制なんだろ?
近代憲法は書かれてることが全てではないことくらい知らんとは非文明後進国の人ですか?
近代憲法は運用が全てなのですよ >>156
ぷぷっw
運用がすべてといいながら、その運用を定義できないんだろw
運用なんて言い出せば、いくらでも陰謀論や黒幕論出せるんだよ
近代憲法は明文法なんだから、書かれている事がすべてに決まってるだろう
天皇が統治権の総覧者なのに、他人が主権を持っていたら、そりゃただの憲法違反だ
天皇が統治権を総攬すとはっきり書かれてるんだから、大日本帝国は天皇専制体制なんだよ
憲法が変わるまでその体制はずっと続いていた >>157
>近代憲法は明文法なんだから、書かれている事がすべてに決まってるだろう
これだけで憲法のことなんも知らないアホだということだけはよくわかった
憲法と法律の違いすらよくわかってないだろww >>159
はいはい、さっさと運用を定義してくださいね >>160
やっぱり知らない無知無学者かw
こんなことすら訊かないとわからない、知らないとかw