1994年の入学者より、高等学校で家庭科が男女必修になりました。
これによりいくつかの問題が起きました。
男子の平均家事レベルまで落とさなくてはいけないため、
授業レベルの著しい低下が起きました。
また、被服は実際上現代社会で必要性がほぼ薄れたことから、
男子の共修もあいまって調理と保育の比率が高まりました。
そして、本題はここからですが、調理実習はチームプレイになることと、
特に進学校では家庭科は手抜きの時間になるため、教員もなあなあになり、
女子が調理担当、男子が試食と皿洗い担当みたいな区分けが、
不文律のようにできあがりました。
また、共学進学校の場合偏りのある男女比(男子が圧倒的に多い)のため、
数少ない女子は「できて当たり前」というプレッシャーのもと、
それこそ授業前の隠れ予習までするのが常態化してしまいました。
さらには、進学校の場合、男子も教育程度の高い家で育っていることが多く、
調理のレベルの高い生徒も少ないながら存在し、
並の女子では技量が追い付かず、恥をかかされることになりました。
そうした、男女の力量差や環境差をも中長期的視点でなくしていくことが
家庭科共修の教育目的だったかもしれません。
しかし、現実には社会的環境により相当な力量差がある科目なのですから、
体育や音楽の授業のように、授業形態での男女の区分けや、
スポーツテストのような配点基準のハンデ付け、
声部のパートによる実質的な男女の区分けや難易度差を設けて、
それぞれが学びやすい環境を構築しなければならないと考えます。
この点について、男女や年代を含めそれぞれの立場から、
ご意見をいただき、闊達な議論にしていければと存じます。
これによりいくつかの問題が起きました。
男子の平均家事レベルまで落とさなくてはいけないため、
授業レベルの著しい低下が起きました。
また、被服は実際上現代社会で必要性がほぼ薄れたことから、
男子の共修もあいまって調理と保育の比率が高まりました。
そして、本題はここからですが、調理実習はチームプレイになることと、
特に進学校では家庭科は手抜きの時間になるため、教員もなあなあになり、
女子が調理担当、男子が試食と皿洗い担当みたいな区分けが、
不文律のようにできあがりました。
また、共学進学校の場合偏りのある男女比(男子が圧倒的に多い)のため、
数少ない女子は「できて当たり前」というプレッシャーのもと、
それこそ授業前の隠れ予習までするのが常態化してしまいました。
さらには、進学校の場合、男子も教育程度の高い家で育っていることが多く、
調理のレベルの高い生徒も少ないながら存在し、
並の女子では技量が追い付かず、恥をかかされることになりました。
そうした、男女の力量差や環境差をも中長期的視点でなくしていくことが
家庭科共修の教育目的だったかもしれません。
しかし、現実には社会的環境により相当な力量差がある科目なのですから、
体育や音楽の授業のように、授業形態での男女の区分けや、
スポーツテストのような配点基準のハンデ付け、
声部のパートによる実質的な男女の区分けや難易度差を設けて、
それぞれが学びやすい環境を構築しなければならないと考えます。
この点について、男女や年代を含めそれぞれの立場から、
ご意見をいただき、闊達な議論にしていければと存じます。