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匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net YouTube動画>6本 ->画像>18枚


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1世界@名無史さん
2017/05/06(土) 08:15:36.540
匈奴=世界帝国
2世界@名無史さん
2017/05/06(土) 10:42:40.550
ここか
3世界@名無史さん
2017/05/06(土) 10:51:53.260
強度
4世界@名無史さん
2017/05/06(土) 15:43:41.320
匈奴をトルコ人はチュルク系にしたがっているが、
おそらく95%の確率でモンゴル族
人種も黄色人種

チュルク系も遠い祖先はモンゴル高原や大シシリアン山脈裾野のあたりが故地だが、
漢民族の大反撃にあったり、兄弟民族のモンゴル族に押されて西進して、
その長い西進のあいだに中央アジアに
元々暮らしていた白人系のイラン系民族を吸収して白人化して今のチュルク系民族になった
5世界@名無史さん
2017/05/06(土) 19:34:19.580
  匈  奴 [転載禁止](c)2ch.net
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/whis/1444573109/
6世界@名無史さん
2017/05/06(土) 21:18:01.140
古代中国は1字姓が多かったが2字もおり
官職や地名をそのまま付けるということで、司馬氏や公孫氏など混在した
そのように便利な2字姓がひじょうに増えたことがあり日本はその頃の影響で2字姓

前漢では「第五」なんて名前もあり印象が強く、第五は都で女にはもてたという

異民族に2字姓が多かったが匈奴の使う音を表記するとそうなってしまう
鮮卑の慕容氏などは富裕を意味するモンゴル語

のちに鮮卑の北魏の道武帝が漢化に熱心で、2字姓が多く蛮族丸出しで嫌い
1字姓に改名せよという布告をしたので中国の多くは1字姓になった

韓国の語源は、中国の三韓(新羅・任那・百済)であり汗国(匈奴王)
新羅の金氏、これは漢化した匈奴が使う姓であり前漢の名臣金日テイが有名
金日テイは匈奴の屠休王の息子
7世界@名無史さん
2017/05/06(土) 22:42:11.040
> 兄弟民族のモンゴル族に押されて西進

歴史文書がなかったら、内モンゴル人は外モンゴル人に押されて南下したというトンデモ歴史が作られそうで香ばしい。
わざわざモンゴル高原のようなやせた土地をめぐって争った前提のおもしろ歴史観ってどこから出てくるんだろう。
8世界@名無史さん
2017/05/06(土) 22:51:20.010
ジュチ一族はトゥルイ一族に押されて西進した(キリッ
9世界@名無史さん
2017/05/06(土) 23:30:29.500
モンゴルというよりこのあたりの中心地はオルドスね

オルドス地方には4000年前から遊牧民の文化が栄えて文明が進み
人口が増加していたことが出土品で明らかだ
オルドスが豊かな土地であるか?といえば現在はみるかぎり砂漠に過ぎない
ただ遊牧に適した土地である

中国の文献にはオルドスに狄(匈奴の祖先)があり、これはテュルク=狄ともされる

白い服を着た白狄がより漢民族に近く、赤い狄は蛮族でひたすら広い土地にひろがり
遥かに人口は多いとある。また赤狄は、有史以前にユーラシアを大征服した

のちに匈奴はオルドス地方に住む南匈奴、北のゴビ砂漠に住む北匈奴に別れるが
そのまま白狄・赤狄にあてはめればよい

文明も進み人口が多くなれば広い土地に広がろうとする、自然現象といえる
ただ。オルドス地方の文明が進む理由はわからない

中国人と世界帝国の匈奴が隣り合わせに住んでいたのは偶然の縁というよりも
おそらくは農耕と有文字文化をえらんだ狄が中国になると見るほうが自然であろう

匈奴の冒頓単于も、漢帝国にはかなり大甘と言うか
暖かい態度で接してる、匈奴世界帝国では、何もできない無職ニートの弟という扱い
10世界@名無史さん
2017/05/06(土) 23:46:07.580
そういや新石器時代のオルドスは森林帯だったっていうね。
11世界@名無史さん
2017/05/06(土) 23:51:42.150
匈奴なんぞ蹴散らしてしまえ
12世界@名無史さん
2017/05/07(日) 00:02:19.690
長狄というのもある
これは文字通りからだが長い一族で、孔子によれば身長6メートル

たまに狄でとんでもなく背の高い男と遭遇して中国人がびっくりしたのは想像がつく
むかし新宿で人混みのなかで身長2メートルみたけど飛び抜けててびっくりした

狄がトルコ系だとすれば遠隔地の白人と混血して肉食が主だしデカかったでしょう
13世界@名無史さん
2017/05/07(日) 04:07:28.350
>>7
実際はモンゴル族とチュルク族はオルドス地方が主居住地域だったのだろう
しかし、それとは別に少なくとも今から3000年前は、今は砂漠化ないし半砂漠化しているところの多くが
豊かな温帯林や亜寒帯の樹林ないしは豊富な草地であったことが分かっている
その年代の地層からブナ・シイ・カシ・アカマツ・ヒノキ・スギなどの花粉や実や葉の化石が出土している
また森林地帯が主な生息地であるはずの動物の化石も見つかっている
中東の肥沃な三角地帯と同じで、元々草木が豊富だったところを
人口増で人間が開墾し、過剰放牧や火を得るために森林伐採をしすぎて現在のような半砂漠になってしまった
もちろん、気候変動の影響もあるけど
14世界@名無史さん
2017/05/07(日) 04:23:14.310
匈奴とフンは、東西ヒャッハー蛮族の雄
15世界@名無史さん
2017/05/07(日) 06:52:55.190
狄はオルドスというくくりに限らず中原のあちこちに小国家を作り諸侯と混在した
白狄はとくに諸侯に仕え貴族になったり、縁戚化したり、中国に溶け込もうとした
周を滅ぼしたこともあり狄は集団としては手強い。戦上手だ

三国志の呂布みたいな感じだろう
春秋で覇権国の晋はなんども狄の大族と戦闘して、ときに娘を貰い、狄人の宰相もいた
楚との決戦では、中軍の将が狄人であり民族の混在が伺える

白狄は、赤狄と仲が悪かった。嫁取りもしない。赤い服も美意識で異文化をおもわせる

赤といえばロシアの都モスクワのクラースナヤ・プローシシャチ「赤い広場」がある
「赤」はソビエト社会主義ではなく、古代ロシア語で「美しい広場」という意味
先祖に赤狄の影響が伺える

朝鮮半島の南部では白い服が民族服とされて、朝鮮戦争では白い服の避難民が
大量に現れた。幽霊のようで米軍も中国軍もかまわず射撃して大きな犠牲が出た
16世界@名無史さん
2017/05/07(日) 07:37:43.180
現在イギリスの王族は赤い服を着ることが多い

赤い染料が高価だったために、エリザベスの時代に奢侈禁止令がでて
貴族や王族のみが赤い服を着れることになった。これに起因する
兵士も赤い上着チュニックをつかうためイギリス軍の別名をRed coatという

古代中国では朱砂という染料もあったが朱砂を掘り当てた者は巨万の富をえた
唐では女官は赤いスカートを履いて華美をほこったがこの染料は
植物性でアカネ・ベニバナとのこと

北米ではハンターは誤射防止の為、派手な赤の上着をつける法律がある
とくに人口希薄でひろい荒れ地で遊牧や狩猟をする赤狄(テュルク)には
赤い染料は高価でにせよ仲間を見つけやすく有用な先進技術だ

いずれにせよ赤い服というのは狩猟の場合、味方の弓矢の避けるために着る
オルドスの伯狄は、白い服を着て赤い服など臭い田舎者だと小馬鹿にした。

先進国オルドスではダサい服でも、文化も何もないロシアの田舎では赤狄(テュルク)
は美しいと思われた。イケメンが赤上着で馬で現れればロシア娘も赤面した
ヨーロッパは高価な赤い染料でも、上着に不可欠として争って買い求めた
17世界@名無史さん
2017/05/07(日) 09:30:34.930
>>15
昔、朝鮮人が白い服しか着てないなかったのは、
染料を開発できなかったのよ
日本のような染色原料が国内で見つけるとができず、
染色技術もなかった
貴重な染料で染めた服を着れたのは、貴族階級の両班ぐらい

現代韓国で放映されている歴史ドラマの中の朝鮮人の衣装は
韓国人がこうあってほしいという願望によるファンタジーだからw
18世界@名無史さん
2017/05/07(日) 10:51:37.520
赤い染料は紫外線で退色しやすくむかしは合成染料がなく長持ちしなかった
したがって服も買い換えるしか無く高価だった上に手もかかる

青いジーンズの染料であるインディゴは熱帯植物でインド原産だった
インドから輸入してるんだから値段も高いわで
中近東ではインディゴ染の青い服が富の象徴とされて女性にこのまれた
またアフリカでも結婚など晴れの日は青い服を用意した
しかしドイツで合成インディゴが発見、インドの農家は一斉に失業したという

中央アジア伝統があるのでお金持ちアメリカも作業着としてインディゴ染めを好んだ
またソ連時代の共産党の青年はアメリカ製のジーンズを持っていたが
田舎では垂涎の的で、若いソ連娘に米国製リーバイスを一本やるだけで
体を任せ現地妻になってくれたという。中古のボロでもかなり高価に売れたということだ。
19世界@名無史さん
2017/05/07(日) 11:57:29.630
日本の東北人は同郷の東北人に押されて、江戸に南進した(キリッ
20世界@名無史さん
2017/05/07(日) 17:16:42.980
赤狄と白狄ってそういう意味なの?
21世界@名無史さん
2017/05/07(日) 19:26:01.120
>>17
陶磁器も同じで、「白磁の国」といってるが、本当は染色技術がなかった
22世界@名無史さん
2017/05/07(日) 19:30:56.060
>>10
いまは、超巨大ゴーストタウンで有名だな
23世界@名無史さん
2017/05/07(日) 19:40:17.700
>>21
染物技術と陶磁器に色つける目的での釉薬って関係あるの?
高麗茶碗って別に白じゃないし
24世界@名無史さん
2017/05/07(日) 20:39:30.640
晋は赤狄に攻め込まれ刑丘までせまった。荀林父は言った
 「戦争を繰り返せば、使役される民は堪りません。赤狄に戦争を続けさせましょう」

赤狄の王は晋公の姉を娶る姻戚だったが、赤狄の宰相は王を閉じ込め目を潰した
晋公は赤狄を攻めるべきか諸侯にはかった
「赤狄の宰相は3つの物凄い魔法を使うと聞きますのでやめておきましょう」
「やつが死ぬまで待つべきです」

荀林父は、はっきりいって待ちの人でセコいのだが
ながらく晋の中軍の将をつとめて宰相であり、史実ではあまり戦争が上手くない文官の慎重派で
荘王率いる楚軍に負けたりして戦闘力も低い、地味だけど
なにげに赤狄戦では何度も撃破して戦果を上げていたりするので
この当時の晋国は楚との天下決戦より、異民族の対策のほうがよっぽど苦慮された
と考えると、ものすごい実用的な官僚だったりする
25世界@名無史さん
2017/05/08(月) 00:04:52.330
フフホトあたりだっけ?ゴーストタウン
26世界@名無史さん
2017/05/08(月) 12:01:31.550
廃墟になってるのはカラホトやね
フフホトは今でもおっきな街だよ

どうでもいいがフフホトで変換したらちゃんと呼和浩特って出てびっくりした
27世界@名無史さん
2017/05/08(月) 16:58:29.830
そういう廃墟的な意味のゴーストタウンじゃなくて今中国で問題になってる鬼城の方のゴーストタウンでしょ
28世界@名無史さん
2017/05/09(火) 09:43:29.700
あのへんは匈奴の血を引いた人たちも住んでるのかな
29世界@名無史さん
2017/05/09(火) 13:11:12.010
凶奴、兇奴って表記もあるのが凄いな
そりゃ欧米人がフン族の源流だと思っちゃうは
30世界@名無史さん
2017/05/09(火) 23:42:20.950
学会が躊躇しているが、もう匈奴=フン族でよくね?

もう状況証拠はいやっていうほどそろっているだろ
古代漢語で匈奴のことをフンヌって発音してたし
もうほとんど確定じゃん!
ローマ帝国臣民側の記述を読むと、外見的特徴が黄色人種そのものだし
確定!
31世界@名無史さん
2017/05/10(水) 00:40:09.870
オルドスで発見された銅釜とハンガリーで発見された銅釜がそっくりだった件もあるしな
32世界@名無史さん
2017/05/10(水) 08:00:17.910
なんで学会は嫌がってるの?
33世界@名無史さん
2017/05/10(水) 10:32:36.000
>>31
その釜はスキタイなどの西方の遊牧民にも共通だったかもしれない・・・とか難癖つけようと思えばいくらだってできる?
34世界@名無史さん
2017/05/11(木) 00:30:55.910
>>30
てか、中国ではフン(欧州)を欧州匈奴、アッティラは阿提拉単于って呼んでるようだが、
欧米や中国ではほぼ定説になってるんだろう。
35世界@名無史さん
2017/05/13(土) 11:56:03.630
「古代の人は時に病気になったり毒に当ったりと多く苦しめられた。
神農はあらゆる植物を吟味して民衆に食用と毒草の違い、民衆に知識を広めた」
とされており、多くの試行錯誤があったにちがいないが神農はお茶をすすめた

遊牧民が飲むのは団茶といわれて下等な茶葉をレンガのように固め発酵させた輸送用商品
遊牧民には一日三茶ということわざがあり多い人は1年に10キロものお茶を飲むという

中国茶やコーヒーは、文明国トルコがのんでるのみて「おれたち野蛮人も飲みてえ」と
ヨーロッパ白人が猿真似して伝播したが、お茶は二系統にわかれており
河北から匈奴遊牧民、インドやロシアに伝わりトルコにつたわる陸路のチャイ系
福建省の海路からオランダ船がいれたティー系の単語になる
日本もチャだからこっちだな
36世界@名無史さん
2017/05/19(金) 20:42:34.380
陝西省北部(内蒙古オルドスの南縁)の「漢族」の子供たちの写真だけど
このあたりは21世紀の今でも匈奴というか色々な諸民族にルーツを求めることができるような容貌の人々も多いようです。
陝西省北部はかつての統万城や明代の対モンゴル防衛の
拠点が置かれていた地域。下の地図の黄色の部分が陝西省・楡林市。

匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚
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37世界@名無史さん
2017/05/19(金) 20:48:11.070
>>28
このような髪色の人は
たまにモンゴル人でもいるよね
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚
モンゴル
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚
38世界@名無史さん
2017/05/20(土) 08:57:28.660
>>36
画像全部removedになってるぞ

>>37
そんな色の人は日本にもたくさん居るだろ
39世界@名無史さん
2017/05/20(土) 09:27:12.730
匈奴は政治団体だった?説
40世界@名無史さん
2017/05/20(土) 11:48:44.110
>>39
成立時期を考えると間違いじゃない
41世界@名無史さん
2017/05/20(土) 13:21:42.080
オルドス地方の南匈奴は19の種族によって構成されており、それぞれ雑じりあうことがなかった
屠各種は、歴代単于を輩出し、レンテイ部を中心に、独孤部、鉄弗部をだす
羯も19氏族の一つ

いってみればローマ都市国家の時代に、他の国家を軍事同盟国としてあつかい
連合していたようなかたち。彼らは兵を出し税を納める必要がない
カルタゴなど強敵がなくなり税を搾取する属州総督の制度を取ることになる

アメリカ合衆国も例えられる。米国がひろがると州のほか、フィリピンなど搾取する植民地をもつようになる
42世界@名無史さん
2017/05/20(土) 23:41:41.140
>>37
イルクーツク南部等、緯度が高い日光が少ない地域だと、
生物学的に色素が減り、黄色人種でも金髪碧眼が発生してくるのかな

興味深い写真だ
43世界@名無史さん
2017/05/21(日) 07:23:19.370
朝青龍や白鵬あたりにも、匈奴の血が入っているのかな
なんかロマンがあるな
44世界@名無史さん
2017/05/21(日) 09:42:01.850
碧眼は約一万年前ユーラシア大陸の中心部、いまでいう南ロシアあたりで発生した。
突然変異が増えた理由は性淘汰とされる
当時は明かりがなく暗い洞窟や天幕で囲う女は明るい色の目がこのまれた。
また暗がりでは若干視力が良いため屋内で一生過ごすなら利用価値もある
緑目もあるが中東に多くまだヨーロッパには多くないため新しく発生したものかもしれない

狄(匈奴の先祖、テュルク系)はオルドスに発生して有史以前のユーラシア大進出をしたのだが
もちろんアジア由来の高い文化と軍事技術を持っていた
大陸の人間は欧州や中国を含めて大柄な人間を好む。孔子や劉邦も長身で龍にたとえられた
洛陽の門番は身長2メートルもあり人はびびった。
英仏の貴族が主に北欧の混血をくりかえしたのも貴族は背が高い理由となる
中国も皇后はできるだけ身長が高い女がこのまれたそうだ。背の高い子が欲しいためだ
オルドスから南ロシアあたりにせめいった遊牧民は大型な白人と混血し今のトルコ人になる

フンのアッチラ大王が平たいアジア顔なのにゲルマン白人王に差別されず迎え入れられたのも
大昔に赤狄(匈奴テュルク系)のユーラシア大進出があったのも理由の一つだろう
45世界@名無史さん
2017/05/24(水) 10:03:58.600
アッティラのドルジ顔は確定なのか?w
46世界@名無史さん
2017/05/24(水) 14:40:23.040

こいつはチョン顔
47世界@名無史さん
2017/05/24(水) 18:36:10.700
アッティラは肌は黄色で背が低く短足で頭が大きい鼻は低く、いってみればおまえら
だが怪力無双だったという話もある。ここは日本人等と違う

秦の始皇帝も白人的な特徴を持ち胸板が厚くキン肉マンだった
という話もある。始皇帝の墳墓からイラン系の人骨が多く出るという
48世界@名無史さん
2017/05/24(水) 22:27:26.630
始皇帝の墳墓からってこれか?この記事によると労働者階級だぞ。

http://d.hatena.ne.jp/mujin/20060703/p1
49世界@名無史さん
2017/05/24(水) 23:13:53.170
紀元前770年に周が犬戎に追われて東遷した際に、秦邑の大夫は周王を護衛した功で
周の旧地に封じられ伯爵として諸侯に加わる
とはいえ他の諸侯からは蛮夷であるとさげすまれていた

もともと魯国の出であるとされるが、犬戎に囲まれた野蛮の地で同化した
ため婚姻なども他の国と異なったし野蛮人との混血も進んだ

とくに秦を強国にしたのは9代君主であり、春秋五覇のひとり穆公である
これまでの蛮族をみくだす外交を変換して遠くの国にも礼を尽くすように改め
犬戎たちは歓喜し西戎の覇者に成り上がる。これが大国の基礎を置く石である

第28代となった荘襄王も始皇帝の曽祖父で白起将軍が超大国の秦を形成した
この王は即位したとき幼少で母親の宣大后が摂政する

しかし超大国の秦であっても当時は関西本拠の北半分は蛮族のものである
宣太后は族長と通じて子を何人も産み、油断させ咸陽に招き情事の中で殺したとされる

これによって関西地方がすべて秦に吸収という大手柄を立てる
宣太后がいなければ、関西半国の秦では始皇帝の天下はまだ遠いものだったろう
50世界@名無史さん
2017/05/24(水) 23:31:27.060
呂后が冒頓単于から「一発ヤりましょう」と手紙もらって激怒したが
季布に「そもそも秦がほろんだのは匈奴対策で人民を疲れさせたためで
世が落ち着いたのに匈奴と戦うのは愚かです」と説かれ諦めてる

中国三大悪女の呂后よりも宣太后のほうが淫乱冷酷さでは上に見える
51世界@名無史さん
2017/05/25(木) 00:02:02.840
呂后は政治を私した悪女だけど淫乱ではないからなぁ。
そして匈奴には劉邦存命中でも勝てなかったのに呂后の時代に勝てるわけがない。

淫乱でいうならやっぱり始皇帝の実母でしょう。後宮に男を連れ込んで子供まで作って
息子を困らせた。
52世界@名無史さん
2017/05/25(木) 00:33:44.890
アッティラがローマ皇女と結婚して領土を求めたというのも遊牧民の慣例だろうが
金持ち同士で婚姻して財産を膨らますのは一番うまいやり方だ
中世以後はほぼ結婚に寄る集散がドイツ勢力図の塗り替えになる
戦争は非効率だから呂后もひとつがまんしてもらって単于と寝ていただくのがいちばんだね
53世界@名無史さん
2017/05/25(木) 01:37:52.550
犬戎とケンインははたして匈奴の源流なんだろうか?
54世界@名無史さん
2017/05/25(木) 10:39:03.490
同じものだが北は狄
55世界@名無史さん
2017/05/25(木) 12:58:18.340
狄はチュルクの音訳に、悪字を充てたって説は有名だけど、
戎はフンの音訳に、悪字を充てたってことはないの?
56世界@名無史さん
2017/05/25(木) 19:14:04.100
>>55
中国人(漢民族)は現在も大昔も、中華思想だから当然悪字を充てているでしょう
狄、戎なんて、蔑称そのもの
中国人め、いつの時代も尊大な上から目線で周辺を見下しやがって!

っと、東夷であり倭奴の末裔である日本人の俺はそう思うわ
57世界@名無史さん
2017/05/25(木) 19:19:50.030
>>56

  Λ_Λ  
 <=( ´∀`)  
 (    )  俺は日本人だし・・・・
 | | |   
 〈_フ__フ

  Λ_Λ    
 < ;`Д´>  あ…
 (    )ポロ 
 | | |  ヽヽ
 (__フ_フ =( ´∀`)
58世界@名無史さん
2017/05/25(木) 20:28:31.660
中原の諸侯からみれば秦こそは犬戎の親玉

さらに周王そのものが陝西の奥の一族とみられ
姫発つまり武王が商を倒したことで天下を取る
都は鎬京、長安の古名である
おそらくまわりは犬戎でいっぱい、それどころか周も犬戎の親玉だろう

周代の貴族は羊の革の服を着て羊肉を食べていた
どうみても先祖は羊飼いそのもの

周王の権威を誇る魯国は孔子を産んだが
しかし支配貴族は革服を着て羊肉を食べていた
なお羊肉は高価で庶民は犬肉で代用する。これを羊頭狗肉という
59世界@名無史さん
2017/05/25(木) 23:27:44.690
羊頭狗肉は「羊頭を懸げて狗肉を売る」なんだから”犬肉で代用する”では意味が違うだろう。
60世界@名無史さん
2017/05/26(金) 01:40:38.600
>>55>>56
771 BC Huns (Ch. Jungs) invasion of Zhou China. Zhou capital Hao falls
フン(中国語 戎)が、中国・周に侵入、周の都・鎬京陥落

ってあるね

フン族デートライン
http://s155239215.onlinehome.us/turkic/70_Dateline/71_Huns/hun_dateline_1_En.htm
61世界@名無史さん
2017/05/26(金) 02:31:44.730
>>60
話は脱線するが、その英文だけでも、
もうすでに、フン=匈奴と認めるようなもんだね

残された謎は、モンゴル系かチュルク系かどちらかだ
モンゴル人は気にしてないが、トルコ共和国のトルコ人にとっては
歴史教育に関わる重大な事柄だw
62世界@名無史さん
2017/05/26(金) 03:44:27.290
犬戎なり北狄なり遊牧民・羊飼いとたいして先祖は変わらない周王だが
文字文明をもつ中原と無文字文化の蛮族の違いは何処かといえば
周邑が発祥地になったと伝えられる。孔子が誇る文明人はまさに周王たちだ

邑とは、木製の枠をつくり、そこに砂や石を投げ入れて突き固めて作った城壁
後漢でも農民がこのような砦を急造したとされるので動乱から身を守るもの
この城壁に囲まれる都市が周邑や秦邑であり、内部で文化を発展させる
日本では城塞都市はほとんど発達しないがモスクワもロンドンももとは城塞だ

カエサルのガリア戦記でも蛮族は木枠に石を投げ入れ城壁を作ると描写され
どうやって学んだのか知らぬが固い壁だとローマ人は褒めてる。もとはアジア由来だろう

多くの邑は王様がいた。だが時代が下ると大国の傘下に入り征服されて
大国の役人が派遣されて治めるようになる。これが県と称する

県(懸)の文字は罪人の首を糸で吊ってさかさにぶら下げるさまを指す
むかしはこれが国境のしるしだったそうな
周辺の無法者の首を切って下げるのか?征服された前王様の首か(ヒェッ)

こいつら周王軍は革ジャン着て北斗の拳の拳王軍みたいですな
63世界@名無史さん
2017/05/26(金) 04:04:48.520
増加するイスラム移民に反対するドイツ人は移民キャンプにたいして
金網で壁を作りなかに石を投げ入れ城壁を作るとされてる
ドイツ白人は恐らく先祖のゲルマンの知恵だとほこってるだろうが
この壁の製法は東方アジアがもたらしたものだろうな

ドイツの民族服は革パンツ。北欧も革パンツを愛用する
このパンツは頑丈で一生使えるが一生洗わないので垢まみれで臭い

戎服とは中国風の軍服であり革で作られた鎧。
犬みたいな鼻筋の通った人間が軍服を着てるのが犬戎の蔑称だから
トルコ系・イラン系の血が濃いのです
史書によれば匈奴の羯族は鼻が高くひとめで区別つくそうで
だいたい当時には革の軍服をきた鼻の高い奴らが多かった
64世界@名無史さん
2017/05/26(金) 09:38:13.560
>>61
匈奴どころか、犬戎もフンだと言ってるwww
65世界@名無史さん
2017/05/28(日) 13:31:34.850
イギリスや日本は長弓ロングボウをこのんだ

また東方の異民族を意味する東夷とは、人が大きな弓をかまえる姿を指す絵文字
おそらく狩猟民は西部劇のカウボーイのように大きな弓をもっていたため
中原の都市で異風を放っていたのだろう

遊牧民は動物の腱を貼り合わせた合成弓をつかっていた
長弓よりはるかに優秀で二倍の威力がある
スキタイや匈奴やフン族などこれを得意とした。
古代エジプト人が弓を重んじたとされたがケルト人は軽視し戦士は持たず
非力なものに持たせた。ゲルマンはフン族から合成弓を学んでケルト人を圧倒

西欧史ではエジプト古王国にあらわれるヒクソス人がアジア遊牧民で合成弓を携えていた
約4000年前のことである

ヒクソスは「異国の支配者」を意味する古代エジプト語で第15王朝を立てる

当時の人名についても東方の要素が見られており、ヒクソスと「アジア遊牧民」に
強い繋がりがあったこと自体は疑う余地が無い
66世界@名無史さん
2017/05/28(日) 21:19:34.920
>>65
ヒクソスって、じゃあ、黄色人種だったんだろうか?
それとも、ヒッタイトのように単にカスピ海南部の方から南下してきただけで
民族インド・アーリア語族だったように白人なんだろうか

いろいろ想像が広がるな
67世界@名無史さん
2017/05/28(日) 22:02:01.970
動物の腱を貼り合わせた合成弓は動物を解体したり
手間もかかり解剖知識も要ったので遊牧民の秘伝で
農耕民にはつくれない
最強のはトルコ弓で600メートル飛んだ
テュルク族の起源はオルドスの狄だから遊牧のエリートと言えよう

そもそも弓手はかなり鍛錬が必要であるが原始的なアジア狩猟民は
弓手をあつめるのは容易でそれがモンゴル帝国の原動力だったとされる

極めて高価だが東ローマ帝国のように購入していた例もあるが
遊牧民の弓は農耕民にはとても扱えぬことも有り
冶金発達した東南アジアでは
強力な機械弓の弩・クロスボウが発明されて
斉の国などは孫子の指導でいちはやく弩を大量採用
遊牧民の強弓に対抗するため機械弩は中原国家に標準採用される
イタリア都市国家もクロスボウ傭兵に専念した
日本も弩は伝わるが高価なためすたれる
68世界@名無史さん
2017/05/29(月) 01:00:13.920
>>66
ヒクソスは武力で侵攻したというよりも移住してきて定住したアジア系が力をつけて政権を奪取した
のではないか、とも言われている。アジアといってもシリア・パレスチナあたりにいた西セム系と考えられ
ていて、旧約聖書に出てくるヘブライ人のエジプト移住がこの時代ではないか、とも言われている。
ヒクソスの中にヘブライ人が含まれてるんじゃないかという事ね。

ヒクソスについての記録はヒクソスを追い出したエピプト人に依るものなので実際以上にヒクソスを
敵視して書いてるんではないか、という疑いがある。
69世界@名無史さん
2017/05/29(月) 09:24:43.910
日糞すなんてクリスチャンの俺も知らなかったぞw
70世界@名無史さん
2017/05/29(月) 10:03:21.700
ヒクソスは「海の民」と並んで正体不明の民族だからねぇ。
71世界@名無史さん
2017/05/29(月) 20:05:33.060
エジプトは、北部の海に近いほうが下エジプト、内陸が上エジプト
現在もそうだが都市人口は下エジプトが多く上エジプトは農耕主体で保守的

下エジプトでは異民族ヒソクスが信仰した邪神セト神が隆盛を極める

エジプトのラムセス王朝は下エジプトの出の軍人でセティ一世(セトの王)が即位
セト信仰を復活させたため、ラムセス家はヒクソスではないかとも言われる

ラムセス王のミイラから調査するとずば抜けた長身2メートルですごいワシ鼻で黒髪の巻き毛
確かに小柄でハゲと言われる当時の貧弱なエジプト人らしくない
72世界@名無史さん
2017/05/29(月) 22:34:55.600
>>71
>エジプトは、北部の海に近いほうが下エジプト、内陸が上エジプト
ナイル川が基準だからな。

>下エジプトでは異民族ヒソクスが信仰した邪神セト神が隆盛を極める
セト信仰自体は古くからあって第2王朝のファラオがセト・ペルイブセンと名乗ってたりする。
ヒクソスがアジアの嵐の神バアル信仰を持ち込んでそれがセトと同一視されるようになった。
考古遺物からヒクソスと思しきアジア系が住み着き始めたのは第12王朝の頃と思われる。

下エジプトを支配したヒクソス政権を第15王朝、その支配を受け入れた諸侯をひとまとめにして
第16王朝と呼ぶ。テーベを中心に上エジプトを支配したのが第17王朝。第17王朝はある時期まで
ヒクソスの支配を受け入れていたが力をつけるとヒクソスに戦争を挑むようになった。そして
ヒクソスを追い出して全エジプトを統一したイアフメス1世以降を第18王朝と呼ぶ。この第18王朝の
末期がツタンカーメン王の時代である。ツタンカーメンの父アメンヘテプ4世は当時信仰の中心で
権力を握っていたアメン神官たちの力を削ぐためにアマルナ革命と呼ばれる一大改革を断行した。
アメン信仰をやめて新しい神アテンを崇めよといい、自分の名前もアメンヘテプからアクエンアテンに
変えた。しかしアクエンアテンが死ぬとアメン神官たちの巻き返しが始まり若い王も名前をツタンカーテン
からツタンカーメンに変えざるを得なかった。そんなこんなで第18王朝の血統は混乱のうちに死に絶え
最後のファラオ(彼も軍人出身だった)の親友にして腹心だったラムセス1世が即位して第19王朝が始まる。
73世界@名無史さん
2017/05/29(月) 23:29:01.850
「海の民」はギリシャのアカイア人、イタリアのエトルリア人、サルデーニャ人など
地中海人種のすべてがまざった海賊だったようだ
ミケーネ文明を断絶させて陸軍国ヒッタイトを滅ぼし老大国エジプトにも大攻勢をかけ
あとかたもなく消えたなぞの民族だ。

ただ後にアレキサンダー大王が今のレバノンに当たる都市テュロスに艦隊包囲を
しかけて7ヶ月かけて破壊したこと、
多くのギリシア文学にバアル信仰や人身御供などの風習を持つ残忍な海賊として
登場したのがテュロス人だったことは広く知られてるので、少なくともレバノンが
海賊の根拠地だつたことは疑う余地がない
歴史の上ではアレキサンダーに攻撃されそれ以後は壊滅してる

バアルは雷神だから遊牧民独特の天空神と同系だ
ヒクソスもバアル信仰は持っていたようだが、牡牛の銅像のなかで高貴な子供を
火あぶりにして愉悦するような奇怪な儀式も行っていたのだろうか
西欧では邪神セトはデビルあつかい、悪魔信仰とされてるね

嫌悪されてるバアル信仰だが旧約聖書でのユダヤ人は隠れて信仰するものが多かったとされてる
74世界@名無史さん
2017/05/30(火) 00:33:38.380
いや〜
このスレは世界史の勉強になるなぁ
読んでいて面白い
75世界@名無史さん
2017/05/30(火) 10:52:52.720
難しいなぁ。セト自体は邪神では全く無いと思います。同一視されたバアルが旧約聖書で
約束の地カナンの現地民(カナン人)に深く信仰されていた。そしてユダヤ人の中にもそれを
受け入れる者が出てきたことから余計に敵視され避難された。それが後のキリスト教世界で
バアルが悪魔視された原因でしょう。邪神としてのセトについては俺はそこまで悪魔学に
詳しくないのでわからんです。

人身供儀については旧約聖書に「イサクの燔祭」という説話があってアブラハムは神の
お告げで愛する我が子イサクを犠牲として捧げようとします。伝統的にこの説話は当時
普通に行われていた人身供儀をやめさせるために神が試練を与えたと言われてますが
仮に神が止めなかったらアブラハムは息子を殺してたわけで、バアル信仰のそれと何が
違うのかと素人考えでは思うのです。
76世界@名無史さん
2017/05/30(火) 13:43:54.260
>>73
ヒャッハーはフン族だけじゃなかったな
海の民の海賊のほうが上じゃないか?w
77世界@名無史さん
2017/05/30(火) 20:33:29.230
日本でもそうだが船乗りは迷信深いもの
嵐にあうと人身御供して祈るというのは古事記から知られてる
入れ墨してると溺れないという迷信もあり英国の水兵が
腕に刺青してるのはこの信仰から

海の民にかぎらず初期の貿易商人は武装船だし
そのほうが儲かるとわかれば簡単に商船おそう海賊船になる
商人と海賊が曖昧なわけだが日本も戦国時代はそんな感じ

嵐の神バアルに犠牲を捧げるという儀式は
海賊の琴線に触れるものだったろうし
熱狂的なバアル信仰となればおおくの地中海の雑多な人種が連合して
大艦隊をなしてもふしぎではない
海からの攻撃に未知だった当時の帝国が滅んだのも理屈は通る
78世界@名無史さん
2017/05/30(火) 22:33:49.410
>>74
ネタをネタと見抜けない人に2chは向いてない
コイツはアスカくんといってレスの内容はでたらめもいいとこだぞ
79世界@名無史さん
2017/05/31(水) 09:53:25.180
日本人は漢字文化の中国に影響されがちだが
もちろんそれは都合の良い捏造史であってひきこもりの書いてるノートみたいなもの
中国やエジプトのような象形文字の連中はアジア遊牧民を見下していたようだが
地球上を広く覆っていたのは無文字の遊牧民

地理人種的にもほとんど縁がなさそうなアフリカ黒人でも大帝国は遊牧民がつくる
ソンガイ帝国マリ帝国、アフリカではいまでも遊牧民は非常に多い
人種はともかく文化的な繋がりは中東とあったようだ

狄がトルコに移動したように地球半周など
わけもない連中なので地球上あらゆるところに馬を走らせ遊牧文化は伝播した
汎地球文化と言っていっていいのではないか
80世界@名無史さん
2017/06/01(木) 00:00:41.920
>>79
同感です
俺も漢民族の文明より、モンゴル高原やオルドス峡谷あるいはソグディアナ盆地に起源を発する
遊牧民族にロマンを感じる

想うに、漢民族は文字を発明し記録を頻繁に残すことによって、
後生の歴史家に影響力が大きく、
そのため、漢民族と敵対した遊牧民をことさら蔑む表現や野蛮、
残忍、無知というレッテル貼りが容易に出来た。
そのため、本当の実態以上に漢民族と対立した周辺民族が
ことさら悪く書かれているに違いない。

我々、大和民族(日本人)は遊牧民じゃないが、同じく文字を持たない民族だったため
その時点で蔑む印象づけが漢民族により行われてしまった。
ただ、文字を獲得してから民族の歴史をさかのぼって記述(古事記など)して、
自文化内だけであったが漢民族側のネガティブな印象づけを払拭することができた。
81世界@名無史さん
2017/06/01(木) 00:21:57.140
上エジプトの保守的な農民が下エジプトの下品なセト神やら
アジア遊牧民にいだいた嫌悪も同種のものでしょう

古来エジプトの文化は誇り高い
しかし世界を股にかけたアジア遊牧民にすれば笑止
自分らは遥かに高い文化背景がある
82世界@名無史さん
2017/06/01(木) 00:44:05.210
匈奴鉄弗部の出身赫連勃勃は、匈奴王の直系にふさわしく
容姿は抜群に美しく、その学問と見識は多くのひとを心酔させた
後秦姚氏をほろぼし北魏と対決し、天下をにらみ
オルドスの中枢に統万城をたてた

しかし赫連勃勃は快楽殺人マニアとして知られており
常に弓と剣を側に置き、気に障ることがあればその者を殺した。
直視する者がいればその目をつぶし、笑う者がいればその唇を裂き、
諫言をする者がいればその舌を切り、それから斬り殺した。

羊飼いをしたがえ家畜をしめるもうまく、戦争も上手い遊牧民の王と、
臣下の無能や堕落をのみこむ農耕民の聖王としての資質が同じものかと言えば
むずかしい
大国を支配するものにはある程度の鈍感さや度量の大きさが必要であるが
無用の羊は殺してしまえというのが決断力を持つ遊牧民というもの

エジプトにアジア遊牧民が嫌われたのも統治手法に違和感があったのかもしれない
83世界@名無史さん
2017/06/01(木) 05:53:14.770
>>80
ミヌシンスクも起源 じゃなかったか?w
84世界@名無史さん
2017/06/04(日) 23:16:26.970
大匈奴帝国の単于を主人公にした壮大な戦争ものの映画をハリウッドで制作してくれないかな

敵は漢民族の中原の王国
85世界@名無史さん
2017/06/04(日) 23:22:20.490
なんでハリウッドw
冒頓単于の父殺し辺りは絵になるかな
86世界@名無史さん
2017/06/04(日) 23:26:36.810
だって東宝じゃ・・・
87世界@名無史さん
2017/06/10(土) 22:59:08.890
死んだ兄の嫁を弟がもらうレビラト婚はイギリスから日本まで広く見られる
女を使いまわすそれだけ女を大事にしたともいえるが
とくに匈奴(赤狄)・チベット族(犬戎)に多く唐・金・清の王族にもひきつがれる
晋の文公は最初は拒否しつつも秦公女とレビラト婚をしてる
なお儒教が浸透した江戸時代では嫌悪された
島津家久などの例もありふるくから下層民は好んで行ったとされる
88世界@名無史さん
2017/06/14(水) 23:16:30.020
西洋人はほぼフンの源流と確信してるからな、匈奴は
89世界@名無史さん
2017/06/16(金) 22:35:52.400
戦争中ドイツ兵は「フン」匈奴の蔑称でしられた

アッチラ大王は多くのゲルマン人を従えてフランスに進撃した
大王の臣下であったチューリンゲン族は現在のドイツに定住してドイツの祖先とされる
フランスで多くの暴行狼藉を働き恨みを買い
のちにフランクは復讐としてチューリンゲンの乙女を車裂きの刑にかけた

ついこのあいだまで世界最大のワーゲン社の会長ピエヒ氏はポルシェ博士の孫である
ポルシェの姓は東欧のボリスが由来であり匈奴のバートルつまり勇者を意味する
ドイツでは身分が厳しく最も尊敬されるのは(世襲の)大企業経営者か司教のような聖職者
すなわち身分制度の厳しいドイツ最高の名家が匈奴だったというわけだ

アッチラ大王は当時の正義心を体現した徳の高い騎士王として北欧では絶賛されており
野蛮なヨーロッパに騎士道精神にもたらし発明したのはこの人ともされてる
これも遠いオルドスや中国で培った徳だろうか
90世界@名無史さん
2017/06/17(土) 16:22:10.360
>>89
なんか俺が高校時代に習った話とずいぶん違うフン族の評価だね

フン族=匈奴(おそらくほぼ間違いない)だとして、
匈奴もたびたび中国の中原農耕民居住地帯を襲い、
農村を荒し、穀物、家畜、女子供をさらい、農夫の男どもを皆殺しし、
恐怖と殺戮を与えた悪魔として記録されている
とても、高貴な倫理観を持った慈悲深き征服者ではない

あと、フランク族もゲルマン民族だから
チューリンゲンと同族だよ
古代ローマ時代西暦0年頃の居留地はライン川の東方、現在のドイツ
91世界@名無史さん
2017/06/17(土) 16:50:11.300
フランスとドイツの違う部分は、もちろんゲルマン人とガリア人という違いはあるが
フランスは早くから文明国ローマの属州ガリアになっていた点が異なる
ローマ人は争いは裁判となる
弁護士の職業も古くローマの政治家は弁護士あがりが多い(アメリカのオバマ大統領も同様だ)
キケロやカトーが有名だろう
ローマの法律は厳しくだからこそ恐れられた

ところでライン川を越えてゲルマンは私闘で決着を付けていた
短剣を持ち歩くのが常識でアングロ・サクソンのサクソン人などはこの短剣に由来する
フランク族がガリアに侵入するとほしいままに隣人の目を潰し娘を犯した
被害者のガロ・ローマ人も10年もすれば短剣を持ち歩き目を潰し娘を犯した
と司教グレゴリウスは嘆いてる
この私闘の風習は中世騎士の時代までずっとつづいた

しかしフランス人は、ブリテンやドイツのような北辺の野蛮人と違ってまともな文明があり
文化的に優越してるフランス国という自負はずっとつづいてる。
またじっさいフランスの犯罪率もドイツや英国よりずっと低いのだそうだが・・
もっともフランスが嫌ってるのはベルギー人だそうだ。知能指数が低いとかナントカで
当然ベルギーもフランスを嫌ってる
92世界@名無史さん
2017/06/17(土) 17:07:33.250
>>91

貴殿はフランス好きのお方かもしれんが
その見解は間違っている

俺が欧州に旅行いったとき(20年前)の感想だけではなく実際の統計データでも
フランスの方が治安が悪く、特にパリは怖かった(移民が多いせいもあったが)
一方、ドイツは比較的治安が良好だった
パリはゴミが多かったし、犬の糞も目立った
フランクフルトは、そんなことなかったよ
国民性からいってもドイツ人の方が規律正しく、フランス人は適当って感じ
93世界@名無史さん
2017/06/17(土) 17:46:34.480
フランスはヨーロッパの大半の農耕好適な平原をしめる大国で
山ん中で厳寒で土地が痩せてるドイツよりずっと豊かだった
ドイツで豊富に取れるのは低品質な泥炭ぐらいなものだ

ルイ王朝時代はドイツ人と言えば、パリでは街の掃除人やったり
家政婦として巨乳で不倫したり、出稼ぎ労働者と思われた

フランス王はドイツ傭兵を採用してた。命の危険のある兵隊とは言え
まずしい故国では考えられぬ魅力あるしごとだった
しかしフランス革命でドイツ兵は王党派と考えられて仕事を失った

かれらは米国に渡った。げんざいでもアメリカでドイツ系白人が多いのはフランスで
家政婦の仕事にあぶれたドイツ女性が大挙して移民し子をうみまくったから
植民地の悩みは何と言っても白人女が少ないことだから白人家政婦は歓迎される
94世界@名無史さん
2017/06/17(土) 22:38:18.360
ルイ王朝というあまり使わない用語を使っていつの話なんだか。
ドイツという国家ができるのはかなり後のことだけど。
95世界@名無史さん
2017/06/22(木) 03:12:58.430
>>89
ボリスってドイツやロシアなどで人気のある男子名だけど、
これもバートルからきてたのか?
知らんかった
96世界@名無史さん
2017/06/24(土) 05:23:23.610
モンゴルでは勇者バアトルは有力な指導者の称号でカアン(王)の下に位置する
ジンギスカンの父がバアトルだから、数百人の遊牧民を集められる経済力
10万石の大名クラスかね。清ではバートルの称号は管理されて世襲の大貴族のみ与える称号になる

ボリスの名前は第一次ブルガリア帝国のハーン、ボリス一世が西洋では遠祖とされる
ブルガールというのはアジア遊牧民で完全なモンゴロイド

この本家はやがて他の遊牧民に吸収されて大部分はハザールに従属しユダヤ教になったという
ブルガール汗の3男が西洋に侵入してギリシャあたりに第一次ブルガリア帝国をたてる

3男の配下はほとんどテュルク人とスラブ人になっていたが、ブルガリア国の20代国王
ボリス一世が重要なのはギリシャ正教を保護して国教化したことだ
南スラブ人の間に正教がひろまりロシアなどでもボリス一世は聖王として重要人物になる
ボリス・ゴドゥノフなどのちのロシア人にも多く出てくる名前になる
97世界@名無史さん
2017/06/24(土) 12:10:58.640
あえて比べるのなら戦国初期までの五千石くらいが良いかなと思う
98世界@名無史さん
2017/06/25(日) 02:51:36.370
>>96

現在のモンゴル共和国の首都がウランバートルというが、
そうなると勇者の何とかという意味なのかね

しかし、フン族がそのバートルというモンゴル語を使用していたとなると
ますますフン族=匈奴=モンゴル民族という解釈に正当性がおびてくる
トルコ人には申し訳ないがw
99世界@名無史さん
2017/06/25(日) 06:56:40.100
大丈夫
トルコの民族主義者はモンゴル人もトルコの支流の一つとみなしてるから
100世界@名無史さん
2017/06/25(日) 07:13:48.410
>>89>>95
デタラメいうのもいい加減にしろ!
ボリス Борисの由来はブルガール語で「狼」「短い」「雪豹」もしくはイラン系で「神のような」という意味の説が有力だ
https://en.wikipedia.org/wiki/Boris_(given_name)
The most common theory is that this name comes from the Bulgar language with meanings according to the different interpretations: "wolf", "short" or "snow leopard".[2]
Some authors, who support an Iranian theory about the origin of the Bulgar language derive "Bogoris" from the Iranian word "bog", which could mean "godlike".[3]
101世界@名無史さん
2017/06/25(日) 07:20:20.180
フンも匈奴も単一民族ではないだろ
102世界@名無史さん
2017/06/25(日) 08:36:22.660
4000年オルドスにいた古い遊牧文化が狄(テュルク)だった
完全なモンゴロイドであってモングルもお隣さん感覚
このテュルク語を、たまたま連合帝国の匈奴で採用してる・・的なモノ
多くのアジア遊牧民が、より古いテュルク語や文化を借用してる
だからモンゴル帝国は史上最大といいつつトルコ系民族のほうが広く分布してる
つまり狄の世界征服のほうが遥かに古かったし規模もうわまわってる
トルコ系=匈奴=フン=ドイツというのも正しい
そもそも白人の発祥はイラン・南ロシアあたりとされるから
ドイツではトルコを嫌悪してるが人種的には殆ど同じ民族だそうだ
103世界@名無史さん
2017/06/25(日) 08:50:16.920
>>102

出た! トンデモ学説w
104世界@名無史さん
2017/06/25(日) 09:33:51.840
現在のモンゴル国で最も尊敬されるのは建国者スフバートル
斧の英雄という意味だ
ともあれ現代のモンゴルでバアトルというのは勇者にとどまらず
かなり尊敬される称号
日本で言う征夷大将軍とか、欧米だと総統ぐらいの意味

モンゴル帝国における官職
カーン(帝) ・ ・ ホンタイジ(太子・副王) ・ ジノン(晋王)
ノヤン(遊牧貴族) ・ バートル(勇士) ・ ダルハン(勲臣)
という順序は意外に低い

モンゴル装甲騎兵を率いてドイツ騎士を打ち破ったバトゥ
はやはり勇者のアダ名
この人も敵に厳しく味方に優しい戦争向きの才能があって
おおよそ加藤清正みたいな「武辺者」の意味だろうか
105世界@名無史さん
2017/06/26(月) 01:57:11.510
フン族の初代君主バラミールの前に伝説のカマ・タルカンという伝説的君主が
存在したとの説があるが、
このタルカンは漢字では達汗とか達干とか書き、これがカンの源流なんじゃないか?
と、どっかのスレで見た
106世界@名無史さん
2017/06/28(水) 22:43:49.930
>>105
タルカンは>>104のダルハン(勲臣)のことだろ?
107世界@名無史さん
2017/06/28(水) 22:44:49.330
というかカン(汗)はもともと可汗(カガン)だろが
108世界@名無史さん
2017/06/29(木) 00:18:03.000
のちのウイグル(回鶻)に頓莫賀達干っていたが、まさに>>105のタルカンの称号じゃないか!
109世界@名無史さん
2017/06/29(木) 01:47:33.370
匈奴の単于は天子の意味で、天をおおうほど広大という
遊牧民の天信仰につながりがある
のちに単于は魏晋など皇帝からもらう称号になっており匈奴王、ぐらいの意味になった

可汗は突厥が自称した
鮮卑の長は大人(たいじん)だが北魏の漢文を考古学調査で判明したところによればカガン・可寒とも称していた
したがって鮮卑拓跋部がカアンの元祖との説も有力。北魏皇帝が蛮族を恥じて
過去をすて漢化をおしすすめ、このさいに多くの先祖の過去は消えた

孝文帝が奨励した漢化を止めて、固有の祖先文化に戻すため(先祖を重んじるのも儒教の影響だが・・)
北周が中国人が称していた「皇帝」号をやめ、「天王」を採用している。

唐の3代皇帝の高宗がはじめて「天皇」の称号を使用した。
太宗 李世民が突厥を撃破して「天可汗」の称号を遊牧民から送られた背景も有り
秦王政が周王にかわる君主号を詮議したときに古の上帝と三皇をとり、「皇帝」号を創始した
古い例にならったものだろう
110世界@名無史さん
2017/06/29(木) 02:05:37.920
現在の中国の庶民は「共産党の自国政府」を「天朝」という

中国庶民は歴史に興味あるのは唐まで、せいぜい隋唐で
これらがすでに鮮卑系の貴族王朝だったことを鑑みると
三国志から魏晋五胡十六国時代から北魏、北周、そして隋唐

それ以前は血の繋がらない異民族と見なしてる
現在の中国人は遺伝子的には鮮卑の血がきわめて濃い

数百年支配された鮮卑貴族制の強姦のためであろうが、この北魏の軍事貴族は
重武装の騎兵をもち中国人に太刀打ちできるものではなかった

この軍事貴族の力を削いだのは皮肉にも女、武則天の功績とされる
北魏・北周の古い体制を壊す試みの一つが神都や天皇など新しい称号だった
称号改定は則天武后の都合によるもので、高宗は強要されたのであるが
どうもそのせいか中国での天皇の称号はあまり定着してない
111世界@名無史さん
2017/06/29(木) 16:41:21.010
>>109
正式にはテングリ・グト・シャンユだっけ
112世界@名無史さん
2017/06/29(木) 20:05:31.590
匈奴がチュルク系にしろモンゴル系にしろ
いずれにしても人種的にはモンゴロイドであったことは明確にしておかねばならない

チュルク系が現在の顔立ちになったのは、中央アジアの先住民だったインド・アーリア系(イラン系)の
コーカソイドと混血したからだ
特に現在のトルコに住むトルコ人は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の臣民だった
ギリシャ系、スラブ系、イラン系(いずれもコーカソイド)の住民と混血したからだ

オスマントルコ皇帝のスレイマン1世なんかも母親はギリシャ人だったいうし、
もう、遠い昔のモンゴロイドの原型を皇帝自らとどめていない
113世界@名無史さん
2017/06/29(木) 23:25:16.490
冒頓単于想像図
http://www.haberturk.com/tarihte-bugun/haber/962619-metehan
114世界@名無史さん
2017/06/30(金) 01:57:10.010
>>113
トルコ人のサイトだもん
そりゃ、現代トルコ人に似せて描くよ

3000年前のモンゴル高原のそばに住んでいた、
あるいは、さらに東の現在のヤールー川流域に住んでいた頃の
チュルク系を描いて見せてくれよ
115世界@名無史さん
2017/06/30(金) 05:50:30.990
>>113
笑っちゃうくらいイケメンだなw
116世界@名無史さん
2017/06/30(金) 06:17:41.540
アジア人と白人がどっちが美人かということでは、現代日本はテレビなどで洗脳されてるのだが
白人が美人だというわけではない。世界のテレビのない土人にきくとエスキモーもパプアニューギニアも
アフリカ黒人まで日本人女優の写真を可愛いといい白人女優は論外という

マリリンモンローの写真に「なんだこの怪物は」と怒った男もいたという
モンゴロイドは幼体だから日本人は異人種や土人でも自分の子供に見えて概ね可愛いし
白人女はきつい男顔だから敵対心が湧くんだろうな

モンゴルが世界征服した時も白人娘をブスだといい嫌っていたというのがロシア民話にある
西方のフランク人はもっとお岩さんにみたいにゴツゴツして醜い顔と聞いてがっかりしたという
トルコ人が西方に流れてきたときも白人女はやむをえず食うマズい救荒食物みたいな扱いだろう
117世界@名無史さん
2017/06/30(金) 08:34:53.230
>>113
そのヒゲがなあ
ラーメンマンの罪は重いよな

>>116
中央アジア美人多いよね
中国で新疆のオサレな写真集のような旅行記のような本買ってきたけど、そこに載ってる女の子たちが化粧もしてない、顔は埃まみれ、しわも多いのに惚れ惚れするほど綺麗だ
香妃もあんな系統の顔だったのかな
118世界@名無史さん
2017/06/30(金) 09:03:59.950
イギリスのフィリップ殿下が香港いったときに「中国人はみんな同じ顔だ」と感想を漏らした
逆に、アジア人が白人の国に行くと皆同じ顔に見える
これは黒人もおなじで、アフリカ人は先進国にいくときよく偽パスポートを使うのだが
パスポートに別人の写真がはってあっても
空港の白人係員は皆黒人は同じ顔に見えるためつい見逃してしまう。

異民族の集団に入り込むと最初は戸惑うが、たとえガイジンでも日本に数年居ると
感覚が日本人と同じになり電車に外人がのってくると(自分も外人なのに)
あっガイジンだー!と思うようになるそうだ

いかにも日本に慣れないガイジンはブスの日本女をつれてることはよくあるが
彼らからすると日本人はみな同じ顔(皆美人)にみえるのを女が利用したもの
ただやはり数年すると白人も馴れて、こいつはブスだ、騙されたとわかるようになる

アジア遊牧民が西欧に行っても最初は「ブス、岩石顔でたまらん!」とか思ってるが
性交してるうちにだんだん白人女も、こいつは美人だなとわかるようになる
119世界@名無史さん
2017/06/30(金) 10:02:03.210
>中央アジア美人多い

完全同意
なんとかスタンの女性とかビックリするくらい美人多い
顔も超小さいし
120世界@名無史さん
2017/06/30(金) 12:41:47.520
>>113
パタリロに出てきそう
121世界@名無史さん
2017/06/30(金) 22:56:00.970
パタリロ=平たい顔族
122世界@名無史さん
2017/07/02(日) 00:08:47.180
匈奴の冒頓単于に東胡はほろぼされ残党は烏丸や鮮卑となった。

烏桓や鮮卑は育てた家畜を税として匈奴に取り立てられて
規定の数が揃わないとかわりに妻や若い娘を攫われた

烏丸の力がだんだん強くなり、冒頓単于の墓を暴いてはずかしめ
冒頓単于に敗れた東胡の恥に報復した。匈奴が激怒して
2万の騎兵でおそうがこれを知った漢の将軍の霍光は匈奴について
烏桓の村をおそい無抵抗の女子供を六〇〇〇人を惨く殺した

こうして烏丸は酷く弱り、孝武帝の時に烏丸の大人は漢に降伏した
彼らを長城の内側に居住させて王位をあたえる
やがて力をつけると烏桓は後漢の命令はきかなくなった

袁紹は烏丸をてなずけてそれぞれ単于の称号を与えた。
曹操は袁紹の残党を追い、烏丸を撃破し、死者は野を埋めた(白狼山の戦い)
烏丸の没落で匈奴・烏桓・鮮卑で最も弱かった鮮卑は
力をつけてのちに天下を取る

烏丸はやることもドキュソだけど霍光や曹操にボコボコにされてかわいそう
123世界@名無史さん
2017/07/02(日) 02:18:00.110
>>122
俺頭悪いから、権力者、地名、民族名に
漢字がいっぱい出てくる中国史は苦手だわ

なんて読んで良いのか分からん
124世界@名無史さん
2017/07/02(日) 04:08:40.940
>>117
冒頓単于とラーメンマンが何か関係あるのか?
125世界@名無史さん
2017/07/04(火) 09:57:18.610
ひげ
126世界@名無史さん
2017/07/04(火) 12:44:13.590
>>119
カザフスタンの美人バレーボール選手を日本のテレビ局がバラエティ番組に呼んでたのをゆうべ見かけた
今までネットに上がっていた写真と違って、あまりにモンゴロイドし過ぎていたなぁ
127世界@名無史さん
2017/07/04(火) 13:14:04.350
>>113
こっちの冒頓単于のほうが精悍な顔つきだなw
http://sanathocam.blogspot.jp/2016/02/metehan-kimdir.html
128世界@名無史さん
2017/07/04(火) 15:00:23.580
>122
ゲームがあればすぐ覚えるのにね
129世界@名無史さん
2017/07/04(火) 15:00:56.220
冒頓単于
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚
http://p.twpl.jp/show/orig/OM2mf
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚

信頼できる肖像が存在しないから
どうにでも想像し放題
130世界@名無史さん
2017/07/04(火) 19:50:55.470
カザフ人はモンゴロイド的なのが大半で
一部がコーカソイドとの混血
131世界@名無史さん
2017/07/06(木) 00:14:46.930
>>127
今でも、メテ(冒頓)とアッティラはトルコ民族の偉大なる英雄
132世界@名無史さん
2017/07/06(木) 02:09:38.210
人種的には日本人の方が、匈奴人に近いのに、
トルコ人め、勝手にコーカソイド化をねつ造しやがって
133世界@名無史さん
2017/07/06(木) 13:54:44.990
突厥だったころは平面顔だったの?
134世界@名無史さん
2017/07/06(木) 14:15:20.820
>>113
やはりそっくり
匈 奴2 [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>6本 ->画像>18枚
135世界@名無史さん
2017/07/07(金) 14:23:41.230
なんでパタリロなんだよwww
136世界@名無史さん
2017/07/08(土) 02:16:53.390
>>133
そうだよ

だって、モンゴロイドの居住地域に住んでいたじゃん
特に東突厥の居住地域なんかは今のロシア連邦ハバロスクあたりでしょ
今もモンゴロイドの少数民族ヤクート人が住んでいるよ
137世界@名無史さん
2017/07/08(土) 07:47:09.630
現在ドイツは少子化でトルコ人などがガキを産みまくってるからいずれ西トルコになる
つまり冒頓単于をドイツ人は先祖として崇めるようになる

ドイツ人は長らくマジャール人と戦ってきた
マジャールとは遺伝子はコーカソイド化したモンゴロイドであるが、このアジア遊牧民
はドイツ中心部へ進撃しようと企んだ
さすがにドイツの諸国が結束してマジャール人を打ち破る
ここにオストマルク東方辺境伯を置く。これがのちにオーストリア公国(エースターライヒ東の国)になる
ローマ帝国では属州ノリクムにあたる土地

ちょうどそのころオランダ(フリースラント)で堤防が破れて海につながる大災害ががあり多くの農民は
農地を失い、そこで東方に移民してきた。当時オランダは(今でもそうだが)ヨーロッパ一の人口稠密
でオーストリア公国は無尽蔵の人的資源を持ち東方征服ははかどった
この過程でハンガリーやチェコスロバキアなどスラブ人やアジア人も傘下におさめる
オーストリア公はいわばアメリカ西部開拓のように白人でアジア人を打払い、広い広い東方領土を得た

公国は実力を背景にドイツ初代神聖皇帝ルドルフ1世を出すにいたる

これがだいたい今のドイツ文化圏の成り立ちであってヒトラーの生存権・ロシア征服もこの記憶に寄ってる
138世界@名無史さん
2017/07/08(土) 12:32:58.420
>>135
バンコランに髭生やしたら似てる
目とか
139世界@名無史さん
2017/07/09(日) 01:30:14.720
でも、冒頓がいまのトルコ人風な容貌で、アッティラはドルジ顔というか平たい顔族だった・・
これじゃフン=匈奴説に暗雲か?
140世界@名無史さん
2017/07/09(日) 07:54:01.710
北魏の王族の姫である安徳公主は斉の宮廷において群臣の眼前で、胡人によって公開凌辱された。

胡というのは西の蛮族を指す。秦漢時代はテュルク系の匈奴をさしたようで
犬戎もイヌのように鼻筋が通ってる人間という酷い侮辱である
シルクロードを通じトルキスタン文物をもたらし「胡風趣味」として愛好され、胡服、胡笛、胡舞などが根付く
ソグド人、鼻の高いイラン系の外人という意味合いを持つようになる

鼻の高い胡人によって前王朝の姫を公開セックスするのは権威を失墜させる意味合いがある
漢人では胡種をひどく嫌った。トルコ人に犯させることで北魏の血統は汚した、ということになる

北斉の文宣帝も鮮卑なのだが、鮮卑の先祖の東胡はテュルク系とツングース系の雑種と言われる
いわゆる雑胡である、ザコ。この雑胡の血に文宣帝は強い劣等感を持ち
高貴の血筋や北魏の姫を犯し、漢族大量殺害したとされる

この当時は鼻が高いというペルシャ系の男は雑胡とされかなり蔑まれたことがうかがえる
始皇帝の墳墓あたりからもかなり白人の骨が出てくるそうだが
まぁ秦人も胡の血が入ってると気持ち悪がられていた
始皇帝の死後大反乱が起こったのも、楚人が始皇帝の顔を気に入らなかったのが理由の一つ
141世界@名無史さん
2017/07/09(日) 10:20:28.850
ザコ(雑魚)は魚のことだろう。漁の目当てじゃない魚が雑魚だ。
142世界@名無史さん
2017/07/09(日) 12:41:10.430
麺の起源は中国でイタリアパスタに伝播したと誇るが中央アジアで自然発生したとの説も強い
匈奴が麺をつくり中国にもたらした可能性もある。遊牧民が麺を食べるか?という感じだが
またモンゴルから中央アジアにかけて意外にもウドンのような麺料理は多い

まず麺を作るには小麦と石臼が必要だが、このへんは中央アジア由来。回転石臼の発祥は
ギリシャ考案より古いながら軸受機構も完全な石臼がトルキスタンでみつかってる

マルクスの資本論では水車式の石臼は資本主義の工場の始まりとされアジア由来だと断言する
中国では貴族が独占、欧州は教会が独占しこれによって大いなる富がもたらされる
粉屋が欧米では被差別民とされたのは農民が粉屋の不正に強い不満を持つことに由来するという

ソグド人といえば安禄山だが彼の配下には石臼部隊がいた
敵兵を捕らえると生きたまま巨大石臼に放り込みそれっとゴリゴリする
にゅるりんと出てきたミンチ肉を饅頭にいれて蒸し、安禄山の食事は美味しいと評判を取った
これによって補給の問題は解決して敵もミンチを恐れるので一石二鳥

小麦用の石臼をかっぱらって人間を挽いたら汁で汚れるだろうが!とお怒りだろうが
ちなみに中央アジアの麺料理「ラグマン」は小麦を引いて肉汁を混ぜ合わせて打ち上げた麺を秘伝とする
このやり方はソグド人には非常に美味しいと推定できる
もしかすると普段から家畜や人間とかも石臼にぶち込んで麺料理のかくし味にしてたかもしれない中国では、ほぼ西安以西で普通にみられる
143世界@名無史さん
2017/07/09(日) 23:37:26.900
>>140
観光先になっている始皇帝の墳墓にみられる土蔵の遺物の顔を見ると、
コーカソイド系の顔がないぞ

俺はむしろあると思って期待したが、みんなモンゴロイド系の顔立ちだ
144世界@名無史さん
2017/07/09(日) 23:55:44.660
戎はチベット系ともいわれて多数派でチベット人は日本人にちかいといわれれる
しかし匈奴などの王族(レンテイ氏)は鼻も高い顔立ちだったそうで
145世界@名無史さん
2017/07/10(月) 01:43:19.700
犬戎はスキタイやサカの一部説もあるようだよ
英語文献で読んだ
146世界@名無史さん
2017/07/10(月) 10:50:31.490
>>143
コーカソイドの血が混じっているとしても少々かな
147世界@名無史さん
2017/07/10(月) 18:58:36.510
白人やコーカソイドの定義や意味合いが人によってまちまちなので話が合わなくなる
印欧系の意味で使っている人もいれば
インドアーリア系やトルコ系トハラ系の意味で使っている人などバラバラ
148世界@名無史さん
2017/07/11(火) 00:12:31.920
月氏や烏孫だってコーカソイドだったんじゃない?もしかしたら康居も
149世界@名無史さん
2017/07/11(火) 00:40:51.100
>>148
月氏って、よく分からないけど、その居住地域からしてイラン系ソグド人居住地域と重なるから
コーカソイドでしょ
まさに今のイラン人のような顔
150世界@名無史さん
2017/07/11(火) 01:01:14.480
ローランの美女は月氏?
151世界@名無史さん
2017/07/11(火) 01:05:02.720
>>143
兵馬俑の中に長頭な白人系の骨格なのがあるって昔テレビで見た
152世界@名無史さん
2017/07/11(火) 01:08:28.410
テラコッタまじ侮れねーw
153世界@名無史さん
2017/07/11(火) 13:13:47.570
タリム盆地の白人系は
アーリア人(イラン系)とアファナシェヴォ系の二通りあるみたいだ
前者は黒目黒髪のコーカソイド
後者は金髪碧眼のコーカソイド

紀元前のいつ頃かまではタリム盆地では後者が優勢
次第に前者が取って代わったらしい
20世紀には全くわからなかった歴史的事実だが
154世界@名無史さん
2017/07/11(火) 19:52:50.110
まず白人とモンゴロイドの差異はそれほどハッキリとしたものではない
イギリス人と日本人の遺伝子分岐は10万年だが
アフリカの隣り合った部族の遺伝子距離はさらに大きく離れてる
気の遠くなるほど古くからアフリカ大陸は混血を禁忌としてる。
混血児はすぐ殺す。巨人やらピグミーやらいるわけだ

アフリカから出た非黒人つまり白人アジア人の先祖は極く小さなもので
50人か20程度の狩猟集団だったと考えられる
だから振り幅はそれほど大きくなりようがない

白人からモンゴロイドが別れたのは世界の屋根というエベレストなど
ヒマラヤ山脈の大きく隆起した地形が民族移動
をさまたげて、インド以東が人種固定化したゆえだと言われる
155世界@名無史さん
2017/07/12(水) 09:57:07.170
>>65
カウボーイって弓矢なんか持ってないじゃん
巨大な弓持ってるの、東夷の末裔の日本じゃん。原始人同然の弥生時代から七尺〜八尺の弓を使ってたよ。
そんな大きな弓は騎射には向かない。スキタイや元寇の弓も二尺や三尺しかない。
鏑流馬は曲芸のようなも、実戦では騎射なんかやらない。現に「鏑」だろ。殺傷力のある矢を用いない。
156世界@名無史さん
2017/07/12(水) 12:18:09.190
>>104
ちょい前まで共産国だったもんなあ。
カーンとかノヤンとかは人民の敵だもんなあ。
バートルだと腕っぷしでのし上がってきた野育ちの実力者だから、革命家も自称「バートル」だしな。
157世界@名無史さん
2017/07/12(水) 12:35:02.700
社会主義だよ
158世界@名無史さん
2017/07/12(水) 21:50:16.620
>>155
>実戦では騎射なんかやらない。
蒙古襲来絵詞の中でやってるだろう。鏑矢はあくまで開戦の合図であって何本も射ない。
159世界@名無史さん
2017/07/12(水) 23:00:51.730
だから鏑は殺傷力の乏しい、武器ではないものだよ
160世界@名無史さん
2017/07/13(木) 00:23:18.850
だからそんなものは数打たない。
主に使うのは普通に攻撃のための矢である。
そして絵詞で騎射してるのは間違いない。
161世界@名無史さん
2017/07/13(木) 00:39:42.800
匈奴の言語はトルコ系の中でもかなり異質のブルガール語派だった可能性が高い

ブルガール人の言葉はトルコ系なのだが、他のトルコ語と違いが大きく、西突厥の末裔にあたるオグズやキプキャックなどよりも数百年前に分裂した言語だろうと推測されている
西突厥より前にヨーロッパに到達したトルコ人がいたとすればフン族以外に考えられない
恐らくフン族はトルコ系だったのだろう

フン族がトルコ系であるならば、まあ匈奴=フン族で間違いない
匈奴はトルコ語のブルガール語派だったと思われる
162世界@名無史さん
2017/07/13(木) 01:11:21.120
それ以前に、ほんとうにチュルク系なの?
163世界@名無史さん
2017/07/13(木) 06:05:07.620
中国のウイグル族は東トルキストン国と自称する
トルコからかすれば関西みたいなものだとされる
もともとこちらアジアが古都なのだから日本人の京都や奈良なんかに当たるというわけだ
164世界@名無史さん
2017/07/13(木) 20:19:23.970
モンゴルでは箸はサバハと呼ばれ、蒙古刀(ホタク)の鞘(ヘト)に格納されている
(刀と一体化した箸は日本刀に装着する割れ笄も含め東アジアで広く見られる)
しかしモンゴルはあまり箸を使わずナイフで切って食べる
タイ、インドネシア、フィリピン、及びヨーロッパ、アメリカ大陸は匙食文化圏であるとされる

箸は殷代の発明であるとされるが遊牧民が発明したのかはっきりしない
しかし刃物とセットというのも牧畜民らしい。
刀と相性がよくさらに野外で砂まみれでも布で拭うだけの箸は清潔である。

孟子が「君子厨房に近寄らず」の言をはじめ、屠畜場でしか使わない刃物の
食卓の使用に反対した
そして料理はあらかじめ厨房でひと口大に、箸にとりやすい大きさに切りそろえられ、
食卓に出されるようになったので、箸のみが普及していったと言われる。
西洋料理の食卓でスプーンとともにナイフが使用されることとは対照的である
165世界@名無史さん
2017/07/13(木) 22:48:08.140
アヒルとかブタとかの丸焼をデーンと出して来て回るテーブルの真ん中に据えて給仕役が切り分けてくれるのは、チャイナの作法ではなかったのか?
166世界@名無史さん
2017/07/13(木) 23:19:05.680
回るテーブルは日本発祥だ。

「中国発祥と思われがちな回転テーブルですが、実は東京の総合結婚式場・目黒雅叙園で生まれたもの。
創業者の細川氏が開業4年後の1932年に発案したそうです。」
167世界@名無史さん
2017/07/13(木) 23:59:24.710
乾隆帝の所謂「六巡南下」で、行った先の土地の有力者たちが宴席でもてなす際に、毒を盛ってることを疑われないために、
同じ卓で回しながら、大皿の料理を小皿にとりわけて、ランダムに配るよう工夫したものではないんかい?
168世界@名無史さん
2017/07/14(金) 00:04:57.750
回るテーブルに関しては雅叙園発祥で、横浜中華街の人たちがそれを取り入れて普及させたことは間違いない。
169世界@名無史さん
2017/07/14(金) 00:06:03.050
こんな時間に飯テロかよ…

回るテーブルが日本初って知らんかった
あー、蒸し鍋食いたい
170世界@名無史さん
2017/07/14(金) 00:11:23.600
>>167
>同じ卓で回しながら、大皿の料理を小皿にとりわけて、ランダムに配るよう工夫したものではないんかい?
ちょっとね。イメージがよく判らないんだけど、それはテーブルが回る必要はないだろう。そして皇帝陛下と
会食するにしても同じテーブルにつくことは多分ないだろう。
171世界@名無史さん
2017/07/14(金) 01:19:05.630
蒙古人が大人しくなったの
仏教のおかげ

歴代の中国人王朝は懲罰遠征でなく
布教僧の派遣でもすればよかった

チャンケはバカだから
儒教を広げようとしたんだよね
172世界@名無史さん
2017/07/14(金) 06:05:24.260
ネストリウス派キリスト教の影響は?
173世界@名無史さん
2017/07/14(金) 08:23:29.970
天香回味
174世界@名無史さん
2017/07/14(金) 08:24:45.890
>>170
それをやったから乾隆帝はすげーだよ。
175世界@名無史さん
2017/07/14(金) 09:11:54.520
ダウンロード&関連動画>>


ダウンロード&関連動画>>


ダウンロード&関連動画>>


ダウンロード&関連動画>>

176世界@名無史さん
2017/07/14(金) 15:24:23.970
>>174
乾隆帝はなんでもありだな
康熙帝も大概チートだが、あそこの家系どうなってんねん
177世界@名無史さん
2017/07/14(金) 18:54:09.670
>>170
皇帝、側近・大臣、地元の有力者が複数、料理人
が同じ卓について同じ大皿の料理を切り分けて食べるんだよ
毒の盛りようが無いじゃん。
アウェイで供される食事という危険な状態が回避できるし。
178世界@名無史さん
2017/07/14(金) 20:41:51.520
冒頓単于と対立した東胡はほろぼされたが、
もともと東胡のほうが匈奴より強盛な民族であったとされる。

東胡というのはツングース系の東方民族とトルコ系の匈奴の雑種である
匈奴帝国の全盛では烏桓・鮮卑は東の端にある

その更に東はツングース諸民族がいたわけだが
これをロシア学者はトルコ移民と断じ、おおくの学者の諸説では
河北あたりの民族からさらに北にひろがった南方起源をとる

匈奴と鮮卑の雑種はザコといい匈奴の赫連勃勃を出す鉄弗部も
部族名を「鉄弗(父が匈奴人、母が鮮卑人の意)」と号す

ツングースはのちに金帝国や満州族皇帝を出す超需要な地域であるが
鮮卑が全盛を極めた北魏皇帝でも匈奴とたたかい漢民族に憧れるいっぽうで
片方の先祖である東夷には興味を示さず、侵略せず、無関心にただの外国とし扱う

おかげで東夷諸国は北魏が滅んでもながいあいだ無事に独立を養うことができる
179世界@名無史さん
2017/07/14(金) 21:05:44.760
古代の肅慎国は弓の名手であるとされ木の上に住み、あるいは洞窟に暮らす

発掘調査でも史書の記述を裏付ける竪穴式の住居が確認されている
牛や羊はいないが、多くの豬(ブタ)を飼っており、その肉を食べ、その皮をはぎ革衣とする
人々はみな髪を編み、布で?(せん:まえだれ)を作った。その大きさは一尺であり、それで身体の前後を蔽った
婦人は貞淑である。女はほしいままにふるまう。人々は壮者を貴び、老人を賤しむ

北魏のころの勿吉(もつきつ)国は肅慎の後裔であると考えられる
勿吉は勇敢で、周辺諸国を頻繁に略奪して扶余をほろぼす。「東夷で最強」と評されている。
勿吉人の服装は、男性が猪(イノシシ)の皮を着用し、女性が布スカートを着用した。
牛や羊を飼っていないが、豬(ブタ)を多く飼っておりその豬を食す
住居は夏季は樹上に簡素な家を構え、それ以外の季節は穴居式住居に数家族が居住した。
人尿洗顔、最大の特徴である「人尿で顔を洗う」という風習も受け継いでおり、中国では「諸夷で最も不潔」と評される。

木の上に暮らしションベンで顔洗うツングース系では、みえっぱりな鮮卑貴族が
いくら勇敢で先祖の隣人とは言え未開人の東夷と仲良くしたがらないのも分かる気がする
西方こそあらゆる文明の光があり父方のテュルク文明にまず親しみ
やがて漢民族と一体という北魏の漢化政策には、母の先祖である東胡は忘れ去りたい一念しか無い
180世界@名無史さん
2017/07/15(土) 00:16:03.870
もっきつとまっかつ(渤海)ってなにげに似てるね
181世界@名無史さん
2017/07/15(土) 07:03:17.470
大ざっぱに言って古代大陸の北には西から
匈奴(トルコ)・東胡(胡とツングースの雑種)・東夷(純ツングース)の三国

冒頓単于の話では、匈奴は割りと人すくないが文明が進み、東胡は人口が多く
東夷は言うに足りぬ汚い穴居人で、単于としては文明が進むまで生暖かく守ろう的な位置
孔子の頃から夷人は素直な評判もある
その土地は、現在の満州に当たるが荒れ地で車も進めず、匈奴の遊牧貴族としては
奪って広げても放牧に適さないのでたいして魅力はなかった

ジンギス汗の帝国では本拠地オルドス、皇子一族は西方に領地を貰い、長子ジョチはロシア侵攻
東方は宮廷の家臣や勲臣に与えられた。広いがあまり価値もなく荒れ地であるとうががえる

荒れ地だから遊牧できないが豚を飼っていたという
豚は人間と同じ餌を食べる。農民としては好適だが人と競合するから効率が悪く人口はあまり増えない
牛や羊は草を食うから広い土地に放牧し勝手に増えてくれる効率のよい動物
豚を飼う農民は羊飼いカウボーイの敵だから
砂漠のイスラム教で豚を不潔だとし豚肉くうなとひどくきらってる

匈奴は東夷を嫌うほどではなかったが、関係ない人ネ、でも女は美人だから貰っておこう。
アジア遊牧民特有の略奪婚で嫁の親戚というヌルい関係
182世界@名無史さん
2017/07/15(土) 08:00:24.060
>>181
太古から現在に至るまで、テュルク、ツングース、モンゴルの三系統?
183世界@名無史さん
2017/07/15(土) 09:40:59.270
チベット系、羌族、犬戎とも言われるテイ族は前秦皇帝の苻堅などを輩出した
羌族の長姚萇に殺されるときに「五胡の中におまえら小羌はない」と言った
同じ民族でも羌族を蔑む風があったのでしょう
三国志の馬超の西涼軍として従軍したのはテイ族羌族だったといいます
184世界@名無史さん
2017/07/15(土) 09:58:55.600
後漢では中期にかけて羌族の大反乱ばかりがしるされてる
先零羌が有名で三輔は荒れ果てたという
漢帝国は羌族を軍隊がおそい捕らえて貴族の奴隷にする人さらいを盛んに行い
やがて関西は異民族が大半を占める事態になる。自業自得とも言える

モンゴルも、金が滅丁と称してモンゴル青年を捕らえて奴隷にする
ため河北の家はほとんどモンゴル下男をかかえていた
ジンギス汗が金をほろぼすといったとき、まさに時を得ていた
南下すれば河北から協力者が現れるのだからこれほど容易なことはない

留学生と称して奴隷を欲しがる、いまの日本を思わせるのではないか
185世界@名無史さん
2017/07/15(土) 11:37:00.650
犬戎ってのちの匈奴なの?
186世界@名無史さん
2017/07/16(日) 08:30:26.470
犬戎は革の服を着ていた。軍服を戎服ともいう
革服は寒い地方に適し丈夫で破れにくく、一生使える利点があった。早く言えば安上がりだが臭い
ゲルマンでも民族服は革パンツ。趙の武霊王が胡服騎射で採用した革ズボンだな
周王は陝西の出なので風俗は犬戎と変わらぬ。周の貴族は正式には皮衣を着る

諸葛孔明が和服のような物を着て上に毛皮をはおってる絵を見たことがあるだろう
絹の服を着ることもふえていったが河北は寒く狐の毛皮を羽織るのが貴族のドレスコードになった

ヨーロッパでははるか数千年前から羊の毛織物をきていてギリシャ・ローマ人のトーガはウール
毛織物で夏でも冬でも対応できたが東ローマ帝国に絹というものがつたわり
皇后や愛妾が欲しいとねだった。しかし中国の絹は、製法が分からず、中央アジア陸路を
超えて運ぶために金の重さに匹敵というほど高価だった
187世界@名無史さん
2017/07/16(日) 11:10:49.180
>>186
革服寒いよ。熱ダダ通しじゃん。
188世界@名無史さん
2017/07/16(日) 11:34:44.160
和服の上に毛皮と言えば末摘花
189世界@名無史さん
2017/07/16(日) 11:42:07.170
羊は家畜化は一万年以上前に遡る
羊はヤギより肉が脂肪に富んでおいしかったこと羊毛が有用だったことが要因で
羊毛の利用も速かった

スイスで発掘されたアイスマンは五三〇〇年前の人物とされるが
羊の皮のコートを着用していた
190世界@名無史さん
2017/07/16(日) 12:39:35.650
ヤギも織布用の糸にする毛が採れるし脂肪を蓄える系統、父のよく出る系統もあるよ。
飼育数でヒツジと差がついたのは、根本的な気質や資料に対する特性の違い。

ヒツジはグレイザー、ヤギはブラウザー。
ヒツジのは餌についての選択性が低く足許にあるものを特に選り好みせず何でも食べる性質で、草原に放ってもあまり動き回らず管理しやすい。
大きな密度の高い群れをつくる性質もあって、程よい加減で追い立てて動かさないと、その場の草を根こそぎ食べつくして砂漠にしてしまうくらい。

ヤギは、若芽や新葉を選択的に食べる。餌を探し回る性質があり、密度の低い小さな群れで散開する性質があるので、多数をまとめて飼うには
手がかかる。

モンゴル人やトルコ人は、ヤギの散開し動き回る性質と、ヒツジの主体的には動こうとしない性質とを利用して、ヒツジの群れに少数のヤギを混ぜて
ヤギが動くのにつられてヒツジが動くようにして草地を根こそぎ食べつくすことを防いだり、ヤギを制御することで大きな羊の群れを操る。
191世界@名無史さん
2017/07/16(日) 20:51:22.460
日本維新政府ではウールは火に強く軍服に適するとして関東で羊飼育をこころみたが
土地の狭い日本では採算が取れず輸入にたよってる
192世界@名無史さん
2017/07/16(日) 21:04:51.440
南極大陸を制覇したアムンゼンはエスキモーと同じ革具(現在のアノラック)を採用した
ひじょうに温かいと記してる
全滅したスコット隊は、野蛮な革の服など蔑み、紳士としてバーバリーのコートを着ていた
このため汗などの体から出る水蒸気を吸い込み氷結した結果、次第に体温は奪われ氷人形になった

しかし世評ではスコットは正しい紳士で倒れたものであり
アムンゼンは犬ぞりを利用していたイヌを食べたとされ手段を選ばぬ卑怯者として非難された
193世界@名無史さん
2017/07/17(月) 01:56:01.660
褒ジは、犬戎ヒャッハー後に幽王が殺され連れ去られた後レイプされたんだろうなぁー
194世界@名無史さん
2017/07/17(月) 03:13:45.440
当時の常識から言って族(血を絶やす)された
殺されたとみるのが普通だろ
そもそもあれは申侯率いる諸侯軍の反乱で犬戎は援軍に過ぎないし
195世界@名無史さん
2017/07/17(月) 06:47:53.020
異民族なのは間違いない
196世界@名無史さん
2017/07/18(火) 05:18:20.090
>>181
間違いすぎだ
ツングースは粛慎で東胡はモンゴルだろ
東夷に至っては単に東方の異民族という意味でしかなく特定の民族系統を指し示さない
197世界@名無史さん
2017/07/18(火) 06:14:06.590
冒頓単于にやられた東胡が匈奴に圧迫されても烏桓鮮卑として蘇る
鮮卑の力の背景には、粛慎など広い血縁や援助があったとも考えられる

遊牧民は、人口増加として産む機械である女の拉致は基本的な手段
殷は羌族をよくさらって奴隷としており遊牧民は誘拐しやすく数千年ずっと続いた
建国当時の満州も拉致は奨励された

女真族は周囲にくらべて人口も少ないから拉致はさかんだったが
「10人の中国人より1人の朝鮮人を、10人の朝鮮人より1人の蒙古人をさらえ」という
ことわざも残っておりモンゴル人が酷い待遇でもよく働いたことを示してる
清の太宗もこれら捕虜に慰労の言葉をかけたとされる

北朝鮮の拉致は日本を驚かしたが
ロシアのネット掲示板で「日本人はなぜクルマを作るのが得意なの」
「日本人は器用でロシア製品ではとっても敵わないさ」
「じゃあ日本人技師を拉致してロシアで働かせればいい」と普通に会話していて
これが大陸人の発想かとおどろいたことがある
198世界@名無史さん
2017/07/18(火) 08:53:55.830
>>197
拉致こそしないが一度来たものを何かと理由付けては帰さないというようなことは、よくやってたな。
三浦按針とか、ヤンヨーステン・ロ−デンシテインとかもそうだったし、明治の頃のお雇い外人とかもあの手この手で慰留したり帰国を阻害したり。
199世界@名無史さん
2017/07/18(火) 09:38:01.460
蒙古は室韋モンゴル部の後進
で、その室韋は契丹や庫莫奚と共に鮮卑宇文部の末裔
更にその鮮卑は烏桓共に共に東胡の末裔

という事で、東胡や鮮卑はモンゴル系だったと考えられる

因みに鮮卑柔然部の末裔と言われるヨーロッパのアヴァール人はバヤンという名の王がいたり明らかにモンゴル人系
契丹も近年解読が進んだ契丹文字の文書からその言語はモンゴル系だった事が分かっている

東胡もモンゴルだろう
アルタイ山脈を発祥地とする西のトルコ系と大興安嶺を発祥地とする東のモンゴル系が蒙古高原の派遣を争っていたわけだ
200世界@名無史さん
2017/07/18(火) 10:17:04.210
本来、モンゴル系ツングース系という区分は言語を表すものだが
人種を表す時に使われる事も多いから紛らわしい

東胡は言語はモンゴル系だが人種はツングースに近いと言われてるから
そのせいで会話がズレている
201世界@名無史さん
2017/07/18(火) 11:49:28.010
>>200
人種を表すときにモンゴルだのツングースだのという民族名言語系統名は使わない
そんなめちゃくちゃなやり方を「多い」とか「言われてる」と感じるならそれは考古学人類学界において一笑に付されるようなトンデモ本トンデモ学説の読みすぎなので認識を改めるように
202世界@名無史さん
2017/07/18(火) 14:13:55.610
>>199
語彙群の中でも人名って割と借用・移入されやすいものだけれどね。
宗教上の偉人とか、強大な部族の軍指揮者とかの、あやかり名は多いだろ。
たとえば、さ、モンゴル帝国の残存勢力が消えて300年くらい経ってるけれど、いまだに、テムルとかティームールに類する名前、アルスランとかアスランに類する人名は
極東から中近東からスラブ圏まで広くつけられているでよ。
203世界@名無史さん
2017/07/18(火) 15:00:25.290
>>200
契丹文字の解読の成果は大きかったね
鮮卑語の拓跋部に関しては、ほぼモンゴル系で確定した
204世界@名無史さん
2017/07/18(火) 17:14:16.990
>>201
話が噛み合ってないぞ
205世界@名無史さん
2017/07/18(火) 18:16:55.880
5,000年前の中国では身長約180センチ越えの集団が存在していた
http://www.gizmodo.jp/2017/07/chinese-find-giant-skeletons-tomb.html
206世界@名無史さん
2017/07/18(火) 20:13:37.480
ロシアは第2次大戦でナチスに侵略されて未曾有の死人を出したが
意外にもロシア人はドイツ好き

モンゴル帝国でもロシアは400年も支配されタタールの軛と言うが
意外にもロシアではモンゴル貴族はロシア皇帝に仕えて国民感情も良い
特に軍ではモンゴル貴族は絶大な人気があり有りナポレオン戦争までたよりにされた

というのはロシアの歴史に多くのドイツ人やモンゴル人が偉人として登場しており
もはや血縁として切っても切りはなせない関係になる
トルコで親日が強い、中央アジアで日本が兄弟とされてるのはよくわからないけども
207世界@名無史さん
2017/07/18(火) 20:26:26.540
>>197
いつの間にお前ロシア語できるようになったの?
その掲示板とやらをうpしてみろよ
相変わらずほら吹きだよなお前って
208世界@名無史さん
2017/07/18(火) 20:33:25.460
「10人の中国人より1人の朝鮮人を、10人の朝鮮人より1人の蒙古人をさらえ」
貧しい蛮族の女のほうが満州人の夫に尽くし子をたくさん産んでくれる
という意味かも
内蒙古ではいまだに略奪婚があってたまに観光客を強姦して嫁にしちゃうトラブルが有るとか
209世界@名無史さん
2017/07/18(火) 21:22:15.930
トルコが親日なのは明治のエルトゥールル号遭難事件で地元の串本町の皆さんが救助に尽力したからと
度々テレビとかでもやってるし、映画にもなっている。そのおかげでイラン・イラク戦争の時にはイランに取り残さ
れた日本人を救出するためにトルコの航空会社が旅客機を飛ばしてくれた。
210世界@名無史さん
2017/07/18(火) 21:43:59.710
エルトゥールル号の件もあったがそれは一つのきっかけに過ぎす
さらに根深い感情、傲慢な英仏への憎しみやアジアの親しみなど
もあるのではないか
WW1でチャーチル海軍大臣はイスタンブール占領しようとガリポリ上陸
反撃の指揮を取ったケマル・アタテュルクは国父としてトルコ人にあがめられてる
211世界@名無史さん
2017/07/18(火) 22:51:23.470
>>209
日露戦争で仇敵ロシアに結構な痛手を負わせたからでないの?
212世界@名無史さん
2017/07/19(水) 00:38:50.280
>>199
近年の研究では鮮卑も東胡もモンゴル系だとされている。
東胡がツングースと言い出したのは明治時代の日本の学者たち。
その頃はまだ清王朝が健在で、満州の土着民といえば騎馬民族の満州人に決まっているだろうという思い込みがあった
今は考古学の研究などで、元々の女真人は満州東部から沿海州の狭い範囲にいた民族だと分かっている

鮮卑や烏桓が大興安嶺の山の神を信仰していたり、女真人が長白山の神を信仰していたりしているところに、その民族の本貫が現れている
213世界@名無史さん
2017/07/19(水) 01:18:04.060
中臣氏から分立したことが判ってるのに藤原氏は仏教徒だからインド人なん?
高山は伊勢平氏・明智は摂津源氏だけれど、高山右近ジュストや細川玉子ガラシャ(明智光秀の娘)キはリスト教徒になったから本願はナザレなん?
214世界@名無史さん
2017/07/19(水) 02:14:09.390
タングートもツングース説なんてものもあったなw
215世界@名無史さん
2017/07/19(水) 06:13:47.660
現代人は「匈奴は野蛮で文化など無い!」という中華流の考えに染まってしまうが
テュルク系の遊牧民は古代文明を、中華文明前からほこっていた
そもそも周王は犬戎や狄と雑居して邑を作り枝分かれした一派でしょ

東方の連中は樹上生活・穴居人ですよ。匈奴も異常に文明は高い
ツングースが血統的にはもとは黄河流域にいて北に広がった学説も強いようですが
粛慎やツングースがおくれてるというよりは、中国がもとをただせば
樹上生活・穴居人だった、いまは殺されて山奥の少数民族に血が残る程度ですが
雲南の少数民族でも考古学調査では穴居生活していたそうです

諸葛孔明の南蛮征伐でも奥に進むにつれて反対が強まります
「逃げたやつらは、更に奥地と連携し抵抗するようだがもう人間ではなく獣に近い
こんな野蛮人は仮に王土に加えても利益はない」
216世界@名無史さん
2017/07/20(木) 00:07:40.130
匈奴の時のあの身分制度は凄く体系的だった
蛮族といってもいいのかってくらい

単于ー左賢王・右賢王ー左谷蠡王・右谷蠡王ー左骨都侯・右骨都侯・・・
217世界@名無史さん
2017/07/20(木) 00:12:52.040
匈奴も契丹もその先祖は遼河文明人で韓族からの枝分かれ
倍達國という古代文明國の末裔なんだよ

もちろん本流は韓族だけど
218世界@名無史さん
2017/07/20(木) 06:03:27.640
劉邦の友人として有名な燕王は匈奴に降伏して
冒頓単于は東胡の王に封じてる
やはり人の出入りがある以上、国らしき官職をもうける必要はあったのではないか

まぁ遊牧民の王といってもどうやって収入得るのか不明だけど
孫の東胡王が景帝に降伏して諸侯になってるから
実質のない関内侯みたいなもんだろうか
219世界@名無史さん
2017/07/20(木) 19:58:58.640
東胡
├→鮮卑→契丹→ダウール
└→烏桓→室韋→モンゴル

こんな風に分かれたっぽいが保安族とか東郷族とか東部ユグル族はどの位置づけになるのだろう?
220世界@名無史さん
2017/07/20(木) 20:01:08.220
賢王とか谷蠡王って、中国人の記録に記されてるのみなんでしょ?
匈奴の奴らは漢字どころか文字すら持ってなかったらしいから
221世界@名無史さん
2017/07/20(木) 20:44:25.860
匈奴は深目で瞳は緑で鼻は高い・・アラブ中東系かな
鮮卑は文化的には匈奴と同じ
胡の血はまじってるものの外観はドルジというかほぼ中国人と変わらぬ
ドスコイ的な完全モンゴロイドだったらしい

三国志の馬騰は漢では名族である馬家の血を引きながらも
貧しさにたえかねて胡人の嫁を持った父祖のために
雑胡として栄達の道は閉ざされ西涼の反乱軍をひきいて戦う

西涼の董卓や五原の呂布はおそらく配下に匈奴の兵をもっていたから
雑胡でまちがいないだろうがそのような史実はないことから
おそらく外観はドルジというかほぼ中国人と変わらぬ
ドスコイ的な完全モンゴロイドだったらしい
222世界@名無史さん
2017/07/20(木) 23:02:01.600
>>221
でも、ローマ帝国の市民の伝聞やゲルマン人の伝聞を集めると
フン族の外見はモンゴロイドそのものなんだよね
小さい目、低い鼻、平たく大きい顔

匈奴がコーカソイドのイラン系の血筋となると
フン族≠匈奴
だね

仮にそうなら、フン族は西欧からは遙か遠い東の果て、
モンゴル高原から長躯遠征してきたモンゴル人騎馬民族(当然モンゴロイド)か?
223世界@名無史さん
2017/07/20(木) 23:35:26.410
冒頓単于の頃から漢と国書のやり取りしてるんだがな
聖徳太子が隋に送った書にある「恙なきや」も冒頓の書式のパクリだし
まぁ倭人どもより圧倒的に開けてたのは確か
224世界@名無史さん
2017/07/20(木) 23:46:34.860
>>214
タングートは西夏文字が解読されたら何のことはない、今のチャン族(羌族)そのものだったね
歴史のミステリーにトンデモを結びつける奴が本当に多い

それも何故か神秘主義的であればあるほどウケるようだ
契丹なんて契丹古伝なる古史古伝まで作られた
その内容は超古代文明が出てきたり、日本人が太古に世界支配帝国を作っていたとか、もうトンデモも良いところ
あれは韓国五千年の伝統を主張する檀君古記のネタ本だね

文字が解読されたら、普通に契丹語はモンゴル語の一方言でした、超古代文明の記述なんてありませんでした、というオチ
225世界@名無史さん
2017/07/21(金) 00:03:41.950
>>223
てか、倭奴って匈奴と同語源語でしょ
226世界@名無史さん
2017/07/21(金) 03:25:28.940
>>224
檀君古記はいわゆる古史古伝ではない
遼河文明の記憶を伝えた貴重な歴史書
ネトウヨは知らないだろうが、韓国では教科書にも引用されている権威ある書物だ

元々韓族の先祖は遼河文明から発しており、民族移動の軌跡はミトコンドリアDNAのハプログループNの分布で裏付けられている
このハプログループNはヨーロッパに移動してから、ウラル語族に発展していったと考えられ、今の欧州の基層文化の一つになっている

言語学的には、ウラル語族に広く見られる中舌母音[ɨ]が古代朝鮮語に存在したと考えられることから、ウラル系民族の基層は韓民族であると考えられる

>>225
倭奴(ウェノム)は猿みたいな日本人の奴隷連中という意味
対になる言葉は垢奴(テノム)
これは垢だられで汚ならしい奴隷以下の中国人連中という意味
口語のスラングだね
よく使うけど辞書には出てないと思う
227世界@名無史さん
2017/07/21(金) 06:20:07.520
たとえば日本人と白人の混血だと、鼻が高く彫りが深い場合
日本ではそれだけで白人そのものに見える
そういう人が欧米行ったら中国人扱いされた、という
やはり白人同士では鼻の高さなんかよりもモンゴロイド特有の
目の形に敏感でチョットとでも特徴あれば中国人扱いにされるらしい

小さい目で低い鼻というフン族を日本人が見たら白人よりに
見えるかもしれないし主観だからなんとも言えない
そもそもローマ軍でもフン族は優秀な傭兵として何度も戦果を上げてる
巨人とされるフランク傭兵と伍して頼られる
ということは匈奴や狄もそうだが体もデカかったと考えられる
フンはゴート族を追い払うぐらいだからね
228世界@名無史さん
2017/07/21(金) 09:29:18.640
倭の奴の国じゃなくて倭奴国なんじゃないの? 日本史ネタだけど
229世界@名無史さん
2017/07/21(金) 21:17:27.350
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 安帝永初元年
倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見

後漢書には倭奴国と倭国と倭国王の表記があるので倭奴国と解釈するのは難しい。
230世界@名無史さん
2017/07/21(金) 23:05:53.550
そういえば匈奴の単于にも金印贈ったんだっけ?漢
231世界@名無史さん
2017/07/22(土) 07:05:32.340
匈奴はグリーンの瞳と言われるが少数派であり
その発生はブルーアイよりだいぶ遅く、中東に多いと言われる

アフガニスタンのパシュトーン人が緑の目の民族といわれ
かれらは歴史的にアフガンの貴族におおく支配階級に浸透してると言われる
匈奴の王族もそのような特徴が強かったということは社会構造も似てるのかもしれない

世界で一番高い鼻がイラン人、青い目はイランあたりで発祥とも言われ
アフガンに緑の目が多いとなれば発生も中央アジアの近辺と思える

フランク人やゴートが碧い目でフン族が緑の目なら
白人はやや古く、フン族のほうがユーラシアの新しいタイプを取り入れてると言える

鼻が高いというのは何の利点があるのと思わなくもないが脱アフリカした人類は
ネアンデルタールも彫りが深くなっているから、中東では何かしら優位な点があるのかも
232世界@名無史さん
2017/07/22(土) 12:09:25.550
袁紹は小柄で女のような華奢な青年だった
董卓は史書では300キロはありそうな巨漢で袁紹を舐め
怒った袁紹が剣に手をかけてるのを見て曖昧に言葉濁し立ち去った

袁紹は四世三公と称された名門の家柄で
袁安から四世代で三公経験者を計5名輩出し、もちろん貴族と縁組を続けた
それが小柄というのは当時の漢貴族の血筋はそんなものだった

後漢皇帝は最高の美人と縁組したが、この要素は容姿が良いということであり
身長が高いこともふくまれる、160センチ以上あった

董卓は隴西郡の家であるから胡人の血は混じっていたろう
死亡時の実母が90であったということを鑑みると当時の女は15歳から25歳で産んだろうから
まぁ老賊ともいわれたし70代もしくは60代
60すぎで名門貴族の女に手を付けてボコボコ子を産ませていたようだからかなり精力漢だ

董卓の子孫は魏晋でも貴族としてのこり繁殖してるようだから60歳以上の老人にしては
まぁまぁ子孫作りに成功してるほうだ
233世界@名無史さん
2017/07/22(土) 12:37:48.220
>>231
欧州は青目だがアジアはむしろ緑目なんだよな
234世界@名無史さん
2017/07/22(土) 18:10:10.230
フン族のヨーロッパ襲来のころはすでに匈奴全盛ではなく鮮卑とか柔然
あるいは柔然・鮮卑が好んで虐殺したという高い車輪を持つ高車

奇怪な叫びを上げるテングリ信仰や
頑丈な馬車で円陣を組んだというのは高車を思わせる
また容姿はドスコイ的なモンゴルだったとすれば鮮卑は中国人と
容姿は変わらないキモオタデブ風の雑胡だったというから鮮卑モンゴルも思わせる
235世界@名無史さん
2017/07/22(土) 18:34:25.810
>>231
人類よりずっと早く氷河期が終わり始めるより前に出アフリカしたネアンデルタール人が
寒冷地仕様になっていて、それと混血して形質を受け継いだんだから
中東で優位という話ではないと思う
236世界@名無史さん
2017/07/22(土) 18:57:14.730
ネアンデルタール人は目が青く赤毛だったという遺伝子解析がある
寒冷適応はすすんでいた、体重90キロもあり50キロ程度の人類より
ずっと大型だった。これは体温保持に有効だ
このころから人類は毛織りの服を着るようになったら関係ないけれど
初期の頃は服もなかったろうから大型化しかなかった

イギリスの服といえば麻織物・リンネル
ドイツの服は毛織物・ラシャ
麻はエジプト人の発明だ。毛織物はもっと古いネアンが発明した可能性がある
237世界@名無史さん
2017/07/22(土) 20:16:36.210
>>231
おかしいな
北欧よりかなり低緯度のイラン高原・アフガニスタンの山脈地帯で緑目が発生したいうのは解せない。

そうした身体的特徴に関しては、
文系の考古学的知見より、生物学・医学の理系的知見で語るのが適切と思う。

現生人類はアフリカ東部の赤道付近で誕生したが、そこは強い紫外線にさらされた地域であり
当然それにたいする適応としてメラニン色素を多く持つ特徴が初期人類にあった。
そこからアフリカを出てアジア、欧州に進出した人類はそれらの環境に適応するために
身体的特徴が変化した。

思うに、黒い瞳が色素が減少して薄い色に変異することは、
太陽光線が高緯度地方になると減少し、強い紫外線から瞳の網膜を守る必要性が減少したことによる。
また、北極圏に近づくと、長い夜が続く季節があり、そうした光の乏しい環境でも
敵や獲物を瞬時に発見できるためには、メラニン色素が多い黒い瞳は不利だ。
薄暗い中でサングラスをかけていると思えばわかりやすい。
そうした高緯度地方の環境に適応するために進化した結果として青い瞳、緑の瞳が誕生した。

このように考えると、そんなに高緯度ではない(イランなんかは日本の東方地方より低緯度)
イランやアフガンで緑の瞳が生まれたというのは誤認されたものではないかな
238世界@名無史さん
2017/07/22(土) 20:55:48.370
現在の寒冷地方に住むエスキモーはアノラックのようなすぐれた防寒具
雪眼鏡といわれる板に細い切れ入れたサングラス持っていた
これは日本の土偶もかけてるからかなり太古からある
そもそも日本人はカナダエスキモーとかなり遺伝的に近縁らしい
肉体一本で勝負したネアン=白人
からだは変化せせず技術的手段でおぎなったモンゴロイドのエスキモーと
うたがいもなくドスコイ的なモンゴロイドが全地球を制覇した理由で
科学的なものをうけいれる柔軟さはアジアがつよい

といっても北欧モンゴロイドと言われるサーミ人なんかじゃ見事な緑目だね
鼻は低いけど
239世界@名無史さん
2017/07/22(土) 21:00:26.060
まあ碧眼は最近欧州原住民(狩猟採集民)がルーツと言われているみたいだがね
数年前までは印欧語族との関連を指摘する声が強かった
240世界@名無史さん
2017/07/22(土) 21:09:16.420
>>237
遺伝子の変化はどこで起こっても不思議ではない
そもそも青い目の発生過程は一万年前の遺伝子ミスによるものだが
これが有利な点は特に無い

洞窟の暗がりで男を待つ女どもでは青や緑の明るい瞳がきれいに見え
多く子孫を残せたという説はおおくが支持してる
つまり白人は東夷ツングースのような穴居人だったということだ
腐った肉を食べることあった。だから北欧の人は味蕾がすくない
北ドイツやイギリス人が味音痴なのはそのせい

匈奴は遊牧民であるからアフガンに緑の目の女がいるぞ!ヒャッハー戦利品だ
確実に孕んでもらう!方式でユーラシア王族の間で緑目が増えただけでないかな
綺麗な猫の品種改良みたいな感じで
241世界@名無史さん
2017/07/22(土) 23:31:25.090
男コーカソイド女モンゴロイドの組み合わせの遊牧民は珍しくないが
逆はまずない
242世界@名無史さん
2017/07/23(日) 00:26:09.340
>>231
北匈奴瓦解後、西のウクライナ草原に向かった一派はフン族になったが
南に折れてアフガン方面に敗走した一派もあった筈
悦般やエフ夕ルに繋がる
243世界@名無史さん
2017/07/23(日) 05:58:09.870
ナチスドイツの生命の泉レーベンスボルン計画は青い目の人間を増やすもので
ノルウェーから少女さらってきて種付けする極悪なものだった

ポルトガルはブラジルに人を増やすため黒人女をさらい人間牧場
で白人が種付けするという大掛かりな養殖を何世紀もおこなう
ニューヨークのユダヤ富豪は深暗部のプアーホワイトから綺麗な子をみつけて
買い取り養子にして教育しユダヤ人の名跡をとらせる。これで容姿向上を図る

彼らは容姿にこだわるから日本人が知らぬだけで熱心な人種改良を行ってる
殷もひどい奴隷帝国であったとされる
古代は広い土地と無制限の王権をもってる王がいたら好みの奴隷を拉致量産
したはずだ。人間牧場で緑目の娘を増やすのは簡単
ただそれは相当の人口希薄な地方でなければならず、アメリカの砂漠で
核戦争に備え優れた子を作る「人民寺院」みたいなカルトな連中があったのだろう

農耕と古代王権が確立したのはメソポタミアとされてる。絶大権力を持つ
宗教の援助で北の方にこのような人種改良寺院がつくられた
このなごりを遊牧民の王は見つけて利用したのかもしれない

最古宗教とされる拝火教はアーリア人のもので純白の衣を着て汚れを酷く恐れる
ゾロアスター教では、親、子、兄弟姉妹と交わる最近親婚を「フヴァエトヴァダタ」と
呼んで最大の善徳としてる。つまり青い目や緑目のような濃い血が残りやすい
244世界@名無史さん
2017/07/23(日) 10:14:20.080
>>241
カザフ人は男モンゴロイド女コーカソイドが主で形成されたけどなw
245世界@名無史さん
2017/07/23(日) 10:39:36.400
風と共に去りぬというアメリカ南部小説では
アメリカ人は勿論欧州の色んな所から移民してきてるが
たまに自分の一族としか結婚しない白人もいた

それが家風なのか知らんがお金持ちばかりで閉鎖的
ただ勿論外から変な人間が入り込まないし財産も紛失せず
一族内部で財産を築きやすいという利点もありそうだ

匈奴の王家は白人風の容貌を持っていたがやや数は少なく
東胡はドスコイ風の雑胡だが人の数は圧倒した。
男にしたら、わけわからん穴居人の東夷女のほうがボコボコと子を産む
財産を確保するなら由緒ある姫をもらったほうがいい。
結果的には野蛮人のヨメのほうが繁殖力が強く鮮卑モンゴルの勝ちと
246世界@名無史さん
2017/07/23(日) 16:08:04.320
内田吟風も上層部(レンテイ家?)はオイロピーデ風容貌の人間が多いと
247世界@名無史さん
2017/07/23(日) 22:49:33.270
5000年前のメソポタミアでは青銅メイスが一般的な武器として用いられ、様々な形状が開発されている。
武器は剣や刀、槍、弓にうつっていくが、メイスは中東では親しまれる武器。
中国では殷王朝にはメイスに相当する錘が使われていた。

ギリシャ・ローマでは棍棒は蛮族の兵とみなされローマ軍で採用することはなく剣や槍にしぼられる
ヨーロッパではロシアやハンガリーではメイスはよく用いられる。遊牧民の影響が強い地域だ
西欧では聖職者や王貴族が権威の印としてメイスを持つ。出縁型という軽量化をねらう花びらのような棍棒だ

前4世紀頃から東アジアで、前2世紀から中東で、10世紀頃からヨーロッパで、金属加工の発達によりチェインメイルから
板金で全身を覆うプレートアーマーへと発展。金属鎧は東アジアが先進国だ

鮮卑の考案として革命的なのは「鉄騎」である
装甲騎兵とは大型の馬を手に入れないとこのような重装甲はできないのでまず馬の改良が先で
鉄騎は重モビルスーツのようなもの。農民で入手できるような技術ではなく鮮卑貴族の支配は数百年続く
鮮卑鉄騎から西にも重騎兵はひろがり、西欧では20世紀にポーランド騎兵がナチ戦車に突貫するまでほぼ無敵の兵種として座る

鉄の鎧によって剣はほぼ用をなさなくなりメイスやモーニングスター、トゲ付き棍棒の重要性はます
モンゴル高原からキプチャク草原にかけてのサカやスキタイ、トルコ・モンゴルの騎兵がメイスやウォーハンマーを用いていた。

元寇のモンゴル軍は金属を埋め込んだ革鎧をもちいたとされる。7キロと軽く、剣もはじくのでやっかいな防具だ
鎌倉武士も鉤爪つきの物干し竿みたいな武器を持ってる。こんなもんで軽く殴られたら革鎧では死ぬ
日本ではメイスやウォーハンマーは使われた。強兵にこれをあたえ九州の土蜘蛛をほろぼしたとされる

棍棒にくさりで可動する棘付きのフレイルは中東の農民の殻竿が原型と言われさらに高速で打撃を増す
このような多節棍の打撃武器は硬い鎧を身に着こんだ相手にも大ダメージを与える
248世界@名無史さん
2017/07/24(月) 01:04:02.310
>>246
平凡社大百科事典乙
249世界@名無史さん
2017/07/24(月) 01:39:59.900
テュルクの狄や匈奴よりも、鮮卑モンゴルのほうが知能は高かったんじゃないか

トルコ白人は緑目はきれいでもそれを保つのは王族同士の結婚しか無く体は弱く
東方で強い男女と乱交した一派はモンゴロイドよりになる
小頭の白人よりドスコイ朝青龍のほうが顔も大きく脳も大きい
鮮卑がつぎつぎと馬具やら新兵器を発明したのも知能の秀れてる証拠

女真族とか数代前は樹上穴居していた野蛮民族のほうが頭が柔軟で伸びしろが大きい
文明国の憧れも強くよく学び考える

満州族のヌルハチも明のもつ仏郎機(フランキ)砲で絶命したが
ホンタイジはすぐさま新種の大砲を捕獲しみずから鋳造し、強力な砲を持つに至る
して今度は逆に明軍が砲撃される番となり、明帝国の滅亡は早められた。
東夷ツングースの学習の速さは日本人に似てるともいわれる
250世界@名無史さん
2017/07/26(水) 05:47:38.380
絵便器
251世界@名無史さん
2017/07/26(水) 11:24:51.870
>>226
チョンのお前が言っても説得力ない
252世界@名無史さん
2017/07/26(水) 23:44:19.870
移民なんてダメなのは、歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった

三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴=フン族のこと
匈奴に負けた大月氏はインドに攻め込みクシャーナ朝を設立
柔然も西方に走り、後のブルガリア人となり
突厥がやがてオスマントルコとなる)、
しかしその後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代だったのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である

今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に人間くささや親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ

このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
奴らは最初は弱者のふりをして、その実、乗っ取りしか考えていない

今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!!
253世界@名無史さん
2017/07/27(木) 06:19:59.810
匈奴がトルコ白人で東夷がツングース(古代の河北穴居人)で東胡モンゴルは双方の雑種という
テレビでモンゴル人はなんとなく日本人近縁に思えるがやはり相撲モンゴル力士の強さを
みれば骨格が明らかに別物。トルコやロシア人の血が混ざってると思える
彼らもモンゴル国の上流の出だから格闘技などする余裕がある。実質ソビエト連邦の赤い貴族に近い
254世界@名無史さん
2017/07/27(木) 10:15:41.150
原ロシア人はスキタイとかなんじゃないのか
255世界@名無史さん
2017/07/28(金) 20:08:56.980
>>244
ミトコンドリアハプロも6割方モンゴロイドだよ
256世界@名無史さん
2017/07/29(土) 04:13:42.660
オルドスがテュルク狄文明の中心だがモンゴルの東にはちょうどモンゴル・東夷
をT型に巨大な大興安嶺山脈がわけてる
1200〜1300mの標高を持つ山脈の最高峰は2000メートルで深い森に覆われ
低いように感じるがモンゴルの国境というところだろう。そのむこうは満州
遼を打ち立てた契丹人の発祥地でもある
匈奴に滅ぼされた東胡は鮮卑山に追いやられて巨大な洞窟にすんでいた
弱くなった遊牧集団はしばしば山に陣取った

城の代わりというか敵にせめられても高所から攻め下るほうが有利である
匈奴帝国にしてみれば鮮卑山に住む鮮卑などゴキブリというところだろうがしかし
満州側の東夷の無限の援助を受けてるなら兵力は無尽蔵だった

蛮族というのは王族の文明度は高いものである
狄の礼儀は晋の公室を感心させたし、犬戎の宰相の振る舞いは
立派だったので秦はこれを美女や美食で歓待し引き止めようと腐心した

狄にせよ夷にせよ上流は、ふるくからの外交辞令の必要上というか
案外文明も高く王族は婚姻で繋がっていたと思える
257世界@名無史さん
2017/07/29(土) 10:07:21.030
鮮卑の大人檀石槐は、あまりに鮮卑の人口が増えてこまり、鮮卑山から300里離れた川に
本拠地を移し、倭国を撃ち千余家を拉致して漁業に従事させた
倭人は漁業を持っていたからで日本人の協力で鮮卑族は大人口で食えるようになった

キタイ人のヤリュート氏がはるか北の荒れ地に遼を打ち立て、やがて力をました
契丹は東胡の後裔とされ、族長は鮮卑らしく大人を称したが
5世紀半ばから、北魏に朝貢し、交市を行うようになった
北斉を侵して文宣帝に敗北し、大部分が捕らえられて、奴隷とされた
北斉の軍事面は優秀だったからなー

契丹は靺鞨(ツングース)と同じ風俗とされ略奪を好み、貂やその他の毛皮を交易した
山に神が宿るとして、天・地・日を祀り信仰していた。この点は日本に似てる
世界帝国に伸長した遼帝国でもまだ契丹人は漁業も重要であったという(中国人は魚をあまりくわない)

契丹語はモンゴル語とツングース語の混成である。モンゴル語の東北方言ともいえる
位置的にモンゴル人と意思疎通でき漢文はもっと得意なので
モンゴル帝国では契丹人はバイリンガルとして翻訳や占領協力の役を占めた

契丹はツングースとモンゴルと日本人の合いの子みたいだな。魚は食うわ日を祀るわで
258世界@名無史さん
2017/07/31(月) 20:43:19.080
漢民族にはかなり匈奴の血が混じっているはず
259世界@名無史さん
2017/07/31(月) 21:10:03.380
>>257
別に契丹の習俗はツングースと関係ないだろいい加減にしろ!
当時ツングースは粛慎や勿吉や靺鞨と呼ばれていてアムール側流域から満州東部の森林地帯までにしか分布してなくて
満州平原は扶余(濊貊)という現存しない民族系統の人々の居住地であり考古学的には北朝鮮の延長

同時期のモンゴル系ならより北に分布する室韋、すなわち後にモンゴルになる集団の方がよっぽどツングース(靺鞨)と隣接してて習俗も近い
260世界@名無史さん
2017/07/31(月) 21:26:33.270
契丹語はモンゴル語とツングース語の混成と判明してる時点で関係ないというのはどうかと

今の中国人はズボンとブーツを履き椅子に座るというトルコ風(胡風)の生活してるが
その昔は日本人のように和服を着て畳に座る生活をしていた
湿度が高い南方では高床式で畳で通気性を求める服、このほうがつごうよいわけで
もとは南方由来かも知れないが周は陝西の一族であきらかに犬戎の親玉である
しかし趙の武霊王の胡服改革も、民はつたわらず、増しては南方においては
ズボンは蒸れる
中国人が椅子受け入れたのは宋の時代になってからで漢服(和服)は清までつづく
261世界@名無史さん
2017/07/31(月) 21:44:21.140
契丹語は近年ほぼ解読されて蒙古語の亜流だと判明している
ツングースとの混成ではない

契丹人がツングースとモンゴルの混成と言われていたのは契丹文字が解読される前の話
ただの推測に過ぎず、それは間違っていた
262世界@名無史さん
2017/07/31(月) 21:57:27.510
契丹語の研究については以下のページが詳しい
https://sites.google.com/site/kitangokitanmojikenkyu/home

まだ文字の解読については十分ではないとはいえ、契丹語が蒙古系の言語であることは確定している
ただし訛りは相当ひどい
263世界@名無史さん
2017/07/31(月) 22:16:02.000
https://en.wikipedia.org/wiki/Khitan_language#Vocabulary
別に訛ってるとかじゃなく共通の祖語から分かれて別々の変化をしただけなんだよなあ
どちらにしろツングースの気配は影も形もない
264世界@名無史さん
2017/08/01(火) 01:27:08.520
>>258
フランス人には僅かにフンの血が混じってるよ
265世界@名無史さん
2017/08/05(土) 18:22:49.320
満州朝鮮や九州は破局的噴火の影響下で石器人は絶滅しながらく無人の砂漠だったそうだ。
縄文期の東北が地球で最も繁栄しており
列島から数タイプの人種が移民して満州にひろがり、トルコ白人系がモンゴル方面に押してきて
まじりあって雑胡となったという可能性は
266世界@名無史さん
2017/08/06(日) 01:38:25.410
アテルイーアッティラ仮説か?w
267世界@名無史さん
2017/08/06(日) 07:09:09.070
唐末の安禄山の乱で3600万人が死んだとされるがヒトラーのソ連侵攻でも2000万人しか
死んでないのだからとんでもない規模だった
肖像でも安禄山は白人らしい容貌に描かれてるがソグド人というペルシャ系なのだから当然
このような胡人に膨大な中国人が指揮されたというのが唐の人種が曖昧だったトコを表してる
安禄山の絵はちょっとブサイクに描かれてるが糖尿病で失明してるからデブ

安史の乱を潰したのはやはり異民族の傭兵、回鶻(ウイグル)軍だった
現在のウイグルも中東系白人が多い
回?の先祖は丁零(テュルク)

モンゴル語の車を意味するテレゲンが丁零や鉄勒になる。高車は同じ意味であると考えられ
北魏の文献に高車はよくでてくるが鮮卑が漢化したから漢字になったのだろう

漢にいじめられた丁零、鮮卑にいじめられた高車は、容貌が胡人であったから嫌われた
最終的には唐朝と組んで大いに勢力を伸ばしウイグル族として残ってるのだから勝ち組か
268世界@名無史さん
2017/08/06(日) 07:39:47.830
>>267
お前朝鮮人のくせに白人崇拝してるの?
朝鮮人は日本人よりもイエローで白人から遠い人種なんだぜ
269世界@名無史さん
2017/08/06(日) 09:04:12.080
春秋戦国から「今度来る晋の文公は狄(トルコ)の血が入って嫌だ」とか
秦の始皇帝も「秦は犬戎の血がはいってる」とか
?徳と戦う関羽が「ついに胡の血で我が積年の青龍刀を汚すか・・」とか
冉閔「鼻の高いものは匈奴十九氏族であるからすべてころせ」とか

人種差別に満ち溢れてるし、どっちかというかと胡とツングースの雑種である
ドスコイ系モンゴロイドのほうが差別されずに関西貴族として残ってしまったり
270世界@名無史さん
2017/08/06(日) 09:23:48.370
イラン人は世界で一番鼻が高い
もしかすると遥か太古に脱アフリカしたネアンデルタール(赤髪碧眼)の血を濃く
のこしてるのかもしれない
ユダヤの大鼻と揶揄される通りヨーロッパでは鼻は大きいのは「醜い」とされ
鼻が大きくなれば曲がったりして醜い
ヨーロッパでは鼻を低くする整形手術が多くアメリカブラジルでは鼻を高くする施術が多い
インディオ系の雑種が多いということであり、フランスあたりでは中東移民が多く悩みが深い

イランでは若者は働いてお金をもらうと真っ先に「鼻を削る」という。
これで自信持って女性と付き合えると笑顔でした
日本で整形手術は実行に移す人は少ないので劣等感は白人のほうが強いといえよう
271世界@名無史さん
2017/08/06(日) 09:48:12.380
>>270
イラン人もそうだが
一番の鼻高はアルメニア人だろう

コーカサス周辺の連中が鼻高ということは
湿度との関係なのかね
272世界@名無史さん
2017/08/06(日) 18:47:19.230
人類学者によればネアンデルタールの彫りの深い顔、くぼんだ目は
メスを獲得する殴り合いで拳から顔を守るための進化と位置づける
おそらく高い鼻もそうした防御用
のちに木の槍や石斧ができるとそうした形質は意味を失うが
日本が西洋化したときにどうしても白人の真似出来ないおしゃれが
片眼鏡モノクルだった。くぼんだ眼窩に嵌めるので日本人の顔では
どうやってもぽろりしてしまう
273世界@名無史さん
2017/08/06(日) 22:55:14.370
>>266
漢字で書くと、阿弖流為阿提拉假説
274世界@名無史さん
2017/08/06(日) 23:01:31.280
>>270
デニソワ人と関係あるのだろうか
275世界@名無史さん
2017/08/07(月) 02:42:56.020
>>270
てことは、イラン系だったスキタイも鼻高々だったのか
276世界@名無史さん
2017/08/07(月) 17:10:56.480
そうらしいよ
ソクド人もね
壁画とか残ってるジャン
277世界@名無史さん
2017/08/07(月) 18:14:04.560
スキタイって盤踞してた場所はロシア西部からウクライナ・・・だからスラブ系も入ってたと思う
278世界@名無史さん
2017/08/07(月) 19:32:26.330
さすがに匈奴はモンゴロイドだろう
279世界@名無史さん
2017/08/07(月) 21:17:40.970
異民族の侵入に悩まされていた東西ローマ帝国は、フン族の傭兵を積極的に雇い入れ、
反乱や他民族の鎮圧にあたった

これは成功を収めており、西ローマ帝国の執政官ルフィヌスや将軍スティリコは、匈奴を
親衛隊に使ったほか、蛮族を排除する最強の治安維持軍として動員した

アッチラより遥かに先行し世界帝国のローマ帝国で最も強い蛮族がすでに緑の目の匈奴だった
フン族はドナウ川までおしだした

フン族によるゴート族への侵略は凄まじく、建物はほとんどが火に焼かれており、
以後、社会生活が一掃されているところを見るとゴート民族を徹底的に殺戮したと考えられる
彼らが通ったあとに残った町はまったくないと言って良い状況で
歴史家エウナピオスも、東ゴート族はフン族に死滅させられ、残ったものも類のない
残虐な方法で処刑されたと述べている

ゴート族はこの圧迫に耐えきれずローマ帝国に攻め掛かる
280世界@名無史さん
2017/08/07(月) 22:15:39.100
匈奴兵にもドルジ顔と非ドルジ顔がいたように、スキタイ兵にも
原イラン人も原スラブ人、原ロシア人もいたんじゃまいか
281世界@名無史さん
2017/08/07(月) 23:41:36.340
なぜか東西を問わず蛮族でいちばんつよくでかい奴が文明社会を上手い所
征服すると貴族に仲間入りして急に文明人ぶってみたり、
仲間の蛮族を「ボクラは文化人ですが、隣村のこいつは野蛮人なんで死ね」とかいって迫害するよな?

鮮卑大人「ほら野蛮人って嫌だよね?匈奴とか単于とか。高車は野蛮で生きる価値ないね
あっ僕はれっきとした中国の文化貴族なんでよろしく・・。家系図もあります
なに雑胡だと?ふざけるな!この者を煮殺せィ!」

フランク王「「ほら野蛮人って嫌だよね?ゲルマンとかゴートとか。フンは野蛮で生きる価値ないね
あっ僕はれっきとしたローマの軍人貴族なんでよろしく・・。家系図もあります
なに?にんにく臭い蛮族だと?ふざけるな!この斧で首を跳ねよ」
282世界@名無史さん
2017/08/08(火) 05:29:46.440
>>1
どういう意味ですか?
大秦帝国というドラマで、義渠という、小さな国が出ていました。義渠王の子を産んだ女性が
秦王の王妃になります。
義渠って匈奴かな?
283世界@名無史さん
2017/08/08(火) 06:45:17.360
>>280
コーカソイドと言う点では共通しているだろうけど
顔立ちや髪の色・目の色は様々なんだろうね
284世界@名無史さん
2017/08/08(火) 10:46:08.980
高校の教科書とかではスキタイ=イラン系って書かれてるけど
スラブ系も入ってたと思うよ

匈奴だってトルコ系もモンゴル系もいたように
遊牧国家なんてそんなもん
285世界@名無史さん
2017/08/08(火) 11:37:25.420
農耕スキタイがスラブ人なのは確定でしょ
286世界@名無史さん
2017/08/08(火) 18:00:03.070
まあ支配地域の人口=支配民族と錯覚しがちだけどね中高校生の頃は
287世界@名無史さん
2017/08/08(火) 18:37:28.430
試験に出ないとこは覚えるなって勉強法?も、蔓延してるからね

たとえば匈奴は(冒頓)単于だけ覚えるだけでよい、
ほかの単于の名前覚える労力があるなら英単語の暗記に時間かけろ、みたいな

当然、スキタイは(イラン)系 とだけしか覚えないw

()は、穴埋め問題w
288世界@名無史さん
2017/08/08(火) 19:03:44.530
大秦ってローマの事じゃなかったっけか
289世界@名無史さん
2017/08/08(火) 19:20:02.260
そうだけどドラマの「大秦帝国」は春秋戦国時代に秦が天下統一するまでの歴代のドラマで
「大」は秦に対する美称でしかない。大英帝国の「大」と同じ。
290世界@名無史さん
2017/08/08(火) 19:42:25.230
>>288
ほんとだねwなんかワロタわ
スタッフはわざとなのか気付かなかったのか、没问题!で通したのか
291世界@名無史さん
2017/08/08(火) 20:24:32.830
ギボンのローマ帝国衰亡史を読んでるとアラン族の傭兵がローマ側で勇戦してる
中国の史書では阿蘭国という小国が有る。
アラン族は中央アジアに住む遊牧民で、「アランは以前マッサゲタエと呼ばれていた」
スキタイのさらに東方にいるのが、マッサゲタイ

マッサゲタイのトミュリス女王といえば求婚するキュロス大王と大軍をひきいて戦い、
首を跳ねたと言われるギリシャ史の有名人

「この国を去れ。さもなければ、マッサゲタイの日の神に誓って言うが、血に飽くなきそなたを血に飽かせてしんぜよう」
この言葉のとおりキュロスの首は血の池に投げ込まれた
しかしこのころの阿蘭国はだいぶ衰微していたらしくフン族の大破壊で
奴隷化もしくは補助種族になり、フンとともにローマに西進してたらしい

ローマ人の歴史家によればアラン族は
「髪は金色で容姿は背が高く美しい。目は猛烈である
彼らは家を持たず、すきを使おうともせず、荷車に乗ったまま、肉と乳とを常食とする
そして、無限の砂漠を荷車で通り抜け、任意の牧草地に到着すると、円の中に荷車を設置し、
荷車の中で動物の群のように生活する。いわば荷車は彼らの町なのである・・

このあたり容姿の記述からマッサゲタイはスラブ人の先祖なのではとも言われるが
やってることはまるきり匈奴や赤狄であって女王が日の神を語るところは日本の卑弥呼を思わせる
292世界@名無史さん
2017/08/08(火) 20:47:55.480
そのアラン人およそ数千人がイングランド北部に定住して
現在に至るまで血統を残しているところが面白い
293世界@名無史さん
2017/08/08(火) 21:23:10.940
ローマ末期で蛮族に頼る頃になると「アラン族」や「アラニの隊長」が勇戦して
敵将を討ちとったという記述が多い
とりわけ重装甲の騎兵でしられていて鮮卑の鉄騎の影響も感じられる
ローマからすると
武具も頭もお粗末なゲルマン人よりもよほど軍事に練達したアラン人は貴重だった

ゲルマン族は牛の大腿骨でキリスト宣教師の頭を叩き割るのが唯一の芸だった
白土人に鎖帷子のよろいや騎士をもたらしたのはアラン人といわれる
騎士道のお手本はアッチラ大王と言われるが騎士の紋章なんかはアラン族の風習らしい

もちろん大本は、中国の聖王・覇王の道だの、匈奴鮮卑の考案した鉄騎だが・・・

現在の白人のアランという名はアラン族の血を引くしるし
アラン侵入以前の西欧人にアラン名は存在しないのが有力な証拠
294世界@名無史さん
2017/08/08(火) 21:32:32.440
>>290
乾隆帝の時代の白磁に「大清乾隆年製」と書いてあったり、中国では「大」とつけるのはお約束だから。
大日本帝国もそれに倣ったものだけど。
295世界@名無史さん
2017/08/08(火) 21:42:00.230
>>294
そうじゃなくて、「大秦」帝国とも、大「秦」帝国ともとれる微妙なタイトルであるのをスタッフが分かってたのかそうじゃないのかってことだよ
296世界@名無史さん
2017/08/08(火) 21:46:14.900
マッサゲタイはアンドロノブォの末裔か
297世界@名無史さん
2017/08/08(火) 22:00:22.170
>>295
ああ、それは「大秦」に気づかなかったんだろう、と思ったらwikipediaによると原作があるらしい。

「黄健中(ホアン・ジエンジョン)監督が手がけた歴史ドラマで、孫皓暉の同名小説を原作とする。」
298世界@名無史さん
2017/08/08(火) 22:17:05.070
最近の中国人は漢書も習わないらしいな
299世界@名無史さん
2017/08/08(火) 22:19:11.100
文化大革命で全て破壊されたからな。知識人は農村で強制労働。
始皇帝の焚書坑儒に匹敵する。
300世界@名無史さん
2017/08/08(火) 23:08:49.200
焚書坑儒は新たな世に逆らう危険分子を処分したに過ぎなかったっけ
治世には必要な事ではあったし並べられたら大秦皇帝も迷惑だろうさ
301世界@名無史さん
2017/08/09(水) 04:01:16.570
>>296
奄祭=アオルソイは?
302世界@名無史さん
2017/08/09(水) 05:36:42.690
鬼道をあやつり倭国大乱を平らげたという卑弥呼(日巫女)と
マッサゲタイの日の神に仕える女王は似てる気がする
卑弥呼の鬼道は正体不明とされてるがやはり大陸の遊牧民に伝わる日の神なのだろうか
303世界@名無史さん
2017/08/09(水) 08:14:10.390
>>301
アンドロノブォが分かれたのかね
304世界@名無史さん
2017/08/09(水) 09:31:14.270
卑弥呼は半島からの渡来人であった
305世界@名無史さん
2017/08/09(水) 10:05:04.100
>>299
秀吉の朝鮮出兵によって古の文化は全て破壊された!みたいなこと言ってんなww
ただ習わないってだけだろ、漢書の解説本なんて本屋に腐るほどあったぞ
306世界@名無史さん
2017/08/09(水) 14:00:48.240
アオルソイはアランの源流なんじゃない?
307世界@名無史さん
2017/08/09(水) 16:45:26.010
>>305
大陸本土の文献は失われたから日本に渡った資料を珍重してると聞いたが。
308世界@名無史さん
2017/08/09(水) 18:33:24.040
朝鮮人の資質だろ。
現に、大韓民国建国宣言、大韓民国憲法、大韓民国建国時の国璽、どれも残ってないし、どういう経緯で所在不明なのかも分からない。
309世界@名無史さん
2017/08/09(水) 23:39:47.380
資質で判断するなら「元々ない」だろうな
310世界@名無史さん
2017/08/10(木) 10:04:06.460
独立宣言文とか憲法の原本とかどうすりゃ紛失できるよ?
戦争で焼けたとかいうならそれならそれて焼ける直前にどこにあったくらいは把握していて、
その建物が焼けた日に消失ということだろうけど、どこに保管してあったかも判らないとか
おっかしいわな。
311世界@名無史さん
2017/08/12(土) 21:08:01.500
メソポタミアの中心に交易で栄えたバビロニアという大都会があった
金持ち国のバビロニア軍はとんでもない大軍で周辺国は嫌がり
進んだ貨幣経済ももち、帝国はとてもうまくいってた
バビロンは繁栄を極め、空中庭園を作られるほどだったが
多くの民は借金をかかえて死ぬほど働き、利率は30%というサラ金で
債務奴隷に落とされた。
ユダヤ人も奴隷として連れ去られて王はバビロン風の名前
ベルゼバブ(バビロンの種)を名乗りバビロン総督として監視した

メディア帝国をほろぼした小国ペルシャの王キュロスは、繁栄を極めた
大都会バビロンにせめこんだ。
はじめて諸国民の奴隷に自由を与えて人権宣言をおこなった

これは崩壊するローマ帝国の市民がとても厳しい法律や重い税金で
苦しめられ、むしろフン族など蛮族の奴隷のほうが生活が楽だと
感想を述べてるのを思い起こさせる

先進国の殷が周(犬戎)に滅ぼされたときも似たようなものであった
殷の制度は厳しく周は寛大とされたが、しらべてみると
文物は殷のほうがよほど優れてるという

このような社会の破壊はなんども起こっていたのだろう。たんに文明人が蛮族
に滅ぼされてそれが美化されたとも言える
312世界@名無史さん
2017/08/13(日) 01:44:20.040
>>311
その周も犬戎に滅ぼされたね  bc770(771)
犬戎もフンって言ってるねここでは
http://s155239215.onlinehome.us/turkic/70_Dateline/71_Huns/hun_dateline_1_En.htm

Eastern Huns=匈奴
313世界@名無史さん
2017/08/13(日) 07:20:02.440
末期ローマ帝国が弱っていたのは蛮族の侵入もそうだが
それは初期からガリア蛮族との戦いであったので大きな要因ではない

キリスト国教化したコンスタンティヌス帝はビザンチン遷都もおこなったが
ガリエヌス勅令もキリスト教の公認はすでにおこなっていた
父ウァレリアヌス帝はサーサーン朝に囚われて死体は皮を剥がれて
藁を詰めた人形として帝国の各地で見世物になった

皇帝が敵国に捕らえられるなどという失態は、長いローマの歴史を通しても
前代未聞のことであった。ガリエヌスも反乱や蛮族の侵入になやまされ
ローマ重装歩兵を廃し、騎兵を養成した。騎兵でないと蛮族に対抗できなくなったという
ライン防衛をゆるめアラマンニ族を引き入れて年貢金を払い国防担当させるという
蛮族の傭兵化をおこなった。ローマ元老議員は反乱を警戒し軍務につくことは禁止される
これによってローマ人は文官・宦官になり外国人傭兵の前で全く軟弱化したとみなされた

コンスタンティヌス帝は新都市建設で国民にとんでもない重税負担をかけただけでなく
さらにキリスト教に反対する異端の地方に大軍を送り込んで数十万の農民を「消し去った」という
314世界@名無史さん
2017/08/13(日) 13:00:09.730
農民国家は内部体制が少しガタつくと
遊牧国家に蹂躙される
これは西洋東洋を問わずだな
315世界@名無史さん
2017/08/13(日) 13:11:47.710
またこのおっさん懲りずにホラふいてやがるな
>さらにキリスト教に反対する異端の地方に大軍を送り込んで数十万の農民を「消し去った」という

コンスタンティヌス自身からしてローマの伝統宗教団体の長である最高神祇官に就いてるんですけどね
キリスト教が国教になったのはテオドシウスからな
316世界@名無史さん
2017/08/13(日) 16:02:52.950
妄想垂れ流ししかいないのか
317世界@名無史さん
2017/08/13(日) 19:49:08.730
さてここで問題になることは、強悍なる遊牧民騎士には
軟弱な都会人を滅ぼすのは容易い
しかし支配には直接支配と間接支配がある

よく中国の歴史に北朝と南朝に分かれたように、遊牧民は北の都市のみを支配し
南はあえて放し飼いさせておき、子会社化して年貢金を取り立てる方法だ
敵地に直接乗り込んで異民族支配する方法はどうみても危険で長続きもしないように思える

それにどんな広い土地や人民を得てもやがては財政は慢性赤字となる
王室にも金は入らなくなり腐敗階級が驥足を伸ばす。
役人組織を守るために消費税を40%に上げるしか無い、ということになる
それなら子会社をいじめぬいて年貢を取り立てるほうが現金決済で王にはありがたい

あえて自立させた同盟国から年貢金を取り立てる、アメリカのやり方といったら気まずいだろうか?

秦の始皇帝がマズいとことは六国をほろぼして統一国家にした途端に
秦国がほろんでしまったことだ。一応まがりなりにも秦王31代目までつづいたのだから
もし始皇帝が無能で何もしなければ王家はあと100年ぐらいは続いたはずである

匈奴の冒頓単于は異民族からは貢納金を取り立てるだけでいっさいかかわらぬ方法の
ほうがよいと判断したのは始皇帝の無残な最期を見たせいもあるだろう
318世界@名無史さん
2017/08/13(日) 21:17:28.530
冒頓単于はそんな思考回路してるような教化された知識人だったのか?
文盲で戦闘的、いわば野獣みたいな匈奴人の首長だったのでは?
319世界@名無史さん
2017/08/13(日) 22:00:49.880
そりゃ東胡を滅ぼしたときも烏桓や鮮卑は活かして金を取り立てる方式を取ってるし
たまに税の代わりに鮮卑の女を取り立てて犯すのも漢の王女と同様だが
自分より人口が多い異民族は間接統治しかないだろう
英国王がインド皇帝を兼ねたとは言え王が乗り込んで90年後にどうなるか
本国は離反して王も謀反で滅ぼされるしか無いっしょ
この方法しかなかったとも言える

ただし烏桓や鮮卑は後に匈奴に反乱してるし、放し飼いにした漢の武帝も同様です
320世界@名無史さん
2017/08/13(日) 23:14:24.430
ここで語られている史実を壮大な歴史大作映画にしてほしいが
欧米の需要がないから無理か
321世界@名無史さん
2017/08/14(月) 04:49:24.510
中華の需要は?
322世界@名無史さん
2017/08/14(月) 14:50:11.780
そもそも中国の歴史にこれだけ興味を持ってるのは日本人くらいだろう
323世界@名無史さん
2017/08/14(月) 15:04:38.190
秦を大秦としちゃうくらいだしな
324世界@名無史さん
2017/08/14(月) 15:51:01.060
中国の歴史はクソつまんないけど北方蛮族の歴史は超面白い
325世界@名無史さん
2017/08/14(月) 18:25:59.420
>>317
>よく中国の歴史に北朝と南朝に分かれたように、遊牧民は北の都市のみを支配し
>南はあえて放し飼いさせておき、子会社化して年貢金を取り立てる方法だ
ああ〜浸透王朝と降伏王朝の区別がついてないんだな

>そりゃ東胡を滅ぼしたときも烏桓や鮮卑は活かして金を取り立てる方式を取ってるし
>たまに税の代わりに鮮卑の女を取り立てて犯すのも漢の王女と同様だが

してねえよカス
あと匈奴が漢から公主とるようになったのは漢の属国になった呼韓邪単于からな
326世界@名無史さん
2017/08/14(月) 18:31:38.460
つうかコイツ全部デタラメしか書いてないぞ
これに感心してるのってwikipdiaしか読めないニワカの歴オタのおっさんぐらいだろ
327世界@名無史さん
2017/08/14(月) 20:28:59.310
そんなことわかってるからマジレス不要
328世界@名無史さん
2017/08/15(火) 21:00:42.160
>>323
大秦はローマのことだぞ
329世界@名無史さん
2017/08/28(月) 11:12:41.320
大秦ウルス
330世界@名無史さん
2017/09/07(木) 18:14:18.160
うずまさ?
331世界@名無史さん
2017/09/22(金) 16:55:02.350
ここさあ前から思うことあるんだけど
スレタイ悪すぎだろw もうちと他の単語も入れないとたどり着けない人やこれ系のスレ探してる人も引っ掛からないんじゃない?
332世界@名無史さん
2017/10/02(月) 23:39:25.420
匈奴スレのほかにフン族スレもある
てか、昔から
匈奴=フン説  がテーマのスレが何度も興亡していた希ガスw
333世界@名無史さん
2017/10/07(土) 22:30:23.620
>>332

頭の固い学会が認めないだけで、多くの状況証拠(発掘された遺物、当時の対戦相手の民族の証言を記録した古文書・・・・)
こうしたものを総合すれば、ほぼ 匈奴=フン で間違いないよ
334世界@名無史さん
2017/10/08(日) 18:14:31.050
>>333
まあそういうこと
335世界@名無史さん
2017/10/08(日) 23:37:20.390
糞族
336世界@名無史さん
2017/10/09(月) 01:02:58.670
単于とかレンテイ家のような単語って、欧州フン族には記録ないの?
337世界@名無史さん
2017/10/09(月) 01:50:19.080
北匈奴が91年に西に敗走してフン族になったって説が主流のようだが、
紀元前36年のタラス川沿いの郅支城の戦いの敗残兵(西匈奴)が西に逃れてフン族へ・・・
という説もあるんだよね
338世界@名無史さん
2017/10/09(月) 02:49:41.580
郅支城の戦い単于や閼氏ら全員が戦死したうえ投降した1000人は西域に下賜されたというのに
どこにそんなこと言ってるやつがいるの?
339世界@名無史さん
2017/10/09(月) 02:53:07.010
つうか北匈奴も北魏の頃まで康居いたよね
ヨーロッパに行ったとしても分派の分派のそのまた分派のやつらだろ
340世界@名無史さん
2017/10/09(月) 08:52:28.830
それでも欧州で無双する匈奴って・・・
341世界@名無史さん
2017/10/09(月) 09:06:42.200
>>338
765 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2017/09/24(日) 00:28:35.26 0
>>764
バランベル(バラミール)やカマ=タルカンはトルコ…つうかトルコ右翼の本じゃ
西匈奴の郅支(トルコ語チチヤブグ)の子孫だとかなんとか…
因みにエフタル…つうかトルコ語でアクフン(白匈奴)の始祖のアクシュヴァルも
西匈奴の郅支(トルコ語チチヤブグ)の子孫って事になってるみたい…
342世界@名無史さん
2017/10/09(月) 09:17:40.530
>>333
英語では冒頓単于を、Xiong Nu 以外に Hun Chanyu Modu というし、
中国では、アッティラを 欧州匈奴 阿提拉(大)単于 などという
つまり、欧米や中国では、匈奴=フンは常識
343世界@名無史さん
2017/10/09(月) 18:06:24.690
>>341
2chがソースかよwww
じゃあ天皇の起源は古代シュメールに文明を与えた宇宙人な
ソースは2ch

>>342
つうか中国ではチンギスハンも匈奴も漢民族と同じ中華民族ってことになってて
匈奴をアーリア人の一派と見なしたい白人連中とは温度差がある
漢匈奴同祖史観は史記の頃からの伝統だからこっちのほうが古いがな
344世界@名無史さん
2017/10/09(月) 22:49:35.850
で、結局あっちらは冒涜の子孫なの?
345世界@名無史さん
2017/10/09(月) 23:28:12.360
前漢代の単于庭とみられる新疆の東黒溝遺跡の人骨はハプロQ1aであり一方、彭陽県にある東周代の貴族の墓で検出されたハプロもすべてQ1a
史記の匈奴夏の末裔説は根拠もない話とも言い切れないが現代漢民族の主要ハプロはOタイプでQタイプは極めて少ない

一方、フン族アーリヤ人説は何の根拠もない願望でしかない
ヨルダネスのアッティラの記述からしてフンがモンゴロイドなのは間違いない
現在のハンガリー人にごくまれにハプロQを持った人がいるのだが、彼らがフン族の生き残りの末裔だとすると、やはりフン族は匈奴の分派ということになる

どっちもどっちだが、しいて言うなら中国の匈奴もフンも我が先祖説に軍配が上がる
346世界@名無史さん
2017/10/10(火) 01:11:01.010
犬戎のハプロはどうなんだろ
347世界@名無史さん
2017/10/10(火) 05:43:08.620
ハブロQはグリーンランドの先住民イヌイット、エスキモー、アメリカの先住民に多い
ユダヤ人・ハザール人もみられる
ハブロQは現代ヨーロッパ白人に多いハブロRと近縁だが
Qは比較的新しくイラン付近で発生しアメリカに拡散していったとみられる

ハブロNが古代匈奴とフィン・ウゴル族とされる
日本と中国に多いハブロOと近縁である

ともあれハブロQ・Rも、N・OもハブログループKの子系統で
ハブログループKは中近東で発生したと見られこの子孫は現代人男性の多くを占める
人類初期で遊牧集団形成、他種の圧迫などハブログループKの大成功があったとうかがわせる
348世界@名無史さん
2017/10/10(火) 09:16:40.760
しかし、匈奴とか犬戎なんて漢字を充てたのはワロス
349世界@名無史さん
2017/10/10(火) 15:59:47.560
ハンガリーのハプロQはアヴァールもあるデヨ!
350世界@名無史さん
2017/10/10(火) 18:59:42.470
ハプロkの繁栄は遊牧とか関係なく大規模農耕文化を形成できたことなんだけどね
具体的にいうと漢民族や北インド人の主要ハプロになれたことが大きい
アフリカで初めて農業し始めたのもハプロKだし

逆に大規模農耕の不利な地域に移動したK2c、k2b、k2e、Qはほとんど絶滅状態
351世界@名無史さん
2017/10/10(火) 19:04:47.970
>>347
>ハブロNが古代匈奴とフィン・ウゴル族とされる

いや古代匈奴の墓地から検出されてのるはすべてハプロQ1a
ハプロNっつうのはフィン系の始祖がフン族から来てるという俗説に基づくものじゃないのかね
352世界@名無史さん
2017/10/10(火) 19:17:40.460
ハプロQとは米大陸先住民の親戚
つまり後世の白人米大陸侵略はフンへの歴史的復讐なのか!
353世界@名無史さん
2017/10/10(火) 21:46:40.420
すべての祖先、Y染色体アダムは30万年ほど前と推定され
もっとも古いハブログループA0が約27万年前とされるのもこれを裏付ける
ハブロAは東アフリカでカポイド人種(小型で目が細いモンゴロイド風の黒人)である

脱アフリカしたのは8万年前のハブログループCEであり、ユーラシアY染色体アダムとも言われ
Cはもっともふるく日本人固有種にも見られる
Eは黒人でも大柄で知られるアフリカ西部のコンゴイド人、白人にも見られる
なおアドルフ・ヒトラーやナポレオンもこの古いEに属する

ここからずっと枝分かれしたのがハブログループFであり6万年前にできた
Kはずっとあたらしく4万年前にできた
それからさらに新しい最新タイプが白人のRや中国人のOであり2万年前とさる

ユーラシアアダムに近いハブロEが、カリスマをそなえた独裁政治家に多い、のも面白い
太古の旧型人類ではないか。古代は血に飢えた指導者が多かったのか
冒頓単于やジンギス汗もハブロCだったのだろうか
354世界@名無史さん
2017/10/11(水) 09:29:26.940
>>349
てことは柔然?
355世界@名無史さん
2017/10/12(木) 09:52:58.770
柔然=アヴァール説は、匈奴=フン説ほどイマイチメジャーでない感ある
356世界@名無史さん
2017/10/12(木) 10:43:48.950
確かにアヴァール人はハンガリー中心にフンより長く定着していたから
Yハプロをそれなりに残している可能性が高いね

問題はアヴァールがQハプロと関係があるかということかな
357世界@名無史さん
2017/10/12(木) 23:08:45.340
まぁ今のハンガリー人のYハプロ最多はスラブ系や古代スキタイ人と同じR1a系でこれが4分の1を占める
次いでヨーロッパ先住民と言われるI系が4分の1でこれ2系統だけで半数に達する
次に多いのがケルト系のR1bで約2割
NとQは合わせて全体の3〜5%
358世界@名無史さん
2017/10/12(木) 23:11:25.480
ブルガールやトルコにも言えることだが少数の遊牧民が圧倒的大多数のスラブ農民やギリシャ、アラブ農民を統治する形で
発展していったので言語だけ残して遺伝子的にはほとんど先住民とすげ変わってる
359世界@名無史さん
2017/10/13(金) 06:17:51.070
アッチラはいかにも恐ろしげな外観で怪力無双で目をギョロギョロさせて威嚇する癖はあった
けど、そのような見かけと異なり、じっさいアッチラに仕えてみればとくに残虐・無道もなく
偉い人間が率先して困難な義務を果たし難題に取り組むという気風
むしろアッチラ本人は気前もよく、贈り物も手厚く、王国は無税だし
外国人でも有能ならすぐ重臣になれるという。
360世界@名無史さん
2017/10/13(金) 10:59:12.080
スキタイってイラン系って言われるけど、スラブ系の要素も入っていたろ?
361世界@名無史さん
2017/10/13(金) 15:07:29.230
>>357
サンクス
ただしNもウラル系だろうから
Qだけだと2〜3%かそれ以下なんだろうな

ほんのチョット混じっているくらいか
362世界@名無史さん
2017/10/13(金) 15:22:36.000
匈奴だってトルコ系ともモンゴル系とも論争あっど
363世界@名無史さん
2017/10/14(土) 12:05:17.550
イラン人のR1aも、白人のR1bももとをただせば1人の男のコピーと思うと気味が悪い
イングランド王の初夜権もおとぎ話ではないってか
364世界@名無史さん
2017/10/14(土) 13:59:05.810
そんなこと言い始めたら世界中の全人類はミトコンドリア・イブという一人の女のコピーだぞww
365世界@名無史さん
2017/10/14(土) 14:05:16.790
ミトコンドリア・イブの他の女系は当然存在したが現在の人類はイブの子孫以外存在しない
さらにイブから分かれた系統でもアフリカ大陸をのぞいてはMかNの系統以外はほぼ残っていない
366世界@名無史さん
2017/10/14(土) 14:20:11.560
西欧人の二人に一人はハプロHという一人の女の子孫
どう?もっと気持ち悪くなった??www
367世界@名無史さん
2017/10/14(土) 20:04:41.240
そんなの当然じゃないか
進化論によれば、たった1回の遺伝子の突然変異がより環境に適応できるなら
その子孫がその後に大幅に子孫を増やし、新しい種族を形成していくのだから
遠い昔、集団で暮らす猿人に同時に突然変異が起こったのではなく、
その中の一人の男(オス)、及び一人の女(メス)に起こった変異が
現在の人類のホモサピエンスの始まりだもの

ハプロのタイプが少数限定なのは容易になっとく出来る話

しかも、ホモサピエンス誕生後、小さな変異がその中で起きて、少しバリエーションができたけど
7〜8万年前に地球上に破局的大噴火が起こって、噴煙で太陽光が遮られ、気温が急降下、
数とバリエーションを増やしたホモサピエンスは、食糧難で大飢饉に襲われ、
特に、アフリカを出て中近東に拡散し始めたホモサピエンスが大打撃を受けた。
これにより、再び、急減に減少したというから、
現世人類(ホモサピエンス)のハプロタイプの種類が少ないのは容易に説明がつく

ちなみに、フン族は匈奴の一派だから(学会は認めてないけど)
368世界@名無史さん
2017/10/14(土) 23:07:53.740
>>362
月氏だって、最初はトルコ系かイラン系とされてたが、今やトカラ系が有力
369世界@名無史さん
2017/10/15(日) 01:23:17.570
奄祭は?
370世界@名無史さん
2017/10/15(日) 07:54:17.830
月氏は欧州系なのか
371世界@名無史さん
2017/10/15(日) 12:38:28.400
欧亜のハイブリッド型じゃないのかなぁ  場所的に
372世界@名無史さん
2017/10/15(日) 20:32:05.800
「委奴」と「匈奴」と「フン族」
http://nagai.sub.jp/ronbun_pdf/kyusyuoutyou/kyoudu-hunzoku.pdf
373世界@名無史さん
2017/10/15(日) 23:11:52.610
うちは純日本人だが鼻が異様に高く
瞳も縁に青紫がかかっている
一応先祖は歴史教科書に乗ってるひとで
鎌倉幕府の高位の職にありそうとうふるい模様だ
テュルク系なのか
374世界@名無史さん
2017/10/15(日) 23:24:33.270
>>373

チュルク系がコーカソイド化したのは紀元後だ
しかも現在進行形で、いまでもキルギスやカザフのチュルク系にはモンゴロイド顔が多い
元々はモンゴル高原の北西に住んでいたモンゴロイド
375世界@名無史さん
2017/10/16(月) 02:55:18.450
紀元後ってのも微妙だな
前漢  新  後漢 あたりに突如、平たい顔族がイケメン顔族に・・・
なんかイメージできんw
376世界@名無史さん
2017/10/16(月) 03:30:01.200
弥生人も縄文人も海を越えてきてるし純日本人って基準がわからん
末摘花のモデルはハーフな貴族って説もあるね
377世界@名無史さん
2017/10/16(月) 04:45:35.440
頭曼単于・冒頓単于はもちろん、初代呼韓耶単于は紀元前
二代目呼韓耶単于や蒲奴単于は紀元後
378世界@名無史さん
2017/10/16(月) 06:41:21.460
楼蘭の美女はウイグル地方に属しタクラマカン砂漠、いわゆる「死の砂漠」の東側
にあるオアシスの住民だが3800年前の人物で完全な白人顔。
ただ地域的にアジアの遺伝子に属す古い顔かと想像したが、ハプロCだと。
Cは日本人もいる、というかC・Eは脱アフリカした、もっとも古いタイプの集団
Eはヒトラーやアインシュタインも属してる
スイスで見つかったアイスマンはハプロKだが現在では絶滅した枝分かれしてるタイプ
379世界@名無史さん
2017/10/16(月) 07:56:25.430
トカラ人のルーツはアファナシェヴォ人
更にそのルーツは二つ

一つはヤムナ人が直移動してアファナシェヴォ人となったもの
もう一つはヤムナ人が西北へ移動してコーデッドウェア文化人と血を交えて
アンドロノヴォ文化人となりそれからアファナシェヴォ人と合流したもの

R1bは前者から金髪碧眼は後者から受け継いだものというのが今の有力な説
380世界@名無史さん
2017/10/16(月) 08:27:28.810
>>378
蒙古斑の出る、フン族末裔とされるフランス人は?
381世界@名無史さん
2017/10/16(月) 08:53:26.810
モンゴル人やカザフ人の6〜7割はハプロC2で、楼蘭の美女のばあい
中央アジアの辺りではCが支配的遺伝子で無難な結果
容貌は違いこそあれ4000年前から住民は変わりはない

日本人にC2は3%と僅かしかいない。ただし世界的に珍しいC1がいる
C1はヨーロッパにわずか、あと日本しか無い。欧州ではクロマニョン人の直系子孫とされてる
382世界@名無史さん
2017/10/16(月) 12:00:43.300
ハプロC1は本当に謎の遺伝子だな
C自体がオセアニアのオーストラロイドもいれば
モンゴル高原から中央アジアの扁平顔モンゴロイドもいる

もっと研究されてよいグループだ
383世界@名無史さん
2017/10/16(月) 12:24:41.670
豪州の今のアボリジニ?
384世界@名無史さん
2017/10/16(月) 14:25:05.240
オーストコリアン
385世界@名無史さん
2017/10/16(月) 14:36:58.760
アボリジニー&ニューギニア高地人
386世界@名無史さん
2017/10/16(月) 17:19:56.870
アメリカ合州国
387世界@名無史さん
2017/10/16(月) 20:54:00.190
>>375
もともとコーカソイド(イラン系)住民と混血した
連中はチュルクメンと呼ばれてチュルクとは明確に区別されていたけど
のちにトルコ系部族全体を指す言葉になった(集史)
388世界@名無史さん
2017/10/16(月) 20:56:07.520
つうか歴史的に言うと白人系のトルコ部族ができたのはサーマーン朝とか
あのあたりでしょ
389世界@名無史さん
2017/10/17(火) 00:13:35.000
>>385>>386
本多勝一乙
390世界@名無史さん
2017/10/17(火) 11:48:21.760
古いねえ・・・
391世界@名無史さん
2017/10/18(水) 03:44:11.080
>>387
トルクメニスタンがそれか
392世界@名無史さん
2017/10/20(金) 12:52:48.970
>>333
フンのアラン襲撃(欧州側の記録)と、西へ走った匈奴が奄蔡を襲撃し、王を殺した(中国側の記録)
奄蔡はのちの阿覧(中国)

完全にフン=匈奴ですやん
393世界@名無史さん
2017/10/20(金) 15:57:16.320
まあたぶんというかまず匈奴=フンなんだろうな・・・
394世界@名無史さん
2017/10/21(土) 18:55:53.840
始皇帝の焚書は有名で漢の儒者には悪王として非難されたために
その後は殆ど実行されないでとだえた
しかし挟書の法は戦国末期に法家によって新しき世を作る法として
提唱されていたもので始皇帝が酷い暴君というわけではない

挟書をアクとする中国人の歴史経緯や感情もあるので
げんざいの中国政府もあまり禁書はやらないが、ただし、満州族を
蛮族としてあざわらう書は積極的に発禁してる
満州族は中国東北部に一億人以上と言われて規模が大きく
中国の首都のすぐとなりに蟠踞する大族のうえ
さらに近世でも満州国として自立していたから恐ろしい

しかしウイグルや匈奴は蛮族視してる文書は禁書してない、ということは
ウイグル弾圧政策もこれに根ざしてる
ペキンの現政府にとって古代匈奴は敵対少数民族に他ならないようだ。
395世界@名無史さん
2017/10/22(日) 00:29:52.060
まず焚書坑儒が、投票率を下げるために安倍が雨を降らせたレベルで頭の悪い言いがたりだしなぁ
396世界@名無史さん
2017/10/23(月) 01:12:01.360
>>393
91年から375年まで、奴らはどこを彷徨っていたんだろ?
397世界@名無史さん
2017/10/23(月) 01:22:07.680
>>396
モンゴル高原からテンシャン山脈の北の草原だろうな
398世界@名無史さん
2017/10/23(月) 14:42:53.990
ただ西遷のきっかけがあったはずだね
文字を残していないから知る由もないが
399世界@名無史さん
2017/10/23(月) 18:04:07.570
>>394
相変わらずお前ってホラ吹きぐせ治らないなよな
>満州族は中国東北部に一億人以上と言われて規模が大きく
明国内でも1億人こえないのにそんなにいるわけないだろバカ
後金建国当初でも男子15万で総勢数十万程度とみられている

>さらに近世でも満州国として自立していたから恐ろしい
お前の頭の中では中華民国は近世か?
しかも満州国は日本が造った傀儡政権で全然自立してないし

>しかしウイグルや匈奴は蛮族視してる文書は禁書してない、ということは
>ウイグル弾圧政策もこれに根ざしてる
普通にしてるが北虜を胡に書き換えさせたり
つうか清朝はウイグルとは敵対してないから
400世界@名無史さん
2017/10/30(月) 01:05:25.390
冒頓単于は平たい顔族であってほしくないw
401世界@名無史さん
2017/10/30(月) 02:15:43.380
実際漢族と鮮卑族は顔に違いはなかったが
匈奴はコーカソイド要素があったと史書に書かれてるらしい
402世界@名無史さん
2017/10/30(月) 09:30:02.890
霍去病が踏み潰した匈奴兵が彫りの深い顔?
403世界@名無史さん
2017/10/30(月) 19:09:08.400
んーまぁ匈奴の王族だったと言われてるね。彫りが深いとか目が緑とかは

逆に言えば、王族限定の人種で、雑兵はドスコイ顔モンゴロイドだったかもしれない
オルドスの遊牧貴族に伝わる作法で
王の血筋を異様に重んじるというのがあるがモンゴル帝国もこれに習い
チンギスハンの子孫しかカアンになれない伝統が続く

王家のものが、周囲の土民とまったく別人種だとすれば王の血筋を重んじ
あるいは千年も家を保持するということもなりたつ
ふつうの家であればどんなに高貴でも妻が間男を一回迎え入れたら血は絶える
404世界@名無史さん
2017/10/30(月) 23:40:21.250
どうしても、匈奴やフン族をコーカソイド(白人)にしたがる輩がいるな

残念ながら、俺たちと似た顔だ
そうモンゴロイドだよ
405世界@名無史さん
2017/10/31(火) 02:36:22.820
>>401
でも、より西の康居や烏孫、大宛よりはモンゴロイド顔の兵士が多かったんだろう
西へ行くにつれて彫りの深い顔の割合が増えるのは至極妥当か
406世界@名無史さん
2017/10/31(火) 05:34:49.130
王家はどうしても遠隔地の他家と結婚するハメになるんだよ
恋愛結婚できるような時代ではない、親が決めるんだ
だから遊牧民の王が西方のトルコやスラブと嫁取りするのはごくしぜんで
遠隔地と血が繋がってないと遊牧民が移動するときに「しねよ」と叩き出される

イギリスやフランスの貴族が庶民と全く血筋が違う
庶民は背が低く黒髪で、王族は長身金髪だ
というのは北欧のドイツ貴族と嫁取り婿取りする羽目になったからだ
トルコのサルタンもギリシャイタリアの女をハーレムに入れて子を産ませていたから
土人と容貌が違うので嫌悪されしばしば反乱を起こされた
ロシア皇帝もどんどんドイツやイギリスの血が入って革命で射殺されたときも
庶民は縁がない外国人だから同情は薄かった
407世界@名無史さん
2017/11/01(水) 02:15:56.340
初代呼韓耶単于に嫁いだ王昭君が有名だが、烏孫に嫁いだ江都公主のことも忘れないでやってください・・
408世界@名無史さん
2017/11/03(金) 05:20:13.530
>>406

中世から近世までの欧州の話をしているのではない

古代の東アジアの遊牧民の話だ!
事情はまったく異なるぞ
409世界@名無史さん
2017/11/03(金) 20:44:18.650
そういえば英国のジョージ摂政皇太子がドイツ貴族から嫁をもらったが
肖像画ではキャロラインは金髪で目パッチリの美人だったものの、あまりに体が臭くて
会うなりクサさにむせて息もできず咳をして「水をよこせ」とのたまわったところ
きのきいた側近が「ウイスキーのほうがよろしい」と助言したそうだから
怪物級の異臭だったのだろう。ウイスキーは消毒薬品として使われていた
白人女はこういう危険があるね
410世界@名無史さん
2017/11/04(土) 08:12:54.400
>>409
キャロラインって、ドイツ人女性の名前じゃないな
英国に移住するにあたって名前を変えたのか

英国王ジョージ1世がドイツのハノーファー公国から英国王に招へいされたときに
ドイツ式の名前のゲオルグを英語式にジョージに変えたように
キャロラインも元は違うドイツ語式の名前だったんだろう
たぶん、元はカロリーネだろうな
411世界@名無史さん
2017/11/04(土) 12:12:23.500
学問理系の気象スレで、匈奴に関して言及されてたぞ
匈奴もメジャーになったもんだw

749 名前:名無しSUN[] 投稿日:2017/11/01(水) 14:02:24.73 ID:u/I194ZQ [2/4]
匈奴って今の何人なん?

753 名前:名無しSUN[] 投稿日:2017/11/01(水) 15:43:20.54 ID:u/I194ZQ [3/4]
匈奴=フンでOKなんだ。

760 名前:名無しSUN[sage] 投稿日:2017/11/02(木) 09:15:45.62 ID:V7iq6nTc
匈奴、突厥、フンとか、世界史スレでもないのにでてきて感慨深いw
412世界@名無史さん
2017/11/11(土) 07:40:21.840
日本人でも最近は太った人が増えてる。デブはどういうわけか臭い
大柄で体格のいい人はくさい比率が多いように思う
それは、もちろん汗とかたくさんかくからくさいのだ

ゲルマン人のことを当時の入浴好きローマ人はとんでもなく臭いと正直に記してる
それにたいし歴史家はやれ獣肉をたべる、風呂に入る習慣が、たまねぎにんにくを生食してた
と懸命に弁解してるがもちろん人間自体が臭かった
フランスの歴代の王は口が臭い、蓄膿症がおおかった。死んだ細菌のかたまりが臭いので
ルイ太陽王など貴婦人が気絶するほど口が臭かったとされる。それでキスするんだからたまらん

さらにキリスト教化された北欧はローマの好む入浴を快楽の一種・贅沢として排斥した
水利権は農民にとって死活問題で、水の豊富な日本ですら水争いで殺し合いは日常だ
内陸の少ない水を都市市民が浪費するのはとんでもない悪徳である、というのは合理的だが
恰幅がいいドイツ娘が体を洗わずくさかったのは仕方ないと思う。戦争中ドイツ=フン族といわれるくらいだしな
匈奴でも、文明化した南匈奴王族は北匈奴をきらい、白狄は、赤い服の赤狄を憎んだ
北魏は野蛮な高車を迫害した。たぶん獣皮を着てくさかったんだろう
413世界@名無史さん
2017/11/11(土) 13:28:34.980
原人はホモ・ハビリス、ホモ・エルガステル、ホモ・エレクトスと進化していく
アウストラロピテクスは身長が130cm、体重が30s
それが、ホモ・エレクトスになると185cmとかなり大型化する
アフリカのケニア湖畔で発見されたトルカナボーイは150万年前のヒト
でありながら成人すれば185cmで50キロとされてる
このようにほっそりとした軽量タイプのヒトはアフリカの熱帯によく対応したと
さるるがネアンデルタールは体重90キロから100キロと異常に重くなる
ネアンの子孫が白人だ

大型寒冷適応だが短期間に二倍も大きくなればそれまでの先祖の
類にない進化でありそれでさまざまな弊害・・・循環不良で体が臭くなるなど・・
問題がおこったとも思える
414世界@名無史さん
2017/11/15(水) 00:00:03.140
沢田勲氏の「匈奴」読んでみた  スレ民のみんなに一読をお薦めする
415世界@名無史さん
2017/11/15(水) 00:08:18.120
>>414
大まかにどんな内容でした?
416世界@名無史さん
2017/11/15(水) 13:46:58.740
無難というか、うまく纏まってると思うよ
417世界@名無史さん
2017/11/16(木) 04:23:05.060
それは内容ではないな
418世界@名無史さん
2017/11/19(日) 06:22:49.390
匈奴やフンの民族がどんな容貌していて、どんな人々だったか想像するのは
実は簡単です

日本の相撲界に来ている
鶴竜、日馬富士、白鵬、そして朝青龍を見えれば想像しやすいでしょう

やせた朝青龍のような屈強で勇猛な男達が馬にまたがって
馬と弓を巧み操り、
大挙として中国の中原や欧州の平原を襲ってきました

農耕民には勝ち目はありません
419世界@名無史さん
2017/11/19(日) 07:22:54.500
ま、相撲取りを見れば自ずと分かる
モンゴル人は同じアジア人とかなり違う
体躯がしっかりしていて頑丈で力も強い
背が高くて大きくても白人は敵わない筈だわ
モンゴル人が特別強いがその次が朝鮮半島の連中だと思う!
プロレスラーは殆ど韓国朝鮮人だし、やはり日本人よりも体躯がしっかりしている!
日本人で鋼の身体はほぼいない!
ぷよぷよしている!

モンゴル人の相撲取りを見て何が強いのかよく分かった!
420世界@名無史さん
2017/11/19(日) 09:18:07.760
匈奴の先祖は狄(テュルク)で4000年前からオルドス地方で高度な文明を立てる
なお、このへんはに南匈奴及び、モンゴル王宮のあったところだが
遊牧民にとっては精神的な中心であろう
モンゴル貴族のあいだで晋王(ジノン)は最高の格式だった。これはオルドスの族長で
大ハーンに次ぐ権威を持つ
白狄の娘が晋公と結婚した伝説からきてる縁で晋王をなのったのだろう

匈奴帝冒頓単于が滅ぼした、東胡の末裔である鮮卑=モンゴル
鮮卑の檀石槐が、その支配領域を三分した際、その中部の大人(族長)の中に慕容氏の名が見える
慕容とはモンゴル語で富裕という意味であるという。またジンギス汗のボルジギン氏も同じ意味である

大ざっぱに言えば西の胡(イラン系)の馬賊がツングース穴居人のむすめをさらって犯したのが
東胡というわけで、ひらたくいえば雑胡。モンゴルはこの血が濃い
ロシアに言わせればツングースもトルコ系であり、トルコ人に言わせれば日本人もトルコ民族だという
現在モンゴル人はロシアのキリル文字を使いまたソ連邦ではモンゴルこそ最高の友人としたことから
ロシアと兄弟関係。独裁者チョイバルサンもロシア女と結婚した。彼女はソ連のスパイであった。

友人チョイバルサンが病死したときスターリンは心痛し「医者の交換が必要である」と声明
逮捕された医者たちは、スターリンにたいする大それた暗殺計画を拷問によって自白させられた
421世界@名無史さん
2017/11/19(日) 20:39:02.350
朝青龍や白鵬って、オルドスの族長のような風格をそなえているよな

民族衣装着せれば、そのまま映画の適役になれる
422世界@名無史さん
2017/11/20(月) 01:05:33.990
晋王(ジノン)公国とジオン公国は関係あるのか
また慕容=ボルギジンと敵対する宇文部は宇文=シオンとゆうね
423世界@名無史さん
2017/11/26(日) 08:17:00.490
モンゴル人は色も白いね
黄白色という感じ
424世界@名無史さん
2017/11/27(月) 09:39:07.040
朝青龍、白鵬、日馬富士・・・
425世界@名無史さん
2017/11/27(月) 23:45:24.390
大相撲みていると、匈奴やフン族の兵がなんであんなに強かったのか判る気がする
たとえ、匈奴やフンの騎馬兵が得意な弓で刺し殺されるのを免れても、
白兵戦なったら、量産型朝青龍や白鵬に勝てないだろ
当時中央アジアのソグディアナに暮らしていたイラン系ソグド人も
ゲルマンの移動牧畜民も欧州のローマ帝国の兵も中国の漢の農民兵も
無理だわ
426世界@名無史さん
2017/11/28(火) 23:18:28.520
お相撲さんはプロのスポーツマンだから、比較対象にならない
みんなあんなに鍛えて太っているわけでないでしょう
痩せていないと長距離移動で馬がもたない、兵士がダウンした馬をおぶっていく必要が出てくる
427世界@名無史さん
2017/11/29(水) 06:07:05.600
貴乃花本当に孤高の人だな
マスゴミはなんでこういう人を叩く
428世界@名無史さん
2017/11/29(水) 19:20:05.490
モンゴル大帝国が成立したのはモンゴル人が戦闘に長けていた。というわけではない
例えばモンゴル人が戦士であるなら元が90年で覆滅したのはどういうことなのか

のちの清でもモンゴル軍は特?とされた。ジンギス汗26世孫という将軍の指揮する
通州で英軍に惨敗しモンゴル騎兵は全滅、北京は征服された
「婦人の尿桶(便器)のふたをとり、その口を敵へ向ければ英国人の妖術は破れる」
と清の将軍たちは書を読み叡智の限りををつくしたがイギリス軍は無敵であった

日露戦争でロシアの大軍は日本に敗れた。これについてロシアの教科書はこう教えてる
「日本の軍隊はサムライに指揮された。彼らは長い内戦で鍛えた下級武士の野戦指揮官。
たいしてロシアは(モンゴルやドイツ系)の貴族出の将軍であり軟弱であった」

これは冷徹なロシア人らしく要点をとらえてる。ジンギス汗はこういってる
「戦争に向いた人種が居る。こいつらは役に立たないクズだが、軍を指揮させれば強い
そういう人間のクズを探して将軍として使う。わしのやり方はこれだけじゃ」
ようは、野戦指揮官を見抜く、才覚こそがモンゴルのハーンにとって最も重要としてる

しかしそんなもンは天才の一種だ。ジンギス汗の子孫とて、学べるはずがない。
フン族のアッチラ大王もそうだが遊牧民帝国は一代限りであり首長の才覚と声望に寄る
429世界@名無史さん
2017/11/29(水) 23:55:05.000
ローマを苦しめたハンニバル将軍は無敵だった。そこで執政ファビウスは決戦を避けて逃げ回る
「ローマの剣」といわれる勇将マルケッルスはハンニバルと決戦し死亡した
ハンニバルは悼み、礼を尽くし葬り遺灰を黄金の箱に入れて息子に届けるように命じた
どうにも勝てないと知ればファビウスのやり方は正しいとされ「ローマの盾」とされて市民の信頼を受ける
ファビウスのやり方は持久戦に持ち込みハンニバルを弱らせる高等戦術であると

ローマ人はハンニバル軍には勝てないが他なら勝てると気がついた。そうそれなら手はあるのだ

ナポレオンも無敵だった。しかしプロイセンのグナイゼナウ参謀はナポレオンが指揮しないフランス軍
なら勝てると読み取り、たくみに決戦を避ける作戦を立てる
ナポレオン直属軍は勝ちつつも戦略的には追い詰められていった領土はけずりこまれ、さいごは敗退した

ようするに皇帝ナポレオンやハンニバルは一将軍として正面決戦は天才的に優れていた。
それが限界であり、
もし多くのナポレオン将軍やハンニバル将軍を使いこなせる国なら、話は違ったのだが・・
430世界@名無史さん
2017/11/30(木) 00:29:25.680
馬上で天下は治められないからな
431世界@名無史さん
2017/11/30(木) 03:49:12.320
項羽と劉邦
432世界@名無史さん
2017/11/30(木) 17:20:26.170
ファロサロス決戦でカエサルの2万の兵は5万人のローマ正規軍をやぶった
ポンペイウスの正規騎兵は7千、カエサルの私有騎兵は千人
騎兵で背後をつく、教科書通りのハンニバルの包囲殲滅を展開されては敗北必至

だがカエサルの兵は頑強であり優位な7千の騎兵をはねかえし
さいごに老兵ヴェテランをぶつけて5万人の鉄陣に穴を開ける

カエサル軍の無敵の強さとは、一体何なのか
その軍団は規律にゆるく、きびしいローマ軍紀にあって兵士の乱暴や
不始末は大目にみた。一言で言って愛情深く、あまい将軍だった
またカエサルは戦争で得た戦利品や土地はおしみなく兵に褒美として分かちあい
部下に褒美をはずむためにカエサル本人はむしろ文無しとさえいわれた

三国志の董卓も若き将軍のころは褒美をせんぶ兵士にやるという振る舞いで知られ
本人は何も取らない貧乏ぶりが評判となる

カエサルが正規軍を打ち破り、天下無双できたのは下級兵士に愛されたためであり
また董卓の勢いも全く同じだ。
董卓軍の洛陽略奪は、蛮族にとって胸躍るもので、匈奴の左賢王(皇太子)まで馳せ参じた
項羽は長安を落としたとき略奪を奨励し、兵を喜ばせ項羽軍の強さを支えた

チンギス・カン様こそ「敵を殺しその妻や娘を犯すのは楽しみ」と鬼畜名言をのこした
スターリンもドイツの首都ベルリン陥落で金髪娘の強姦を煽り立てた。
つまり現代でも人心掌握のやりかたは全く変わってない
現代の平和の価値観に照らせば、強姦は全く非人道的でけしからんものであるが
これは兵士のたのしみ、強姦を奨励した史上最強の名言である

歴史家によれば「董卓ほどひどい悪逆非道のヤツはない」とえらく不人気だが
カエサルの愛情、項羽の略奪、董卓の強姦の許可、これぞ兵士にとっては理想の上官
チンギス・カンがみれば「戦争向きの将軍とは、こいつだよ」と褒めたであろう
433世界@名無史さん
2017/12/02(土) 00:34:05.940
>>429
ヒストリーチャンネルのバーバリアンライジングっていうローマ興亡記で
ハンニバルが歴史上使い始めた戦争戦術が凄いあるとかやってたな

>>432
あんま詳しくないけど
項羽>>>>呂布ってのはわかる
個人的な見解だけど
434世界@名無史さん
2017/12/02(土) 09:26:19.210
冒頓単于の時代の匈奴はオルドス小領主にすぎなかった
西に月氏、東に東胡という大国に圧迫されて滅亡寸前の小国
父の頭曼単于は冒頓単于を月氏に質として送り、これを殺そうと
さらに月氏に攻め込んだ、伝説では冒頓単于は逃げ出し父に復讐した
冒頓単于は自分に絶対に従う兵をたくわえていたため、クーデターは成功した

このような王を守る親衛隊をどうやって作るか
フンのアッチラ大王は、白人だらけの西欧に乗り込み、容貌は醜いとされつつ
北欧のゲルマン人にこぞって推戴され、大王として崇められた
まぁ一言で言えば超文明人が白土人の群れに降臨して皇帝になった。
中央アジアに伝わる、人を従わせるような、なにかうまい方法があったに違いない

アッチラは背は低いが怪力無双であり、目はギョロギョロと光り、自信に満ちていた
こいつの自負心といったら、ローマに「支配してやるから、わしの入る宮殿を用意せよ」というほどである

ケネディとニクソンのテレビ討論会は、視聴者700万人がケネディ勝利を確信して投票し
ニクソン絶対有利の形勢を変えた。じつはニクソンが討論は勝っていたされる
テレビではケネディの力強い表情と、自信たっぷりな喋り方に白土人700万人は心動かされた
ケネディの喋ってる内容は大したこともない。聴衆にとって目の前の「千両役者」こそが大切なのだ

匈奴の族長は弁舌もたくみで、千両役者であらればならない。
アッチラが目を光らせて演説するとき、身ぶりや手振りでおおげさに吠え立てたとき
貧しいゲルマン族長やフンの親衛兵はローマの黄金を略奪できる、興奮のあまり卒倒するばかりであったろう
435世界@名無史さん
2017/12/02(土) 12:28:21.910
アドルフ・ヒトラーは演説が巧みだった
ドイツの敵であるイギリスの映画でも、ヒトラーの名演説をテレビで眺める
英国王がむすめエリザベスに「話し方のうまい人だ」と呟く場面がある

ヒトラーは雄弁は巧みだったがこれはアジ演説ではあまり活かされることはなく
一本調子で何回も同じことを繰り返すほうが効果的だと気がついた
ある演説では「否」ナイン!を繰り返す
自信タップリな話し方、断定する話術、何度も単純な結論を繰り返す

「わたしはむしろ、平凡な労働者が好きだ」「国民を苦しめる高利貸しを絞首刑にせよ」
しかし本人はプロバガンダのためと割り切りながら、このような演説文はあまり自信がなく
むしろドイツの群衆の熱狂にあきれかえるばかりだったという

イギリスとの開戦ではヒトラーは演説した
「このような無謀な大戦は英独の二大国の崩壊をひきおこす。チャーチル氏はドイツのみが
倒れると期待してる・・・さりながら、わたしはイギリスの崩壊を(既に)知っているのだ!」
436世界@名無史さん
2017/12/02(土) 13:07:40.320
「我らの勝利と、敵の敗北をわたしはすでに知ってる」という言い回しは念入りな宿命論だが
ヒトラーがよく使った。内容に意味はない、ただ自信たっぷりに語るとき効果的だということだ

ハンニバルは交戦前に兵をあつめ語りかける
捕虜にしたガリア人に、勝てば自由と馬を与えると約束し、互いに決闘させた。
ガリア人全員が決闘を希望した。
決闘が終わるとハンニバルは演説を始め、われらの運命は、いま決闘した者たちと同じである、
勝つか死ぬかしか無い事、しかし勝てばローマの全てを手に入れられる。勝利した暁には
土地や金貨をいくらでも与える事などを説いた。

「諸君!ハミルカル・バルカの息子であり無敵の将軍であるわたし・・わたしに匹敵するローマの
将軍はひとりもいない!」
若きハンニバルは断定した。カルタゴ兵は熱狂した。
437世界@名無史さん
2017/12/02(土) 13:38:30.420
パリの東200キロ足らず、シャロンの平原でアッチラは演説した

「武器を持たぬわれらの勇気の前に、多くの砂漠や沼地の荒野はひらかれた
この勇気が多くの武勇を誇る部族を我らの足下に跪かせた・・

我らを守ってくれる運命が、最後の歓喜の勝利の地としてこの記憶すべき平原を
我らの前においてくれた!」

アッチラは奇妙なことにアドルフヒトラーと同じ運命・宿命論を民衆に吹き込む
すでに天が定めてると、さらに強く断定し、無知なものは安堵した

聴衆の多くはゲルマン人なども含まれ、のちに配下テューリンギア族が東ドイツあたりに建国する
となればアッチラもヒトラーも同じ血筋の民族に、最も効果的な演説をつかった

「堕落したローマ人だと!彼らは簡単に一蹴できる。奴らは一日の戦闘の労苦にも耐える力がない」
アッチラは断定した。そして自信たっぷりに
「天の庇護を受ける戦士は敵の矢玉を雨あられと注がれても傷一つ受けることはない」
「それにひきかえ、天に呪われた者はたとえ平和でぬくぬくしていてもやがて運命にうちのめされる」
アッチラはひとことで演説をしめた

「さいしょの投槍は余が突進して投げる。王に従って戦おうとしない卑怯者は・・逃れようのない死を遂げるのだ」
438世界@名無史さん
2017/12/02(土) 13:44:39.810
見てきたかのよう
439世界@名無史さん
2017/12/02(土) 14:04:08.250
倭国大乱を沈めた卑弥呼(日の巫女)がつかう鬼道というものも
本質は匈奴の「天王のお告げ」であろうから、似たような説法だったかもしれぬ

アッチラの魔術のような大演説は、もちろん蛮族連合軍の戦意を燃え上がらせる
天の勝利を予言されて、歓喜した彼らは直ちに戦闘隊形を組み始める

強力無比なフン親衛隊が中央部を固める
アッチラを帝としてしたがうルギ族・ヘルリ族・チューリンギア族・フランク族・ブルグンド
右翼指揮はゲピダエの王のアルダリック
左翼は東ゴート族の勇敢な三兄弟が占め、同族の西ゴートと対峙する
そうそうたるメンツである

ローマ軍はアラニ族の王サンパギヌスが中央部を固める
アエテイウス将軍は左翼の指揮を引き受け
西ゴート王テオデリックが右翼に展開した

この大戦について
カシオドールスは、「この大会戦に参加した多くのゴートの戦士の記憶によれば
全く類例がないほど複雑で執拗でおびただしい犠牲と流血があった戦だ」と述べてる
なんと一度に30万人が死んだともされる
440世界@名無史さん
2017/12/03(日) 21:24:57.730
演説など古くさく無文字時代の遊牧民では有効であろうが、時代遅れの宣伝で、いまや
映画やアジ文章・新聞、アニメやネットが在るではない無いかといわれる方もあろう

アドルフヒトラーはこれを否定してる

「プロパガンダとは大衆の注意を喚起するものであらねばならず、つねに感情に向けられるべきで
いわゆる分別や理解力には大いに制限されるべきである・・

その知的水準はプロパガンダに向かう対象で最も頭の悪い人に向けられるべきものだ」
そう、全てのヒトが宣伝ビラや新聞や映画を見るだろうかとヒトラーは問いかける、もちろん見ないと

ヒトラーによれば「人を味方につけるには書かれた言葉は役に立たぬ
この世の偉大な運動はいずれ偉大なる書き手ではなく、生きた生身の演説によってはじめて説得力を持つ
革命とはけっしてガチョウの羽ペンで導かれはしなかった」

宗教的な政治的な革命とはすべて言葉の魔力によるものである・・・とくに大衆は言葉の魔術の影響にうごかされる
441世界@名無史さん
2017/12/03(日) 22:11:38.900
ヒトラーは自らの雄弁や演説にたいしてドイツ民族がノリがいいと驚きつつ
「もしわが演説に対して無反応・反応が悪いような聴衆であればそれは
共同体としても死につながるものにほからない」
どんな名演説でも聴衆が無反応であれば無意味であろう
まぁ、いまの日本人がそんな感じだろうか


南米の革命家のシモン・ボリーバルの扇動演説はよく大衆の無反応にぶつかり
「民族とか革命、それが我らに関係があるのかね。それより酒でもよこせ」という大衆に
「革命の種子を播こうとする者は、大海を耕す破目になる」という恨みの言葉を残している。

五胡一六国の時代、鮮卑・匈奴の習慣についてこうある
蛮族の長は集会をおこなう
集会に参加しない者、また集会で族長にさからい否定論をのべるものは
ただちにひきだされ頭部を斧や剣で両断される処罰を受ける
族長のもと一致団結する鉄騎に対して、バラバラの中国農民や兵が勝てる道理がない・・・

フランクの王につきしたがうゲルマン兵の熱狂について司教グレゴリウスは
もし王が表情を曇らせでもしたら親衛兵は「王に逆らうものは誰だ!殺せ殺せ」と全員で
吠えたて教会の門までたたくので生きた心地がしなかった、という

アッチラの魔術のような演説もみごとだが、ノリの良い聴衆とはながく匈奴やフランク族長が培った
強いまとまりの共同体があった、といえるわけだ
442世界@名無史さん
2017/12/04(月) 15:54:42.800
>>439
多くて3万人ぐらいだろ死傷者数は
443世界@名無史さん
2017/12/08(金) 13:57:47.950
漢もローマも蹂躙したとは、匈奴最強(最凶)だな
444世界@名無史さん
2017/12/09(土) 02:07:01.850
>>443
うむ
当時の世界二大超大国を敗戦に追い込んだ

恐ろしい武力を持っていたよ
匈奴という民族集団は!
445世界@名無史さん
2017/12/09(土) 06:12:25.260
しかも人口・経済力では圧倒的に劣っていたにも関わらず!
446世界@名無史さん
2017/12/09(土) 06:25:47.360
非戦闘員には滅法強かったアッティラさん
なおアエティウス率いる正規軍にはボロ負けして死を覚悟した模様
447世界@名無史さん
2017/12/09(土) 08:09:54.700
アッチラが話したのはフン語だが死語となっており
テュルク語ブルガール語群が近いとされる、ゴート語も死語だが
ただゴート語でかかれた聖書などもあり文献も多いから大方のことはわかる

テュルク語というのは、もちろん現代でもトルコから中央アジア、中国の西部まで
話されることばである。北極に近いロシアのシベリアもテュルク語圏
だからテュルク系の言語なら大抵どこでも通じたはずだ
トルコ語だと「焼く」を「ヤク」という。

ゴート語は古英語やドイツ語の親戚のようなもので、異質である
流れ者であるゴート人は他の言語とも意思疎通できたようで
テュルク語もゴート語もかなり単純な言語で単語なんかは外来語まぜこぜ
おそらく現在の日本人が英語も多少は分かるように、冒頓単于の演説でも
ゴート人は理解できたと思う。大陸のテュルク文化のすごいところだ

現代トルコも英語アラビア語からの外来語が多く「古に戻るため」
言語純化運動も行われてる
448世界@名無史さん
2017/12/09(土) 23:01:38.280
恒例の
History map of East Asia for 2000 years
ダウンロード&関連動画>>


匈奴とかの勢力範囲マップ
449世界@名無史さん
2017/12/10(日) 07:01:51.150
>>447
サンクス
450世界@名無史さん
2017/12/10(日) 21:13:50.620
>>447
チュルク語(トルコ語)に関してはまったく知識がないので何も言えないが
ゴート語に関しては貴殿の講釈には異論がある。

そもそも古ゲルマン語の一つであるゴート語は、
ゲルマン民族のひとつゴート族が話していた言語であるが、
一般的に言語はさかのぼればのぼるほど、慣用句が減り、動詞変化、名詞変化、冠詞変化が規則正しくなる。
特に印欧語族はそうだ

そう考えると、ゴート語は英語に比べて十分複雑で格変化の規則が多い現代ドイツ語以上に
規則正しい言語たったのではないか

言語というのは、異民族との接触、異民族の支配を受けるほど、単純化し慣用句が増える傾向にある。
その最たるものが英語とアラビア語
451世界@名無史さん
2017/12/11(月) 07:12:47.880
日本語って慣用句が少ない部類なの?
452世界@名無史さん
2017/12/11(月) 16:14:34.950
>>450
でも教育もない古代人がそんな難解な言語を使いこなせたのかな・・・
453世界@名無史さん
2017/12/11(月) 21:43:21.390
当時のヨーロッパの農民や遊牧民は殆ど教養もないと思う
カール大帝も文盲。文盲の英国人水兵によくあるように△など記号はかけるのでサイン代わりとした

匈奴の単于の家系である劉淵は『春秋左氏伝』『孫子』『呉子』は諳んじる
ほどであった。むしろ匈奴レンテイ家は異様に学問好きといえる
赫連勃勃は美しい容貌とその爽やかな弁舌と学識で人を酔わせるほどであったという
匈奴の奴隷あがりの石勒ですら本を学生に読ませて歴史談義した
454世界@名無史さん
2017/12/11(月) 22:32:07.520
>>452
格変化が多いのは初学者にとって難解なだけで話者にとってはむしろ楽だよ
455世界@名無史さん
2017/12/11(月) 23:01:03.760
相変わらずコイツ一から十までデタラメなこと書いてるな
もう突っ込む気も起きないわ
456世界@名無史さん
2017/12/11(月) 23:33:16.660
>>452
ドイツ人の幼児が言葉を覚えるとき、両親の発音を耳で覚え、
異国人にとっては学習しにくい、規則正しい動詞の変化形や
男性名詞、女性名詞、中性名詞、それぞれにつく定冠詞、不定冠詞を自然に身についていく
これはその言語を話す民族の文明度とまったく関係ない。
言語学上の想像上の言語である印欧祖語には、現代印欧語が失った多くの規則変化と
微妙な音韻の発音があったはずだと学者に指摘されている。
未開の古代人ほど、多くの母音・子音を持ち、屈折言語では多くの規則的な動詞等の語尾変化を持っている


英語のように約1000年前に古フランス語にレイプされて
いろんなものがごちゃ混ぜになり、一貫した規則性をほぼ失った言語の方が
実は覚えにくい面もある
もちろん、一方で大幅に簡略化されて覚えやすい面も多いが
457世界@名無史さん
2017/12/12(火) 00:42:50.720
日本語も古代には母音が八つあったんだっけ?
458世界@名無史さん
2017/12/12(火) 01:53:16.320
8つあった時期がちょっとあった
複数の民族が融合しつつあった時期という事だろうね
459世界@名無史さん
2017/12/12(火) 09:40:42.560
母音が激減した結果、今や、日本人は代表的な英語の発音が下手な民族になってしまった・・w
460世界@名無史さん
2017/12/12(火) 13:31:45.130
英語の発音なんかどうでも良いことだけどな。
461世界@名無史さん
2017/12/12(火) 13:36:38.810
英語なんかしゃべれなくても、
プロ野球で15勝20本塁打くらいの成績残せば
通訳付けてくれるし問題ない
462世界@名無史さん
2017/12/12(火) 23:09:20.580
単于天降sage
463世界@名無史さん
2017/12/13(水) 01:39:09.670
アッチラ・ザ・糞sage
464世界@名無史さん
2017/12/15(金) 19:09:16.730
東方正帝アルカディウスは佞臣ルフィヌスによって、万事仕切られていた
莫大な富を持っていたが出が卑しいので
娘を帝アルカディウスの正妃にすることで地位を固めようと企んだ
帝アルカディウスは本好きで女に興味はなかったとされるがこれには不愉快を示す

そこで近臣は、フランク族の娘で美貌を誇るエウクドシアを全裸で運び込む
フランク族は帝国に数代仕えておりサリーフランク族は立派な体と長い金髪を誇ったから
この娘の乳房も立派であったらしく帝アルカディウスは夢中になった

蛮族の娘が美貌を武器に王妃におさまるというのは東西を問わずよくあることで
ただいくら美女でも野蛮人なのでその後は問題をおこす
皇妃エウクドシアは不貞と激しい淫乱でしられ、貞節をとく司教クリュソストモスといさかいをおこす

迫害追放のすえにクリュソストモスは炎天下の砂漠で歩かせるという残忍な処罰
「全ては神の栄光に帰する」ととなえて死亡した
キリスト教徒に三大神父と位置づけられる聖クリュソストモスであるから皇妃エウクドシアは最悪の悪女とされ
なお民衆に忌み嫌われる彼女が死んだとき悲しんだのは正帝アルカディウスただ1人と伝えられる

メロヴィング朝の初代王クローヴィスは「フランクの女が乱れてる」として女王位につけぬことをさだめる。これがサリカ法典だ
465世界@名無史さん
2017/12/15(金) 19:56:14.660
フン族の王バランベルは伝説によればゴート王国を征服し王を自殺させ、更に次の王も自殺させる
さらに名門で知られるアマリ王家の娘を妻にしたとされる
これについて西欧の歴史家はフン族の王バランベルは実在すら怪しいと非難してる

事実はこうであったにちがない。フンの王は同盟したアラニ族などを引き連れてゴートに乱入
これまで白人しか目にしなかったゴート王はおどろき、殺される
チンギス・ハーンの金言に基づき、王は殺され、その娘は慰みものになる

当時の蛮族は匈奴もフランクも正妻などめとることもなく連れ歩く女は無関心であった
正妻などというのは多くは女性と子どもの勢力と主張で決まる

都合の悪いことにゴート王家はその後ヨーロッパ王族の先祖に当たる
ゴート起源論をとなえるスウェーデン貴族やスペイン貴族の怒りに触れたわけだ
王はぶっ殺され名門アマリ王家の娘がフン王に犯されて愛玩物であるなどとは認めては
ゴートの栄光は台無しである
その辺は綺麗事にくるんで王は恥じて自殺したのであり娘は嫁に行ったという風にしたい

王バランベルとゴート娘のあいだに子供が出来たそうであるがこれがアッチラの先祖とすれば
彼はゴートの血をひくことになる。しかし当時のフン族は多くの軍事指導者がいて
アッチラはその1人にすぎないとされるから可能性はひくい
466世界@名無史さん
2017/12/15(金) 20:22:50.420
独ソ戦の末期、ドイツ空軍の士官はソ連兵におどされて銃を突きつけられ
その目の前で妻子は、ひきだれてロシア兵の強姦のぎせいになったという

やがてドイツ人の妻娘はもどされたが強姦よりもショックであったのは
その後も若い娘たちが夜に抜け出してロシア軍に訪れ、抱くように
ねだったということだ

ドイツ娘が淫乱というより明らかな勝者であるロシア軍に媚びたほうがとくで
女は体を利用するのも辞さない・・というあたりが真実であろう
すべてはソ連兵の強姦という風にドイツでは解釈されてるが勝者にみずから
抱くようにねだった女性は多かった

フン族やゴートがなだれ込んだときローマの皇女まで自らを蛮族の妻にするように申し出る
467世界@名無史さん
2017/12/16(土) 00:30:19.230
ここのスレッドを立ててる人たちは、わざと過疎りたいとかで無ければやめてくれない?
スレタイが  「匈 奴2」だとブラウザや専ブラの検索でも引っ掛かってきにくい
468世界@名無史さん
2017/12/16(土) 11:28:55.620
ローマ人では最後の将軍アエティウス
ゴート人の歴史家ヨアンネスによれば神の如き道徳と鋼鉄の精神を持つ人物
で体は小柄であったものの強烈なカリスマで持って蛮族を帰服させたといい

確かにローマの人質としておいやられ
フンのアッチラやゴートのアラリック王という二大英雄に軍事訓練をうけた将軍アエティウス
はローマ人ながら蛮族の騎兵と言える男であり
ガリエヌス帝のさだめた「ローマ人貴族は反乱を警戒し軍務につくことは禁止される」
なかの例外になり、また本人も軟弱なローマ人にあってこの蛮族の武力をおどしにつかうことを
ためらうような性格ではなく、フン族の恐怖を振りかざし宮廷で権力を握る

そのころフランク族はクロディオン王の支配のもと繁栄を遂げてライン下流からソンム河の
小国をきずきつつあった。このメロヴィング家の支配で王様はフランク戦士の円盾に担がれて
また長い金髪を王権の長としていた
469世界@名無史さん
2017/12/16(土) 11:40:22.510
さて歴史の転換点としてアッチラ征西の配下にフランク族がいたこと
しかしのちにフランク王国がフランスとなりフランス貴族を形成するに至るから
これについてはやはり西欧の歴史家はあまり触れたくない話題のようだ

将軍アエティウスは身軽な男であり、主力の軽騎をひきいてフランク国をおそう
ちょうど、フランク王クロディオンは結婚式を祝ってる最中であった
その祝宴はおもいもかけぬ嬉しくないアエティウスの荒くれ男によってやぶられる
こころよい川の岸辺に並べられた食卓はひっくり返されて
まだ男を迎えいれたことのない花嫁の処女膜はアエティウスによって破られる
侍女たちも荒くれ男の強姦に犠牲になる

アエテイウスのこの奇勝は王クロディオンに多少の不愉快を残しはしたが
あいかわらずフランク王国はソンム川からライン河の領土を揺るがせることできなかった
470世界@名無史さん
2017/12/16(土) 11:52:45.450
20年の支配を経てフランク王クロディオンはしんだ
しかし長男は当然、くだんの一件にうらみがあり
すぐさまフン王アッチラに協力を申し出る

弟のメロヴィスはローマ宮廷に迎えられ
アエテイウスの養子となり黄金の贈り物とともに故国に帰る

アッチラにしてみれば、ソンム河からライン川に至る小王国
が味方を申し出てくれることは、フランス侵攻の大きなる
足がかりになる

なにしろ、ソンム河といえば第一次大戦でも激戦になった
要所難所であり軍を動かす上で
ライン通行がフリーパスとなればどんな名将でも心動くものであった
471世界@名無史さん
2017/12/16(土) 12:54:07.290
もう少し簡潔に頼むわ
472世界@名無史さん
2017/12/16(土) 18:32:38.370
アッチラのアジアの大群はフランスの決戦で敗れたというのが定説となってる
しかし、アッチラに従ったフランク族は後で仏を得てる
東ゴートは伊をえてる、チューリンゲン族はドイツを得てる
アッチラの信任厚いゲピード族もフン族の本領であるパンノニアを死後に得てる
という意味ではアッチラ配下のほうが勝ち組である

西欧白人軍の中核をなしたアラニ族、アエテイウス、西ゴート王テオドリク
どれもたいして末路は芳しいものではない
西ゴート族はやがてフランクに仏から追い出される

足利尊氏にくみした大名が賊軍とされつつも栄耀栄華を極め
南朝に与してる新田義貞、楠木正成らは大したご利益はないように
現実にしっかりと利益を得ていたのはフン族の配下だった
473世界@名無史さん
2017/12/16(土) 19:05:48.820
歴史家プリスクスの不確かな記述によればアッチラの住まう帝王の村はハンガリーの平原
にあったようである。もとは仮の野営地であったものだろうが
それは木造づくりの建物で、王宮は十分に広く、浴場はローマ風の石作り
周辺は木の柵にかこまれ、ところどころに高い塔が設けられたが防御というより装飾風だった

アッチラの正妻であるクレカは3人の子を産んで文句なしに多くの女たちの筆頭だったが
毛皮の敷物にがしきつめられた建物に横たわり客を出迎える
木造建物だが、柱の高さや装飾の精緻さはローマ貴族も感心させた
王妃の周囲は美少女がお針子して懸命に装飾物を作ってる、フンの戦士を飾るためで
蛮族は武器や鎧・馬は、例外無く黄金や宝石・布でかざりたてる
ただし例外はアッチラであり、王の質素を体現するためまったく地味な鎧だった

クレカが歩くと女たちが先導して毛布を敷き詰める、王が歩くと侍女は白い小さい天幕をささげ
幼女たちが賛美歌をささげたという
クレカとは現在のハンガリー名でレカとされる。フィンランドではリリカさん。リリカルなのはではない
レカさんはチュルク系ではないかと想像され、またはモンゴル系ともされる
474世界@名無史さん
2017/12/17(日) 01:54:29.080
俺が高校のとき習った世界史と違うな(現在50代)

「フランク族、ゴート族を含むゲルマン民族群は、東方からフン族に圧迫されて、或いは殺戮されて、
その恐怖から西に大移動を開始する。元々の居住地は黒海北岸のウクライナあたりから白ロシア、
ビッスラ川(バイセクル川)沿岸、ドナウ川沿岸、現在の東ドイツ付近だった。
それ以前からも少人数のローマ帝国領へのゲルマン民族侵入はあったが、
このフン族の攻勢が決定的となり、ローマ帝国領内に大規模なゲルマン人の侵入が続き、
ローマ帝国滅亡の原因となった」

と習ったが?
ここの書き込みだと、十分フン族と通じていて、その侵略勢力の先兵になっていたようではないか!?
475世界@名無史さん
2017/12/17(日) 07:51:11.690
ローマ人の将軍アエティウスがフン族の人質として育ち、アッチラとは親しく言葉をかわせる仲で
フランス戦のあとも個人的友情から文通や贈り物をせっせとしてる。ほとんどホモ。
さらに息子を預けて養育を懇願してる。家族以上に信用して仲がいい
へたな朝廷の陰謀好き貴族とよくするより蛮王のほうが友人として頼もしいと見た

また略奪というアッチラ像を南欧人のほうは持つけど北欧では評価が異なり、
高貴な王エッツェルとなる。また北欧ゲルマン族には雇兵の出稼ぎ場をあたえてくれたいい人
ビジネス上の社長ということになる。
鹿児島が島津の殿様をたたえたり、北陸人が上杉謙信を称えるようなもので、ありがち
476世界@名無史さん
2017/12/17(日) 18:56:36.580
ニーベルンゲンの歌ではアッチラは英雄だからね
477世界@名無史さん
2017/12/18(月) 10:21:55.500
フン族黎明期、カマ・タルカンからバランベルへつながる系譜・物語も知りたいところだな
478世界@名無史さん
2017/12/23(土) 09:32:18.540
フン族は将軍ステリコに雇用されて、50万ともいわれるラガダイススのバルト海蛮族集団を撃破した
とはいえウルディンはフン族の軍事指導者のひとりにすぎす、また兵士もローマに逃げたりしてるので
匈奴の、左拳王(皇太子)かバアトル(勇者)あたりの職ではないだろうか
左賢王が傭兵隊長レベルとして外国ではたらくのは後漢でもみられる

アッチラのほうが存在はだいぶ重く、単于(皇帝)を意識した発言もみられる
ただアッチラの息子たちの代になると権威は軽くなりすぐ空中分解してしまうので血筋はたいして重くない
むしろゴート王家のほうが、何代も交代してるが王家の権威はしっかり確立してる

ゴート王アラリックの「高く茂った葦は狩りやすいものさ」という脅迫も農夫あがりの下男らしい発言である
フン「匈奴」がオルドス遊牧民であることは明白だが
ゴート人は原始的な農夫、ライ麦を刈る野蛮な農民であったようだ
このばあい、どこに差があるのかといえば農民のほうが牧夫より人口が多く、おそらく百倍ほどもあろう
ゴート語という独自の言語を持つ民族であったのだから大きい

ゴート人の農民型国家として、アマル王家の権威も永続していたためローマの内部に根もおろしやすく
遊牧民タイプは少数で存在が薄く、実力主義で王家も確立せず消えやすかった
479世界@名無史さん
2017/12/24(日) 09:11:28.670
戦士単位としては遊牧民は、ゲルマン農民であるゴート族より100倍もすぐれていた
フン族は騎馬隊でありその恐ろしい叫びと突撃、正面突破は、ローマ正規軍でも防御不可能であった
剛弓を得意としており、その命中精度は高く、100発百発百中
ゲルマン人はむしろ弓はきらっており卑怯者の武器として弱いものに持たせたとされてる
もっとも勇者が持ったとて、訓練しなければあたらないのが弓で
遊牧民はふだんから弓で動物を撃ち食って毎日利用してる。まさに超エリートだ
中国は遊牧民対策としてボウガン採用したがこれは農民でも命中率は高い

鉄砲以前の日本の合戦では死者の殆ど9割は弓によるもので刀や槍ではなかったとされ
あの鉄砲隊で名高い信長の近習ですら練度の高い弓隊であった

ともあれ西ゴート王テオドリクはゲルマン人らしく槍を持って正面特攻、フン族に心臓を貫かれて即死
長子トリスムンドは丘の上から急襲してフン族はやぶったものの
円車陣をくんで弓を射かけてくるフン族の防御に損害がかさみにげもどってくる

アエテイウスは待っていたとばかりに膝を叩く。トリスムンドに弟たちの脅威を説き、王宮に戻って王位につけと
温かい友人のように忠言した。これでアッチラは体制を立て直す
アエテイウスは友人アッチラの撃滅ではなく、フランスに巣食う西ゴート族の滅亡を願っていたとされる

トリスムンドは強大な肉体をほこり、ジャイアンのようにオイコラ!とアラン族からオルレアンをうばいとる
まさに蛮族どうしでなに内輪もめやってるんだという暴行狼藉でローマ人の狙い通りだが
さらにアエテイウスは友情を装い、弟たちの不満を扇動し、トリスムンド王は暗殺される
武将としては優秀だがちょっと頭が悪かったらしい
480世界@名無史さん
2017/12/24(日) 10:22:50.700
東ゴートは黒海北のゲルマン部族だが、伝承によればながいあいだ隣に住むアジア人のフンの存在を知らず
それは黒海の東にある巨大沼地が両者の交通を不可能としていたらしい
独ソ戦のドイツ南軍集団も、この荒れ地は段差が激しく、戦車の通行に適さない、と報告してる
とうぜん荷車はとおれない
したがって古代テュルク人から、匈奴帝国の自然の国境として黒海の泥濘地が作用していた
テュルクは北魏から高車と呼ばれる。「高車」とは4〜6世紀の中国北朝における総称で、
彼らが高大な車輪のついた?車(おんしゃ:荷車)を用いたことに由来する

突厥可汗国(トルコ語ギョクテュルク)はテュルクの意味を強大なものとしてる
突厥人は匈奴の別種(古くに分かれた同種異族)で、匈奴に破られ、一族は尽く滅ぼされた。
10?の男児がいたが、兵士は幼いので殺すのに忍びず、足の筋を切断して草沢の中に棄てた。
アセナという名の雌狼がいて肉を与え男児を養い、成長すると、雌狼と交わり身篭らせた
隣国の王は男児の生存を聞くと、再び兵士を遣って殺した。雌狼は天山山脈ボグダ山へ逃れた。
山には洞穴があり、狼はその中に隠れ、10人の男子を生んだ。アシナ人である。突厥やウイグルはその一つ
この雌狼とは、穴居人の妻であろうと思われるがモンゴルも蒼き狼先祖を採用してる

ローマも、建国者ロムルスは狼の子であるとしてるから中央ユーラシアに広く流布する俗説だろう
ローマもエトルリアから独立した暴れ者とされるが、このエトルリア人もアジアの出自
小柄黒髪で文明も高度でありのちにローマ人はエトルリアを抹殺したため詳細はわからない
エトルリア語はアルファベットで記述されているので音として読むことはできるが、解読されていない
テュルクが製鉄奴隷とされたようにエトルリア人も鉱山に熱心でイタリアの山を掘りどこかに船積みしていた
481世界@名無史さん
2017/12/24(日) 14:49:54.590
ペルシャという古い大国、ペルシア大帝国の北を脅かすのはイラン系の遊牧民スキタイであった
ギリシャの伝説ではひとりの乙女が大地から這い出てきた。容貌は美しく下半身は蛇である

神はこれを強姦し、生まれてきた子供がスキテュアという。この蛇の子孫がスキタイ・マッサゲタイ・サカ
にわかれていった。
フン族との戦いで中核に配置されたアラン族が、蛮族に珍しく重装甲の騎兵で、ローマに雇兵として
珍重されたのは述べたとおりだが
アランの先祖であるマッサゲタイのヨロイも強いという記録がある、このあたりは有史以前から鎧兵だった
サカ人はとくに重装甲の兵でしられてカザフスタン博物館の「黄金人間」の出土品を見ても
ほとんど非現実的ではないかというほど金ピカの蛇鱗みたいなクソデカイ鎧兜を着てる

ペルシア人がスキタイ人すべてをサカイと呼ぶため、彼らもサカイと呼ばれていた。
尖ってピンと立ったキュルバシアという帽子を頭にかぶり、サガリスと呼ばれる戦斧を携えていた
ペルシアもギリシア遠征にサカの重装甲兵を中央に配していた。もっとも勇敢に戦ったのがサカ隊であった
サカ人はスイス兵のように金を稼ぐ伝統は古来よりあった。彼らは戦争のプロで、歴史上どこでも強い。
東方進軍したアレキサンダーはサカとたたかって敗走、部下に口封じしたうえで何食わぬ顔で撤退した

重騎兵のアラン族はフランスの一番いい場所、中央部のオルレアンを占領していた
アラン族はかっこよかったが、なにせアジア遊牧民が支配してるものだから、王サンパギヌスは金が少ないと
腹を立てて役人をブチ殺したり豊かな大都市オルレアンにとってはひじょうにつらい時期だったらしい
ただオルレアン地名の100箇所はアランの名がつけられアジア支配者の強姦を伺わせる

阿蘭人の子種はばらまかれたらしく、今でも中部フランスは尻の青い蒙古斑のフランス人が多いという
アランという名前のフランス人が多いのもアジア人の子孫という意味である
482世界@名無史さん
2017/12/24(日) 17:03:39.840
以前から、ここで長文で解説されていることは全て真実なの?
例えば、コーカソイドの代表のようなイラン系であるはずなのに、
子供の尻に蒙古斑が出るとか、そりゃモンゴロイドじゃんw
支離滅裂なのだが
483世界@名無史さん
2017/12/24(日) 17:34:22.680
必ずしもモンゴロイドの赤ん坊のみが蒙古斑がでるワケではない
たとえば現代の中央部フランス人が100%白人でありながら尻が青い赤子が生まれる
フン族の強姦で得た形質とされてるが、アッチラ軍は殆ど短期のガリア滞在
アラン族がロワール周辺を長く合法支配した、元来その遺伝子をもっていた胡人だったと考えるほうが自然
阿蘭国はなにせアジアの奥深くにあったのだ
484世界@名無史さん
2017/12/24(日) 18:13:45.530
蒙古斑は白人では1〜10%、モンゴロイド固有ではない。
モンゴルに80%、トルコ人もでる。イランの新生児では70〜81パーセント
ちなみに黒人にも多くアフリカ系米国人86%

イラン人と、日本人に多いと解説されてる、イラン系の胡人は蒙古斑もちだ
485世界@名無史さん
2017/12/24(日) 21:34:33.470
ローマ人アエテイウス将軍は、アッチラに微妙な愛情を持ち、
南フランスに宮殿を構える同盟者の西ゴート国を、歯噛みして憎んだ

ゴート人は北欧スウェーデンからきたとゴート歴史家ヨルダネスは美化する
しかし発掘資料的にはポーランドあたりの文化は、ま認められるが
ゴート王はともかく大多数は黒海の、けちな土着人ではないかとされる

同じくロシア帝国がルーツを北欧バイキングに定めても、じっさいはロシア人はイラン系スキタイ
遺伝子的にかくしようがない、国家体制には赤狄・テュルクおよびモンゴル帝国の後継者である
なぜゴート王やロシア帝がアジア由来でない
スエーデン人だとひっしに偽装するのかは、まぁそのほうが西欧でウケが良いからで
またスラブ民族に多くのテュルク語が導入されたのはアッチラ大王の頃であるとされる

西ゴートがフン族に迫害され追われて逃げ込んだ、対フン同盟者なことは確かだが
にげこんで保護したはずのゴート自体にローマは大損害を負っていた
西ゴートの英雄アラリック一世によってローマは劫略されて、王ワリアはアフリカを目指し
スペインに侵攻、アラリックの子とされる西ゴート王テオドリクはツールーズに宮殿をかまえた

ゴート王朝は黄金で宝石をちりばめた聖杯を多数持っていた
いうまでもなく当時大富豪である南欧のキリスト教会の聖杯を略奪した
西ゴート王アラリック一世は経済価値の高い胡椒を要求したといわれている

アラン族は戦争に長けた重騎兵ながら、草原・・たんなる食事をもとめた遊牧民で、
このような知恵はなかった。ゆえにローマに保証されたオルレアン官僚が食を出し渋ったから殺した

ツールーズの西ゴートはさらに狡猾であり、南フランスからでる納税の三分の二を頂き
のこりはローマ人の官僚に渡す経済条約をむすんだ、
明晰な判断力持つアエテイウス将軍が、草原をさまよう遊牧民であるフンやアランよりも
ケチな原始農民ゴートをおそれたのはローマの乗っ取りをねらう巨大な害毒・寄生虫であるとおそれた
486世界@名無史さん
2017/12/24(日) 21:51:17.590
アラン族とゴート族の関係は
日本史で言うと平清盛と源頼朝に似てるかも

源頼朝は、平家により潰されて流人として伊豆に流れるが
いずれ世に出ると期待された。これによって知恵をつけて
日本全土に地頭をおく恩賞を朝廷に要求した

地頭は当初は、一定の賦税のあがりを京都貴族や天皇におくる役目だった
金を握る役人は強く、経済をにぎるため、武士の世の中になる
このような悪知恵は平家になかった
487世界@名無史さん
2017/12/25(月) 00:29:22.200
そりゃ、壇ノ浦で舵取りを射るなんて悪知恵は持ったなかったよなあ、平家は
だから滅んじゃったのかもな
488世界@名無史さん
2017/12/25(月) 00:38:08.900
頼朝は35歳でそろそろ中年にさしかかるころで挙兵した
ふつーなら大冒険は断念してもおかしくない爺
もうワル知恵たっぷり溜め込んでた
489世界@名無史さん
2017/12/25(月) 00:42:53.410
義仲は?
490世界@名無史さん
2017/12/25(月) 00:50:12.930
旭将軍は若かった。でも頼朝もあと一歩で隠居ジジイだよな
491世界@名無史さん
2017/12/25(月) 03:56:20.000
当時の35歳っていまの55歳くらいの感覚だったんかな
492世界@名無史さん
2017/12/25(月) 14:21:19.990
ローマ人の意図とは反対にゲルマン人は更に数を増やし強大化して
ローマ帝国に襲いかかった
ローマ帝国終焉の始まりである
493世界@名無史さん
2017/12/25(月) 22:31:17.110
アラン人=サカ・サカイ=マッサゲタイは古代イラン語を喋っていたと想像される
地域的に東イラン語であるソグド語が近いかもしれない

古代において匈奴はオルドス部族に過ぎず冒頓単于の代には小国であり
西には大月氏(イラン系)という大国と、東は、東胡(モンゴル)という超大国に圧迫された

河南(オルドス)は古代遊牧民の故地なのでテュルク系の本家であろうが
古いなりに京都のような力はあったものの周囲からすれば小国に過ぎなかった

大月氏というと中国人を連想するがイラン系言語からきたものでフランス語でグレート・ユーキ
あるいは大ユージともいう。イラン系白人であって、アラン族・サカに近い
ペルシァ系遊牧民と言えばそうアレだ、鉄騎だ
アランのように戦えばとんでもなく手強い、鱗鎧をかぶっていた蛇のような騎兵であろう

そこで冒頓単于は大ユージ族にはヘコヘコして、東胡王を殺し、モンゴルを徹底的に叩き潰す
しかし真の脅威は、大月であり、西にも匈奴40万騎が押し寄せる
イシク湖に逃れてきた月氏は、そこにいた塞族(サカ)の王を駆逐してその地に居座った
息子の老上(ラオ)単于は、大月氏を追い打ちをかけ徹底的に潰す。匈奴帝国の外患は除かれた

ラオ単于の匈奴14万騎は漢をおそい、代郡では多大な被害もでる。そこで漢は使者を送り
丁重に礼を尽くした所、単于はいたってまじめに返礼をして、ここで友好が結ばれた

冒頓は(パガトル)勇者の意味で、息子の老上(ラオ)単于は賢者の尊称だろう
この頃の匈奴では、漢から送られてくる食料や衣服を愛好するようになり
ラオ単于も中国人風にそまり、野蛮な肉や馬乳を嫌ったという
494世界@名無史さん
2017/12/26(火) 06:19:04.560
>>493
実際の数字はその十分の一ぐらいか
495世界@名無史さん
2017/12/27(水) 13:41:54.050
アラン人ってアオルソイ(奄蔡)と同じなの?
496世界@名無史さん
2017/12/31(日) 23:10:35.250
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%82%A4
497世界@名無史さん
2018/01/01(月) 02:09:33.920
アオルソイはほぼ奄蔡比定でおkだろう
問題は、アランがその末裔なのかどうか
498世界@名無史さん
2018/01/01(月) 02:23:28.770
匈奴をチュルク系と断定している書き込みが多いが
モンゴル系の可能性も否定できないぞ

なにせ、ローマ人の戦記に書かれているフン族の容貌は黄色人種の典型だぞ
499世界@名無史さん
2018/01/01(月) 02:49:20.320
いまさら何言ってんだ。テュルクとモンゴルは同根だろ。
500世界@名無史さん
2018/01/01(月) 02:50:03.100
突っ込みどころ満載な気が・・
501世界@名無史さん
2018/01/01(月) 02:50:52.630
テュルクだってドルジ顔はおるw
502世界@名無史さん
2018/01/01(月) 03:09:37.990
モンゴロイド
東胡=モンゴル系
丁零=テュルク系
フン族=匈奴に征服されたテュルク系かモンゴル系

印欧語族ではないコーカソイド
匈奴 烏孫 月氏 エフタル フンザ

印欧語族のコーカソイド
トハラ サカ アラン
503世界@名無史さん
2018/01/01(月) 03:14:10.170
フン族は、特定民族ではなくもっと漠然とした馬賊程度の意味だろ。
504世界@名無史さん
2018/01/01(月) 03:18:58.890
>>502
> 印欧語族ではないコーカソイド
> 匈奴 烏孫 月氏 エフタル フンザ

興味がわくな
イラン系(コーカソイド)も印欧語族だから
後残ったのは、セムハム語族か?
それとも、今は消滅した絶滅語族?
えぇぇぇぇえ!????
505世界@名無史さん
2018/01/01(月) 03:59:46.690
フンザではイラン語でもチュルク語でもない
ブルシャスキー語が話されている
506世界@名無史さん
2018/01/01(月) 08:14:26.900
アランとオセット人とでは遺伝子が違うことが指摘されているね
もっとも少数のアラン人が多数のコーカサス原住民を支配・同化したという可能性はある
507世界@名無史さん
2018/01/01(月) 09:27:45.730
サカイというと堺とか酒井・坂井さんとか連想する
でも実際のところ坂上氏は軍事系の渡来人だったとか、坂家とも。
いちお漢帝の子孫と言ってるがズバリこれ、匈奴
匈奴王は劉氏とも称したし、漢帝の劉氏は西晋で皆殺しが史実
生き残った本物も粛清おそれ名前変えてる。
508世界@名無史さん
2018/01/01(月) 10:12:53.800
サカ=スィースターン&ラージプート

アシュクザイ=クルド

キンメリア=アルメニア
509世界@名無史さん
2018/01/01(月) 10:25:59.030
現在のカザフ族=烏孫はイシク湖周辺に本拠(赤谷城)を置き、たびたび周辺国を荒らしていた。
西域諸国の中で最も中国の民族と容貌が異なり、目が窪み、鼻が高く、青い目、赤顔。
カザフスタン博物館の黄金人間は赤い衣に金の鎖帷子に高い金帽子というサカの王子だが
この赤い衣はカザフの婦人が結婚式で着る衣装にそっくりだ
男のカザフ族は民族衣装らしきチョッキ(昔は鎖帷子)にフン族の丸い毛皮帽
生活は匈奴そっくりで冬は羊肉・夏は馬肉を食らうという

「黄金人間」ほどの重装備は、西ローマのアラン、東アジアだと日本の侍ぐらいしか思いつかない
東北の蝦夷征伐にために渡来系が持ち込んだ軍事技術かもしれない
サカ氏と称したのも、サカイのよろい作りの集団、ともとれる
510世界@名無史さん
2018/01/01(月) 10:47:01.240
ゴートやフランクは体格は雄偉だが、ヴァンダル族ってのがデカかった
フランクやウァンダルはローマの町で頭一つ飛び抜けたそうな

アラン族はソコまで大男ではなかったが鎧をもった重騎兵という利点があった
鎧がどんだけ価値があるかといえば、西洋の騎士鎧は現在で高級車一台分
ベンツというあたりだ。買ったわけではなくアラン族がじぶんで作ったのだが
だからローマ皇帝が頭を下げてアランを雇った

ゲルマンはヨロイをきたえる技術はない、西ゴートのアラリックがギリシャ侵攻で
生き残った哀れな連中を脅し鎧兜を鍛えさせる記録がある、ゴート族も鎧は無かった
なんとなーく北欧ヴァインキングの角兜のイメージで意外なところだが、あれはアジア由来

フランスにすんだアラン族はロワールの職人にサカの鎧をつくらせる。ここからフランスは
中央アジアの重騎兵の技術をまなび、西洋騎士の花となる
511世界@名無史さん
2018/01/01(月) 11:12:49.300
ゲルマン民族大移動と呼ばれている社会現象は、北半球の寒冷化が原因であってフン族ではない。
農耕と遊牧にそれぞれ適した温度帯が南下。フン族もまた寒冷化によって移動を余儀なくされたに過ぎない。
512世界@名無史さん
2018/01/01(月) 11:54:53.470
ゴート起源ブームではヴァンダル族のスカンジナヴィア起源がとなえられたが
ポーランドに住んでいて非ゲルマン、スラブ系、イラン系ではないとされる
シリジジイとハゲジジイの2系統にわかれてシリジジイ系統はシレジア南下、
のちのヴァンダロルム国=西ポーランド人の先祖
スティリコ将軍はハゲジジイ、これら系統はアフリカにいき消滅
ゴートもヴァンダルもイラン系となるとゲルマンでなくイラン民族の大移動だね
513世界@名無史さん
2018/01/01(月) 13:18:56.830
西洋騎士の鎧は40キロもあり倒れると窒息する

ペルシア遊牧民、サカは非現実的な重い鎧をきていたが
馬ではなく二頭建ての馬車、チャリオットのうえに騎乗した

戦車はカザフスタン周辺で、4000年前発明され、そこからイラン文化が
ひろがってるので初期のスポーク型車輪つきチャリオットの出土範囲からすると
カザフを発祥とする、イラン族の大征服があったらしい
二頭でひく戦車なら重い鎧もきれる、したがって中国の周代でも古代戦車は全盛
諸公国の時代になると歩兵がメインとなり趙の武霊王が匈奴の騎兵を取り入れる

ただし中央アジアではペルシア遊牧民の重装備をつくる技術は残り
もともとイランのよろい鍛造の本家なのだから・・
戦車は時代遅れで匈奴の騎兵におされつつ、アラン重騎兵となる

ともあれ4000年前に、西はカザフスタンと、東はオルドスが遊牧文化の核だった

フンがアランをほろぼし、吸収しローマに進軍したがフン族は革鎧の軽騎兵
アランは鋼鉄の重騎兵という役割分担になる
514世界@名無史さん
2018/01/01(月) 18:09:33.350
>>509
烏孫はアファナシェヴォ文化人の末裔だな
昔はそれ謎だったんだよ
515世界@名無史さん
2018/01/01(月) 18:11:38.860
>>511
今では定説だけどね
環境考古学の発達のおかげかな
516世界@名無史さん
2018/01/01(月) 18:13:55.140
>>512
それもここ10年ぐらいに知ったわ
更に言えばヴァンダル王国消滅後に
一部のヴァンダル人はポーランドに回帰したことも言われているね
517世界@名無史さん
2018/01/01(月) 18:52:42.860
ヴァンダル=ヴェンド
518世界@名無史さん
2018/01/01(月) 19:10:06.980
>>514
烏孫=トハロイなのか?
519世界@名無史さん
2018/01/01(月) 19:42:16.410
鎧師は鉄をきたえる技術がある。近藤勇が愛用した虎徹は、
江戸時代でヨロイが売れなくなり刀鍛冶に転業した虎徹がつくる
ただ姿が非常に悪く、わらわれた虎徹が無言で庭に出て
石灯籠にきりつけたところ、スッパリ両断したという

恐らく畑違いの刀鍛冶や百姓鍛冶が小札鎧を作っても
マトモにならない気がするのですんごい鍛造技術だろう

ローマ兵は鉄のリングを編んだ鎖帷子が主流で、共和制ローマで
鱗のような小札鎧が流行した。高価で貴族が着ていた
ながらく板鎧が作れなかったが帝政初期にローマ全軍に普及した
ただ板鎧が重かったので100年で廃れてしまい、鎖帷子に逆行する

ギリシャも似たようなものらしいがマケドニア王フィリッポスは象牙を削り出した
鱗鎧をもっていた。牙歯は硬い金属だがちょー高価だろう。想像もつかん。
520世界@名無史さん
2018/01/01(月) 19:56:27.680
ゲルマン民族大移動にかんして、たかが戦争ぐらいで民族の大移動を引き起こすことなどありえないと皆が思ってた。
わかりやすい反例として、フン族よりはるかに脅威だったモンゴルやロシアの侵攻が東欧諸民族の恒常的な移動を引き起こした形跡はないからだ。
そもそも遊牧民は征服した土地の農耕民・狩猟民を徴税対象の農奴として使役するはずで、
遊牧民が徴税財源になる民衆をわざわざ追い出すなどありえない。
521世界@名無史さん
2018/01/01(月) 20:22:08.130
共和ローマがながくケルト人やガリア人、ゲルマンなど蛮族に優位を保ち得たのは
鎧兜が優れていたことが挙げられる。蛮族は経済的に持ち得ない

まぁ初期はフランス北部のブレンヌスにぼこぼこにされたりしてるんだが
ローマ人は野菜を食うので黒髪で小柄で、獣肉をたべるガリア人に体は劣っていた
最高の美食とされたのはアフリカの海老だ
スペインで鍛造した剣は有名だったが戦争で、カルタゴ・ノヴァの技術も転がり込んできた

ローマ農業論も「土地の最高の利用法・・なにもしない。家畜の放牧。最低なのは農業」と
いうように農業でも劣っていた。ワイン醸造はカルタゴ人のマゴの農業書で知った
しかもカルタゴは徹底的に破壊されたのでローマ人は知らず
カルタゴの破壊の際、図書館の蔵書はアフリカの小王が持ち去るという無知っぷり
カルタゴの土地には草一本すら生えることを許さないという意味で塩がまかれたという。

蛮族もすぐれた鎧兜や武器を持つようになりローマの優位は崩れていく
フンの矢尻は骨製だが、その鋭利なことは鉄の槍に貫かれるようだったという
522世界@名無史さん
2018/01/02(火) 00:22:28.130
>>518
赤谷城、烏孫(江都)公主、昆莫・・・ミステリアスすぎだな、この民族も
523世界@名無史さん
2018/01/02(火) 01:04:39.810
広大な農地を不毛の地に替えるくらい塩をまけるものかね?
単純に灌漑農業の影響じゃないかな
524世界@名無史さん
2018/01/02(火) 03:18:13.010
よくある誇張表現じゃないの?
525世界@名無史さん
2018/01/02(火) 04:08:38.150
イフリキアは11世紀半ばにファーティマ朝が
反旗を翻したズィール朝を懲らしめる為に
ベドウィンを大量移住させるまでは農業が盛んだった
526世界@名無史さん
2018/01/02(火) 08:12:38.760
カルタゴは属州アフリカに改名されたがその後もイタリアにとって最大の
小麦の供給地だった
527世界@名無史さん
2018/01/02(火) 09:06:45.950
>>521
ローマ人男性の平均身長はせいぜい160pだったと言われているね
ゲルマン人と10p以上差がある

ただ北部の先祖がケルト人の連中はどうなのかね
穀物を食べて背が低くなったのかな?
528世界@名無史さん
2018/01/02(火) 09:51:03.780
日本式におよばないが西欧の鎧もじょじょに進化してる

古代ギリシャ・・胴だけを一枚鉄板で隠す、金太郎のハラガケ、胴丸式
共和ローマ・・鎖帷子、貴族の鱗よろい
帝政ローマ・・ゲルマン戦にむけて全身可動プレートアーマーをテイベリウス帝が導入
末期ローマ・・板鎧は廃止。鎖カタビラが全身を隙間なく覆うよう進化
中世・・・ほぼ全身が鎖で覆われる十字軍やイスラム軍もこのかたち
100年戦争・・工芸品の鎧。薔薇戦争で騎士の華・イギリス貴族が死に絶える
最後の騎士・・傭兵隊長マクシミリアン一世が、ドイツ神聖皇帝に即位。大帝

全身プレートアーマーをテイベリウス帝が導入した事件だが、背景としては先帝時代
ゲルマニア司令プブリウス・クィンクティリウス・ウァルスがゲルマン蛮族に包囲されて
スターリングラードのように3個軍団が全滅した悲劇があった。アウグスト帝は
宮殿の柱に頭を打ち付けては「軍団を返せ」とわめき、ローマ帝国は恐怖に包まれる
第17軍・18軍・19軍は消滅しガリア全土はゲルマン蛮族に無防備にさらされる
ローマは蛮族対策に全力で鎧を強化
後任司令官に起用されたのは養子テイベリウスで重装甲の軍団でゲルマンに向かう
皇帝は血の繋がらないテイベリウスをきらってた。陰気なテイベリウスが帝位に登ると
アウグストゥスの構想であったエルベ川国境に見切りを付け、ライン川まで退く政策を実行した。
529世界@名無史さん
2018/01/02(火) 13:44:30.000
>>526
当時は現在よりもマグレブが緑豊かだったようだね
ハンニバルの頃も野生の象がいたらしいから
530世界@名無史さん
2018/01/02(火) 15:24:25.560
日本に「札よき鎧」という美称がある
初期の鎧は小札800枚ほどだったがそれでも小札作りの鍛造や削りや穴あけや漆塗りで
200日の製造期間のうち、札の製造に9割の時間をようした
大鎧は二千枚の札を使用しておもさは20キログラムに達して、ほぼ西洋騎士鎧と変わりなくなる
厚みは2ミリほどで、薄いものだったが強度もねばりも必要である、この粘りが防弾装甲として
たいせつなもので、硬くても割れては困る。
ヴィッカース装甲、独クルップ装甲はいずれもニッケル鋼がいる。ニッケルは戦争資源で
戦艦や戦車に必要なので硬貨として流通して戦時は溶かすしくみとなってる

古代では割れにくい良鉄を探し鍛造するという技術はどこから学んだかは知らない
鮮卑族が鉄騎を用いたことで有名である。鋼鉄のイラン系重騎士で
コレに中国人は全く刃が立たず鮮卑族は唐の時代まで子種をバラマキ現在の中国人は
鮮卑系に置き換わった。しかし鉄騎は脚が遅く、行動範囲が狭い
重戦車と同じで突破に適したが機動戦に向かない。アラン族の騎士も同じ欠点を抱えた。

唐の李世民は軽騎で奇襲する戦争オタクだったため装甲騎士はむだとして廃止した。なにしろ
突厥軍が和議を破って進撃したとき、李世民はただ6騎で向かって追い返したとされる。
ここで中国の鉄騎は歴史から消える。
531世界@名無史さん
2018/01/02(火) 19:06:02.210
坂上氏系図によれば初代は東漢氏で5世紀で応神天皇のころにきた渡来人
これはちょうどフンのアッチラ大王のころで5世紀、451年にアッチラはガリア侵攻
470年に点火されたイランのヤズドにあるゾロアスター教の拝火殿の火は今日まで燃え続けている。

東漢氏(サカ)は大臣蘇我ウマコに忠誠を尽くし、崇峻天皇を弑逆
蘇我はサカ族ともされ天皇より大きい宮殿にすんでいたので渡来人がこちらが本物の王だと考えていた
しかし蘇我滅亡ではなぜか東漢氏は天智天皇につき、壬申の乱で大海人皇子に東漢氏の坂上国麻呂がつき
坂上田村麻呂はなんと史上初の征夷大将軍につく

崇峻天皇を弑逆という罪を犯しながら、東漢氏が処分されず蝦夷対策に重用されたのは
渡来人として最新の騎馬軍事技術をもっていたとかんがえられる
中国が五胡十六国時代という動乱の背景からもってきたのは匈奴や鮮卑の鉄騎、重騎兵だろう
532世界@名無史さん
2018/01/02(火) 19:29:25.860
源氏は八領の歴代の鎧をもっていた
頼朝は、流人ながらも、えらそうな叔父たちがくると黙って奥の部屋に案内し

「これが八幡太郎義家のきたよろい、源太の産衣です。(これを受け継ぐ私は
源義家いらいの源氏の大将なのです)」

叔父たちは下座につき頼朝にしたがう
威光はすごかった。なにせ鎧というものは平安時代の官営でしかつくれず
義家のきたよろい、源太の産衣も天皇陛下の下賜とされる
民間では作る技術はないし将軍クラスの独占だ

当時の鎧は三年毎に補修が必要とされ、サビや傷は交換されたから
100年も経てばほとんど魔改造再生品であったが、とにかく貴重であり
一度つくればも宝物として伝承された。武田家から現代につたわる盾無も
頼朝の誇る源太の産衣も製造から戦乱をへてかなり出自は怪しいが
とにかく大元帥の証であり、これをみせればだれも逆らえない威光はすごかった
533世界@名無史さん
2018/01/02(火) 20:14:21.410
>>527
映画「ロード・オブ・ザ・リング」を見ると、
馬上の戦士が屈強そうで大柄な体格のひげもじゃ長髪の白人
鎧を身にまとい、諸刃の幅の広い剣を高々と掲げ、ときの声を上げるシーンがある
すげー強そう

帝政ローマ期のゲルマン人騎士ってあんな感じだったのかなと連想した
しかし、そいつらを相手に勝利してしまったモンゴロイドのフン族は本当にすごい蛮族だと思うわ
巧みに弓を馬上で操る痩せた朝青龍のような連中だったのだろうか
534世界@名無史さん
2018/01/02(火) 20:40:27.200
白鳳や日馬富士に似ていたかもしれんぞ
535世界@名無史さん
2018/01/02(火) 21:44:39.190
今の白人、とくに英仏の上流貴族は身長190

しか−し、近世以前の北欧人はずっと身長170ぐらい
現在の日本男子と変わらない
白人でもっともアグリーでゴツいと言われるオランダが爆発的に身長伸びたのは
インドネシア蘭印を植民地にして栄養が足りてから。これ言うとオランダ猿は激怒する

ヴァンダル族のステリィコ将軍が頭一つたかいっていうけど
ローマ人が身長150、ステリィコ将軍が170ぐらいではなかろうか。。。
徳川将軍は150ぐらいなんで

ちなみに五胡16国のころ
鮮卑で最強の武将と言われた燕の慕容垂は身長180センチですが
536世界@名無史さん
2018/01/02(火) 21:52:28.330
米アメリカ大陸に到達したのは北欧ヴァイキングとされており
発掘資料でも裏付ける
しかし北米の寒冷な気候に耐えられず全滅した
北欧ヴァイキングの遺骨は身長170で
代を減るごとに小さくなり小人化
北米インディアンは身長180センチで遥かに白人よりデカイ
ヴァイキングは北米インディアンにボコボコにされた
わけではないが相手にもならないのは想像できる・・
537世界@名無史さん
2018/01/03(水) 00:07:40.500
>>520
古代ゲルマン人は城郭都市に住む習慣がなかった
ゲルマン人の集落は無防備で敵に襲撃された場合
森林や沼沢地に逃げ込んで撃退していた
この戦術は森林地帯では極めて有効で
ローマはゲルマン人を征服出来なかった
ゴート族は黒海北岸の草原に移住しても無防備な集落で暮らしていた
ゴート族はフン族に襲撃されると集落を放棄して森林を目指して逃げ出した
538世界@名無史さん
2018/01/03(水) 00:28:58.410
>>537
森林に先住民がいないから成立する一時滞在の話をしてどうする。
長期的な人の動きは、たかが戦争ごときでは引き起こされない。
戦争という語から第一次・二次大戦のような総力戦を想像すべきではない。
539世界@名無史さん
2018/01/03(水) 00:56:02.730
古代ゲルマン人は焼畑農耕民で普段から農地を変えながら移動していた
移動している途中で他の部族に遭遇して負けた方が大きく移動したりした
540世界@名無史さん
2018/01/03(水) 08:09:12.530
カエサルは蛮族戦の名手でブリタリアを征服したがこんな戦争の天才が
でることは滅多にない。そういえば曹操も匈奴戦では無敵で、曹彰も名手だった

有能な人材がないアウグストウスのゲルマン討伐は2階建ての建物に、素人が
4階を付け足すようでいささか性急で無理があった。テイベリウスはひっこんだ

そもそも初期の共和ローマになって直後に蛮族ローマ占領だから
蛮族なんかものとしない王政ローマは、驕慢王に戦略があった、
もしくは土民は知らぬ裏交渉で上手いことトモダチ作戦だ
賄賂コネクションできない共和制になって急に蛮族に怯えはじめてる

ステリコも蛮族に貢ぎ金ODAはらって同盟国にしたほうが美味しいと指摘した
売国奴だと発狂した若い右翼に刺されてる。ステリコ親衛隊はフン族だが
蛮族出のローマ兵も大切な妻子を右翼ローマ人に強姦されて激怒し
日本だと在日米軍の妻子が犯され激怒し、中国軍が襲うような形
アラリックにローマ劫略されても守る兵なし、ジオンに兵なし
541世界@名無史さん
2018/01/03(水) 09:17:04.510
>>536
グリーンランドの初期入植者も最後の頃は
成人男子の身長165pぐらいだったらしいね

白人ですら寒冷化には対応出来ないということか
モンゴロイドの生命力は凄いね
542世界@名無史さん
2018/01/03(水) 13:48:54.450
そのころは相当温暖だったんだろうか
冒頓単于の頃のモンゴル高原も今より温暖だった?
543世界@名無史さん
2018/01/03(水) 16:11:53.710
オルドス高原にもみどりがあった時期があるらしい
544世界@名無史さん
2018/01/03(水) 16:13:00.920
今から2500年も前によくあんな厳寒な地に住めたもんだと感心する
545世界@名無史さん
2018/01/03(水) 16:56:03.420
例の相撲騒動の頃、12月かな、東京が10度前後で
モンゴル国はマイナス20度だと報道があったね

しかし昔はオルドスも森林・草原地帯だった
中国の中原もそうだった。砂漠化したのは割と最近で
春秋戦国時代に人口爆発し木を伐採した
いずれの公国とも政治に躍起となったため
聖王でなく、選ばれた宰相が王を殺し権限を握る
晋の六卿のような有能な寡頭政治がおこなわれた

オルドス地方も秦の強盛時代には河南の地として漢民族が移住
砂漠化したのはそのころかな
「さばんなちほー」から「さばくちほー」になったんだね。すごーい
546世界@名無史さん
2018/01/03(水) 18:13:26.460
すごーい!漢族は森林を砂漠に変えるフレンズなんだね!
547世界@名無史さん
2018/01/03(水) 18:17:56.190
日本列島がいま緑が多いのも先人が植林に熱心だったからで
手入れしないと朝鮮のように禿山だらけになってた
548世界@名無史さん
2018/01/03(水) 18:20:01.110
灌漑農業やってたところはたいてい砂漠化してるな
気候の変化もあったんだろうけど
549世界@名無史さん
2018/01/03(水) 19:00:21.090
森林を伐採して木炭燃料に変えるから寒冷地は管理植林しない限り
禿山や砂漠化は免れない気が・・
ゲルマンは誰も立ち入らせない黒い森林の保有が、部族の権力の証で
そのせいか今でもドイツ人は保持にねっしんだ
クロモリミネ学園というほどだ
550世界@名無史さん
2018/01/03(水) 19:09:29.040
それドイツ人関係ない
生徒も日本人だし
551世界@名無史さん
2018/01/03(水) 20:51:12.290
>>544
アルタイ山脈はその名のごとく金採掘が盛んだったはずだから
金を採掘する為に気候が厳しくても住んでいたのかもね
金が枯渇すると住民は去っていき民族移動になったのかな
552世界@名無史さん
2018/01/03(水) 22:08:15.090
奥多摩のおくふかくの山も花魁淵(おいらんぶち)といって黒川金山の跡だった

武田勝頼の死で黒川金山も閉山となった。金山奉行の主導で、鉱山労働者の相手をするため
55人の遊女を皆殺しにすることを決め、酒宴の興にと称して
柳沢川の上に藤蔓で吊った宴台の上で彼女らを舞わせ、舞っている間に蔓を切って宴台もろとも淵に沈めて殺害

山梨県による方針で花魁淵はげんざいは立ち入ることが出来ない

むかしは通れたんだが
山梨県こえええー
553世界@名無史さん
2018/01/03(水) 22:16:31.700
紀元前三千年前のメソポタミア地方は豊かな温帯森林が広がっていた
そこの地層から各種の木の種が化石として見つかるのと、
当時の古文書の記載内容から窺える
人類は紀元前の昔から地球環境を破壊してきた

しかし、人類がこの地球上が絶滅すると、およそ100年で劇的に自然が回復するそうだ
先日見たナショナルジオグラフィックTVの番組(英国のテレビ局が制作かな?)で
その様子(予想CG)が放送されていた
554世界@名無史さん
2018/01/05(金) 07:03:12.680
日本の木炭生産量は、1950年に年間200万トンを記録していたが1980年には7万トンと急激に減少
確か昭和初期どの家庭にも炭割ナタがあったようです
木炭は重要な用途は冶金燃料でした。鍛冶屋の鍛造や強烈な熱が必要とされる用途の燃料です
炭は依然として鍛冶屋によって使われています。ローマ時代以来、鉄の生産のために使用されてきた。
16世紀イングランドでは鉄の生産によって全土が禿山になるのをふせぐ法律を制定した

製鉄奴隷と言われるテュルク族、中央アジアでは製鉄もさかんだから
北中国、晋が三分割したうち北の趙国の首都邯鄲でもっとも製鉄が盛んだったようで
趙王の先祖は狄の混血ですから、北方の製鉄が伝えられて当然至極
このあたりの製鉄を元手にした山西商人はながらく経済を握る巨商
金儲けには手段を選ばぬ商人と重商国家。そりゃ製鉄で禿山だらけになるワケだ

習近平政権が多数の製鉄所を閉鎖することで大気汚染防止したのはこのような伝統がある
555世界@名無史さん
2018/01/05(金) 08:40:34.850
>>553
農耕という人類自力生産システムを可能にしたのが
環境破壊の原因なんだろうな
556世界@名無史さん
2018/01/05(金) 12:53:11.060
>確か昭和初期どの家庭にも炭割ナタがあったようです

実際、昭和中期まで鉈や手斧は殺人事件の凶器の定番だったからね
山村はもちろん都市部でも
557世界@名無史さん
2018/01/05(金) 13:19:46.990
ひぐらしのなく頃に
558世界@名無史さん
2018/01/16(火) 20:41:19.050
武器や兵器の話が出てたようだけど

ローマや中国、エジプトとかいろんな驚くような兵器やそののちの戦を左右するような技術とか開発されたけど
ふん族や遊牧系は兵器開発はほんと乏しかったみたいだね
チンギス・ハンの頃にいたるまで使用した兵器の数々は侵略した他国の兵器の流用みたいだし
559世界@名無史さん
2018/01/16(火) 23:22:48.080
>>558
モンゴル軍の超兵器火薬は、モンゴル人の発明じゃないの?
北九州で戦った鎌倉幕府の勇敢な御家人侍も肝つぶしたという
560世界@名無史さん
2018/01/17(水) 00:40:34.740
>>559
9世紀初頭の中国だってさ火薬
561世界@名無史さん
2018/01/17(水) 01:36:24.110
>>559
「てつはう」くらいは基礎用語として覚えてくれ。昔は大きな音がして敵を驚かすだけとも言われてたが、
今では実物が海から引き上げられて火薬とともに金属片や陶片も詰めた炸裂弾だった事が判明した。
そしてヨーロッパで三大発明と呼ばれる火薬・羅針盤・活版印刷術はいずれも中国の発明を改良した。
せっかくの発明品を実用レベルに改良できなかった中国の体たらくというべきか。
562世界@名無史さん
2018/01/18(木) 06:00:18.780
昨日カーラジオで肉まん(中華饅)特集やってて聞いてたんだけど
起源は220年の年蜀の諸葛亮らしい
最も古く残ってる文献がそれだけで他にもいくらでもありそうだけどな
563世界@名無史さん
2018/01/18(木) 08:04:23.100
それ俗説な
564世界@名無史さん
2018/01/18(木) 14:28:58.580
カーラジオ?
565世界@名無史さん
2018/01/18(木) 15:51:00.040
ならちと話がそれるが
焼肉のジンギスカンとかは?
あれこそ今でも定着してあんな兜みたいなので焼いてるとか
サブカル的な意味では日本発祥かね
向こうで未だにそんな食べ方してるなんて思えない
566世界@名無史さん
2018/01/18(木) 16:00:59.950
>>561
発明した場所と発展した場所は違うのが普通なのでは
567世界@名無史さん
2018/01/18(木) 16:53:21.190
>>565
もちろんジンギスカンは北海道発祥です。遊牧民族をイメージしてジンギスカンと命名した。
バイキングだって本来はビュッフェだけど馴染みがなさすぎるんでバイキングと命名した。
568世界@名無史さん
2018/01/18(木) 18:41:27.770
タルタルステーキ(ハンバーグ)も起源は13世紀頃のヨーロッパに攻め込むモンゴル系タルタル人って有名だけど
今じゃすっかり西洋の料理でむしろモンゴルより他の国、世界中で食べられてる

でも麺料理のラグマンが食べたいw
569世界@名無史さん
2018/01/18(木) 19:23:15.640
ポーランドでもネパールでも餃子食うんだよな
570世界@名無史さん
2018/01/18(木) 20:26:37.420
餃子の満洲って店もあるくらいだから、満洲でも当然食うんだろう
571世界@名無史さん
2018/01/18(木) 21:21:05.420
麺の前提条件である、
小麦を挽く回転式の石臼はトルキスタンかそれより遠くの中央アジアで発明されたのは
まちがいなく、これはこのあたりまで帝国を作るテュルク=狄・匈奴の関与がある
ラグマンのようなうどん風の麺料理は中国の西安以西、(秦の都である長安)より西が本場
イラン系の関与が確実視される
孔明がたたかった蜀の蛮族は、いわゆる羌族、現在のビルマ人だと推定される。

ともあれ回転式の石臼でひいた小麦をどう食うかという方法で、最初はそばがきのように
塊をスープにうかべて食したのかもしれない。まぁホウトウにちかいものだな
ソ連の貧乏人はそばがきのスープ(カチューシャ)が定番だ
ただしロシアのソバは日本など外国輸出されてロシア人には食えない物になりつつあるらしい

「ほうとう」は「うどん」以上に古く歴史のある食品で伝来時期は異なるとはいえ
「ほうとう」が中国から伝来した料理の流れを汲むものであることは間違いない。
陝西方言でワンタンのことを「饂飩」とかき「ホウトウ」とよむ

日本のふるい麺料理は、長安のような陝西から伝来したモノだということになる
人間の行き来もあり、イラン系の胡人やサカ族が直接日本にやってきたのかも
572世界@名無史さん
2018/01/19(金) 00:02:05.510
>>571
中国とか東のほうだと牛系ラグメンが多くて
ウズベキスタンや中東よりになると羊ラグマンが好まれるとか
573世界@名無史さん
2018/01/19(金) 09:44:02.670
日本の蛮族・甲斐武者の戦時食がホウトウ
574世界@名無史さん
2018/01/19(金) 18:31:18.840
>>571
>孔明がたたかった蜀の蛮族は、いわゆる羌族、現在のビルマ人だと推定される。

全然ちげーよ
チベットビルマ語族だからビルマ人と勘違いしてるのか?

ちなみに羌は現在でも少数民族として四川でも時折見かけるが色が白くて背が高いので色々と目立つ
575世界@名無史さん
2018/01/19(金) 20:10:07.840
義渠というのは蛮族ながら陝西省の北部を占める大族で
その領地は全盛期の秦より大きい
まぁ秦の初期は小さかった、西周が戎に滅ぼされたあと
おかれた小藩であるから、陝西は戎の勢力下である。

義渠王はトカラ人の支族であったとされ
トカラ人のタリム発掘調査では黄色の髪、青い目、高い鼻、
ヨーロッパ人の特性を持つ、頭蓋骨も北欧タイプが確認された
完全な白人であり、月氏ともつながりがあるが
その子孫は北に移動し、多くがフン族に殺されたそうな
秦の第17代公が義渠を討ち、王を捕虜にした事件があった
もっとも義渠は大国で、さらに秦を数百年苦しめ続けるが

このとき秦王が得た捕虜の1人が奴隷から逃げ出し、鼻を削がれた奴隷女
と手を取り合って逃避して原始的な羌族にあい、彼らに牧畜を教えた。
羌族は彼を王に推戴し、また多くが合流したため小王国になる

羌族の言語とテイ族の言語は似ており、中国とは違うことが『魏略』西戎伝に記されている。
この言語はトカラ語ではないかという説もある。
576世界@名無史さん
2018/01/19(金) 20:20:50.030
孔明もそうだか蜀のイ族は紀元前から絶好のカモで
時の支配者や権力者が攻め込んでる
577世界@名無史さん
2018/01/19(金) 22:43:35.590
全盛期の秦は中華を統一したけどそれより大きいのか。どんだけー!
578世界@名無史さん
2018/01/19(金) 23:51:35.990
兀突骨とかモデルがいたんだろうか?
身長3mのトカゲ人間
579世界@名無史さん
2018/01/20(土) 00:51:34.540
ビルマの象兵じゃないかな?
演義が書かれた時代なら、元軍が一度敗退したって話を聞いていたろうし

大きい、水に浮く、矢が通じない、火に弱い、籐で編んだ籠に乗ってた?、蛇を食う=象の鼻?
割と特徴は近いんじゃないかって思う
580世界@名無史さん
2018/01/20(土) 05:59:41.870
鎌倉武士は「腹当」という胸と下腹だけ守る軽装な鎧を主力にした
東国武士はナタから発達した小さい蕨手刀をもち、戦闘力は劣るが
豪華の鎧の平家に比べて、雑兵が身軽のため遠征できた側面もあるそうだ

大阪の陣で関東は慌てて鎧を注文し遠征したが、苦労知らずの若者は
戦の経験がなく、豪華な鎧が重くて重くて疲れ果てており、家康は
「みよ、あのような綺麗な鎧を着てる軍勢は、かならず弱い」と怒った

腹当は、西洋のラメラーアーマーと同じだ
骨牌金、かるたがねを繋ぐ構造で、膨らみをもたせた鍛造鋼の薄板が特徴
これはサカ族やアランの鎧と同タイプで、大陸からつたわった最新技術だが
漢やローマの時代に硬い鉄と柔らかい鉄をあわせて鍛造する技はしられていた
防御にあまり役に立たない鎖帷子と違う。刺突や弓矢に強く、さらに薄く軽い
護身として衣服の下にも着用でき防刃ベストとしても有用だった

マッサゲタイは日の神をあがめる女王がおさめていたが
鱗のような軽い鎧を身につけた蛮族はギリシャ人には奇妙に見え、
蛇女の混血、スキテュアであるとした。
またサカ族が動物をモチーフとした金属工芸に凝っていた
日本の鎧は小札の鍛造に190日かかるとされとにかく手がかかるもので
刀剣より数も少ない貴重品だったが、サカは職人の手がおおく商業も盛んであったようだ
581世界@名無史さん
2018/01/20(土) 10:18:27.570
蕨手刀は東国武士というより東北の蝦夷のイメージだけどなぁ。6世紀から8世紀だし。
蝦夷がそれを装飾をなくしてより実用向きにした舞草刀(もくさとう)=毛抜形刀に発展させ
前九年の役などの戦役でその威力に苦戦した武士がこれに学んで日本刀につながっていく。

鎌倉武士とは時代が違いますよ。
582世界@名無史さん
2018/01/20(土) 11:42:56.430
カザフスタンがサカの古墳が出土するが、この地域の主食はマントウィ、肉まんで
みかけは大型の餃子。中味は刻んだ羊や馬肉と黒胡椒でおいしそうだが
これにサワークリーム、ロシア人だとさらにこれにマヨネーズを掛ける。不味そう。
発祥は中東説・中国説の饅頭がありはっきりしない、
マントウィはモンゴル帝国の征服で朝鮮や西欧など遠くの地まで広まったとされる
トルコで面白い風習は嫁さんが結納でマントウィを作る、若い子が饅頭が作れるか
母親が料理の腕を見るのだそうだ
583世界@名無史さん
2018/01/20(土) 11:45:21.590
サカ族は白人で風習はアジア的
584世界@名無史さん
2018/01/20(土) 15:05:27.090
このオッサンの書き込んでることは二次小説だからな
真面に突っ込んでる奴はアホ
585世界@名無史さん
2018/01/20(土) 16:46:10.340
月氏は戦闘弱かったのかな
匈奴にやられまくり
大月でもサカよりは強いから東ほど戦闘強いのか
586世界@名無史さん
2018/01/20(土) 17:33:09.360
月氏って地味だよな
587世界@名無史さん
2018/01/20(土) 17:52:26.880
義渠=月氏=トカラ人=アラン族だから黄色髪だった
曹彰も黄髭と愛称をつけられたが母親が蛮族なら皇帝になるのはむずかしい
588世界@名無史さん
2018/01/21(日) 01:05:33.830
重耳「母が蛮族くせして長に」なるとかないわ」
589世界@名無史さん
2018/01/21(日) 05:04:32.210
申生「俺の母はれっきとした貴族である」
590世界@名無史さん
2018/01/21(日) 06:03:01.300
ところで、中国の歴史でよく出てくる西方の蛮族、大月氏って、
民族、人種、言語系統、及び、大月氏自身が自分たちをなんと呼称していたか
教えてほしいです
591世界@名無史さん
2018/01/21(日) 07:52:26.000
>>587
ホントか?
592世界@名無史さん
2018/01/21(日) 09:54:43.950
月氏=ユージ氏でしょ
593世界@名無史さん
2018/01/21(日) 09:59:44.000
それとナイマンが月氏、匈奴はケレイト、モンゴルが鮮卑と考えるとわかりやすく
ナイマンは現在のウイグルにあたり、モンゴルはモンゴル国に当たる
594世界@名無史さん
2018/01/21(日) 13:03:14.010
モンゴル人は現在のロシア人にあたる
 「松漠紀聞」では女真の従属部族として黄頭女直もしくは黄頭室韋と呼ばれる金髪碧眼の部族がいたとあるが
これが後のモンゴルと考えられている
 現在のモンゴル人はケレイトなどの部族との混血によるもので、チンギスからオゴタイまでのモンゴル部族はコーカソイドであった

おそらくミヌシンスク盆地に割拠したイラン系遊牧民のうち南下したもの末裔と見らるが、彼らの墳墓であるパジリク古墳で発掘された人骨から検出されるハプロはR1aで、これは現在のロシア人に多くみられる一方で
現代モンゴル人にはほとんど見られない

宋の使節であった彭大雅はモンゴル帝国の遊牧民たちの多くはヒゲが生えない一方、オゴデイらハーン一族は長いひげを生やしていたとあり
人種的にはコーカソイドであったことを示唆している
595世界@名無史さん
2018/01/21(日) 13:09:07.320
>>576
>孔明もそうだか蜀のイ族は紀元前から絶好のカモで
>時の支配者や権力者が攻め込んでる

絶交のカモも何もアイツ等は1950年代まで、漢人の百姓を略奪しては奴隷として働かせていた
バリバリの略奪部族なんだが
596世界@名無史さん
2018/01/21(日) 15:43:17.600
吐火羅人、トカラ人、トカロイはグレコ・バクトリア王国を滅ぼしたことでギリシャ史に名を残す

グレコ・バクトリアはヒンドゥークシュ山脈からアム川の間(現在のアフガニスタン・カザフスタンの一部)
に、バクトラを中心として建てられたギリシア人王国で、ヘレニズム国家
アレクサンダー大王の征服でひろがった帝国は、バクトリア東方辺境のサトラップ(太守)
がセレコウス朝に反旗を翻し、ギリシャ系の意味するグレコ・バクトリア王国を建国
バクトリア地方は中央アジアの商人が集まる、豊かな土地だった

王は侵略をくりかえし兵が国をあけた隙きに、トカロイなどイラン系の遊牧民が襲いかかり
ギリシャ系でもっとも遠方で、交易でゆたかなグレコ・バクトリア王国を滅ぼされる
597世界@名無史さん
2018/01/21(日) 17:28:06.750
カザフスタンの主食はマントゥ、大型餃子のクリームかけ
そこで餃子にクラフトの液体クリームチーズをかけてみた。まずそう

はかせ「これは!食べ物なのですか」
助手「だめですね、だめです」
サーバル「こんなに頑張って作ったのに!いいじゃない!」
はかせ「だめですね、食べられたもんじゃないのです…はむっ」
サーバル「食べてるじゃん」
はかせ「これは…(ふむっ)なぜか、(はっん…)やめられないのです!」
助手「合格!です」
598世界@名無史さん
2018/01/21(日) 18:51:11.080
>>590
月氏=昭武九姓=ソグド人

安禄山とか中世ソグド人はマケドニアと戦った古代ソグド人の子孫ではないようだ
古代ソグド人はサカ族らとともにヒンズークシ山脈の南側へ移住したようで
地名は同じソグディアナだけどマケドニアのように住民は入れ替わったようだ
599世界@名無史さん
2018/01/21(日) 19:50:18.280
バクトリアちほー。そうそれが問題なのよ
ヒンドゥークシュ山脈は古来から東西南北の交通の障害となってきた。
このため重要な峠が点在する。中央アジアとインドを結ぶ峠道が
イラン語でヒンドゥークシュとは「インド人殺し」を意味する。
バクトリアはこれら周辺の山脈にかこまれアム川が流れる文明好適地
川ではコイなどの魚が水揚げされ、燻製やフライにして食される

ふるくは最古の宗教ゾロアスター教の中心地。開祖であるゾロアスタはバクトリアの人だ
遊牧スキタイ人・サカ族の支配地であったが、ペルシア(イラン)の支配になる
農耕ペルシア人は野戦で強くなかったので、城を築いて住み着いた。
ペルシアがこの地方を完全に支配下に置くようになったのは、キュロス2世の代で
親征してスキタイを討ち、城塞都市を築いて以後の侵入をくいとめる

都から遠いバクトリアを支配することは困難であったので、キュロス2世は王子を
サトラップ(太守)に任命した。その後、イランの東北はサトラップがおかれる習慣となる
600世界@名無史さん
2018/01/21(日) 20:21:46.820
イラン系遊牧民はさかんに中国の陝西やその奥深くに侵入していたが
もとよりカナンの地・オルドスにテュルク(狄)がおり、
むしろそのほうが遊牧文明の本系である
赤狄として4000年前よりユーラシア世界に大征服していた

イラン系の胡人が、陝西に多く住みつき、戎として周や秦を圧迫したが
しかし胡人でも、遊牧イラン人つまりスキタイ・サカであり
遊牧民の常として農耕民族より圧倒的に人口は少ない
それにたいして東方の東胡・鮮卑は、ドスコイ顔であり白人的容貌ではない

イラン人の王と、蒙古顔の鮮卑モンゴールでは後者のほうが現地兵あつめやすく
また支配もしやすいから、白人系が追い出されるのは当然である
秦の穆公は力を蓄えて西戎にも王としてみとめられるにいたる

それに言葉にしにくいが当時の中国では、鼻の高い異人・犬戎にたいする憎しみが
はしばしに伝わってくるだけに、カースト制の本場で奴隷制度を取る西域イラン人への
対抗からモンゴロイド諸民族も団結したと思われる

中国の戦いは厳しい奴隷制を取る古代と、緩い支配の近代のたたかいだからだ
601世界@名無史さん
2018/01/21(日) 20:40:58.210
もとよりイランも、遊牧スキタイ・南方のペルシャ農耕民にわかれ
ペルシア帝国はギリシアを飲み込まんと脅かした大帝国・イラン世界帝国である

そのペルシア帝国の中央は重装甲の傭兵サカイ・坂井さんがしめていた
遊牧民サカとイランは親しい同族であるのだろう

月氏のようなイラン系遊牧民は、なにもない田舎では強くて当然だ
古代中国においてイラン系の征服がなかった、あるいは食い止められたのは
あくまで小集団である遊牧白人の侵入にとどまり
大勢力である農耕ペルシア人は、大侵入しようにも、
ヒンドゥークシュの峠「インド人殺し」が障害となり断念せざる得ない

かのアレクサンダー大王もこのバクトリアのあたりで東征を断念してる
それはペルシア人やサトラップの「ヒンドゥークシュの峠越えした大軍は古来例がない」
という現地知識であったにちがない。それでインドへ南下して消耗
大王は都に一旦戻り、新ペルシア軍を作り、東征を続ける方針たが、死んだ
602世界@名無史さん
2018/01/21(日) 23:24:11.810
パミールの峠越えした大軍は古来例がない
603世界@名無史さん
2018/01/22(月) 01:57:06.000
1979年のソ連軍もそれでやられたな
ソ連軍得意の大戦車軍でローラー作戦できなかった
604世界@名無史さん
2018/01/22(月) 02:00:06.880
>>602
車だと数時間で通過だが、徒歩や馬だとどれくらいかかるのだろう
5000mだと人も馬も持たないか
605世界@名無史さん
2018/01/22(月) 04:09:23.600
>>575
その戎って犬戎?
606世界@名無史さん
2018/01/24(水) 01:21:26.930
>>590
月氏=昭武九姓=ソグド人

月氏はアレクサンドロス大王に抵抗して東方に逃げたソグド人なのかもしれない
パミールの峠を越えて西域南道を経由して甘粛に辿り着いたのかもしれない
607世界@名無史さん
2018/01/27(土) 13:33:16.530
>>606
590です ありがとう
やっぱイラン系のコーカソイドか
40年前高校で世界史を習っていた頃から興味があった
中国史で登場する漢字表記の異民族と、インド史、中近東史で登場するカタカナ表記の民族が
どこで符号するのか謎だった
608世界@名無史さん
2018/01/27(土) 14:22:15.850
冒頓単于のころは匈奴はオルドス族長で月氏に抑えられていた
イラン系の白人妻を代々押し付けられたかも
その影響でレンテイ氏など匈奴王族は、鼻が高く緑目になったのかもな
モンゴル国のチョイバルサン書記長がロシア妻(スパイ)をおしつけられたように

白人のお姫様というと高貴なようにかんじられるが
精力の強いドイツロシア貴族では娘が多く困り、修道院に押し付けて
さらに僧院監獄を脱走し売春婦になったとされるから全然価値は高くない
姫はひと束いくらで、どこかの立派な領主として押し付けられればもっけの幸い

カール大帝は娘の結婚すらみとめず晩年は娘どもが男を誘惑して勝手に結婚し問題になった
当時のお客さんのベットシーツ交換とか服の洗濯も、姫の仕事だったから欲情してもやむをえぬ
中世騎士の姫は、城に泊まりに来る「男とやりたい」という妄想であたまがピンク色だった

日本の皇室典範は伊藤博文の調査によるロシア・プロイセンのお手本でかかれてるから
女はひと束いくらで、いくらでも生まれてくるゴミとの考え
女皇族に対する地位継承は全く認めず、これが少子化の皇室ゴタゴタの要因になってる
609世界@名無史さん
2018/01/27(土) 20:21:28.230
なんでイランがペルシア帝国などずっと中東で強国の地位をしめていたか
まぁ今でも強国だが、歴史でそこが疑問だった
中国戦国の、犬戎の親玉・秦国に似た位置

バクトリアのスキタイ、サカイ氏や月氏、つまり今で言う原ロシア人
の侵入になやまされつつも、キュロス王の置いたバクトリア太守どもが
うまく銭で釣って、傭兵、イラン人の先鋒として使えたからなのねん
熱帯の軽騎と、寒地のアラン族重騎兵がぶつかれば勝敗はあきらか
これは他の諸国にない利点

ヘロドトス 「歴史」でもペルシアの大軍つえー、エジプトよえー
以上、だもんな。
610世界@名無史さん
2018/01/27(土) 22:36:33.440
>>608
匈奴は秦にオルドスから追い出されていたけど
蒙恬将軍らが粛清されて長城が手薄になったので
匈奴はオルドスに戻る事が出来た
おそらく匈奴のオルドス奪回には月氏が援軍を
出してくれたのかもしれない
東胡は秦の衛星国だから匈奴に協力しなかったはず
611世界@名無史さん
2018/01/27(土) 22:45:00.860
>>610
古代から月氏とかコーカソイド(白人)の異民族が近くに居住していたのに、
その割には、中国人ってハーフ顔がいないよな
漢民族の血が濃すぎるのか?
612世界@名無史さん
2018/01/27(土) 22:55:57.530
月氏などイラン遊牧白人(胡人)は後背地、バックグラウンドが広大だから
中央ユーラシアにひろがるトルコ系やイラン系スキタイ遊牧民は中国の何倍もでかい
匈奴は西方の一員として政治バランス保ち、東方の荒野のツングース穴居人とも
言語で意思疎通でき天王とかホラを吹いてチョイと姫君を貰えば野蛮な族長は大喜びで
人材埋蔵のバックグラウンドとして利用できる、オルドスは東西の要衝でよい位置にあった
後背地は都市の存立基盤であり,それが大きければその都市の経済が大きいといえる
千葉とか朝鮮みたいな、はしっこの半島は後背地がすくないため発展し難い
613世界@名無史さん
2018/01/27(土) 23:55:17.340
いまトルコ軍がシリア国境地帯の西クルディスタン国を越境攻撃してます

クルド人とトルコ人、何故そんなに仲が悪いのと言えば
そもそも部族としてはどちらも流れ者、東方からきた遊牧民なのは知られてない
トルコは先祖は匈奴にちかい、ウイグルの同族
クルドはイラン系遊牧民、胡人

西クルディスタンはペルシア帝国のときアケメネス朝の傭兵として北のイラン遊牧民が
移住して小王国をいくつか作りました。これがクルド

カスピ海にオズク連合という遊牧民団がありここから流れたアジア遊牧民が
大変弓を得意としており、セルジューク・トルコを建国
クルド人はサカやアランの同族ですから強かったけど、なにせトルコは弓が得意で
合成弓は最強とされるほど、これでクルド人はつぶされ併合された
オスマンもオズク連合氏族であり、この地のオスマントルコ支配は岩盤より固くなった

つまりイラン月氏と匈奴の構図が同じ、こいつらが西でも喧嘩したのですね
昔のトルコ人は顔が違ったそうで早く言えばモンゴル人むき出しだったのが
「土地と水と空気」で周辺部族のように変化したとされる
614世界@名無史さん
2018/01/28(日) 01:20:09.810
>>613
クルド人が元々イラン系(インド・ヨーロッパ語族)なら、イラン人になってしまえばいいのにな
今のクルド人居住区がイラン・イスラム共和国に併合されたらとにかくクルド人問題が一旦収束するだろう
もちろん、トルコ共和国、イラク、シリアは不満爆発だろうけどさw

チュルク系の現トルコ人の顔がコーカソイド化した理由は容易に想像がつく
中国西域やモンゴル高原から西へ西へと移動してくる途中に、
ソグディアナでイラン系ソグド人(コーカソイド)と大幅に混血、ここでモンゴロイド顔が薄まり、
さらにアナトリア地方まで西進すると、元々ここに居住していたビザンツ帝国の元臣民である
ギリシャ人やスラブ系と混血が進み、血の濃さからいって、もはやモンゴロイドの面影はなくなった
オスマン帝国のスレイマン1世とか、母親がギリシャ人で、嫁さんもギリシャ人だもんな
どんどんコーカソイド化するわ

また、この証拠にチュルク系民族は西から東へと行くにしたがいコーカソイド(白人)系の顔から
モンゴロイド(黄色人種)系の顔にグラデーションのように変化している。
例:トルコ共和国→カザフ共和国→キルギス共和国→中国新疆ウイグル人自治区→ロシア連邦シベリアのヤクート人
615世界@名無史さん
2018/01/28(日) 01:26:02.000
顔というけどそれこそ色々じゃね?
うちは、記録が残ってる数百年のうちで外から血が入っていないけど
オマエゼッタイハーフダロ!って西欧人に言われる顔してる
田舎に行けばこんな顔ばかりだし縄文系なんだけどな
616世界@名無史さん
2018/01/28(日) 01:39:59.720
セルジューク・トルクメンはそれほど強力な遊牧民ではなかった
セルジューク朝のアルプ・アルスラーンが打倒ファーティマ朝の
エジプト遠征時に彼はマムルーク軍でエジプトを目指しトルクメンらは
背後を固める為と牧草地の獲得の為に東ローマ領を攻めたが敗退した
アルプ・アルスラーンはエジプト遠征を中止してトルクメンらに合流して
さらにこれにクルド人とアルメニア人が加勢して東ローマ軍と対峙した
東ローマのロマノス4世はカッパドキア出身でギリシャ正教徒のアルメニア人なので
アルメニア正教徒のアルメニア人をギリシャ正教に改宗させようとしていたので
アルメニア人はキリスト教徒だけどイスラム教徒の軍に参加した
アルプ・アルスラーンはアルメニアをセルジューク朝領にする事で東ローマと
講和しようとすると東ローマの多数派であるギリシャ人はこれに賛同したけど
ロマノス4世は講和を拒否してマンジケルトで会戦となった
戦意の乏しいギリシャ人らが退却したのでロマノス4世は敗北して捕虜となった
アルプ・アルスラーンは勝利したけど本国で反乱が起きていたのでロマノス4世を
釈放して東ローマと講和したけど二人とも程なくして自国人に殺された
二人の死後にアナトリアにトルクメンが移住してトルコ化し始める事になる
これはイラン人の農地を牧草地にしようとするトルクメンらを追い出したかった
セルジューク朝のイラン人宰相ニザーム・アルムルクの勝利だった
617世界@名無史さん
2018/01/28(日) 01:48:34.580
>>606
バクトリアが大月氏になった って説?
618世界@名無史さん
2018/01/28(日) 01:54:03.720
ギリシャ人は黒髪縮れに黒い瞳、彫りは深い地中海人種
人種的にはトルコ人やブルガリア人と同一とされる
ところが古代ギリシャは金髪碧眼である、ギリシャは西欧文明の根源
なのだからホワイト。そうでなくてはならないと欧米は主張する
しかし当時の壁画などでは黒髪縮れに黒い瞳である、つまり
ジンギス汗が日本人であったという白人に都合にいいはなし
ドーリア人は南下した遊牧民くさいから空想の余地はある

中世ギリシャは遊牧民アヴァールと配下のスラブ人の侵入を受けてるため
スラブ系に置き換わり古代ギリシャ人種に近いのはむしろトルコ人と南イタリアかも
619世界@名無史さん
2018/01/28(日) 02:16:48.990
アヴァールが柔然だったとはな・・
620世界@名無史さん
2018/01/28(日) 02:21:10.800
弓を得意とするアジア遊牧民、匈奴
大斧をもち鎧を着込んだ赤い顔のイラン胡人の重騎兵(関羽雲長か)
この組み合わせは、どうにもフンとアランの連合を思い起こさせる
匈奴と連携した阿蘭国はフランス中央を合法的にもらいうまくいったが
クルドとトルコがうまくいかないのは、クルドが嫌われ者というふうに日本では思うかも

トルコ人がアジア系でもひじょうにうまく行ってる帝国であるが、その領土が西寄りで
まわりが白人ばかりで包囲されてる上に自分の庭に食い込んでくるクルドが憎い
一面もあろうかと
中華が胡に対する態度とおなじだ
自分の文明が圧倒的に優れてる天上人と思うなら土着イラン人など虫けら同然だ
999の機械帝国が、機械化人を拒む人間をぶち殺すような感じかな
621世界@名無史さん
2018/01/28(日) 04:42:02.920
クルドとトルコがうまくいかないのは
東ローマのロマノス4世がアルメニア正教徒のアルメニア人を
ギリシャ正教に改宗させようとしていたの同じようにクルド人を
トルコ化しようとしている同化政策に対する反発が原因
同じ場所で同じような事が繰り返されているわけだ
622世界@名無史さん
2018/01/28(日) 08:37:42.720
トルコはローマ帝国の後継者、そのローマ東方正帝の統治機構を継いでる
ロシアが皇帝ツアーリを名乗ったのはローマ皇帝の後継だから、ライバルだ

ツアーはトルコ征服してしまえば、その栄光は名実共に成ったのだが
なんとキリスト教徒の英仏が異教徒トルコと連合して野望の敗退。
アジア南下しようとしたら英がヤポンスキーと連合して艦隊を喪失。滅亡
イギリスって根性の悪い野郎だな、ってのは置くとして
クルドの金色太陽旗は日章旗デザインで、成立したのも日帝全盛期だ

最初コーヒーを飲んだのはトルコ人で、コーヒーノキがアフリカ原産であった
カフェ文化が広まると、トルコ人は権力者を貶し議論を楽しんだ
イスタンブールのカフェは大都市に溶け込む
為政者に不都合だったため何度も禁止令が出されながら
焙煎を深くして細かく挽き、水から煮出すトルココーヒーが生まれた
やがてウィーンやイタリアにカフェ文化、自由の空気がひろまる
アフリカは野蛮な白人に奪われて、コーヒーが飲めなくなる
コーヒー代用としてトルコ帝国が遠くの兄弟国日本茶をえらび、導入して
紅茶にして飲んでるのは意外にと知られてない
そして今日も茶房で権力者を笑いとばし議論を楽しむというわけだね
623世界@名無史さん
2018/01/28(日) 09:48:12.130
イギリスはフランスと同盟するようになってから没落し始めた
フランスは度々トルコと同盟していたヨーロッパの裏切り者
624世界@名無史さん
2018/01/28(日) 10:06:41.980
遠交近攻を遵守しないとだめだなw
625世界@名無史さん
2018/01/28(日) 12:59:11.100
フン族、ペルシアに侵攻

アッチラは古代匈奴の王族の血をひいてるのかもしれないとギボンは指摘する
自分が地上で誰よりも優れた人間であるという確信を持っていた、という
ハンガリーに居着いたフン族は、アッチラの伯父ルギラ、あるいはロアという
テオドシウスは、ロアに年貢350ポンドの金塊を支払うことに決めた
西帝国はパンノニアを放棄してルギラに進呈する
フン族の帝国はドイツとロシアを両方所有する唯一の例であり、北欧にも及んだ
北欧諸族ははじめてフンの帝国に毛皮など税を納め忠誠を誓う
この巨大な帝国がローマに襲いかかるか、あるいはペルシアに襲うか
世界がかたずをのんで見守っていた

フン王の重臣の幾人かが・・といっても彼らは強力なゲルマン王でもある・・
西帝国に派遣して攻守同盟の交渉の席でさいきん遠征の状況を語る
フン族は山岳地帯を抜けて15日、ついにメディア国境に達した
未知の大都市、バシック、クルクックにすすめた
じつはこのフン族のペルシア攻撃は資料が乏しく殆ど知れてない

ともあれ、そこでペルシア軍が襲いかかり、撃ち合う矢で天も暗くなった
雲霞の如き大軍に手こずったけっきょくフン族は撤退を決める
626世界@名無史さん
2018/01/28(日) 13:17:53.090
この情報に接した東ローマは、復讐に燃えたフン族大帝国がペルシアに全力で襲いかかり
それによってササン朝の王たちの抗戦が長引けば時間稼ぎできると楽観する

西帝国の官僚たちは楽観を戒め、もし大帝国が全力で襲えば小ペルシアは
あっけなく占領される、そうなれば東西ローマは蛮族の大海に浮かぶ孤島になり
ローマ人は奴隷としてこき使われるであろうと危機を表明した

大帝国との協定により、ドナウ河に交易市場が設けられていたがここを監視する
ローマの小さい要塞はフン族にうちこわされ、商人は殺される
かれらの主張によればマルグス司教がフン王の墓をあばき、財宝を持ち去ったという
アッチラは賠償を求め、ビザンチン宮廷はこれをとんでもない言いがかりとして拒否
モエシアの民は皇帝の態度をほめそやしたが、たちまち幾つもの都市が破壊されて
ちぢみあがり、やがて国の安全のためにはがまんするという羽目に陥る

イリリクム国境には要塞がズラリと並べられていたがこれらは怪しげな障害物であると判明した
627世界@名無史さん
2018/01/28(日) 13:28:35.370
全ての要塞はフンの大洪水にひとたまりもなく破壊されて
シルミウム、シンギドゥヌム、ラティアリア、マルキアノポリス、ナイスス
サルディカなど70の都市が破壊されて炎上する

帝都コンスタンティノポリスも折からの地震で57もの櫓が倒壊
城壁に大きな裂け目がはしる。臣民は天罰におそれおののく

テオドシウスは七十都市の惨禍にも動じること無くおのれの快楽や
信心のさまたげにはならなかったが、

ただガイセリック打倒の軍団が呼び寄せられペルシア国境軍も
護身のためひきあげられた
628世界@名無史さん
2018/01/29(月) 07:12:47.070
>>618
イエス・キリストが実はアラブ的風貌なのと同じ話だな
629世界@名無史さん
2018/01/29(月) 19:20:03.530
トカラ人=月氏=犬戎
トカラ語は印欧語だが膠着語で異端
アファナシェヴォ文化人はトカラ語を話した
イラン・インド系のアンドロノヴォ文化より古い白人らしい

トカロイとトロイって似てるね

トロイとギリシアは宿敵だから
ローマ人はトロイの子孫を称してる
おそらくギリシア支配の大義名分だろう
松平氏が世良田次郎三郎と名乗った理由に似てる
630世界@名無史さん
2018/01/29(月) 23:02:35.950
トロイ=タウロイ

タウリカ半島 → クリミア半島
631世界@名無史さん
2018/01/30(火) 06:24:46.800
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

05SMS
632世界@名無史さん
2018/02/17(土) 22:30:21.550
匈奴の首都だったノインウラ・クルガンはウランバートル北方のトゥブ県で
北緯48度の北方にある
日本で最も北方のまちで北緯45度位で随分北にある
まぁ、むかしはロシアとの国境は北緯50度とさだめられていたが

古来より中国首都である西安、つまり長安は北緯33度
これは日本だと長崎とか愛媛県であり、八丈島の南に当たる

大陸内陸で気候もキビシいとはいえ、そうとう南方である。匈奴とは
かなり生活圏が違う

長安は鎬京といい、周囲は吐火羅人やらイラン系白人遊牧民ばかりで
周王朝では攻め落とされたぐらいだ
後の西安は突厥の防衛のための拠点という位置づけになる
633世界@名無史さん
2018/02/18(日) 02:28:09.800
>>632
首都の位置からしても、匈奴民族は人種的にモンゴロイドだな
少なくとも紀元前の時点ではそうだ
634世界@名無史さん
2018/02/18(日) 08:24:04.520
そうですね。匈奴は比較的新しく北方から侵入した、という説もあり
匈奴が元からそこにいた、狄(チュルク)の同族だったという説もあります
シベリアのチュルク語圏があるから、そのあたりにすむシベリアの赤狄が
白狄の貴族を追い払ったのか、晋公も赤狄との交戦が増えますね

長安(チャンアン)は北緯33度、洛陽(ルオヤン)は北緯34度
呉の建康、南京は32度、蜀の成都は北緯32度
日本の京都は北緯35度、バグダッド(バビロン)も35度

バクトリア北方であるソグディアナ(サマルカンド)が北緯39度
ここにサトラップ、北の太守が置かれる
アケメネス朝ペリシアの都ペルセポリスはイラン南方で北緯29度

イランの中心は南寄りで、北緯39度からパミール高原を越えた
胡人がすみやすさをもとめ南下して北緯33度の鎬京を攻撃
「パミール」は、ペルシャ語で「世界の屋根」を意味する

甘粛にひろがる白人系の月氏のほうが匈奴より南寄りで
ふるくから犬戎のほうが狄より確かに力はあったでしょう
635世界@名無史さん
2018/02/18(日) 08:44:53.280
初代の神武天皇であるが、南九州の高千穂から東征していく
「東に美しい土地があるという、青い山が四周にあり、
天下を治めるにふさわしい土地であろう。ここを都とする」と宣言した

これが奈良のあたりで、当時の日本の中国影響をかんがえれば
もともとは南方系の暑い生活を満足していたが
南九州ではとうじのアジア中心の北中国風の生活ができないんで
長安や洛陽ににた土地をさがして、はるか北に生活拠点を移転した
というあたりだろうか。
636世界@名無史さん
2018/02/19(月) 11:37:20.600
英語版wikiのXianyun(厳允)の項目には
Scholars identify the Xianyun with the Quanrong and Xiongnu.

学者は犬戎(Quanrong)と厳允は、匈奴(Xiongnu)に同定してるみたいな書き方してるようだけど・・
637世界@名無史さん
2018/02/19(月) 16:20:20.720
ノインウラは匈奴が帝国化してからの首都で
冒頓単于以前は匈奴領ではなかった
モノゴル帝国の首都カラコルムとかと同じ
カラコルムはモンゴルに征服される以前は
チュルク系ナイマン国だった
638世界@名無史さん
2018/02/20(火) 23:05:48.870
ノインウラ(ウランバートル付近)は東胡から奪った土地か
モンゴル=東胡だから、ウランバートルはありそうな気がする
東胡の都だったとすると、そこに匈奴が都を構えれば
しだいに現地と混血化して東胡の血=ドスコイ系朝青龍が濃くなる

そのまま居座ったなら東胡の重要性が伺える
639世界@名無史さん
2018/02/20(火) 23:37:33.200
ノインウラは丁零が住んでいた土地
東胡はその名のごとく匈奴の東にいた
640世界@名無史さん
2018/02/21(水) 02:40:33.840
匈奴の郷土はどこ?
641世界@名無史さん
2018/02/21(水) 06:01:55.580
匈奴の郷土はオルドス

綏遠青銅器文化
642世界@名無史さん
2018/02/21(水) 06:17:04.620
オルドスのフフホトは北緯41度だね
北緯一度で110キロだ、長安・洛陽・南京は34〜32と
距離は離れるが軸としては近いし、京都も35度

匈奴が北緯40度で中心として、ノインウラ48度に都を移す
900キロから1000キロ移動したことになるかな
やはり南方の中国やイラン系の月氏とは生活圏が違うと言わざる得ない
寒さに耐える極北の民で、遊牧民だから距離感覚もけたはずれ
643世界@名無史さん
2018/02/21(水) 17:46:00.100
匈奴は遊牧民の中では寒さに苦手で
南匈奴として南に戻ってきた
始皇帝にオルドスから追い出された時も
始皇帝の死後にオルドスに戻ってきた
644世界@名無史さん
2018/02/21(水) 20:13:38.130
力の差じゃなくて寒さへの得意不得意で移動したのか?
645世界@名無史さん
2018/02/21(水) 20:35:34.360
匈奴はオルドスに強い愛着があったようだ
646世界@名無史さん
2018/02/21(水) 20:42:31.540
北魏の首都は平城(大同)、これは北緯40度
中国とモンゴルの境に当たる。周囲はほぼ牧畜民
道武帝はここに都を定めることで、牧畜民に拠る中国支配の構造としたかったようだ

大陸では北緯32度から34度が漢民族の土地で
北緯40度なら、ほぼ牧畜民、カウボーイの土地であるわけだが

北魏はもともと代王を称していた、代に都を定めるのは当然とも言えるが
人口でいえばもちろん南の長安洛陽のほうが大きいため不利であり
北魏のライバル後燕はもちろん河北省に都を置き、虎の如き兵士100万と言われた

代国といえば、晋に滅ぼされた北辺の小国で、異民族の小国であるものの
モンゴル人の中に大都市を打ち立てた特異性から代国は歴史上しばしば登場する
後の時代でも大同は北辺をまもる補給地点として栄える
647世界@名無史さん
2018/02/21(水) 20:51:21.640
北緯40度ってどのあたり?
中国で言うと北京とか。まぁ燕雲十六州とか
日本だと秋田県上小阿仁村 とか岩手県岩手町だと
なんか生きるのも困難なそうな・・・
648世界@名無史さん
2018/02/23(金) 00:13:59.600
>>647
おめぇ〜 アグダ(秋田)をバカにすんでねぇ!
米はうめえし、むすめっこはメイコイし、ええところだよ
649世界@名無史さん
2018/02/23(金) 03:48:22.250
秋田なんか飽きた
650世界@名無史さん
2018/02/23(金) 09:51:33.670
>>646
匈奴の最大版図ってバイカル湖の北、北緯50度くらいまでの図があったけど
2200年以上前の当時よくあんな寒いところまで人が住んでたな・・
いまより気候は暖かかったのかね?
651世界@名無史さん
2018/02/23(金) 11:52:30.670
寒くても人間は居住可能
でなければモンモスハンターなど存在しないワ
652世界@名無史さん
2018/02/23(金) 13:50:01.880
中世の温暖期→小氷期  の前は温暖だったんじゃないの?
653世界@名無史さん
2018/02/23(金) 18:24:23.050
青銅器時代=チャリオット時代は中世の温暖期のように温暖だった
黒海北岸からミヌシンスク盆地まで肥沃な黒土地帯が連続しており
温暖なら農耕が盛んになる
654世界@名無史さん
2018/02/23(金) 19:38:27.680
>>611
でも日本人よりもスタイルが良いのは一目瞭然!
大阪で住んでるとよく分かる!
脚も長いし
やはりコーカソイドが入ってると直ぐに分かった
ま、中国人でも雑多だから一概に言えんけどな
655世界@名無史さん
2018/02/23(金) 20:31:10.870
植物がほとんど生育しない極地に住む狩猟民イヌイットの衣装は、すべてのパーツが
動物由来の素材でできている

犬戎は革の服を着た、イヌのような顔つきの鼻の高い人間どもだったね
陝西で、犬戎や羌族の親玉だった周の貴族も革服が正装だったとされる

革は機能性を高めるために、ナイフで肉をこそげとった後、女性の歯で丹念に
噛んで柔らかくするという独特ななめしの工程を経て衣料品にされる
エスキモーでは幼児ですら全身を覆う宇宙服のようなツナギを着てる
少なくとも太古から人間の生存にはこまらない衣服技術がある
日本の東北では蝦夷やアイヌの国だったが、むしろ近代化することで飢饉や冷害に
多大な死人を出した。南方の作物であるコメ作りを大和朝廷に強要されたからだ

まぁ極北では、もちろん文明国ほど容易に手に入りにくいものもあるだろうが
それは物々交換でなんとかなるし
冒頓単于の子のラオ単于も同族の野蛮を憎み、中国の文物を愛して
礼儀正しかった。むしろ匈奴でも文明人より文明に精通してる
マニアだからな。オタクのすごさは皆の知るとおりで
656世界@名無史さん
2018/02/24(土) 01:56:29.110
匈奴 京都人 藤原氏 フィン人 フン エフタル
657世界@名無史さん
2018/02/24(土) 02:02:40.850
>>0654

大きな勘違いやで。hydeみたいな顔が日本人。
ヨーロッパ人、イラン系(秦氏)やスキタイは色白なだけのブラックやで。
658世界@名無史さん
2018/02/24(土) 02:13:23.430
>>6 だから全然違うって。フィン人、フン族は藤原氏であって、カンやハンじゃないよ。大きな勘違い。新羅はイラン系だろ。すり替えをするな。
659世界@名無史さん
2018/02/24(土) 02:19:42.890
匈奴はフン、つまりフィン人だが、
なんでイランなんだよ。イラン人が白人のわけないだろ。ファイナルファンタジーやったら分かるでしょ。
660世界@名無史さん
2018/02/24(土) 05:02:17.210
イランなんかいらん
661世界@名無史さん
2018/02/24(土) 11:11:14.460
最近のEUPEDIAには
アナトリア半島住人には7パーセントほど
黄色人種の血が入っていると書かれているね
662世界@名無史さん
2018/02/24(土) 15:43:03.660
>>655

> 犬戎は革の服を着た、イヌのような顔つきの鼻の高い人間どもだったね

と、なると、犬戎という民族はコーカソイドかな
または平たい顔に変化する前の古モンゴロイドか
663世界@名無史さん
2018/02/24(土) 16:58:28.090
>>661
そりゃあトルコ系なんだからそうだろうよ
664世界@名無史さん
2018/02/24(土) 23:49:30.590
陝西の胡人は多くが吐火羅人である。イラン系に近いがより古い民族で原イランといったとこ

トカラ語を話す人たちはミイラのDNA調査の結果、アファナシェヴォ文化集団とされ、
個体の7割が南シベリアに特徴的なミトコンドリアDNAを持っていたため、北方から南下して来た。
タリム盆地では紀元前2千年前後といわれる遺跡(「楼蘭の美女」などのミイラで有名)が発見されており、
紀元前3千年紀の青銅器時代に北方のアルタイ山脈に栄えた吐火羅人が南下して
タリム盆地へ移り住んだことが判明。

トカラ人はY染色体ハプログループR1b
赤毛の遺伝子を持つ。欧州で赤毛は野蛮人とされて良いイメージはない
イギリスの先住民ケルトはR1bで、赤毛のアンなどと差別された
しかし、ネアンデルタール人は赤毛の遺伝子を持つことは確実とされてる
665世界@名無史さん
2018/02/25(日) 01:26:52.700
>>662
面白いことに、欧州系の犬って和犬なんかより平たい顔犬が多いよねw
666世界@名無史さん
2018/02/25(日) 03:20:07.380
>>661
まさにチュルク系がたどった歴史を表している数字だな
元々、モンゴル高原の北に住むモンゴロイドでモンゴル民族と兄弟民族だったのに
数千年の歳月の中で、西へ西へと民族移動するにしたがい、中央アジアの原住民だった
コーカソイドのイラン系と混血し、さらにアナトリア半島に入ると被征服者の元ビザンツ帝国の住民である
ギリシャ系、スラブ系と大幅に混血して、モンゴロイドの血が限りなく薄まった
667世界@名無史さん
2018/02/25(日) 07:30:10.580
>>616
トルコ史にお詳しいようですので、そのへんはどうなのでしょうか
668世界@名無史さん
2018/02/25(日) 16:37:28.690
>>662
単于を輩出したレンテイ氏も鼻が高く細面だったとされてるんじゃない?
669世界@名無史さん
2018/02/25(日) 21:17:12.030
>>664
R1bはウイグル人からも検出されるから驚きだな
670世界@名無史さん
2018/02/26(月) 00:10:53.320
キルギス人からは?
671世界@名無史さん
2018/02/26(月) 00:28:52.060
アカエフ大統領=高貴な横山ノック
672世界@名無史さん
2018/02/26(月) 00:35:07.880
>>671
画像見てフイタ
しかも、顔がノックなのに名前がАскар Акаевич Акаевと、
オヤジのイーミャにビッチがミドルネームとか完全にロシア風の名前なのもワラタ
673世界@名無史さん
2018/02/26(月) 14:45:59.930
>>672
本来はアーガか?
674世界@名無史さん
2018/02/26(月) 16:06:38.880
それが濃厚かな
675世界@名無史さん
2018/02/27(火) 09:36:05.240
ネトウヨの中では阿部寛、平井堅、岡田准一、hyde、長瀬智也が本当の日本人な模様

657 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2018/02/24(土) 02:02:40.85 0
>>0654

大きな勘違いやで。hydeみたいな顔が日本人。
ヨーロッパ人、イラン系(秦氏)やスキタイは色白なだけのブラックやで。
676世界@名無史さん
2018/02/27(火) 18:28:54.850
匈奴のなぞの一つとして月氏が挙げられるが
月という漢字のは現在中国人にとてもいい印象を与えるらしく
「水無月」「神奈月」などのアニメキャラが出るとカッコイイ日本らしい名前という

ところで、中国ではイラン系の蛮族を胡という。もちろん悪い意味があり
秦の時代ではオルドスの匈奴を胡と称した
始皇帝は胡が秦をほろぼすと信じており蒙恬将軍に匈奴を征伐させる
それがくだって唐の時代では胡は西方人、もろイラン人種を指す

オルドスにも月氏はいた。すくなくともオルドス西半分は月氏だったらしい
胡は古い月とかき、月氏と近い。したがって月氏の蔑称・略=胡かもしれない
陝西のまわりは西戎であるから秦は戎の親玉である、秦漢時代に急に胡を敵視したのは
胡と西戎はちがうということだろうか?

ロシアの学者は月氏をサカ族とする、つまりギリシャ史のいう遊牧民族スキタイ人だという
スキタイ=ロシア人というのは西欧では常識である
フランスやイタリアではさかんにロシア人をスキタイの末裔という。良い意味ではない
スキタイ=野蛮人ぐらいの意味である
だからロシア史は西欧うけのいい北欧ヴァイイングの子孫がルーシ人とし取り繕うが
もちろんこれは表向きでロシアの中味はスキタイとモンゴル
したがってロシア学者の言う月氏はスキタイ=暗にロシア人そ祖先ということになるが・・・
677世界@名無史さん
2018/02/27(火) 18:31:41.030
>>676
亮 って文字が使われない?中国語で月を表すには
678世界@名無史さん
2018/02/27(火) 18:31:56.600
×したがってロシア学者の言う月氏はスキタイ=暗にロシア人そ祖先ということになるが・・・

○したがってロシア学会の言う月氏はスキタイ=暗にロシア人そのままの祖先ということになるが・・・
679世界@名無史さん
2018/02/27(火) 19:24:02.250
月氏はトカラ人、アファナシェヴォ文化人との説が有力だがサカ族、東イラン系との説もある
のちに匈奴に追われる月氏が塞国、つまりサカの王を討ち、アッサリ乗っ取ったという記録から
すくなくとも同族でないと王家の乗っ取りは難しい
プランタジネット朝を滅ぼしたヘンリー7世は正当化のため仇敵である白薔薇ヨークの
白バラ姫エリザベス・オブ・ヨークをもらう、でないと民は納得しない

月氏はサカ族とも血縁関係はありそうだ
680世界@名無史さん
2018/02/27(火) 19:42:07.340
ロシアのミヌシンスク盆地はアファナシェヴォ文化、アンドロノヴォ文化やタガール文化などがさかえた
位置はずばりいえばモンゴル国の遙か北である
ところでアファナシェヴォ文化アンドロノヴォ文化は混乱しやすいので
アファナシェヴォ=穴無し魚文化
アンドロノヴォ=アンドロ信夫文化としたいがどうだろう
681世界@名無史さん
2018/02/27(火) 20:19:29.780
隣国の半島人は細い釣り上がったキツネ目で日本人とは似てないのに、
それより遠いキルギス人が偽ノックのような日本のおっちゃん顔が居るんだろうか?
682世界@名無史さん
2018/02/28(水) 01:32:09.330
顏の平らな新モンゴロイドが中国大陸を中心に分布していて、顔の凹凸の多いコーカソイドや旧モンゴロイドがその周辺に分布している
一時はアイヌコーカソイド説なんてものも出たくらい、日本列島在来の人間の顔は時に白人と黄色人の混血に近い形になることがある
683世界@名無史さん
2018/02/28(水) 03:30:31.120
し、信夫
684世界@名無史さん
2018/02/28(水) 14:32:00.870
>>676
ジーサンよ
イラン人種って何だ?
1960〜1970年代に書かれた歴史の本見るとけっこう出てくるんだがw
685世界@名無史さん
2018/02/28(水) 15:04:33.510
>>681
アカエフ大統領だっけ?もろノックやんw
686世界@名無史さん
2018/02/28(水) 20:11:10.580
ここで月氏ももうすこし本質的な面に踏み込んでみたい
平安時代の日本の公卿・教養人は、憧れの土地は長安での生活だったに違いないが
匈奴や月氏のあこがれの文化中心とはどのようなものだろう

匈奴も月氏や東胡への厳しい処断にひきくらべ、中国への措置は兄弟としており
劉邦が死んだ後は未亡人に慰めの手紙を送るなど、異様に寛大、いや大甘といえる
冒頓単于の息子が中華文化に心酔したが、匈奴としてもかなり中原へは親しみがある
またフンのアッチラは自分が誰よりも優れた人間だと確信を持っていたが
これはローマより高い東方文化の背景、そして古代匈奴王族の血からだとギボンは推察してる

ジェージェン、柔然が突厥を鍛鉄奴隷だと思っていたから結婚を申し込まれたときは
身分を知らぬと激怒したとされる、匈奴でも月氏でも身分制度は厳しいものであったに違いなく
古代の日本も大王(おおきみ)と結婚できるのは蘇我など豪族のみで臣下は対等の相手とは認めない

匈奴は少なくとも漢民族は対等以上の相手としていた。だから兄弟だの結婚のお話があった
老上単于にいたっては中国文化を崇めるキモオタとなる
687世界@名無史さん
2018/02/28(水) 20:27:11.600
小さい匈奴は大国の東胡はほろぼしたがその膨大な国土を吸収した

のこりの民は烏桓や鮮卑でいきることをゆるした、家畜や女を献上するように命じる
女は産む機械だとすれば、産む機械の台数によって勢力人口は決まる
匈奴より人口でまさる東胡であるが、産む機械を取り上げてしまえば人口は増えようはない
永久に小国であろう
しかしやがて匈奴の凋落とともに烏桓も勢力を増し、匈奴の墓をあばく

これに激怒した匈奴と漢は共謀して烏桓の村をおそい、若い女どもを殺し尽くす
これによって烏桓はおとろえ、二度と歴史に現れないほど大打撃を受ける
まぁ核攻撃を受けたようなものだ
かわって鮮卑という東胡の末裔が、狡猾に立ち回り、人口を増やし天下を取る

匈奴の東胡政策はこのようなものだったが、酷いと言えばひどい
しかし奴隷としていきることをゆるしたわけだ

が月氏はぶち殺し追い払うという無慈悲な攻撃を行う。冒頓単于・老上単于の二代に渡り
波状攻撃を仕掛ける。これはホロコーストであり、ヒトラーのいう「最終解決」であろう
688世界@名無史さん
2018/02/28(水) 20:46:55.880
モンゴル時代は、月氏=ナイマン、匈奴=ケレイト、東胡=モンゴル、タタル
という勢力図だったが、ナイマンもケレイトも優れた西方文化に接して
商人の交易で豊かであり、持ち物は豊富で、高い文化があり
キリスト教に帰依してトオリル汗はダビデの洗礼名をもつ
モンゴルを蛮族なりと見下していた

たいしてモンゴルはケレイトの勢力を鑑みてトオリル汗の義理の親子になったり
していたが、忍耐の末、ついにケレイトもナイマンも滅ぼす
689世界@名無史さん
2018/02/28(水) 21:16:28.180
月氏はオルドスの西にすんでいた。東は白狄(テュルク)であり匈奴は
北からきたという。そもそも匈奴は狄そのものという説もあるし赤狄かもしれぬ
オルドス文化の担い手は月氏なのかもしれない、し
月氏や胡人は甘粛を本拠として遙か南の陝西まで広がっていたらしい(西戎)

ただ西戎・胡人は中華帝国の首都である鎬京・長安の周囲までひろがりつつ
精神的中心はバクトリアのような東方イランがその重点だろう
トカラ人、トカロイはグレコバクトリア帝国を滅ぼす

イラン大帝国が当時の人類でもっとも古い歴史を持ち、さかえたオリエントを
1000年以上も支配したのだ。ペルシア帝国の悩みは初代王キュロスから、東方イラン
つまりバクトリア地方の遊牧民だった
北を征服してスメルディス王子を、東北バクトリアのサトラップ太守におくことで
ペルシア帝国は安定を得る。ペルシアはメディアやバビロニアのような古い大国
にサカ族の装甲兵で勝ち抜くことができる。
月氏のようなトカラ人、東イラン人はつねにパミールや死の砂漠を越えて
バクトリア地方へ交易して知識を得てる、出稼ぎ商人、西部劇のカウボーイだ

イラン文化にたいし一員の意識を持ち、ナイマン・ケレイトのようなお金持ちで
これゆえに劣った匈奴や東胡は奴隷として扱った
中国文明よりの冒頓単于・老上単于と共存できるわけがない
690世界@名無史さん
2018/02/28(水) 22:28:49.800
バクトリア地方は、パミール高原(世界の屋根)死の砂漠、などのの難所
いずれもペルシア語だが・・・
を介して中国辺境、西域・甘粛・陝西のルートにつながる

そもそもこの地名はいずれもペルシア語なのだからペルシア商人が往来していた
バクトリアは錫など青銅文化に欠かせない鉱物や、青い宝石を産する
したがって古代よりレバノンやシリアなど西の商人もバクトリアをおとずれ
この東方にはもっと豊かな宝石や鉱石がある・・

アファナシエヴォ文化は西日本が破局噴火で被害を受けて空白となり、それが回復しつつある頃で
縄文時代に地球でもっともさかえた日本は暗黒であったが
バクトリアからミヌシンスク盆地にかけて人類が盛んに交易往来し文化を高めていた
ロシアのミヌシンスク盆地はアファナシェヴォ文化、アンドロノヴォ文化やタガール文化などがさかえたが
ここは鉱石が豊富な土地でニッケル,コバルト,白金,銅,金などを産出
ロシア鉱物生産の主要を占める、古代人も目のつけどころはよかったのである

月氏はまさにこのイラン東北から中国西方の辺境にまたがり交易で富を得ていた
お金に換えるのは鉱物宝石ばかりでない、人もそうだ
人狩りをして奴隷を文明国に連れ去り、売り払う。これも商売の基本

西涼の董卓は若き頃に怪力無双で羌族など遊牧民と交わり、
胡(イラン系)が西涼をおそい多数の奴隷としてつれさったときくや私財をなげうち兵を起こし
胡人を一万人ぶち殺し、ために西涼の民は董卓を英雄と仰いだ・・これら史実から白人が漢族をさらい売り払う
奴隷商の商材にすることはめずしくなかった。
月氏は土地に愛着もないのだから、全て商売にみえる。血も涙もない。略奪と破壊のみだ

月氏の配下の小国の王子である冒頓単于が月氏を憎んだのも、
月氏=宇宙の帝王フリーザ、冒頓単于=べジータ星の王子というような関係かも
691世界@名無史さん
2018/03/01(木) 02:30:39.540
平安時代の日本の公卿・教養人の憧れの土地は長安での生活だったで違いないの?
平安時代の公卿・教養人に知り合いがいないので根拠プリーズ
692世界@名無史さん
2018/03/01(木) 05:23:58.910
>>688
モンゴル時代は、月氏=西夏、匈奴=オングート、東胡=契丹
693世界@名無史さん
2018/03/01(木) 06:26:39.440
>>679
月氏はおそらくサカとは同族ではない
同族ならば月氏はサカと同盟して匈奴に対抗したはず
サカはグレコ・バクトリア王国の内乱に介入して
バクトリアに遠征した隙に本国を月氏に奪われた
694世界@名無史さん
2018/03/01(木) 11:37:27.500
スキタイとサカは?
695世界@名無史さん
2018/03/01(木) 12:10:10.640
スキタイ=サカ
スキタイはギリシャ語
サカはペルシャ語
696世界@名無史さん
2018/03/01(木) 19:59:46.460
かなり前に滋賀県で国内初のオルドス式短剣の鋳型出土というニュースが有った
このオルドス青銅剣はオルドス地方でしか見られないもので遊牧民独特
朝鮮にも九州にも形跡は無い

遊牧民はかなり北緯の高いところにおり、しかも遊牧民は人も少なく、
どこから船を出して朝鮮や九州など目もくれず
一直線に近畿にたどりついたか如何にも異様なわけだ

しかし彼らが商人であると知れば理解できる
アナトリアは銅を、バクトリアは錫を産する、この理由で青銅器時代は
金属商人は中央アジアおくふかくのバクトリアまで往来した
もちろん彼らは極東アジアにも目をつけていた
つまり先史時代、近畿で鉱山探査なども行ったオルドス青銅文化人がいた

日本では「幻の騎馬民族王朝だ」とか騒ぐのであるが、もちろん彼らは関係ない
金や銅・錫をさがして掘る商売人、マウンテンマンであり、また人狩りも行った
彼らは日本人を奴隷として連れ去り商売とした
故郷の舟が途絶えた後も山奥にこもり人狩りを続けた。これが鬼といわれる伝承だろう
鬼は、あらゆる意味で白人らしい、バクトリア人・東イラン人や月氏の血を思わせる
697世界@名無史さん
2018/03/01(木) 23:51:48.840
>>672
髪型はノックに似てるけど
顔はノックじゃなくて石破茂とか百田尚樹とかに似てると思う
698世界@名無史さん
2018/03/02(金) 05:18:21.600
アルタイ山脈はその名のごとく金が豊富だったのだろうけど
金が枯渇したのイラン人らは去っていったのかも

イラン人は金属に強い関心を持ちササン朝も遠くイエメンに
鉱夫を派遣していたとされる
イエメン支配をめぐってササン朝とエチオピアは争ったので
イエメンのマアリブダムが放棄され農業が衰退したので
イエメン農民の多くがベドウィン化して後にイスラム兵となった
多くのイエメン人はアラビアの外へ移住してアッバース朝創建の
ホラサン軍もイエメン人が主力だった
イスラム時代にイランで初めて独立したターヒル朝もアラブ系で
イスラム版グレコ・バクトリア王国だった
699世界@名無史さん
2018/03/02(金) 07:58:51.290
>>698
アファナシェヴォだったらイラン系ではなく欧州系そのものだろw
700世界@名無史さん
2018/03/02(金) 08:10:56.120
穴無し魚文化はトカラ人
701世界@名無史さん
2018/03/02(金) 08:13:28.530
アファナシェヴォ文化人はトカラ系でタリム盆地に移住したとされる
ミヌシンスク盆地から黒海北岸まで肥沃な黒土地帯が連続しているので
トカラ人がヨーロッパへ移住出来そうだけど移住しなかったようだ
702世界@名無史さん
2018/03/02(金) 08:54:39.910
>>699
アンドロノヴォ文化はイラン系
703世界@名無史さん
2018/03/02(金) 15:43:37.390
信夫くんはダルビッシュ顔のイケメン
704世界@名無史さん
2018/03/02(金) 22:18:58.550
ホラサンのターヒル朝を滅ぼしたのはシースタンのサッファール朝
かつてグレコ・バクトリア王国をサカが滅ぼしたけど
その末裔らも同様の事を成したわけだ
705世界@名無史さん
2018/03/04(日) 09:35:12.620
イラン系遊牧民スキタイ=スラブ人であるというと、ロシア人は反発する

ではスラブ民族は?
彼らの自称ではゲルマン主体とスキタイとサマルティア人(阿蘭人)の混血だそうだ
スキ隊がゲルマンに家庭内暴力していたが、ともにライ麦を刈る原始的農民で似たようなもの
サマルティア人(マッサゲタイ・阿蘭)が匈奴そのままの狩猟・遊牧民で貧乏農民スキタイにパワハラ
というのが構図であるがさらにアラン族に、より凶暴なフン族が暴行して西に逃亡したらしい

ロシア人の主張とは裏腹にフランス人はロシア人はゲルマン人ではない、別種だという
とくにロシア人は首のあたりが違うそうだ。あと、北方人種なので男はペニスが異様に小さい
フランス人やアラブ人・黒人は巨根である。だから別種である

ところがはなしが複雑なのはロシア人と同じスラブ系の西方ポーランド国は、サマルティア人と自称する
ポーランド貴族はサマルティズム主義で自由の民族サマルティア人を熱烈に崇拝した
いわゆる日本のサムライ的な、あこがれだ。ポーランドの白人はアジア人だという、ロシアの黄色人は白人だと

こうしてみるとロシアの短小ペニス人が白人を気取り、反日で、
白人がアジア遊牧民を気取り、大の親日家という源流が見えてくる
706世界@名無史さん
2018/03/04(日) 11:18:10.460
華北の漢民族には匈奴の血が幾ばくか流れているようだね
707世界@名無史さん
2018/03/05(月) 10:26:41.040
鮮卑だって
708世界@名無史さん
2018/03/05(月) 20:26:24.830
ネアンデルタールは衣服を発明した
ただ針を利用して縫合する現代人技術はなく袖口などはなかった
それでもネアンデルタールは北緯65度までたっした
おそらく代謝能力や身体は異様に優れる

ネアンデルタールは短小ペニスだったろう
なおネアンデルタールは血が固まりやすい遺伝子を持ってるとされ
狩猟の外傷で威力を発揮したが彼は40歳以下で死んだので弊害はない
それが白人の心筋梗塞を招いているという
肉食のネアンデルタールはケナガサイや野生ヤギを常食した
また木の実なども食べる

しかしかれらは人間と同じ行動に2倍のエネルギーを必要とした
体格に優れ脳ははるかに大きい
それが同じ食料状況でも2倍の浪費となり数が多い簡易タイプのコストダウン人類に敗れる
中華人や日本の都は北緯33度ていど
匈奴は北緯50度、これは遺伝的な明らかな違いがある

北緯40度のオルドスは快適だったが中国に追われてもかれら遊牧民は屁でもない
むしろ北のほうが活動しやすいのが遊牧民だ。冬の寒さは毛皮で凌ぐことができる
709世界@名無史さん
2018/03/06(火) 04:49:57.790
中国の南方は日本と同じコメ文化、北方はムギ文化と区分けされていた
戦国だと秦はムギ、楚はコメ。
コメは南方でしか取れないんだから、長安は饂飩、モンゴルの国民食はラグメン
トルコ・カザフが肉入りマントウにマヨネーズかけて主食

始皇帝の死で天下を取った反乱軍は
秦を滅ぼしたのだからその首都に本拠を置くのが常識と見ていたが
関中を征服した項羽は「南に戻りコメの飯を喰いたい」といった
驚きのあまり「その理由は」と1人の男が食い下がった
「む、天下を取ったのに故国に戻らぬのは、錦を着て夜行くが如し。誰も、気づかないではないか」
男はあまりに幼稚さに驚き「世間で楚人はサルだというが」「猿が冠をかぶっている」
と声を立てて嘲笑った
食通の貴族の項羽と比べ、貧乏人な劉邦は食い物にはこだわらなかった
北方人は劉邦を押し立てて天下を取った

日本はなぜかコメ文化だけなんだよね
潜水艦の中はパンたべると外国人が教えたら「コメが食えないと士気が落ちる」と
飯を炊き続けて潜水艦のなかはサウナ風呂みたいな悪環境になったという
710世界@名無史さん
2018/03/06(火) 08:17:43.550
日本人の男が外国でイマイチ活躍出来ないのは米の飯にこだわりすぎるから
それと味噌汁な
711世界@名無史さん
2018/03/06(火) 08:20:50.150
日本人の男が外国で大活躍してるのは米の飯にこだわりすぎるから
それと味噌汁な
712世界@名無史さん
2018/03/07(水) 00:47:16.310
てか、和食があまりに美味すぎるので、外国の食事なんか食えなくなってしまう
713世界@名無史さん
2018/03/07(水) 01:05:36.450
でも中国南部のヒトや日本では項羽は英雄だよね
なんつってもコメの飯が一番だし
おそらく転戦の項羽は、焼き肉と焼き飯派だ

三国志の董卓や呂布はマントウ派
曹操は鶏ガララーメン派

薄皮餃子はポーランドでは「ピエルク」と呼ばれ
「ピエルク・ヤポンスキ」と呼ばれ、「日本風ピエルク」という意味で人気
日本の標準的な餃子と同じ、日本のタレは知られてるが
ラー油が入手困難なため、クリームチーズをかける自己流
西欧でも日本餃子をカザフ風のマントウにちかい味付けで食べてる状況
714世界@名無史さん
2018/03/07(水) 01:38:07.650
項羽に比べ、冒頓単于が不当に低く評価されてる気がしてならない
トルコなどでは確実に冒頓単于>>>項羽 だからな
715世界@名無史さん
2018/03/07(水) 01:58:12.740
冒頓単于と項羽がたたかえば項羽が勝っていただろう

ただし単于ははるか北、1000キロも逃げて逃げて無傷
項羽は何もない平原に飽きて「けえるぞ。米の飯が食いたい」
また単于が何食わぬ顔で戻る

満州の太祖ヌルハチも進撃する加藤清正の日本軍を視察して
「あれは何だ」「握り飯でございます」
おもむろにヌルハチは「城にこもり絶対に日本に手を出すな」という

ヌルハチの建州女真は女真族でも最も貧しい土地といわれていた
やがて日本兵は「何もない荒野だ」と口々にいい撤退する

やがて太宗ホンタイジは朝鮮をつぶした。これは李氏朝鮮の屈辱だが
ホンタイジはしばらく考え「朝鮮は日本との交流を妨げないこと」と文書に書いた
貧しい建州女真にとっては日本との友好が第一であった
716世界@名無史さん
2018/03/07(水) 09:00:44.580
>>714
トルコに限ったことではない
勝者は冒頓単于だと確定してるので
冒頓単于>>>劉邦>>>項羽
717世界@名無史さん
2018/03/07(水) 09:56:39.920
トルコでは北匈奴の祖、蒲奴単于もパヌって呼ばれて崇敬されてるぞ
718世界@名無史さん
2018/03/07(水) 14:26:56.170
>>717
因みにパヌの匈奴はトルコ語ではBatı Hun İmparatorluğuで日本語に訳すると西匈奴帝国
でその歴史がまんま中国語の南匈奴そのものなんだがパヌこと蒲奴は北匈奴の単于
この辺り中国とトルコとの間で相当の記録の改変らしきものが有る
トルコではエフタルも白匈奴帝国ことAk Hun İmparatorluğuと教えてる
でトルコだと匈奴とフンとエフタルの支配層は皆同じ一族から出てるとも教えてる
つまりトウマンや冒頓単于の子孫と言う事になってる
719世界@名無史さん
2018/03/10(土) 07:01:27.360
現在のトルコ民族は突厥、自称ギョクテュルクがもと

匈奴皇帝(半分白人、月氏)にモンゴロイド東胡がほろぼされる
この東胡からモンゴロイド拓跋氏がでる(地上の主、とギボンは解釈する)、まぁ大法螺を吹くもんだが
鮮卑柔然部は鮮卑拓跋部に従属していた兵卒だと史書は記す、まぁタダの下っ端の使い走りだが
地上の主と自称する連中が華北へ移住した後のモンゴルで勢力を拡大した

柔然部は北魏に属せず、北魏討伐隊を破り、高車の諸部をすべて服属させ可汗(カガン)となった
誇り高い柔然部の可汗が鍛鉄奴隷としていたのが突厥、自称ギョクテュルク

テュルクという語源については「強者、強車」とされ
突厥は匈奴の別種(古くに分かれた同種)で、姓はアシナ氏という
匈奴に憎まれ、皆殺しの目にあったが穴居人の妻が子供を10人つくり逃したという
要するに匈奴ですな。匈奴のさらに遙か北の漠北にすんでいたという。とんでもなく野蛮な匈奴
匈奴突厥部の原住地はイェニセイ川上流域にあったとされる
鉄鉱石が豊富で、製鉄の販売で金と力を蓄えて最強の民族にのし上がる

柔然部が「突厥部とは結婚したくねえ」といったそうだからかなり人種が異なったのでは

突厥の可汗は10万騎を率いて暴れまわり、その顔は赤く、目の色は真っ青なラピスラズリ色、瑠璃色だったという
720世界@名無史さん
2018/03/11(日) 09:21:01.080
『晋書』に「殷は鬼方といい、周は犬戎といい、漢は匈奴といった」とあるように古来より
匈奴という民族があるわけではなく、19の民族からなる連合体で
彼らの言語はすくなくとも非漢語(非中国語)であったことは史書より知られる
チュルク語であったかトカラ語・ソグド語であったかは不明ではっきりした定説がない

頭曼単于は始皇帝の死(前210年)によって黄河を越えて河南の地オルドスを取り戻す。
そして楚漢戦争中に冒頓単于が領土を拡大するから漢帝国の成立と一致してる
たまたま前漢時代に遊牧連合国ができ、中国人は匈奴と蔑称した

現代の北京管語では匈奴は「ションヌー」、古代の原音は「ヒュン」ではないかとされる
レンテイ氏は劉氏の兄弟であるとし、南匈奴が崩壊すると中国風の劉氏に改姓した

公式設定の兄弟国であるから、あるいは「漢」単于国と自称していたが
両国では言語も違う上に中国側も武帝の対匈奴戦線が長びいた
この政治情勢ではわざと悪字をあてた可能性がある

ともあれ西方ではフンと自称あるいは呼ばれていた
721世界@名無史さん
2018/03/15(木) 04:01:14.910
だいたいソグド人が匈奴のこともフンのこともxwnと呼んでいたってことは
ほぼ同定していいでしょ
722世界@名無史さん
2018/03/17(土) 02:07:33.520
よし、もう、わかった
学会が苦言を言おうと、
【フン = 匈奴】 だ!

漢の武帝の大反撃にあって、西に逃亡した匈奴の一派がフンのはじまりだろ
723世界@名無史さん
2018/03/17(土) 12:23:54.630
アレキサンダー大王でペルシア、イラン世界帝国はほろびた

セレコウス朝が支配するが、やはりバクトリアなどのサトラップが自立する
パルティアはカスピ海南岸の国だがやはり太守が自立
しかしアルケサスによって殺され、ここにパルティア王が成立する

アルケサスは遊牧系バクトリア人とされてパルティア国は国教としてゾロアスター教を奉じる
北のパルティア国は親族である遊牧民サカの兵を借りることができセレコウス朝をほろぼし、取って代わる
たびたびローマと戦い、クラッススの率いる4倍以上の大軍を破り戦死させる
イラン遊牧民の弓矢は強力でローマ兵の弓矢の射程外から攻撃することができた
パルティアはひたすら軽騎兵に矢を撃ち続けさせた。ローマは盾で防御して矢が尽きるのを待った。

クラッスス将軍はパルティアの雲霞のような弓矢にも楽観したが
後方にラクダ1000頭を配置し、これに大量の矢を積ませていたので、パルティアの矢の雨は尽きることがなかった。
クラッススは、兵を鼓舞してまわったが、効果はなかった。パルティアの大勝利に終わった。

この経験はローマ人によってよほど痛手であり、弓を射て逃亡する「パルティアショット」ということわざができた
724世界@名無史さん
2018/03/17(土) 12:54:22.080
ミトラダテス1世は別名アルサケス6世エウエルゲテス・ディカイオス・ピレレン、ミトリダテス
は「ミトラをたたえる」意味でありパルティア最盛期の王である

パルティアのメディア征服を聞いたセレウコス朝のデメトリウス2世ニカトルは兵を集め、メディアへ向かった。
ミトラダテス1世はこれ破り、首都セレウキアに入城。皇帝に認められた。略奪品だけで1万タラント以上にのぼった。

ここで北の異民族であるサカ族の侵入があったため、ヒュルカニアに向かった
デメトリウス2世ニカトルは謀反を起こし捉えられてミトラダテス1世におくられる
ミトラダテス1世は彼の身分にふさわしい扱いをし、自分の娘ロドグネを娶らせた。

帝が没するとフラーテス2世がついだ。アンティオコス7世とのたたかいで
北方の騎馬遊牧民サカ族の傭兵を雇う予定であったが、サカ族に賃金を支払わなかった。

ユダヤ人部隊など投入したアンティオコス7世は勝ちまくり帝国は取り戻した。だが拙速にもほどがあり
あまりにユダヤ人部隊の略奪が酷いので民衆の大反乱が起き、アンティオコス7世は撲殺される

勝ちに乗ったフラーテス2世は帝国を回復。
しかし、東部国境地帯でサカ族の侵入がありあきらめてそちらの鎮定へ向かった
フラーテス2世はサカ族に詫びを入れて過去の慰労金を支払うとしたが

彼らが暴れる理由はるか東方の事情によるものであり、匈奴によってオルドス追い出された月氏族が逃れ
その月氏族によって追われマッサゲタエなどが、ここに新しい国をつくるとかたく決意していた

フラーテス2世は西方で捕虜にしたギリシア人部隊を投入。しかし彼らも冷遇されていたため、すぐさま敵方に寝返り、
月氏マッサゲタエ・ギリシャ連合軍はフラーテス2世を殺害した
725世界@名無史さん
2018/03/19(月) 03:01:00.220
>>722
武帝の大反撃じゃなくて、後漢の和帝あたりのイフバヤンの戦いで
北単于が蒙古高原から放逐され、西へ敗走した・・・ってのが定説じゃないかな
726世界@名無史さん
2018/03/19(月) 12:01:08.780
北匈奴 → 悦般 → エフタル(フーナ)

350年 冉閔が華北で20万人にも及ぶ羯族や漢人以外の民衆を虐殺

375年 フン族が黒海北岸に侵入
727世界@名無史さん
2018/03/19(月) 18:28:10.760
たった25年で中国から黒海まで移動ってのかやや無理がないか?
728世界@名無史さん
2018/03/19(月) 19:49:00.890
遊牧民と農民、どちらの生活が良いかといえば広い土地をもち多数の羊を飼う遊牧民がはるかに
金も稼げるし効率がいい。西部劇のカウボーイが農民と争ったように対立関係
広い土地を所有するには武力がいる。
ロシアが軍事国家なのは広い土地を侵されないため、遊牧民の発想だ。

しかし北緯35度位までは中国の都市があり人口も多い。遊牧民も辺境は犯しても
農民をまるごと抹殺してしまうのは困難だ
北に行くほど植物は貧相になり南方作物の農耕に適さなくなる
北緯40度くらいから遊牧民が優勢になるようだがオルドスもその位置である
うまいぐあいに中国の農民を追い払ったりしなくても匈奴は十分な広い土地はあった

遊牧民が稼ぐにはとにかく他の人間のいない極北や荒れ地へ行くことがむしろ当然
北に逝けば行くほど無人の野になるのだから土地は独り占めだ
毛皮服を着て寒さを凌ぐぐらい、苦労でも何でもない
匈奴の西への移動は、彼らには何でもなかったのではないか
729世界@名無史さん
2018/03/19(月) 21:39:03.310
>>727
モンゴル辺りから黒海まで全部支配下ってことなら無理あるかもしれないけど
単純に移動って意味だとそうでもないでしょ

環境の厳しいシベリアでもシビルハンの滅亡から
ロシア傘下のコサックのオホーツク到達まで38年だし
730世界@名無史さん
2018/03/20(火) 01:39:27.930
>>727
前36年の第1次タラスの戦い(有名な751年のは第2次ねw)で敗れた西匈奴の残党が西に流れてフン族へ・・・なら
猶予は400年もある
こちらのほうが可能性高くね?
731世界@名無史さん
2018/03/21(水) 00:23:28.450
西匈奴の郅支単于は康居の地に移る前は堅昆の地を本拠としていた
北匈奴も後漢に大敗する以前は堅昆の地を領有していた

堅昆の地であるミヌシンスク盆地では紀元1世紀から4世紀にかけて
タシュティク文化が存続していた
ミヌシンスク盆地は黒海北岸から連なる肥沃な黒土地帯の最東端で
農耕が可能だったので匈奴は漢人捕虜らに農耕させていたようだ
匈奴の支配下にイラン系の先住民と漢人が定住していたけど
4世紀以降には住民はいずこかへ去ったようだ
732世界@名無史さん
2018/03/21(水) 20:51:07.480
辮髪は古代チュルクの風習で、モンゴルや満州に残される
ところで辮髪の理由は兜をかぶるのでムレ防止ということになってる、これは日本のチョンマゲも同じだ
また日本の中央をそりあげ左右を残すのはモンゴル式である

清の順治帝の摂政ドルゴンがきびしい法令で全中国人に辮髪を矯正したが
日本のチョンマゲも辮髪である。少なくとも中国はそう見ていた
ゆえに、辮髪を大変重んじた満州族の日本への深い好意につながってゆく

明は日本を敵視し遠征まで計画したと言う
があの全盛期のクビライですら敗退・・という一言で辞めたという
733世界@名無史さん
2018/03/21(水) 22:28:09.150
>>732
>明は日本を敵視し遠征まで計画したと言う
明は海禁策だし半島の防衛で精一杯なのに日本遠征どころじゃないだろ。

それといわゆるチョンマゲは江戸時代だ。それ以前から髷は結うけど月代を剃るのは戦国時代後期以降です。
734世界@名無史さん
2018/03/21(水) 22:48:30.210
明の太祖が懐良親王に怒って討伐を差し向けると脅した話は有名
ただ日本よりも中国で有名らしい。しかしてこの計画は
「日本人はあのモンゴル帝国を破り意気100倍、いまは耐え忍ぶ時期だ」
という損得勘定論によって消え去る
735世界@名無史さん
2018/03/21(水) 23:11:12.180
月氏、グレートユージ氏の語源は、のちの後裔であるインドのクシャナ朝が多くの月の記念碑
をのこしてることから、月をトーテムとした部族ともいわれる
また中央アジア奥深くをさまよって玉を掘り出す商人から、玉氏=月氏と意訳されたともある

記録によれば、月氏は目は深く落ち窪み、また商業の才にたけていた、女性を尊敬したとある
736世界@名無史さん
2018/03/21(水) 23:34:24.040
大月氏は張騫が来た時に女王が統治していた

ペルシャのキュロス2世を敗死させたのは
マッサゲタイの女王トミュリスだとされる
737世界@名無史さん
2018/03/22(木) 00:04:56.330
匈奴にさからい帰順しない蘇武は北海、バイカル湖にうつされた
バイカル湖は北緯54度・・匈奴帝国は広いなぁ
738世界@名無史さん
2018/03/22(木) 00:16:22.150
>>734
>明の太祖が懐良親王に怒って討伐を差し向けると脅した話は有名
南北朝時代の征西将軍宮とは全然知らなかったよ。歴史好きでも人気のない時代だから誰も知らないのも無理はない。
その頃は月代剃ってないからこのスレとは関係なさすぎだ。

「日本人はあのモンゴル帝国を破り意気100倍、いまは耐え忍ぶ時期だ」

鎌倉幕府が滅んだり朝廷が南北に割れたり足利幕府も観応の擾乱で大揺れなのに認識がおかしい。
739世界@名無史さん
2018/03/22(木) 04:52:00.890
>>737
匈奴帝国の版図の北限はどこくらいまでだったんだろうか
資料集の図には、北限はぼやけさせてハッキリと描かれてないものもあるが・・

まさか、北極海まで達していたってことはないんだろうが、
今のロシアのサハ共和国(冬、マイナス50℃になるので有名)南部までは広がっていたのかね?
740世界@名無史さん
2018/03/22(木) 06:18:17.620
シベリア原住民のテュルク語圏に重なる感じだろう
シベリアの白人は好きで来たわけではなくスターリン強制移住や
ソ連の防空関連で移住した人。秘密基地や封鎖都市は
外に出る自由もないしそのまんま今でも有るし
741世界@名無史さん
2018/03/24(土) 14:09:30.050
ミヌシンスク盆地など、南シベリアが鉱山が豊富で黒土肥沃であるにもかかわらず
人が去っていった理由は明らかではないが、ここに住むものは野蛮人と蔑まれ
中原の文明があるためモンゴル系漢人は長安や洛陽に向かい、イラン系白人は
バクトリアやサマルカンドなど商業豊かな街にめざした
ユーラシアでもさらに一番深い奥地だから便が悪く、近くの文明都市に吸収された

しかし、現在のロシア国にとってこの土地は大変重要である
天然資源が豊富。ロシア連邦内ニッケルの80%、コバルトの75%、銅の70%を産する

ニッケル鋼は割れにくいために戦争では最も貴重な金属であり戦車や戦艦に必要だ
日本ではニッケル硬貨にして流通させ、戦時には回収する仕組みになってる
ロシア戦略には言葉に尽くせないほど重要地だ
クラノヤルスク市は北緯54度にあるが、金属工業でさかえ人口は95万人もいる
742世界@名無史さん
2018/03/24(土) 17:15:54.400
エニセイ川は匈奴の遙か漠北の部族でも最も狂暴で野蛮とされる匈奴突厥部、
ギョクテルク
かれらは真っ青な目と大きな赤い顔を持ち、鉄の販売で財を成した

このエニセイ川流域は穴無し魚文化やアンドロ信夫文化の遺跡が発掘される
じつはこのエニセイ川が、テュルク祖族のもっともふるい原住民であり、原点でもあり
ここからチュルク祖族が人口爆発してモンゴルや雑胡として広がったという説も有る

エニセイ川はユーラシア最大の流域面積を持つ大河で、北極海に流れ込む最大の水系。
バイカル湖もふくめて地球最大を誇る大河であり、シベリア奥地とはいえ、これは世界的に
無名だけに意外だろう。

エニセイ川は古代チュルク語で母の河ともいい冬季は氷結するため毎年洪水が多かった
これが水利を利用する農耕民が定住できない理由であろうか

最終氷河期、つまり数千年前までは凍結のため北極海に流れることはできず
パンパンに膨れ上がり西シベリア低地にひろがる超・大型湖であった
最終的には黒海に注いだとされる
これだけ大きな湖は地球にない。遊牧民が家畜を連れてくるのは当然だろう
743世界@名無史さん
2018/03/28(水) 18:07:29.340
>>742
それアファナシェヴォ人だな
744世界@名無史さん
2018/03/29(木) 18:46:11.190
穴無し魚文化=トカラ人
とされ甘粛の月氏や犬戎はトカラ人であるともされる
それどころかオルドス西半分に月氏がいたのだから匈奴も
トカラ語を話した可能性も捨てきれない

エニセイ川がかつて、地球最大の巨大湖をなしていたなら
遊牧民が水を求めて辺境の奥地にくる理由は十分あるし
そこから人口爆発したテュルク祖族がひろがった

匈奴突厥部も、エニセイ川にすむ匈奴の同族といいながら青い目や赤い顔をもち、
鮮卑柔然部に人種があまりに違う、と嫌われる

突厥、つまりげんざいのトルコ人やウイグルの祖先でもエニセイ川の民であり
月氏の末裔である可能性が強い
匈奴に破れた月氏残党は匈奴に吸収されていて
19氏族の一つ、羯族は月氏の末裔とされてる
異様に高い鼻ですぐ識別できたという
745世界@名無史さん
2018/03/29(木) 22:10:35.270
>>744

月氏はペルシャ系(イーラーン系)のソグト人だろ

彫りの深い顔で髭もじゃのあのイラン人と同じ顔だよ
746世界@名無史さん
2018/03/30(金) 08:07:53.270
姜族は月氏の余種
だそうだ
747世界@名無史さん
2018/03/30(金) 21:19:56.580
月氏はトカラ人、ペルシア人(東イラン・ソグド)それぞれの説があるが
げんざいでは吐火羅人説が有望

古来より羌は殷〜漢代では捉えられ奴隷にされて虐げられた
三国志の西涼の董卓や馬超にしたがい、曹操を押しまくった西涼軍は
羌族やテイ族だそうだが

羌が月氏の別種、中国に広がった支流ならそれも納得がいく
748世界@名無史さん
2018/03/31(土) 08:04:17.670
>>747
それって証拠あるの?
749世界@名無史さん
2018/03/31(土) 09:04:42.770
極北シベリアから西洋までひろがったテュルク語圏はおそらく
4000年前の{オルドス青銅文化人}がユーラシア大征服した痕跡だ
中国流に言えば狄、それも北方の赤い服を着た{赤狄}である
狄は体格が大きく身長6メートルと孔子が語る。(孔子は2m以上)
つまり孔子より3倍でかく見えた

匈奴がオルドスの族長やっていたのだから匈奴=オルドス青銅文化人でもある

現在のトルコ・ウイグルは、匈奴帝国の遙か北の野蛮人とされるシベリア匈奴
突厥部ギョクテュルクがエニセイ川から南下して強盛となり、中国王朝は
ウイグルの侵入を防ぐ軍事基地として、西安を建設した

突厥の可汗は青い目と赤い大きな顔とされるから、おそらく時代的にも
彫りが深く緑目の古代匈奴とはまた別物である。
冒頓単于の古代匈奴は緑目の民のパシュトーン人に近いのではと思う

フン族も匈奴(フン)を自称するなら匈奴であろうが、活動範囲が
オルドス匈奴とは離れすぎてるから、トルコウイグル系の匈奴
つまり強車ギョクテュルクかも知れない。アッチラは顔もデカかったそうだ

周代に赤狄(せきてき)と呼ばれた民族の余種は高車となる
アッチラの頃にトルコ系の高車は北魏や柔然に野蛮人とされ殺害強姦された
毎年のように北魏は高車を襲い、2万の奴隷を得て20万匹もの家畜を奪ったという

それだけトルコ人が勢力を増しウザい存在だったのだろうという証拠になる
高車は匈奴を名乗りヨーロッパに侵略する理由はある
750世界@名無史さん
2018/03/31(土) 09:28:14.570
フン語は死語だがトルコ語ブルガール語群であると判明してる
テュルク語圏はシベリア地方まで広がる。したがってアッチラのフン族が
シベラで最も豊かなエニセイ川から来たのは
十分考えられる

古代匈奴、冒頓単于は言語不明であってテュルク語ともされたが
これはあくまでトルコの学説でありトルコ民族主義に根ざしてることに注意したい
当時、オルドス西部にはるかに商業力に優れる月氏がいたこと
月氏がトカラ語であることを考えれば、匈奴もトカラ語を話したことは明白である
また羌やテイ族もトカラ語である。

冒頓単于は月氏の王に人質として送られた
王子や公子を隣国に送る意味は、つまるところそこで女をもらって子供を作る
ということになる。月氏にすれば自分の娘をオルドスの族長に貰ってもらうことは
孫がオルドスの族長になるわけだからタダで領地が広がる
欧州の王室の領土拡大はほとんどこの婚姻合併だ

月氏は数代も女を送り完全に匈奴を取り込んだつもりだったが失敗した
足利尊氏が北条の娘をもらいながら北条を滅ぼしたように家の立ち位置が違う
東アジアの民は人さらい、奴隷商人の月氏を憎んでいた。
751世界@名無史さん
2018/03/31(土) 17:55:44.720
匈奴が月氏に王子を人質として送るようになったのは
秦に敗れてオルドスを追い出され劣勢になってからなのでは?
752世界@名無史さん
2018/03/31(土) 19:09:04.710
斉明天皇3年(657年・64歳)のとき吐火羅人が訪れて天皇は
ゾロアスター教に興味を持ったらしいが
753世界@名無史さん
2018/03/31(土) 20:13:12.620
>>751
日本人が金髪碧眼の白人と結婚しても
ブルーの目はは劣等遺伝なのでモンゴロイドの目は青くならない

とすればもともと・・その因子を持ったもの
たしかに古代日本には青い目のコーカソイドや
ネグロイドも混ざって入るだろうが日本人には極めて極稀な話となる

匈奴のモンゴロイドの王族が緑の目ならそれは数代の混血を経ることになる
緑の目は白人の間でもめずらしくブルーアイよりあとから出現したと推定され
アフガニスタン上流貴族に色濃く残るものの、おそらくユーラシア大陸の奥深くの原産人種
匈奴が
もともと、そーいう人種だったとなれば謎はさらに深まる
754世界@名無史さん
2018/04/01(日) 04:11:54.340
どーも腑に落ちないな

上に書かれているとおり、これほど、コーカソイドに囲まれ、捕虜で強制移住させて取り込んだり、
奴隷に取ったり、あるいは、奴隷にされたりと、古代からコーカソイドの血が多く混血したはずなのに
中国人の大多数を占める漢民族は、見た目はモンゴロイドそのものだぞ

むしろ、コーカソイドと分岐した直後の古モンゴロイドの血(縄文人)を
先祖に持つ日本人の方が、よっぽど濃い顔つきしているのに

だから、狄、匈奴(フン)、突厥・・・ これらの民は、モンゴロイドだったんじゃないの?
755世界@名無史さん
2018/04/01(日) 07:00:04.110
蒙古帝国まではハッキリ人種も違っていて
色目人(アラブペルシャ系)が一番上
で北人つまり北狄まじりの漢人が二番手
南人(体がちいさく猿と言われる)が最下位
アフリカ黒人も多かったという、もちろん混血なんかしない

明の朱元璋は色目人がそのまま独自勢力になると
やっかいなので異人同志の結婚を禁じた
中国人と強制的に混血させた。民族問題を解決した
毛沢東が朱元璋を偉いという理由はそこ

だから現政府もウイグルの若いむすめを都市に送り種付けする
ウイグル同化策をとってる、日本も今はそうなってるだろう
だんだんフィリピンやアジアっぽい混血が増える
756世界@名無史さん
2018/04/01(日) 07:03:22.310
ダウンロード&関連動画>>

757世界@名無史さん
2018/04/01(日) 07:11:07.270
古代日本も平安時代まではハッキリ人種や顔立ちが違い
みやこでも「あれはクマソだ」「あれは隼人だ」
「北陸のクズ国だ」「南の方のウイススキ党だ」「夷人だ」
とわかったという

平安貴族と庶民の人種が違い目は糸目で細いほうがよく
目が大きいと下品とされ
牛の目のように大きい、ギョロ目だと罵られた

鎌倉幕府が京と離れた位置におかれたのは武家政権が
まさに異人種だったからで頭骨も長い長頭タイプ

江戸時代になると徳川将軍の寵愛する月光院は
目が大きくぱっちりとした人物であると遺骨で判明してる
価値観が変わってしまったのだな
758世界@名無史さん
2018/04/01(日) 08:03:29.620
西域の地名がペルシア語だったり、楼蘭の美女が完全なコーカソイドの顔だったり
月氏やイラン系のソグドが「商人」として活動していたのは間違いない
西方で中国の絹は高く売れたし金属資源は豊富だわで大変住心地のいい土地だった
モスクワももともとは商人町で東方貿易の中継点だった
モスクワ人はデブで毛皮のコートを着て宝石をたくさん持っていたという

奴隷というのがたいへんもうかるビジネスであり、アメリカ合衆国に黒人がわざわざ船で
輸入されたのも、白人に言わせれば、ユダヤ人がウリ、キリスト教徒は買っただけだという

そもそも奴隷という風習がアラブやペルシアの気風でありユダヤ人が奴隷販路を持っていて
中東のみならず欧米に売り広めた。
ちなみにイギリス人などキリスト教徒もアラブの白人奴隷だった

ヴィクトリア期イギリスが国策として反奴隷に転換したのは、、アラブの太守がイギリス人を
どれいにし、これが国民世論の憤激をまねいたからだ(あまり知られてない)

ナポレオン戦争中は我慢していたが、戦後は勇将ペルー提督を派遣してアルジェの太守に
キリスト教徒の奴隷開放をもとめる。拒否されると戦列艦の砲撃がはじまり要塞も反撃した
ペルーは市内にいた1,000人の奴隷を解放しイギリスに凱旋、大英雄となる

この行動によりペルー提督は貴族に叙爵、姓を改めてエクスマス卿を名乗ることになる
759世界@名無史さん
2018/04/01(日) 10:02:57.660
縄文期一万年前、日本は地球でも最も人口が多かった文化地
破局噴火で西日本の縄文人壊滅7300年前
これによって大陸にとっては日本はしばらく空白の国になる

同時期の一万年まえ、シベリア巨大湖が存在し遊牧民の増大
青い目の人もイランの奥で一万年前に発生したとされる

日本土器文明は、同じく人の多いユーラシアに伝播。ようやく
6500年前にエニセイ川の穴無し魚文化、トカラ人が担い手
この文化圏はモンゴルまで広がる、漢籍に拠る赤狄だろう

ほぼ同時に6500年前はメソポタミアで青銅器がひろがる
この辺が人類の転換点
青銅文明はバクトリアの錫が必要で、アジア奥地の交易が盛んになる

4000年前位にカザフスタンで騎乗戦車が発明されアンドロ信夫文化として
周囲を征服、イラン人と言われる

世界最古の預言者といわれるザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトストラ)は
バクトリア人で3600年前の人。イラン東方で拝火教団を作り
教団は白衣をまとい、純潔を求められ白人の近親婚を教義の修行として推進した
これがインドヨーロッパの人種差別の根源となる
760世界@名無史さん
2018/04/01(日) 12:00:11.430
アンドロノヴォの連中はイラン系なんかね
まあスキタイがイラン語系だからそうなんだろうな
ただ人種的には金髪青目系と見るのは違和感あり
761世界@名無史さん
2018/04/01(日) 12:15:21.490
もしかしてイラン系=イラン人とでも思っているのか?
スキタイのミイラはいづれも金髪碧眼なんだから見た目は今の西スラブ系と変わらんかっただろ
762世界@名無史さん
2018/04/01(日) 12:55:00.750
スキタイは農民スキタイと王族スキタイにわかれる
農民スキタイは原始農民で定まった王がなく年一度の村々の殴り合いで政治を決めた
王族スキタイは遊牧民でサカやアランにちかい。強い王をもつ

農民好き隊
王族好き隊

スラブ人の祖先は農民好き隊に比定される
763世界@名無史さん
2018/04/01(日) 17:14:29.900
ローマは奴隷帝国だがローマの父祖氏族は少子化し帝政時代は殆ど絶える
なにせ「妻というものは子を産まないヤツが一番だ
子を生む妻などもらったがさいご黒い赤ん坊を産みかねない」
この冗談からローマ人の激しい少子化がわかる

殷人は羌などを捉えて奴隷にしてもセックスはしなかった
たんに労働力にして拷問して殺すのである、殺人儀式マニアだ
ローマ人が金髪ロリ娘や黒人筋肉が夢中になったが
羌族の娘だって美しかったはずだが殷代はそんな様子はない
人種によって奴隷と決まっていたので子を産ませても意味はない
まずこれは動かない

殷王は呪術師シャーマンであり神王でもある
この殷の王権というものは数氏族で交代しており
匈奴の部族長に似たものだった

殷人は巨大な青銅器でしられ、1トンもあるバケモノじみた鼎を持っていた
周にも継承されるが鼎は権威の象徴である

煮えたぎった大ナベがならんでる奥に王さまがいて
使者を煮殺すと脅すいうお話は定番だ
さいしょは多分コレで羌人を煮殺したりしたのだろう
764世界@名無史さん
2018/04/01(日) 17:42:54.420
殷は3600年前から3000年前に500年の間王権を振るっていたが
夏をほろぼし鄭州を本拠にした
鄭は殷のみやこでもあったように中国で最も文化の古い、人口密度の高い土地
三国志末期の魏晋の貴族は、ここの潁川門閥が最も格式たかい

曹操の代に平民上がりの許チョが親衛隊を指揮して信頼を受けた
身長184センチの名物男として曹仁将軍も媚びを売るほどの権勢だった
蜀をほろぼした鍾会は潁川の名門であるが
許チョのむすこの許儀が指揮下に入るや「平民上がりが」と残忍に処刑してる
おそらく、この土地の人間は身分差が厳しく激しかったものと想像される

鄭州の利点はコムギでも水稲でもとれたことで、いわゆる五穀がとれる
だから古くから大量に人が住んでも食事に不自由はなかった
殷がほろんだことで多くの殷人は豊かな地を追われて転売商売するようになった
殷帝国を商帝国ともいう。商人が各地で物売りしたので商人という言い方になる

とにかく魏晋の潁川貴族が威張っていたのはローマ時代のギリシャ人のように
犯罪的なほどお金を稼ぐのが得意で資本をたくさん持っていたためだろう
765世界@名無史さん
2018/04/04(水) 09:36:53.200
鬼方、玁狁、犬戎
766世界@名無史さん
2018/04/05(木) 05:39:31.780
ヤギは家畜の歴史は最も古いと考えられ、約1万年まえ、西アジアで始まったが
粗食によく耐え、強靭な性質から乾燥地帯で生活する人々にとって貴重な家畜となっている。
ユーラシア内陸部の遊牧民にとっては、羊に比べて乾燥に強いため中東では重要な家畜

羊はムフロンという野生動物を家畜化したと考えられアジアの高山地帯の産だという
肉が脂肪が多く美味しいため石器時代から人間は狩ってきた
同じヤギ亜科に属するヤギと違い、草だけを食べる。

ムフロン原産地から家畜化は一万年前にイランやアフガニスタンで始まったと推定される
この頃には南シベリアの巨大湖はまだ存在し、多くのヤギやヒツジをつれた
様々な人種の遊牧民がユーラシア最大の水系であるエニセイ川に向かった様が観察できたはずだ

これが遊牧民の集合集散が、ユーラシアの神経節として、東アジアやヨーロッパの辺境文化を
地球全土にひろめて科学や文化を飛躍的に進化されたとも考えられる
767世界@名無史さん
2018/04/05(木) 05:43:10.860
>>765
匈奴の源流?
768世界@名無史さん
2018/04/05(木) 05:56:45.000
キルギス人はエニセイ川中域の民であった
「日本人と兄弟」といわれるモンゴロイド的な容貌のキルギス人だが
先祖は目が青く金髪であったそうだ
匈奴突厥部の可汗もエニセイ川上流の出で、目が青かったそうだから
ほぼ同根の民族だろう

全盛期のキルギス人は匈奴を称してエニセイ川から遠征し、回鶻ウイグルをほろぼした
なぜか帝国は作らずまたエニセイ川にひっこんだ
そしてモンゴルとロシアの支配を受ける

キルギス人はスラヴ系遺伝子のR1aがおおくその父系遺伝子からして
後世にモンゴル女と混血してアジア的容貌になったと考えられる。
古すぎて調査は難しいがおそらくエニセイ川の出である匈奴突厥部、トルコ人も同じはずだ

スラヴ系父系遺伝子のR1aはカスピ海が原産ともされる、
大もとは一万年前に存在したユーラシア巨大湖の遊牧民がその原産ではないかと思う、
シベリア巨大湖は黒海に注いだとされるから
その名残のカスピ海からイランにそのような人々が残ったのではないかと
769世界@名無史さん
2018/04/05(木) 07:44:07.190
キルギス人には時々緑色の目があるね
770世界@名無史さん
2018/04/05(木) 09:28:05.250
日本人などの目は、欧米人から見るとアーモンド色に見えるらしいw
771世界@名無史さん
2018/04/05(木) 10:03:36.540
>>770
まあ、日本人の瞳も、よく見ると黒の人なんてほとんどいないからね
俺もちょっと暗めのブラウンだわ
772世界@名無史さん
2018/04/05(木) 12:21:16.380
茶色の虹彩だな
濃い茶色もあれば薄茶色もある
薄茶はヘーゼルとも言われている
773世界@名無史さん
2018/04/05(木) 13:35:43.140
フランス語ではブリュヌっていうな 髪の毛の色も ブロンドの対義語
774世界@名無史さん
2018/04/07(土) 05:50:46.660
匈奴は中国河南オルドスの族長とされてるから、厳密に言えば
突厥やらキルギスやら
かなり地理的に離れたロシアの南シベリアのエニセイ川のやつらが
匈奴がとっくに滅んだ時代に匈奴突厥部だとはほざくのはおかしい

ただし匈奴そのものも北からオルドスに侵入してきたとされ
ユーラシア最大の水系であるエニセイ川からきたと考えられる

突厥と匈奴は、もとは同じの民族であり
突厥の先祖のアシナ人は、匈奴の先祖と血縁にあると伝承にもある

ここでもしアッチラの率いるフン族がテュルク語を話し
エニセイ川からきた種族であれば、筋で言えば赤狄、高車、匈奴突厥部となる

匈奴であると名乗ってもふしぎではない。本家から見れば雑魚扱いの
辺境にすむ野蛮なシベリア匈奴だ

むしろ顔が大きくアジア人の醜男であるというアッチラはエニセイ川をでたあと
キルギス人とおなじく多くのテュルクとの混血を経てるモンゴロイドだろう
アッチラの正妻レカはテュルク系とされる
775世界@名無史さん
2018/04/07(土) 06:35:09.780
冒頓単于の住んだオルドスは西半分が月氏がすんでいた。
月氏は最も古い穴無し魚系文化の担い手トカラ系でトカラ語をはなす

中央アジア砂漠地帯ではアンドロ信夫文化の黒髪のイラン人と
穴無し魚系の金髪碧眼の白人の二種に分かれる。
古代に優勢だったのは金髪碧眼系白人で穴無し魚文化の末裔
後世になると黒髪のイラン系が優勢。楊貴妃や安禄山がソレの代表だろう

月氏はおそらく金髪で匈奴はその混血で緑目だったのではないか

殷代、3500年前に殷人が盛んに捕らえて奴隷として拷問していたのは
この当時の勢力範囲として金髪碧眼の羌族

あまりに容貌や人種が違うので奴隷にして殺すしかなかった

殷の言語系統は不明だが、こいつらも夏をころしてのったった征服王朝だ
もとをただせば匈奴の首長に近い遊牧民でありトカラ語の可能性も強い

パミールから遊牧民が沢山たえず侵入してくるので殷王としては捕らえて殺すという
極当たり前の国防策を取っていた、らしい
匈奴と月氏の対立関係がそっくりそのまま超古代にもあったのだろうか
776世界@名無史さん
2018/04/07(土) 07:03:54.470
ここでいくつかの疑問点がある
史書のいうとおりであれば、金髪碧眼の白人が古代中国に多かったのに
げんだいではまったくそうではない

これは中国の北方より、南方のほうが水利に富み、水田稲作によって
遥かに大量の食料を生産できたことだ。これによって人口ははるかに
北方より多かった。
大量の南方中国人に埋もれるということになる

遊牧民がもとより人口は少なく、北方の中原諸侯も人多くない
春秋五覇に数えられる初期の秦の穆王の軍は2万人
コメを主食とする楚は、帯甲兵士が100万とされる
777世界@名無史さん
2018/04/07(土) 07:04:09.040
オルドス西方の月氏は20万騎、このころに月氏におさえられていた
冒頓単于の手兵はせいぜい500騎という
フリーザとベジータの関係ですな
778世界@名無史さん
2018/04/07(土) 07:50:09.750
しかし古代中国の騎数はどれだけサバ読んでるのかね
昔から不思議でしゃーない
779世界@名無史さん
2018/04/07(土) 08:11:36.220
羌族はチベット系の民族で西夏・タングートと同族だぞ
金髪碧眼なわけねーだろいーかげんにしろ!
780世界@名無史さん
2018/04/07(土) 10:15:08.860
オルドスの天下統一した冒頓単于は匈奴40万騎を動かしたそうだから
オルドス西半分から甘粛に本拠を持つ月氏がその広大な支配力で
20万をもっていたとしても不思議ではない
のこりを計算すれば東胡も20万ぐらいの動員力があったとみてよい
北魏の道武帝が高車を毎年のように征伐して20万匹の家畜を得たとある

弱小であったころの匈奴は極小さかった

東胡との友好関係をベースにしてたから頭曼単于は数千人を動かせるぐらいだろうか
万人を動かせるなら大勢力、月氏や東胡ももうすこし丁重に扱ったろう
遊牧民は戦争に一度勝てばどっと周辺部族が味方につくのでたちまち10万程度になる

100人の手勢で挙兵した新田義貞がたちまち20万騎に膨らみ鎌倉幕府を滅ぼし大虐殺した
御家人新田義貞は北条執権の「御内人」の横暴に、斬った
北条も御家人であるのにその私的家臣に従うのは屈辱であったし御内人の質は悪かった
この快挙には周辺豪族の味方も大挙押してきた

匈奴の構成するモンゴロイド19氏族は、白人の月氏の横暴にあきあきしていたのだろう
781世界@名無史さん
2018/04/07(土) 11:15:23.300
>>779
後に羌族に吸収されたグループの話じゃない?
782世界@名無史さん
2018/04/07(土) 12:37:21.950
ゴビ砂漠は古来、伐壁と中国で言われた。樹木もなにもかも切り倒された壁という意味か
北緯43度という砂漠としてはたいへん北にあるが日中温度は45℃以上となる
面積は広大で130万km2、日本は37万km2であるから数倍は大きい
モンゴル国の面積は150万である。フタコブラクダはモンゴル原産である

数日間も水を飲まずに移動できるラクダは『砂漠の舟』とも呼ばれ、ほかの使役動物では
越えることのできない乾燥地域を越える場合にはほぼ唯一の輸送手段となっていた。
シルクロードのオアシス・ルートは、ラクダの利用があって初めて開拓しえた
キャラバンは何十頭ものラクダによって構成され、大航海時代までの間は東西交易の主力となってる

ラクダの改良に大変熱心であったのはやはりシルクロードの民である鳥孫、カザフ人だ
ヒトコブラクダとフタコブラクダの間には雑種ができ、カザフスタンではブフトと呼ばれる。
どちらの種よりも体格で勝るため役畜として重用される。

古代から愛用されていたのは砂漠の多いアラブ世界でイスラム教ではラクダはハラールとされているため、
肉や乳を食べる。ラクダ乳は大量に出るために遊牧民にとって大きな利用価値がある
イスラム教徒、アラビア遊牧民とは切っても切れない文化的なつながりがある

西方のヒトコブラクダは野生種が絶滅してるため原産地は不明だが6000年前にイランで家畜化された、
ちょうど人類の転換期の穴無し魚文化やメソポタミア青銅文化が営業中だ
青銅は銅と錫の合金であるため、当然ながら中央アジアの金属採掘が必要になり強力な使役動物の需要が増した

2001年には中国の奥地にて1000頭のヒトコブラクダ野生個体群が発見された。詳細は不明だが
ラクダは二種とも中国が原産である、との見方も否定できない
783世界@名無史さん
2018/04/07(土) 21:52:49.820
ラクダは北アメリカが原産
ただし弱い動物であったためか原産地では絶滅
南米とユーラシアにのみ生き延びてる

西洋歴史ではアラブのヒトコブラクダが印象つよく
西方から持ち込まれたヒトコブラクダが世界へ・・という印象になりがちだが

じっさいのところ、ラクダが繁栄したのは北米から氷河をわたり
中国ゴビ砂漠でありそこから世界各地・・というのが原点

飼いならしたのもおそらくはモンゴルの遊牧民で
ただ水が豊富な古代ではさほど重要でなく各地で砂漠化が進んで
往来ができなくなった世代でようやく大活躍することになる
784世界@名無史さん
2018/04/08(日) 00:26:23.720
西シベリアのオビ川、これはモンゴルにあり金が豊富と言われるアルタイ山脈の源流で
カザフスタンを通り北極海のオビ湾にながれこむ、流域面積ではエニセイ川に次ぐ

この河が重要なの東西に支流がおおく広がっていて、航行可能な点であり
シベリア鉄道が開通する前はオビ川などの支流で船を使って東西移動した
冬季は硬く凍結して使えない

ロシア以前は蒙古の流れのシビル・ハン国が支配した
テュルク諸語の西語群に属するバシキール人が住む
イブン=ファドラーンによれば、バシキール人は万物や天地などに神が宿り、
中でも天神(テングリ)が最高であると認識されていた。つまり日本人とおなじだ

ヴォルガ川系にあるモスクワなどのロシアがわからシベリアへの往路は、ヴォルガ川
支流を遡りウラル山脈まで行き船を降り、
ウラルを越えてオビ川支流の港へ出るのが一般的なルート。
これがモスクワ商人が古来から繁栄した隊商の道である

モスクワからモンゴルまで船旅なら一たん、ウラル山脈を徒歩で超える必要は
あるものの、船旅が大半であり、行商人はさほど苦労せず移動できた
東方の視点で見ればチンギス・カンの長子ジョチ・ウルスがロシアを征服したのも
このルートを使えば一気になしえたものだ
785世界@名無史さん
2018/04/08(日) 04:22:52.090
俺の高校の時の同級生に少し碧眼の者がいた
髪は黒く、顔は濃い方だったが概ねモンゴロイド
もちろん、ハーフではなく、純血の日本人だった

日本人は不思議だ
おそらく古モンゴロイドだった縄文人にその特徴があったせいかもしれん
786世界@名無史さん
2018/04/08(日) 04:27:16.760
>>780
冒頓の40万騎とは、富士川の合戦時の頼朝の20万騎や、楠木攻め時の阿蘇治時勢100万騎とおなじく
誇張表現だろw
787世界@名無史さん
2018/04/08(日) 07:19:59.570
ユーラシア最大の水系エニセイ川から、遊牧民のチュルク祖族が人口爆発して
これがテュルクや狄、匈奴、ツングースと混血したモンゴル、鮮卑になり
遙か後代にもエニセイ川から突厥可汗、キルギスなど英雄を出す

一万年前はエニセイ川は巨大湖だったのだから、遊牧民が群れ集まったのだが
このチュルク祖族がどこから来たか?と考えれてみれば、それは一部は日本
列島から来た縄文人ではと考える

日本の縄文期はたいへん人が多く地球でも最大の過密痴態だった
故に土器などすぐれた発明もあり先進痴態で、人口は更に増えに増えてた
このとうじ、ヨーロッパはもちろん中国朝鮮も、無人の野でわずかな穴居人がいるのみ
しかし日本は破局噴火で縄文文化は大打撃を受けて西日本は空白になる

ゲルマン民族大移動と同じだ
天変地異になれば多くの場合、野蛮人は引っ越し、他の征服をかんがえる
となれば、西日本は荒れて移動は封じられてるから北回りで人が多く集まる
豊かな水のある土地、シベリア巨大湖をめざす

7300年まえ日本の破局噴火、6500年前のエニセイ川に多くの文化が生まれてる
これは偶然ではなく先進国の日本人が大量に移り住み、文化影響を与えた

縄文人こそチュルクの先祖族だった、だから日本人は色んな大陸のふるい特徴を持つ
確実な考古学の証拠を積み重ねれば、まぁ、こうなるわけだ
788世界@名無史さん
2018/04/08(日) 07:46:56.770
>>785
いまだに目の青味は白人との混血説信じているバカが多いからね
どこかの時点でHERC2に変化が生じたと言うことだろう
789世界@名無史さん
2018/04/08(日) 08:04:48.680
遺伝子の変化が起こる、というのは膨大な時間経過もそうだが
大きな人口増加、遺伝子プールのゆらぎがなければなしえない

縄文期の日本人がいかに大きな集団だったかは
欧州白人の母系ミトコンドリアが7種類しかないのに日本はその
2倍も多いということ、つまり相当に多くの民族が太平洋全域
から集まった連合国で文化先進地帯であったと指摘する必要がある
だから日本にはいろんな顔立ちがある

ヒトの顔を個体識別するには高度な脳処理が必要でコンピューターでも
最近までは困難だった。だから人口が増えればふえるほど「変な顔」が
ふえていく、残念だが人口爆発でブサイク増加という話だな
最近は人類全体で顔の変化大きくなってるという科学データがある


一般に美人美形とされるのはその民族の平均値
刑務所の凶悪犯の顔を平均化にしたらものすごい美形になってしまった
というはなしがある。
遊牧民に美形が多いのは、人口が少ないせいだろう
人口が少なければ、顔立ちが変化もなく、美人ばかりになる
790世界@名無史さん
2018/04/08(日) 09:06:24.300
3600年前の殷・・商帝国は交易や商売の才能に長けており
また金属の加工技術も周代より精巧で高度だった
積み重ねた富があったからら超巨大青銅器がつくれたのだろう

青銅は銅とスズを要する地下金属資源の産地は偏在してる
つまり他所から買うのが入手方法となる
青銅時代ゆえに商帝国は交易国家にならざる得ない性質を持った

ところが鉄は偏在せず殆どの地域から出る
殷代からも鉄器は存在した。だが当時はサビやすいため悪金という

ヒッタイトで鋼の製法がつくられ、3200年前に「海の民」でヒッタイト
が滅亡する「前1200年のカスタロフ」がおき、ここから鋼の製法が
世界に広まる。
そして鉄器時代になると金属交易はすたれていく

なお中国では青銅剣は重く腐食しにくいことから長く使われ
戦国期はまだ、ながく保存できる青銅武器が多かった
とくに南方では鉄はたちまち錆びたから青銅は珍重された
楚が名剣の産地だった。もちろん青銅の刀である
791世界@名無史さん
2018/04/08(日) 09:37:12.100
殷人は羌をとらえて奴隷にして拷問し殺した
殷人にしてみれば羌を奴隷にして殺さなければこんどは
自分が羌に支配され奴隷にされてしまう恐怖を持った
残虐ではあるが周囲に恐怖を与えることが王の統治法だ

3月15日といえば「カエサルが殺された日」と欧米人は即答する
ローマの閥族派のスラは政敵を殺すきびしい粛清で統治した
カエサルは平民派ということでスラに追われた経験があるので
勝利した後も「寛大」を掲げ敵を追放しない政策を取る
この寛大政策によりカエサルは暗殺された。

2500年前、孔子の教団は「仁」を最も重要な教えとして掲げる

他人を思いやる心である。言い換えると当時の中国では
自分以外は人として認めていない。ここが画期的であった
巧言令色仁なし、という。
りっぱで美しい口先のうまい奴はかならずサイコパスで非情である

周の貴族は陝西の出であり、革服を着てた犬戎だから残忍にきまってる
これは遊牧民の王の資格でもある。これが当時の立派な人

孔子は「文明人はこれではいけない、他人のことも考えよう」、と仁を唱えた
カエサルの寛大精神と同じだ。大甘である。もちろんうまくいくはずがない

弟子の子貢は「先生はどこでも誰にでも学ばれた。誰か特定の師に
ついて学問されたのではない、あえていえば民衆から学ぶ」
という。孔子教団は爆発的増えて3000人の弟子を数えた
792世界@名無史さん
2018/04/08(日) 16:00:42.500
>>787
実際Y染色体ハプログループでみると日本とか東アジア近辺で発生した系統が中央アジアまで行ってるのがあるんだよなあ
793世界@名無史さん
2018/04/12(木) 01:00:09.070
匈奴だって最大版図が満州どころか日本海沿岸まであったのなら
可能性はないか?
794世界@名無史さん
2018/04/14(土) 22:34:29.010
クリミア・ハン国のタタールたちはしばしばモスクワ大公国に攻め込み、農地を焼き払い、
人をどれいにするため連れ去った。
このためにクリミアの都市は商品となる白人奴隷で溢れかえった
モスクワ大公国は捕虜となった人々を奴隷身分から買い戻すため
ジョチ・ウルスとして貢納を課すクリミア・ハン国の要求に応えねばならなかった。

奴隷貿易はひどいね、戦国日本でもそうとう奴隷狩りがあったらしい
羌奴をぶっ殺す殷王はえらい
795世界@名無史さん
2018/04/15(日) 06:39:38.370
>>794
なるほど、その逸話で合点がいった
実はトルコ史をかじったとき、インスタンブールの奴隷市場が活況を呈し、
そのとき売買されていたのが白人奴隷とあって、ん? 白人?・・・・だった

そうか、スラブ人が中近東に売られたのか
だから、中近東でもたまに金髪の人が今でも見かけるんだな
796世界@名無史さん
2018/04/15(日) 08:21:17.650
あとは聖地巡礼に向かう仏人とか

マホメット時代では白人奴隷は安物だったらしく
コーランには青い目の女を薄暗い部屋で見せ弁舌巧みに
黒い瞳の女と偽り、高値で売る悪徳商人を戒めてる
797世界@名無史さん
2018/04/15(日) 09:03:28.310
ローマ教皇クレメンスはイタリアで名門とされるメディチ家の人だが
サンタンジェロ城に親族の子をふたりつれていた
ひとりは元気な美少女でカトリーヌ・メデイシス、のちのフランス王妃である

もうひとりは陰気な甥のアレッサンドロ・イル・モーロ、黒人といわれる
肌の色は黒人で、その顔はまさにアジア人で目は小さく鼻は広がる
じつはローマ教皇の隠し子であった。アジア人奴隷から生まれたと伝えられ
時代的には応仁の乱のあとの戦国日本からきた奴隷という可能性もある

結婚できないローマ法王の隠し子が「甥」となってローマで権勢を振るう
甥アレッサンドロを溺愛する教皇クレメンスは周囲の当惑をきにせず
大国フレンツェを領地としてあたえ、アレッサンドロ大公となる
カトリーヌはフランス王家に送り込む。有名なメディチ法王である

アレッサンドロは強姦が趣味でイタリア娘を犯しまくったため嫌悪され
第219代ローマ教皇クレメンスが死んだ後、メディチ家の同族
ロレンツィーノ(ロレンザッチョ)によって刺殺された
かれは悪の暴君から人類をまもるために殺したと述べてる
798世界@名無史さん
2018/04/15(日) 11:24:26.140
>>796
>コーランには青い目の女を薄暗い部屋で見せ弁舌巧みに
>黒い瞳の女と偽り、高値で売る悪徳商人を戒めてる

ソースをお願い
799世界@名無史さん
2018/04/15(日) 23:23:24.280
アレキサンダー大王はイラン東部のソグディアナ地方で進撃を停止
死を恐れぬ東イラン、ソグド人のはげしい抵抗と
重装甲の遊牧民のサカの襲撃は、アレキサンダー大王の計算外だ

なおソグディアナ攻防戦後にこの地方の有力者、オクシュアルテスの娘ロクサネを妃とした
ロクサネは、バクトリアの王女で、16歳。アヴェスター語で「輝く美しさ」という意味である。
美人であったらしくこれは文献にのこされるが遊牧民の女は美しいが大抵トラブルの禍根になる

大王の母国マケドニアはそもそも野蛮な遊牧民の国であり
ヘーラクレースの血を引くと称したものの都市を形成せず、一夫多妻制を取るなど、
ギリシアの他の地域とは違う制度を有していた。ペルシア戦争中も親ギリシア的な姿勢を崩さず
父フィリッポス2世はギリシア化を押し進めアリストテレスを招いて、王子(のちの大王)の「家庭教師」とした

フィリッポス2世は状況を打開すべく野蛮な遊牧民エペイロス王ネオプトレモス1世の娘オリュンピアス
をめとり間に1男1女をもうけた。オリュンピアスは野蛮人にふさわしく淫乱で権勢欲が強く
フィリッポス2世をころしアレキサンダーを王位につけたとされる。またアレキサンダ-も母を崇拝した
800世界@名無史さん
2018/04/15(日) 23:41:54.350
質素な遊牧生活を営んでいたマケドニア人は強兵でありアレキサンダー大王も
常に最前線で勇士でしばしば重傷を負う、兵士の人気は絶大であった。
ヘテロクロミアで片目は青で片目は茶であったとされる

ロクサネは野蛮人のバクトリア女に相応しく大王の死後、ほかの王妃
ペルシア王女を殺害という蛮行を行いオリュンピアスの保護に入る

母を崇拝するアレキサンダー大王もロクサネのような野蛮な遊牧女は
あるいは好みだったのかも知れぬ
801世界@名無史さん
2018/04/16(月) 09:40:13.510
>>799
バクトリアと大月氏の関係が知りたい  比定できないのか
802世界@名無史さん
2018/04/18(水) 16:19:41.370
千の都市のバクトリア、七千人の貴族がいるバクトリアという
コの字型に山に囲まれ、古代から豊かな文明地で、中国でいうと長安に匹敵するだろう
コーエーの三国志だと武将が長安とればだいたい勝てる

アレキサンダー大王はバクトリア征服で、困難を極めたが、これはバクトリア北部が
オクサス文明というふるいアーリア人の土地なのと、バクトリアはゾロアスター生誕中心地で
信徒が外敵に極めて強固だったと指摘する。信長の本願寺と同じだ

バクトリアの由来はバクトラという巨大都市があったためだという。
現在はないがバクトラに推定された巨大な城は、多くの宗教遺物が見つかる
むしろ婚姻コントロールにより白人を生み出す人種型の宗教国家と見るのが妥当だろう
クローン人間、美しい幼女を養殖し、そして貴族や王に献上して、血縁として操縦を図る

アレキサンダーは、「輝く美しさ」ロクサネ16歳に一目惚れして現地宗教にとりこまれる
家臣も自慢してペルシァ女を結婚するように勧め、これまた宗教臭い合同結婚式を挙げる

大王はバクトリアに新都市アレキサンドリア建設し、歩兵と騎兵からなる重武装の軍2万を置く
強固な占領軍とされるが、東方が崩れてはまずいと植民地化に腰をすえる
だが多くのギリシア人は「僻地に捨てられた」と激怒して大王の死後は本国に帰ると騒ぎだす
803世界@名無史さん
2018/04/18(水) 16:54:56.070
大王の戦闘によれば、サカ族は大王を嘲弄し罵倒してなんとか陣から引っ張り出そうとした
アレキサンダーは激怒して蛮族をおいかける
そこでサカは「パルティアショット」の作法で騎馬で逃げながら遊牧民の強弓を浴びせる

しかし大王は秘策があり、別働隊を隠し、背後に迂回させて伏兵をおき、包囲してサカをやぶった
これが事実だとすればハンニバルのトラシメヌス湖畔の戦いによくにてる

カルタゴが考案したとされる騎兵包囲は、ハンニバルがアレキサンダーの歴史を調べていた事実
さらに当時では、失われた大王の回想録が残り、そこからヒントを得たとされる

アレキサンダーはイッソスの戦いでは自身でペルシャの不死隊に斬り込んで勝ってるが
ただの戦場の流れの読みがうまい男で、理論として包囲戦術をとったかはどうかはあきらかではない

ただ後期ソグディアナで逃げるサカにそのような着想はえており、テストしたこともあるだろうが多分失敗した
問題は理論ではなく、ハンニバルの兵がそれを完全に使いこなしたことで常勝軍となった

また後ではローマの将兵も完全に包囲戦術ができるようになり、皮肉なことにハンニバルを破った後
アレキサンダー血縁のマケドニア東方国家群をやぶり、地中海ローマ帝国ができる
804世界@名無史さん
2018/04/18(水) 17:18:30.800
バクトリアは古代アーリア文明の中心とされておりオクサス文明は
インダス文明とほぼ同時代に高度の都市文化を発展させたことから「第五の古代文明」とされ
これは西側ではあまり知られなかった、ソ連崩壊後ようやく世界的にその研究が知られる

カザフスタンのアンドロ信夫文化とも関係が指摘される
4000年前だからすでに青銅器にはいっており、バクトリアの錫や青い石、鉱物をかんがえれば
東の内陸だろうがオリエントの民はここまで交易をせざる得ないので繁栄は当然と言える

またアンドロノヴォ文化が原アーリア文化であれば、これがオクサス文明を滅亡させたと想像される
住民は灌漑により小麦・大麦などの栽培を行っていたから地力もあった
大量の灰あるいはケシや麻黄が発見された宮殿の部屋をアーリア人の拝火儀式、ソーマ(ハオマ)儀式の証拠であるとする
805世界@名無史さん
2018/04/18(水) 17:32:01.450
バクトリアちほーはキュロス大王のアケメネス朝ペルシア征服の後
ペルシア世界帝国の12州の末尾にくわえられた

バクトリア州の貢税はオリエント中心最高に栄えたアッシリア州の
4割であったとされ、その地理からして内陸の遠隔地でありながら
経済的にも異様に豊かであったことが察せられ
キュロスの王子がサトラップに任命されたのも異例であった

アレキサンダー後、セレコウス朝からサトラップ自立してグレコバクトリア
になったためギリシャ系の最東端王国として栄える

そのご、インド征服にあいたすきに吐火羅人が攻め込み、ほろぼす
そして以後の西洋史では消えるが、匈奴に追われた大ユージ氏が
バクトリア地方をかんぜんに征服

女王がおさめると伝えられ、月氏とギリシア人の混血して商売に長けており
農耕生産もゆたかで漢の使者に「かつて先祖は匈奴にカナンの地は追われた
げんざい支配するバクトリアは比類もなく豊かで匈奴には興味もなく復讐しない」と明言した
806世界@名無史さん
2018/04/18(水) 18:01:16.190
アレキサンダーが入植されたギリシア人はこの頃には数がよほど減少し消滅

大月氏は商人で戦を恐れ吐火羅人は武の民で10万の軍を持つともいわれるのだが
吐火羅人はペルシア人と同義であるという
月氏はつねにバザールを開いて各地の特産品を売買していたと思われる

大月氏がおいた五候のうちクシャーナ候が勢力を拡大安息(パルティア)からアフガニスタンのカブールを奪い
インドを征服してクシャーナ朝としてさかえる、
月氏なのかは不明であるが、クシャーナ朝がイラン系バクトリア語を話していたことは明らかとなっている

しかし、クシャーナ朝はカニシカ1世以後しだいに衰えササーン朝に屈する
今度は北東の遊牧民エフタルの圧力が増大し、5世紀にはエフタルに滅ぼされた。

エフタルは謎の民族で遊牧民で匈奴とも言われる。サーサーン朝をもやぶったエフタルだったが
エニセイ川からおこった突厥可汗はサーサーン朝と共闘でエフタルを滅ぼした。

イスラーム勢力によって征服されたバクトリアはブハラハン国となりロシアと対決
トカラ系月氏の末裔とされるタジク人は、親日反露であり、若者をドイツ帝国のベルリンに留学させた
そこで東方に明るく日露戦争の勝利をしったタジク人は明治維新に学べと運動を起こす
大国トルコは国父アタチュルクのもと大改革に乗り出すがそもそもトルコは日本に無関心だった

中央アジアのスタン系の国は例外なく親日だが
そもそも東方に明るいタジク人(月氏)が「日本に学ぼう」といいだしたのがトルコ近代化の契機であったとされる
807世界@名無史さん
2018/04/19(木) 07:33:59.480
>>804
オクサナ文明の解明よろ
808世界@名無史さん
2018/04/19(木) 11:09:59.350
しっし単于の西匈奴軍に、アレクやギリシャ、ローマ風の軍隊もいたというから
残党というか末裔も一部は合流したのかな
809世界@名無史さん
2018/04/19(木) 19:27:01.830
甘粛の永昌県に金髪碧眼のムラがあってローマ軍団の生き残りと称してる

クラッススの軍団がパルティアに破れた戦で、1万のローマ戦士が捕虜となり
バクトリアの東縁の防衛に配置される
彼らが西匈奴の軍として漢軍と戦い、西域都督に捕虜として連行されたという
810世界@名無史さん
2018/04/19(木) 21:59:15.220
>>809
金髪ではないけど確かに碧眼
811世界@名無史さん
2018/04/20(金) 06:44:34.240
匈奴にくらべて西方の月氏は弱いのは商人であり武人ではないと考えれば説明がつく
月氏はお金持ちだった。貧しい匈奴と戦えば大損だから、豊かな西方に逃げる

それにペルシア西域は異人種の交差点だから珍しい人種はいくらでも採掘できる
ゆたかなイランやバビロニアの都市に、ロシア人やインド人やモンゴル人など
異人種を奴隷として売りつけるという最大のビジネスがある
とんでもない僻地だが
この奴隷交易の大儲けを考えれば商人にはたまらない魅力がある
812世界@名無史さん
2018/04/20(金) 09:11:16.370
文明化・裕福化すると質実剛健を失って弱くなっちゃうのは当時のデフォだな
813世界@名無史さん
2018/04/20(金) 14:45:18.710
匈奴もオルドスにいて秦や趙のすぐ近くだから
真っ先に絹とかを入手出来る位置にいたから
武人であると同時に商人だったはず
814世界@名無史さん
2018/04/20(金) 16:43:36.400
っていうか和親政策期は漢と平和裏に交易してたんでしょ?
815世界@名無史さん
2018/04/20(金) 18:20:35.760
>>811
時系列無茶苦茶だな
月氏が現れるとうの昔にバビロニアは滅んでいるしモンゴル人はまだ形成されていない
スラヴ人がヴォルガ川以東に進出するのはイェルマーク以後だ
816世界@名無史さん
2018/04/20(金) 18:28:31.610
>>811
月氏は、頭曼が冒頓を人質に差し出したころ
すなわちまだキレン山脈付近にいたころは、匈奴とほとんど同習俗の騎兵ばかりの質実剛健騎馬民族であり
冒頓や老上に蹴散らされて西の肥沃なソグディアナに大移動してから、半定住化して、
元来の気風を失ったんじゃないか
817世界@名無史さん
2018/04/20(金) 20:12:15.390
月氏はおそらく従属部族の匈奴を使嗾して東胡や中原の都市など襲わせて
人をさらい、商品として売り払う生計を建てていたと想像される
もちろん扱う品物は絹でも地下鉱物でも何でもござれ

月氏の女性は地位高い。それはそうだ。生活がゆたかになれば女性の地位が高まる
古代ローマでもカルタゴをやぶったとたん女が威張り始めたと大カトーがなげいてる
ハンニバルと決戦したときは女は金銀宝石を差し出し神殿を掃いた、
ゆえにカルタゴは闘うべし、カルタゴ滅ぶべしと

それに白人ゲルマーン人やガリア人はもともと女性の地位が高い
体格が大きいのと、とにかく気が強く大声を上げる
ゲルマン人はSEXするのに暴れる女性を組み伏せる必要があったとされ
女性が常に対抗するので男は傷だらけになったという
現在でもゲルマン女性はその際にライオンのような吠え声を上げるという

金髪碧眼の月氏を。嫁にもらった匈奴の族長も同じようにたいへんだったと想像される
地位は匈奴族長よりも月氏ヨメのほうが上なのだよ?
818世界@名無史さん
2018/04/20(金) 20:51:45.580
張騫がトランス億市穴で会った月氏の王は実は女王だったんだっけか
あまり知られてないみたいだが
819世界@名無史さん
2018/04/20(金) 21:19:08.630
日本も古代は女系貴族制度で公卿は女の家に通った
日を崇める巫女、日巫女が初代皇帝だしな

マッサゲタイ女王も日を崇める巫女だし
中央ユーラシア古代ではウコクの王女や楼蘭の美女も、
民の尊敬を受ける巫女ではないかといわれる
820世界@名無史さん
2018/04/20(金) 21:39:05.330
アッチラ大王が頭が大きく目が小さくカルムイク風の醜男ぶりだったというが
モンゴロイドのフン族は、あえて白人のすむ欧州をめざした

フン族の欧州征服は白人の奴隷狩り
日本の戦国大名がよくやった人刈り、乱取りだったとすればわかりやすい
アラブ人や白人が黒人奴隷を好んだように、異人種の奴隷のほうが
使いやすい。主人とどれいの身分が一目瞭然である

エニセイ川のフン族は白人の奴隷を獲得するべく欧州に進撃した
鼻が高く目が緑の匈奴や、赤ら顔で目が青いという突厥は、
中国人の奴隷をもとめて東進した

異人種をどれいにするのが支配構造だった
821世界@名無史さん
2018/04/20(金) 21:55:31.690
アッチラの頃にカルムイクなんて影も形もなかったんだけど一体何ソースでそんな文章書いたのさ?
822世界@名無史さん
2018/04/20(金) 22:08:07.360
人種や肌の色は関係ない。
英語のslave(奴隷)の語源は東欧のスラブ人でしょが。
823世界@名無史さん
2018/04/21(土) 00:23:40.920
アラブ人の言う「白人」ってのは黒人以外の人種を指す言葉だぞ
824世界@名無史さん
2018/04/21(土) 01:05:12.170
>>818
大月氏が女王だったのは彼女の夫が戦死したからでは?
月氏の王は冒頓単于に殺されてその頭蓋は杯にされた
大月氏の女王は月氏王の妃か娘なのでは?
825世界@名無史さん
2018/04/21(土) 03:40:48.240
大月氏が匈奴を同じ遊牧民であることは間違いない
サカ族やアラン族も白人ながら馬車で移動と匈奴と同じ生活していた
月氏がほろんだあとバクトリア地方を支配したエフタルは
天幕を張って、季節ごとに移動するという風習でした

恐らく支配者の月氏もまったくおんなじ生活だったんじゃないかな

バクトリアは石造りの都市や城があるから王が住まないのは変でもあるが
遊牧民の首長が先祖の風習生活を守らないと遊牧民王ではなり得なくなり
部下も反発してしまう。北魏の漢化闘争とおなじで一気に文明化はしない

ピョートル大帝の娘のエリザベータ大帝は、無知蒙昧で放埒な美人だったとされるが
「表面は西洋人を装ってるが頭の中身はまったく大昔のスキタイ人で無知蒙昧
遊牧民と同じように季節ごとに移動し、おおぜいの家臣も付いていく」
という記録がある。
月氏の女王もスキタイ女王と同じように血で擁立され、気分のまま振る舞ったと思う
826世界@名無史さん
2018/04/21(土) 04:32:57.730
現在のモンゴル人は魚は食わない
モンゴルで大きな魚がいるので日本人が釣り上げても現地人は身震いして
誰ひとり食べず、のこりを犬にやっても犬すら顔をそむけるという
日本にきたモンゴル人は魚は神様の使いだから食わないのだといい
モンゴル関取はちゃんこに魚肉が入ってるので泣きながら喰った

匈奴の衰退は東胡の子孫である烏桓の襲撃にはじまる
後漢、匈奴は蝗の襲来で食うものがなくなり住民の大半が死に絶えた
遊牧民のソウルフードがラグメンという焼きウドンだから、匈奴も農耕に頼っていただろう

しかし、烏桓と鮮卑は、匈奴に土地家畜をとられていた貧乏部族のくせに
人口を飛躍的に増し荒らし回る
鮮卑大人で勢力を増した檀石槐は倭人を千家さらい魚のとり方を教わる
檀石槐はかつて殺害された東胡王の領土はほとんど取り返した。350年ぶりの復讐である。

チンギス・カンは父イエスゲイの死後、土地家畜を奪われ母ホエルンの指導で沼地にいき
モンゴル人が食わない魚を食べる。この苦労で大成するという
しかしチンギス一族は例外的に魚を食う。人口の少ない遊牧民で魚を食い家族を養う
というのが母ホエルンの勝利であり、これはまったく檀石槐と同じである
827世界@名無史さん
2018/04/21(土) 13:20:00.740
脳内妄想が過ぎるヤツがいるな(笑)
828世界@名無史さん
2018/04/22(日) 04:01:47.140
このスレに延々と書き込まれている内容について
どこまでが既成事実で、
どこから個人の想像・妄想なのか?
訳が分からん
829世界@名無史さん
2018/04/22(日) 10:26:31.340
古代エジプト人はコムギのパンと大麦からビールを作ってのんでいた
ナイル川の魚も食べた。魚を香草で煮込む料理だった。レタスも栽培した
現在エジプト人も魚が大好きだがティラピアと言ってまずい魚を食べる

メソポタミアの地は塩害から大麦栽培が主流であった。
バビロン空中庭園は悪の象徴とされるが発掘から巨大な立方体の食料貯蔵庫で
ここで民にパンやら油を配給したことが判明した。で
そのビルのうえに庭園を作ったに過ぎないらしい。高度な行政サービスだったわけだ

アリストテレスによればバビロンはあまりに巨大な都市で征服されたことを3日たっても
街の人はわからなかったという。アレキサンダーは崩壊したバベルの塔を見て「作り直す」
と正義マンらしくカッコつけたがあまりに多大な費用を要するので諦める

ローマ人はもっぱら豆や海産物を喰っていた。ガルムや胡椒など調味料は多く
イワシの香草焼き、マッシュルーム料理、アスパラガスのグラタン、豆のスープが主食
庶民食としてブルスというはちみつで煮た大麦粥が愛された。
日本だと大麦を混ぜた麦飯はくさい飯などと嫌われるが甘くすればいけるようで
ただ牛は貴重な動物とし食べない。帝政期にはビーフステーキが美味しく食された
830世界@名無史さん
2018/04/22(日) 10:29:30.270
ペルシア(イラン)料理は中東のほか、ローマ帝国の影響も受けてるとされ
とにかく豪壮な宮廷料理で知られる。客人をもてなすときは、宝石や貴金属の大皿をならべ
多くの料理人や給仕を動員し、山のように多種多様の珍味をもりつける
イラン民族の習慣のため貧乏人でも、客には大皿を出して料理を盛り付ける気風がある

ところがイラン人は料理の見栄えはこだわるが、料理の工夫や味にはまったく無頓着とされる
イギリス料理がそうだが食うのが目的ではなく、社交場、愉しい時間と捉えるようである

かつて楚王は晋の公子重耳が亡命したとき「周王のごとくもてなせ」と命令した
天子は100皿の料理がなくてはならぬぞ、と付け加える、楚人は仰天した
周王は陝西の出である。中国南方には無い風習のようだから
おそらく西域人の習慣から、このようなムダに豪勢な中華料理が形成されたと思われる

イラン料理は熱い肉料理、冷製の肉料理など多種、これも中国に共通

肉を煮込んだシチューがこのまれ、牛肉は6時間煮込むといういいつたえがある
スーペ・ジョウ(大麦かゆ)のほか、イランの多くの乾燥地帯ではナンが主食である。

ただしカスピ沿岸のヒュルカニアでは古来より水田風景が広がり長米種が主食
コメ食は流通の整備で最近イラン全土に急激に広がる
要するに、イラン大帝国だけに日本のようにコメでもパンでも無いものはない

西方は宮廷文化がゆたかで、金持ちの月氏が、馬乳をのんで馬肉を食う匈奴を半蛮族と思っても
致し方ないのです
831世界@名無史さん
2018/04/23(月) 02:01:12.520
とても勉強になります
異民族と聞いてもどんな顔なのかイメージがつきにくいのを現代の国名や民族を語ってくれているので雰囲気を想像できて楽しいです
三國志でいうと烏丸や鮮卑、西羌、大月氏など
チンギスや元、西夏、西遼、ホラズム、ハンガリーなども
それらがこのスレだと雰囲気がわかって
832世界@名無史さん
2018/04/23(月) 02:03:19.720
どんな目で風貌やらなにをしただとかとても噛み砕いて教えてくださりありがとうございます
833世界@名無史さん
2018/04/23(月) 02:44:39.140
アレキサンダー大王は母オリュンピアスが父フィリッポス大王を暗殺し即位した
すでに将軍パルメニオンをアジアに進撃しペルシア攻撃の体制を整えてた
アレキサンダーはすぐ外征をはじめる
織田信長が激怒したとき老臣佐久間がなだめたが「貴様が何をしたというのか」
とさらに激怒して追放した。先代からの老臣は煙たかったようである

「そうしよう、もしわたしがパルメニオンならば」
ペルシアとの和議を欲するパルメニオンと、英雄アキウレスをきどるアレキサンダー
は対立する。帝国大元帥パルメニオンからすれば幼稚としか思えなかったがつねに
左翼を指揮して大王の鉄床戦術を忠実に支える

ペルシアを永久に征服するには…半端な和議はできない
大国バクトリアの太守を放置はできない。東方ソグディアナで遊牧民のサカ族を
破っておかねば東イランの長い保持も出来ない、

マケドニアを考えればペルシア軍を破り適当なところで最大の利益を得て和議する
パルメニオンさんが軍人として優秀だ。そんなことは大王もわかっていた
やがて帝国が広がるとアレキサンダーは「マケドニア軍筆頭」パルメニオンを処刑する
834世界@名無史さん
2018/04/23(月) 03:05:45.280
現在のバクトリアではタジク人が多くいる

タージークがバクトリア人やサカ、吐火羅人、月氏の末裔とされる
このへんはコーカソイドとモンゴロイドの混血だがタジクはややコーカソイド主体

ソ連はイラン東部のバクトリアを警戒した
バクトリアの大都市、サマルカンドは英雄ティムールをだし帝国を築いてる

そこでタジキスタンはごく東部の山あいの小国とした、
サマルカンドなどタジク人の大都市は、ウズベクの支配するウズベキスタンに
いれるという民族不和のたねをまく
小国タジキスタンはまずしく、800万のうち、100万人はロシアに出稼ぎにいってる
男のほとんどは労働者として送金しており若い女だらけだという

バクトリアは現在もいろいろワケありの土地だね
835世界@名無史さん
2018/04/23(月) 03:31:27.100
トルコ的にはエフタル=白匈奴で、冒頓単于と同じ先祖となるんだっけか
バクトリアはアレキサンダー大王→グレコバクトリア→月氏→白匈奴エフタル→突厥
に支配されたから、このスレの民族のオールスター勢揃いで征服されてる
836世界@名無史さん
2018/04/23(月) 06:39:45.700
>>831
僕も、このスレ来るまでは犬戎を犬だとばかり思ってましたよ(笑)
837世界@名無史さん
2018/04/23(月) 22:31:11.440
ガンファン(羊丼)

カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、中国・ウイグルなど、中央アジアに広く分布する。
サイコロ大に切った赤ピーマン、タマネギ、ニンジン、セロリ、羊肉と細切りしたトウガラシを
鍋で炒め火を通す、その後水を加え1時間〜2時間位じっくりと煮る、
灰汁を取りつつ煮立ったらホールトマトを適量入れ塩と胡椒で味を整える。
火を止めたら仕上げにディルやコリアンダー(香菜)などの香草を入れて
このスープはご飯にのせると、中央アジア風牛丼(羊丼)の「ガンファン」になる。

美味そう。でも当時は米の入手がな・・・江南は遠すぎだからイラン北部のヒュルカニアからの交易品だろうか
838世界@名無史さん
2018/04/23(月) 23:41:03.310
うまそう
ロマンというか悠久の歴史というのかワクワクが止まらない
839世界@名無史さん
2018/04/24(火) 00:10:58.180
シュメール人は玉ネギ、きゅうり、キャベツ、レタスなどをたべ
やはり多種多様の肉のシチューを好んだようで
大麦ビールを飲み、甘いはちみつのケーキを焼いて喰い、
砂漠の遊牧民を「食を知らぬ」と軽蔑した
840世界@名無史さん
2018/04/24(火) 09:24:04.950
犬戎がチベット系って可能性あるのかね?wikiにあったが トルコ系なんじゃないかと思うけど
841世界@名無史さん
2018/04/24(火) 15:47:02.160
>>833
アレクサンドロス大王はダレイオス三世と対戦した時は4万前後の兵を率いていたけど
インドに攻め込んだ時には10万もの大軍を率いていたとされる
アレクサンドロス大王はロクサネとの結婚で彼女の父オクシュアルテスらの配下の
バクトリアやソグドとサカなどイラン兵で大幅に戦力を増強したようだ
アレクはイラン兵でフィリッポス2世とパルメニオンが育て上げたマケドニア兵を牽制した

アレクと類似の例ではアケメネス朝のキュロス2世がマッサゲタイの女王トミュリスと
結婚しようとしたがこれは実現しなかった
ホラズム・シャー朝のテキシュはカンクリ族のテルケン・ハトンとの結婚で戦力を増強し
ホラズム・シャー朝は帝国化に成功したけど彼の死後テルケン・ハトンの専横により
ホラズム・シャー朝は滅亡する事になる
842世界@名無史さん
2018/04/24(火) 17:42:23.130
だからロクサネとの結婚は半分政略だろう
843世界@名無史さん
2018/04/24(火) 23:14:35.480
王昭君や江都公主さんのこともたまには思い出してやってください
844世界@名無史さん
2018/04/25(水) 07:53:38.760
ロクサネも最後はギリシャで息子とともに殺害されているから
波乱の人生とは言えるね
845世界@名無史さん
2018/04/25(水) 15:30:05.600
匈奴は日本のルーツの突厥の前身で白人の中の白人だったね。
846世界@名無史さん
2018/04/25(水) 15:56:40.550
アレクサンドロス大王はダレイオス3世の娘スタテイラと
オクシュアルテスの娘ロクサネと結婚したけど
ヘファイスティオンもスタテイラの妹ドリュペティスと
ロクサネの妹アマストリネと結婚した
ヘファイスティオンが死ぬとスタテイラとロクサネは
アレクサンドロス大王にとって用済みとなったようだ
アレクの死後スタテイラとドリュペティスの姉妹は
ロクサネに殺されてしまった

セレウコス朝初代セレウコス1世はマケドニア版徳川家康
セレウコス1世はスピタメネスの娘アパメと結婚したけど
彼はアパメと離縁せずセレウコス朝はスピタメネスの末裔となった
847世界@名無史さん
2018/04/25(水) 16:49:01.930
突厥は匈奴の別種で・・・が初出なの?
848世界@名無史さん
2018/04/25(水) 17:45:41.260
ダレイオス三世の娘たちも波乱の人生だな
849世界@名無史さん
2018/04/26(木) 10:39:48.670
大王は牛丼を食ったのか?
850世界@名無史さん
2018/04/26(木) 11:53:06.900
なんで牛丼なんだよwwwww
851世界@名無史さん
2018/04/26(木) 20:10:12.040
古代ギリシア人は遊牧民由来のため肉、とくに豚をこのみ、魚をさげすんだが
のちには魚の塩焼きを好んで食した
ギリシャ半島は土地がせまいため耕作に適さず交易で麦を手に入れ
大麦の粥なども食べるようになりやがてエジプト人から教わったパン作りに精を出す

マケドニア首都ペラは北緯40度だから、オルドスや北京、日本でいうと秋田県小阿仁村
や岩手県岩手町・・草も生えない北の地で農業に適さない
このあたりは遊牧民が強盛の土地なので大王は、おそらく羊肉を好んだと思える

ソクラテスによればギリシアのスポーツマンや闘士は牛肉を喰ったらしいので
豪傑英雄を気取る大王が、体力つくりで牛肉をこのんで食べていても不思議ではない

しかしマケドニアはコメが取れる土地ではなく、イランまで東征すれば
ヒュルカニアで米が取れる
妻ロクサネの自慢料理に羊丼や牛丼が並んでてもおかしくない

というわけでアレキサンダー大王は
牛丼好きだった!という結論でおわる
852世界@名無史さん
2018/04/28(土) 07:39:00.210
ロシア古儀式派の高僧アヴァクームは、総主教ニコンの取り決めた儀式に従わない反抗者として
最北端の、北極海に面した要塞プストブルクに移住されられた。
ここは丸太を組合わせた木造の教会があるきりで最も寂しい土地だった
北緯67度という極限のため、プストブルクはサモエド族に頻繁に襲われる
村は人口は次第に減っていき40人になり第二次大戦では19人が徴兵され戦死した
そのご、人は離れて廃村となったが丸太の教会は考古学的に重要とされる

高僧アヴァクームは15年間北極海に幽閉されたが節を曲げず、彼を英雄視する古儀式派がひろまった
ツアーリは彼を捕らえて火刑に処した
古儀式派への拷問や処刑など弾圧はきびしくなり、古儀式派の人はドイツやアメリカや日本に移住した

北極海に住むサモエード人はモンゴロイド。人口は4万とされる
ウラル系Y染色体ハプログループNが97%であり、8000年前の中国の遼河文明でもこの遺伝子
が6割と支配的であった。現在でも遺伝子はフィン人が6割、バルト人が4割、ロシア人も2割もっており
北欧人において、ハプログループNとの血縁は薄くない
モンゴロイド遊牧民が、南下して農耕スキタイ人を強姦しまくったのだろうか。
853世界@名無史さん
2018/04/28(土) 12:08:20.500
その割にフィン人もバルト人も色白金髪
もう少しモンゴロイド的要素があっても良さそうだが・・・
854世界@名無史さん
2018/04/28(土) 13:15:06.810
北欧の原住民サーミ人は顔は白肌で目はグリーンだがモンゴロイド
Y染色体ハプロNは50パーセントにたっした

トナカイ遊牧で生計を立てるサーミ人はスェーデン帝国では厳しい人頭税など課されれるが何とか生きてた

しかし北欧にロシア帝国が台頭するにつれて水使用権など基本人権は剥奪され
サーミ人はフインランドやスェーデンに移る
フェルトの服をきるが被差別民サーミ人であることを告白するにひとしく、この勇気を持つものはなく、すたれる

サーミ人はサーミ人の信仰は、森羅万象に宿る様々な精霊を対象とした精霊信仰た
ノアイデと呼ばれる巫女、シャーマンと崇拝。ほとんど、古代日本と卑弥呼

ローマ時代のタキトウースのゲルマーニアにスカンジナビアに女王があることは
驚きを持ってしるされ
これが北欧イギリスの女王制度の源流では、ある
855世界@名無史さん
2018/04/30(月) 03:14:45.970
今、嫌儲板で鎌倉武士300VSスパルタ兵300スレがあります
時代も違う架空戦記スレですがこのスレの皆様暇でしたらご意見よろしくお願いします
板のスレの新陳代謝が早いのでDAT落ちや完走等で流れてしまいましたらごめんなさい
またスレ違いすいません
このスレで弓騎兵の強さを学びましたが集団のイメージが薄い鎌倉武士で、というのが面白くここの住人の皆様のご意見聞いてみたいなと
856世界@名無史さん
2018/04/30(月) 21:18:32.350
単純化すれば

・スパルタのレオニダス王は300人親衛兵とともに、クセルクセス王ひきいる200万のペルシア軍に首をはねられる
・クシャーン帝国(月氏)のカニシカ大帝はパルティア人を9億人殺す
・匈奴は40万の大軍で月氏を「最終解決し」オルドスから抹殺。月氏王の頭蓋で髑髏杯をつくる
・匈奴の末裔は東胡王の末裔烏桓におそわれ、鮮卑(モンゴル)にほろぼされる
・モンゴルのさしむけた大軍を鎌倉武士にたたきつぶされ、松浦党に海に沈められ皆殺しにされる
・新田義貞のひきいる新田荘のグンマー人20万の大軍に鎌倉は大虐殺

東に行くほど強い、東高西低の世界史では
最強は新田義貞か
857世界@名無史さん
2018/05/01(火) 22:25:31.680
足利尊氏のフラワーパーク軍は強くなかったの?
858世界@名無史さん
2018/05/03(木) 02:25:47.820
>>856
昔読んだ一般向けの評論誌で、もし秀吉軍を朝鮮半島で敗北させることが出来なければ、
おそらく、中国大陸を超えてはるか西方まで進軍していたのではという発想が掲載さていた

戦国時代で切磋琢磨し、当時最新式の火縄銃を大量生産でき、その戦術を磨いていた秀吉軍(日本軍)は
最強だったのではとの見解
859世界@名無史さん
2018/05/03(木) 07:30:31.780
16世紀版大東亜共栄圏
860世界@名無史さん
2018/05/03(木) 07:30:35.880
餓死に凍死じゃないか?
861世界@名無史さん
2018/05/03(木) 21:23:46.900
日本軍は鉄砲を知らぬ朝鮮軍をやぶるが
明軍の仏郎機、フランキにやぶれる
フランキ砲は後装の大砲である
日本では国崩しといわれた
これは後に満州の太祖ホンタイジに利用されて明を滅ぼす

のちにモスクワ大公国がユーラシアを制覇するのは
大砲の威力に拠るものだった
ピョートル大帝が死ぬときロシア帝国は世界で最も
多くの製鉄所と大砲をもっていたとされる
ただ、近代化をを急ぎ重税を下賜し農奴制(どれい制)を整備したのも大帝であり
この農奴制がいずれソビエト連邦を産む
862世界@名無史さん
2018/05/03(木) 22:08:33.330
イタリアにはリゾットという米料理があるが、これは北イタリアのミラノがつくった

調理法はもともとローマ時代からある麦粥が母体となってる

正確には1470年代、ミラノ大公のスフォルツァ家がオリエントの米を
欲したようでガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ大公に12袋の米が献上されたという

残忍で知られたガレアッツォ・マリーアは女傑カテリーナ・スフォルツァの父でもあるが
このカテリーナの母ルクレーツィアは有名な美少女だった。肖像画がよく知られている。
ガレアッツォ・マリーアに監禁・強姦され4人の子を産んだという
そもそも性交して4人もボコボコ生んでるのだからどっちが強姦したのかわからないが
ルクレーツィアは20歳、ガレアッツォは16歳だった。

しかしこのようなイメージとことなりガレアッツォ・マリーアは米作りを奨励するなど
なかなかの明主だったようだ
ルネサンスの君主は、政敵を殺してその死体をホルマリン漬け標本にして飾っておき
楽しむという鬼畜が「ごくふつう」だったからむしろ仁君だったのかもしれぬ
863世界@名無史さん
2018/05/03(木) 22:12:27.640
>>858 日本の戦国大名は広大な大陸での兵站を貼ってからの武器、食料の補給
と言ったシステマティックな発想は苦手なようなので、その辺から絡めとられて敗北という気がする。

毛沢東が蒋介石に勝てたのも、それまでは支配した戦地から適当に略奪、補給だったのを
農村に手厚く接する事で農村自体を食糧基地化できたからと言われる。
864世界@名無史さん
2018/05/03(木) 22:58:27.310
アッチラ大王の死後、史上はじめてロシアと北欧ドイツを支配した大帝国は崩壊した
アッチラの息子はもっとも忠実なゴート族長、ゲピード王にやぶられて四散した
帝国の中心地、パンノニア(ハンガリー)はゲピード王国が支配する

なお発掘の調査によれば末期のゲピード王国はゴート族といいつつ
ほぼ「アヴァール」ふうのアジア衣装を着ていたとされる。フン族との混交の結果だろうか

やがて東ローマはイタリア支配する東ゴートとパンノニアのゲピード族を牽制すべく
より野蛮なランゴバルド族(長髭)を呼び寄せる
ランゴバルド王アルボインは、柔然、アヴァール遊牧民とむすび、ゲピード王を滅ぼす

柔然アヴァールはハンガリーという土地を得て
ランゴバルドはこのとき多くのゲピード人を従えて併合しイタリアを征服

ランゴバルド王アルボインは異民族融和のためかゲピード王のむすめロザムンダを強姦して后とした
残忍なアルボインは、ゲピード王クニムンドの頭蓋骨で盃をつくり、これをロザムンダに飲ませる

ロザムンダは復讐を決意、ランゴバルド王が無防備なベットを狙って暗殺する
アッチラが若い美しいゲルマン金髪娘に殺される題材もそうだが
ロザムンダはイタリア人が好む題材で絵も描かれる、
父王の髑髏杯をのまされくだりはあまりに陰鬱なためイタリア人以外では嫌悪される
865世界@名無史さん
2018/05/04(金) 15:12:35.430
アッチラは本当に女に殺されたのかね?
866世界@名無史さん
2018/05/05(土) 10:24:57.410
イルディコの婚礼の夜に
花嫁はベールをかぶり泣きじゃくる
アッチラは血の海だったそうな
867世界@名無史さん
2018/05/05(土) 12:55:42.820
それは俗説だろw
最近の研究では否定されてるが
868世界@名無史さん
2018/05/05(土) 18:12:35.330
ざっくり言うと匈奴も鮮卑も大半は漢民族に吸収され融合してしまったのか?
現代の中国人は自分たちが匈奴や鮮卑の子孫でもあると認識しているのか?
869世界@名無史さん
2018/05/05(土) 18:17:55.700
ハンガリー人はアッチラや妻レカの名前を多用する
ハンガリー王国を建てた遊牧民マジャール人はウラルの東方から移動してきて
もとはフン族と同族で大昔に別れた余種だと称してる

また伝説上のハンガリー王の1人はアッチラの息子だとも

その家からでたのが、聖王イシュトヴァーン1世であり、歴代のハンガリー王は聖王の宝冠を
かぶることで即位できる。この儀式はハンガリー人はアッチラ大王への尊敬を深める

ハンガリアの伝承によればアッチラを見てローマ教皇は「神の使徒」だと激賞したという
エヴァのシトではないぞ、
したがってローマカトリックの人にはアッチラはペテロとおなじ使徒・聖人の意味を持つ

俗説だが有り得る話である
新しい教皇アレクサンデル6世を毛嫌いしていたシャルル8製は2万5千の大群を率いて
イタリアに南下してフィレンツェ共和国に向かって進軍した。

修道士サヴォナローラはシャルル8製侵攻を「神の裁きだ」と迎合した
フィレンツェの腐敗ぶりやメディチ家独裁を批判し追放

次に教皇をも攻撃し、教皇アレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジア)から破門されるけど・・
870世界@名無史さん
2018/05/05(土) 19:26:47.430
>>868
穴居人生活の中国各地の蛮族が、もとの中国人に近いそうな。野人という
現在の中国よりも小柄で美人のはず、遼河文明の頃は文明人はサモエド系だったようだ

羊飼いの胡人や羌奴が西方から多く入ってきて吐火羅人やイラン人の血が入る
それで大柄になる
匈奴は目が緑でトカラ系かもしれないし、東胡もすこしまざってる

鮮卑の王家とみとめられていた慕容垂が、身長184センチ
顔は親しみやすいモンゴロイドだが、体はでっかいという遺伝子が増えたみたい

現在の中国男性の平均身長は日本人以下ですけど
中国女性は日本女性より背が高い
871世界@名無史さん
2018/05/05(土) 20:42:50.740
ギボンによれば「パンなどという軟弱な食べ物は口にしない」アッチラ大王だが
パンはエジプトからやっとギリシアに伝播して
下層ローマ人は油で炒めた大麦リゾットを食べていた
まチュルク人ならパンのような野蛮なものよりもひき肉の饅頭マントウが好みだろうが

欧州で米のリゾットやパエリアをくえたのはミラノ大公が奨励した14世紀以後で
いま欧州の観光地スペインは海産物をいれた炒飯パエリアが超人気となり
ドイツ人や北欧人が「うまい!おらの村でこげな美味いものを喰ったことはねえ」
とパエリアを食べまくるにでスペイン人はこまってる
白人がアフリカの海産物を買い占めて、イカやタコが暴騰して日本人が困ってる
872世界@名無史さん
2018/05/06(日) 01:16:29.980
>>864
ダキア(トランシルヴァニア)をゲピード王国が支配した
パンノニア(ハンガリー西部)は東ゴート王国が支配した

フン帝国はゲピード王アルダリックらに倒されたけど
ほぼ百年前に羯族らも石虎の漢人養子の冉閔に滅ばされた
873世界@名無史さん
2018/05/06(日) 01:47:49.720
>>868
現代のフランス人にも欧州匈奴=フン族の子孫はいる
874世界@名無史さん
2018/05/06(日) 02:57:59.580
このスレに関連するような古代日本の話てありますか?
元寇より前の
875世界@名無史さん
2018/05/06(日) 09:05:22.340
サーサーン王朝は北方遊牧民を起源とするパルティア帝国の中では
旧王朝の首都ヘリオポリス、つまり北緯29度という南方で
ゾロアスター教の神官であったアルダシールが太守として力をつけた

サーサーン朝はパルティアを破り「諸王の王」アケメネス朝の復興を掲げた
宗教色がきわめて色濃く、流行した仏教やマニ教にを邪教として排斥
また地方貴族の力を削いで、中央に仕える官僚体制を目指した

きわめて簡素な体制だが、ただしいったん敵に敗れるとまったく敵の
いいように頭部をすげかえることも容易となる
硬直化した王はイスラム共同体の容認ができなくなり最悪の対立に進む

ペーローズ1世はエフタル白匈奴を排除すべく469年にエフタルを大攻勢。
敗れて白匈奴の捕虜となり、息子を人質に差し出しエフタルに貢納を納める
旱魃により財政事情は逼迫、エフタルを攻めたが敗死した

外部圧力からサーサーン朝はよわまってき、腹背にイスラム共同体の決死攻撃を
うけたときは都市の多くは抵抗を諦めてイスラムに帰伏した。
折悪く、南部における大洪水で農地が破壊、暴政で人は飢餓に苦しんでいた
頼朝の旗あげのときも西日本は飢饉に苦しんでいた。この読みと時機をつかむことで、
ゾロアスター教には邪教とされたであろう、新宗教共同体を、世界帝国におしあげる
876世界@名無史さん
2018/05/06(日) 10:07:53.280
サーサーン朝のヤズデギルド3世はイスラム共同体への反攻を企て、ローマ皇帝ヘラクレイオスとの関係強化した。
両皇帝は連携してウマルを撃滅しようと企てた。
ウマルは兵の乏しさになやんでいた。まだ新顔ペルシア人には頼れず、当然ながら勢力基盤の砂漠の民はすくない
名門出のサード将軍は4000の兵を引き連れて進撃した。集められた軍勢はアラビア中の新兵の寄せ集めだった。

イスラム軍は2万程度とされる。坐骨神経痛に悩むウマルは小高い丘で検視し、若きサードが兵を率いる
装備は全身を覆う鎖帷子で、ササーン式のきらめく銀兜と長剣で武装。
ササーン朝の軍隊は10万。切り札はインド属州から来た象兵で、インド人部隊ともいわれた
これら歴戦のロスタム将軍が指揮する。つまり負ける恐れは皆無だ
各地で転戦して弱まったりと言えどサーサーン帝国はやはり比類なく強大で、しかしビザンチンの主力戦線にくらべ
よろいは軽装であり配備部隊は新兵もおおかった。偶然イスラムと同条件でウマルの心労は当たらずに済んだ

ウマルは礼法にしたがってヤズデギルド3世に使者を送り改宗をすすめる。王は軽蔑の印に「かごに土を入れて」
使者にもたせる。これをみて使者は「王は土地を譲って下さる」とよろこんだ。ロスタムは激怒した
新兵どうしの戦いは長く続いた。これはイスラムの策で二日目に古参兵5千が到着。がぜん戦闘は有利になる
インド象に苦しめられるがササーン式のきらめく長剣で目を潰すように命ずる。象は剣を恐れて逃げ散ってしまう

ウマルの苦肉の策で援軍は少しづつ小隊で、切れ目なく、旗を掲げてめだつように加入した
董卓の西涼軍の作戦と同じである、はったりだが、この心理圧力でササーン朝は動揺した
ロスタム将軍はほえた「やつらドンドン数が増えるぞ。このままでは戦線の維持は困難だ、すぐ決着をつけろ」
3日目の戦闘が最も激しく、戦場は両軍の戦士たちの死体で覆われ疲労困憊の激戦は夜明けまで続き、両軍とも崩壊寸前。

ほぼイスラムの勝利だ。だがサーサーン軍も4日めの朝でへこたれない。「このままでは一時間もすれば全軍崩壊する」
シリア援軍を率いた指揮官が駆け出し突撃。バヌ・タミム族の600人の戦士が、ロスタム将軍の指揮する鉄壁に穴を開けた
彼はロスタムに斬りつける。全身を刺され無数の傷を追ったロスタムは息絶えた
877世界@名無史さん
2018/05/06(日) 12:57:17.530
現在のイラン民族はサーサーン朝を尊崇して自分の先祖としてる

なぜかというとそれまでのイラン民族は文字で歴史を表すのは物質化で卑しいとかんがえ
高僧による口伝だったが、サーサーン朝末は盛んに文字で歴史編纂した
とうぜん記憶の新たなサーサーン朝の歴史が多く残り、これら書籍はのこり、
当時神聖視されたアケメネス朝はさほど尊敬されずサーサーン朝がイランの英雄となる

それとサーサーン朝最後の君主のヤズデギルト3世の娘がシーア派の尊崇するアリーの子のフサイン
に嫁ぎ、これ以後はシーア派のイマームは「サーサーンの貴き血」をひきつぐことになる

これはイラン民族にとって何より重い。つまりアラビア宗教であるイスラムだが
イランの多数支持を受けるシーア派にとっては
サーサーンのお姫様、われらイラン人がイマームということで神聖視される


アリーとその子孫のみが指導者してイスラム共同体を率いることができるという主張から始まった
シーア派はやがてはマフディー(救世主)となって再臨するという終末・救世主信仰をもつ
878世界@名無史さん
2018/05/06(日) 13:20:32.250
さてサーサーン朝のヤズデギルド3世は反乱におびえつつも帝都クテシフォンに拠っていたが
サーサーン朝軍は大敗してロスタムは戦死。帝都クテシフォンはムスリム軍に陥落し

イラン東部に逃走する。ホラーサーン州はインドの国境にあたり
歴代の皇太子が守る険阻な地で安心とも思われるが傲慢な態度で総督の反感を買う
帝はエフタル匈奴や突厥から援軍を得られることに賭けたが殺された

ヤズデギルド3世はアム川の北方のバクトリアとソグディアナなどに呼びかけて軍を募ろうとし、
息子のペーローズ王子を唐にまで派遣。

なお日本に来て斉明天皇に援軍を訴えた吐火羅人ダリウスとは、どうもバクトリア人の意味
であったらしい。年齢的にペーローズ王子の子息、サーサーン皇太孫という可能性もあったろう

このとうじ唐は、ペーローズ王子を将軍職につけ、日本との戦争ちゅうでイラン遠征の困難を
釈明したろうから、サーサーン朝は日本を味方につけようと使者を送りつけた

ダリウスというイラン人にうったえる古式ゆかしい名前、インド人の妻でインドの援軍も
期待し、さらに縁もゆかりもない日本援軍も求める、なかなかの策士だ

もしここで想像が許されるなら日本軍がサーサーン朝回復のためイスラム軍とたたかい
みごとシーア派のイマームを擁立してイラン人の称賛を受けつつ帰る、という展開もあるいは
879世界@名無史さん
2018/05/07(月) 07:28:15.840
>>875
575年ササン朝とアクスムの抗争によりイエメンのマアリブダムの維持が断念され
農業を諦めたイエメン農民らがベドウィン化しイスラム軍に加わりイエメンから
移住しようとしたのでイスラムは大帝国になったとされる
イエメン農民が急速にベドウィン化出来たのは鐙が普及したからだろう
当時ササン朝軍と東ローマ軍は鐙を使用しており配下のアラブ兵にも装備させた
かつてアラブ系のパルミラが重騎兵でササン朝と互角だった事あったけど
パルミラの重騎兵は元パルティア兵とかイラン系遊牧民の傭兵だった
鐙の普及でアラブ人自身が重騎兵になる事が容易になり
イラン人のアラブ人に対する軍事的優位が崩れたようだ
880世界@名無史さん
2018/05/07(月) 19:09:52.030
>>878
当時の日本の軍事力では無理だろうね
881世界@名無史さん
2018/05/07(月) 22:00:47.650
サーサーン朝の重装騎士といえば有名であり

重騎兵の起源は鮮卑の鉄騎とされてる、(まぁ慕容垂とか北魏あたりが有名

そのご、重騎兵といえばヨーロッパでも主力をなし
20世紀にポーランド有翼騎兵が3号戦車に蹴散らされるまで無敵の兵種

東方蛮族のマッサゲタイ(アラン族)やサカはすでに重騎士をもっていたが
サーサーン朝はいち早くその影響を取り入れる
鮮卑の鉄騎はモビルスーツ並みに無敵だが、ヨロイ製造にとんでもなくお金がかかり
これがサーサーン軍の強さと影になる

ローマ帝国も流石にサーサーン朝の重騎士をとりいれる

ペルシャ風の騎兵を使った新しい戦闘教義、カタフラクトという兵種になる
これはサーサーン流の銀兜、首元までおおう鎖帷子、馬は銀鱗の装甲で覆われる
おもに騎馬にたけたアナトリアの住民がこれを担当したがしかし東ローマが
トルコ帝国に圧迫されるとアナトリアの地も失い、帝国の衰退を早めてしまった
882世界@名無史さん
2018/05/07(月) 22:52:18.520
しかしふしぎなのは宗教色濃く、イラン世界帝国を数百年統治したサーサーンが
かくもあっさり滅んだこと
サーサーンもバクトリア、ソグディアナ、さらに奥で独立帝国を100年たもっても
ふしぎはない。唐は安禄山の乱で滅亡寸前になりながら復活してる

安禄山は3600万人、地球の6分の1を殺戮した。その安禄山とは

もとより東イランのソグド語で光の意味で
アレキサンダー、イスカンダルの音訳であったということだ
883世界@名無史さん
2018/05/08(火) 06:15:07.800
鮮卑は重騎兵が有名とのことですが烏丸はどんな特長が(軍装やら文化)だったのでしょうか?
884世界@名無史さん
2018/05/08(火) 06:20:03.940
>>122に烏丸について書かれてますが何か他にも物語があれば教えて頂けたら嬉しいです
885世界@名無史さん
2018/05/08(火) 06:25:38.680
>>122
>>212
>>319
>>687
>>826
他にもありましたらよろしくお願いいたします
886世界@名無史さん
2018/05/08(火) 09:20:15.250
からすま?
887世界@名無史さん
2018/05/08(火) 11:56:41.390
うがん
888世界@名無史さん
2018/05/08(火) 13:26:37.930
>>881
ローマ帝国ではウァレリアヌス帝がササン朝に大敗して捕虜となったので
息子のガッリエヌス帝が騎兵を主力とする軍の改革をした
乗馬に長けたバルカンの住民らは鐙なしでイラン人そっくりにカタフラクトを
模倣出来たの軍の主力となりアウレリアヌス帝やコンスタンティヌス大帝など
多くの皇帝を輩出し名実ともにローマ帝国の支配層となった
バルカン出身者に軍が依存していたのでバルカンにゴート族が移住して
バルカンを荒らしまわるとローマ軍は急に無力化し始める
バルカンがスラブ化するとバルカン出身の皇帝はいなくなった
鐙の普及するとアナトリアのテマ農民がカタフラクトになるようになり
ヘラクレイオス帝などアナトリア出身者が皇帝になるようになった
鐙が普及しなければカタフラクトになる者がいなくて
東ローマ帝国はササン朝に滅ぼされていたはず
889世界@名無史さん
2018/05/08(火) 19:36:52.570
西洋でキリスト教以前に巫女、シャーマン信仰があり
それは北欧に特につよく、サーミ人はノアイデという巫女を信仰した

キリスト教化でイギリスでは、マクベスの魔女となる
しかしタキトゥスのゲルマーニアで北欧には女王国が存在した
と驚きを込めてしるしてるように
ローマ人は女王はなくそれはペルシア人も同じだった
ただ帝政後期になると女子の称号として女帝、アウグスタともいうが実権はない

ギリシャ神話もアマゾーンは黒海沿岸に住むという、マッサゲタイや月氏の女王だろうか
日本人も卑弥呼女王を見ればおそらくアマゾーン族になる
漢の呂后は冒頓単于からすればまさに女王国だ

ロシア人もよく「魔女の婆さんの呪いか」という。これはロシア民話によく魔女がでてくるからで、
ロシアの魔女は破壊と殺しを好むが、悪人が破滅し、善良な娘が救われる筋立てとなる
これもキリスト教化まえの記憶と言われる
890世界@名無史さん
2018/05/08(火) 20:23:13.730
ペルシア人は文字に拠る歴史は嫌い口伝に拠った
ササン朝でようやく歴史編纂をするが、おそらくローマや唐の影響だろう

お隣インドでも無文字文明でないが歴史記録はされない
しかしインド神学はねっしんに記録してるので単に歴史に興味がないもしくは禁則事項だった
中国では史官、史家という特殊貴族を設けたほど古代より記録熱心だがむしろ例外と言える
為政者にとっては記録保持はむしろ弊害が大きい
秦では「古代の例を引き政を批判する」理由で狭書の法がしかれ、不要な本は焼きすてててる

アケメネス朝ペルシアも文字はなかったわけでなく実務クラスではエラム語をもちいた
エラム帝国の首都スサにペルシァ帝国の首都が置かれたこともありエラム人の官僚が用いられる
もともとペルシア王はアンシャン王で、古代エラム帝国の副都アンシャンだった
エラム語は死語で解読すら出来ないが膠着語であり周辺の言葉と関連がない
最後のエラム語の記録はアレキサンダー東征のころで、以後はギリシア語にとってかわる
おそらく膨大なエラム語の公文書記録は破棄され、アレキサンダーはとんでもない破壊をしてくれたといえる

イラン民族はギリシア文明によるアレキサンダー征服、アラビアによるイスラム征服をうけて
二度も完膚なきまでに高度文明の断絶があり奴隷化されてる。イランの学者によれば
それがイラン人の幸運だと言うが・・
891世界@名無史さん
2018/05/08(火) 20:56:13.170
烏桓は蒙古語で聡明という。したがって東胡王の時代は学識ある貴族の称号であったとされ

ガンダムのマ・クベの副官もウラガンであったがロシア語ではウラガンは暴風という
赤狄の子孫がロシア人であるとすると暴風や嵐をとりたくなる?が狂暴な部族の意味であろうか
なんでそれが蒙古で知的聡明になったかといえば、よくある皮肉であろうか

ともあれ鮮卑の鉄騎はひとことでいえば重装甲、西洋の重騎士だ
馬も重装甲で鎧うのだから数百キロの鎧となる
これだけ固い重いやつが突撃してくればモビルスーツと同じで中国の農民には手がつけられない

重いよろいをのせるのは名馬でなくてはならず、それを養育するのはまた大金がかかる
漢の武帝が西域フェルガナから入手した名馬は30万頭もかわれたがその費用で宮廷は破産しそうであった
西洋騎士のよろいが現代ではベンツなど高級車に匹敵する価格だから重騎士は価格がつけようもないほど高い。

中国の領主がおいそれとまねができるものではない
ゆえに、魏晋はほろび、関西の鮮卑貴族様の時代が唐までつづくのだが、
烏桓は鉄の鍛造が得意であったとされる

鉄の鍛造にたけた烏桓こそ重騎士の華かも知れない、あいにくなことに烏桓は魚は食べないようで
焼き肉とヨーグルトを好んだ
烏桓と匈奴は人の少なさになやまされ、倭人のおしえで魚を食うことをおぼえた鮮卑は人口爆発し、時代は移る
892世界@名無史さん
2018/05/08(火) 21:03:44.060
ペルシャとエラム、ギリシャとクレタ、ローマとエトルリア、
アルメニアとウラルトゥ、バビロニアとシュメール、そしてトルコと匈奴
匈奴の言語はフンザで話されているブルシャスキー語だったのかもしれない
893世界@名無史さん
2018/05/08(火) 21:28:52.890
エラムはメディア帝国にほろぼされ一部になる
メディア語はほろび手がかりはないが古代ペルシア語中に大量の借用語があるから大方は想像つく

インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派に属する古典語のメディア語を話したメディア人
はエラムの北にエクバタナを7重の城壁を張り巡らせ都とした

エラムはシュメールの支流、兄弟ともされる。エラムの都がスサ、アンシャンが一地方
アンシャン王のペルシアが天下ととるとかつてのエラムの首都スサをみやことし
メデイア人のエクバタナを攻略してこれを、夏宮殿とした
894世界@名無史さん
2018/05/08(火) 21:44:16.750
キュロスとカンビュセスの親子はエラム系アンシャン人で
ダレイオス1世からイラン系ペルシャ人だという説がある
895世界@名無史さん
2018/05/08(火) 21:49:00.600
シュメール人から見て西の民族をマルトゥ、野蛮人、猿、礼儀を知らぬ・・・

と罵り、また東方のエラム人を「混血野郎」と言っていたようである

マルトゥがのちのバビロニア帝国、ヒッタイト帝国になる。海の民でヒッタイトは滅びる

「混血やろう」エラムはイラン民族となり中東を支配する

そしてマルトゥの予言どおり地獄巡りのような混血をくりかえしてゆく
896世界@名無史さん
2018/05/08(火) 23:52:28.220
>>891
唐を創建した李世民は重騎兵の馬甲を廃止して機動力を強化して
天下統一を成し遂げるに止まらず唐は突厥と高句麗をも征服した
この身軽になった重騎兵を主力とする唐軍をタラスで撃破したのが
イエメン人入植者を主力とするアッバース朝のホラサン軍だった
897世界@名無史さん
2018/05/09(水) 07:19:00.470
エラム人黒人説
898世界@名無史さん
2018/05/09(水) 07:22:25.890
もう滅茶苦茶だな
899世界@名無史さん
2018/05/09(水) 08:09:10.670
たしかにエチオピアやインドに近い
クシュ人かも
900世界@名無史さん
2018/05/09(水) 10:08:49.530
アルスラーン戦記も影響受けてるのがよくわかる
901世界@名無史さん
2018/05/09(水) 10:32:52.500
>>899
カッシート人とクシュ人が混同される事がある
902世界@名無史さん
2018/05/09(水) 10:40:28.880
エーラーンの王がイラン皇帝称号
903世界@名無史さん
2018/05/09(水) 22:06:19.020
>>891
唐を創建した李世民は重騎兵の馬甲を廃止して機動力を強化した
唐は天下統一を成し遂げるに止まらず突厥と高句麗をも征服した
この身軽になった重騎兵を主力とする唐軍をタラスで撃破したのが
イエメン人入植者を主力とするアッバース朝のホラサン軍だった
904世界@名無史さん
2018/05/09(水) 22:25:26.530
エーラーンの王とはアーリア帝国ののことで

すなわちヒトラーのナチスドイツもエーラーンの王
905世界@名無史さん
2018/05/09(水) 23:17:49.860
アーリア=アレイア=ハライヴァ=ヘラーウ=ヘラート
906世界@名無史さん
2018/05/09(水) 23:26:26.500
タラスの戦いで有名なのは751年のだが、匈奴マニアにとってはBC36年の戦いも忘れられまい

郅支単于、康居に居座る前は結構強かったのに康居に入京したら暴虐非道尽くしで、
人心を失い、漢が差し向けた遠征追討軍に殺られてしまった

まるで、野戦では連勝し上洛後、狼藉尽くしまくって頼朝・義経の遠征追討軍に殺られてしまった
木曽義仲のようだ
907世界@名無史さん
2018/05/10(木) 05:14:22.380
鳥孫に行った公主の漢詩でも
「天幕が部屋の代わり、土の壁がない!
まいにち潰した獣肉、ドロドロのヨーグルトしか食べ物がない」
「白鳥に変死して長安に飛んで帰りたいわ」とうたってるから
米を買いグルメ生活を楽しんでいた匈奴も同じ思いだったのだろう
単于は土の壁のなかに住もうと人民を徴発して土城を建設したが恨みを買ってしまった
908世界@名無史さん
2018/05/10(木) 10:25:34.300
郅支単于は羯の石虎やナイマンのクチュルクの先達
909世界@名無史さん
2018/05/13(日) 09:45:43.490
インド料理は手で食べるが、最近はほとんどスプーンを使うようになってるそうだ
アフガニスタン料理もスプーンとフォークを両手で使う
ソフレ、食布という絨毯をしいて一家で囲んで座り込んで食う。この風習はイランも同じ

イラン料理は真鍮のスプーン中心で、煮込みウドンもあるのだが
うどんを短く切ってスープに入れ、あくまでスプーンですくう仕様になってる
お米は香があり、パラパラでやはりスプーンで食う
イラン東部と中国の陝西はお隣のはずなのにスプーンと箸と食事風景が違うのは面白い
ただ陝西の貴族の古墳では金銀の箸とスプーンが副葬品に添えられており
箸はなくスプーンのみという例もおおく、古代ではイラン風のスプーンのほうが優勢だったようです
隣の韓国でもスプーンと箸をかならず出すので大陸は日本とはちょっと違うようだけど

イランのカバブは羊肉をミンチしてつくね状にかためたもので
トルコの削ぐ肉塊のケバブとは違う、ミンチ肉は遊牧民のなごりかな
江都公主が食ったのはイラン風のカバブかも
910世界@名無史さん
2018/05/13(日) 11:29:27.560
中東のトイレ何とかならんかな・・・
911世界@名無史さん
2018/05/13(日) 15:38:10.610
トイレの後、お尻を紙で拭かずに水で洗う「アラブ式トイレ」?
少ない水でけつをどうやってあらうのか難題だわな
912世界@名無史さん
2018/05/13(日) 17:10:43.920
古代匈奴の王族はグリーンの目、彫りの深い顔だったという
白人を思わせるが、しかしこれは確定的なことは何も言えない

三国志の呉皇帝の孫権は言動がおどけていて、無茶苦茶な冗談を飛ばしてからかう性格
孫権は背が高く、青い目と赤い髪をもっていたとされる。
これは吐火羅系をおもわせるが、おそらく南方の一族や生母からしてありえず
陝西など北中国でさげすまれた異民族・胡人のイメージで架空の設定かもしれず
つまり異民族の血がはいってる、どことも知れぬ蛮族に屈するわけにゆかぬという想像の宣伝であろう

匈奴に白人ぽい騎兵が混じっていたのは確かで
それはオルドスの西半分はトカラ系の月氏で、古代のトカラは金髪碧眼だったとされるから
混血の匈奴がグリーンの瞳でも間違いではないだろうが、むしろこの事実は
つまり異民族の血がはいってる、気持ち悪い蛮族に屈するわけにゆかぬという漢の政治意図であろうとも
とれるのである
913世界@名無史さん
2018/05/13(日) 18:59:58.480
本当に青目茶髪なのか
堀の深い顔立ちなので創作されているのか

昔の日本人の
長崎の人は髪が赤いと言う類なのかね
914世界@名無史さん
2018/05/14(月) 01:45:50.080
>>912
何度も同じことを書いてすまないが、
その割に、現代中国人(大多数は漢民族)は、極めて典型的な黄色人種顔ではないか!
古代から白人と隣り合わせに暮らし、戦争で違いに捕虜や強姦で血が混じったはずのに、
ぜんぜんハーフぽい顔はいないぞ

漢民族の黄色人種の血って、それほどまでに濃いのか?
それとも、中国周辺異民族にはやはり、白人はいなかったんじゃないのか?
915世界@名無史さん
2018/05/14(月) 01:52:09.820
>>914
極東の人口がきわめて多いの忘れてないか?
遊牧民やオアシスの定住民がエスニックグループあたりで100万とか200万とか言ってる時代に、
中原〜長江流域に億単位の人間が居たんだぞ

そりゃ飲み込まれるわ、生物学的にもな
916世界@名無史さん
2018/05/14(月) 01:56:24.010
>>914
白人と隣り合わせって認識がホラッチョって事だろ
西域には白人の子孫はいくらかいた様だが外見的にはほとんどが黄色人
ここからスパッと人種が変わる様な状況になるにはヒマラヤみたいに高い山で土地が隔てられていなければならない
ごく稀にいた白色人種の特徴を持った人物の例を出してあたかも白人が隣人であったかの様にいうのは明らかに誤解
917世界@名無史さん
2018/05/14(月) 02:54:52.220
>>906
郅支単于軍はローマ式ファランクス、木曽義仲軍は火牛軍団を擁していた
どちらも早期滅亡は非常に惜しまれる
918世界@名無史さん
2018/05/14(月) 06:49:26.820
鳥孫国はあきらかに金髪碧眼であったようだけど
現在のカザフスタンは混ざったモンゴロイドが多数派のようだね
919世界@名無史さん
2018/05/14(月) 07:18:08.800
サッカーで昔はアジア枠だったが今は欧州枠になったねカザフスタン
欧州枠の方がレベルは高いものの出場枠が多いという政治的な判断なだけかもしれないけどアジア予選で戦ってた当時はロシア人ぽい白い選手が大半な印象がある
920世界@名無史さん
2018/05/14(月) 11:17:15.580
>>918
それってここ1000年ぐらいの話ね
921世界@名無史さん
2018/05/14(月) 17:31:02.280
烏孫くらいの中堅遊牧国家でも、イラン系、トルコ系、モンゴル系などの混成部隊だったんじゃまいか
922世界@名無史さん
2018/05/14(月) 21:14:42.710
烏孫王昆莫は匈奴の西境にある小国の王子として生まれる。
匈奴は父を殺し昆莫も殺そうとしたが単于は思い直し育てる

昆莫は単于に仕えた。勇猛なので従う衆は数万となり
やがて昆莫は部下を引き連れて遙か西方のカザフを遠征し征服
匈奴に従わなくなった

遊牧民にとってカザフスタンはアンドロ信夫文化で戦車チャリオットを発明した
アーリア人の起源というべき古き土地で東のオルドスに匹敵する、西の要地

しかし匈奴の支隊長に過ぎぬ昆莫が、大要地カザフスタンを征服できたとは
モンゴロイドが戦闘民族として優れていたのか
あるいは平和な遊牧民のなかで、匈奴が傭兵を生業とする変わり種だったのか・・・
923世界@名無史さん
2018/05/14(月) 22:30:36.450
古代匈奴はしらんが、フン族は軽騎兵、アラン重騎兵と色分けされていた
しかし弓ではフンが百発百中の剛弓、那須与一か

ササン朝も重騎兵だったしローマも重騎兵をもっていたらしいが
フンの軽騎兵のおそろしい突撃には到底耐えうる者ではなかったという

西洋重騎兵は鮮卑の鉄騎が起源だが、鎧だけで百kgの重騎兵は重く行動が制限される恨みがあり
機動力では軽騎兵がまさり、唐で鉄騎は廃止される

時代が下って蒙古では
14万の装甲騎兵が常備兵としてチンギスハンに使われた
ただこの頃の蒙古兵はかなり進歩していて革をベースに鉄鋲などをうめこみ
重さ7キロながら剣は通らぬというものだった

フンの軽騎兵は
おそらく鎖カタビラのチョッキで無いかと思える
毛皮丸帽子とチョッキが、カザフスタン民族衣装でこれがよくフン族の絵に似てるのだ
924世界@名無史さん
2018/05/15(火) 09:10:27.950
やっぱり匈奴や戎の出自にはアンドロ信夫や見ぬ伸介の影響が!
925世界@名無史さん
2018/05/16(水) 12:17:15.940
>>922
東胡と匈奴と月氏の三国が割拠していた時代に烏孫がどこにいたのか不明だけど
匈奴が東胡を征服した時に月氏は東胡と同盟して匈奴を挟撃しなかったから
月氏はどこかと戦争していて匈奴の領土拡大を妨害する事が出来なかったのかも
おそらく烏孫が月氏の西の隣国で月氏は烏孫と争っていたのでは?
926世界@名無史さん
2018/05/16(水) 20:14:04.240
烏孫はもともとタリム盆地敦煌のちかくのオアシス都市で
西域26カ国が匈奴に征服されたとき、かなり大きな街であったらしく
烏孫王は老単于に個人的に気に入られて西城太守となった

ラオ単于はさらに烏孫にイリ地方の征服を命じて
しかしラオ単于がしんだあと烏孫王は匈奴に服しないことにした
おそらく個人的な面識がない次の単于に服する理由もなかった

イリ・バレーをかれらは赤谷城と名付けた。
これは匈奴の先祖である赤狄が美しいとして赤服を着たことを
また赤狄の子孫であるロシアで赤は美しいとされる
つまり美しい谷、という意味になる

・・西部地域の野蛮人の中でも、烏孫の外観は珍しいです。
緑色の目と赤い髪があり、猿のように見える現在の野蛮人は、この人々の子孫です

烏孫人はかつては白人混じりのモンゴロイドとされたが、ソ連時代の87遺骨の調査では
純粋なコーカソイドということが判明した
927世界@名無史さん
2018/05/17(木) 06:02:44.760
その当時から大きな街だったんすね
昔、佐藤浩市、西田敏行出演した敦煌ていう西夏時代を扱った映画見たことあります
928世界@名無史さん
2018/05/17(木) 06:02:48.050
だから烏孫はアファナシェヴォの直系の子孫なんだろう
その一部で南下したのがトカラ人
929世界@名無史さん
2018/05/17(木) 06:40:07.490
車師国はオアシス国家で匈奴配下の小国。おそらくそのまえは、独立国だった

車師の首都である交河城は世界最大級の版築でつくった巨城で、紀元前2世紀につくった
巨大な船のような形で、全長1,7キロ、断崖の高さは30メートル
真ん中に大路があり東西2つのエリアに分けていた。官庁エリアと寺院エリアである
このへんは長安や洛陽と同じでオアシス国家の繁栄を伺わせる
漢の使者をたびたび捕らえたため、漢はこれを討ち、車師王は服属した
930世界@名無史さん
2018/05/17(木) 13:23:03.980
車師=ジムサ 車師はトカラ人
タリム盆地最大の都市だった亀茲もトカラ人

烏孫=敦煌 トカラ人?
月氏=昭武 昭武九姓はイラン系ソグド人

紀元前1800年頃の小河墓はトカラ人だけど漢代の楼蘭はイラン人
アファナシェヴォ文化のトカラ人がミヌシンスク盆地からタリム盆地に移住したが
タリム盆地の砂漠化が進行すると砂漠慣れしたイラン人が移住してきたようだ
931世界@名無史さん
2018/05/17(木) 17:22:01.650
>>930はイシククールに行って赤谷城の発掘調査やってきてくれ!
932世界@名無史さん
2018/05/17(木) 19:13:31.980
オルドス地方てどこいな?と検索してみたら後漢期に南匈度が居た辺りなんすね
このへんの西側半分に白人のような風貌のトカラ人が住んでたてのが驚き
秦らが万里の長城築いた理由や位置関係、心情も少しずつ理解できました
933世界@名無史さん
2018/05/17(木) 19:20:45.220
そもそも冒頓単于も白人並みの容貌してたって説もある
西の末裔アッティラが東洋人顔だったって説との対比が面白い
934世界@名無史さん
2018/05/17(木) 19:50:45.650
まぁ中央アジアにくわしいとされる宮崎パヤオアニメで言えば風の谷のナウシカが赤谷城(美しき谷)
で、匈奴の老上単于が、トルメキアのクシャナ王女

個人的には信頼や友好を結べるが、どっちかが死んだら
ふるきエフタルの民が、野蛮なトルメキア帝国にしたがうわけ無いでしょ的な
935世界@名無史さん
2018/05/17(木) 20:10:12.740
アッチラ王のフン族の帝国、史上はじめてドイツとロシアを統べたという
ソ連以上のアッチラ王の大帝国に期待したのはギリシャ人だった

それは、そうだろ
アレキサンダーのマケドニア帝国でオリエント全域をしめる
ギリシア文化を波及しオイシイ思いをした
さらにローマ帝国も家庭教師としてギリシア文化を重んじた
ローマ時代の大金持ちはギリシア人
したがってフン帝国にいちはっやく臣従したギリシア人は、地球帝国でいちばん重んじられる・・・ハズ

ところがアッチラは、ゴマすりギリシア人を奴隷としてあちかい
ギリシア語も文化もまったく興味を示さない。

それは、そうだろ
フン族はローマのラテン語は大変早く習熟したがギリシア語はまったく興味はない
ローマ帝国の支配言語のみがフン族の興味であり、大王の食事に付き従うゲルマン王たちは
フン語(トルコ語)とラテン語、ゴート語をまじえた喜劇を楽しんだ

ローマ歴史家は「下品で大王の権威をおとしめる」と批判したがもちろん、野蛮人の匈奴どもが
芝居でラテン語やゴート語に慣れ親しむことはアッチラの重要な政治でもあった
936世界@名無史さん
2018/05/18(金) 07:45:05.010
烏孫の国の構造は、少数の貴族と、1万ほどの奴隷や職人
人種は上位が烏孫族、下位は戦争に負けたり、周辺の土地からさらってきた
月氏やサカ、スキタイ人であった
貴族は数千頭の家畜で遊牧していた
どれいは赤谷城の建築など労働をさせられていて不要になればころされる

富の偏在と、移民による奴隷はサウジアラビアなど産油国に似てる気がするが・・
現代日本人が観光に行っても奴隷ばかりで面白くなさそうだ
基本としてタリム盆地のオアシス国家はどこもこんなものだったろう

ギリシアのポリスも少数の市民と、農民の大多数のバルバロイでなりたち
貴族は奴隷の家にいつでも略奪強姦をおこなってよい
だだ、忍び込んで窃盗するほうが知識人とされる
そういえばギリシア人の先祖はもともと遊牧民だった

烏孫の貴族はトカラ語で、奴隷はソグド語だろう
薔薇戦争の前イギリスも上流貴族はフランス語で喋っていて平民は英語をしゃべる
社会にちょっと無理があり、どれいにされた月氏やスキタイは
ドンドン逃げていったと予想される。だから最終的には烏孫国は滅ぶ
937世界@名無史さん
2018/05/18(金) 07:54:12.850
だから遺骨も上流か下層かでDNA系統は異なる場合があるね
938世界@名無史さん
2018/05/18(金) 09:42:23.520
赤谷城って城塞都市か何かだったの?
その当時の遊牧国家に大規模都市ってあまりないんじゃ
939世界@名無史さん
2018/05/18(金) 14:05:02.940
5 名無しさん@涙目です。(大分県) [EU] sage 2018/05/18(金) 12:28:07.04 ID:BQtvg37L0
夏 漢民族
殷 北狄
周 西戎
秦 西戎
漢 楚人
魏 漢民族
晋 漢民族
隋 鮮卑
唐 鮮卑
宋 鮮卑
元 モンゴル
明 漢民族
清 女真

某スレから転載
これ正解ですか?
940世界@名無史さん
2018/05/18(金) 16:59:50.960
国民党 漢民族
共産党 漢民族

これを追加
941世界@名無史さん
2018/05/18(金) 17:35:35.250
>>939
その「民族」の定義が意味不明すぎてコメント不能
942世界@名無史さん
2018/05/18(金) 18:58:43.810
タリムの敦煌に近いオアシス都市の烏孫は、城壁でかこんだ町だったと思える
だだイリ地方の赤谷城は、大挙してきた外来侵略者が身を護る手段で
山賊の城だったと思う。モスクワの原型のクレムリン三角要塞もそんなタイプで
スキタイも立派な城塞都市は一般に作られない
匈奴の懲罰軍がきたときに家畜や家族をつれて避難するタイプだ
遊牧民としては鮮卑山のように山に籠もることが多い

晋の献公は驪戎を征伐して王女驪姫を得たが、秦国の秦嶺山脈の
驪山に籠もったため驪戎とよばれた遊牧民である。秦王に圧迫を受け
晋に逃れて征伐され、王女をさしだしほろんだ。また始皇帝は驪山に埋葬された

烏孫がイシク湖畔に住処を建てたのはおそらく、オアシス都市の水利を得るためで
故国と同じ方式だったろうが
でももし赤谷城が、立派な都市だったとすれば、中国人は赤谷城ではなく
赤谷市とでもしるすのではないか
943世界@名無史さん
2018/05/18(金) 19:36:02.480
敦煌は、甘粛にある大きな都市で、そもそもは月氏の都市だったとされ
漢代に敦煌は西の門としてさかえた
人口は4万で、当時の6000万の漢では相当の大都市
また住民の逃亡を防ぐために税金は軽く、タリム盆地のオアシス都市と
も連携して輸入交易で栄えたたため敦煌は豊かだった
これも月氏の統治をそのまま受けつぐ政治手法のはずである

月氏は匈奴とおなじ遊牧民だったはずでは・・という疑問も湧くだろうが
そもそも月氏の本拠地は甘粛だったとも言われる
ようするにシルクロードの出口を締める都市人だった。それが敦煌
月氏にも二種類あり、20万騎をうごかす王様はいた
オルドスに住むのは遊牧系の王

民族としては匈奴より文化程度はすぐれており都市も存在した
都市定住した月氏と、遊牧月氏との関係は知らないが
おそらく騎士を持つ遊牧王にしたがうかたちであった。匈奴が月氏を破ると
西域のオアシス都市がことごとく降伏したことから知れるのである

サウジの貴族は都市系と遊牧民の二種類があり、都市民は一般にイスラム法
や身分に厳格で恐ろしく、遊牧系の貴族は非常に寛大で、やさしいという
オアシス都市貴族はカネ持ちだが遊牧民も無視できず、機嫌を取る
944世界@名無史さん
2018/05/18(金) 22:43:46.060
>遊牧系の貴族は非常に寛大で
そういえば、モンゴル帝国も宗教に寛容だったな
945世界@名無史さん
2018/05/18(金) 23:35:25.650
じつは、サウジ3代国王のとき王族がひきいる遊牧民がテレビ局を襲撃する事件を起こしてる
3代国王ファイサルは射殺命令を出し、鎮圧。遺恨で甥に顔面に銃弾を3発浴びて暗殺されてる

現在サウジ王族では初代イブンサウードとハッサ王妃との7人の子、スデイリー・セブンのみが
相続権を持つがハッサの実家スデイリー家はサウジ中央部の豪族

スデイリー家はオアシス都市の貴族なのでスデイリー・セブン諸王はイスラム法に大変厳格
またハッサ王妃も厳格な宗教者で7人の子の団結を説いたという

現行のサルマーン王もスデイリー・セブンではあるが、王妃がゆるい遊牧民であったため影響で
皇太子は緩い環境でそだち、日本アニメと日本車を愛好してる
またサルマーン王も日本刀マニアである
946世界@名無史さん
2018/05/19(土) 03:43:31.280
>>912
青い目は演義の設定やぞw

赤いのも髪じゃなくてヒゲ、しかも紫髯だからちょっと色味がかってるけど
黒がベースで少し赤いって感じだから黄色人種でもたまにいるんだよなぁ
947世界@名無史さん
2018/05/19(土) 18:17:39.340
>>945
有力だが他にも継承権はあるでしょ
948世界@名無史さん
2018/05/19(土) 20:19:29.280
うつろ舟の蛮女とか日本の伝承は赤い髪の外人が何故か多い
ガラスを張った円盤で漂着して、美人で礼儀正しく見えたが
「こいつはアメリカかオランダの王女にちがいない。彼らが法でさばく追放者だから
打ち払え」とまた海に流したそうだし
949世界@名無史さん
2018/05/23(水) 14:26:38.350
今の中国人の先祖
950世界@名無史さん
2018/05/23(水) 17:13:07.520
中央アジアにも欧州にもロシアにも末裔は脈々と生息してるさ
951世界@名無史さん
2018/05/23(水) 21:46:56.100
羌やテイ、月氏なんかは弓騎兵じゃなかったの?
952世界@名無史さん
2018/05/24(木) 21:05:06.260
さいきん話題のシェルパ族も遊牧民で15万人の少数民族だと
ヒマラヤ登山が始まると、シェルパは高地に順応した身体を買われて荷物運び(ポーター)として雇われるようになった
953世界@名無史さん
2018/05/25(金) 20:49:47.030
シェルパも昔はテイや羌なんて呼ばれてたのか・・・胸熱
954世界@名無史さん
2018/05/25(金) 20:54:57.450
羌は違うでしょ
羌は西夏(タングート)と同じでチベットよりもビルマに近い
955世界@名無史さん
2018/05/25(金) 22:08:30.650
シェルパはチベット系ネパール人

日本人熟練者 Lv.1
シェルパ1 Lv.99
シェルパ2 Lv.99
シェルパ3 Lv.99
シェルパ4 Lv.99

だってさ。
956世界@名無史さん
2018/05/26(土) 11:32:10.860
羌はトカラ語で月氏の〜みたいな話もあるけど時代によって違うんか?
957世界@名無史さん
2018/05/26(土) 13:55:06.360
董卓は太師を名乗った。これは周の太公望。軍事長官である師の職に就いていたから、太師となる
周の武王を補佐し、軍師として殷を牧野の戦いで打ち破り、軍功によって
太公望は東に封じられ斉王になるから先祖は羌族というのは漢族でもめずらしいものではない
姜太公呂尚は羌族で、月氏ということになる。また羌人(月氏)は殷代では迫害対象
董卓が羌の先祖を重んじて太公望を名乗った

わかいころから剛力無双の男伊達をきどり羌族らの異民族と親しく交わったとされ
貴族の子女に妾になれとせまったが「おまえのような羌族は我が家門では、奴婢よ」
と罵られたとつたわってる。
また董卓将軍は西涼の国境を守備して遊牧民から国土を守り抜き
とくに、対・羌族戦線にたいしては異様に強さを発揮して百戦して百勝した
たぶんこれ、羌族の族長と顔見知り・親友であったことから、八百長だと思うのだが・・

イラン人の安禄山にもキャラは似ており、数百キロの異常な巨体をほこる
また老賊とされるほど年寄りながら公主など貴族の女に子供をボコボコ産ませた
それらからすれば董卓は完全な異民族となりそうだが、何故か
父親は小役人と伝わってる。
958世界@名無史さん
2018/05/27(日) 06:49:02.100
現在の中央アジアではタジク人が月氏の末裔とされる
このあたりでは、タジク人はおもに都市にすみ、テュルク語を喋る遊牧集団ウズベクに二別される
タジクとは王冠で、独特の帽子をかぶることからついたアダ名のようだ
キュロス大王の頃からペルシア人は例外なく帽子をかぶるので納得だ

ウズベクとは「我らが王」という意味でジョチ・ウルスの最盛期を築くウズベク汗の意味だという
ウズベク人は中央アジア最大の民族だが歴史的にロシアを破った日本に憧れており
日本人はウズベクを知らない、まったく片思いだと嘆いてる
959世界@名無史さん
2018/05/27(日) 07:23:56.590
フェルガナは大宛ともされ漢の武帝が名馬を求めたことで有名だ

ゾロアスターの発祥の地の一つともされ、
ロシア皇帝は侵攻し軍事要塞を造りスコベレフと改名される
さすがに革命後のソビエトではフェルガナの名を復権
現在のウズベキスタンではサマルカンド、タシュケント、フェルガナ
の3大都市が、3氏族、派閥を作ってる
政治のサマルカンド、金融のタシュケント、宗教のフェルガナだったかな

都市にはタジク人やロシア人も多く住み、独裁者カリモフ大統領も
ウズベク人を名乗りながら、母はタジク人だと気を使い
また母の教育により、心は日本人であるともしてる。ややこしいな
960世界@名無史さん
2018/05/28(月) 02:27:01.410
ってことはウズベク人のそれはトルコ人が日本を崇敬する気持ちにも通じるな
にっくきロシアを(日露戦争で)やっつけてくれた日本に対するトルコ人の親日っぷりは半端ない
961世界@名無史さん
2018/05/28(月) 03:51:16.540
たいして親日じゃないで今
962世界@名無史さん
2018/05/28(月) 04:00:28.250
親日って言葉にだまされてはダメ
よくアラブ諸国民は親日というが、反日ではないが、非常にビジネスライク
日本人旅行者をカモにしている観光業者も多い
963世界@名無史さん
2018/05/28(月) 05:57:34.530
ソ連から自立したスタン系の国には反露感情がつよく
イスラム系で宗教も民族も違うのだから当然でソ連末期には抑えられなくなり自立した
代表はチェチェンがロシア軍とはげしい戦闘を繰り広げたことで記憶に新しい

100年ほど前、中央アジアでイマーム(指導者)としてロシア帝国と激しく戦った一家は
トルコに亡命したが英雄として迎えられ、その息子はトルコ軍の元帥になってる
この辺の反露運動の黒幕は大国トルコで中央アジア・南ロシアに影響力を保持してる

そのトルコと結び付きが強いのはドイツで、ロシアが北欧に伸びる前に
南で苦しめて勢力を削いでおこうという戦略でトルコには昔から経済・軍事援助してる
ロシアに苦しんだ西欧人の深謀遠慮なのだな。同じ利点は日本にも有るはずだ。
ましてや日本もトルコと同じ民族、テュルク人ということになってるし
中央アジア最大の民族集団テュルク人と仲良くしたほうがいいんじゃないかな
964世界@名無史さん
2018/05/28(月) 23:21:37.950
>>962
それって将に台湾人にも当てはまらない?
965世界@名無史さん
2018/06/04(月) 22:11:34.790
今の中国人は彼らの子孫
966世界@名無史さん
2018/06/08(金) 20:39:10.740
西遼て金に追われた遼の残党が西に行って建国して近隣従属させたりして最後婿というか建国助力してくれた連中に乗っ取られムスリム敵に回しモンゴルにやられるとか波乱万丈だよな
967世界@名無史さん
2018/06/08(金) 21:00:15.220
後西遼はイランの地でムスリム化したけどな
968世界@名無史さん
2018/06/10(日) 00:00:21.320
倭寇の頃、中国本土に月港(ムーンハーバー)という倭寇の本拠地があって
船の建造や物資の補給を月港二十四将が請け負っていた
もちろん中央政府は攻撃したが月港二十四将は屈せず討伐軍を追い払ってしまった
日本人はインドの貨物船を略奪してイギリスの海賊船まで日本刀で略奪した
倭寇の船は大型で、中国人琉球人日本人紅毛のポルトガル人まで乗っていたという
日本がインド洋を制するなんて、海に国籍はないんだなー

月港(ムーンハーバー)や月港二十四将という中2病くさい名前は月氏からきてるんか・・
969世界@名無史さん
2018/06/10(日) 10:50:45.750
>>967
イランまで落ち延びた契丹人がいたのにはビックリだ
970世界@名無史さん
2018/06/10(日) 17:20:27.710
西遼の皇族バラク・ハージブ
ターヤンクー将軍の兄
イラン東部ケルマーンで、ケルマーン・カラヒタイ朝
この人ですかいやあ勉強になりました
971世界@名無史さん
2018/06/10(日) 22:17:21.500
>>968
日本人って、海賊に向いているのかもなw

英国人と同様、周囲を海に囲まれ、海とともに暮らしてきたから
972世界@名無史さん
2018/06/10(日) 22:49:30.060
匈奴世界帝国と言ってもその範囲は、北中国とシベリアとイラン東部ぐらいで
太平洋とインド洋をあまねく制覇して白人やら琉球人を手下にした倭寇帝国のほうが遥かに広く強大
南インドでは日本人といえば何をするかわからないと最も恐ろしい種族とされた
匈奴?ナニソレおいしいの状態

蒙古の日本敗北後、明も清も日本海賊には手を焼いて北虜南倭だと嘆いており
そのまんま沿岸は海賊の猖獗に任せるままになり弱い政府がようやく海賊を一掃したのは
1870年になってからだとさ。
973世界@名無史さん
2018/06/11(月) 02:35:07.660
16世紀後期には中国人や朝鮮人がメインだろ
2000人の倭冦が40人のスペイン兵に虐殺されたりして恐れられていたよな
974世界@名無史さん
2018/06/11(月) 10:17:58.430
>>970
バラク・ハージブって、耶律阿保機の血が流れているの?
975世界@名無史さん
2018/06/12(火) 17:20:46.810
>>972
フン+匈奴の最大版図は西欧の一部+東欧+モンゴル+ロシア+中亜+中国北部+中国西部のそれに近くないか
976世界@名無史さん
2018/06/16(土) 20:39:31.000
プレートアーマーに身を固めた重装歩兵でも弓騎兵の騎射やイングランドのロングボウにはなすすべがないのですか?
接近戦だと打撃系武器が使われてますが
977世界@名無史さん
2018/06/16(土) 21:05:10.610
>>976
そもそも、プレートアーマーは騎士(重装騎兵)のものだから
978世界@名無史さん
2018/06/16(土) 21:16:26.580
厚いプレートアーマーは数十キロで重すぎて歩兵は着れない。鉄騎や重騎兵のみ

重装歩兵はローマ時代から鎖帷子が主流で、頭を守る兜は頑丈
薄い金属を叩き伸ばしたようなラメラーアーマー(日本鎧に近い)もあったがいずれも軽量で
刃物には強くても、弓や槍の貫通力には抗し得ない

ローマではアフリカ兵がよわくガリア人やゲルマン人が強かった。熱帯は軽装にならざる得ず
半裸のアフリカ人と重装の野蛮人がぶつかれば勝敗は明らかだ
なのでローマ帝国は北欧の野蛮人をおそれ、アフリカの野蛮人を軽んじていた

モンゴル騎兵は革を3枚かさね、刃物が叩きつけられても
刃先がそれてしまう効果を狙う。寒い地方ならではの知恵だろう

イヌのような顔で戎服(軍服)をきていた犬戎も似たようなものだったのでないか?
西周は鎬京(長安)にすみ、革の服を着て、羊肉を食べる生活をしていた。モロ、遊牧民
犬戎の親玉みたいなもんだ
979世界@名無史さん
2018/06/16(土) 23:27:04.510
ワールシュタットの戦いで緒戦、軽騎兵にちょっかい出して撃退されたり煙幕に分断された騎士が殺戮されましたがプレートアーマーではなかったのでしょうか?
980世界@名無史さん
2018/06/17(日) 07:36:40.660
バトゥのルーシ侵略を描いた「フューリアス」ってロシア映画見たんだが日本人の俺から見てもモンゴロイドが憎くなるような内容だったわ
見た目は醜い、風習は野蛮、性格は冷酷で残虐
そらロシア人やヨーロッパ人が黄色人種を見下したり嫌うのは無理もない
981世界@名無史さん
2018/06/17(日) 08:11:55.910
>>980
でも、その元寇を2度にわたり撃退したんだぜ
我が日本の鎌倉武士達が
あぁ誇り高いわ

ポーランド東部で、ドイツ・ポーランド騎士連合軍が蒙古騎兵の大軍に全滅させられたのに
つえーわ 我が日本の兵達は!
さすがサムライだな
982世界@名無史さん
2018/06/17(日) 08:23:40.630
それがロシアの北辺にはサモエド人(エスキモー)、トナカイ遊牧民が古来よりいて
顔は中国人で丸顔で黒髪、東北の農婦みたいな風体

かれらはよく辺境を略奪した。害獣みたいなもんだが
何故か、インディアンのように劣等民族皆殺しにせよ、というロシア指導者が現れなかった
ロシア皇帝がアジア系を殺そうと言えば「なんて残忍なやつだ」という人も多かったろう

それは日本の天皇が「アイヌや沖縄を根絶やしにしろ」と言わなかったとおなじで・・
同じ遺伝子を北欧やロシア人は数割程度ひいてるようだし身内意識があった
またナポレオンの死闘で勝ったのはモンゴル系の将軍のおかげであり、ヒトラーにとどめを刺した
のはジューコフが極東から連れてきたモンゴル師団だった

嫌悪感があったのは、むしろ白人系のユダヤ人で皇帝が自ら指揮してポグロムなど
集団虐殺をはじめた。これは西欧の偏見が輸入されたものだ。プーチンはユダヤ嫌いだ

ラトビアやエストニア人など北欧人の差別偏見もひどくソ連時代には
皇帝銃殺のためにレーニンに選ばれたのは皇帝を憎悪するユダヤ北欧人部隊だった

ソ連のボスのレーニンが、ロシア貴族でカルムイク人(モンゴル人)であった
これがいわゆるロシアの上流だもの・・
983世界@名無史さん
2018/06/17(日) 09:26:20.160
北方遊牧民・烏桓戦に抜群の強さをみせた曹操は幼時から弓馬の腕を磨いていた
曹仁、曹洪、夏侯惇、夏侯淵・・どれもコーエーゲームの戦闘力99だ
いとこや支族は全員そうであり、宦官一族は皇帝の身を守る秘書官のようなものなので
「宦官てオカマ?」と思われがちだが武芸を日々鍛錬した

皇帝警護でイザというときは戦うので曹操の家はとくに騎射の術をしこまれた
曹丕も百発百中で家来に褒められたが「誰にもできる。できないやつがいるのか」と激怒した
袁紹は婦人のように優雅と言われたのでちょっと変な一族だった
孫堅も盗賊退治で成り上がった武闘派で「学問がないやつが太守になった」と笑われてる

アッチラは自分の子供よりも「使える」ゲピード王などゴート族を将軍として重んじた
おそらく激戦の連続で子供が戦死するのは耐えられなかったのかもしれない
当然ながらゲルマン人重臣はアッチラのために武芸をはげみ、息子は長椅子でごろごろ寝ていた

織田信長が10人の弟よりも、光秀や秀吉など他人を軍団長にしてこき使ったのに似てる
ただ、フン族にとって異民族はあくまで奴隷だ
アッチラの食事には両脇に叔父とゲルマン王がすわり、身内と外国人のバランスを取ったという
とにかく他人なのだから気を使ったのは間違いない
アッチラが怪死したとき、ゴート人奴隷である軍団長たちとフン族の決戦では
とうぜんまったく相手にならなかった
アッチラがもうチョット息子たちを将軍として鍛えるのが早ければ匈奴欧州帝国は永続したかも・・・
984世界@名無史さん
2018/06/18(月) 00:56:04.950
ロシア人がモンゴロイドに身内意識なんかあるとは思えないがな
むしろ否定してるだろ
985世界@名無史さん
2018/06/18(月) 06:42:27.570
ロシアもプーチンがネコ好きという設定にしたり(イスラム教徒は猫スキ)
中国も蘭州ラーメンを売り込んだり(回教は豚骨ラーメン食えない)
中央アジア民族にいろいろ気を使ってるよ
986世界@名無史さん
2018/06/18(月) 12:02:34.150
>>983
エラク、デンギジック=信雄、信忠、信孝?
987世界@名無史さん
2018/06/18(月) 22:19:36.630
>>984
身内意識どこか真逆だよ
ロシア帝国の母体となったモスクワ公国は、
モンゴル人の偉大な大モンゴル帝国に分封されたキプチャク・ハン国のさらに手下の国家だったからね
キエフやモスクワにモンゴル軍の騎兵の大軍が襲来してルーシ(ロシア人)は皆殺しにされ、
家屋は焼き討ちにされた民族の記憶が根強い
モンゴル人(広く黄色人種)には恐ろしさを潜在的に抱いている
988世界@名無史さん
2018/06/19(火) 13:26:42.070
>>987
そちらの感覚の方が近いと思うね
ただし東方へ行くほどロシア人にはモンゴロイジの血が混じっているが
989世界@名無史さん
2018/06/19(火) 20:17:47.790
モンゴルは仇だがテュルクはキエフルーシ時代から混血してきて同胞みたいなもんだろ
990世界@名無史さん
2018/06/20(水) 20:14:05.580
>>989
それはあるね
コサックなんかも融合体のような感じ
991世界@名無史さん
2018/06/20(水) 20:55:11.170
テュルクとナイマンは近い人種なの?
992世界@名無史さん
2018/06/20(水) 21:16:46.250
>>991
ナイマンはテュルク系だろ。
993世界@名無史さん
2018/06/20(水) 21:26:07.400
匈 奴3
http://2chb.net/r/whis/1529497541/
994世界@名無史さん
2018/06/20(水) 23:24:48.130
ケレイトも?
995世界@名無史さん
2018/06/21(木) 02:45:45.450
どちらもシャーマンおよびネストリウス派を信奉している集団で
テュルクぽい言語は話すしているような気がする集団でしかないだろう
996世界@名無史さん
2018/06/21(木) 06:48:38.300
明代には東がモンゴル、西がオイラト、北はキルギスの三国となる
ケレイト部族はカザフスタンなどに残ってる模様
997世界@名無史さん
2018/06/21(木) 20:08:58.640
結局匈奴は何物と言う結論はまだまだだな
998世界@名無史さん
2018/06/21(木) 20:38:24.010
ここで性急に結論を出したくないが

・狄(テュルク)が先祖。という
・北方からきた、ともいう
・突厥やキルギスはシベリアのエニセイ川から南下
・また、匈奴滅亡後なのに、突厥やキルギスは匈奴、祖先は同じだと称する
・月氏(トカラ人)はオルドスの西、甘粛にひろがる。月氏20万騎という
・匈奴の王族は彫りの深い顔、グリーンの目を持つ
・グリーンの目の民族と言えばパキスタン・アフガンに広がるパシュトーン人
・パシュトーン人の固有遺伝子をたどるとエニセイ川の少数民族にいきつく

という史実からすれば、すくなくとも冒頓単于の代の匈奴は

下層民は狄(テュルク)
王族がエニセイ川から南下し、月氏とも混血していた白人系
当時オルドスに勢威を振るっていた月氏が吐火羅人であれば、匈奴の言語はトカラ語
999世界@名無史さん
2018/06/24(日) 01:57:43.000
犬戎
1000世界@名無史さん
2018/06/24(日) 01:58:11.050
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