>ここまで壮大な演出が施された自殺って異常だと思う
西部「ドストエフスキー「悪霊」の登場人物であるスタヴローギン。
僕が興奮したのは、静かな気持ちで自分が首を吊るロープに滑りやすいように
石鹸を塗り、それで平然、粛然と死んでいくという、ある種の近代合理主義の恐ろしさ、
それにです。そこに興奮している自分は危ないぞ、そう思ったのが十八か十九の頃です。」
表現者74号座談会
死に追いつめられるスタヴローギンは、縊死に際して締まりがよいように自殺用のロープに入念に石鹸を塗り込むむなど
死ぬ瞬間まで明確に合理化された、その自意識に私は圧倒された。
西部邁「死生論」
>だったら自宅で服毒自殺するべきだったよな
人生を完結させる明確なフォルムのイメージを、西部さんははっきりと持っていたように感じる。
これもさかんに二人が保守主義について語っていた頃のことである。
ラファエル前派の画家が描いたオフィーリアの水死の絵がとても好きだと、西部さんは言った。
ハムレットが死んだと思い込み、川に身を投げて亡くなったオフィーリアの、水中花に囲まれて
川を流れて下っていく姿を、とても美しいと言った。
中沢新一「深々とした畏怖の感情」
右翼には天皇が居るからね
オフィーリア西部を偶像化する必要なんて無い
そう、ダサすぎだし、ちっとも神聖だと感じないんだが
死をつかって「表現」をしようとしたのだろうと思うわなあ
あれだけゴテゴテと細工をしたのだから
わざわざロープに括り付けて川に浮かぶ姿というのは
オフィーリアに発想を得たのだろうね
美しく、また畏怖を感じさせるものが神聖性を帯びるんだよ
その演出をしたと思う
そのためにわざわざ顔に傷つかないようにマスクまでしていた
オフィーリアの絵は、死んでいるんだけど、生きているかのように見える
そこに死にたいする畏怖を絵の美しさの中に自然に表現していると言えるだろう
なぜ、二人に手伝わせたのか
自分で死のうとしたら生きているような死に顔にはならないから、ではないかな?
オットーの言うヌミノーゼというやつかな
それを演出したかったんだな
ゴクローサンした
そんなに詳しくないけどタバコを賛美しまくってたりどうしても理解できない、大嫌いな部分はあった。結局、タバコ吸って酒飲んで体を悪くして鬱病になって時代についていけずスマホを異常に敵視して
スマホ人間が巷に溢れているだの、人類は終わりだと勝手に悲観して絶望してグダグダ言いながら人に迷惑かけて死んでいっただけに思える。特攻隊なんていう最悪の失敗例を賛美したのも理解できない。
男は戦場で死なずに生きながらえても糞袋と変わらないってのも賛同できない。どんな美学があったのか知らないけど、人の命を何だと思ってるんだ、このジジイは。この年まで残念ながら生きてしまったと言うけどだったらもっと早く死ねばよかっただろ。
最後の誰よりも醜い死にざまは何だよ。昔は貧しかった、寒さに耐えた、吃音だったと言うけどもっと苦しんでる人はいるしそれ以上に恵まれていただろう。結局、戦後を生きてきた甘ったれた老人、幼稚なナルシストとしか思えない。
>>便通が良くなるCMへの文句
「どっさり」を連呼するやつは俺も嫌いだな。
1000 右や左の名無し様 sage 2018/04/22(日) 23:32:51.30 ID:XX/gXETx
さよなら表現者
↑
頭の悪いニシベ信者みたいだな
罵り合ってスレ埋めたのなら、あなた達で次スレを立ててよw
中森明夫@a_i_jp
昨夜は「西部邁先生を偲ぶ会」へ。政治家とかのつまらないスピーチに辟易として、ああ、この場に西部先生がいたらなあと。
酔っ払ってスピーチを求められ、自殺ほう助で逮捕された二人は、よくやった! 西部先生の最期の望みを叶えて、
美しく死なせてあげた。罪に問われるのも覚悟で。立派です! と
森明夫@a_i_jp
会場は、半分は凍りついて、半分は拍手喝さいだった。西部先生に見ていただきたかった。
西部邁に恥じるスピーチだけは絶対にしたくなかった。
中森さんは自分が幇助依頼受けたら喜んで引き受けたんだろうか。
女王陛下ばんざーい!
と言って亡くなられたという噂
佐藤健志なんかのくだらん追悼文というか侮辱文載せるならなんとかして中野剛志を説得して書かせろよ
佐藤健志の理屈は子供が駄々をこねてるようにしか見えなかった
置いてかないでよ〜って
ダンスさん、リツイートばかりじゃなくて自分の言葉で呟けばいいのに