「誰も傷つけない表現に意味ない」 浅田彰氏、複雑化する自主規制に警鐘 「不自由展」問題
複雑化する自主規制のワナ
これまで、アートワールドというものは、善かれあしかれ半分閉じて半分開いていた。
たとえばヌードにしても、その共通了解のなかで許されてきた表現の幅というものがあった。
しかし近年、特に欧州でも「#MeToo」運動の高まりを受けて、未成年少女への性的不適切行為が疑われ
誘拐容疑で拘束されたことのあるエゴン・シーレの裸体画展示が問題視されるなど、
“過剰露出”のなかで、表現の自由を巡って「正しさ」だけでは済まない事例が起きてきている。
今、世界の支配的な潮流は多文化主義だ。多様な文化が混在しているなかで、
他者を尊重し、傷つけないようにしようという態度はひとまず正しいと言える。
しかし、多様性を尊重しようという多文化主義の裏側には、グローバル資本主義の広がりがあり、
それを支える行政機構がある。誰も傷つけてはいけないという考えが、
裏を返せば、クレームや賠償金支払いのリスクを避けて自主規制しなければという小心な態度になってしまう。
誰も傷つけない表現というものには、ほとんど意味がない。知識人は大衆の逆鱗(げきりん)に触れるために存在している。
たとえば英国のロックバンド「ザ・スミス」の「ザ・クイーン・イズ・デッド」(86年発売の名盤と評されるアルバムの表題曲で、
エリザベス女王らに毒づくような歌詞)のような表現が出てくるのは、英王室の健全さの表れでもある。
ロックに限らず文化芸術は、そうしたことが許される場だ。米国でも昨年、トランプ大統領からの美術品貸し出し要請に対して、
ニューヨークのグッゲンハイム美術館は「アメリカ」という題が付いている黄金の便器ならどうぞ、と応じてみせた。
各地でアートは闘っている。日本はどうか。現在の複雑な状況は表現者にとって厳しい局面だが、自主規制に陥らないように頑張らないといけない。
抜粋
https://mainichi.jp/articles/20190925/k00/00m/040/159000c >>1
ゴッホの作品が誰かを傷つけたとか聴いた事ねえな
お前が誰だかしらんが芸術とか口にすんなよ下衆野郎 日本に対しての攻撃的表現は「誰も傷つけない表現に意味ない」
韓国に対しての攻撃的表現は「ヘイトだ!」
もうね
韓国死ねじゃなく韓国要らないと書いただけでヘイトと叩かれた週刊誌があったが?
[祖国逃亡われら朝鮮人日本へ渡る!そして背乗り展〕開催してもいいかな?
批判を受け入れる事もできない糞が表現の自由を言うから叩かれる
天皇の写真を燃やすなら、朝鮮人への罵詈雑言も甘んじて受け入れたら良い
わからないか?
もはや、正当化する余地すらない。
そんな芸術を誰が好むのかと。
共和国と人権
そうだ!旭日旗も韓国を傷つけようとかまわないのだ!
実験
名古屋の知事と市長の写真を燃やすのみならず、
皆の写真を燃やす映像を制作して展示しようぜ
>>1
芸術が何かを根本的に勘違いしてる。
尖った主張を通すためのツールのみが芸術だとか、
アホ丸出し。
大衆芸術の本質はエンターテイメントだ。
誰かを傷つけなくても面白ければ勝ちなんだよ。
こいつは辺野古のアベビンタカボチャをいっぱい集めて、
ゲージツだ!て喜んでればいいのさ。
面白味というのはそんな薄っぺらいものではなく、
もっと深いものだったりするぜ。
>表現は誰かを傷つけるものであるべきだ
だから表現を通して作者が傷ついているワケねw
>>1
それを言うなら、在特の桜井の発言も認めるべきだ。 こんナコメント出す奴もバカだが、これを載せる新聞も変態!
これはおかしいな
誰一人として傷つけないようにするって事なら確かにできないよ
でもあれは、ある程度傷つける事を前提としているだろw
しらじらしいね
あと、そっちの論理に乗るなら、旭日旗はセーフだよね
つまり…
「表現の自由」=「誰かを傷つける自由」
さすが毎日新聞は書くことが違うなぁ
■「韓国なんていらない」が差別やヘイトだと朝日新聞が非難は言論弾圧じゃない?
「週刊ポスト」がそんなタイトルの特集を掲載し、作家の深沢潮さんやらずに朝日新聞やらがヘイトだとして猛烈に批判した
特集の中にある「怒りを抑えられない『韓国人という病理』」との記事について小学館は謝罪に追い込まれた。
ただ、記事を読むと、韓国の大韓神経精神医学会が発表したレポートから「韓国成人の半分以上が憤怒調節に困難を感じており、
10人に1人は治療が必要なほどの高危険群である」との内容を報じた韓国紙「中央日報」が元ネタになっているのです。
観光の面でアメリカ人や中国人に比べて韓国人旅行者は3分の1程度しかお金を使わないとか、“輸出依存”の韓流グループは日本市場がないと食べていけないとか……それらは事実でしょう。
世界でK-POPが流行などと女性誌や朝日新聞やらが誇張報道してるが、売り上げの66%は日本です。
韓国に対しては、ただデータや事実を書くだけで「差別やヘイト」とされたならおかしな話です。いくら言論弾圧し抑え込もうとしても事実は事実です。
小学館は事実誤認や明らかなフェイクニュースを書いていたのなら謝罪も必要だったでしょうが、フェイクニュースは、取材捏造し強制連行したなど韓国人慰安婦報道した朝日新聞側でしょう。
朝日新聞や毎日新聞、東京新聞など左翼は表現の自由を持ち出して反日ヘイト報道やり放題です。
愛知県で芸術と称して天皇の写真を燃やしたり、韓国人制作の慰安婦像のプロパガンダをやるのは表現の自由だ批判するなと言い張り、
事実に基づいて「韓国なんて要らない」と評論を書くのはヘイトという感覚が理解不能です。
見事なダブルスタンダードですが、これは韓国政府のやり方とそっくりです。
韓国マスコミや政府は日本製品不買キャンペーンやら日本観光自粛など盛り上げています。
ソウルや釜山では日本製品除外条例が可決されました。
日本人には何しても許されると勘違いした風潮もあり、ナンパに応じなかった日本人女性がソウルで暴行されたりもしました。
東京五輪ボイコットも聞こえてきます。
◆韓国は、日本スーパーヘイト国と言って良いでしょうが、朝日新聞などはこれは批判しません。
一度、日米欧チームから突き放して、希望の中国北朝鮮ロシアのレッドチームに入らないと韓国人の反日ヘイト意識は無くならないでしょう。
一度は、民主党政権にやらせてみてとマスコミに騙され日本人は左翼政権の悪夢を味わい懲りました。
韓国人にもレッドチームに入れば、いずれ香港のようになり、日米欧の自由主義チームの良さに気付き反日ヘイト意識は無くなるでしょう。
まずは文大統領の望む、北朝鮮と韓国を連邦にして米軍撤退から始めましょう。
殴り返されると発狂する連中がなにいってんの
ちゃんとバトル会場になってるならこんなに問題にならないんだよ
じゃぁヘイトスピーチもアートってことでいいんじゃね?
なら俺も、息を吸うように嘘をつく韓国人像を展示したい
わしのアート作品、世界中で出稼ぎ売春する売春婦像を展示したい
◆今でも日本に5万人、米国に5万人が出稼ぎ売春する売春大国韓国。
欧米では韓国人売春婦の逮捕者が多く社会問題化しているが、日本では在日韓国人特権でマスコミが韓国人売春婦を報じず強制送還も少ない。
日本軍に強制連行され強姦され韓国人20万人が慰安婦にされたと韓国や朝日新聞がデマを世界へ拡散していた。
しかし、元々売春産業が韓国GDPの5%を占めキーセンと言わる主産業であった
当時の米軍のレポートでは、慰安婦は出稼ぎ売春婦だったことが伺える。
「慰安婦の女性たちの稼ぎは月に1000~2000円、一般兵士の月給は15円~25円。陸軍大尉でも110円だった」とあります。
つまり兵士の40~60倍の高い稼ぎだったわけです。
もし現代の兵士の月給が15万円とすると従軍慰安婦は月給900万円となります。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0528&f=national_0528_040.shtml
韓国で売春が禁止されたのは2008年であり、しかしその後も売春婦たちは売春させろと大規模デモが起きている。
◎ベトナムで強姦殺人しまくった韓国軍。
本当の戦争強姦犯罪は、ベトナム戦争に米国の支援に入った韓国軍と言われている。
米軍物質の横流し転売やベトナム女性への強姦が有名だ。
韓国軍は何十万人の女性を暴行し、証拠隠蔽のため撃ち殺すなど悪質な者が多かった。
妊娠して産んだ者も居て3万人も産まれている。
ライダハンと呼ばれている。 偏りすぎたな
もっと幅広くやればいいのに
ただただ日本を貶めてニンマリ笑ってたいだけだろ
こんなの芸術でもなんでもねえよ
都合よく解釈してるだけしゃねえか
「誰も傷つけない表現に意味ない」(建前)
「日本人を傷つけない表現に意味ない」(本音)
>>1
間抜けな日本人の墓、という作品がひどすぎる
完全に限度を超えている
作者は情性欠如者、人非人じゃないか 誰も傷つけない表現に意味がない、はわかる。
でもこれは特定の政治や特定の国の思想が背景にありますよね?
芸術というなら、この点を超越した、普遍的なテーマで表現すべきだろうし、どこかの国や民族を想起させる直接的な表現は、対立を深め、これまで寛容だった人々をも不寛容に変えさせるマイナスの効果しか発揮しないと思います。
これはプロパガンダだと思うし、不寛容のサイレントマジョリティをかなり増加させたと思います。芸術とは言いがたい。
>>1
文化と経済のグローバリズムと芸術と芸能と人権と・・・全部一緒くたにして語っているから
聞いている方はミッキーマウスと印象派と古典絵画と写真のジグソーパズルの組み合わせを見
せられているようなごちゃ混ぜ感しか感じられない
そもそも芸術の価値を「誰かを傷つける」「傷つけない」などという視点で語ること自体おか
しいわけで
「表現の自由」と「不自由」二極化にわけて考えろとしているこの企画そのものも同じ
偉大なる芸術家、ダビィンチとかそんな事言ってませんよ ネットで勝手にやって炎上してろよ
あと黒人とか、イスラムとかも、ばかにしたらいいよ
>>誰も傷つけない表現というものには、ほとんど意味がない。
裏を返せば、誰かを傷つけるための作品が芸術だ、と
こんな自分勝手な、乱暴な態度で制作している人に芸術を語る資格なし
>>英国のロックバンド
芸能と芸術を一緒くたにしてるから芸術を理解していない、できないのです
英国の画家ターナーが‘崇高,という概念で説明しています
芸術家は魑魅魍魎たる世間に徘徊する蛆虫にならず、心に‘崇高,という概念を持ち続けなければならない、と
それは芸術家の長く、当たり前の歴史だった
ところが近代になると、滅茶苦茶、なんでもあり、になってしまい、ろくに技術もない輩がこの分野を闊歩するようになってしまった
>>1の発言者、企画展の津田氏とかいう自称芸術監督に聞きたいですね
・油彩の始まりはどこですか?
・透明水彩と不透明水彩それぞれの効果の違いはどこにありますか?
・破墨技法を考案したのは誰ですか?
他人の顔に火をつけるのが芸術というなら、質問に答えられるくらいの知識なり技法はマスターされているんでしょうね 国がどんなにひどいか
言ってはいけないなら
その国は悪い国である
言いたいことはわからなくもない、自主規制しろってのはおかしい
覚悟の上で出そうとして反撃食らうか、争いを避けるために出さないかの二択
苦しむ国民がギャーギャー言う事で
どこが悪いかがわかる
「人を傷つけることはいけない」などの人生訓を悪用すると
どんなに苦しめられても文句がないことになってしまう
倫理道徳、人生訓、人として立派な行動
アンガーコントロール、アンガーマネジメント
悪用すれば
苦しめられる人は絶対に怒らないことになる
そして怒った人間を問題児として扱い
社会的に抹殺するだろう
実際にそういうことをしているから、記事>>1のようになる >>47
それを安易な論理や言い方にしないのが一般人と芸術家等との違いなのではないですか
芸術家が政治的関心を持っていけない、などというつもりはないです
ただ、作品において一般人の及びもつかない到達点を示せない芸術家は一般人と変わらない、芸術家などといえない代物と思う
誰の、どんな作品でもフリーパスな展示なのですか?
それじゃ便所の落書きと一緒 表現は人を傷つけるためにあるべき
というのは、ちょっと足りない
表現は、あとで社会をよくすることを促すものでなければならない
支配者にとって耳が痛いことを言うのは同じだが
支配者、権力者をただ傷つけるために言うのではない
傷つくのならやましいことがあるということだが
国民のマイナス感情にやられて参ってしまっている状況との区別はしなければならない
この区別がないと、支配者、権力者もただ怒られたとしか思えない。
国の方針に逆らったとしか思わないだろう
国に逆らうことと
苦しめられているからギャーギャー言っていることの区別はつけないといけない
あとで改善の余地を生み出すために表現する。欧米は
ここが悪い、データはこうなっている、現状はこうだとわかったので、
より良き社会のために行動しましょう、
行動することで、私たちはいつまでも健全に生きられるのです、と言っている。
こういうことで、オーディエンス(聴衆)はそうだ、やらなきゃいけない、やろうという気持ちになる。
欧米では必ず、こうなるように話す。
日常の気楽な雑談でも、このパターンで話す。
だから欧米人の話はくそまじめでも面白く感じる。
日本ではこういう言い方を絶対にしない。
日本は根本から狂っている。
良くなることの定義がわからないとか言い出す始末だ。
良くなることを考える以前に、ズレている。
これが丸暗記の害悪だ。
何かが足りない。
欧米で普通に話すだけで、その足りない部分は感じられる。
それが欧米と日本の話を聞いた感じの差である。
必ず差を感じるが、そこが違うわけだ。
この差が埋まってほしくて、私はよく書いている。
この差を埋めるだけで、日本は一回は全面戦争状態、全国内紛・紛争状態になるかもしれない。
それだけおかしいということだ。
日本は根本から何か勘違いしていることがうかがえる。
この差を埋める方法で考えられるのは、
欧米のような、じわっと何かを感じる話し方を知り
日本人も同じように話すことだ。
日本で有名な「起承転結」よりもやることは多いので、内容の微調節はしやすいはずだ。
「起承転結」と言われて、話を作るのに猛烈に苦しむのは、
「起承転結」だけでは、どう話せばいいか、意外にもイメージできないからだ。
欧米は話が入り組んではいるが、その割には面白さが後から引き出される。
ちょっとずつ見せられてなめらかに話が進み、「転」のちょっと変わった展開部分が
欧米の話し方だと、何度入れてもいいのだ。
だから、欧米の話し方だと、いつでも驚かせる話し方をしていいのだ。
「起承転結」だと「転」のときしか驚かせることを言ってはいけないかのように見える。
このように、話し方次第で印象は変わる。
私が思う限り、日本の話し方は欧米とは全く違うため、あまり面白く感じないのだ。
好奇心やイメージは促されないように、うまくできている。
芸術を対国家という概念で語るのは自由でしょうが、それは解釈の一手段であって芸術家にとって一番大切なのは
‘美,です
‘美,というのは綺麗だけじゃありません
評論家が言葉を尽くしても尚及ばないところにある美です
この企画も、>>1の方も一言でいえば軽いのです
常に、対何々、肯定と否定、を自分の内側に内包したまま語るからーーー自由Vs不自由、傷つけるvs傷つけない、
あみだくじみたいな占いの類・・・ハイ・イイエで矢印を進んでいって最後あなたはこういうタイプ、こういう病気
みたいな帰結ーーーそれは選択の結果なのであって答え<美>じゃないんだ
選択させる、選択から美は産まれない それができない、教えられないから現代絵画には美がないのだ だから、これから日本人は、できるだけ
欧米の話し方のように話すこと。
まくしたてる必要はないが、起承転結以上のいろいろある話し方をするほうが
気分でサービスしてもいい。
「転」のときだけ楽しませようなどという、公務員みたいな「ぎこちない」ことはもうしなくていい。
最初から驚かせて「つかみはオッケー」としてもいい。
上手な人は、そろそろ退屈かなという頃に驚かせたりするので、欧米の話し方のほうが楽しい。
また、話すほうもおしゃべりが大好きだ。
話すことで、自分が何かを変えられることを知っているからだ。
日本人はこのことをまったく実感していない。
自分が何をしても変わらないと感じていることが多い。
なぜなら、周りにもうまく反応できない人が多く、反応できないことは黙らせようとするだけだからだ。
これでは、話す気は起きない。
反応できないのは、頭の回転が遅いからで、
頭の回転が遅いのは、自分が何かができるという楽しさを知らないのだ。
表現することは、自分が言いたいことを
相手が怒らない程度に伝えることでもある。
ストレートに文句だけ言って素直に聞くお人好しはいない。
なんとかそのまま聞いてあげようとがんばっている善い人でも
我慢が出来ず、話を聞くのをあきらめるのが関の山だろう。
ただ文句を垂れているだけでは、わざと聞こうとしている人でも聞けない。
そういう風に表現するのではなく、美しく表現するのだ。
だから芸術家、音楽をやっている人がよくやっている。
そして、哲学のように、がっつり論じて伝える人がいてもいいじゃないか。
音楽という形だから、伝わること、伝わらないことがある。
「語り」という形だから、伝わること、伝わらないこともある。
音楽、語りで形を変えて伝えるのは、単にわかりやすさ、受け入れやすさのためだ。
私みたいにべらべらしゃべっていても、どうも受け入れにくいな、となったら
この言葉は、短くなって「詩」になるわけだ。
「詩」は、現代ではただ言葉をかっこよく言っているだけに見える。
古代では「詩」というものは「節(音楽のメロディーのような歌うような音)」と
必ずセットになっていたんだそうだ。
古代ギリシャの詩も、ただそのまま読むのではなく、当時は歌うように詠んでいたらしいのだ。
そのように言う事で、ただの文句や罵詈雑言は、なんということでしょう
人からほぼ確実に受け入れられるような、音楽となる。
こういう表現の工夫はまさに芸術的だ。
浅田彰は「ヘイトを表現した創作物」をヘイト・アートとして容認するんだw
横浜だっけ、アキラがトップのアートフェスはw
表現は、こうやって普通に話してもいいのに、
音楽などで歌うように伝えることもある。
なぜなら、そのほうが受け入れやすいからだ。
歌手の歌詞は人種差別や、争いをやめよう、自分の心の整理などの重いテーマを扱っていることが多い。
これを普通に語れば、重くて聞いていられないだろう。
だからか、いつしか人は歌うようになった。
孔子の弟子エピソードでもある。
ある家庭の父親が暴力をふるったり、酒を飲んでばかり、問題だらけだったが
孔子の弟子、顔回が楽器を使って即興で家のそばで歌った。
「もうみんなは知ってますよ」と伝えたことで、父親の問題行動がやんだという。
もし、ふつうに「やめなさい」と言っていたら父親は反発しただけだろう。
歌の力である。
>>53
社会派と総称される芸術集団もいました
19世紀頃のイギリスのニューリン派(一般に外光派)やロシアの画家達がそうです
彼らは感情に流されずに(その感情には正義も含まれる)自然の風景をありのままに描くことが人々を混乱させず
健全な社会に役立つと考えた節があります
動機はあなたのおっしゃるのに近いかもしれません
社会とは同時にバランス感が要求されますから、こうした絵画は似たような絵画にしかならないのですね
(彼らの技術は認めます) 歌も芸術も、詩も、表現するのは同じだ。
今の日本にはそういう歌よりも、アイドルなどの歌のほうが多い。
アイドルがキャラクターの気持ちで何か言ったところで、それはキャラクターの言いたいことである。
アイドルをしている本人が、今の世の中に物申すことはないだろうか。
ツイッターなどで語っているとは思うが、できるだけ
アイドルとしての自分ではなく、キャラクターでもなく、本当の自分の気持ちで語るほうが良い。
できれば、そっちの歌を歌うほうが良い。
アイドルのように金になるような歌になってなくてもいいくらいだ。
気持ちがこもっているほうが大事だ。
日本社会もどこも同じく、国民を苦しめている部分がある。
今、アイドルとして活躍している、そのシステム自体もいいものとは限らないのだ。
人間が作る社会なのだから、問題があるほうが当たり前である。
問題についてまったく何も言われないのは、社会が改善されることをあきらめるようなものだ。
もし私が表現の不自由展の開催を任されたら断ります
そもそも表現の自由・不自由を分ける根拠や状況がないからです
社会というのは何時の時代も抑圧的なものはあるでしょう
戦時中であれば尚更
但し、今の日本の状況で、私の手を止める権利や何々を書けという強制力はないからです
お金がないから画材を買えないw広義の意味では社会に原因がないわけではないかもしれないが、
それを言い出せば何時の時代も切りがない
些少の事は何時の時代もある
ただ、手を止める者がいない以上、強制する者がいない以上、私に自由・不自由の問題は起きていないし、
言いがかりみたいな企画に関われば創作者としての自分は終わりだと思ってます
表現は、そのままいうと文句、罵詈雑言になることがある。
そこを、美しく表現することで、ほとんど誰でも受け入れられる。
目的は、悪いところを、改善するためである。
昔から、芸術は「風刺」が原動力になっているようだ。
国民の怒りが頂点に達すると、それを風刺した歌が大ヒットしている。
エロいことにしか興味がない社会になっているのは、思想の抹殺である。
ついでに、女性にエロいことしかしないのは、実は女性の人間としての尊厳の殺害である。
苦しむ人が何かいうから、改善点がわかる。
表現をしてはいけないとすると、社会が良くなることはありえなくなる。
なぜ、その辺の文句を垂れるのがいけないかというと、
人間がますます腹が立つ以外、何もないからだ。
非生産的なことだ。
芸術家が政治や社会に興味を持って何か言うのは、当然のこと、自然現象だ。
芸術家が政治や社会のことをいうかどうかを考えることがすでに何かがズレている。
生きているだけで何か問題があり、そこが気になるのが普通だ。
それを許さないというのは、悪政だろう。
>>昔から、芸術は「風刺」が原動力になっているようだ。
ラブレーとか風刺を聞かせた作家はいましたね
啓蒙思想とか社会派に分類される作家、文学には結構いるかも
ただ、どういう範囲、意味で「芸術」と言われてるのかわかりませんが、絵画や音楽で「風刺」の効いた
「名画」とか「音楽」というのは私はあまり聞いたことがありません
あれらは五感を総動員した総合芸術みたいなものかと
エスプリとユーモアの効いた絵画とか音楽なんて陳腐なものにしかならないと思いますが?
無理に脳内で芸術を語ろうとすると現代人はろくなことにならないような気がします
川のせせらぎを聞き、野鳥の響き、東洋でいえば神仙思想=無我の境地とでもいうか、19世紀以前の芸術家の方が
わかってましたね
現代は芸術に携わっている人そのものの多くが病んでます
そういう人に展覧会なんて開けますか?
表現することで、世の中の改善につながるなら芸術家が何か言ってもいい。
人が傷つくだけで終わったら、目的のない表現になってしまう。
せっかく表現するのだから、どこかで世の中の改善を促すものであるべきだ。
そういう何かをよくする部分が含まれているなら、
人が表現をする権利としては、ほとんど何をしても自由だろう。
そういうわけで
表現は捨てられて忘れられるよりも
覚えていてくれて、人の行動にいい影響を与えるほうが良い。
そのつもりで表現するようにすれば、ただ傷つけるだけの言葉では言わなくなる。
何を言っても、どこかが良くなるように考えられたことを、あなたも言えるのである。
そういう言葉を言うあなたに、人は人間性を感じるのである。
それでは
おわり
韓国をちょっとでも傷つけたらヘイトだと騒ぐくせに
パヨクって平気でダブスタを使うから本当に人間のクズ
>>67
あなたの書き込みざっとみました
遅いから簡単に言うけど
芸術家はすべて説明するとは限らず
火とみてもらうことを意識しているとも限らず
ただ表現したいから表現している気がします 間違い
人に見てもらうことを意識しているとも限らず
自主規制も萎縮するなっていうの、どこかの芸人以来
口先だけで終わりそう
あ、その芸人が出てたお笑い番組も成す術もなく終わった
パヨクはテレビのバラエティーが好き勝手にしてもいいわけね