11 ◆Az7kmcQbsA 2018/02/21(水) 21:31:30.47
邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 2日本@名無史さん2018/02/21(水) 21:35:03.80
◆1(女王所都)
奈良県桜井市に所在する纒向遺跡が2世紀末に人為的・計画的に建設された前代未聞の巨大祭祀空間であり、
また北部九州を含む列島各地の文化を受容し融合し、そして全国に発信する中枢的な場であったことは、夙に知られている。(◆2,FAQ38参照)
現・纒向駅近くに東西軸上に複数棟連続して計画的に建築された大型建物群(4棟まで発見済み)は、3世紀前半のものと公式発表されている。
居館域は桜井線西側のみでも東西150m、南北100m前後の規模を持ち、大小それぞれ構造・機能を異にする複数の建物が方形の柵列に囲繞されており、
重要な古道として知られる上つ道に接面している。これに比肩するものは、弥生時代に存在しないのは勿論のこと、飛鳥時代まで見当たらない。
大型建物の傍(大型祭祀土壙SK-3001)で宗教的行事が行われた痕跡も発見された。
この建物群は、位置関係から言って三輪山及び箸中山古墳と緊密な関係が推察される。建物廃絶の時期と箸中山古墳建設開始の時期が近いこと(FAQ10参照)
を勘案すると、三輪山と関係の深い宗教的指導者がここに君臨し、死後に箸中山古墳に葬られたと考えるのは合理的である。
この大型建物群と箸中山古墳そして上つ道の位置関係は、トポロジー的に咸陽と驪山陵を想起させる。
箸中山古墳は、日本列島広域各地の葬制を総花的に集約した定型化古墳の嚆矢であり、初期ヤマト政権の初代王墓と考えられるが、被葬者が女性であるという伝承にも信憑性(◆3参照)がある
乃ち、その葬制の総花的性格から初期ヤマト政権の初代王は各地の首長に「共立」され求心的に集約された権力基盤を持つ者であり、かつ女性と考えられる。その死亡時期は3世紀中葉(FAQ30参照)である。
この地に、青銅鏡や武具、新たな土木技術や萌芽的馬匹文化(FAQ21参照)、列島に存在しなかった植物の花粉等(金原2015)など、中国文化が急速に浸透する時期は、列島が魏晋と通交した時期と重なる。
ほぼ同時代史料である魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)の記事と上記の考古的諸事実を突合すると、箸中山古墳の被葬者は曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、◆2~8に詳述するとおり、ここ纒向が女王の所都である。
31 ◆Az7kmcQbsA 2018/02/21(水) 21:44:57.07
◆2(箸中山古墳に見る共立の構造と政治的ネットワークの形成)
前掲の大型建物が廃絶時に解体され柱まで抜き取って撤去されていることは、後世の遷宮との関連も考えられるが、歴代の宮のあり方に照らせば、建物の主の死去に伴う廃絶と考えることに合理性があるといえる。したがって、この建物の主人の活動時期は卑弥呼と重なる。
また、箸中山古墳はこの建物の真南2里(魏尺)に立地し、且つ上つ道(推定)で結ばれるなど緊密な関係を有しており、この建物の主が被葬者であると合理的に推認できる。
41 ◆Az7kmcQbsA 2018/02/21(水) 21:46:21.49
◆3(文献に見える箸中山古墳の特異性)
その行灯山、渋谷向山がともに帝王陵として伝承され、それらと規模的に同等である箸中山もまた「箸陵」の名が伝えられているにも拘わらず、帝王の姨の墓に過ぎないと紀で位置付けられている。
このことは、築造工事の大規模さや神と人の協業による築造という逸話が紹介されていること、就中それが紀の収録する唯一の陵墓築造記事であることも併せて鑑みれば、紀編纂時の、
行灯山及び渋谷向山の規模を認識している読者視点に於いて、明らかに不自然である。
箸中山、行灯山及び渋谷向山は、例え位置関係及び築造年代の連続性を等閑看過しようと、その圧倒的質量において、同等格の主権者が連続的に存在したと人々に印象付けずにはおかない。
51 ◆Az7kmcQbsA 2018/02/21(水) 21:47:41.35
◆4(纒向の地政的意味と倭国の形成)
纒向は二上山と三輪山で奈良盆地を南北に二分する横断線の東端近くに占地する。この地は大阪湾から大和川を遡上した瀬戸内航路の終点にして、
初瀬街道経由で伊勢雲出川河口付近から東海航路に向かう起点である。
同時に上つ道に面し、北陸・山陰にも抜ける交通の要衝である。乃ち、三輪山をランドマークとする辻に関塞の神を祀る地であり、古くより大市が立つ。
61 ◆Az7kmcQbsA 2018/02/21(水) 21:48:41.30
◆5(倭国の形成と気候変動)
1に、南播磨を主力とする畿内系住民が北部九州に移住し交流しているとみられる状況
2に、河内と吉備の交流の深さ
この2点を併せ鑑みれば、東海地方(中勢)にも影響力を持つ宗教的指導者を、纒向の地に地域間紛争回避の機構として擁立した勢力の中核をなすのは、
汎列島的交易網の再構築と拡大を目途とする、瀬戸内の海上交通を支配する首長たちの利益共同体であろう。
共立によって地縁的紐帯の域を超えた広域のプレ国家が誕生した。その成熟段階であろう3世紀前半末には、
四等官を有する統治機構や市場の統制、通信網の整備などが観察されている。
これが更に個人的カリスマの死去を契機として、布留0期に、機関化した政治システムのフェイズへと進むのである。
71 ◆hTnMWgvcKE 2018/02/21(水) 21:50:14.36
◆6-1(自然環境と下部構造からみた国家形成期社会の動態)
これより先、寒冷化に対応する生産力確保という社会的必要性が、開墾や治水・灌漑の分野で大規模開発行為を行うに足る労働力を
大量に徴発できるような強権的な地縁型首長を誕生させつつあった。
これは、墳丘墓の急速な巨大化・高塚化から窺知できる。換言すれば、高塚化の加速した地域には急速な脱弥生の社会構造変動が起こっている。
先駆的な具体例としては、寒冷期に向かう不安定な気候が卓越する時期、吉備中南部で体系的な用水施設を備えた大規模な水田開発が、
高塚化された大規模で入念な埋葬に見る威信や地位を付託された特定の人々の析出と共時的に生起(松木2014)している。
81 ◆Az7kmcQbsA 2018/02/21(水) 21:51:11.73
◆6-2
高塚化の進行から窺知される社会構造変化は各地域で概そ銅鐸祭祀の終焉と期を一にしていることが知られているが、
こと畿内とくに大和に関しては例外的に、銅鐸祭祀の縮小と高塚の発生(モニュメント社会の到来)に大きな時間差がある。
むしろ高塚化に代えて第V様式が広範囲に斉一性を発揮しているように見えるのが畿内の特異性であり、
世俗権力的な核の見出しにくい弥生後期畿内社会の特質の解明が待たれる。
91 ◆Az7kmcQbsA 2018/02/21(水) 21:52:12.66
◆6-3
ここで夙に指摘される畿内弥生社会の均質性の中から急激に巨大前方後円墳にみる権力集中が湧起したことは、
近代のポピュリズムにも通じるものがある。
権力の一局集中と公共性、一者が突出・隔絶することと他者が均質であることは、対立的に見えてその実良く整合が取れるのである。
一方、九州で高塚化が起こらなかったのは、その先進性が災いして中間階層が富裕で有力な社会構造であった為に、
突出した権力の発生に対して掣肘が大きく働き停滞的であった所以であると考えられる
101 ◆Az7kmcQbsA 2018/02/21(水) 21:53:16.39
◆7-1(北部九州における人の移動と政治的動向)
3世紀初頭から約半世紀の時間幅が庄内併行期と呼ばれ、卑弥呼の活動期間が稍前倒し的にこれと概ね重なる。
北部九州で出土する楽浪土器は庄内併行期をピークに激減、土師器 IIB(布留0新相~布留I古相)期には確認例がない(久住2007)ことが知られている。
これは停滞期(高久楽浪IV期)を脱した楽浪が再興期(同楽浪V期)に活発な対外活動を展開したのち急速に衰退する、
という趨勢がリアルタイムに反映している。
111 ◆hTnMWgvcKE 2018/02/21(水) 21:54:21.59
◆7-2
北部九州の土器編年で言えば卑弥呼の人生の大半を占める時期の相当する久住IA・IB期、博多は対外交易について最大級の中心地である。
そのころ、博多は畿内人の流入を含む深い人的交流があり、生活様式から祖先祭祀の形態まで、その影響を受けている。
その影響を受けた在来系と影響を与えた外来系が共存・集住している集団と、外来系に対して閉鎖的な在地集団の間に、
前者を上位とする集団間の階層差も指摘(溝口1988)されている。
121 ◆Az7kmcQbsA 2018/02/21(水) 21:56:23.23
◆8(結語)
日本列島の対外交渉は、古くは勒島貿易、ついで原ノ辻貿易、そして博多湾貿易と移行する。
原ノ辻貿易の直接主体が壱岐のオウであり、そこに最も影響力を持っていたのが前原三雲の王であることが有名である。
原ノ辻が活気を失い博多湾が対外交渉の主役に躍り出るのが、庄内併行期である。
その転換の最終段階には、大和や播磨から移住してきた人々やその二世世代が圧倒的シェアを占める港湾都市で西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と
直接交渉による交易を展開する時代となる
前原三雲の王は静かに表舞台から退場していく。
博多湾貿易の時代全体を通じて、那珂川地域ー足守川流域ー纒向は国内流通の大動脈を支えるトロイカとして機能し、その消長も時期的に一致する。
これが倭人伝記載の三大国(奴・投馬・邪馬台)アライアンスであり、博多湾貿易を基軸とする倭国の政体であり、金海貿易へ移行するまで存続したと考えられる。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
以上の根拠により、それは桜井市纒向以外にありえない
131 ◆hTnMWgvcKE 2018/02/21(水) 21:57:29.67
以上テンプレ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*前スレが終了してから書き込んでください。
なお、書き込みは
邪馬台国畿内説に関係が有って
根拠のある内容をお願いします。
畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。
前スレ終了以前の書き込みは荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【追加・変更点】無し
14日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:06:34.42
>>995
>四至って何? 魏志倭人伝は普通に八方位で書いてあるぞww<
八方位も分析できてたら南を東にはならない
都合のいいことばかり言う畿内説 15日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:11:17.16
10 実年代目安の参考
(現時点で高等学校日本史教科書などに採用されている年代観と概ね同等の、最も広く通用しているもの)
○弥生時代後期
1世紀第1・2四半期~2世紀第3四半期中頃
○庄内式期(庄内0~3)
2世紀第3四半期中頃~3世紀中頃
○古墳時代前期前半(布留0~1)
3世紀中頃~4世紀第1四半期
○古墳時代前期後半(布留2~3中・新段階)
4世紀第2四半期前半~4世紀第3四半期
○古墳時代中期前半(布留3の一部、TG232~TK216)
4世紀第4四半期~5世紀中頃
(古代学研究会 森岡、三好、田中2016による)
※箸中山古墳は布留0古相に該当(寺澤2002)
※本文◆7の「3世紀初頭から約半世紀の時間幅が庄内併行期」は
庄内0を庄内式直前として弥生後期に分類する考え方で、実年代観は同一である。
同様に、布留0を庄内に分類する考え方も実年代観に違いがない。
庄内併行期を弥生時代と呼ぶか古墳時代と呼ぶかが実年代観の相違でないことと同じ。
※北部九州編年(久住)との並行関係(久住2002,2006,2010)
IA期ー 大和庄内0~1 ー 河内庄内I~II
IB期ー 大和庄内2~3 ー 河内庄内II ~III ●纒向矢塚、矢藤治山
IIA期ー 布留0古相 ー 河内庄内III ●箸墓、権現山51号
IIB期ー 布留0新相~布留1古 ー河内庄内IV~V ●西殿、桜井茶臼山、黒塚、
浦間茶臼山、西求女塚
IIC期ー 布留1中相~布留1新 ー河内庄内IV~布留I●椿井大塚山、神原神社、
メスリ山、行灯山、祇園山
16日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:12:30.83
すまん
岸和田は畿内説の範疇かい
17日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:13:14.93
またキチガイが成り済ましで偽スレ増やしたのかよ
18日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:14:56.23
キウスタヒね
19日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:16:09.31
326の>>238
>>出雲は、梁代までは独立国的。<
>それの「根拠」は?ww <
梁書。
>そして、独立国的であることと、卑弥呼の共立メンバーであることは両立できる
というか、共立というのは、共通のみこしを担ぐだけで、それぞれのクニは
それぞれの首長が治めるのが当然=独立国的 だろ?
そして、出雲の四隅突出墓の墳丘への貼り石が、定形化した前方後円墳に
取り入れられてる<
祇園山にも葺石がある。
>これだけ「根拠」がてんこ盛りなんだから、出雲が共立メンバーなのは明らかだし
楽浪郡との交流も明らか <
「南≠東」に拠って×。 20日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:16:54.85
>>993 恥を知れ ザラコク
>>>>
>卑弥呼の共立主体は、後の国造程度のローカル首長だよ
特に大きいのが、出雲、吉備、丹波、大和など<
「南≠東」に拠って×。 <<<<
⇧
恥ずかしくないのか「南≠東」で片付く問題ではない
苦しい時の「南≠東」だのみだろ (笑) 21日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:17:15.33
九州説信者はガイキチばかりだな
22日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:22:20.82
畿内説なんて、ここのテンプレと同じく妄想だらけじゃないか。
23日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:22:36.09
>>955
>だから、内行花文鏡を議論しろよ。 <
パスすでに論破済み 24日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:22:38.04
>>248
>というのは勝手だけど、何度も書くけどさ、関門海峡を渡海千里にあてるのはムリ
漢文を読めない人には理解しがたいかもしれないけど、九州から山陰の海岸沿いに
船で行くのは「水行」にしかならない
投馬国までの「南至投馬國水行二十日」にむしろぴったりってことだ <
というのは勝手だけど、「南≠東」などに拠って×だ、という事だ。 25日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:23:15.14
あれ?
テンプレ短くなった?
26日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:25:07.60
ここは成り済ましによる偽スレ
27日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:27:01.14
なんだよ、少しはやればできるじゃんと褒めてやろうと思ったのに。
でもまあ、テンプレなんてこれくらいの長さが限界だと思うんだけどね。
28日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:27:35.01
アンチどもにとっていかにテンプレが邪魔なのかよくわかるなw
29日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:27:40.04
>>251
>そんなことは書いたことがないな。
畿内説は相手が書いていないことを捏造するのが得意なんだな。<
賛成です。
彼らは、思想宗教にクルって国民を口先詐欺で騙そうとする・・・・ですから。 30日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:28:43.52
無能なのに仕切りたがるやつほど迷惑なやつはいない
31日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:30:02.67
>>22
九州説なんて、畿内説から見たら屁
妄想と言うが 基本はあるんだがね(ヤマト 纏向 箸墓 土器編年・・・盛りだくさん)
九州説は基本が平原オンリーでっか? 伊都国近辺を周遊して平原でっか?
ロボットクリナー九州説 方位も距離も何もあってないがね 32日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:30:06.81
>>254
>そして、邪馬台国は卑弥呼の都がある場所の「地名」なんだから、邪馬台国の範囲は
ヤマト国というローカル集団の地名だよ <
「南≠東」に拠って、×。 33日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:30:17.56
無能なのに自分はお利口さんだと勘違いしているやつほど滑稽なやつはいない
34日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:36:25.00
>>852
>魏志倭人伝の旅程記事は、放射読みも最後の邪馬台国までの日程を総距離と見るのも、
中国の研究者の読み方でも漢文の文法からみても明らかな誤読 <
中国の研究者を示せよ 35日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:36:26.56
>>255
>大陸に近くても、邪馬台国の頃に王墓がないからしょうがないね <
どなたかが提示されたように、福岡県には、古墳が非常に沢山あるし、
糸島地域だけでも60か所以上ある。
>魏使は、確かに九州北部に来てるけど、通過点って魏志倭人伝に書いてあるだろ?<
書いていない。
不彌國の直ぐ南に邪馬壹國女王之所都があるように書かれている。
>ヤマト国(邪馬台国)に行ったって書いてあるじゃないか ヤマトって、大和だよ
畿内ど真ん中ww<
「南≠東」に拠って、×。 36日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:38:48.70
37日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:42:54.38
>>35
>不彌國の{直ぐ}南に邪馬壹國女王之所都があるように書かれている。
ハァー何{直ぐ}って何んだろうネ ハァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 38日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:46:19.53
>>256
>>21枚の「尚方作」鏡もある。<
>それが「全部仿製鏡」なんだよ <
その根拠は、まだはっきり論拠説明がないし、
洛陽晋墓の方格規苦境の「期」年代が書かれていないのでは、
欠陥論だよ。
それに、倭国が「尚方作」鏡を「仿製」する事など、有り得ないよ。
>舶載鏡は、破片すら大事にされてたけど、仿製鏡は倭国内でいくらでも作れるから
お宝じゃないわな だから、平原1号墓の方格規矩鏡32枚が「全部仿製鏡」ってのは、
九州だったらいいな説にとって致命的なんだよ
どうしてこんな簡単なことも分からないんだろう <
「尚方作」の21枚もの方格規矩鏡を「全部仿製鏡だ」なんてだ事はあり得ないんだよ。 39日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:49:21.24
弥生から古墳時代への変遷が東征じゃ無い
卑弥呼は弥生時代を終結させ、新しい古墳時代を切り開いた女王
その古墳の密集度から見ても、九州は畿内に遠く及ばないよ
40日本@名無史さん2018/02/21(水) 22:52:45.86
41日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:02:09.22
>>258
>>大和が配った、なんて証拠はないよ。<
>三角縁神獣鏡の分布の中心は明らかに畿内だよ?<
大和の三角縁は、ホケノや箸墓よりも後であり、
その箸墓が那珂八幡よりも後の4世紀であり、
筑紫の三角縁神獣鏡は、那珂八幡の前に志登や祇園山や藤崎があるから、
三角縁神獣鏡の始原は筑紫であったのであり、
また、大和内には、
粗悪な副葬ような三角縁神獣鏡の鏡作り神社の痕跡はあっても、
配布用の三角縁神獣鏡製作やその痕跡は全くないそんだよ。 42日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:09:18.87
>>264
>論じてみなよ 九州には無理だろう?<
洛陽晋墓にある蝙蝠鈕座内行花文鏡が、筑紫からいくつか出土するし、
洛陽晋墓からは、方格規矩鏡も出土する。 43日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:10:07.35
前スレの>>955
内行花文鏡は九州だけで出土してない
大きいのは大きいが、小さなものを模造し大きくなったのも理屈として成り立つ
古墳もしかり
大きいから何だっていうの?
大きさに根拠を付けるのが必用
箸墓は径と年代で根拠が明かなのだがな 44日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:12:14.67
日本語で頼む
45日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:12:21.12
>>265
>この大和地方を中心とする政治連合をヤマト政権という。 <
要するに、倭国から別れた別種で、地方の市を監督する大倭職の旧小国の政権。 46日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:14:39.74
ザラコクは三角縁にも尚方作の銘文を持つものがあるのを知らないんだろうなぁ
47日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:16:51.44
方位以外は畿内の圧勝
方位も反論は、畿内説は十分回答してるし
全方位で畿内より優位な説が見当たらないな
Ww
ザラコクも南≠東の一点張りだけで書き込むなよ
48日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:17:58.75
キウスタヒね
49日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:19:54.80
九州のお馬鹿さん
皇帝からの贈り物は、内行花文鏡・方格規矩鏡・位至三公鏡やらなんやらを、
とりまぜてバラバラに贈ることはおまへん。
三角縁神獣鏡のように統一して贈り物としたんや
50日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:22:37.92
>>523
九州説は記紀そのもの
神武天皇の東征に結びつけ、
天皇中心の記紀史観から一歩も抜け出ていないザンネン 51日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:22:45.66
方格規矩鏡を百枚だろ
52日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:23:51.33
御託はいいから鉄器を見つけて来るんだ。
木製鍬では大変だと思うが。ガンバレ!
53日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:25:13.20
54日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:26:47.01
>>273
>畿内第5様式土器の段階で、大和と西河内は一つの共同体になってる
この時点で小国ではない その王都が纏向遺跡<
当然、筑紫倭国の東征路であり、河内と大和とは仲間同士。
>そして、何度も何度も書くけど、
倭国を九州限定にしようにも、関門海峡が狭すぎるから渡海千里にあてるのはムリ<
そして、何度も何度も書くけど、
史料事実は、30国と、「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」とは、
完全に書き分けられていて、異なる国々群になるという事であり、
「渡海」とあれば、単なる水行ではなく、実態的に「渡海」と言える実態があった、という事。 55日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:27:44.43
記紀の神話は、6世紀ごろに、天皇家の由緒を権威づけるために創作されたもので、歴史的事実を含んでいない(津田左右吉)
邪馬台国とヤマト王政は関係ない
しからば畿内の三輪伝説、箸墓伝説は木っ端みじん
56日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:30:05.77
倭人伝には倭人は手づかみで食事すると書いてあるのに
箸墓伝説は箸が流れてきてあそこに刺さるからなw
57日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:30:13.94
キウスはタヒねばいいのに
58日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:32:28.38
>>54
百余国の説明をせよ
疑問点はテメーが良く知ってるだろ
倭国とは九州で収まらない 59日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:34:48.10
市や郡レベルなのだから百余国だと九州ですっぽりだろが
60日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:34:48.61
三輪 能
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。
三輪神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。
天の岩戸は関。
関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し大和朝廷を作ったんだな。
61日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:37:07.44
倭人は朝鮮半島で「鉄」を採掘していて
魏皇帝と「文書」で外交して外交「文書」封泥用の金印貰ったんだろ。
3世紀邪馬台国はどこよ?
62日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:38:06.71
>>56
痛いとこ着いてる
それね 畿内説のコジツケだから
他にもコジツケいっぱいあるし
箸は箸だから、あんた正しいと思う 63日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:38:39.36
箸墓伝説
地元の人々が、大物主やオオタタネコを馬鹿にした話。
龍でも鳥でもなく、小さな蛇だろうと。
64日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:40:27.42
出雲尾張の縄文人が大和朝廷の中心勢力。
65日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:41:14.00
>>275
>>巨大古墳を作り出したのは、4世紀以後である、<
>「古墳時代は4世紀から」にして、邪馬台国の東遷を夢見るっていうのが
九州説がワンチャン成立するためのぎりぎりの論法だったんだけどねぇ
今どき巨大古墳(箸中山古墳)が4世紀だなんて、九州だったらいいな説以外
誰も言わないよww<
伽耶の陶質土器と共存している那珂八幡よりも箸墓は後であるし、
伽耶の陶質土器と共存の久宝寺や加美は(布留ではなく)庄内との共存であるから、
布留があるホケノや箸墓は、伽耶の陶質土器と共存している久宝寺や加美よりも後になる。 66日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:41:53.91
>>56
食べる箸とは違うと何度も教えてるぞ
「折箸」
調べてみろ 67日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:41:54.12
68日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:42:44.16
69日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:45:09.05
>>65
巨大古墳を作り始めたのが3世紀でも九州説には問題ないよ。
単に北部九州倭人の支配が前倒しされるだけ。
なんでかって?
鉄器も鉄鏃もぜーんぶ墓の中に持ち込んで
お前らには使わせてやんねー
だからさ。 70日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:46:14.93
同体と言えば、飛騨の顔が二つ胴は一つの怪物。
71日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:50:02.87
前スレで
「淮南子」を持ち出す研究者誰だ
邪馬台国と関係無いよ
72日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:50:34.49
>>54
>「渡海」とあれば、単なる水行ではなく、実態的に「渡海」と言える実態があった、という事。
つまり、九州ー本州間の関門海峡(幅600メートル)では、渡海千里には当たらないから
本州畿内を別種に当てるのは無理ってことですね!(ニッコリ)
実体的にというか、対馬ー壱岐間、壱岐ー松浦間と同じくらいと考えると、
本州ー隠岐の島くらいが一番ぴったりだろ
末慮国ー伊都国で、方位が90度回ってから全部90度回ってるから、東→北も矛盾がないし 73日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:54:07.89
敦賀~伊吹山~甲賀~伊賀
賀は牙。旗印を掲げた拠点。関。
74日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:54:48.48
>>71
中国人の根本思想だから
史書はそれらを踏まえて記述されているとみるべき 75日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:57:53.28
>>71
>「淮南子」を持ち出す研究者誰だ
こんなところに研究者なんていないだろ?ww
>邪馬台国と関係無いよ
邪馬台国と関係なくても陳寿にとっては常識ってこと
司馬懿の功績を誇るために、倭国=女王国(≠邪馬台国)までは淮南子に
記されている中華概念での世界の果てまでの距離、萬二千里でなければならないんだよ 76日本@名無史さん2018/02/21(水) 23:58:58.53
国常立神、鬼門に封じられた神。
天香久山の山頂に祀られている神。
尾張一宮の本来の主祭神。
カグツチであり、ホアカリ。
時にはスサノオの仮面、時にはアマテラスの仮面。
飛騨の顔が二つ胴が一つの怪物。
77日本@名無史さん2018/02/22(木) 00:01:39.92
大和朝廷は、尾張出雲の縄文人が中心となって作った政権。
78日本@名無史さん2018/02/22(木) 00:05:12.60
那珂八幡古墳 4世紀はじめに築造
箸中山古墳 3世紀中頃に築造
本当に「正しい情報」を認められないバカだねぇ
79日本@名無史さん2018/02/22(木) 00:08:56.33
邪馬台国は大和国。
卑弥呼の墓は殉葬100人。
倭国大乱の象徴卑弥呼、殉葬100人。墓は破壊されてないだろうね。縁起悪過ぎる。
80日本@名無史さん2018/02/22(木) 00:15:08.02
日本書紀にあるだろ
奴卑の殉葬は生き埋め
死ぬまで泣いてもらうため、ご本尊の墓の周囲に配置する
81日本@名無史さん2018/02/22(木) 00:36:20.95
>>38
>お宝じゃないわな だから、平原1号墓の方格規矩鏡32枚が「全部仿製鏡」ってのは、
>九州だったらいいな説にとって致命的なんだよ
>どうしてこんな簡単なことも分からないんだろう <
平原遺跡の卑弥呼の時代から、中国一辺倒ではなくなり、自作の鏡で倭国の技術力と権威を示すことができるようになったんだよ。 82日本@名無史さん2018/02/22(木) 00:42:14.61
>>81
>中国一辺倒ではなくなり、自作の鏡で倭国の技術力と権威を示す
だったらわざわざ100年も前の漢式鏡を32枚も作らなくてもいいよな?
漢式鏡を仿製するにしても、もっと時代の近い漢鏡6期とか7期の鏡の方がいいだろ?
それがないってことは、平原1号墓は漢鏡6期よりも前の墓ってことだよ 83日本@名無史さん2018/02/22(木) 00:43:03.05
84日本@名無史さん2018/02/22(木) 00:43:47.03
>>43
>箸墓は径と年代で根拠が明かなのだがな
その年代が一番信用されていないんだよ。 85日本@名無史さん2018/02/22(木) 00:45:32.55
>>54
>>そして、何度も何度も書くけど、
>倭国を九州限定にしようにも、関門海峡が狭すぎるから渡海千里にあてるのはムリ<
伝聞だから、詳しい情報が全くなかったということだよ。 86日本@名無史さん2018/02/22(木) 00:56:50.72
>>82
>だったらわざわざ100年も前の漢式鏡を32枚も作らなくてもいいよな?
>漢式鏡を仿製するにしても、もっと時代の近い漢鏡6期とか7期の鏡の方がいいだろ?
権威とはそういうものではないのだろう。
新しければ良いわけではない。
伊都国の旧来勢力の権威に対抗する必要があるんだ。 87日本@名無史さん2018/02/22(木) 01:06:02.59
>>85
>伝聞だから、詳しい情報が全くなかったということだよ。
詳しくないと分かっていて、その詳しくない情報に頼る以外何もない九州説!
惨めよのぉ 88日本@名無史さん2018/02/22(木) 01:09:02.09
情報がないのは畿内だよ。
里程が九州北部で終わっているよね。
89日本@名無史さん2018/02/22(木) 01:13:35.99
聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首
押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の
古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の
思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす
長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥
味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども
壬申の乱で天武に敗れたなにわは、奈良時代は寂れていたんだね。
倭国大乱でも負けた大阪。
この歌からは、なにわが、芦原中津國、食国であるのが伺える。
90日本@名無史さん2018/02/22(木) 05:40:42.01
>>82
>だったらわざわざ100年も前の漢式鏡を32枚も作らなくてもいいよな?
これが間違い 91日本@名無史さん2018/02/22(木) 05:48:53.23
>>86
>伊都国の旧来勢力の権威に対抗する必要があるんだ。
その伊都国が邪馬台国っていうのが九州説なんじゃないのか?
100年も前の漢式鏡って、思いっきり旧来の権威に寄りかかってるし矛盾だらけ
思いつきを書くのでも、もう少し考えればいいのにww 92日本@名無史さん2018/02/22(木) 05:54:03.27
>>278
>ちなみに、那珂八幡は箸墓より古く、割竹形木棺直送だから平原の流れだろう<
成程。 93日本@名無史さん2018/02/22(木) 06:07:54.30
>>283
大和説はいつも、
「南→東」や「邪馬壹→ヤマト」や「奴→那や儺」などの、
直接的な根拠や理由を言わないで、間接的な確率の低い話ばかりだな。 94日本@名無史さん2018/02/22(木) 06:26:11.99
>>292
大和説者は、いつも、
論破されると、相手の説明文や言葉尻を曲解して、
その曲解で相手を誹謗罵倒の宣伝をする嘘つき騙しの詐欺投稿ばかり。 95日本@名無史さん2018/02/22(木) 06:35:29.95
>>294
>全国に影響を拡大する中心地としての機能を一切持たないそこだけで終わってる物なんて何の価値もない
ただの地方ローカルの酋長でしかない<
埋葬の外観的形態や棺は、部族内の伝統を踏襲するが、
副葬するものは、故人の栄誉を称えるものを選択しようとするもの。 96日本@名無史さん2018/02/22(木) 06:41:11.82
97日本@名無史さん2018/02/22(木) 06:56:04.89
>>297
>そもそも平原はそれまでの九州のスタイルとも違うからな<
外観的形態や棺は出身部族の風習を踏襲する事が多いが、
副葬物は故人の栄誉を示す事を選択するもの。
だから、周溝や割竹式木棺直送が、おそらく出身部族を示すものであり、
おそらく、委奴國や奴國や伊都国の中の一部族の出身であった事を示す。 98日本@名無史さん2018/02/22(木) 07:01:58.74
>>308
つぶやきは、こいつただの「朝鮮人差別のファッション大和説基地外」だから。
それ以外の大和説の連中の方が本物の・・・・であり異常者である。 99日本@名無史さん2018/02/22(木) 07:09:39.85
>>329
>学問を拒絶している九州説レベルだと平野の面積で人口を決める<
奴國の位置に関する直接的証拠は、「東南百里」と「二万戸」位しかない。 100日本@名無史さん2018/02/22(木) 07:23:35.30
倭国の大乱は、九州地域内の紛争ではなく、
畿内と北部九州の二大勢力の戦いである。
九州から瀬戸内海全体、さらには畿内にまで広がる高地性集落が、
倭国の大乱が全国的な戦乱であったことを物語っている。
101日本@名無史さん2018/02/22(木) 07:26:49.62
>>332
>「居住外縁部や入り口や門の間の距離」を字義通りとるとこうなるんだが?<
古代の置ける国と国の間は、
原則としては、無人地帯や人口の希薄地であったであったようで、
だから、境界がくっついていたんなら、「接」とはっきり示されていたようである。
だから、遼東と高句麗の間も、双方の間に希薄地や、小部族國が存在していた可能性がある。
>>三雲平原地域は奴国から外せないし、<
>こんな九州だったらいいな説の勝手な都合なんて知らんがな
伊都国に三雲遺跡群を含まず、伊都国は海岸ぺりだけで、三雲遺跡群は奴国に編入って、
こんな馬鹿なことを言うやつは、邪馬台国の会にも,古田史学の会にもいないぞww<
古田さんは、第1書段階から、「三雲平原地域は奴國」説であったよ。
>>それらより一辺が4~5倍の面積であれば、二万戸が十分に含み得る事になり、<
>面積で戸数は計れないだろ? 遺跡がないところの面積をいくら皮算用してもムダ
本当に「根拠」らしい根拠がないんだな(呆れ)<
魏使らは、実際に通過した国は、
大体の戸数をの肉眼で概算する事も、倭人からの伝聞で知る事も出来たんだろうが、
行ってもいない奴國や投馬國の戸数は、倭人からの伝聞で知るしかない。 102日本@名無史さん2018/02/22(木) 07:26:55.17
>>91
>100年も前の漢式鏡って、思いっきり旧来の権威に寄りかかってるし矛盾だらけ
これが間違い 103日本@名無史さん2018/02/22(木) 07:31:31.25
104日本@名無史さん2018/02/22(木) 07:44:12.92
>>333
>>松野氏姫氏系図 <
>本気で言ってるの? マジで?
古田武彦氏が、一気に信用を失ったのが「東日流外三郡誌」を信用したからだって
九州説なら知ってるだろうに <
東日流外三郡誌の話なら、寛政原本の存在が確認されて、偽書説は×になったんだよ。
また、古田さんは、「松野氏姫氏系図」まではタッチされる時間がなかったから、
触れておられない。
>その松野氏姫氏系図の出所は何処なんだい? あんまり笑わせないでくれるかな?
「根拠」はあるのか? と言われて、探してくるといって
引っ込んだ部屋で書いたものを持ってきたレベルww
海部氏の勘注系図だって、偽書とされているのに、毛筆ですらなく
ボールペンか何かで書いたようなものをどうやったら信じられるんだ?wwwwww<
鈴木真年という東大教授にまでなった人が、
松野氏姫氏の子孫の持っていた系図を収録したもので、
国立国会図書館と静嘉堂の二か所に保存してあるそうだ。
それを分析し紹介したのは、尾池氏や、
平野氏や室伏氏や内倉氏らの古田派の人たち。 105日本@名無史さん2018/02/22(木) 07:46:09.76
>>84
>その年代が一番信用されていないんだよ
自説に不利なことは「信用できない」というだけ
大勢の研究者の長年の成果であり、コンセンサスとなっているものでも無視
反論するなら「根拠」を出せと言われ ても、「脳内妄想」を書くだけで
信用性を言える状態じゃない
九州説ってすごいね 106日本@名無史さん2018/02/22(木) 07:50:01.88
>>88
>里程が九州北部で終わっているよね。
そのあとに日程、水行20日+10日、陸行1月が書いてあるんですが?
それを誤読で無視しないと成り立たない原本改竄主義が九州説 107日本@名無史さん2018/02/22(木) 08:03:00.70
>>106
文献をかなり研究されている
岩元正昭先生の説でも読んできたら?
直線的に読まれてないよ?
ちなみに彼は畿内説 108日本@名無史さん2018/02/22(木) 08:30:17.38
倭国大乱は、縄文人(+縄文人に半分乗っ取られた古い海神)vs九州北部や近畿の渡来人だよ。
九州vs畿内みたいな争いは、全くない。
109日本@名無史さん2018/02/22(木) 09:21:45.22
110日本@名無史さん2018/02/22(木) 10:00:47.39
出雲は縄文人
111日本@名無史さん2018/02/22(木) 10:33:07.46
ザラコク誘導age
112日本@名無史さん2018/02/22(木) 10:33:50.06
ザラコク誘導age
上げ失敗した orz
113日本@名無史さん2018/02/22(木) 10:43:39.35
age
114日本@名無史さん2018/02/22(木) 10:46:43.86
再age
115日本@名無史さん2018/02/22(木) 12:30:44.86
age
116日本@名無史さん2018/02/22(木) 12:44:47.61
>>107
>岩元正昭先生の説でも読んできたら?
読んできたけど、かなり純度の高いトンデモじゃん!
107にとっては「先生」かもしれないけど、
勝手な仮定をたくさん置いて「オレ様」読みするアマチュアじゃないか!
末慮國が『「如墨委面」が「順」字の字解き言葉であり、「順」は
「マツロウ」と読み、「末盧」と書かれたもの』とかいう、
誰も思いつきもしないこじ付けで、博多付近にされてる
そして、東南陸行五百里で伊都国の伊都国が「宮崎県日之影付近」とか
「魏晋里でそのまま読んだらこの辺」的な、いい加減さを感じる
これを参考にしろとか、自分の論拠はトンデモですって
よほど強調したいんだな 117日本@名無史さん2018/02/22(木) 12:50:56.14
age
118日本@名無史さん2018/02/22(木) 12:51:58.25
>>104
>鈴木真年という東大教授にまでなった人が、
>松野氏姫氏の子孫の持っていた系図を収録したもので、
>国立国会図書館と静嘉堂の二か所に保存してあるそうだ。
もし万一本物だったときのことを考えて「保険」的な意味で、
捨てずに取っておくんだよ、責任ある立場の人は
でも、鈴木真年先生は、それを基に何かを考察してたりはしないだろ?ww
>それを分析し紹介したのは、尾池氏や、
>平野氏や室伏氏や内倉氏らの古田派の人たち。
お察しってやつだね
「東日流外三郡誌」に古田武彦氏が深入りして致命傷を負ったのと
同じことを、弟子筋もやってるんだ 119日本@名無史さん2018/02/22(木) 12:54:46.02
>>90
>これが間違い
「理由」も「根拠」も書けない、一言レスはただの自己満足
惨めだねww
スレの浪費だから、「根拠」が書けないなら黙ってればいいのにww 120日本@名無史さん2018/02/22(木) 12:56:32.37
国会図書館へは刊行物を納本する義務がある
国会図書館に収蔵されていることは刊行物の学術価値とはなんら関係ない
121日本@名無史さん2018/02/22(木) 13:54:03.62
>>91
>その伊都国が邪馬台国っていうのが九州説なんじゃないのか?
邪馬台国は伊都国を含むがイコールではないし、伊都国の王統は入れ替わるんだよ。 122日本@名無史さん2018/02/22(木) 13:57:38.00
>>100
中央で争いがあると、地方でもその影響で争いが起きる。
それだけ。 123日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:00:31.86
>>97
>だから、周溝や割竹式木棺直送が、おそらく出身部族を示すものであり、
>おそらく、委奴國や奴國や伊都国の中の一部族の出身であった事を示す。
一理あるんだけど、問題は、本来なら伊都国の王であるはずの禰宜が伊都国の官として記載されていること。 124日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:01:31.48
>>120
まあ、松野氏姫氏系図とやらは、ちゃんとオリジナルが確認できる状態にならないといけない。 125日本@名無史さん2018/02/22(木) 14:19:24.72
126日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:17:14.94
127日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:24:22.12
分らず屋が多いな他説は・・・国産と騒いでもいいけど勢力は畿内だろ北部九州は港
👇
卑弥呼が魏からもらった鏡は三角縁神獣鏡である。
その証拠に、卑弥呼の時代である「景初三年」の銘が入っているものが出土している。
三角縁神獣鏡は、畿内から数多く出土するが、九州や関東からも出土するので、
古墳時代の前、すなわち鏡が輸入された卑弥呼の時代には、大和の勢力が九州や関東に及んでいた、と見るべきである。
128日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:25:18.74
三角縁神獣鏡しかない説w
129日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:25:34.07
130日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:33:40.53
未だ
南が東になった明確な回答無し
中国の史書を覆してから言えよ畿内説
中国になにも言えねーーなら
倭人伝に従えよバーーーーカ
距離はいくらでも中国も、「そうかもね」ですむが
方位は間違えない「日本人馬鹿ね」でおしまい
131日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:35:46.32
>>127
>九州や関東からも出土するので、
忌部一族の九州、関東へ進出した証拠
>大和の勢力が九州や関東に及んでいた、と見るべきである。
大和にそんな勢力はいません。 阿波の忌部一族が九州や関東に進出したと見るべきである。 @阿波 132日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:40:03.90
>>121
何度も同じ事を訊いているがまともに答えられていないな
>邪馬台国は伊都国を含むがイコールではないし、
倭国の中の邪馬台国の中の伊都国っていう関係をおかしいと思わないのがやばいww
倭国の中に、伊都国や邪馬台国があるんだよ
>伊都国の王統は入れ替わるんだよ。 133ザラコクに告ぐ2018/02/22(木) 18:43:21.80
ザラコクの頼りは方位だけ
倭国も邪馬台国の東がわからんゴネ屋が九州説
当時は太陽が昇る方向を東と考えていた。船の航行が容易な夏の季節には、
日の出の方向は、時計と反対まわりに45度ずれる。
だからネ、
南は実際には東南なのだよ。 不弥国から邪馬台国まで水行30日というのは、
当時は、邪馬台国まで1月かかったことを意味なの・・わかるかなザラコク
平安時代の記録に、平安京から大宰府までの公定所要日数が30日とされていることも、これを裏付けるのだ。
134日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:48:36.27
>>127
>その証拠に、卑弥呼の時代である「景初三年」の銘が入っているものが出土している。
三角の原材料は呉産の銅と鉛、これは既に実証済 135日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:50:10.77
>>133
>日の出の方向は、時計と反対まわりに45度ずれる。
正確には北部九州は30度弱 136日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:50:55.59
>>130
>未だ
>南が東になった明確な回答無し
>中国の史書を覆してから言えよ畿内説
これにまともに答えられていないのが、九州説側なんだが?
「魏志倭人伝で、九州に上陸してすぐ
末廬國から伊都国を、本当は「北東」なのに、「東南」陸行って間違ってるね
魏志倭人伝では狗奴国は「南」なのに、後漢書では「東」度海千餘里至拘奴國になってるね
どちらかは間違いだね
隋書では、対馬から壱岐が「東」に間違ってるね
旧唐書でも
「皋遂命巡官崔佐時至牟尋所都陽苴咩城,南去太和城十餘里,
東北至成都二千四百里,東至安南如至成都,通水陸行」
とあって、内容を確認すると
陽苴咩城は現在の大理白族自治州大理市で、そこから東北に2400里で成都、
「東」に水行陸行を通して成都に至る如し(同じくらいの距離)で安南(ハノイ)に至る
となっているけれど
実際には成都から安南は「東南」
大陸の史書に、方角が間違っている例は、こんなにあるんだけどさ
どうしてだろうね?
探せばまだまだいくらでもあると思うよ
大陸の正史は、国外のことには無頓着だからね 」 137日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:51:21.85
>>136の続き
>>130
これの出だしの
「末廬國から伊都国を、本当は「北東」なのに、「東南」陸行って間違ってるね 」
に対して、
「唐津港付近や唐津市街から、東南方向出発路は、存在するし、
「陸行五百里」は途中の道なり移動を示しており、経路はある。 」
で答えたつもりになって「逃げてる」
「その出発方向を含む経路を示せ」って何度も言われてるのに
「ある」としか言ってないだろ
ごまかすな
「通過点を現在の地名等で、5点程度示してみろ」よ
あり得ない経路を出してくるんだろうなと楽しみにしてる
さあ、レッツ恥さらしプリーズ!!
>中国になにも言えねーーなら
>倭人伝に従えよバーーーーカ
バカはお前だww 138日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:53:46.86
>>132の続き
>>121
>伊都国の王統は入れ替わるんだよ。
王統が入れ替わったら、それは倭国ではないと何度言えばww
易姓革命の思想を考えてないだろ?
歴史の流れも考えずに、その場しのぎで書き散らすだけだから、
全体として矛盾だらけww 139日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:56:22.97
倭国(伊都を首都とする九州国家)が、
邪馬台国(伊都を保有)vs狗奴国(南)に分裂して争ったんだよ。
140日本@名無史さん2018/02/22(木) 18:56:48.64
>>124
>松野氏姫氏系図とやらは、ちゃんとオリジナルが確認できる状態
とりあえず、ネット上で画像は見れるよ
https://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/96a8cbd6169180a157075d145f086b7f/1/615
「いや、後世に偽造されたものなら、
自家が、「天皇家に敵対した熊襲」や、
「大和天皇家一元列島支配宗教で書かれた記紀の思想を否定するような倭の五王」の名前を書く筈が無い。
そんな事を書いた事がばれたら、一族全部罰せられる可能性も高い。
つまり、真書であった可能性が非常に高い。
つまり、ごまかしは、やっぱりウソつき騙しのサギシ。」
でもさ、この偽書、国っていう字使ってるよ?
國じゃなくてww
新字体を使っているってことは、昭和のしかも終戦後だよな
天皇の神格化も終わって、というかむしろ非難されるようになった
戦後民主主義の時代なんだから
「一族全部罰せられる」可能性は皆無だし、
それが「真書である可能性を高める理由」はこれっぱかしもないよな
ザラコクは何処でもザラコクなんだなぁww 141日本@名無史さん2018/02/22(木) 19:00:49.40
>>139
>邪馬台国(伊都を保有)
伊都を保有して属国化している邪馬台国の倭王が、
わざわざ属国に墓を作る訳ないよな?
平原1号墓は倭王卑弥呼の墓じゃないな!
そういう主張だろ? 伊都を保有っていうのは?ww 142日本@名無史さん2018/02/22(木) 19:09:28.82
>>104
>東日流外三郡誌の話なら、寛政原本の存在が確認されて、偽書説は×になったんだよ。
お前、凄いな!
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/yamataikokuco/furutaronco/tygaruronco/ronco17.html
「2007年4月21日、東京で開催された古田武彦講演会の当日。
私はレジュメとして配布された『東日流外三郡誌』「寛政原本」のコピーを見て
我が目を疑った。会場ではそのレジュメ以外にも、現物の展示および写真の閲覧が
行われ、現在までに発見されたという「寛政原本」5点すべてが提示されたわけだが、
私はそれを見ながら驚くとともに深い嘆息をつかずにはいられなかった。
―その「寛政原本」の筆跡はことごとく従来の和田家文書(古田氏の言う「明治写本」)
と同じ、すなわち和田喜八郎のものに他ならなかったのである。」
和田喜八郎氏は、寛政年間(1789年から1801年まで)に寛政原本を書き、
明治になって「明治写本」を書いて、さらに昭和の時代に生きてたんだね!! 143日本@名無史さん2018/02/22(木) 19:29:34.21
144日本@名無史さん2018/02/22(木) 19:33:38.13
>>139
あ、あ、あ
九州国家の範囲を示せよ
狗奴国は何処かを示せよ
テメーの薄ぺらな智識で示せよ 145日本@名無史さん2018/02/22(木) 19:36:42.44
倭国大乱はタケ派vsヤマ派の争い。
その後もこの争いは延々と続く。
天武は名の通りタケ派。
ヤマトという地名が嫌で嫌で仕方なかったんだろう。奈良なんて地名をつける。
桓武、タケを棺に納めるという意味かな。
146日本@名無史さん2018/02/22(木) 19:52:32.78
>>145
>倭国大乱はタケ派vsヤマ派の争い。
タケ(たけのこの里)派 vs ヤマ(きのこの山)派 の争いですね!
分かります! 147日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:00:02.17
戦国時代は、織田が家康が武田がと、国取り合戦を自由に語るだろ。
古代史ももっと自由に語ればいいんだよ。
148日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:09:42.96
たけのこの里のほうが
美味しいよね~
149日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:13:47.06
なんかおかしいと思ったら
九州説の異常者が
また偽スレ立てたのか
毎度どうしようもねぇな
150日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:17:08.66
>>147
>古代史ももっと自由に語ればいいんだよ。
自由に語るのと、妄想・捏造を垂れ流すのとは区別しないと!
「東日流外三郡誌」騒動は、金銭詐欺の側面もあって、実際に被害にあった自治体もある
それをいまだに「偽書ではない」と言い募る人がいるのは噴飯ものでしかない 151日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:17:54.35
基地外はニセスレ立てるなよ
紛らわしくして邪魔臭い
152日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:31:40.53
馬鹿は去れよ
九州は玄関口だけじゃん
玄関口に証拠集めてもムリ
奥の院は畿内じゃん
153日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:35:17.22
ここは
荒らしのの立てた
ニセスレ
154日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:37:08.02
>>130
中国もしらないくせになんて
俺も知らんがね
>>130
何が言いたいのかな 九州説は中国事情に詳しいのかね
大陸との交易は邪馬台国以前の九州ね
倭国大乱か倭国は九州では収まらないのだよ
倭人伝よく読めよ
物証は畿内が優位なんだよ 155日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:42:28.29
倭国大乱は倭国(本州および九州)で起こったんだよ
其れを制したのが畿内
倭国は九州に限るという九州説は✖
倭国と大陸(特に漢代)との交流は九州説では✖
百余国も解明できない九州は✖ × ∞
156日本@名無史さん2018/02/22(木) 20:54:57.25
ニセスレに書いてんじゃねーよ
157日本@名無史さん2018/02/22(木) 21:14:31.76
158日本@名無史さん2018/02/22(木) 21:48:26.93
159日本@名無史さん2018/02/22(木) 21:50:48.80
160日本@名無史さん2018/02/22(木) 21:59:20.82
>>158
>南≠東の嘘つきで論破
「嘘つき騙し」じゃなかったのか?ww
「嘘つき騙し」は日本語としておかしいって言われたのを気にしてるの?ww
お気に入りのフレーズ、使えなくなっちゃったねぇwww 161日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:09:21.78
狗奴国は東海地方、東北地方、関東地方に比定される。
特に、東海地方は人口が多く、前方後方墳や、S字甕が分布が示すように、東海系文化をになう基盤があり、邪馬台国の対抗勢力でありうる。
162日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:13:59.40
163日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:15:50.44
平原古墳では、倭人伝の記述どうり「棺あって槨なし」の埋葬形式であり、
倭人伝が、邪馬台国の葬制を正しく伝えていることを示している。
倭人伝無視の畿内説はイカン
164日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:20:34.68
>>159
汚い言葉はNGに入れてるので見れないんだわw
あしからず 165日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:21:16.36
>>163
日本の古墳などの埋葬施設で使われている構造を、木槨・石槨・粘土槨・礫槨などと表現して、単に「槨」とは書かれないのはどうしてだと思う?
コトバンクより引用
「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
槨
かく
墓制上の用語。中国古代の用法では,直接死体を収納するものを棺といい,
その棺を置くところを槨といい,槨は壙の中に造られるという。
厳密にいえば日本の古代の墓制にはあてはまらない。
大正初期に棺槨論争があったが,現在は棺は用いるが,
槨という用語はあまり使われていない。
粘土槨,木炭槨という言葉は本来の厳密な意味からは離れており,
木棺を粘土あるいは木炭などで包むような構造のものをいう。」
本来の「槨」は「棺を置く空間を確保する構造物」を呼ぶもの
日本の古墳などで見られる、木槨・石槨・粘土槨・礫槨は
棺を封印するためのもので、空間を作る構造ではない
つまり「槨」じゃないんだよ
有棺無槨でばっちりだね
そして封土作冢とあるから、土を盛るのも古墳の作り方そのものだ 166御馳走様2018/02/22(木) 22:22:55.19
ザラコク=スレ主=奥村
収穫充分でしたWww
このスレ閉めどきだなWwwww
167日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:24:18.60
168日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:25:25.16
岩元正昭は
✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖
169日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:27:13.51
倭人伝よく読めよ
物証は畿内が優位なんだよ
170日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:28:53.46
>>164
>汚い言葉はNG
「嘘つき騙し」が大好きな人が何をおっしゃるやらww 171日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:29:55.26
30余国のうち、北九州の国は現在の郡程度の大きさである。しかし西の方になると、
いきなり現在の県に相当する大きさになってしまうのは不自然である。
172日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:31:20.23
>>368
>景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻。
が正しいことが必要となるが、景初二年八月に帯方郡の公孫氏が亡んでいる
景初二年の六月は公孫氏討伐戦の真っ最中で、とても倭からの遣使が通れる状況ではない <
これも×。
「景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻、太守劉夏遣吏將送詣京都」
だから、
帯方郡は、公孫氏ではなく、
既に「(明帝の詔書にまで書かれた)太守劉夏」に変わっていた。 173日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:31:44.51
174日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:32:46.40
全ザラコク病か
175日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:34:41.09
>>164
「九州説の書き込み」の引用部分がNGになったのかな?ww
じゃあ、私の書いた綺麗な言葉の部分だけもう一度コピペしておくから
逃げるなよ!!
「末廬國から伊都国を、本当は「北東」なのに、「東南」陸行って間違ってるね 」
に対して、
「唐津港付近や唐津市街から、東南方向出発路は、存在するし、
「陸行五百里」は途中の道なり移動を示しており、経路はある。 」
で答えたつもりになって「逃げてる」
「その出発方向を含む経路を示せ」って何度も言われてるのに
「ある」としか言ってないだろ
ごまかすな
「通過点を現在の地名等で、5点程度示してみろ」よ
あり得ない経路を出してくるんだろうなと楽しみにしてる
さあ、レッツ恥さらしプリーズ!! 176日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:36:51.12
畿内説の
論理的 反論皆無
寝るぞーーーーー
177日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:36:54.47
>>161
S字甕第二次拡散期に「東海忌部」が畿内入植に加わったことを示している。
つまり、畿内は関東・北陸より遅れて開拓されたってこと。 @阿波 178日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:38:36.81
179日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:40:53.76
>>176
自分の知力では、返事すらできなくなると、そう言って
「逃げる」よなww
大笑い 180日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:44:11.60
サルタヒコの遺言。故人の想いは大切にしないといけない。
倭国大乱の犯人を教えてくれる。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
181日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:44:42.90
横から失礼します。
>>136さん
隋書や唐書は邪馬台国論争に持ちだすのが不自然だと思います。
後ほど書き込みますが 182日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:51:39.44
>>181
>
隋書や唐書は邪馬台国論争に持ちだすのが不自然だと思います。
<
漢書も九州は引用しデタラメだろ 183日本@名無史さん2018/02/22(木) 22:53:07.80
184日本@名無史さん2018/02/22(木) 23:16:43.24
偽スレ立てて暴れてるキウスはタヒね
185日本@名無史さん2018/02/22(木) 23:23:57.16
倭人伝よく読めよ
倭人は朝鮮半島で鉄を直接採掘している
>鉄器
倭人は魏皇帝と文書外交している
>硯(筆記用具)、鉄製刀子(消しゴム)
物証から北部九州で確定なんだよ
186日本@名無史さん2018/02/22(木) 23:25:16.22
キウスの偽スレ
187日本@名無史さん2018/02/22(木) 23:27:34.29
>>183
九州説なんてみんな一緒じゃん?ww
で、183は九州王朝説なのか、東遷説なのかどっちだ? 188日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:14:16.33
>>185
倭人伝よく読めよ
鉄も絹も倭国のことであってヤマト国のことだなんて書いてないだろ?
畿内説では九州も倭国なんだから何も問題ない
でも、弥生時代に丹の山がない九州は、九州だけの倭国を主張する限り
其山有丹の一文で、これだけで破綻する 189日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:36:12.49
>>175
俺も九州説だが、その意見には賛成していないので、ノーコメント! 190日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:39:45.23
>>181
邪馬台国論争というが、魏志倭人伝において邪馬台国は女王の都するところであり、卑弥呼の称号は倭王なんだよ。
つまり、倭とはどのような国なのかを明らかにする必要がある。
後漢書から隋書まで、倭とは九州北部のことなんだよ。
旧唐書ではじめて東の日本国への政権交代が語られている。 191日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:42:54.89
>>165
>日本の古墳などで見られる、木槨・石槨・粘土槨・礫槨は
>棺を封印するためのもので、空間を作る構造ではない
>つまり「槨」じゃないんだよ
嘘をつくな。
石室は明らかに空間を作っている。
魏志倭人伝の記述は、石室のある前方後円墳は倭の墓制ではなく、平原遺跡のような弥生からの伝統的な墳墓を指している。 192日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:43:59.16
>>161
纒向はその東海の文化圏に属するので、その論理は破綻している。 193日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:45:39.94
>>154
>大陸との交易は邪馬台国以前の九州ね
>倭国大乱か倭国は九州では収まらないのだよ
根拠なし。
魏志倭人伝において、後漢の頃の倭と卑弥呼の倭は連続して書かれており、東に何百キロも移動したなど書かれてはいない。 194日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:47:20.36
>>143
ザラコクの祇園山説は明らかに時代が違う。
平原遺跡の方がより卑弥呼の時代に近い。 195日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:48:48.71
>>188
その山に丹有り
としか書かれていないのだから、
山に丹がある北部九州で問題なし
大量の中国朱を入手していた北部九州では
わざわざ自前の丹山を採掘する必要が無かった。
日本の炭鉱が
安価な豪などの露天炭鉱に押されて閉山していったのと同じこと。 196日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:49:52.00
>>188
卑弥呼は親魏「倭王」
倭人伝よく読めよ
鉄も絹も倭国のことであってヤマト国のことだなんて書いてないだろ?
畿内説では九州も倭国なんだから何も問題ない
でも、弥生時代に丹の山がない九州は、九州だけの倭国を主張する限り
其山有丹の一文で、これだけで破綻する 197日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:49:56.46
>>138
>王統が入れ替わったら、それは倭国ではないと何度言えばww
王統が変わり、九州の外に出て仕舞えば、それこそ倭国ではない。
王統が同じなら、後漢の頃に九州北部にあった倭国が東遷しなければいけない。
違う場所に違う王統が成立したら、同じ倭国でいられるわけがない。 198日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:51:10.09
>>188
卑弥呼は親魏「倭王」
倭人伝よく読めよ
倭人は朝鮮半島で鉄を直接採掘している
>鉄器
倭人は魏皇帝と文書外交している
>硯(筆記用具)、鉄製刀子(消しゴム)
物証から北部九州で確定なんだよ 199日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:52:15.97
>>196
>鉄も絹も倭国のことであってヤマト国のことだなんて書いてないだろ?
自分の書いた文章をよく読めよ。
畿内ヤマトなんて出る幕はないんだよ。 200日本@名無史さん2018/02/23(金) 00:52:40.75
201日本@名無史さん2018/02/23(金) 01:05:51.12
>>195
アホか
その頃の九州で朱の発掘なんてされてねーよ
そんなことも知らんのかサル
成分分析から当時の朱は「中国産、近畿、北海道と言うのが分かってる
でも北海道は北海道でしか使われてないから除外
で、それを調べると朱については弥生後期までは中国朱が主体
その後になると畿内の物に変わってる
「九州の朱なんて使われてない」のが成分分析で分かってんだよバーカ
はい、九州のどこに丹がある山があるのかな?ん? 202日本@名無史さん2018/02/23(金) 01:07:33.86
丹がある山がない(当時の九州では発掘されておらず、そこから出た丹も使われてない)
おやおやぁ?
九州説さんまた一つ嘘が暴かれましたねぇ
203日本@名無史さん2018/02/23(金) 01:17:18.43
>>201
>成分分析から当時の朱は「中国産、近畿、北海道と言うのが分かってる
ほうほう
畿内も九州北部の支配下だったのだな 204日本@名無史さん2018/02/23(金) 01:18:25.56
ここは
荒らしの立てたニセスレ
205日本@名無史さん2018/02/23(金) 01:20:13.25
自国内で掘った朱よりも中国製の朱の方を珍重しただけだろ。
朱の使用量は九州北部が圧倒している。
206日本@名無史さん2018/02/23(金) 01:21:46.95
>>198
>硯(筆記用具)、鉄製刀子(消しゴム)
硯が伊都国で出たっていっても、畿内の派遣した一大率がいるからな、としか
国内最古の硯の出土は、出雲の田和山遺跡で紀元前2世紀とされている
北部九州よりよっぽど先進地だな 207日本@名無史さん2018/02/23(金) 01:22:21.44
鏡は古墳、畿内土器、三角縁と共伴、もしくは三角縁だけ
絹もこの時期に消滅に近い勢いで激減し、しかも質が悪い
丹に至っては存在も知られてない
宮殿もない
経100歩の墓どころか大型墳墓の文化がそもそもない
骨占も壱岐の一部だけで畿内が歴史規模ともに圧倒
入れ墨も吉備を中心とした文化
揚句、北部九州はびっしりと畿内土器に塗りつぶされて墓も宝物も畿内式になってる
九州何にもねーどころかこれ以上ないくらい畿内の支配下じゃねぇか
アホか
何が九州説だか笑わせんな
208日本@名無史さん2018/02/23(金) 01:23:52.18
>>205
ひとかけらも国内産を使わないなんてことはないだろ?
九州には丹が出る山が当時なかったんだよ 209日本@名無史さん2018/02/23(金) 01:25:20.84
ここは
荒らしの立てたニセスレ
210日本@名無史さん2018/02/23(金) 01:31:15.43
>>197
だから最初に親魏「倭王」に除正された卑弥呼からずっと畿内大和が倭国の中心なんだよ 211日本@名無史さん2018/02/23(金) 01:32:30.60
ここは
荒らしの立てたニセスレ
212日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:00:34.16
王統が変わる?は?中国史のどこにそんなもんが?
梁書:台与の後に男性王が立ち邪馬台国継続
北史、隋書:晋、宋、斉、梁、隋と使節が継続してると記載
宋書:好太王碑文、稲荷山・江田船山鉄剣、三国史記等で雄略天皇の実在ほぼ確定(古墳勢力がそのまま大和朝廷なのが確定)
隋書:大和の位置が邪馬台国と同じと記載。上記の内容から畿内が確定
唐書:隋に使節を送った用明天皇と桓武天皇を同じ系統と認識している
(神功皇后も皇統にいるので神功皇后を卑弥呼と比定する日本の流れを受容してると分かる)
中国史書は「畿内の邪馬台国がそのまま大和朝廷になってる」と認識してるわけだ
213日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:06:35.19
>>116
少なくとも、あなたより"中国"に近い所で研究されてるよ
確かに思い込みのはげしい論調がある事は否めないが、納得できる所もある
全部鵜呑みにするのではなく、または否定するのではなく、一説として検証すべき
倭人伝の読み方に正解はない
ちなみに彼は直線的に読まないからね 214日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:08:54.96
さっさと刑務所に行ったほうが良いぞ、
または自殺するか
215日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:13:06.50
つか行程バカって頭どうかしてるのかね?
そもそも里で示されてる部分の行程は数字は滅茶苦茶だけど北部九州のクニグニへの道のりを示してると考えられてる
で、そこが現在比定されてる集落で畿内、九州関係なくほぼ了解を得てる
タンリとやらで九州に収めなくたってそもそも里数の記載は北部九州のクニグニでまとまってる話
問題なのはそこから始まる水行10日、陸行1月
里数関係ないわ
アホか?
216日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:16:55.73
行程バカは毎度毎度、里数以外の行程を全無視して「ほら!全部九州だ!」とかなんか喚いてる
いや、里数のところが北部九州のクニグニだって誰も否定してねーよ
異常者の思考回路は意味わからんな
そこからまだまだ行程が続いてんだろうが
217日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:30:17.00
>>210
卑弥呼は最初の倭王ではない。
帥升などの倭王が知られていて、少なくとも後漢の頃から九州北部の倭国が知られている。 218日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:32:07.32
>>212
旧唐書を無視しているね。
都合が悪い記事はすぐに無視だ。 219日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:33:13.45
>>215
>タンリとやらで九州に収めなくたってそもそも里数の記載は北部九州のクニグニでまとまってる話
短里だから九州北部に収まるんだが。 220日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:33:25.37
これも九州バカのいつものネタだけど奴国とか師升とかその辺の時代の倭王が九州にいたことなんて誰も否定してない
邪馬台国の時代が問題
221日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:35:24.47
>>220
倭国が何百キロも移動したなんて書いてないわけだが。 222日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:37:16.08
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
この文章の前後の文章は全て女王国か女王卑弥呼に付いての説明文であり、主語が書かれていなくとも主語は女王国か女王卑弥呼だと読み手には分かるようになっている。
それ以外の主語の場合は「諸國畏憚之」のように主語が明記されている。
「一大率常治伊都國」と主語が明記されていないので「常治伊都國」の主語も女王卑弥呼である。
なので「女王卑弥呼が伊都国で常に治めている」との意味になる。
では何を治めているのか?
女王卑弥呼が治めているのは自女王國以北の諸国である。
「常治伊都國」は「(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い自女王國以北の諸国を)常に治めていた」の意味であり 主語の女王卑弥呼と()内が省略されている。
治の類似の用法は漢書西域伝に見られる。
「大宛国 王治貴山城 去長安 万二千五百五十里…」
大宛国について、王は貴山城に治す、と王の所在を明らかにしている。
では「自女王國以北」とはどこか。
以北はその出発地を含む。出発地は「自女王國」とある。
つまり、女王国とその北にある国々を、そこに置いた一大率で支配したのである。
要するに女王国と伊都国は念を押して言い換えただけであり、一大率は伊都国にあり、伊都国が女王国、女王の都するところ、邪馬台国であるということである。
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐している監察官
「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い女王国から北の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ」の意味となる。
女王国が伊都より東にあったら、文章の意味が通らない。
畿内説では、一大率が支配していたのは奈良(女王国)およびその北である京都や丹波になってしまう。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけだからである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国であることを示している。
223日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:37:56.08
後漢書
倭在韓東南大海中依山㠀為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同
「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべてで百余国。武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである。国はみな王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国に居る(今の名を案ずると、ヤマユイ音のなまりである)。
楽浪郡の境界は其の国を去ること万二千里。その西北界の狗邪韓国を去ること七千余里。その地は会稽、東冶の東にあり、朱崖、儋耳に近く、法や習俗に同じものが多い。」
建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。
つまり、倭国とは狗邪韓國から倭奴国まで。
畿内は倭国の中に含まれず、まして倭国女王卑弥呼がいたはずもない。
畿内にいたのは、墓が大きいだけの地方豪族だけである。
224日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:38:16.28
>>218
お前みたいなバカは本当にバカだなと分かるわ
旧唐書の記事は「自分で国号変えた」と言う記事が「併記されてる」
どうせ読んだこともねーだろうけどよ
その上「日の出るところ」と言う由来も隋書に準じている
そして書いてる通り「隋書、新唐書」で旧唐書の時期も含めて「同じ王朝」だと認識してんだよ
日中の史書ともに国号についての誤解の記載が乗っていて時期的に壬申の乱の記事なのが確定してる
お前みたいなパーはこの程度の事も理解できないから九州説なんてバカ丸出しのこと喚いてるんだと分かるわ 225日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:39:49.32
倭国の都は筑紫の伊都だよ。
魏志には帯方郡から12000里で女王国とされ、10000里で九州北岸に到着している(対馬海峡の幅が3000里とされている)。
福岡県を出ることはまずない。
狭い糸島水道と日向峠以外には進入路がない一方、クシフル山からは糸島平野も博多湾も一望できた。
伊都の東側にクシフル山があり、その日向峠に山城を築き、高千穂宮と呼ばれた。
邇邇芸が、ここは日の出も夕日も照って、朝鮮半島にもまっすぐ道が続く良いところだと評した。
防衛にも外交にも非常に有利だった。
奈良時代には怡土城、戦国時代には高祖城と呼ばれた。
伊都国の東にそびえる王宮は太陽信仰や神仙思想といった初期の神道の舞台でもあり、魏志には日本独自の神道が鬼道の呼称で記された。
魏志には、伊都には代々王がいて、女王が治めていると書かれている。
伊都より北には一大卒を置き検察し、南は狗奴国(熊本)、東には海を渡ってやはり倭人の住む倭地(本州)があるとされている。
伊都は王権の象徴である金印や八咫の鏡が継承されてきた倭国の都である。
倭国女王である卑弥呼は死後に伊都の平原遺跡に埋葬され、八咫の鏡を含む三種の神器が副葬され、鳥居が建てられた。
226日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:56:15.49
ここは
荒らしの立てたニセスレ
フィッシング詐欺
227日本@名無史さん2018/02/23(金) 02:57:57.49
>>220>>223
後漢書は成立の順番から魏志のずっと後
で、その当時はもう古墳時代で中国の宋の時代
>>212で書いた通り中国政権は『邪馬台国の継続を理解している』
この宋の時代はそれこ倭の五王の時代と重なる時期で宋との交渉真っただ中
この時期の大和朝廷は魏志の頃よりも更に確実な全国政権へと成長している
倭王武の上表通りに魏志の頃よりはっきりと全国に拡大してることを意味している
つまり中国は「邪馬台国=倭と認識してる」ことを示してるわけだ
それが魏氏との記載の違いに出ているのが分かる
日本に上陸した時点でもう倭であり邪馬台国
その記載の方法は隋書でも継続してる事からもよくわかる
空白の4世紀とやらの倭の状況もこれで読み取れるわけだ 228日本@名無史さん2018/02/23(金) 03:07:16.03
史書の記載の変化を見ると興味深い
倭の中の奴国
倭の中の邪馬台国
倭=邪馬台国
倭の首都はヤマト
と変化してるのが分かる
宋書や日本の考古学的な発見などにある通り、中国史の変化は畿内政権の拡大とその支配の深化を描いてるわけ
229日本@名無史さん2018/02/23(金) 03:19:18.60
ここは
荒らしの立てたニセスレ
230日本@名無史さん2018/02/23(金) 06:28:40.61
>>579
>祇園山古墳は地山成型により、墳丘を作っているので、初期古墳ではない <
倭地では画期的な「高冢」と「殉葬奴婢100人墓」を造ろうとしているのだから、
地山成型あって当たり前。
>また、古墳の階層秩序では、方墳が王墓に採用されることはまずない<
当然、始皇帝墓を知った事になるし、楽浪太守墓も知っている可能性がある、
>一般的な編年でも、古墳時代前期(4世紀初頭頃)であって初期ではない<
高塚だから那珂八幡の前だし、筑紫の庄内や三角縁や甕棺があるのだから、
「4世紀初頭」とした学者の脳がおかしい。
こんなのを、大倭王の王墓の候補にしないといけないの?< 231日本@名無史さん2018/02/23(金) 06:41:57.59
>>230の追記
>こんなのを、大倭王の王墓の候補にしないといけないの?<
「大倭王」ではない。「親魏倭王」。
>平原1号墓は、舶載鏡や墓の様式(方形周溝墓で割竹型木棺)を見ると新しくできない<
形態や棺は、所属部族の伝統が残り易いものであり、
故人の身分などは副葬品に残り易いもの。
>一方で、ガラス製耳璫の金層ガラスは弥生時代の出土例が他には何処にもないので、
むしろ新しくした方が座りがよい<
前方後円墳の古墳時代直前の女王墓としては、適切。
>現在の標準的な考え方では、周溝を共有する2号墓の周溝(1号墓と共有して
いない部分)から出た土器片により、西新町土器の直前頃(2世紀末)という編年に
なっている<
ガラス製耳璫の金層ガラスや大量の豪華な鏡などの副葬があるのだから
一般的な土器など、故人の副葬品には全く必要がなく、
まして、「不在土器」などが、年代根拠には全くならない。 232日本@名無史さん2018/02/23(金) 06:46:06.01
>>581
>平然と「見つかってないだけ」とか言った口で、
纏向には鉄がないないと騒ぐダブスタ老人だから<
鉄は、土器よりも、部族の威信や個人の価値を示す物になり得る。 233日本@名無史さん2018/02/23(金) 06:51:20.69
>>230
>倭地では画期的な「高冢」
2段築成で葺き石があるんだから、「大和の纒向で定型化」した
古墳標準の作り方に完璧に従ってるね
ルールメーカーではなくルールキーパーの立場であることがはっきりしている
しかも古墳が定型化した墳丘を持つようになってから数十年後に
作られてるのに、「画期的」とか言って、頭わいてるんだろう
>高塚だから那珂八幡の前だし
「根拠」なしww
この時期の「古墳」は全部高塚だし、三角縁神獣鏡が出ている時点で、古墳として
最初期ではない
>「殉葬奴婢100人墓」
古墳時代には甕棺をもう作ってないんだよ
甕棺墓が古墳に殉葬されるはずがない
妄想がすぎるな
まあ、妄想は九州説ではデフォルトみたいだけどさ 234日本@名無史さん2018/02/23(金) 06:56:56.53
>>586
>>弥生王墓はたいてい方形周溝墓なんだけど。<
>今、問題にしている祇園山古墳は「古墳時代」<
「古墳時代」とは、前方後円墳時代の事。
そして列島での前方後円墳は、那珂八幡などが始原。
そして祇園山は、「高冢」墓の始原であり、平原と共に、
那珂八幡よりも古い。
>古墳時代の新秩序は、纏向遺跡の大和王権が主導した<
大和は、筑紫倭国の別種の旧小国であり、
筑紫倭国の文化や墓祭祀の模倣ばっかりであり、
全てにおいて、筑紫の後になる。
>古墳時代に入っている(祇園山が方墳という形式の古墳)である時点で、
王墓の可能性は事実上ないww<
祇園山が、列島の「高冢」墓の先駆であり、前方後円墳的な古墳時代のものではない。 235日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:01:56.29
>>231
>「大倭王」ではない。「親魏倭王」。
後漢書では大倭王って書いてあるね
後漢書大好きだろ? 九州説の連中は?
>形態や棺は、所属部族の伝統が残り易いものであり、
>故人の身分などは副葬品に残り易いもの。
その「残りやすい」という部分がただの想像
何か言いたかったら「根拠」を付けてどうぞ
>前方後円墳の古墳時代直前の女王墓としては、適切。
ガラス製耳璫の金層ガラスがよく出るのは、古墳時代でも後期から終末期
例えば藤ノ木古墳で出ている
前方後円墳よりもはるかに遅い
>大量の豪華な鏡
これが九州説の頼りの綱なんだが、メインは仿世鏡で
しかも割るのを目的に作ってるっぽい
土器の破砕供献よりは豪華かもしれないけどね
>「不在土器」などが、年代根拠には全くならない。
この土器を無視するなら平原1号墓の推定年代は2世紀末にしかならないぞww
卑弥呼の墓にはさらに条件に合わなくなるww 236日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:12:21.46
>>234
>そして列島での前方後円墳は、那珂八幡などが始原。
那珂八幡古墳の母集落は比恵・那珂遺跡群で、要は比恵・那珂遺跡群の
ローカル首長の墓
誰の墓だと思ってたんだ?ww
そして、比恵・那珂遺跡群の特徴は、九州における畿内様式甕の生産地であること
つまり、早い時期から畿内勢力のポチになっていた、北部九州の中心集落
だから、北部九州では一番早い時期に前方後円墳を作っている
まあ、古墳築造の早晩は、首長の死ぬ順番にも左右されるけれど
那珂八幡古墳は九州で一番早い時期の前方後円墳、ってところから
妄想してるだけだろ?
もっと歴史の流れとか周辺情報をきちんと勉強して、総合的に考えられるように
なれば、九州説を卒業できると思うよ
それとも妄想垂れ流しで、能力の低さを侮られ続けるのが楽しいM気質なのかな?ww 237日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:15:25.59
卑弥呼の墓をディスってないで纒向の話をしろよ
>纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、
>それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
発掘状況から、なんで「女性」であったとわかるのだ?
238日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:16:36.08
>>596
>>588
>>九州において筑紫倭国が継続していれば <
>>>533によれば「九州北部の王朝は激しく入れ替わるんだよ。 」だそうだから、
筑紫倭国は継続してないねww 仮定の話をしても、意味ないでしょww <
壹與の後は、倭国の「姫氏阿毎氏の合同王朝」の支配体制はかなり安定し、
壹與の後は、しばらく伊都と弥生銀座時代が続き、
317年に姫氏の久留米付近に遷宮して、姫氏の倭王旨や倭の五王を輩出し、
しかし、阿毎氏系と思われる磐井がまた権力を握り、
それを大和の阿毎氏系のヲホドが倒す異変があったが、
また阿毎氏が権力を握って、大和の阿毎氏との合同王朝の形でタリシホコ時代になって、
大和が「日本国」を称して独立しようとし、唐の武徳中になって独立が認められて、
白村江では、倭国が戦って負けて、倭国は大和日本国に併合吸収継承された。 239日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:18:22.65
>>597
>定型化した前方後円墳発祥の地が、纏向遺跡ではないとするなら、
現在の定説を真っ向から否定できるだけの「根拠」をしめしてね!!<
久住編年。 240日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:18:30.06
241日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:19:48.12
>>234
>そして祇園山は、「高冢」墓の始原であり、
高塚って言葉、誤解してるだろ?
ほとんど盛り土のない方形周溝墓に対して、その次の時代の盛り土をした墳丘墓から
古墳時代の古墳を全部「高塚」って言うんだぞ
吉備の楯築墳丘墓も、出雲の西谷9号墓も、丹波の赤坂今井墳丘墓も全部高塚
段築のある方墳がこれら弥生墳丘墓より早いはずがないだろう
どうして間違った妄想を書いて、恥をかき続けようとするんだ?
書き込む前に、少し「根拠」を調べてみようとは思わないのか?
まあ、九州説にはそもそも「根拠」という概念がないみたいだからしょうがないかww 242日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:20:59.05
邪馬台国の「ト」は、奈良時代の音韻法則から言えば大和の「ト」と同じ乙類
邪馬台国候補地のひとつ、九州の山門の「ト」は甲類の音であり、大和とは異なっている
言語学的には邪馬台(ヤマト)がそのまま大和(ヤマト)になったと見るべキ
243日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:21:17.48
244日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:23:43.83
>>602
>その前に「方墳が王墓である可能性はほぼない」に対する反論はないのか?
全国的に見て、何処にでもあるクラスのしょぼい方墳を大倭王の墓にしようと
する時点で恥ずかしくないのか?<
難升米らは、当然、始皇帝の「冢」墓を知った、と思われるし、楽浪太守の墓も見た可能性がある。 245日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:25:14.43
>>234
>大和は、筑紫倭国の別種の旧小国であり、
神武の移住を九州倭国の分家というなら、畿内皇統の祖は九州王家でいいと思うよ
記紀にもそう明記してあるし
でも神武の移住は邪馬台国時代の5世代、100~150年くらい前で、その間に
九州は弱小化し、畿内は成長している
邪馬台国の時代はもう完全に差が付いてるよ
そういう歴史の流れを考えずに、ただ妄想を書き散らすだけなのが九州説 246日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:29:08.76
>>237
>卑弥呼の墓をディスってないで纒向の話をしろよ
卑弥呼の墓じゃなく、平原1号墓なww
ディスってる訳じゃなく、出土物の評価や大きさ、編年等、現在知られている事実や
専門家の判断を淡々と書いているだけだが?
反論するなら「根拠」を付けてどうぞ 247日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:30:00.31
>>245
>でも神武の移住は邪馬台国時代の5世代、100~150年くらい前で、その間に
根拠は? 248日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:33:50.63
>>246
>卑弥呼の墓じゃなく、平原1号墓なww
平原遺跡って集落遺跡なの? 卑弥呼の居た弥生集落遺跡はどこ? @阿波 249日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:35:36.35
>>237
>発掘状況から、なんで「女性」であったとわかるのだ?
発掘状況だけではなく、記紀等に見られる彦姫制とヒメ王の担当(祭祀王)や、
のちの伊勢神宮の斎王に繋がる女性祭祀の伝統があって、桃の種2000個等の
明らかに宗教儀式を想定できる出土遺物を総合して、女性の祭祀王が想定
されるんだよ
「女性」だと「分かる」のではなく、「女性」だと考えた方が整合性が取れるし
蓋然性が高いと「判断」してるんだよ
九州説の「根拠」なしの妄想とは違ってね 250日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:35:44.75
>>242
奈良時代の一時はやった音韻は参考にならないよ 251日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:38:40.53
252日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:42:04.27
ザラコクガンバレよ 苦戦
253日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:42:22.93
>>247
>「根拠」は?
この部分は、古代系譜研究家の宝賀寿男氏の論考に従っている
古系図の残る古代豪族の皇統との世代対応関係を精査すると
神武から崇神まで5世代と判断できるそうだ
1世代20年とすれば5世代で100年、30年とすれば150年になる
末子相続を考えると、30年に近い数字の方が実体に近いと思う
まあ、この部分は考古学的な遺物という物証に較べて、古代系譜は
信頼性が落ちるが、妥当な推定だと判断している
ちゃんと「根拠」はあるだろ?
いつも「根拠」を付けろと言われるのが、そんなに悔しいの? 254日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:42:54.95
>>617
>>そこで卑弥呼の出自が重要になるわけだよ。
そもそも卑弥呼は筑後川流域の出身ではないかと。<
>卑弥呼の出自に関しては、文献情報は一切ないね?
魏志倭人伝にも書いてないし、国内の文献にはそもそも明示的に
卑弥呼が書かれている文献はない <
いや、
魏志でさえ、「大夫」を使う国であり、会稽付近との関係を匂わせており、
魏略やその後の中国史書群なども「聞其舊語、自謂太伯之後」と書いており、
通鑑前編ははっきり「呉王夫差の遺民」であった事も記し、
新撰姓氏録にも松野氏が呉王夫差の出である事を記し、
日本書紀私記も「倭国は東海姫氏國であった」事を記し、
松野氏姫氏系図には、呉王夫差の後裔であって、
金印の倭奴国王や、帥升や、卑弥呼や壹與や、熊襲王らや、
玉垂命や倭の五王らの記載もある。 255日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:46:50.04
鏡は古墳、畿内土器、三角縁と共伴、もしくは三角縁だけ
絹もこの時期に消滅に近い勢いで激減し、しかも質が悪い
丹に至っては存在も知られてない
宮殿もない
経100歩の墓どころか大型墳墓の文化がそもそもない
骨占も壱岐の一部だけで畿内が歴史規模ともに圧倒
入れ墨も吉備を中心とした文化
揚句、北部九州はびっしりと畿内土器に塗りつぶされて墓も宝物も畿内式になってる
九州何にもねーどころかこれ以上ないくらい畿内の支配下じゃねぇか
アホか
何が九州説だか笑わせんな
256日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:47:14.63
>>252
>ザラコクガンバレよ 苦戦
事実ベースの定説と妄想ベースのトンデモ説を較べちゃダメだよww 257日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:49:33.38
>>244
>難升米らは、当然、始皇帝の「冢」墓を知った、と『思われる』し、楽浪太守の墓も見た『可能性がある』
『 』は私が付けた
妄想乙 258日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:49:54.21
>>255
でも、畿内の支配下じゃないけどね。 @阿波 259日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:51:33.82
平原1号墓で100人生き埋めにはできへん ちっちゃい
260日本@名無史さん2018/02/23(金) 07:54:51.07
>>254
>松野氏姫氏系図には、呉王夫差の後裔であって、
出た!「松野氏姫氏系図」
これを貼れってことだな
https://textream.yah...075d145f086b7f/1/615
「いや、後世に偽造されたものなら、
自家が、「天皇家に敵対した熊襲」や、
「大和天皇家一元列島支配宗教で書かれた記紀の思想を否定するような倭の五王」の名前を書く筈が無い。
そんな事を書いた事がばれたら、一族全部罰せられる可能性も高い。
つまり、真書であった可能性が非常に高い。
つまり、ごまかしは、やっぱりウソつき騙しのサギシ。」
でもさ、この偽書、国っていう字使ってるよ?
國じゃなくてww
新字体を使っているってことは、昭和のしかも終戦後だよな
天皇の神格化も終わって、というかむしろ非難されるようになった
戦後民主主義の時代なんだから
「一族全部罰せられる」可能性は皆無だし、
それが「真書である可能性を高める理由」はこれっぱかしもないよな 261日本@名無史さん2018/02/23(金) 08:08:41.08
262日本@名無史さん2018/02/23(金) 08:10:41.49
263日本@名無史さん2018/02/23(金) 08:17:43.34
>>259
1号墓と2号墓はセットだね
ほぼ同時に作られてるよ 264日本@名無史さん2018/02/23(金) 08:23:16.76
>>263
>1号墓と2号墓はセットだね
だから、平原遺跡って集落遺跡なの? 卑弥呼の居た弥生集落遺跡はどこ? @阿波 265日本@名無史さん2018/02/23(金) 09:07:44.72
>>261
>根拠にならない、やり直し
じゃあ、まず「根拠」のお手本を見せてくれww
末慮國から伊都国へ向かう、出発方向が東南の経路を途中通過点を
5ヶ所くらい現代の地名で示して論証してくれればいいよ
古系図ってのは、資料も研究者も少ないしこれ以上の考察は無理だよ
開化と崇神が従兄弟または兄弟で同世代、という考察は方々である
従兄弟説では、考霊と考元を兄弟としていて、崇神を考霊の末子と考える
すると卑弥呼の最有力候補で考霊皇女の倭迹迹日百襲姫命と崇神が姉・弟の
関係になる
まあ、この辺はこれ以上の探索は無理だから、具体的な系譜関係はあまり
意味がないけれど、物部氏、大伴氏、久米氏等が、神武から崇神まで、
ほぼ5世代としているのは、状況証拠として考慮してよい 266日本@名無史さん2018/02/23(金) 09:10:34.92
>>263
>1号墓と2号墓はセットだね
>ほぼ同時に作られてるよ
そして、1号墓と2号墓はほぼ同じ大きさ
2号墓を倭王卑弥呼の墓にするのがばからしいと感じられる感性があれば
1号墓も無理だって分かるんだがね 267日本@名無史さん2018/02/23(金) 09:12:05.70
こは
荒らしの立てたニセスレ
フィッシング詐欺
268日本@名無史さん2018/02/23(金) 09:14:29.76
>>265
>意味がないけれど、物部氏、大伴氏、久米氏等が、神武から崇神まで、
ほぼ5世代としているのは、状況証拠として考慮してよい
物部氏も大伴氏も久米氏も、もともとは全部、忌部一族。 忌部一族の分家。 @阿波 269日本@名無史さん2018/02/23(金) 09:17:57.10
>>258
>平原1号墓で100人生き埋めにはできへん ちっちゃい
1号墓の周溝に確か6個の土坑墓があるだけのはず
しかもその土坑墓が、「周溝が埋まってから」土坑を掘っている
つまり周溝が埋まるだけの時間差が、1号墓と土坑墓の間にある
そんな殉葬はないww 270日本@名無史さん2018/02/23(金) 09:47:26.98
ここは
荒らしの立てたニセスレ
フィッシング詐欺
271日本@名無史さん2018/02/23(金) 10:14:16.48
これで充分だ。
大阪池上曽根遺跡の大型建物に使われたヒノキの柱根が、年輪年代法で紀元前52年に伐採されたものであることがわかった。
早い段階から高度の文化を持った勢力が畿内に存在し、邪馬台国時代にはすでに前方後円墳が築かれていた。
唐古・鍵遺跡は320ヘクタールの大環濠集落で、紀元前1世紀から紀元2世紀まで続いた遺跡で、「楼閣」があった。
3世紀の日本は、九州から畿内までの広範囲ですでに統一されていた。
3世紀初頭から4世紀後半の巨大集落である纏向遺跡(推定200ヘクタール)が、初期大和政権の首都の、有力候補地である。
纏向遺跡では、瀬戸内海、山陰、北陸、東海地方などから運ばれた多くの土器が出土し、
各地からの物資が集まる先進地域だった。また、祭殿、祭具が発見されている。
272日本@名無史さん2018/02/23(金) 10:18:04.40
ここは
荒らしの立てたニセスレ
273日本@名無史さん2018/02/23(金) 10:22:50.45
>>265
妄想が根拠とかw
お花畑満開ですから~ 274日本@名無史さん2018/02/23(金) 10:23:49.25
池上曽根に、高度の文化があったという根拠がない。
せいぜい、鉄くずと井戸。
弥生中期以降の九州とは比較にならないよ。
275日本@名無史さん2018/02/23(金) 10:25:17.65
>3世紀の日本は、九州から畿内までの広範囲ですでに統一されていた。
根拠なし。
276日本@名無史さん2018/02/23(金) 10:43:20.30
>>273
>妄想が根拠とかw
いやいや、記紀に皇室系譜があるし、物部氏の系譜は食う旧事本紀にある
「松野氏姫氏系図」とかいう昭和の作成の偽系図とは違う、本物の古系図が
「根拠」だよ
それよりもこれに早く答えてね!
「末慮國から伊都国へ向かう、出発方向が東南の経路を途中通過点を
5ヶ所くらい現代の地名で示して論証してくれればいいよ 」 277日本@名無史さん2018/02/23(金) 10:52:48.90
>>272
畿内説には、もう、デマ荒らししかないのだろうかw 278日本@名無史さん2018/02/23(金) 10:58:13.49
ここは
荒らしの立てたニセスレ
279日本@名無史さん2018/02/23(金) 10:58:56.53
ここは
荒らしの立てたニセスレ
280日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:06:48.90
>>276
>「末慮國から伊都国へ向かう、出発方向が東南の経路を途中通過点を
> 5ヶ所くらい現代の地名で示して論証してくれればいいよ 」
なんでいきなり変な質問ふっかけてくるの?
アタマおかしいの? 281日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:07:56.72
系図なんて後代の創作だよ
282日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:19:35.36
>>266
副葬品で差があるだろ。
2号墓は弟の墓じゃないか? 283日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:21:52.16
>>271
何が十分なんだ?
邪馬台国と関係ない遺構だろ?
論点がまるでわかってない。 284日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:44:08.15
池上曽根遺跡。
縄文人系の集落なのか、渡来人系の集落なのか。渡来人ならいつ頃何処から渡来したのか?
285日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:47:51.39
ヤマト、山外なら音は合うのかな。
286日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:49:04.10
ここは
荒らしの立てたニセスレ
287日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:50:45.28
3世紀の音なんて誰にも分からないさ
288日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:50:57.51
ここは
荒らしの立てたニセスレ
289日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:51:22.38
ここは
荒らしの立てたニセスレ
290日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:57:21.36
ここは
荒らしの立てたニセスレ
291日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:58:29.28
ここは
荒らしの立てたニセスレ
292日本@名無史さん2018/02/23(金) 11:59:54.26
ここは
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293日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:00:20.20
ここは
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294日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:02:02.03
ここは
荒らしの立てたニセスレ
295日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:02:39.62
ここは
荒らしの立てたニセスレ
296日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:03:44.09
ここは
荒らしの立てたニセスレ
297日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:09:40.79
ここは
荒らしの立てたニセスレ
298日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:13:08.99
お前が荒らしだ。
299日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:14:11.57
ここは
荒らしの立てたニセスレ
300日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:16:50.35
ここは
荒らしの立てたニセスレ
301日本@名無史さん2018/02/23(金) 12:18:24.21
ここは
荒らしの立てたニセスレ
302日本@名無史さん2018/02/23(金) 13:01:25.02
>>706
倭国の別種の旧小国の大和は、
権力者のシンボルたる祭祀や墓制までも、筑紫倭国の方式に変えられている。
この動きはただの文化移動ではなく、
明確なの「倭国の東征」という政治的背景がある事を示している。
この前の時代に、出雲や毛人蝦夷などがあった事が、この拡大の背後にある。
そしてこの流れは、時代を追うごとに連動性を強くし、
中央の筑紫と地方、と言う関係をより鮮明にしていく。 303日本@名無史さん2018/02/23(金) 13:06:24.03
ここは
荒らしの立てたニセスレ
304日本@名無史さん2018/02/23(金) 13:18:21.69
ここは
荒らしの立てたニセスレ
305日本@名無史さん2018/02/23(金) 13:18:56.84
ここは
荒らしの立てたニセスレ
306日本@名無史さん2018/02/23(金) 13:36:28.44
畿内説が破綻して、自論を論破されてしまったキナイコシが基地外になってしまったね。。。
307日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:00:58.47
>>280
>>「末慮國から伊都国へ向かう、出発方向が東南の経路を途中通過点を
>> 5ヶ所くらい現代の地名で示して論証してくれればいいよ 」
>なんでいきなり変な質問ふっかけてくるの?
>アタマおかしいの?
答えないなら答えないでいいけどさ、それならそれで
九州説としてザラコクの「南≠東」を絞めとけよww 308日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:14:33.10
ここは
荒らしの立てたニセスレ
309日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:15:10.03
ここは
荒らしの立てたニセスレ
310日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:17:14.76
臺與の時代に布留式土器が出現し、大和から全国に広がる。これは大和が日本の中心であったからなのだ
銅鐸が残らなかったのは、個々の村にわかれて生活をつづけていた人々が、そのムラの枠をすてて、
より大きな規模の集団を構成することになったためなのだ。
311日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:20:20.79
無駄な抵抗をする九州説なんだよな
使者が日本に上陸後、不弥国から投馬国までが「水行二十日」、投馬国から邪馬台国までが
「水行十日、陸行一月」とある。これだけの日数がかかる場所は、九州域内に求めるのは無理で、
大和までの所要日数を表したものだ。
不弥国から先の、投馬国、邪馬台国は、距離ではなく日数になっているのは、九州から遠く離れたからである
312日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:23:36.36
ここは
荒らしの立てたニセスレ
313日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:29:17.07
到伊都國
丗有王・・・・・・平原はこの王の墓
皆統屬女王國・・・畿内邪馬台国に従属している国
314日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:31:05.95
315日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:34:22.26
ここは
荒らしの立てたニセスレ
316日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:37:43.42
>>311
「南。水行十日、陸行一月」の意味は、不弥国から邪馬台国までの旅程ではなく、
朝鮮の帯方郡から邪馬台国のまでの道のりを要約したもの(古田武彦) 317日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:38:41.65
318日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:40:16.93
ここは
荒らしの立てたニセスレ
319日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:46:29.76
>>283
>何が十分なんだ「? 」
邪馬台国と関係ない遺構だろ「? 」
論点がまるでわかってない。
⇧
君 かわうぃね
「?」が自身の無さを表しているよ 320日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:53:00.20
ここは
荒らしの立てたニセスレ
321日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:54:23.51
>>274
お前の頭を疑う
池上・曽根遺跡大阪府和泉市池上町と同泉大津市曽根町とにまたがる弥生時代中期の環濠集落遺跡。
南北1.5km、東西0.6kmの範囲に広がり、総面積60万m2に達する大集落遺跡である。
環方形周溝墓×20基(弥生時代中期)
墓域は約40万m約15m四方、周囲を溝で巡らせた内部に棺を埋めた跡を5か所検出。
濠は、二重にめぐらされている
竪穴住居あり 高床式大型建物 あり
鉄製品の工房あり
ヒスイ製勾玉 朱塗りの高坏 322日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:57:23.36
ここは
荒らしの立てたニセスレ
323日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:57:34.71
>>306 同意する
キナイコシは何も論じられなくアラシに廻ったのだ 324日本@名無史さん2018/02/23(金) 17:58:00.26
>>321
じゃあ邪馬台国大阪説でも立てるのかと思えば、そうではないんだろ?
そこに卑弥呼がいたのか?
違うだろ。
大きい建物があったとか、それだけでは倭種に過ぎないんだよ。 325日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:02:10.37
>>321
>鉄製品の工房あり
???
>ヒスイ製勾玉 朱塗りの高坏
勾玉も朱も阿波の産。 申し訳ないが、池上・曽根遺跡も忌部一族が暮らした邑。 @阿波 326日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:02:41.28
>>321
鉄器は出ないし
海外との交流遺物、特に威信材が無い
木製農工具が出土しているのに
鉄製農工具は皆無
淡路島の大阪湾側の対岸に鉄器が無いのだから、
つまりは淡路島の鉄工房遺跡は北部九州倭王が運営していたことが確実と言える。 327日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:04:50.16
ここは
荒らしの立てたニセスレ
328日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:07:09.85
329日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:10:31.23
ここは
荒らしの立てたニセスレ
330日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:11:10.19
>>326
>淡路島の大阪湾側の対岸に鉄器が無いのだから、
>つまりは淡路島の鉄工房遺跡は北部九州倭王が運営していたことが確実と言える。
それは無茶が過ぎますよ。 倭国(阿波)まで取り込むつもり? @阿波 331日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:11:13.14
>>326
不弥国以東も邪馬台国なら所都は纏向で良いという事だろ 332日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:12:39.56
不弥国以東は渡海千里で倭種だから邪馬台国じゃないだろ
ちゃんと倭人伝を嫁よ
333日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:24:47.91
>>1
> 倭人伝述べるところの、
3世紀前半末に曹魏と通交した
倭の女王はどこにいたであろうか?<
⇧
北部九州でしかありえないという結論を
強引に纏向に持って行く手法イカン
妄想は妄想 それ以上でもそれ以下でもない 334日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:28:29.63
伊都に女王がいるからなあ。
副葬品もそのまんまだし。
335日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:28:35.61
>>333
>北部九州でしかありえないという結論を
魏志倭人伝にある「丹山」が無くて、その地産の丹を使っていないところは邪馬台国論争の資格無し。 @阿波 336日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:30:52.32
北部九州には、魏志倭人伝にある「丹山」がある。
魏志倭人伝には、その地産の丹を使っているとは書かれていない。
>其山有丹 北部九州倭国の山には丹が有るだけ
337日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:32:08.67
338日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:41:49.66
339日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:47:46.73
340日本@名無史さん2018/02/23(金) 18:54:05.92
ここは
荒らしの立てたニセスレ
341日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:19:11.58
>>311
「郡(帯方郡)より女王国にいたるまで1万2000余里」とある。
さらに、倭人伝の記述から、、
帯方郡から狗邪韓国まで7000余里
狗邪韓国から末盧国まで3000余里
残りの、末盧国から邪馬台国まで2000余里
となって、A:B:C=7:3:2である。帯方郡から狗邪韓国までの実際の距離は500キロなので、
末盧国から邪馬台国まではその7分の2の約140キロになり、邪馬台国は、北部九州の範囲内である(1里=約70m)。 342日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:24:03.15
ここは
荒らしの立てたニセスレ
ここは
荒らしの立てたニセスレ
ここは
荒らしの立てたニセスレ
👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
343日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:24:29.87
>>341
魏志倭人伝にある「丹山」が無くて、その地産の丹を使っていないところは邪馬台国論争の資格無し。 @阿波 344日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:26:49.69
345日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:28:03.80
携帯野郎出現
346日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:29:27.10
347日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:30:31.55
ここは
荒らしの立てたニセスレ
348日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:35:34.17
ここは
荒らしの立てた良スレ
349日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:37:47.60
荒らしが自画自賛
350日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:54:48.47
北部九州に倭国
倭国の中に邪馬台国と狗奴国があって倭国王の座を争っている
伊都国が倭国旧首都であり卑弥呼のいる邪馬台国首都
なんの疑問も無く解決された
351日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:55:27.20
おかしいなぁ
どれくらい言う通りにしてやったら九州に邪馬台国出てくんだ?
なぁ?
次は何をしてほしい?
どうやったら九州に邪馬台国出てくんだよ?
352日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:56:00.12
ここは
荒らしの立てたニセスレ
353日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:56:42.34
大和は古くから開けた土地で、人口も多い。邪馬台国の7万戸の人口(20万人以上)は、奈良県なら可能。
354日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:58:32.84
奈良は湿地帯
七万戸どころか千戸もムリじゃん
355日本@名無史さん2018/02/23(金) 19:58:43.46
奈良湖?
356日本@名無史さん2018/02/23(金) 20:05:40.47
ここは
荒らしの立てたニセスレ
必死で上げてる人は誰?
357日本@名無史さん2018/02/23(金) 20:08:05.57
>>354
>奈良は湿地帯
>七万戸どころか千戸もムリじゃん
それ、縄文時代ww
本当に、時代とか編年とか分かってないww 358日本@名無史さん2018/02/23(金) 20:09:40.92
池上曽根遺跡も凄い遺跡だが、謎は大阪城の下だな。
元々は生國魂神社の境内。
そこの木を天皇が伐採した時、不敬だとなったらしい。
天皇の行為が不敬になるほど聖地だったことが伺える。
一体何があったんだろう。
359日本@名無史さん2018/02/23(金) 20:16:10.22
>>353
>大和は古くから開けた土地で、人口も多い。邪馬台国の7万戸の人口(20万人以上)は、奈良県なら可能。
内陸で、しかも湿地帯ではそれは叶わぬ夢。
やはり、邪馬台国の7万戸は、大きな河川がたくさん存在する阿波が必然となる。 @阿波 360日本@名無史さん2018/02/23(金) 20:23:26.51
ここは
荒らしの立てたニセスレ
361日本@名無史さん2018/02/23(金) 20:25:02.87
>>357
国土地理院が奈良盆地は奈良時代まで湿地帯と発表してる 362日本@名無史さん2018/02/23(金) 20:50:35.26
ここは
荒らしの立てたニセスレ
ウソ満載
363日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:01:47.03
>>361
>国土地理院が奈良盆地は奈良時代まで湿地帯と発表してる
「根拠」は?
その発表文なり、図のURLなり、貼ってみそ? 364日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:05:20.41
ここは
荒らしの立てたニセスレ
ウソ満載
上げてるやつは誰だかお察し
365日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:07:12.73
366日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:12:06.31
>>363
オマエ以前ノスレとか見てないの?
ニワカか 367日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:13:53.77
ここは
荒らしの立てたニセスレ
ウソ満載
上げてるやつは誰だかお察し
368日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:37:50.30
実際に地中を発掘してる考古学者の見解よりも
近現代の地形から地図をつくってる地理屋の情報を信じる九州脳
369日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:41:26.59
餅は餅屋
地形のプロの見解
370日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:43:33.95
>>367
本スレのテンプレは嘘ばかりだぞ。
記紀ではヤマト征伐から大和朝廷が始まるとあるのを無視している。
倭国大乱も無視。
あんなプロパガンダに満ちた情報はないよ。信じたらダメだ。
テンプレなど無視して自分の頭で真実を見抜け 371日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:54:15.50
地中を掘ってもない、地上に明確な痕跡もない
それで地図のない時代に湖があったなんてわかるはずなかろう
372日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:56:30.52
650日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:03:02.66
元ねた見つけたわ
国土地理院時報(2000 no.94)
「近畿地方の古地理に関する調査(国土地理院地理調査部)
http://www-im.dwc.doshisha.ac.jp/~nihei/nara/index.php?%C6%E0%CE%C9%CB%DF%C3%CF%A1%A7%C3%CF%B7%C1%A1%A6%C3%CF%BC%C1%A1%A6%BF%E5%B7%CF
657日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:12:52.10
>>650のリンク先にある「奈良盆地の地形学的研究」53ページに
>なぜなら、奈良盆地が更新世以降において湛水し湖沼化したという事実は認められない。
とあるな 373日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:57:22.92
660日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:18:00.17
奈良県遺跡地図Web
http://www.pref.nara.jp/16771.htm
664日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:21:12.40
データベース名 遺跡
ID 11A-0104
市町村 川西
遺跡名 下永東方遺跡
所在地 磯城郡川西町下永東方
種類区分 集落・町屋,社寺
時代区分 縄文,弥生,古墳,奈良,平安,鎌倉,室町
時代詳細 縄文・晩~古墳・後、奈良~室町
遺跡概要 方形周溝墓、井戸、掘立柱建物、区画溝
遺物 縄文、弥生、土師、須恵、黒色土器、中世土器、木製品、石器、石製紡錘車、土馬
文献・備考 白米密寺伝承地、『下永東方遺跡』(文化財報86)2001、『奈良県遺跡調査概報2003年度第1分冊』2004、『奈良県遺跡調査概報2004年度第1分冊』2005
668日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:24:19.31
データベース名 遺跡
ID 11A-0123
市町村 川西
遺跡名 下永東城遺跡
所在地 磯城郡川西町下永東城
種類区分 集落・町屋,墓・墓地
時代区分 縄文,弥生,古墳,鎌倉,室町
時代詳細 縄文、弥生・中、古墳・前~中世
遺跡概要 方形周溝墓、土坑、掘立柱建物、井戸
遺物 石器、弥生、土師、石釧、木器
文献・備考 『下永東城遺跡』(文化財報103)2003 374日本@名無史さん2018/02/23(金) 21:57:44.56
674日本@名無史さん2018/01/31(水) 23:37:38.33
http://www.ksmt.com/panorama/130501nara/130501nara.htm
>2013.5.1 Kashihara 橿原
>飛鳥を自転車で回ろうと思い近鉄橿原神宮前駅へ。
>まず奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の「5世紀のヤマト~まほろばの世界~」を見学。
>5世紀の遺跡から出た資料が展示されており興味深いのですが、最も興味を引いたのが5世紀の地図。
>古奈良湖は既になく、奈良盆地全体が陸地をして描かれています。
(略)
>橿原考古学研究所の受付の方にお願いすると、水田の発掘担当者の方に直接話を聞けることになりました。
>運が良かったようです。
>担当者の方の話によると、
>
>1.縄文後期の遺跡が奈良盆地の一番低いところにも存在するので、縄文後期には既に古奈良湖は消滅していたと考えられる。
>法隆寺付近に古奈良湖が7世紀頃まであったという説は、どうやら間違いのようです。 375日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:00:51.82
376日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:03:15.88
ひょっとして奈良湖を疑ってるのか?
奈良もそうだし京都もそう
縄文時代は湿原の中に島状に浮かぶ土地に人々が暮らしてたんだよ
それを天孫族が渡来人の土木作業を使って平地化した
ってのは常識だろ
377日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:05:11.07
お前の常識は世間の非常識だぞ
378日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:16:18.39
>>377
え?ちょっと待て?
京都は湖あるいは大湿原だったのを
桓武天皇が渡来人を使役して都に変えた
これは常識だよな? 379日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:28:32.22
奈良湖のほとりで君を待つ!
380日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:29:14.66
右京の南部は低湿地だったといわれる程度
そんな常識はない
381日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:35:32.70
>>380
それは平安京遷都後の話でしょ。
その頃でも都に低湿地が残ってたんだよ。
巨椋池なんて昭和まで残ってて写真まである。 382日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:42:24.60
旧小椋池と洛中の標高差を確認してこい
383日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:47:44.82
可笑しい
384日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:50:29.16
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
えんがちょ
385日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:53:36.87
旧巨椋池の標高=10メートル
旧平安京羅城門(千本九条)付近の標高=22メートル
www
386日本@名無史さん2018/02/23(金) 22:57:30.54
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
387日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:00:54.14
>>371
>地中を掘ってもない、地上に明確な痕跡もない
>それで地図のない時代に湖があったなんてわかるはずなかろう
地質学を理解していない畿内説。 388日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:01:04.79
>>375
おいおいw
古奈良湖を否定しているだけで、湿地帯だったことには変わらないんだよ
かろうじていくつか集落が存在できただけ、しょっちゅう洪水があったのさ
とても首都にできる土地じゃない 389日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:01:23.03
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
390日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:03:11.15
京都盆地で標高22メートルまで水が溜まるなんてありえないな
JR山崎駅付近の標高が16.9メートル
京阪橋本駅の北約300メートル付近の標高が14メートル
水は溜まることなく大阪湾へ流れ出る
391日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:04:02.22
392日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:06:11.19
>>387
地理学と地質学は違うんだぜ?
地質学者が完新世以降の湖沼化を否定してるのは無視かい? 393日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:07:04.17
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
394日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:07:44.10
平安遷都のエピソード見たら、京都は畿内の中では開発が遅れた地域だな。
京都は暑い寒いで住みにくい。
395日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:09:50.00
国土地理院は復元図を作る際に、奈良湖については何の調査も検討もしていない
すでに歴史学界では誰も相手にしていない古い見解に乗っかってるだけ
396日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:13:24.86
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
397日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:15:29.37
>>394
奈良も大阪も京都も開発が遅れた。 伊勢や東海よりもね。 @阿波 398日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:20:30.84
奈良湖くんは、更新世って258万年前から1万2千年前までだって知ってた?
399日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:27:40.93
どれほど論破されようとも自分の間違い/敗北を認めることができない
それが九州説脳=俺様偉い病=62病
400日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:31:20.17
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
401日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:33:58.92
>>399
論破されていることを理解できない、ってパターンもあるな 402日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:36:09.84
>>392
そりゃそうだ
完新世以前から湖沼化してたんだから 403日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:36:30.91
自説のためならウソや捏造を平然とおこなうのも九州説脳
404日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:37:49.83
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
405日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:39:24.87
406日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:41:57.67
407日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:46:22.21
>>402
それ以前から湖沼化してたなら
「以降において湛水し湖沼化したという事実は認められない」
なんて表現するわけないだろ
どんだけ自己中読みしてるんだよ 408日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:48:23.90
引用元の論文読んだらすぐばれる嘘をつくバカがいる
409日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:50:40.06
410日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:51:59.33
ザラコクもキウスも岡上も何故にこうもホイホイと嘘を吐くのか
411日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:53:42.45
嘘つきだから九州説になるのか
九州説だから嘘つきになるのか
412日本@名無史さん2018/02/23(金) 23:56:15.95
嘘はいけないことって躾を受けなかったのかね
413日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:08:58.60
ちゃんと色々と調べて判断するっていう科学的な考え方ができれば、
今どき九州説になんてならないんだよ
科学無視の指向性があるから、科学とは対極の嘘・捏造・ごまかしを平気でやるようになる
人として最低
414日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:14:50.90
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
415日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:15:14.33
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2~1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1~2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2~3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。
416日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:15:56.70
湖沼化はしてないけど、河川の氾濫が頻繁に起こる土地であり
とても七万戸の住民が居住できる土地ではない、でFAだな
417日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:18:39.37
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
418日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:23:51.02
>>416
誰も奈良盆地だけで7万戸なんて主張してない
また捏造 419日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:28:48.26
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
420日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:29:21.23
421日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:33:37.24
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
422日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:34:57.49
>>420
女王の都する所である国(地域的まとまり)を勝手に首都(単独の都市)に変換するねつ造 423日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:36:00.89
>昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
まともな研究者はだれひとりそんな主張はしてないな
ウソつき
424日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:38:49.04
>>422
じゃあ女王の所都には適さない、でFA
これでいいな 425日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:40:39.85
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
426日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:44:01.69
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
427日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:44:09.41
428日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:46:58.77
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
429日本@名無史さん2018/02/24(土) 00:48:09.90
>>424
7万戸は畿内V様式分布域だから問題なし
女王の居所候補である纒向は奈良盆地低部ではないから湿地帯とは関係なし
つまり、おまえの思考回路に問題ありでFA 430日本@名無史さん2018/02/24(土) 03:05:04.75
>>422
>>>420
>女王の都する所である国(地域的まとまり)を勝手に首都(単独の都市)に変換するねつ造
うむ
伊都国、奴国、不弥国を合わせて邪馬台国だよね 431日本@名無史さん2018/02/24(土) 03:05:26.36
432日本@名無史さん2018/02/24(土) 03:09:34.62
ここは
荒らしの立てた
ニ セ ス レ
悲惨なニセスレ
433日本@名無史さん2018/02/24(土) 05:05:06.65
434日本@名無史さん2018/02/24(土) 09:53:52.50
>>423
怖くて言えないのに、なんでお前には他人の考えがわかるんだ?
嘘つき! 435日本@名無史さん2018/02/24(土) 13:51:15.28
436日本@名無史さん2018/02/24(土) 13:53:56.41
437日本@名無史さん2018/02/24(土) 17:54:57.16
>>434
俺様は隠された真実を知ってるんだ!って主張は、トンデモか頭のビョーキだね 438日本@名無史さん2018/02/24(土) 18:24:34.35
杵築大社の天井図。八雲が一つ欠け七つしかないだろ。
あれは、紀元前後出雲地方の内乱の結果、神庭にいた渡来人系の出雲の王族が追放されたから。
出雲地方で元々信仰されていたのは、姫神の幸神、東から来て文物をもたらしたクナトの神。そしてその子のサルタヒコ。
サルタヒコ一族は、縄文人のオオナムチに破れるんだな。
そして、畿内など各地に逃げ延びる。
https://goo.gl/HVTW1n 439日本@名無史さん2018/02/25(日) 18:27:03.53
「自郡至女王國萬二千餘里」のうち、九州本島到着までに萬餘里相当を費消済みであるので、行程解釈で伝統的な連続説或いは放射説の孰れに依拠しても、残余は1,300~2,000里となる。
これは魏尺24cm×1,800尺=1魏里432m換算で概ね562~864kmに相当する。
参考値として博多港より奈良県桜井市の三輪参道入口(大鳥居前)までフェリー航路と現代の道路上の通算距離を得ると、直行航路の場合概ね620km、寄港地11設定の場合概ね793kmとなり、妥当な範囲に収まり適合する。
440日本@名無史さん2018/02/25(日) 18:27:22.61
究極の結論
畿内説論者は公務員が大半
1、義理人情で給与をもらう
2、互助会を形成する
3、関関同立のバカが集う
4、まずは銭
5、畿内説の学者が多いというがほとんど関関同立
6、たまに 京大がいるが決して確定とは言わない・・さすが京大
7、別団体を作り、税金を泥棒する
これが、畿内説の実態
441日本@名無史さん2018/02/25(日) 18:36:57.97
442日本@名無史さん2018/02/25(日) 18:38:51.37
帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000<水行20日投馬国>
(渡海千里) ※8000
対馬
馬(方可四百余里) ※8800余
(渡海千里) ※9800余
壱岐
岐(方可三百里) ※10400余
(渡海千里) ※11400余
末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余 <水行30日陸行1日>
443日本@名無史さん2018/02/25(日) 20:35:53.06
>>441
????????????????????? 444日本@名無史さん2018/02/25(日) 22:05:18.43
畿内説 は 路地裏に行きました
おしまい
445日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:10:41.08
埋め
446日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:10:57.13
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447日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:11:12.10
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448日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:11:27.99
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449日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:11:44.16
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450日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:12:00.12
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451日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:12:16.08
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452日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:12:32.19
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453日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:12:48.06
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454日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:13:04.02
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455日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:13:20.00
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456日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:13:36.10
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459日本@名無史さん2018/02/26(月) 23:14:24.02
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465日本@名無史さん2018/02/27(火) 16:11:41.84
くまのぷー
466日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:05:43.79
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467日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:05:59.52
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468日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:06:15.49
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469日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:06:31.42
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470日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:06:47.37
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471日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:07:03.42
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473日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:07:35.51
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475日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:08:07.51
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476日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:08:23.52
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477日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:08:39.47
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478日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:08:55.98
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479日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:09:11.55
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480日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:09:27.41
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481日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:09:43.39
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482日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:09:59.52
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483日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:10:23.13
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484日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:10:39.17
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485日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:10:55.27
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486日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:57:18.17
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487日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:57:34.62
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488日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:57:50.88
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489日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:58:06.92
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490日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:58:22.89
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491日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:58:38.77
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492日本@名無史さん2018/02/27(火) 22:58:54.71
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526日本@名無史さん2018/03/01(木) 17:50:01.29
102 本当にあった怖い名無し[sage] 2018/02/27(火) 19:15:49.42 ID:
>>101
いや、すべての証拠物がもう既に出土してる
1万%、邪馬台国の場所は確定されてる
いまさら言うまでもなく、奈良だ
徳川の埋蔵金場所も1万%確定しているが完全に無視されとる
何でもかんでも暴けばいいってもんじゃねえ
聖徳太子についても
いまさら教科書に載せないとか片腹痛いわ!w
ホント学者は使えねえ 527日本@名無史さん2018/03/01(木) 19:41:51.49
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528日本@名無史さん2018/03/01(木) 19:42:09.17
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547日本@名無史さん2018/03/01(木) 19:48:09.26
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549日本@名無史さん2018/03/01(木) 19:48:46.64
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550日本@名無史さん2018/03/01(木) 19:49:03.15
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551日本@名無史さん2018/03/02(金) 15:33:21.56
お互い馬鹿騒ぎ
奥村が一番悪い
552日本@名無史さん2018/03/02(金) 16:03:45.04
奥村とは、誰だろうか。
奥山と奥村と二人いるのだろうか、、、
553日本@名無史さん2018/03/02(金) 16:09:26.60
このスレッドを埋めている人物は、何かを隠そうとしているのだろうか、、、
554日本@名無史さん2018/03/02(金) 16:10:33.49
キナイコシの発想は、こうだものねw
777日本@名無史さん2018/03/02(金) 13:07:35.44
なにか、九州説の急所に刺さるものでもあったのかな?
とにかくこのスレの内容が目に触れないようにしたいみたいだね
でも、九州説に都合のいいことなんて現実にはないんだし、
たいていのことは九州説に刺さるだろう
このスレを過去ログ倉庫に入れたところで読めるんだけどねぇ
555日本@名無史さん2018/03/02(金) 16:24:26.28
>>553
奈良湖の出典が紹介された後に、スレッドの埋め立てが始まっているね。。。 556日本@名無史さん2018/03/02(金) 16:25:30.58
国土地理院が、畿内説を破綻させていたのか。。。
557日本@名無史さん2018/03/02(金) 16:38:27.14
>>556
重複Part330スレッドを立てて、詳しく論じるべき、話題ではないのかな。。。 558日本@名無史さん2018/03/02(金) 17:04:11.68
埋め
559日本@名無史さん2018/03/02(金) 17:04:43.25
生め
560日本@名無史さん2018/03/02(金) 17:04:56.84
産め
561日本@名無史さん2018/03/02(金) 17:11:52.86
膿め
562日本@名無史さん2018/03/02(金) 17:12:14.63
倦め
563日本@名無史さん2018/03/02(金) 17:12:34.85
熟め
564日本@名無史さん2018/03/02(金) 17:12:58.72
績め
565日本@名無史さん2018/03/02(金) 17:16:54.02
梅
566日本@名無史さん2018/03/02(金) 17:45:00.71
うめ
567日本@名無史さん2018/03/02(金) 17:45:15.35
ウメ
568日本@名無史さん2018/03/02(金) 20:21:53.65
ここも埋めないとな
569日本@名無史さん2018/03/02(金) 20:22:29.39
「どうして自分の低能さをこんなにひけらかしたがるんだろう
原子核内の陽子と中性子を結びつける「強い力」は、
核と電子の間の「電磁気力」より桁違いに大きいから、
いくら電子を引き剥がしてプラズマにしたところで、
原子核の崩壊確率は変わらない
核物理の基礎の基礎も分からないくせに何を言ってるんだか」
570日本@名無史さん2018/03/02(金) 20:23:57.52
>だから四至説明を説明しなって言ってるんだよ
今、ザラコクの末慮国-伊都国間の東南・北東間違いへの反論が、
ザラコクの頭の中にしかない「四至説明」だけだから、
「四至説明なんてものはない」ことを示せば、それで終わりだよ<
末慮国-伊都国間の「東南」は、
「位置説明=四至説明」ではなく」
行程上の「移動説明」。
571日本@名無史さん2018/03/02(金) 20:24:27.14
今度は、四至説明を、位置説明と移動説明に別ける訳だな
でも
始度一海千餘里至對海國
又南渡一海千餘里(名曰瀚海)至一大國
又渡一海千餘里至末盧國
東南陸行五百里到伊都國
東南至奴國百里
東行至不彌國百里
南至投馬國水行二十日
南至邪馬壹國(女王之所都)水行十日陸行一月
は基本的に統一した書かれ方をしていて、
位置説明と移動説明の区別はない
都合のいいところは位置説明、都合の悪いところは移動説明と、
区別する理由が一切ないんだが
これでザラコクの「南≠東」は詰んだな
572日本@名無史さん2018/03/02(金) 20:31:21.23
ということで、魏志倭人伝の
末慮国⇒伊都国の「東南陸行五百里、到伊都國」は
東南が北東の誤りで90度回っている
魏志倭人伝の方角は、手放しで絶対に正しいと言えるものではない
573日本@名無史さん2018/03/02(金) 20:33:39.79
旧唐書でも 「皋遂命巡官崔佐時至牟尋所都陽苴咩城,南去太和城十餘里,
東北至成都二千四百里,東至安南如至成都,通水陸行」 とあって、内容を確認すると
陽苴咩城は現在の大理白族自治州大理市で、そこから東北に2400里で成都、
「東」に水行陸行を通して成都に至る如し(同じくらいの距離)で安南(ハノイ)に至る
となっているけれど
実際には大理から安南は「東南」
574日本@名無史さん2018/03/02(金) 20:34:44.20
陽苴咩城(大理市)から、成都までは直線で東北方向で合ってる
間に大凉山脈があって直線では行けないし通常の経路なら昆明経由になるから
出発方向は南東方向になるが、東北至成都とあるから地図上の
直線方向の方角で示してあるのが明らか
だが、陽苴咩城(大理市)から安南(ヴィエトナム、ハノイ)までは
直線方向で「南東」だが、「東」至安南と書いてあるから明らかに方角が間違っている
そして出発方向も、ソンホン川沿いに行っても昆明経由でも「南東」
大陸の史書は普通に方角を間違う
575日本@名無史さん2018/03/02(金) 20:38:57.90
あと、北部九州の比定地を軒並み否定するのがすごい
576日本@名無史さん2018/03/02(金) 20:41:18.13
末慮国は、通常は「宇木汲田遺跡遺跡の周辺」を当てるのに、
単に、伊都国への出発方向を南東にするため「だけ」に、
魏志倭人伝に書かれている末慮国の位置は「唐津港周辺」だと言い張っている
577日本@名無史さん2018/03/02(金) 21:12:46.32
次の伊都国は、普通は三雲遺跡群を伊都国の中心とみなすのに
臨津搜露をするんだから、海岸沿いに決まっていると言い張る
では、三雲遺跡群は何だと訊くと、奴国なんだそうだ
でも、三雲南小路遺跡は伊都國王墓で、平原1号墓も伊都國王墓で
かつ卑弥呼の墓らしい
メチャクチャだよな
578日本@名無史さん2018/03/03(土) 19:44:01.92
畿内説は滅びたね
579日本@名無史さん2018/03/03(土) 19:56:14.13
九州説ってどうしてそんなにバカなの? アホなの? 根拠を書くとタヒぬの?
根拠なしの書き込みが、本当に無駄な、自らの無知蒙昧をさらすだけの自爆だって
どうして分からないの?
だから九州説なんてやってるんでしょ?
本当にバカなの?
580日本@名無史さん2018/03/04(日) 19:39:18.04
九州の弥生遺跡って、めぼしいの、というか王墓と言われているものも
みんな古いんだよな
卑弥呼の時代には届かないものばかり
それで、九州説を唱えられるのが、いい面の皮だとしか言いようがない
581日本@名無史さん2018/03/04(日) 22:35:37.90
そのまま奈良時代まで続く遺跡が多くてね。
582日本@名無史さん2018/03/05(月) 15:55:11.37
高床式建物が放射状に並んでいたのは、とこだっけ?
583日本@名無史さん2018/03/05(月) 15:57:38.38
>>582
放射状じゃなくて、円周状なら
滋賀県守山市の伊勢遺跡だと思う 584日本@名無史さん2018/03/05(月) 16:01:38.76
>>582
>そのまま奈良時代まで続く遺跡が多くてね。
そりゃあ、地方にも役所的なものは必要だから、そういう出先は存続するだろ? 585日本@名無史さん2018/03/05(月) 16:08:42.07
ありがとう。
ここも生活遺物や墓地が出てないようですね。
586日本@名無史さん2018/03/05(月) 16:17:59.50
九州説の中でも、特に純度が高いトンデモが「九州王朝仮説」
倭の五王の時点で、普通の教育を受けたものなら倭王武が雄略天皇であることは
疑いがない
オオハツセワカタケルのワカタケルにあたる「獲加多支鹵」大王という
金錯銘鉄剣が、関東の稲荷山古墳と、熊本の江田船山古墳から出ていて
少なくともこの範囲が大和朝廷の領域であることが分かっている
この状況で、どこに九州王朝が生き残っている余地があるのか、
考えても見ないところが、古田史学系九州王朝仮説のイタイところ
587日本@名無史さん2018/03/05(月) 16:24:28.13
>>585
>ここも生活遺物や墓地が出てないようですね。
伊勢遺跡単体で見ると、そういう見方になってしまう人もいますが、
この琵琶湖東岸の野洲川扇状地は、それこそ弥生銀座と言えるほどの遺跡密集地で、
少し視野を広げれば周りにいくらでも墓域も集落遺跡もあるんですよ
纏向遺跡も同じで、奈良盆地にいくらでも墓域も集落遺跡もあって、簡単に
行き来できるのに、「生活遺物や墓地が出てない」というのに、
どんな意味があるのか、不思議でなりません
まあ、九州説側がプロパガンダ的に広めてるってだけですよ 588日本@名無史さん2018/03/05(月) 16:27:32.90
>>587
畿内の範囲広げすぎだよ
邪馬台国近畿説カイ 589日本@名無史さん2018/03/05(月) 16:46:24.13
>>588
>畿内の範囲広げすぎだよ
>邪馬台国近畿説カイ
伊勢遺跡が邪馬台国とは言ってないだろ?
本当に捏造気質だなぁww
標準的には、奈良盆地の中で水系単位の共同体ができあがっていき、
奈良盆地内に、3つのクニを考える
1.「平群」「層富下」「層富上」の大共同体群(クニグニ)からなる
北部の「国」(仮称「ソフ(層富)」国)
開化天皇の宮がある地域で、垂仁天皇のときの狭穂彦の乱の「狭穂」のこと
2.「山辺」「磯城上」「磯城下」「十市」「高市」の大共同体群(クニグニ)からなる
東南部の国(仮称「ヤマト」国)
纏向遺跡はここに属する
3.「曽我」「葛城上」「葛城下」の大共同体(クニグニ)からなる
西南部の国(仮称「カツラキ(葛城)」国)
これが、馬見古墳群の母体
邪馬台国をヤマト国と読む場合は、この2番目の狭義のヤマトを指すんだよ
唐子鍵も、ここに入る
邪馬台国七万戸というときの範囲は、大和ー河内~環大阪湾地域
いわゆる「畿内第V様式の国」だよ
きちんと領域もはっきりしている
九州説みたいに、伊都国だ、奴国だ、遠賀川流域だ、筑後川流域だとか
手のひらクルックルはしないww
で、九州説はどこを邪馬台国にするんだい?
筑後川流域の山門には、ろくな弥生遺跡はないぞww 590日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:13:20.84
>>589
>標準的には、奈良盆地の中で水系単位の共同体ができあがっていき、
奈良盆地内に、3つのクニを考える
それ、興味沸くね。
その「3つのクニ」を「弥生集落遺跡」で示せる? @阿波 591日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:21:21.93
>>590
既にここで示されているんだが
1.「平群」「層富下」「層富上」の大共同体群(クニグニ)からなる
北部の「国」(仮称「ソフ(層富)」国)
開化天皇の宮がある地域で、垂仁天皇のときの狭穂彦の乱の「狭穂」のこと
2.「山辺」「磯城上」「磯城下」「十市」「高市」の大共同体群(クニグニ)からなる
東南部の国(仮称「ヤマト」国)
纏向遺跡はここに属する
3.「曽我」「葛城上」「葛城下」の大共同体(クニグニ)からなる
西南部の国(仮称「カツラキ(葛城)」国)
これが、馬見古墳群の母体
詳しいことは、ここで自分で読んでくれ
「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」寺澤薫(2016)
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf 592日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:27:25.24
>>591
>既にここで示されているんだが
その「3つのクニ」を「弥生集落遺跡」で示せる? @阿波 593日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:30:58.54
>>592
自分で論文読むくらいはしろよ
ちゃんと全部書いてあるよ 594日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:37:04.84
結局、九州説とかいう連中は、ちゃんとした専門家の論文を読んでないから
見当違いのことを言い続けてるんだよな
ちゃんとした情報を仕入れてから主張しろとずっと言ってるんだが通じない
595日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:38:08.37
>>593
人が書いたものを投げ売りかね?
ここに投稿するのであれば、要点を書きだすぐらいしなきゃ、値打ちないよ。 @阿波 596日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:45:15.99
>>595
>人が書いたものを投げ売りかね?
>ここに投稿するのであれば、要点を書きだすぐらいしなきゃ、値打ちないよ。
遺跡が244箇所記載されてて、それが先の3つのクニに、ちゃんと帰属が
分かるように分類して示されてるよ
244箇所の遺跡名を羅列してもしょうがないだろ?
それに、図で見ないと水系単位ってのが把握できない
一次資料の論文をきちんと読めるURLで示されたんだから、
文句をつけるなら、ちゃんと自分で読んで把握してからにしな
それじゃあ、九州説と同じだぞ 597日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:47:54.79
>>596
>244箇所の遺跡名を羅列してもしょうがないだろ?
その「244箇所の遺跡」って、全部「弥生集落遺跡」かね? @阿波 598日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:49:53.90
奈良盆地内の集落遺跡の消長を追うことで「拠点集落を核とする小共同体」と、「水系単位でまとまる複数の小共同体からなる大共同体(クニ)」が抽出でき、それが後の律令制での「郡」の単位とほぼ重なる
そして、そうした大共同体が銅鐸祭祀などへの対応により、「3つの大共同体群(国)」に分かれることが見て取れる
その3つの国は
1.「平群」「層富下」「層富上」の大共同体群(クニグニ)からなる北部の「国」(仮称「ソフ(層富)」国)、
2.「山辺」「磯城上」「磯城下」「十市」「高市」の大共同体群(クニグニ)からなる東南部の国(仮称「ヤマト」国)、
3.「曽我」「葛城上」「葛城下」の大共同体(クニグニ)からなる西南部の国(仮称「カツラキ(葛城)」国)
この2番目の、奈良盆地東南部の大共同体群が邪馬台国=ヤマト国だと考えるのが、寺澤先生の持論
纏向遺跡は、この地域に作られた王都であって国(邪馬台国)ではない
599日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:51:13.72
>>597
「大和『弥生』社会の展開とその特質(再論)」 600日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:53:48.72
「縄文時代晩期後半の突帯文土器様式のうち、(中略)
突帯文様式の遺跡は一見して、菩提山川と大和川を結ぶ盆地の南部に集中する様子が
わかる。とくに突帯文様式単純の遺跡(J 型)は、唯一、秋篠川上流の西隆寺下層を
除けば、大和川本流(初瀬川水系)以南にほぼ限られており、おそらくは朝鮮半島-玄界灘沿岸地域ルートで伝来し、
北部九州の穀物センターにおいて定着を果たして初期の不完全な農耕文化の揺籃を開始した突帯文系様式は、
瀬戸内海ルートで河内潟に入り河内平野への入植を介して大和川を溯上して初瀬川をさらに遡上したことがわかる。」
そもそもからして、奈良盆地の集落は、河内平野への入植~大和川を遡上~初瀬川へ、と
河内の集団が奈良盆地へ伸張して行ったものと見られる
河内と大和は、最初から本質的に同根・同祖だね
「こうした突帯文様式の遺跡と遠賀川系の第Ⅰ様式の遺跡のあり方には興味深い関係が
ある。前期1段階の遺跡の分布は突帯文様式の遺跡分布よりも収斂されている。
奈良盆地における突帯文様式集団と新たな遠賀川様式集団との社会的諒解関係は、
決して対立的に領域を界した存在ではなく、親和的、双方開放的な関係であったものと推察されるのである。」
突帯文様式(土器)も北部九州の穀物センターが起源だし、遠賀川系の畿内第Ⅰ様式(土器)も九州の遠賀川(崗之水門)由来
畿内と九州に交流はないってずっと意地になって言い張ってる人がいるけど、縄文末期~弥生初期も、土器様式から
九州と畿内の交流は見て取れるよね?
601日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:55:18.56
「第Ⅲ様式は、(中略)
A–1 群の萩原は一分西畑からの分村と考えるべきであろうが、一分西畑じたいが
生駒西麓製土器の搬入の多さから、「河内」大地域の集団との関連を考慮するので
あれば、この時期での生駒西麓開発との関係を等閑視することもできないかも知れない。」
この寺沢論文では、絶対年代は扱わず土器形式での編年だが、
畿内第Ⅲ様式は弥生中期1段階にあたる
その時期にも「河内」大地域集団が奈良盆地内に入植している可能性が見られる訳だ
河内と大和を別勢力と考える理由はないよね?
602日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:57:02.61
「第Ⅳ様式の集落は大部分が第Ⅲ様式からの継続である。
つまり、この段階の弥生時代農耕集落は極めて安定した自然的、社会的環境のもとに
経営されていたと考えることができる。
(中略)
絵画土器が盛行し、とりわけ盆地南半部の拠点集落では大形の棟飾り付の高床建物や
楼閣 ・ 楼観風の建物を描いた絵画土器が伴う。拠点集落では中期1からの石器製作や
木器製作が常態化し、拠点集落では吉備から伊勢湾沿岸地域までの遠隔地の搬入土器が
顕在化し、鉄製品、青銅製品(中国鏡片や銅剣)の流入も多くはこの時期であろう。」
第Ⅳ様式の時点(弥生中期)の時点で「吉備から伊勢湾沿岸地域までの遠隔地の
搬入土器」や「鉄製品、青銅製品(中国鏡片や銅剣)の流入」があるってさ
603日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:58:06.59
>>598
以下のような「弥生集落遺跡」の分布を示せないのかね? @阿波
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・吉水遺跡・拝原東遺跡
・西長峰遺跡・北原~大法寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡
【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡 604日本@名無史さん2018/03/05(月) 17:59:07.44
寺沢先生の考える、大和の時代区分は以下のとおり
(1)縄文晩期後半期(突帯文様式)~第Ⅰ様式前半期〔前期1〕
(2)第Ⅰ様式後半期〔前期2〕
(3)第Ⅱ様式~第Ⅲ様式期〔中期1〕
(4)第Ⅳ様式期〔中期2〕
(5)第Ⅴ様式期〔後期1〕
(6)第Ⅵ様式〔後期2〕
(7)庄内様式~布留0様式期〔古墳初期〕
この中で、大きな画期が2回あって、一つが(5)第Ⅴ様式期〔後期1〕に入るところ、
もう一つが(7)庄内様式~布留0様式期〔古墳初期〕で、ここから古墳時代に入るというのが、
寺沢先生の持論
(4)第Ⅳ様式期〔中期2〕までは、各拠点集落は安定的に維持されており、
大きな社会変動はないように見られる
仮称「ヤマト国」の拠点母集落の「唐子・鍵遺跡」では、
「M–3群の唐古 ・ 鍵遺跡では銅鐸をはじめとする青銅器生産の痕跡が明らかであり、
銅鐸を保有する祭祀集団としての中核的な集落に成長していることが想定可能である。」
それが、
「中期2の最期には外縁付鈕銅鐸や扁平鈕式銅鐸の埋納が集中して行われたと考えられる。
さきに示した中期1後半以降の各群保有の銅鐸に加え、この時期には、唐古 ・ 鍵遺跡(M–3群)でも
扁平鈕式銅鐸の破砕片が出土していることや多遺跡での深樋式銅剣切先の埋納を重視すれば、
他の拠点集落を含め、この時期に埋納行為があったことを否定できない。」
と、弥生中期の終わりと同時に、銅鐸祭祀に一つの画期があり、銅鐸の破砕が行われたようだ
605日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:00:56.08
それが、(5)第Ⅴ様式期〔後期1〕に入ると
「拠点集落のなかには、環濠の繞る位置や集落本体じたいの異同の認められる事例が存在することである。」
「周辺小規模集落においても、以前に比べれば第Ⅳ様式から第Ⅴ様式への変遷には変動が大きいことである。
集落の消長は47 ヵ所におよび、新出例もほぼ同数の45 ヵ所におよぶから、
まさに集団の解体 ・ 分割(移動 ・ 分村)と統合(編入)が集落単位の消長 ・ 新出という形で盛んに現象したことになる。」
「奈良盆地における高地性集落の初現であることである。」
と、倭国乱の影響が奈良盆地に及んだことが見てとれる
(6)第Ⅵ様式〔後期2〕の時期は、そうした高地性集落の多くは廃絶し
「これらの河川の下流部での集落の新出にも注意すべきである。こうした上流の扇状地部や下流の低地部での
集落の再盛傾向は、第Ⅴ様式のはじめに政治的状況の影響を受けて一端リセットされた集落構成が、
再び本来の社会経済的基本動向に沿って、新たな耕地拡大と整備をはかった結果として理解できるであろう。
こうして、大和弥生社会は再び安定した盛期を迎えたかのようである。」
ここまでが、奈良盆地において(1)縄文晩期後半期(突帯文様式)~第Ⅰ様式前半期〔前期1〕に集落形成が始まってからの、
奈良盆地内での自生的な発展の過程
606日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:02:55.27
それが次の(7)庄内様式~布留0様式期〔古墳初期〕で、
「弥生時代から古墳時代への変化は、集落と遺跡群(小地域)の動態上じつに画期的である。」
「集落の消長と出現に見るギャップは極めて大きく、集落の後期2からの継続性はほとんどないといっても過言ではない」
「とりわけ重要なのは拠点集落の断絶性である。典型的な拠点集落17例中7例がほぼ廃絶に近く、
10例が大幅な衰退と縮小を強いられている実態が明白(中略)拠点集落は基本的に消長を遂げる」
「突線鈕式銅鐸が埋納されたのもこの頃である。(中略)小形長頸壷などから第Ⅵ –2 様式から
庄内0式の可能性が高く、埋納は庄内0式であったと考えられる。(中略)「見る」銅鐸の埋納や破砕片の
出土がこの時期に集中しており、弥生的青銅製祭器によるマツリが終焉を迎えたことを物語っている」
「高地性集落もまた消滅する。」
「さらに重大な画期的事態が突発する。纒向遺跡の出現である。」
「纒向遺跡の出現は、奈良盆地の弥生時代社会の終焉を宣言すると同時に、古墳時代という
全く新しい政治的状況の現出を記念すべき画期的な事件であったといえよう。」
要するに、寺澤先生は庄内期の始まり(庄内0期)に、纏向遺跡が作られ始めることをもって
「古墳時代の開始」と考えている
607日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:03:06.72
>>596
>244箇所の遺跡名を羅列してもしょうがないだろ?
その「244箇所の遺跡」って、全部「弥生集落遺跡」かね? @阿波 608日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:05:50.36
「奈良盆地の初期農業共同体社会の内的発展の根底らの崩壊という現象は、常識的に見れば、
地域と共同体を荒廃させ、経済とその根幹にある人 ・ もの ・ 情報のネットワークを寸断 ・ 解体させることになりかねない。
そうした多大なリスクを払って実現された事態とは何か。盆地全域が崩壊ほどの前代未聞の巨大な自然災害でもない限り、
歴史に残るほどの大事件を想定せずおれないであろう。それは、今までみてきた古い大和弥生社会が、
新たなより巨大な歴史的運動によって呑みこまれていくというストーリーでしかない。
それはまた、緩慢な社会 ・ 経済的、祭祀的結合を貫徹していた安定した農耕集落が、今まで経験したことのなかった
巨大な政治的権力の渦中に身を委ねることになったと考えることが最も合理的な理解である。」
そして、結論として
「私は北部九州(2世紀までの倭国中枢であった、私の言う「イト倭国」勢力)や2世紀以降とくに強大な勢力として
新興してきた吉備を中心とした瀬戸内海勢力を維新主要勢力とした政治的談合による
倭国の再編成(私の言う「新生倭国」の誕生)と考えている。」
この政治的談合による倭国の再編成により、弥生以来の奈良盆地の体制は消滅し、纏向遺跡に王都が建築された、
というのが寺澤先生の所論であり、纏向遺跡が置かれた「仮称ヤマト国(狭義のヤマト)」が邪馬台国だとしている
609日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:07:22.46
610日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:07:49.66
>>607
>その「244箇所の遺跡」って、全部「弥生集落遺跡」かね?
「大和『弥生』社会の展開とその特質(再論)」 611日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:12:39.50
>>603
>以下のような「弥生集落遺跡」の分布を示せないのかね?
その土地に詳しくない人間にとって、図示なしの地名の羅列は
ほぼ意味がない
だから、図版の載ってる論文を読める形で示した
あとは自分で読みな
論文の要旨の関係部分は、ざっとまとめて挙げておいたぞ 612日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:13:37.95
阿波と奈良じゃ、遺跡の蓄積も研究の蓄積もレベルが違うから
613日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:15:36.17
邪馬台国 阿波説のスレは立てないのか?
614日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:21:50.70
>>609
>なんか、古田信者と同じだね。
こういう捨て台詞とか粘着の仕方とか、
むしろ阿波の方が九州王朝説の誰かと同じ傾向だぞ
気をつけて! 老婆心ながら(老婆じゃないけど) 615日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:27:52.76
>>611
>論文の要旨の関係部分は、ざっとまとめて挙げておいたぞ
その「論文の要旨」は倭国(阿波)から進出した忌部一族の入植状況だね。 @阿波 616日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:28:54.49
阿波はこれしか言わないなぁww
それ、宗教の教祖様のやり口だよ
何を言われても、返す言葉はいつも同じww
617日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:32:30.49
>>616
>阿波はこれしか言わないなぁww
「これ」 以上でも以下でもないからね。 @阿波 618孝霊厨2018/03/05(月) 18:46:27.00
馬見丘陵西側、銅鐸から画文帯神獣鏡に、
弥生時代から古墳末期までの古墳群から
また弥生末期の古墳が確認されましたよ。
この辺りは御所辺りと同じく、早い時期から
鏡と銅鐸を併用していた可能性も
あるかもしれません。
619孝霊厨2018/03/05(月) 18:52:59.52
文章が変になってしまいました。
まあ今まであまり注目されなかった二上山
から信貴山を中心とした地域ですが、
間違いなく倭国、ヤマト朝廷構成の歴史に
おいてかなり鍵となる場所なのは
間違いないでしょうね。
620日本@名無史さん2018/03/05(月) 18:59:19.82
>>618
>馬見丘陵西側
これは大和盆地内ですか?
「卑弥呼の王宮が出現した」の人? 621日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:01:39.33
>>589
旧山門郡領域の
柳川市、みやま市の弥生遺跡は
181件ありますね。 622孝霊厨2018/03/05(月) 19:07:31.03
>>620
馬見丘陵は勿論奈良盆地内ですよ。
卑弥呼の王宮云々は私ではないです。
ですが奈良盆地内で居住区に適した場所は
山辺から桜井南部までを除くと、
葛城山麓から馬見丘陵、矢田丘陵だと思います。 623日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:09:48.30
>>621
>181件ありますね
数がありゃいいってもんじゃないんだよ
クニの存在が想定できるような、
一定規模以上の集落遺跡とか、巨大建物跡だとか、厚葬墓とか、
そういうのがないだろ?
で、その181件っていうのはどこのデータ? 624日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:11:29.59
>>623
奈良文化財研究所の
遺跡データベースですね。
ちなみに奈良県桜井市は31件でした。 625日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:28:43.40
2世紀末までは、大和盆地も狗奴国の版図だっただけのこと。
記紀にあるように奈良側が先に征伐されたんだよ。
3世紀半ば台与の時代にクナ国の河内彦(河内青玉繋)と和睦する。
しかし子の代で、武埴安彦の乱で河内は大和朝廷にやられるんだな。
626日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:31:01.39
邪馬台国、大和朝廷の主体は外部の勢力。
出雲など山陰、尾張、吉備、丹波など。
627日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:31:58.66
邪馬台国はヤマト国、葛城山系以東の奈良盆地一帯です。邪馬台は単なる地名です。ヤマトの地が卑弥呼を共立した勢力に征伐され、都が置かれました。
纒向の外来系土器、円形周溝墓などがその証です。殉葬などそれ以前になかった風習が持ち込まれたことも、新しい別の勢力がヤマトの地を支配した傍証になります。
女王国、大和朝廷を作ったのは、出雲など山陰の勢力、尾張、阿波、宮崎や遠賀川の石神など縄文系勢力。
畿内の勢力はこれらの勢力に征伐されました。
628日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:35:07.34
魏志倭人伝
邪馬台国の官
官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。
伊支馬は生駒。生馬。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲醜大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。
奴佳鞮は中臣。
出雲地方には生馬神が祀られているんだな。
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている。
出雲風土記かな、生馬神の子は、もう荒ぶらないと言ったとか。
ヤマトの地名と出雲の集落名、共通点が多い。
更に女王国メンバーの投馬国。
官はミミ、ミミナリ。
女王国、大和朝廷はミミの国と言えるかもね。
629日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:36:45.45
馬見(うまみ)丘陵
本来はミミ丘陵なんじゃないかな。
630日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:37:21.72
阿波の美馬。
これもミミかも
631日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:39:07.00
中大兄皇子の歌
「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」
原文「高山波雲根火雄男志等耳梨與相諍競伎神代従如此尓有良之古昔母然尓有許曽虚蝉毛嬬乎相挌良思吉」
古代からミミの勢力とミミ無し(ミミではない)の勢力の争いが延々と繰り返されてきたんだな。
632日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:41:35.39
>>630
「倭大国魂神社」を祀らせた「崇神天皇」は、「初国知(はつくにし)らしし、御真木(みまき)天皇… 」と称えられ、また、和名は「御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命」と呼ばれて、「みま(き)」との関わりを示している。
天皇の尊号に「美馬(みま)」を用いたのは、神々の母神が鎮まる美馬地方に天皇が入り込んだため、由緒あるその名を冠したものである。 633日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:44:07.66
>>622
馬見丘陵が、大和盆地の西側というイメージなので、
その馬見丘陵の西側と言われると、どの辺りだかイメージが湧きません。
馬見古墳群よりも西側ですか? 634日本@名無史さん2018/03/05(月) 19:47:05.89
遺言の意思は大切にしないといけない。
サルタヒコの遺言。倭国大乱の犯人を教えてくれる。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立
国底立神、国常立神、天香山の山頂に祀られている神。
鬼門に封じ込まれた神。
天岩戸の向こう側に追いやられた神だろう。
&阿波咋。
635孝霊厨2018/03/05(月) 20:07:23.08
>>633
馬見丘陵西側、現在の葛下川辺りを指します。
銅鐸出土地も久度遺跡古墳群の北側から
出てますからね。
忘れがちですが、聖徳太子の伝承地も
実は片岡の地であるこの辺りに多い。 636日本@名無史さん2018/03/05(月) 20:07:42.72
>>632
蛇足だが、日本唯一の「倭大国魂神社」も「ミマ」に鎮座。 @阿波 637日本@名無史さん2018/03/05(月) 20:16:26.70
>>624
奈良県のデータはあまり信用しな方が良いと思います 638日本@名無史さん2018/03/05(月) 20:19:30.34
時系列、時系列に沿った状況の変化が重要。
639日本@名無史さん2018/03/05(月) 20:23:05.10
>>635
>馬見丘陵西側、現在の葛下川辺りを指します。
ありがとうございます。
わりに北の方ですね。
葛下川が大和川に合流する近くの辺りというイメージでいいでしょうか。 640日本@名無史さん2018/03/05(月) 20:26:49.55
カグツチ重要。
カグツチの死体
ヤマツミ
頭マサカ、胸オド、腹オク、陰部クラ、左手シギ、右手ハ、左足ハラ、右足ト、
641日本@名無史さん2018/03/05(月) 20:37:45.51
でもここはニセスレなんだよな
642孝霊厨2018/03/05(月) 20:37:57.89
>>637
何を根拠に、さすがに失礼にも程があるな。
研究者は都道府県関係なく調査していますよ。 643日本@名無史さん2018/03/05(月) 20:43:19.98
>>639
現在の王寺、上牧、香芝辺りですね。
王寺町は馬見丘陵ではないですが。
遺跡集積地で居住に適した場所なのは
かわりありません。 644日本@名無史さん2018/03/05(月) 20:48:19.21
イザナミ
吐物カナヤマビメ(&彦)
大便ハニヤスビメ(&彦)
この辺は河内に関するものかな。
河内は元々イザナミ系、先住民系だが、カグツチではない。
645日本@名無史さん2018/03/05(月) 20:51:15.18
邪馬台国卑弥呼、それに連なる大和朝廷は、イザナギに復讐を果たしたカグツチの政権。
646日本@名無史さん2018/03/05(月) 20:57:54.60
隠岐都万=出雲=投馬国
647日本@名無史さん2018/03/05(月) 21:07:56.74
本居宣長が言う通り、
投馬国は九州南部、宮崎鹿児島だな。
648日本@名無史さん2018/03/05(月) 21:10:34.91
文科省も問題ですが
考古学は行政の範疇外に成りつつありますね
予算は相変わらず付きますが 臭い物にはフタでしょう
考古学の学者や研究者は憲法(第1章 天皇)から抜け出せない
649孝霊厨2018/03/05(月) 21:12:55.15
先日銅鐸について面白そうな話を思い付いた。
楽器や祭祀器なのは違いないと思うのだが、
やはり謎な点は多い。
最近大物主や百襲姫逸話や地名のルーツを
インドやエジプト方面からの思想的影響下
であると考えている。
そうなると所謂見る銅鐸について、その
モチーフとなったのがメジェド神なんじゃ
ないかと思ったりするのだが。
650日本@名無史さん2018/03/05(月) 21:18:58.43
クマ除けだよ
651日本@名無史さん2018/03/05(月) 21:20:34.00
畿内の銅鐸文明の断絶は神武の東征によるものだろう。
652日本@名無史さん2018/03/05(月) 21:21:51.61
鐸は鈴
儀式で教令を伝える時に使うとあるだろう。
日本書紀かな。
蘇我氏が鳥の格好をして祭祀を行い、それを見ていた物部氏が笑うという記述があるな。
蘇我氏が鈴が鳴れば、もっと上手くできるんだがみたいな返事をする。
昔は鳥の格好で舞い、鈴を鳴らしていたんだろう。
653日本@名無史さん2018/03/05(月) 21:22:36.28
>>649
>大物主や百襲姫逸話や地名のルーツ
それは奈良時代の創作
銅鐸は弥生時代の物 銅鐸と地名のルーツを一緒にした時点でアウト 654日本@名無史さん2018/03/05(月) 21:26:38.14
神社は正にその風習が残っている。
鳥居、烏帽子。
伊勢神宮の巫女は鳥の格好で舞う。
色々な場面で鈴を鳴らすわな。
655孝霊厨2018/03/05(月) 21:31:44.24
面白いのはメジェド神自体が正式名前すらわからない、それにエジプトでは知名度がない
謎の存在であるという点だな。
ある意味銅鐸と似た立場ではある。
何より脚光を浴びたのが 2000年ぶりという話。
わかっているのはオシリスを守っている神で、
敵を打ち倒す者。
眼がある釣鐘状の謎の造形は銅鐸とは共通点もあるからな。
656日本@名無史さん2018/03/05(月) 21:35:05.07
657孝霊厨2018/03/05(月) 21:39:04.20
何よりエジプトのトート神は注目だろう。
トキと匕匕の化身で、数学その他知識を持ち、
後に東アジアで王となる伝承を持つ。
その教えをもたらした男が大物主と呼ばれ
たとすると、ヤマトトトヒモモソ姫なんて
名前の意味もハッキリするだろう。
658日本@名無史さん2018/03/05(月) 21:40:23.03
>>654
その鳥は「鷲」 「天日鷲の命」を表している。 @阿波 659日本@名無史さん2018/03/05(月) 21:48:04.93
にわとり
660日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:00:27.77
>>658
「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると「天村雲命伊勢大神主上祖也。
神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」
阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。
阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖(天日鷲命)を祀っているのである。 @阿波 661日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:06:46.07
伊勢湾は倭国大乱で犠牲になった神々の鎮魂の場所。
荒魂は本来の場所と違う処に祀るのが原則。
伊勢湾は大阪湾のコピーなんだな。
サルタヒコの遺言。倭国大乱の犯人を教えてくれる。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立
国底立神、国常立神、天香山の山頂に祀られている神。
鬼門に封じ込まれた神
&阿波咋。
倭国大乱の戦犯である阿波が、伊勢の神々を鎮魂するのは当然の務め。
662日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:09:34.13
阿波厨は、民の苦しみを無視するカス。
阿波忌部の支配層はいい暮らしを享受したかもしれないが、阿波忌部の部民は可哀想だ。
生業と別に麻の栽培など役を課され、辛い思いをしたんだな。
663日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:11:08.34
倭国(阿波)乱は倭国(阿波)国内の内乱。 阿波の神々を鎮魂するのは当然の務め。 @阿波
664日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:12:04.71
あわびを刻み、熨斗あわびを作る。
身を切る疑似体験を通し、倭国大乱の罪を噛み締める。それが阿波忌部の務め。
665日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:21:11.04
阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。 @阿波
666日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:24:45.43
667日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:25:05.78
>>664
延喜式(巻7、神祇7)[践祚大嘗祭式]の「由加物」条に記載された内容。
・由加物―大嘗祭に諸国から貢進される品物、即ち神に供える聖なる品のこと。「雑贄」とも呼ばれた。
・由加物の貢進―阿波・淡路・紀伊の三国のみと定められた。
・聖なる由加物―これら阿波・淡路・紀伊の三国の由加物が通る国々の路地は道を掃き清められ、国司・郡領らがこれを送迎したとあり、
由加物とは清浄を期した聖なる産品であった。
阿波国から貢進される由加物のうち、海部(那賀郡に住む海女)が作るもの(県南部)
・鰒卌五編―加工したアワビ45編
・鰒鮨十五坩―アワビのスシ15壺
・細螺―シタタミ(小さな巻貝)
・棘甲臝、石花等併せて廿坩―ウニ、「セ」と呼ばれた節足動物のカメノテやフジツボの類を加工して土器に入れ献上していた。
それは、現代風にいえば瓶詰めであったとされる。 668日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:29:38.11
允恭天皇が淡路島で狩りをするも淡路島の神の機嫌を損ね全く獲物が捕れなかった。
島の神の神託に従い、明石の海に阿波の男を潜らせ真珠を探させた。阿波の男は絶命。
すると淡路島の神は喜び、獲物が沢山捕れたとある。
淡路島の神はイザナギだろう。
阿波が倭国大乱でイザナギを殺したんだな。
669日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:30:21.74
祝い事に熨斗あわび。
そういうことだ。
670日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:33:14.24
671日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:33:22.75
古代の話だから、現代は全く関係ないけどね。
672日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:35:07.85
矢野銅鐸の正式名称は鰭と呼ばれる縁の部分を太い線で飾る「突線袈裟襷文(とっせんけさだすきもん)銅鐸」で、銅鐸の中でも最新型式。国内でも最大級。弥生時代後期に作られたとみられている。
673日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:39:29.15
>>636
唯一ゆうたらあかんよ。
淡路島には倭坐大国魂神社/大和神社の分社、大和大国魂神社が延喜式内名神大社。(淡路国二宮/三原郡筆頭)が鎮座しています。
元来、永年高台に西向きに鎮座していたところが、いちゃもん付けられて現在の南南西に改変させられる
その先には(明治政府により皇国史観の下、捏造され創建された)おのころ島神社。日本最大級のコンクリート製鳥居は恰かも大和大国魂神社の一の鳥居の様。
古来、イザナミ尊と明治、以前1千年数百年に渡り信仰されて来ました。
あわせて、律令制の下、国からのお手当ては一宮の幽宮、日少宮、御社。イザナギ神社(現神宮)より常に手厚く、丁重で有った。 674日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:40:09.48
阿波咋。
二世紀半ばの南海トラフ地震。
阿波にいた海人の倭人は、大ダメージを受けるんだな。
これに乗じたのが阿波の内陸で石器を作っていた縄文系の勢力。ミミ。
倭人の姫を乗っ取り、阿波の国も乗っとるんだな。
倭国大乱の戦犯は飽く迄阿波咋。
675日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:45:26.37
>>673
>唯一ゆうたらあかんよ。
>淡路島には倭坐大国魂神社/大和神社の分社、大和大国魂神社が延喜式内名神大社。(淡路国二宮/三原郡筆頭)が鎮座しています。
全国、広しと言えども
「倭」と明記された「物証」があるのは、唯一「阿波」だけなんですね。
当然、倭国でない、九州にも畿内にも有りません。 @阿波 676日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:46:49.57
現代は倭ではなく日本だからね。
677日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:51:36.93
>>668
イザナギ尊の原型はクナト大神。(大神山=伯耆大山)
イザナミ尊の原型は后神で水神。かつ太陽の女神(後の天照大神)、幸(サイ)之神のサビメ大神(神奈備はサビメ山=三瓶山)
出雲の綾に畏くも尊き大元の大神。
キキ神話を創作するにあたり件の如くに改ざんされて、さらに別の方々も仮託されてワヤクチャに。
イザナギはに徐福と天日鉾命とその係累をも混ぜ混まれ、
イザナミには出雲と出雲の媛様方が織り込まれてワヤクチャに。 678日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:51:48.87
親魏倭王の称号は卑弥呼。
それに連なる大和朝廷は対外的には倭国。
阿波咋は、倭国大乱の勝者。
倭国大乱以前の支配層を滅ぼした戦犯だ。
倭国大乱の戦犯である国底立神国常立神阿波咋は又倭国大乱の勝者でもある。大和朝廷の中心勢力。
679日本@名無史さん2018/03/05(月) 22:57:51.65
クナトの大神。正にクナ国の神だな。
記紀でいうスクナヒコナでもある。
イザナギの正体。
サルタヒコ。
出雲の姫神とクナトの神の子。
出雲族とイザナギ一派(クナト一族)の同盟の証。
月読にして大国主。
魏志倭人伝のクナ国の王卑弥弓呼、日見彦。
暦を司る王。
サルタヒコは界の神。
堺にいたんだな。
680日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:01:27.69
杵築大社の天井図。八雲が一つ欠け七つしかないだろ。
あれは、紀元前後出雲地方の内乱の結果、神庭にいた渡来人系の出雲の王族が追放されたから。
出雲地方で元々信仰されていたのは、姫神の幸神、東から来て文物をもたらしたクナトの神。そしてその子のサルタヒコ。
サルタヒコ一族は、縄文人のオオナムチに破れるんだな。
そして、畿内など各地に逃げ延びる。
加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸。
https://goo.gl/HVTW1n 681日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:03:30.98
「伊射奈美神社」も、日本で唯一、徳島県にしか存在しない「延喜式式内社」です。 @阿波
682日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:03:34.98
猿田彦で注目すべきは最初に出会った場所。
天の八衢。
道が幾つにも別れる処、方違。
面白いことに上町台地と泉北丘陵の間に方違神社がある。なにわ、和泉、河内、淡の境。
その近傍にイシズ川。
猿田彦が溺れたとされるのが、阿邪訶の海。
方違神社のすぐ北が浅香。
浅香の北がオサカ、大阪。
浅香の南、泉北丘陵にコサカ、小坂。
伊勢と同じものが揃っているんだな。
凄い偶然。
更にサルタヒコはヒラブカイに挟まれて亡くなるとある。
泉北丘陵、イシズ川を遡った地に平井と深井という弥生時代から立地が変わっていない集落がある。
平井と深井の間が弥生時代の鈴の宮遺跡。
サルタヒコは最後はこの辺りに逃れていて、殺されたんだろう。
683日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:05:32.48
大国主とスクナヒコナの国造り。
畿内に逃れてきた出雲の王族と環大阪湾のイザナギ一派(クナト一族)が一緒にクナ国を建国する話。
684日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:08:22.00
ヤマタノオロチも興味深い。
ヤマタノオロチは、元々は丹後半島の王だったんだな。
紀元前後王が殺されて、一族が畿内に逃げ延びた。
その後一部伊吹山辺りに移った可能性がある。
伊吹山、ヤマタノオロチの神霊が住むと言われているな。
ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になるな。
級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
丹後半島に遅れて、畿内淡路島や池上曽根、彦根で鉄工房が始まるからな。
伊吹山、和歌では一途な想いの代名詞。
畿内に逃げ延びたヤマタノオロチ族は、助けてくれた勢力に恩義を感じていたのかもな。
伊吹山の神は、大和朝廷と最後の最後まで戦い抜いている。
環大阪湾のクナト一族、丹後半島を追われたヤマタノオロチ族、出雲の神庭を追われた出雲族が協力して作ったのがクナ。
685日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:12:45.38
ヤマタノオロチ族を丹後半島から追いやり、スサノオの名を奪い、更に出雲地方の縄文系勢力と手を結んだのがカグツチ。
ホアカリ系。奈良にいた勢力。
1世紀前半、クナト一族に敗れ、奈良の地を追われ尾張に追放されるんだな。
天岩戸の向こう側に追いやられる。
686日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:13:52.05
>>675
社伝によると創建には倭大国魂大神(イザナミ?)の初代神主のお名前や更には倭宿禰命が伝わるようです。
淡路島神はイザナギ大神(故郷を逐われた出雲人らを導き約束の地、日本に誘った偉大な指導者がクナト大王/大神(、、、シバ神))。
また、淡路島弁才天(サラスバティ)は一般的には市杵島媛命ですが、ディープにはイザナミ大神(=サビメ大神=サラスバティ尊(出雲人の伝))と信仰されています。 687日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:15:37.55
倭国大乱はカグツチの復讐。
688日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:18:30.93
邪馬台国はヤマト国、葛城山系以東の奈良盆地一帯です。邪馬台は単なる地名です。ヤマトの地が卑弥呼を共立した勢力に征伐され、都が置かれました。
纒向の外来系土器、円形周溝墓などがその証です。殉葬などそれ以前になかった風習が持ち込まれたことも、新しい別の勢力がヤマトの地を支配した傍証になります。
女王国、大和朝廷を作ったのは、出雲など山陰の勢力、尾張、阿波、宮崎や遠賀川の石神など縄文系勢力と半分縄文系勢力に乗っ取られた古い海神(ヤマツミ、ワダツミ)
畿内の勢力はこれらの勢力に征伐されました。
689日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:23:07.05
元々ヤマトにいた火の神ホアカリ系。
ヤマタノオロチ退治という派手な舞台でスサノオに変わります。
次は舞台が暗転し、天岩戸の向こう側尾張にいたホアカリ系のスサノオ。岩戸が開くと、アマテラスとして登場。
神功皇后~仁徳。派手なストーリーの裏では、
ホアカリ系アマテラスが飛騨の顔が二つ胴が一つの怪物に変身。名前は建御名方になるんですね。タケ美濃方。
二つの顔は倒した勢力から奪った仮面、スサノオとアマテラス。
胴は国常立神。
天香久山の山頂に祀られている神。
尾張一宮の本来の主祭神。
鬼門に封じられた神。
690日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:30:01.06
ヤマタノオロチ
は東征なのだよ
ヤマトの王ロチ
691日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:31:50.55
三輪 能
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。
三輪の神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。
天の岩戸は関。
関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し大和朝廷を作ったんだな。
昔の人は普通にこういうことを知っていたんだよ。知らないのは現代人だけ。
徳川幕府明治政府でかなり歴史謂れの隠蔽改修がなされたから仕方がないかもしれない。
692日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:41:33.48
ヤマツミ。ワダツミ。
古い海神。
BC1000年頃渡来し水稲をもたらした一族。殷系の渡来人だな。
殷と日本列島は同緯度。水稲が定着する条件が合致。考古学的時期も合致する。
日本海側から勢力を広げBC5世紀頃に畿内に到達。
693日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:45:44.76
倭国大乱。
縄文系勢力と半分縄文系勢力に乗っ取られた古い海神が手を組み、弥生時代前期末以降の新しい渡来人を征伐する。
できたのが大和朝廷。
孝霊天皇の時代、卑弥呼の後辺りか、仲違いしたみたいだな。
古い海神は、縄文系勢力に破れる。
694日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:46:59.49
ヤマとは古代インドのヤマ神由来の地名で、
天とも同義なんですよ。畿内周辺に
ヤマ◯◯という地名が集中しているのも
そういう事。そういう場所を求めた人々が
付けた名前かもしれないね。
ヤマ神とは最初に死んだ神、つまり最初の人
の事で天の番人になる人物。
つまり後々天に死んだ人が行けるかを
裁判する仏教での閻魔の事。
ヤマ神の妹がヤミーだが、日本神話に
出てくる黄泉とも何か関係があるかもね。
695日本@名無史さん2018/03/05(月) 23:48:37.82
鳥取県の上石見に伝わる伝承。
牛鬼伝説の中でも、一番古いものじゃないかな。
孝霊天皇が牛鬼を討つ話。
上の岩を見よと言って牛鬼を倒す。
ここでは、牛鬼は石に倒されるんだな。
その後は西日本各地で様々な時代の牛鬼伝説。
共通しているのは、
◎牛鬼は海や水辺に現れる。
◎牛鬼は磯女と一緒に現れる。
◎牛鬼の子供は石である。
同じようなこととして、牛鬼に「石は流れる、葉は沈む」などあべこべなことを言うと助かる。
◎また火に関するものもある。
◎牛鬼は老いた椿という言い伝え。古い海神ということか。
見えてくるストーリー。
牛鬼(古い海神)は孝霊天皇の時代に石にやられた。
海神の姫達は、石の子を産むようになった。
古事記では、
事代主~オオタタネコの子がタケミカヅチ。
石が牛鬼、古い海神を乗っ取るのに関係しているのかもしれない。
696孝霊厨2018/03/06(火) 00:06:03.20
エジプトの謎の神が現れる記録はかなり少ない、死者の書だけである。
メジェドとは復活の呪文そのものの意味で、
謎の造形は創造によるものかもしれない。
死者の書とは誤解を招きそうな名前だが、
本来は日下出現の書、
つまり日の下に復活するための呪文の意味。
697日本@名無史さん2018/03/06(火) 00:12:38.74
>>683
大国主命は出雲の歴代の主王、オオナモチ。
スクナヒコナは出雲の歴代の副王、スクナヒコ。
東西、2つの王家が代替わり毎に持回り(交代)でそれぞれの当主が就任。
西の王家の当主が主王(オオナモチ)なら東の王家は副王(スクナヒコ)。
次の代は(基本的に)それが交代する慣わし(祖法)
因みに、古代出雲帝国は17代主王(オオナモチ、山崎帯彦)、副王迄続きました。 698日本@名無史さん2018/03/06(火) 00:40:23.12
699日本@名無史さん2018/03/06(火) 01:06:09.88
朝鮮半島の斯羅地方(後の新羅国)の小国の王子、天日鉾命が渡来(要は国が危うくなったため亡命)して出雲帝国から我々のヤエガキ(法令やしきたり)を守るか?と問われるもことごとくはね除け反発(曲がりなりにも一国の王子とのプライドから)した事から
出雲帝国の支配する地域に入植する事を拒まれた(節を曲げ辞を低くする方便(それを巧くやったのがホアカリ/ニギハヤヒ(徐福=皇祖))をしらぬ頑固者、、、アホウ)ため、
辛うじて山あいの沼湖や湿地が広がるばかりで農耕に適さない但馬地域を得るも
件の在り様故に、沼湖の排水やら湿地等を苦心惨憺、苦労して農耕可能な様に開発するも元来平地が狭隘で気候も寒冷、、、
(ノ-_-)ノ~┻━┻
活路を求めて南の播磨地域(当時は出雲帝国の直轄地)に侵攻。
当初は無人の野を行くが如くの快進撃でしたが、
出雲帝国の軍団(出雲は本宗家故に大国主と表現)に加え、分家にあたる倭国の大王、孝霊大王(ホアカリの末故にホアカリと表現)からも援軍を送り、
出雲国、倭国の連合軍が編成されてやっと迎撃開始。
但馬の日矛国は次第に劣勢となり敗走を余儀無くされて、天日矛命(イザナギの1人)はやむを得ず淡路島に逃げ込んだ事で、とりあえず勝敗は決して
出雲国からきたの本隊は撤収。
しかし、倭国の孝霊天皇や御子で将軍の吉備津彦らは残存勢力を掃討する云々と理由を付けて軍団を播磨に駐留させた(実効支配)。
この辺りが播磨風土記の大国主とホアカリの意味不明なやり取りの底ネタらしい。
そうこうして人心地ついたのも束の間、今度は遠祖を同じくする遠縁(親戚)の物部王家の一流(分家?)が畿内を窺い、侵攻して来ると言う
一大事。
大王家(ホアカリの孫、天村雲命を初代として当代は孝霊天皇)を裏切って新参の物部王家側に内応、ヤマトへ手引き(登美家/大鴨王家)する等により
大王家と近習(取り巻き)らは大倭国(奈良)を維持する事能わず、やむなく出奔して播磨~吉備に逃避。
(桃太郎の倭(山)~大きな桃(ヤマトの大王)が流れてきた。の行に反映)
700日本@名無史さん2018/03/06(火) 01:38:40.69
>>699
吉備に逃避した孝霊は大王(既に有名無実)と号し、いつの日にかリベンジを果たす為にも出雲の鉄がどうしても必要と思って
本宗家(親戚で本家筋)の北の出雲帝国にいきなり出兵。
緒戦、出雲国側は孝霊ら吉備国を親戚と思って気を緩め全く防備を怠っていた事から、
まるで丸裸の状態で出雲側は総崩れの連戦連勝の快進撃。
孝霊天皇らは伯耆大山の麓の高台(山)に本陣、行宮を営んでいたらしい。
やがて出雲国側が攻勢に転じると戦局は一進一退の膠着状態に墜ちいってしまい、
孝霊天皇は早々に厭戦気分が募って土地の美少らを囲って酒浸りに。
心配してきた后の細(クワシ)媛や御子らにも面会謝絶して追い返す始末。
大后の細媛命(ヤマト逃避からついてきた)と御子らの行宮跡が東西の楽々福神社。
酒池肉林に陥って崩御した孝霊天皇の本陣、行宮跡の山を孝霊山となったという。
この一連の出雲侵攻花が桃太郎(孝霊)の鬼(出雲)退治(いじめ)の底ネタらしい。
出雲の神(かも)族=王族の名前には・・・ツノのフレーズ?が慣習で名付けられていた事から
ツノ=角、、、角があるのは鬼。となった? 701日本@名無史さん2018/03/06(火) 01:55:19.01
すべて取り消し、剥奪だと書いたはず
日本は終了
言ってる意味が、わからない?
それとも騙りか何かなの?
702日本@名無史さん2018/03/06(火) 02:01:30.07
某氏や何々氏、系図などがあると言うけど、
嘘だという話ばかりでしょ
そういう家(不明?正統。正当。)に繋げたりしている、
先祖に持ってきているだけだとか
703日本@名無史さん2018/03/06(火) 04:41:26.07
成り済まし、騙りというのが、
許可(認可)していたという話
何でも作って良いよとか
704日本@名無史さん2018/03/06(火) 04:44:16.62
テーノーというのかな?『人権侵害』のようなものばかり
いろいろと検索してみて
705日本@名無史さん2018/03/06(火) 04:46:52.66
日本の話、誰が許可をするの?
これは良いよとか
706日本@名無史さん2018/03/06(火) 04:52:22.31
許可(認可)をするテーノーがいて、
テーノーなモノ(作品)などから得た、
お金(税金)で生活している?
707日本@名無史さん2018/03/06(火) 12:51:20.27
ニセスレ悲惨
708日本@名無史さん2018/03/06(火) 21:00:19.25
「魏志倭人伝で言うところの邪馬台国」は
やっぱ九州か四国だと思う。
ど素人のオレが思うに。
魏が当時の日本をどれだけ理解してたかは
分からないし、当時すでに近畿が日本を
統一的に支配してたかは分からん。
でも邪馬台国が大和朝廷になったって証拠も
ない訳だし、そこを無理に同一視するのは
無理だと思う。