家族構成
父 53 年収250万
魚屋なので朝早く出て昼ごろ帰ってくる生活。
故に小中高と家族旅行と休みの日以外は接点なかったが、
ここ10年くらい、毎日喋るし家族麻雀もする。(三打ち)
ちなみに継父である。でも、私が5歳の時に再婚したためその認識はない。
常識のある、仕事と家族を大事にする尊敬できる人物。
普段は無口だが、週4で家で昼から晩酌をし、人が変わったようにひょうきんになる。
母 53 専業主婦
パート勤めを色々と移り変わりながらもしてきたが、
今年の春に病気で二回入院。
仕事ができなくなり、ぶつ森と手芸にハマる。
20年来の精神疾患への投薬と相まって、ふらつきがあり、仕事はおろか
近所の買い物も、やっとで自転車も乗れない。
私が生まれてこのかた、ずっとそばにいてくれた、唯一無二の存在。
励ましてくれる存在であり守らなければいけない存在だと思う。
ちょっと書こうと思ったら全くまとまらないので、
これでひとまずスレ立てます。
自分 27 障害年金年額70万くらい
小学生時代までは問題児だったが、中学でよき友人に恵まれ優等生として
生徒会とかもこなし、勉強も学年10位以内に入ってた。
内申が足りないのと、部活にこだわりがあったことから偏差値としては中の上くらい
の普通科高校に進学。
部活は部員数の理由で小さな大会にしか出られなかったが、3年の最後に県大会優勝で
笑って終われた。
しかし学生生活は灰色で、一年早々から授業に見切りをつけ、内職で持参の参考書をこなす淡々とした日々になり学校内では浮いて、ほぼ部室で過ごす。
2年の12月に三者面談にて、実技教科の単位が危ないので、進級ができないとのこと。
そこから急に精神疾患的になり、自主退学から大学進学への道を模索する。
その後の定期テストでは1年の一学期以来久々に2位以下となるばかりか、
一気に学年50位程となり、学年主任やら教頭校長やらが心配して面談をする。
中退したいと打診するも、話が平行線になるので、
短絡的に、もう死のうと思った。しかし、部活のメンバーに悪いし、部活は楽しかったので、授業は休み、夕方になったら登校して練習をするという方法をとり、
無事優勝でき、満足したまま大会の打ち上げの帰宅後に睡眠薬とお酒で死のうとした。
でも死ねなかった。
その後は在学しながらも引きこもり、pcと友達になる。
四ヶ月くらいして3年秋に正式に高校を中退。
母親のパート先にアルバイトで勤める。
バイト代の主な使い道はやはりゲーム。あとは両親ともにその頃やっていた
パチンコを覚えて、散財する。
バイト先で一年近く勤めたころには、時間がたっぷりある存在としてシフト的に頼られ、過重労働気味になり、またもや精神疾患的になる。
クリニックにも通ったが続かず、結局ある友人トラブルを起こし、
自分から入院を申し出て、任意入院する。
一ヶ月して病院に嫌気がさして無理やり退院するも、2週間持たず今度は措置入院。
その後2ヶ月の閉鎖病棟ののち、8ヶ月の開放病棟で過ごし、20歳の誕生日前後に退院する。
未成年発病という扱いで障害年金の申請が通る。
医師からは焦らずゆっくり行きましょうと言われ、ひとまず落ち着く。
退院後はリハビリのような生活が続くが、やはり大学に行きたいという思いが
10代前半から持っていたということもあり、受験勉強を始める。
投薬で眠気や震えが止まらん日もあったが、順調に成績を伸ばして、
県内中堅クラスの私立大学に学費免除で合格。21歳という人よりは遅い桜だったが。
しかし、やはり眠気や倦怠感がひどく前期で単位がほぼ壊滅。
9月からは大学から足が遠のき、その冬に退学した。
その後5年は、バイトをしては辞め、今度こそと大学を目指すも続かず、
またバイト、、、というループ状態にハマる。
投薬の減量は進んで、眠気や倦怠感は無くなったが、
結局振り返ると高校から10年間でなにも成し遂げてないし、
逃げてばかりでまともな挫折すら味わっていない。
うーん
精神病にかかったことが無いから、要所要所で何故?って思ってしまう。申し訳ないが 頑張るしかないだろうね
どんな困難だろうと勇気もって立ち向かって行かんといけんのやね
最初は辛いけど、無理してでもやらんといつまでもダメな自分のまま