一撃講和
ソ連仲介
という無謀な賭けをして核二発くらって無条件降伏
やってる感だけで国民を不幸にした元祖
ウクライナの動画の件で実感したけど、ネトウヨはいつも現行の天皇制をよく思ってないくせに、
都合のいいときだけ戦前の天皇制を、現行の天皇制と同じレベルの立憲君主制だと主張して有耶無耶にするよな。
明治憲法下の天皇は結構政治に口出してんぞ。
少なくとも首相の大命降下は天皇の意向が効いた例も多い。
事実上の降伏を進言した近衛上奏文 本当に成功すれば講和が可能だったかは現在も不明のミョウヒン工作
近衛のそれはコミンテルンが裏で画策する陰謀論満載で書かれていたとか
昭和天皇を擁護するつもりは毛頭ないが、直近の和平工作の案がこれでは無理だったな
●昭和天皇が語る開戦の原因
以上緒論及び本文に於て戦争の原因とその防止の不可能なりし所以を縷々述べて来たが、
結論として概括的に私の感想を話そう。
先ず我が国の国民性に付いて思うことは付和雷同性が多いことで、これは大いに改善の要があると考える。
近頃のストライキの話を聞いてもそうであるが、共産党の者が、その反対者を目して反動主義者とか
非民主主義者とか叫ぶと、すぐこれに付和雷同する。戦前及び戦時中のことを回顧して見ても、
今の首相の吉田などのように自分の主張を固守した人もいるが、多くは平和論及至親英米論を肝に持っておっても、
これを口にすると軍部から不忠呼ばわりされたり非愛国者の扱いをされるものだから、
沈黙を守るか又は自分の主義を捨てて軍部の主戦論に付和雷同して戦争論をふり廻す。
かように国民性に落ち着きのないことが、戦争防止の困難であった一つの原因であった。
(聖談拝聴録原稿(木下のメモ)「結論」)
●昭和天皇が語る終戦の理由
「敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、
その確保の見込が立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和せねばならぬと思つた」
(『昭和天皇独白録』)
近衛文麿から降伏進言された翌月によくもまあ巡航だのできるなぁ
明仁の税金で被災者の励ましとかいうドクズ行為もヒロヒトリスペクトなんだろうな
天皇の写真を新聞掲載すること自体がめったにない時代だったはずで、東京大空襲が如何に大きな出来事として当時から受け止められていたかがわかるね。
「子孫にツケを残すな」というフレーズをよく聞くが
一番やっちゃいけないツケは真珠湾奇襲だった
永遠に日本に汚名を着せる最悪の愚行でしかない
天皇って神扱いだったのに報道機関が写真撮るのはOKだったんだ
なお国民がヒロヒトの顔写真が乗った新聞を燃やしたら拘留された模様