一四九二年、コロンブスが西に向かってアメリカ大陸の西インド諸島に到着し、
同時期、バスコ・ダ・ガマが東に向かってインドに到着してから
欧米列強が、東と西から開国した我が国周辺に現れるまで、約三百五十年を要した。
その三百五十年の間に、アジア・アフリカそして南北アメリカは、ほぼ、欧州のキリスト教国の植民地となっていた。
そして、その彼らの剥き出しの物欲と支配欲をカモフラージュして覆い隠す「大義」は、
アジア、アフリカそして南北アメリカの有色人種つまり未開人を文明化しキリスト教徒にするという
「マニフェスト・デスティニー(神から与えられた摂理)」であった。
即ち、キリスト教は、白人が有色人種を支配することを正当化する宗教として機能し世界史を動かしてきたのだ。
そうであれば、さらに、アジア・アフリカそして南北アメリカにおける白人の「キリスト教による支配」の実態は何かを問わねばならない。
それは、端的に言って、異教徒や有色人種を、人間とみなさないことができる支配である。
つまり、キリスト教とは異教徒を人間とみなさない恐るべき宗教として数百年にわたって
非ヨーロッパ世界に君臨したのである。白人キリスト教徒は、アジア・アフリカにおいて、
原住民を「家畜」として売買し、キツネやウサギの狩りを楽しむように「原住民」の狩りを楽しむことができた。
我々は、オーストラリア政府が、オーストラリアの原住民であるアボリジニを「人間」とみなして人口統計に
入れたのは、実に一九七六年(昭和五十一年)の憲法改正以降であったことを記憶すべきである。
また、キリスト教徒は、欧州においても千年にわたって、隣人を「魔女」や「異端」と決めつけて火あぶりにして殺戮(リンチ・テロ)してきた。
再び言うが、このような恐ろしい宗教があろうか。
以上の通り概観すれば、ローマ帝国が三九二年に、キリスト教を国教としてローマ帝国の支配圏に広げたことは、
二十世紀に至る人類の大惨害の発端であったと言わざるを得ない。
その上で、我が国が、このキリスト教による惨害を免れたことは、ひとえに、キリスト教の本質を直ちに
見抜いて禁令の措置を執った秀吉の決断によるものであることを思い、秀吉の慧眼に感謝し、
この時にこの指導者をもった歴史に誇りをもつべきである。
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