>>1
乙です!ありがとうー!
「こういうスレ欲しい」発言者の関連スレ467です。
まさか本当に&こんなスピードで立つとは!
>>1さん・同意して下さった方ありがとうございます。嬉しいです。
マイ嬉しかったこと
完母で育てられたけど、飲料としてガブガブ飲んでたのはいつまでかは覚えてないけど、
ごくたまーに甘えとして幼稚園くらいまでおっぱいを欲しがっていた。
母と2人だけの時に「おっぱいちょうだい」と甘えて言うと、
「おっぱい出ないよー」と言われながらも与えてくれた。
おっぱいの出る出ないはどうでもよくて(出なくてもいいと実際母に言っていた)、
「今はお母さん独り占め!」「お母さんに断られなかった!うれしい」という気持ちで
おっぱいをくれたこと=自分を受け入れてくれたこととして
すごく嬉しかったことを記憶している。
だから自分の子の卒乳も全く焦っていない。欲しがる限りあげたい。 >>1
乙です。
小学校入学直後のある日、なんか具合が悪く、そう訴えた。
相手は両親じゃなく、私に甘かった父方の祖母。
しかし「何?しんどいん?(額に手を当てて)熱ないやん」で面倒くさそうに放置。
学校に行きたくなくて仮病を使ったと思われたらしい。
どうしても辛くて、母(厳しくてあまり甘えられなかった)に訴えた。
同じように額に手を当てたが、「熱はないね。良かった」と言ってから、優しく「どこが痛い?お医者さんに行く?」と訊いてくれ、珍しく抱っこで病院に連れて行ってくれた。
細い小さな身体で、小柄とはいえ6歳児を抱っこ。楽ではなかったと思う。
それが数年に及ぶ闘病生活の始まりだったけれど、あの優しさがあったから、お母さんの言うことを聞いて元気になると決めた。
私が母になり1か月。
この子を信用し、この子が辛いときに優しい母になろうと思う。 関連スレ>>472です。
>>1 乙!乙!ありがとう!!
プチだけど。
小さい頃、母がフェルトで動物マスコットを作ってくれた。
うさぎやクマなど。
それがすごく好きだったので、今もフェルトで小物を作るのが好き。
娘にも小さい物を作ってあげようと思っている。 >>1さんおつです。
私が17歳の時。3月3日雛祭りに、今日は女の子の日だよおめでと!ってご馳走を色々作ってくれた。母子家庭だったから働き詰めのお母さん。しんどいはずなのに。すごく嬉しかったの覚えてる。
そうねぇ。
嫌だったことばかりでなく、よかった面を思い出してみるのも大事なことだね。
学校から帰ってきたら、セーターが出来上がっていたこと。
機械編みだけど。一日中やっていたのだろうな。
小さい時に嬉しかった事プチ
寝る時に襟元をポンポンしてもらう事
背中を大きくさすってもらう事
小学生くらいまで、母が寝るとき手をつないでいてくれたことかな。
背中トントンはちょうど寝そうな時に止められるから、あとちょっとなのにーと思っていた。
小学校2、3年の頃、母が私の容姿をバカにするようなことを言った。
母は冗談のつもりだったのだけど、私はすごく悲しくて
思わず泣くと、母と妹が泣いている私の真似をし笑った。
本当に悔しかったけど、どうする事もできなくて泣いていると
隣でずっと黙っていた父が、
「冗談でもやっていいことと悪い事がある!」と母を叱った。
母は父に叱られて、初めて自分のした事が悪い事だと自覚した
みたいで、それ以降、私をそういう風にからかうことはなくなった。
父は子育てには口を出さない人だったし、父と母の関係は良かったので、
私は母と父は常に同じ意見だと思ってた。
だから父が母ではなく私に味方してくれたことが本当に嬉しかった。
>>12
いい話だなー
うちの毒母だったらぜったい逆ギレしてるわ。ずっと不仲だったし。
嫌だったことスレの住人なので書くことなくてゴメン うちもいい加減毒親なので、唯一嬉しかったエピソード。
小学三年のとき、ちょっとしたいじめみたいなののターゲットにされて、凹んで帰った。
めずらしく話を聞いてくれた。
気にすんなって、いつもは作ってくれない(兄があんまり好きではなかったから)サンドイッチを作ってくれた。女は難しいよ、とボソッとアドバイス。
母は実親に捨てられて(経済的な理由らしい)、育ての親にもちゃんと療育されてなくて、複雑な子供時代を過ごし、結婚した父は浮気借金とろくでもない男。兄はとても可愛かったらしく、愛情が兄にあるのをいつも感じて寂しかった。
今でも不公平感のある関係だけど、あの時は本当に救われた。
少しは私のことも愛してくれてるのかな。
私が 小学生の時
おねしょして モジモジしてたら、隣に寝てる母が
おねしょをした 私の布団と母の布団を取り替えてくれた。
夜中に母が、私のおねしょで濡れた布団に、バスタオル引いて 寝てた(ノ△T)
申し訳ないのと、嬉しかったのが、忘れられない
真冬の寒い日、氷みたいに冷たい私の足を一緒に寝てた母が自分の足に挟んで寝てくれた。
あったかかったなぁ
>>1ですが、乙してくれた人有難う。ポジティブなスレたてることができて嬉しいよ!
私もネタを思い出したんで一つ投下していきます。
私は小学校低学年ぐらいまで精神的に凄く不安定な子供だったんだと思う。
安心するんで母の胸をさわったり、度々夜は母の布団に潜り込みに行ってた。
嬉しかった事はそれらが一度も拒否されなかった事。
気持ち悪かっただろうし、うざったい時もあっただろうにと思うと本当に当時の母には頭が上がらない。
それから少しずつ自立していって、無事に親離れができたのはあのおかげだったんだろうなー、と思ってる。 父が亡くなった母の話をしてくれた時は本当に嬉しかった。
幼稚園年長の時、母の日の贈り物として園でお母さんの似顔絵を描いた。
あまりお絵描きをしたことがなく、人の顔を描くのは初めてだったので
うまく描けた自信がなかった。
それでも母に渡すと、にっこり笑って母の顔の横に掲げて
「こんなにそっくり」と言ってくれて嬉しかった。
お弁当が本当に美味しかった。
茶色弁当の子も多かった時代なのに、赤緑黄の三色が必ず揃ってた。
卵焼きも、甘い卵焼きだったり、だし巻きだったり、カニかま入りだったり、
バラエティ豊かだった。
ジャガイモと人参の金平や山芋に煮っ転がしは今でも大好物。
二口コンロで調理台もない台所だったのに、よくあれだけ作れたものだと感心する。
不二家のパーラーに母と一緒に行ったこと。
母は土日も休めないフルタイムの兼業で保育園に学童に塾三昧にと接触の少ない私は気難しい子供で、
たまに親子の時間が取れてもぎこちない関係だった。
パーラーではイチゴやバナナやチョコがトッピングされたワッフルを食べて
ナイフとフォークで食べるデザートが嬉しくておいしくてお喋りをいっぱいしてずっと笑い通しだった。
母もその時のことを良く覚えてて、たまにふたりで思い出してはいまだに話せること。
共有できる良い思い出があるのは本当にいいね。
良スレ感動!
無口な父だったけど、毎晩「今日は、何か変わったことあったか」と私に聞いた。
子供の頃は、遊んだ内容を得意になって話した。
思春期のころは話すのが面倒だったりもしたけど、こんな授業あったとか、部活のこととか何かは必ず話した。嬉しそうに聞いてくれた。
父は私のことを気にかけてくれているという自信、安心感と、静かな嬉しさが心に根付いてた。
教育関係が一番感謝。
3歳からピアノを習わせてくれて小学校では大抵伴奏係だった。四谷大塚でガチに勉強やらせてくれて良かった。
毎週末、夏は海冬はスキーにと父に連れて行ってもらえた事。母は自宅で祖父介護、レジャーには必ず父の彼女が同伴だったのが問題だが、色々な所へ連れて行ってもらえて楽しかった。
>>24
>レジャーには必ず父の彼女が同伴
うわぁ・・・(´・ω・`) 年末にお妾さんの家に本妻がお歳暮持って挨拶に行くような家の子供か
>>1さんありがとう!
されて嫌だった事スレにも書き込みましたが、いい思い出もあります!
・2こ下に妹おります
「お姉ちゃんだから我慢を」って言わなかったと思う
・小学校は月1で参観日があった
フルタイムなのに6年間皆勤だったことめちゃ嬉しかった
でも母はおでぶさんのTHEおばちゃん!だったので見た目を気にするお年頃な中学生になってからは参観日のプリントすら渡さなかった…
・料理が上手だった
よく蒸しパン作ってくれた
私は料理下手なんだよね…ごめん息子よw
誕生日やクリスマスプレゼントには、品物に本を一冊つけてくれた。
裕福な家ではなかったから、おもちゃも嬉しかったけど
本が好きになったお陰で、国語には全く苦労しないで済んだ。
子どもの本も結構高いと、大人になって感謝。
やっぱり、風邪をひいて学校を休んだ時の手厚い看病かなぁ
プリンとかゼリーとか喉をスルッと入る冷たいものが冷蔵庫に沢山入っていて
母と一緒に教育テレビを見ながら食べた記憶が。
そして食べ終わり寝ていると聞こえてくる、洋楽と母の活動する音に安心しながらまどろんだよ
私も子供には同じようにしている。
だから子供達は体温計を測る時点からものすごくWKTKしてるわw
子供の頃よく中耳炎になってた私。
夜中に炎症起こして熱が出て痛くて泣きわめき、眠れなかった私の耳をずっと添い寝しながら冷やしてくれたのが嬉しかった。
母も疲れて眠かったろうに寝ずにずっとお腹トントンしてくれてたなぁ…
風邪ひいた時に作ってくれたお粥やすりりんごもすごく美味しかった。
そんな母は去年、私が下の子妊娠中にガンが発覚、それから3ヶ月で他界してしまった。
皆さんオトンオカンを大切にして下さい。
高校生だった頃、ジャンプやビックコミックみたいなオッサン漫画雑誌を読んでても
何も言わないどころか一緒に楽しんでくれた母。
進路に悩んでいたころ、「あんたはモテないんだから、結婚できなくても食いっぱぐれないように
手に職をつけなさい」と言ってくれた母。
私の大事な趣味になった編み物を教えてくれた母。
父は仕事が忙しくて、家にいることが少なかったけど
料理が上手で、私が揚げ出し豆腐が食べたいと言ったら、
ちゃちゃっと作ってくれた父。
両親夫婦仲はよくないけど、娘は感謝してますよ。
やりたいと言った習い事は全てやらせてくれた事
勉強しろと言わなかった事
本なら好きなだけ買ってくれた事
夏の夜、私が寝る時はいつもいつまでもうちわで扇いでくれた事
夜中に目が覚めた時も母が扇いでいてくれた。
と思ったらずっと祖母と寝てたんだったぁぁぁぁ。
母と寝ていたのは弟。
記憶が都合良く改変される良い例だわ。
自営業の共働きで昔は繁盛していたので忙しく、0歳から保育園→小学校はずっと鍵っ子だった。
毎週水曜日の両親の休みが楽しみすぎて、毎週学校から全力疾走で帰ってた。
カーペンターズを聞きながら、私の帰宅にあわせてケーキを焼いて待ってくれている母が大好きだった。
大人になった今でも、日曜日より水曜日が何故か特別で一番好きな日。
>>35
いいね〜。いい!
なんか涙出た。
私も娘の心に暖かいもの残せたらいいなー。 絵を描く事を続けさせてくれた事
美大受験の前に急に思うように描けなくなった私に「◯◯(妹)にはナイショだからね!」と言って、大好きなディズニーランドへ2人で出かけた事が忘れられない
大学受験当日には、昼食のおにぎりを持たせてくれた
昼休みにおにぎりを食べようと包みを開けるとメモ書きが1枚
「思いっきり楽しんで描いちゃえ!」と母の字
それまで張り詰めていたものが急に緩んで
、嬉しくてウルウルしながらおにぎり食べた
午後からはかなり楽しく描けた
難関だったし倍率もかなり高かったけど、無事に合格出来た
母の事が大好きだし、感謝しっぱなしだ
>>1
乙です
厳しくて働き者の母親だったけれど
どんなに体調悪かったり仕事が忙しくてもお弁当だけは必ず手作りだった
以前はケチってるだけだと思ってたけど
自分が結婚してみてそれがいかに大変な事で、大切な事だか解ったな 親になってからわかる親の大切さ
いつもはすごい甘やかされてたけど、反抗期で道を外しかけた時には二人で私をちゃんと叱ってくれたね
あの時は親を恨めしく思ったけど、あとから思うとちゃんと自分をみて心配してくれたからこそのこととわかるようになった
親の前では言わないけど、いつもありがとうね
良スレあげ
私の両親はバリバリ共働き
祖母に育ててもらったようなもので、昔は「金と習い事の送り迎え以外感謝してないし!」と思ってた
でもその「金と送迎」がどれだけ恵まれていたか…
自慢乙って言われそうなくらい何でも買ってもらえて、何でもやらせてもらえた
大学も兄と3年かぶって、両方県外だったのに奨学金も借りずに卒業させてもらった
でもそれだけじゃなくて家族旅行も沢山したし、8ミリビデオで撮った映像が沢山残っている
この歳になっても、家族で昔の思い出を笑いながら沢山話せるのは本当に嬉しい
誕生日がこどもの日に近いからって、当時大好きだったポケモンのスプーンセットを買ってくれた
いつもは姉と一緒になってキモイだの頭おかしいだの罵ってたんだけどね
今でも大事に使ってる
看護婦だった母は夜勤が多くて、私が夜寝れないのを気にして枕元にオルゴールを用意してくれた。
中耳炎で通院するとき、痛いのを我慢できるように、綺麗な鈴を買ってくれた。
風邪で寝込んだ時は、たくさん甘えさせてくれた。
ものすごく厳しく、クールな母でしたが。弱ってるときは優しかったなあ。
当時 お好み焼き屋さんを営んでいた母親。学校から帰宅すると
冬も夏も小さな玄関先に立って『おかえり〜』と笑顔で待っていてくれた。泣きたい時もいつも傍に居てくれた。母は今はもう天国に行っちゃったけど、自分が結婚して子供があの時の年齢になって
同じことして待ってる自分。
母が、私がピアノ発表会で弾いた曲を全てカセットテープに録音してくれていたこと。
母が亡くなって10年経つが、テープのインデックスに書いてある母の字を見ると温かい気持ちになる。
娘の発表会の録音、続けよう。
お母さんってよく手紙をくれた。何歳になっても、愛するみっちゃんへから始まる愛がいっぱいの手紙。あと内容がごめんね。って謝る事が多かったかな。謝らなくていいのに。寂しくないよこんなに愛されてるもん。あー。私ってこんなにも幸せだったんだ
父がお風呂に入れてくれる時、お風呂から出ると母がでっかいバスタオルを広げて待っていて全身を包んでもふもふ拭いてくれるのが好きだった。
恐らくものすごく小さい頃の記憶なんだけど、いい香りであったかくて、とてもいい気持ちだったのは今でも覚えてる。
うれしかった事…と言うかうれしかった言葉ですが
「うちみたいな貧乏人は誘拐されない」てさんざん言われて安心して育っていた15歳の頃、(ホントは身代金目的だったけど)犯人に殺されちゃった女子大生のニュースを一緒に見てた母が「お前達がこんな目にあったら犯人をぶっ殺してやる」って言ってくれました
「なんじゃそりゃ」
私は鼻で笑ってましたがうれしかった
その日の夕方母は買い物に行ってそのまんまくも膜下出血で亡くなっちゃいました
オカン
ありがとう
ホントにうれしかった
ダメだこのスレ。
涙腺崩壊する。・゜・(ノД`)・゜・。
食卓が豊かだったこと。
当時まだ珍しかったエスニック料理、手作り肉まん、ピロシキ、焼き菓子いろいろ。
日本各地の郷土料理。
朝食に出てきた甘いチャイ。
同年代の人と子供の頃の食事について話すと、母のつくってくれたもののバリエーションの豊かさに驚かれる。
今で言う食育もしっかりされてた。
私含めてきょうだい3人全員が、ごく自然にバランスのいい食事を自分の子供たちに与えてると思う。
何この良スレ
目から汗がとまらんよ(´;ω;`)
大したことじゃないんだけど、いろいろ旅行に連れて行ってくれたことかなぁ
子ども3人抱えての旅行は大変だったと思う。
それから誰かの誕生日には必ず家族でケーキを作ってお祝いした
同じことを自分ができるんだろうか…
かなり厳しく悪いことするとすぐにブン殴ってくる父と母だったが、二人が優しいのを俺は知っている。 特別な事されたって記憶はないけど今になれば普通ってのがどんだけ幸せか痛感する。
高熱出まくってた学生時代にイライラもせずよくもまぁ面倒みてくれたなと思うよ。
調理実習の日の夜中、突然気持ち悪くなって掛け布団に嘔吐してしまった。母は怒ると怖い人だったので隣に寝ていたが起こせなかった。朝方、掛け布団の汚れに気づいた母が何も言わずに処理をして毛布をかけてくれてた。ものすごく怒られるって怯えてたから嬉しかった。
両親不仲だし、円満な家庭って感じではなかったけど思い起こすと優しい思い出がちょこちょこある。いつもイライラしてるから私も子供にもっと優しくしよう‥
三人兄妹の真ん中で、しっかり者で健康優良児だった。他の兄妹に比べて、明らかに構われてなかった。ちなみに家は貧乏。
でも買い物に一緒について行くと、ごくたまーに、他の兄妹に内緒でケーキ買ってくれたんだよなぁ。
見つかるといけないから、次の日の朝に早起きして食べるの。今でもいつも買ってたケーキの色や形、味も思い出せる。
もしかしたら他の兄妹にも同じことをしてたかもしれないが、とりあえず特別があったことで自己肯定感がひとなみになった気がする。
共働きなのに毎日お弁当作ってくれたしダイエットしだしたら合わせて野菜中心にしてくれた。学校でいじめられた時は涙目でたくさん話聞いてくれた。いつも共感してくれたのが嬉かった
電車を待つホームで、父に両手を持ってもらってジャンプして遊んだこと。
日曜の朝、あげる前の布団で海苔巻きみたいにゴロンと丸まったのを、
父が勢い良くひっぺがして遊んでくれたこと。
土日に自転車に乗る練習に付き合ってくれたこと。
一緒にお風呂に入って手で水鉄砲をしたり、500や1000まで一緒に数えたりしたこと。
逆に0.1秒なんて小数を覚えたのもお風呂だった。
年齢と共に父に対する反発も大きくなっていったけど、こんな些細なことも楽しかったし嬉しかった。
小学生の頃、昔持っていた子供用の財布に手書きの『自転車免許』が入っているのを見つけた
いた。大人が持ってる車の免許が欲しいと私が言ったのかは覚えてないけれど、似顔絵も描いて
あったりしてかなり細かく書いてあった。
当時の記憶は無いけど嬉しくなった思い出。
小学校をお受験した
合格発表を父と見に行ったとき不合格で
それがとても悲しいことだと思ったので泣いた
父が慰めようとその後サンリオピューロランドに連れて行ってくれた
サンリオがあまりに楽しかったので、十年くらいは
合格発表見に行った日とサンリオ行った日が同じ日だと思ってなかったw
すごく素敵なスレ
私は、いつか書いた気もするけど小学生の時。
学校は楽しくなくて朝行きたくないな〜って思う日々を送っていた。
お母さんは絶対休んじゃダメ!な方針だったから有無を言わさず追い出されてたんだ。
でも、トボトボ歩いてて振り返ると必ずアパートの窓から顔を出して見ていてくれてるの。
さすがにもう居ないかな?って時も笑顔で見てるのよ。
今も覚えてるから相当嬉しい瞬間だったんだと思う。
>>26
逆でして、年始に女性が毎年うちに来てました。
飲み屋のママさん関係もいたので複数来てました。
ひどい環境だったと今となってはわかりますがその時はわからなかった。
ただ、周囲に可愛がられたのが感謝です。 >>62
ああ、それ以前の書き込み私読んだよ。
いいお母さんだなぁ、見習いたいなぁと思った。
小さいことだけどそういうの、子供は勇気づけられるよね。
今上の子が小1なんだけど集合場所までにうちの私道がしばらく続くから
そこまで一緒になにかお喋りして歩いて送り出すことにしてる。
下の子いて騒がしくてふたりで話せること少ないしと思って。
たまに急いでて笑顔忘れてるけど明日からは笑うわw 食べ物の好き嫌いなく育てられたこと
一通りの食材を見て食べたので初めてのものが中学以降ほとんどなかったこと
残さず食べることを習慣付けられていたので、どこでも褒められて自信が付いたこと
結果として食わず嫌いもしなくなり、食べ物以外にも初めてのものへ臆さず挑戦する性格になったこと
食べ物以外では、あいさつをきちんとするように躾けられたので、どこの親にも褒められたこと
私も親になるので、同じような教育ができたらと常々思う
小1の頃、肺炎で入院した時。
好き嫌いが多くて、病院食が全然食べられなかった。
本当は駄目なんだけど、カーテンを閉めてこっそり森永のキャラメルを
一粒だけ、食べさせてくれた。凄く甘くて優しくて、困らせちゃ駄目だと思い、
病院食をきちんと食べるようになった。
キャラメルがその時から大好物になったよ。
醤油を取ってくれた母に「ありがと」と言ったら
「あんたはちゃんとありがとうが言えて偉いね」と、さらっと言われた。
わざとらしくない、自然な言い方だったから妙に嬉しくて、ずっと心に残ってる。
この程度の事をしつこく覚えてるんだから、
もしかしたら誉められた経験が少ない子供だったのかもw
でも、お手伝いやプレゼントした時の大袈裟な喜ばれ方よりずっと印象に残ってる。
親が本気でそう思ってるのかどうか、子供は本能的に感じ取ろうとしてるのかもしれない。
子供の頃の話じゃなくてもいいのかな。
私が幼いころから、母は姉ととても仲が良かった。
祖母(母の実母)が「お母さんはお姉ちゃんにべったりで、あんたが可哀想」とぼそっと漏らすくらい。
私のことなんて目に入らないみたいで、私を置いて二人でお出かけなんてこともしょっちゅうだった。
だから、私は母にあまり愛されてないんじゃないかと思いながら大人になった。
私が妊娠した今、母は私に妊娠中のことや幼少期のいろいろなエピソードを聞かせてくれる。
その内容がとても細かくて、めちゃくちゃ些細なことばかりなんだけど、嬉しそうに話してくれる。
ちゃんと見ていてくれていたんだ、私もちゃんと愛されていたんだって、私も嬉しくなる。
私も数十年後、我が子にいろんな話を話してあげたい。
中学生の頃、結構酷いイジメにあった。
それを伝えたらその日の夜にいじめっ子の家に全員の親呼び出し→乗り込んで話し合いをしてくれた。
次の日からイジメはぱったりなくなった。10年以上経った今でも忘れられないくらい感謝してる。
現在親子喧嘩の真っ最中。
良スレ見てほっこりしたし、明日仕事終わりにお母さんの好きな果物とお父さんの好きなお酒買って帰ろうと思う。
小学5年生で自分の部屋を貰ってから、
自分の部屋は自分で掃除をして
自分の汚れ物も自分で洗濯するようになってた
母は専業主婦だしマメな人なんだけど
面倒でたまにしか掃除機かけてなくても
小言も言わず、部活で洗濯物溜まってたら
たまに洗ってくれたりしてた
自分が結婚する直前、母方の祖母を要介護で
引き取ってたんだけど、
母が祖母に「この子は家事なんでも出来るから
心配いらないわ」って言ったのがすごく嬉しかった
自分の子も、出来る年になったら
あまり世話せずに自分でやらせて
出来てなくても怒らないようにしようと思ってます
>>71
私は母が家事をちゃちゃっと済ませてしまい、何も教わらず根もダラなので、
立派なダラ主婦になってしまった。
娘には家事ができるようにしてあげたいな。
私がされて嬉しかったのは、とにかく何でも認めて褒めてくれたこと。
もちろん叱られた事もあるけど、基本的には褒めて育てられた。
いまだにこんなダラなのに「ちゃんと3食作っていて偉いじゃない!」「あなたの料理はお母さんを超えたわね」
とか、一見オーバーに聞こえそうなのに、自然にさりげなく褒めてくれる。
本当にありがたい。母ちゃん大好き。 >>72
いいな。
うちは父親が末っ子長女の私がとても可愛いらしく、子ども2人産んだいまだに
料理がうまいなぁとか子育てが上手だなぁと誉めてくれる。
それを見て母親は「あなたそんなの主婦ならトーゼンよ!ほんっと娘には甘いんだからっ!」と焼き餅全開ですorz
でもトーチャンもカーチャンも大好きさー 大学選びで父と私が揉めたときに、母が味方になってくれたこと。
「いざとなったらお母さんがなんとかお金を出してあげる。
お父さんもお父さんなりにあなたの幸せを願っているの。
けど親が代わりに生きてあげることはできないのだから、
あなたはあなたの一番いいと思う道を行きなさい」
と言ってくれた。
このときのことを思い出すと、今でも胸がいっぱいになる。
いい台詞だ。全くその通りだと思う。
自分もそう言えるようになりたい。
夜寝る前や特に何でもないときに「おいで」と言われて母によく抱き着いてた。恥ずかしがりながらも弟も母に抱き着く。何故か安心して嬉しかったのを今でも覚えている。
妹が産まれる前、母は一ヶ月くらい入院してて
父とお見舞いに出かけた帰りに
百貨店のレストランで食べさせてもらった
お子様ランチ。
父は堅物で、滅多に外食なんか連れて行ってくれなかったので
強烈に嬉しかったのを覚えてる。
ドラえもんの顔の器にチキンライスとハンバーグ、オレンジジュースに
デザートは二つに折れる棒付きラムネアイス。
アイスが溶けちゃうから、先に食べろって言われたけど
アイスがでかくて
まだ幼稚園に行ってないときにお弁当に憧れてたので、母親に作ってもらって家の庭で食べたこと。
ピクニックごっこもよくした気がする。
デパートに行って、ダブルのアイスを食べさせてもらったことが嬉しかった。
「トリプルはもっと大きくなってからね」って言われたけど、結局食べないまま大人になってしまった。
台所に立っている母親の横で、冷蔵庫の前に座って学校の話や友達の愚痴を聞いてもらうのが好きだった。
二歳上の姉と三歳下の弟に挟まれた真ん中っ子だった。
何かと放置されがちなポジションだったけど、母が「あんたが一番お母さん似だね」
と言ってくれるのがとても嬉しかったな。
よく覚えてるのは幼稚園の時、父がたまに買ってきてくれる鯛焼きや大福を夕食後に
食べるのが楽しみだったんだけど、ある日弟が私の分まで勝手に食べてしまった。
弟も三歳かそこらで悪気は無かったんだろうし、父や当時同居してた祖母も「しょうがないなぁ」
って感じで私が我慢するしかなさそうな雰囲気だった。
でも母は、「これじゃ可哀想だ。せっかく楽しみだったのに」と、私を車に乗せて鯛焼きを
鯛焼きを買いに連れて行ってくれた。
運よく屋台の鯛焼き屋さんが店仕舞い直前だったのを滑り込みで買えた。
帰りの車の中で食べたほかほかの鯛焼きの味は今でも覚えてる。
何より母が私が鯛焼きをどれだけ楽しみにしてて、その気持ちを分かってくれてたのが嬉しかったな。
良いお話なんだけど
>私を車に乗せて鯛焼きを
>鯛焼きを買いに連れて行ってくれた。
鯛焼きリフレインがじわじわくるww
あと鯛焼き食べたくなった。
>>81
全く同じ境遇で同じことあったよ
自分が書き込みしたかと錯覚したw
鯛焼きじゃなくてタコ焼きだったけど。 いい話だ。
しかし83のせいで自分も鯛焼きが食べたくなってしまった。
うん、鯛焼き食べたいw
このスレ見てると、やっぱり自分の考えや希望を親が尊重してくれるって
すごく嬉しい事なんだね
自分もそんな親にならないとなぁ…
武田鉄矢あたりに歌ってもらいたい。鯛焼きリフレインw
さだまさしに「関白宣言」みたいな音調で歌ってもらいたいw
>>90
だめだ、武田鉄矢でしか再生されなくなってしまった。
鯛焼きを、鯛焼きをー。
私は妹がいたんだけど、お父さんが休みの日に
私だけ連れて喫茶店に連れて行ってくれたのが嬉しかった。
コーヒーの香りの大人の世界って感じで、
なんとなくお父さんとデートみたいな気分で、背伸びした気分だった。 私は母に怒られた記憶がない。常に優しかった。
誰に対しても優しく温和だった。私が中学生の時病気で天に召されてしまった。
が母の苦労を後に知った。何も娘に伝えることもせず旅立ってしまった。
お母さん、あなたを恨んだことなど一度もないよ。
私を生んでくれてありがとう。あなたに似た心の優しい子供をさずかったことが
が何よりの贈り物だと感謝しています。
自分の話じゃないんだけど、母と祖母の話。
ささいな事なんですが、母は祖母(母の母)に、
冬の日、ジャンパーの袖口から肘の辺りでつまった中の服を引っ張ってもらうのが、本当に嬉しかったと未だに言います。
あれやってもらうと一瞬で腕が温かくなりますよね。
子供の頃、
祖母は温泉旅館の寮に住み込みながら働いていて、たまにしか会えなかったから余計に嬉しかったみたいです。
>>94
わかる!
私もよく母にしてもらってた。
母にしてみれば日常の何気ないお世話なんだろうけど、
そういうことが案外嬉しかった記憶として残ることもあるよね。
私は冬に毛布と掛布団を掛けて貰い、
肩回りを押さえて寒くないようにしてくれるのが好きだった。
シートベルトが義務じゃなかった時代。
運転する母がブレーキ踏んだら手で私を抑えてくれていた。
そんな母も彼氏ができていなくなりましたとさ。
紺色に小さな花柄のロングスカートをはいている母がキレイで好きだった。
そのスカートばかり褒める私に綿ブロードで似た感じのスカートを作って
くれたのが、とても嬉しかった。
私が妊娠してもう入る服がない〜と母と話していたら、これ着る?と
懐かしいあのスカートを出してきた。八ヶ月の私にピッタリなサイズで
笑ってしまったけど、実はとても嬉しかったw
貧乏で、家にあるコップは、私を溺愛していた近所の酒屋さんからの貢ぎ物か、結婚式の引き出物、内祝い(知らん子の名入り)など。
小6の冬、天体観測の宿題が出て、母親が塾をやってる友達と2人で見た。
完全に冷え切って2人で家に帰ると、とっておきのティーセットでミルクティーを淹れてくれた。
喫茶店で出てくるみたいな広口の、お花みたいなカップ。
もう父は酔っ払って寝ていたので(20時w)、玄関で飲んだんだけど、今でも忘れられない。
ボロボロの小さな借家の玄関には不釣り合いな、本当に素敵な時間だった。
以来、ミルクティが大好きになった。
卒業式の朝、入学式の朝、受験の朝・・・とっておきの日に、あのとっておきのティーセットでミルクティを出してくれた。
今は帰省した時。
そして、それが縁で、その友人母の塾に通わせてもらってた。
私に子どもが産まれて、一緒に天体観測をした友人が、母親と会いに来てくれた時、友人も覚えててくれて、なんだか誇らしかった。
>>100
素敵な思い出が、今も続いてるんだね。
こんどは>>100のお子さんにとっても、
とっておきのティーカップになるんだろうな。 >>96
分かりすぎる!
「(布団の上から)肩パンパンしてー」って言ってたよ 誰かも書いてたけど、お風呂上りにバスタオルで受け止めてもらったこと。
パフパフしてもらうのって気持ちよかったなあ。
小さい頃はよく熱を出してたんだけど、そうすると父がおじやを作ってくれた。
イリコと味噌で味付けがデフォ。具はサツマイモその他冷蔵庫にあるもの。絶品だった。
私のソウルフードなんだけど、この間父に話したら覚えてないと。。
この夏帰省する時に作ってもらう約束。
うちも父親の作ってくれた甘辛い卵焼きが忘れられない
母親曰く「塩砂糖入れ過ぎ!」なんだけど、絶妙で微妙な比率があるらしく
どんなにやってもあの味が出せない
もう食べることも、玉子焼き大好きな子供(父には孫)に、
一度でも食べさせてあげることもできなかった、お父さんの玉子焼き…
去年の秋、三回忌だったんだ。
出産当日、「陣痛始まったから今から入院する」と両親にメールした。
父は普段、会社にいる時間に返信しないのに、「大変だろうけど、何も心配せずに頑張りなさい。生まれたら知らせるように」と即レス。
生まれたとメールした時も、深夜だったけど「お疲れ様。今はゆっくり休みなさい」と即レス。
予定日が近づいて、常に気にしてくれていたから、すぐにレスをくれたんだろうな。
嬉しかったから、メールは保護してる。
ちなみに母(50歳)はメールが使えない。
教えると言っても「いらんよー」と、全く覚えたがらない。
何故か送ってほしがるから送るけど、いつも「メール来たよー」と電話がかかってくる。
しかしそんな母がなんか大好きだw
>>106
卵焼きの砂糖と塩はどのくらい入れるの?
お父さんの味にはならなくても106レシピのドサドサ左藤としおを入れるの作ってみたいです
教えて下さい
とても厳しかったけれど、私が希望した道を応援してくれた両親。
進路も習い事も一切ダメとは言わなかった。
どちらも大したことはないが、きちんとキリのよい所まで続ける事ができた。
色々迷惑をかけたけれど、決して見捨てないでいてくれた。
そして結婚するとき、初めて反対されたが押切り結婚した。
でもすぐに離婚することになり、かなり叱られはしたけれど、
それでも最初から最後まで味方してくれていた。
そして再婚が決まり本当に喜んでくれ、やっと妊娠したのに切迫流早産で入院ばかり、
しまいには胎児の命が危ない所まで来てしまった。
その時、父は大事な商談があったらしいのだけど、
何もかも放って母と高速を飛ばして1時間以上かかる病院まで来てくれた。
緊急で帝王切開になりはしたけれど、どうにか子供は無事に産まれてくれた。
病室に戻ってきた私を真っ赤な目で「おめでとう」と言ってくれた両親。
本当はゆっくりしたかったかも知れないけれど、私の体を気遣って病室に戻って10分程で帰ってくれた。
無条件で味方になってくれるのはやっぱり親なんだと思う。
今では私が育児で辛い時など、子を預かってくれ、リフレッシュさせてくれている。
>>109
それだけ良いご両親に恵まれながら
反対を押し切り結婚、案の定離婚。
再婚して子を預けてリフレッシュ…。
自分の子が>>109みたいにならないようにしたい。 >>110
私もちょっと『え?』って…w
いや離婚が悪いとかじゃないし、良いご両親だと思うさ
まだ子供が乳児なら少しくらい頼っても良いかもしれないけど、これからは109が親孝行しなきゃね
>>109みたいな親こそが子どものことを愛してる親なんだろうと思う。
自分の思い通りにならなくても愛するし、そういう風に親の反対押し切って大きな判断できる自立した人に育て上げる・・・
うらやんでもしょうがないので自分がうれしかったこと。
幼稚園教諭免許もちの母は歌や手遊びが好きだった。内向的で泣いてばかり、お友達と遊ぶのもへたくそな自分だったけど
母と手遊びをしてるときは夢中でよく笑うこどもになれた。
今、母親業もやはり下手くそな自分だけど、子どもと一緒に手遊びしてるときはちゃんと親子の交流出来てるようで嬉しい。 いや、離婚した時は父親は一発ビンタするべき
それが親の愛
本当に私みたいなろくでなしの親不孝者ってそうそう居ないと思います。
(私には兄がいますが、兄は立派です)
最初の結婚は、同居でしたがそれを案じての反対でした。
世間知らずだった私は、同居というのは、自分の両親と父方祖父母のような関係
(とても仲が良かったので)が普通だと思い込んでいた為でした。
離婚の理由が、私の不妊ということで子供を凄く欲しがっていた相手の母親に
追い出される形でした。(元夫と元舅は空気)
ですが私自身も未熟で我慢が足りなかった部分もあったため、
ビンタまではありませんでしたが、我慢や覚悟が足りない事を厳しく叱られました。
母は祖父母に愛情をかけてもらえなかったようで、
自分がしてもらえなかった事を私や兄にしてくれました。
子供をあずける件に関してですが、しょっちゅうみたいな書き方になってしまいましたが
半年に1度程、地元に家族で帰って半日程見てもらい、夫婦でお出かけという感じです。
それでも十分甘えですが、いつも子供に会いたがってくれ、大事にしてくれています。
心から感謝しているし、尊敬しています。
>>112さん、フォローありがとう。
ですが、私は自立してるんじゃなく、ただワガママで浅はかなだけなんです。
長文失礼しました。 長くなりますがごめんなさい。
私は恥ずかしいけれど思春期に高校中退して遊びまわったあげく人間関係に傷ついて一年半くらい家から一歩も出れなくて引きこもってました。親を邪険にしたくせに傷ついたら結局帰る場所は親しかなくて。親に逃げて。。
世の中が21世紀になってテレビでみんなが2000とかのメガネかけて浮かれているの見て、「あぁ、私はなんて迷惑かけてるんだろう。中途半端に生きて死ねもしないで。。」と思って泣いてた。
そしたら親が「あなたと一緒に年をこせて嬉しいよ、生きていてくれてありがとう」って言ったんだ。
びっくりしたよ。私は迷惑かけてばかりのお荷物なのに。
その言葉がきっかけで生きていかなきゃ、親を悲しませたくないって思った。
それから色々頑張ってバイトしながら通院しながら通信高校入りなおして、大学も行った。
働き出してささやかながら人並みに恩返しできるようになったけどあの頃の親の苦労、悲しみを思えばまだまだ足りないです。
親にはまだまだ長生きしてほしいし、たくさん恩返ししたいです。
>>117
ええ話や…
やっぱり、例え子から裏切られても親は子を見捨てちゃいけないね
改めて気付かされたよ、有難う 貧乏だったけどクリスマスの夜には必ず枕元にお菓子を置いてくれた
高校生になってもお菓子だったけどやっぱり嬉しかった
大人になって高い物を貰っても小さい頃のクリスマスの高揚は越えられない
小学校3〜4年の時でも、母が時々「久しぶりにだっこしようか」と
10分位だっこしてくれた。
3人姉妹だったから、母を独占できるのが嬉しかった。
自分ではもう大きくなったと思ってたし、だっこしてなんて自分からは
言えなかったけど、母にだっこされるとすーっと気持ちが楽になって、
嬉しくて、気持ちよかったなー。
今思い出しても幸せな気持ちが蘇る。
>>120
娘が小3、抱っこはしてないけど抱きしめたりおんぶしたりはしてる。
あと数年もすればそんなことはなくなるんだと思ってちょっとさみしくなったりするよ。
なので120母にとっても良い思い出なんじゃないかなー。
暑苦しいけど、私ももっとスキンシップしようw >>120
小4の娘が俺に「抱っこして」としがみついてくるんだが、
邪険に扱わず、抱っこくらいしてやった方がいいのかな。
妻には言わないんだがなあ。 >>123
小4じゃ身体が大きいから体重も重いしママには重すぎるかも負担かけられないとの気遣いかもよ
夜、怖い夢を見た時に母親の布団に潜り込んでた。
嫌な顔一つせず迎え入れてくれ目安心したなあ。
母親のにおいが心地よかった。
冬になると、登校前に母がストーブの前に私の上着や靴や手袋を置いて暖めてくれていた。
もちろん登校途中で冷めちゃうんだけど、
それまではホカホカで母のぬくもりを感じるようで幸せだったな〜
友達関係が上手くいかないことが多くて、学校があまり好きじゃなかったけど、なんだか守られてるという安心感があった。
今日はホームに入ってるじいさんに会ってきた
新しいトラクター600万で買って規模拡大もするんだぜ
って報告したらがんばれよって
じいさんが30年前に買って、俺の自慢の村一番だったトラクター、
それからもう4台目だけど、じいさんのトラクターだけは下取り出さずに置いてある
ときどき動かして、あのときみたいに田んぼの中を走るんだ
じいさんはもうオレのことは覚えていないみたいだけど
>>120-124
年少の息子の幼稚園からのチラシで購入し始めた
毎月定期の廉売絵本(同人誌のようなオフセ仕様)で
先月配布された絵本「ちょっとだけ」っていう本の内容がちょうどそんな奴だったよ
絵は嫌いなタイプの絵だったけど、号泣した。 >>120
いいな〜。
私も三人姉妹の長女だったから、
自分のこどもには>>120のお母さんみたいにしようって出産前から思ってた。
残念ながら、実母は末っ子だったので↑は反面教師として誓ってる。 >>128
「ちょっとだけ」本屋さんでパラ読みして危うく泣くとこだった
ちょうど2人目妊娠中でリアルに想像できちゃったもんで余計に…
今日寝る前に上の子膝に乗っけてぎゅーってしたら嬉しそうにしてた
「いつも下の子ちゃんばっかり抱っこしてもらっていいなぁ…ママ大好き!」って言われて、寂しい思いさせてるなぁって反省したよ
これだけじゃ何なのでマイ嬉しかった思い出
年の離れた弟命で私は3の次以下だった毒母
いつも弟の世話係とパシリ要因として買い物や用足しに連行されてた
ある時学校帰りにこき使われてクタクタだわお腹すいたわで、下向いて弟の手を引いてトボトボ母の後ろを歩いていたら珍しく「コンビニ寄ろうか」と言われた
タバコでも買うのかな…と思ってついて行ったら、母が買ったのはホカホカの肉まん
「お腹すいたでしょ」って私にくれた
いつもの癖で弟に半分あげようとしたら、「弟にはお母さんのあげるからあんたは全部食べな」
日頃のやりきれない気持ちが吹っ飛ぶ位あったかくて美味しい肉まんだった
今でも母はやっぱり毒なんだけど、この肉まんを思い出すと心があったかくなる >>130
二人目妊娠中なのに、「下の子ちゃんばっかり抱っこしてもらっていいなぁ」なの? >>131
「ちょっとだけ」を読んだのがつい最近とは限らない >>131
ああごめん。もう半年以上前の事で、もう下の子は生まれてるんだ。
言葉が足りなかったね。 親に褒められたこともイイことしてもらったことも無いわ
過干渉、否定ばっかでウンザリしてた
で、私もまた子供におんなじことしてる・・・ボスケテ
>>128
ちょっとだけ を下の子が生まれたての時期に上の子(当時3歳ちょっと)に
初めて読んであげた時案の定泣いたw
でも悟られるのも恥ずかしかったからめっちゃごまかしたっけ >>130
全私が泣いた!!
毒なのがとても残念です…
私は末っ子で、恥ずかしながら中学生になっても両親の寝室にもぐりこんで
布団の真ん中を陣取って寝ちゃう子だったんだけどw、
更に母親の体に片足を乗っけた体勢が本当に気持ちよくて大好きで、
いつもそうしながら母親とおしゃべりしながら寝てたんだ。
でも、結婚してから気付いたんだよね。人間の足って結構重たいって。
お母さん、毎日重たくても何も言わなかったんだな。今更ながらごめんなさいと思う。
>>138
旦那さんがあなたの上に足を置いてるってこと?w >>139
そうですw
でも初めの一週間位で「重たいからやめて」って断ったw 姉妹の長女だったけど、母から一回も「お姉ちゃんなんだから…」という言葉が出てこなかった。
おかげで特に姉だからといって我慢することなく育ったような気がする。
>>135
せっかく良いふいんきのスレなのに。
KYなあなたの親の気持ちがわかる気がします。
いつも仕事に追われ、母と会う時間もほとんどなかった。
ある日学校からハンドメイドのエプロンを持ってきなさいと言われ、ただでさえ忙しく不器用な母には…と思い、何も言わずにプリントをテーブルに置いていた。
2日後、枕元にお世辞にも可愛い!とは思えない、手縫いのエプロンが。
そういえばいつも家は片付いてたし、ナフキンなんかちゃんとアイロンがかけてあった。
いつ寝てたのかな。ダラな自分には到底無理だ。
女らしさがなく、子供時代は綺麗なよそのお母さんが羨ましくて仕方なかった。でも頑張ってたんだな。
過労で倒れ、そのまま逝ってしまった。
このスレのお陰で母の良いとこを思い出すきっかけになったよ。ありがとう。 ひな祭りの時期ではなかったんだけど
ひな人形がみたいって駄々こねてたら
母さんが、ゆで卵に食紅で十二単描いて
ゴマで目を付けて海苔で髪を付けて
即席ひな人形を作ってくれた。
三十年も前の事だけど、凄く嬉しかったのと
母さんすごい!っていう衝撃、今でも鮮明に思い出せる。
社会人になってからも、飲み会で帰りが遅くなったときは駅まで迎えにきてくれたことかな
免許はペーパーだった母なので自転車で。
大雨の時も傘をさして待っててくれた。
おせっかいとは思わなかった。
私も女児が生まれていたらきっと同じことをしただろうな。
>>114
いいお母さんだ。
主人の会社で。飲み会でかなり酔った子がが終電逃して長蛇の列のタクシー待ってたら、同じ方面だから送っていきますよ、と、真面目そうな男性に声かけられ、車に乗ったら複数の男性が……だったらしい。
酔って思考回路働いていないような子を狙ったんだと思う。
私にも娘がいるから、嫌がられようとも迎えに行くつもりだ。
横道スマソ 私も、将来、娘が遅く帰ってくるようになったら迎えに行くつもり。
パート先の女子大生が、夜の真っ暗な中、人気のない道を
自転車で帰っていくのを見ると人ごとながら心配になる。
なぜか男子高校生は毎日かあちゃんが車で迎えに来てるがw
いやいや、男の子でも安心できる時代じゃないもんね。
>>120
私もかなり大きくなってからも、
時々母に抱っこしてあげる(抱きしめるだけだけど)と言われ、
「えー!!いいよ、いいよー!」とか言いながらも、抱きしめてもらってた。
恥ずかしいんだけど、すごくうれしかったよ。
いまうちの娘は3歳で、抱っこ魔。
あまりに、まとわりついてくるので、時々邪険にしてしまうんだけど、
母を見習って、たくさん抱っこしてあげたいと思う。 うちなんてさ今、息子が中一なんだけどね身長が175センチもあるのよ
この前 寝ぼけて起きてきて 「抱っこしてくれ」っていわれてさ内心「えーもう無理!!」って思ったけど
数秒だけギューっとしてやったの
そしたら 無言でまた寝にいったのよ 翌日「寝ぼけて起きてきたね」って言ったら全然覚えてなくて無意識に母を求めてたのかな
と思ったらまだまだ子供だなって思いました
でも正直175センチもある息子はもう無理だorz
>>149
いやいや、これからも求められたら抱っこは無理でもギュッと抱きしめてあげて!
人間は24歳まで脳的には子供なんだって
職場の新卒が使えなくても2年くらいは大目に見よう(スレ違いスマン) 大したことじゃないんだけれど、幼稚園年長か小学校低学年頃
父と弟と河原へ出かけたら、父か弟が怪我をしたので持っていた絆創膏を出した
父が「準備をよくしていて偉いなあ」と褒めてくれたので嬉しくて
その後も意識的に絆創膏やら飴玉やらちょっとしたものを持ち歩くのがクセになってるw
母が何でも手作りしてくれたのが嬉しかった
ぬいぐるみ、リカちゃんの服、私の普段着、季節ごとのよそゆき、バッグ、
毎日のおやつ、特別な日のケーキなどなど
友達に、手作りなんだっていうとよく驚かれていた
お弁当もいつも品数が多くて彩りが良くてうらやましがられた
毎日の食事も、なになにの素とか、味付けまでしてある肉魚とか
冷凍食品とかは一切使わずに作ってくれていた
子ども3人いるのによく時間あったなあと自分が子持ちになって思う
>>153
お子さん3人もいるのに、>>153さんのお母さんは凄いね!
うちの母も冷凍食品や半調理品など一切買わず、
おやつも手作りでよく作ってくれた。
私も親になったら、そうなるのかなー、と思っていたけど違ったw
確かに自分で何かを作ることは大好きで料理も好きだけど、
市販の物もそこそこ美味しいのもあるし、何より手抜きしたい時もあるし、
結構買ってしまってる。
そんな私を見て母は「うまくバランスとっていて賢いわね!」とか褒めてくれる。
甘やかされな過ぎな気もしないでもないけど、
沢山褒めて認めて育ててもらって本当に有難いと思っています。 手作りのお菓子作ってもらえたのがうれしかったな〜。
でっかいババロアが美味しくて美味しくて、忘れられない。
仕事してて忙しい母だったから余計そう思うのかも。
あと、本を読んでくれたのもうれしかった。
声色変えて読んでくれてたから大爆笑してた思い出。
書いてたら泣きそうになってきたよ。
>>156
いや、ピンピンしてるよwww
でも、老いてきたな〜と思うことも多々あり、
自分が子供を産んだこともあって、最近涙腺弱くてね。
ご飯作ってると、味見させてくれて
食卓に出たのより味見のが一番美味しかったなぁ、とか思い出すよ。 >>17
今息子の乳まさぐりを全力で拒否し続けてる・・・orz
触りたいのはわかるけど不快で仕方なくて。触らせなかったせいで
将来性犯罪者になったらどうしようとかまで考えてしまうけど嫌なもんは嫌なんだー!! ちなみに私自身の記憶では
葉っぱや花を庭で切ったり、絵の具で色水作ってジュースとか言って
おままごとさせてくれるのが超好きだった。色水作りなんてそれはもうウキウキした。
田舎なので、でかい小屋にいろんな農作業の道具とかあって
小さいまな板とか実際に切れるちょうどいいサイズのナイフみたいなものもあったので
それを使うのが本格的っぽくて嬉しかった。
私も母の手作りは嬉しかったな〜
母がミシンを取り出すとワクワクしてミシンの周りに集まってた
あと5歳くらいのとき、風邪でものすごい高熱が出て母と病院にいったんだけど、
待合室で熱のせいで意識が朦朧としてそのまま意識を失った
(寝ちゃったのかも。詳しくは覚えてない)
目を覚ましたら点滴を受けてて、父と母が私の顔を覗き込んでた。
父も心配して病院に来てたらしいんだけど、辛いときに目を覚ましたら
視界に父母の顔があって、本当に安心したのをはっきりと覚えてる
お母さんの手作りって嬉しいものなんだね
今、私はへたっぴハンクラー&菓子作り趣味なんだけど
3歳の娘には「お誕生日のケーキは買ったのがいい」といわれてしまいorz
手作りケーキばっかりなのもつまらないんだろうね(というか私の腕の問題・・・)
四人子供がいて、親が共働きで忙しかったので
時々父がご飯を作ってくれるんだけど
オムライスの時に、リクエストを聞いて
ケチャップで絵を書いてくれた事
朝早く起きた時、冬など寒い時期は
部屋が暖まるまで布団に入れてくれた事
行為そのものではないけど
両親はバリバリ共働きで、家事育児は祖母が一手に引き受けていた
最近、私が母に「ばあちゃんおらんかったら妹おらんかったよね〜。てか私(真ん中)もおらんかったかもw」って言った
そしたら母は「うちは、ばあちゃんおってもおらんでも3人って決めてたからね」と言われた
全員望まれて産まれてきたんだって、当然なんだろうけどすごく嬉しくなった
で、60歳近い父は私に「子どもは少なくとも3人だ!」と豪語する
じゃあ地元に帰るから、お世話お願いねと言いたいw
そんな父は、0歳の孫より30歳に片足突っ込んでる子どもの方が未だに可愛いらしい
周りの友達はそんな下らない事しないで勉強(ryと言われてた頃
漫画を描く趣味を唯一の趣味だからと認めてくれた事
大人には下らない事でも認めてあげるって大事だと思う
小学生の時に軽いいじめを受けてて、母子家庭で母ちゃんに心配かけたくないから黙ってたんだけど、なんとなく感づいた時に言われた言葉
「あんた、外の子に何かされよらんね?もし、なんかされたりしたら母ちゃんにすぐ言わないかんよ!」
「うちはお父さんおらんけど、母ちゃんがあんたば守ってやるけんね!!」
って抱き締めてくれた。
>166九州のご出身ですか?
自分の母も九州にいるので、イントネーション思い出してほっこりしました。
自分の嬉しかった事、小学生くらいになってから夏は毎年キャンプに連れて行ってもらえた。
普段は早寝早起きなんだけど、その時だけは夜食も良くて、
毎年何故かどんべえのうどんで、美味しかった。
あげてしまいますよ。
いい話で、涙鼻水がとまりません。
私は親からの愛情を感じることが少なかったため、愛のある親子たちは
どういう毎日を過ごしているのかがわからず、
子とどう接すればいいのだろうと漠然と思いながら子育てをしていたけれど、
ここに書かれてあること、こういうことをしてあげると
親に愛されてるって実感してもらえるんだなって
参考になります。
揚げたてのフライドポテトを、円すいに丸めた紙に入れて、私と妹にくれたことがある
ファーストフード風の母の似顔絵マークが描いてあって、とても楽しかった
当時は、編み物してる時のお母さんは大嫌いでした(かまってくれないから)
私が今妊娠中で生まれてく赤ちゃんにお母さんが、オクルミやら、帽子やらケープやらを編んでくれている。
家に帰ってから箪笥の奥にしまってあるお母さんが編んでくれたマフラーを出して泣いた。大泣きした。これを書いている今も泣いてる…お母さんって暖かいな…
自分が小さいころ、家にはクーラーがなくて夏は扇風機で乗りきってたんだけど、昼寝をしていると母がうちわでずっと扇いでくれた。
私は生まれつき両股関節脱臼で小学生まで入退院してたけど、母ちゃんがずっと付き添ってくれてた
手術後、痛み止めの副作用で夜中まで吐き気が止まらなかった時は優しさが染みたなぁ
生理痛酷くて辛くて壁叩いて助けを求めた時も、夜中なのに飛んできてくれた
母ちゃんは何かあるとヒステリー起こすけど、真面目で優しすぎるんだなと思う
これからも生暖かく見守ってるよ
父ちゃんは進路に悩んでる時に相談乗ってくれたのが嬉しかった
何となく生きたくないとか厨二な気持ちもあったんだろうけど、勉強嫌いで高校進学の意義が全く分からなくてかなり悩んでた時に
高校の友達は一生ものだから行って損はない、やりたい事は入ってからじっくり考えなさいって言ってくれて泣いた
お陰で一生ものの友達が出来た
幼稚園の頃 託児所付きのパート先から真冬の真っ暗な道を30分弱かけて歩いて帰る途中に コンビニみたいな何でも売ってるパン屋があった
そこで肉まんを母の分と2つ買って 「寒いから持っとき」と言って持たせてくれた事。
暖かくていい臭いで「はぁ〜」っといいながらおかんの顔見ると 優しい笑顔で私を見てた。
イベント時には食べたい料理のリクエストを聞いて作ってくれた。
誕生日にはお子様ランチ。ハンバーグやパスタにスープ、旗まで手作り。
運動会や遠足に「おにぎりとサンドイッチと唐揚げ!」毎回全部作ってくれた。
私は娘にそこまで出来ないよママンw
我が儘聞いて苦労してくれてありがとう。
>>174
おにぎりとサンドイッチと唐揚げぐらいできるだろー
手作り旗、思い出になりそうだね♪
長年毎日ご飯作ってくれたことに感謝だよね 母っていいね 自分はあまりいい思い出がないから
うるうるしながら見てます
休日は5歳の娘と近所の池を30分かけて一周するんだけど娘がやけにはしゃいでる
これもいい思い出になってくれるのかな@父
四歳ぐらいの頃だったかな。キャラクターのピクニックセットがお気に入りで 普段は玩具をいれてピクニックごっこしてた。
ある日 いつものように開けようとしたら…サンドイッチとか 色々な料理が入っていた! 嬉しかった。
…もう私36歳・一児の母なのに まだ母に素直になれない。すぐカチンときて喧嘩になる。どうにかしたい。
母がギューちゃんと名付けた
抱きしめてもらう時間があった。
母の膝にのってギューっとしてもらう。
学校から帰るとギューちゃんタイム。
小学校5年の時に、急に恥ずかしくなってやめたんだ。
母はさみしそうだったけど。
中2の時にイジメにあった。
日々元気が無くなる私に母が察したのか
ギューちゃんしよう。と、それからイジメが落ち着くまで毎日ギューちゃんしてもらった。
イジメのこと何も言えなかったけど、見ててくれたんだな。
母の病気が発覚したのは私が中学生の時。
周りはみんなお母さんをまだまだ頼って生活してる中、私は母を頼ることができなくなり、
母に良くなって欲しい気持ちはもちろんだけど、理不尽さも感じてしまっていた。
それから数年たって母が亡くなり、遺品の整理をしていたとき、
母が防災グッズを用意してくれてたのに気付いた。
リュックの中を開けると、私のものばかり。
母の薬とかは入って無くて、私の常備薬とか生理用品とかそういうものばかり気を配ってあって、
ああお母さんだなあと思い、見た瞬間号泣してしまった。
きっと母も、入院ばかりしていたことをもどかしく思っていたんだと思う。
自分が母になってわかった。
子どもの面倒を見られないということは、ものすごく辛いことだ。
ちょっとスレチかもしれないけど、亡くなった後にも母の愛情を感じた出来事でした。
帰宅途中の人の目から汗が出るような話をカモーンщ(゚Д゚щ)
確か10歳頃、母におかわりーと言ったら
母のお茶碗のご飯を
「白いご飯もうなくて。これ食べてね、ごめんね」
と言いながら私の茶碗に即、移してくれた。
母はいつもいつも優しかったけど
自分の分のご飯を迷わずすぐに私に渡してくれたことは
なんだか自分がとても大事にされてたような思い出として今でもたまに思い出す。
母は何でも自分のこと後回しで家族の為ばかりだった。
ありがとう。
今は「あら!アレ欲しいわあ!コレもいいわねえ」が多い母となり
私もホイホイ財布出してつい買ってあげてるw
よしとするw
うちの母親も食べかけの物くれる人だったなー
おかげで口唇ヘルペスと虫歯が移った
当時は離乳食も「親が噛み砕いて与える」なんてのが当然な時代だったし、
感染知識なんかなかったんだろうから今更言ってもしょうがないけどさ
当然のように子供たちに多めにくれたのに、それを越えて親の食べかけの分にまで手を出した自分を恨むしかないw
お袋は熱いものをフーフーして食わせてくれた
おかげで猫舌になったが
大人になって、親父から猫舌の治し方を教えてもらった
ベロの先っちょで食うから熱いのだ
口の奥にゆっくり入れるようにして食べてみて。
息も吐きながらね。
>>185
わかるよ。
私も両親にそうしてもらっていたから子供達にもいつもそうしてる。
こういうのって親からもらうかけがえの無い宝物なんだよねきっと。 夏場になると、母親がワンピースを手作りしてくれたなぁ。
家着用の。
家だからってかなり派手な柄で。
10年以上着ていたけど、その母親にいい加減捨てろと言われ、捨ててしまったけど。
私もやりたいけど、裁縫嫌いすぐる…
高校時代、全国大会に行くような部活をやっていた私。
今週末は、いよいよ全国いけるかどうかの決勝というときに
軽くだけど、足をひねってしまった。
もう何十年前なので、当時夜9時といえば、お店はしまっているところが多く
部活で9時ごろ帰り、湿布がなかったので、母が手作りで湿布を
作ってくれて、次の日は、母は運転免許がないので、自転車に
乗れない私の荷物持ってくれて、地下鉄のところまで送ってくれた。
しかも朝5時に起きてお弁当を引退するまでほぼ毎日作ってくれた。
今は他界してましったけど、そういうの思い出すと泣けてくる。
今息子が部活を一生懸命やっている。
私も母がしてくれたように、毎日お弁当作って応援しています。
私が小さい頃お店を経営してた父が、40歳手前で小さな会社に転職した理由が
「子供と過ごす時間を作る為」だったと母に言われた時の驚きと嬉しさと後悔ったらなかった。
少し貧乏になったし、反抗期の時はここに書けないような酷い事をたくさん言ってしまったよ。
お父さんごめんなさい。だけど今でも凄く可愛がってくれてありがとう。
子供の頃、寝たふりをするとお姫様だっこで布団まで連れて行ってくれるのが嬉しかった。
小学生の頃、学校にいる時に雨が降ってくると
母が傘をこっそり届けてくれた。
靴箱の中に
『傘立てに傘おいてあるよー』と
小さなメモが入ってるのがすごく嬉しかった。
我が子にもしてあげたいけど
専業主婦じゃなきゃなかなかできないよね;;
12月24日の夜中寝ている時に必ずプレゼントを枕元に置いてくれていたこと。
朝になると「サンタさんが来たー!!」と狂喜乱舞する自分をいつも親は優しく見つめていてくれた。
プレゼント自体も嬉しかったけど、ファンタジーや信じる気持ち、クリスマス特有のワクワク感を与えてもらった経験は一生残る財産だと思う 感謝
>>196
私も夏の普段着は母の手作りワンピでした
娘も私に似て肌が弱く汗をかかないよう綿サッカー生地で作った
チュニック&ショーパンを着せてますが
もういらないそうです(涙)
平気で気を使わずいらない!と言えるのは健全に育ってる証拠だ
そうだね。
気に入らないけどママのご機嫌損ねたくないから我慢して着てる、はちょっと問題だよね。
自分の主張はっきり自由に出来る家庭だろうから子育ては成功してるね。
チュニックとショーパンは残念だけどw
写真だけでもあれば娘さんが母の愛に気づく時が来るよ。
>>201
うちの親もしてくれた。
が、当時ひねくれてた自分は、親の気持ちを無視して傘を使わずに帰った。
それ以来、母親が傘を持ってくることはなくなったけど、後悔はしていない。
どんな雨だろうと15分濡れて歩くだけのこと。いわば自己責任。
そんなヤツのために母親が労力を使うなんて、ばかげてると思ってた。
今では妻が子どもたちの学校に傘を持っていく。
もちろん、それがばかげてるとはとうてい思えない。
いつか親にも謝りたいと思う。けどね。 >>206
明日親が死ぬかも知れないし今日自分が死ぬかも知れないのにいつか謝りたいなんて悠長で羨ましいわ。
当時ひねくれてるどころか今も立派にひねくれてるよ。 母が小学校の時に入院していた時期があったんだけど、ちょうど運動会の時期だった。
「お弁当、なにがいい?」と父が聞いてくれたので、食い気の塊だった私は
「おにぎりとお寿司とサンドイッチ!」と言った。
それで、本当にお弁当箱の中に、おにぎりとお寿司とサンドイッチが入っていたんだ。
専業でもめんどくさいリクエストにこたえてくれた父には本当に感謝してる。
感謝することはあるけど嬉しかった楽しかったって意外とないなー。
嬉しかった楽しかったってなると、
やっぱ自分の希望を叶えて貰ったときだな。
欲しいものをくれた、とか。
金や飯には感謝してるけど、嬉しかったとは違う。
親の愛情が薄くてどうしたらいいかと思ってる人
幸せになれ。うんとうんと幸せになれ
自分は自分が思っている以上の存在だよ
>>192
>口の奥にゆっくり入れるようにして食べてみて。
>息も吐きながらね。
熱いものを食べることは、口腔がん、咽頭がん、その他消化器のがんの原因になることがわかっている。
猫舌は直す必要はなく、むしろ日本の食生活における、熱いものを食べる習慣を矯正すべきなのである。
猫舌を「直そう」というのは、「タバコ嫌いを直す」のと同じくらい馬鹿げた考え。 >>207あなたもどうかと思う
素直に言えない気持ちってあると思うよ
206は感謝してる気持ちは伝わってきた
口で言うばかりが親への感謝じゃないし
あなたに子供がいるならそういう子供の小さなサインに気づいてあげられるといいね
不器用でぶっきらぼうな206の事を母親なら分かってるさ いい話ばかりで泣きすぎて頭が痛くなったw
そして、毒親もちの自分にはそんな思い出がひとつもない。泣けるw
遠足のお手紙付きのお弁当!
2〜3行の簡単な手紙だったけど 嬉しかったな
いいね。
いつか私も書こうかな。
意思の疎通が難しい年代ってあるもんね。
お弁当にメモってなんて書けばいいの?
今まさに反抗期中なのでこっちも心がトゲトゲしてて何て書けばいいのか思いつかない
「美味しいかしら?」とか「全部食べてね」とか?
>>219
美味しいかしら?はウザがられそうw
ちょっとした事を褒めてあげるのはどう?
「植木の水やりありがとうね」とか。 >>219
私が中高生の頃、母親が「部活がんばれ!」とか書いてくれてたのが嬉しかったな。
部活の試合や受験の前日や朝食にとんカツやネバネバ系、ウィンナー、
ホームランバーやキットカットなどの験担ぎメニューにしてくれたこと。
トンカツはカツ用の肉じゃなくて薄い安い肉を重ねたミルフィーユカツだった。
当時は貧乏くさーって思ってたけど、
自分が主婦になってからは手間がかかっててすごい!と思うようになった。 おねしょした時夜中気持ち悪くて母親を起こすとさっと起きて処理して抱き締めて眠ってくれたこと
小学低学年くらいまでおねしょしてたけど怒られた事ないなぁ
おねしょは怒るとこないからな〜
本人もしたいわけじゃないから。
自分もおねしょ小学校5年くらいまで治らなくて、
夜中に母親起こすと、怒られたりしばらく立ってなさいとか言われた。
おねしょって怒ったらだめなんだよね。
母親も怒ってもしょうがないと分かってる部分もあったようで、
最後には必ず母の布団にいれてくれて
太ももで私の冷えた足をはさんで温めてくれたな。
親の布団って異常にあったかいよねww
この前学校で問題があって処分された・・・
でも、親はこんな自分を見放さなかった。
見守ってくれていると言うだけで嬉しい
でも一番記憶に残っているのは、
移動教室の時の手紙
あれは泣けた
恥ずかしながら20才過ぎまで反抗期
言葉にできないくらいひどいことを、父親にも母親にも言ってしまった罪悪感がずーっとあった
父親には特に
今自分が結婚妊娠出産して、里帰り中
結婚して落ち着いてから、言葉には出来てないんだけど、いろいろ恩返しはしてて、結構いい関係になった
でも一番は、赤ん坊が泣くと、父親が必死に必死に、でも凄く幸せそうにニコニコしながらあやしてる光景
ふっと気付いた時、泣きそうになった
病気で手が上がらないし、ちょっと不自由だから、抱っこは自分で出来ないけど、必死に声かけてる
赤ん坊の目がだんだん見えてきて目があったら「見えてる?見えてるぞ!」とおおはしゃぎ
怒ると一升瓶投げてくるような亭主関白の父親だったのにね
四人兄弟育て上げて、孫八人面倒見てる母親が赤ん坊抱くと、やっぱり慣れてるからなのか、わりかしすぐ寝るし泣き止む
それ見て凹んでると「ママが一番に決まってるでしょ」って言ってくれる
あやし方も、全部がポジティブ
例えば泣き止まなかったら、冗談でも「泣き止まなくて嫌ね」とかじゃなくて「ママじゃないってわかってるのね、おりこうさんだー!」とかな感じ
そういう発想の転換をすればいいのかと、自分の気も楽になる
どうにも泣き止まない時にも「帰ってから泣いてママが困らないように、里帰りから帰る前にたくさん泣いていきな」って言ってくれてる
今まで会話すら無かったけど、こんな状態
長くなったけど……
全部嬉しい
いいご両親だ。
これからいっぱい親孝行すれば大丈夫。
おねしょ、私も。
おねしょをすると、必ず母が寝ぼけながらも服を脱がせて、全裸の私を
自分のあったかい布団に入れて眠ってくれて、そのぬくもりがあまりにも幸せ
で、わざとおねしょしていた事が、何度かありました。
ごめんなさい。猛烈に。
良スレ!お母さん大好きだった。
・感情的に怒られた記憶無いしいつもどんなときも味方してくれた。
・低学年までは帰ってきたら手作りおやつやパン用意して待っててくれた。普段からメシウマで幸せだった。
・反抗期になり両親と意見が真っ向から食い違っても影では成長したと喜んでくれていた。
・中高進学や1人暮らしの度にささやかな手紙をくれた。照れ臭かったけど嬉しくてとっておいた。
・くだらないことでも一緒に笑ってくれてネタみたいな動きをしてきたりお笑いのセンスが抜群だった。
・病気や怪我のときはいつも手厚く看病してくれた。普段見れないビデオ借りてくれたりむしろ風邪ひきたかった。
・ガーデニングが上手で家周りはいつも花で綺麗だった。動物の世話も上手だった。
父の浮気で自殺してしまいもういないけど、母の教育方針は私に受け継がれてる。子どもを幸せにできるといいな。
>>232
遺書は232宛にあったの?
その後お父さんとの関係はどうなの?
そんなに愛情一杯に育ててくれてたのに
子供残して自殺しちゃうんだね…
娘が高校進学するくらいまで育て上げて自殺って想像つかない。
成人式までは、嫁に行くまでは、孫を抱くまでは、と思うだろうにね。
232です。
家庭板的な内容になってしまいますが、高校後半から姑と同居でひどい鬱病に。
とても愛情深かった人なんだけどそれは旦那に対してもだったから同時に浮気発覚でお酒飲んで衝動的に自殺、という感じで遺書はないです。
ただ自殺直前に携帯に電話が来てたのと、母と最後に会話した人は、私の所に行きたいと泣いていたと聞いて本当にやりきれませんでした。
父に関しては浮気しないことだけがいい所としか言えないようなモラハラエネで昔から嫌いだったので盛大に修羅場って絶縁。
いろいろ考えてしまいますが、悲しい気持ちは感謝に変えて母のように愛情いっぱいの育児を頑張ります。
うつ病だったのか。自殺は病死だよ。
大変だったね。
お母さん見守ってくれてるよ。
232自身が1番大切な形見だわ。
「しろくまちゃんのほっとけーき」読んだ後にホットケーキ作ってくれたの嬉しかったなぁ
混ぜるのを手伝わせてくれて、絵本めくりながら一緒に作業した。
ケーキ焼くときにお手伝いすると、兄と弟には内緒でボウルに残ったクリーム食べさせてくれたりしたのも良い思い出。
>>177
亀だけど、
日曜の朝、家族みんなでダム湖の散歩してたの覚えてる。
鳥の名前や花の名前なんかをたくさん教えてもらったのが嬉しかった。 ホントささいなことなんだけど、
そこらへんで寝入っちゃったときに
「もー寝ちゃってー」みたいな感じで
そーっと布団とか毛布とか持ってきてかけてくれたこと
ウトウトしてるときだから意識はあって、覚えてるんだよね
今自分が子供に布団をかけてあげるとき、いつも思い出す
そして気づいたんだけど、
こういうことって、された方はうれしいのはもちろんなんだけど
してる方も幸せな気持ちになるんだね
だめだ!
1〜30くらいまで読んだだけで目から汁が・・・( ;∀;)
続きは明日読もう・・・良スレage
超プチプチでふつうの家庭の人からしたら当たり前のことなんだけど、うちは自営業で、日曜は営業日。参観日も運動会も、両親とも来れなかった。
でも、たまに仕事の都合をつけて母が来てくれたのは本当にうれしかった。
父は仕事の鬼、ていうかたぶん発達障害があってルーチンワークを崩せない人だったんで一度もこなかったけど、子供は大好きで早く仕事が終わった
ときには力のいるダイナミックな遊びをしてくれて、嬉しかったな。
幼稚園の頃、楽しみにしてた遠足が雨で中止になってしまい拗ねてたら、お母さんがお弁当作ってくれた
子供ってお弁当ってだけでテンション上がるから、それだけでも嬉しかったのに
今からお母さんとピクニックごっこしよう!と、ピクニックで使う折り畳み式の机と椅子を縁側に広げてピクニックごっこしてくれて、お昼に2人でお弁当食べた。
その後おやつにアイスクリームを食べて、すごく嬉しくて楽しかった
ささいな事だけど、これが一番嬉しかった事だなぁ
あれから30年も経ったけど、今でも雨の日に家にいると幸せな気分になる。
そんな時、無性にアイスクリームが食べたくなるのはこの思い出があるからだ
幼稚園の時。
お友達とバイバイした後、1人で歌なんか歌いながら楽しく歩いて帰る途中、お母さんが走って迎えに来てくれたこと。
うちは共働きだったのですが、当時、母は時短勤務で働いてました。
けれど多少の残業や通勤時間もかかるので、私が帰る頃に間に合わないことも多くありました。
その日も遅くなったのですが、母は駅からダッシュで家に戻り、私がまだ帰宅してなかったので幼稚園までさらにダッシュしてお迎えに来てくれました。
その時母はダッシュしたからか汗だくで「あ〜良かったぁ。遅くなっちゃったけど間に合ったぁ!」と私を抱きしめてくれました。
なんか嬉しくて忘れられないデス
>>247
そうそう昔は幼稚園でも一人で登園降園してたんだよねー
私も一人で歩いて行って帰ってしてたわ
今考えると怖いけど 車とか変質者とか 私が物心つく前に両親離婚して母子家庭だったんだけど、
父はパチンカス・サイマー・仕事続かない典型的ダメ夫だったらしい
そのことで母は仕事して借金返しながら乳幼児の私と兄を育て、
6枚切りの食パンで1週間を過ごすような生活をしていたと祖母から聞いた
そのことを知って、
「結婚したこと後悔してる?」って何気なく聞いたら
「してないよ、あの人じゃなかったらアンタとも●●(兄)とも出会えなかったもん」
と言われたのがすごく嬉しかった
後悔してるんだろうなーって思ってたのに。
旦那と喧嘩した時にこの台詞を思い出すと、
この旦那じゃなかったら娘に出会えなかったんだよなぁと思って
ちょっと怒りが収まるw
良いスレ、仕事中なのに目から汗が。
土日仕事で平日休みな父。小学校の頃一度だけ平日に参観日があって、父が大喜びでスーツできてくれた。何度も「行けて嬉しい」って言ってたのを覚えてる。
時々子どもたちを連れて夜のドライブに行ったりしてた。夜に外に出てるワクワクと車の窓から見える景色がきれいだった。
2年前に父は他界したので孫の顔は見せれなかったけど、息子が色々わかるようになったら写真見せて話したい。
母が毎晩本の読み聞かせをしてくれたこと
小学校低学年くらいまではしてくれてたと思う
小さい頃は絵本で少し大きくなると児童文学
長靴下のピッピとか、今も細かく覚えてる
遅くなってももっと読んでといって困らせていたけど本当に幸せな思い出だ
>>252
絵本だと短いから一晩で一冊読みきりなのでOKだけど
児童文学になると長編小説だから一晩では読みきらないですよね
区切りのいいところで続くって事で終わらせていいのでしょうか
お母さんはどうされてましたか?
>>253
長編のときは区切りのいいところで終わってました
そこで私が「続きが気になる。もうちょっと続けて」てなって困らせてました
よく覚えてないけど長い本だと何週間もかかってたかも 小さい頃、母親が寝込むことが何度かあった。二階の寝室でひとり寝ている
母親の様子を恐る恐る覗きにいった。母親がどこかへ行ってしまうような気
がして、恐ろしかったから。
そんな自分も喘息の発作で親の手を煩わせた。当時、我が家には車が無く、
病院までのあぜ道を、母親の背に負われていった。ねんねこ半纏に包まれ
母親の背を感じ、暖かくて幸せだった。
発作の前後の記憶も辛かったのも覚えていないが、背中の記憶だけは残って
いる。
あの恐怖感と幸福感がいつも同時に思いおこされる。
小さいころ、居間で寝ちゃうと父がお姫様抱っこで布団に運んでくれた。
嬉しくて何度も寝たふりしてた。
中学生のころに酷い反抗期で、人一倍世話をかけた。お父さんなんか嫌いって言った。
大人になって、いつかごめんなさいとありがとうを言おうって思ってたのに、急に病気で危篤に。
半月で亡くなってしまった。
危篤になってからは、とても謝罪も感謝も言えないよ。
もうアナタ死にかけてますって伝えるようなもんだから。
伝えようって思ってる人は、いつかじゃなくて今すぐ伝えて。
私みたいに10年経っても後悔してるようにならないでね。
小学校低学年の頃、私が何か悪いことしたんだろうけど叱られた
何母が
途中送信しちゃった
小学校低学年の頃、私が何か悪いことしたんだろうけど叱られた
何をしたかはよく覚えてないけど母は機嫌を悪くして皿洗い
相当マズいことしたんだと気付いて、大泣きしながら「お母さんごめ゙ん゙な゙さーい」
母もちょっと泣いてた気がする
「お母さんも怒ってごめんね」
って言ってくれた
何でもないけど嬉しかった記憶。
このスレ見て、色んな意味で余裕がなくて邪険に扱っちゃってる子ども達に優しくしなきゃなって反省したわ。
私は、高校卒業するまではいい思い出なんてなくて親の事大嫌いだったけど働きだしてから毎朝早朝出勤だった私の送り迎えをしてくれた事にすごく感謝してる。
>>261
自転車でも無理なほど駅まで遠かったの?
>>262
駐輪場がまだあいてなかった。バスも始発前だったんだ。歩いて行くって言ったんだけど送ってくれてた。 そうなんだ電車の始発にあわせてくれないなんて不便だね @駐輪場とバス
あ!駅まで送り迎えとは書いてないね ごめん勤務先までって事だったかな?
失礼しましたー
うううー。このスレ最高!!!
親子愛って素晴らしいね、、読みながら号泣だよ。。。
父がすごく厳しい人で、反抗期はたびたび大喧嘩して夜中家を飛び出した事があった。
田舎だから行くところもなくて、近所のコンビニで頭冷やしてたりすると必ず母が探しに来てくれた。
うちは自営業で、1日立ち仕事な上に重いもの持ったりして、痛い足腰を引きずって来てくれた。でも私はまだよくわかってなくて、泣きながらぐずぐず言って帰った。
真っ暗な夜道でお母さんを見つけた時の安堵感は今でも泣きそうになる思い出。
18で家を出てから、大学の女子寮→会社の女子寮→
退職&結婚で新居、と親とは離れっぱなし。
週に1回は電話が掛かってきて「元気か?食べてるか?眠れてるか?」
お父さん、私もう来月で結婚12年になるよ…
しっかり者の妹と違ってマヌケな姉が心配でたまらんのは嬉しいけどさw
小学生になったとき、父が
「もう口で言えば分かるから、叩いて叱る事はしないからな」
といった事。
それまでも暗所に閉じ込められる程度だったけれど、
自分がひとりの人間と認められているのを感じて誇らしかった。
もうひとつ。
園児の頃、ドライブ中に気になる建物があり尋ねてみたところ
やってみたいスポーツの施設だった。
おねだりしたけれど、小学生になったらといわれ
遠方だった事もあり、いなされたと幼い心に感じた。
ところが小学生になったある日、始めさせてくれた事。
初日は何も知らされずにでかけたのだけど、突然目の前に施設が現れたときは忘れない。
願いが叶った事への喜びもあるけれど、
約束を果たしてくれた事が何よりも嬉しかった。
幼い頃から、個としての自分を認めてくれていた事を、何よりも感謝している。
>271
小学生の6年間。
週1で通っていて、途中で選手育成コースへの打診もあったのだけど、
片道一時間半かかる事ともあって断っていた。
年子の兄と一緒だったとはいえ、電車とバスを乗り継いで
子供だけでよく通えたと思う。
うちはカップ麺とかジュースは子供には禁止で、父だけ食べて良いことになっていた。
子供はジャンクな味が好きなので当時は「お父さんだけずるい!」って思ってたw
父がカップ焼きそばとか食べてる時に「ひとくちちょうだい!」って言うとちょっとくれて、「おいしー!」って言うと笑っていた。
今思えば良い食育だったと思う。カップ麺は今でも好きなんだけど月1くらいでしか食べない。
>>273
Wで親の有り難みを感じられたエピですね。
なんか読んでて得した気分だ。 私はカップ麺ばかり食べさせられたからか、
今は嫌いで子どもにも食べさせたくないけど、
やっぱり食べたがるのかなぁ。
実母じゃないけど
訳あって母子な上に実母が私をほぼ放置、それを見かねた母の姉家族がほとんど私を育ててくれた。
ママパパと呼んでいるけど、小学生になって毎日のようにおねしょしてても嫌がらず一緒に寝てくれてたパパ
座椅子の上でいっつも抱っこ抱っこって抱っこしてもらってた。これが大好きで嬉しくて幸せだったの今でも忘れられない
わらび取りやイナゴ取りにママとよく山や田んぼに行ってたな。すごい覚えてる
思春期にその家族とも離れ離れになったけどパパママに愛情たっぷりもらったから
そこまでグレずにすんだんだと思う
母の持っている古い持ち物の話を聞かせてもらうのが好きだった。
この帯はおばあさんの丸帯だったけれど、娘二人のために二枚に切って袋帯に仕立てたんだよ。
だから○子おばさんのところにも同じ帯があるんだよ、とか
この指輪とペンダントはひいおばあさんの珊瑚玉のかんざしを二つに割って作ったものなんだよ、とか。
こっちの指輪はお母さんが二十歳になった記念のものなんだよ、とか。
お母さんもおばあさんにこうやって話を聞かせてもらったんだろうな、って想像していると
自分の系譜というか命がずっと続いているということを子供ながらにとても意識した。
大げさに言うと愛されてる実感だったのかも。
大学を3つ受け、滑り止めにしか受からなかった。
父は浪人してでも第一志望に行って欲しかった。
自分は勉強をこれ以上したくなかったので、無理やり行かせてもらいました。
最後まで反対されたけれど、実家から離れる時に
『しっかり勉強してこい。でも、もしも失敗だったと思ったらいつでも帰って来い。いつでもやり直せるんだから。』
と言ってくれました。もう25年以上前の話し。
それから実家からずっと離れた名古屋⇒静岡と仕事をしてきましたが、
妻に死なれ子供と二人で実家に帰ってきたのは今から4年前です。
親との同居というのは色々大変で、ぶつかる事も時々あるけれど、
今でもその当時の事は忘れていません。ありがとう。
>>277
うちの子がそうだ。
私の小さいころの思い出話を聞きたがるし、うれしそうに聞いてる。
母親は洋裁が得意で、よく服を作ってくれてた
だから今残ってるものはほとんどないんだけど
「紫の布でスカート作ってもらったのがお気に入りでー」とか
「ばあちゃんはミシンが得意でね」とか話してる。
なんでそんな話が好きなんだろうって思ってたけど
あなたの書き込みを見てなんとなくわかった気がするわ 【社会】 「ママに暴力をふるわれてる…」 小4女児、自ら110番→38歳母親逮捕…京都
イイ時代になったよなあ
自分が子供の頃だったら警察に駆け込もうが
「躾け」と称されて終わってたわな
もう今更あけおめではないですが・・・。
取り敢えず書き込みしました(´・ω・`)
散歩かな…
秋のすすきが一杯の山道を散歩。
おかあさんと散歩。
私、高校生のとき、母と離れて親戚の家で暮らしていた。
どうしても親戚になじめなくて、辛くて・・・。
自宅に帰ってきて、翌日親戚の家に戻る、自宅で過ごす最後の夜、
眠れなくてじっと暗い天井見ていて耐えられなくなって
「嫌だ」ってつぶやいてしまった。
そうしたら、隣で横になっていた母が「(母さんがいるから)大丈夫だよ」って言ってくれた。
母は寝ていたと思っていたから、とても驚いた。
いつもこうやって見守ってくれていたよね。
私に注いでくれた温かな眼差し、絶対に忘れないよ。
嬉しかったことなんか、物とかそんなんじゃなく、ただ手を繋いで他のお母さんとおなじふうにしてくれたことだけ。
それ以外が破天荒すぎて…
さんさんタウンというとこがあり、休みに母がさんさんタウン行こうか!と言ったら飛び上がるくらいうれしかったのを覚えてる。
行ったら必ず3000円までで好きなおもちゃ買っていいよっていわれた。
でも母子家庭でお金がなんとなくないんだろうなと気づいていたから、いいよって言った。いらないって。
弟はそんなこと気にせず3000円嬉しそうに選んだ。
自分は6歳だったがすでに上記のように考え遠慮し、遠慮しない弟をにらんだりしたやっかいな子供だったな。
母に、だってうち、お金、ないんやろ?やからええねんうち。って言ったときのかなしそうな顔がわすれられない。
多分弟が正解だったんだよね。
子供ははやくからいろんなことわかってる。
だから我が子にも誤魔化しや嘘はつかないときめてる。
基本スパルタ体罰のヒス母だったけど、
いじめられた時、ちゃんと向き合って話しを聞いてくれたり、
「みんな大人になったらしなくなるよ」とかアドバイスをくれたことが
心強くて嬉しかったかな。
あと、初めて親元を離れる臨海学校の時に、
ヨックモックの細長い缶に色んな種類の飴を詰めて持たせてくれた
(すごいセンスで恥ずかしかったけどw)
同室の子に勝手に食べられたりしたけど、配ったりもしたっけ。
子を思う泥臭いいじらしさが、今思い出しても泣けてくる。
>>285
さんさんタウン…
もしかして尼崎の方?
私は15年前に亡くなった母とよく、地下の珈琲の青山でお茶したなぁ。 先天性で障害のある足で生まれた私。
まだ一才を過ぎたばかりの私が、治療で下半身全部がギプスに。
その晩、痛くて外したがって火のついたように泣いたらしい。泣き疲れてやっと眠った私に、
母と一緒になって寝かしつけてくれた強がりの父が、
「ふびんだ、俺のせいだ!変わってやりてえ!!」って男泣きに泣いたんだよ…と母から後年聞いた。
今、どんなに隠しても痛みがあると言い当てられてしまう。心配かけたくなくてわざと元気に歩いても、ニコニコ笑っていても、音でわかるんだそうだ。
そして私の結婚式の白打掛の衣装選びの日。
新しい真っ白なのと、少し古くてちょっと黄ばんで見えるのしかなくて、でも差額は格段に違う。
当時は今のようなシンプルな披露宴じゃなく、いわゆる派手婚の時代。恥ずかしいけど親にいくらか援助してもらわないといけなかった。
ただでさえかかるお金に私が安い方の白無垢にしようと悩んでると母が話したら、
「あいつ(私)には真っ白い新しいの着せてやれ。苦労したんだから。」と言ってくれたと聞いた。
苦労したのは両親。この足のことでたくさん心配かけたから。
お陰で自分のハンデについて誰を恨むことなく(恨んでいたら辛い人生だったと思います)大人になり、子どもも二人授かりました。
父にも母にも感謝しきれないエピソードはあるけど、
「とんび」見てると、安さんに似た不器用だけど子煩悩な父から受けた愛情に、滂沱の涙がでるのです。
>>289
いい話なのに最後の一行のせいでステマにしか見えない(´・ω・`) 何がきっかけだったか覚えてないけど、
小学生くらいの時に『あらあら、この子は仕方のない子ね〜』って
言いながら布団かけてもらうのが好きだったな
今は旦那(47歳)にしてもらっている私(36歳)w
お母さん、天国にいっちゃって寂しいよ
もっと一緒に年を重ねたかったなぁ
私の最後のお漏らしが小学校2年生の時。それまで何年かはおねしょしなかったのに、なぜかその日はしてしまった
「お母さん、おしっこもれちゃった…」って泣きそうになりながらおそるおそる言ったら、
「…あらあら、どうした?寝る前にトイレ行ったのにねぇ。おかしいねぇ?いいよ、大丈夫だよ。お母さんが洗っておくから、顔洗っといで」
って言って頭撫でてくれた
怒られると思ってたから怖くて恥ずかしくて、どうしようどうしよう!って思ってたから、大丈夫だよって言われてすごくホッとした
それからおねしょはなくなりました
父が段ボールでロボットを作ってくれた。
自分で着てロボットになれるようなやつ。
アルミホイルを全体に貼って、お腹にメーターみたいな絵を描いて、頭にはアンテナも付いてた。
目の部分に穴が開けてあって、そこから見える目だけでもすごく嬉しそうな表情した私の写真が残ってる。
受験の時、母が『好きなもの絶ち』して合格を祈ってくれてた
(願いがかなうまで、自分の一番の好物を食べないおまじない)
私は全然知らなくて、きょうだいが後日教えてくれた
結局不本意な結果しか残せなかったけど、親の真心は有難かった
そんなふうに我が子も育てたい
小学校低学年くらいのときだったと思うけど、母がちょっとした嘘をついた
(仕事だからと一晩祖母の家に預けられたが、実は同窓会に行ってた)
翌日、祖母の不用意な発言から私は母の嘘を知ってしまったんだけど、
そのときに母が「嘘をついてごめんなさい」と真摯に謝ってくれたことをはっきり覚えている
私も、自分の子には適当なごまかしや逆ギレはしない
…「嘘をつかない」とは言わないけどw
中学生ぐらいの時に、父がぐでんぐでんに酔っぱらって帰ってきた
私が「仕方ないなー」と多少ぷんぷんしながら父の布団を敷いていると
父がそのへんに寝ころびながら「お父さんはねー、○○子達の事を愛してるよ!」と言った
思春期だったし恥ずかしくて「はいはい」って流したけど凄くうれしかった
家族に愛されているという実感が持てたのは自分の自信にも規範にもなったと思う
大学生の時彼氏に言われた「愛してる」よりも何倍も幸せな記憶だ、不思議なことにw
でもわかるなぁ、親から言われる
「愛してるよ」
は、その時恥ずかしくてくすぐったくてうざいんだけど、後の宝物になる。
クリスマスやお誕生会
普通だと思っていたが、成長したら有り難みがわかった
やってもらえない系の子とは遊んでなくて気づかなかった
行事、わかる!!
自分は休みの度にお弁当を持って家族で出かけるのも、普通だと思ってた。
大きくなって、やりくりがキツくて外食は頻繁にできないので、お弁当を作ってたって聞いた。
サービスエリアで食べる時も必ずおにぎり等を作って行ってたのは、おにぎり分お腹が満たされて沢山買わなくていいからだとwww
確かに子供3人共、ギャル曽根並みに食べてたわ。
でも今思い出すと、外食よりもその手作りのお弁当が一番美味しかったし、疲れててもあちこち連れて行ってくれたのは嬉しかった。
今、弟が父と同じように家族サービスに励んでいる。
母には寝る前に色んなキャラクターになりきるごっこ遊びを毎日してもらったな〜。寝るときは必ず手を繋いで寒い日は足を太股の間挟んで。
普段は口も悪くてきつい口調だけど、弱気になってたり、ふとした時に愛情を示す言葉をくれる。
>>300
を読んで思い出した。
私の誕生日は夏休みなのでおめでとうを言ってくれる友達はいなかったけど、単身赴任の父は私の誕生日に毎年必ずおめでとうメールをくれた。
私が携帯を持つようになった年から、嫁に行って子どもを産んでもずっと。
年をとることよりも父の一言のおめでとうが嬉しい。 アルバムを作ってくれたのが嬉しかったな。
表紙に『(私)ちゃんのおいたち』って入っててさ。
両親からのメッセージも書いてあって。
写真それぞれにコメントも入れてある。
大人になって見返しては、じんわり嬉しい気持ちに浸ってる。
だから、我が子にもアルバム作ってるよ。
今は赤ちゃんだけど、いつか喜んでくれたら嬉しいなあ。
私はお絵描きが好きな大人しい子だったので、洗濯や料理をしている母の近くでお絵描きをしている時間が好きだった
出来上がりを見せると必ず褒めてくれて、いつもニコニコ優しい顔の母の近くにいるだけで毎日満たされてた気がする。
休日に出掛けたり長期休暇はキャンプや旅行も連れて行ってくれたけど兄弟が多かったから母と2人っきりで家にいる時間が一番好きだったな。
無理して出掛けたり予定詰め込んでまで遊びに行くより、毎日穏やかに接する事の方が大切なのかもしれない。
>>304
私もアルバムは嬉しいけれど、弟二人のアルバムはないんだなwww
写真は沢山あるんだけど、整理されず箱に入りっぱなし。
弟は全く気にしてないっぽいんだが、最初の子との手のかけっぷりの違いに申し訳なく思うw 自分は子供の頃、食が細くて体も弱かったんだけど、熱を出す度におかゆや耳を取ってお砂糖をかけて一口サイズに切ったトーストや茶碗蒸し等、食べやすかったり好きな物を色々工夫して作ってくれた。
自分もすっかりBBAになったのに、今でも実家へ行くと好物ばかり作ってくれるので、涙が出る程嬉しい。
うちの母は出版関係の仕事をしてるんだけど、
母が仕事で書いた文章の中で「いかにわが子(=私)が大切で可愛い存在か」
ってのを綴った箇所があって、母が留守の時になんとなくそれ読んで
嬉しくて泣きそうになった。小学生の頃。
日ごろから「○○ちゃんは大事な子だよ」と表現しまくってる母だったし
自分も母親に愛されてるのは十分わかってたんだけど。
なんていうか、自分宛じゃない文章の中で
大人が仕事で使うときの言葉使いで
母がそういう事を語ってたのが、日常とは別格の感動だった
「子供がキライだから仕事に逃げた」とキッパリ言うような母だが、
すごく感謝していることがある。
「あんたはいざとなったら、すごい底力を発揮する子だ」
と暗示をかけ続けてくれたこと。
本当は母に褒められるのが嬉しくて、必死で頑張ってたトコもあるけど
半分は本気で信じてた。
「自分はいざという時にはできるんだ」と。
・・・正直、今は怪しくなっているがorz
もうすぐ引越しなのに、やる気わかねえ
髪の毛を誉めててくれた事
天パ、地毛が茶髪、猫っ毛、一日で物凄く絡まるっつう中学辺りで確実イジメの的になるような髪質なんだけど嫌いじゃない
髪の色で苛められたし陰口叩かれた
それでも「アンタは綺麗な髪だねぇ」って言ってくれたからコンプレックスらしい物は何も抱かずに済んだ
まあイジメっつっても机やら物やらを離されたり捨てられたり、後キツいやり方だと先生来るまで教室に入れて貰えなかったりしたくらいか
まあそこの心理理解出来なかったし他人は他人自分は自分で育ったから気付いたのが卒業後なんだけどもww
>>311
なげえって忍法帳投げつけられたww
バカスww
同窓会でイジメしてきた奴らにまた「まだ染めてるんだけどあの子」ってクスクスと小言で言われたのはビックリした
そしてホッコリした
変わらないなあどいつもこいつもってさ
「良いだろー、父さんに癖毛貰って母さんに色貰ってこんな風に産んでもらったんだ」
ホッコリ気分でそいつらに自慢したら何か男子が寄ってきて髪の毛触り散らされたw
ふざけてたらそいつら何故かばつが悪そうな顔してたから頭撫でたった(キリッ
父さん母さん、素敵な髪を有難う
私の誇りです >>313
平成の数えから1引いて下さいとしか……毎年変わるものは基本覚えてないorz
誇りではありますが手入れはしてません 小学生の頃、真夏の夜うちわであおいでくれていた事。母も蒸し暑かっただろうにずっと私に風を送ってくれた。実は途中で目が覚めていたけど、嬉しくて寝たふりをしていた。そしてまた満たされた気持ちで眠りについた。
あーここ読んでると、いかに自分がダメ親か思い知らされるなぁ。
もっと優しいカーチャンになりたい。
自分が嬉しかったのは、ほぼ毎日手作りおやつ作ってくれたことかな。
シュークリームやら当時めずらしかったティラミスやら凝ったのも作ってくれた。
特にいちごのババロアが大好きで、5月の誕生日には毎年作ってもらった。
友人たちにも好評で鼻が高かったなぁ。
いま子供は4歳なんだけど、先日幼稚園の友達が遊びに来てくれた時、
フルーツゼリーを手作りして出した(といってもゼリーの元とかしてフルーツ入れただけw)。
そしたら友達が帰った後、子に「ゼリー作ってくれてありがと」と言われた。
そんな大層なものじゃないのに。
今は手作りしなくてもなんでも手に入る時代だけど、
子供が小さいうちは親の手作りのものって大事なんだなと思う。
わかるわかる。
お母さんが料理上手な子って子供らしい良い子が多いんだけど、通じるものがあるかもね。
あーやっぱり手作りに勝るものはないよねぇー。
私もがんばろ。
うちは2人息子なんだけど、今日は上の子が運動会の代休で家にいる。
下の子が幼稚園に行ってる間、
映画に連れていって帰りにアイス食べて帰ってこよと思うんだけど
これって嬉しい?不公平?
子どもにとっては、自分がちょっぴり優位だと思えた方が嬉しいんじゃないかな。
親としては公平にしつつ、「みんなにないしょだよ」を少しずつ双方にしておく。
もちろん歳がいってないうちはバラすかもしれないし、逆に「もう1人にも同じことを
してるんだろうな」と感づかれることもあるだろうけど、そこはうまいこと言いくるめるw
一才下の従姉妹がしょっちゅう家にきてた。
うちの親をパパ、ママ、うちの兄姉をお兄ちゃん、お姉ちゃんと呼んでた。
でも、俺だけは名前呼びだった。
毎日来ては俺が食事する席に座り、俺の誕生日にはプレゼントを買い与えられて、家族で出掛ける時も必ずついてきた。
明らかに自分を排除をしようと動いていて、家族も従姉妹を大事にしてた。
今思えば親戚といえどよその子だからという理由なんだけど、当時は俺は自分はいらない子なんだなとへコんでた。
そんなある日、昼食をとってた時に俺が食事を残した事があったんだけど、その残りを母が勿体ないからと食べた。
それをみた従姉妹は急に箸を置いて「お腹一杯になっちゃったからママ食べて!」って。
勿体ないって言ってたし食うんだろうなって思っていたら、母は「よその子のは食べられない」って言った、それを聞いて泣いて駄々をこねた従姉妹を見ても決して食べなかった。
凄く些細な事だけど滅茶苦茶嬉しかった。
あ、321さんがね。
どんな事情でそんな頻繁にきてたんだろう。
今で言う放置児だったんだろうね。
>>321は無事育ったようでよかった。
イトコの方はその後無事に育ったんだろうか。 >>324
その後、従姉妹は俺が入学した高校に入学して、俺の卒業した年に中退したよ。
その後、俺が就職したら、俺がいる会社に就職しようとして失敗してた。 そうかーレスありがとう、イトコはまともに育たなかったんだな
うまく言えないけどあなたの親御さんがその親御さんで本当に良かった
その従姉妹がいい歳にもなってなに考えてるのかわからなくて怖いわ…
>>321さんのポジションに執着する心理がわからん 自我の防衛規制で同一視ってやつじゃないかな。
従姉妹は>>321さんになることで、
親に愛されなかった本当の自分を消そうとしてる。
>>321さんにはいい迷惑だけど、
親御さんは>>321さんに対する揺るぎない愛情があったから、
従姉妹の面倒までみれたんだろうな。
従姉妹も、本当に>>321さんになることは出来ないし、
たとえ321さんに成り代わったとしても、本当の親に愛されなかった事実は変わらないわけで。
今頃は境界例かなんかじゃないかな… スレチになるから最後に。
従姉妹が俺ではなく、俺の妹みたいな位置を狙っていたなら話も変わっていただろうなとたまに思うよ。
ただ今でも許せないのは小学生の頃俺の友達を奪おうとしたこと。
ウチに来た友達と遊んでたら、従姉妹も仲間に入れることになって鬼ごっこしてたら急に友達がチンコをだした。
外で遊んでるのに急にチンコ出した友達に
慌てて駆け寄って理由を聞いたら従姉妹に
「フルチンにならないと○○(俺)と遊ばせない」と言われたと。
流石にこれだけはどんな理由があっても許せない。
チンコ出してまで友達でいたいと思ってくれた友人の気持ちは嬉しかったけどね。
最後のあたりはどうでもいいが、
自分が321親の立場でも、我が子の食べ残しは食べられるけど
甥や姪の食べ残しなんか食べたくないな。
よその子なんてどうでもいいから叱るべき所でもほっとくことがあるけど、
子どもから見たら逆に大切にしてるとか甘えさせてもらってるとか見えるのかな。
遠足の日、おかずだけ持っておにぎりを忘れてしまったことがあった。
学校に着く前に、母が追いかけて持ってきてくれた。
「おかずだけだとお腹空くでしょう」
って笑ってた。
忘れ物したのは自分なのに怒りもせず、妹をおぶって急いで来てくれて、すごくうれしかった。
胸があったかくなったなあ。
そういうの当たり前だと思う自分は傲慢だったなあ。
就職して、朝食も夕食も外食していたころ、フルタイムパートに出ていた母が
毎日お弁当を作ってくれた。
今、母の年齢になってそれがどれだけ大変だったか気づいた。
今の自分にはできないことだ。
子どもの頃、寝る前に絵本や本を必ず読んでくれた。
学生時代、ずっとお弁当を作ってくれた。
ちゃんと手を止めて、私の話にいつも耳を傾けてくれた。
自分が母になった今、我が子にもそうしてあげたいと思うけど、なかなか難しい時も多くて、申し訳ない。
4、5歳くらいの頃。
近所に犬を放し飼いにしている家があった。
外で遊んでたらその犬が寄ってきちゃって、「もう駄目だ、怖い!!」と固まってたら、
母が助けに来て抱き上げてくれた。
下から吠えかかられたけど、母につかまってたら大丈夫だった。
あの安心感と言ったら、言い様がない。
実は母も犬が苦手なんだけど、身を呈して庇ってくれたんだ。
ちなみに後日、犬は飼い主もろとも、苦情を受けた大家さんによって退去させられたそう。
もう30年前の話。
具体的ではないけど、感情的に怒りをぶつけられたことがないこと。
うるさい!とか、いい加減にしなさい!とか、馬鹿!とか汚い言葉を言われたことがない。
自分が子育てして初めて、これがすごいことだと分かった。
酒に酔って暴れることがたまにあった親に、お酒飲まないでと言ったら二度と度を過ごすような飲み方をしなくなったこと。
幼稚園の頃、なんだかわからないけど突然
「両足で歩いたら疲れるし、片足づつで歩いたらもう片足が休めるんじゃないか?」
とか考えた。
で、次の日は幼稚園で一日右足だけを使い、左足は引きずっていた。
また次の日は逆に…。
そうしたら幼稚園から家に「娘さんは、もしかして小児麻痺ではないか?」と連絡がいったらしい。
家では普通にしていたので、母はハァ?と思いながらも仕方なく精密検査に連れて行ってくれた。
当然何も異常はない。
怒った看護師さんに「なんでそんな歩き方してるの?」と言われて「楽そうだったから…」って涙目で答えた私に母は
「いいよ、何でも納得行くまで試してみれば」と笑った。
お金かかっただろうに、阿呆な私を見守ってくれていてありがとう。
>>339
いい親御さんだね。
私も「睫毛全部なくなったらどうなるだろう?」と考えて比較検証のために片目だけ睫毛全部抜いたことある。
とても開けていられなくて、片目だけ開かない私を見て親が心配して病院連れて行かれてばれて怒られた。
しかし睫毛は二日もすれば生えてくること、意外と空気中にはゴミがあること、睫毛はしっかり仕事していることを学んだw
すっかり思い出したわ、ありがとう。 突拍子もないこと思いつくもんね、子供時代って。
振り返れば自分も色々やらかしたな。
自分も、笑顔で受け止められるお母さんを目指そう。
>>337
菩薩のようなお母さんだな。尊敬するけどとても真似できない
毎日のように言ってる気がする
もー!とか何してんの!とか何回同じこと言わすの!って
これが8月いっぱい続くのかと思うと… 部活とか習い事とか勉強とか、自分が積極的にやりたがることは何でも喜んで応援してくれた
母は控えめで女らしいタイプだったのに対し、自分は気が強くて男勝りなタイプで、
扱いにくいことも多かったと思うんだけど、
「あなたはお母さんがなりたくて憧れてた女の子像そのもの、
お母さんはいつでも一番のファンだからね」といつも言ってくれた
いつもいいところを見て褒めてくれたから、
そんな母を悲しませたくない思いや、母の優しさを真似たい思いが強くて、
自然と人を傷つける言動をしなくなったり、自分を律することを覚えたと思う
小学生の時、クラスのお楽しみ会でプレゼント交換があった。
近所の手芸屋さんで買った手作りのヒヨコのヌイグルミを作ろうと思ったのに不器用でオタオタしてる私に見かねて、母が作ってくれた。
私の母だけあってちょっと不細工なヒヨコだったけど
もう嬉しくて可愛くて手放しなくなくて、結局「悪魔の花嫁 9巻」を出した。
あんときの同級生よスマン。
小さい頃、物凄く怒られてもその後は私を膝に乗せ、優しく諭してくれた母。
小学校高学年以降は無かったけど、心に焼きついてる優しい母の思い出。
現在2歳の息子にもそうして接するようにしてる。
小学校の家庭科で裁縫セット使い始めて楽しくて
一人でフェルトのマスコットを作った
結構良い出来で母に見せたら
うわー上手!あんた器用ねぇママは出来ないわ!って大袈裟に驚いて褒めてくれた
それが嬉しくて嬉しくて手芸大好きなまま大人になった
大人になってからその時の事を思い出して言ってみたら
子供が、大人の目から見てもすごく上手に作ったから本気で感心したんだって
やっぱり子供でもお世辞言われてるのか本気で褒めてるのか、分かるものかな
そして当たり前だけど褒められるとますます好きになるね
良スレage
>>337
私も感情的な言葉を母から聞いたことがないな
愚痴や悪口などネガティブな言葉も聞いたことがなく本当に尊敬する
私がうれしかったのは毎日のお弁当
中学〜社会人になって結婚退職するまで毎日家族4人分を早朝から起きて作ってくれてた
シンプルなお弁当だったけどたとえ寝坊しても「20分あれば出来るから待ってね」と
今日旦那が持って行き忘れたお弁当を自分の昼食にしながら、母へ感謝とごめんなさいを心の中で伝えた
頑張って作ってくれてたお弁当、何度か持って行き忘れたもので… >>344
なんで"9巻"なんだよ…www
せめて1巻にしようよww
心があったまるスレだなぁ
みなさんのを今後の参考にします。 子供の頃って、中途半端な巻数からでも平気で
バンバン本を読みまくってたなぁ
当時の最新刊だったのか、
それとも上記の理由から適当にみつくろったのかw
>>348
>>349
レスついてたありがとうw
一番読んでない巻が9巻てだけ。
ほんと、すまんかったw >>347
他人ならいざ知らず、身内にも愚痴を言わないお母さんって凄すぎ ほんと凄すぎる…
どうしても抑えられないくて、年々子供にNGワード言いまくってしょっちゅう反省してる。
外では愚痴言わない質だけど…
>>347
旦那さんがお弁当を持って行き忘れた→お母さんへの感謝に繋がるところに特に感動した。
いい育てられ方したんだろうなあ。
自分の場合、お弁当を忘れた旦那に対して、せっかく作ったのに!ってムカついて終了orz >>351
子供には愚痴を言わなかっただけで、お父さん(旦那さん)には言ってたのかも。
さすがにストレスがたまらない人はいないと思うので、どこかで適度に吐き出すのは必要だし。
そういえばうちの母も滅多に愚痴をこぼさなかったような。
今度父に聞いてみようw すれ違いだけど。
うちの母もあまり愚痴をこぼさないタイプだけど・・・
言葉にするわけではないけど、イライラしてるのは子供心に感じてた。
何も言わずに怒る母が怖かったので、顔色をうかがうような子になってしまった。
いっそちょこちょこ本音言ってくれたほうが、私としては気が楽だったのになぁと今になって思う。
なので、私は(ある程度、手加減はするけど)感情的なものも出してる。
後で落ち着いた時に言いすぎたなと思ったら謝る。
これを、子が大きくなってどういう風に思うか分からないけど。
なんとなく、こっちが本音言わないと、子供の方も本音が言いづらいみたいなこともあるんじゃないかなと思ったり。
わかるよー、失敗しないとか負の感情を見せないとかより、
時々はそういうことがあっても乗り越えて
いく姿を見せてくれた方が
子供としても安心感があると思う。
>>355
だとしたら両親揃ってできた人だったのかなー。
いい夫婦は愚痴やストレスを消化し合うよね。 子供の頃嬉しかったのは、たまに作ってくれるお子様ランチ。
冷蔵庫・冷凍庫にある中途半端な残りおかずを盛るだけなんだけど
プリン型のチキンライスとか、上に立てた旗とか、ちっちゃいグラタンとか
ものすごくワクワクして嬉しかった。
あと、メロンソーダに丸いアイスを浮かべたクリームソーダも。
それから、めったに料理しない父が母の留守の時に作ってくれたサラサラのおじや。
鍋からお椀によそって、日本昔話みたい!って兄と笑いながら食べたなぁ。
いろいろ思い出すと、圧倒的に食べ物のことが多いw
母もよく自分の昔の話になると「あの時食べた○○が〜」とか「初めて○○を食べた時の感動は〜」とか
食べ物のことばっかり覚えてるから似た者親子なのかも。
見ない間にレスついてた
>>353
特に叱られた記憶はないなー
その代わり細かくて短気な父にはよく叱られて閉め出されたり拳骨食らってたけどw
母は激務の父の愚痴聞き係だったけど、父に愚痴ってた記憶もない
(母曰く、会社や同僚の話をされても自分が直接知らない物事なのでコメントに困るとのこと)
私が思春期や成人してから人間関係の愚痴を聞いてもらった時に
「どこに行ってもそういう人はいる、気にする労力がもったいない、受け流すのが一番楽」
「他人の噂話や悪口・愚痴の会話には絶対に便乗してはいけない」
などを教わって、それ以来尊敬している
自分が母親になったのでいろいろ子育てについていろいろ聞いてみるんだけど
「3人の子育てしてたからあまり覚えてないわー」ではぐらかされる
遠方に嫁いだからなかなか会えないんだけど、子供が成長して親として壁にぶつかった時にもう一度母に相談してみようと思う
その時には母の考えを知ることが出来る気がするので長生きしてほしいと本当に思っている 多分5歳くらいの時。
休日に家族で出かけることになったが、直前に行きたくないと駄々をこね出した私。
家族はなだめすかしたが、頑として動かない。
結局私だけ留守番することになった。
それまで一人で留守番なんてしたことなかったので、
親は心配して、お気に入りのアニメの歌のカセットとお菓子を置いて
「寂しくなったらこれ聞いて、食べるんだよ」と出かけた。
ガチャンとドアが閉まって、大好きな歌が流れる部屋に一人になった瞬間 号泣w
しばらく泣いてたら突然ドアが開いて、父が入って来た。
第一声は「やっぱり泣いてた亅
私、さらに号泣w
父はそのまま私を抱っこして、駅まで走ってくれた。
駅では母と弟が待ってて、出発のベルが鳴ってた。
みんなで電車に飛び込んだら、後ろでドアが閉まった。
その時の「ああ、よかった」という気持ちは今でも忘れられない。
子供なりに自分の馬鹿さかげんと親の優しさが身にしみた。
長文失礼しました
紙芝居。
母は本が好きで近所に来る移動図書に毎週通っていた。
私はかまって欲しいのもあって紙芝居をよく借りていた。
同じ話を何度もさせられて大変だったと思う…自分が本を読む時間まで捧げてくれていた。
ありがとう
>364
うちの兄弟は結構よくあることだったんだよね。
大人になってからも、時々あったりする。
特に理由はないし、外出も楽しみにしてるのに、
ふいに出かける段になって、なんとなーくグズグズしてしまうという。
何だろうね。自分でもうまく説明できないや。
そんな自分がぐずって迷惑かけたこともよくわかってて、
それでも両親が怒らず優しく接してくれたことで、
ものすごく反省して、自分の中で忘れられない思い出です。
>>361
じーんときた。
お父さん、心配で走ってきたんだろうね。 >>365
わかる気がする。
「なんか嫌」ってなるの。
反抗心とまでいかなくても、なんとなく刃向いたくなっちゃうような、面倒になるような気持ち。
叱責じゃなくて愛情ある行動で改心させるって、すごいことだよね。
怒らないにしろ、ほら見たことかくらい言っちゃいそうなのに。
素敵なお父さんだね。 >>365
答えてくれてありがとう
素敵なご両親だね
私も頑張ろう… 高校受験の時に父が私の気持ちを解ってくれて、行きたい所を受けろと言ってくれた事。
中3の夏に大きなきっかけがあり志望校はやりたい部活のある2番手の高校にした。そこで部活しなきゃ私後悔する…と思う位衝撃な事があり、初めて必死で勉強、そしたらビックリする位成績上がりトップ高も余裕?までになった。
そしたら母がトップ高にしろとしつこく言い出し、私の考え話しても聞いてくれなかった。そのうち最後の三者面談になり学校行ったら父が来ててビックリした。父は担任に「迷ってる様子ですが私は本人の行きたい所を受けさせます。」笑顔で終了。
私がどんな思いで頑張って来たのか解ってくれ、世間体は関係無く子供に任せてくれたのには感謝した。それまで汚いとか嫌ってたけどそれからは父を尊敬してる。
するべき注意やアドバイスはするが、余程の事以外は見守る。ここぞと言う時に的確で背筋が伸びる事を言うから、きちんとしなきゃと思えた。親となりその難しさは実感してる。
>>369
いいお父上だね
私も子供が選んだ選択肢を尊重して応援できる親になりたい でも、
その時点で子供自身が成熟してないと、
あの時なんで反対してくれなかった?
って事も無いとは言えないからなぁ…
難しい…
メリットデメリットを分かった上で自分で下した決断なら
後悔はしないんじゃないかなあ。
親が「よかれ」と思って勝手にレール引いちゃうのが一番よくないよね。
相談は受ける、でも最終決断は本人にさせたほうがいいと思う。
それが成功でも失敗でも、自分が納得してやったことなら次へ向かう自信ができる。
子供の頃歯の矯正を受けさせてくれたこと
小学6年まで毎日歯磨きしてくれたこと
おかげで虫歯が一本もなく、芸能人並みの歯並びになった
あと、中学の時腋臭の手術を受けさせてくれたこと
当時はうるさいって思うこともあったけど
私の体や悩みを誰よりも気遣ってくれてたんだと思う
関連スレの「嫌だったスレ」が落ちて次が立ってないみたいだけど
需要あります?
>374
私も矯正受けさせてもらった。
最初は「出っ歯だというけれどそんなに目立たない」ってスルーされてた。
15歳ころだったか、初めて買ったファッション雑誌が「初めてのメイク特集」で
何度も何度も読み返している私に「どんなに綺麗に化粧しても歯並びはごまかせない」と気づいたって話してくれた。
口元を目立たせたくないから、とアイメイクばかりチェックしている私に驚いたとか。
矯正した後はひどい肩こりと偏頭痛が治ってとても活動的で前向きになれたし
なんだかんだ言って私のこと見ててくれてるじゃん、と反抗期もほどほどで終わった。
(兄も弟も理由は違うけど不登校で、優等生の私は放置気味だった。)
もうアラフォーだけど「歯並び治した後、ぜんぜん肩こりないんだよね」と言ったら母が嬉しそうな顔したので記念カキコ。
今も高いよね。60〜70くらいだっけ?
でも時代のせいか、
小さいうちから歯列矯正してる子、すごく多い。
目立たないから気づきにくいけど、
廻り見ると、矯正してる子いっぱい。
小さいうちは医療費がかからないからじゃないかな
自治体によっても違うかもしれないけど
うちの地元は小学生の医療費は無料
うちの市も小学生の医療費は無料だ。
ただ、矯正は保険非適応なんじゃないの?
医療費無料にはあたらないのでは?
そのあたりを知りたいな。
>>382
そうそう、実費のはずだよね。
息子の友達何人かが歯の矯正をしてるのを見るけど、親御さんはこの子を大事にしてるんだな〜と思う。 当時も今も歯列矯正は実費です。
病気が原因のときは保険適用するらしいけどめったにないみたい……
私は事前診断で顎全体のレントゲンを撮ってもらったら
通常まっすぐかみ合うはずの歯がすべて内側に向かってはえていたり
上下の親知らずが真横に埋まっていて全部の歯を前へ前へ押し出していたり
普通は四本の下前歯が三本しかなかったり
なんだかんだで120万円くらいかかりました。
不登校二人を抱えてたのに20年ぶりくらいに働きに出てくれた母に感謝はしています。
その後、兄と弟は定時制と通信制へ行って社会に出ました。
されて嬉しかったこととはちょっと違うけど、おねしょや下関係の失敗で怒られた事がない。
結構いい年までおねしょしてたんだけど、朝起きたときの罪悪感がハンパなかった。でも母が「気にしなくていいから、早く朝ご飯食べな」とか言ってくれたおかげでショックを引きずらなくて済んだ。
娘は現在トイレトレーニング中。母目指して頑張る!
おねしょは本人のせいじゃないもんね。
下手な対応するとトラウマになったりするから
387さんの親御さんのような対応を心がけたい。
私も怒られなかった。シモ続くけど初潮がきた時、妹達や父親にバラさずこっそりイチゴパフェ作ってお祝いしてくれたこと。やっぱ
途中送信ごめん。やっぱり恥ずかしいしよく聞く赤飯とかじゃなくてよかったなーと。
赤飯は嫌だよね。
うちは嫌だって言ったのに炊かれて、恥ずかしくて一口も喉を通らなかった。
昔は娘が嫁げるまでに成長したお祝いって意味だったんだろうけど、
大人になったお祝いって言いながらなんで恥じらいを理解しないのか、
デリカシーなさすぎだろって夜ひとりで泣いたな。
ひっそりいちごパフェなんて、優しいし気の利いたお母さんだなぁ。
>>391
赤飯嫌だよね
家族全員に告知だもの
昔は知らないけど現代では一体誰得なんだ
今となっては下衆な文化だと思う
年頃の娘なんだから祝ってくれるとしたら>>389の母上のようなみんなにないしょでって形がいいわ 自分の初潮は12歳の誕生日。
夕方アイロンしてた母に恥ずかしいので小声でもにょもにょ言ったら
「は?聞こえない!忙しいんだからなんたらかんたら〜・・・」
ってちょっと怒られたのでムカっとして「生理になったっていったんだよっ」ってふてくされて言って自室へ。
1時間位して母が買い物から帰ってた。
これかってきたから。とこれまたぶっきらぼうに渡してくれたのはナプキンとサニタリーショーツ。
と、私の大好きなチーズケーキ。お祝いのつもりだったのかな。
私の態度で恥ずかしいんだなってのをちゃんと察してくれて、派手にお祝いとかじゃなくまったく普通に過ごしてくれたことがちょっと嬉しかった。
いまでもぶっきらぼう親子だけどもw
ここ一連の生理についてのレス、いい話ダナー
まだ娘は0才だけど覚えておこう。
そういう私はお祝いしてもらうどころか
生理が来てから居眠りが増えてバカになったと言われて
女性であることを肯定的に思えなくなったわ。
スレチでごめん。
>>394
スレチではないと思う、逆説的というかあなたのレスで気づいたよ
言われてみれば出てきたお母さん方の対応ってみんな子供に対して肯定的だよね
もっと上の方にあるおねしょにしても旅行行きたくないって言った話も
戸惑う子供に対して、それでいいってかんじで一方的に問いただすでもしかるでもなく受け入れてくれてる
最近の流れだと意見を聞いてくれて対外的に何もしないけどお母さんの気持ちとしてこっそりお祝いしてくれたり
歯列矯正の話も最初スルーされてたけどちゃんと自分を気にかけてくれてるってことだったし
子供に対しての愛情を適切な形で過不足なく表現してるんだなと思った
愛情があるだけでなく自然に子供の自尊感情を高めて子供が独り立ちできる環境を作ってるんだね
自分もそういう親になりたいわ 一連の生理の話、いいですね。優しいおかあさんでうらやましい限り。
以下、スレチすみません。
こちらは「親に自分の気持ちを尊重してもらって嬉しかった」系のエピソード。
「嫌だった」方のスレは「親に気持ちを無視されて悲しかった」「子供の感情はどうでもいいものとして扱われて悲しかった」系のエピソード。
自分はあっち系の親に育てられたので、子供の気持ちをあんまり尊重できてないかも、と心配になりました。
大人でも、自分の気持ちを汲んでもらえるのはとても嬉しいですよね。気を付けたいです。
>>396
私もあちらの住人です。
子供が親のしてくれた事を嬉しく思う気持ちと悲しかった思いは誰でもあると思うけれど、こんな幸せな世の中に産まれてひどい虐待をされたわけでもないのにどうしてこんなに悲しみを並べてしまうのか自分が切ないです。
ここを覗くとホッとします。 小学校1年か2年
同じクラスの友達の誕生日会に呼ばれたときのこと。
私は「何も持って来なくていいと言われた」と手ぶらで行くつもりだった。
でも母は、母が買っておいたプレゼントをどうしても持っていけと言う。
「もし誰も渡さなかったら?」と聞くと
「その時はそのまま持って帰ってきて」と無理やり持たされた。
私は、包みが完全に隠れる大きさのかばんに入れ
(誰も持ってこなかったときにバレないように)ふてくされ気味に出発。
結果は、呼ばれた友達全員がプレゼント持参。
誕生会が始まってすぐ一人が差し出し、みんなもカバンをごそごそし始めた時
ああー!お母さんの言うとおりにして良かったーー!と思いました。
>>398
うおおお!危ない危ない!
よかったーこういうのハラハラしちゃう
社交辞令的なやり取りから本質を見抜くことを教えてくれるって大事だよね
子供の話を聞き流さずちゃんと聞いてくれてたってことだしやっぱ嬉しいと思う >>398
まぁその時の集まりではそれでよかったんだろうけどさ
それだとホスト側から発信のプレゼント不要を信じて手ぶらで出向いた子がいたらどうするの??その子が肩身の狭い思いをするじゃん
それってどうなの?
抜け駆けみたいでちょっと・・・ >>401
この場合、それはまた別の問題な気がする。
考えてもみなかったが、まだ低学年のうちの誕生日会は
親がある程度示し合わせることもしなきゃいけないんだな。 >>373
自分で決めたことには自分で責任を持てるからね
例えば大学進学でも「親に言われたから進学した」という人が圧倒的に中退する
散々「よかれレール」を引かれまくった自分は、やはり希望がはっきりあっただけに
進学先でトラブルがあるたびに親や学校のせいにして問題に向き合わず
結局卒業はしたけれど、大学も中退したがって、1留した
よくないのは、相談してないのにアドバイス下すタイプだね
過干渉というか親目線親世代なりの判断なんだろうが、聞く耳持てない 親じゃなくて友人だけど
いつも頼むといやっていいながらも絶対助けてくれたり
毎年子供へプレゼントくれるツンデレTさん
今年もアマ〇ンからきました
いつもありがとう
納品書が入ってるからだれがくれたか丸わかりなのに
いつも知らないって言われるけどね
今年のクリスマスに電話でお礼かねてそのことをとうとう教えたらあわくっていた
ほかにも何件か送っていたらしくてなんでわかるのかわからなかったらしい
本人いわくプレゼント包装したらつけないだろ!ふじこふじこ
どうしてもつぶやきたくなっちゃいました
母が夜寝る前に読んでくれた「我輩は猫である」がすごく印象に残ってる。
4つ上の姉用に読んでた本だから、その頃私はたぶん大きくても
せいぜい小学校低学年だったと思うんだけど、
母の声とリズミカルで判りやすい文章が心地良かった。
この原始記憶があるお陰で、古典文学や古文におけるような
文語調の言い回しがとても好きになった。ネット用語も好きだけどさw
国語、日本語を大好きにしてくれた母に感謝だよ。
だから私も子にたくさん本を読んであげるんだ。
子供が産まれた時に母に報告したら「これから大変だけど、お母さんに出来たんだから、あなたにも出来るでしょう?」と言ってくれた。
この一言で何だかすごく安心した。
今では2週に1回のペースで孫の顔を見に来てニタニタしてる。
ありがとう、本当に助かってる。
>>405スレ違い承知で書く馬鹿って、こんな事言えちゃう私素敵(笑)みたいに酔ってそうでキモい
改行だらけで目立たそうとしてるし
目障りだから早く死ね! 良スレだから何度も読んでる
親は毒だから、書き込めることは何もないけど
って思ってたけど、何もしてくれなかったし否定ばかりだったけど最終的には何でもさせてくれたなあ
母が、写真を撮るのは好きだけど自分を撮られるのが嫌いな人。
だから、たくさんある家族の写真にはほとんど母が写っていない。
そのことについて少しぶーぶー言ったら「写真の中のみんなが笑ってるのは、写している私がゲラゲラ笑ってるからでしょう」と言われて、写真の外側にいる母の笑顔が見えたような気がした。
そういや「はい笑ってー」とか言われたことないのに、写真はみんな楽しそうに笑ってる。
不器用で変わり者の母だけど、彼女なりに頑張って家族の幸せを切りとってきたんだなぁとちょっと感激した一言でした。
お母さんとっさにそう返答できるのが素敵だなあ
頭の回転が早いお母さんなんだろうね
笑顔の写真を撮るのが上手いいいお母さん
私の長かった反抗期がスパッと終わったのが大学受験の最終日。
実力が足りてない第一志望にわざわざ落ちに行きたくなくて部屋から外に足が踏み出せなかった。
そんな時に母は私を抱きしめて、「今日までよく頑張った。帰ってきたら大学で着る服や化粧品を買いにいこうね」と言ってくれた。それまで部活一色だった私が猛勉強してるのを母は見ててくれたんだと思って、嬉しくて大泣きした。
結局第一志望の大学とはご縁がなかったけど、母が気に入っていた大学に進学して、来年の春には卒業できることになった。残念ながら母は一昨年急逝してしまったけど、喜んでくれてるといいなあなんて仏壇にカーネーションを飾りながら思ってた。
>>411
うわあ何かとてもいいお母さんだね。私もそういう親でありたい はじめて生理が来た時、母が滅多にいかないお高い喫茶店に連れていってくれて、パフェを食べたこと。
パフェを食べる私をニコニコしながら見ていたことを覚えてる。当時は何が何だかよくわかんなかったけど、親としては成長が嬉しかったんだろうなぁ。
あとは、はじめて彼氏が出来て、ちょい悪な見た目の人だったので親に紹介するときドキドキしたけど何も言われなかったこと。
あとで聞いたら「誰と付き合おうと反対しないよ。あなたの人生なのだから。それに私はあなたの子育てに自信がある。もしあなたの選んだ人に反対したら、自分の子育てが失敗したってことになるからね。ただ、避妊だけはしなさいね」と言われた。
>>415
そういうことを禁忌にしないでちゃんと向き合って話してくれる良いお母さんだね 二人姉妹なんだけど、『おねぇちゃんだから』と言って我慢させられなかった事。
まぁ、それでも喧嘩になると母は『大きいんだから小さいの相手に本気にしなさんな!妹のほうは、いつもねーちゃんに面倒みてもらって世話になってるんだから生意気言わないの!』って両成敗にしてくれてた。
子どもが2人になったら、そうしようと思った。
>>418
羨ましい!
私の母は「お姉ちゃんなんだから」で全部済ませてきて本当に凄い嫌だったから
一番上の子供にはそういう台詞や対応しないよう気を付けてる。
オシャレに気を使ってくれたこと。
とにかく母が美人でオシャレで、地元ではそこそこ有名だった。(残念ながら私は父似…orz)
いわゆる美しく装う事について色々してくれて、もの思うこともあったけど
やっぱり髪型セットしてくれたり可愛い服や小物を選んでくれたのは嬉しかったなぁ。
そんで今さらながらに母の美意識の高さに脱帽。
ダイエット頑張らんとな… 教京ズドラガセ無戸籍交際塩素プール介護職利権ローション下請け営業24時間パトロール義務マックさむらいニューヨーク森林火災チェック問題ヤーフォー確定申告ラーメンスーパーポイントdビデオデッキ破壊タイピングGTX860MIGOZ
教京ズドラガセ無戸籍交際塩素プール介護職利権ローション流れ読師下請け営業風営中国残念芸能24時間パトロール義務中国航空侵犯マックさむらいネバタニューヨーク森林火災携帯問題土下座医者倶楽部逮捕強制帰国すしニンニクラーメン
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>>420
ダイエット…しなきゃ…子どもが物心つく前に!
うちの母は、とにかく私に可愛い可愛いいいまくっていた。実際写真をみても3歳までは可愛いけどその後成長して崩れたw
でも、可愛いって言い続けてくれてたから、小学生入るくらいまで本当に自分がお姫様バリに可愛いと思い込んでいた。
小学生入って、周りを見れるようになり、あれ?私…普通?みたいな。
ありがたかったのは、可愛いが自分のベースなので、当たり前過ぎて周りの友達なんかに、私可愛いでしょ?をやらかさなかった事と
思春期や大人になった今も何と無く私可愛いがイイ意味で染み付いていること。
(未だに母から可愛いと言われる30over)
愛されるって凄い自信と地盤なんだなぁと思う。 かわいいよって伝えるの大事だねー。私は逆に全然言われないで育ったから、中高コンプレックスの塊だったし、今もあまり自信がない…。娘には可愛いねっていって育てよう!
>>422
>でも、可愛いって言い続けてくれてたから、小学生入るくらいまで本当に自分がお姫様バリに可愛いと思い込んでいた。
>小学生入って、周りを見れるようになり、あれ?私…普通?みたいな。
小学校で気付くなんて客観視できる子供だったんだね。
大人になっても気付かないで自信満々の残念顔の人もいるのに。 >>423.424
422です。
成長するにつれて、身長伸びて170cm
体重もあるしなんか肩とか背中とかゴツく育っちゃった。よく言えば根元はるみ的な。
コンプレックスは沢山あるけど、うん、なんとか自分スキーでいられているww
客観的には残念な感じだと思います。
小学生くらいになると、可愛い子はほんと可愛いから自分みて
あれ〜?おっかしいなぁー?と思って、母に聞いたこともあります。
お母さんから見るといちばん可愛いよ!と言われましたが。
自分語りすいません。 そういうなんとなくの自信てのが一番大事なんだと思うよ。
誇るわけでも押し付けるわけでもひけらかすわけでもない。
>>422のお母さんは天狗にさせることなく自己肯定感をうまく育ててくれたんだね
それってなかなか難しいよね うん、本当そう思う!
自分を好きでいられるように、って本当に大切な事だと思うし
ちゃんとそういう地盤ができてるから、小学生でもちゃんと客観的に自分を見つめられて
しかも腐ったりしないで素直に認められたんだと思うよ。
すばらしいと思う。
422です。
うちのお母さんめっちゃ褒められている!
すごく嬉しいです、ありがとう。
今度会った時伝えておきます。
私もいいお母さんになるよう頑張る。
何で皆そんなに優しくて温かい思い出が色々出てくるんだ
親にされて嫌なことの方が多くて、良いことなんて全然記憶になくて泣きそうになる
冷徹非道な親ではなかったし、絶対に良い思い出もあったはずなんだけどなあ
>>430
月並みだけど、子どもを育てるようになってから、赤ちゃんを大きくするのって凄い重労働だと思ったよ!
430さんが、元気に育っているならばそれ自体がご両親がきっちり愛してくれた証明ないかな?
もちろん、親にされて嫌なことも沢山あるけど、親も子育て素人で手探りでやってきたから完璧には出来なかったよねー…情報も今より少ない時代だっただろうし。
と自分の中で折り合いをつけてる。
明らかな虐待とかは違うけど! あまり良い子ではなかったし、上も下も男の兄妹だからやんちゃだった子供の頃。
怒る時は本気で怒ってくれて、殴られた事もあった。
ただ遊んでくれる時も本気で遊んでくれた。
小学校高学年あたりになってもとっくみあいみたいなじゃれ方で本気で。
母子家庭でお金はなかったしけど、すごく楽しい生活をくれた。
その記憶があるから今でも母には感謝してるし、嬉しい記憶の方が多いよ。
1番嬉しかったのはいじめられてた時に1番の味方になってくれたことかな。
あげ。
こんなこと言ってもらえる親になりたい。
只今反対方向にまっしぐら。
幼稚園ぐらいの時、ショッピングセンターの駐車場で、車から降りた途端に地面に吐いてしまったことがあった。
車の中ではずっと我慢していたんだけど、降りた途端に油断してしまって。
母は、私の体を気遣って、水飲み場で汚れた手を洗ってくれたあとに、だまって地面の吐いたものを拭き始めた。
汚いよー、地面なのに、と言ったら「自分の子が吐いたものだもの、汚くないよ」「よそ(お店の敷地)なんだからきれいにしないと」と言って、綺麗に始末した。
そういえば、体調不良とかで怒られたことって一度もないな。これって、ささやかだけど幸せなことなんだろうな。
>>435
ほんとだねー!
体調悪くて、こたつ布団に吐いちゃったこと思い出したよ。
怒られずに大丈夫?って心配してくれてたけど、それって凄いありがたいことだね。
うちの子にもそんな風に接しよう >>436
小学生の時、「洗面器持ってくるから間に合わなかったらゴミ箱に吐いて」
と言われてたのに、ゴミ箱が汚れるのが嫌で、でも我慢できずに
もっと厄介なこたつ布団に吐いてしまい、
走って洗面器を持ってきた母があ〜あって脱力してた。
今思うと絶対にゴミ箱に吐いたほうがいいに決まってるのに。 高校生の時
家の本棚のガラス引き戸が(木枠も無い全てガラス素材)
頭の上くらいの高さにあったんだけど
普通に閉めただけなのに、こっちに倒れてきて床に落ちて割れた。
私は一歩後ろに下がったため無事。
音を聞きつけてやって来た母に
「ただ閉めただけなのに」と言うと「大丈夫?怪我してない?」
ガラス割ったから絶対怒られる!と思ってただけによく覚えてる。
4歳くらいの頃、看護師では激務の母が休みの日に保育園を休ませて一緒に遊んでくれたのが嬉しかった
雨が降っていて外には行けなかったけど、自転車に乗りたかった私のために部屋中に新聞紙を敷いてくれてこの上は走ってもいいよーと工夫して遊んでくれた思い出が多分1番古い記憶
なにこのスレ、目から汁出るし。
自己愛で毒な父親
でも小さい頃たくさん本読んでくれた
質問すると難しいこともちゃんと答えて教えてくれた
言葉使いにはうるさくていちいち注意してくれた
おかげで国語で困ったことはなかった
小1からうちに来た継母
めんどくさい父と娘と投げ出さずに育ててくれた
忙しいのに弁当はきれいに作ってくれた
五年生の時、少しふくらんできた胸をやさしくさわって「あなたも大きくなったのね」と成長を喜んでくれた
つらい失恋した時何も聞かずに抱きしめてくれた
両親仲悪いし変な家族だったけど感謝してます
給食で出たフレンチトーストがおいしくてお母さんに作って!ってお願いした
めしうまお母さんだったけどフレンチトーストは初めて作ったから牛乳が多すぎてビタビタだった
だけどお母さんに「これこれ!おいしい!」って言いながら二人で食べた お母さんは「ほんとにこれおいしい?」とか言いながら笑いながら食べた
その後フレンチトーストをリクエストしたことはなかったけど20年たった今でもまずいフレンチトーストを二人で食べたことを思い出すと笑ってしまう
お母さんは亡くなってもう会えないけどいつか天国で会いたい
6歳くらいの時膀胱炎になった。
頻尿の私をずっと付き添って看病してくれた母。
あんまりひどいんで洗面器にしろ、って言われたのをひたすら拒否した私。
本当に大変だったろうな…
1から一気読みして泣いたわ…
小学生くらいのとき、母の日か誕生日に、「いつも迷惑かけてごめんなさい」とお手紙に書いたら、
「家族なんだから迷惑かけて良いのよー」って言って抱きしめてくれた。
子を持った今、その気持ちがよく分かる。
2〜3歳のときの記憶だけど、お菓子作りが上手な母親と一緒にケーキとか作ってた。(作ってるのを見てた…が正しいかも)
卵を割る練習とかやってて、1パックとか全部練習させてもらってた。
今考えると、ケーキだから卵は大量に使うとはいえ、キッチンやらお洋服とか汚しまくってたんだろうなーと思う。
でも、私の記憶には「あーあ、こんなに汚してー」とか言わずに、「がんばれー、上手だね!」と言ってるお母さんしかいない。
他にもいろんな事を(後始末とか)面倒臭がらずに挑戦させてもらってたなーと思う。
我が子にもやりたいけど、結構手間ひまかかるし、お母さんって気が長かったんだなーと思った。
あと、大人になっても、なんか寂しいと思うときはハグしてくれてた。
たぶん今でも、抱きつきにいったらハグしてくれると思う。
うちのお母さんは愛情はしっかり注いでくれたけど、照れるのか憎まれ口たたいたりして、あまり表に出さないタイプ。
小さいとき、お母さんの作ったご飯大好きで、ひじきの煮物をうまいうまいって食べてたら、しばらくひじきの煮物が出てきたり、
高校のときに作ってくれてたお弁当でのり弁が大好きで、のり弁がうまい、大好きだって話をしてたら
のり弁ばっかり(しかも二重になったりしてた)になったりっていうのがよくあった。
いま、妊娠して切迫早産で自宅安静なので家までご飯作りに来てくれたとき、作り置きのものなど含めて私が美味しい、大好きって言ってたものばっかり作っていったとき、すごい嬉しかったのと、言ってたこと全部おぼえててくれてるんだなって涙流しながら食べたわ
私の母は仕事が忙しい上に子どもも4人いたのであまり構ってくれなかった
でも家事はちゃんとしていたし大きな不満はなかったんだけど、手をつないだり抱き締めてくれたりといったスキンシップが皆無だったな
その反動か自分の子供たちには、抱っこの時間だからおいでーってやってたりする
嫌がられることもあるけど
寝る前に本を読んでくれた事かなぁ
絵本とかじゃなくて長編のナルニア国物語とか。保育園の時で続きが気になって夜が来るのが楽しみだった
私も子供にはいっぱい本を読んで上げようと思う。
あとは仕事に誇りを持って働いてたとこ
そのおかげで私も今仕事を頑張れてる。
そんな母は私が26の時に亡くなった。十年以上ガンと闘いながら仕事をしていた。
子供を見せられなかった事と親孝行をあまり出来なかったことが心残り
これは最近の話でもいいのかな?
今妊娠中で実家は飛行機で北国の距離。
うちの母は編み物が得意で結構上手いと思う。
昔からワガママな注文つけたセーターや帽子も編んでくれていた。(セーターにフードつけて、や帽子の形や模様など)
そして今年の冬、旦那の既製品のニット帽が紛失。
もう春になるから来年の冬に買うか、母に作ってもらう?と話してて、私の膝掛けを編んでくれる話のついでに帽子紛失の件も母に話してた。
そしたら到着した荷物の中に、膝掛けと旦那の帽子、北国限定の飲み物や食べ物、そしてなにより私の分の帽子まで入ってた。
なんだか母の愛に嬉しくなって、昔いろいろ編んでもらったこと思い出して嬉しくなったよ。
いくつになっても私は母の子で母は私の母なんだな。
早く里帰りしたいー!
「親に」してもらって嬉しかったことのスレなのに、やっぱりみんな、お母さんとの思い出が多いんだね。
私もそんな母親になりたいなー。子はまだ0歳だけど、たくさん思い出作ってあげたい。
父との思い出は確かに少ないかも
2〜3歳くらいのときに、何かの拍子に泣き出してしまってしかも泣くのが止まらなくなってしまった
父がやってきて「怒られる!」と思ったら優しく抱っこしてくれて、ベランダで一緒に外の様子眺めてくれたな
あれは嬉しかった
母が小学校の養護教諭で小学校の運動会は日程が同じだから
いつも母不在だったけど
寂しくなかったのは父のおかげと
友達の家族のおかげだと思う
母も豪華なお弁当作ってくれた
幼稚園くらいの時雑誌の懸賞でリカちゃんが当たった。
母は普通にくれるのではなくてまず小さなメモをくれて、それには「テレビの横」時書いてあって、
テレビの横を見ると「机の引き出し」、引き出しを見ると「おもちゃ箱」…
そんな具合に何か所も見て、最後に人参の箱を開けた時にリカちゃんが入っていた。
探している時のワクワク感と、想像以上の結果が嬉しかった。
今でも鮮明に覚えてるから、自分の子にもいつかそんなサプライズをしたいな。
私が大学3年の冬に亡くなった父のこと。
私は物心つく前後はペンギンが大好きだったらしく、動物園に行くといつもペンギンの所から動かなかったらしい。
私にはそんな記憶は無く、動物園はまんべんなく見て回ってるはずだけど、テレビとかでペンギンが映ると必ず父から「お前はペンギンの前から動かなかった」と言われた。
大学の時は実家を出て一人暮らししてたけど、帰省すると毎回父がNHKスペシャルとかのペンギン特集をビデオに録画してくれていて一緒に見てた。
父は亭主関白な人だったから、母大好きな私は思春期以降かなり父を避けてたけど、そんな私の為にペンギンのテレビをチェックして喜ばせようとしてたのだなあと、ふと思い出すと泣きたくなるくらい父が恋しい。
>>455
ペンギン話に和みました。昭和の父って感じですね。言葉少ないけど愛情が深い。
うちの父も似たような感じで思い出しました。ビデオ機器が普及してない頃にベータのビデオがずらーっとある家でした。どれもアニメで私は幼稚園児からアニメ漬け。私はドラえもん、火の鳥2772、ナージャと竜王がお気に入りで毎日見てました。
まぁ、ある意味ダメな育児なんだけど古き良きアニメで育ちました。
大人になってあの大量のビデオ誰が録画してたの?と母に聞いたら父がせっせと録画してたよとの事。
父はジャンル問わずとにかくアニメの劇場版を録画してたみたいです。
今は定年して私よりもAV機器に弱くなった父です。 まだ、日曜日しか休みがなかった時代。
母はフルタイムで働いていたから、日曜日になると朝から家事を済ませて、私と妹と一緒におにぎりを作ってちょっと遠い公園に遊びに連れて行ってくれた。
母はベンチで趣味の読書、姉妹でアスレチックで遊んでおにぎりを食べて夕飯の買い物をしてから帰った。
多分、まだ自由になるお金もなかったんだろうな。
でも、すごく楽しくてずっと覚えてる。
おにぎりも、子どもにやらせたら面倒くさいのにやらせてくれてた。
おかげさまで、家事全般得意です。
小学生の頃置き傘を忘れて濡れながら帰ってくると
いつもと違ってミルクティーを入れてくれた事があった
母に髪を拭かれながら飲んでるとすごく幸せな気分になったので
寂しくなるとわざと雨の中を突っ切ることがあった
気まぐれな人だから二度目はなかったけど、だからこそ印象が強いのかもしれない
梅雨時期だから参考になるわ
自分の親は所謂毒親の部類で私にもあまり関心が無かったように思うんだけど、男の子と喧嘩して顔に怪我して帰ってきた時は珍しく味方になってくれた
てっきり、いつものように「あんたが悪い、あんたが勘違いされるような事をしたんじゃないか」って怒られると思ってたから、最初は隠してたんだけど「あんたの言うこと信用していいのね」って肩持ってくれてびっくり
それからは「子供の喧嘩に大人が入るべきではないと思いますけど、さすがに女の子の顔ですよ!どうしてくれるんですか!?」って学校や相手の親に対して凄い剣幕だった
今は自分が親になって、子供が他の子にちょっと嫌なことされて帰ってきたのを隠してて(学校の先生が知らせてくれた)その事を思いだした
お世辞でも良い母親とは言えないけど、子供の話をちゃんと聞いてあげようと思う
海で溺れたらすぐに気づいて引き上げてくれたこと
父親だけど、延々泣き続ける私をずっと抱きしめてくれた
どんなに忙しくても必ず
ケーキを用意して誕生日を祝ってくれたことかな
自立するまでずっと続いた
遊びに行く時は玄関の前まで見送りに来てくれて、「この格好変じゃない?」と聞くと微笑みながら絶対に「かわいいよ」と答えてくれた
これが中学生くらいから社会人になって実家を出るまで続いた
手のかかる姉に比べ大人しい私はほったらかしのことが多かったけど、このやりとりで愛されてることが伝わって嬉しかったなぁ
ちなみに今夫に同じこと聞くとほぼ毎回ダメ出しされるw…orz
みんな優しい親でいいな。
私なんか、ほとんど怒鳴られたことしか覚えてないしほとんど虐待みたいな感じだった。
このスレ見てると恨みがましい気持ちになるよ、なんで私だけあんな親のとこに生まれなきゃいけなかったんだろって
それでも、料理だけは褒めてくれたんだよなぁ。
親が私に家事させるためだったんだけど、怒鳴られるより嘘でも褒められた方がやる気になるのが不思議だ。
エピソードじゃないんだけど、母の手が大好きだった。
大きくて優しい、いつも私を可愛がってくれる手。
今3歳の娘が私の手を大好きだと言ってくれる。
娘と粘土遊びをしてるムービーに私の手が写ってて、その手が母の手にそっくりで。
こうやって自分も母になっていくんだなと思った。
>>464
何気ない話なのに、なんか読んでて涙が滲んできた。
素敵なエピソードですよ!
母の手作りコロッケが大好きで、夕食にコロッケ出ると明日も食べたい!っていつも言ってた。
中学からお弁当の地域だったけど、反抗期の時もお弁当に母のコロッケが入ってると愛情を確認できた気分で嬉かった。
今でも、実家に行くよと前もって言っておくと必ずコロッケ作ってくれてる。
我が子に、おばあちゃんが我が子ちゃんの為にコロッケ作って待っててくれたね、と私が言うと
「あんたの為に作ってたんだよ」と素で言ってくるのがちょっと照れ臭くも、私も母にとっては子供なんだなとなんか嬉しい。 無駄に早起きしてしまった朝とか、退屈な日中に、母はよくおにぎりとかお菓子持って散歩しようって連れ出してくれた。
行き慣れてる公園も、食べ物持って行くだけですごく新鮮でワクワクしたなあ。
梅雨の日に、家で閉じこもって過ごしてた日、雨上がったから散歩!と出掛けたら虹を見ることができたのも感激だった。
母はあの頃はお金無かったから散歩ばかりしたわね〜って言うけど、私は母の笑顔さえ有れば散歩で十分楽しかった。
>>446
いいこと聞いた。
今2人目臨月で、ただでさえ動くのが億劫だったり辛い上に、この長雨で家の中でやることも尽きて、幼稚園から帰ってきた後の上の子の相手が本当に申し訳ないけど苦痛だった。
散歩じゃ満足してくれないかな…なんて思ってたけど、そうだよね、母がニコニコしてちょっと特別なことがあれば子は楽しいんだよね。
今日も雨で外は難しいけど、考えてみよう。
感想でごめんなさい。
でもなんか息詰まってたから、助かったよ。 ほんとだね
ただのお散歩でもママがニコニコしててくれるのが一番嬉しいよね
心がけよう
保育園の送り迎えいつもは自転車なんだけど、たまに歩いてお迎えに行くと子供が嬉しそうなの思い出した
いつもは自転車であっという間に通りすぎる道も、タンポポの綿毛見つけて吹きながら歩いたり喜んでた
お散歩いいね!
されて嬉しかったことかぁ
私の母はいつも優しくて大好きで、毎日が嬉しかったな
寒い冬は母のふとももに私の足をはさんでくれた
私の好きな料理を作ってくれた
たくさん遊んでくれたなぁ
大人しくていじめられがちだったけど、いつも味方をして励ましてくれた
なぜあんなに、毎日笑顔でいられたんだろう
私ときたら息子の相手が苦痛すぎて、最初は頑張るんだけど徐々に無表情で淡々としたたたかいごっこになってしまう
お菓子食べたい、今から◯◯行きたい、これから◯◯したい、お風呂あとで入りたいなど
「駄目」っていうことばかり要求されてイライラひてしまう
母のように育てたいのに。
>>471
私も同じだよ。
母は私と目が合うと必ずニコッと笑ってくれて、その笑顔が何より大好きで愛されてる自信120%だった。
私はといえば怒ってばかり、機嫌がなかなか直せなくて仏頂面でいると「ママにっこりして?」と言われてしまう…
もっとおおらかでニコニコした母になりたい。 >>471,472
あんまり思い詰めないで。
子供って飽きっぽいけど、逆に言うと、直ぐに満足するんだよ。
私の読んだ育児書には具体的には10秒と書いてある。
10秒の笑顔で毎日10回、できれば30回接すれば、子供にとっては「お母さんはいつもニコニコしてた!」となるらしい。
300秒=5分から始めたら良いさ。
ということで、私の母も私が子供の頃はいつも笑顔だった。 最近疲れてイライラしっぱなしで、自己嫌悪→またイライラの繰り返し
いつも怒ってばかりのダメ親だな…とまた自己嫌悪してた
笑顔10秒でいいんだと思ったらなんか心が軽くなった
気持ちが切り替えれなくて困ってだけど、これ読んで切り替わった
もっと早くスレ見とけばよかった!
このスレの存在忘れてネガティブスレばっか読んでた
埋もれすぎなのであげとく。
てか、このスレ下げないでほしい。個人的にはあげ推奨にしてほしいくらい
同じくなかなか笑顔になれなくてまさに悩んでた。
悩むくせにだからといって笑顔になれない
ここの>>467-474読んだだけで泣けた。。。 今思えば良い両親じゃなかったなと思う事も大分あるけど、それでも嬉しかった事。
小学六年生の頃、強制的に家で勉強!が嫌になってフラフラ家出した。
夏場真っ暗になるまでだからかなりの時間外に居た。
結局父に見つかったんだけど、仕事着のまま車から速攻降りて走ってくるから殴られるかと身を縮めたけど、そりゃもうきつく抱き締められた。
帰ったら母親が目を合わさなくて怖くて仕方がなったけど、父親にこそっと「母さん泣いてたよ」って聞いて自分が泣いた。
普段気分屋で八つ当たりばっかりされて、朝起きて両親の機嫌が良い事を祈ってばかりの日々だったけど、この日だけは愛情感じた。
後日、家出する時に書き残してた自殺仄めかすメモを破って捨てたら、それ見てた父親に満面の笑みで頭撫でられたのも胸がギュってして嬉しかったな。
そんな両親、熟年離婚してるけどねw
たまたまこのスレ見つけて読んでる。
現在、実母とはこちらから絶縁中。
実母は孫に会いたく メール等々してくるけど、それが「娘(私)を案じて」「娘に会いたくて」
ではなく「孫に会いたくて」だけだと私は感じている。
まだ、スレの始めしか読んでないんだけど、私は実母にされて嬉しかったことが
思い出せなくて、直前に「広島の体内被曝」みたいなTV(母が子を思う気持ちが切々)
見てたのとあって
涙が滲む。
そして。
今、姉妹のお姉ちゃんの方に優しくしてなくて、拒否ばかりしてて、
このスレ住人の母の様な言動をしてなくて猛省。
汚い話です。
粉薬が嫌いで母に
粉薬飲まないで口にずーっと入れてたらどうなるの?
って聞いたら
ずーっと入れてたら口からゲボッと吐き出しちゃうよー
って言われて絶対にしない自信があったからやらして!って言ったらやらせてくれたこと。ゲボッとなっちゃたんだけどww
母は絶対になるって分かってて、汚くなることも分かっててやらしてくれたことが、あの時あとから気づいて嬉しかったなー
しょうもない話ですみません。
目から汁が…。
そして、1から読み始めて、いくら読んでも実両親がしてくれたことに似たエピソードは
なく、むしろ「うちの両親はこれと逆じゃね…」ばかりで、さらに目から汁…。
スレチかもだけど、親代わりだった祖母
阪神淡路大震災の揺れの時、覆い被さって庇ってくれた事
血繋がってないのに
頭が上がらないし、今でも大好きで一番尊敬してる
断乳するかどうかを悩んでいたけど、このスレで本人が納得するまであげることに決めました。
自分は五人兄弟の末っ子でおまけの子扱いだと認識してた。
そのことを特に気にしてなかったけど、鬱症状になったときに自分は要らない子だったのではないかと悩んでた。
ある日、母が何気無い会話の中で「6人目も欲しかったのよ」との言葉に
「あ、自分はおまけの子じゃなかったんだ」
「ちゃんと望まれて生まれたんだ」
と嬉しかった。
母はもういないけど、時々自分が子供に対しての行動に母と同じ行動を見つけては自分が愛されてたって気付く。
子供の頃の話じゃなきゃダメだったらごめんなさい。
今日の夜、っていっても日付変わったから昨日なんだけど、人生で初めての出産をしました。
夫も付き添ってくれたんだけど、母も付き添ってくれて色々動いてくれたんだ。
陣痛酷くてご飯食べられなくて、横になったまま何十年振りかに母にご飯食べさせて貰ってさ、夫の前だから恥ずかしいのもあるし陣痛で痛いのもあるしでてんやわんやだったけど、すっごく幸せな気分になった。
あと痛みがピークになるとずっと手を握ってくれて、汗もわざわざ冷たいタオルで拭ってくれて、いよいよ分娩の時には言葉と頭を撫でて励ましてくれた。
子供の時分に戻ったみたいで嬉しかったんだよね。
産んだ子も女の子だから、将来もし娘の出産に立ち会えるなら、同じことしてあげたいと思ったよ。
長文失礼しました。
>>482
お疲れさま
やはり経験者は違うんだね
いい母親になってください 小6の夏休み、買い物ついでに秘密でソフトクリームを母と二人で食べた。
買い食い絶対しない人でびっくりしたし、ソフトたべよっかって
顔が母親じゃなく女友達の顔でちょっと嬉しかった。
あの時母親はまだ30代前半で青空の下で若くて可愛かった。
息子が小学校の夏休みに同じ店でソフト食べた。
美味しかった。
>>481
うらやましい
以下DQN話だから嫌なひとスルーして
わたしも五人兄弟の末っ子だけど、幼稚園の頃に「本当は生むつもりなかった」と言われ、さらに思春期になってから、わたしの前にひとり身籠って堕胎してることを知ったよ。。
本当に要らない子だったんだなっていう
見事にグレたしね
でもグレてた時期にチンピラみたいな男と揉めて家まで押し掛けてきたときに、母が「わたしは娘を全力で守る」と盾になってくれた
おかげでまともな道に戻ってこれた 私と母じゃなくて、母と祖母の話
もう70歳目前の母だけど、こないだ嬉しそうに私に話してくれた。
小学一年生だった母はあまのじゃくな性格で運動会練習のお遊戯を学校で絶対しなかったらしく、祖母が「じゃあお母さんにだけ見せて」と言って母もしぶしぶ踊ったらしい。
祖母が手拍子しながらあまりに褒めるのでテンションがあがり、ほうきを持ちながら踊りまくったら部屋の電球を割ってしまった。
昔の電球は貴重品で絶対怒られると思ったのに、ほんの少しも嫌な顔を見せず「お母さんが見せてって頼んだんだからそんな顔しなさんな。ごめんね。ありがとう。」って笑った顔をいまだに思い出す。って。
そんな祖母に育てられた母も私たちに感情的に怒るようなことはしなかった。
私はなんで怒っちゃうのかな…祖母は憧れの人。
良スレだなー!
自分が子を産んでから、母にいろいろ手伝ってもらっているくせに、こんなことまで手を出してくれなくていいのに!と今更反抗してる自分、素直に感謝できない自分を恥じました。
小学生の頃、小沢健二大好きになって、
母にコンサートに連れて行ってもらい、
演出で客席に投げ込まれた巨大風船を一緒に触ったこと
寝る前、母の腿の間に足を挟んでもらった気持ちいい記憶、
高校、大学、社会人と、いろんなライブに一緒に行ったこと、
私が壁にぶち当たった時は、いつも枕元に手紙を置いてくれたこと、
いつも褒めて育ててくれたこと、
とても愛情深い母。
私は母のように愛情を注げるだろうか、と目の前の子を見ながら
不安になったりもしてしまう。
>>489
すごく良い思い出の数々
お母さん素敵だね
私も参考にさせてもらうので、お母さんによろしくw >>490
ありがとう。あなたのレスに癒してもらいました。お互い、母や子を大事にしましょう。 間違えた。
ついでに。
たまに一緒にお菓子を作って食べた事をよく思い出す。あと週末の買い出しで本屋さんによってくれて本を買ってくれた事。今でも本好きです。
車で遠出した時に疲れて寝てしまうと家に着いた時に抱っこして家まで連れてってくれた事。
それが好きで途中で起きてもわざと寝たふりしてたなぁ。
この前母の運転する車でチャイルドシートで眠る自分の子を見て思い出したわ。
良スレ発見あげ
うちは貧乏だったし両親もお世辞にも教養がある方ではなかったので小学校に入った頃からは
家のルールと外のルールが違うなど子供ながらに悩む事も多々あったんだけど
そういう事を親に言った時にすぐに私の言うルールを採用してくれた事
例えば下品なんだけど食パンへのバターの塗り方が直塗りだったからバターにはパンくずがびっしり付いて汚かったんだけど
友達の家ではバターナイフで切って塗ってたのでバターが綺麗だったので直塗りがすごく恥ずかしくなった
それを母に伝えたらごめんねと言ってバターナイフとバターケースを買ってきてくれた
あと、箸の持ち方が綺麗だねと言ってもらえた事、食べる時の姿勢が綺麗だね!と言われたのがすごく嬉しくて
子供ながらにテーブルマナーの本を読んで食べ方に気を使うようになった
魚の食べ方を褒めてもらえたのがすごく嬉しくて今でも魚が大好物です
私もそんな風に些細な事でも子供の意見は出来る限り尊重してあげて、長所があったら褒めてあげたいと思う
>>495
良いね
ただバター直塗りがよくわからなかったんだけど、パンをバターに擦り付ける感じ? バターを箱から出し、銀紙を使う部分だけ剥がし、スティックのりを塗る様にトーストへバターをグリグリしてました
まれに料理にバターを使う時も表面についたパンくずごと使用するのでシチューにパンくずが浮いてたりする事もありました
子供の頃は嫌でしょうが無かったけど今はそれすらもいい思い出です
バターって室温に戻さないとパンに塗るときモロモロするよねw
でもお母さん、素直な方だったんだね
自分が知らないことをきちんと認めてすぐ導入するなんて普通のようでいて、素直でない人にはなかなか出来ないことだよ
娘のあなたが外で覚えてきたことを喜ばしく思っていただろうし、外では恥をかかせないように整えていこう、みたいな気持ちもあったのかな
あなたのことを大切にしていたんだなと思う
大事な思い出書いてくれてありがとう
これは良スレ
母に言われて一番嬉しかった褒め言葉は「あんたしぶいねえ」だった(笑)
私も大概あまのじゃくだったから普通に褒められるよりこっちのが嬉しかった記憶。
>>497
ああなるほど!
ケース入りのマーガリンでイメージしてたからわからなかったけどそういうことかw
でも本当素敵な親御さんだなぁ 共働きでフルタイムの母は照れなのか子供に好きとか言わないタイプ
私も天邪鬼だった。でもやっぱり好きって言って欲しくて聞くと
「キース」と言って誤魔化していた
相撲好きな母は仕事から家に帰って相撲の時間に間に合えば正座をして見ていて
私も小さい時は母の膝に座って嬉しそうな母の顔を見ながら一緒に見ていた
小学生になるとどこがそんなに面白いのだろうと思いつつも一緒に見ていたが
あるとき「一回だけ相撲する?」と言ってきて、えっ!と思いながらもやって見た
はっけよーい のこった!ですぐに勝敗がついて、えっ子供相手に本気なんだと思った
相撲の後は着替えて夕食の準備をするので忙しいのだけど、その後は毎回
「相撲やろう!」とせがむが、お約束で忙しいからと「メーダ」と断られる
けれど結局1回だけだよと言ってやってくれてそれが小6まで続いた
母には完全には勝てなかったけど、相撲を通してのスキンシップは口下手な私たちには
とても合っていて相撲をとった後は投げられても面白くていつも2人で大笑いだった
場所や怪我に十分注意は必要だけど、親子のスキンシップに相撲はかなりお勧めです
場所の確保が難しそうではあるけど相撲いいね!
相撲はやった事ないけれど中学の頃に授業で習った柔道が大好きで
父と教科書を見ながら組み手の練習をさせてもらった事があったのを思い出したよ
子供が男の子だからキャッチボールをするのを今から楽しみにしてるけど、相撲や柔道も一緒にできたらいいなあ
まだ幼稚園に行くか行かないかくらいの頃の記憶
母がよくコーヒーを飲んでいたのを見て、私も飲んでみたいとせがんだ
当然苦くて美味しくないので1口だけ飲んですぐやめた
その後に母が目の前で私のコップに牛乳半分くらいと少しだけ母のコーヒー、そしてお砂糖を少し入れて私に差し出してくれた
今度は美味しい
それが、私もコーヒーを飲める大人になった様な気持ちになれてすごく嬉しかった
ブラックの方が好きになった今でも牛乳たっぷりお砂糖入りが特別な味です
>>504
なにそれ
朝から泣いた
優しいお母様だね >>504
相撲に共感してくれてありがとう
本当にお勧めです
冬はよくわかるけど、血の巡りが良くなるからかすぐ体が暖かくなる
短時間で済むし、その短時間の中で色々考えて力を出したり逆に抜いたり
踏ん張ったり。投げられて負けてもとてもスッキリするんだよね
ストレス発散にもなってるんだと思う
モヤモヤやストレスを上手く発散できない人や、うちみたいに不器用で言葉で上手く伝えられない
親子間に特にお勧めです >>506
相撲ってそんなに楽しいんだ。
たまたまなんだけど、保育園のお相撲大会の練習と称して数回やったらうちもすごく喜んだので驚いてるところ。
帰ったらまた誘ってみよう。 ほんと
前にじゃれつき遊びがいいって本があったけど、親子のコミュニケーションとして自然にできてたんだね
しかしみなさん宝物のような大事な話を2ちゃんなんかに書いていいのか?と心配になるよ
母は覚えてないらしいけど、保育園くらいの時に母と新聞をちぎって紙粘土を作っていろんなものを作って色を塗って遊んだのがすごく楽しかったし嬉しかったし思い出深い。
会う人みんなに変わった子ねと言われるくらいの超個性的なマイペースだった私を型にはめず自由に伸び伸びと育ててくれて本当にありがとう。
小2の時先生に首を絞められて帰れとキレられて家に帰ったら学校に乗り込んでいって二度と通わせませんと怒り狂ったり
いろんなことを思い出す。
いつもどんな時も私の見方だって安心感があった。
私もそんな風に息子を育てたいな
大人になってからは私が変な人と結婚しそうになった時まで私を尊重してくれて許してくれて、結局すんでのところで別れたから良かったけど、あの時は反対してくれても良かったと今では思う笑
お母さん長生きしてほしい。
蒸し器で作ってくれたプリン、蒸しパン、ふかし芋
パンの耳を甘く炒めたの
缶詰めのシロップで作ったゼリー
林檎とサツマイモを煮たの
美味しいお菓子を色々作ってくれてたなー、また食べたい。
自分の幼少期振り返ると、浮かぶのが食べ物ネタばかりだったw
うちは
寒天ゼリー(あの四角い寒天だったw)や
白玉だんご、ホットケーキミックスのドーナツがなつかしいわ
白玉を「耳たぶぐらいの硬さね」といいながら
一緒にこねて団子を作ったこととか
ドーナツの生地を、コップで抜いたこととか(型がなかったw)
おやつって結構記憶にのこるよね せいぜいいろいろ作っておこう
>>513
手作りおやつ、たまに特別イベント的で楽しいよね。
うちもドーナツは型なんてないから、お茶碗の上下を使うものだと思ってたw
余裕の有る午後にやってみよう。 お茶碗の上下目からうろこだわ
うちもドーナツよく作ってもらったけどサーターアンダギーみたいなげんこつ型だったなぁ
家族の食卓
パンにマーガリンを塗ってたんだけど母親がある日バターを買ってきた
バターの旨さはマーガリンとは比べものにならない
バター旨い!と感動し続けたらそれ以降、食卓にはバターが出されるようになった
うちもパンの耳揚げたラスクもどきをお父さんが作ってくれたなー
お父さんが台所立つのが珍しかったのもあって印象深い
あとは、両親の夫婦仲があまり良くなかったけれど小2くらいの時に家族全員でクッキー作りをしてみんなで食べたのがすごい幸せな思い出だ
思い出せば、いつもニコニコ正直に話してくれる母だった。
父が波平チックな昭和一桁世代だから余計健気に明るい母の印象が強い。
鰯の醤油漬けを揚げたやつ、美味かったな。
中学生の頃、やせの大食いで、焼きそば三人前を一人で食べてた時、すごいねと笑いながら喜んでくれた母、、、
あれ?まだ生きてるけど、なんか目から汁でてきた。かあちゃん、仕事がきついぜ。。
みいつけたの『グローイングアップップ』聴いてて思い出したのは父が作ってくれた椅子
豆イスサイズの木でできてる
私が生まれた当時父は町工場に勤めてて、廃材で作ったらしい
大きくなってからも捨てずに取ってあって、邪魔には思わないけど景色の一部になっちゃってた
子が1歳になった時に遊びに行ったら父がおもむろに椅子を出してきて座らせて、嬉しそうにしてたのを見ると残しててよかったなーと思った
>>521
そんないい話2ちゃんに書くとか勿体無い
宝物じゃないか 小学生の時、転校生って事でなぜか虐められ
半年は我慢したけど、どうしても苦しくなって母に打ち明けた
次の年、役員になってくれて毎日のように仕事の合間に抜け出して
私の教室の横を通っては手を振ってくれた
それから虐めは無くなって友達がたくさんできた事を今でも感謝してる
お母さんのおかげで全てがいい方向に転がったんだね
よかったね
小学校高学年の頃、高熱を出して学校を休んだ時に
お母さんが自転車の後ろの荷台に私を乗せて、病院まで連れて行ってくれた事
高学年で自転車の後ろに乗っけてもらうのなんてとっくに卒業してたし、自転車に備え付ける椅子も処分されてたから
本当に数年ぶりにお母さんの自転車に乗った日だった
子供の頃だから、たった数年乗ってなかったのが
十年ぶりくらいの感覚で嬉しくて嬉しくて泣いてしまった
お母さんは熱のせいかな、と病院まで小走りで自転車を引いてくれた
熱で頭が回らず自分の考えを伝えられなかったけれどすごく嬉しかった
もう高学年だからお母さんと買い物なんて恥ずかしい、みたいな反抗期も始まりかけてて
自分は大人の様な気がしてたけれど、お母さんに優しくされるのが嬉しかったのを思い出しました
長くなってしまってすみません
娘さんの安全のために自転車押していってくれたんだね
素敵なお話
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虎の門20代無許可監督者保証池上横浜ポセイドンニュース外国人秋葉原情報(ブフランス札幌西村ソフトバンクスーパーアドバイザー退会処分披露宴NPO決済ビジネス) 母親フルタイムで働いてて6ヶ月から保育園だったから
いつもセカセカしててあんまりゆったりした甘い思い出がないんだけど
お迎えがいつも最後の方なのに
ある日、母が半休でもとったのか日中に颯爽と迎えに来て
私を連れて帰ってくれた
その時のみんなの羨望といったら!(自分目線)
優越感といったら!
その後弟もいたのに私だけ連れて帰って
デパートに行ってホットケーキにアイスがのったやつを食べて
今日の出来事を話をして
おまけに付いてたおもちゃ、弟が見たら泣くから内緒だよって約束して
嬉しすぎて一日足元がフワフワしてた
ホットケーキ食べると今でも鮮明に思い出す
何か事情があったのかね
>>528のうれしい光景が目に浮かぶわ、素敵ね たまたま空いた時間なのか、この日のためにやり繰りして捻出してくれた時間なのかはわからないけど、
自分一人のリフレッシュ時間にしないで>>528との時間にしてくれたっていうのが嬉しいよね >>528
母になった今なら分かるけど、毎日健気に頑張ってるお姉ちゃんの528にご褒美あげたかったんだね。 >>528
年中?年長? その記憶力に感動した。嬉しいことが鮮明に思い出せるのって幸せだね。ちょっと裏山 中2の時、やんちゃな連中とつるむのがかっこいいと思って、たまに遊ぶようになっていた。
下校後、ヤンキーの子たちと学校近くを歩いてたら、いきなりタクシーが横付けに。
なんとうちの母が降りてきて、ぎょっとする私をタクシーに乗せて強制的に帰らされた
私もヤンキー共もボーゼンw
家に帰って散々怒られ喧嘩したが、次の学校に行くと「◯ちゃんラッキーだったね、あのあと警察に捕まったんだよわうちら」と仲間から言われた。
友達の1人が盗んだバイクを引いていたのを見つかってそのまま補導され、他の子たちも警察に色々聞かれたり大変だったと。
その件をきっかけにああ私みたいなビビリそもそもヤンキーとか向いてないなとその子たちと疎遠になり、道を踏み外さずに済んだよ。
ヤンキー達にはお前のかーちゃんこえーwwwてすごいバカにされたけど、今ではありがとうと思える。
しかしなんで私を見つけたのか、それともパトロールしてたのかは未だによくわからん
すごいな、親の勘なんだろうか
ヤンキーとつきあう是非はおいておいても、すごい
おかんネットワーク&おかんセキュリティが最大限活用されてる事例だね
ちゃんと普段から子供を見ていたからこそしっかり急所を押さえたんだろうけどすごい
>>528さんみて思い出し。
5歳で初めて家族で初めてディズニーランドに行った。
昼食後、母がお昼寝中の弟と父を残してカントリーベアシアターに連れて行ってくれた。
当時弟は2歳でママ、ママ!だったから、母が自分だけを誘ってくれたこと、
母を独り占めできたことがすっごく嬉しかったな。
見終わった後、弟君が聞いたら行きたいって泣いちゃうからこれは内緒だよ〜!って言ってくれて
母と私だけの秘密が出来たこともすごく嬉しかった。 母は素直すぎてあまり…というか無駄に子供を褒めない人で、それが結構自分の性格に影響してると思ってて自分の子にはとにかく褒めるを徹底してるんだけど、
たぶん6歳くらいの頃、弟が小さい傷作って絆創膏貼ってあげたら、見ていた母が絆創膏貼るのすごい上手だねって褒めてくれたのが忘れられない。
後になって思えばそこ褒める?って感じだし、絆創膏貼るのに上手いも下手もないでしょって思うんだけど、うれしくて嬉しくて「褒めてくれてありがとう。うれしかったよ」って手紙書いたの覚えてるくらいだからかなり嬉しかった。
今看護師として働いてるのはもしかしてあの時の上手だねが残ってるのかもとすら薄っすら思う
537は良い人だな。そう言う風に発想出来る心豊かな537に育てられるお子さんは幸せだと思う。
お母さんのご飯は本当に美味しかった。何を作っても全部美味しかった。なかでも小豆を茹でるところから始めるこしあんのおはぎは絶品でこれを超えるおはぎは未だに食べた事がない。
10代の時の話。
私が悪い事をした時、母は私を見放したけど(勿論私が悪いから仕方がない)父は寄りそってくれた。
母「サンタさんがきたよ」
朝起きたら枕元に初めての自転車
私「やった〜」
あの頃エレベータ無しの社宅マンション3階に住んでいた
父親が自転車かついで階段登って子供部屋の枕元まで運んだんだろうな
本気でサンタさんを信じてた幼稚園児の私は親に感謝せず無邪気に喜んでただけだった
>>540
寄り添うとは具体的にどんな言葉をくれたの? >>541
そこで幼稚園児が、おとうさんおかあさんありがとう、なんて言ったら
むしろ悲しくなるでしょw
もしまだご両親がご存命なら、今からでもお礼を言ったら喜ぶと思うよ 40代やり逃げ「痛名談合」ヤンキーADD世代甘やかされニュース40代生被害者づら金品請求報道NGワード禁止社員甘やかされ投資家ロスディレクター(はじめリーダーノルマ記者しゅっちょう)クビ日刊アラフォー40代社員パーソナリティ
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関西弁不誠実社員(じむしょ)(高級ホテルガイシ戦争サービス不足40代鉄の結束サインください真田丸薬品シャンプーヨウ素) 毒母と逃亡父だったけど、時々土曜日の夕食を早めに食べて、駅前まで散歩がてら歩いて不二家パーラーに連れて行ってくれたこと
暗くなり始めた初夏の街を歩く事も、ペコちゃんの形のチョコレートが刺さったペコちゃんサンデーも特別な感じがした
何よりうれしかったのはいつも私を否定して、イライラしていた母が穏やかに笑っていた事
親との思い出はロクなものはないけど、この記憶だけは宝物だ
家計もやばかったときに、クリスマスや誕生日に、ぼろぼろの作業服
着て、笑顔でものを買ってくれたとき、一番嬉しかった。
クリスマスや誕生日に、ぼろぼろの作業服を着て、笑顔でものを買ってくれたときが一番嬉しかった。どんなに家計が苦しくても、欲しいもの買ってくれた。クリスマスや誕生日には、豪華な食事でお祝いもしてくれた。笑顔で食べたケーキ、今でも忘れられん。
怖がりで泣き虫だった私。
海水浴に行くと、父が3人の子供を一人ずつ沖まで連れて行った。
足がつかなくなるのが怖かったなあ。
怖い怖いと半泣きになりながら
でも父に励まされて、
気づくと浜辺の賑わいは遥か遠く
静かにピチャピチャいう波の音と、
太陽の眩しさと水の反射、
そこは父と私だけの世界だったのを
鮮明に覚えてる。
私が嫌がるのを見て、母は無理に連れて行くなと言ったけど
父は笑いながら「絶対自信になる」と連れ出したっけ。
代わる代わる3人も連れて行くの大変だったよね。
体力がなく神経質で
小さな世界で臆病に生きてた自分には
最大の冒険だったな。
本当に、自信になったよ。
ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
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私が産まれたときにもそうしてくれてたのかなぁと思って泣きたくなる。
あと私は3人姉妹の末っ子なので、父は他人からよく男の子が欲しかったでしょうって下世話な質問をされていたが絶対に否定してくれてたことは嬉しかった。
でもあまりにもこの質問の多さに自信がなくなってて反抗期にはいったよ。
そして数年後にどういうわけか父と電話をしてて、「お前は頼りないやつだからなぁ」って言われてショックじゃなくてホッとして泣いた。そうか、そんなに頑張らなくていいんだ!と思えた。愛されてる、愛されていたとも思った。
だから自分の子のどんな反抗期でも愛情だけは失くさない。
>>63
5年も前の書き込みにコメントするのもなんだけど…。
あなたのお母さんがお気の毒だ。
娘が夫の愛人と仲良く楽しそうに遊んでいて、自分は介護なんて。 子どものころ、寝てると父が寝顔を見に来たこと
父は去年亡くなった
父が私が自転車に乗れるまで毎朝自転車の練習に付き合ってくれた事。
普段仕事ばっかりであまり笑わない厳格な父親だったのに、ある日とうとう練習の甲斐あって自転車に乗れて嬉しくて思わず父の方に振り返ったら父も私と同じ様にニコニコ優しい笑顔で
こちらを見ていてくれた事。
父はもう若くして亡くなってしまったけど、お父さんの娘になれて本当によかった。
毎日逆上がりの練習してて、初めてできた日「おかーさーん!」とニコニコで帰宅すると私の形のパンが焼き上がるトコだった
頑張って練習してるから励ますつもりで作ってくれたんだろうけど、タイミング良すぎていい思い出になった
やだもうスレ3つ伸びたと思って見にに来たら、全部泣けた
車中で寝ちゃった時、抱っこして家まで連れて行ってくれてた事
本当はもう目が覚めちゃってるけど、抱っこが嬉しくて一生懸命目を瞑ってた
私も先月父を亡くしたばかり
突然すぎて未だ実感は無いけど、この数レスの流れで泣けてきてしまったよ…
ここで書かれるエピソードみんな素敵すぎる。
本にして読みたいくらいだ。
些細なことを誉めてくれたこと
歯を磨いた後口をゆすぐとき、水を出しっぱなしできていたけれどあるとき一回一回水を止めたんだよね(水を口に含んでブクブクしている間は止めてる)
それを「環境に優しいね」みたいな感じで誉めてくれて、それが心に残っていたのか大学も環境保全を専攻した
ほんと、些細なことを見ていてくれてるって嬉しいよね
当時(25年ほど前)にはまだ珍しかった歯の矯正を受けさせてくれた
その時は小学生だったため矯正の必要性もわからず、歯は痛いし同級生にはからかわれるし、
なんでこんな嫌な思いをさせるのだろう?と疑問だったけど、思春期以降は感謝しかない
そして、アラフォーになった今も歯並びだけは褒められる
当時はけっこう高額だっただろうに、娘のために決断してくれて本当にありがとう
私はその経験を生かし子の歯並びになにがあってもいいように矯正資金を積立している
寝るときのとんとんと子守歌
揺りかごの歌を歌ってくれたなあ
お母さんも小さいときはおばあちゃんに歌ってもらっていたのかなあ
お母さんがしてくれて嬉しかったことをこの子にもしてあげるんだ
素敵なスレで涙が溢れるから、あげちゃう。
ふと、自分に何かあったかなぁと思いだすと、お父さんと一緒にお風呂に入るのが好きだった。
特に頭を洗ってもらうのが好きで、大きな手で優しくシャンプーしてくれた後にリンスして、マッサージとブラッシングまでしてくれてた。
芋洗いみたいに乱雑に済ませる母と違って、丁寧に洗ってくれたのを覚えてる。
いつしか、お父さんとお風呂に入ることも無くなっていったけど、お父さんとのお風呂楽しかったなー。
今年、私にも子どもが生まれて、実家でお風呂の入れ方の話題なった時に、お父さんが「シャンプーハットは買っておけよ」って言ってて、私がお風呂嫌がらないように色々試行錯誤してくれてたのかな、ってちょっと思った。
私もこれから子どもとお風呂に入る時は、丁寧に洗ってあげよう。
私が本読んでと頼むと絶対に読んでくれたこと
「マヤの一生」を読んでもらって布団の中でこっそり泣いた記憶があるから、多分小学校高学年の頃までずっとだったんだと思う
長い本も嫌がらずに読んでくれたなー
私の娘も実家に帰るとすぐ本棚から本を取り出し母の膝に座って「読んでー」と言う
その姿を見ていつも反省する
母は高校のとき、大失恋した翌日に母が学校休ませて海を見につれていってくれたこと。
わんわん泣いて、一緒に泣いてくれた。
多感な時期に、ありがたかった。
>>568
(ウフフ…)
私は小学校低学年まで、学校からかえったら母親がぎゅっとしてくれて鼻同士をこすり合せるのが習慣だったけど、嬉しかったなー。
あとはお父さんとお風呂に入ると湯船でタオルでクラゲを作ってくれるんだけどお父さんの作るクラゲは大きく上手で、それを潰す遊びが楽しかったな。 >>569
タオルのクラゲ!
私のお父さんも作ってくれたなあ
569のおかげで思い出した
お風呂と言えばお母さんとお風呂に入ってて追い焚きしたとき熱いお湯が出てくるのが怖かったけど、お母さんが追い焚き口から私を遠ざけて急いで撹拌してくれてた。
その分お母さんが熱いんじゃないかと少し心苦しく胸がきゅーっとなったけど頼もしくって嬉しかった思い出。 今日はこのスレ思い出して、子に優しさ振りまいてやったった。
風呂でシャンプー丁寧にして、泡で遊んで、タオルクラゲやって、寝るまで撫でてギューしてやった。
毎日この体力と気力が欲しい。売ってないかな。
私は父親が不潔って思ってあんまり好きじゃなかった。(トイレの後が臭い、歯磨きでえづく、ご飯食べ方汚い等)
中学三年生の夏休みに部活がきっかけで行きたい高校が決まり猛勉強をした。今まで必死にやった事ない私としては珍しい事。
頑張ったら成績が上がり始め、冬には志望校よりも一つ上のトップ高も狙える位になった。
そうしたら世間体ばかり気にする母がトップ高を狙えと言い出し、いくら私の希望とその訳を話しても聞いてくれなかった。
そのうち三者面談となった時に、初めて父親が学校に職場から駆けつけてくれびっくり。先生に聞かれたら「私はこの子が受けたい所を受けさせます。ここまで頑張って来たのも行きたいという気持ちが大きかったからですし。」とニッコリ。
その後も母親の粘着があったが、温厚な父親も流石に一喝。
無事志望校合格し、楽しい高校生活を送る事が出来ました。
あの三者面談から尊敬に変わりましたし、それ以降もここぞという時のアドバイスは的確だし刺さるし、もう感謝しかありません。
あれで父親まで反対されてたらグレたか命絶ってたかも。
母親とは前々から合わなくて嫌いだったけど更に嫌いになりましたわ。
何年も前だと書き込んだことを忘れちゃうこともあるよ、きっとw
3兄弟で家はお金がないって毎日言われて育ったので、なかなか欲しいものを買ってくれる親ではなかったのだけど
自分が小学生の時に家族でドライブがてら山梨県のクラフトパークに行った時、1cmくらいの小さな水晶玉(皮製の子袋付き)を手に取って見てたら
父が「買ってあげようか」と言って自分にだけ買ってくれたこと。
普段感情的に怒ったりするタイプの父親で、日頃からずっと怒られて育ったのでそういう事は今までになかったから驚いたし本当に凄く嬉しかった
お守りがわりにいつもポケットやランドセルの中に入れて持ち歩いて、学校で嫌な目に合ったときとかこっそり握り締めて気持ちを落ち着かせていたなぁ
最近、毎日は無理だけど仕事の休みが取れたときは、なるべく寝かしつけの時にリクエストされた本を読むことにしてる
自分は親が居なかったし絵本を読んでもらったことは一切ないんだけど、こんな駄目な母親なのに子どもたちが優しいから、コレくらいは頑張ろうかなと思って
少しでも頭の片隅に覚えててくれて、次自分の子が生まれた時に読んであげてると嬉しいなと思う
本当駄目なかーちゃんですまんな
嬉しかったというかすごく心に残ってること
小3のときに父方の祖父が亡くなったんだけど、私自身、初めての葬儀だったし「死」に対しても漠然としか理解してなかった。
学校を早退して、家に帰ってもバタバタと喪服などを準備する雰囲気や異様な空気が怖かった
。
そんな私を見て、普段無口でぶっきらぼうな父が「何も心配しなくていい」と。
私が「お葬式って何するの?」と聞くと
「皆でおじいちゃんを見送って、おじいちゃんの分まで一生懸命生きていこうって決意するだけ」と。
その言葉がなぜかものすごく自分の中にストンと入ってきて、もちろん祖父が亡くなったことはすごく悲しかったけど、恐怖心はなくなった。
そのあと葬儀で初めて父の涙を見た。
それまで父のことはなんとなく苦手だったけど、このことから父を見る目が変わった。
なんて素敵なスレなんだ‥
私は4人姉弟なんだけど、やっぱり4人もいると友達のひとりっこが羨ましかったりした
お父さんお母さん独り占めできていいなーとか、お下がりばっかりだったから洋服も可愛いの着れていいなとか
でもたまにこっそり父がみんなには内緒だよ!と言ってプラネタリウムや水族館に連れてってくれた小学生の頃
多分他の子もこっそり連れてってたんだろうけど、その頃は純粋に私だけ!と思ってすっごく嬉しかった
子にもやってあげたい
ここ見てるとしてほしかったことばかり思い浮かぶ
自分が今嬉しいのは赤ちゃん時代の写真がたくさん残ってること
私が生まれて嬉しかったんだな、大事に育てられてたんだなーとわかる
自分の子供もいつかそう思う日がくるかな、と毎日写真撮ってる
地味な話しだけど子供番組のエンディングで大人がトンネル作って子供が下をくぐる遊び
私が子供の時親にやって!やって!って頼んで椅子に手をかけて輪を作ってやってもらってた
今自分の子もおかいつエンディングでやって!やって!って言われて忙しくてもそこは呼ばれたら飛んで行ってやってあげてる
地味に喜ぶ
>>577
分かるわ、うちも母親に全く同じ事されてた
皆には内緒だよとか、特別だよーって言葉がくすぐったくて嬉しかったなあ
自分は特別愛されてるんだ!って心のどこかでそれが拠り所になってたかもしれない
母の一周忌にお酒が入って小さい頃こんな事あってさーと兄妹に自慢したら、
俺も私もと手が上がり…おかん子供全員にやってやがったw
うわー騙されてたわー酷いわーと皆で笑った
皆愛されてたのは分かってる、でもあなたは特別!って言ってもらえるのって心の活力になると思う このスレ自分が親になって見るとヘタなドラマより泣ける。
冷たい足を挟んでくれたこと、私にもあったなぁ。
母だって極度の冷え性なのにさ。
みんな素敵なエピソードだ。
親の愛をきちんと感じとって それを心に大事にしまってるみんなは
本当に本当にいい子たちだ。
一番いいスレだね心が温かくなるし泣ける
自分の子にもしてあげたいって思うね
毒母だったから親になった今どんな風に子供と接すればいいか分からなかったけど
ここに書かれてる事を少しでも子供に自然と出来る母親になりたいな
自分が親になって、母と子育ての話してたら
「子供との相性もあるから」
というフレーズが出てきてびっくりした。
自分3人兄弟だけど、母が誰と相性がいいとか
思ったこともなかったから意外で。
兄弟に聞いても、思い当たらないそうだ。
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