>>1乙
四天王時代のファン感謝デーって何やってたっけ?
三沢川田馳vs小橋田上秋山の年は覚えてるんだけど他の年が全く記憶にない >>17
病後の鶴田が小橋や三沢と一夜だけの鶴田軍VS超世代みたいなのやってなかった? >>19
馬場&鶴田&田上vs小橋&秋山&本田の6人タッグなら95年のファン感謝デーである
鶴田病後にタッグ含めて鶴田vs三沢って一度も無かったんじゃないかな >>20
あーそれかな!
鶴田が懐かしかったとか言ってた
これはテレビ放送してないの?
かなり見たかったんだけどな >>20
そのカードだと三沢と川田は三沢浅子vs川田雅夫だろうか?
自分の付き人とタッグ組んであすなろタッグ杯みたいなプチリーグ戦やってた気がする >>22
これが意外な三沢&井上vs川田&泉田なんだよなぁ
あすなろ杯タッグリーグは98年にやってたな
秋山&大森が優勝でアジアを失った事もあり、そのシリーズ限りでアジアのみ状態だったコンビも解消 >>23
そう言われればそんなカードあった気もする…
92年以降だと97年の6人タッグ、99年のくじ引きカード決め以外は忘れてるなあ、ファン感 93年のファン感謝デーは2daysで、初日が三沢vs井上、田上vs浅子、メインが小橋&秋山vs川田&大森
2日目が小橋vs秋山、川田vs大森、メインが三沢&馬場&菊池vs田上&渕&泉田
ジャイアントサービスのビデオで販売されてた様に思うが、95年のファン感以上に印象が薄い
95年はオブライト参戦で話題になった以外は上にも書いた久しぶりの鶴田軍位だな
>>23
まさか二十年近くぶりに再挑戦するとは思わなかったが
大森と取る前に小川や菊地と挑戦しているのも興味深い 川田が藤波との対談で「どんなに良い試合しても話題にならなかったから新日が羨ましかった」って言ってたけど確かに話題作りも大事だよな
95年に川田がタッグで三沢に勝った後、変化が欲しかった
最強タッグ予選2回総当たりとかCC決勝巴戦とか既存のファンが喜ぶためのアイディアだったもんなぁ
オブライトは来てすぐ川田に負けて、三沢に三冠で負けて半年も持たずに価値無くなったと思う
Uインターのお下がりとは言え勿体なかった
ハンセン、ウィリアムスもベルトのつなぎ役になったしベイダー来るまで外人には冬の時代だったね
最強タッグでの2回対戦や三つ巴戦は、あまりにも選手には過酷。
ハンセンベイダー組が、98年の最強タッグ一回で終わったのはホント勿体なかった。
久々にハンセンブロディ組並のインパクトある外人タッグが出来たと思ってたんだが・・。
>>33
あそこでバーニングが勝つブック書いたのは誰? >>30
オブライトはもう完全に落ち目だったからな >>34
ただ、ハンセンのコンディション考えれば、もっと早く実現させたかった。
それでも、あの一回きりなら優勝させたかったよな。 >>36
ベイダー組か田上組のどちらかでも優勝させておくべきだった
ベイダー組の時に負けたからハンセンの下り坂に余計な拍車が掛かったし、田上組の時に勝たせておけば「ハンセン最後の奮戦」みたいな感じでバーニング二連覇なんかより絵になったのに ハンセンベイダー組があれだけ予選で無双して優勝したら、次のシリーズからも強くあり続けなきゃいけないから、決勝で負けたのは納得するけどね
小橋秋山をプッシュしたい時期とかぶったのも不運かな
まああの頃は急造チームが優勝する流れは有り得なかったし、翌年のハンセン田上組なんかは絶対に負けると思いながら決勝見てたなぁ
>>37 >>38
やっぱ、個人的にはベイダーと組んだ時、優勝させてやるべきだったと思う。
長年、全日に貢献したという意味も込めて、有終の美を飾るという事で。
翌年の田上とのタッグは、表彰式で小橋に殴り掛かる場面といい
悲壮感漂う姿が絵になってたし、あれで良かった。 会場でも四天王はもういいかな。みたいな雰囲気があったね
ハンセンベイダー組はハンセンよりベイダーの強さを見せるタッグだったように思うな
99年のシングル戦線でベイダーが暴れるための布石だったかなと
ただ結果論になるけど、分裂するなら98年か99年にハンセン優勝させて欲しかった気持ちは大きくなるよね
それは凄く残念
ハンセンからベイダーへの禅譲だったかな
三沢や秋山がサブミッションやクイックでフィニッシュするようになった時期もあったね
これからどうなるか楽しみにしていた部分もあったけど、ノアになってなし崩し
98年って四天王時代の終盤なのにもう20年も経つのか…
あの年の三沢対小橋は小橋が三冠防衛すると思ってたけど、左右のエルボーの速さが凄かった
99年1月の三沢対川田の三冠も壮絶な試合だったし
>>38
東京ドームで小橋&エースにも負けてるからな
最強タッグではハンセン&ベイダー優勝でも良かった
少数派かも知れんが個人的には決勝ハンセン&ベイダー対川田&田上で川田&田上の最強タッグ3連覇が見たかった
世界タッグ王者だったのに良いトコ無く終わってなんか可哀想だった ドームでのハンセンの負けが一番ワケ分からない
小橋に花を持たせたいにしても丸め込みという大会場らしくないフィニッシュだし
会場の大小にかかわらず、丸め込みは負けた相手の格を下げないための技でしょ
あれは普通にエースの負けで良かったと思うけどどうなんだろ?
タッグでもベイダー初参戦でいきなり勝たせるわけに行かないし、どうしても小橋を勝たせたかったのかね?
下ネタ嫌いの俺は
三沢が死んだときホッとした
しかしファイプロでは三沢使いであるw
>>44
川田と田上は繋ぎのトップ扱い(三沢を休ませる専用)、良く言えばヒールのポジションだったからなぁ
象徴的だったのは夢のカードで三沢&小橋には負けたのに対して、94年最強タッグで川田&田上には勝った事で
馬場の中では4本柱でも裏エースみたいな扱いだったからな 但し世界タッグ戦では川田・田上が勝る印象
93年の最初の対戦に95年のベストバウト戦とか
川田田上組は長すぎたね
三沢、小橋側がパートナー代えたり最強タッグなかなか優勝出来なかったりと原因はあったけど
でも川田と田上は戦った方が噛み合うんだよな
馬場の考えるスパンって長すぎ
三沢の三冠政権も長すぎだったし
最強タッグの連続出場は馬場・鶴田以上だったか
それらに匹敵するのはNOAHにも続いた三沢・小川くらいで
ノアと四天王全日を比べちゃダメでしょ
ノアは外から選手を呼んでそれなりの話題は作れるようになった
四天王全日は鎖国、基本的に同じ顔ぶれで対決なんだから
>>51
96年に再編の流れがあって武道館で三沢、秋山vs川田、オブライトの特別試合が組まれたけど
「俺は渕さん、田上と離れるつもりはないよ」「オブライトとは組むより戦ったほうがいい」」
川田が拒否したんだよ。どこまで本人の意思か分からんけど。 後の分裂時に渕は残ったが田上は去った
最後のカードを見るにその時点での田上の去就はまだ微妙だったみたいだが
ハヤブサ、人生、高山、藤原、邪外、デルフィン、浪速、池田、、、
全日の会場でも声援も大きく、歓迎されてた。
>>57
ハヤブサ人生にアジア巻かせたのは良かったんだから、世界ジュニアも誰かに渡せば良かったのに
どうせどうでもいい扱いだったんだから
センス皆無だよ >>014
この時は引き分けでも良かったんだけど、この2ヶ月後のカーニバルからやたらと30分ドローが多くなった。
個人的に時間切れ引き分けってつまらないと思う。
>>58
そうだね。アジアタッグは流出したのにね。
98年のサマー2でデルフィンが「小川。俺の挑戦を受けるのはまだか!?」「小川さんもいい加減、腰を上げて欲しい」と挑戦をアピールしていたのにね。
三沢もジュニアの扱いが悪いとその時から週プロに言っていた。
浪花を挑戦させて、浪花が負けたら親分のデルフィンが挑戦する。それでいいのにね。
新日だってデルフィンにスーパージュニアで準優勝させるくらい有効に使っていたのに。 >>60
ジュニア戦線が停滞したのは誰のせい?馬場?渕?
菊地も本当に勿体無かったわ >>61
俺も知りたかった。菊地は世界ジュニアを9度目の挑戦で獲ったんだっけ?
ヘビー級だけど大森の扱いも酷かったな。同い年で同じ大卒の秋山や、同世代の小島、中西らは上の方でやってんのに大森はいつまでも中堅扱いでしょ、酷いよね。
大森は体もマスクも良くてスター候補だったのに。 >>30
外から来た奴って一発目は勝たせるものだけどね。
最強タッグがすぐ後に迫っている事情もあったけど、とりあえず大森、本田あたりをぶつけておいて最終的に川田が出てくるなんて流れにしたら良かったと思う。 そもそもアジアをハヤブサ人生に獲らせたのって馬場没後でしょ
三沢が社長になった頃にはデルフィンもう来てなかったし
馬場のジュニア軽視は異常だったね
サスケがIWGPタッグのベルトを持ち込んでもノーリアクション
菊池はあのバックドロップ連発の時に取らせなかった時点で終わってたよね
>>065
三沢いわく「会社内でクレームがついた」
どうせ元子さんだろうなw
>>066
ターザンいわく「あの渕との世界ジュニア戦で負けたことが尾を引いちゃった」
酷い扱いだよね。90年に選手が大量に離脱した時、人材不足で菊地は鶴田に毎日のようにボロボロにされたのにな。
>>064
そうそう、ハヤブサ&人生がアジアに挑戦、2度目で戴冠。
99年6月、仙台の小川vs志賀の世界ジュニア戦がセミ。
これは三沢の力だよね。三沢はデルフィン&浪花が参戦しても「観客は何で参戦してんの?って感じ」とか「第3試合くらいで組んでもやる気がしないよね」という主旨のコメントもあった。
三沢はジュニアの地位を変えようとしていた。
菊地は火の玉小僧っていうスタイルが災いしたかな
ガンガン行ってもヘビー級には倍返しされるし、小川みたいなスタイルの方が秋山に勝っても納得行くし
渕にもクロファットにもボコボコにされてたもんなぁ菊地は
ダイナマイト・キッドリスペクトは良かったんだが、玉砕芸から延々抜け出す事無くて
馬場から芸が無いって扱いになってったからな
それでも菊地はみんなに覚えてもらえてるだけマシ
たとえ思い出されるのはやられてる姿だとしても
浅子なんてどんな試合してたか誰も覚えてない
>>070
その通りなんだよなあ。行き詰まったらキッカーになったり、ジュニアじゃないけどジョニー・スミスみたいに腕攻めを極めて客に受けたりするものだけど、菊地はそれができなかったよね。
新日だったらヒールに転向という手段も使えたかもしれないが、菊地にヒール適性があるかは不明だ。
>>070
志賀も同じだよね。玉砕ファイトが受けるのは若手だけなんだよなあ。
志賀はノアではパンチパーマで変なキャラやっていたけど、もうそういう特殊なキャラクターに転身するしかないんだよね。
>>071
浅子で俺が憶えているのはラマヒストラルと雪崩式フランケンを全日で初めて使い出したレスラーということくらい。
浅子の場合は90年のSWSの時に「人がいないから入りなさい」と言われて入門したくらいだから印象に残らないのも無理はないかな。
菊地は新日行って馳に鍛えられてレスリング仕込のスープレックス系のレスラーになってれば
IWGPジュニアも狙えた
かもしれん
その馳にもシングルで当たった時、グラウンドでオモチャにされてたしなぁ。
超世代に行く前の若手の頃は、週プロにアマレスの吊りパンを
身につけアマレススタイルを売りにするのもいい、というような事も書かれてた。
何れにしろ、ジュニア軽視の馬場では余程の才能がないとチャンスが無かったろうな。
ノアに行った時点では遅かったし、ただ新日との対抗戦ではいい試合してた。
渕や小川みたいな飛べない選手がダラダラとした退屈なタイトルマッチを当時の新日ジュニアファンが見てたら、はっきり言って
『なんだコレ…(-_-)』 だったんだろうな
渕vsライガーで渕のサイズがjrじゃない事に改めて気付かされたなぁ
川田と組んでヘビーに混じって居ても何ら違和感無いし、全然ジュニアじゃない
馳は「負ける代わりに試合は好き勝手やらせてもらうよ」みたいな感じがあまり好きじゃなかった
小橋が受けすぎて損したのを見て、ドームでは一方的にやらせなかったと秋山が言ってたけど流石だったね
>>076
それ98年の1月3日の後楽園じゃない?
俺がテレビで観た97年7月上旬の七尾だったかなあ。馳、池田vs菊地、志賀で菊地が馳にボロボロにされていたなあ。
全日ジュニアは誰がどう見てもただの小さい人枠だったからなあ
華もないし技術もないし渕が長期政権で仕方ないわなって思ったわ
小川、菊池でせいぜい浅子だけど、新日に比べたら全然飛び技がなく動きももっさり
ジュニアらしい動きといえば丸め込むくらいしか無いもんな
ヘビーは四天王+秋山が飛び抜けちゃってて高山と大森をプッシュしてたけど他は論外
スカウトとか新入門で人は来るけど、みんなすぐ逃げちゃってダメだって馬場が言ってたな
まあ馬場にしてみりゃジュニアは付録程度だろうけど
覚えていること
スーパードライブアサコ
ノーフィアーのリーダー
ジュニアはクロファットが上手くて強くて良かったけどこいつも渕と同じくでかいんだよな
社長の馬場がジュニアの活躍場所を作らなかったから、そりゃ活躍できるわけが無いんだよな
多数の外人も他団体選手もそう
ただ呼びました、で終わってたから
高山が世界タッグに挑戦したね。
馬場さんが大きい選手が好きなのには同意できるんだけど、それとジュニアの扱いが悪いのは別問題なんだよなあ。
誰も馬場さんに進言しなかったのかね。
ジュニアの選手も結局やってるのは四天王プロレスだからな
あの世代なら全日本は川田。新日本は馳がスバ抜けてたな。
ただ川田はU系を相手にするともろさが出たのがな〜。(vs高山二戦目、vs垣原戦)
その点、馳はグラウンドに引き込んでやれるから一枚上手かな。
浅子は人はよさげだけど、レスラーとしてはどうしようもなかったわ
小さすぎるし体はぶよぶよだし。SDAやマックスペインもセンスなさすぎだし。
おまけにノーフィアーのリーダーとか無理がありすぎて呆れた。
まだ本田のほうが向いてたよ。誰だよ浅子を入れたやつは。
雅央って地味だけどレスラーからしたら評価されてたんだろうな
まずは雅央からって言葉はノアからだっけ?
池田が馬場と組んだ6人タッグの雅央は面白かったなあ
>>89
井上はセコンドに付いて試合見てる時の表情が素晴らしかったねw
バックドロップドライバーの試合の井上のリアクションは最高だったよ
解説の百田の「あっ!!」も良かった >>66
といってもこの時点での菊地は小橋とアジアタッグを持ってたし最強タッグにも二年連続で出ていたし
背水の陣というにはいささか微妙という感じも
結局アジアタッグとの二冠は翌年にクロファットが達成するが最強タッグの前にアジアタッグは返上
その翌年に年は下だがキャリアでは菊地に勝る小川が世界ジュニアは先に奪取
但し陥落の前にクロファットは世界タッグにも挑戦しておりこれが世界ジュニア王者の世界タッグ初挑戦
この辺りの兼ね合いもなかなかに興味深い >>86
ジュニアの四天王プロレスなんてあったかな?
俺の記憶では渕、小川が絡むと渋い試合ばかり。
飛び技が多い選手といえば浅子だったけど頭から落とし合ったりエプロンから場外に落とすよう攻防は記憶に無いな。
武藤全日本のカズ、近藤あたりは四天王プロレスというかカウント2.9プロレスが多かった気がする。 雅央が若手の頃フィニッシュに使っていたブロックバスターって全く説得力が無かったよなぁ
雅央のGHC挑戦とエースの三冠挑戦
どっちが王座への期待感なかったかな
雅央の方がやばそうな気が
エースの三冠は川田田上vsウィリアムスオブライトの世界タッグ、小橋秋山vs垣原高山と保険をかけたけど雅央のGHCのアンダーカードは知らないな
>>95
マサオの方はセミかセミ前が丸藤小橋のシングルだったはず。
小橋ボブサップのシングルという保険がなくなったからだったような…。
とはいえ丸藤小橋の試合も、フィニッシュのリアルブレンバスターに行く直前の攻防はすさまじかった。良試合。 エースが勝てるとは思わなかったし
大したタイトル戦にならないと思ってたけど
名勝負製造機の三沢がエースのすべてを受け止めて
素晴らしい試合になった
あのメキシカンエースクラッシャーは今見てもかっこいい
受けが上手い三沢だから派手な技が映えるね
>>83
クロファットは小橋ともいい勝負したな
>>86
新日Jrは四天王だと思うけどな >>92
四天王や新日本ジュニアとの差別化で敢えてオーソドックスなスタイルを選んだ感じも
実は藤波以前のジュニアもそういう感じ
そういう意味ではチャボよりロイヤル・マドリルの一戦こそが全日本ジュニアの原点かも もう何年もこれはスタナー、カッターじゃなくてエースクラッシャーなんです!っていうこだわりを持った選手がでてこないかと期待している
雅雄は全日時代はまだよかったけどノアの寒いお笑いスタイルになってからはクソだったわ
川田が98年頃に解説で「パワーだけだともっと凄い選手がたくさんいるからなにか他をみつけないと」
って言ってたけど辿り着いた先がアホ過ぎた。本田と組んでた頃のタッグはよかったな。
>>101
本田&雅央は全日の時はアジアタッグ止まりで良かったけどノアだと何故かGHCタッグに絡んでいたがその扱いが悪かった。
秋山にボロクソに言われて雅央が「偉そうに言うな」と言い返したものの、ネットでファンに「あの2人(本田&雅央)はプロレス界を面白くしようとしていない」と酷評される始末。
見ている方が恥ずかしくなるレスラーナンバーワンが雅央だ。 外敵が来たら最初に組まれるも必ず負け役をやらされるマサオさん
雅央も多聞も馬場全日では格を与えられなかったから、ノアで掘り下げて使ったのは良いと思う
多聞の回転地獄五輪キャラはもっと早くやれば良かったのにと思ったし
ただ雅央は秋山より先輩だけど、全日ではずっと前座ってイメージが付いてて既にどうにもならなかった
危険技に染まらなかったのは評価したいけどね
>>103
アジアタッグが無いからGHCタッグがその代わりの調整弁にも使われたんだよな
その意味でもGHCが出来る前の借り物のWEWタッグの扱いは面白かった エースクラッシャーはかっこいいね。
エース、ガン組がノーフィアーや小橋秋山組を
タッグ戦で倒した試合は凄かったよ。
>>101
雅央は橋本真也の三角絞めで肩を破壊されてパワーファイト出来なくなってしまったんだよ
シリアスに戦う雅央が見たいのに
三沢よりも白鵬の方がエルボー強烈だな
一発で相手に脳震盪を起こさせたりするし ブレインバスターをしかけて相手が切りかえしたところをエースクラッシャーって流れが好きだった。
>>111
90最強タッグ、大阪の三沢&川田vs小橋&エースでその攻防があった。
当時のエースはまだボロが出ていなく、そのシーンにはハッとしたなあ。
キャリアを積むに連れて劣化していった。キャリアとスキルが反比例する珍しいレスラーだったな、エースは。 全日崩壊前(ノアの前)って何気に面白かった気がする。
>>113
99年後半から分裂まで面白かったね
元子は馬場が死んだショックが大きくて三沢に強く当たってたと思ったら、武藤全日でも同じ事やって京平が間に入って元子を引かせたと聞いたからなぁ
分裂は免れなかったんだろうね >>114
三沢たちが出て行った後の2001年かな。パンフレットの表紙に馬場さんの写真が載った時には元子に対して「こいつ異常だw」と思った。
亡くなった人にいつまでも未練を持っていて気持ち悪いババアだ。
馬場さんは偉大だけどここまでするかよw 亡くなった馬場さんへの想いじゃなくて
この会社は正平がつくって、誰にも勝手はさせないっていう
意思表示だと思うよ
様々なことに介入しておかしくなるんだけどね
>>104
その役割を任されているというのは、信頼の証では?
最初に勝ってしまったら、参戦後の商品価値がないも同然 >>117
三沢は「受け身が上手い雅央を当てて外敵の適性を見る」なんて言っていたらしいけど、永田みたいに「闘いに来た」人に対して雅央なんかぶつけて失礼だなあと思った。
ノアは根本的に考え方が違うんだよね。 以前からマサオや浅子の話題ばかり粘着する馬鹿がいるな
こいつのせいで過疎ってるのにわからねえのかな
>>117
オブライトの1発目に川田を当てて川田が勝ったのって後から考えると何でそんなことしたんだろ?って思う。
あれでオブライトの商品価値は落ちた。リサイクルする気が無かったのかな。 オブライトの価値は自然に落ちていったよ
Uインターのようにプロレス下手でもやれるプロレスならなんとか格好がついたけど、
性格が優しいこともあって純粋なプロレスには向いてなかったと思う
オブライトを強キャラ設定にしてカンナムをもっと上で使って金星を取るようにしていたら面白かっただろうな
オブライトは投げ技以外は取り柄なかったよね
長く全日でトップ張るには受け身が下手すぎたし何よりあの体型が…
しかも糖尿だか痛風で足が痛くてシューズを履くのも一苦労っていうね
CC予選の星合わせとタッグプレイヤー止まりの選手だったかな
川田を初戦で負けさせるほどの価値は無かったように思う
馬場さんが解説で「不細工ですがやることは綺麗なんですよ」みたいなこと言ってたな。
全日には越中や馳のような外敵迎撃要員、リトマス試験紙的な選手がいなかった不幸
越中も馳も出は全日なのがまた皮肉
武藤がUの高田に古典的なプロレス技四の字で勝ち、
関節技にがそれほど出ない全日で川田がオブライトを腕ひしぎ
それぞれ当時は大絶賛されてたけどな
>>124
96年7月にカード変更して組まれた武道館では川田が寝ているんだよね。あれは何だったんだろ。
前哨戦からオブライトを怒らせたり、KOかギブアップのみのルールを提案したり、武道館でのオブライトも普段と違う闘い方だったけど。
川田の「俺ならオブライトを活かせられる」というアピールかな。 >>123
クロファットは器用なんだけどハンセン、ウイリアムスクラスだと敵わないっていうか。
ファーナスはパワーとドロップキックは良いけど下手だった印象。 川田vsオブライトって特別試合で3試合やらなかったっけ?
初戦は川田の腕ひしぎ逆十字で勝ち
次はオブライトが投げてから変形の締めで勝ち
その次に川田がジャンピングハイだったかで勝ったような
気のせいかな?
>>130
95年10月の武道館
96年7月の武道館
10月の愛知県。川田vs小橋三冠戦の約1週間前だね。 >>126
ああいう役は外様が引き受けるんだろうな
ハンセンの第一戦も原だったし >>114
あの時期はあの時期でいろいろと面白かった
特に注目はアジアタッグの運用
ハヤブサ・人生からノーフィアーを経て遂には三冠王者の三沢自身が奪取で カンナムはあの扱いが限界だろ
そんなトップで使うようなレスラーじゃないよ
>>134
エース、パトリ、ウルフあたりよりはマシかと >>134
世界タッグに一度挑戦もしたが明らかに力不足だったんだよな
そしてその年の最強タッグを最後にファーナスが離脱 実力=集客力でしょ
団体がプッシュしてあげないと格も実力もつかないしね
その辺が馬場は柔軟じゃなかったかな
>>136
ファーナスは96年のスーパーパワーシリーズが最後だよ。クロファットは96ジャイアントシリーズが最後で再来日が2000最強タッグ。 >>135
そうかな。パトリとウルフの方が良かったと思うけど。ウルフは田上クラスでもターボドロップ2でクルクル回して落とすのが凄かったな。
同じパワーファイターでもファーナスよりウルフの方が5ランクくらい上と思っていたくらい。 馬場がカンナムの格上げを約束してたのに反故にしたから切れて離脱したんだよな
切れたのはファーナスで先に離脱
追うようにクロファットも離脱
クロファットは事故で怪我して再来日ではもう動けてなかった
カンナムは当時の全日なら小さいからアジア止まりも仕方ないんだろうけど今の時代だったら余裕でタッグのトップはれるんじゃないかなあ
三沢を殺したのは
和田京平
和田は天龍を超えるにはキックアウトし続けるプロレスしかないと三沢をアオった
>>143
そんな忠告されても断ればいいこと。「だったらお前が戦え」くらい言い返せばいい。
助言する奴は実際に戦うわけではないから無責任になんとでも言えるわな。 >>141
取れるだろうねえ。新日ですらタマタンガ兄弟、ブリスコブラザーズクラスのサイズでもタッグのベルトに絡んでいるからね。
ノアでも小峠、ストームのサイズでもタッグ王者だからね。 誰かファーナス式のフランケンシュタイナーをフィニッシュに使ってくれる選手現れないかな
ジュニアなら通常のフィニッシュでヘビーならここぞという時の隠し球的な感じでなら今でも通用しそうだけど
スマザースとかジョニーガンとかノードとかダイエットとか外人たくさんいたのにね
ノードは厳しかったけど
ゴールデンレフトのマイク・バートンって分裂後に活躍したんだっけ?
ウィリアムスをKOした男って触れ込みで参戦したけど、それWWFでの試合だよね
WWFと総合は対極にあるし今思えば凄いキャッチフレーズだったな
>>150
ブーバーみたいにでかくて動けるのが半年で全日からいなくなったのにエースみたいなパフォーマンスばかりでしょっぱい奴が12年もいたのが皮肉だよな。
全日から三沢たちが抜けて大ピンチの時も対戦カードが発表されていながら瀕死の全日に見切りをつけて来日中止、引退。
ほんと不義理な奴だよエースは。 >>147>>148
ノードは素材は良かったのに全日スタイルを全く理解していなかったね。
あれで全日スタイルを理解していたら、現在で例えたらジョードーリングくらいになった気がする。 >>146
ノアのHAYATAだったかな?低空のフランケンシュタイナーとでも言うのかな。ファーナスの頭から相手を突き刺すのと似たような形。
使い方によってはフィニッシュでもいけるかもね。 >>153
どうせそいつもチビのヒネリを加えたタカみちのくだろw マイクバートン、ところてん式に外人エースになったけどどうにも無理があったな
それでも安易に三冠挑戦させなかったところに当時のプライドも感じる
>>147
ジョニーガンはパトリが引退してからパトリの権利買って2代目パトリとして活動してたな
正確には3代目だけど 98年の小橋とエースの仲間割れはベタだけど面白かった
四天王時代になってからタッグ解散は発展的解消とかクリーンな感じばかりだったし
川田と田上がやってくれたらめちゃくちゃワクワクしただろうなあ
>>134
カンナムは赤パン時代の小橋のいいライバルだったんだけどね
その後小橋はどんどん成長したがカンナムは停滞したままフェードアウトした感じ 歴代の戴冠の時でも当たってるがマレンコと組んでもやってるんだよな
アジアタッグ経験者が世界タッグ王者になったのは三沢・小橋が初だがそれが不自然でないくらいに大きく成長していたわけで
>>151
まあそのおかげで代役のハインズがブレイクできたわけだが
とにかく全日本の歴史は急な代役抜擢と成功が目立つ感じ ブレイクって言ってもあくまで賑やかしのポジションだろ
まあ解説で菊池氏もブレイクといってたし
翌年のドームの六人タッグで一番歓声が大きかったのも印象に残る
>>165
>>164の人が言いたいのは「三冠を獲ったわけでもないからブレイクとは言えない」そんな感じじゃないの。俺も同意だよ。
その解説の菊池氏が言う「ブレイク」には違和感あるな。
ハインズって会場人気は高いけどスミスみたいに世界タッグすら取っていないし。 それどころか素顔としてアジアタッグも取ってない
奥村についてもそうだが逆境だからこそむしろ安易な事はしないし出来ないといった団体としての姿勢も感じられる
世界タッグについては付いてもおかしくなかったバートン・スティールですらも付いていないし
逆にブレイク後のハインズはアジアには格が高くなりすぎた印象
>>169
それはどうかな。アジアタッグは三沢&小川、鈴木&NOSAWA、コスケ&師龍も獲ったからその時のブッカー次第だね。
>>167
言われてみればそうだね。奥村は2003年の王者決定リーグ戦も含めると5度も挑戦したのに未戴冠だったからなあ。
逆に嵐のカーニバル準優勝、三冠挑戦は違和感あったけどw >>169
ただ、アジアタッグを世界タッグの二軍的な扱い、カンナムクラスを基準にするならハインズの格はあなたの言う通り上がったね。
嵐、荒谷もそうだけどアジアでは強すぎるけど、かといって世界タッグレベルでもないみたいな。 >>163
急な代役抜擢かあ。
93年の豊橋の小橋vsウイリアムスもそうだよね。ゴディの欠場によって行われた試合だけど伝説の一戦みたいになったからなあ。 >>163急な代役抜擢の成功
あ、最強タッグの天龍&川田vsハンセン&ゴディもそうか。最終戦の天龍&川田には感動したよ。 もし元子さんと三沢が上手くやれていたら、
川田一人が全日から追放されてしまっていたのかな・・・。
>>157
全日のリングではハンセン、ウィリアムスには勝ち貰えなかったし、外人エースになった時期なんてあったかな?
中西にブルドッキングヘッドロックで負けちゃったし
バートンより太陽ケアじゃない? >>176
バートンは器用だけど地味すぎた。
ケアが2002年の夏に武道館で天龍に勝ったの観たけど良かったよ。その時にもっと上がっていけば良かったなあ。 >>176
ハンセン、ウィリアムスがいなくなったから「ところてん式」にエースになった
でなきゃ本来ならチャンピオンカーニバル準優勝なんて器じゃない
太陽ケアは日本陣営
という認識です ケアが上位の格になったのって分裂後からかな
分裂するまでは期待されながらもずっと長いこと下でくすぶってた印象
パトリオットはいいレスラーだが試合スタイルはパトリオットミサイル以外は割と地味なので、
パトリオット売出しのためにライバルの小橋はパトリオットのマスク剥ぎとかして試合を盛り上げて盛り立ててやるべきだった
パトリは上手さはないけどそれを補える体格、迫力があった。現代のマット界ならプロデュース次第で活きる素材だったと思う。
実力はともかく6人タッグにおける
パトリオット ザ・イーグル ラクロスの並びは画になった
日本人では見られないブッチャー キマラ キマラ2とか、インパクトあったな
ウィリアムスもパトリもWWFから誘われたら行っちゃったからなぁ
デビアスやブーバーもアメリカでの合間に全日に来たって感じだったし
アメリカ人にしたらWWF>>>全日だったのは仕方ないけど痛かったね
分裂後のCCでいきなりモスマンがウィリアムスに勝ったのは驚いた
シングルで天龍に勝ったからな
全日の太陽になれそうだったけど日本語覚えないからダメだった
分裂後最初の武道館で初の武道館メインと天龍復帰の相手を務めた時の出来が良かった
それこそ十二年前の最強タッグでのゴディの位置だったが川田と天龍の立場が逆になってるなど見所も満点の
大量離脱前は秋山のパートナーだったけど、三沢に嫌われてたからなぁ
>>170
アジアタッグの一番の注目点はその時その時のブッカーやマッチメイカーの志向が最も表れるところ
もっともその時々の手駒にもよるだろうが >>189
アジアタッグほど意味合いが変動するベルトは珍しいよね。
今度は秋山&永田が挑戦だっけ? >>188
馬場さんに三沢&ケア組を提案されて三沢が断ったらしいけどなんでだろうね?
当時は「オフになるとハワイに帰る」とケアに否定的だったけど。断るほど駄目な選手って感じでもなかったよ、ケアは。 アジアタッグはマイティ、阿修羅、石川、極道コンビのイメージ。あと、そのイメージ変えた、小橋菊池カンナム。
世代がわかるかな
アジアタッグは使い方次第で結構話題になる面白いベルト
三沢小川組が巻いて7冠王(だっけ?)みたいなのも出来るし、若手やロートルが頑張るタッグに巻かせてもいい
四天王時代だと秋山大森に小川菊地が挑戦したのが面白かった
前哨戦としてシングルもやったはずだしね
>>193
秋山、大森vs小川、菊地はオフィシャルビデオで見たけど前哨戦も含めて熱かったね。体格差があるからこんなに熱くなるとは思わなかった。 秋山って97年くらいにドラゴンスクリュー→足四の字っていう武藤ムーブを多用してた時期があったんだな
デビューからずっとそれほどスタイルチェンジしてない印象だったから意外だった
>>178
ウィリアムスとバートンが全日に切られたのって武藤体制直後でほぼ同時期じゃなかったっけ? 全日系のレスラーってタイツの腹回りを上げ直す仕草が目立つんだけどゴム緩いのかな?
馬場の若い頃見直したら同じ動きが目立ったんで伝統なのか
新日系だとそういう動きはほぼ見られないのでキツ目に締めてんのか
>>196
バートン&スティールが2002年10月が最後で、ウイリアムスは2003年1月に全日に来たのが最後だった気がする。同じと言えば同じだね。 全日はへそで結ぶ、新日はへそ下で結ぶ、違いがあるからじゃないかな
>>195秋山若手の頃からドラスクつかってたよ
ノーTV後楽園での川田とのシングルで使って客から「新日みたいなことやるな!」って野次られてたの覚えてる >>198
ウィリアムス離脱後はギガンテスとかジャマールみたいなデカい外人が次々来たからね >>202
バートン&スティールは新日本に上がったくらいだし実力はあるけどプロデュースする奴がいなかった。素材はいいと思った。
ウイリアムスはアピールばかりで劣化が酷くてリストラは当たり前だった。
後にRODが始めるわけだが良かったと思う。RODとVMの抗争も良かった。でかい奴らは迫力が違うからいいね。 離脱後はバーシティクラブ見れたのがちょっと嬉しかった
RVDがジョニーエースに簡単に負けるとかあったなあ
WWEでは絶対あり得ないことが
あの頃のRVDはまだアメリカでブレイクする前だったじゃん
>>208
カード発表前にチケット買うクチだけどそれホールで観たよ。面白かった。 >>202
グラジもブキャナンもいたしね。
やっぱりでかい奴特有の迫力って必要だよ。会場で生で観ると「プロレス観に来たなあ」「プロレスラーってすげえな」って実感するし。
今は小さい奴が多いもんね。 デカイ全日だったからね
外人だけじゃなく日本人も規格外!
人間か?!
ジュニアの渕でさえも親日に上がったらでかかったからな
馬場さんもなんだかんだ言いながら生で見たらおもってたよりデカくて独特の威圧感あったしスパイビーに睨まれた時は殺されるかと思った
>>209
同じ後楽園で組んでアジアタッグにも挑戦 あのころの全日はガチだったからな。激しい試合で選手が死んでしまうんじゃないかと心配したもんだ。
>>219
三沢が亡くなったのもその蓄積じゃなかったか。 三沢が後輩使ってやってた首の牽引って相当ヤバそうじゃない?
整体師にやり方聞いたらしいけど、すごい雑っぽく見えたよあれは
>>223
そう、それ
胴体動かないように体に2〜3人かぶさってタオルでグイーッて首引っ張るやつ
あれ定期的にやってたら本当にヤバそう 毎試合後にやってたよ
秋山にネックアンドアームブリッジをかけられて
マジでキツそうだったからな
ガウンの襟が当たるだけで痛かったんだから
関節系は何やられても激痛だったろうな…
バカみたいに川田とかウイリアムスあたりのバックドロップくらいまくっていたからな。
ただ頭から落とすだけのプロレスなんか凄くないのに。
本気で受け身が上手いと思っていたが、すごく我慢強いだけだった
頭から落とすばかりがプロレスじゃないってのは四天王プロレスを見たから言えるわけでな
晩年に四天王の誰かが言ってたと思うけど「俺達がやらなくてもいつか誰かがやってた」ってのは正論だろう
今のレスラーに四天王プロレスをやって欲しくはないが、あの当時のレスラーを馬鹿にする事は出来ない
四天王プロレスは凄いし好きだったけど、三沢対小橋だけはなぜか全くのれなかった
まわりの評価は異常に高かったし凄いのは解るんだけど・・・
ケアが小川と仲良かったってインタビューで話してたのをみて驚いた。
三沢はケアを嫌ってたし性格もあまりよくないと評判だったのに
>>222
首の牽引って、
体重の5分の1の力まででしか引っ張っちゃいけないって決まりがあるんだけど、
プロレスラーのは勝手に自己治療だからもっと強い力で引っ張られてただろうね
その結果、三沢の首がグラグラになってしまった可能性はある
まあそれ以上にプロレスの激しいスープレックスや打撃が根本的な原因だけど >>231
技は激しいんだけど、なんかスポーツライクで、戦ってる感じがしないんだよね。
三沢も川田とやる時みたいな感情が出ないし。 >>234
でも、超世代軍時代になってから、スポーツライクな部分を売りにしてたのはある。
あと、戦いに見えないって部分に関しては、ノアにも参加した池田は「テレビゲーム」とかって表現してた。
俺もどっちかと言うと、四天王時代より超世代軍時代の試合の方が好きだった。まだ鶴田やハンセンなんかとやり合ってた頃は、大技に余り頼らず打撃戦で組み立てる試合もあった。 >>230
四天王プロレス時代の全日は頻繁に観に行っていたが途中からはうんざりしていた。
他団体に興味が無いから全日を観に行っていただけで。
30分ドローは当たり前、60分ドローすらあったし。時間切れ引き分けってつまらないんだよね。 >>235
池田のコメントは的を射た表現だな。
バトラーツって10年早かった団体って気がする。現代みたいにネットで情報がすぐに伝わる時代ならバトラーツの良さも知れ渡ったと思う。
現代って誰でも情報発信できる時代だけど、その時代になった時には既にバトラーツが弱体化していて主力がごっそり抜けていたからね。 >>238
確かにバトラーツはU系でありながら、リングスから純プロは全日までと、
変なこだわりなく全方面外交やってて好感持てた。
当時は期待させる部分あったね。両国に進出して、ウォリアーズ呼んだ辺りがピークだったか。
ただ、石川と島田は調子に乗りすぎな感じがした。
いろいろ期待させる部分があっただけに、勿体なかったな。 >>208
仙台でもやってくれて椅子とかテーブル飛び交って、当時の全日では有り得ないスタイルだったけど凄い楽しかった思い出 >>239
バトラーツ=石川と思っているから石川はいいんだけど、島田は出たがりっていうか出しゃばりでいい印象が無かった。
話を四天王時代の全日に戻すと、池田が全日に参戦した時は、多聞あたりと比べると体が薄いなと思った。
あの体型だと全日ではきついよね。 >>241
その池田もバトラーツでは大型の部類だったんだけどね
藤原と組んでFMWのタッグ王座に就いたり やっぱり地上波があるかないかは大きすぎた
地方に住んでたらバトラーツやインディーが良いことやってても興行が不定期で見れないし
テレビつけたらやってるってデカすぎたね
島田はPRIDE入りしたあと八百長レフェリーとして名を馳せたから、そういう人間だったんだろう
池田やヨネはデカイ方だったね。
ただ、池田のインタビュー読むと馬場から(元子だったか?)いろいろと口出しされたり注文されたりが、ウザくなってきて試合に出るのが段々嫌になってきたとか。
それでも、三沢とは良好だったからノアにも入団したようだが。
バトラーツチケット選考予約目当てでファンクラブ入るくらい好きだったけど、弱体化や解散は必然だったと思うぞ
最初期は体も技術もスター性も無いの自覚して、体を張った全力ファイトの試合内容だけが売りです!って感じで楽しめたし、選手と客の一体感が半端じゃなくてみんなで盛り上げてる感が気持ち良かった
けどマスコミに持ち上げられだしてからあからさまに天狗になりだして、
アレクのファス戦勝利辺りから完全に勘違いしちゃってた感があった
試合も松永とかインディー系とやってる時はまだ良かったけど、佐野や長井辺りが来たら体と技術の差がはっきり見えすぎちゃって全く楽しめなくなった
前座レスラー同士が全力のぶつかり合いしてる面白さだったのが自称インディーのスターが大物食いに挑戦!みたいな粗だらけな企画物団体化しちゃったし、
ぶっちゃけインディーの小物レスラーがいくら当たりの激しいハードな試合内容を売りにしてもメジャー2団体が本気になった試合やられたら(四天王プロレスとか新日Jrとか)迫力も面白さも足元にも及ばないんだよね
元子に挨拶しなかったため1シリーズ5大会で終わった中野w
バトラーツって今のノアなんかよりよっぽど面白かった。表現し難いけど不思議な団体の個性もあったし手抜き感が無いのも好感だった。
何よりメジャーにありがちな必要ない親父レスラーがいなくて若い選手が多いし。
石川が解散時に「俺たちが時代に捨てられたんじゃなくて、俺たちが時代を捨てたんだ」と強がったのは石川らしくて良かったな。
そのコメントって単なる強がりではなく、マット界の流れに乗れたらもっと大きな団体になっていたような気がする。
>>249
今のノアがあまりよくわからんが
後期のバトラーツはクソだったぞ?
アレクとかホントに勘違いしてたしな
いい時は面白かったのにもったいないと思ったよ >>250
後期ってのは2000年以降かな?原なんてのがいたよな。
ゼロワンと揉めてからは転落の一方だったな。 ウォリアーズやバックランドを呼んだが、ギャラが高そう
90年台後半。100人未満の地方興行でもしなかったバトラーツ。1000人くらいいた地方興行を観に行ったら手抜きが酷かった新日。
>>253
ウォーリアーズって誰が交渉したんだろうね。安いギャラで引き受けたとも思えなかったなあ。
ゼロワンに来た時はやる気が無くて大谷が激怒していたね。あんなのを呼ぶからだよ。
昔のレスラーなんか舐めてるもんな。WJで観たウォーリアーズもほんと酷かった。クソみたいな試合だったよ。 ジョニー・スミスの忍耐強さには頭が下がるわ
スミスウルフ組でプチブレイクするまで良く耐えた
>>257
タッグマッチで人数合わせで入れられて常に負けるんだよな。ほんとう不憫な扱いだったよね。
97年の夏に馳と対戦してから脚光を浴びるようになったけど、それが無かったらどうなっていたかな。 >>257
スミスをノアに引っ張れなかったを相当悔やんでいたらしいな三沢 >>260
ファイトスタイルは違うけどスリンガーと見た目被るんだよねw スミスは地味すぎたのかな
ただ腕殺しのバリエーションであれだけ客を沸かせられたのは凄い
スミス人気をヒントに小川をブレイクさせた気もするし、使い方次第で選手は本当に変わるね
ケアとの世界タッグよりハインズとのアジアタッグが見たかった
スミスの腕攻撃は謎
ジャイアントグラムでもなんか違和感
外人版の浅子ポジションがスリンガーだったな
アジア獲った記憶もないんだが
もちろんジュニアタイトルも無理だったし
>>267
けっこう失敗するよな
跳ね起きもよく失敗してた >>264
三沢全日末期ではパワープレートからのブリティッスフォールという必殺フルコースが確立してた パワープレートとデスバレーボムはあまり似合っていなかったかな
腕極め式のアバランシュホールドは好きだった
結局のところブリティッシュフォール=リバースDDTだから、
説得力がいまひとつだったような…
>>260
そうなんだ?
スミスってダグ・ウイリアムス、ザック・セイバー・ジュニアと似た感じなんだけど彼らより体に厚みがあるのが良かったな。
細いと弱そうに見えちゃうんだよね。 >>267
武道館でヘッドハンターズの片方からジャーマンで3カウントも良かったよ。 実力はないのに前に出たがりな、ジョニー・エースが目立ってしまったな
体格と謙虚な性格に加えて、似た名前が仇になった感じ。
ハンセンやウィリアムスが乗ってくるファーストクラスを要求して即座に却下されてたエースさんか
>>275
顔がいい、背が高い、アニマルの弟とかなり恵まれたジョニー・エース。
その武道館ではキマラ&ヘッドハンターズの集中攻撃を受けた。
フィニッシュを取ったのはスミス。勝者組に対して流れたのはエースのテーマ曲。スミスコールが起きる中、両手でVサインを掲げたエースに対し
「エース、お前は何もしてねえだろ!」と怒鳴る客の一言が全てだった。
全日ファンは努力不足、実力不足のエースなんかよりも身長はエースより低くても真面目で努力家のスミスを支持した。 ハンセン、ウイリアムスが衰えて自動的に外国人のまとめ役的位置に昇格したが、三冠もチャンカー制覇も後から来たベイダーに先を越され、
2000年の大量離脱時は瀕死の全日本に見切りをつけて来日キャンセル、引退。なんて恩知らずな奴だ。
>>277
三度目のドームの豪華六人タッグでラストにコールされたのも印象深い
あの時点では世界タッグ王者でもあったし エースめっちゃ評判悪いw
もう少しビルドアップすればもっと上に行けた気がする
顔はいいのにタプタプなんだもんなあ
>>277
引退した理由が自分はプロレスがしょっぱいからって言ってて自覚してたのかと感心した 分裂後にここぞとばかりにドヤらなかったのはある意味クレバーだったかもね、エースは
センス無いって自覚してたなら尚更
エースのムーンサルトは毎回相手置く位置がコーナーに近すぎ
>>273
三沢は昔からスミスの欧州スタイルのテクをかなり評価していて、ノア旗揚げのギリギリまで獲得交渉をしていたらしいが叶わなかった >>282
残っていればプラスマイナスゼロだったと思うけど、ハンセンが全日の窮地のためにわざわざ1日だけ来日。
選手が1人でも貴重な時に来日キャンセルだからマイナス100くらいだったよ。
あんなしょっぱくで世界タッグ獲れたり三冠にも挑戦させてもらえたのに本当恩知らずな奴だ。 日本人の「恩知らず」的な感情って分からんでも無いけどビジネスライクなアメリカ人とは感覚が違うし、そこまで根深く恨むのも日本人らしいと言うかね
残ったスミス、スティール、ハインズらにしたら上が一人抜けたし良かったんじゃないの?
あの時点でエースが残らなかった選択に関しては何とも思わないわ
ハンセンほど厚遇もされてなかった存在だし
>>284
ノアに行っても残った場合より活躍できなかったと思う
想像できないや >>286
それがハンセンみたいな押しも押されもせぬ大スターとか、ウイリアムスみたいに三冠を獲ったとか、ブッチャーみたいにもう年で東京プロレスとか大日本とかの自分を活かせる場所とか、スミスみたいに頑張ってんのにいつまでもジョバーやらされるとかならわかるんだよ。
エースは実力も無いのに顔と身体がいいだけで優遇されていた。そこが気に入らないんだよ。
バートン、スティール、ハインズらよりもいい扱いしてもらっていたくせに。 ショービジネスってそんなもんじゃん
顔と身体がいいだけで他より上だよ
>>287
全日からノア勢が出て行って最も良かったことといえばスミスがケアとのタッグで世界タッグを獲れたことだと思い当時は感激した。
こんな真面目な外国人がいつも人数が足りないところに入れられたり、常にタッグマッチのジョバーにされてばかりで。
分裂で哀しい思いをしたがスミスの格上げは本当に嬉しかった。 >>290
親日との対抗戦で小原と戦って勝ったのも嬉しかった
地味なカードだけどさw スミスとか小川が格上げされたのは最初は面白かったけど、
彼らをトップ戦線でずっとやらせるのは無理があったな
>>292
小川のスタイルは好きだけど団体最高峰のベルトを巻くのは違和感あるね。特にスミスと違って細いし。
小川は今の新日本の矢野みたいにひたすら丸め込みばかり狙う星取り調整とか、興行の時間短縮の役目がいいね。 >>151も同じ人なんだろうな
ここまで来ると貴重なエースファンだ
エースにそこまで思い入れあるのはすごい だからエースの、話題が出た時に
必死にマサオの話題に転換しようとしてたのかな?
なんか気持ち悪いおっさんだな
バートガンは好きだったけどな
ただマイクバートンになった途端しょぼくなったのはなぜ?
>>283
ちょうど今日はムーンサルト初披露のアジアタッグ防衛戦の日 アメリカのレスラーでハンサムでトップになれたのはフレアー
くらいじゃない?オースチンなんかもハンサム系だったが坊主の
コワモテキャラになってから売れた
大森は顔も良くて体も作ってたのになぁ…
売れるまで時間かかりすぎたな
>>301
あのルックスなら普通はゴリ押ししてでも持ち上げようとするけど
センスが悪いのを見抜いてそれほど優遇しなかった馬場は正しかったと思うぞ
馬場の死後ノーフィアーでのし上がった時期も試合はイマイチだったし プロレスにおいてリングネームって案外大切だよな
イタミヒデオなんか名前だけで失笑ものでまるで試合に興味ないし
>>303
大森はルックスも体格も良いんだけどセンスが無いって言うか変な技の失敗が他の選手より多いんだよな。
世界タッグ獲った日のダブルのスプラッシュマウンテンみたいなやつも失敗したしな。
個々の技は上手く決まると目を見張るものがあるんだけど。
あの時は多聞とか泉田、雅央とか秋山以外の若手は本当ダメなのばかりだったな。多聞は膝が悪かったのもあるかな。 大森は劣勢の時にドロップキックとかで切り替えしてここから攻勢か!?
って時にじっくりスリーパー始めたりする間の悪さというかテンポの悪さというかセンスの悪さというか・・
大森って秋山相手だと露骨にびびってるのがなぁ。試合中こうしたら駄目出しされるってビクビクしながら動作に移ってるんだよな
>>308
それはわかる。同い年で大卒同士なのに秋山は武道館のリングで入団の挨拶したりと始めから大森と差がつけられていたから仕方ないのかも。
94年10月の武道館では秋山に酷評されていたもんなあ。「やられている中でもできることはある」と。
それがトラウマになっちゃったのかな。 >>307
馬場さんも期待していたし、ハンセンだって一時期組んでいたくらいだし、他の若手がパッとしないし、大森はかなり期待されていたと思うよ。 三沢が事故ったのは今思えば「受身の天才」だったからだと思う。本人も周りも過信してしまったんだな。
後頭部の落下から垂直落下で脳天直撃とエスカレートしてったんだから、受け身なんかでカバーのしようがない。
でもアックスボンバーって構成ありきのアメプロ向けの技だから
ガチ目に当ててくアスリート路線の小橋のラリアットと対峙した時見劣りするのがもったいなかったな
大森ってどちらかと言うとアメプロ路線だった頃の新日の方が輝けたんじゃないかと思う
>>316
武藤と被っちゃうよ
大森って、武藤と中西を合わせてセンスを引いた感じだね 武藤や蝶野程のアメプロ的センスあったとも思えない。
それに新日でもアメプロ路線でやれたのも、この2人だけだったし。
nwoやT2000に入っても、その他のメンバーに埋もれてたと思う。
空手のマス大山は最近のプロレスラーはヘソ出してケシカランって
古い人の感覚ではそうなんでしょ
丹田は大事なところだから晒すべきではないってのはあるかもね
場外でマット無しのパワーボムとかノド輪とか受け身どうこうの話じゃないよね
マットあっても一般人なら死ねる
三沢川田組が初めて世界タッグ獲った時のウラカンラナは、その後のクイック技とはちょっと意味合いが違うくらい見事だったね
ゴディの価値もさほど落ちずに試合&フィニッシュとしても完璧っていう凄い試合だった
>>323
川田も捕まり三沢がパワーボムを喰らう流れでもう駄目だ…と言うところの逆転劇。
あれは本当にリアルタイムで見て声が出たよ。 あのフィニッシュは決して綺麗に決まったわけじゃないのも良かったと思う。不恰好かつ泥臭い三沢の姿が感動の勝利に一役買った
ゴディやウィリアムスなどの大男が小柄な川田にトドメを刺そうと襲いかかってくるところをカウンターのジャンピングハイがズバリでフィニッシュもカッコよくて好き
突進したが川田の逆転のジャンピングハイキックを食らい膝をついて顔を抑えて足をトントンキャンバスに何度も突くような痛がり方をする鶴田を見るのが面白かった。
川田のジャンピングハイキックってなんであんなに爽快なんだろうな
今、継承している選手がいなくて寂しい
延髄ラリアットが好きだった。あれめちゃくちゃ痛かった。
>>330
そういえばパワーボムからの乗っかりファールもタイチは大一番でやるような。 タイチがいたか、でも試合スタイルのせいかJrのせいか川田っぽさは全然感じないな
よりによってキャラが真逆だからな
繋がりも特にないし継承してるって感じが微塵もない
>>333
タイチは川田の付き人だったから川田と同じことやってんじゃないの。 >>334
え?そうなの?不勉強ですまない…
それならまあ納得だけど 調べたらめっちゃ師弟じゃん…
恥ずかしいわ俺…
一時期プロレス離れてた時期のデビューだからまったく知らなかった
川田のキックラッシュでシャーッ!って掛け声が上がって
5〜6発目くらいから三沢がガードして立ち上がり
鬼の形相でエルボー打ちまくり、川田がピョッて
くるりと後ろを向きジャーマン投げ捨てまでのムーブが好き
>>328
後ろ回し蹴りも縦回転や、胴回しがうまかった ジャンピングハイは試合終盤で疲れてるだろうに、きっちり決めるのは凄いと思う思ってた
立ってる相手によりも走ってくる相手にカウンターでズバリがいいんだよな
剣豪の居合い抜きみたい
延髄ラリアットして、ロープにバウンドした相手にジャンピングハイ…
っていう連続コンボが好き。ウイリアムスから三冠獲った時だったかな?
川田のベストジャンピングハイは大阪の三冠戦で三沢が京平に倒れかかって行ったカウンターの蹴りだなぁ
三沢ファンだけど三冠ボムからあれは三沢ダメだと思った
三沢と川田の攻防で覚えてるシーン
川田が三沢の胸にキックの連打。
そして頭部にハイキック。
バコッという音がブラウン管からも聞こえた。
館内にも聞こえたらしく『オォ〜』とどよめきが。
三沢が後頭部を抑えながら前のめりにダウン。
すると川田は助走を付けてダウンしてる三沢にジャンピングニー。
激痛で転がり回り場外に落ちる三沢。
またも館内から悲鳴が。
見ていてもヒヤヒヤした。
ましてや後頭部を抑えた状態の三沢にジャンピングニーだし。
下手したら両手首も折れるぞ。
今から思うと川田の三沢への“感情”が表れた攻撃に見える。
97年98年頃かな?
タッグかシングルかもわすれたが、このシーンは衝撃的だった。
今でもこのシーンは覚えてる。
数多い二人の攻防の中でもインパクト大で印象に残って。
>>344
人に読んで欲しかったらもっと簡潔に分かりやすい文章でたのむわ ダウンしている相手にジャンピングニーって当たるん?
相手の腕を巻き込んでからの、後ろ回し蹴りもよかったな
そうかそうか、色々と書き方がダメで済まぬ。
ジャンピングニーはジャンピングニードロップ。
確か三沢が後頭部を抑えてるところに食らわせて。
あの状態でニードロップだと手首だって折れ兼ねない。
それに助走付けてたから川田も加減のしようがないし。
三沢も苦痛の表情でのたうち回ったのも演技には見えない。
まあ旧全日の四天王対決はそんなシーンばっかだったからね。
三沢が後頭部をおさえてたなら手首より手の指の方が折れそうだが
いまいち言ってる状態が浮かんで来ない
>>349
簡潔に書けと言われてこれかよ
川田の二ーは上手く体重逃がしてるから怪我なんてしないよ そして思い出すのはハンセンのエルボードロップをうつ伏せの状態で受けて胸骨が折れた三沢
胸の下に手を敷いてたら食い込んじゃうからダメなのよね
>>348
ロープに振ってからのバックスピンキックの
方が好きだったな スピンキック凄かったなー
三沢の顔面に直撃して何回も三沢死んだ…って思った
またキレイに顔面に当たるんだよね
>>343
川田の三冠奪取試合としては舞台としてはドームだが内容としては大阪の評価が高いんだよな
それでも武道館の三冠では日本人相手に絶対負けないのが王者三沢
負けたのは挑戦者としての鶴田戦だけか >>340
代表はドームでの健介との第一戦のフィニッシュあたりか
川田がジャンプしまくっております! 今まさにジャンピングボードに立っているのが川田! >>359
懐かしい
代表っていうと有名なそっちになると思うけど三沢と組んでのゴディウィリアムス組からの初勝利だったかな
あの時のウィリアムスを沈めた負けたと思ったところからのカウンタージャンピングハイも捨てがたい 川田昔はニールキックもよく使ってたよな
ラリアットの名手でもある
>>354チャンカー決勝のヤツ?
バックドロップの体制こらえて肘(チョップだっけ?)入れて離して振り返りざまの浴びせ蹴りは最高にかっこよかった 三沢は寡黙キャラ、川田は無言キャラが好きだったのに分裂したらエロ社長とハッスルになっちゃったのが残念すぎるわ
やっぱりキャラ作り大事だな
>>364ハッスルの川田はあの小川相手に名勝負作っただけでも十分お釣りがくる良い仕事師ぶりだったと思うぞ >>365
そういう問題じゃなくね?
ハッスルの試合前に替え歌を歌わされてる川田は辛くて見てられんかった
まあ分裂後の話はいいな
四天王時代の全日スレだしな >>366
でも川田は分裂前もウリナリでゴスペル歌ってたよ >>357
秋山が四天王のベストバウトにあげてたんだっけ?あの大阪の三冠戦 >>369
ノリノリ?
仕事なんだからイヤイヤやるわけにはいかねぇだろが >>359
あとキックの日本代表とか訳分からん事を言ってたな、ヒャッホー辻w 93年の最強タッグ決勝で当時の小橋がムーンサルトじゃなくバックドロップをフィニッシュに選んだ理由が未だにわからん
>>372
ゲスト解説の鶴田に見せるバックドロップだったような。実況若林アナも鶴田に、早くバックドロップして下さいね。て、感じな実況してたら、試合終わった記憶あります 三沢が一時期だけリバースネルソンデスロックをフィニッシュに加えてたけど、あんまりにモタモタした様な入り方に見えるからか
あっさり止めちゃったよな
>>372
こじつけか分からんけど、子供の頃、
バックドロップでベルトを獲った夢を見たとかコメントしてた。
それを思い出したとかなんとか。
あとあの試合でムーンサルトは1回放ってて、
2回目やろうとして防がれて…とパターンが読まれてたし、
当時はムーンサルト以外の決め技がなかったから、
あれはあれで良かったんじゃない?
93年はウイリアムスにバックドロップドライバー食らって、
ある意味、その年を象徴する因縁の技でもあったし。 >>375
リバースネルソンデスロックは相手が振り払ったりロープに逃げたり出来ないからじゃね?
あれ腕も足もロックするからどうにもならん 三沢の関節技だと裏十字とか地味に好きだった。ハンセンやベイダーにも有効な裏技だったと思う
>>379
四天王時代の全日って丸め込み、ギブアップが少ないのが不満だった。 自分からタップは弱く見えるからとかで排除したんかね
四天王のギブアップ決着はまず無かったし
レフェリーストップならOKなんかな
>>381
レフェリーもストップするほど能動的じゃなかったでしょ
その象徴が川田対高山みたいな結果だし 客はワンツースリーって叫びたいんだってのが大義名分だったはず
関節技とかクイック、10分台の試合とか
あの時だと手抜きにみられたからだろうし
ストレッチプラム解いて3カウントとか
小橋がオブライトからスリーパーで締めてから3カウントとかしてたが
それじゃギブアップ負けで良いじゃんと思ったもんだ
小橋・健介のライバル対決に触発された秋山・鈴木の対決も悪くはないが二番煎じに感じたなぁ
2003年のゼロワンとの対抗戦で川田が古傷の足を攻められて渕のタオル投入でレフェリーストップみたいな感じで負けたのだが、
試合後に「俺はギブアップしていないよ」と言うのが川田らしいなと思った。
誰もダウン呑みたくなくて、仕方なく川田がダウンを呑んだのなら納得いくけど。
三冠ボム、断崖のど輪、
リストクラッチエクスプロイダー
バーニングハンマー
トドメのタイガードライバー91
こんな技を年間に何回も受けて
毎日のように巡業で試合して
そりゃ壊れるよ
>>388
四天王、ノア得意のエプロンから場外に落とす技もな。あんなのバカだろ。
「スタントマン」と揶揄されるのも当然だ。あんなことやらないと客を納得させられないんだよ。
ビートたけしのお笑いウルトラクイズとやってることは変わんねえよ。ただ危険なだけ。 たしか川田が言ってたけど、全日本は関節、絞め技で終わらせちゃいけないという上からの圧力があったみたいだよ。
フェースロックは、鶴田ギブアップブックで、これから浸透させたいんだな、と思った。
和田京平著「読む全日本プロレス」より
三沢にしても、川田にしても、フェイスロックやストレッチプラムで終わらせたいときがあります。
しかし、そういう技が極まって、勝敗が決まりそうになったら、
一度、外して、やれタイガードライバーやパワーボムだ、垂直落下だといった大技で終わらせなくちゃいけません。
ギブアップでお客さんが「あ〜あ、終わっちゃった」と不満を漏らすようではダメなのです。
>>393
だから関節のこともロクに分からず、フェースロックで落とせコールが起きたのかな? 俺はアマレスのバックボーンに幻想抱いてたよ。三沢・川田は国体優勝。秋山・鈴木みのるも猛者。だから小川直を三沢がコントロールしたのには説得力はあったかと思うよ
>>396
ピュアだね
アマレスの神様と言われてた本田ですら全日ではあんな扱いだったのに 三沢小川戦は馳の解説もよかった
頭を抑えてコントロールする三沢と
それを解説する馳
そこまで含めて説得力があったな
96年の世界タッグ戦で三沢がフェイスロックやっても何の反応も無かった。
あのジャンボ鶴田からギブアップ奪った技なのにな。変な矛盾。
確かに3カウント合唱の方が盛り上がるもんな。
>>395
日テレの実況も酷かったな。週プロに寄稿していたライターに「オブライトが参戦してから日テレ実況アナウンサーの関節技の知識の浅さを露呈」と読んだ時は気分良かったよ。
でかくて太いうんこが出た時と同じくらい気分良かった。
膝十字も知らない金子、膝十字を「股裂き」という野口。福澤のバカは関節技以外もろくに知らなかったけどな。 >>400
エースアンチの人か
20年以上も前の事にいまだに異常に粘着しすぎ
ライターが書いてて気分良かったとかさすがに引くわ
2018年現在でも情念を感じるって怖い プロレスのライターって大したことない存在なのに特権階級的な意識持ちすぎだな
>>401
てこの原理とか知らないだろうから、小橋がアキレス腱固めをやろうものなら力任せに引っ張るだけだろw
誰にでもわかる見栄えのいい関節技しか見たことないね、全日本さんでは 全日には全日の世界観があるのに新日の世界観を押し付けようとして全日系のスレに乱入してくるアホどもには辟易する
スタン・ハンセンだって痛かった間接技と聞かれて真っ先に馬場のアームバーを挙げてる
やってる本人が何と言おうと腕を引っ張るだけの間接技が痛いわけないと主張を曲げないんだから手がつけられない
>>403
それプロレスとしては最高なんだが何を勝ち誇ってるんだこいつ どういう生き方したらプロレスの技のちょっとした差くらいで
したり顔できるようになるんだろ
>>404
馬場の腕攻めといえば、関節技よりもハンセンや上田にやってたジャンピングアームブリーカーが印象的 >>407
全日独自の間接技って絶滅したな
ジァンピングアームブリーカー、アームバー、スタンディングクラッチ、サーフボードストレッチ、ハンマーロックなんか アトキンスにシュートを仕込んでもらった奴から関節技習わなかったの?w
したり顔は旧珍ピ系の得意わざだろw
>>401
角が立つから誰も指摘しなかったことをライターが批判したからスッキリしたと言ってるだけだろ。
関節技の話が出たから便乗しただけで粘着ではない。粘着と思いたいなら勝手に思えば?w >>411
すまないね、俺のせいで嫌な思いさせて。 >>400読んで思い出したが
新日本では扱いの良くない馳とエース候補の小橋さんがシングルでやった時に小橋さんがグランドについていけなかったのをマスコミに指摘されて「お前何処の社だ!」って顔真っ赤にしたんだっけ。 >>411
>でかくて太いうんこが出た時と同じくらい気分良かった。
日テレの実況より己の表現のしょっぱさを知れ >>414
馬場→ウンコって意味もあるからそれに掛けたのでは? ダメスレの荒らしをここで引き取れよ、お前たちの仲間だろう?
最近YouTubeに全日上げまくってる人がいてよく見るんだけど97年くらいからあまり面白くないな
90年代前半はかなり面白かったのにな
全日本でも渕はゴッジの関節技あるし、全日道場幻想抱いてたけどな。カブキの教え子は良い選手になるしね。だからカブキにも幻想持ってたよ苦笑
>>419
佐藤昭夫やカブキの後のコーチって誰なの?渕?
90年代入門者は秋山以外軒並み小さいかしょっぱいかのどっちかだね 97年くらいからは本格的にハンセンが衰え(タイトルマッチにも絡まなくなった)
ウイリアムスは色んな疑惑から途端にしょっぱくなり外人勢が相当苦しくなってた時期
四天王プラス秋山だけではちょっと退屈だよなぁ
ベイダーだけは良かったな
もう少し早く来て欲しかったけど
ベイダーはもうちょっと後だから97年はほんとに外人がいなかった
>>418
勝つ奴が決まってる。丸め込みで決まらない。どちらの価値も落とさない30分ドロー。エプロンから場外に落とすスタントマンプロレス。
こんな団体が面白いわけがない。 93年…札幌2連戦で四天王誕生、超世代軍と聖鬼軍の抗争、三沢小橋最強タッグ初制覇
94年…川田cc初制覇、三沢V7、ウイリアムスと川田三冠初戴冠、30分越えの試合が増える
95年…三沢cc初制覇、川田が初の三沢越え、オブライト参戦、60分時間切れ引き分けの試合が増える
96年…田上グランドスラム、小橋三冠初戴冠、三沢秋山世界タッグ初戴冠
97年…三沢小橋が名勝負数え歌、三沢の三冠フィニッシュホールドが一時期ジャーマン、TOPとGETの抗争
98年…超世代軍解体、三沢小川や小橋秋山などタッグ戦線の再編、ベイダー初参戦、川田がふて腐れる
99年…馬場死去、ノーフィアー台頭、三沢小川ベルト総なめ、川田が怪我で休みがち、田上ハンセン組結成
00年…小橋cc初制覇、秋山初の三沢越え、大森プッシュ、三沢がベイダーの腕を折る
思いつく各年のトピックはこんなところか。確かに95〜97年はマンネリ気味だったね。
97年はやはりチャンカー三つ巴決勝か
ジョー樋口もレフェリー引退で
あとは馳をはじめとする開国路線がスタート
>>421
ハンセンにはアジアタッグに挑戦してほしかった
あとパトリオットの離脱も痛かった 当時の全日オタの中には馬場のこと社長って言ってる奴いたな
最強タッグ2巡という最狂タッグだった年は何年?あれも97年?
96年が最強タッグ予選2回総当たり
97年がCC決勝三つ巴
この2つは印象強くて忘れられないな
マンネリって印象強いのもこれらが少なからず影響してると思う
>>425
面白い時期はあった。それに四天王プロレスには途中から飽き飽きだったが熱中している時期もあった。
全日は好きでもただ大技を耐え合うだけのプロレスが嫌いだっただけ。
それに好きだからこそ批判できることもある。
俺がどのスレに書き込もうが俺の自由。あんたに指図されたくない。 興奮するのはいいけど自分にレス返したらあきまへんよ
「王者の魂」ってゲームは技を繰り出したら暫く息切れして動けなくなるという意味で全日本プロレスを再現していたと思う
タッグでのカットもめんどくさくなったのか
フォールしてる相手に触ったら
OKみたいな感じに徐々になってったな
完成されてるのとマンネリは表裏一体だからなあ
完成度はすごかったよ。夢の架け橋で全日を見た橋本真也もショックを受けてたし
99年のバーニングとノーフィアーの世界タッグはようやく全日の新しい風景が見えた。あれまではぶっちゃけ四天王以降のネタが枯渇してんじゃないと思ってた。
>>437
その路線の未来が見てみたかった
ある意味今の全日秋山大森体制はその続きが見れてるようで嬉しい >>433
すまん、間違えた。
>>435
昔はカバーしている選手の足を引っ張ってカバーを崩していたのが、いつのまにか相手にパンチなりストンピングを加えるだけでフォールが無効というよく考えると不思議なレフェリングになっていたな。
レフェリーがダウンしていないのにセコンドが乱入しても反則負けにならない。
レフェリーがダウンしてセコンドの乱入合戦が始まってもリングアナやサブレフェリーが指摘しない、プロ野球みたいなビデオ判定も無い。
カウントを数えるレフェリーの足をセコンドが引っ張っても反則にならない。もうめちゃくちゃだなw
何でもかんでも「プロレスだからいい」で済ませちゃうよねw >>437
バーニングハンマーだったり危険な技やカウント2.9プロレスにはうんざりしていた。
ギロチンドロップをフィニッシャーにしていた高山はとても新鮮で大森とのタッグも良かった。まさに新たな風景だったね。 >>439
プロレスにビデオ判定を求めるようだとプロレスを楽しめて無いというか、他のスポーツを見た方が良いと思うんだけど
そもそも勝敗が試合前から決まってるモノを見てるんだし
そういうグレーな部分も全部引っくるめて楽しむのがプロレスでしょ 秋山モスマンに対して小橋のパートナーが志賀だったのはなんでだったの?あれならデビュー間もなかったとはいえ力皇の方が良かったと思う。
三沢が社長になってからノーフィアーの格上げをして、自分は秋山に負けて新世代の底上げをしたし、あの先が見たかった
旧世代と新世代の対決、新世代同士の対決とかありそうで面白そうだったな
あとベタな因縁抗争とかもプロレスにはやっぱり必要だと思った
>>442
旧バーニングvs出て行った秋山の対立だったから志賀がパートナーだったんでしょ
秋山の攻めがエグすぎたし志賀が細くて役不足に見えたけど >>444
ノアになってやっぱり志賀じゃダメだったから菊地を再登板させたのはそれなりに良かった この四天王時代に、大して良いとは思わなかったヤングブラッド兄弟がよく呼ばれているな
SWSができる前はタイトルマッチ、最強タッグの公式戦でも反則、リングアウトなんて日常茶飯事だったのに四天王時代は30分超えは珍しくない。公式戦の30分ドローもしょっちゅうだった。
サブミッション、丸め込みで決まらない。たまには年に2回くらいはリングアウトがあってもいいのに。
結局、面白かったのは四天王プロレスが始まる前の90年5月〜92年だったと思うよ。
四天王プロレスは一撃必殺という概念を無くしてしまった。
>>441
ビデオ判定を求めているのではなくやり過ぎの反則は逆効果ということよ。年に1,2回ならいいけど、レフェリーの足を引っ張るのなんてあまりにも多すぎ。毎回毎回、同じパターンだとしらけちゃうよ。
ノアでの鈴木軍にしたって反則があまりにも酷すぎるから客が物を投げたことも。あれはノア側が負けたことや、鈴木の観客への暴言に対してではなくタイトルマッチをちゃんと見せていないことへの不満だと俺は解釈した。
反則を否定する気はさらさらない。反則するなら上手くやれってこと。 >>441
反則やるのは構わないからちゃんと反則負けを取れって言いたいのよ。
飯塚のアイアンフィンガーはちゃんと一発で反則負けにするのに、何でレフェリーの足を引っ張ってカウント妨害はスルーなんだよって突っ込んじゃうんだよね。
毎回毎回、同じ手段でカウントの妨害されてレフェリーの価値が下がるだけじゃん。ボンバー斎藤なんか「レフェリーいつもなにやってんだ!」ってボロクソに言われてたことあるぞ。
ドームの鈴木vs後藤もセコンドなしのはずなのに、鈴木のセコンドが入ろうとして後藤側のセコンドが止めるシーンあったけど、あれもおかしいんだよね。
タイチたちがリングに入ったらノーセコンドのルールを破ったんだから鈴木の反則負けにする、それでいいのに。
タイチたちがリングに入ろうとするならノーセコンドマッチと設定している意味が全く無いと思うけど。 川田が三沢の後頭部にハイキック
ボコッという音がブラウン管を通じて聞こえてきた
三沢は両手で頭を抑えて前のめりにダウン
そこに川田が助走を付けたニードロップ
見ていてこのシーンはヒヤヒヤしたな
>>438
まさに壮大な回り道というか失われた十年でもあるが 鶴田→(三沢小橋でワンクッション)→秋山
本来これが90年代初頭に馬場の思い描いてた未来なんだよなあ
四天王世代が思いの外当たりすぎちゃって色々狂っちゃったって感じはする
>>444
言いたいことは分かるが、「役不足」という日本語の使い方を間違えているぞ 秋山が控え室に設置されたジャイアントグラムやりながらカメラに「エクスプロイダー!」って叫んだの面白かったわ
長州、天龍、三沢、川田、蝶野、越中とか上に反旗翻して、
自分の存在価値上げてくのがプロレスのセオリーなのに
三沢小橋にはなにも言えず、
格下をいたぶって弱いものイジメしてるんじゃあ、
そりゃ、誰も認めてくれないよ
三沢は鶴田、小橋は格上外人とやりあって名を上げたのに
秋山の時代は馳や小川の試合で見せたような技術で見せる感じになるかと思ったが
とにかく肝心のドームで小橋に勝てなかった時点でその後のノアの運命も決まった印象
勝ちブックおじさんが負けたがらないからなあ
なおかつ四天王の頃の死んでしまうプロレスを
やめようとしないし
単に秋山というだけでなくノアのためにも秋山が勝たなきゃならない試合だったんだよな
もし全日本だったなら間違いなく秋山が勝ってたはず
小橋が膝の怪我で離脱したから秋山時代と小橋時代が逆になったかな
ドームの頃の秋山はすでに丸くなってた気がする
小橋の膝はもうガチで攻めれる状態じゃ無かったし、色々とタイミングも噛み合わなかったね
>>434
腕の取り合いからの客席拍手までの「全日ムーブ」も再現してたな 短い秋山時代のピークといえる永田とのタッグがアジアタッグで再現というのも面白い
>>467
秋山が三沢越えを果たした時に三沢が秋山を
推していくことを決めたと感じた
その後ノアでも秋山が初戦三沢に勝利で
三沢も社長業に専念になるのかなって思ったよ なんかノアの途中で三沢と秋山の関係がおかしくなった印象
>>466
秋山相手に負けブックを呑まなかった小橋が悪い。自分さえ良ければいいのか?小橋は。 秋山のピークは2000年代前半
2005年からは下り坂
>>474
秋山自身の問題だよ。
三沢も小橋も駄目になってるのに逃げ出した男に何が出来るの? 膝が悪いのに自分が頭から落とす技使って相手を危険な目に合わせているのは良くない。
小橋に反感を抱くレスラーもいただろうな。
ノアを逃げ出した後、何の得にもならないのに武藤全日を引き取ったじゃないか
あの時期にめっちゃお金で苦労したんだから赦してやってくれ
今の秋山全日は寄せ集めのフリー天国だけど、NOAHももうそうなってるから実質兄弟みたいな間柄だよ
>>474
2006年辺りに秋山が王者の時に、
小橋の挑戦退けるまでベルト巻かないつもりでいて、
いざ小橋が挑戦する機運が高まってた時に
ガンで欠場だったからね
この時は秋山勝利のブックだったんじゃないかと思ったけど 2000年の三沢vs秋山で秋山が勝った試合はくっそ面白かった
小橋より三沢との試合が面白い
分裂前に川田戦が見れなかったのが残念
小橋も三沢に三冠戦一度も勝たせてもらってないのに
全日なら秋山に勝たせてたってどこに根拠があんのよ
>>476
2004年だったかな、東京ドーム大会。
あの時に限って言えば小橋が寝た方がノア全体のためにも良かったと思う。 三沢、川田vs小橋、秋山とか
四天王vs外国人四天王の8人タッグが
実現しなかったのが心残り
外人四天王って誰だ?
ハンセンベイダーオブライトウィリアムス?
>>487
90年代前半
ハンセン ゴディ ウイリアムス スパイビー
90年代後半
ハンセン ベイダー ウイリアムス オブライト
ハンセンが双方の時代に名前が出てくるのが凄い。 >>488
エースがだらしないからいつまでもハンセンがいるんだろうな。 >>486
三沢が小橋&秋山軍団にリンチされているところに川田が三沢の救出に来て大歓声、タッグ結成なんてやっただろうね。
現代のプロレスではありきたりの展開だけど。先日の飯伏&ケニーのように。 旗揚げ当初はどんな新しいことをやるのだろうかと期待したが、いつのまにか「わざわざ新団体を興してまで見せるほどの団体ではない」になっていた。
「ただ元子から離れただけの団体」になっていたw
「型」を否定したノアに対し「型」を活用して今日まで生き延びた全日本といったところか
>>489
本来ならハンセンのところにエースが入るべきだね。
まあエースがだらしなかったのもあり、ハンセンが凄すぎたのもあり。
若い頃のエースは確かに期待されていた。
ジョニーエースよ、外人の『エース』になれ!
名前だけではなく、堂々たる『エース』へ!
こんな見出しがあった。 >>434
ひとつ技を繰り出せば、ゴロ寝する仕様? >>493
エースはスタナー開発したのは凄い
それ以外は顔以外褒めるところ無いな エースが現役を辞めたのはセンスが無いって自覚もあったろうけど、
エースクラッシャーのせいで腰を痛めたんじゃね
>>495
コブラクラッチスープレックスはカッコよかったろ
危険すぎて誰も受け継がないけどさ コブラクラッチとジョニースパイクは
危険すぎてなあ
三沢、秋山と撃沈されていった強烈な技
メキシカンエースクラッシャーはプロレス界トップレベルのかっこいい大技だろが
>>496
コブラクラッチの元祖はクロファットだぞ チャンピオンカーニバルのウイリアムスvsキマラとかどんな試合内容だったんだろう
とふと考えることがある
昔普通のコブラクラッチをやったのってゴディだっけ?
>>499
クロファットも脳天直下のスープレックス使ってたん? 三沢が99年に三冠 世界タッグ アジアの六冠王になったけど2年後の武藤ほど騒がれなかったな
>>498
見栄えといい、迫力といい最高レベルの技
WWEだったらフィニッシュホールドとして
扱ってくれただろう
今でもアメリカンプロレスならいけるよ
残念だったのは日本という極東の地で全日というコアな
団体の当時世界最高のレーティングだった三沢相手だったこと
三沢はエースに負けられないからね
あの技で寝るわけにはいかなかった >>498
同意できるけど重い奴、田上、オブライトクラスの相手にはできないよね。三沢、秋山ならきれいに受けてくれると思うけど。
>>499>>502
96年3月2日の武道館。カンナムvsエアリアル・アソルトでクロファットのフィニッシュがコブラクラッチスープレックスだったかもしれない。
つまりエースよりクロファットの方が先に使った説がある。 >>500
キマラのシングルは誰とやってもショルダークローを続けるだけで面白くなかったなあ。
相手もキマラとやる時は技が限られるしつまらなくなる。
川田なんてキマラとやる時はパワーボムできないからハイキック一発で終わりとかそんなのばっか。
三沢だとタイガードライバーで決められないからエルボーであっさり終わり。
>>501
92チャンカー横浜の渕戦がコブラクラッチで締め続けてゴディのギブアップ勝ちだった。 スリーパースープレックスもそうだけど絞められながら脳天から着地って危なすぎるな
ある意味ウィリアムスのバックドロップより危険かも
体格差があるから技を出せないのは仕方がないが、
ウィリアムスはキマラにエグいバックドロップ決めてた気がする
エースクラッシャーはでかい奴にも簡単に決められるからいいな
>>503
返上目的のアジアタッグ奪取だったがその代暦は永遠に残る
小川の世界ジュニアと二人で全体タイトル獲得というのも空前絶後か >>493
エースが一番良かったのはそのハンセンと組んだ92年の最強タッグの印象 >>508
ウィリアムスのタイガースープレックスも
危なくてヒヤヒヤした Tドライバー91の初期田上verを見れば
わかるけど、Tスープレックスホールドと
おなじ角度で落としてるよね
それが完全垂直落下式になって
殺人タイガードライバーになっちゃった
ウィリアムスって、技をやらせても危険というか
例えば、菊池が悶絶したドロップキックやその他多数
しかし、技の受け方も上手いのか下手なのか やたらエグイ受けをするんだよねw
ハンセンやゴディのラリアット受けさせたら下手すれば川田より上手いかも
クロファットはウィリアムス以上にトンパチだったな
相手を見て顔面ストレート振り抜いたり、トラースキックを顔面に入れたり
そんなの渕にはやらなかったと思うんだが小川以下のジュニアはボコボコにされてたし
>>515
悶絶したの日三沢じゃなかったか?
ラリアットの受けがうまいのはわかる
あれだけは誰よりもうまい >>515
ウイリアムスは94年の三沢、小橋、川田との三冠戦は良かったが96年に全日に戻ってきてからは劣化が酷かったな。
武藤全日本から切られる直前は見ちゃいられなかった。試合中のアピールもくどかったね。 レス読んでてウィリアムス、オブライト
ゴディ、鶴田、三沢etc
みな死んじまったんだな
>>519
馬場、木村、大熊、永源もな。
要するに百田はしぶといってことだよな。 ファン感で三沢と川田の合体エルボーはなんだかジーンときた。
川田だけじゃないけどエルボーと逆水平と両方使うのはあまり好きじゃないなあ
どっちかに絞ってさらに磨いてくれと思う
白?エルボー非難されてるが
もっと強烈なエルボー撃ち返せばいいじゃないかと思う
>>491
三沢社長時代の全日本の方がいろいろやっていた印象 >>525
ノア1年目は秋山、ノーフィアーがいろいろやっていたから良かったけど2年目からはゼロワン、新日とやることでリーグ戦やらないことをごまかしていた。
「全日−リーグ戦=ノア」って感じだった。マッチメイクは酷い。川畑、雅央、泉田ら冴えない中堅。無意味な6人タッグ。
つまらない小橋の絶対王者路線。
貴重な地上波枠が全然生きていなかった。インディーを中心とした他団体から見たら羨ましかっただろうな。放映料どれだけもらったか正確な金額は知らないけど。 ノアは旗揚げから地上波放送開始前までは面白かった。
高山と秋山の結託、大森が小橋を裏切ったりね。
まだ、コロッセオの中でノア取り上げてた時は、面白そうな期待出来そうな団体に思えた。
その後、日テレで放映始まって秋山が、三沢からGHC取った辺りまでは、期待出来る雰囲気あったんだが。
ドーム大会を2回続けて成功させたから、これで安泰だと変に過信したのかなぁ・・。
一回目のドームの小橋VS秋山は内容良かっただけに。
個人的には1回目のドームの前からつまらなかった。
選手を無駄に増やしてテーマの無い6人タッグ。今、新日本がやっているような前哨戦を詰め込んだものではなく本当に無意味なタッグマッチ。
地上波もあって客も入っていたから経営陣があぐらをかいて気づいた時には手遅れ。
選手なんて急に育つわけないから3年〜5年はかかると思わないといけないのにそれを怠った。
青木たちが5人一気にデビューした時は新日本も低迷していたためフロントに危機感が無かったと思う。
気づいた時には手遅れ。
1回目の全日ドームが酷かったな
当時は「全日がついにドームか!」と感動したけど、今思うと本当にただドームでやっただけだった
ドームトライアルで呼んだ選手やよく分からないカードばかり
秋山vs馳が一番面白くて川田の三沢越えも試合内容はいまいち
あのままじゃ馬場全日に未来は無かったね
>>530
同意。まあただドームでやるだけでも良かったファンもいるだろうし。俺もそのクチかな。
セミの終盤、エースがやられっ放し。ドームのセミなのにパワーファイターの小橋が首固めでフィニッシュw
99年のドームも6人タッグばかりでつまらなかったな。 98年のドーム。ケアvs池田。ウルフ&スミスvs邪道&外道。
ケアが世界ジュニア。ウルフ&スミスはアジアタッグ持っていたと思うけど、ドームなのに何でタイトル戦やらないんだろうね。
ウイリアムスと猪木のアレは猪木が下手くそなだけだったな
あんあのは猪木と高橋の責任
あんなに外れのなかった鉄板カードの三沢川田が何で1回目のドームじゃあんな味気ないことになったんだろう
馬場も「まああの2人で滑ることはないだろう」という算段であのカードを初ドームのメインにしたんだろうし
>>530
全日がドーム進出って話題性に騙されたよなぁ
あの対戦カードで58000人発表は逆に凄いけどさ
正にご祝儀興行だったよ 田上とグラジの初絡みはシングルくらいやっても良かったと思うけどな
100歩譲って4人のタッグ
大森井上保坂黒田が絡んじゃ一気にうっすいカードになっちゃうだろ
>>534
病気に関係なく能力もチャンスも活かしきれなかったように思う。
ドーム大会が成功して
これから正念場って時に、泉田や川畑の「ノアヘルスクラブ」と遊んだり
みのるともシングルで対戦したが、ノア内フリーと言うならみのると組んで若手と戦って鍛えてやっても良かったし、団体の底上げも考えたり
いろいろやるべき事があったはず。
スレチなノアの話になって申し訳ないが。 三沢川田はさすがにドームって事で期待値が高くなりすぎてたかな
96年、97年と同じくらいの試合内容だったように思うし武道館なら満足できたかも
>>535
川田はコンディションばっちり作ってたけど
三沢はボロボロだったのもあるんじゃない?
あの試合を最後に2シリーズ欠場したし 川田の例のマイクがあっただけでお腹いっぱいだわ
「人生で一番幸せです、今が!」
98年ドームの三沢vs川田はあれでいいんじゃないかな、それまでの試合が凄すぎただけで。個人的には大技をカウント2.9で返し続けるプロレスって好きじゃない。そういうのはいつか飽きる時が来る。
もっと凄いものを見せようとするなら結局は場外への落とし合い、技術がいらないスタントマンプロレスになる。
>>542
もう20年も前の事だし、20年前にそれを言えてたかって話だな
今になって飽きましたは結果論で誰でも言える
三沢と川田の試合はフィニッシュまでの感情出したシバキ合いが面白かったし
三沢小橋にはそれが無かった >>530
身内優遇で、小橋、エースを勝たせるとかもひどかったな
自分たちが勝つことしか考えないで、
星返さないんじゃ、誰もでてくれないし、
普段通りとかいうしょうもない6人タッグでお茶濁すしかないよな 20年前の試合によく言えるよな
当時はどうしてたんだおまいらw
>>543
試合への好みは人それぞれなんだけど川田も「三沢vs小橋を凄いとは思わない」と言っていて、それには同意した。三沢vs小橋と三沢vs川田って別物だと思う。
俺は全日ファンの中でも四天王プロレスに対して飽きるのが早かっただけ。 三沢ハンセンウイリアムス川田あたりがバチバチやってた95年くらいまでは面白かったけど
小橋の台頭とともに飽きてきた感はあったな
小橋のプロレスってアスリート性が強すぎてどれ見ても同じ印象なのがよくない
ノーフィアーと感情むき出してやってた時代は例外的に好きだけど
小橋の試合はどれも同じだからな
技も丁寧にやらんしな
人それぞれだなあ
俺は三沢×川田が早い段階で飽きてたんで、
殺人医師との三冠挑戦者決定戦から小橋が台頭してきたのが嬉しくてよく応援に行ったもんだ
小橋のプロレスって分かりやすいんだけど、メチャクチャ鍛えた奴のプロレスごっこって感じ
結局、馬場が鎖国して毎回同じような顔触れで三冠やるしかないって状況で良く頑張ったと思うよ
ただやっぱプロレスにクリーンさやアスリート性のみを求めるのは無理なんだよな
バーニング対ノーフィアーみたいに遺恨って味付けを少ししただけで一気に面白くなったし
>>551
分かりやすいね
ホントその通りかも
馬場がプロレス的なアングルを上手く使わずただ鎖国したのは四天王にとって辛かっただろうね けっこう俺と同じ意見が多い。小橋って90年〜92年くらいは良かったけど台頭してからは試合がつまらなくなった感じ。ただの力自慢ていうか。
他の人同様、99年10月のノーフィアーとの舌戦や2000年の高山との三冠戦とその前後は良かった。
それまではリング外の舌戦がほぼ無かったからね。
G+激闘の記憶見たんだろ
秋山のレスリングムーヴに
当たり前のように反応するホークウォリアー
エルボー撃ち合うよりこういう攻防のほうが面白い
秋山は馳とも濃密な試合してる
秋山は速攻で決めたり丸め込みで決めたりと四天王との違いを見せていたのは良かったな。
ビッグ・ブーバー相手にダイビングギロチンあたりで決めてた時代の小橋は好きだったな
ローリングクレイドルにオレンジクラッシュなんかも颯爽としてて印象深い
>>542
見慣れた武道館でなくドームでやった事で逆に今までにないフレッシュな魅力を感じた
オーロラビジョンで足四の字に耐える表情が映ったり
しかしなんといっても特筆はジャンピングハイキック
大空間のドームを意識した事もあったろうが独特の照明の当て方もあってまるで宇宙遊泳でも
しているような浮遊感
そして三年前の世界タッグ勝利をも思わせる絶妙の勝利後インタビュー
とにかくその後においても三沢や小橋が負けた事や選ばれなかった事でグチりまくったおかげで価値がむしろ高まった印象
もしあそこで川田が勝っていなければ後の分裂後の全日本や川田の価値や位置もかなり違っていたはず >>554
小橋についてはやはりオレンジのコスチュームでスナイパーのテーマでジャンピングインのイメージ 小橋はお涙ちょうだいの臭さがよかった
三沢とタッグ組んだ時は川田田上組の猛攻に
身を呈してかばったりw
ウィリアムスとの三冠挑戦権マッチでは
BDドライバーくらって必死に立ち上がって
ロープにしがみついたり
それがキャリアを経て秋山と組んで闘ったエースガン組との
タッグマッチでは小橋がカットに入ると会場からブーイングの嵐
客もわかってるよね、秋山が仕掛けようとするタッグの攻撃に
小橋は乗り遅れてひとりでワンマンマッチをしてるんだよ
エースガンの方がガンガンツープラトンと早いタッチワークで
魅せてた
秋山は三沢と組んでた時の方が活き活きしてたな
彼の閃きが三沢を通して会場に伝わってたしね
小橋が鶴田や田上くらいのサイズだったらなあ。
でもそうなれば動きが遅いかも。
あのスタイルならもう少し小さいほうがいい
でかいとしょっぱさが目立つ
デカイと強くて当然、ってイメージあるよね
実際はデカくてもしょっぱいレスラーもたくさんいたし
>>562若手時代はそのしょっぱさと一生懸命さが良かったんだけどね
格もサイズも上の選手相手にバタバタしながら真っ向から向かっていく姿に熱くなれた ノア時代になるけど、大森を血祭りにあげた試合は好きだった。 もっとああいう鬼になった小橋が見てみたかった
そういやGKの本に2回目のドームで川田と橋本のシングルが組まれそうになったけど元子が却下したって書いてあったな。実現したら橋本もまだギリ全盛期だったし名勝負になってたかな。
>>567
タッグで2回くらい当たってからシングルやった方が本人同士もやりやすいんじゃないかな。
あと興行面、収益面でもその方が良くない?
あの時のドームに限って言えば直前がチャンカーだから前哨戦がやり辛い状況だけど。 97年10月の川田vs高山のシングルまでの過程はあれで良かったと思う。
確か7月の下旬から高山が来てタッグマッチばかり組んで10月に川田とシングル。
準備期間を設けた方が戦う選手もやりやすいんじゃないかな。リングの感触とかロープの高さも団体によって少し違うしね。
元子がもっと早くいなくなってたらもうちょっと良いカード組めてたんだろうなあ
>>568
川田と武藤の初シングルも前哨戦一切なしでいきなり名勝負になったからいけると思うわ。オブライトともそうだったし >>571
川田は不器用を装っているようで実は器用なのかもね。 >>520
しぶとい?
お前って人間のクズだな
お前なんか今すぐ死ねや
みんな喜ぶぞ >>572
寡黙なのは装ってるけど不器用さを装ってないしむしろプロレス界上位の上手さだと思うが >>571
全日本の四天王と新日本の三銃士としての唯一の実現カードだったんだよな 川田は実はお喋り好きだし、三沢に下手と酷評されてたが三沢より全然プロレス上手いよ!
もし三沢がいなかったら鶴田の後は川田がエースだったのかな
川田にツンツンしてる三沢
三沢にウザがられながら好く川田
この関係めちゃくちゃ好きだった
あの二人の関係はファンには理解できない次元にあるんだなと思った
川田は「技をきれいに決めることよりも気持ちの方が大切」という意味のコメントをしていたことがあったから器用ではないアピールかと思ったけど名勝負は多い気がする。
92年6月5日、武道館のハンセン戦がそうだけど技に頼らずに正面からぶつかるだけでも良い試合になることを証明した。
今更だけど川田ってすげえや。
三沢いわく「川田は本当は器用で何でもできるくせに、不器用キャラを装うから、イライラするんだんよね」
>>577サイズ的にもキャラ的にも馬場好みじゃないからエースにはなれなかっただろうね
三沢がいなかったら前提だと田上と抗争して田上が格上になってから小橋の壁→小橋が川田超えで田上に挑戦って感じになったんじゃないか?
で次は秋山の壁 93年の三冠で三沢が川田に投げっぱなしジャーマン解禁して、次のシリーズの開幕戦では川田が三沢にやり返した
そこまでは投げっぱなしジャーマンは特別な技だったけど、小橋が使って果てには田上まで使っちゃったのが残念だった
投げっぱなしジャーマンを四天王みんなが使い始めて、繋ぎ技として格下げされちゃったと思う
川田と小橋は急角度バックドロップあったし、田上にはスープレックス系じゃなくて別の技を開発して欲しかったわ
>>582
三沢のフェイスロックに歓声が起きなくなったり、エメフロが一発で決まらなくなったり、そういうのってプロレス技ではけっこうあるんだよね。
秋山のエクスプロイダーだって永田は繋ぎ技にしちゃったもんなあ。 秋山はナガタロック貰ってたけどあんな本人すらもあまり使わなくなったイマイチな技と
必殺技として説得力抜群のエクスプロイダーを交換って不公平だよなあ
その印象もあって秋山永田の友情ストーリーは未だのり切れない
永田はエクスプロイダーまでなら別にいいけど秋山が試合を決める時にしか使わないリストクラッチ式まで繋ぎ技感覚で使い出したのはどうかと思うわ
そのへんはセンスが出るな
小橋の大技インフレにはうんざりしてたわ
20年間必殺技の地位にあったウエスタンラリアットって偉大だな
>>587
99年の地方興行で小橋が何かの前哨戦でもないのに三沢にオレンジクラッシュ決めたけどフィニッシュになるわけでもなかった。
改めて小橋ってセンス無いなと思った。 小橋が新日ドームで蝶野にハーフネルソン連発したのは
会場もドン引きだったな
小橋の真骨頂ってヤラレっぷりにあるしね。川田もそうだけど
>>590
地方でのそういう意外な勝ちって他にもありそう
全日はリーグ戦でも無い限り番狂わせ的な試合が少なすぎたから、地方での意外な勝敗を全部知りたいくらいだ 小橋は自身の技のインフレ化もそうだけど相手の技も返しすぎ
川田や田上はジャーマンで負けたりしてたけどそういうのもないし
タイガードライバー91もエメフロも返すようになったのは小橋からだろ
>>593
その時だけじゃないけどオレンジクラッシュがフィニッシュにならなかった試合は他にもあった。
>>594
同意。小橋が一撃必殺を失くしてしまった。ハンセンがラリアット一発で決めるのに、小橋は四発くらい打つこともあったしな。 小橋は技の入りのセンスがない
ストレッチボムとかもよいしょよいしょって感じで
固めてからポイって投げる
三沢がラリアットをよけて相手の勢いを利用して
背後から固めてタイガースープレックスをしたり
ウィリアムスがエルボーをかわして半回転した相手の体を
掴んでそのままデンジャラスBDといったハッとする
美しい流れが皆無
>>578
高校生活含めたら(時間で考えると)親兄弟以上に一緒に居たんじゃない?って三沢が言う位だからな 川田が三沢の死後ゆっくりと何もなかったかのように一線引いていったのが象徴してるよな
川田にとってプロレスとは三沢そのものだったんじゃないのかと
実際インタビューで「三沢さんが亡くなってリングにあがる気力がなくなった」って言ってたね
三沢、川田、小橋は特にウイリアムスのデンジャラスバックドロップを食らっていた気がする。
三沢が亡くなったらリングに上がる気を無くすのも当然だと思う。いくらプロレスラーとしての地位があっても死んだらおしまいだもんな。
>>597
ある意味ではBIにも匹敵するような関係なんだよな 北斗だって「昔はリング上で死んでもいい」と思っていたけど友達が亡くなった時に遺族が哀しんでいるのを見て考えが変わったらしい。
「死んでもいい」と思ってリングに上がる奴はプロレスをやる資格は無い。そのようなことを言っていた。
川田も三沢の死で命の大切さに再認識したと思う。
猪木がチョークスリーパーを見せ始めたように三沢はフェースロックで見せる形に持っていくべきだったんだよな
>>603
もしくはローリングエルボーの16文キック化 平成後のドリーみたいになっていくと思ったんだが
最後のGHC返り咲きはやはり無茶だった
三沢みたいに実績がある選手はタイトルに絡まないでリングに上がるだけで良いと思うんだよね。
百田がライガーと両国でタイトルマッチやった時、確かライガーに垂直落下式ブレンやったと思うけど百田にそんなことやっていいのかwと驚いたわ。
観ている方の体に悪いわw
スパルタンXを鳴らせてくれれば休憩前でも十分に持っていけば良かったのに
四天王って馬場よりも衰えるの早かったね
全員が元気なうちに
「三沢百田若手VS田上永源若手」
みたいな感じにスライド出来なかったかな
>>594
ほんこれ
小橋がいなかったら四天王プロレス=垂直落下合戦にはなってなかったと思う
やっぱりセンスの無い小橋とウイリアムスがダメだわ
鶴田とゴディがフェードアウトしたのが本当に痛かった 川田には三沢との思い出を綴った本を書いてほしいんだけどね
>>596
ムーンサルトやる時のコーナーの登りかたもモッサリしてたよなぁ
武藤の入りが神すぎるから余計にね 往復キチンシンクからの河津落としがセンスのなさを象徴してた
小橋はいろいろ技使ってたけど、
全部様にならないんだよ
技の見せ方は最後までみにつかなかった
技の見せ方というか小橋はセンスや運動神経ゼロな感じ
ただそんな小橋が努力だけで駆け上がったからこそ
ファンは心から応援できたんだよな
トップになるまでが小橋の真骨頂なんだが
そこにしがみついちゃったからなぁ…
小橋の技は逆水平ひとつとっても健介の方がしっかり腰を落として打っててカッコよく見えるんだよなぁ
>>615
フォームは小橋のほうが良いよ。
健介は手打ちだ。 >>614
トップになってからは本当につまらんかった
全然寝ないしな 負ければ偉いってもんかね?
小橋は勝ちと引き換えに相手の技を受けまくってた
おかげで体ボロボロになったけど
馳みたいに負けるから好き勝手やるスタイルの方が受け付けんな俺は
99年ドームの馳はクソだったな
すっぽ抜けの危険な裏投げやら腕攻めやら散々やって受けた技は本当に僅か
川田が怪我明けだったのもあったけど、あの目立ちたい精神にはイラッと来たわ
ジャンピングハイキックを真正面から受けてるのは良かったよ
>>618
負ければ偉いんじゃなくて負けないとダメなときってあるんだよ
ハンセンにしても小橋のラリアットを認知させるためや格上げのために小橋に何回も寝てくれた
それを後輩にしてやれよって話 >>618
馳を受け付けないのは俺も同じだ
ただトロントの池に突き落とされたのはよくやったと思うけどな >>615
それはどうだろう
小橋健介ノアの時はもう膝がボロボロで
下半身が使えない頃だからね
オレンジ中期なら素晴らしい水平チョップ打ってると思う >>608
やってたけど結局潮崎の格を上げる為に一肌脱いだのが運の尽き(四天王…と言うか三沢と小橋が居ないとチケット売れないタニマチの顔向け)だった感じじゃない
所属じゃない他団体の柴田勝頼が潮崎に苛立ち見せてたけど、三沢が五体不満足でも何とかしようとしてたのに離脱→復帰したけど何もないと言う恩を仇で返してる現状かつ劣化小橋のままなのが悲しい話だが 小橋が寝ないからダメ、とか何を頓珍漢な話してるんだか。あの頃チケット買って武道館に足を運んだ客の大半は、勝つ小橋が見たかったんだから、あれで正解なんだよ。
>>621
ある程度やっておくべき世代闘争全く無かったのと、力皇の格上げしたけど、当の力皇がその他のNOAH特有の無色チャンピオンになって結局田上→秋山→丸藤→三沢って丸藤除いて元の面子に戻った位だから
そこは小橋だけの責任でもない 小橋が負けないのは三沢や周りの意向もあっただろうし小橋だけを責めてもね
でも受けきって勝つスタイルは度を越すとインフレ化に拍車をかけることになっちゃうからなぁ
三沢は小橋に勝つ試合じゃバーニングハンマーを受けずに勝ったりしてるしそういう割り切りは必要かもしれん
全日の伝統的に団体の顔は簡単に寝るってあんまり無いんじゃなかったかな
それこそ馬場→鶴田→三沢→小橋の間で格落ち無いリングアウト負け除くとフォール負けって無かった
馬場PWF38度防衛とか陥落したカマタ戦も馬場の暴走による反則勝ちだけど、あれも今なら批判されてるのかと思う
肯定派の言い分もわかるから単なる俺の意見に過ぎないんだけど、小橋が強すぎてノアへの興味が薄れたのは事実。
それは今のオカダ長期政権も同じ。
「他のレスラーだと客が呼ばないから」という意見もわかる。
ただ勝負を見ているから「どうせ小橋が勝つんだろうな」「どうせオカダが勝つんだろうな」という1強、長期政権が嫌なんだよね。
プロ野球でいうソフトバンクが強すぎて面白くないのと同じ。
小橋だけを責めるのもフェアではないので小橋側の立場で考えると、小橋の三冠初挑戦は94年9月。
それまでは凄い試合をしていたのに、なかなか勝たせてもらえない、三冠挑戦もさせてもらえない。
小橋が負けブックを呑まないのはそういう辛い経験があると思う。
もし93年以前にネットが浸透していたら「何で小橋に挑戦させないんだ?」という声が多かったと思う。
>>629は>>542の人だよね?
何かこの人は話が噛み合わないなと思ったら、四天王&ノア時代をリアルタイムで語ってる感じがするからか
そりゃ今もプロレス見てるならそうなっちゃうのかな
納得した >>629
勝負を見てるって…プロレス見るのに向いて無いのでは?
三冠もGHCも小橋対高山が組まれた時はワクワクしたけどな
どっちも小橋が負ける流れでは無かったけどさ
プロレスは勝ち負けより試合内容じゃないの? 小橋が批判されてるのはそれがあくまでその場その場での小橋の絶対ブランド化に留まりノア全体の長期的な活性化につながらなかった点
だから小橋の引退興行をもってノアも泡沫化する
自分で絶対王者のブック書くのなら自分が団体作れば良かったのにね。
吉村・小鉄・渕みたいに普通ならマッチメーカーを努めるレスラーはあそこまで表に出ない
ノアの場合キャリア的には小川あたりがやるべきだったんだろうがそこまでの能力と人望が無かったところか
小橋の場合は大仁田みたいなオーナーでもないのにそれをやってしまったのが異例
もちろんそれを最終的に認めたのは三沢なんだがその辺りの事情も気になる
以前には小橋派がノアを割る可能性もあったという記事もあったが
>>625
お前の意見をさもみんなの意見みたいに言うなよ
俺は勝つ小橋を期待したことは無いしトップの器でも無いと思ってる
特にハンセン田上組に勝ったときの最強タッグはひどいわ
四天王時代になって面白くなくなったのも小橋が相手の技を返しまくって勝つようになったからだな >>632
どちらが勝つかわからない試合を観たいんだよね。ノア時代の話になるけど彰俊、佐野、ヨネなんかが挑戦したって王者防衛になるとわかりきっているから防衛回数を増やすだけの無意味な試合になる。
「勝ち負けより内容」という点は一部同意。ノアでの小橋vs高山にはあまり関心なかったが、全日の2000年の小橋vs高山は良かった。
予想通り小橋防衛という結果ではあったけど戦前の高山の煽りのコメントといい、それまでのありきたりな三冠戦の内容にはならなかったのが新鮮で良かった。 >>609そのセンスのない二人がやった次期挑戦者決定戦が凄い試合で後の垂直落下2,9四天王プロレスの礎ってのも皮肉だな >>638
まさにセンスのないプロレスの幕開けって感じ
確かに皮肉だわな そもそも関節技できるの?あいつ(笑)
力任せに引っ張ったりつねったりしか出来なさそうw
>>636
ハンセン&田上は勝たせたら良かったと思う反面、勝った所で丸藤に勝った三沢路線になるだけにしか見えないから
あれが最善だった様に思うがね
ファンが飽きたないし予定調和を見たくないって理由だけとか、カタルシスだけの為に勝たせた後って嫌な話それで満足して終わりになるからな
ファンは先を考えなくても良いし、飽きたら見ないで良いんだか
団体は先の事まで考えなきゃならんのだから、あそこでハンセン&田上に勝たせるのはナンセンスだし
寧ろ負けたからこそ語り継がれる形になってる様に思うから、あれは正解だと思う 個人的に当時小橋に嫌な感情抱く理由の一つがドームで悲願の三沢超えを果たした川田に感情移入した矢先に冷や水吹っ掛ける様な形で三冠奪取したのが、本気であの当時は許せなかったな
と言う意味で反・小橋は親・川田なんじゃないかと仮説立てしておく
四天王スタイル確立前の川田vs小橋も結構面白かったんだよな。
三沢vs川田みたいに感情剥き出しな展開も見られたし、いい意味で粗削りな所も良かった。
自分大好きだから、引退(解雇)後は誰からも見向きもされずにGHCのレプリカ(笑)肩にかけて新日本に営業かけて恥かいてるもんなw
>>645
欠場中の三沢が「川田は王者としての責任を果たしてない(地方巡業など)」みたいなこと言ってて、
初防衛失敗のブックだからね。
川田がふてくされて、しばらくノーコメントになったのもよくわかる。 >>629
誰が勝つかわからないけど、ピンチに逢いながらチャンピオンが勝つ!ってのが一番面白いと思うけどね。
単に誰が勝つかわからない路線が好きということは、新日で三銃士以降の時代のファンなんだろうな。
力道山時代から、馬場、猪木と基本的には絶対王者のスタイルが日本のプロレスなんだが。
全日は鶴田、三沢、小橋と、その路線をずっと守ってきたのにね。
オールドファンからすれば、格の曖昧なプロレスなんか面白さ半減だわ。 後期全日でもノアでもニック・ボックウィンクルみたいなチャンピオンが見たかった
小川でもしかしたらって思ったけど…
権力を得ると人間駄目になることを三沢と小橋で実感したな。
熱いねえ、皆引退してるのに今でもこれだけの情熱があるのは羨ましい
当時、語れる相手がいなかった反動なのかな?
バカだねえ
当時を今振り返って皆が意見を出してんだよ
当時は熱狂の中で客観的に見られなかった部分もあるからな
>>647
鉄道マニヤみたい(笑)
不測の事態が起きるとパニックになるタイプw >>642>>645>>646
小橋が負けブック呑まなかったやつな。
当時は何で川田はコメント出さないんだろ?と思っていたけど、あれじゃノーコメント貫くのもわかるわ。
小橋って自分のことしか考えてないんだろ。 >>642
>>653
それ決めたのは小橋でも川田でも無いだろ…
勝ちたかったら馬場に胡麻するかグッズ売上やチケット売上に反映しなきゃ無理だろうよ。
何でも小橋を悪く言えば分かってるとでも思ってるのか? >>650
90年代はネット環境が無かったんで語れる相手がいなかったのは的を射た指摘。 >>654
小橋が駄々をこねて負けブックを呑まなかったんだよ。 >>656
馬場が小橋の駄々なんかで決定するかよ… 3月27日の長岡、チャンカーの公式戦で小橋はラリアットで川田に勝ったんだよ。
予定では川田が6月の武道館で小橋に勝って星を返してもらうはずだった。
>>658
それお前の妄想やんけ
馬場が三沢にドーム後休めと言っても三沢は休もうとしなかった
三沢は「休んでる間、小橋に任してくれるなら」という条件を出して休む事になっただろ >>659>>660
まあ信じたくないなら信じなくていいよ。 川田ファン相変わらず痛いな…
時が経っても思い出とならず怨念化してる感じがたまらねえ…
そして思い出される川田復帰戦のカードが突然vs小橋のシングルという謎カード
>>664
ただ、阪神大震災の丸5年と言う日だったから。 >>664
あれは元子の独断だったらしいね
元子に三沢と川田が呼ばれ「川田君の復帰戦は小橋君で」と告げられる
無言でうつむく川田に「よかったら俺がやろうか?」と三沢が聞くも川田は戸惑い気味
沈黙が続く部屋で元子が「だったらあんた達で勝手に決めろ」とキレて出て行ったというね
オーナーがヒス起こしてどうすんだよって話だよ 三沢なりの気遣いだろうがでもvs三沢が復帰戦ってのもしんどいなww
テキトーに川田田上vs小橋志賀くらいで良かったんじゃないか
三沢も川田復帰戦は様子見でタッグや6人タッグと思ってた所に、川田対小橋と元子に言われたんじゃないっけ?
川田も小橋もやりづらいだろうからそれなら俺が、と言った気がする
つか川田が本で書いてたと思うけど休んでる間は給料出ないし、早く復帰するしかなかったってブラックすぎるわな
>>662
川田ファンてどのレスに対して言ってんのかわからないからアンカー付けてくれないか? >>662
「川田寄りの発言=川田ファン」ならそれは大間違い。
お前は「中立」という言葉の意味を知らないのか? 四天王対決で復帰戦組みたいなら久々のvs田上で良かっただろ
で試合後に握手して「また世界タッグ狙おう!」とでも言っとけばドラマ性もあるし
>>670
お前はまずワッチョイ変えたりID変えたりして書き込む所からやめろ
お前によると小橋が駄々こねて負けを嫌がったとか、CC予選で川田に勝ったから武道館では小橋が星を返す予定だったとか書いてるがソースは?
噂でもいいからソースを出してみろ
やってる事、書いてる事の全てがみみっちい
以上。 馬場の存命中に一選手がブックに口出せるわけないわ
当時の川田と小橋だと格が一枚違うんだから星返すもクソもないし
単純に小橋の売り出しと川田のキャラを考えての王座移動でしかなかったと思うわ
あと川田ファンと小橋ファンが対立しがちなのは当たり前
プロレススタイルも思想も経歴も真逆と言っていいほど違うんだから
そう考えたら誰とでも仲の良い田上さんって素敵ですわ
田上と川田の三冠だけは噛み合わんかったね
一回しかやってなくない?
あれは謎だった
逆だろ、田上は誰とでも仲が良いわけじゃなくて、誰とでも付き合うが深い交友関係を結ぶまでにはならない
つまり広く浅くのタイプ
秋山にサソリをがっちり決められてロープに逃れたわけでもないのに何故か京平が技を解かせて
小橋にギブアップと聞くとかそんなおかしなことやってまで小橋に無理矢理勝たせようとするぐらい
当時の全日はおかしかった。
>>666
>>667
三沢は初めから復帰戦が小橋とのシングルはキツイと判断して川田に助け舟を出した。
それが「代わりに俺がやろうか」だったと思う。
当時はどっちもキツイじゃんと思ったが三沢ならば上手いこと(小橋よりは)試合をまとめられそうだし、逆に三沢対小橋というカードの意味もあったのかも。
川田は川田でオーナーと三沢に挟まれて何も言えなくなるしw >>675
対立してた頃はレスラーたちが引くくらい川田が田上に目茶苦茶してたから面白かった。
それがタッグ組んで仲良くなって、尚かつ自分(川田)の負けとなってテンション落ちたんだろうなあ。
田上と組む際に馬場に田上の下でやってもらうと言われて、そうは行くかと気を張ってた所が実際にそういう結果が言い渡されてやる気が落ちたんだろう。
三沢も田上に負けた時は怒ってたからなぁ。
俺は負けたと思ってねーからとか言ってたと思う。 >>677
秋山があれだけマジで膝攻めすると思わなかった京平のアドリブじゃん
そりゃ小橋勝ちで決まってる試合なんだから、レフェリーとして京平のナイスアドリブだわ >>679
名勝負の鉄板だった川田vsハンセンも川田が三冠を渡す試合ではびっくりするくらい素っ気ない試合だったもんなぁ
川田は三沢と小橋との対戦ならほぼ外れは無かったのに >>681
川田って秋山とは噛み合った試合できてたの? >>681
川田は好き勝手に出来る試合(勝ち試合や田上や格下相手)か初対決(特に勝ち試合)で本領発揮するタイプ。
秋山相手に好き勝手してたら解説の馬場が流石に駄目出ししてた。 >>684
あれはプロとしてやってはいけないレベルだったね。 >>681
あれはハンセンがもうコンディション悪かったからな
力の無いラリアット見て切なくなった >>636
ハンセンベンダーに勝った時のも酷かった。
小橋一人よりも、小橋秋山チームが酷かった記憶がある。
チームワークもくそもなく、交互に大技出しているだけ、という。
>>655
ネットあったよ。全日の公式掲示板がよく荒れていた。 >>616
ドームの小橋ー健介見てると
チョップの打ち合いの終盤は健介がバテてたのか、単に手を押し付けてるだけになってたな
まぁ力はあるからそれなりに絵にはなってたけどw >>688
そう、柔軟なフォームから打っているのは小橋、手打ちで全力が健介。
はじめ撃ち方の所為で小橋が押されて見えたものの小橋もそれに順応して互角に。
あのチョップ耐久戦をしたから小橋が総合的に上と明白になった。 小橋のチョップこそ手打ちじゃないか?
体重乗ってるなあと思うのは天龍、川田、馳、クロファットかなー
マシンガンは手打ち気味だけど、それ以外はそれほど変わらないし
そのマシンガンも体重の乗せ方自体は上手くやってた(当てた反動を利用しながら腰を使って打つ)のと、なるべく上から振り下ろす様にして音が鳴りやすい様に工夫はしてたので
ただ真似た(ただ水平に打った)だけの健介の方が凄まじく手打ち
同様に取り入れた小島の方がまだ打ち方理解してる
>>690
今ドーム戦見たら小橋も健介も普通に打つ場合には変わらなかった。
手打ちってのは中西みたいのだろう?
理想形は丸藤位身体のしなりを使ったチョップだろうけどいかんせん威力が小橋らから落ちるし、場面場面で常にあんなに大きく打ってはいられないよ。 そういや田上って水平チョップしないよな
やったら様になりそうなのに
>>692
中西は手打ちだったな
ラリアットもだけどあのでかい身体を全く活かせてないな >>691
小島のはネコチョップにしか見えんかったわ、つーかバカみたいだった >>682ノーTVだった後楽園での川田対秋山の(初?)シングル観たが凄かった
若手の秋山を一方的に攻めるかとおもったら秋山が寝技で足殺しにいって逆に川田がアップアップだった
最後は川田がやたら硬い打撃入れまくって頭つかんで思い切り膝顔面に入れて勝ったが当時の全日後楽園であんなにゴツゴツした試合は珍しかったから圧倒された
噛み合ったかっていうと全く噛み合っでなかったが川田はそうゆう試合の方が面白い気がする >>683オブライトとは二戦目の負けた試合の方が面白くなかった? >>697
俺の中では白熱する事を期待したんだけどオブライトが怒った為なのか川田が一方的にとっちめられてるだけでガッカリした記憶。
川田はu系相手に挑発すると実際には自分が対応出来ない事が分かっていつもそうなるんだよな。 >>698俺はインター時代のオブライトが好きだったのもあって全日きてから遠慮気味でしょっぱいオブライトにがっかりしてたから、二戦目でオブライトの強さやど迫力を引き出したって意味で「さすが川田!」って思ったけどな
ハンセンとも92年6月のがベストバウトだし、川田は強いヤツにボロボロにされる試合が好きだな >>688
ドームのチョップ合戦、見てて眠くなったのは俺だけ? >>699
引き出したというよりはボコボコにされただけなんだよなぁ…
川田はUスタイルで来るオブライト、高山、垣原相手にUスタイルで応戦、あわよくばプロレスでねじ伏せる事を考えていたと思うんだよね。
客もそれを期待していたと思うし。 >>698
高山とのシングルは挑発するべきじゃなかったな
Uスタイルで来い=そのスタイルで応戦してやるだと思ってたのに
打撃に背中向けたのは弱くみえたし頂けなかった
それ以来、高山の名前を全く出さなくなったのも残念だったわ >>702
川田は全日道場でシュートやら打撃をやって自信はあったんだろう。
ただUでもとりわけインターは打撃のプロやら寝技のエキスパートを呼んで練習してたから勝てるわけがなかった。
プロレスで耐久戦すれば全日系が勝つけど(ガチンコとかではなくてね)シュートスタイルは厳しいよ。
Uインターは当時のプロレス界で一番強かったろうからね。 というか高山が強すぎるんだよ
ノアの小橋戦で意識飛んで小橋をボコボコにしたけど
プロレスを意識しなければ彼は全勝だよ
>>700
俺は笑えてきたわ
あんなくだらない試合はなかなかお目にかかれない
>>704
そもそも体格差がえげつないからガチ気味にやるとそうなるわな >>704
お、知ってるねw
高山は時々スイッチを入れる時があるんだけど、それは三沢戦と小橋戦でもあった。
じゃあ三沢と小橋はどう対処したか?
プロレスの技として普通に受けるんだわ。
勿論強い当たりを入れてくるからセールではない生のリアクションなんだけどね。
受けで処理する三沢、小橋。
受けないで逃げる武藤。
挑発してどうにもならなくなる川田と色々なんだよね。 三沢と小橋はプロレスにプライド持ってやってるから受け攻め自在に出して流れを引き寄せる。
これがプロレスなんか…とか、シュートに重きを持ってる人は怒り出して試合を壊す。
三沢らは受けきった後にプロレスの流れで自然にカウンターかませて違和感なく試合を継続させる。
それは高山の強さも三沢、小橋の強さも見せられるしね。
高山の個性を殺さずにトップレスラーに引き上げたのは三沢と小橋。
今現在のノアでチョップが上手いのは潮崎と丸藤だね
丸藤のはホント鞭って感じ
彼らのチョップで相手選手の胸が真っ赤になるのは素晴らしい
>>616
いやいや、手打ちじゃなくとも小橋のはもっと腰を落として体重を乗せるように打てばさらに説得力があると思ったよ
確かに小橋のは切りつけるようなチョップで天龍や健介のは打ち砕くようなチョップだったけどね >>709
彼らで打ち合うパターンがあるから見比べればよいよ。
同じペースで打ち合う所でフォームに優劣つける差はない。 田上は高山の固めの打撃にも背中向けなかったもんなぁ
やっぱ力士って鍛え方が全然違うんだなって思ったわ
>>673
野球出身の馬場としては川田を中継ぎのショートリリーフみたいに考えていただろうな
いわば興行上のアクセントといった感じで後に馳は寿司の中のワサビと表現
だから武道館メイン登場もチャンカー優勝も三沢より先にしたりで
川田も当時は不満だったろうが後にはとにかく「初ドームでの三沢からの三冠初奪取」自体に一番の価値があると考え直して黙った印象
その後に三沢や小橋がクドクド書きなぐってるのと比較しても
あの馬場ですらNWA王者でいたのはそれぞれ一週間程度だがとにかく取った事自体に一番の価値があるといった具合に 体格(上背)小さい、実際丸藤よりちょいデカい位なのに体格信仰の強かった当時の全日本で三冠取れたのは偉業っちゃ偉業
だから馬場は身体小さくても評価したし、身体小さいからあそこ迄だった様に思う
田上に真っ先に三沢超えさせた位だから、基本的に大きい奴に甘い
当時の四天王に対する馬場のバランス政策ってのは今から見ると実に絶妙なんだよな
基本的に三沢のエース路線を基軸としつつ川田を所々で先行させたりして
あと勝てなかったにしても三沢の挑戦を受ける形を取らせたのは小橋だけ
野心の少ない田上については他の三人の調整役として使った感じで
川田、初のシングル三沢越えをCC決勝戦の三つ巴(三沢2試合目)で消化したのは数少ない失態
その後の三冠戦ではまた三沢が勝ってるんだよな
そして完全な三沢越えは翌年のドームで感動の達成
とにかく川田の三沢越えってのは上手く段階をたどっている印象
最初は95年の世界タッグで次は97年のハンデ戦
そして98年のドームで堂々完勝って
逆に96年て四天王的に何かトピックあったっけ?
田上のグランドスラムしか印象にない。
グランドスラムにも掛かってるけど三沢が初めて四天王相手にシングルで負けたのは一応トピックになるかと
あと三沢秋山の結成とか
初挑戦でいきなり川田が秋山にフォールされたんだよな
>>710
そもそも彼らの打ち合いを見てそう思ったんだけど…
他の人にそうは見えなくても俺にはそう見えたって個人的感想ね 個人的意見と書いてくれてるのに目がおかしいって返しは大人げないな
荒れる元だぞ
三冠、世界タッグ、CC優勝、最強タッグ優勝の4つを1年間で初めてやったのは三沢だっけ?田上?
ID:j+Q9EQZr0
気味悪いな
とんだけ監視してんだろう
>>690
ジャーマン2発+フルネルソン2発も食らったのなんて川田くらいじゃない? 三沢vs秋山の放映の時に、問題になった。
新聞テレビ欄には「三沢vs秋山戦!」。オープニングは、二人が入場。別の試合を流し、最後に「三沢vs秋山戦いよいよ次週放映!」と。そりゃ怒る。
>>731
三冠を二週に分けて放送っていう最悪な放送は覚えてるけど、それは覚えてないな
入場が撮れてるって事は試合も撮れてるはずなのに何でそんな事したんだろ? >>733
おあああああああああああ!!!(96年CC決勝戦ウィリアムスへの田上のハイキック) 96年のチャンピオンカーニバル決勝の武道館
田上とウィリアムスのシングルなんて相当な冒険だが意外にも名勝負
無駄な危険技も少なくフィニッシュも正規の喉輪落としと非常にシンプル
>>725
96年のプロレス大賞MVPは小橋なんだよね 10人いれば10通りの見方があるのがプロレスの醍醐味なのに
「俺の見方だけが正しい」なんてアホもまだいるんだな
ネットばかりで現実の人間と交流しないとそういう風になるんだわ
プオタ仲間がいる奴なんていないしね・・・
>>735
確かあの試合はビデオ化されなかったんだよな
田上が引退の時に他の名勝負と共にDVD化とか期待したもんだったが あの時期に普通の喉輪フィニッシュであそこまで盛り上げられるのはもっと評価されていい
田上もウィリアムスも
田上vsウィリアムスのCC優勝戦ってそういやyoutubeでも見た記憶がないな
セミとかセミセミも気になるわ
セミは三沢・小橋・秋山と川田・オブライト・エースでオブライトが小橋に投げっぱなしフルネルソン
セミ前はハンセン・鶴田と大森・本田でハンセンが大森にラリアット
>>744
川田オブライトエース組はその時か
アンダーカードを工夫し始めた頃だね
ありがとう
95年三沢小橋vs川田田上のセミとかは相当酷そう
93〜95年くらいの武道館は三冠と世界タッグを一緒にやってた記憶があまりないんだよね
メイン一発勝負みたいな いつかの武道館セミがハンセンorウイリアムスvsビッグジョンノードとかなかった?
今考えれば消化試合もいいところだ。
>>746
三沢小橋vs馬場ハンセンのセミがウィリアムスvsノードだね
94年三沢川田の三冠戦のセミがウィリアムスエースvsハンセン大森…
これもなかなかのやっつけだわ チャンピオンカーニバル前の大事な時期にウィリアムスの肋骨をマジで負傷されるノード
リングに上がったり降りたり意味不明な行動を繰り返すノード
そして「リングアウトのカウントを意識した行動ですね」と百田にフォローされる
98年のチャンピオンカーニバル川田対秋山ってテレビで放送されてないよね?
秋山が川田にだけ負けて決勝行ってるし、ある意味最後のシングルだからすげー見たい
98年のチャンピオンカーニバル集みたいなビデオにその試合がハイライト形式だけど入ってる
前もこのスレに書いたかもしれんが
レフェリーの福田がカウントミスって変な空気になってた試合だったので収録された事だけは強く覚えてる
へー、そんなことあったんだ
カウントミスはフィニッシュに起きたん?
>>749>>750
98年の千葉公園のやつなら俺は現地で観たけどカウントミスって記憶に無いな。 >>745
94年の武道館のセミは酷かった。
あと95年6月のセミはハンセンvsキマラ。当時はとりあえず出されたものを観るしかなかったw 94年のチャンカーって三沢が怪我しなかったら三沢が優勝した気がする。
誰か当時の予想でも聞いた話でもいいから何か意見を聞かせてくれ。
>>754
94年の三沢の怪我はアングル
ファーナスのフランケンで首を怪我した事になってるが、ハンセンに怒られたファーナスが三沢に謝罪に行ったらアングルって事を伝えられた
つまり94年は川田CC優勝と決まっていた
欠場の挨拶をリング上でした三沢は首にコルセットはめて足を引きずっていたが、シリーズ途中には川田と普通に特別試合をやるという謎展開 >>755
3・24平塚から欠場。復帰は4・3の出雲だったかな?
10日間くらい欠場したんだけど、92年の肩からマットに落ちて負傷した時は1試合しか休まなかった三沢がアングルで10日間も欠場って謎だな。
三沢に配慮したアングルなら、欠場ではなく負ける相手はハンセンかウイリアムス。
川田、田上、小橋には勝ちか引き分けで良かったんじゃないかな。 >>750
98年だからメインを裁いたのは京平さんじゃなかったの? >>753
95年6月のセミは
世界ジュニアタイトルマッチで
DクロファットvsRVDだよ >>750
カウントミスで思い出したけど武道館のカンナムVS小橋菊地でもあったよな 三沢vs川田の叫び声からのランニングエルボーで
3カウントも酷かった
京平が2.9とかアピールして半失神の川田が無理矢理
引きずり起こされスープレックスで3カウントw
あれは会場も???の間が出来てしまいレフリング最低
CCのベイダー対オブライトも。
福田レフェリーはたまにあるね。
ベイダーオブライトは衰えてはいたけど結構なビッグカード
オブライトのシングルが地上波で放送されたこと自体がかなり久々だったんじゃないかな
>>761
あれは京平さんが間違えたのかな?次のジャーマンで決まったけど当時の三沢のフィニッシャーがジャーマンて不自然だし。
次の防衛戦の田上にもジャーマンで決めたのは川田戦の辻褄合わせという気がした。 >>760
確か分裂前最後の武道館でのアジアタッグだったか
あれだけ長かったのに挑戦も含めて秋山・大森のアジアタッグを武道館でやらなかったのが不思議 >>753
94年は何といってもチャンカー決勝でのハンセン・馬場・大森と三沢・小橋・秋山
当然に3月の再戦的なカードだがとにかく秋山と大森のフレッシュ感が半端じゃなかった あんだけ2.9やってればある程度のミスはしょうがない
と擁護したくなる気持ちも多少はある
>>756
普通にリーグ乗り切って普通に川田に優勝の先越される
というのをぼやかしたかったのでは 平成で初の武道館でのチャンカー決勝でもあったんだよな
同じ日の両国ではスーパ−Jカップの第一回もやってるなどまさに注目満点の舞台
それを川田にやられたのは三沢的に相当悔しかったかも
京平がカウントミスしたのは、
勝敗は決まってても、それ以外は全部選手任せのアドリブだったせいじゃないかな
長くプロレス観ているとキックアウトしているのに3つ叩いちゃってたまにある。
プロレスに詳しい知人に聞いたところ、レフェリーではなく選手が間違える時もあるらしい。
>>759
キマラはしょせんアジアタッグクラスのキャラクターレスラー。シングルマッチだと退屈な試合ばかりだった。
クロファットvsバンダムが盛り上がったし、事実上のセミだったね。 小橋vs秋山の3冠戦で
秋山のサソリ固めがガッチリ決まってたのに
急にブレイクになって「え?え?」ってなったのもあったよね
>>751-752
ストレッチプラム解いてフォールに行ったら秋山も返してるし川田も返された感じの動きしてたのに
「バン!」って3つ目叩いた
川田秋山はそんなのお構いなしに試合続けて別に試合が止まることもなかったけど >>773
あれはおかしかったな。小橋が動かなくて京平さんが救済したように見えた。 >>772
キマラのアジアタッグ挑戦は確か泉田にスミスと組んでの二度だけだったか
キマラのシングルとなると分裂後のシリーズでのスコーピオや相島との対戦が印象深い >>772
田上7番勝負でキマラに勝った後、「あいつに負けるならレスラーやめた方がいい」とか言ってたね >>776
97年2月の水戸、秋山&大森vsキマラ&泉田。
98年9月の富山、ウルフ&スミスvsキマラ&泉田。
2000年2月の横須賀、本田&マスオvsスミス&キマラ。
3度じゃないかな。キマラは泉田とのタッグでアジアクラスにとどめておくべきだ。
小橋と組んだり上の方で使うのは無理があると思う。 キマラは下手だし、技ができないし、試合がつまらないからな
ボディ・プレスとネックブリーカーとドロップキック
これだけじゃ、どうにもならない
ハンターズとトリオ組んでムーブメントとやった時とかみたいに巨体活かした溌剌とした試合出来たら良かったんだけどね
スミスキマラってまた何の接点もないコンビだな
テキトーに中堅どころの外人組ませただけか
キマラって当初は2号だったっけか?
折れたパイプ椅子が刺さった事あったよな
98年の最強タッグで川田&田上vsオブライト&キマラって観たけど全く盛り上がらないまま終了。キマラなんか何やらせたって駄目だよ。浜の豚と同じ。
キマラ2のWikipedia、プロフィール写真に一般の人が一緒に写ってて面白い
>>786
あえてどんな試合展開だったのか詳しく聞きたいわww
そんなカード絶対放送もされないし >>788
セミで組まれたくらいなのに何の印象も無い。客の反応も無くて。川田には97チャンカーの時に「キマラが何もやってこないから」と酷評されていたから当然かな。
セミ前が小橋&秋山vs大森&高山だったかな。組み始めたノーフィアーだったけど、その日は良い時の大森で凄く盛り上がっていた。
余計にセミの特にキマラのだらしなさが際立った。ペイントしないでアマレス仕様のタイツに変えてリングシューズ履いても何も変わってなかったよ。 渕と藤原のタッグは面白かったな
優勝戦線に絡まなくてもああいうタッグを最強タッグにエントリーして欲しかった
馬場は他団体の選手を呼んだ時に「全日本に上がりたい選手はどうぞ勉強して行って下さい」みたいな発言してたと思うけど、あの考え方だから他団体の選手を活かせなかったんだろうね
渕・藤原はストロングスとアジアタッグ決定進出戦をやってたな
唯一の藤原の最強タッグはクロファットとのコンビだったか
>>790
キマラ1は一応シングルのメインイベンターじゃなかった? >>791
98年5月の東京ドーム大会に向けて、所属外選手が多数参戦した時は新鮮で良かったな。
高山がオーディションと書かれて激怒していたのを思い出したよ。 つか、開国とか騒がれてきてた頃ってハヤブサ、人生、デルフィン、浪花、池田、小野とかだろ?
藤原は別格だし顔見せスポット参戦みたいなもんだったけど他の連中は上で使うにはあまりにも格が違っただろ
四天王+秋山に自信がある馬場の「どうぞ比べてください」ってのは当たり前な台詞
高山は神宮で川田とやって全日に来てオブライトと組んだから上手いことやったよ
セルフプロデュースがわかってるし頭が良いなと思った
デカイし練習するから馬場も気に入ったしな
>>795
中野龍雄もいた
ハヤブサ人生は馬場が死んだ後アジア巻いたからマシだね たくさん呼んだ割に馬場が生きてるうちに上で使ってもらえたのは高山、ハヤブサ、人生、あと一応初期の垣原くらいか
神風や小坪あたり呼んだ意味が全く分からんな
馬場が他の団体の選手を見たこと無かったから見て見たかっただけだったのか
>>797
三沢や川田の後輩だから、呼んでみた感じかな。 >>797
神風、一応三沢川田の後輩なんだよね
最初に川田と戦った時の垣原、結構大きかったからあのままヘビー戦線で使えなかったかな
Uインター末期の垣原って田村の離脱でトコロテン式にポスト高田だったんだけど つべに川田、田上対高山、垣原って動画があって見てみたら川田と垣原は身長一緒に見えたわ
体つきは川田が少し太く見える程度で
98年7月だったかな
でも悲しいかな垣原が負け役なんだよね
蹴りや関節は上手いけど受けに回ると駄目すぎた
>>795
新日のリーグ戦で準優勝した経験があるデルフィンは世界ジュニアに挑戦させるべきだったんじゃないかな。
獲らせなくてもタイトル戦やらせるだけでも新鮮だったと思う。当時の全日ファンにとっても新鮮で需要があったんじゃないかな。
それとも馬場さんが「新日で準優勝してもうちでは良い扱いはしないよ」という意図かな?
垣原に世界ジュニア挑戦させたことがあったけど、金丸も丸藤もまだ力不足で渕も年で菊地も劣化、バンダムはいなくなった。
浅子もたまに挑戦したけど冴えなかったな。今思うと全日ジュニアって渕、小川ばかり目立ってマンネリでつまらなかったな。 >>801
菊池をけちょんけちょんにした渕と馬場はバカだと思うよ >>803
93年2月の武道館ね。専門誌に「渕の性格の悪さが出た試合」と書かれ、後にターザンに「菊地はあの試合に負けたことが尾を引いちゃった」と言っていた。
小川より先に世界ジュニアに挑戦して最強タッグにも出てアジアタッグも獲って、当時は後輩の菊地に抜かされた小川が惨めだったけど、いつの間にか大逆転していたな。 川田が三冠を獲ったのが6度目の挑戦で、菊地が世界ジュニアを獲ったのが8度目の挑戦だっけ?
時間かけすぎだよなあ。遅くても5度目くらいで獲らせて良さそうなものなのに。
ハンセンエース組VS三沢と誰かが組んだ試合で、エースにタイガードライバーした三沢にカウント2で後ろからハンセンが椅子で殴ってカットしたがジョーさんがそのまま3数えて終わった試合があったな。
あれは凶器でカットだったからそのまま数えたんだろか?
>>807
91年8月、サマーAS開幕戦の三沢&川田vsハンセン&エースかな?
あれは元々、タイガードライバーでフィニッシュだったのだろう。
3カウント入った後も少し攻防が続いたような記憶がある。 >>809
サマーアクションシリーズ2だったね。
確かハンセンがイス攻撃を加えたから試合続行かと思ったけど、その後も攻防が続いたのにハンセンが自ら引き上げたので、ハンセンも試合が終わったのを自覚していたようだった。
実況の福澤も試合続行と思い込んでいて3カウント入ったことに気づかず、引き上げるハンセンに対して戸惑っていたね。 ファールしている選手に攻撃を加えただけでフォールが解除、無効になるのは永遠の謎だ。
「プロレスだから」の一言で済まされるw
プロレスに整合性は無いw
>>803
菊地は選手大量離脱の90年後半から鶴田みたいなでかい奴と戦わされて毎日ボロボロにされたのに、世界ジュニア奪取に何度も失敗させられて本当に酷い扱いだよな。
渕の拷問関節技もまるで実験台のように毎日やられて。あれで世界ジュニア獲らせないって不憫だわ。 98年の川田が三冠初防衛戦で小橋に負けたのは不憫だったが内容自体は素晴らしかったなあんな状況でもちゃんと仕事した川田は立派だったと思う。
>>804
世界ジュニアだけ見るとそう見えるが当時の菊地はアジアタッグも持ってたし前年での防衛戦で渕をフォールもしてるんだよな
そう思うとあそこで勝つと逆に菊地に比重が偏りすぎて他とのバランスが悪くなるかも
小川はキャリアは上だが年齢は下なのもポイントか
あとこうしたバランスは小橋と田上の間にもありそう
アジアタッグとしての挑戦や奪取は小橋が先だが世界タッグについては田上が先とか >>719
そういえば96年は三沢と川田の三冠戦は無かったか
それだけにチャンカーではどうだったかが気になる >>815
96年チャンカーの三沢vs川田は仙台で引き分け。川田のスピンキックで三沢が顎から出血したと思う。 >>719
96年の四天王って言ったらやっぱり小橋の三冠奪取だな。 >>814
あの武道館(93年2月)は菊地に獲らせるべきじゃなかったかな。
最近で言うと新日の中西に10何年もIWGPシングル獲らせなかったり、後藤にも未だに獲らせなかったり、選手の商品価値が無くなっちゃうと思うんだよね。
その時にいる選手で回さなくちゃいけないんだから、選手の商品価値を保ってあげるのも必要だと思うんだよね。
あれで渕、クロファット、後の小川と王者が強くてつまらない全日ジュニアになった。ケアも獲ったのに1年も経たずにヘビー級にいっちゃったし。 99年以降は垣原、志賀、スコーピオ、池田と挑戦者の顔触れは変わったけど相変わらず全日ジュニアは盛り上がらなかったな。
バンダムみたいな王者がいたら良かったのにな。
あんたソフトバンクのiPhoneからwifi駆使して二刀流で書いてるやん
勢いすげーな
今もプロレス見てるって書いてたけど、このスレ気に入ったのか?
そのあたりはもう四天王もいい年齢だったし
秋山世代にサッサと主導権を移せばよかったんだよ
三沢がノアの立ち上げとともに実質引退すべきだったけど
客が許さなかった
>>819
後藤はG1初出場初優勝したりNJC獲ったりICやneverも獲ってるし十分でしょ
棲み分けさせるのが新日のやり方
例えば橋本はIWGPシングルに強く蝶野はG1に強く武藤はタッグ戦線含めたそれら全てで平均以上に活躍させるみたいにね 何で昔の全日ジュニアって年に一度のリーグ戦が無かったんだろ。
若造相手に寝るように、ハンセン・ウイリアムス達を説得した、樋口・マイティ・渕の功績はデカイ。
>>825
ウイリアムスは6人タッグでエースに負けたのは一度かな?いつまでもハンセン、ウイリアムスの二強ではなくエース、パトリオットらが外国人のトップになるべきだったけど駄目だったね。
パトリはもったいなかったな。 川田がCC優勝した時に冬木が「あんなしょっぱい奴が優勝なんて器じゃない」って突然批判したのは何だったのかと今でも思う
冬木の本音なのか、話題作りorあわよくば全日と絡めるか牽制してみたのか
Uインターが三沢を1億円トーナメントに誘って宮戸に激怒したり、94年は色々面白かった
>>827
あったなー、そんなの
すっかり忘れてたけどゴングで読んだわ
あの冬木は予期せぬ乱心だったよな〜
それのせいで冬木は馬場の許せないリストに入ったのかもな >>827
あの冬木の発言の時に大垣での冬木&邪道&外道の合体、冬木軍始動だったと思う。 田上サイズね。
変換でタウエじゃなくタガミじゃないと出ないんよ。
三沢のローリングラリアットってタイガー時代からやってたん?
あんな動きよく思い付くよな
全日ジュニアはなあ
>>81に書いたのオレだけど陣容も手薄だし、
売り出そうって気はなかったんじゃないのかね
馬場はデカい人が好きだしね
だいぶ後になって金丸とか丸藤見て考えも変わったようだけど保守的だからな >>835
デルフィン&浪花もただ参戦させていただけだから馬場さんにとってジュニアなんかどうでも良かったんだろうな。
冬木もFMWを仕切っている時に「ジュニアに集客力は無い」みたいなことを言っていたしね。
無くても困らないってところかな。 確かに。ジュニアには集客力はないわ。
ノハを見てればわかる。
ジュニアなのにヘビーを名乗ってチビ〜級とか言われる始末w
>>837
新日本の東京ドーム大会のメインだって常にヘビー級。ジュニアがメインになるのはリーグ戦の最終戦のみ。この事実が全て。
Jカップみたいにヘビー級から完全に切り離さないとジュニアは主役にはなれない。
ジュニア特有の闘いに見所が多いのも事実だが総合的にヘビー級を凌駕するのは困難だな。 >>834
ローリング・・・ラリアット?
エルボーのこと? >>839
フライングラリアットで当たってから回るヤツだろ 菊池って信じられないぐらい動きがぎこちない
ウィリアムスよりひどいんじゃにかって思うぐらい
三沢って回るの好きだよね
フライングラリアットの回転受身、ローリングエルボー、スピンキック、旋回式バックドロップ、前転キャメルクラッチ
世界タッグで一度だけ見せたダイビング・ローリング・エルボーありましたね!
反応、当たりは微妙だった記憶が…
あとはキリモミ式ブランチャかな?
どうでもいいけど皆さん、菊地を菊池と書くのはやめようぜ。
大阪の小橋との三冠戦できりもみ式ミサイルキックやってたな
全日のゲームではとりあえず三沢を使ってみるけど初心者だとローリングエルボーの距離感が掴めなくて、結局発動の速い回し蹴りを使う川田に落ち着いてしまった思い出
>>819
たとえあそこで勝てても次の相手がクロファットならやはり負けて渕が奪回の流れかな
カンナムとのアジアタッグでも小橋がフォールを取ってたわけだし
とにかくあの大舞台で一度勝てれば次で負けても印象は違ったか
それこそ後のドームの川田みたいに
実際は翌年のクロファットが達成の史上初のアジアタッグとの二冠王としても
>>835
全日本のジュニア戦線が最も凄かったのは百田が取った平成元年か
タイトル戦も交代劇の数も半端じゃないし最後は挑戦者決定リーグ戦までやったし
あの年ほどの怒涛ぶりは新日本でも無かったかも ダウン状態からクルッと回って一瞬で膝立ち状態に復帰するムーブもあったな
前転キャメルクラッチは
回る意味がよくわからんかった
ブレーンバスターを身体を捻って切り返したり、バックドロップを一回転して着地する
のは三沢が一番綺麗だと思う
パワーボムをウラカンラナで切り返すのも得意だったな
やっぱり三沢は名勝負製造機だな
返し技が豊富でアイデア抜群だからだろう
場外で小橋にパワーボムかけられて
シザースホイップで鉄柵にぶつけたり
リング上ではターンバックルをコーナーポストに
ぶつけて切り返す
断崖のど輪を一回転して着地とかw
相手の技を切り返すのってリスペクトがあるから
必殺技も死なないんだよね
小橋のように受けて耐えちゃうと相手の必殺技が
ランク落ちしていくんだよ
>>854三沢はウラカンラナっていうより体捻るコルバタっぽい感じが良かった 川田上の喉輪+パワーボムの合体技を捻りウラカンラナで返したシーンが好き
川田田上のバックドロップ+パワーボムをクルッと横に回りながら二人を投げたの最高だった
>>855
みんなが三沢みたいに切り返したら各々のスタイルもクソも無くなるし、基本的に三沢は誰よりも受けまくってただろう
小橋のバックドライバー受けや川田のラリアット一回転受けも素晴らしいぞ >>849
そうなんだよ。5人で挑戦者決定リーグ戦やって菊地が小川に勝って渕に挑戦して。
あれは菊地が好きじゃない俺でも菊地が勝つと思っていた。 長州のタッグマッチで、タッチを受けてからの、ローリングエルボー。というか、打った後にローリング。
>>860
挑戦者決定リーグ戦となればやはり89年秋の方がスケール的に上かな
勝ち上がった渕がマレンコを破り長期政権をスタート
渕と寺西のタイトル戦とかも見たかったが >>852
とりま回転すれば旧珍ピロ系オタクはキャッキャ(笑)するからだろ >>859
確かにあの返しはビックリしたわ
あとは奈落喉輪を回転して着地したやつと奈落パワーボムをウラカンで返したやつ 羽生と宇野を見てるとどうも小橋と秋山に見えて仕方がない。超えられそうで超えられない壁が。
そのうちジャガイモとサツマイモみても小橋と秋山に見えてくるんじゃね
>>867
エプロンとか花道から場外マットに落とす残酷ショーを「命懸けでやってる」と賞賛する奴らもいるから、そう馬鹿にされても仕方ないな。
俺はそういうプロレスが途中から嫌になったクチだけどね。
あんな残酷なものを観て感動できるのがわかんねえ。 >>868
基礎がなってないからそういう危険なサーカスをやらざるを得ない。
観てる方も玄人(笑)だから命懸けとが言って庇いつつも自分の見る目は正しい(キリッ)と暗示をかけていたんだな。
その結果、前代未聞のリング禍を起こし多方面に大迷惑をかける。そして、煽った事で原因の一端でもある旧珍ピロ系オタクは開き直ると。 三沢のフェイスロックに危険な顔で対応したダイナミックT
>>868
お前もう来るなよ
勝負が分かってる試合は嫌いだとか散々自分語りした上に明らかなアンチにレスしやがって
空気読めない老害は失せろや > 旧珍ピロ系オタク
これは旧新日オタクって意味なの
新と珍で韻踏んでる
>>874
グランドできてないやん。
小橋がそれ指摘されてキレたでしょ。
大技を過剰に使わないでもいいのに多用、間を考えてない。
間、といえばごろ寝休憩。だから60分もダラダラ牛のよだれのようにフルタイム。 今となってはこんなイメージ
筋トレ:小橋>川田>三沢>田上
プロレスの練習量:川田>三沢>小橋>田上
プロレスのセンス:川田>三沢>小橋>田上
柔軟性:川田>三沢>小橋>田上
酒量:三沢>田上>川田>小橋
>>872
お前の指図は受けないよ。
俺が誰にどんなレスしようが俺の自由。 >>872
アンチだろうが(ヲタだろうが)正論は素直に受け入れて賛同するのが賢明じゃないかな。
アンチ=全て誤り。同じヲタ=全て同意。とでも思ってんのかな。
自分が嫌いな人間だからという子供じみた理由で100%否定する方が愚かだと思うけどね。
そうやって他人の意見を素直に受け入れることができない餓鬼がいるから四天王ヲタは馬鹿にされんだよ。
三沢が亡くなったのだってスタントマンプロレスの蓄積だろうが。スタントマンプロレスを賞賛していた奴らが三沢を殺したんだよ。 顔見せでも出なきゃプロモーターに買ってもらえないなら、顔見せに徹することが出来れば良かったのにね
ロープに寄りかかってエルボー打つ三沢みたいに
三沢が社長の時にノーフィアーが売り出したとかいうけど川田・田上組が2回負けてるけど
三沢・小川とか小橋・秋山とかノーフィアーに負ける訳じゃないし、負け役を押し付けてるように
しか見えなかったけどな。
>>877
プロレスの練習量:川田>三沢>小橋>田上
これは同意できない そう言えば分裂前の最後の武道館で三沢・小川はノーフィアーに負けてたな。でも負けた本当
の理由が川田・田上に負けるのが癪だから負け役をノーフィアーに押し付けるために負けたと
かね。
>>877
柔軟性は田上が1番
センスは小橋と田上入れ替えで >>879
スタントマンプロレスとか我慢比べとか今ネットでよく言われるけどさ
それが三沢を殺したとか今さら言われても、当時は何だかんだ言って見てたわけじゃん?
本人達も当時プライド持ってやってたわけだし、98年ドーム前のインタビューでも三沢は「10年前のプロレスと一緒にされては困る」と言ってたくらいだし
四天王時代を懐かしむスレで「四天王プロレスは危険だ」と書かれても困惑するんだよな
それなら今現在進行形の団体のスレで警笛を鳴らしたら?って思う
結果論を懐古スレに書いても何も響かないし話も広がらないんだよ
「だから俺は当時の全日に飽きるのが早かった」と書かれても困るさ
会話のキャッチボールをする気がなくて、一方通行の書き込みをしたいならブログにでも書いてた方が良いと思う >>883
理解できない 最強タッグで負けてるのに何言ってんだって話だけど
大森高山に2連敗の聖鬼軍とノーフィアーの戦いのほうがメインにふさわしいからだろ プロレスやってる以上どんなスタイルでも危険だわな
亡くなった福田選手、プラム選手
大ケガをしたハヤブサ、高山
数えきれないくらいの選手が大ケガしたり亡くなったりしてる
じゃあどうしたら良かったかなんて愚問だよ
確かに四天王プロレスはキツかったと思うが、三沢の死因は立ち合った医師がビックリするほど頸髄だけがプツンと切れてたらしいしな
体を張って素晴らしい試合を見せてくれた三沢や四天王らを皆で懐かしむスレにしたいよな
>>886
最初に敗れたのはノーフィアーがアジアタッグを取った直後だったのも強烈だったな
川田の負傷上がりを考えても世界タッグの常連がそれも武道館で負けてしまうとはって
それにしてもその十年前のアジアタッグでパートナーの仲野に去られた田上が今度は世界タッグで去る立場になったのが皮肉 全日のタッグは大一番になるほどハズレが無かったよね
チャンカーより最強タッグの決勝の方が記憶に残ってる
札幌中島ラストだったかの三沢田上vs川田小橋はなぜかワクワクしなかったし試合内容も覚えてない
最後に四人で手を上げたのは覚えてるけど
三沢川田vs小橋田上が見たかった
田上が負けすぎた分格が落ちたなといいたいが
ハンセン田上はわくわくしてみてたな
97年1月、大阪の三沢vs小橋。6月、武道館の三沢vs川田。四天王プロレスはこのあたりで終わらせるべきだったんだよ。
四天王プロレスをその後も続けても新日の次という2番手ポジションは変わらない。体を酷使するだけ。
四天王プロレスは確かに凄かったが、衰える一方のハンセン、ウイリアムス。明らかに実力不足のエースら外国人は付いてこられず三沢、川田、小橋の3人だけで三冠を争うから面白くない。
秋山はサブミッションだったり丸め込み、短時間で決めるなど四天王と違うことをやり始めたから面白かったね。
現代では全日もノアもタイトル戦後に選手が出てきて挑戦をマイクでアピールするのが当たり前。これを四天王時代から始めるべきだったんだよ。馬場さんが許さなかったかもしれないけどな。
別に「テメーこのヤロー」調で罵らなくても、「2人で最高のプロレス見せようぜ」みたいなくさいエール交換でもいいんだよ。マイクアピールするだけで新鮮だから(ラッシャー木村のマイクは除く)。
実際に一度、ウイリアムスが熊谷でマイクアピールした時も新鮮だったし。
それこそ馬場さんが生きている頃でも80年代なんか乱入やブッチャーの凶器で相手が大流血なんてしょっちゅうあったしな。
密度が濃い闘いしたって毎回、同じじゃ飽きるよ。金持ちだって毎日、高級料理は食わないだろ。たまには庶民的なラーメン、焼き鳥、おでん、肉まん食いたい時だってあるだろ。それと同じだよ。
>>897
今更なんなんだよ
現状お前のお望みどおりどの団体もギャーギャーマイクやってんだから良かったじゃないの うわぁ…どっかの病院から抜け出して来たのかな?
ワッチョイW d7c9-bVi4
ササクッテロロ Sp0b-bVi4
この2つのワッチョイで前から同じ事ずっと書いてる
こういう輩は持論の長文書いて満足だろうから、今後NGかスルーでいいな
>>897
高級料理(笑)
その割に雑なレシピだったなw >>897
偉そうに文句ばっかりずっと言ってるけど過去のものにこうすれば良かったと言い続けることほど無駄なもんはないわ >>900
アンチなのに毎日ここに来てどうでもいいこと言ってるなお前w
俺は小橋嫌いだからお前の言うことは多少わかるけど川田とかクロファットとかそのへんの上手いやつの評価はどうなん? >>897
馬場だけ「馬場さん」って書いてる辺り激しくキモいな その馬場さんって奴が四天王プロレスごり押しして一番金儲けしてたのになw
>>902
川田はいいんじゃない?全日本にいたのが間違いだよ。クロファット走らない >>897俺は普段全日中心で生観戦してたから他団体観るとマイクアピールばっかりでげんなりしたよ
インディーなんかだと前座から全試合後マイクアピールで「試合で魅せろよ」ってのもあった
何というか試合内容で次また客を呼ぼうと努力してない感じ >>901
過ぎたことを振り返ってごちゃごちゃ言うのも5ちゃんねるの楽しみ方の一つ。 >>907
あんたは楽しいかもしれないけど、読まされる方は楽しくないぞ
あんたの文章はいまだにトゲトゲしくて、まだあの頃の全日が今も存続してる幻覚を見てるのかって感じ
もっと良い歳の取り方しろよ うん、20年以上も前の事なのに昨日起こったことのように話すから怖いんだわw
俺は、三沢のノア裏切りクーデター以降、なんとなく全日から離れてしまったな。
ノアもテレビだけ何か見たけど、コレジャナイ何かを感じ、ノアヲタにはなれなかった。
かといって元子全日でも天龍全日でも武藤全日でもなく、そのままフェードアウト。
で、今もここの連中みたいに「三沢って地上最強の格闘戦士だよな」とも
懐かしめないんだよな。
みんなと同じく当時はそう信じていたのに。
なんでだろ〜?
>>911
俺も同じ口かな
馬場死後の三沢全日が結構好きだったのもあってノアはなんか乗れなかった
秋山台頭期はそこそこ面白かったけど短命だったし
期待の大きかった丸藤にきちんと世代交代できなかったのもキッカケになって完全に見限った
その後風の便りのように三沢の死を聞いた時も全盛期の三沢とうまくリンクできなくて実感すら未だない >>911
それでも今でもここに書き込みしてしまうって事はあの頃の全日が好きだったからじゃない?
俺はノア地上波撤退、三沢逝去からプロレス見るの止めたけど四天王時代は中学〜高校の頃にハマってたから、あの頃の思い出だけは強烈に残ってる 鶴田がいた時代、三沢が鶴田に挑んでいたときが一番面白かった。鶴田がいなくなって1つの時代が終わった感があった。それからはたまにみるくらいになった。
三沢vsゴディの三冠は見たかったなぁ
ゴディもいなくなっちゃったのが痛かった
ただ93年6月の三沢小橋vs川田田上が盛り上がりすぎたから、ゴディがいてもやっぱり日本人路線にシフトしてたかなあ
ゴディウィリアムスがある程度のタイミングで解散しそうだし
そのあとの外人タッグ構成はなんか面白かったかもしれん
ハンセンゴディ組の復活なんかも有り得たかもしれないけどでもそれじゃハンセン馬場組は無かったかもしれない
分からんけどゴディは絶対いた方が良かったよ
>>917
ハンセン馬場組は93年の最強タッグと94年の夢のカードまでで良かったよね
94年の最強タッグで川田田上に勝っちゃったのは蛇足だったなぁ 外人もゴディが抜けて、スパイビーも脱落、
カンナムが抜けて、パトリも抜けてと
なんだかんだで気付いた時にはすごい手薄になってたな
>>895
田上は鶴田や川田と組んだ時より秋山やハンセンと組んだ時のインパクトの方が高かった >>920
ハンセン、ウイリアムスが劣化。エースは実力不足。ベイダーはただでかいだけ。
ビッグ・ブーバーみたいにでかくて上手い奴に限って四天王プロレスのハードさに耐えられず半年で来なくなった。
ブーバーはほんともったいなかった。あんな使える奴は滅多にいないでしょ。
パトリオットも素材的には良かった。器用ではないけどそれを補える資質があるというか。 >>922
「ベイダーはただでかいだけ」は違うでしょ。
ビッグ・ブーバーはアメリカマットでも需要があったからね。
仕方ない部分もある。 >>913
うーん。
あの頃、ごろ寝休憩とか批判されてむきになって怒っていたが、
冷めて以降に見返したら確かにそうだなと肯定できるようになってしまうほど
感覚が変わった。 >>922ブーバーが四天王プロレスに耐えられなくてってのは週プロの捏造だからな 現代プロレスの試合も見てみなよ
ごろ寝休憩じゃないけど、エプロンやコーナーや場外戦でちゃんと休んでるし、
昔はリングの中で寝転んで休んでたのが、それ以外の場所に変わっただけだから
こういう一工夫だけでイメージがまるで変わるからね
>>926
ブーバーが半年で全日を去った理由を知っているなら教えてくれないか?
週プロは「ハードさに耐えられず根をあげた」みたいに書いたが
実際は「耐えられないこともないけど、他にも選択肢があるからこんなハードなリングに上がり続ける必要もない」もしそうなら週プロが捏造ってことになる。
95年にも少し新日に上がっていたが、スタイル的に新日の方が肉体的負担が軽いだろうし、ギャラも新日の方が良かっただろう。
何で新日にも定着しなかったのかは興味ある。 >>928
93年最強タッグまで全日本にあがってその後
WCWのガーディアンエンジェルとして登場。
WWF脱退からWCWの契約期間までの繫ぎ
だけだったのも。
あと新日本に来ていたのはWCWの提携ラインに
乗って本人か新日本側が定期参戦を望んで
なかっただけではないかな。
後に定着したバグウェルやNWOスティングに比べると
ギャラが高いってのもあったのかも。 ウイリアムスブーバー組と三沢小橋の最強タッグはものすごく盛り上がってた気が。
確か大阪府立で、終盤客席の場内ストンピング攻撃でテレビカメラが揺れてたw
95年はオブライト来たけど94年の目立った新規参加外人はノードと外人冬の1年だったなぁ
最強タッグにジム・スティールが来てたらしいが記憶にないし
ウィリアムスvsノードはある意味伝説の試合だわ(笑)
>>929
詳しいねえ。
ブーバーとパトリには残ってほしかったな。ファーナスはただパワーがあるだけ。
バートン&スティールは素材は良いと思うけどブレイクしなかったな。武藤全日本や新日本にも参戦したけど活躍したっていう印象が無い。
オブライトは始めの1,2年だけでいつの間にかチャンカーでもコロコロ負けちゃう選手になっていた。 >>930
良い試合って相手のスキルもあると思うけどブーバーはほんと良かったね。93年はデビアスも来たからこの2人が継続参戦してくれたら良かったのにな。
カンナムが伸びなかったのが痛かったな。シングル路線は駄目としても、新日での後藤&小原みたいにタッグ屋に徹して世界タッグ戦線を盛り上げてくれたら良かったのにね。 カンナムは本人たちより全日の使い方だろうな
四天王には個人では歯がたたないけどタッグでは・・・って扱いにすればよかったのに
カンナムもいいとこ中堅枠でアジアでしょ
ハンセン、ゴディ、ウィリアムス、スパイビー、エースが常連でキッドもブッチャーもまだいたし、
後になったらパトリ、イーグルとか最後の方にはオブライトやベイダー来たし
扱い良くしろって馬場に言ったらしいけど無理ってもんだよ
顔じゃないって言われるだけ
>>935
的を射た指摘。
アジアタッグでステイトポリス、ファンタスティックスクラスとやると強いけど世界タッグクラスではないんだよな。ほんと扱いが難しい。
クロファットは世界ジュニアやりながら世界タッグってのも違和感あったな。小川みたいにひたすら丸め込むタイプでもなかったので。 クロファットは全日最後の方で渕と組んで秋山&大森のアジアタッグに挑戦てあったけど使い方がめちゃくちゃだったなw
パトリがWWFに移籍したらフロント(元子?)が「GETなんて存在しない!」と公言してたって小橋が著書で書いてたけど可哀想だったな
ウィリアムスだってWWFに行ったり戻ったりしてたのに
>>938
セガサターンの全日ゲームにパトリオットが収録される予定だっただのは本当かな? パトリがWWFに行く前の97年1月から4月まで肘の負傷か何かで欠場したんだよな。
復帰して1シリーズだけ戦って全日を去ったんだけど、欠場中に何があったんだろ。
>>939
全日にいたら収録されてたんじゃないかな
あのゲームは外人選手もちゃんといたよね >>935
違う
格上げすると馬場はファーナスに約束してた
それを反故にされ切れて離脱
知らないなら決めつけドヤ顔しない方がいいよ >>942
馬場にしたら世界タッグ挑戦=格上げだったのかねぇ
1回挑戦しただけじゃそりゃ怒るよなあ
ただカンナムが悲願の世界タッグ奪取したらその瞬間は盛り上がるだろうけど、長期的に客を呼べる世界タッグレベルだったかと考えるとやっぱり厳しかったね パトリオットのWWF行きの言い分は日本にいると家族と離ればなれになる、自分の活躍が
なかなか伝わらない。
アメリカで試合があればテレビで見ることもできるし家族を試合に招待もできる
といったことを言ってた。
その上で小橋には申し訳ないことをした。別々の道を歩むが頑張っていこうともいってた。
ゴングで素顔が出ていてインタビューに答えてたね。
>>944
末期のクロファットは薬でラリってたらしいけどそのへんの理由で格上げの話は無くなったのかもしれない
しかし格上げが無くなったから薬でラリったのかもしれない
どっちが先かは不明だな >>942
確実なのはたとえカンナムが怒って来なくなっても馬場としては一向に構わなかったことだろうな
そこはいわば力関係の問題に過ぎない
実際ファーナスは後に新ブッカーのエースを通じて全日本復帰を馬場に嘆願したが門前払いをされたとか >>945
そのゴング持ってた
向こうの人って家族を凄く大事にするし、アメリカで活躍出来るならそりゃアメリカでやりたいだろうね
ただWWEなんかはツアーが多すぎて離婚率が高いとも聞いた事あるけど
クロファットは唾を真上に吐いて自分の口でキャッチしてた頃にはラリってた気もする…
あれはちょっと意味不明なアピールだった >>947
馬場はゴディもすぐに切ったし薬とか自己管理できないやついらないんだろうな
キッドが引退後スポット的に復帰したのもよく許したなとか思ったわ >>948
その唾のパフォーマンスは確実にラリってたときだろうなw キッドの復帰は本当に意味わからんかった
しつこく頼まれて仕方なくってケースだろうか
引退試合とセレモニーまでやったのにな
サニー・ビーチがかわいそうだわ
>>942
その約束ってのが眉唾ものだろ
実際格上げされてもないし、ベルトも任されてもいないんだからな
約束を反故されたから切れて離脱ってのもファーナスの勝手な主張にすぎない
約束とやらがあったとしてもファーナスは「トップ戦線で」と拡大解釈
でも馬場は「ちょっとだけ上で」ってニュアンスで話をしていたのかもしれない
チームとしては悪くないけど経営側から見ても客から見てもその程度の評価なんだよ サニー・ビーチが懐かしいw
久しぶりに名前見たw
さすがよく覚えてるね!
ここ最高だわw
>>947
ファーナスはチャンカーでもつまらない試合ばかりだった。タッグでもクロファットのお陰でボロが出なくて済んでいる感じで。
キマラと同じでアジア程度の選手なんだよなあ。上で使うのにはかなり無理がある。 >>954
ディートン&ブラック、ブラックハーツ、リチャード・スリンガーも忘れていないぜ。 リチャスはテリゴの甥だったな。
リチャスがテリゴ並のサイズなら凄かっただろうが。
スティウィとリチャスも組んでた記憶が。
ゴディがハンセンに負けた後にビンタ食らったスリンガーは被害者だったなぁ
キッドの復帰はむしろ馬場の要請だったよ。
キッドの自伝に書いてある。
まず、三沢vs田上の立会い人として呼んだときに6200$(通常、一週間分のファイトマネーと同額という破格のギャラ)
を払ってくれたとのこと。
そのあとに試合も要請された。
たぶん、馬場が金欠のキッドに気を使ってくれたのだろう。
>>953
だから想像で語るなってw
お前自分が悪くても理解できない人間だな
少しはソース調べるとか自分でできるようになれよ 三沢がトークショーで「ウイリアムスの復帰要請を断ってたら、元子さんに泣きついて戻ってきた」と言っていた。
>>951
キッド本人はただ呼ばれたはずなのに試合に出てくれと言われたと書いてる。
真相はわからないが… >>962
アイツ、家庭の事情で帰国したんじゃないの? 分裂後の全日武道館のメイン後にリングに上がって来て元子コールを叫んでたんだよな、ウィリアムス…
そこは全日コールじゃないのかと
>>966
95年のことね。
>>965
メインに出場していないスティーブが出てきたね。あれは「全日本」と言ってんのかと思った。
あと元子は出たがり。選手以外がリングに上がるのは良くない。 あそこでウィリアムスが急に元子のバックに回って
DBをうってたらアメリカンプロレス並みに神展開だった
>>965
あの時はウイリアムスが何と言ってるのか聞き取れなくて俺は反応しなかった。
後にどこかの媒体が「ウイリアムスが元子コールを求めたが観客は誰も反応しなかった」という書き方で元子がファンの指示を得ていないという >>961
何をそんなに食って掛かってくるんだか
死んだあとに出してきた真意不明のブログしか知らんが、客観的に見た評価を書いたまでのことだ
内面の醜さが文面に出てるから気をつけた方が良いぞ
まあ明確なソースでもあるんだろ
ここにいる大勢も知らないみたいだし参考までに教えてくれよ
外人選手との約束は守ると言われた馬場がどういう発言をしてどんな内容の約束をしたんだ? すげえな即レスかよ監視してるのかw
で、ソースは?ないのか?
出せないならこの話はもう終わりでいいわ
ファーナスなんか興味ないし
ファーナスと言えばゲイがバレて嫁に逃げられたこと
クロファットも同じと思われたくなかったためリング外ではコンタクトを取らなかったとか
>>962
ふと思ったけど馬場死去後にウィリアムスが復帰したけど
三沢と絡んだことあったっけ?
田上とはCCトーナメントの1回戦、小橋とは挑戦者決定戦
もちろんシングルじゃなくて良いんだけどシックスメンタッグでもほとんど記憶にない
カード組む上で避けてたのかね ベイダーウィリアムス組が世界タッグ挑戦者決定戦でノーフィアーを秒殺したけど
その流れで三沢小川組を秒殺したこともあったはず
ただそれこそ秒殺だったのでどこまで三沢とウィリアムスが対したのかは不明
>>954
プロレスニュースだかでも
「あの男が帰ってくる…爆弾小僧ダイナマイトキッド!……に最後にフォールされた男、サニービーチ」
みたいにおもちゃにされてたなw >>976
8分2秒だから秒殺ではないね。秒殺の定義は人それぞれだから俺個人の意見だけど、秒殺っていうと1,2分て印象。
>>975
2000年1月6日、高知。8日、大分。23日、横浜。
2月の木更津。21日、小倉。
3月チャンカー第二戦の後楽園。
4月1日、岡山。三沢&小川vsベイダー&ウイリアムス、2分30秒。6日、群馬。12日、新津。
5月25日、矢巾。28日、後楽園。6月6日、北上。
三沢がウイリアムスとの対戦を避けていたことは無さそうだね。 >>971>>972>>973
まあまあ、ファーナスごときで熱くならずにまったりいこうよ。
川田、小橋にシングルで勝てるオブライトクラスならともかく、シングルだと四天王に勝てない、世界タッグも獲れない、そんなファーナスごときで喧嘩するのも馬鹿馬鹿しい話だ。 >>962
ウィリアムスは馬場が死ぬ前の年だかにWWFに転職したんだっけかな。
でも人気はさっぱりで、WWFから「お前このままじゃヤバくね?一発逆転の方法があんだけどチャレンジしてみる?」と
WWFが催したリアルファイトイト風興行に出演するも、バートンのマジパンチかラッキーパンチか貰ってグロッキー。
WWFから「お前、人気がアレだし、リアルファイトイトの方もダメならもういらないよ」と契約更改して貰えず宙ぶらりんになったんで、
全日のUターンを希望するも、ウィリアムスがWWFでやってる間に、全日本では、馬場が死に、三沢が社長になっていて、
三沢からも「お前、人気もアレだし、プロレスもアレだからアレですよ、と」と断られてしまい、元子に泣きつく。
結局、三沢はオーナー元子に逆らえなくて渋々、ウィリアムスの出演を受け入れるという・・・展開だったかな。
三沢にしみりゃ、ベイダーやスコーピオ呼んで、外人キャストも変えていこうしている時期に、
不人気・プロレス下手・金食い虫という悪い条件揃ってるウィリアムスなんて入れたくなかったのかもな。 次スレ立てれる人だれかお願いします
ホスト規制で立てれなかった・・・
>>98いちおう風じゃなくてガチだったみたいだよ
ルールが変則っていうななんか変なだけで ウイリアムスは93年、94年は凄かったけど劣化が酷いし、全日最後の数年間はアピールがくどくてうんざりだった。
一発屋のお笑い芸人が得意のセリフを何度も繰り返すのと同じくらいのくどさ。
試合内容がいい奴がアピールするならわかるけど酷い試合しかできない奴がアピールすると逆効果なんだよな。
お喋りする暇あったら次スレ立ててくれよ
立てれないなら空気読んで待機しろよ
>>977
まあとにかくビーチはキッドの引退試合で名を残したよな
そういう例では坂口にとってのカーシュナーとか吉村にとってのファーレスとか >>937
秋山・大森の全日本防衛記録更新の時だったか
クロファットの最後のアジアタッグ戦でも >>986
カシンなら「お前が立てろバカ!」って言うなw lud20220926041108ca
このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/wres/1515583244/ヒント:5chスレのurlに
http://xxxx.5ch
b.net/xxxx のように
bを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
TOPへ TOPへ
全掲示板一覧 この掲示板へ 人気スレ |
>50
>100
>200
>300
>500
>1000枚
新着画像
↓「全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレ Part13 YouTube動画>4本 ->画像>2枚 」を見た人も見ています:
・全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレ Part12
・全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレ Part10
・全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレ Part14
・全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレ Part11
・全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレ Part7
・全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレ Part5
・生涯一捕手・野村克也の現役時代を語るスレ part2
・68K〜初代PPC時代のMacゲームを語るスレ Part.3
・【2024年大河ドラマ】光る君への視聴率を語るスレPart1【平安時代】
・全日本女子プロレスを語るスレ★全女 ブル 北斗 アジャ 豊田 井上Part4
・全日本女子プロレスを語るスレ★全女 ブル 北斗 アジャ 豊田 井上Part3
・国鉄時代の鉄道ファンに感謝するスレPart3
・タイガージェットシンの全日時代、ブッチャーの新日時代
・ジャイアント馬場ジャンボ鶴田天龍源一郎三沢光晴川田利明小橋建太田上明秋山準大森隆男
・三沢 試合中に死亡、小橋 ガンで闘病の末引退、田上 胃ガンで全摘、川田 ラーメンだけ注文すると激怒
・全日本女子プロレスを語るスレ★全女 ブル 北斗 アジャ 豊田 井上Part5 (5)
・web歴史・時代小説を語るスレ 13口目
・国鉄時代の鉄道ファンに感謝するスレPart5
・三沢&小橋&川田&田上vsハルヒ&ルイズ&シャナ&こなた
・三沢・小橋・川田・田上・秋山・武藤・橋本・蝶野・健介・ガチ強順に並べると
・【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】
・川田利明はなぜ三沢光晴と袂を分かち全日に残ったのか [牛丼★]
・ジャイアント馬場ジャンボ鶴田天龍源一郎三沢光晴川田利明小橋建太田上明秋山準大森隆男
・白石社長時代の全日本は本当にガチンコプロレスだったのか?
・ハンセン、ゴディ、ウイリアムス、スパイビーの時代の全日本プロレス
・ハンセン、ゴディ、ウイリアムス、スパイビーの時代の全日本プロレス12
・ハンセン、ゴディ、ウイリアムス、スパイビーの時代の全日本プロレス11
・常吉時代の村上晴彦を語るスレ
・平成時代の高校野球を語るスレ
・web歴史・時代小説を語るスレ 7口目
・web歴史・時代小説を語るスレ 8口目
・web歴史・時代小説を語るスレ 3口目
・web歴史・時代小説を語るスレ 2口目
・web歴史・時代小説を語るスレ 5口目
・web歴史・時代小説を語るスレ 18口目
・神木隆之介くんの少年時代を語るスレ
・web歴史・時代小説を語るスレ 11口目
・各地区の黄金時代・暗黒時代を語るスレ
・全日本F2・全日本F3000を語るスレ
・【新日】ジュニアスター時代最強を語るスレ
・全日本F3選手権、 FIA-F4選手権を語るスレ
・氏なないで欲しかった時代劇のゲストキャラを語るスレ
・全日本吹奏楽コンクール 駄演について語るスレ
・〜ここだけ40年前〜 充実の輪湖時代到来!を語るスレ 17
・全日本吹奏楽総合スレ part110 愛されさん以外出禁
・昔の全日を語るスレ
・暇人どもが学生時代の思い出を語るスレ
・二沢大橋山田田下 全日四天王を語るスレ
・武藤全日本プロレスの何がダメだったのかを語るスレ
・【新事務所も間借り】ノアの何がダメだったのか語るスレ138【全日に土下座】
・【ズベレフ】新時代の若手を語るスレ【キリオス】
・【天才コンビ】 三沢、川田組ベストバウトを語るスレ 【王道プロレス】
・【潮豪豪「三沢・小橋はオレが超える」】ノアの何がダメだったのか語るスレ158【今更ですか?】
・ナルチョ時代のカシオペアを語るスレ
・インディーズ時代のPerfumeを語るスレ
・武家政権時代の公家、朝廷について語るスレ
・今さら武藤全日本を語ってみるスレ
・【野村】ヤクルト黄金時代の思い出を語るスレ【古田】
・【2003-2005】古き良き時代のランティスを語るスレ
・レーニン、スターリン時代のソ連について語るスレ
・1990年代の全日の何がダメなのか改めて語るスレ7
・【野村克也】ヤクルト黄金時代の思い出を語るスレ2【古田敦也】
・【1993年卒から】就職氷河期時代の奥様が語るスレ2【2005年卒まで】
17:01:07 up 2:09, 4 users, load average: 12.04, 12.53, 12.48
in 0.11943197250366 sec
@0.11943197250366@0b7 on 112007
|