前スレ681 ハゲ先生
両替の過程で庶民はぼったくられていたわけですね
マルコの原文は「すべての民族にとっての」という形容が付いているのですか
だとするとイエス、あるいは少なくともマルコには当初から普遍的な神の神学があったということですね
さて21章ですが、パウロ一行は東地中海廻りでシリアに入り、そこからさらにエルサレムに向かいます
途中、アガボを含む周りの者たちがパウロ捕縛を恐れてエルサレム入りを断念するようパウロを説得しますが
パウロは死を覚悟でエルサレムに入ります
ところがユダヤ人信者は律法に熱心な人が多かったため、割礼をはじめとしたユダヤの律法や慣例に
否定的なパウロをよく思っておらず、パウロは長老たちに従ってきよめを行い宮に入ります
しかしアジアから来たユダヤ人たちがパウロを見かけ、群衆を扇動し、パウロはボコボコにされます
そこに守備隊の千卒長が割って入り、保護(捕縛)される形で群衆から引き離されます
この章はパウロが千卒長に願って民衆に話をしようというところで終わってますね
この章に関しては疑問点がいくつかありますが手短にいきます
まず8節の「かの七人の一人」という七人は配給係の七人のことでしょうか?
また9節ではピリポの四人の娘がわざわざ処女と書かれていますが、これは未婚の別表現なのでしょうか?
18節の長老たちとはどこの長老たちになるのでしょう?複数であることから単にエルサレム教会だけでなく
周辺の町々の教会から会議かなにかでエルサレムに集まった長老たちってことでしょうか?
21節ではパウロは異邦人ではなくユダヤ人に対しても割礼の否定しているようですが、前の方の章で
ギリシャ人であるテモテに対してすらユダヤ人の手前、割礼を割礼を受けさせています
どちらが実像に近いのでしょうか?
24節で「頭を剃る」と書いてありますが、これはどのような宗教的意味を持っているのでしょうか?
最後に40節でパウロはヘブル語で話しだした、とありますが、民衆にヘブル語は通じだのでしょうか?
当時の民衆はアラム語しか話せなかったと思っていましたが
質問が多いので、分かるところだけでもお答えいただければと思います
熱はひいたみたいで、良かったです
ご苦労さまでした
>>2
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は使徒第22章です
8節のフィリポス(ピリポ)は、ステファノス死後のヘレニストの代表者ですね
原文ではευαγγελιστουとあるので「伝道者」というより「福音宣教者」ですね
パウロがカイサリアでヘレニスト最高指導者の知己を得たということです。
9節、原文直訳 「で、この者に娘らが、四人が、パルテノイが、予言する者らがいた。」
パルテノイは、パルテノス乙女の複数形ですので、
原文ではフィリポスに、娘らが四人いて、全員未婚で予言をする者であった、とある
だけですがパルテノス乙女は母マリアの関係でキリスト教は意地になって「処女」と
訳する語なので「処女」と訳されています。
護教家で、処女マリアをルカで支持する田川建三ですら、ここを「結婚せず」と訳して
います。フランシスコ会訳も、この個所は「処女」ではなく「未婚」と訳出しています。
21節長老たち。12使徒伝説などを使徒行伝は書いていますが、この時点で
エルサレム教会の最高指導者はヤコブで、幹部が長老たちだったわけです。
12使徒はそこにいません。これが現実のエルサレム教会です。 >>2
パウロ自身は、柔軟というかいきあったりばったりです。
本筋では異邦人に割礼をする必要はないという立場ですが、
交渉を有利に進める場合は便宜的にテモテに割礼を施します。
ただここでは誤解があります。
パウロの立場は「異邦人=無割礼 ユダヤ人=割礼」という立場ですが
反パウロの者らがエルサレム教会に
「パウロが外国に住むユダヤ人に割礼するなと指導している」という告げ口を
していた。それでエルサレム教会は「きよめ式」を行いなさい。それで律法に
忠実であると証ししなさいと勧めます。
というのは異邦人の間にいたユダヤ人は汚れているので「きよめ式」をしないと
いけなかったからです。
しかしこれはユダヤ人たちから律法破壊者として敵視されたパウロを目立つ神殿に
登場させる危険な行為です。裏でエルサレム教会がユダヤ右派にパウロを売った
可能性すらあるほどのヤバいことです。結局発見されて逮捕されるわけです。
24節で「頭を剃る」は、民数記6;4のナジル人の誓願ですね
6:5また、ナジルびとたる誓願を立てている間は、
すべて、かみそりを頭に当ててはならない。
身を主に聖別した日数の満ちるまで、
彼は聖なるものであるから、髪の毛をのばしておかなければならない。 >>2
>40節でパウロはヘブル語で話しだした、
田川建三に拠ると、ルカ使徒は、ヘブライ語とアラム語との区別がついてないだけ
なので、ルカ使徒がヘブライ語と書いている場合、実際はアラム語であることが
多いとのことです。
岩波委員会訳註
表記通り訳しておいたが、実際はアラム語であろう。BC8Cの終わりにはイスラエルの
一般民衆は国際語であるアラム語をまだ理解しなかったが、捕囚後BC5Cなかばには
むしろヘブライ語を解しなくなっていたようである
新共同訳略解
≪ヘブライ語≫、つまり「アラム語」で話し始める。
略解は端折り過ぎだが、つまりそういうことです >>5
1.パウロの伝道手法は、地中海諸都市にあるユダヤ教シナゴーグに入って
キリスト教を宣教するというパターンです。
いわばキリスト教の教会にオウム真理教徒がやって来て布教するようなものです
2.しかもこの手法でせっかくシナゴーグに集っていた異邦人をキリスト教に
取られてしまっていてユダヤ教から恨みを買っていたわけです
ユダヤ教だと割礼が信徒になる条件ですが、パウロのキリスト教では無割礼でOk
楽なので人がキリスト教に流れたわけです
3.それでエルサレム教会に登るというパウロを信者たちがきつく止めるわけです
予言者まで出て止めるわけですが、誰の目にも危険だと明瞭だったからです
4.しかしパウロはエルサレム教会へ諸教会から献金を集めて持参するという約束を
果たそうと鼻息が荒いわけです。まったく耳を貸しません
5.エルサレム教会は、パウロが来て大迷惑です。エルサレム教会の方針は
ユダヤ教とうまくやっていくことです。神殿に熱心な義人ヤコブはユダヤ人から
尊敬されていたほどです。そこにパウロが来ると困るわけです。
6.そこで、献金を集めて持参したパウロに提案をします。志願者四人のために
金をだしてやりなさい、と。
7.そして裏でユダヤ教右派に通報してパウロを売る訳です
あるいは逮捕されても擁護などは一切せず見捨てるわけです
パウロとしては誠意を示す献金持参だったのでしょうが、大迷惑だったわけですね
なにせエルサレム教会はユダヤ教のただ中でいきているわけですので ぬつとのへせてろさほるおえむをまみそみやいすあろつさときよきるとそいるね
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そなふよれめあよりろきおきもをひもねもわかかきえまくくうをこけぬとのやかもまおほかねしはきさり
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れそまかんなおゆけいまししりたせもんかひもりゆおたまこもわよまいたうすよわあふわねせるをむつえなんぬうめすうみ
れちよたりかまぬへりほひたすよひくあひちはねんわや
をいみろゆさせんくけうへりにほめけてれのふれはくおもいりこちねほと
しめほえすのんえれみつつのこをんのよてへふへぬへつゆたろしううらあんれせぬらあやぬかとかゆうふせまはくろ
りえへるひりゆめこなれせろとめほすうぬよんたこなになおもひれあたよあたはのめおきくよあそ
えうをりねはてゆつさつにぬへほしねねえゆみまうきらろこきよみんてすらえみわてをみこへらしむよみらたいくのと
くいすろたてすなえへるもけるすてもたこゆれひふむきみまみかえらをりちむうをせ
すかはたきたをさうみよらふはぬるろにねやにちときくややしあにまか
のたへれふふらのはのうへにもえまてつゆせれりせとほゆゆをり
あけをんやろふらたらそちえよかもるねをたろらりけとやしきあいみをいしそいわかちも
つわあむかちわれさえんしきふいわしわおよあれしひえむなめいしふをにちろれしきやろさゆゆはおやく
のきまえこめむなんないほつせはさへつもわえたひしえしにたかをちこうひてしん
ねえわまくてめせふつわみてあこえよつやのらそんくやほよよそいくうおひをにろはぬにあれらりみをくもてぬそよほた
のわつとけさたくるにむれらくのはそしてしみほとあおいまひへてらのとえらねにへのやしれも
ルカ8:2
καὶ γυναῖκές τινες αἳ ἦσαν τεθεραπευμέναι
ἀπὸ πνευμάτων πονηρῶν καὶ ἀσθενειῶν,
Μαρία ἡ καλουμένη Μαγδαληνή,
ἀφ’ ἧς δαιμόνια ἑπτὰ ἐξεληλύθει,
καὶ γυναῖκές τινες 接+女複主格+〃 そして+女性らが+何人かが
αἳ ἦσαν τεθεραπευμέναι 女複主格+三複未完+完分受女複主格 ~ところの+彼女らは~いた+癒されいた
ἀπὸ πνευμάτων πονηρῶν 前+中複属格+〃 ~から+諸霊+悪い
καὶ ἀσθενειῶν, 接+女複属格 そして+病気ら
Μαρία ἡ καλουμένη 女単主格+冠・現分受女単主格 マリア+呼ばれる者
Μαγδαληνή, 女単主格 マグダレーネーが
ἀφ’ ἧς 前+女単属格 ~から+彼女
δαιμόνια ἑπτὰ 中複主格+数詞無変 神霊らが+七つが
ἐξεληλύθει,三単過完 彼は出て行った
スロージューサー訳
そして悪い諸霊そして病気から癒された何人かの女性らがいた。
七つの神霊らが彼女から出て行ったマグダレーネーと呼ばれるマリア、
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-2.htm >>4-6
詳しい説明、ありがとうございます
ピリポはステパノの後継ってことですね
処女の原語はパルテノス(パルテノイ)で乙女(若い未婚女性)なのに
教義的にマリアに合わせて、ここでも処女と訳されているわけですね
長老たちは各教会の長ということではなく、エルサレム教会の幹部たちってことですね
パウロの基本筋は異邦人割礼否定、ユダヤ人割礼肯定、ただし臨機応変で
ここではユダヤ人割礼否定と噂を流されたので「きよめ式」を行い律法への忠実さを証すということですね
「きよめ式」はパウロが異邦人の間に長くいたためにその「汚れ」を払う意味があったということですか
ただしパウロを目立つ神殿に立たせることになるのでエルサレム教会の陰謀の可能性もある、と
「頭を剃る」はナジル人の請願ということですね
「ヘブル語」の件はルカがヘブル語とアラム語を区別できていないだけで、実際はアラム語だったであろう、と
>>7
なるほど、先生の説明でパウロとエルサレム教会の確執の背景がよく分かりました
要はパウロの宣教は、シナゴーグに入ってユダヤ教に改宗する見込みのあった異邦人を
割礼免除を餌にかっさらうようなもので、各地のユダヤ人に反感を買ったわけですね
エルサレム教会はユダヤ教の本山みたいなもので、ヤコブはそれゆえユダヤ教とうまくやっていかなければ
ならなかったのに、パウロが来てユダヤ教と対立してしまったら迷惑千万ってことになるわけですね
さて22章ですが21章末の続きで、パウロが民衆に語りかけるところですね
パウロは熱心なパリサイ派であった過去から、いわゆる「パウロの回心」を経て異邦人伝道に赴いた経緯を
語りますが、群衆はブーイングの嵐です
ここで群衆がブーイングした一番の理由はなんでしょうか?21節の主の命による異邦人伝道ってところでしょうか?
24節以下では千卒長がブーイングの理由を聞くためにパウロの拷問しようとしますが
パウロはここでまたまた伝家の宝刀、ローマ市民権を出します
ということで場面は次章の祭司長たちとの議会に移行するわけですね >>230
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は使徒第23章です
新共同訳略解によりますと、史実のパウロは回心後すぐにエルサレムに上ることはなく
アラビアに退き、次にダマスコに戻り、回心三年後にエルサレムに上る(ガラ1:16-18)
使徒行伝物語では、ダマスコで回心後、すぐにエルサレム神殿に入ります。
そして神殿で祈り恍惚状態になって主イエースースに会います。ダマスコでは声を聴いた
だけで霊的に主イエースースに実際に会ったのはエルサレム神殿でという設定になっています。
そしてその主イエースースがパウロに18節で語ります
『急いで、すぐにエルサレムを出て行きなさい。
わたしについてのあなたのあかしを、人々が受けいれないから』と。
つまりユダヤ人の福音拒否と異邦人伝道命令は、既に神殿において主イエースースの勅命なのです。
「群衆がブーイングした一番の理由」は
1.設定では、主イエースースにより予測されていました
2.パウロは、ヘブライ語(アラム語)で語り、律法に忠実な者であることを立証
3.しかもガマリエルという最高レベルの師匠の弟子であると最高学識を披歴
4.加えて熱心なキリスト教迫害者であったことも自白し行動においても熱心さを証明
5.がその自分が間違っていた。エルサレム神殿で主イエースースから真実を知らされた
と主張
したわけです。つまりあなたたちは回心前の私と同じく間違っていると主張している
ので怒りを買ったわけですが、ユダヤ人からすると麻原彰晃のような犯罪者のイエースースが
自分たちの聖なる神殿に現れてパウロに会ったという話は赦しがたかったのかもですね 小鍛治さん、重ね重ね代理投稿をありがとうございます
ふふへにゆむすつひのもしあえそなをちなすぬよゆこんかたぬそひすぬしまとされよまそにむちちまぬまこそ
るてひこんなつちゆみろすのけなのくくすくそるこしけいみるからとまに
[Φ|(|´|Д|`|)|Φ]
🍌"
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∞ノノハ∞|
川川川ハレ波平ホレホレ♪www
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c(,,O__つ
ヤンキー麦よ、贋農家の五智をここへ連れて来い。
今日のお昼にバナナを頂いたところだ
ルカ8:3
καὶ Ἰωάννα γυνὴ Χουζᾶ ἐπιτρόπου Ἡρῴδου
καὶ Σουσάννα καὶ ἕτεραι πολλαί,
αἵτινες διηκόνουν αὐτοῖς ἐκ τῶν ὑπαρχόντων αὐταῖς.
καὶ Ἰωάννα γυνὴ 接+女単主格+〃 そして+イオーアンナ+女
Χουζᾶ ἐπιτρόπου Ἡρῴδου 男単属格+〃+〃 クーザスの+執事の+ヘローデースの
καὶ Σουσάννα 接+女単主格 そして+スーサンナ
καὶ ἕτεραι πολλαί, 接+女複主格+〃 そして+他の女たち+大勢の
αἵτινες διηκόνουν αὐτοῖς 女複主格+三複未完+男複与格 彼女たちは+仕えていた+彼らに
ἐκ τῶν ὑπαρχόντων αὐταῖς. 前+冠・現分中複属格+女複与格 ~から+与格の所有に属する+彼女らに
スロージューサー訳
そしてヘローデースの執事クーザスの女イオーアンナ、
そしてスーサンナ、他の大勢の女性たちである。
彼女たちは自分の所有物で彼らに仕えていた。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-3.htm >>231
なるほどパウロが熱心なユダヤ教徒であることを力説すればするほど
パウロの回心はそのユダヤ教、つまりユダヤ人が間違っていることを印象づけることになるため
群衆は激怒したというわけですね
特にその「元凶」であるイエスが本山である神殿に現れたと言われれば酷い冒涜のように映ったのでしょうね
さて23章ですが、22章に続き、今度は議会でのパウロと祭司や律法学者との対決です
まずパウロは大祭司アナニヤとバトりますが、5節でパウロはアナニヤを大祭司だとは知らなかったと述べています
元々率先してクリスチャンを迫害していたパウロですからアナニヤが大祭司であることを知らなかったとは
考えられないので、これはパウロの皮肉ということでしょうか?
6節では議員のなかにパリサイ派とサドカイ派がいるのを見て取ったパウロは、パリサイ派の信仰である
復活を持ち出して、それゆえに裁かれていると油を注ぎます
当然パリサイ派とサドカイ派は正面からぶつかることになり議員の間に分裂が生じます
これはパウロとしては、してやったりというところでしょうか
夜が明けると40人ほどのユダヤ人がパウロ暗殺計画を立てこれに加わります
それを聞き知ったパウロの姉妹の子がこれをパウロに知らせ、この若者を千卒長に引き合わせて
陰謀をチクらせます
ということで暗殺計画は千卒長に露呈してしまい、暗殺は未然に防がれます
パウロはカイザリヤにいる総督のところに連れて行かれ、そこで審判を受けることになります
イエスのときのピラト同様、ここでも千卒長はパウロに罪を見出さずパウロを保護するように動きます
このあたり一貫して福音書・使徒行伝はローマ人を好意的に描いているようです
このへんはやはり権威と権力を持つローマ側がイエスやパウロを正しく判断していると描くことによって
ユダヤ人側の非を強調しようとする意図があったのでしょうか? >>240
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は使徒第24章です
アナニヤ(原文アナニアス)という名前はユダヤに多く、4:6大祭司アンナスと
ユダヤ名は同じです。つまり大司祭アンナスは大勢いたのです。で、この23:2の
大祭司アナニアスは在位47-59年です。相当の悪人だったようで、第一次ユダヤ戦争で
蜂起した群衆によって、退位していたにもかかわらず虐殺されてしまった人です。
民衆の恨み買っている大悪党の大祭司アナニアスに対して、パウロは
ラビ文章『ミシュナ』から「神があなたを打つであろう」という呪句を投げた通り
大祭司アナニアスが蜂起した民衆より打ち殺されたわけです。
さてパウロがそんな超悪党の大祭司アナニアスを知らないはずはありません。皮肉です。
が、フランシスコ会訳註は皮肉説を紹介しつつ、知らなかった説。
新共同訳略解は「知らなかったとは奇妙である」との見解。
そして略解は彼は大祭司職を汚した人物であった。
『古代誌』曰く「祭司たちの取り分の1/10税を着服」
『戦記』曰く「66年、ユダヤ戦争が勃発したとき、暴徒に殺された」 >>240
客観的事実としてローマ法からすると
「23:29ところが、彼はユダヤ人の律法の問題で訴えられたものであり、
なんら死刑または投獄に当る罪のないことがわかりました。 」
と言う事だと思います。
そもそもが無割礼者問題です。
ユダヤからすれば、無割礼者と霊的に交流するのはNGですが、ローマではどーでも
よいことです。
現代キリスト教も、未受洗者を頑なに陪餐させません。
『聖餐』という霊的交わりの場に未受洗者を招いた教職を首にしたりしています。
それと同クオリティのタブーをパウロが積極的に犯し、その横紙破りが
キリスト教の本道となったのですが、キリスト教は割礼の代りに洗礼という儀礼を
入信儀式として位置づけ未受洗者には断固陪餐させないという現代版の迫害を繰り返しているのです ルカ8:4
Συνιόντος δὲ ὄχλου πολλοῦ
καὶ τῶν κατὰ πόλιν ἐπιπορευομένων πρὸς αὐτὸν
εἶπεν διὰ παραβολῆς.
Συνιόντος δὲ 現分男単属格+接 一緒に行く 集まる
ὄχλου πολλοῦ 男単属格+〃 群衆の+多くの
καὶ τῶν κατὰ πόλιν 接+男複属格+前+女単対格 そして+彼らの+~ごとに+都市
ἐπιπορευομένων πρὸς αὐτὸν 現分男複属格+前+男単対格 やって来て+~に向かって+彼を
εἶπεν διὰ παραβολῆς.三単二過+前+女単属格 彼は言った+~介して+譬え
スロージューサー訳
多くの群衆が集まって来た。
そして彼らは都市ごとに彼に向ってやってきた。
彼は譬えを介して言った。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-4.htm >>241
大祭司アナニヤは実際に相当な悪人だったんですね
やはりパウロがアナニヤを知らないはずはなく皮肉と取るのが妥当だと
>>242
ローマ法上、千卒長の言っていることは筋が通っていておかしいことはないってことですね
聖餐ではありませんが、わたしも昔母親の知人が運営している教会に
なかば無理やり通わされたことがありますが、そこの信徒たちのわたしに対する反応は様々でした
会合のあと、一緒に食事をするのですが、わたしとしても信者でもないのにともに食事をすることが
場違いだと感じましたが、信徒の側にも非信徒が教会の食事に参加していることをあまりよく思っていない
人もいました
ほとんどの人は親切で会合が終わると家まで来るまで送ってくれる人すらいたのですが
敵対心を顕にするひともいましたね
共通の信仰の集いにその信仰を共有しない異分子が入るのを快く思わない人がいるのは理解できます
ただキリスト教は宣教の宗教であり、隣人愛に基づいて人と交わる宗教でもあるので
少なくとも未受洗であっても信仰に興味を持っている人を排除するのはどうなのかとは思いますね
さて24章ですが、ペリクス総督の前での審理に移ります
ユダヤ人側の弁護人テルトロが、パウロは世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こし、異端の頭であり
宮を汚そうとしていたので捕縛したのだ、と訴えます
対してパウロは争論をしたり群衆を扇動したりしたことはないと反論しますが、異端だとされる道に
従っていることは認めます
ペリクスは千卒長が来るのを待ってから判決を下す旨を告げ、パウロはそれまで監禁されることになります
22節でペリクスはこの道のことを相当わきまえていた、と書いてあるので、パウロらが主張するキリスト教に
ついてはそれなりに知っていたのでしょう
ところが25節でパウロから正義、節制、未来の審判の話を聞くと不安を感じたとあるので
キリスト教に共感していたわけではないことは分かります
26節に「パウロから金をもらいたい下ごころがあったので」と書いてあるので
正義、節制、未来の審判の話が心に刺さって不安になったのかもしれませんね >>244
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は使徒第25章です。
◆弁護人テルトロ
弁護人と訳されている語は ρητωρレート―ルですが、「語り手」が原義です。
エルサレムから大司祭が外国にやって来て直に総督に訴えでているのですから
形式としては大司祭が総督に訴えるのですが、大司祭は共通語のコイネーを
知ってはいたでしょうが流暢としいうわけにはいかないので「通訳」としての
「語り手」を雇用したということですね。弁護人というの近代からの誤訳ですね
■訴状の論点 フランシスコ会訳註によると
1.世界中でユダヤ人の間に紛争を引き起こしている
2.異端ナザレ派の首謀者
3.エルサレム神殿を穢そうとした
1は、地中海世界の各都市のユダヤ教シナゴーグに入って、キリスト教だと
無割礼で永遠の命だよと勧誘していたのですからトラブルになるのは必然ですし
ユダヤ人が怒るのは当然です。
が、パウろはこれを認めません。逆にパリサイ派たる者は復活を信じているのであ
るから、キリスト教に希望を持って当然だと開き直ってます
2.は仰せの通りナザレ派を自認し復活の希望を語ります
3.は、エルサレム神殿を荒らしていたのではなく、慣例に従って「きよめ儀式」を
していた。他の四人の分まで出してやったと正当な反論をします >>244
■22節でペリクスはこの道のことを相当わきまえていた
ペリクスの妻がユダヤ人であったので、使徒行伝はこう書いているが、実際は
知らなかったでしょう。
フランシスコ会訳註は、詳しく知っていたという立場。
田川建三はおべんちゃという解釈。
■26節に「パウロから金をもらいたい下ごころがあったので」
田川建三によると、こういう表現は露骨に賄賂を要求したということである
ローマ法によると、無罪なのでこういう場合は賄賂を要求して釈放というのが
一般的である。市民権を保有しているのだから金持ちなのだから、と。
フランシスコ会訳註によると二年間裁判にかけられず牢屋に入れられた囚人は
釈放されることになっていた、とのことなので、期限ぎりぎりまでパウロを
呼び出しては賄賂を要求したがパウロが支払わないので二年間が経とうしていた
のかもですね
まあパウロは諸教会から献金分の大金を保有しているはずなので
(四人のきよめ儀式の残額)、なぜパウロかその仲間が賄賂を支払わなかったか
謎ですが 福音伝道さん魚さんがここに書こうとすると こうなるみたいです
645 名前:サイレント五智 2022/03/25(金) 07:48:19.84 ID:WVEiaDaP
>>642
書こうとすると、Not foundだぞwww
書けないwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www 文字列の荒らしって全体荒らしてるふりしながら落としたいスレを落としてただけみたいだよな
のうのうとここは継続してあるようだし
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ麦はスマホだからね
PCだとURLが違って書き込めないのかなぁ
知らんわwww
小鍛治たん乙おっお~♪
>>250
ありがとうございます
>>251
ヤンキーなのにスマホなんてあるの?
文明の利器だぞ、生意気な 831サイレント五智2022/03/25(金) 17:49:54.00ID:WVEiaDaP
今日は風も無くのほほんとした良い日だったwww
昔胡椒の根が出たのでポット植えしたwww
なんとか自分で苗を作らなければwww
ふあとろステーキなすも芽出ししてるwww
ふあとろステーキなすは本当に美味いwww
今年もアホアホマン福音に負けんのじゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www
↑
俺に勝ったことないやろ。
苗を作るってバカか? 買えばよいやろ
俺はふわトロナス1苗だが、150本は収穫する
君は種を蒔き苗作っても1苗から30本レベルやろ
俺は種を蒔いたのは
枝豆とスィートコーンや どちらも順調や 芽が出た
じゃがいもはアンデレスレッドが半分発芽。
いんかのめざめは早生やのに、まったく動きなし。腐っとるのか
怠慢なのか。。。困ったものや
五智仏陀のところはまだ雪が積もっているんやろ
こつちは桜が八分咲きやで
畑でも菜花とそら豆が満開 エンドウが咲き始めやで
五智仏陀はなんでも遅すぎや もう春やで
去年も収穫スピードでスィートコーンでは二か月ほど俺の勝ちだつたしな
ブルーベリーもピンクレモネードが咲き乱れとるわ
五智仏陀のところはまだまだやろ
やっぱりダメみたいです・・・
840サイレント五智2022/03/25(金) 18:28:24.97ID:WVEiaDaP
>>839
ダメwww
書込み中・・・
書込みに失敗した模様
HTTP/1.1 404 Not Found
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>259
いろいろありがとうごさせいます
したらば掲示板は書き込めんですたい _
/ノ 0ヽ
__L __|__
U ´・ェ・`)
_, ‐'´ \ / `ー、_
/ ' ̄`Y´ ̄`Y´ ̄`レ⌒ヽ
{ 、 ノ、 | _,,ム,_ ノl
'い ヾ`ー~'´ ̄__っ八 ノ
\ヽ、 ー / ー 〉
\`ヽ-‐'´ ̄`冖ー-/
ノ ヾ ,, ''";l
ルカ8:5
ἐξῆλθεν ὁ σπείρων τοῦ σπεῖραι τὸν σπόρον αὐτοῦ.
καὶ ἐν τῷ σπείρειν αὐτὸν ὃ μὲν ἔπεσεν παρὰ τὴν ὁδὸν καὶ κατεπατήθη,
καὶ τὰ πετεινὰ τοῦ οὐρανοῦ κατέφαγεν αὐτό.
ἐξῆλθεν ὁ σπείρων τοῦ σπεῖραι τὸν σπόρον αὐτοῦ.
καὶ ἐν τῷ σπείρειν αὐτὸν ὃ μὲν ἔπεσεν παρὰ τὴν ὁδὸν καὶ κατεπατήθη,
καὶ τὰ πετεινὰ τοῦ οὐρανοῦ κατέφαγεν αὐτό.
ἐξῆλθεν 三単二過 彼は出て来た
ὁ σπείρων τοῦ σπεῖραι 冠・男単主格+冠中単属格・過不定 種蒔く人が+蒔くために
τὸν σπόρον αὐτοῦ.冠・男単対格+男単属格 蒔かれた種を+彼の
καὶ ἐν τῷ σπείρειν αὐτὸν 接+前+冠・現不定+男単対格 そして+~のうちに+蒔いている+彼を
ὃ μὲν ἔπεσεν 男単主格+小辞+三単二過 それは+一方は+それは落ちた
παρὰ τὴν ὁδὸν 前+冠・女単対格 ~に沿って+道
καὶ κατεπατήθη,接+三単過受 そして+それは踏みつけられた
καὶ τὰ πετεινὰ τοῦ οὐρανοῦ 接+冠・中複主格+冠・男単属格 そして+飛ぶものらが+天の
κατέφαγεν αὐτό.三単二過+中単対格 彼は食べ尽くした+それを
スロージューサー訳
蒔く者が彼の蒔くものを蒔くために出て来た。
そしてそれを蒔いているうちに、一方でそれは道の傍らに落ちた。
そしてそれは踏みつけられた。そして天を飛ぶものらがそれを食べ尽くした。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-5.htm 631きょ ◆lMLapQfaCI 2022/03/25(金) 22:13:17.24ID:0bj53nyX0
イライラする。ゲームやりすぎか?
632きょ ◆lMLapQfaCI 2022/03/25(金) 22:24:20.59ID:0bj53nyX0
食べたら、やや、収まった。、
http://2chb.net/r/operate/1647446953/l50
きょ先生は引退しとらん。
アクキン中やで >>245
テルトロは原語から考えると通訳に近いってことですね
訴状の論点については
1.は事実として紛争を起こしている、3.は神殿を汚していたのではなくあくまでも清め式だった、ということですね
>>246
ペリクスがキリスト教(ナザレ派の信仰)を知っていたかどうかは確定できないが
先生的には知らなかったであろうという解釈ですね
下心については、なぜ下心が分かるのかと思ってましたが、田川氏によると
このような表現をするときには実際に賄賂を要求した、ということですね
さて25章ですが、2年が経ち総督がフェストに交代してからの経緯が書かれています
フェストはエルサレムに行った時にユダヤ人たちからパウロをエルサレムに呼び出すよう懇願されますが
逆にユダヤ人たちをカイザリヤに連れていき、そこでパウロと対決させます
パウロは潔白を主張し、フェストはユダヤ人の歓心を買うためにパウロにエルサレムでの裁判を勧めますが
パウロはそれを拒否しカイザルに上訴します
数日後、アグリッパ王とベルニケがカイザリヤに来ると、フェストはこれまでの経緯を説明します
フェストはパウロの問題は彼ら自身の信仰の問題であって罪と認められるようなものはないと言います
アグリッパはパウロの言い分を聞いてみたいと申し出、翌日対面しますが、ここでもフェストは
パウロに死に当たる罪はないと述べますが、カイザルへの上訴に際して告訴に足る材料がないので
アグリッパに取り調べの上その材料を得る意図を示します
16節にあるように法を重んじるローマ人を間にはさんで裁判が行われたことが
パウロの暗殺を未然に防いだ形になっていますが、裁判の論点とは別に
実際にユダヤ人たちが暗殺を企てていたのかはルカがそう書いているだけなので
証拠がないように思われます
実際のところは、どうだったのでしょうか? >>267
atheistくん、おはようございます。
本日と明日の聖句はマルコ14:3-9とヨハネ12:1-11です
ユダヤ人たちは実際にパウロを殺そうとしていたのだと思います。
ただ暗殺ではなくて、正式にエルサレムで裁判にかけて有罪にしたかったのだと
思います。
だがパウロはローマ法に守られている。その中で過激な連中が護送中に暗殺して
しまえということはあったのかもですね。
この件に介して田川、フランシスコ会訳註、岩波委員会訳、新共同訳略解は史実か
どうかについて言及なしです。
ハーパー注解は、ルカのいくつかの意図に沿った展開になっていると物語性を指摘
しています。二年経ってもパウロの敵のエルサレムのユダヤ人たちの殺意は衰えて
いないどころか、ユダヤ人全体に広がっている。断食の誓いが二年継続していたので
あろうと推定します。その上でパウロの上告によってパウロが最後にローマに到着
する状況を描いている、と。カイサリアで裁判していれば無罪であったのに、上告
してしまったのはローマに至るためであった、と。 モスクワ総主教の軍関連部門はソーシャルメディアに、
ウクライナのハリコフ(Kharkiv)州から約2キロに位置する
ロシアのベルゴロド(Belgorod)州ジュラブリョフカ(Zhuravlyovka)村で
活動していたオレグ・アルチョーモフ(Oleg Artyomov)氏が
ウクライナのロケット弾で死亡したと投稿した。
>>268
暗殺はなかったとしても宗教裁判で有罪にしたかったということですね
イエスのときは死刑にできないという理由でピラトに訴えましたが
ステパノのときはそのまま石打にしてしまいました
パウロもステパノパターンで殺そうと考えていたという感じですかね
今日ははマルコとヨハネふたつですね
また夜に感想を書きます >>270
使徒行伝の物語ではパウロの敵のユダや側を悪く描きたかった。
というのがありますが、殺したかったのは事実であると思います。
そもそも回心前のパウロが「道の者」を摘発し殺すことに賛成していたのです。
パウロは「道の者」の中でもとりわけ地中海核都市のシナゴーグに入って
キリスト教を布教していたわけですから、トップクラスに目障りだったはずです。 ルカ8:6
καὶ ἕτερον κατέπεσεν ἐπὶ τὴν πέτραν,
καὶ φυὲν ἐξηράνθη διὰ τὸ μὴ ἔχειν ἰκμάδα.
καὶ ἕτερον κατέπεσεν 接+中単対格+三単二過 そして+他のものをそれは落ちた
ἐπὶ τὴν πέτραν, 前+冠・女単対格 ~の上に+岩の
καὶ φυὲν 接+二過分受中単主格 そして+生え出た時
ἐξηράνθη 三単過受 それはしなびた
διὰ τὸ μὴ ἔχειν ἰκμάδα.前+冠中単対格・否定+現不定+女単対格
~の理由で+持たない+水気を
スロージューサー訳
そして他のものは岩の上に落ちた。
そして生え出た時に、水気を持たなかったために、それはしなびた。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-6.htm ヒマ人さん。誘導ありがとうございます。
ここに、移ります。、
将棋は、やめ、囲碁に、切り替えます。将棋は、貧乏ゲーなので。
明日、初心者向けの詰碁と手筋の本、買います。これを、3回、繰り返します。(上達
スレのアドバイスどうり)
将棋は、プロ級ほど、やった。
囲碁は、もう、ゆっくり、やる。、
いやー。将棋、もう一段、「深く」やった方が、いいかな?
将棋は、普通、貧乏に、なるが、オレは、「晩成の花」なので、貧乏に、ならないと。
こっちか。、
「女から、もらえる」らしいし、もう、オレ、合格。
ゆっくり、しとく。
(ヒーローワーズは、まだ、メンバー弱い。課金したい。)
疲れたので、夜、コンビニに、行ってた。
次代の王・久ヒト君みたいなのに、会えた。
ま、ええか。夜食補給も、できたし。、
>>271
熱心なパリサイ派であったパウロがイエス信仰者の殺害に賛同していたということは
同様に熱心なユダヤ教徒もイエス信仰者に「寝返った」パウロの殺害を企図したとしても
不思議はないわけですね
さてマルコとヨハネはイエス受難前の香油注ぎの箇所ですね
以前先生が言われていたとおり、この箇所に関してはヨハネのほうがはるかに詳しく記述されています
マルコではらい病人シモンの家となっていますが、ヨハネではラザロの家になっています
また香油を注いだ女とそれを非難した人もマルコでは特定されていないのに対し
ヨハネでははっきりとラザロの姉妹マリアとイスカリオテのユダと特定されています
細かいところでは、マルコの香油注ぎが頭であるのに対し、ヨハネでは足になっており、かつマリアが
自分の髪の毛でそれを拭ったことになっています
詳しいからと言って史実である証拠になるわけではないですが
マルコは明らかに伝聞で記述しているのに対し、ヨハネは直接見聞きしたような書き方になってますね
しかし疑問があります
ヨハネの記述が史実に近いとすると、同じく弟子たちが直接見聞きしたはずのラザロの復活
あるいはそのように思わせるような「極めて劇的な」出来事が、なぜヨハネだけに記述されて
他の福音書には記述されていないのでしょうか?
仮にそれほど劇的な出来事であれば、復活が事実であるかどうかを問わず
少なくともイエスのフォロアーたちに共有され信じられていたはずの出来事なわけですから
他の福音書に記述があって然るべきであるように思われます
ということは香油注ぎやラザロの復活を含むヨハネの記述は史実であるよりも
共観福音書とは別系統の伝承に基づいている、と考えたほうが妥当ということにはなりませんか? >>288
atheistくん、おはようございます。明日の聖句は使徒第26章です。
ベタニア塗油を、共観福音書及びヨハネ福音書の四福音書が伝承しています。
マルコがまず伝承し、ルカは自分の神学から罪の女を導入し「罪人の赦し」という
ドグマ化を図ってますが、マルコでは神に香油を注いだことになっていますが、
ルカとヨハネは足に香油を髪で塗ったことになっています。マルコ伝承以外の伝承が
あり、ルカとヨハネはそちらを採用したと思われます。
つまり、マルコが核にはなっていますが、他の伝承もあった。
マタイとルカが更にドグマを付け加えたように、ヨハネもマルコをコアとしながら
他の伝承や独自資料やドグマを増し加えているわけです。
で、ベタニアに詳しいヨハネは、香油をイエースースの髪に注いだのではなくて
マリアが自分の頭でイエースースの足に塗ったと正確に伝えているわけです。
一方ですべてヨハネが正しいわけではなくて、ラザロの復活は、ヨハネのドグマな
わけです。これを史実と我々が信ずる理由があるでしょうか。
そもそもヨハネでは「神の栄光」のためにラザロは病気になっていたと記されています
イエースースの奇跡劇によって癒されるためです。
しかもイエースースは霊的な治癒能力がありながらラザロの病気を聴いても出発せず
死ぬまで待ってから向かうのですからいやはや。
ともかくクリストスの語源である「油塗られた者」がベタニアのマリアによって
実現したようです。 足は、ほぼ、治った。対ぴよ将棋2級、勝ち。
もう、将棋は、やるけど、少なく。
Sラーも、忙しいしな。、
春だからいろいろ忙しいわな
俺も今から畑や。
一区画を3末で返上するのでお片付けや。
そしてもう一区画を5末で返還するが、その前に4月から別の1区画をする
4-2+1区画で今年は3区画体制や。
新区画を俺流の区画に整備するのに、これまた時間がかかるな
薬、薄くなったので、さっき、しばふの上の落ち葉掃きやった。
多少は、手伝えるように、なった。やや、後、腕とか疲れ。、
Sラー、今日も、休み。なんか、用事かな?
まあ、明日、会える。、
3/末返却区画の後片付け、ほぼ完了。
2016年から6年間ありがとう。
10kgクラスの大玉スイカを毎年感謝である。
「ウチの人も、まだまだ子どもね。」(マンガより)
このまえ、銀星詰将棋の難問、42問目、詰ましたよ。
3手目の閃いた手が、正解で、詰めることができた。良かった。、
あかん。小松菜も当立ちしてた
どうしたら書き込めるの? もう、将棋も、他も、レベルアップせん。
のほほんと、暮らす。、
PM4時ごろ、食パン買いにいくと、Sラー、客で、いて、S東さん娘といた。
「彼」だって。(オレが)
ルカ8:7
καὶ ἕτερον ἔπεσεν ἐν μέσῳ τῶν ἀκανθῶν,
καὶ συμφυεῖσαι αἱ ἄκανθαι ἀπέπνιξαν αὐτό.
καὶ ἕτερον ἔπεσεν 接+中単対格+三単二過 そして+他のものは+それは落ちた
ἐν μέσῳ τῶν ἀκανθῶν, 前+中単与格+冠・女複属格 ~の上に+真ん中の+茨らの
καὶ συμφυεῖσαι αἱ ἄκανθαι 接+二過分受女複主格+冠・女複主格 そして+共に成長して+茨らが
ἀπέπνιξαν αὐτό.三複過+中単対格 それらは窒息させた+それを
スロージューサー訳
そして他のものは、茨らの上に落ちた。
そして茨らと共に成長し、それらはそれを窒息させた。
参考に
https://biblehub.com/texts/luke/8-7.htm ちょっと、Sラーに、強くスコープ合わせすぎなのかもな。
もう、少し、ぼやかしても、いい。、
>>289
特定のエピソード、言行録は伝承とドグマ追加があって、このベタニアのエピソードは
マルコとルカ・ヨハネでは別の伝承を元にしている可能性があるってことですね
ルカとヨハネはドグマ的な追加を行っているが、ヨハネに関しては特にラザロのエピソードで
それが顕著である、と
イエスはこのベタニアのエピソードの前からメシアとして福音書では描かれていますが
形上、たしかにマリアによる塗油以外に油を注がれるエピソードはなかったと思います
その意味で書かれてあることの成就を重視する新約聖書ではこの場面というのは
メシアの形式的成立場面としても読めそうですね >>309
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は使徒第26章です ゲーム、課金。ツノのかっこいいキャラ、きたが、たぶん、弱い。、
将棋、強くなるには、「マナー」らしい。
もう、ちょい、がんばろ。、
ルカ8:8
καὶ ἕτερον ἔπεσεν εἰς τὴν γῆν τὴν ἀγαθὴν
καὶ φυὲν ἐποίησεν καρπὸν ἑκατονταπλασίονα.
ταῦτα λέγων ἐφώνει.ὁ ἔχων ὦτα ἀκούειν ἀκουέτω.
καὶ ἕτερον ἔπεσεν 接+中単対格+三単二過 そして+他のものは+それは落ちた
εἰς τὴν γῆν τὴν ἀγαθὴν 前+(冠・女単対格)+(〃) ~の中へ+地+良い
καὶ φυὲν 接+二過分受中単主格 そして+生え出て
ἐποίησεν καρπὸν ἑκατονταπλασίονα. 三単過+男単対格+〃 それは~した+実を+百倍の
ταῦτα λέγων ἐφώνει.中複対格+現分男単主格+三単未完 これらのことを+言って+彼は叫んだ
ὁ ἔχων ὦτα 冠・現分男単主格+中複対格 持つ者は+両耳を
ἀκούειν ἀκουέτω.現不定+三単現命 聴くための+彼らは聞きなさい
スロージューサー訳
「そして他のものはよい土地へと落ちた。
そして生え出て、それは百倍の実をなした。」
これらのことを言って彼は叫んだ。
「聴くための両耳を持つ者は、聴きなさい」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-8.htm 小鍛冶さん、根底スレへのコピペ ありがとうございます
>>310
26章を読みました
前章に引き続き、今度はアグリッパ王にパウロが弁明する章ですね
パウロはアグリッパ王たちに敬意を払いつつも、これまでの経緯を率直に話しています
そのなかでキリストの受難と復活を、預言者たちの語ってきたことの成就として語っています
そしてそれを信じることで救われるというキリスト教信仰の要諦を述べています
これに対してフェストは気が狂っているという反応でしたが、アグリッパの方はもう少し冷静に
パウロの言を弁明というよりも宣教のように受け取っています
結果としてパウロに罪は認められない、という判断になりましたが
カイザルへの上訴がパウロの軛になるであろうと述べるアグリッパの言でこの章は終わっています
ここでの疑問点は26節のパウロのことばです
パウロの述べたキリストの受難と復活は片隅で行われたものではないので王が見逃すことはないはずだ
とパウロは言いますが、受難はまだしも復活は実際にユダヤ人たちが目撃したわけではないので
パウロたちの宣教を彼らは信じられないということになると思うので、ここは勢いに任せてパウロ(あるいはルカ)が
彼らの復活信仰を無理やり誇張して周知の事実であるかのように脚色しているように見えます
アグリッパは彼らがキリストの復活を信じていたことは知っていたかもしれませんが
キリストが復活したということを事実として知っているわけではありませんし、かつそれが事実であると
思っているわけでもありません
先生はこの箇所をどのように捉えていますか? >>317
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は使徒第27章です。
さて26節。新共同訳略解によると、
第一に前段の24節と25節のやりとりは、クセノフォン『ソクラテースの弁明』の
「頭がおかしい(マニア―)」と「理に適った事(ソーフロシュネー)」という対義語が
模倣されています。
フェストゥス「パウロ、お前は頭がおかしい(マニア―)」
パウロ「理に適ったことです(ソーフロシュネー)」
ヘンヒェン曰く「どこか片隅で起こったことではない」は「事実上、使徒言行録のはじめ
からルカが記してきたこと」
コンツェルマン曰く「ルカの全プログラム」
つまり「救いの中心的出来事」であるという意味と略解は注釈しています。
パウロの論法は
1.アグリッパ王は敬虔なユダヤ人である(大司祭の任命権あり)
2.敬虔なユダヤ人だから預言者を信じているはずだ
3.なら22節を信じているのだから、メシアの死と復活も預言されているのだから
信ずるに違いない
4.ゆえにキリスト教信仰も信ずるはずだ
ということだそうです ヒーローワーズ。ツノキャラ、強化したら、結構、強い。いける。、
もう、課金は、しない。ドクターも、課金しない方が、いいように、言ってた。、
引きだしに、ロトの盾、あった。、
金に、黒笹の万年筆の本は、ない。、
ドクター直伝の「ずるい」将棋で、ようやく、ぴよ将棋・初段+に、勝ちそうだった。
おしい。、
勝てんで、いいわ。ぴよ初段+に。「いじめられてんだ、オレ、ピヨに」。
なら、勝てなくてよい。オレ、ほぼ、将棋、今で、完成。、
俺の将棋は、攻撃的向かい飛車だ。
きょ先生なんてこれでいちころ
尾森先輩。将棋アマ名人戦、広島西部大会、B級で、準優勝だよ。
強いな。、
ルカ8:9
Ἐπηρώτων δὲ αὐτὸν οἱ μαθηταὶ αὐτοῦ τίς αὕτη εἴη ἡ παραβολή.
Ἐπηρώτων δὲ αὐτὸν 三複未完+接+男単対格 彼らは尋ねた+で+彼を
οἱ μαθηταὶ αὐτοῦ 冠・男複主格+男単属格 弟子たちは+彼の
τίς αὕτη εἴη 疑+女単主格+三単現希 何が+この+これは~である
ἡ παραβολή. 冠・女単主格 譬えは
スロージューサー訳
で、彼の弟子たちは彼に尋ねた。
「この譬えは何なのでしょう」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-9.htm 広島県は、将棋のレベル高いと、思う。B級優勝の力あるが、ワザと力抜いて、準優かも、
しれんしね。、
熊本のほうがレベル高いやろ
二代伊藤宗印が熊本やで 広島は升田幸三ぐらいやろ
オレが、アマの大会で、実績作ると、「汚点」に、なる気がする。
やめとこ。、
>>318
「片隅で行われたのではない」というのは復活が公然と多くの人の前で行われたということではなく
救いの中心的な出来事であった、という意味で書かれていると解釈されるわけですね
そしてその出来事は聖書に預言として書かれているので、経験なユダヤ人であるアグリッパ王が
見逃すはずはない、というのがここでの論旨ということですね
さて27章はパウロがローマに向けて海路、護送されていく箇所ですが
船は幾多の困難に遭うことになります
書いてあることが事実であるかどうかは分かりませんが
パウロは予言めいた忠告をしますが聞き入れられず、船は暴風に巻き込まれます
また例によって神の御使いからことばを授かったりしてます
ちょっと流れとして分かりにくいのは、18-19節で船具を含む船荷を投げ捨て
21節で長い間食事もしないで、と書いてあり、さらに33節では十四日間も何も食べていなかったと
書いてあるのに、なぜ276人もの人が38節にあるように十分に食事をし、なおかつ穀物を投げ捨てるほど
潤沢に食べ物があったことになっているんでしょうか?
それだけの食べ物があれば十四日も断食せずに毎日少しずつ食料を食いつないでいくことは
できたように思います >>332
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は使徒第28章です。
21節について略解は、「船酔いなどで食べられない状態のこと」と解説しているが
どちらかというと訳が悪いのです。
原文ἀσιτίαςは、α否定の接頭語+σιτος(穀物・食べ物)で、原意は「食料がない」という
意味ですが、実際の用法ででは「食べない状態」のことです。
海が大荒れで、船酔いし、「食べない状態」だったということです。
なので田川建三は「ひどく食べれない状態になった」と訳しています。
原文直訳は「大きな食べれない状態があった」です。
陸地に近付いた時、船酔いで14日間食べずにいた人たちにパウロはパンを
割いて食べましょうと勇気づけたということですね
ちなみに、「276人」という写本と「およそ76人」という写本があり、
有力写本のほとんどがは276人なので276人が本文として採用されていますが
「およそ76人」が原文であった可能性も50%程度あるようです。
フランシスコ会訳註は両説を紹介した上でヨセフス『自伝』に600人乗りの記述が
あるので古代でも276人はありうるとしています。でもヨセフスの数字はたいてい
オーバーなので説得力はないです。
38節で積み荷である穀物を捨てたのは座礁回避ですね。喫水をあげるためです
しかしそれでも座礁してしまいます。 ヒーローワーズで、勝っても、しゃあない。
自分の性格が、小回り効かん所が、イヤ。
ドンクサイ、自分が、イヤ。、
PCで、無料・課金ゲーム、HeroWarsやってるよ。
超おすすめ。、
俺の課金ゲームをしている。
市民農園を借りて、野菜栽培ゲーム。
たのしいぞー
スロさんは、野菜栽培で、いいかも。
惜しくも3冠王を逃した選手たち。阪急加藤英司、率①364②35本①104点、
おしい。、
997 栄進軍曹 ◆KBl5hH0VXM [] 2022/03/30(水) 18:17:26.66 ID:Tn2WEZz3
>>992
イエスキリストの奇跡はガチで本当だった
パンを無限に創造したり水をワインに変えたり病気を治したり
物理法則に反してると科学者は笑う
いいえ
物理法則を【創造】したのは当の科学者本人です
イエスキリストの時代に物理法則は【存在しなかった】
だから全知全能のイエスキリストは、奇跡を起こし放題なんです
だって自分を神様だと【確信】するだけで物理法則に反した奇跡を起こせるのだから
では現代人の我々が奇跡を起こせないのは何故か?
それは科学者が物理法則を創造して、世界は宇宙は物理法則に縛られる世界観に転換したから
オーケー?ベイビー ルカ8:10
ὁ δὲ εἶπεν. ὑμῖν δέδοται γνῶναι τὰ μυστήρια τῆς βασιλείας τοῦ θεοῦ,
τοῖς δὲ λοιποῖς ἐν παραβολαῖς, ἵνα βλέποντες μὴ βλέπωσιν
καὶ ἀκούοντες μὴ συνιῶσιν.
ὁ δὲ εἶπεν. 男単主格+接+三単二過 彼は+で+彼は言った
ὑμῖν δέδοται 二複与格+三単完受 あなたがたに+それは与えられた
γνῶναι τὰ μυστήρια 二過不定+冠・中複対格 知る事が+秘儀らを
τῆς βασιλείας τοῦ θεοῦ, 冠・女単属格+冠・男単属格 王国の+神の
τοῖς δὲ λοιποῖς 冠・接・男複与格 で+残りの者たちに
ἐν παραβολαῖς, 前+女複与格 ~で+譬えら
ἵνα βλέποντες μὴ βλέπωσιν 接+現分男複主格+否定+三複現接 なぜなら+見る+彼らは見ない
καὶ ἀκούοντες μὴ συνιῶσιν.接+現分男複主格+否定+三複現接 そして+聴く+彼らは理解しない
スロージューサー訳
で彼は言った。「あなたがたに神の王国の秘儀らを知ることが与えられた。
で、残りの者たちに譬えらで。
なぜなら見ても彼らは見ない。そして聴いても彼らは理解しないからだ」
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-10.htm >>333
あ、そういうことだったんですね
わたしはてっきり船を軽くして座礁をさけるために食料を含む船荷を海に投げ捨てたことが理由で
食べ物を食べることができなかったのだと思ってました
激しい暴風の中、船が大きく揺れて船酔いが酷かったので、みな食事ができなかった、ってことなんですね
言われてみれば、わたしも北海道から船で東京に戻ってくるとき、台風に当たってしまって
酷い船酔いを経験したことがありました
一晩中、休むことなく上下に動いているエレベーターに乗ってるようなもので
たしかに食べ物なんか胃に入れることができる状態じゃなかったですね
さて使徒行伝もいよいよ最終章ですね
パウロたちはマルタと呼ばれる島にたどり着き、そこで歓待を受けます
パウロは焚き火に柴をくべていたところ熱気に当てられたまむしが出てきて手を噛まれてしまいます
島の人達はそれを神罰のように捉え彼を人殺しと考えますが、パウロの身に変化がなかったのを見て
一転して今度は神様だと言い出します
こういった叙述からは島の人はローマの文明人というよりも、未開の民族のように感じられます
その後パウロは例によって病の癒しを行い、島の住民に尊敬されるに至ります
なんと悠長に三ヶ月も島で過ごしたあと、ついに出航となりますが、その後も他所で3日だとか7日だとか
悠長に滞在してます
本当に囚人の護送なのでしょうか?w
ようやくローマにたどり着いたパウロはそこのユダヤ人たちを前に話をすることになりますが
ここでもパウロの信仰を受け入れる者と拒む者に分かれます
それを見て、パウロはイザヤを引きながらユダヤ人の頑迷さと異邦人伝道の正当性を語ります
そうしてパウロはその後2年に渡ってローマで伝道しますが、使徒行伝はここで終わっています
その後のパウロがどうなったのかルカは何も語りません
ルカがここで筆を置いた理由はいったい何だったのでしょうか?
またパウロはこの後実際にどうなったのでしょうか?伝承ではローマで殉教したことになってますが >>347
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第61篇です。
使徒行伝、ご苦労様でした。
二節の「土地の人々」の原文はバルバロイ(野蛮人)です。
難破して助けて貰った上に親切にされたのに著者はバルバロイと島民を呼んでいます。
ギリシア語を喋らない未開人エピソードとして、「人殺し」から「神様」への転換です。
島で三か月を過ごしたのは悠長なわけではなくて、冬季は海が荒れるので安全の
ために欠航するのが常だったからです。
>本当に囚人の護送なのでしょうか?w
立場は未決囚のはずですが、ほぼ無罪確定なので、囚人扱いされてないようです
>ルカがここで筆を置いた理由はいったい何だったのでしょうか?
パウロは無罪だけども皇帝に上訴した不敬で刑死したのですが(26:32)、無罪なので
二年間、かなり自由に非ユダヤ人と交流できたが、ローマのユダヤ人たちとは
決別し、パウロの宣教は屋敷を訪ねて来た者に対してのみでさびしいもので
ローマのクリスチャんからもあまり重視されなかったので著者は書けなかったのかも
ですね。刑死しただけで復活したわけではないので尻切れとんぼなのかもです
ハーパー注解は、第一にパウロにおいて神の意図が成就した。訪ねて来た異邦人に伝道し
第二にパウロと「この道」への嫌疑が晴れて、両者はローマの保護の下、物語全体を
通して、その働きを続け、栄えていき、「大胆に、何の妨げも無く」宣教を続けること
ができる、ということであ。結局、福音は抑えられないということが判明するのである
と主張しています。 >>344
>パンを無限に創造したり水をワインに変えたり病気を治したり
パンを無限に創造した事実はない。イエスは単に五千人を百人から五十人の組に分け
パン五つと魚二匹を組ごとに分けただけである。
食べた後、パンくずが12籠分になったのだから、イエスが分け与えたパン以外に
それぞれの組の者らもパンを持っていたのであろう。
水をワインに変えた事実もない。料理長を事前に買収して水を上等のワインと言わせた
だけである。庶民の酔客は上物のワインの味などわからないので料理長の言葉を信じたのである
病気癒しは事実である。日本語でも手当というように、手をかざすと不思議な力が
働いて病気が癒されるのである。
原理としては汚れた霊が追い出されて治るというシステムである
量子力学だと実証できるかもだぞ。量子力学のことは知らんが。 3/26 伝道事業部長殿のお言葉
人間とはよろこび踊る存在だ。ゆえに
身体を、踊ることができないように
拘束したり・傷つけたり・破壊したりすることは、人間性に対する冒涜だ。
3/27の伝道事業部長殿のお言葉
天国に持って行けるアイテムは何もない。
ただ信仰と希望と愛を除いては
3/28の伝道事業部長殿のお言葉
自分の生活の中に1000通りの偶像崇拝がある。
3/29の伝道事業部長殿のお言葉
3秒ごとに神の善意を信じる決断を更新する
3/30の伝道事業部長殿のお言葉
主イエースースが再臨されるためには、まず我々が悔い改めなければならない
「『おんし』。シズシズ。」(ジイ・21年前の虫の知らせ)
「アンポン(オレ)の頭に、鳥が。」(オネエ・21年前の虫の知らせ)
>>349
病気治しの奇跡だけ信じて、それ以外は非科学的だと否定される
でも病気治しだけは科学的で許される
ならなぜパンを無限大に増やしたり水をワインに変えた奇跡も科学的に考察されないんですか?
同じ理屈でしょう >>355
ちと待ちなさい。
聖書に書いてある通り、説明しているのである。
聖書は一言も水をワインに変えたとはない
また五個のパンを割いて5000人配ったとはあるが、
五個のパンが五千個のパンになったとは書いていないのである
しかーし! 病気は癒されたのである。
栄進君の病気も信ずればすぐ治る >>356
しかしキリスト教徒は、パンを無限大に配られた奇跡であると信じています
キリスト教の本質とは、現代科学において有り得ない事象を受け入れるのが信仰の証です
信じるものは救われると
こっちは科学的で信じる、こっちは非科学で信じない
それが果たしてキリスト教徒でしょうか?
アメリカの福音派の街では恐竜の博物館テーマパークがあります
そこでは天地創造が再現され、恐竜と人間が共存している
これを福音派は、ガチで信じ込んでる
この態度を非科学であると否定なさるのでしょうか? >>357
>キリスト教徒は、パンを無限大に配られた奇跡であると信じています
そんな教会はない。あればカルトであり、キリスト教ではない
>現代科学において有り得ない事象を受け入れるのが信仰の証です
それは誤解です。
>信じるものは救われると
信仰と言う言葉の原語はピスティスです
まず神のピスティスがあります。真実など訳されます。
それを信徒が受け取ると、信仰と訳されるピスティスとなるのですが
そもそもピスティスは神の側にあるのです キリスト教は、カトリックと正教とプロテスタントメインランです。
福音派はキリスト教の落ちこぼれ。仏教で言うとそーかです。
といっても大勢の福音派穏健派は創造科学なんてあほなことは言いません。
クールです。原理主義的なおかしい人たちが変な事を言っているだけです
だから、日本のバプテスト派(西南大学系 ばぷ蓮)は本家のアメリカの南バブと手を切ったほどです
ルカ8:11
Ἔστιν δὲ αὕτη ἡ παραβολή.
ὁ σπόρος ἐστὶν ὁ λόγος τοῦ θεοῦ.
Ἔστιν δὲ 三単現+接 それは~である
αὕτη ἡ παραβολή. 女単主格+冠・女単主格 このこと+譬えは
ὁ σπόρος ἐστὶν 冠・男単主格+三単現 種は+それは~である
ὁ λόγος τοῦ θεοῦ.冠・男単主格+冠・男単属格 言葉+神の
スロージューサー訳
この譬えは、このことである。
種は神の言葉である。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-11.htm >>358
宗教の真実と、科学の真実は両立しないとのお考えでしょうか? 精神の薬が、ようやく薄くなったのと、宗教板に、書き込めなくなったのが、
同時期。なんなんだろうね。、
>>361
現象面で言うと
両立させているのがカトリックと正教とプロテスタントメインラインです。
対立すると考えて近代以前の聖書解釈に閉じ籠っているのが福音派です。
本質論で言うと
神の真実は、人間の科学における真実を遙かに凌駕していますが、
進歩した人間の科学と矛盾するものでは無いのです >>348
原文ではもろにバルバロイなんですね
なるほど冬季で海が荒れるので航海を控えていたということですね
ローマ法に照らせば罪が認められないので未決囚とはいえ、扱いは丁重だったわけですね
ローマでもそういうわけで比較的自由に活動はできたけれども、他の地ほどの成果は上がらなかった
ので、ルカはその後を描けなかった可能性がある、と
26章32節はパウロが皇帝に上訴した不敬罪で刑死したことを暗示しているということですか
さて今度は詩篇ですね
今回は短い箇所ですが、5節まではダビデの祈りかと思いましたが
6節以降、恩寵の対象が「王」「彼」となっているので、この章の筆者はデビでの臣下ということですか?
それともダビデ自身が自分を第三者的に表現しているということでしょうか? >>363
同意します
つまりは、キリスト教主流派は科学に妥協している
そして科学が進歩すれば、いずれ科学は行き詰まり、キリスト教の真理こそが正しいと証明される日が来る
我々はその日が来るまで、方便としての科学を受け入れてるに過ぎない
しかし、所詮は人間である我々は、未だ神の真実を知らないので議論は早計である
という理解でいいのでしょうか? >>364
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第62篇です。
不敬罪は私の勝手な推測です。
詩編のヘブライ語名は「テヒリーム」(讃美歌集)だそうです。
それがギリシア語訳されると「プサルモイ」(詩集)となり、これがラテン語となり
我々はこれを踏襲して「詩編」と呼んでいるそうです
フランシスコ会訳註によると複数説あるそうです
1.ダビデ王が自分の息子のアブサロムに叛かれ、エルサレムを出てマハナイムへ逃れた
時の作(サムエル下15-19章 特に17:24)「地の果て」(3節)を誇張と解釈する
2.逆に「地の果て」(3節)を解釈してバビロン捕囚中の者が作者とする説
3.更にエルサレム神殿を遠く離れたレビ人が作者説。今まで体験して来た安寧と
ダビデ系の王の統治下の宗教的安寧(7-8節)を求める祈りだとする説
これらを紹介した上でフランシスコ会訳註は
「一番適切と思われるのは、全体を王の嘆願と解して、7-8節の三人称を宮廷語法と
みて、王が自分のために祈ったとする説であろう」とのこと。
ハーパー注解は、レビ人に由来する嘆きの歌。主人公は病者。捕囚にあるイスラエル人。
あるいは苦しみのうちにある王と思われるがはっきりしないとのこと。
解釈立場として「イスラエルの祈りが包括的なもの」になっているとのこと。
1.神への呼びかけに始まり(2-3節a)
2.救済を祈り(3b-5節)
3.感謝をもって締めくられる(6,9節)
4.7-8節は異なる音律で書かれた王の為の執り成しの祈りであり、付加分である。
その上で3節の「地の果て」は曖昧さを残しおり
「捕囚」(イザ41:5,42:10)、「死の危機」(ヨナ2:7-8)かを確定できないそうです。 >>366
我々は人間であると言う事において限界を持つ存在ですが、
神に似せられて創造されたという事実によって、知性を有しています。
しかしながら人間の知性はいつも不完全ですので常に更新されるという性格を持ちます。
その上で古代人に聖書が与えられました。
古代人の知性レベルにあわせて比喩で真実が示されました。
近代人はその比喩を知性によって再解釈しました。
そして近代知性を受け入れた普通人キリスト教徒と
近代知性に反発して古代聖書に閉じ籠ろうとした福音派へと別れました。
これは二分化されたのではなく、黒から白の間にいろんな灰色があります。
つまり千差万別の濃淡があるわけです。そして揺り戻しもあります。
1970年代が一番知性的な時代です。80年代から反知性的な保守派が知性顔で活躍しだし
2020年代は知性が後退している時代です きょ先生がいないと歓談室が、ウンコ話とエロけんじ君に席巻されているわ
ピッピ先生に復活してもらいたいところだな
朝、レジ、Sラー。オテフキくれた。今日、エイプリルフール。、
ニコニコ将棋民のおふざけが、すぎた結果、将棋板が、なくなっとう。、
150年後に、掘り出されるタイムカプセルの言葉を、今、ここに、書きます。
「・・・」。
将棋24、今日、2勝0敗。484点。
510点前後、目標に。、
将棋の勝利は、もう、控え気味に。
読書とか、他のことせんと。、
でないと、人生に、勝てん。、
ルカ8:12
οἱ δὲ παρὰ τὴν ὁδόν εἰσιν οἱ ἀκούσαντες,
εἶτα ἔρχεται ὁ διάβολος καὶ αἴρει τὸν λόγον ἀπὸ τῆς καρδίας αὐτῶν,
ἵνα μὴ πιστεύσαντες σωθῶσιν.
οἱ δὲ 男複主格+接 それらは+で
παρὰ τὴν ὁδόν 前+冠・女単対格 ~に沿って+道
εἰσιν οἱ ἀκούσαντες, 三複現+冠・男複主格 それは~である+聴く者たちが
εἶτα ἔρχεται ὁ διάβολος 副+三単現+冠・男単主格 その後+彼がやって来る+告発者が
καὶ αἴρει τὸν λόγον 接+三単現+冠・男単対格 そして+彼は奪い去る+言葉を
ἀπὸ τῆς καρδίας αὐτῶν, 前+冠・女単属格+男複属格 ~から+心+彼らの
ἵνα μὴ πιστεύσαντες σωθῶσιν. 接+否定+過分男複主格+三複過接受 ~するために+信じて+救われる事が無い
スロージューサー訳
で、道に沿っての者たちは、聴く者たちではあるが、
その後に告発者がやってきて、そして御言葉を彼の心から奪い去る。
信じて救われることがないように。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-12.htm >>367
英語ではPsalmですからラテン語由来ですね、Pは黙字ですが
ギリシャ語(コイネー)であれば聖書外文献もあり、またラテン語など同時代文献も豊富なので
新約聖書を文献学的・歴史学的に釈義するための言語資料に恵まれていますが
ヘブライ語は実質的にまともな資料がヘブライ語聖書だけになるので、当然ギリシャ語聖書に比べて
正確な釈義が困難になりますね
わたしは1.やフランシスコ会訳註に近い推測をしましたが、結局のところ決定打はないようですね
さて62章ですが61章からの続きなのかどうか分かりません
とりあえず神に対する賛美あるいは祈りの詩文という点は共通しているようです
今回気になったのは12節です
明確な表現で因果応報が述べられています
これはヨブ記を読んだときにも問題になった世界観ですが
ヘブライ語聖書にはこの因果応報観が散見されるようです
そういえば61章でも疑問に思ったのですが、この[セラというのはいったい何なのでしょうか? >>379
atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句はヨハネ13:1-20です。
私の専門はパウロ、特にコリント書なので、コリント書についてはコリント書の注解を
数冊持っていますが、ヘブライ語聖書についてはアウトラインを知る程度なので
ご迷惑をおかけしています。フランシスコ会訳註とハーパー注解のみが頼りです。
セラは、本来欄外注だったものが、なぜか本文になってしまったものだそうですが、
約150詩中39の詩に71回出て来るそうです。これがなにか解明されていないそうです。
ただ伴奏・節・声などを表す表題の何かだろうと推定されていて
1.休止あるいは合間の奏楽を指す。あるいは、そこで永唱を唱えることを指す
2.調子を上げる、あるいは音色を変える
3.最初から、あるいはセラの前のセラの個所から反復する
以上、フランシスコ会訳註より。 本日の某軍の伝道事業部長のお言葉
主イエースースは俺のマブダチである。
今日も一緒に商店街を散歩して、銭湯に浸かってコロッケを買って
共に帰宅するのである
昨日の某軍の伝道事業部長のお言葉
庵野モモコの「おチビさん」は癒されるが
庵野秀明が制作した『エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』は、グロい。
寝れなかったのと、課金して、ゲームやりまくった(おもしろかった)ので、
血圧高いわ。養生。、
本日は畑5h ほぼ土木作業員である
ディナーは麻婆豆腐だという おなかぺこぺこである
とりあえず花粉対策にスチームを鼻とのどにあてる
>>385
小林麻耶の海老蔵、ディスリ動画、(ユーチューブ)、もう、見ました? ルカ8:13
οἱ δὲ ἐπὶ τῆς πέτρας
οἳ ὅταν ἀκούσωσιν μετὰ χαρᾶς δέχονται τὸν λόγον,
καὶ οὗτοι ῥίζαν οὐκ ἔχουσιν,
οἳ πρὸς καιρὸν πιστεύουσιν καὶ ἐν καιρῷ πειρασμοῦ ἀφίστανται.
οἱ δὲ ἐπὶ τῆς πέτρας男複主格+接+前+冠・女単属格 者たちは+で+~上に+岩の
οἳ ὅταν ἀκούσωσιν 男複主格+接+過分男複主格 彼らは+~した時+聴いた
μετὰ χαρᾶς 前+女単属格 ~共に+喜び
δέχονται τὸν λόγον,三単現+冠・男複対格 彼らは受け取る+御言葉を
καὶ οὗτοι 接+男複主格 そして+この者らは
ῥίζαν οὐκ ἔχουσιν, 女単対格+否定+三複現 根を+彼らは持たない
οἳ πρὸς καιρὸν πιστεύουσιν 男複主格+(前・男単対格)+三複現 彼らは+しばらくは+彼らは信じている
καὶ ἐν καιρῷ πειρασμοῦ 接+前・男単与格+男単属格 そして+~に+時+試みの
ἀφίστανται. 三複現中動 彼らは離れて行く
スロージューサー訳
岩の上の者たちとは、彼らが聴いた時、喜んで御言葉を受け取る。
そしてこの者らは根を持たない。
彼らはしばらくは信じている。そして試みの時に彼らは離れて行く。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-13.htm 小林麻耶がエビ嫌いと言っているのは知っている
小林麻耶って伸介と結婚したんだっけ?
母と、ケンカ。
機嫌よく・調子良く、すごしていかないと、自分が損。、
サティは自我肥大した醜悪な化け物
キリスト教信仰がここまで醜い人間を作り上げた
>>380
いえ、新約に限らずヘブライ語聖書についてもいろいろと参考にさせていただいています
セラは詩篇の詩句が謳われる際の伴奏・節・声などを指示する音楽記号と推測されているということですね
音楽記号だとすれば原語で発したものを読まない限り、さして意味がないことになるので
これからは気にせずに読むことにします
さて今日のヨハネの箇所ですが、イエス受難前の弟子たちへの洗足の場面ですね
イエスは手本であると言っています
つまり自分を低くして相手に尽くす行為のあり方を自ら弟子たちに示したものと思われます
この場面ではイスカリオテのユダも絡んできますが、18節にある
『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』という聖句は
ユダの裏切りを示していると取っていいのでしょうか?例によって預言の成就という形になっていますが
ユダの裏切りが最初から神の予定されていたことであるならば、それはユダ自身には責任を負うべき
自由意志がないことになり、ユダに罪はないことになるかと思います
自由意志と予定の整合は一般論としても神学的に困難な問題だと思いますが
ユダの裏切りは神の予定にとって必要な行為でありながら、その行為は悪とされユダに帰責されるため
ユダという一個人の尊厳に焦点を当てた場合、常に割り切れないわだかまりが残る箇所だと個人的には感じます 昨日は、将棋じゃなくゲームで、疲れたんだ。ゲームを、やめよ。、
小林麻耶と、海老蔵、詐欺師と、オレ。
三すくみみたいになっとるな。、
>>395
atheistくん、こんばんは。明日の聖句は詩編第63篇です。
聖書が成就したと言いたがるのは原ヨハネの著者ではなくて、
教会的編集者ですね。でヘブライ語原文と70人訳は「かかとを大きくした」という
表現ですが、教会的編集者は、わかりやすく「かかとをあげた」と変えています。
詩編41:9
わたしの信頼した親しい友、
わたしのパンを食べた親しい友さえも
わたしにそむいてくびすをあげた。
ユダの裏切りがまずあって、ヘブライ語聖書にその根拠を探して
詩編を発見し、予言が成就したという物語にしたのでしょう
実際の所は会計係という要職者で、信頼の厚かっただろうユダが
裏切ったことに残された者たちはかなりのショックを受けたので
その意味を予言されていたという形で再解釈したのかもですね
一方で裏切者ユダに対する憎悪はMaxな形で常に語られるので
矛盾しているということでしょう 大学の時、囲碁将棋部、オレが、入って、変わってしまったと、鈴木に、言われた。
ちょっと、将棋、離れてみるか。、
>>398
元々はちょっと表現が違うんですね
まず裏切りという行為があって、それをなんとか預言の枠組みで解釈しようとして
ある意味かなり強引に聖句を探して当てはめている、って感じですかね
ところがそうするとそうしたで、ユダに対する憎悪とは乖離が生じてしまい
読者には矛盾した印象を与えてしまうんでしょうね
詩篇は賛美と祈りが主体なので、非信仰者にはなかなか共感が難しい書ですが
なにか新しい気づきを発見するつもりで読んでいきたいと思います >>401
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第63篇ですね
私が小学生の頃は新約だけの聖書。新約+詩編の聖書があり、教会では
詩編は愛されているようです 8:14
τὸ δὲ εἰς τὰς ἀκάνθας πεσόν, οὗτοί εἰσιν οἱ ἀκούσαντες,
καὶ ὑπὸ μεριμνῶν καὶ πλούτου
καὶ ἡδονῶν τοῦ βίου πορευόμενοι συμπνίγονται καὶ οὐ τελεσφοροῦσιν.
τὸ δὲ εἰς τὰς ἀκάνθας πεσόν, 冠・接・前+女複対格+二過分中単対格 で+~の中へ+茨+落ちたもの
οὗτοί εἰσιν οἱ ἀκούσαντες,中複主格+三複現+冠・過分男複主格 この者らは+彼らは~である+聴いていた者
καὶ ὑπὸ μεριμνῶν 接+前+現分男単主格 そして+~によって+心配すること
καὶ πλούτου 接+男単属格 そして+富の
καὶ ἡδονῶν τοῦ βίου 接+女複属格+冠・男単属格 そして+諸快楽の+人生の
πορευόμενοι συμπνίγονται 現分男複主格+三複現受 旅路を行く時+彼らは窒息させられる
καὶ οὐ τελεσφοροῦσιν.接+否定+三複現 そして+彼らは実を結ばない
スロージューサー訳
で茨の中のものとは、この者たちは聴いたが、そして心配そして富そして人生の諸快楽によって
旅路を行く時、窒息させられる。そして彼らは実を結ばない。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-14.htm オレの写真を、ブサイク気味に、加工するの、もう、やめて。
しつこいよ。、
小鍛冶さん、サンクスです。
きょ先生は生で不細工ですよ。最強クラスです。
今日は、ご機嫌。おもしろい。
ヤングマガジンだけ、無駄遣い。、
「能力は、すごいが、人として、ぶっ壊れすぎてるんだよ。」(過去のマンガ)
人としてな。、
ルカ8:15
τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ
καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν
καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ.
τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格
οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ
καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν
καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ.
ルカ8:15
τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ
καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν
καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ.
τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格+〃 モノは
οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ
καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν
καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ.
ルカ8:15
τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ
καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν
καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ.
τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格+〃 モノは
οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ
καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν
καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ.
ルカ8:15
τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, οὗτοί εἰσιν οἵτινες ἐν καρδίᾳ καλῇ
καὶ ἀγαθῇ ἀκούσαντες τὸν λόγον κατέχουσιν
καὶ καρποφοροῦσιν ἐν ὑπομονῇ.
τὸ δὲ ἐν τῇ καλῇ γῇ, 冠・接+前+冠・女単与格+〃 モノは+で+~に+良い+土
οὗτοί εἰσιν οἵτινες 男複主格+三複現+男複主格 この者たちは+彼らは~である+ところの者ら
ἐν καρδίᾳ καλῇ 前+女単与格+〃 ~の中で+心+美しい
καὶ ἀγαθῇ 接+女単与格 そして+良い
ἀκούσαντες τὸν λόγον 過分男複主格+冠・男単位格 聴いて+御言葉を
κατέχουσιν 三複現 彼らは保持する
καὶ καρποφοροῦσιν 接+三複現 そして+彼らは実を結ぶ
ἐν ὑπομονῇ.前+女単与格 ~の中で+踏み止まる事 忍耐
スロージューサー訳
で、良い土地のものらは、この者たちは立派で良い心で御言葉を聴いて彼らは保持する。
そして忍耐の中で彼らは実を結ぶ。
参考に
https://biblehub.com/text/luke/8-15.htm 無敵三国。4000時間かかるらしいな。プレイ時間。無理。、
>>402
ホテルにおいてあるギデオン協会の聖書も新約だけですね
新約+詩篇の聖書というのは初めて知りました
そういえば賛美などはよく詩篇から取られてますから
協会御用達といったところでしょうか
さて63章ですが、61,62章とあまり内容が変わらず、こう賛美ばかりが続くと
詩篇一気読みっていうのはまず無理ですね
以前読んだときもたぶん、ほとんど流し読みだったはずです
あの有名なバビロンの流れのほとりの箇所しか覚えてませんからw
今回気になったのは、口語訳だけの問題かもしれませんが5節です
5節は空欄になっていてそのあとに6節が来ています
6節が少し長いので、これは単に6節を2つに分けるか、ひとつにまとめるかといった
節分け上の問題ということでしょうか? >>415
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は詩編第64篇です。
私が所持する『新約聖書 詩編付き』(口語訳)では、63篇は五六と一つの節に
なっています。口語訳がほぼ依存しているRSVを確認すると
5 My soul is feasted as with marrow and fat,
and my mouth praises thee with joyful lips,
6 when I think of thee upon my bed,
and meditate on thee in the watches of the night;
ですが、口語訳は
63:5 63:6わたしが床の上であなたを思いだし、
夜のふけるままにあなたを深く思うとき、
わたしの魂は髄とあぶらとをもってもてなされるように飽き足り、
わたしの口は喜びのくちびるをもってあなたをほめたたえる。
6を先に訳し5を後に置いてますので一つにしたのでしょう。
全部似たような詩が続きますが、フランシスコ会訳は、それぞれにタイトルを
つけています。本詩のタイトルは「神へのあこがれ」
62篇は「神への信頼」61篇は「逆境にある王の祈り」
本日の64篇は「迫害者に対する神の報い」です。
で、全詩の中で最も神に親しく話しかけている詩だそうです。
ハーパー注解によると、アルメニア教会は聖餐式の際に本詩を用いているそうです。