放送終盤近くに「芸能人が気になったニュース」というコーナーのなかでのこと。ゲストコメンテーターの古市憲寿が「まあ、気になったけど、あんま取り上げたくないのは岡村さんのニュースですよね。
岡村さんの発言、批判するの、すごい簡単じゃないですか。
でも一方で、すごい批判もされていて。法律を犯したわけでもないし、具体的な被害者もいない発言を、過剰にみんなが叩くのもどうかなあと思っていて。難しいニュースだと思うんですけど」と切り出したのだ。
岡村のことは一切批判せずに、批判するほうがおかしいという言い草。しかも、「具体的な被害者がいない」って、古市は個人名を出さなければ「差別」というものが成立しないとでも思っているのか。
この日の『ワイドナショー』もそうだった。岡村発言について否定的に語ったのは「傷つく部分があった」「同調できる女性はたぶんゼロ」と話したファーストサマーウイカくらいのもので
、古市やウエンツ瑛士は水商売や性風俗と貧困を取り巻く構造を改善すべきと微妙に論点をずらした。
古市「まあ、批判がすごい集まるのは、まあ、わかるって言えば、わかるなあというふうに思うんです。ただどんな発言も両面見なきゃいけないなというふうに思ってて。
岡村さんの発言はひどいんだけど、ただ、その発言を聞いて、じゃあいま、ふーぞく行くのやめようと思った人も、多分いると思うんですね。結果的にそれはその、新型コロナの感染をある種、抑止したと思うし。
だからあらゆる発言で、バランス見てみなきゃいけないんだけど、ちょっと過剰に批判が集まって。しかも署名運動も、岡村さんの降板という形で署名が盛り上がりましたよね?
でも本当は岡村さんの降板じゃなくて、働きたくないけどふーぞくで働かざるを得なくなってしまうような、貧しい人に対する支援だとか、
そっちに社会って向かってくると思うんですよ。だから果たして今回の騒動が、どれだけ社会を良くしたかなあってのは、ちょっとわからないなあって僕は思ってます」
ウエンツ「もちろん本当に、その場の空気があって、盛り上げようとした発言だとしても、もちろん配慮が足りなかった発言だと思います。そのなかで、正直、2週間前の話なわけじゃないですか。
で、岡村さんも非を認めて謝罪をして、いま反省をしているという状況で、
そうなったら古市さんがおっしゃったように、ここから先は、
じゃあ、若年層の貧困だったりとか、そういうところに目を当てて、改善していくっていう話に終始しないと、なかなか、岡村さん、岡村さんでは、議論は、
もう、これ以上進まないのかなって気はしてますね」
2人とも「岡村叩きより、構造がー」などと言って、物のわかった論客ぶっているが、これ、ようするに岡村批判批判でしかない。女性差別の構造がわかっていないのは、むしろ古市やウエンツのほうだろう。
古市は「岡村の発言を聞いて、いまふーぞくに行くのを止めようと思った人がいて、感染を抑止した」などと岡村発言を肯定的評価までしておきながら、
「今回の騒動が、どれだけ社会を良くしたかなあ」などと岡村批判をくさす。ウエンツも「正直、2週間前の話なわけじゃないですか」といつまでも岡村批判を引っ張るなと言う。
日本では結局、こうした話のすり替えで政治家やお笑い芸人の女性蔑視発言は追及されることなく、温存されてしまう。その結果、メディアや日本社会で差別は少なくなるどころかどんどんタガが外れている。
あえて言う。テレビやラジオで芸人が看過しがたい女性蔑視発言をしたら、その本質をきちんと批判・検証し、徹底的に抗議の声をあげるべきなのだ。そのことが普通にならないかぎり、この国から女性蔑視がなくなる日は来ない。
https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0517/ltr_200517_4973677156.html