人間は、たった一つキラリと光るものがあれば、後は、人は多めに見てくれるというものなのですか?
野口英世の金銭感覚
郷里の友人、八子弥寿平(やこやすへい)さんにたびたび無心
返した気配はなく、かなりの不義理を重ねています。お金を借りることの名人で、返さなくても何とも思わなかったようです
清国でのペスト対策として北里伝染病研究所に内務省より要請のあった、国際防疫班に選ばれる。
しかし支度金96円を放蕩で使い果たしたため、資金を血脇に工面してもらい渡航。
お金にルーズなことは、アメリカでも同様でした。50ドルの給料を、もらった晩に36ドル使ったこともありました。
たびたび友人たちから借金をしています。
”野口に金を貸すな”、研究者仲間でたびたび交わされていた言葉です。
しまいには結婚詐欺まがいのことも…
明治33年(1900)、渡米の費用にと小林家から200円、斎藤家から帰国したら娘さんと結婚する約束で結納金として300円贈られました。
……結婚する気は無かったようです。
ところが、横浜の大料亭「神風楼」で友人たちと別離の宴を大々的に行い、この大金が残金30円になってしまいました。
ビリヤードですったとも言われています。 まだ船の切符も買っていませんでした。
血脇もさすがに呆れてしばらく言葉を失ったと言われる。それでも血脇は野口の才能を信じて金貸しの所へ行き、野口の為に再び留学資金を準備した。
血脇さんは後に、「男に惚れてはならぬ」と、息子に語ったそうです。
渡米資金を得るために婚約を交わした斎藤ます子との関係は、渡米後の野口の悩みの種となった。
血脇とやりとりされた手紙の中で幾度もこの件に触れており、斎藤ます子に対し「顔も醜く学がない」旨の評がある。
血脇は破談を薦めるが、野口は自ら破談にする事はなく先方から破談されるよう策していた。
その後、斎藤家から幾度も婚約履行の催促が来るのに対し、野口からは数年は研究で帰国できないと宣言しますが、そ
の一方で欧州への留学資金を数千円要求するという、なかなかの非道っぷりを発揮します。
一途というか、ストーカー気質というか
会津若松の書生時代に6歳年下の女学生・山内ヨネ子に懸想し、幾度も恋文を送る。
しかし女学校校長経由で教会牧師に連絡があり叱責を受ける。
清国に出向く直前には正装し湯島に下宿する山内に会いに行き、また清国より帰国した折には野口と山内の名を刻んだ指輪を贈る
山内はそれを迷惑と感じたようで下宿の主婦に依頼し以降の面会を拒否
のちに山内が結婚した事を知った英世は「夏の夜に飛び去る星、誰か追うものぞ。君よ、快活に世を送り給え」という句を詠んでいます。
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