147の素敵な(江戸・武蔵國) (3級)2019/12/29(日) 08:05:22.45
首相主催の「桜を見る会」を巡り、1953〜2005年の来場者数が書かれた公文書が、国立公文書館つくば分館(茨城県つくば市)に保管されていることが分かった。
1万人を超えたのは2度だけで、最多は99年の1万1206人。
安倍晋三首相(山口4区)が主催し、政府が来場者数を公表している2014〜19年より小規模だったことが裏付けられた。
桜を見る会は52年以降、歴代首相の主催でほぼ毎年、4月に新宿御苑で開かれてきた。
内閣府は13年以前の来場者数について「記録がない」などとして公表していない。
国立公文書館が中国新聞などの申請を受けて公開したのは、06年2月28日の閣議で配布された内閣府資料。
タイトルに「『桜を見る会』開催日及び入苑者数調」と書かれ、毎年の開催年月日と来場者数の表が記載されている。
小渕恵三元首相主催の99年が最も多く、1万1206人だった。
2番目が橋本龍太郎元首相の96年の1万95人、3番目が宮沢喜一元首相の93年の8746人だった。
少ない順で1、2番目は、いずれも鳩山一郎元首相の56年の666人、55年の710人。吉田茂元首相の53年が3番目に少なく、980人だった。
橋本、宮沢氏以外の中国地方選出では、池田勇人元首相の61〜64年に1095〜2362人で推移。
竹下登元首相の88、89年はいずれも7千人台。
安倍首相の大叔父の佐藤栄作元首相の65〜72年は2980〜5074人だった。
そのほか田中角栄元首相の73、74年、大平正芳元首相の79、80年はいずれも5千人台。
中曽根康弘元首相の83〜87年は6405〜8091人だった。
52年と66年は「記録が保存されていないため入苑者数は不明」と書かれている。
また60年は「安保騒動のため中止」、95年は「阪神・淡路大震災のため中止」と記載されている。
05年以前は緩やかな増加傾向で推移している。
これに対し、第2次安倍政権になって以降、13年の人数は明らかになっていないものの、14年の約1万3700人から19年に約1万8200人へ急増。
野党は、首相が後援会関係者を多く招き私物化したと追及している。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191228-00010002-chugoku-pol
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1万人を超えたのは2度だけで、最多は99年の1万1206人。
安倍晋三首相(山口4区)が主催し、政府が来場者数を公表している2014〜19年より小規模だったことが裏付けられた。
桜を見る会は52年以降、歴代首相の主催でほぼ毎年、4月に新宿御苑で開かれてきた。
内閣府は13年以前の来場者数について「記録がない」などとして公表していない。
国立公文書館が中国新聞などの申請を受けて公開したのは、06年2月28日の閣議で配布された内閣府資料。
タイトルに「『桜を見る会』開催日及び入苑者数調」と書かれ、毎年の開催年月日と来場者数の表が記載されている。
小渕恵三元首相主催の99年が最も多く、1万1206人だった。
2番目が橋本龍太郎元首相の96年の1万95人、3番目が宮沢喜一元首相の93年の8746人だった。
少ない順で1、2番目は、いずれも鳩山一郎元首相の56年の666人、55年の710人。吉田茂元首相の53年が3番目に少なく、980人だった。
橋本、宮沢氏以外の中国地方選出では、池田勇人元首相の61〜64年に1095〜2362人で推移。
竹下登元首相の88、89年はいずれも7千人台。
安倍首相の大叔父の佐藤栄作元首相の65〜72年は2980〜5074人だった。
そのほか田中角栄元首相の73、74年、大平正芳元首相の79、80年はいずれも5千人台。
中曽根康弘元首相の83〜87年は6405〜8091人だった。
52年と66年は「記録が保存されていないため入苑者数は不明」と書かれている。
また60年は「安保騒動のため中止」、95年は「阪神・淡路大震災のため中止」と記載されている。
05年以前は緩やかな増加傾向で推移している。
これに対し、第2次安倍政権になって以降、13年の人数は明らかになっていないものの、14年の約1万3700人から19年に約1万8200人へ急増。
野党は、首相が後援会関係者を多く招き私物化したと追及している。
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