天正10(1582)年6月2日、天下統一を目前にした織田信長が家臣の明智光秀の謀反によって宿泊していた本能寺を急襲されて死亡した事件。
果たして本能寺の変の黒幕は誰なのか?
明智光秀の単独犯なのか?羽柴秀吉なのか?徳川家康なのか?足利義昭なのか?朝廷なのか?
本能寺の変についていろいろ考察・検討していきましょう。
どちらにせよ明智光秀のせいで稀代の英雄・織田信長が死んだ。
明智光秀許すまじ!
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)
この本はたいへんよくできている。光秀が細川の家来だったことや、愛宕百韻のところは必見。
読んでその他の間違いに気付くようになったら、自分がレベルアップした証拠。
>>4 徳川家光がじつは、春日局の実子だった、という巻末の説が興味深いよ。
家光の母親は春日局だった、と書かれている本が、徳川家の文庫にあったから。
家光は、家康の家、光秀の光、をとったものだという。本能寺を襲撃した先手衆の一人、本城という
者が書いた覚え書きには、「家康を討つとばかり思っていた」という記述がある。
信長は、本当に家康を討つつもりだったのだという。本能寺の南側から侵入したのは本城という男だが、
北側からは斉藤利三がまっさきに突入して、明智軍の重臣ではあるが、まさに最前線で指揮をとっており、
手柄は筆頭。その娘が春日局なのだから。
斉藤利三や光秀が殺されたことを家康は気にしていて、孫に家光という名前をつけた、という。
ただ、これは著者の勇み足による推測であって、家光の生まれる1年前に春日局は子供を生んでいる。
この事実は極めて重要で、
乳母として採用されて教育係とはいうが、乳を与える本当の乳母として採用されたし、
春日局が実の母親だと書いた本は、他の箇所がいろいろ間違いがある本で信用性が足りないので、
実の母親説や家光の光は光秀からという説は、怪しいと思われる。 松平定知氏「本能寺の変仕組んだのは黒田勘兵衛では」と分析
2014.01.04 16:00
毛利輝元との和平交渉とそれに続く(明智光秀討伐の)中国大返しの手際の良さをみると、私は黒田官兵衛が本能寺の変を仕組んだのではないかとさえ思っていますが、この高松城址の地(岡山市)に立ってみて、その読みに自信を深めました。
というのは、高松城は難攻不落だったので豊臣秀吉は織田信長に援軍を要請したとされていますが、現場を見る限り、深い堀も壮大な石垣もない平城で、とても難攻不落とは思えないからです。
http://www.news-postseven.com/archives/20140104_234455.html どっかで教授やってんじゃなかったっけ?
その勢いで歴史分析までしちゃってんだろうが黒田説なんて論外だよな。
で、>>5の信長が家康討つ云々も、光秀が家臣騙すために言った嘘だと思うけど。
当時は本願寺書記官の日記に「家康接待のため信長奔走」ってのもあるんよ。
信長が家康にお礼しようと思って走り回ってる様子が伝わってくる。 信長公記では、浅井長政も家康も、信長の「舎弟」と記述されているね。
信長の手紙からは、長政相手だと、もうほとんど子分扱いしてしまっているが、
家康への手紙となると、うってかわって、信長はずいぶん気を使って丁重なのだという。
浅井長政はそれを根にもって裏切ったともいえるという説があるのだが、
家康は若いころから、信長から一目おかれている。
家康は信長の家臣ではないので、領地の配置換えなどもされない。
なお、信康事件では、信長は「家康に任せる」と言っただけで、切腹は命じていない。
>>8 「家康接待のため信長奔走」は、武田攻めのあと、
帰路は富士山見物しながら家康から、接待攻めにあったことの返礼もあるね。
信長公記による富士山見物の箇所は、太田牛一も従事したようで、
富士山をほめちぎって、その浮かれっぷりのはしゃいだ記述は、全軍有頂天といった感じだ。
ただ、信長にとってはこれは一生で最後の娯楽休暇、となったようで、たった3ヶ月後に死ぬ。 信長が家康を本気で討つつもりだった説は、根拠となる文書が3つもあるので、無視できない。
1つは、本城惣右衛門 覚書。「家康を討つとばかり思っていた」という記述がある。
光秀が家臣騙すために言った嘘か、または兵が勝手に解釈したともとれる。
2つめは、フロイスの報告書。「京に向かうことになって兵たちはいぶかり始め、
家康を殺すためであろうと」という箇所がある。これも、想像で家康を討つのだろうという説かも。
3つめは、老人雑話。言った人は当時の名医で、信長や細川、秀吉と直接やりとりがあった。
その医者が言うには、「信長は、機を見て家康を討つつもりだった」と断言。
上記3者は、いずれも相互に関係がない人たちで、それが同じ証言をしている、ということは
事実である可能性が(も)ある、ということだ。
>>12
その説明だと特に重要なのは名医の証言だろうが、この人ウィキにはこうあるよ。
>永禄年間に祖父が信長に圧せられ出奔、京都に隠棲。江戸時代肥後熊本藩主加藤に仕え…
本能寺変の頃、10代後半で祖父さんと京都にいたかも知れんけど、信長とは接点ないよ。
ってことは当時京に流れてた噂を耳にしたってだけで、他の二つの証言と同種類。
雑魚証言が3つあるってだけで、さほど有力な証拠にはならない。 家康に謀反の気配が有ったのならともかく、北条、伊達、西に毛利、島津、大友などの
強敵控えていて、家康の利用価値はまだまだ有ったから、暗殺はありえない
うん、あと信長がホントに暗殺考えてたら、北畠にやったような方法だと思うな。
家康の時だけなんで大げさにやり方変えるのかと…
>>15-16
とても丁寧にありがとう。そこまで言うなら雑魚の表現は撤回します。
ただそれでもその史料は秋刀魚レベルじゃないかなぁと。
戦国時代を体験した本人が書いたわけでもなく別の人が代筆。
しかも変から100年後。細川や秀吉から聞いたと明言してるわけでもない。
史料内容もこういう解釈だってできる。
「明智の乱の時、…信長は側近に家康を案内するよう命じた。(そういやこんな噂も当時あった)隙を見て害する謀りだったって」
本願寺書記官の日記も、このネタに関しては史料として最高級ってわけじゃないだろうけど、
信長が接待準備に奔走してるまさにその時、話を聞いた書記官本人が書き残してる。重要度はこっちの方がはるかに上じゃないかな。 >>19の14には、かなわんな。
変から100年後?!。その医者は100歳まで生きたが、18歳のとき本能寺の変で、
晩年になってから友人に語ったとして(その友人が執筆)、
変から70年くらいも経っている。そんなに年月が経ってから語ったのでは、信憑性は落ちるわな。
本願寺の日記の方が、当日執筆だからそちらが一次資料だ。 では、本能寺の変が起きた、まさにその当日の日記の原文が、たまたまネットで見つかったから引用。
徳川家忠が書き残している。なお、これは老人雑話とは関係なし。
www.komazawa-u.ac.jp/files/766/ietada_yokoku02_hon-noji.pdf
↑勝手にダウンロードされるので、注意。
本能寺の変で、信長と信忠が死んだこと、家康は堺にいることなど、正確な情報が伝わっている。
毛利家へ伝わった本能寺情報とは大違いだ。
この中で
「穴山者腹
切候」
とある。雑兵共200余で、穴山の連れ一行を殺害し、穴山は切腹させた、と見なすのが新説だ。
家康と伊賀者を合わせた約200人でな。
武田攻めでは、木曽義昌が功労の筆頭だが、穴山も2番目に信長から感謝されている。
その穴山は、まさか殺されるとは思っていなかっただろう。多分。
>>20-21
同意ありがとう、感謝です。 で、そうだね、変から100年は大雑把でした。
それで徳川と毛利の織田情報獲得力の違い。
これはもともと持ってるパイプの太さ違うからじゃ?
穴山の殺害は例えば信長公記では「一揆にやられた」って書いてたと思う。あれって家康への配慮かね?
信公記と家忠日記?では家忠日記の方が信憑性高いもんな。 信長公記の神君伊賀超えは、すごくあっさり書いてあるね。
信長公記の一番最後の記述のところ。「一揆にやられた」って書いてあるわ。
家康公、和泉堺より引取り退かれし事
然るに、徳川家康公、穴山梅雪、長谷川竹、和泉の堺にて、信長公御父子御生
害の由承り、取る物も取り敢へず、宇治田原越えにて、退かれ侯ところ、一揆ど
もさし合ひ、穴山梅雪生害なり。徳川公、長谷川竹、桑名より舟にめされ、熱田
湊へ船着なり。
家忠は、黒人を見て「名は弥助、身の丈六尺二分」と書いた。
六尺二分とはずいぶん細かい数値だ。約187.8cm。
身長180センチのオイラの経験からいって、鴨居の高さ(180センチ)で頭をぶつけることがある
ことから想像すると、弥助が鴨居で目のあたりまで隠れる、ということから家忠は、
身長を算出したと思われる。家忠はけっこう細かく、正確に書く。信憑性は高いだろう。
>>22 信長公記は、信長本人のことは正確に書くよう太田牛一は努めているが、
家康に関しては、信長よりもずっとずっと配慮している。
なるべく呼び捨てにはしないようにしているし、言い回しも敬語を使ったり
(例 「家康公、陣を懸させられ」)
信康事件などは、丸ごとカット。牛一が信長公記を書いた晩年のころは、家康は征夷大将軍だもんで。
穴山梅雪の殺害は、一揆に殺されたとも家康に殺されたとも、両方の説があったが、牛一としては
どちらが正確とは判別つかなかったろうから、家康に殺されたとは書けなかっただろう。配慮だな。 信長公記って原本あるの?かなり修正されてるんじゃない?
時の権力者の黒部分は書かないだろうし
だいたい女なんていなかったらしいのに、信長は女達を真っ先に逃したとか
腹切って死んだとかどうなのよ?大田牛一さん
ある人の推理によると秀吉の手下がまっさきに信長と信忠を殺害して死体を持ちだしてどこかへ隠したとか
だから死体が見つからなかったらしい
>>24
家忠って絵も描くから(一部が絵日記)目算上手かったのかもね。24の憶測も鋭い。
>>25
穴山事件で牛一が気使ったのは、徳川様の武田統治に不都合が生じませんように… だったかも? 家忠日記は、日記といっても、実際は
備忘録
だからな。だから落書きも書き加えたり。
織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!
という本が7/22に発売される。
著者は、思い込みが激しい性格ではあるが、資料分析や読み物としては、充分おもしろい。
前著の「本能寺の変 431年目の真実」はヒット作。
>>27
あなたの推理はどうなの?歴史学上に残る推理なんでしょうね 大田牛一は、本能寺にいた女から、信長の最後について話を聞いたんだよ。
能寺にまっさきに突入した本城という兵も、本能寺の中で女をつかまえて斉藤利三に引き渡している。
>>26は「だいたい女なんていなかったらしいのに」とか言っている時点ですでに却下。 http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1261910946/l10
「尊経閣15冊 信長記」は、信長公記の中でも異色の内容で、信長の最後は、ひじに銃創を受けたとか
光秀は田んぼの中をはいつくばって隠れていたところを百姓達が討ち取った、と、異説が載っている。
牛一の自筆本ではなく写本なので、異説は半ば無視されてきたが、
フロイスの記録(本能寺で信長の背中に矢が刺さって、それを抜いて戦ったとかの例の話だ)
が本能寺の変のわずか4ヶ月後に報告されており、銃創だの田んぼの件は、フロイスの文中と
同じなのである。すなわち、「尊経閣15冊 信長記」が自筆本よりも、さらに古い時代に書かれたものである、
という可能性が出て来た。信康事件でも、「信康が不慮に狂乱」と、謀反ではないけれども
個人の性格がおかしくなったとぼかしているので、
古い順からいえば、安土日記(信長を、上様と表現)、尊経閣15冊、池田本(又は建勲神社本)ということになる。
なお、尊経閣15冊は、池田本で池田を顕彰して、すり消して加筆された部分が、尊経閣15冊でも同じ内容が
載っているから、
古い順からいえば、安土日記(信長を、上様と表現)、池田本(又は建勲神社本)、尊経閣15冊、
ともとれる。
ただ、すり消して書き換えた部分が、尊経閣15冊は池田本とは、書き方が違う。言い回しが違う。
よって池田本を書き写したものではない。という、摩訶不思議な内容を示しているので、
現在、調査中である。オイラはその報告が雑誌に乗せられたのを読んでいるだけ。 もし、「尊経閣15冊 信長記」が最古の原稿(を元にして書いた本)だとすれば、
これには、長篠では鉄砲三千梃と書いてあるので、じつは3000梃が正しい、ということにもなる。
建勲神社本では1000梃だけど、これは晩年になってからの自筆本。
文中の語彙をこまかく顕彰して、どちらが古いか精査しなくてはならないのだが、大変ややこしくて、
明智が必要だマジで。名探偵 明智小五郎ね。
読み手都合なだけなんじゃね?
輝政がおもろいからもっと読みたい。他にないの?と言ってできたのが
池田本だがこの時すでに実は成立していた可能性は否定できまい。
要するに何が言いたいのかというと何種類かすでに書いてあって
読み手に合わせて薦める版を変えていたんじゃないかなと。
どっちがどっちを写本してなんじゃなくすでに両方存在したみたいな感じ。
何種類かあるよね。
太田牛一が「書いてある本をいますぐお渡ししたいところですが、書き写したいという人が
いて貸し出してあるので、今できません」と書いた手紙がある。
牛一は、手元の日記やメモ帳のたばから、信長公記を書いてまとめたわけだけど、
15冊にまとめて書いたのは、晩年になってから。それまでは1冊とか2冊、を部分的に作り上げて
(大阪の本願寺の戦いとか)、これは人にあげたり、書き写されたりしていた。当時も、欲しいという人が
いるんだからしょうがない。
で、あげちゃっているから、牛一は手元にその本がない。また信長公記の本を書こうとすると、
また原稿のメモ帳のたばから、またまた書き写したりして作り上げることになるから、
前回の本とは言い回しが違ってくる。書き方が微妙に違ってくる。また、いろんな新しい情報が
武士から回顧話として聞くことがあるから、それを書き加えたりして、その言った本人が
書かれた本を欲しがるものだから、(家老クラスの人からなので、断れない。天皇に近い身分の女の人からも、
宮内の乱交事件!の話があって、聞いた牛一は、女の人にも読めるようひらがなで本を作って、贈呈してる)
まさに、信長公記の各種本は、内容が微妙に何種類もありすぎる。
>>35池田本だがこの時すでに実は成立していた可能性は否定できまい。
すでに成立していたよ。墨書きした本を、すり消して(ツバ付けてか?)、その上に
池田輝政の名前を入れて、戦に参加して活躍したことを書いてある。
すり消したということは、すでに本が書かれていた、ということだ。
これが池田本の特徴でもあるから、写本したものでも、池田輝政の記事がそのまま書き写されている
ものは、全て池田本自筆本の後年になってから書き写されたもの、と見なすことができる。
つまり池田本自筆本の内容さえチェックしておけば、他の池田系写本は無視してもOK。
書き写し間違い、下手くそ?な字を読み間違いして別の漢字で書いたりした誤字が時々あるから。 信長公記 池田本の、すり消し書き換えでは、池田恒興をた讃えるため、他人の武将名をすり消して
池田の名前を上書き(消した人名は、行の最後に改めて追記。)したことが有名だけど、
本能寺に関わることで、光秀の句の「天が下しる」を、
牛一がすり消して書き換えた!
ことも、ひときわ注目すべき箇所だろう。
「天が下しる」とは、「天下を統べる」という謀反の表明でもあるが、
じつは、原文は「天が下なる」で、「統べる」という意味はない。
紹巴も「あめが下なる」とあったものを、
誰かが自分をおとしめるため「下しる」に直したんだ、と泣いて弁明。
>>30
明智光秀の子孫を自称してる人の本ね。
あの人が書いた本ならろくな本じゃないだろう。 子孫氏の本、ちょっと見ただけで矛盾点ドバドバだもんな。
子孫が言う謀反理由「シナと土岐氏を守りたかったから」
シナの件は「陛下守りますッ」と宣言した信長を討ったとすれば辻褄合うけど、土岐氏守りたかったは嘘だろうしね。
実際土岐氏を保護した実績あるのは織田家で、子孫氏の主張めっちゃくちゃ。史料無視しまくり。
こんな感じだもん、子孫氏に信長脳は捜査できないよな〜と思うわな。
光秀もこういうぷっつんキャラだったら面白いけど。
子孫本、上のコメントで触れているように、あまりにひどい。
ただ、そのひどさは独特で、さまざまな点を緻密に細部まで解明したように書いているだけに、
かえって、すごいとんでもになってしまった。
家康を招き、明智軍を呼び寄せ、信長が座をはずして家康を明智に打たせる、というところにいたっては、
架空戦記顔負けで笑うほかない。こんな筋書きがありえないことは、子供でもわかるのでは。
(時間あわせータイミング、家康に気づかせないことの難しさ、信長を危険にさらすことなど、ありえないことだらけだが、
なにより、こんなことをするなら、信忠が討てば済むことだ)
家康が危険を感じながらも、安土城では大丈夫だろうと信長の接待に応じたというところもむちゃくちゃ。
安土城で大丈夫という理由もひどいが、そこで「袋のねずみ」になることを認めているのだから、
安土城では暗殺までは出来ないと仮に判断できても、家康が行くわけがない。
土岐問題もぜんぜん説得力がない。
ああ、あの本ね。
光秀と家康が組んでいたとしたら家康が伊賀越えであんな死ぬほどの苦労をしたことの説明がつかないわな。
家康が伊賀を通過していないどころか甲賀郡の蒲生や山中や和田らから
人質まで取って案内させており、安全に通過してるのに
なんで神君伊賀越えとか捏造してるんだろね。
実際のルートは
6/2和泉堺から南山城路を通り山城国宇治田原山口館宿泊(徒歩十三里)
6/3南近江路を通り近江国甲賀郡信楽小川館宿泊(徒歩六里)
6/4北伊勢路から伊勢路に出て伊勢国長太から海路で深夜には三河着へ(徒歩十七里)
信雄が伊勢から出陣していて、
日野と北伊勢の間の土山(東海道の土山宿・現在の甲賀市)に陣取っていたって話だし
もしこの時に家康が危機的だったとすれば、それは信長暗殺に関わっていたので、
信雄の襲撃を恐れて逃げていたことにしかならん。
臣従を強制された家康は安土城で信長に土下座して、
本能寺の変決行の時の光秀家臣は家康を討ち取りに行くと誤解してたし、
本能寺の変当日の家康は、 なぜか早朝から京に向かっていたし、
信長討ち取りを聞くと、 家康が通過できた安全な道を後から付いてきていた穴山を
殺すように村々に金を配り落ち武者狩りを唆して、織田軍を避けるように逃げてるからなあ。
さらに三河に帰り着くや信長の仇討ちとか声高に主張して尾張を火事場泥棒しようとして、
秀吉から光秀を速攻で片付けたから帰れよって恫喝されてるからな。
もちろん濃姫です。
かつて、自分が濃姫黒幕の歴史小説を書いたことがあるので間違いありません。
光秀は母親を人質に出して降伏を勧めたのに、その城主を信長に殺された
信長の方もその状況で光秀と理性的に向き合えるはずはない
普通に考えて気まず過ぎる関係だ
今後全ての古文書が見つかっても、謀反の理由が若干増減するだけだろうな
>>45
どうして本能寺の変の黒幕は濃姫だと思うのですか?
>>46
その濃姫黒幕の歴史小説のタイトルを教えてください >>42
伊賀越苦労したとは徳川筋の供述にすぎないからw 46です。
先に見解を提出した45さんに敬意を表して、45さんのレスの後にしようと思ったのですがw
表題は「武略夜話ーー真相黒幕本能寺(正史)」です。
「武略夜話」は「武功夜話」からとったもので、一筋の過誤もなく史実に忠実であろうとする姿勢を表明しています。
「武略」は、いうまでもなく、「武士のうそを武略という」との光秀の言葉からです。
この中では、光秀の優れた武略を多く描いています。
なお、濃姫が黒幕の中心ですが、ほかにも多勢います。
3/2 家康、穴山信君へ甲斐国乱入にあたり甲斐国を進呈する約束について、
年貢収入が無くとも2年・3年は織田信長より扶持が加えられるように取り成す。
こもし首尾通りにならなければ徳川家康が「合力」することを誓約。
という文書が『記録御用所本古文書』にある。この文書はじつは、信長に対して、
家康と穴山が連合して、謀反を起こすことを約束した秘密文書だ。
穴山には甲斐一国を与える約束をして裏切らせたのに、信長は穴山の所領安堵だけ
して、他の領地は没収してしまった。家康は、2、3年は信長と交渉すると言って
いるが、それでも駄目だったときは、家康は穴山と組んで実力行使をする!と
宣言している文書。
信長と家康の同盟は長く続いたことで有名だが、当時の同盟とは、実際には結婚などの縁組みで行う。
信長と家康の間の婚姻関係は、徳姫と信康の間の結婚で結ばれていたが、これはご存知のとおり、破綻してしまっている。
また、佐久間の追放では、他の家来で光秀が筆頭に好評価されており、秀吉が二番手に評価されているが、
この中に家康の名前はない。信長は家康を家来のように扱ってはいるが、家康は一国一城の主であり、
気を使う相手であり、信長の家来ではない。穴山と家康が組んでいるとなれば、じつに50万石以上の大兵力であり、
両人ともまとめて始末してしまえば安心できる。家康は信長を内心嫌っており、信長が死んだあとは
猛スピードで甲斐や信濃を占領してしまっている。明智光秀の討伐軍を出したのはその後になってから。
信長は、意外と謀反を起こされがちな性格のようで、
浅井長政を最初として、足利義昭、松永久秀、武田信玄、といった面々であり、家臣NO1の光秀に
さえ謀反されるありさまで、これは謀反とされる側からの意見としては、
信長の気質である「狡兎死して走狗烹らる(兎が死ねば忠実な猟犬も最後は煮て食われる)」を
あらかじめ察知して、煮られる前に縁を切られたのが実情である。
義昭、信玄の謀反w
長政だって、謀反とはいえない。
>>40
シナを守りたかったなんて書いてないだろ
むしろシナ遠征が億劫だったという内容だったような あの本の致命傷なのは、光秀が裏切ったのは、シナ遠征を防ぐため
という主旨のことだろ
新事実とか言うから明智家に伝わる未公開文書でも出てきたのかと思ったら
既知の文書を都合良いように解釈しただけだったからな
結論ありきの文献読みを否定してるくせに
自分が同じことしてるから話にならん
既知の文献なんて今まで数多の歴史学者が新解釈を披露しては爆死してるのに
アクセスできる先行研究にも文献にも制限のある素人が新発見なんてできるわけない
新事実の件では、「雨が下しる」の句は、しる=統べる の意味だったが、
本来の句は、「雨が下なる」と書いてあったことだな。既知の文書なのに皆気付かなかった。
信長公記にも「雨が下なる」と書いてある。牛一自筆の2冊のうち片方だが。
これを指摘したのは、別の研究者だけど。
というか、「雨がくだしる」「水上まさる庭のまつ山」「流れの末をせきとめて」と書いてある
セットの句は(信長公記の町田本を含む)、これは間違いだと指摘したのは秀逸だけどな。
連歌の規則に反しているから、と単純明快。ほとんどの日本人は連歌のことなんてしらないから。
連歌らしく、季節を歌ったら(今回は5月=現代でいえば6月ごろ)、次の句は、その季節を
織り込まなければならない。なのに「庭のまつ山」とか松を書いてしまっている。すなわち誤り。
本来の句は「夏山」になっている。
なんでわざわざ偽造したかというと、連歌の他の参加者が光秀の協力者で死罪にされるのを防ぐため、
書き換えたから。
「ときは今」は、土岐氏を暗示していることは正しい。=明智でもある。一族ね。
「ときは今、雨が下なる五月かな」これは表向きの意味は、「今は雨の時期だね」といったところだが
裏の意味は(和歌はわざと別の意味を含ませるのはよくあること)、「土岐氏は雨ざらしとなってい衰退している」と読んでる。
2句は「みなかみまさる庭の夏山」は、みなかみ=川の上流のこと。連歌らしく意味をつなげると、
「土岐氏の先祖よりも、いまの時の一族の人(=光秀)の方が、成長著しいですよ」と言ってる。
3句目も意味をつなげる。連歌だから。「花落つる 池の流れをせきとめて」は、土岐氏の本家筋である
池田氏は落ちぶれてしまっているので、そっちで土岐氏の本流とするのは辞めて、明智光秀さんの家系を
本家筋にしてしまいましょう、と言ってる。
これらの点を初めて指摘したのは、明智氏の子孫の本だな。
>>59
中国遠征を防ぐためじゃなくて、光秀自身が海外遠征が嫌だっただけという説だろ。
「シナ」を守るとか、「シナ」遠征を防ぐとか、何? 明智憲三郎は謀反人明智光秀のために
やりたい放題の解釈出しまくりで、まじで迷惑な存在
明智憲三郎により悪党にされたのは朝廷、秀吉、家康などなど
>>66
明智憲三郎の本はご都合主義で言い訳がましいとは思うが、
「中国を守る為」とかは書いてない。>>67が適当な事を言っているだけ。 >>67
本能寺の変をめぐる解釈は百出で、賛成できないもの、どうしようもないと思うものも多いが、
さすがに、謀反がいいのか悪いのかなどの儒教思想レベルの論議はそうない(ゼロではないが)。
子孫本はまったく賛成できないが、だからといって、だれを悪党にしたかどうか
などのところで批判するのは少々おそまつだ。 徳川の関与を指摘=徳川を悪党にした
ってどんな論理矛盾だよw
史実評価と善悪を切り離せない低能w
ご先祖様の悪評を何とかしたいってのが執筆動機だろ
それじゃ内容がカスみたいなものになるのは当然
子供の頃光秀の子孫ってことでいじめられたのかもな
うちの母親は、平家の系統ということで(源氏に対して)悪者と周りから言われ
自分もそう思い込んで、小さいころほとんど欝になったらしいw
スレチ失礼
>>72
それ半島系の特徴だろ親が民族民族と騒ぎ
自分から来た日本で幸せになれなかったのを全部日本のせいにするから
子のアイデンティティがグチャグチャ
家族のエゴ丸出しなのを儒教道徳だとか言い理性が無いのに理性を相手に求める身勝手さ
その性格が災いして尚更仲間で孤立してウツになるパターン
親の性格のせいで不幸だ 横からだけど >民族民族と騒ぎ
憲三郎先生を思い出してしまいましたすいません
あでも先生の場合は民族でなく「土岐一族土岐一族」だなw
憲三郎「先生」か。呼称としては、敬意を感じるね。
ともあれ、無視できないのは、資料の根拠を示しているところだ。
フロイスの文書、家忠の日記、信長公記の系統のうちの異本、など、解釈で見解がわかれるとしても
なにしろ証拠となる記述をセンセは指摘しているのだから、
センセの本はトンデモ本として無視することはできないだろうよ。
藤本正行の本にしても、桶狭間の正面攻撃説が否定されなかったすべての理由は、
信長公記から引用したから、に尽きる。
オイラが読んだ限りでは、憲三郎先生が調べる緻密さでは、藤本正行を上回る。ただ、ムラがある。
>>75
本人かよw
一般的にトンデモ本と言われてる本だって
ちゃんと根拠や資料に基づく主張くらいはしてるだろ
件の本は自身で否定してる結論ありきや三面記事的な文献読みを平気でしてる上に
キモである家康暗殺計画周りがgdgdすぎて完璧なトンデモ本だよ 信長公記は聖書なんで、一言一句そのまま読むのが正しいんです!って説か。
甫庵信長記から派生した後世の文書を
根拠や資料として主張したものは、全否定な。
話にもならんわ。面白いからよく引用されるけれどね。
なかには「信長公記」と「信長記」を勘違いまたは同じだと思ってる奴もいるだろう
信長公記と信長記という区別の仕方は、わかりにくい。
ここでいう信長記は、甫庵信長記と表記するやり方を支持するね。
信長公記は、なにしろ異本のひとつに「信長記」と書かれたものがあるからだ。甫庵のは除く。
80種類以上ある信長公記系のどの公記をソースにしてるのか
まず明記しろよ糞織田厨。
まったくどれをベースに話しているかわかんねぇよアホ
言葉使いの悪い人は、そういう脅迫めいた言い方をする人とは、実社会ならば、すぐ縁を切るね。
またいずれは追放されるものだ。危険人物というか犯罪予備軍だからね。
ネットだから生き残っているようなものだ。じゃあね。
菅沼くんは持論が砕けそうな時に、誰が見てもその場しのぎの言い訳(例えば>>82)をするから、
キチガイ扱いされるんだよ。
もっと真摯に相手と会話しないと。 俺は本能寺の変の真犯人(黒幕)は秀吉だと思う。
中国大返しが不自然なほど早すぎるしあらかじめ本能寺の変が起こることを知っていたとしか思えない。
>>81
津本陽の著書に「信長私記」というのがあったな 光秀は単なる詐欺師で信長を騙して佐久間を追い出した
将としての価値はあまりなく信長にゴマをすって領地を得た
問題なのは子孫と司馬遼太郎
最後に信長を己の欲にかられて裏切った光秀だが
そんな光秀をあまりにも美化しすぎ
はっきり言うと光秀は単なる詐欺師でゲス野郎で美化するために多くのこじつけ解釈が使われている
織田厨は光秀が憎くて仕方ないらしいけど、秀吉はノータッチなんだよね
しかめ織田厨の崇拝する信長像だって軍記や小説で作られた物なんだけどそこは疑いもせず司馬ガーとか
歴史認識が酷い
信長好きってのは馬鹿発見器みたいなもの
見た物、読んだ物を鵜呑みにして調べようともせず盲信する。精神的にも幼く、知識も浅い
全ての信長好きがそうでないのは解るけど、そういうおバカが多い
秀吉と本能寺の関わりが不明なのに秀吉に言及するほうがどうかしてるぞ
>>85
実際にはそんな不自然なほど早いわけじゃなかったそうだけどね。
秀吉スゲーと思わせるための秀吉自身の宣伝工作によるところが大きくて。 秀吉を疑ってるわけではないけど、早くなきゃ山崎で秀吉は勝てなかった
遅いと遅いほど、光秀の勧誘工作が進むんだから
単純に宣伝の為ってだけだと辻褄が合わなくなる
勿論、秀吉としても調略工作は必要だから宣伝が無かったわけじゃないだろうけど
本能寺で秀吉黒幕説を唱えるなら秀吉が信長を殺さなきゃいけなかった理由位教えてくれよ
その後が上手く行き過ぎたからってのだけじゃなくてさ
秀吉黒幕説を唱えているわけではないが
・単純に野望から
・信長嫌いで
・粛清を予測した
・日本のため(信長では天下統一が無理と判断)
これ全部織田家臣なら誰でも当てはめられる理由ですね
あ、誰でもと言うのは言い過ぎだ
有力な織田家臣というのに訂正
秀吉黒幕論がほかの黒幕論と違う点は、信長打倒の後、黒幕が実行者を裏切って倒したところにある。
そうだとすると、光秀にとっては、どこかの時点までは秀吉を黒幕と捉えていて
どこかの時点で裏切りを知って対決の体勢に入ったことになる。
その転換点はどこなのか。
それ以前に、秀吉を黒幕(同盟軍、等々)と打ち出さなかった理由は何なのか、
秀吉の裏切りを知った以降、それをどうあつかったのか(なぜ、裏切りを宣伝しなかったのか
宣伝したが秀吉がもみ消したのか、宣伝することが不利と判断したのか、など)
この辺の基本的な説明を見たことがないように思う。
ぜひ、説明してほしい。
光秀と秀吉が口裏合わせて裏切って、それも秀吉が裏切ったという俺が今考えた説はどうだろうか?
>>94
秀吉が黒幕であるとして彼が本能寺の変を利用して織田家の権力を握るには
・毛利が追撃をしてこない
・光秀との戦いに勝つ(光秀の協力者であることが露見しない)
・跡継ぎの信忠が討ち死にして三法師だけが生き残る
・清洲会議で信雄信孝を押しのけて三法師を跡継ぎにする
・柴田勝家との争いに勝利する
これだけのハードルがあるわけで秀吉の野望説はちょっと考えにくい
粛清を予測するなら信行を擁立した過去のある勝家が黒幕になるほうが自然だと思う そこは大事な見落しがある
言い出しっぺが秀吉でないというだけで、複数の織田家臣の共謀と考えるのが自然
勝家も明智とは一切戦ってない。細川と筒井は変後に不自然な変わり身をした。毛利は何故か何もしてない。この辺り、共謀者間で揉めて利害が放散してた証拠
加えて秀吉の天下が濃厚になった時期、清洲会議に出席してた織田の有力家臣は信雄と秀吉以外全員が死んでる
丹羽は死因不明、池田は合戦中の戦死等どうにも胡散臭い
本能寺の裏側を知ってる連中同士が信長死後に揉めて、一人勝ちした秀吉が政権樹立前に口封じしたと見るのは自然
>>93
織田政権は応仁以来かつてない規模の中央政権になり、将軍は逃亡し、本願寺は和睦し、天皇も黙認している
さらに謙信や信玄等の有力な戦国大名は既にほぼ死んでいて驚異となる勢力が無い
この状態で名実共に家督交代する時期の信長に、素直に従い覇権を奪おうと考える人間は現れないとする方がおかしい
案の定、明智が現れたわけだが後の不可解な動静を見るに自分は単独犯だとは思ってない 単独犯っしょ。
黒幕なり協力者なりいるならそれを前面に宣伝して仲間を募らない筈がない。
いや全面に出したら信長に密告する人間が出るし、変後に全面に出しても手紙の往き来だけで一週間はかかる
情報の錯綜があればもっとかかる。返事が来るかも解らない
そうこうしてる間に秀吉は京まで来る
電話やネットがある現代とは全く違う
京都はじめデカイ街道すじの往来に○○は俺の味方って立札おったてて梯子外しできないようにすればいいだけじゃん
そういうこともしてないあたり突発的行動だったとしか思えない
あのタイミングしか 光秀には なかったからね。
ただし信長みたいな基地外ではいつ家臣団がこぞって反乱をおこすかわからない。
光秀の子孫が光秀をいい人に見せようとして他の信長家臣に責任を擦りつけているだけ
実際には明智光秀が主犯で利三などがそれに追従しただけ
家康は「伊賀越え」で生命の危険にさらされているし、穴山梅雪はその時に死んでいる
秀吉の行軍の速さはこれ以外の戦でも発揮されている
朝廷は貧窮にあえいでいたところを助けてくれた信長に感謝していた
誰がどう見ても光秀のよこしまな考えから出ているのは明白
それを難癖つけて子孫などの都合のいい方向に変えているだけ
>>106 にほぼ同意
子孫氏は寂しがりなんだよ
誰か仲間が欲しいの、その結果光秀の一味にされた人の子孫は迷惑だろうけどね
特に迷惑してるのは細川家だと思う >>106-107
何で複数犯が光秀擁護になるのか意味が解らない
だいたい伊賀越えで家康は危機になんてさらされてないけど?
誰も家臣はおろか、雑兵一人も死んでない
穴山は別ルートだし死因が不明なのに、逃げ遅れて落武者狩りにやられたって後世の記録は信じてるの?
あまり言いたくないけど、頭悪いでしょ 実は自分も子孫氏の「伊賀越えは楽勝でした」説、この部分だけは支持
でも「楽勝だった=光秀家康は共謀してた」説は不支持
史料にはこんなのもあるんだし→「家康は信長の死を知って切腹しようとした」
よって史実はたぶんこんな感じだと思ってる↓
ビビリな家康君、信長死亡を知って義元死亡時と同じく切腹しようとする→そこに茶屋四郎次郎?登場、大金使う協力表明→伊賀越え楽勝
家康が光秀と共謀してたという可能性は低いと思う
理由は3つ
1:まず甲州征伐で得た領土は信長と懇意の上で獲得した物であり、信長討伐に協力してもリスクの割に合わない
2:急いで帰ってるのは事実。これはむしろ光秀派にどれくらいの勢力が与してるか解らない以上不安要素しかなかったし、共謀しているなら成功が確定した以上は織田家臣ではないので長旅して犠牲者を演じる意味は薄い
3:上杉や北条との関係。本能寺後に甲斐、信濃を取り合ってる時期が無関係な国と同時期。事前調略の痕跡も残っていない
勝家、秀吉、信雄、丹羽等の重臣の関与は五分五分だけど家康に関しては現存してる資料からは関与の可能性がゼロではないが低い
伊賀越え楽勝なんてありえんだろw
それこそ頭悪いわ
服部半蔵や茶屋四郎次郎などが先々で銀子を渡して地元の有力者と交渉してたからこそ、大きな危険なく行けただけ
協力者が誰もいなければ家康も穴山同様終わっていたわ
そもそも光秀と裏で手を組んでいれば、これこそ天下取りの大チャンスで急いで逃げるはずがない
逆に軍を派遣して都の制圧に取り組むはずだわな
全く妄想もいい加減にしてくれと言いたいわ
子孫も頑張っているようだが、まじこれ以上おかしなことを言うのはやめていただきたい
光秀の美化もほどほどに
これ以上、他の武将を巻き込むな
子孫氏に送る言葉
黙ってりゃいいものを
黙ってられなかったせいで、いずれ子孫氏も光秀が同時代人から言われてたように
嘘つきの烙印押される
子孫氏、史料を徹底的に見た言ってるけどそんなに見てないしね、
今騙され中の人が嘘に気付いちゃった時怖いよ〜
本能寺の変の原因考えるのは本当に面白いよなあ。
これぞ歴史ロマンだよ。
「美化」とか「よこしま」だとか、歴史の解明に、こういう追っかけレベルの二元論をあまり持ち込んでほしくない。
目が曇らされる一大要因だ。
熱を上げるのは別のところでやってもらいたい。
伊賀越えまで小説にする明智子孫
嘘つきの子孫はやることが違うわw
伊賀越えは通説通りに半蔵がいたからこそ楽にやり過ごせただけ
>>116
家康の作文だと言うならその根拠を提示しなよ
自説に都合の良い文献は無批判で取り入れて
都合の悪いものは勝者が作った歴史とかのたまう
子孫氏の理屈と一緒じゃん 伊賀越えが苦難だったかどうかは知らんが家康が一枚噛んでたら
秀吉に先んじられるなんてことはなかっただろうに。
光秀に謀反させるだけの実力も立場も関係性も家康にねぇしな
信長にチクられるリスクを承知の上で、軽薄に謀反を唆すほど、家康は馬鹿じゃねぇしな
馬鹿しか思いつかん愚考だ
神君伊賀越えがなかったというバカな明智光秀信者w
神君伊賀越えは家康の作文とか言い出す脳みそがない明智光秀信者
もし光秀と通じていればもう少し兵を引き連れておるわw
どんな重臣と何人で信長の元に来たのかさえ知らないのが光秀信者w
家康は明らかに観光気分で信長の元に来ている
伊賀越えがなかったとか誰が言ってるんだ?
伊賀越えが苦難だったってのは家康側がいってるだけじゃyないの?ってこと
伊賀越えを家康の作文とのたまわった明智信者
間違いを指摘されてこれを否定するできない事がようやく理解できたようだなw
伊賀超えが苦難ではないとかないから
自分で伊賀越えルートで歩いてみろ、それが苦難ではないといえるか?
現代の整備された環境でもそれが楽と言えるか?
上の議論はつまり日本語の難しさを語っている
伊賀越え苦難の意味:1,地形上越えるのが大変である
2,地形はまず置いとくとして、敵が多いから大変である
自分は2,の意味で考えれば、茶屋が大金ばらまいたおかげでそこそこ楽勝だったと思うけど
>>126
そんなん既に>>111が先に指摘しているだろうがw
>>127
光秀の追手が来ると思っているから普通の速度でいけるわけなかろw
しかも何キロ移動していると思っているw しかも峠だ
散歩気分でゆっくりと移動していたわけではないぞw 家康が光秀とグルなら変後の動員の手はずを整えてから上洛するんじゃないですかね
三河に帰ってから軍勢集めて尾張まで行ったところで山崎の合戦が終わってたとか手際が悪すぎる
上洛の随員だって主だった重臣はほとんど連れてきてるし
明智光秀も京都で接待した時に誰が三河で指揮をとるのって驚くんじゃないの
グルだったけど裏切ったんなら光秀の書状で家康の関与を示したものがなきゃおかしいし
グルだったならダンマリを防止して仲間に引き込むために光秀が宣伝する
グルだったなら後の脅威を除くために秀吉が詰問する
グルだったならもっと効果的な行動ができるように家康自身準備する
そしてそもそも同盟国とは言え実質織田の地方軍に過ぎなかった家康を
わざわざ謀略をもって除く必要が信長にない
ご先祖様を美化するためにアホな子孫が電波振りまいただけで検討する価値もない駄説
光秀とグルだったわけではないかもしれないが
秀吉も家康も知ってた、あるいは光秀がなんかするかもしれんと感じてた可能性もある
そのうえで家康はゆっくりと軍を出して尾張国境で日和見してたんだろ
まぁもちろんタダの妄想
なにか起こるかもしれないから伊賀越の用意もしてたしそれに乗じて穴山を葬ったってのはありそうな話
やっぱり妄想だがw
どうせ妄想の域をこえないんだからそういうドラマや映画を誰か作れば面白いのに
なんかあるかもしれんとか思ったなら堺から伊勢あたりまで行く船でもチャーターしとけば良かったのにとか思ってしまう。
頭の悪い雑魚共は、常人では思いつかん笑止千万な愚論しか思いつかん馬鹿のひけらかしかよ。
家康黒幕説とか、よくもまぁ論外の愚説を打ち出せるもんだ。
愚説ひけらかして気持ち良くなるのは君の得意技だろ菅沼君
他説を愚説だと馬鹿にするが、自説一つひけらかせないお前は一体何様だ
自説さえ無い分際で、よくもまぁ他説を否定できるよな
で、あっさり論破され半泣きの低能
批判するなら対案出せの橋下の亜流には飽き飽き
てめえの説とやらも所詮借りモノだろがw
自説を出せない空脳詐欺師の逃げ口上
御託を並べる前に、とっとと自説を出せばいいのに、無いから出せないか、瞬殺論破される愚説だから出せないのがミエミエ
自説が無いのに他説に難癖かましてる時点で、橋下レベルの極悪下郎
>>135
その時代の紀伊半島沖の海とか伊賀越より安全とはいえない無法地帯 全て明智子孫の悪意とご都合主義
これが諸悪の原因
明智光秀の子孫はいじめらえたと宣伝して、まずは日本人の親切心を利用して攻撃できなくする
明智光秀は有能でいい人を宣伝し信長や他の家臣の悪口を言いふらして他の武将を全員悪人にする
結局は明智光秀は優秀でいい人なのにどうして信長を裏切ったのか?と言い始めて
最後には動機はほとんど解明されているのに本能寺の変を
永遠のミステリーとか最大の謎とか後世からみるとアホとしか思えない喧伝文句で大げさに宣伝したのが明智子孫
しかし実際の光秀はゴマすりが異常にうまく信長を騙して石山本願寺対策になかなか本腰を入れない佐久間を追い出させて殺し
最後は恩を忘れて悪心から信長までを裏切った光秀
それをごまかす為にありとあらゆる工作をやっているのが子孫
司馬遼太郎の小説を事実と勘違いした世代も悪いのだろうが
明らかに光秀での評価は高すぎ
織田家臣軍の中でも浮いた存在で長篠の戦いや桶狭間などにも参加していないのが光秀
>>141-142
過去に完膚無きまでにフルボッコ論破されてる無能が、のこのこ湧いて出て来る恥さらし。
朝廷黒幕説を否定してるが、この無能が拠り所にしているゴミ説は、とっくの昔に破綻してカビが生えてる光秀単独犯説なんだから、侮蔑の失笑しか出ねぇ。
お前如きが俺に論戦を挑んで勝てるわけがねぇだろ。
また瞬殺論破されるだけ。
幕下にも上がれねぇ無能力士が、横綱に稽古をつけてもらおうなんて、1000年早いわwwwwwwwwww あの光秀の肖像画を見るかぎり、賢くやさしく、情け深い智将だと思われる
信長が悪い ほんとに魔王になろうとしてたのを、光秀が止めたんだ
明智子孫の尊大さと口のうまさは謀反人の光秀の時から
遺恨なら信長だけ殺せばいいものを関係のないものまで皆殺し
信忠まで殺したのは天下を取るためとしか考えられない
性格もとても悪質で常に嘘ばかりいって人を騙していたのが光秀
信長は騙されていたので護衛もろくにつけずにいた
その後も信長などへの誹謗中傷を繰り返しているのが明智子孫
性格は無茶苦茶傲慢で光秀と似て人をだますのを得意としている
普通、自演ってバレないようにするもんじゃないの?
何なのこいつ?
明智子孫が単独説を嫌う理由
それはただ単に明智光秀をいい人にしたいから
黒幕に操られてやったことにどうしてもしたいらしい
そのためにいくつものアホな黒幕説をつくった
しかし実は一番物事をわからなくしているのは明智光秀の虚言癖で
それは家臣にも伝えられて大きく歴史を欺いてきた
今の学者の中にも光秀の嘘にまんまと騙されているものが存在する
だが一番騙されたのは信長で、周りを一万御塀に囲まれるまで
光秀の嘘には気がつかずにいた
だが一番騙されたのは信長で、周りを一万の兵に囲まれるまで
光秀の嘘には気がつかずにいた
単独説を否定したいがために黒幕説と言う独自説を何十も作り
そこで嫌いな武将の悪口もついでに言うのが子孫のやり口
最後には信長は死んで当たり前の結論に導こうとするのが明智子孫
>>151
>明智子孫が単独説を嫌う理由
それはただ単に明智光秀をいい人にしたいから
子孫本はでたらめの集大成だと思っているが、しかし、151の上の批判には疑問がある。
単独で謀反を起こしたのでなく、黒幕に操られて謀反を起こした、ということで
より「いい人」の印象になるのか。
むしろ、「謀反」プラス謀反のような重大なことを言いなりにやってしまう情けなさ、みっともなさとでもいう
よりマイナス印象、悪印象の強まる面が大きいのではないか。
また、子孫本は、黒幕に操られたというよりも、光秀が家康を引き込んだという構図ではなかったか。
どうも、光秀をいい人にするか悪人なのかという論議はしっくりこない。 >>153
横からだけど、
光秀を日本人の価値観で見ちゃいけないよ、自分なんか数代前まで半島人だろってマジで思ってる
半島人の思考は可哀想な人=いい人
だから今でも彼らは、受け身の可哀想な人一生懸命演じるんでしょう
子孫もこの価値観に則り、家康引き込んだのは光秀だったとは言ってるけど、
そうせざるを得なかったのは信長のせいと言い、しっかり受け身の可哀想な人演じることは忘れてない。
秀吉や藤孝には裏切られたとか言ってここでも可哀想な人。
あと長期政権徳川への寄生も忘れてない
子孫はこれで光秀をいい人にできると思った
でも日本社会ではこういうの情けない奴、悪い奴と言う人もいて、議論紛糾中なんじゃないの?
光秀いいひとなんていう意味不明な視点から語るキチガイが
一匹大暴れするだけのとんでもないクソスレだな
>>151
光秀がいい人というより信長が大悪人ということにしたいんじゃないかな
信長は長年尽くしてきた同盟者の家康も用がなくなれば殺す大悪人だから謀反されてもしょうがない的な >>147
朝廷黒幕説?
今どき「黒幕は〜」とか言ってる馬鹿がいるとはこりゃまたビックリ!wwwww 光秀と信長は馬が合った、性格が似てたという説もある
>>160
それ光秀オタの思いつき
信長人気に便乗しようとか、光の悪っぷり隠そうとか、
ここ数十年?十年あまり?で沸き上がった光人気を維持するために苦労してるんだよ >>158
対案が何にもない馬鹿が、薄っぺらな反論する有象無象
朝廷黒幕説に代わる説を出せない時点で、お前の敵前逃亡不戦敗が決定済み >>162
160の説は、高柳が言ったことで、別に光秀オタの思い付きではない。
また、黒幕説批判の藤本、鈴木本は、フロイス(が悪意をこめて描いた)光秀像を引いて、
従来の光秀人物像の再考を促している。
これらに共通するのは、光秀が、謹直でどこか線が細く、古典的教養にとんだ保守的人間
というかなり協力に出来上がっていたイメージの点検である。
このイメージが膨らんだ理由のひとつは、信長や秀吉と対極の人物像とすることが
この三人をめぐる話を、わかりやすく面白くするという点からの、ドラマなどでの再生産であったと思う。
奔放な天才信長と堅物の秀才光秀とか、信長に怒られてもヘラヘラ笑ってやりすごす秀吉と、
それを深刻に受け止めてますます自分を追い詰める光秀(そのことで信長がますますいらつく、
といった筋書きもいくつか見た)ーーーといった対比が、たしかに、物語を簡単に盛り上げるためには便利ではあろうと思う。
しかし、これは、どうみても、安物ドラマの安直な性格付けの臭いがする。
古典的教養にとんだ保守的でどこか線の細い人物というイメージは、もしかすると
光秀の肖像画の印象もかかわっているかもしれないが。
いずれにしても、現代の人間でさえ、人物像を正確に捉えられるかどうか難しい場合が多いのに
人物像については断片的な史料しかない昔の人物について
型にはまった人物像を固定してしまうことは非常に危険だ。
誰が良いの悪いの、といった論議も同じことだが。 >>164
こんな感じでどうだ?
・高柳こそ元祖光オタ
・保守派光秀、司馬先生がお作りになった
史実の光秀はほんと分からんよな、それでも少しの材料で判断すれば光秀こそ伝統の破壊者
信長の逆、ここがまた面白い 信長はギレン・ザビ
光秀はデギン・ザビ
秀吉はシャア・アズナブル
家康はブライト・ノア
>>163
対案も何も確固たる論証もない○○黒幕説に一体どれだけの説得力と価値があると思うのだね、ド底辺クソ wwww >>166
信長を謀殺してる光秀がデギンは明らかにおかしい
ギレン=信長、とするなら
キシリア=光秀
ドズル=勝家
ガルマ=利家
シャア=秀吉
デギン=義昭 戦国武将に対して人間としての善悪性を重視して語るのはどうなんかな…
どうでもいいことだとは思わんが
史料から読み取る印象と実像はだいぶ違う可能性もあるし。
明智光秀は典型的なごますりタイプ
信長の前では媚びを売り
影ではさんざん影口を叩くタイプ
フロイスが言っていることが正しい
光秀は表と裏が異なる人間として一番嫌われるタイプ
それが元々のデフォルト
表と裏とか善悪といった表現をするより
単に功利的と言った方が時代の雰囲気に合ってるような
>>163
よぉ、バカ殿 (笑)
どうした?
涙目で逃走か?(笑) 光秀はキリスト教に無理解か?
娘のガラシャは熱烈な信者なのに
光秀が無理解かどうかということより
信長がキリスト教の保護者で、さらに息子がそれ以上に好意的で、
それを光秀が討ったために、光秀に悪意を強めたというところだろう。
いやいやフロイスはどの武将に対してもかなり厳しい評価をしている
光秀の評価は娘の事もあり、むしろ甘い方で正確だ
高評価なのはジャスティス高山くらいだろ
アタマがいい人だったんだろうな すごく仕事ができる高級官僚タイプ?
そういう人に悪口言う場合、風呂イスが言ったようなことになりがち
こういう汚い騙し討ちをして最後に甘い汁を吸う奴と言えば家康
よって家康が仕組んだ
ここだけの話大田道灌を暗殺したのも家康だからね
家康は江戸城築城の功績を奪う為に北条早雲を使って山内顕定に扇谷定正が道灌を上位討ちするよう唆す様な奴だから
聞いた話だと森山崩れを仕組んだのも家康だし於大と広忠が離縁したのも宏忠の若死も家康が黒幕らしいよ
全ては苦労人アピールの為だってさ
本能寺の変の動機は何かとかって、正直アホな論争だと思うわ
長宗我部潰す事で泣きつかれるし…
朝廷には遠回しに泣きつかれるし…
織田は方面軍で死ぬまで戦わさせられるし…
こんな大変で思いやられる時に信長信忠が京に多くない手勢で入ったと知って魔がさして、
他の有力部下は遠方にいる、家康は観光中、朝廷は協力する、織田の敵対大名は自分を助けるって、
頭の良さから考えれば考えるほどこれ以上無い状況と思えてきて、
前述の事とか日頃の不満とかが思い浮かんでっていう、裏切る事がまず来て、動機は後からのそれらしい理由があったから付けとかそんな物だろ
どれが本能寺の動機だとかある訳無い。強いて言うなら事実全部
黒幕も駄目元でこっそり頼むとか、泣きつくぐらいはあったかも知れないが、計略とか利害とか陰謀とかはアホ。ゲームやドラマの見すぎ
戦国っても所詮現実だし、光秀も物語のキャラでも何でもなく人間なんだし
確かに文章の内容が普通すぎて得るものが何もなかった
まあ黒幕はともかく、動機はちゃんと明確にこれ!って物があるとは俺も思えん
方面軍てシステムがある以上不満が無い訳無いし、あんな状況来たらやっちゃえって気になっても変じゃ無い
優秀な光秀は色々面倒ごと押し付けられてたろうし、まあ信長に信頼されてたんだろうけど、55で既に幹部の光秀からしたら嫌だわな
そもそも信長は親族・家臣・同盟者から裏切られ常習犯だから
そのうちの一人がたまたま成功しちゃったってだけの話だわな
本能寺の変が光秀の単独犯なら、岐阜帰路中の信長を狙撃した杉谷善住坊も単独犯かよ
嘉吉の変で将軍義教の首を一刀で刎ねた暗殺も、実行犯の単独犯かよ
坂本竜馬暗殺も実行犯の単独犯行かよ
>>192
本能寺の変で「単独犯」というのは、
(黒幕論との対置で)「明智家単独」の意味で使われているのですよw 明智光秀には家臣がいるから、単独犯と言うと語弊が出てくるなw
黒幕がいるいる説もずいぶんとおかしな話であり
協力者がいたかどうかに視点を移すのが無難だろうなw
>>190
年齢は「当代記」によれば67。
55というのは「明智軍記」によるもので信用できない。 >>192
一般的に黒幕てのは「背後で操った首謀者」なんだけど
このスレでは「知ってたけど黙って利用した」ってのも黒幕らしいからなw >>197
黒幕論が盛んなころ、この言葉のあいまいな使い方に幾度も驚いた。
197さんがいう「背後」で「操った」「首謀者」のどれを欠いても、普通、黒幕とはいえない。
ところが、「背後」くらいはあるが、「背後」で「相談した(あるいは入れ知恵した)」「共犯者」
くらいのものまで、「黒幕」として平気で売り出されていた。
一例で覚えているのは、千利休「黒幕論」で、これは利休が示唆したというレベル。
日本語の常識では、(仮にそれがあっても)こんなものを「黒幕」とは言わない。
「黒幕」を論じるなら、197さんが述べている常識くらいは踏まえてもらいたいものだ。 >>196
67って当時ならくたばり損ないも良いとこじゃん
余命幾ばく、体がまともに動いたかも分からん年齢で謀反は流石に無理でしょ
一族や家臣の行く末を考えたら5年は生きてる事を皮算用しなきゃならんだろうし >>196
細川家の文書とかでも55前後のはず
正直67だと齢いきすぎな気もするなあ
北条早雲とかも実際は通説の24歳若かったてのが有力だし 本能寺の変が光秀の単独犯行なら、
関ヶ原の戦いの後、A級戦犯の石田三成・小西行長・安国寺恵瓊らの斬首も、
処刑執行人の独断であり、家康の関与も命令も無かったという理屈になるな。
この例示で、単独犯論者の頭がいかに悪いか、小学生でも瞬時に理解できる。
なんせ、単独犯論者の論拠は、単に根拠無き妄想しかねーからな。
だから、>>194みたいな低脳駄文しか書き込めんわけだ。 >>202
この人、自分が何言っているのかわかっているのだろうか。
明智単独は明智家単独の意味で使われているといわれても何も学べないらしい。
一体、どこのだれが、この人の言う意味での「単独犯」、すなわち光秀一人が本能寺に切り込んで信長を倒したといっているのか。
そのような主張をしている者を、ぜひ、一例でもあげてほしいw
もちろん、二条御所も明智光秀一人で攻め落としたことになる。
戦国時代に、ものすごい超人武将がいたようだw
笑うしかない。 >>202
キミは日本語が不自由なんだね
可哀想にwwww >>203-204
自演www
で、頭の不自由な知恵遅れが、涎を垂れ流しながら与太書き込みをする恥さらし。
桶狭間は信長の勝ち。多数の家臣の手を借りようとな。
同様に、姉川も長篠も長島越前の一向一揆も叡山焼き討ちも石山本願寺包囲戦も武田征伐も、信長の勝ち。多数の家臣の手を借りようとな。
関ヶ原の勝利は、家康の勝ち。東軍勝利に貢献したその他諸将の名は、一々列挙しない。
常識だ。バーカ。
つまり、戦の勝ち負けは大将一人に帰属する。
だから、本能寺の変も光秀の単独犯扱いとなる。
光秀単独犯説の頭の悪さの一端が垣間見えた馬鹿披露(爆笑) >>205
「勝ち負けは対象一人に帰属する」、すなわち、勝ち負けの「手柄」や「責任」がもっぱら大将に帰属することと
(こう言い切れるかどうか問題はあるが、とりあえず受け入れてもいい)
大将一人で行動・実行することと、
まったく異なるこの二つのことを普通の人は普通に区別する。
この区別がつかないとは…………………
もっとも、でたらめすぎるので、釣りで言っているのかもしれないが。 >>199>>200
光秀の享年は、55歳とも67歳ともいわれるが何しろ資料がないからなあ。
でも、愛宕山で句を読んだとき、長男が100首目の最後を読み上げていて、そのとき14歳。
長男である。すなわち、ここから逆算すると、光秀の享年67歳説はかなりの無理がある。53歳?で
子供が作れるか?。男の性欲とはいえ、無理がある。また二男、三男もこのあと作るのだから。
享年55歳説でも、41歳のときの子となる。これまた遅い。
思い切って、信長と光秀が同年齢!、と仮定しよう。享年49歳。子供の年齢は?。
織田信長の長男である信忠は、本能寺の変で死んだとき、28歳。
そのときの光秀の長男は、14歳。子だくさんの信長は早熟だとしても、
光秀は子の年齢からいって(ガラシャとか)、光秀の年齢は45歳ぐらいか。
では家臣筆頭?の柴田勝家も一応検証してみる。享年と長男の年齢。
柴田勝家は本能寺の変のとき、61歳?ぐらい。あいにく実子なし。養子は柴田勝豊。
本能寺の変のとき柴田勝豊は、27歳。
つまり、光秀は信長の年下だった、と推測される。 長男て言っても光秀は娘はいて初めての子供って訳でも無いし、戦国時代だし死産もあったと考えられるから一概には言えんよ
まあ1536年生まれの天海と一緒ぐらいが一番しっくりくるかなw
>>209
1569年四月十四日付賀茂庄中宛ての書状に名前が出てくるまで、何をしていたのか確かなことはわかっていない。
と書いてあったけどまだ若造で、世に出たばっかりだったのかもしれない、と思った >>207
戦国の戦で、大将一人が敵と戦うなんて事例は皆無。
それは戦とは言わない。個人的な単なる私闘や痴話喧嘩の類。それでも大将は自らの手を汚さない。
論破のダメ押しに、荒木村重の反逆は村重一人だけではなく家臣団も含めての話だが、大将の固有名詞だけを挙げるのは常識。
お前以外ではな。
歴史を語るに値しない頭の悪さだ。 >>213
その「皆無」なことを、自分が客観的に言っていることに気づかないとは(そうでなければ
自分の論理が成立しないことすら気づかないとは)。 >>214
論破のダメ押しのダメ押しで、
足利第六代将軍義教が暗殺された嘉吉の変は、赤松満祐の単独犯扱い。
実行犯が別人でもな。
満祐と実行犯の共犯扱いにしている馬鹿は、日本中どこを探しても居ない。
そんな馬鹿は、お前だけ。 >>211
光秀の最初の名前は、明智十兵衛だったな。
10番目の子供で親からは大事にされなかったのかもしれない。父親の名前もわからない。
ともあれ、十兵衛というか光秀は流浪して、石ころ同然の身分だったが、足利義昭が将軍に就任して
からは、急速に出世する。無職でブラブラ?していたときとは違って、一気に重役クラス。
足利義昭が将軍に就任したのは、信長の上洛時だから、永禄11年(1568年)。
信長公記は、15冊にまとめられていて、1年1冊の形式になっているから、本能寺の変は
ざっと15年後。
光秀の長男は14歳である。
愛宕百員で
「国々は猶のどかなるとき」と、「とき」で締めくくったはずだが、
ネットでみると「国々は猶のどかなるころ」になっている。どうしたわけか??。
ともあれ、光秀の長男である光慶は、幼名を「十五郎」というので、育った男児はそれまで
死に続けて光秀が老いてからようやく育った子、だったのかもしれない。妻を取り替えたか?。
wikiで確認すると、光秀の長男である光慶は、生年が不詳となっている。
が、ガラシャはなぜかはっきりしている。永禄6年(1563年)次女として生まれる。上洛5年前であり、
生まれたとき光秀が30歳とすると、本能寺の変まで20年。光秀はそのとき50歳となり、
信長とほぼ同年齢となる。なんだかわけわからなくなってきた。 細川 藤孝(幽斎)の年齢で、光秀の年齢も推測してみる。
足利義昭が将軍に就任したあと、実際に室町幕府を動かして運営していたのは、細川藤孝である。
その細川藤孝が、家来であった明智光秀を幕府運営にて引き立てて出世させた、という経緯がある。
つまり光秀は、細川藤孝の年下であるはずだから。または同い年か。
細川 藤孝は、天文3年4月22日(1534年6月3日)生まれ。
本能寺の変は、天正10年6月2日(1582年6月21日)。
引き算すると・・・本能寺の変のとき細川 藤孝は、48歳。
http://honnoujinohen.blog.fc2.com/blog-entry-5.htmlで再確認すると、
細川藤孝 天文三年(1534年)生まれ 享年77歳 本能寺の変の時49歳)。
細川藤孝と信長って同年齢だったのか?と思うが、光秀は55歳でも67歳でもなく、同年齢か少し下と推測される。 細川藤孝と織田信長は、同い年である。ともにウマ年うまれ。
明智光秀と午年、というキーワードで文献に何かつながりが見つかればいいのだが。
(北条早雲 はネズミ年うまれという記述が見つかったのが年齢修正の決め手になっている)
細川藤孝と織田信長と光秀が、3人とも同い年なら重用された根拠の一つとなる。
信長は実力主義で家来を評価するというイメージがあるが、実際には、信長の年齢のプラスマイナス5歳
ぐらいで、信長は自分の年齢を基準として重臣などを採用している。
細川藤孝と織田信長と明智光秀が同じ年ではないか?、という推測の根拠として、
細川藤孝の嫡男と明智光秀の次女ガラシャが同じ年である、という事実がある。永禄6年(1563年)生まれ。
なお、信忠は1555年か1557年生まれである。次男三男は1558年生まれで、四男が1568年なので、
1563年のころは空いている。
つまり、明智光秀は信長よりも年上であるというのは、子供の年齢からいって不自然だからだ。
補足として、明智光秀の第一子である明智 倫子をぐぐってみた。
1554年生まれ。信忠の1555年か1557年生まれに近い。明智 倫子の夫は荒木村次。
荒木村次の生年は永禄4年(1561年)頃だそうだから、年上女房ということになり、当時としては不自然さがある。
荒木一族の謀反に伴い、離縁されて、明智倫子の二番目の夫は、明智秀満。1536年?の生まれとされるが
不明。20歳も年が違う。
ここで少し戻って、荒木村次は荒木村重の嫡男であるが(これは身分的にみると、光秀の家柄は相当高いといえる)
荒木村重の年齢は、1535年生まれ。細川 藤孝や信長の一才年下なだけ。
嫡男や長女の結婚からみて、光秀が信長よりも6歳も18歳も年上であるとは考えにくい。同世代ではある。
ただ6歳上の享年55歳は、ぎりぎりありえる。証拠不充分の容疑のままだが。
>>220
そういう傾向はあるが、
光秀の年齢論は、谷口の67歳説しか読んだことがなく
ほかでもあまり言及されていないので、ここでの内容は面白い。
年齢が解明できるかどうか難しそうだが、その関連で、気づかされることもある。 光秀の年齢如きで、だらだら意味のない駄文を連ねるアホ
そんなの本能寺の変と何の関係もない
では、もっと有益なことを書いてください。
だれも妨げません。
当時は、サル年とかネズミ年とか生年を干支で言うから、光秀と干支の動物のエピソードがあれば
証拠となるね。馬揃えぐらいしかないが。
谷口の67歳説および、従来の55歳説は、12年違う。光秀はネズミ年だという。
http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20140824/1408835352
光秀の子供たちの生年からみると、光秀は信長よりも年下であるとするなら、
55歳からさらに12歳引き下げて、本能寺の変のとき、光秀43歳という若さになる。
奉納された光秀の肖像画と同じくらいになる。当時の肖像画は、葬式写真みたいに使われるそうだから。
なお、は秀吉 天文六年(1537年)生まれで、本能寺の変の時46歳。若輩の秀吉よりも光秀が若いというのは
考えにくいし、第一、光秀の子供たちの年齢から見れば、43歳よりは55歳説の方がまだマシ。 俺は黒幕説が実はほぼ全部当ってるんじゃないかと思うね
実際に共謀してたわけではなく、変自体は光秀の単独でのことだろうけど
信長の行動に対する不信感はもとより
家康の暗殺も、それに近いことがあり
秀吉も、光秀が謀反を起こすように働きかけてた、
最低でも謀反する可能性は読み取れてた(対処の早さから)
朝廷からの圧力も無くは無かったし、元将軍からの手紙もあった
そして最近見つかった手紙の四国への懸念もあっただろう。
そういうことがまとまって圧し掛かって来てキャパを超えてしまった
故の行動だと思うね。
特に四国についてのことは1割、2割占めてたと思うわ。
とりあえず「〜説」みたいに1個で語れるような話じゃない事は確実だろう。
それよりも、信長の次男三男はどうなの?
やつらが関与しそうな可能性はないの?
アニメみたいな計画的な陰謀は無いだろうが、まあ信長なんとかして欲しいと、重役だが外様で顔利き役の光秀にちょっかい出してた奴はいただろうよ
犯行の引き金となった動機は過労中にベストチャンスが来たからやった程度だろうが
家康暗殺はないだろう
家康暗殺するなら安土城に来たところで殺せばいいだけだし 50名以下だし 家康は信長信じているし、信長もそんな家康を殺すわけがない
それをやらすに二週間以上部下に接待をさせ観光させているのだから信長には殺意の意思はなかった
ただ光秀が信長に対してこの頃には嫌悪感を持っていたのは間違いないだろうし
信長にも老齢からくるボケとミスでたびたび叱られていた
そしてこの時まで信長は光秀を信じており、たまたま信長直属の武将が各地に散らばっていたので
光秀は好機と見て乱を起こしたのだろう
秀吉も信長への殺意はないだろう
そもそも秀吉が信長を狙う理由が存在しない
信長が倒れれば困るのは秀吉もまた同じ
たまたま秀吉の行動が迅速なだけであり、それも別に不可能な速さではない
年を取ってからは信長の恩をやや忘れた面もあるが、信長生前には懸命に仕えていた
黒幕も存在はしない
実際に光秀が信長を討ってから誰も光秀には同調することはなかった
秀吉が光秀の仲間ならよくやったと同調するふりをしていきなり光秀をやるだろう
別に秀吉が無理して急ぐ必要もないわけだ
少し調べて妄想してみたんだけど
元親の「信長に降伏します」という旨を書いた手紙が5月11日とのことで
光秀が家康の饗応で信長にキレられたと言われている時が5月15日
これは実は元親についての話をしてキレられたのかもしれないなと。
光秀「降伏すると言ってるので許してやれませんか?」
信長「馬鹿モン!三男行ってるし、そのまま武力解決じゃ!」
みたいな。
んで、その後光秀が中国へって命令は
秀吉と光秀の担当を交換するつもりだったのかなと
秀吉は交代の隙を無くすためか、光秀が来ても仕事させないために
毛利と講和を進めていたから、変の後にあんなに早く講和結べたのじゃないかなと
信長を呼んだのはそれを早めるため?
四国攻めに参加するため早める必要があったから、信長に泣きついたとか?
元々光秀が四国担当で、四国は元親の切り取り次第だったのに、
秀吉が、親戚関係の三好に頼まれて横槍を入れて、四国征伐じゃー!
という事になったってのもクサい
光秀の直属の部下(親戚?)の親戚が四国を治める話だったのが
秀吉の親戚が四国を治める話に変わってる
こういった織田家内部での勢力争いで敗れかけ
先がもう無さそうだと思った光秀が打った起死回生の手が
本能寺の変だったのかも知れないなと思った。
これがいわゆる四国説か??
>>元親の「信長に降伏します」という旨を書いた手紙が5月11日とのことで
領地割譲承諾の書状は五月二十一日付けです
あと藤田の言ってる織田家重臣の派閥抗争は余り真に受けない方がいいと思う
>>228
>>家康暗殺はないだろう
明智憲三郎の家康暗殺説は、思い込みしすぎの感がある。証拠不十分だね。秀吉も光秀も
信長に対しては嫌悪感を感じていたことは、変後の文書であまり信長のことを良く言っていない
ことから明らかだが、上司に対する不満程度。光秀による細川への文書で
「我ら不慮の儀」をなしたのは忠興などを取り立てるため、とあり
光秀は好機と見て乱を起こした で合っている。 >>227 本能寺の変の「動機は過労中にベストチャンスが来たからやった程度」という表現の方が
適切だな。光秀自身も「不慮の儀をなしたのは」と自ら言っているのだから、
黒幕に指図されてやったのでもなく、悪いことだと知りつつもやってしまったということ。 当時の人が語る光秀謀反の理由
「彼は戦争が好きだったから」
まあ確かにね〜 信長のもとでようやっと戦争が終わりそうだって時に
その信長をコロしちゃったわけで
「そっか、光秀は戦争終るのが嫌だったんだ!」ってあの時代の人たちが感じたのはごく自然なことだ
光秀は朝廷にそそのかされて謀反を起こしたんだと思う。
朝廷と信長は仲が悪かったからね。
光秀も信長家臣の中では朝廷よりだったし。
朝廷と信長も仲は良かったぞ。
信長親子は当時は落ちぶれていた朝廷を復興させた。
その後もいろいろしているのに明智子孫が信長を陥れるために
不仲説を流しているだけだろうが。
むしろ正親町天皇もさっさと信長の言うとおりに息子に譲位していれば悲劇はなかったはず
光秀は親朝廷っていまだに信じてる人がいるのは不思議で仕方ない
あんな無礼行為やっちゃう光秀が朝廷の味方とか、
これって朝廷まで貶めてることにならないの?
少なくとも朝廷に敬意持ってる人は早いとこ改めた方がいいと思う
>>235
「光秀は戦争が好きだったから」 だよ
信長と光秀って、創作物と史実とではキャラがキレイに入れ替わってるから要注意
今度映画公開とかいう信長協奏曲?って作品は結構鋭いとこついてる 光秀自身が天下の覇者となりたかったから
だろ。
信長公記に、しっかりと明記されているよ。
藤田は光秀の共犯として、近衛をあげているが、
実は義昭と近衛は犬猿の仲だったことを知らないからなあ
仲が悪いのに、手を組むはずがない
義昭黒幕説はもう、完全に破綻してる
つか裏切りに理由なんてあるんか
普通の武将の場合裏切った理由なんて都合が悪くなった、立場だとかでしか無いじゃん
成功したからって光秀にドラマ求めすぎ
>>237
でも案外一番信憑性のある説かもしれないよ 光秀は当時、すでにトップクラスの武将であり、運営にも実績があったから、
細川と協同すれば、ちゃんとやっていけたよ。
可能性ゼロの協同想像してみても意味ないべ?
細川は公方様から虐められてたのを信長に助けて貰ったってんで恩を感じてたんだよ
後に光秀を「忘恩の輩」と言って糾弾した家だもん、味方するわけね〜べ
本能寺の変直後の細川家の姿勢は明智との協同を断固拒否で一貫してるね
むしろお隣の一色が明智に味方したのに、よく流されなかったなあと感心する
細川家は生き延びたから、後世に多少の脚本が施されている可能性はあるのかな
恩だのそんな想像を根拠にして自説を主張してもしょうがないべ?
でも妄想を語っていた方が楽しいからいいか。本能寺の変の書籍を買うのはそういう購読者だし。
>>244
「朝廷」という曖昧な観点で述べてるのが1番おかしいし汚いと思うがな。まだ義昭とか秀吉とか個人名出てる方がマシだ。
「朝廷」の誰が首謀者だよと。この説は特定の人物が挙がらないだけに妄想がいくらでも作れるんだよ。 よく「光秀は朝廷とは仲良かったし」とか「友人がたくさんおり」とか言うけど、
で具体的に誰と?って聞くと全く答えが返ってこないんだよな
朝廷内で光秀の友人って言ったら吉田兼見くらいで、でもこの人かなり下級の公家
この兼見を首謀者と見立て、朝廷内最上級の近衛(信長と大の仲良し)とかに反逆を企てたって妄想するんなら、
まあそこそこリアリティはあるが
信長は規制体制をひっくり返す革命児
光秀は朝廷や幕府を尊重する保守的教養にとんだ文化人
秀吉は信長にしかられてもへらへら笑ってやり過ごすが
光秀は生真面目で線が細くストレスをためてゆく
ーーーこのように、信長と光秀、光秀と秀吉を正反対に描くことは、
物語を盛り上げるには都合がよいので
ドラマなどでイメージが広げられてきたと思うが
ほとんど根拠がないと思ったほうがよさそうだ。
光秀=親朝廷イメージもその一つでは。
否、実際光秀は生真面目過ぎて暗くて神経質な性格だったと思う
生真面目過ぎて暗くて神経質な性格=親朝廷
こう考えるのは252だけ
実行犯は明智光秀が真実ではあるが、黒幕はいる。共謀や後ろ盾など、様々な組み合わせが考えられるが、光秀の一存や突発単独説は絶対にない。そんなバカじゃないよ。こんだけのことをするんだから用意周到に準備されたものなのは間違いない。
それでも失敗したんだからやっぱバカなんだろうけど
バカだったんだよ
光秀がお利口さんだなんて、現代人が言ってあげてるだけで当時の人は言ってないよ
いたとしても信長ぐらい
光秀単独犯説の本を出した藤本正行の頭の悪さは猿並みだな
>>257
内容なく言うだけなら何でも言える。
その恥ずかしさに気づかない。読んでるほうが恥ずかしい。 アケゲ速報 人殺し 通州事件 スパムブログ 詐欺サイト 天安門事件 ライダイハン 慰安婦 民主党支持 テロ支援
光秀オタの八つ当たりw
八つ当たりされた筆者はたまらんわなw
人をバカ呼ばわりするくらいいらだっているんだなwカルシウム取れw火病を起こすなよ
>>261
おまえは病院にいってクスリをもらって飲め
もうカルシウムなんかじゃ効かない
でも病院いったら即入院かもなw クスクス >>262
お前の事だろうw まともな議論できない
もうカルシウムなんかじゃ効かないキチ外
病院から書き込むなよw クスクス 明智光秀も子孫も信者も性格が悪いのだけはよーくわかるな
誰も呼応しなかったことから黒幕なんて光秀以外にいないのはわかるはずなのに
いつまもで他人のせいにして光秀の非を認めず他人を罵倒しまくる姿は異常ともいえるな
「本能寺の変 431年目の真実」を学者が黙殺しているのはそれなりに信憑性があるからですか?
とある学者さんが言うにはですね、
反論するのもイヤになるくらいオバカ説だそうです
史料的裏付けの全く無い個人の妄想にお付き合いするほど
学者の皆さんも暇じゃないでしょう
関白・太政大臣・征夷大将軍のどれかになってくれという朝廷の遣いを、
信長は無視しているし、あと暦を信長は西暦にしようとしていたくさいし、
朝廷が怒って本能寺の変にいたったかと思う。
ないない
信長は正親町天皇のためにもたくさんのお金を費やしたし
伊勢神宮にもかなりのお金をつぎ込んでいる
それに信長はその頃はもう息子の信忠に織田家の家督を譲っている
正親町天皇に譲位を薦めたのも共に隠居して大御所となろうという腹つもりがあるから
家康も大坂の陣の頃には息子の秀忠に将軍の座を譲っている
それと同じこと
dear信 from正親町
一人扶翼の功をはかり、万邦鎮撫の徳をしかす、これ帝の重臣、中興の良士… 『総見寺文書』
いつからか「朝廷のために頑張る!」と深く決意したっぽい信長さん
死んじゃった後とはいえ天皇からこんな言葉貰ったんだから、むちゃくちゃ嬉しいだろね
徳川家光の母親はお福だという説がある
とすると明智光秀の血脈が徳川家を乗っ取ったと取れないこともない
石ころ同然(=乞食同然?)の身から明智家に背乗りし、
ついには徳川家まで乗っ取りかッ
なんか信長、逃げようと思えば逃げきれたんじゃねーの?
本能寺にいた人で逃げられた人がいっぱいいたそうだが
>>270
仮に光秀が勤王だったとしても、その部下たちまで勤王だったわけじゃないだろ
部下たちに反対されたらそれで話は終わり。 俺的には光秀が謀反人の汚名を被って秀吉もしくは秀吉と家康に将来を託したが一番納得いくと思うわ
まぁ俺の妄想だけど色々と辻褄が合わないか?
俺の歴史認識ではしっくりくるんだよ(-ω-)半分妄想だけど
>俺的には光秀が謀反人の汚名を被って秀吉もしくは秀吉と家康に将来を託したが一番納得いくと思うわ
俺的には光秀が謀反人 と思うわ
事実なのはこれくらいじゃね?
これなら俺も賛同する
たった1枚の手紙で信長の死を確信して即座に撤退を決意するのはおかしい
情報通信の未発達な時代、偽物かもしれないし確証が取れるまで
動けないのが普通だ
秀吉とか家康だけ切り取って見るから異常に映るだけだよな
この手の話って
>>280これが一番しっくりくるな、明智が謀叛起こすのは秀吉はたぶん知っていただろ、蜂須賀頭やらが情報を掴んでいたはず、秀吉自信も天下取りの野望が少なからずあったに違いない、信長死後あまりにも全てがうまく行きすぎ
天界やらの話しにも辻褄があうしな 光秀善玉論っていわゆる魔王信長というイメージに対するアンチテーゼでしかないのな
憲三郎もべつに光秀善玉論ではないとおもうが。それこそ色眼鏡じゃね?
明智光秀謀反の原因は「信長は言うことがコロコロ変わるから」だって本郷和人がこの前のゴールデンタイムのテレビ(林修先生の番組)で言ってた
>>289
>>288は一言も明智子孫の話をしてないのになぜか明智子孫の話になる不思議
色眼鏡をかけているのは誰なんだか 光秀善玉論ってきいたことないんだが、ないものと戦ってるのか?
>>293
最近見かけるよ
やたら、光秀は良い人って感じで
たんなる謀反人なんだけど 史料を都合よく解釈して書いてないことを書いてる言ったり史料の都合の良い所だけを恣意的に抜き出し繋ぎ合わせて恣意的な自説を唱えたりそういうのをうんざりするほど見てきた。
歴史学者とか研究者とかいうのは結構デタラメな人種。
自説の都合の良い所だけを抜粋して書いてるから一見本当に見えるけど全体をよく見ると全然デタラメ解釈。
学者じゃないけどわかりやすく言えば「本能寺の変 431年目の真実」の明智憲三郎みたいな奴。
あれ読んで本当に真実だと思い込んじゃった素人さんも多いと思う。
読者の感想で誰かが憲三郎を「稀代の詐欺師」って言ってたな
確かに騙しテクは秀逸
彼の言動見てるとホントに光秀子孫じゃないかと思えてくる、光秀も嘘つきで評判だったわけで
>>294
特に最近増えてるかもね
それだけシナ人朝鮮人が幅きかすようになってるってことだ
光秀って無茶苦茶尊皇だった信長をコロし、朝廷にも無礼行為やらかし凋落させた張本人
そりゃシナ朝鮮にとっちゃ英雄だし善人だわな 見かけるってどこで?
まさか2chとか個人ブログとか小説でとか程度じゃないだろうねw
津本陽が起こしたと言われる織田信長ブームが一段落して、
揺り返しでしばらく明智光秀ブームだっただけだろ。
津本陽以前は信長も光秀も不人気だった。
下天は夢か - 上総介 戦国書店
昭和六十一年十二月から日本経済新聞で九百五十二回連載された、
信長ブームの火付け役の本。
信長はずっと前から人気あるだろ
「彼の人柄や政治に対して日本の全国民は尊敬と評価」byフロイス
「一人扶翼の功をはかり、万邦鎮撫の徳をしく」by正親町天皇
……かなり空いて
「信長をころさないで」
すまん誤送信しちゃった
「信長ころさないで」は下天は夢か以前の大河オタ
下天は夢かっつーとアレだよな?
悪名高い武功夜話を無批判に丸パクリして
あの偽書を世間に流布させるのに一役買ったという。。。
>原作は吉川英治の小説『新書太閤記』。主演には緒形拳が抜擢され、人気を博した。
>また、高橋幸治演じる織田信長にも人気が集まり、「信長を殺さないで」という
>投書がNHKに殺到し、本能寺の変の放送回が延期されたという逸話がある
これ高橋幸治人気じゃね?
役所広司が信長やった時も延命の嘆願書が殺到したらしい
高橋役所人気で片付けてもいいけど、信長人気も作用してるでしょ
いまキムタクがやったら嘆願でなさそう。
てか、小早川だろって突っ込まれるか
本能寺で死なない信長なんて、ソースを作り忘れた生ステーキじゃん。
何がいいんだかわからん。
学研の歴史群像シリーズのどれかに、本能寺の変は義理を大事にする長宗我部元親・明智光秀の正義陣営と
信長・秀吉の悪の陣営の戦いだったと書いてあったな。うろ覚えだけど
義理を大事にする正義軍が大恩ある主君をだまし討ちするなんて!
笑止千万 腹筋断裂
怖いよな〜
敵性外人による日本史書き換えって、なにも昭和の大戦辺りだけじゃないんだよな
ガチでこの勢力、出版社やテレビなど使って光秀を英雄にしようとしてる
本能寺の変で朝廷は奈落の底に突き落とされたからかな
>>302
遠藤周作もそうだけど、バリバリの武功シンパの作品って、
今じゃ時代遅れ感があるよな 黒幕というより信長があまりにもアホだろ
わず数十人の家来だけで寺に宿泊などありえない
津本陽って織田信長を3回書いているんだな。
剣道三段、抜刀道五段
信長は光秀が法に背いたのに怒って呼びつけると、譴責して自ら光秀の頭を二度、三度、叩いた。
光秀は髪が薄かったので、いつでも付け髪を用いていたが、このときそれが打ち落とされたので、光秀は信長の仕打ちを深く恨んだ。謀叛の原因はここから起こった『稲葉家譜』
信長が法に触れた光秀を折檻した折に光秀愛用のヅラが取れ、それを根に持った光秀が謀叛を起こしたんだろうと言っている
他にも折檻について触れた話はある訳で、ヅラ説も有力。年齢も67歳だか68歳
そういうことがあったとして同期の一つかもしらんがそれが主とした動機とは思えない
天下人と重臣なんだぜ
総理が閣僚殴ったら刺すか?って話
挿したら総理にとって変われるって確かな確信と準備がなければそんなことするはずがない
話にはよく、尾びれがつくというのがありますが…
『稲葉家譜』の内容はたしか>>315 でいうところの一行目
「光秀が法に背いた」
ここだけだった気がするけどどうなん?それ以外は創作力抜群な人があとで付け加えた話 >>316
今の平和な時代とは価値観が違うからなぁ。
信長の部下への要求は常に過大だし、戦場で命がけで神経が張りつめてる中で、上司とはいえ頭を殴られたら殺意わいてもおかしくないわ。
まあ、一介の浪人から信長の右腕にまで上り詰めたほどの才人だから俺みたいな凡人に光秀の真意など判る由もないが。 >>319
例えば大企業で取締役が感情のこじれで社長解任決議出すのに自分なりに勝算見出してするだろってこと
実際は目論見通り行かなくても まず光秀がなんで才人ってことになってるのかよく分からない
あとこの辺の話でいつも疑問なのは、
信長がなぜあの時光秀をこっぴどく怒ったのか(どうやらプチ反逆行為があったらしい)、
ここに触れる人が誰もいないこと(皆信長は怒りっぽいからで片付けてる)
元亀・天正の頃なんか猪武者ばかりだろ
和歌・古典に通じて室町ばりの礼法知ってる文化人なんて惟任日向守くらい
>>322
それみんな司馬先生の創作話
作り話をネタに、光秀を熱く語る人見ると小説の恐ろしさをつくづく感じる 光秀が稲葉から斉藤利三と那波直治を引き抜く
稲葉は家中の統制を乱すものとして信長に訴える
斉藤は切腹で那波は返還せよとの裁定が下る
反論した光秀が折檻される
こんなん常識やん>>321 逸話スレの管理人が面白がって拡散してるからなあ、その話
小説も何百年も経つと歴史資料に変化するっていう好例
>>322 和歌・古典に通じて室町ばりの礼法、などは、秀吉が不得意とする分野だな。
信長の評価で、光秀と差をつけられた一因。 光秀知るのに格好の人物見つけちゃった
金天海(日本共産党中心人物、在日北朝鮮工作員)
この二人は類似点がたくさん(朝廷廃絶を目指す、光秀が変後天海と名乗ったなら名前も同じ)
もう光秀のイメージは金天海だな、この朝鮮人も頭良さそうだし
最近光秀人気が膨らんでるのも在日鮮人が増えたからと思われる
プリンセス天光はどうよ?
名前からして光秀の生まれ変わりっぽくね?
プリンセス天光 ×
プリンセス天功 ○ 名前間違えるなって
それに金天海ってったらあの朝鮮総連も作った大物
やっぱ光秀の生まれ変わりは金天海だよ、大物感が似てるじゃん
及川光博はどう?
光秀の生まれ変わりに間違い無いと思う!
今日、諏訪の御柱祭の映像が流されたが、
武田攻略にて木曽の反乱が起爆となったのであるが、
木曽は武田の新城築城のため、柱を納める税などが重い負担となったのがきっかけだった。
木曽のあたりでは木材が産出しているのだが、重い木材を
リアルに山を超え、川を超え、甲府まで運んでいた。
武田勝頼に納めた木材は、結局、火を付けられて燃やされた。木曽の人質たちも惨殺。
ひどい結末だな。
>>324
この部分を見ると、前半、裁定が下るまでと、その後、光秀が抗議して折檻される場面と
文章が異質に感じた。
前半は事実経過報告という文で、後半は修飾満載の講談調の文のように見える。
前後の間に大きい断絶があるように思えてならない。
あくまで、読んだ感じだけだが。 真実なんて明智光秀自身しかわからないのにいつまで議論するつもりなの?
案外本当は光秀自身も理由はわかってなかったかも。
終わってから「俺何でこんなことしちゃったんだろう」って。
理由は突き詰めれば相手が織田信長だったからの一言に尽きる
信長は相手に裏切らずにはいられない衝動を引き起こす特殊なフェロモンかなんかの持ち主だったんだろう
黒幕は服部半蔵か家康、問題はどちらが主導権を握っていたかでしかない
明智軍戦記 一 明智四天王勇躍す! 神宮寺元
覚悟を決めた光秀は、未曾有の秘策をもって、山崎で羽柴軍を迎え撃つことを決意する。
光秀の命を受け、明智四天王と謳われる斎藤利三、明智秀満、明智秀忠、藤田伝五らが
勇躍する。さらに鬼神四天王政孝の死闘によって、ついに羽柴軍は崩壊を始めた・・・
これ読んだら、「光秀天下取れたかも!」ていう考え微塵も無くなったw
連戦に継ぐ連戦でとにかく厳しすぎるわwww
神宮寺元作品感想記事一覧
http://openfire.seesaa.net/article/160379919.html
天下人にはひとつの法則がある。トモ、タカ、ノブ、ヒデ、ヤスと二文字片仮名の
あだ名で呼べる名前をしているのだ!!明智光秀もヒデと呼べるので、天下人の資格
は充分である。その法則でいえば毛利輝元(テル)や伊達正宗(マサ)も有資格者
になるけれど……きっと半分くらいはなるな。
ともかく明智光秀である。この作品は、織田軍でも秀吉と一、二をあらそう逸材と
呼ばれた彼が、部下たちの活躍によって山崎の合戦で勝利し手に入れた天下をかた
めていくシミュレーションなのである。
かなりの王道なのに、真正面から扱っている作品をほとんど見ない趣向だ(私が単に
詳しくないだけかもしれない)。裏切り者のマイナスイメージが強すぎることが問題なのだろうか……。
しかし秀吉以後の印象工作が幅を利かせておらず、征夷大将軍足利義昭が存命の時代ならば
支持の取り付け用はある。ということで、いろいろ苦労して北に東に兵をぶつけ続ける光秀
なのだった。
1巻の最後まで2万を切る兵力で悪戦苦闘が続いていて、いつまでたっても兵力が増加しな
いのではないかと感じはじめてしまっていた。それだけに領土を拡張して手勢を増やした
結びには嬉しくなった。
まぁ、秀吉と家康から挟撃を受ける位置だから、到底安心はできないのだが……。
光秀は信長がやっていた多正面作戦を、自軍の規模をより小さくしてこなそうとして
いるわけで、危ない橋を何度も何度も渡らなければならないのも当然という気がして
くる。彼の奇跡的な勝利を演出するほどクーデターの妥当性に疑問を抱かせる、
少し困った作品構造になっていた。
大部分は山崎の合戦の知名度のおかげとは思うが、明智軍の武将にけっこう知って
いる名前があって人材の面ではそれなりに安心できた。あとは、うまく増えていく
かが問題だ。
蒲生氏郷などは地理関係上、光秀についているが、こういう人材を心酔させられるか、
そこがこの世界の光秀にとっては天王山かもしれない。 織田豊臣徳川関係やらないと一人前じゃない風潮なくならんもんかね
盛本さんニッチな分野やっててくれるから良かったのに
太閤記(モノクロ時代)の信長がリアル信長肖像そっくりで吹いたw
ま、400年前の出来事
誰も真実は知らんよ
本当の真実はな・・・
頭痛が痛いって言ってるようなもんだゾ、何人だか知らんが日本語勉強してくれ
天下とりたかったのは明智だけじゃないだろう
でも実際に謀反におよんだのが明智だったのはなぜかって話
信長公記にハッキリと書いてあるじゃないか。
「明智が天下をとらんがため」って。だから本能寺を変を起こした。
そこはまあ大前提。
明智に『いける』と思わしめた背後関係がどうなっていたか。
>>354
太田牛一が光秀にインタビューして聞いたもんでもないしなあ、そこは推測でしょ >>354
なぜ天下を取ろうと思ったのかを議論してるんだよ 理由なんてそこに信長が居たからの一言に尽きる
信長ほど身内・家臣・同盟者から裏切られまくりんぐ人生な奴も希少
たまたま光秀の番のときに当たりくじがでただけでもっと前かもっと後に
命中していた可能性も大
身内に裏切られたのは信行?家臣は光秀荒木あとぱっと思いつかないけど、同盟は武田信玄ぐらい?謙信とも手切れになってるな
以外と少ないんじゃね、規模の割に
浅井、別所、波多野、本願寺、松永、富田
まあ足利義昭も手切れと言えば手切れか
こういうスレの連中を見てるとアホな歴史家が多すぎると思うわ
信長を英雄視することしかできない。出てきた資料を信じ込むことしか出来ない。
もし、信長が健在だったら秀吉は動くことができるか?
これなんだよ。
信長が健在なら毛利は戦うしかない。じゃ秀吉は信長存命でも、勝手に戦線を離脱していいのか?
秀吉は細川筒井に信長が生きているから明智に従うなと言った。じゃなんで秀吉は返ってこれたんだと。
この矛盾に気が付かない細川筒井はバカだったのか?
つまりは明智の誤算は信長と信忠を同時に消してしまったこと。信長を消すのは計算されていたが信忠まで
消せるとか思っていたなかったでしょう。せいせい牽制して信長救出へ向かわないようにする程度。
トップが二人消えたせいで明智討伐をやりやすくした。少なくとも信忠が生きていたら秀吉は中国にいたままで動けない。
明智は時間を掛けて近畿内のくすぶっていた反信長勢力を動かして事態の泥沼化を企んでいたと。
出来なかったのは信長信忠が死んで全力で戻ってきた秀吉のスピードに負けた
明智は時間がなくてなにも出来なかったが正解。
仮に信長が生存していて前線の秀吉柴田を戻したとして、じゃ毛利上杉は黙って見ているのか?
どう考えても明智に協力するだろう。
こうなると近畿は混乱して戦況は膠着する。光秀が計算していたのはこれでしょう。
明智光秀は自己愛性人格障害者である説を俺はとなえる。
人格障害者だ。奴は。
信長をよく思っていなかった奴らが動いてくれると思っていたのは何故なんだろうな。
そこまで馬鹿なんだろうか?動くわけないのに。
司馬史観が蔓延してるから、司馬一族は土下座して謝るべき。
金儲けのために日本史を汚した罪は大きい
散々お世話になっていながら、いざとなったら手のひらを返すのが人間
光秀に限らず誰もがやること。
サイコパス 酒鬼薔薇を知りませんか?
光秀もサイコパス
現在の顔
ルイスフロイス。
この真実を語れるのは俺だけかやっぱり…俺の家の蔵の文献より。
どこまでも教科書に踊らされいらない知識溜め込んでるんだよオマエラは…呆れるわ
>>377
人を物のように扱える無感情な奴で尚且つ表向きには人格者を演じられるからな。
松下幸之助とかもそうだと思うわ。実際会ったらクズなはず。 >>1
明智光秀は、信長への不満のため本能寺へ信長の首を取りに行った。
ただそれだけの話だろ。
力のある武将達はあちこち散り散り、本能寺は超手薄。余裕ですわ。
ただの私怨なだけだよ。
明智光秀は天下を取ろうとも思ってないね。謀反して信長取ったら秀吉、家康らに狙われる事くらいアホでも分かるし、それに対抗する勢力なんか明智光秀は持って無い。
ただ信長さえヤればそれで良いという決断と行動。
実際あっさり秀吉に蹴散らされてるし、戦闘力的にも弱小なのは明智本人が重々分かってる。
もし家康と手を組んでたり、はたまた秀吉と合作したのなら、信長を取った後に、明智&家康vs秀吉
もしくは明智&秀吉vs家康の構図に必ずなる。
手を組んで天下を収めにいくならこの合戦は必ず起こるからな。
謀反の理由なんてのは、私利私欲か私怨しか無いんだよ、それは現代でも全く同じ。
黒幕だとか馬鹿丸出しだよ。
信長に腹を立てた雑魚が、癇癪起こして闇討ちしただけの話。
お前らに置き換えると、上司にイビられて我慢の限界に達して夜中に上司の家を放火してマッハで逮捕されました。
となる。
ただの雑魚。 >>380
ハゲと猿は組まねーだろどう考えても。少し現実を勉強しろハゲ >>381
お前は何を言ってるんだ?
文字も読めないなら無理してレスすんなよ 信長さえ倒せれば秀吉や家康などザコだと思ってただけだろ
そこの認識が甘かっただけだ
>>383
秀吉家康は戦果も挙げてるし光秀より強いのは秀吉自身が分かってるはず
光秀は家臣としての立ち位置はトップクラスだが戦は微妙
優遇されてる=強いと感違いした?とは考えにくい
そこまで頭悪かったらあの位置には置かれない 訂正
秀吉自身が分かってる×
光秀自身が分かってる○
怨恨説の可能性は低いと見る。
怨恨であれば信長を絶対に生け捕らせ、
「これは〇〇の恨みっ!」「これは××の恨みっ!」
と叫んでボコった後、鋸挽きの刑にでも処すだろうから。
実際はとにかく討ち取ればいいという感じなので、
まず怨恨説は消えるだろう。
俺は光秀はサイコパスだと思っているから、ただ単に天下を乗っ取るチャンスが来たから信長を殺害しただけだと思うがな。
秀吉、家康も天下を取る目的は常にあって信長に仕えていたのは、それが1番都合がいいだけだし。
仕えていたから信長を尊敬していたとか、何かされたから恨んだ。とか短絡的すぎやしないかと思う。
そんなに人間は単純ではない。
周りの人間や自分でも感情の赴くままに行動を取るような事は滅多にしないからね。
土建屋などの底辺職は勿論除いた考え方だけど。光秀、秀吉、家康クラスの人間だと理性が働く人間のはずだぞ。
>>392
なにかもう1つぐらい光秀のサイコパスエピソードが無いとなんとも言えない サイコパスってか異常なまでに信長に感謝してるよね
その気持ちが一気に殺意に向かった出来事があったのかもしれん
>>392
頭悪いな
380を読め
お前のレスの回答が既に書いてある >>392
短絡的すぎるのはお前だよ。はっきり言って小学生並み。
光秀が天下を狙ってるとかw
信長を討ったら、豊臣徳川柴田前田始め、各地の武将はどう抑える?
その対策は勿論打ってあるんだよな?
兵力、財力は?
明智に豊臣徳川を押さえ込める見通しなんか全くない。
大義名分として一斉に信長に着いてた連中は光秀を狙うぞ。天下を狙ってる奴らも光秀を狙う。
その対策も無く、勝てる見込みも無い状況で「光秀は天下を狙ってた」とか本当に小学生レベルの思考。
信長もそんな事すら分からないような先も見越せない大馬鹿をあの位置には置かない、まあ可愛がってただけってのもあるがな。叱責しまくってるから、馬鹿さには気付いてたかも知らんが。
理性が働くなら尚更あんな馬鹿な事はしない。着実に計画を進めるだろ。
後世にも「3日天下」と馬鹿にされるくらいアホ丸出しの失敗作。 光秀は戦はしょぼいよね
あれで天下狙うとか北朝鮮が戦闘力でアメリカを支配出来ると思ってるくらい馬鹿な話
>>395
馬鹿なのか、お前は?その書き込みはお前だろ。
考えが浅いと色々な人にフルボッコにされてるのに、まだ押し通すつもりかw くだらない罵りあいはいらないから、光秀のサイコパスエピソードがあるならプリーズ
>>398
お前の見解書いてみ?逃げんなよ?
さてどれだけ笑わせくれるかな、この小学生は。 >>398
お前か、浅い浅いとレスするだけの低脳は
自分はどう思うか書いてみろ
因みに>>380には同意 >>380の言葉には重みがある
ずっとイジめられてきたんだろうな 1人の小学生が380にフルボッコにされて泣きながら自演するも失敗www
おいおい、「浅い」とか恥ずかしい煽りしといてまさか逃げんのか?
しかも周りに「小学生」とまで言われて持論も展開せずに自演で逃げんのか?
冗談はレスだけにしろよ雑魚
お互いの罵りあいなんかどうでもいいから、光秀のサイコパスエピソードなり、私怨なり野望なりのエピソードを書いて論じてくれよ
興味があるのは光秀であって、お前らが中学生か小学生かじゃないんだよ
>>399
↑
この1人で騒いでる無能の回答まだ?
因みに>380と>386には同意 引っ込みつかなくなって粘着しだした>>380
イジメられっ子体質丸出しでかわいいね >>380 が馬鹿だということは分かった。
もう荒らさないように。続きは統合失調症スレで。 >>415
引っ込み付かないけど持論も語るの怖いし自演で話変えたいのかい?イジメないでやるから書いてみ?
これで持論書かなかったらクッソダサいよお前? >>380 へ。メンヘラのようだけど心理療法を受けたりは考えないのか?
健常者はそこまで感情的にはならない。健常者と違ってキチガイ行動を取るという事は脳の機能障害である可能性が高いから、1度医師に診てもらった方がいいでしょう。
扁桃体が異常な働きを見せて攻撃的になり、前頭葉の働きが弱いから扁桃体で増幅された怒りの感情を抑制する事が出来なくなっている。
あと病識がないのも問題。自分で自分の事が異常だと認識できないのも非常に危険な状態にある。
統合失調症の可能性もあるから今すぐに病院へ行きましょう。 ネットだと強気なる典型的なイジメられっ子>>380
文章も幼児化してて草 詰められて逃げの一手。
レベルの差が如実に出るとこうなる。
>>421>>423>>424よ、回答できないなら消えろ。良い加減見苦しい、諦めろ。 自分から煽っておいて、相手に「なら持論を展開しろ」と言われてるのにそれもせずに文句を言って逃げ回るとか正気とは思えんな
朝鮮人かアスペだろ
>>380の人格障害者がスレ荒らしてからスレが機能しなくなったなw
誰かあの稚拙な見解を同意して褒めてやって。 >>427
荒らしてんのはお前だよ、頭大丈夫かコイツ 絵に描いたような負け犬の遠吠えw
死ぬほど悔しかったんだなこいつ。。
>>380 皆んなが虐めるから逃亡してしもた。まあ人格に問題があったから叩かれたわけだが。 要するに>>380にイジメられた僕ちゃんが連投して荒らしてるのな
イジメられっ子脳の真髄だな
正論じゃ勝てないから遠くからピーピー泣き喚いて、しぇんしぇーしぇんしぇー状態 正論(プ
要するに友達のいないぼっち>>380が無知晒してツッコまれたことに発狂し連投して荒らしてるのさ
イジメた子の家に放火未遂で補導されたんやろね >>380 の奴って真性だな。こいつは叩かれている事に気付いていないどころか、自分が虐めていると思ってるようだ。 >>438
よっぽど悔しかったんだなお前。
側から見てても見苦しい。 443 人間七七四年 sage New! 2016/11/08(火) 19:07:49.64 ID:aTY5qntB
もう飽きたよ
>>380の断末魔である。 ヤングジャンプの歴史漫画の信長は現代からタイムスリップしてきた学生の歴史の教科書を読んでるな。
本能寺の変が起きることを知ったわけだ。さあどういう展開に話を持っていくのか。
勢いづいた当時の信長は自ら神になろうとしてたというし
苦しむ民を救う力もないお飾りの悶々としてるだけの朝廷が魑魅魍魎の蔑ろ公家衆たちを使役して
追放された義昭を巻き込み、主役の光秀を焚きつけ、秀吉とは情報を共有し、家康にも近づき薄っすらと情報を流し
あちらこちらに火種をばら撒いてた朝廷が黒幕だったら面白いw
本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛だって『その時歴史が動いた』の松平定知アナウンサーが言ってた
松平定知氏「本能寺の変仕組んだのは黒田勘兵衛では」と分析
2014.01.04 16:00
NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』がスタートする。「天下人」豊臣秀吉が最も信頼を置き、それゆえに最も恐れた智将・黒田官兵衛。「戦国最強のナンバー2」が駆け抜けた地を「官兵衛好き」を自任する元NHKアナウンサー松平定知氏が訪ねた。
毛利輝元との和平交渉とそれに続く(明智光秀討伐の)中国大返しの手際の良さをみると、私は黒田官兵衛が本能寺の変を仕組んだのではないかとさえ思っていますが、この高松城址の地(岡山市)に立ってみて、その読みに自信を深めました。
というのは、高松城は難攻不落だったので豊臣秀吉は織田信長に援軍を要請したとされていますが、現場を見る限り、深い堀も壮大な石垣もない平城で、とても難攻不落とは思えないからです。
秀吉と官兵衛が毛利攻略で、この地にあった高松城への水攻めの最中に本能寺の変は起きました。信長の訃報に泣き崩れた秀吉が落ち着くのを見計らって、官兵衛はこう囁いたといいます。「ご武運が巡ってまいりましたな」。
数万の軍勢を率いて猛スピードで京に駆け戻り明智光秀を討つ。鮮やかです。鮮やかすぎます。なぜなら、当日京都には家康接待のため、ごくごく少数の護衛を連れた信長がいるだけ。有力武将は誰もいない。
多くの兵を持っているのは秀吉援軍に赴く光秀のみ(光秀ならこの状況に必ず気付く)。これは状況証拠でしかありませんが、官兵衛にはそれぐらいのをやってのけても不思議ではないと思わせる何かがあります。
今年のNHKの大河ドラマは黒田官兵衛が主人公ですが、私のもっとも好きな武将のひとりです。私が官兵衛を好きな理由は、忠義を重んじ、ナンバー2に徹しながら、そのくびきから解き放たれると自ら天下取りに打って出たところにあります。
撮影■太田真三
※週刊ポスト2014年1月17日号
http://www.news-postseven.com/archives/20140104_234455.html こういうこと平気で言って電波に流すからNHKの罪は重いんだよな
光秀も秀吉も家康も信長を利用して天下を取るチャンスを伺っていたわけだが、一番早くチャンスを掴みとっただけだろう。
しかし手回ししていたのにも関わらず誰も全く味方になってくれたいという大誤算で散っていった。
若しくは小栗栖村でなんか亡くなっているとも思えず、家康に一族ともども匿ってもらったとかならありそうだ。
第一の矢で光秀が信長を討って、後に家康と光秀が天下を取るという流れ。
光秀は天下を取りたければ家康が本能寺に着いた時にでも信長共々討てば済む話だが、それをやらなかったのは家康と結託していたから。
その後は明智家として活動することが出来ないから名前を隠したまま家康の側近として暗躍していく。
普通に考えれば毛利が秀吉を追撃するから挟撃できる
細川と筒井は味方してくれる
おそらく長曽我部も
柴田は北陸で釘付け
家康はたぶん死んだ
いちおう源氏だから将軍になれるかも
こう考えたのでは?
誤算は毛利
本能寺の変のとき安土城の奉行職か何かで明智軍に抵抗したのは木村高重?木村重高?
どっちの名前が正解か教えて下さい。
>>42
あれも後世の脚色つきの話かも知れないけどね >>42
死ぬほど苦労した。というのが思い込みだろうな。そうとは言い切れない。
普通に帰ったら怪しまれるわけだから、伊賀越えくらいはするはずだ。 >459
光秀に味方するんだったら怪しまれることなんか気にする必要ないだろ
>>460
それは後世になって謀反人の仲間になりたくないからだと思うけど
伊賀者に守られての伊賀越えだから逆に安全だったのでは?
と神君伊賀越えは昔から不思議だった 普通に帰って来たのを、時代が下がってきて苦労話になったんかも
一行が雑兵200人斬ったんなら警護も多かったんだろ
本能寺の変、仏教界は喝采「信長は清盛の再来
愛知県豊橋市の金西寺(曹洞宗)に伝わる古文書に、織田信長を批判的
に評した詩文が引用されていたと島田大助・豊橋創造大教授や高崎俊幸
住職が発表した。島田教授は、仏教界の信長に対する悪感情が読み取
れるとしている。文書は、寺を開いた月岑牛雪大和尚が江戸時代初期の
1619年以降に書いたとされる開山記「当寺御開山御真筆」。その冒頭に、
近江国(現在の滋賀県)出身で京都・東福寺の住持を務めた集雲守藤の
別号とされる江湖散人の詩文が引用されていた。詩文は、信長が明智光
秀に討たれた本能寺の変の翌月の1582年7月に作られたとみられる。
詩文には「信長は京を鎮護して二十余国を領したが、公家をないがしろに
して万民を悩まし、苛政や暴虐は数え切れない」「(本能寺の変で)死亡し
て人々は拍手し、天下が定まった」といった意味の記述があった。さらに
信長について「黒ねずみで平清盛の再来」とする一方、光秀を「勇士」と
表現したとみられる記載も見えた。信長が1579年に築いた安土城に触れ
「天守は(高さ)百尺(約30メートル)」「苦役で民が汗を流し、ぜいたくな城
を築いた」と解釈できる部分もあった。信長の比叡山焼き打ちにも言及し
ていた。島田教授は2014年に高崎住職から依頼を受け調査を進めてい
た。島田教授は「信長が仏教界から尋常ではないほど恨まれていたこと
が伝わってくる」と話した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170204-00000046-mai-soci 光秀も秀吉も家康もチャンスがあったから行動したにすぎないと思う
まあそうだろうね
チャンスあり、逆にここでやらないとその後の自分ヤバいかもという不安もあり
キリスト教(フロイス)も仏教の坊主も同じだな
死んでからなら何とでも言えるってやつ
ただの衝動でしょ
光秀の「殺すまでは鮮やかだったけど、殺したあとの外交が後手に回りまくって秀吉に負けた」
ってとこ見ればわかるじゃん
朝廷黒幕説も将軍黒幕説も無理
なぜなら細川・筒井にあてた自分に味方して欲しいという書状にそのことが一切触れられてないから
もしコイツらが黒幕なら絶好の錦の御旗になるのに
家康黒幕説や秀吉黒幕説はもっと無理
>>452が紹介してる松平の説に「大した城じゃないのに信長出馬を求めてる」とあるが
これは単に秀吉が大詰めの場面で信長に手柄を譲ってるだけでその前からあった処世術にすぎない
何より毛利が自分を追いかけてこないという確証がなかったんだし よく言われるところのKの法則じゃね
本郷と言ったらNHK、NHKと言ったら○鮮人、○鮮人と言ったらこの法則
頭おかしくなっちゃうんだよきっと そういや林も鮮人だっけ?
本郷ってどこかで聞いた名だと思ったら
大河ドラマ清盛で天皇家を王家に格下げした時代考証のやつじゃんw
本郷和人 反日 朝鮮人 NHK 売国奴
衝動にしても、光秀サイド、もしかしたら尾張衆の間でも不安が溜まってた所に
ダメ押しの一発が来たという感じだろうな
転封問題なのか、与力解体問題なのか…
天正10年の逸話は信長個人から過去に受けた恩であって
光秀の織田家中での立場とかそういうものとはまた別だろう
藤田達生氏が主張した足利義昭黒幕説の根拠となり、
現存する明智光秀最後の書状と思われる
六月十二日 雑賀五郷、土橋平尉宛
の原本が、美濃加茂市民ミュージアムで展示されていたぜ
光秀も衝動的に本能寺襲撃した感じだよなぁ
妙覚寺の信忠はそこから二条御所に移動してるのを考えると逃げようと思えば余裕で逃げられたし
信長親子討ち取った後の行動も場当たり的だし
やっぱ家康の接待役解任と領地替えの話で佐久間や林と同じ末路になると悲観したんじゃね?
よく朝廷、義昭黒幕説とか斎藤利三がそそのかしたとか色々あるけどさ
ちなみに領地替えは当時としちゃ栄転らしいよ
通説通り光秀が賢い人なら、移封先が宝の山であることは知ってたはずだと
銀山は信長直轄領になるのは当然だと思うけどw
石高が飛躍的に増える領地替えの家康でも不満を持ったわけで
ましてや光秀の場合はその替え地がまだ織田領でも何でもない
切り取り次第=切り取れなければ終了だからな
そもそも領地替えの話は後年の軍記物が出典で創作の可能性が高いんじゃなかったか
大きな領地もらうごとに本拠地から離れるのは仕方がない事だでな
信長がこういう領地替えだのやり始めたのはつまり、桂田と富田のせい
光秀と信長ができてて、森蘭丸に嫉妬して
を独占するために本能寺もろとも火の海にした。
光秀は色白で、年齢不詳だったしね。
外見の魅力もあったかも。
あの光秀肖像画はそこそこいけるかもw
三島由紀夫の金閣寺の主人公と同じ心境で本能寺の炎を勃起しながら見ていたと。
光秀67歳
あと光秀=金天海=小泉純一郎、同じ系統の顔
ああいう顔いけるかなぁ
案外単純に家康が本能寺に泊まっていたと思って間違えて信長殺しちゃったんじゃねえの?
そんなに情報が発達してない時代だっただろうから
>>484
家康の堺見物まで光秀が当初から手配してたんだからそれはない >>452
信長があんなわずかな手勢で行動することをどうやって予測し、かつ光秀に
どう決意させるのか説明してもらわんと、黒幕説は誰であろうと不可能。 現実問題として毛利は本能寺知らなかったのと
高松城に後詰もできないほど弱ってたので
秀吉の条件に飛びついたってだけの話だね
毛利も立て直す時間が欲しかったわけで
毛利が知った上で和睦したというなら清水の切腹は要らないだろw
う〜ん、スレを呼んでいろいろ面白かったけど、まず議論するのなら「黒幕」の定義が難しそうだね
なにを持って黒幕とするのか?
黒幕といっても関与によって段階があると思う
1、光秀よりも上位にあり、光秀に命令して、信長を襲わせた。光秀は拒否できなかった。そして信長亡き後、天下を牛耳ろうともくろんでいた。これは主犯といってもいい、まさに黒幕。
2、光秀をそそのかした、アドバイスしたていど。光秀と立場が同等か、あるいは下の存在。これは黒幕というよりも、せいぜい扇動者ていどのもの。あくまで光秀が主体的に実行した。
もし、1レベルの黒幕がいたとしたら、もう存在としては朝廷か、義昭しか考えられない。
2レベルで疑いがあるのは、やはり、秀吉、家康あたり。そして斎藤利三あたりか。
2レベルは厳密に言えば、黒幕とは呼べないから、黒幕がいたとしたら、やはり朝廷か義昭
よく黒幕否定論者で、光秀が錦の御旗になるのにその存在を公表してないから、黒幕はいないというけど、理由があって公表しなかったことはありえると思うよ
あるいは公表したけど、その書類が発見されてないだけかも
だって、戦は騙し合いなんだもん
光秀に知恵があるのなら、嘘でもいいから、朝廷や将軍の指示を受けたとか吹聴するでしょ
秀吉だって、「信長は無事、生存している。明智の誘いに乗るな!」っていうデマを平気で書き飛ばしていたぐらいだし
光秀がそうしなかったのがむしろ不自然だよ
結果的に本能寺に信長がわずかな手勢で泊まると言うチャンスが訪れたから
討てたけど、もしそういうチャンスが来なかったらどうするつもりだったのか
大河ドラマの竹中直人主演の秀吉、見返してるんだけど、本能寺の変前後の光秀の描写はこのドラマが一番よくできてるよね
じりじり光秀が謀反せざるを得ない状況に追い込まれていく過程が、さまざまな前振り、伏線、演出とともにしっかり描かれてる
村上弘明の熱演もすごい
でも、本能寺の変のときの
蘭丸「大恩ある日向守がなぜ?」
信長「是非に及ばず」
ってあるけど、そりゃ、信長あんたが、光秀をいびり倒すからだよ
光秀は必死に自制したのに、追い込んだ信長が悪いわ
公衆の面前で蹴られたり、領地召し上げられたりしたら、そりゃ切れるわ
それでも加害者意識がないんだから、完全にアスペだわ、信長
でも、思ったんだけど、ドラマの中で、「信長が20万の本隊を率いて出てきたら、毛利なんてひとたまりもない」みたいなセリフがあるんだけど、
前から思ってたんだけど、そのときの近畿って軍事的真空地帯だったんでしょ
各軍司令官は地方に散ってるし、光秀が山陰道に向かっていたら、もうまとまった兵力は存在しない
信長は秀吉の援軍に行く予定だったみたいだけど、どこに20万の兵力があるの?
姫路城あたりで、20万集めるつもりだったのかな?
援軍に行くのに、周囲にまとまった軍勢がいないっておかしくない?
ただのドラマのセリフだろ
毛利は秀吉軍との対峙だけでヘロヘロ、配下国人の離反が怖くて軍も動かせない末期。
援軍は光秀率いる近畿軍。信長は悠々と督戦に行くだけ。
そうなのかね?
でもなんか腑に落ちないんだよな〜
援軍は光秀の軍勢だとしても、わざわざ秀吉は士気を鼓舞するために信長の出馬を請うたの?
そりゃ、信長が顔を出したら、士気は上がるだろうけどさ、別に実質的には光秀の援軍だけでも十分じゃない?
光秀軍だけでなく、わざわざ信長様にご出馬をと請うてる時点で、なにか秀吉に作為があるような
せっかくのびのび地方司令官やってて、戦況も順調なのに、普通うるさい上司なんか来てほしくないじゃん
「うざっ! 何しにくるんだよ!」って思うもんだよ
それなのに、なぜに信長を…?
信長を呼ぶ必然性が感じられないんだよ
光秀軍の主な人物が全部戦死か斬首なんだから
「敵は本能寺にあり」も創作だよw
運良く長男の信忠も一緒に殺したけど
あのまま本能寺から逃げてたらどうなってたかもわからんしね
全く計画的じゃないことがわかる
信長なら信忠見捨てて余裕で安土まで逃げてただろうな
信忠が安土まで逃げて美濃尾張で動員かければ3万は集まるから
独力で明智を成敗できてただろうね
信長にとっては林、佐久間を追放したのが完全に裏目だよな
25年前の行状を理由に追放されるなら何でもありだもんな
一々追放の理由を並べ立てたのも失敗だった
>>498
それって本当なの?w
尾張にいた頃、弟の味方をしたとかそんな理由だったよね
追放するにせよ、他に適当な理由なかったんかいw
完全に信長、狂ってるよ
そんなんで人を治められるわけない
将来の軍縮問題も考えていたんだろうけど、宿老たちの力を抑えるのも、もう少し手加減しないと >>499
自分への絶対的な忠誠を求めてるのが信長
石を置いてそれを神だと言って参拝料取ったのは有名な話
この石ころに大金の参拝料払って信長への忠誠をアピールしたのが秀吉w まあ、でも、黒幕黒幕っていうけど、光秀の謀反にだけ黒幕説がたくさんあるのもあれだよな
べつに松永や村木の謀反にも黒幕説あってもいいのに
あんまり話題にならないから、黒幕説を唱える人も少ないんだろうな
何か歴史的事件の裏には、陰謀があるんじゃないか、あってほしいっていうただの願望の現われだわ
何でもかんでも、捏造だとか陰謀とか言い出す人いるし、妄想するのが純粋に楽しいんだろう
そそのかした奴はいたかもしれないけど、光秀が主体的に起こしたという事実は変わらないんだろうな
黒幕って言っても朝廷が本能寺の条件に何ら寄与してないし
秀吉は大返しも実は史実より速度遅いのがバレたし
たまたま光秀が躁鬱状態の時に目の前にチャンスが有ったから
衝動的に行動しちゃっただけだろう
明智さんも信長殺すのが目的化しててその後どうするかのヴィジョンが全く無かったね
目的と手段の履き違えなのか本当に目的は信長殺すことだったのか
事前に相談する時間もなかったし相談したら絶対バレてただろうし
博打の最初のレースは大万馬券当たったけどその後のレースですっからかん
あとから批判するのは簡単だとは思うが、でもやはりアンチ信長勢力が味方に
ついてくれるはずだって読みだったとしたらちょっと甘すぎだなぁ・・・
信長もあまりにも光秀を買いかぶりすぎだったんではとも思う。
実際すぐに当てになるのは長宗我部くらいだろうね
まだ織田軍が四国侵攻前で戦力低下してなかったし
後は雑賀衆くらいか
上杉は滅亡寸前まで追い込まれて内乱も起きてボロボロ
毛利は山崎の戦いで明智が勝ちでもすれば西から攻め込む可能性もあるが
何にせよ最初に1ヶ月で明智が羽柴、柴田、徳川を各個撃破できないと話が始まらないという無理ゲー
本能寺の変は反乱というよりも、テロに近かったんだろうね
もう殺すことが目的で、その後の天下はとれればラッキーみたいな
やっぱりなにか個人的な恨みはあったんだと思うよ
さすがにあのまま天下がとれるとは光秀も思ってはいなかったと思う
10年前ならカオス化を期待できたけど、当時はもう中央集権が確立してたし、比較的安定してたから、不意の信長の死にもすぐ宿老たちは対応できたんだろう
いま、アメリカ大統領が暗殺されても、すぐ副大統領が後を継ぐみたいな
信長の作った方面軍制のお陰で羽柴はすぐに大返しできたけど
結果としてこの制度が織田家滅ぼしたとも言えるね
明智の問題点はいわゆる「支配の正統性」の欠如
なんらかの錦の御旗がほしかったわな
せめて、五宿老のもう一人、丹羽あたりを仲間に引き入れていれば、ちゃんとクーデターになったかもしれないのに
信長を殺せたのはいいけど、一人じゃつらいよね
そんなことをするぐらいなら、忍者を本能寺に放って暗殺しちゃうとか、正体不明の武装集団の体で襲うとか、上手く下手人がばれないようにやるべきだったよね
桔梗の紋を堂々と掲げて戦う必要もないような
>>508
斎藤利三に旗指し物なし覆面で本能寺襲わせて焼け落ちた頃にわざとらしく明智登場
「上様ー」とか泣きながら叫ぶ光秀
まぁ無理だなw チャンスがなかったと言えばそれまでだけどせめて武田が健在な頃に本能寺的なイベントが起きて
信長信忠まとめて始末できてればね
武田は間違いなく美濃に出兵するだろうし武田と呼応して上杉も越中で反撃
毛利も羽柴を攻撃するだろうし
外線からの攻撃と畿内中心部からの明智の攻撃で織田家臣団は各個撃破されそうだが
洞ヶ峠の奴もこうなると明智に加勢するだろうし
いくら戦国時代といえども下克上って当主に何らかの問題があって
簒奪者との力関係が逆転してるような場合しか成功してないだろ
自力で混乱を収めるだけの実力があるならまだしも外の大名の力を当てにするようなら
結局は他家の下風につく事にしかなんないんじゃないの
そこは当初の羽柴や柴田の攻撃を切り抜ければ
足利義昭を神輿に担ぐとかやり方はいくらでもあるのでは?
それって信長の劣化コピーにしかならないパターンだと思う
本能寺の変で相対的に弱体化した勢力で包囲網と戦う事になるのでは
羽柴は毛利と戦う
長宗我部も讃岐押さえて淡路から摂津
雑賀衆も和泉を脅かす
細川は身動き取れず
で実質的に柴田、信雄、どこまで首突っ込むかわからない徳川だけ相手すれば良いのでは?
それで勝てたとしても大きな借りも出来て勢力も大きくなったであろう四囲の勢力相手に
あまり褒められた手段ではないやり方で手中にした地盤で相対しないといけないということだから
結局どこかの配下にならないとやっていけないんじゃないのっていうこと
>>515
実際は畿内の中心部押さえてるし足利将軍を立てるなら対織田戦で協力した周辺勢力も
形式上は足利将軍の部下だからそれぞれに役職と官位与えて終わりじゃね?
なんしか明智が名目上のトップに立ってしまうと大義名分失うからな >>516
光秀も義昭を一度は見捨てているし変の当初から足利幕府を立てる発言してる訳じゃないから
足利幕府の再興は(変を起こした)光秀の素志とは考えられないんだよね
となると結局義昭が光秀と敵対して義昭抱えて上洛した信長と同じ展開になるだけじゃないかと
でそうなったら光秀が果たしてまともに畿内を押さえていられるかというと無理ではなかろうかと思う 義昭の立場で考えれば利用できるなら喜んで光秀とでも手を組むだろう
毛利の下で居ても朽ち果てるだけだからな
一度裏切ったとかそういうのは目先の利からは瑣末な問題
利があれば北条と上杉、武田と上杉でも同盟結ぶんだから
戦国大名がみんな天下を狙って上洛しようとしてたなんていう
カビの生えた史観のままのやつって今でも結構いるんだな
光秀が畿内で足利将軍を補佐しつつ、毛利でも北条でも地方の権益を認めてさえやれば
誰も好き好んで京都に入って政争に参加したりしないよ
>>518
そりゃ一時的には結託できるだろうけど義昭は一度信長に追い出されているだけに
信長時のそれより明らかに強力な権力を求めることになるだろうから立場の弱い光秀は応じざるを得ないでしょう
光秀に幕府を再興するつもりがあって幕臣としての生を全うするつもりがあるならともかく
自身の為に信長を討ったとするなら結局どこかで両者は対立せざるを得ないのでは 問題は伊達や島津みたいな秀吉の惣無事令にさえ従わなかった輩だな
朝敵にするのは難しくないだろうけど秀吉のような軍事力を動員する力が
義昭・光秀政権にはないのでどうかな
伊達や島津がやりたい放題してるのを放置すれば足利幕府の信頼は失墜する
>>509
ギャグっぽくなるけど、それが一番ベストなんじゃないの?
とりあえず、秘密部隊を作って本能寺を襲撃して信長を殺す
信忠はそれなりの規模の部隊じゃないと難しいから、いったん見逃す
大規模に動いたらさすがにだませないから
一応、光秀には山陰道に行く途中というアリバイがあるし、近畿管領の立場だけど、援軍に行けといったのは信長だから、信長の護衛までしてられないから責任を問われることはない
取って返して信忠を護衛するみたいな形にして、各宿老に、お館様が横死したから、敵にばれないように兵を引けって指示を出す
その後、信忠に実権が移る過程で、うまく宿老筆頭としての頭角を現して、再度機会を待てばいい
信忠はすでに家督を継いでいたけど、うまくすれば、信雄、信孝みたいに脇にやることはできるでしょ 本能寺で確実に信長を仕留めるには本能寺の包囲が不可欠
そうなると最低でも1000単位の兵が必要
それだけの兵を準備できる野盗が織田支配下で安定してた京付近にいる訳もなく絶対に足がつく
敵が少ないと気づけば信忠が間違いなく応援に駆けつけるし
光秀は信長を殺すついでに運良く信忠まで始末できたけど
それは結果として羽柴の天下取りのサポートしただけだったね
信忠が生きてれば秀吉のあそこまでの台頭もなかった
光秀がやった大きいサポート「朝廷の凋落を驀進させた」これもあるで
勘違いして真逆に捉えてる人多いけどね
丹波山国荘の回復とかもやってるしそこまで極端に捉えなくてもええやん…
回復もするし暴挙も振るうってことで
光秀は朝廷が何たるかを全く知らなかったんだと思うね
在日朝鮮人二世か三世って話、こういうとこからも信憑性が増す
根拠
・名家でありながら朝廷儀礼全く知らず(朝鮮人の背乗りなら辻褄が合う)
・光秀って名前、日本人にはあんまいないが朝鮮人にはたくさんいる(金光秀、徐光秀、文光秀)
背乗りと言いながら光秀という名前は朝鮮人に多いとかw
たった二行でここまで矛盾したこと書いて気づかないもんかねぇw
謀反するなら周辺の反信長勢力がすぐに駆けつけられる頃にやれよって話だな
最悪でも石山本願寺がまだ信長と戦ってる頃だな
そうだよな
単純に謀反のタイミングが遅すぎるよ
なぜに、信長包囲網全盛期にやらなかったのか?
本願寺が陥落してからじゃもう遅かった
例えば1579年頃に信長の暗殺に成功すれば
武田、毛利が東西から攻め込んでくる
上杉は御館の乱の後遺症で動けない
この頃の長宗我部は織田と同盟中
信忠が居るなら武田も毛利もそう簡単に畿内に突入できるとは思えないので石山本願寺に逃げ込むしかねーなw
松永とか謀反してるだろ
で潰されてる
畿内平定して各方面軍が散って信長自身が兵を率いていないタイミングで奇襲は間違っていない
信長抹殺自体は、テロや暗殺でもいいと思うんだよね
光秀だったら、かなり懐までもぐりこめるから、隙を突いてやっちゃうぐらいはできたと思うんだよ
そのあと、カオス的な状況を作り出せなきゃ、一縷の望みもない
忍者かなんかで、お忍び中の信長をやって、光秀自身は知らぬ顔
信長をの死を知って、近畿では本願寺や各地の一向一揆、毛利、朝倉も勢いづくだろうから、その中を上手く立ち回って、頭角を現す
本願寺が健在ならそういうシナリオも書けたとは思うんだけどね
天正10年の段階では、ちょっと体勢が決まりすぎてどうしようもないよね
体勢かなり決まった状態とはいえ、どうしても戦争続けたかったんだろうね
当時の史料にずばりある
「光秀謀反の理由、彼は戦争が好きだったから」
よく黒幕説って言うけどあのタイミングで信長が護衛無しで本能寺に宿泊するなんて偶然の産物だからなぁ
具体的な信長の動きを光秀に教えた奴がいたのは確かだろうけど
それを黒幕と表現するのが正しいのかどうか
松村しげる「安倍政権打倒しようぜ」
おせいぼ「俺も手伝うw」
これで共謀罪成立するからなw
マジで
>>524
光秀は保守的だった
いや、信長の革新的合理化政策を先頭に立ってどんどん推し進めたのが光秀だ
比叡山焼き討ちなんかも喜んでやった
って、両論あるけどどっちなの? 最後に信長を討っただけにその辺りは評価が別れるね
俗に言う再評価とか新説では光秀は積極的だったらしいけど
一昔前までは比叡山焼き討ちを命じる信長を諌める光秀が定番だったね
両論というか小説ネタと史実ネタ
これだけの違いじゃね?
小説→光秀保守、信長革命家 史実→光秀?、信長保守
ちなみに今では各人好き勝手にいろんな評価してるけど、
当時はただただ、「人徳溢れお優しく聖人のような信長様が家臣の某にやられちゃった、エーーッ」
ふざけてんじゃなくて史料によるとマジでこれよ
>>546
まぁ信長支配地域の民にとっては戦もなくて最高だったろうな 信長領は下々の者に対する配慮が行き届いていたという話は本当なんだろうか
領内に入った旅人がその辺で昼寝していても平気だったとか
そういうエピソード、どの史料に書かれてるのか知らないけど(あ、信長公記にあったっけ)
下々の者に限らず、例えば細川家の史料にも「信長公は大変気配りをして下さる方で」ってのがあったよ
信長軍団が本当に兵農分離されてたのなら
支配地域の農民にとっては戦に駆り出されることもなく
平和に畑耕して税金納めるだけでいいもんなぁ
戦に出れば食料が貰えるし年貢が減ったりするから農民は戦に出たいんだよ
リアルに考えたら、やっぱり、光秀は、どっちかというと信長の改革方針に先頭でついて行ってたタイプなんだろうね
そうじゃないと筆頭宿老にはなれないし
事実上、ナンバー2だったわけだし
講談では、信長の急進性を上手く強調するために、光秀はむしろ保守的なタイプにされたんだろうね
急進的な暴君を、保守的な部下が謀反を起こしてとめたという構図にしたほうが、互いのキャラが立つというか、わかりやすいし
かと言ってフロイス評みたいに革新政策という名のえげつない陰謀にノリノリで手を染めてたと言うのも何か違う気がする
フロイスが言ってる光秀評って、革新性とかそんな表現もなく、ただ
周囲から嫌われてる、人を騙すのが上手くて本人もそれを自慢にしてる
信長はなんだかんだでお人好しなので、光秀のウソに完全に騙されてた
この程度しか書いてないんじゃなかったっけ?
なんしか秀吉も家康も織田に大した義理もないし簒奪したって負い目もあって
織田信長が悪い的な描かれ方が多いんだよな
織田家が没落したのは自業自得でしょみたいな
それじゃ、史実だと信長は暴君タイプじゃなかったの?
確かにいまはいろいろサイコパスみたいに書かれすぎてかわいそうだとは思うけど
でも、お人よしの信長も、イマイチかっこ悪いじゃん
クールだからこその人気だろうし
逸話を見る限りだとお人よしというか努力強要型の熱血ヤンキーっぽい
今は信長いい人説が主流だけど
ちょっとなぁ、という気はする。
信長は重臣連中には厳しいけど下っ端や庶民には優しい
という庶民からすれば理想的な大名だったのではないか?
確かに、秀吉や家康が信長をいい人に描く理由もないしね
悪い奴にしといてほうが後々都合がいいだろうし
信長いい人説も十分ありえただろうね
少なくとも家族とか子どもには優しそうな感じ
政治家だからもちろん、非情なときは非情だっただろうけど
家臣に対しても有能な働き者にはゲロ甘じゃね
ボンバーマン松永に対する寛大すぎる処遇とか有名だし
有能か無能かってより
ズルする人には激辛
真面目にやる人には激甘
って感じもするけどなぁ
>>561 >秀吉や家康 悪い奴にしといてほうが後々都合がいいだろうし
江戸中期、飢饉とかで社会不安が増大した時特に信長のネガキャンが盛んになってるとこ見ると
まさに自分の政権維持のためだろね
また織田家に政権託そうなんて言い出す人出てこないかドキドキだったんだろ 秀吉 信長悪者にしないと織田家から天下簒奪した正当性を主張できない
家康 別に信長の名誉回復してやるような義理もないしなぁ。俺も織田の領地である甲斐信濃どさくさ紛れに占領したし
こんな感じだろうな
そうやってキミが注目すればするほど明智憲三郎は潤う
松永久秀なんか謀反起こして失敗して信長に謝罪すれば許されてたからね
久秀とは立場全然違うけど、義景たんも運がよければなぁ
朝倉義景は流石に無理では
妹婿の浅井長政の方はしつこいくらい降伏勧告して助けようとしてたみたいだが
頭下げるなら普通に助命するのが信長だから
武田だって甲斐進攻の最中ですら何度も降伏勧告して助命しようとしてるし
どこの武田だよw
北条まで敵に回した勝頼は信長に和睦を求めたけど
使者すら門前払いされて仕方なく佐竹に依頼したり
とっかかりのつもりで勝長を返したりしたが結局最後まで無視されたぞ。
勝頼とはとことんタイミング合わなかったんじゃなかったっけ?
信「和睦しよう」→勝「拒否」
↓時が流れ・・・
勝「和睦しよう」→信「拒否」
まあ、戦わないで降参してくれるのなら、それがベストといえばベストだろうけど
でも、勝頼切腹は免れなかっただろうな
勝頼が腹を切れば、他の武田の一族はとりあえず命は助けてやるみたいな感じだったと思う
北条みたいに
義景に関しては一級とされる史料に確かこういうのがあった
信「助けてあげよう」 信家臣「なんとお優しい(涙」
信家臣「義景従兄弟が織田に降伏する際の手土産に義景やっちゃったとのこと、
殿のご厚意を無にするとはけしからん、成敗しましょう」
信「助けてあげよう」
>>576
勝頼は信長に和睦勧められた時応じてても切腹? 第二次織田包囲網の1577あたりで信長から和睦持ちかけてなかったっけ?
でもこれ武田が受け入れると上杉が間違いなく川中島と西上野に侵攻してくるよなぁ
>>571
あれはあくまで戦死者への供養であって相手を貶める意図は無いらしい
ついでに杯にして酒を飲んだという話は後世の創作説が濃厚 なんでそんな創作までして信長をサイコパスにしたいんだろうね?
あんまりだよ
ぬっ殺された一向一揆衆の怨念が、都市伝説的に信長のサイコパスな伝説を創作していったんだろうか
それこそ本能寺の影響は大きいだろう
光秀の動機が不明なだけにああいう死に方をするってことは余程本人に問題があるんじゃないかって推測をされてしまう
そいつが本能寺に信長を引き止めて
一方で光秀に「信長は護衛無しで本能寺にいる」
と伝えたのであればね
黒幕という以上はお膳立てまでしないと
黄金髑髏は
真言立川流に信長がハマっていた説もある。
どっちにしろ髑髏杯は嘘。
酒杯なんぞにしてしまったらダキ二天が降りてこないがな。
優しい信長像のドラマとかあってもいいのにな
信長が猫を可愛がったり、幼い茶々とかとおどけて遊んでたり
クールなヒール役ほど、キャラに魅力はないけど
信長がクールな天才タイプ、秀吉がひょうきんな器用者タイプ、家康が地味で慎重なタイプって、誰が作り上げたキャラ像なんだろう
漫画だけど信長の忍びの信長は振る舞いはクールだけど心優しい人格者として描かれてる
信長公記とかに、舞を見てガチ切れしたとか、息子たちにも恐れられてたとかあるみたいだから、短気で気難しかったのは確かなんじゃないの?
まあ、戦国大名なんてそりゃ軍人なんだからみんな強面でしょう
人当たりのいい奴は商人でもやってるだろうし
短気で言えば家康も大概でしょ
泣かぬなら泣かせてみせようホトトギスのせいでなんかおかしなイメージ広まってるけど
豊田真由子みたいに部下に反撃食らって死んだのが信長
>>586
江戸時代の小説家じゃね?
でそれを更に拡散したのが司馬先生 冷酷無慈悲な信長みたいな書き方されやすいけど、冷酷なのは秀吉、無慈悲なのは家康って気がする
むしろ信長は慈悲&慈悲やろ
信長の冷酷無慈悲のイメージって
・比叡山焼き討ち
・浅井親子の金箔ドクロ杯
・明智光秀を折檻して本能寺の引き金
これらが大きい気がする
真偽不明のが含まれてるが
その三つよりはややマイナーになるかも知れんが長島一向一揆虐殺や荒木一族皆殺しとかも
あとは弟の信行殺しなんかもそうかね
弟殺しが駄目なら
武田信玄の父親追放
上杉謙信の兄追放
豊臣秀吉の甥一族皆殺し
徳川家康の嫁長男殺し
伊達政宗の弟殺し
はどうなるんだよとw
長島一向一揆も騙されやすい信長に降伏するとかウソついて、
武装解除した信長家族を大量に頃した一揆側がまずどうかと思うしなぁ
荒木も当時の人の感覚では、ちょっと厳しい処断だが荒木が悪いんだからしゃぁないって反応
『本能寺遊戯』っていうミステリーの短編小説があって、小説だからかなりぶっ飛んだ仮説が出てくるかなと思って楽しみに読んだんだけど、
なんだかすかされた感じだわ
黒幕はいないという立場で、動機に焦点を当ててたんだけど、神社とか神様の名前がいろいろ書いてあって、それらに関係があって、
なんか宗教上の理由で光秀は第六天魔王の信長を討ったっていう結論だったけど
ただゆかりの神や神社を、あれこれこじつけてるだけなんだよ
だいたい、本当にその神社にその神様が祭られてるかどうかなんか素人の読者にはわからんし、だから、「ああ、そうだったのか!」みたいな納得感もない
ただ作者が日本の宗教にくわしいからそれにこじつけただけだろ
研究者は自分の専門分野で何でも解釈しようとするからさ(火の玉教授の大槻教授が何でもプラズマ、プラズマいうようなもの)
だいたい動機が宗教上の理由だったら、普通に天皇家のためとかでもよくない?
いちおう、日本神道の最高祭司なんでしょ、天皇は
なんか、信長が中国征伐に向かったら、出雲神社が危ないから、それをとめるために謀反起こしたってことらしいけど、逆に動機がしょぼくなってない?
まだ、鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか?」の信長自殺幇助説のほうが、プロレス感あってよかったわ
信長の自称第六天魔王なんかは、天台座主と自称した信玄に対抗して言った程度の事だから晩年の自己崇敬の勧奨などとは直接繋がらないし
どっちか言えば信玄の売り言葉に買い言葉くらいのニュアンス。それ程重い意味は無いわな。
寺社焼き打ちが日本古来の伝統宗教や信仰への弾圧なら、他の大小の大名武将も結構してる訳でその程度で弾圧などとはね。自己の施政に従伏するか抵抗するかが、概ね大名達の寺社焼き打ちの規準。
まあキリシタン大名や一部の法華信者大名などに依るのは、あからさまな紛れも無い宗教弾圧だけど。
宗教絡みで信長暗殺は、隆慶一郎でお腹イッパイ。
本能寺の変黒幕説の弱いところはやっぱり、「別に光秀単独犯行説で何の問題もない」点なんだよな
黒幕を考える必要がないというか
たとえば、JFK暗殺に陰謀論があるのは、オズワルド単独犯行では、無理が生じるからでしょう
複数の方向から銃弾が撃たれている以上、単独犯ではありえず、複数の実行犯がいた
ということはそれだけのメンバーを集められるだけの黒幕、有力者がいたということなんだから
でも、本能寺の変の場合は、光秀がその十分な「有力者」なんだよ
光秀主従だけでできたし、協力者も、後援者も必要がなかった
つまり、黒幕が必要なかった
朝廷や足利義昭も、光秀をそそのかしたりはしただろうけど、具体的に協力したり、お膳立てする必要がないんだよね
光秀だけでやれたんだし
たとえ、信長が本能寺に宿泊しなくても、それなりの数千単位の軍勢をつれていたとしても、京にいる以上、光秀が1万の軍勢で京を包囲して、押しつぶせば殺せたわけだし
積極的に協力した黒幕や共謀者はいないだろうけど
「あれ?今、光秀が謀反起こしたらヤバくね?」と気付いていたが
敢えて黙殺した未必の故意的な意味での共犯者は多数いたんじゃないかとは思う
ドラマだけど、大河の秀吉で、例の「時は今 あめが下しる 五月かな」の連歌から、千宗易は謀反を事前に察知していたっていう設定だった
だから、「お待ちください!」と信長をとめようとしたが、信長は聞き入れずに去っていった
いきなり謀反ではなく、ああいう、前振り演出はドラマとして心憎いわ
視聴者に、くるぞくるぞと期待感を掻き立てる
でも、「時は今 あめが下しる 五月かな」は、普通にこじつけらしいね
そりゃ、謀反を起こすのをわざわざ、直前で京の近くで、歌で公表する奴はいないわな
まあ光秀は史実が知られるようになればなるほど
日本人であれば誰でもフォローのしようがない困ったオッサン
ってオチにしかならないから、光秀に妙な思い入れある人は今から覚悟しといた方がええで
光秀については分からないことだらけでもう史実もへったくれもないと思ってしまう
確固たる裏付けもないのに実は光秀はこうだった!と主張してる連中だらけでいい加減食傷気味だわ
信長って端的に言えば部下の秘書に潰された豊田真由子みたいなもんでだな・・・・
パワハラの恨みを軽く見すぎ
光秀の不思議なとこは、これだけの大事件を起こした人物でありながら、確固たる史料があまり無いってことだよね
後の権力者にとって何かしら都合の悪いことがあるんだろうな
秀吉も天下人になったから色々資料残ってるだけで
あのまま一軍団長で終わってれば大して掘り下げられることもなく終わってたと思う
柴田勝家だって親父が誰かぐらいしかわかってないぞ。
織田家筆頭家老なのに。
別に後の権力者なんかわざわざ出さんでも後世の人間が史料的価値がないと判断するか
そもそも意味を解さなかったりすれば古紙として回収再利用のサイクルに入るだけだからな
史料なんて持っていても何の利益もないと後世の人間が思ったらそれまで
とは言え光秀が京や畿内等の気位の高い連中の相手を任されたのは
それなりに良い家柄の出だったからという説は有り得ると思うけどな
尾張のチンピラ崩れ織田軍団の中では
将軍家にも仕えていた光秀が重宝されたというだけの話では?
うん、だから少なくともそのチンピラ軍団よりは良い生まれだったんじゃないかってこと
相応のバックボーンがなければ将軍家と接点を持つのも難しいだろうし
黒幕はどうとかではなく複数犯でしょ まとめたのは利休でしょ 茶室では皆、利休には逆らえないから それに天皇家も加わってるから本能寺の変は謎で終わっとるのよ 天皇家が関わった事件ってのは昔から謎で終わらすルールなのよ日本は だから本能寺の変は謎なのです。
いやいや、事件が謎のままになってる大きな要素は
朝廷も信長と同じく被害者だったからよ
史料よぉ〜く見てみりゃ分かる、信長と過ごした楽しい時間ってのを日記に書いてたのに
光秀の反逆にビックリしてゴッソリ捨てちゃった
上の方でも言ってる人がいるけど別に黒幕なんか用意しなくても
信長殺した後の情勢を読み違えて失敗したで説明が済んでしまうんだよな
司馬先生とかに教え込まれた「光秀は優秀」ってのが頭に張り付いて離れない人が
悩みに悩んで大変なんだと思う
お利口な光秀が読み違えなんかするはずなぁーーーい、みたいな
でも、光秀ほど悪く書かれない謀反人もいないよな
どのフィクションでもたいてい光秀は、善玉だもん
生真面目で義に厚い人
悪辣に書かれた光秀の小説もドラマもないでしょ
実際は、一応武将なんだから、野心はあっただろうし、けしてただの生真面目なお人よしではなかったんだろうけどさ
史実でも優秀だったのは確かじゃないか
あの出世スピードは異常だし
>>623
それは秀吉が織田政権を簒奪したのも大きいんじゃないか?
例えば柴田&信孝系が覇権握ってたらまた違った評価になったと思う
秀吉にとっては信長が暴君じゃないと困るわけで
徳川史観で秀吉が悪人なように 本能寺の変の黒幕は足利義昭で義昭が明智光秀に謀反を働き掛けたのだと思います。
足利義昭の影響力は京都追放後も強く二度の反信長包囲網を作ったのも義昭だし鞆幕府ともいえる信長との二大政治体制を築いていたのです。
>>624
出世スピード早い=優秀 とは限らなくね?
個人的には信長が身内だと勘違いしちゃったんだと思ってる
奥さんの実家と同じ明智名乗ってるから 信長=安倍
光秀=稲田
こんな感じでなぜか出世しちゃった系が光秀?
信長は自分の子供以外の身内は贔屓してないよ
光秀の出世は実力の一言に尽きる
織田家臣時代の実績から見て光秀が有能なのは疑いようがないけど
有能=間違わない、失敗しないではないからな
有能であるがゆえに己の能力を過信して能力以上の事をしようとして失敗する例なんて腐るほどある
秀吉の晩年の政治的判断の誤りもその類だろう
記録にも残らないような些細な、でも光秀にとっては決定的な「何か」が起きて
ろくな展望も無くまともな根回しも行わないまま発作的に本能寺を襲ってしまった
きっかけになった「何か」についてはタイムマシンでも発明されない限りは永遠の謎
という顛末は流石にちょっと夢見過ぎかな
一つ聞きたいんだが、信長が家康を討つ為に呼んだと言われているけど
この時期に家康を切るのって早くないか?まだまだ、利用価値があると思うんだが
それ憲三郎氏が言ってるだけじゃ?
利用価値云々も、史料に「信長卿は非常に義理堅いお人で」ってのが確かあった
だから長年の同盟相手には義理でそんなことしないと思うんだよね、憲三郎や光秀はするんだろうけどw
フィクションでは、たいてい善玉キャラといえば、光秀だけでなく千利休もそうだよね
良識ある教養人っていうキャラ
利休は切腹させられたけど、私利私欲で汚職したとかそんなんじゃなくって、秀吉を強く諌めたから煙たがられて切腹させられたキャラだし
でも、実際は、普通に汚職事件かなにか起こして切腹させられただけなんだろうけどさ
これも、晩年の秀吉は狂い始めていたという、徳川にとって都合よく書かれた徳川史観なんだろうけど
いや秀吉は普通に狂っていただろ
何でもかんでも家康のせいにするなよw
>>632
それは本能寺の変に参加した明智方の足軽が家康を討つのかと思ってたという記録が残ってることからの推測では
実際はどうだったのかは不明 千利休は死の商人として色々やってたし
秀吉との間が険悪になれば切られても仕方ない気もする
でも、やっぱり、400年以上前の出来事を確定させるなんて難しいよなw
しかも、黒幕論だもん
結局、どこまで行っても推理でしかないもんな
ビデオカメラやテープレコーダーがあったわけじゃないし、生き証人なんかいないし
現存している文字で書かれた文書や手紙も、後世によって書き換えられたり、捏造された可能性は絶対に否定できないんだもん
後の権力者に都合が悪いから書き換えられたんだ!って主張したら、極端な話どんなトンデモ論だって展開できる
不都合な史料は全部捏造
古代、中世、近世の時代は、もう社会科学として論争に結論を出すのは難しいだろうね
まあ、だからこそ永遠のロマンなんだろうけど
大阪城も最近まで今の徳川時代のが豊臣時代の石垣だと思ってたんじゃなかったっけ?
聚楽第も場所はっきりしたの最近だし
時の権力者に都合の悪いことはタブー化して急速に忘れ去られるんだよな
ここ10年でも闇将軍と呼ばれ史上最悪の政治家扱いだった小沢一郎が
なぜか賢者扱いされてた事もあったしな
人間の評価なんてなんとでもなるんだよ
>>637
本城惣右衛門覚書だよね。寛永期に「いゑやすさまとばかり存候」というウソをつくとは思えないがどこまで信用していいかわからない
>>640
大坂城でさすがにそれはないと思うが まあ、光秀が部下には「家康を討つという命令を信長様から受けた」とか嘘ついてたんなら十分あると思うよ
だって謀反なんだから、一部の重臣たち以外には話せないでしょ
ばらされたら信長に逃げられるし
兵士たちはかような動きがいったい何のためであるか訝り始め、
おそらく明智は信長の命に基づいて、その義弟である三河の国主を
殺すつもりであろうと考えた。(フロイス日本史)
山さきのかたへとこころざし候へば、おもいのほか、京へと申候。
我等は、その折ふし、いへやす様ご上洛にて候まま、いえやす様とばかり存候
(本城惣右衛門覚書)
命令は出ていません。不審な軍事行動から兵士達がそう推測しただけです。
いいじゃん、創作でもw
どうせ真実はわからないんだし
最近は桶狭間も奇襲じゃないとか言い出してさ
奇襲のほうが面白いじゃん
単純に野暮ってもんだよ
せいぜい安土桃山時代ぐらいまでは自由な創作を許してほしいわ
敵は本能寺にあり!って宣言したほうが、場面が盛り上がるでしょ
決め台詞だよ
例えば嘘ばかりの坂本竜馬のエピソードを全部本当だと信じてるような歴史オタの女は、普通にうざいけどさ
でも、厳密にやったら史学なんて不確定なことが多すぎて、なんも書けなくなるじゃん
マクロ的な事件は実際あったんだろうけどさ、細かいミクロ的なエピソードは、そりゃ空想に頼らざる得ないよ
そうなったら正確性よりも、面白さを優先するのは別に間違ってない
だって、専門家にもわからないんだもん
敵は本能寺にあり!って、全軍には下知しなくても、重臣たちにはいったかもしれないし
ただその本城が聞いてなかっただけかもしれないし
史実ではまず有り得ないだろうとは分かってるけど本能寺で信長と共に討死する帰蝶様が大好き
創作ではそれくらい夢見てもいいよな
帰蝶様が本能寺で信長と一緒に戦うのって今で例えれば
船越英一郎の危機に松居一代が一緒に戦うくらい違和感があるw
信長と帰蝶についてはっきりした記録が無いからどう解釈するのも自由なのでは
ここ最近は武功夜話に踊らされて側室の吉乃を持て囃した風潮への反動と反省のせいか
仲睦まじい信長と帰蝶像が主流になってる印象だけど
>>623
悪役が主人公ってのも厳しくね?
秀吉だって最近は大返し以降は表現しないだろ
嫌われる理由だから でも、光秀と千利休は脇役でもたいてい善人
別にあくどい男でも問題ないとは思うんだけど
光秀を悪く書けばそんな人間を取り立てた信長の評価も落ちるわけだよ
光秀は娘のガラシャのおかげで得してる部分もあるんじゃないか
ガラシャが信念を貫いて死んだから父親である光秀もまた信念の人だったんだろうというイメージで扱われてる気がする
光秀 秀吉に敗れて死亡
ガラシャ 豊臣政権崩壊させた殊勲賞
娘が仇とったんだな
ガラシャってなんか活躍したの?
やたら有名だけど
映画版魔界転生にも出てきたし
明智憲三郎氏の説はトンデモじゃなくてもしかしたら正しいかもしれないよ。
『本城惣右衛門自筆覚書』という文書の中でも明智光秀配下最前線の武将の本城惣右衛門が「徳川家康を討つ為に本能寺に攻め込んだ」と書いてある。
そうなると家康がもう用無し認定されてるような雰囲気が
当時の織田家にはあったことになるな
本能寺の変は明智光秀が織田信長の南朝復興の夢を打ち砕いた事件であった(異論は無いであろう
明智憲三郎は『本城惣右衛門自筆覚書』の存在を知っているのだろうか?
せっかくの自説を後押ししてくれる史料なんだがな。
無学な足軽が上層部で何があったかなんてしらないだろう。
知っているのは我が殿が徳川様を接待していたのに降ろされた、これから嫌な戦じゃ
徳川許すまじってぐらいのことだろう
本能寺のおこることを家康が知っていたなら兵も引き連れず徳川首脳陣が勢揃いしてのんきに堺になんていないだろう
本能寺の真犯人で一番あやしいのは秀吉だろうな。大軍を動かす準備を前々からしていた形跡がある。
信長を備中に呼び寄せたのは秀吉、
大軍を動かし光秀を討ったのも秀吉
信長の死後1年で安土城以上の規模で大坂城を建て始めたのも秀吉
信長の死後1年で信長の妻や息子や孫娘や妹を殺しているのも秀吉
秀吉があやしすぎる
秀吉の中国大返しはあくまで秀吉と一部の側近レベルの移動速度であって
主力はやや強行軍程度の速度だと分かってるからなぁ
それでも姫路で一度休ませてるし
日本の歴史で一番わからないのは本能寺の変。
うわべだけ見れば、光秀が単独で実行したことになってる。
光秀単独でこれ以外ありえないと、断言する馬鹿はよくいる。
でもこれがあったおかげで一番得したのは秀吉。
実際は光秀は本能寺の変を実行しておらず、濡れ衣を着せられただけという可能性もある。
定説と言われたり支持する人が多いと、とたんに思考停止して考えずに信じこんでしまう馬鹿な人がいる。
日本人の悪い癖だ。
一番得を言うなら、
陶晴賢の謀反はどうなるんだ?という話になる
あっちの謀反も、結局、一番得をしたのは毛利元就だ
陶の謀反は陶の単独ではなく、黒幕に毛利がいたのかということになる
>>667
陶は毛利を含む有力国人に事前に相談してるぞ。
だから、毛利は陶の反乱に合わせて安芸国内の大内方拠点を攻めてる。
ただ、国人衆に対しては「御屋形様には引退していただいて、世子に代替わりさせる」
って説明してたけど。 誰が一番得した論も考えものだよな
この理屈だと桶狭間の戦いも実は織田に義元の位置を教えたのは家康
みたいな話が成り立つ
家康視点だと、本能寺の変がおこることを知っているなら、堺で徳川首脳部が勢揃いして観光なんてしていないだろう
信長は1582年6月に、秀吉に呼ばれて備中高松城に行く途中で謀叛にあい、
11日後には実行犯の明智光秀が殺されている
そして1年後、正確には10ヶ月後の1583年4月、秀に信長の妻である坂氏と信長の孫娘が串刺しにされて殺され
1583年4月にお市が殺され
1583年5月には織田信孝が殺されている。
そして主君の信長の建てた安土以上の大きさで大坂城を建て始めたのは1583年
この流れをみればどう見ても黒幕は秀吉
実行犯の光秀は秀吉に処分され、主君の一族を殺しながら織田家を簒奪して大坂城を建てだしたとわかる
家康視点だと、本能寺の変がおこることを知っているなら、堺で徳川首脳部が勢揃いして観光なんてしていないだろう
信長は1582年6月に、秀吉に呼ばれて備中高松城に行く途中で謀叛にあい、
11日後には実行犯の明智光秀が殺されている
そして1年後、正確には10ヶ月後の1583年4月、秀吉に信長の妻である坂氏と信長の孫娘が串刺しにされて殺され
1583年4月にお市が殺され
1583年5月には織田信孝が殺されている。
そして主君の信長の建てた安土以上の大きさで大坂城を建て始めたのは1583年
この流れをみればどう見ても黒幕は秀吉。信長は秀吉にだまされて呼び寄せられて殺され
実行犯の光秀は秀吉に処分され、秀吉は主君の一族を殺しながら織田家を簒奪して大坂城を建てだしたとわかる
没後1年といえば喪に服する時期だ。その時期にこれだけの悪行をしているわけだからな。
秀吉が黒幕だろう。
家康も疑いの目をそらすためわざと危ない目に遭ったように見せかけた解釈もあるがな
伊賀越えも綱渡りの逃避行だった大袈裟に喧伝してるだけで実際は悠々と逃げたなんて言われてる
家康に同行していたのは34名で
そのことごとくが徳川の重鎮で何人か殺されるだけでも大きな痛手だ
一揆に襲われて全滅していたら徳川を支える重臣たちの当主がことごとく死ぬわけで、
堺見物していた家康が黒幕ってのは無理があるわ
光秀がたまたま運良く信忠を討ち取れたからその後の秀吉があるわけで
それを一番得したというのはおかしな話だよ
いや家康が黒幕だったら実行犯の光秀と結託してるんだから
堺見物してようが京で昼寝してようが殺されることはないだろ
個人的に黒幕説は誰であれ無いとは思うが
結託していたなら軍を迅速に動かせるようにしとくものだ
まさに秀吉のことだな
本能寺後に本当なら四国遠征軍で摂津に集結してた
信孝&丹羽が一番早く動けるはずなんだよな
実際は信長の死を知って雲散霧消してしまったが
そうなると次は距離的に秀吉が有利になる
柴田は魚津城攻めてたのでどうしても初動が遅くなるわな
家康も堺から脱出して岡崎で軍勢整えてだからキツイ
>>668
徳川家康は明智光秀と同じ北朝支持だから黒幕にきまってるだろ おまえらは>659と>665のレス読んだのか?感想書け
黒幕の秀吉のやったことをひと言でいうなら
マッチポンプだな。
でも黒幕だから大恩ある主君が死んで10ヶ月で
主君の妻や孫娘や妹や息子を殺しはじめ
1983年には主君の城より大きい大坂城を建てている
主君信長を呼び寄せ、実行犯に殺させ、実行犯を処分し、主君の遺族を殺す。まさに黒幕
黒幕なんかいない
油断しきっている主君のすぐ近くで合法的に軍勢の動員が出来た
望外の好条件に魔が差しただけの話
変後の体たらくも準備不足と黒幕不在を証明している
>>661
秀吉真犯人説は、フィクションなら確かに一番ありえそうというか、面白い解答なんだよなぁ
ネタバレしちゃうけど、加藤廣の『信長の棺』も、秀吉が抜け道ふさいだせいで信長は死んだってことになってるし
でも、この間呼んだ歴史の雑誌みたいなので、誰か研究者が言ってたけど、秀吉黒幕説の弱点は「光秀が秀吉と協力するメリットがない」んだよね
だって、謀反なんて可能なかぎり内密に進めるでしょ
うっかり話して、密告されたらそれでおしまいじゃん
光秀だって、五宿老に直前になって話したぐらいだし、一般兵は家康討ちに行くんだろうとか、信長に閲兵してもらうんだろうとか推測していたぐらいでなにも知らされてなかった
秀吉に話さなきゃ、信長討ちが成立しないというのなら、秀吉の助けは必要だよ
でも、あの状況じゃ、秀吉の助けなんてまったく要らないじゃない
ということは、秀吉に謀反の内容を知らせるメリットが光秀には無いんだよ
嫌な予感があって、秀吉がこまめに間者を放って光秀の行動を監視してたというのはあるだろうけど、はっきりと事前に知っていたわけじゃなかったと思う
昔、本宮ひろ志先生の『夢幻の如く』では、秀吉がそそのかしはしたけど、本当に光秀が謀反起こしてびっくりしたっていう設定だったし、まあ、煽ったぐらいはしたかもしれないけど ゴミクズ歴史家はなーーーに寝ぼけたこといってんだ、ぼけ!
どんなに自分に都合良く運が味方したとしても天下取るのは今までと同じ
くらい大変だってことくらいはわかるはずなんであって、理屈じゃなくあの
安土城の天主を何度も見てるうちにいつか自分が家臣としてではなく親方様
として入ってみたくなった・・・みたいな感情的な理由なのでは。
>>684
機密漏えいうんぬんは藤本がよく言ってるけど
これを打ち破るのは意外と明智子孫説なんだよな。
メリットというのはいくらでも考えられるわけで
秀吉との戦いを防いだ、とか秀吉と結べば
最強畿内グループが出来る、とか。
光秀の方は秀吉をそんなに重視してなかったけど
秀吉は光秀の行動を追っていた、というのは
十分にありそうだよね。
エケイじゃないけど、いつか高転び、なんてのは
結構みんな思ってたんじゃないだろかね。 秀吉が想像以上に早く畿内に戻ってきた(毛利を上手く騙せた)
柴田は魚津城攻略で初動が遅れた
光秀が本能寺後にgdgdで勢力拡大できないまま山崎の戦いに突入
全て偶然だよね?
特に光秀が本能寺後に勢力拡大できてない事実が突発的な謀反だと証明してる
>>687
しかし、だったら、むしろ細川、筒井、高山あたりとしっかり事前に話つけとかなきゃおかしくない?
秀吉や家康と共謀してるのに、肝心の近畿のこの三者にスルーされてるのはおかしいよ
密告されるリスクを恐れず謀反意志を打ち明けるのなら、まず組下のこの三者でしょ
これらの近畿の有力者がついてきてくれたら、秀吉にも負けなかったはず いまさらながら、『本能寺の変 431年目の真実』読んだんだけどさ
読んでるときはなるほどなるほどと読んでたんだけど、読み終わってから頭を整理するとおかしな点がいくつもあるんだよね
そもそも家康共犯説だけどさ
神君伊賀越えはアリバイ作りみたいに言ってるけど、ムリというか、無駄がないかな?
アリバイを作りたいのならそれこそ、三河にいるときに、光秀に謀反を起こしてもらったほうがタイミング的にはいいよ
変に近畿にいるときに本能寺の変を起こすから、談合したんじゃないか、密会したんじゃないかと疑われるわけで、むしろアリバイ作りになってないよ
あと、致命的なのは新君伊賀越えをしてたら、初動遅れてしまうことだ
作者によれば、家康は信長の死を折り込みずみで、すぐに甲斐、信濃攻略に動いたのが怪しい。前もって準備していたんだ。
しかし、秀吉が大返ししてきたので光秀を助けるために、兵を西に動かした
だけど、光秀が思ったよりも早く討たれたのでまた兵を東に戻して、瞬く間に甲斐と信濃を攻略したというストーリーらしい
でも、前もって準備するぐらいなら、三河にいるときに謀反を起こしてもらえれば、初動の遅れなく、すぐに甲斐・信濃、あるいは尾張・美濃に攻め込める
伊賀越えのために、どうしても初動が数日遅れてしまうんだ
何のために前準備していたのかわからなくなる
あと、やっぱりおかしいのは、家康が味方で、光秀の支援のため西に兵を進めたのなら、なぜ光秀は不利な野戦に挑んで数時間で敗北したのか?
家康という強力な支援者がいるのなら、一年立てこもる覚悟で篭城すればいい
とにかく時間を稼ぐべきだった
そしたら、家康は、信長・信忠の死に浮き足立つ尾張・美濃ぐらいは攻め取っただろう
強力な支援者である家康が、美濃まで来てくれたら、戦況は大きく変わる
篭城はよく、援軍を期待できるときにするものだという
しかし、光秀は篭城策をとらなかった
その理由は、援軍がどこからも期待できなかったからだ
つまり、光秀には強力な支援者などいなかったんだ
まず信長が家康を討つというのが絶対にありえないことなんだからその先を語っても無意味だよな
光秀が有岡城に篭城した荒木村重みたいに一年粘ったら、歴史は変わっていたかもしれないよね
篭城したら、勝家も一益も帰ってきてフルボッコにされるだけだと思ったから、いちかばちか打って出たんだろうけどさ
よく畿内の大名を味方に付けることさえ出来れば光秀にも勝機はあったって聞くけど
各方面軍が帰ってきて集団リンチされたらひとたまりもなさそうだと思うんだけどな
それとも各個撃破や調略等で戦闘回避できる目処があったんだろうか
スレ読んだけど、黒幕論はやっぱり以下の三点という大きな欠点がある
1、光秀の背後に権威ある支援者がいるのなら、光秀がそれを公表しないのは不自然。「私利私欲にあらず。○○の命により信長を討ち果たした!」と喧伝すればよかった。
嘘でもすべきだったのに、しなかったのは、すぐばれる嘘をついてもやっぱり仕方がないと光秀が思ったからだ。つまり、黒幕はいなかった。
2、謀反は内密にすべきこと。黒幕や共謀者がいたら、そこから情報が漏れる可能性がある。光秀からしたら、光秀主従だけでやるのが、一番成功確率が高かった。共犯者を募るにはリスクが高すぎる。
3、光秀主従だけで信長を討てたので、黒幕が共犯者が最初から不要だった。光秀主従だけでは不可能だというのなら、黒幕説や共謀者説もありえただろうが、単独でできた以上、黒幕や共謀者をかんぐる理由や必要がない。
この三点を覆すのは用意じゃないよ
ではなんで鈴木の同意者は少なくて、明智の本はもてはやされたんだ?
そりゃ、学術書なんてトンデモなほうが売れるよ
だからわざと作家はトンデモ本を書くわけだし
当たり前のことをまじめに書いても、一般人は誰も買わないでしょ
明智だって自分の本が史実だとは本気で思ってないでしょ
明智光秀の子孫が本能寺の変の真相を明かすという触れ込みが話題になった最大の理由だろう
内容の是非や真偽とかは二の次三の次
確かに家康的には浜松にいる時に本能寺起きたほうが都合がいいよな
上手く行けば秀吉の代わりに近江で明智光秀破ってた可能性もある
尾張美濃は混乱状態で家康が信長の弔い合戦を主張すれば
簡単に通過できただろうし
家康だって、その気になれば武田征伐を終えて、東海道を通過して帰っていく信長を殺そうと思ったらできたし、それこそ信長はいつでも家康を謀殺できた
いつかはやるつもりだったのかもしれないが、あの時点では両方にまだ利用価値があったから、まだやる気はなかったと思うよ
>>690
畿内にいる家康を討つふりして信長をだまし討ちにした が憲三郎のシナリオだよ
なんで家康が三河に〜〜なんて話になるんだ >>690の文章要約すると
事前工作の隠蔽の為に → 事後に事実の書き換えを図った
への批判が
事前工作の隠蔽の為に → 謀反のシナリオを変えてまで、三河に帰ってから謀反起こさなかったのがおかしい
ってこと??? >>700
そりゃ、わかるけどさ、家康と結託してるのなら不自然だという話
だって、その気になれば、家康を討つふりして、信長を討つなんてことしなくても、近畿管領の光秀はいつでも信長を討てたんだよ
タイミング自体はかなり融通が利いた
家康と共謀してるのなら、家康が協力しやすいもっといいタイミングはあったんじゃないの? 家康黒幕説は大体の場合光秀天海説とセットだから数ある黒幕説の中でも一際嘘臭さを感じてしまう
光秀天海説もたしか明智光秀の子孫を名乗る人物が提唱した説なんじゃなかったっけ?
???
光秀=天海説なんて明智憲三郎の遙か以前からあっただろ猛暑でボケてんのか
信長の野望とかの能力値に難癖つけてくる、自称子孫とか多いらしいなw
先祖の名誉を回復するとか言ってるけど、子孫というだけで、もう分析に中立性や客観性がないじゃん
本当に名誉を回復したいのなら子孫なのは伏せた方がいい
だいたい400年前なんて、遡れば、30年一世代で、一世代二人生まれたとしても、2の13剰で子孫は8000人近くになるんだから、そんな希少価値ないよね
⚪⚪の子孫なんて、ただでさえ嘘臭いし
だいたい名誉を回復するのなら、それこれサイコパスな暴君として描かれてる信長の子孫はどうなるんだっーの
上でいってる人いるけど、光秀ほど悪く書かれない謀反人はいないよ
松永久秀とか悪の権化みたいに言われるのに
まぁ祖先が政治10武力10人望10知力10みたいなのは気分よくないだろw
>>707
「鳴かぬなら 放してやろう ホトトギス」だしな
こんな良いイメージを持たれてる反逆者は他にいない気がする 本能寺の変は千載一遇の軍事的空白をついたわけで、
ほぼ無傷で信長と信忠共々撃てる機会なぞ、
あのタイミングしかなかった。
>>710
そうか?
殺すだけなら、いつでもできたと思うぞ
ただ、宿老たちが地方に散ってるから時間が稼げると思っただけだろ 最高幹部だもんな 刺し違える覚悟ならいつでも殺れた
信長殺しても自分も家族も100%死ぬような方法は取らんわな
本能寺後の細川や筒井の対応が冷たかった誤算はあったとは言え
本能寺襲撃を決断した時点では光秀もそれなりに勝算はあったんだろう
惜しむらくは武田がまだ生き残ってる頃に同じことが出来てればね
武田が光秀の求めに応じて美濃に侵攻してくれば状況はだいぶ変わる
味方につくわけないんだから誤算なんてなかったんだよ
源氏VS平氏なんだよ、北朝VS南朝なんだよ、何回言えばいいんだ
何一つ反論できないだろ、へたれだからwwww
家康は裏切らない
信長と家康の友情みたいな感じのやつ
あれこそ近代フィクションの創作だろ
信長の時代の家康は裏切らないじゃなくて裏切れないだよな
従属的だったから、家康はうまいこと利用されたしな。
本能寺〜山崎の戦いの間までに、織田家領土に介入始める判断の早さは、流石は天下のタヌキ
光秀と家康は源氏つながり北朝つながりなんだよ(いいな工作員
>>717
信長も優遇はしてるだろ
子煩悩な父親が長女を嫁がせたりしてんだから
>>714
人間って切羽詰ると自分の都合のいい展開を想像しがちじゃね? 藤本、鈴木、渡邊なんかはトンデモだぞ
渡邊大門のツイッターに本能寺の変は光秀が信長の南朝復興の夢を阻止した事件であった
とコメしたら速攻でブロックしやがった、誰か渡邊大門呼んで来い、話がある
真面目に研究している方々に迷惑帰るなクズ
寂しいのなら平山優のツイッターに行け
同じことやればあいつの取り巻きファンネルが大勢相手してくれるぞ
>>723
誰に対してクズとか言ってるのかな?
真面目に研究とか、少なくともあんたじゃないだろ 平山優とは何者なのか調べたら真田丸の時代考証してたのか
本能寺の変の原因は武田滅亡を光秀が自分の手柄のように言ったのを信長
が怒って折檻したことということなのか
そうだとしたらかなりのトンデモである
>スレ読んだけど、黒幕論はやっぱり以下の三点という大きな欠点がある
>1、光秀の背後に権威ある支援者がいるのなら、光秀がそれを公表しないのは不自然。「私利私欲にあらず。○○の命により信長を討ち果たした!」と喧伝すればよかった。
>嘘でもすべきだったのに、しなかったのは、すぐばれる嘘をついてもやっぱり仕方がないと光秀が思ったからだ。つまり、黒幕はいなかった。
くろまく
【黒幕】
1.表面に出ず、かげで指図(さしず)したり操ったりする人。?
皆様は津島の天王祭りをご存知でしょうか
天王祭りの由来は津島の南朝方が佐屋の北朝方を舟遊びに誘って討ったことが
始まりだそうです
織田信長はよく祭りを観に来てたそうです(南朝復興の想いを強くしたことでしょう
>>691
これに関してはあり得なくもない。
家康は武田を討って用済みになっているし、信康事件で互いに
疑心暗鬼になっている。だから、信長の命で6/2に家康を討つのは、
特に不自然ではない。逆に、これで家康を弁護するのは困難。
>>693
ちょっと違うと思う。
信長、信忠を討ったことで、織田軍が混乱し、後継者、軍団間の
主導権争いを始める可能性が高かった。光秀はそれを狙ったと思う。
秀吉の勝因は、後継者、主導権争いは論外、本格的に混乱する以前に
光秀を始末したこと。これは秀吉をほめる以外にない。
毛利がもう少し粘ってくれると光秀は踏んだし、その読みは恐らく間違って
はいなかっただけに・・・・。 もう一つ。信康事件で家康は当時まともな後継者もいなかった。
あの段階で家康を討てば、徳川家は瓦解しただろう。
これも、本能寺の変の時期に信長が家康を討つ動機があった一つ。
信長が光秀に家康を討つことを命じたというのはそうなんでしょう
光秀に対して三日天下とか私利私欲、野望とか言う輩がいるが楠木正成は私利私欲、野望
のために戦ったのか、違う、忠義の心なのである
正成が南朝の忠臣なら光秀は北朝の忠臣なのである(異論は無いであろう
家康は堺見物というけど、堺のどこにいたか確かな資料はある?
本当は本能寺で信長と酒宴なんかしていて
明智が襲ってきたけど斎藤利三だけが逃がしてくれたんじゃねーの?
>>737
堺のどこに居たかは不明だけど
29日に堺に来て2日に離れたことは接待した津田宗及の日記に書いてある 家康が黒幕だったとは思わないが、うすうす気づいてた可能性はあると感じる
一番想定してたのは秀吉だろうね。
黒幕とかじゃなくて、ついにやったかキンカン頭っ、って
とこじゃないか。
とすると秀吉も・・
光秀はどうやって信長が本能寺で少人数滞在してると知った?
ラッパ放ってたのなら発作的にやったのではなく計画的犯行
誰かがご注進したのならそいつは誰?
今みたいにスマホで連絡できるわけじゃないからヘタに京に進軍して逃げられてたら即死だからな
・明智家重臣斎藤利三の娘の春日局
・明智家ゆかりの者(光秀本人?)と噂される天海
徳川幕府で二人を重用した家康は何かしらの恩義があると思われる
>>744
天海が光秀ゆかりってのは眉唾
春日局は本能寺の変時3歳 父親は山崎の戦いで死んでるし、光秀ゆかりっては無理ありすぎ 茶人スキルがあると、二条城から脱出出来たり、中には光秀へ裏切ってしまう効果があったらしい。
有楽斎しかり玄以しかり監物しかり。
春日局が家光の乳母になったこととその後の出世に関しては普通に本人の能力の賜物じゃないか
美濃の名族の出で教養もあって大名の家の家政も経験しているから
乳母役の志願女性の中で一番のキャリアの持ち主だとしてもおかしくない
赤組・・・狗奴国、畿内ヤマト、百済、平氏、南朝(楠木正成、織田信長、水戸黄門、吉田松陰
白組・・・邪馬台国、出雲、新羅、源氏、北朝(足利尊氏、明智光秀、徳川家康、松平容保
光秀が朝鮮の新羅系ってのはありそうだけど
北朝ではないだろ
誠仁親王へのあの無礼行為が説明できん
光秀は北朝と南朝のどちらが正統かというより再び南北朝の抗争で日本が分裂することを
阻止したかったのでしょう、日本は一つにまとまらなければならないという強い想いが
あったのでしょう、光秀は真の愛国者なのです
例の子孫の本の感想をあさっていると
冷静で公平な歴史分析だとかいって感動している連中が多くて、目を疑う。
アジテーションみたいな文章で
大して根拠もないことを並べ立てているようにしか思えないんだが。
もしかして俺が読んだ本とはタイトルが同じだけで別の内容なんだろか。
本の感想とかはほとんど工作員だろ
皇統の確執に触れた本が一冊でもあるのか?
公に言ったのは飛鳥昭雄ぐらいしかしらんぞ、飛鳥昭雄は毛利の南朝説ではあるが、
なんかゴキブリ右翼にいろいろ嫌がらせされて裁判沙汰になったそうな
歴史愛好家でない素人は歴史の見方がわからないのでしょう
おいおいまさか南朝だ北朝だわめいているキチガイは
朝廷黒幕説なんかが席巻していた時代を知らんクソガキなのか??
>>752
飛鳥昭雄はオカルト(超常現象)界の人間でモルモン教徒だぞ。
あんな奴トンデモ本しか書いてなくてトンデモ説しか言ってないじゃないか。
話としては確かに面白いことを言う人だとは思う。
だけど飛鳥昭雄の言うことは頭の隅っこくらいには置いといていいかもしれないがまともに信じたらあかん。 >>744
春日局のダンナは小早川秀秋の家老で
関ケ原の東軍寝返り工作の担当者。
小早川家は跡継ぎないまま秀秋が死んだから断絶改易。
本能寺の変にこじつけないでも
関ケ原の恩義があるから小早川家の遺臣を取り立ててやった一環だろう。
春日局の縁故で徳川家に取り立てられたといわれている人たちも
よく調べると小早川家やダンナの関係者ばかりで
春日局個人の縁者はお兄ちゃん(斎藤利宗)と甥っ子(伊勢貞衡)くらい。 そういえば明智の子孫(自称)の本でも
春日局の登用は本能寺の変で家康と光秀が繋がっていたからで
家光の実母は春日局だということになっていたなあ。
明智光秀本人の娘ならともかく
なんで家臣の娘をそんな優遇しないといけないのか。
>>754
なんだゴキブリ右翼が発狂してるのか?
南北朝の確執である、反論できないだろ >>755
ケントギルバートもモルモン教なんだぞ
徐福、失われたイスラエルの十支族とかたまにはいいこというぞ 西陣南帝は最後は越前にいき法名は西厳、息子の織田信定の法名は月厳
織田信長は西陣南帝のひ孫なのです(ゴキブリ右翼の発狂する顔が眼に浮かぶ
>>757
光秀でなく斎藤利三に恩義があったんじゃないか?
堺にいる家康に本能寺の変を事前に知れせてくれたとか
伊賀越えを見過ごしてくれたとか 春日局登用は、恩義云々でなく
江に対する押さえだと思う
>>764
なるほど
詳しくは来週BSの「にっぽん歴史鑑定」を見ろということだねw 松永・荒木には本能寺チャンスがなかった、光秀にはあった
ただそれだけの違い
春日はお江与の方、こっそり毒殺したでしょ説
結構信じてる
もう議論は終わってる話題かもしれんが、ある作家が、本能寺の変はすべて信長の自作自演
神として蘇るために光秀に殺させた(ように演出させた)そして山崎合戦で金の鎧をつけて蘇る手はずが
秀吉(黒田官兵衛)の策でほんとに殺されてしまったという奇説を立てたがそれってどうなん?
その小説は読んだが、ここでは話に出たことはないはず
突拍子もない説だからといって否定するのは野暮だが、その説だと信忠を巻き込む理由がないと思う
いくらなんでもくだらなさすぎ
というかどんだけ斜め読みしようが一応史料を示す研究者の珍説と
小説家の思いつきの妄想を同じにしたら駄目だろ
キリスト=信長、ユダ=光秀に見立てた物語というのは昔からよくあるわな
あくまでフィクションだけど
どこかのオカルト関係のスレで
かごめかごめの歌詞は本能寺の変のことだって言ってる奴がいたな
信長自殺説なら鯨統一郎や宇月原晴明も書いていたが、
やっぱり信忠スルーなんだよな。
信忠はもちろん、織田家まで巻き添えにすることないだろうし
むしろ仇討ちの御膳立てしておくのが自然だと思う。
岡田秀文の小説では信忠が信長を口論の末に殺してしまって
それを隠蔽するために
光秀を説得して謀反人になってもらったという真相だった。
脳卒中で急死したとか、いくらでも取り繕えると思えるが。
かごめかごめがでてきたか
かごめ紋は六茫星、忌部氏、ユダヤ、イエズス会、織田信長とつながる
かごめの歌の鶴は源氏で亀は平氏なんですね、後ろの正面は徳川家康である
信忠が死んでしまったのは痛かったな、生きていればさすが秀吉でもそう勝手はできないからなあ
>>778
どうでげすかねぇ
そこは下克上の時代
信忠が生きていたとしても、当主の器じゃなかったら、排除されてた可能性が高いんじゃないでげすか?
信雄も信孝も秀勝も三法師も排除されてるんでげすから 信忠が有利なのは、織田家の家長として直臣(官僚)を多数抱えている点。
そのまま政権を自力で運営できる。
ただ、信忠だけ生き残って、直臣が全滅してたらダメだろうな。
史実の二条城で死んだメンバーがみんな生き残ってりゃ、秀吉や勝家より優位だろ。
その話題は「もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら」という専用スレがあるので
本格的に話したいならそっちでやった方がいいかも
ここより賑わってるしな
でも、信長の時代ですら、謀反おきまくってたんだし、信忠の代になったらもっと起こるでしょう
軍事力っていうのは最強のように見えても、それはあくまで外部に対するもので、内部で裏切りや離反が起こったらあっさり崩壊する
ソ連は戦略核兵器を持っていて、世界中を焦土化する軍事力を持っていたが内部崩壊したし、求心力がなくなれば巨大組織ほど簡単に崩壊するものだ
太平の時代っていうのは、あるていど厭戦気分がないと無理だと思うのよね
徳川幕府が長く続いたのも、なによりも武将たちが長い戦乱の世にうんざりしたっていうのも大きいし、鉄砲の大量使用の時代になって、戦争のリスクが大きくなりすぎたというのもあるだろうし
豊臣時代でも、血気盛んな武将たちのために、朝鮮出兵までしたぐらいだし
信忠がまだまだ野心に燃えた血気盛んな戦国武将がたくさんいる時代に、はたして安定した統治が確立できたか
信長は謀反少ないよ
領土の大きさが違うんだから単純に数で比べちゃいけないよ
尾張統一戦争後、まともに離反したのって、松永・荒木・浅井・明智だけだろ。
武田や毛利との国境の国人衆なんてカウントする方がおかしい。
そんなの入れたら、北条・上杉なんてどれだけ反乱されまくったことになるか。
ただ少なくもないけどな。謀反0毛利元就とかもいるし
(謀反起こしそうなやつを罪を着せて全部潰したともいうが)。
浅井はそんなに信長と同盟ってほどでもなかったかな。
六角が桶狭間の時点で同盟してたという話は
どうなるんだろう。
おまえらは南朝復興阻止説に反論はないのか?
ないなら事実として認めたことになるんだぞ、いいな
「本能寺」室町幕府再興のため…光秀の手紙発見
2017年09月12日 08時42分
明智光秀(?〜1582年)が織田信長(1534〜82年)を討った1582年(天正10年)の本能寺の変は室町幕府の再興を目指したクーデターだったことを示す光秀の書状の原本が見つかったと、
三重大の藤田達生教授(日本中近世史)を中心とする調査チームが11日発表した。
書状については東京大史料編纂へんさん所に写しが保管されているが、今回の発見でクーデター説の内容が裏付けられたとしている。
書状は、岐阜県美濃加茂市の美濃加茂市民ミュージアムが所蔵する「(天正10年)6月12日付土橋重治宛光秀書状」(縦11・5センチ、横56・7センチ)で、本能寺の変の10日後、
反信長派の土豪・土橋重治に宛てられた。光秀の花押かおう(サイン)があることから本人の文書と認められ、筆跡も本人の可能性が高いという。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170912-OYT1T50009.html >>790
他の武将にも色々な手紙送っているが大義名分作りに必死としか 事前の綿密な準備ならともかく事後の味方作りに必死になっている時期ではなあ
どんな大義名分だって使うわな
あちこちのスレに新史料発見!って景気良く貼られまくっているけど
なんてことの無い、既に広まっている写しの原本が出てきただけ
追認された事実だって別に通説を覆すようなもんでもないし
なんでそんなにはしゃいでいるのかわからん
「然而」をしかしてと読むかしかれどもと読むかで
この書状が切欠で義昭と連絡を取ろうとしたのか以前から連絡をとっていたのか
の解釈が割れてたやつだよね?桐野氏藤本氏の解釈の方が穏当で
藤田教授の悪足掻きの感じが…
新資料発見!じゃなく原本発見!だものな。
自称光秀子孫の糞本よりマシとはいえ、
ただのインパクト狙いの宣伝って点ではどっこいどっこいですわ。
原本じゃないと花押とかで
本物かどうかの判断すら厳しい時があるからね。
にしても日付が12日って死ぬ前日でできすぎだぬ。
傀儡の義昭ってレッテルイメージがあるから、将軍義昭はありえないはず〜ってだけなんだろ。
成立年度が比較的早い惟任退治記にはしれっと「公儀を奉じて」謀反って書いてあったよーな
>>795
古文書は読めないですが、「然而」を「しかれども」と読むのですか?
順接にみえますが… >>798
惟任奉公儀揃二萬余騎之人数
直前に信長から備中に下るように指示されてるから
信長の指示に従って二万の軍勢を揃えたって意味ですね
>>799
やはり藤田先生の説は無理筋ですよね 藤田達生教授ってどうしてあんなに足利義昭黒幕説に執着してるのですか?
室町幕府再興を大義名分にするのは当たり前すぎる
まぁこれで完全に秀吉とか家康の黒幕説は無くなったから良かったわ
まあマスコミのはしゃぎっぷりには突っ込みどころ満載
突っ込みどころ1:幕府再興って信長が義昭追放した後も呼び戻そうと頑張ってたのは無視?
2:となると、この書状は信長の方針を光秀が追従しますと言ってるだけ
3:この時期の書状なら光秀は、信長との違いをアピールするのが味方集めの常識だろうに、
ここに至っても空気読めないオッサンだったのか
オマケ4:藤田氏はプロなのに、信長の呼び戻し計画知らんのか?
などなど
何年か前のスレで公儀の意味が義昭か信長か意見が分かれてた議論があったな。
その時には最終的に信長を公儀とする側が意見を変えていたが、やはり公儀=義昭のほうが筋が通る解釈だったな。
ちょっと書状の背景と、議論の争点がよくわからない
>詳細は上意(義昭)からご命じになられるとのことです。(私からは)申し上げられません
と書かれているのなら義昭はかかわってるんじゃないの?
なんで疑うの?
本能寺の変後の手紙だから? 本能寺の変前だったらよかったってことなの?
なにがどうなれば、義昭黒幕説が成立するの?
アンカーつけてなかった。
806は>>800に対してのレス
惟任退治記の公儀に対する解釈の話ね。 本文に「上意馳走被申付而示給 快然候 然而 御入洛事 即御請申上候」とあって
「上意馳走するようにとの命令を伝えてくださり喜ばしく思います
従って 入洛の件はお受けします」と読むか
「上意馳走するようにとの命令を伝えてくださり喜ばしく思います
しかし 入洛の件は既に承知しています」と読むかで意見が割れた
「然而」を順接か逆接かってのもあるけど、そもそも「入洛の件は既に承知」
の「既に」にあたる表現が本文中に無いってのと事前に「入洛の件は既に承知」
=光秀と義昭で事前に交渉済みであるなら改めてその件で指示出す必要性が
薄いってので反論されてる
ってかこの件って10年以上前にやってた話だよな(w
惟任退治記の時も似たような話だね。
過去ログの検索にかかった。約10年前の本能寺スレだったわ。
■■■本能寺の変徹底考察スレ■■■
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1217563231/
>>130
天正10年、ほぼリアルタイムに成立した惟任退治記には惟任公儀を奉じてとあるから、
将軍擁立構想を抱いていた事か幕府権威を正統化に利用した事は判明してる。
公儀を信長と解釈する逃げ道も無いわけじゃないけど、
前後の文章の意味に繋がりが悪くなるから、これだと反論の為の曲解になってしまう。
>>180
惟任謀反記(「天正記」の一部)確認したけど、大村由己って「天正記」では信長のことを一貫して「将軍」
って書いてあるんだよね。
だから、信長の命令=公儀ってのは曲解どころか素直な解釈と思うけど。
次に、前後の文脈をみても、例の一文の前は「惟任日向守光秀を軍使として、早々着陣せしめ、秀吉と相談すべし。
合戦の行に依って、御動座あるべきの旨、厳重なり。」ってあるから、「惟任公儀を奉じて」ってのは前の文章に書いて
ある信長の命令を指すって解釈に何ら不審はないわな。
ただ、大村は信長の命令・意思を御下知(播磨別所記)とか御錠・上意(惟任謀反記)ってバラバラに表現
していて、藤田に「公儀=義昭の意思」って主張する余地を与えただけやないの?
光秀が将軍を推戴したって藤田の解釈が曲解やろな。
>>213
「惟任公儀を奉じて、二万余騎の人数を揃へ、備中に下らずして、密に謀反をたくむ。
併しながら、当座の存念に非ず。年来の逆意、識察する所なり。」
識察する所なり。とあるから前の文に識察出来る事柄が書かれてる。
それらしいのは「公儀を奉じて」という部分。
公儀を奉じてることから、長年の逆意である事は、察し知る事ができようって事。 史料って、読み方によってはどうにでも解釈できるからねぇ
今と昔じゃ、言葉の意味も違うだろうし
本当に隔靴掻痒だわ
いったいどういう史料が出てきたら、黒幕説は確定するの?
黒幕否定派はどんな史料が出てこようとも、「そういう解釈じゃない!」って頑として認めないのかな?
みんな複雑に考えすぎ。
すぐに陰謀論に走るけど信長のやってきたことや光秀のやってきたことを考えたら、謀反の理由など答えは簡単に出る。
・英雄みたいにされてるが、やってることはいつ殺されてもおかしくない鬼畜のキチガイ的行為ばかり。
・事実、信長が生涯謀反にあった回数は20回以上。
・忠義者みたいに描かれてる光秀も実は、朝倉→足利→織田→本能寺 と謀反ばっかりしてる。
・ルイス・フロイスの光秀評 に「裏切りや密会を好む」「ウソ泣きが上手い」「残酷で狡猾」など その他ボロカス書かれてる。
以上のことから察するに、「いつ殺されたり謀反起こされたりしても何ら不思議じゃない奴が、いつ裏切ってもおかしくない奴に殺されただけ」
という極めてシンプルな理由で謀反が起きただけ。みんな「忠義者が何で裏切ったのか?」って考えるからトンデモ説に引っかかる。
考えてもごらんなさい。現代において信長みたいなキチガイがいたら、いつか絶対に身内の誰かに裏切られるでしょ?
って、歴史の先生が言ってた受け売りだけど、これが一番真実に近いと今でも思ってるw
光秀が「裏切ってもおかしくない人物」の根拠
ルイス=フロイス「日本史」の明智光秀評
・「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」
・「裏切りや密会を好む」
・「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、
計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」
・「主君とその恩恵を利することをわきまえていた」
・「自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」
・「誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、
彼の嗜好や希望に関してはいささかもこれに逆らうことがないよう心がけ」
・「彼(光秀)の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者が信長への奉仕に不熱心であるのを目撃して自らがそうではないと装う必要がある場合などは、涙を流し、
それは本心からの涙に見えるほどであった」
・「刑を科するに残酷」
・「独裁的でもあった」
・「殿内にあって彼はよそ者であり、外来の身であったので、ほとんど全ての者から快く思われていなかった」
この性格のうえ、功臣と言われていた林、佐久間が追放されたのを見て「殺られる前に殺らねば」
って虎視眈々と機会をうかがってたのは充分考えられる。
藤田は好意的に評すれば、朝日新聞系文化人。
Eテレの低学年向け歴史番組で、秀吉を徹底的に扱き下ろしてるけど、台本を書いたのは藤田と言われても全く違和感がない。
秀吉嫌い。近代の朝鮮併合も秀吉が原因と言っちゃってる『秀吉神話をくつがえす』 (講談社現代新書)人。
秀吉の九州・小田原攻めでも針小棒大の典型のような論理や決めつけで「秀吉は駄目」を連呼。
結論があって、それに都合の良い材料で自説を展開させる「曲学阿世の徒」。
藤田が原本と確認したと言われても…
フロイスの光秀評なんてのはすべて本能寺の結果を受けて書かれた物
あんなものをすべて真に受けるのはただのバカ
犯罪者が行動全てを逆算されて犯罪に結び付けられるのと同じ
それだけ優秀で計算高いな人間がやったことにしちゃ色々とグダグダだから疑問を持たれてるんだろう
秀吉の中国大返しを差っ引いてもとても勝算がある行動だったとは思えん
>>817
陰謀論好きだねえwじゃあ、光秀が忠義者だってことか?w
狂った独裁者やワンマン社長はいずれ身内に裏切られるのと同じ。考えすぎだわw あと、何十回も謀反にあってるうち、その明確な動機がそれぞれ解明されてるの?
なんで光秀だけそんなに謎なの?
>>817
優秀とか策略家とか言われてた人物たちは、みんなうっかりチョンボで失敗したことない訳?
なんで光秀だけチョンボする筈がないって思うの?光秀が失敗したことない訳? 失敗した謀反がグダグダに見えるのは仕方がないよね
内密にするのが大事だからいろいろ根回しするわけにもいかない
まず信長を討たなくては話にならないんだから、後のことは後手に回るのは仕方がない
信長殺害に成功してから、いろいろ考えなきゃ、全部絵に描いた餅だし
ただ光秀は野戦に出ずに、一年戦う覚悟で篭城するのもひとつの策だったかもよ
毛利や上杉、長宗我部、義昭、一向一揆の動きに、事態打開の可能性を賭けるしかない
一応篭城はするつもりで坂本に帰る途中で殺されたんだろうけど
実は黒幕がいるとかの陰謀論も虎視眈々と謀反の機会を狙ってたというのもどっちも無い思う
ついカッとなって後先考えず完全にノープランでやっちゃったというのが一番しっくり来る
あと信長が狂った独裁者とかいうのは周回遅れも甚だしい解釈だぞ
光秀単独による発作的犯行で動機は将来不安というのが最近主流の解釈だな
ついカッとなって後先考えず完全にソープランドでやっちゃった
>>810
>「惟任公儀を奉じて、二万余騎の人数を揃へ、備中に下らずして、密に謀反をたくむ。
今までの研究も往年の2ちゃん議論も知らぬ無知新参者ですが
「惟任公儀を奉じて…密に謀反をたくらむ」と読むなら公儀は義昭で
「惟任公儀を奉じて二万余騎の人数を揃へ」と読めば公儀は信長になる。
ここだけ取り出してこの文言ではどちらとも解釈できます。
後者の方がスムーズな印象ですが、前後の文脈、さらには退治記全体を分析しないと何とも言えないのでしょうね。 秀吉にとって公儀といえば信長やでな。その秀吉が書かせた天正記なので公儀=信長
>>813
主君に絶対忠誠を尽くすという思考は、世が乱れないために
江戸時代に徳川幕府が植え付けたものだからね
武士だけでなく庶民に至るまで
あの時代光秀の行動は至って普通だったのかもしれない >>814
よく秀吉は織田信長じゃなかったら出世できなかったて言われるけど、光秀も
そうかもしれないって気がする、このキャラw 頭良すぎて警戒されるタイプ。 >>827
光秀は朝倉も足利も裏切ってるのに、なんで信長を裏切ったことだけが「なぞ」とされてるかそれこそ「なぞ」なんだがw
フロイス評が信憑性がないって言うが、信長入れて三回も謀反してる人間だからフロイスも適当なことを書いてるとは思えん。 横からだけど
そもそも光秀の朝倉仕官の話は、ソース江戸時代の小説じゃなかったっけ?
戦国期の史料を基に光秀が裏切った家をあげれば、細川、足利、織田
(あ、でも細川の場合、下っ端従業員だったが解雇されたって可能性もあるのか、いやそれ言ったら足利も?)
でフロイス評に関しては、一番困るのは光秀評は信じない、信長評は信じるっていうダブスタが結構横行してること、
信じるなら信じるで統一した方がいい
なんか勘違いしてる奴がいるけど、光秀は信長に対して絶対的な忠誠心があったはずだから
裏切るなんて有り得ないと考えてる人間は少なくともここにはいないと思うが
ただ状況的に見て裏切るリスクがデカすぎるから何でそんなことしたんだ?って話
>>813
しかし信長はなぜかその陰謀好みの光秀を最後まで手元に置いていたんだよな
危険人物だったらまず遠方の戦場に配置するはずで 遅まきながら信長も危険人物ってことに気がついて、遠方に飛ばそうとした矢先に謀反されたんじゃないの?
にしても813の先生は見た史料が少なすぎる
フロイス史料だけでも広めに見れば、信長はキチガイと書いてる一方、別の場所では未曾有の傑出した人物とも書いてる
光秀のことを疑ってたのにあんな無防備な状態、しかも嫡男付きで京に滞在するとか流石に油断しすぎだろ
やっぱり信頼してたからこそそんなことが出来たんだと思うが
>>833
そんな人がなぜ何十回も謀反にあってるの? >>831
リスクのデカくない謀反って何?
歴史上で起きた謀反はみんなそうなの? >>835
広く戦国大名を知ってる人によると、何十回も謀反に合うは普通らしいよ
>>834
光秀は危険だが頭はいいってのが、信長による光秀評で
だったら当然、信長討てば自分も詰むって想像出来るよな?ってことはやらないよな?
が信長の考えだったんだろうと推測してる人がいて、なるほどねと思った つーか、何十回って、領内の一揆とかカウントしてるだろ
延々と一向一揆と戦ってた朝倉とか、そのカウントだとどんなことになるか
>>830
そりゃ良いところも悪いところも書かれてる信長と違って
光秀への評価は露骨に悪意剥き出しだからちょっと引いて見るべきと思われるのはしょうがない
個人的にフロイスの人物評は主観が強すぎと同時代人にも批判されるくらいだったらしいから
誰に関しても話半分くらいに留めておくべきだと思ってるが 家康の配下だと今川-松平-武田-松平と情勢に応じてころころと従属先を変えた経歴の持ち主がいるし
関東だと北条上杉佐竹の間を行ったり来たりしてる領主は大勢いる
で信長の場合はその何倍もの地域を支配して多方面で争ってたんだから多く見えるのは当たり前
結局のところ本能寺の変の何が「最大のミステリー」みたいに言われてんの?
・信長は謀反されても仕方のない人物
・明智も謀反をしても不思議でない人物
・戦国時代だからそんな謀反など当たり前
↑これが間違ってないなら、本能寺の変「だけ」が何故最大のミステリー呼ばわりなん?
戦国時代や歴史上に起きた謀反・造反劇に比べて、何がそんなに突出して異質なわけ?
異質じゃなく、面白いからだろ、なんせもし生き残ってたら日本がどんな世の中になっていたか
想像がむずかしい人物だったんだから、そこで惜しいとかざまあみろという感情が強くなる
あとは事件やその関連人物にまつわる俗説や創作や憶測が多すぎて
何が本当なのかよう分からんことになってるというのも一役買ってる
そんな時は同時代人の記録だけ見るとわかりやすい
光秀への評価、フロイスの同僚「裏切り者には絶対味方しちゃダメ」日本人「あんなことする人滅多にいない」
信長への評価、フロイス同僚「勤皇家だし優しい人」日本人「恩徳ある人だし聖人や」
本当にフロイス評に固執するねえ君
他の史料にもちょっとは目を通してみたら?
フロイスフロイスうるさいのは多分センゴク信者じゃないか
あの漫画のオタはフロイスによる光秀評が絶対的に正しいと凝り固まってる奴が多いし
ちなみに845の日本人記録はフロイス関係ないだろ、
坊様の日記だったり武士の記録だったりする
フロイス同僚も、個人名出すより分かりやすいだろ
フロイス評と、時の権力者によっていいように書かれる日本での人物評。さてどっちを信じてよいか?
やっぱりやってきた行動で見たほうが一番合理的に解釈できるんじゃねえの?と思うのだが、
比叡山も女子供殺してないとか説に代表される、残忍・キチガイじゃない説が今は主流派なん?
CSyqFHwQはフロイス評を出してないのにフロイス評が話題に上がるって周りが過敏になり過ぎ
フロイスアンチはフロイス評価を参考にして人を叩くだけで、こっちの疑問にはちゃんと答えれてないねw
>>842
本能寺の変はミステリーではない、真相を公にできないから歴史家や工作員
がいろんな説を提起してミスリードしている。 >>851
今の主流が何かは分からんけど
当時の評価は比叡山←信長GJ、残忍キチガイ←フロイスだけ言ってる
今と昔じゃ価値観の違いあるから、行動と共に当時の人の受け止め方見るのもええで まあ、史学的な議論はともかく、信長はキチガイ説は一般には覆らないよ
そっちの方がキャラとして魅力的だから
人のよい信長なんて魅力ないでしょ
超然としたサイコパスだからこそのカリスマ性だよ
大河ドラマの秀吉で光秀が本能寺の変の後、「骨も残さず消えうせるとは、あのお方は本当に人であったのだろうか? まこと、鬼の化身ではなかったのか?」と恐れるシーンがあるんだけど、
もう信長は人間扱いされてないよなw
天下布武を進めるために、鬼が人となって降臨したみたいな扱い
キリストが受肉して地上に出現したみたいな
すまん853続き
史料残した人の中には権力者の影響受けてない人もいるから、
いろいろ見てみるとオモロい
例えば信長を恩徳ある人と言った人なんか、
秀吉の政治を批判しながら信長の治世を懐かしんでる
>>854
芸能界とかカルチャー業界の人とか、信長をキチガイにしておきたいってのあるかもね
ただ受け手の側までそれを求めてるかどうかは不明w 戦国自衛隊も、原作では、自衛隊がタイムスリップさせられたのは、信長が死んだか、生まれなくなった世界で、
信長の代わりを務めるために、無理やりタイムスリップさせられたという設定だったんだよ
信長のやった近代化政策は、未来の知識を持った自衛隊員のアイデアということになってる
わざわざタイムスリップさせてまで、歴史は信長の代わりを必要としたということなんだから、どんだけ特別扱いされてるかがわかるわ
信長は未来人だよ、未来人
秀吉は明智光秀関係の書類や史料を徹底的に探し出して焼却しろと命じてる
そしてあの伝説の中国大返し、なにか光秀という存在をなんとしても消したかったとしか思えない
なにか不都合な真実が有ったんだろう
もし光秀が本当に聡明であったなら、謀反後の身の安全を考えないようなことはしない。
そうすると秀吉にケツを持ってもらう予定だった説は成り立つのかな?
もしも光秀が聡明でなかったら・・・
まずこっからいって欲しい
>>834
謀反を良く起こされる人って、厳しいと言うより理由が理解出来ないからじゃないのかな?
大体、佐久間信盛の粛清が無ければあの時点でも明智や羽柴より目上で謀反を起こす隙は
無いですからね。
譜代家老で、信行との家督争いの時にも味方して、その後特に落ち度に成る様な出来事は
無いですし。そして、元々佐久間一族は家臣と言うより同盟者に近い存在だったらしいです。
徳川における酒井一族みたいな物ですよね。
それを、御前は与えてる領地分の働きが無い無能って理由で改易されたら家来は皆脅えます。
無能が大所領持ってて目障りでも、普通は領地半減くらいでしょう。
佐久間が改易された後に編成変えが有って、明智が軍団長みたいな立場に成ったんだから
遠因は佐久間の改易ですよね。
まあ、旧幕臣系の明智と細川を縁組させてる時点で、自分が謀反起こされる想定してないよね。
完全に椅子とか机とか靴とかの道具扱いです。
椅子は酷使されて不満だろうとか、変なシール貼って机が不満だろう?とか普通の人が考えない
のと同じだと思う。 >>862
佐久間については、「手柄を立てるか、辞めるかだ!」ってプレッシャーをかけたら「じゃあ、辞めます」って
最近の新社会人みたいな反応されたってのが最近の定説。
息子を信忠付きとして復帰させようとしてたこととかわかってるから、本気で佐久間家を潰すつもりだったとは
思えん。 三方ヶ原で敵前逃亡したのが本当なら切腹ものじゃん
それを追放で許す信長の優しさには泣けるわー
まさか大河ドラマが>>690の明智本を採用してくるとはw 大河ドラマって、けっこう陰謀論を採用してるよ
桶狭間だって、山本カンスケの陰謀だったし
秀吉だって、本能寺は家康の陰謀。千利休はそれを知って黙っていたのも、切腹の原因のひとつだったし
フィクションなら陰謀論のほうが面白いじゃん
裏の駆け引きを描けるから
今の説は基本的なことはどうなってんの?
カッとなった光秀が衝動的にやった説→ただし光秀が後先考えないような馬鹿であることが条件。
元から狙った計画的謀反説→ただしアフターケアしてくれるような重臣クラスの仲間がいないと難しい。
上の方で衝動的謀反、って説が主流って書いてあるが、光秀は詰むの100パーなのに後先考えずにやっちゃうような間抜けなの?
カッとなって衝動的にやったにしては上出来すぎる成果を挙げたとも言える
逆にちゃんと計画立てて実行したのにあの結果という方が間抜けだろう
後先自体は考えたけど思うように展開しなかっただけだろう
どんなに優秀な人物でも衝動的な行動もするし馬鹿なこともするんだよ
普通は野望説やろ。それじゃつまらんからいろいろ言ってるだけで
信長だけ包囲して信忠の方はノーマークだったことから計画的とは思えないんだよな
カッとなってかどうかは知らないけど突発的犯行だったのではないか
信忠は家康の堺見物に同行する予定だったのを急遽取りやめたからね光秀が知らないのも無理はない
そして堺見物の供応役が津田信澄。予定通りだったら家康共々簡単に始末出来たはずなのね
信澄は光秀の謀反計画を知らなかったんじゃないっけ?
信長にかなり可愛がられてたという話も聞くしいざとなったら光秀より信忠と織田家を選ぶ可能性も高いのではないか
>>874
甥は甥でも、家督争いで誅殺した信行の子だしね?物凄く微妙な立場なんだよね。
通説では、生母の土田氏が泣いて頼んだから助命したって事だし。
それに、遠慮して織田庶流の姓の津田を名乗ってるし。
光秀の婿以前に、疑われる立場なんだよね。 イ从、从从从从从ll|| |リ从////ノノ彡;j
jl从从从从;;;;;;;;;;;;从;;;;;/;;;;;;;;;、、、;;-ー、イ彡:}
(ミミ;;ッ''"゙ ̄ '、::::゙`゙''ー、/"´::: :::: |;;;;;彡|
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jミミ;;;;} ::: ヽ::::ミヽ:: | ノ W:: |;;;;彡:|
}ミ;;;;;;} ::: ヾ {:::::ミ ヽ j イ|从 ":::: };;;;;;彡{
iミ゙;;;ノ:::::: \'、 }}: l||イ /,ィ;;、、-ーーヾ'ァ;;イ、
{;;;;リ:レ彡"三三ミヽ,,リ{{,,ノ;;;;ィ≦==ミ'" |;;〉l.|
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)ヽ"´ ''''"レl_ヽ,,,', ヾ'ー、:::;r'"`' ゙'';;"" ゙l| ::j ::: |: l,,,,
゙''(,l ', l| リ {"ィr''''' ーー''ijツヽ l| :" l |',`ヽ,
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. Z::::ヽ '、 ゙'t;ヽ ` ´ ノ;;リ ,r' //
いいか!耳の穴かっぽじくってよく聞け!ただ泣き叫ぶだけでなんら策のない直江兼続の天地人
ほとんど史実の篤姫と似ても似つかない篤姫、いやまた吉田松陰の妹いうだけで、歴史上の功績
がほとんどない花燃ゆのヒロイン等、語るに値しない大河は数あれど、こたびの大河これらの比に
あらず!まさしくかの天地人以下なり!大河スタッフは…全員首だ!
若い頃、犯行予告で逮捕された。二度と同じ過ちは繰り返さぬと心に決めたが、もう我慢ならん!大河の将来のため、柴崎コウの首
を討つ!私の命にかえて許していただきたい!御免!
藤田達生のオナニー解釈面白いとは思うけど馬鹿げてる。
研究者がこんな解釈してるようじゃ日本の歴史学会なんかたかがしれてるな。
そういうなやw
近世の話なんて、確定させることは難しいし
歴史学の論争聞いて面白いのは、第三者としてはどちらも推論や推理に過ぎないのに、本人たちは自信満々なところなんだよね
お前ら、その現場にいて、それを見たのかよって突っ込みたくなるほど、自信満々
犯人は秀吉・光秀・家康だよ 皆、急な出来事に行動がとれず混乱している時に自分たちのペースで行動してたのは秀吉光秀家康だけだから 家康なんて理由つけて隣の国を取ってるからねぇ。
犯人は秀吉・光秀・家康だよ 皆、急な出来事に行動がとれず混乱している時に自分たちのペースで行動してたのは秀吉光秀家康だけだから 家康なんて理由つけて隣の国を取ってるからねぇ。
>>878
研究者が持論に自信を持つのは当然だし見たのかなんて突っ込みは論外すぎる
君歴史学向いてないよ オナニー先生にはどれほどの受講生が集まってるのか気になる
研究者って自分の持論は自信満々なのに他人の意見となると全く耳を貸さずに顔を真っ赤にして全面否定するんだよね
戦国時代の研究者は基本的に胡散臭い人しかいない印象
比較的信憑性の高い学説を唱えてると言われる学者の著作であっても
「いや流石にそれは苦しいだろう」と突っ込みたくなるような論説が出て来ることがままある
根拠が古文書に残ってる、2,3行の文章とかだもんな
はあ? 強引に読めばそう読めるというだけだろ、としか思わん
近世以前なんて、そもそもインパクトのある説を強引にでも唱えないと見向きもされないんだろ
トンデモ学説の方が人気が出る
宗教心が無い歴史学者だと史料を間違って解釈する可能性が
藤田の新史料だけどそもそも土橋重治って誰なんだよ?
土橋は紀伊雑賀衆の地侍だな
鈴木孫一と並び立つ存在で石山合戦で信長と戦った
石山合戦後、鈴木は信長に接近
信長への反目を続ける土橋を粛清した
しかし本能寺の変後、土橋の遺族・残党が巻き返して、鈴木は紀伊から逃亡
夢を見たわ
信長を襲ったのは西国のキリシタン大名たち
信長や秀吉たちは一瞬で地上まで脱出できる「つきとび」まで行こうとするが、何者かが火を放っており…
本能寺の変の時の足利義昭ってそんなに力持ってたのですか?
鞆幕府ってやつ
国外貿易では日本国王をとして認知され、政治的影響力の高い京都五山の任命権も残してたとか
信長も西国公方としてそれなりに丁重に接していたんじゃなかったっけね
>>894
かごも用意せずに京都からたたき出しといて、丁重な扱いは無いわ
ただ、そろそろ帰っておいで、とは言ってたけど >かごも用意せずに京都からたたき出しといて
何の逸話の話?
信長公記の貧乏公方のくだりのことか?
あんな箇所真に受けるなら「かごどころか裸足で退散した」
事になるんだぞ。
うそはうそであると(略
藤田発見の書状の話はどうなった?
年次は天正十年であってて、内容に問題、なのか
そもそも年次比定が違ってる、のか。
上意、が誰のことか、もどうなったのかな。
カメラもテープも生き証人もいない時代の歴史学研究なんて、反証可能性がない、正誤を最終的に確認できないという点で、社会科学ではないよ
古文書をいくら読み解いても、それは史料研究であっても、歴史研究とはいえんだろ
だから、好きに自由に妄想を広げればいいんだよ
史実は違うんだなんて突っ込み入れるのは野暮ってもんだ
誰にも史実なんてわからないんだから
本能寺の変の真実を読み解くためには紀州武田の分家である御本家(みもとけ)を掘り起こす必要がある。この御本家こそ四国統一を果たした武将である。ただゴホンケと読まれ土佐一条氏と勘違いされ歴史上には出てこない。
そして本能寺の変が起こった日は、四国攻めを決行しようとする時だった。御本家の家紋は丸に桔梗です、明智光秀と同じ家紋である。そのため織田の家臣が早とちりをして明智軍と思い、秀吉は間違いで明智光秀を殺した。
そのため明智の謀反で決着するしかなく、その事実を知る紀州武田である湯川氏は紀州征伐で滅ぼされ御本家は四国征伐で追いやられたが私こと子孫は生き残っている。補足として、織田信長の遺体が無かったのも御本家が持ち帰ったためである。
事実と言うものは、面白くないものです。
謎があるため、おもしろいのです。
本能寺の変を順番に話していこう、織田信長は、家康を本能寺で殺そうとしていた。これは、明智軍の証言道理である。
しかし、家康は このことに薄々勘付いていた。そのためくる素振りだけだった。同じ紀州の出である紀州武田の分家
御本家に四国攻めの事実を知らせたためである。信長は、四国統一した、御本家に対し領土没収も告げていたためである。
家康には、本能寺では、宴をあげようとでも言っていたのだろうその為見かけ上守りが少なかったのだ、しかし そこに来たのは
丸に桔梗紋をなびかせた御本家である。織田家の家臣たちは家康を倒すためにきた明智軍だと思っただろう、しかしそれは時間が
早すぎたとも思っただろう。御本家が 織田信長の首を取って帰った後約束どうりの時間に、やってきたのだが そこには荒れ果てた
本能寺があり、敵に襲われたと思い織田信長を探しただろう。しかし そこには信長の姿も見えなかったため、安土城に向かうも
見方には入れてもらえず。明智光秀にとってはなんのことかわからなかっただろう。豊臣秀吉は基本的に嘘つきなので、中国おお返しも
半分くらいしか行ってなかったのだろう、そのため早く帰って来れたのだろう。そして、山アの戦いで、明智は命を落としたのである。
その後、秀吉は 御本家が織田信長をやったことに気づき、明智が謀反でやったことを 公で発表したのである。
そして、その事を知っている紀州武田の湯川氏を紀州征伐で滅ぼし、御本家を四国征伐で、追いやったのである。御本家は、貿易を
していたので、九州にも味方がいたため 九州征伐を行なった。
これが教科書にも載らない真実だが真実とは実際に起きた事だから面白くはない。
実際に、起きたことで面白いことがあれば教えてもらいたい
>>897
発見って言っても写しは知られてたし
その時点で藤田氏の解釈はさほど支持得られてなかったようだし
使われてる語句表現に違いがあったとかなら再検討なんだろうけど
現状では変後十日近くを経て義昭が光秀に接触してきたのに対して
受け入れる用意があると返答したということまでじゃないの分かってるのは 桐野は土橋を通じないと義昭と連絡が取れないって仮設立ててたけどどうなの?
鞆で全国の大名と連絡取ってたことも書状でわかるし、
五山の任命権があるってことは京都への連絡手段は普通に持ってると思うんだけどね。
任命権とかは個別のルートであって、
自由に連絡できたかどうかは
また別の話じゃね?
>>903
>織田信長は、家康を本能寺で殺そうとしていた。これは、明智軍の証言道理(ママ)である。
何を言っているの(笑)
「証言」といえば、『本城惣右衛門(細かいところ違っていたらご免)覚書』しかありえないし、
ここで、たしかに、家康の名がでてくる。
しかし、これは、備中にいくと思っていたら途中から京に向かったため、不審に思い、
合戦の相手とすると、京に来ていると聞いていた家康くらいしか思い当たらなかった
ーーという、何も知らない一雑兵の覚書だ。
要するに、明智軍は家康を打ちに行くのかと想像をめぐらせただけの話だ。
まして、信長が家康を討つなど、そんな証言などどこの世界にもない。
覚書もよまずに書いていることも自明だが、出鱈目にもほどがある。 まあ史料がないからといってウソとも言えんが、おえらい学者さんはそう言うよね
史料がないから信用できんとか、文句あったら史料を出せ!とか。でも自分が計画して成功しましたなんて
書くアホはいないし、あっても燃やしてるだろ
戦国の合戦「最大の番狂わせ」はどれだったか
2017年12月29日
本能寺の変は足利義昭が黒幕?
2017年9月、「本能寺の変」に関連する手紙の発見が大きなニュースになりました。
見つかったのは、事件の犯人だった明智光秀が書いた手紙の自筆原本で、彼が主君の織田信長を暗殺した10日後、豊臣秀吉と戦って敗れることになる山崎の戦い前日に、反信長派の紀伊雑賀衆(さいかしゅう)土橋重治(つちはし しげはる)に宛てたものです。
この手紙は、手書きの写しは知られていましたが、原本からは光秀の筆跡や細かい折り目などから「密書」の緊迫した雰囲気も感じられ、貴重な発見となりました。
書面には、信長に追放されて鞆(とも)の浦(広島県福山市)に身を寄せていた将軍足利義昭を、光秀が再び京都に迎えようと奔走している様子が書かれており、これを根拠に、本能寺の変は光秀による単独犯行ではなく、「義昭が黒幕」だった可能性を指摘する声もあります。
もちろん、これには反論もあり、窮地に立たされた光秀が、味方を募るために将軍の名を利用した、たんなる「フェイクニュース」を出したのだとする説など、事件の真相をめぐってはこれからも議論が続きそうです。
ところで、「本能寺の変」は天下統一を目前にした信長にとって、まさに「番狂わせ」な出来事でした。そもそも戦国時代には「予想外の結末を迎えた合戦」は数多く存在します。
そこで今回は、あの有名武将も直面した「番狂わせ」について解説します。
http://toyokeizai.net/articles/-/201966 http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1371080663/
119 :本当にあった怖い名無し:2013/06/19(水) 19:09:56.93 ID:ZAnDDbXN0
明 -> 光 ->イルミネーション->イルミナティ
智 ->インテリジェント->イルミナティ
光 ->イルミネーション->イルミナティ
秀 ->prominent -> a prominent member of Freemason -> イルミナティ
明智光秀の名前は全てがイルミナティを表している。
また、幕末の武器商人イルミナティ坂本龍馬の家紋は明智光秀と同じ桔梗の紋
坂本家の家系図によると先祖は、明智秀満、坂本とは高知に逃げた明智家の生き残りが故郷京都坂本
の地名を名乗ったものだ。そして、織田信長を本当に殺害したのはユダヤの奴隷商人だ
宣教師が事前に仕掛けた火薬で本能寺を爆発炎上させたのだ。
これを理解してもらうためにはユダヤの奴隷商人と戦国時代の
関係を説明しなければなるまい
176 :本当にあった怖い名無し:2013/06/20(木) 18:04:16.77 ID:gLFU7d0c0
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/20century.htm
illuminati日本語訳だと光明会
光明会の明智光秀、なんとも素晴らしい名前じゃないですか。
坂本龍馬の家系図によると先祖が明智左馬助になっている。これは本当の話だが
実は、才谷屋が武士の養子になることで武士の家系図を買って、郷士の身分を得た
そのため坂本龍馬と明智光秀に血縁関係はない。それは知っていたのですが
滅んだはずの明智家の生き残りが土佐に逃げ込んだ。面白いお話じゃないですか。
昔、滅ぼされたはずの蘇我氏が土佐に逃げ込んで長宗我部と名前を変えたというお話があります。
そして、蘇我氏はユダヤ人秦氏の末裔、長宗我部もユダヤ、明智光秀もユダヤ、明智家と長宗我部家は子供を結婚させていて
親戚でした。あの時あのタイミングで本能寺の変が起きなければ長宗我部家は滅ぼされていました。
真相はユダヤ秦氏の末裔、長宗我部家を守るために明智光秀が本能寺の変を起こしたのかもしれません。これは未来でも解き明かされていない謎です。 義昭首謀説面白いんだが、信長横死を知った義昭自身の書状にそれらしい気配がないのと
義昭を保護している毛利が変報を受けるまで全く知らなかったことから可能性は薄いのでは
ないかと、光秀書状は大義名分として担ごうとしただけだろう。
>>907
そういやどうして雑兵同然の本城が任務とは何の関係も無い
家康のたかが物見遊山の行程をほぼ同期で知ってたんだ? 途中まで家康の饗応役やってたんだから知っててもおかしくはなくね?
家康饗応のためにわざわざ丹波勢を連れてくることは無かったんじゃね?
いや今上司が何の仕事をしてるかは知っててもおかしくないだろ
特に上位の家臣ともなれば確実に知ってる筈
そのレベルの家臣が光秀の真意を知らされてなくとも
突然の命令変更に想像を巡らせたものが漏れ伝わって
それが本城の耳に入ったとしても不思議ではないと思う
でもあの論ってちょっとずれて気がする
上京下京に「かたはらまち」が無いからっていうけど
本能寺は下京の北西の端にあって各町組はその東から南にあるけど
惣右衛門の覚え書きだと西から本能寺に接近したように読めるし
本能寺の西、下京の西組の北西くらいにかたはらまちがあったと想定すべき
なんじゃないのかと
つまり平安京の左京が戦乱で上京下京に集約されてくなかで
そこに含まれ無かった過疎ったか無人なのかはわからないけどそういう所に
かたはらまちがあったってことなんじゃないのかと
少なくとも上京なり下京なりを突っ切って本能寺に接近したと想定すると
上京は北の方にとんでもなく遠回りになるし
下京の西組通ると本能寺の南側にでるし
それ以外の組だと東側にでるしで全くつじつまが合わない
後世に、かたはらまちができた後に覚書きが書かれたのかも
戦国期の京都は、下京の西側には畑ばかりで町はなかったようだし
自称子孫氏の?
あれ以前出した本を文庫化しただけじゃないの?
憲三郎氏と自費出版の会社文芸社が、深い絆で結ばれたのは分かるけどな
暇な時に読んでみるわ。未来屋書店ってところがあるんだけど、カフェでコーヒー一杯でも注目したら本読み放題できるから読みまくってる。
光秀は信忠も一緒に殺すことは最初から計画になかったぽいし
変後の経緯からすべてにおいて杜撰な感じ
足利将軍家再興なんかは変後の言い訳する後付け
まぁ家康殺そうと思ったら間違って主人を殺しちゃったのが真相だろ
それを事前に家康に教えてあげたのは春日局の親父の斉藤利三
家康殺害しようとして信長を殺害? さすがにそれはないだろ...
光秀ほど計算高い歴戦の武将が出来心で反逆というのはどうも考えにくいんだよな、人の心は闇かもしれんが
やはり光秀を犯人に仕立て上げる必要があった誰かがいたというのが真相だよな、あるいは家康のように影武者にすりかわっていたか
光秀は石田三成みたいに人の心がよく分かってないのでは?
関ヶ原の時みたいに、結局多くの人は金や地位でしか動かないから、大義名分掲げても殆どの人が協力してくれないって。
計算高い=失敗しない、ではないからな
そういう人でも巨利や私情が絡んだりすれば成功率が低かろうが賭けに出る場合も有る
将来への不安、四国政策への不満、怨恨、成功した場合の利益、加齢による判断力の衰え、自分の能力に対する過信
といったよく言われる要素が絡み合った結果利害計算を過ったとしても不思議ではない
多分、光秀は本気で声かけた武将達が立ち上がってくれると思っていたはず。
これも秀吉や家康のような人間なら、人間というものが分かっているから光秀みたいな声かけはしていないはず。
光秀とは違うアプローチ方法で行動を取ったはず。
仮に本能寺の変を秀吉や家康が起こしていたのなら、成功していたのではないかと思う。
>>933
細川と筒井の与力大名は親戚関係もあったし、光秀は色々と気遣って面倒をみてきたから味方になってくれると疑ってなかっただろうね
でも、その細川と筒井は光秀存命中に既に秀吉に寝返っていた
四国政策の転換も秀吉の影があるし
秀吉は前々から光秀を織田政権内から失脚させようと画策してたんだと思う
表では必死に軍功をたて、裏ではライバルを蹴落とす事をしてのし上がってきたんじゃないかな?
いくら下克上の戦国時代でも、出自とかは大事な時代
そうでもしないと低い身分から天下は取れないでしょ
信長謀反まで工作してたかどうかはちょっとわからないけど >>931
敵はみんながみんな大義は分かるけどそれでも利益を選んだわけじゃないし
味方にだって大義じゃなくて利益でついた人もいる 山崎の戦いの後、光秀が親しくしてた文化人の多くが
そのまま天下人となった秀吉と親しく付き合っているよね
そういう人たちの心中を覗いてみたい
結局、要領の良い奴が生き残るよな。真っ直ぐな奴は短命で終わる。
裏工作必須だし。
あまり実力とか関係ないしな。要領が悪ければ策略練られて殺されるだけ。
このようにして人間は進化してきた。
>>939
文化人は、もともと秀吉と内通していて光秀をはめていたりして 早乙女という人の明智光秀の小説は面白かったな。天海になって生き延びた話だったが、その世界にのめり込んだのを覚えてる。
タイトル忘れたが何とかの棺というのも面白かった。
光秀のこと覚えてないな。
阿弥陀寺に信長の遺骨を持ち帰って境内に埋めたが、後日見に行ったら目印にしていた植物が無くなっていて骨の場所が分からないというオチだったような。
信長の棺ってドラマだけ見たけど、秀吉黒幕だったっけ?
光秀は磔になってた記憶がある
光秀は朝廷に唆されて謀反を起こそうとする
それを察知した秀吉が事前に本能寺地下の脱出口を塞いで
信長を焼き殺したってオチだったはず
それなら遺骨見つかるはずだけど、まあ小説だからね。面白ければいい。
あれは読んだ方がいい。捨てずに持ってる。
しかし中古は印税が作家に入らないというのがね。ヤクザ的な商売だな。
ここ見たら早乙女貢の光秀を読んでみたくなった
中古だと安いね
光秀がカッコいいとかよう分からんなあ
まあ個人の自由だけど
天海として生き延びたんなら、本能寺だけでなく
秀吉の墓まで壊してる、黒さ倍増
まあそれが好きというのも個人の自由だけど
小説として楽しめばいい。誰も本気で光秀が天海だとは思ってない。そうだったとしたら面白い。という程度のもの。
お福が家光の乳母になってる時点で家康の影確定だ
噂では光秀遺愛の槍を本田だかに渡してる、じゃあその槍を使って家康を討つのかと思うとそうじゃないという・・
家康が黒幕だとすると、その後秀吉と敵対して、徳川家滅亡の危機を迎えるのが不自然だ
あのまま行ったら信長は天下を取っていた。状況を考えたら信長に死んでもらわなきゃいけなかった。
当時の人が語る謀反の理由
「光秀は戦が好きだったから」
確かに信長に死んでもらわにゃ戦さが終わっちまう
光秀は焦ったんだろな
当時の人が語る謀反の理由とやらは、どの文献に載っているの?
それなりに頑張って見つけたんで、今は内緒ゴメンね
でも超一級史料
戦国5ちゃんねるなどのスレッドは、驚くべきほどである
が、中身を見ると、ただの雑談で、これといった内容はない
なぜなら、まことのネット検索での自演会話だからである
信長の遺骨は誰かが持ち出したか、南蛮寺へと続く地下道があったなら、その間にあるか、若しくは境内にあったが他の遺骨と混ざって分からなくなったかのどれかだな。
ローマに行った説あるんすよ
どれくらい信憑性あるかはわからないけど
遺体見つかってないしね
ローマで信長っぽい名前で信長っぽい風貌の人が火あぶりにされて処刑されたらしい
その人は枢機卿でなんか企みがばれて処刑
なんでもいいから信長を悲惨な最期にしたい970w
江戸中期の史料だけど、信長の遺骨我が寺で持ち帰りましたってあるじゃん
上にも出てる「信長の棺」はこれ元ネタにしたでしょってやつ
史料そのものを見たけど、あんまりデタラメ書いてる感じはしなかった
おそらく、まこと本人は気付いていないだろうが
空気を読めない自演自爆が多い
遺骨持ち出しは
京都の阿弥陀寺、静岡の住職、富士山のところにもそんな事を言ってる住職がいる。
他にもいるだろうが。
阿弥陀寺の場合、
「信長公の廟所として天皇から贈り物いただきました、今もそれ寺宝です」
「信長の血付きの小袖も寺宝でした、でもこの前の大火で焼けちゃった」
とか記録してるから、ガチ度は高い。他の寺は分からん
日本史で紛らわしい「○○の乱」「○○の変」、ちゃんと意味の違いがあるって知ってた?
2018年03月09日 11:32
日本史の勉強で紛らわしいのが「○○の乱」「○○の変」という表現。発音が似ていて覚えるのが面倒なばかりか、意味の違いもさっぱり分からず困ってしまった人は少なくないはず。
数年前、「変」は成功したクーデター、「乱」は失敗したクーデターを指すと紹介したツイートが話題になりましたが、ここには以下のような例外があります。
・「壬申の乱」 → 反乱側(大海人皇子)の勝ち
・「治承・寿永の乱」 → 反乱側(源氏)の勝ち
・「禁門の変」 → 反乱側(長州藩)の負け
この区別の仕方は、果たして合っているのでしょうか?
●歴史学者による説明
「乱」と「変」の違いについてはすでに歴史学者が説明を試みており、学習院大学の安田元久氏による分類が有力。ですが、先ほどの「成功か失敗か」という結果に基づく説明とは全然違います。
安田氏は、「乱」「変」の種類をそれぞれ2つに分けました。
●「乱」とは?
(1)政治権力に対する武力による反抗、すなわち反逆事件
・承平・天慶(じょへい・てんぎょう)の乱(=平将門や藤原純友らによる反乱)
・保元・平治の乱
・大塩平八郎の乱 など
(2)政治権力の収奪による内乱状態
・壬申の乱
・承久の乱
・応仁・文明の乱 など
●「変」とは?
(3)政治権力者たる天皇・皇族、あるいは将軍などが獄逆・配流などに遭い、(1つの立場から見て)不当な立場に置かれた事件
・承久の変
・正中の変
・嘉吉の変 など
(4)政治上の対立による陰謀事件
・承和の変
・応天門の変
・鹿ケ谷の変 など
●4つの分類の違い
これらの分類の違いは、一体どこにあるのでしょうか。
ひとまず(2)の乱「政治権力の収奪による内乱状態」は国全体で勢力が分裂する大規模な内乱ですから、安田氏も「乱と呼称することには何らの疑問もない」と述べています。
また、(1)の乱(政治権力に対する武力による反抗)(4)の変(政治上の対立による陰謀事件)の違いについては次のように書いています。
「事件の規模の大小にもよるが、(1)の場合には支配的政治体制の変革にも及びかねない反乱事件を含むのに対し、(4)はいずれも政治的支配層の内部におこった権力闘争であって、たとえ事件の発起主体が勝利を得ても、
支配体制や支配権力の構造の上で大変革が期待されるといった性質をもっていなかった点に注意したい」
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1803/09/news024.html
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=5019533&media_id=128 >>974
信長の棺では、秀吉が再三に渡って遺骨の引き渡しを要求してきたと書いていたが、それは資料があるのだろうかね。 >>976
秀吉が要求云々の話、自分は史料で見たことないな
ただ広い寺域があったのに、秀吉にたくさん没収されたってのは本当なんだろうね
因みに阿弥陀寺は、山科言経も信長のお墓参りで通ってる旨、日記に残してた気がする ベストセラーの応仁の乱の著者が最近出した「陰謀の日本中世史」という本では
「歴史学界では本能寺の変の原因なんて研究テーマにならない。結果の方が大事であって原因はどうでもいい」と書いてあった
その上で陰謀説はみんな歴史学のわからない奴が書いた珍説で、怨恨説も光秀はかなり合理的に動いてるから一時の感情じゃないと退けてる
三好氏とのコネを潰されて損した上に信長父子がわずかな手勢で京都にいるチャンスが来たから実行したんだろうと書いてる
本能寺の変の原因なんて研究テーマにならない
↓
本能寺の変の研究そのものを怠る
↓
「陰謀の日本中世史」という手抜き本を著す
明智の子孫さんがわりガチでぶっ叩かれてて可哀想だった>呉座本
いちおう、史料や先行研究を広く見ていると褒めてはいたが
それ以外はほぼ否定されてた
ぶっ叩かれて強くなってるであろう明智子孫氏にさらに一言
ご本人は史料見た見たアピールしてるけど、
実際はそんなに見てない
見てたらあんな珍説恥ずかしくて書けない
>>977
当時から阿弥陀寺に遺骨があるとの噂くらいはあったのかもね。
しかし遺骨を紛失するということは幾ら何でもないと思うのだが。 俺は明智家の説は別に荒唐無稽とは思ってないんだがな。
本能寺の変に関しては全くと言っていいほど決定打となるものがないのだから、その応仁の乱を書いた奴が上から目線で偉そうに一刀両断していることは問題だよね。
お前は何様なのかと言いたくなる。決めつけられるほど、お前はえらいのか。お前は他の研究者より秀でた天才なのかと。
たかが一冊ヒットしただけで勘違いして思い上がってはいけない。
じゃアンタは呉座より秀でた天才なのかよw
思い上がってはいけないw
>>985
読解力ゼロだな。
大した事もない奴が偉そうにするなと書いているだけでは? 大したことないヤツが呉座を大したことないヤツと批判とは恐れいるw
>>976
信長公阿弥陀寺由緒之記録によると
秀吉が信長の法事にと300石とか費用を出そうとしたりしたのを阿弥陀寺が3度断ったらしい
清玉上人は自分たちで出来るから必要ないと言って秀吉を怒らせたくだりがある
そのエピソードを元ネタに発想したのかも
あと阿弥陀寺の由緒が歴史的事実かどうかは他の人が言ってるように
享保年間の記録で火事の後だからアピールする必要があって書いた可能性も考慮しないといけない
森家の寄進も改易後になくなったというくだりも財政が苦しいという意図で書いたと思う
信長の墓があったかどうかは977の人が言うように言経卿記の天正10年9月12日条に
阿弥陀寺に参詣して信長の墓所にお参りした、今日が百か日だ、
と記述があるから墓がある事は当時から認識されてるのは間違いない
これに関してはさらに阿弥陀寺の天徳院呼称と秀吉の総見院呼称の問題もある
いろいろ話の材料出したのと呉座さんの本も出たので次スレも立って欲しい 本能寺の変の原因調査しなくて歴史学なんて言えるのかよ?単に、もういろんな説が出尽くしたから
今さらどうでもいいやって、投げてるんじゃないの?
阿弥陀寺の捏造の可能性もあるのか。遺骨を失くすとはどういうこった。
当時、いつも宿泊していた妙覚寺だったら信長はどうしていんだろうね。広大な敷地だったから光秀も襲撃諦めていたか。
単に光秀には野心があったから信長を殺した、って言うのを後世の人間が好き勝手勘繰り理由付けてるだけなんだろうな
コーエーのゲーム感覚で兵を行ったり来たりさせてるバカは
頼むから消えてくれよ
あれじはきっと部下の独走だったなと思う、光秀もその時点で覚悟を決めたんじゃなかろうか
本能寺でほんとに馬揃えが予定されてたのかもしれんが、野心ある部下が独断で偽情報をながしたんでは?
殺すだけ殺して後のことは秀吉か家康に任せようとしたと思うわ。本気で天下を取ろうとは思ってないからね。
秀吉には勝とうとしていたが。仮に味方になる武将がいなくて負けたとしても、それは想定内だったはず。そこまで頭は悪くないだろう。
小栗栖村で亡くなったというのは恐らく嘘だろう。天海になったかは知らないが、その後も生きていただろう。
天海は蘆名家の縁者、舟木氏出身まで分かってるんじゃね
lud20200421132503ca
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